臓器の移植に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成九年五月二十六日(月曜日)
午後二時四十四分開会
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委員の異動
五月二十日
辞任 補欠選任
菅野 久光君 笹野 貞子君
山口 哲夫君 栗原 君子君
五月二十三日
辞任 補欠選任
菅野 壽君 谷本 巍君
三重野栄子君 照屋 寛徳君
五月二十六日
辞任 補欠選任
谷本 巍君 菅野 壽君
出席者は左のとおり。
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委員長 竹山 裕君
理 事
加藤 紀文君
関根 則之君
成瀬 守重君
木庭健太郎君
和田 洋子君
照屋 寛徳君
川橋 幸子君
西山登紀子君
委 員
阿部 正俊君
石渡 清元君
尾辻 秀久君
大島 慶久君
小山 孝雄君
塩崎 恭久君
田浦 直君
田沢 智治君
中島 眞人君
長峯 基君
南野知惠子君
宮崎 秀樹君
大森 礼子君
木暮 山人君
水島 裕君
山崎 順子君
山本 保君
渡辺 孝男君
大脇 雅子君
菅野 壽君
笹野 貞子君
中尾 則幸君
橋本 敦君
佐藤 道夫君
栗原 君子君
発 議 者 大脇 雅子君
委員以外の議員
発 議 者 猪熊 重二君
発 議 者 竹村 泰子君
発 議 者 朝日 俊弘君
発 議 者 堂本 暁子君
衆議院議員
発 議 者 中山 太郎君
発 議 者 自見庄三郎君
発 議 者 能勢 和子君
発 議 者 山口 俊一君
発 議 者 矢上 雅義君
政府委員
厚生省保健医療
局長 小林 秀資君
事務局側
常任委員会専門
員 吉岡 恒男君
常任委員会専門
員 大貫 延朗君
説明員
法務省民事局参
事官 揖斐 潔君
—————————————
本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○臓器の移植に関する法律案(衆議院提出)
○臓器の移植に関する法律案(猪熊重二君外四名
発議)
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この発言だけを見る →午後二時四十四分開会
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委員の異動
五月二十日
辞任 補欠選任
菅野 久光君 笹野 貞子君
山口 哲夫君 栗原 君子君
五月二十三日
辞任 補欠選任
菅野 壽君 谷本 巍君
三重野栄子君 照屋 寛徳君
五月二十六日
辞任 補欠選任
谷本 巍君 菅野 壽君
出席者は左のとおり。
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委員長 竹山 裕君
理 事
加藤 紀文君
関根 則之君
成瀬 守重君
木庭健太郎君
和田 洋子君
照屋 寛徳君
川橋 幸子君
西山登紀子君
委 員
阿部 正俊君
石渡 清元君
尾辻 秀久君
大島 慶久君
小山 孝雄君
塩崎 恭久君
田浦 直君
田沢 智治君
中島 眞人君
長峯 基君
南野知惠子君
宮崎 秀樹君
大森 礼子君
木暮 山人君
水島 裕君
山崎 順子君
山本 保君
渡辺 孝男君
大脇 雅子君
菅野 壽君
笹野 貞子君
中尾 則幸君
橋本 敦君
佐藤 道夫君
栗原 君子君
発 議 者 大脇 雅子君
委員以外の議員
発 議 者 猪熊 重二君
発 議 者 竹村 泰子君
発 議 者 朝日 俊弘君
発 議 者 堂本 暁子君
衆議院議員
発 議 者 中山 太郎君
発 議 者 自見庄三郎君
発 議 者 能勢 和子君
発 議 者 山口 俊一君
発 議 者 矢上 雅義君
政府委員
厚生省保健医療
局長 小林 秀資君
事務局側
常任委員会専門
員 吉岡 恒男君
常任委員会専門
員 大貫 延朗君
説明員
法務省民事局参
事官 揖斐 潔君
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本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○臓器の移植に関する法律案(衆議院提出)
○臓器の移植に関する法律案(猪熊重二君外四名
発議)
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竹
竹山裕#1
○委員長(竹山裕君) ただいまから臓器の移植に関する特別委員会を開会いたします。
まず、理事の補欠選任についてお諮りいたします。
委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →まず、理事の補欠選任についてお諮りいたします。
委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
竹
竹
竹山裕#3
○委員長(竹山裕君) 臓器の移植に関する法律案(第百三十九回国会衆第一二号)及び臓器の移植に関する法律案(参第三号)、以上両案を一括して議題といたします。
両案の趣旨説明の聴取は既に終了しておりますので、これより質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →両案の趣旨説明の聴取は既に終了しておりますので、これより質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
関
関根則之#4
○関根則之君 まず、中山案と言われている案に対しまして、最初、提案者に御質問を申し上げます。
中山案の特質といいますか、その前提になるものとして、脳死は人の死である、脳死をもって人の死とするという考え方が前提にあるんだと、こういうことが言われておりますけれども、それはそういうふうに理解してよろしいのかどうか、まずお答えください。
この発言だけを見る →中山案の特質といいますか、その前提になるものとして、脳死は人の死である、脳死をもって人の死とするという考え方が前提にあるんだと、こういうことが言われておりますけれども、それはそういうふうに理解してよろしいのかどうか、まずお答えください。
中
中山太郎#5
○衆議院議員(中山太郎君) 関根委員の御質問にお答えいたします。
脳死をもって人の死とすることでいいのかという御質問でございますが、本法案は、脳死臨調の答申においても述べられておりますように、脳死をもって人の死とすることについてはおおむね社会的に合意はされているという、この社会的な合意を前提にして臓器移植に関する事項を内容とする法案として提案されているものでございまして、この法律によって人の死を定義したり、その範囲を変更したりするような性格のものではございません。
なお、委員御指摘のように、臓器移植に関係なく、すべての人に脳死をもって人の死とするのか、あるいは臓器移植の場合に限って脳死を人の死とすべきかという点につきまして、脳死臨調におきましても検討の対象になっておりました。
そこで、結論は、臓器移植の場合に限って脳死を人の死とする考え方は、本来客観的であるべき人の死の概念にはなじみにくいものと考えております。社会規範としての死の概念としては不適当なものであると考えられて、大きな問題があるとされたところでございまして、提案者としましてもその意見と全く同様でございます。
現実に、先般の本会議でもございましたように、日本の全死亡者のうちで脳死の方はわずか一%未満という状況でございまして、ほとんどの死亡者の方は、従来の死の三徴候説で死の診断が行われるものと理解をいたしております。
この発言だけを見る →脳死をもって人の死とすることでいいのかという御質問でございますが、本法案は、脳死臨調の答申においても述べられておりますように、脳死をもって人の死とすることについてはおおむね社会的に合意はされているという、この社会的な合意を前提にして臓器移植に関する事項を内容とする法案として提案されているものでございまして、この法律によって人の死を定義したり、その範囲を変更したりするような性格のものではございません。
なお、委員御指摘のように、臓器移植に関係なく、すべての人に脳死をもって人の死とするのか、あるいは臓器移植の場合に限って脳死を人の死とすべきかという点につきまして、脳死臨調におきましても検討の対象になっておりました。
そこで、結論は、臓器移植の場合に限って脳死を人の死とする考え方は、本来客観的であるべき人の死の概念にはなじみにくいものと考えております。社会規範としての死の概念としては不適当なものであると考えられて、大きな問題があるとされたところでございまして、提案者としましてもその意見と全く同様でございます。
現実に、先般の本会議でもございましたように、日本の全死亡者のうちで脳死の方はわずか一%未満という状況でございまして、ほとんどの死亡者の方は、従来の死の三徴候説で死の診断が行われるものと理解をいたしております。
関
関根則之#6
○関根則之君 御丁寧な御答弁をいただいたわけですけれども、ただいまの御説明の中で、脳死臨調では、脳死を人の死とすることについておおむね社会的な合意がなされている、こういうふうに述べているんだというんですが、逐一全部臨調の答申をそういう観点から当たっておりませんが、いろいろな議論を臨調ではなさった後で、最終的な結論のところでは、本調査会の結論としては、人の死についてはいろいろな考えが存在していることに十分な配慮を示しつつ、良識に裏打ちされた臓器移植が推進されるようにしたらよかろうと。
これが結論じゃないかと思うので、そういう意味からいうと、要するに臨調は、途中の経過ではいろんなことを言っているけれども、人の死についてはいろんな考え方があるんだ、だからそれは一方的に決めつけないで、いろんな考え方があるということを前提にして、それに十分配慮しながらいろいろ考えなさいと、こういうことを言っているんじゃないんですか。
そうすると、今の御答弁で、社会的な合意がおおむねなされている、だからその合意に基づいてこの法律をつくりましたよということになると、臨調の答申とは違った線で中山案というものがつくられているんだ、こういうふうに理解してよろしいですか。
この発言だけを見る →これが結論じゃないかと思うので、そういう意味からいうと、要するに臨調は、途中の経過ではいろんなことを言っているけれども、人の死についてはいろんな考え方があるんだ、だからそれは一方的に決めつけないで、いろんな考え方があるということを前提にして、それに十分配慮しながらいろいろ考えなさいと、こういうことを言っているんじゃないんですか。
そうすると、今の御答弁で、社会的な合意がおおむねなされている、だからその合意に基づいてこの法律をつくりましたよということになると、臨調の答申とは違った線で中山案というものがつくられているんだ、こういうふうに理解してよろしいですか。
中
中山太郎#7
○衆議院議員(中山太郎君) 人の死というものは、いわゆる生物体としての個体の死と社会的な死の概念というものが二つ存在していると思います。
そういう中で、医学的に見て、生物である人間の個体の死という考え方は、社会通念上は、心臓がとまっている、呼吸が停止している、あるいはまた瞳孔の対光反応が消失しているといったような従来の死の三徴候説で、人は皆人が死んだという認識を持っておりました。しかし、医学の進歩の中で、脳死というものが存在するというような学会報告をなされたのが今世紀の初頭でございまして、一九五〇年ごろになりますと人工呼吸器ができてきて、いわゆる人間が呼吸をするということを機械的に行うような、科学技術の進歩によって機械が開発される。それによって呼吸が行われ、血液が循環しておりますけれども、人間のいわゆる生命維持の基本は、脳の脳幹部にある呼吸中枢あるいは循環中枢の指令による心臓及び肺の呼吸機能というものの三つの総合的な機能というものがなければ人間は個体として生存することはできないわけでございます。
そういう観点からいろいろな議論の末、先生御指摘のようにいろんな考え方がある、社会的にも死の概念がある、あるいは医学的にも死の概念がある、その医学の死の概念の中でも医学の進歩によってまた新しい死の診断法というものができ得る、こういうふうな考え方でございます。
この発言だけを見る →そういう中で、医学的に見て、生物である人間の個体の死という考え方は、社会通念上は、心臓がとまっている、呼吸が停止している、あるいはまた瞳孔の対光反応が消失しているといったような従来の死の三徴候説で、人は皆人が死んだという認識を持っておりました。しかし、医学の進歩の中で、脳死というものが存在するというような学会報告をなされたのが今世紀の初頭でございまして、一九五〇年ごろになりますと人工呼吸器ができてきて、いわゆる人間が呼吸をするということを機械的に行うような、科学技術の進歩によって機械が開発される。それによって呼吸が行われ、血液が循環しておりますけれども、人間のいわゆる生命維持の基本は、脳の脳幹部にある呼吸中枢あるいは循環中枢の指令による心臓及び肺の呼吸機能というものの三つの総合的な機能というものがなければ人間は個体として生存することはできないわけでございます。
そういう観点からいろいろな議論の末、先生御指摘のようにいろんな考え方がある、社会的にも死の概念がある、あるいは医学的にも死の概念がある、その医学の死の概念の中でも医学の進歩によってまた新しい死の診断法というものができ得る、こういうふうな考え方でございます。
関
関根則之#8
○関根則之君 御丁寧な御答弁を聞いていると、ますますどうもよくわからなくなっちゃって困っているんですよ、正直な話が。
要するに、臨調の最終的な答申は、人の死についてはいろいろな考え方がある、一方的に決めつけるのはどうも問題があるんじゃないか、その辺を十分配慮しなさいということになっているんですよ。
ところが、先生の御提案いただいている中山案では、いや、そうはいっても、医学的に脳死というものの考え方というのはコンセンサスが医学界では大体得られているんだということをさっきから御説明いただいているわけですね。そうすると、要するに一言で簡単に言って、脳死は人の死だということを前提にしてこの中山案はつくられているんだと、こういうふうに解釈してよろしいかどうか、そこのところだけもう一回ちょっと御答弁いただきたいんです。
この発言だけを見る →要するに、臨調の最終的な答申は、人の死についてはいろいろな考え方がある、一方的に決めつけるのはどうも問題があるんじゃないか、その辺を十分配慮しなさいということになっているんですよ。
ところが、先生の御提案いただいている中山案では、いや、そうはいっても、医学的に脳死というものの考え方というのはコンセンサスが医学界では大体得られているんだということをさっきから御説明いただいているわけですね。そうすると、要するに一言で簡単に言って、脳死は人の死だということを前提にしてこの中山案はつくられているんだと、こういうふうに解釈してよろしいかどうか、そこのところだけもう一回ちょっと御答弁いただきたいんです。
中
関
関根則之#10
○関根則之君 死の診断法の一つであるということなんですが、今、法律案になっているわけですね。その法律では、脳死は人の死であるということを私は見たときに、法律上も脳死は人の死であるというふうに考えて、そういう形で整理して法律がつくってあるんだと、こういうふうに受けとめているんですが、それでよろしゅうございますか。
この発言だけを見る →中
関
関根則之#12
○関根則之君 そういう前提であれば、それは一つの考え方ですから、脳死というものは人の死なんだということを前提にしてやれば、これは臓器を提供しようとする意思を持っている人だけに限られたことじゃなくて、すべての、交通事故か何かで脳障害を受けた、そういう人たちは、本人がドナーカードを持っているとか持っていないとか、そんなこととは関係なしに、脳死になったときには人はもう死んだものなんだ、死んじゃったんだというふうに理解すべきであるという考え方に基づいてこの法律ができている、そういうことでよろしゅうございますか。くどいようですけれども。
この発言だけを見る →中
関
関根則之#14
○関根則之君 ところが、本会議の質問等で私がやりました、それから同僚も質問いたしましたが、その段階でいろいろな答弁がなされておりますけれども、簡単に申し上げまして、いやいや、そうはいっても、臓器提供をすると言っている人以外にもこの脳死判定をするということは余りやらないような感じの御答弁をいただいたわけでございます。
そこで、ちょっと確認だけしておきたいんです。
いわゆる脳死と言われるような状態に脳の状況がなったときに、その人は、生前というか事故なんかの前にちゃんと判断能力がある時点で、私はもう脳死判定は嫌ですよと言っておく、あるいは、遺族なり家族なりが脳死判定は受けたくない、脳死なんという取り扱いはおれは承服できないから嫌だと、こう言っているときに、いわゆる脳死判定を拒否する権利というのはありますか。
この発言だけを見る →そこで、ちょっと確認だけしておきたいんです。
いわゆる脳死と言われるような状態に脳の状況がなったときに、その人は、生前というか事故なんかの前にちゃんと判断能力がある時点で、私はもう脳死判定は嫌ですよと言っておく、あるいは、遺族なり家族なりが脳死判定は受けたくない、脳死なんという取り扱いはおれは承服できないから嫌だと、こう言っているときに、いわゆる脳死判定を拒否する権利というのはありますか。
中
関
小
小林秀資#17
○政府委員(小林秀資君) 脳死の判定につきまして家族の方が拒否する権利があるのかというおただしでございますが、私は、衆議院の厚生委員会におきましても、そういう拒否権という考え方を認めるというふうには申し上げておりません。
ただ、その前に、提案者の方からもお答えがありましたところを少し省いてしまったから誤解があろうかと思いますけれども、実際の医療として行われる場合、救急医療の先生というのはずっと患者さんの病状を見ていらっしゃる。もちろん脳死に近いから本人はもう意識がございません、呼吸もとまります、それからいろんな脳の反射も見ていきますと、これももう死の兆候を示している、こういう状況下に置かれての判断です。
そういうときに当たって、やっぱり医者たる者は患者のために最善を尽くすのであります。したがって、最善を尽くし、まさに亡くなられようとされている方についても、その人の尊厳性というものは保たなくてはいけない。したがって、医者としては死という客観的事実を見ていく。その一連の行為として、脳死判定といって一番問題になりますのは、脳死判定の中の無呼吸テストということが実は脳死者にとっては決定的に死に至らしめるのではないかということの御意見もありまして、こういう一部の意見が出るんだと思いますけれども、いずれにしても、脳死判定を家族の方は嫌がられる。そのときにどうしても必要なことは、いわゆる家族の方に説明をきちっとして御理解いただくということが大変重要である。
これは提案の方々からも言われたし、そして実際に説明をし御理解を得る努力の過程で患者さんが亡くなられる、結果として実際には拒否したと同じ結果になる。結局、家族に説明と御理解を求めようとしていても実際には行えない。そして、実際に医療の現場では、医師というのは法律上インフォームド・コンセントのことが義務づけてあるわけではないんですけれども、御理解をいただくということをしていく最中に、結果として実際には脳死判定が行われないということがあり得ますということを提案者の方がお答えされていらっしゃいますが、私もそのように考えております。
この発言だけを見る →ただ、その前に、提案者の方からもお答えがありましたところを少し省いてしまったから誤解があろうかと思いますけれども、実際の医療として行われる場合、救急医療の先生というのはずっと患者さんの病状を見ていらっしゃる。もちろん脳死に近いから本人はもう意識がございません、呼吸もとまります、それからいろんな脳の反射も見ていきますと、これももう死の兆候を示している、こういう状況下に置かれての判断です。
そういうときに当たって、やっぱり医者たる者は患者のために最善を尽くすのであります。したがって、最善を尽くし、まさに亡くなられようとされている方についても、その人の尊厳性というものは保たなくてはいけない。したがって、医者としては死という客観的事実を見ていく。その一連の行為として、脳死判定といって一番問題になりますのは、脳死判定の中の無呼吸テストということが実は脳死者にとっては決定的に死に至らしめるのではないかということの御意見もありまして、こういう一部の意見が出るんだと思いますけれども、いずれにしても、脳死判定を家族の方は嫌がられる。そのときにどうしても必要なことは、いわゆる家族の方に説明をきちっとして御理解いただくということが大変重要である。
これは提案の方々からも言われたし、そして実際に説明をし御理解を得る努力の過程で患者さんが亡くなられる、結果として実際には拒否したと同じ結果になる。結局、家族に説明と御理解を求めようとしていても実際には行えない。そして、実際に医療の現場では、医師というのは法律上インフォームド・コンセントのことが義務づけてあるわけではないんですけれども、御理解をいただくということをしていく最中に、結果として実際には脳死判定が行われないということがあり得ますということを提案者の方がお答えされていらっしゃいますが、私もそのように考えております。
関
関根則之#18
○関根則之君 どうも答弁がはっきりしないんですよ。
要するに、脳死判定なんというものはおれは受けたくないよ、おれの死というのは心臓がとまったときが死なのよ、そういう伝統的な解釈に基づいて、自分でそういう意思を持っている人が脳死になっちゃったら、なった段階ではもう判断のしようがないと思うんです。そういう人に対して、脳死というのは客観的な事実なんだから、病状が進んでいったある時点を通り越したら客観的な事実なんだから、それはもう判定をしょうがしまいが、脳死状態になったらその人は死んじゃったのよと。手続としては判定手続というのはあるかもしれないけれども、客観的な事実として脳死というのがあるんだというお考え方ですか。もう一回ちょっと。
この発言だけを見る →要するに、脳死判定なんというものはおれは受けたくないよ、おれの死というのは心臓がとまったときが死なのよ、そういう伝統的な解釈に基づいて、自分でそういう意思を持っている人が脳死になっちゃったら、なった段階ではもう判断のしようがないと思うんです。そういう人に対して、脳死というのは客観的な事実なんだから、病状が進んでいったある時点を通り越したら客観的な事実なんだから、それはもう判定をしょうがしまいが、脳死状態になったらその人は死んじゃったのよと。手続としては判定手続というのはあるかもしれないけれども、客観的な事実として脳死というのがあるんだというお考え方ですか。もう一回ちょっと。
小
関
小
小林秀資#21
○政府委員(小林秀資君) ドクター、医師が診察をしていきまして、最後の脳死判定の中にいわゆる無呼吸テストというテストが入っております。これは外部から見て、患者さんの家族の方がわかるわけではない。そういう意味では、心臓死というような全く客観的に見えるものではないという意味で、そこは一般の従来の死の客観的という意味とは少し違ってくると思っています。
この発言だけを見る →関
中
中山太郎#23
○衆議院議員(中山太郎君) 私は臨床の現場で経験してきた人間ではありませんけれども、臨床の現場を見てきた人間としては、やはり医師というのは最後まで死に近づいている患者の延命のために全力を挙げている。そういう中で絶えず血圧もはかっているし脈もはかっている、呼吸数がどうなっているか、血圧はどうなっているか、そういったようなことを見ながら最善の延命努力をしているわけです。
そういう中で、症状がだんだんと悪化してくるといった場合に、医療行為の中の手段として脳波の診断を行うとかそういうことはあり得ると思うんですが、そこで御本人の生存中の意思が明確であったり御家族の御意思が反対の方向で明確であったりした場合に、それはインフォームド・コンセントの中で御家族にお尋ねして、これで死の判断をすることはどうでしょうかと言えば、それは困るとおっしゃった場合には、やっぱりそういう脳死の診断によって治療を打ち切るんじゃなしに治療を継続していくということは附則の中にも書いてございますので、そこははっきりと申し上げておかなければならないと思います。
この発言だけを見る →そういう中で、症状がだんだんと悪化してくるといった場合に、医療行為の中の手段として脳波の診断を行うとかそういうことはあり得ると思うんですが、そこで御本人の生存中の意思が明確であったり御家族の御意思が反対の方向で明確であったりした場合に、それはインフォームド・コンセントの中で御家族にお尋ねして、これで死の判断をすることはどうでしょうかと言えば、それは困るとおっしゃった場合には、やっぱりそういう脳死の診断によって治療を打ち切るんじゃなしに治療を継続していくということは附則の中にも書いてございますので、そこははっきりと申し上げておかなければならないと思います。
関
関根則之#24
○関根則之君 脳死というのは、ある程度医学的には客観的な事実が進むことによって、目に見えるかどうかは別として、いろんなテストをやって、そういう病気の進行といいますか体の変化といいますか、そういうものが進むことによって、ある時点になったらそれはもう不可逆的な全脳の機能停止だ、それが脳死だ、こういう御定義でございますから、そういうものが進んでいくんだけれども家族に対するいろんな配慮や何かがあるから、脳死というのは、例えば無呼吸テストなんていうのはそう簡単にできるものじゃない、一方的にできるものじゃない。そういうお話で、家族の意思を尊重する扱いがなされるんだ、こういう趣旨なんですけれども、それは実際の扱いがそうなるというだけであって、法律上はあくまでもこの六条の二項で言い切っちゃって、「「脳死体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された死体をいう。」と、すぱっと言い切っちゃっているんです。
だから、脳死判定が行われて、その結果、五項目か六項目かですが、そういう項目のテストがそれは脳死なんだということになって、基準に照らして合ってくれば、それはもう家族が拒否をしょうが拒否をしまいが、そんなこととは全く関係なく脳死体になっちゃう、死体になっちゃうのじゃないんですか。そういう理解なんじゃないですか、これは法律上。それはどうなんでしょうか。
この発言だけを見る →だから、脳死判定が行われて、その結果、五項目か六項目かですが、そういう項目のテストがそれは脳死なんだということになって、基準に照らして合ってくれば、それはもう家族が拒否をしょうが拒否をしまいが、そんなこととは全く関係なく脳死体になっちゃう、死体になっちゃうのじゃないんですか。そういう理解なんじゃないですか、これは法律上。それはどうなんでしょうか。
中
中山太郎#25
○衆議院議員(中山太郎君) もちろん、臓器移植の意思を生存中に明確に文書で御本人が記録しておられる場合、それから家族の御同意がある場合に限ってのみ脳死の診断ということはできるわけでございますので、そこのところは、脳死を人の死として定義するということじゃなしに、臓器移植という場合にのみ限ってこれを考えられる、こういうふうに御理解をいただきたいと思います。
この発言だけを見る →関
関根則之#26
○関根則之君 そういうふうに理解すべきであるというお話ですから、理解することはやぶさかでないんです。だけれども、法律の制度としては、家族が嫌だと言ったときには脳死判定は行われないということは法律上どこかで担保されておりますか。これは臓器移植の場合だけでありますよとか、そのことも書いてないんですよね。それから、家族が同意しないときには脳死判定はいたしませんということも書いてないんですよ。
お話はわかるんですけれども、法律制度というのは一たんでき上がっちゃいますとそれがひとり歩きをいたしますから、そのときに家族が反対したら脳死判定はやらないんだよということが法律上担保されているのかどうか。また、脳死判定というのは臓器移植のときだけだよ、一般の医療の行為ではやらないんだということがどこか法律に書いてあるのかどうか。そこのところはどうなんでしょうか。
この発言だけを見る →お話はわかるんですけれども、法律制度というのは一たんでき上がっちゃいますとそれがひとり歩きをいたしますから、そのときに家族が反対したら脳死判定はやらないんだよということが法律上担保されているのかどうか。また、脳死判定というのは臓器移植のときだけだよ、一般の医療の行為ではやらないんだということがどこか法律に書いてあるのかどうか。そこのところはどうなんでしょうか。
中
中山太郎#27
○衆議院議員(中山太郎君) 法律上の法理論とそれから医療の現場での問題と二つありますけれども、立法府においてはもちろん法理論が中心に議論されるべきものだと私も考えております。
そういった中で、現在の救急の現場では、絶えず脳死判定というものは日常の医療行為として行われているというふうに御理解をしていただきたい。それを法律的にどう担保するかということについては、厚生省令で規定をするということが必要でもあろうかと考えております。
この発言だけを見る →そういった中で、現在の救急の現場では、絶えず脳死判定というものは日常の医療行為として行われているというふうに御理解をしていただきたい。それを法律的にどう担保するかということについては、厚生省令で規定をするということが必要でもあろうかと考えております。
関
関根則之#28
○関根則之君 日常の医療の現場で脳死判定が行われている、こういうお話です。それは私行われていることについて、別に脳死判定についての法律が今あるわけじゃありませんから、事実行為として診療行為としてそういうものが行われているということ、これは別に法律上の効果は、それが適法なのか違法な行為であるのかという判定は別途あるでしょうけれども、別に法律の直接の明文の規定に基づいて行われているわけじゃないんですね。
ところが今度、六条二項というものを書きますと、新たに脳死判定というものが法律の制度としてできるわけですよね。その分野は少なくも法律できちっと根拠が置かれるわけですから、法律の六条の二項に基づいて行われる脳死判定というのはこれこれこういう条件に従うのよということがきちっとそこでその法律の中に書いてないといけないんじゃないかという感じがするんですけれども、厚生省令に書いてありますから大丈夫だという、それはちょっと無理じゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →ところが今度、六条二項というものを書きますと、新たに脳死判定というものが法律の制度としてできるわけですよね。その分野は少なくも法律できちっと根拠が置かれるわけですから、法律の六条の二項に基づいて行われる脳死判定というのはこれこれこういう条件に従うのよということがきちっとそこでその法律の中に書いてないといけないんじゃないかという感じがするんですけれども、厚生省令に書いてありますから大丈夫だという、それはちょっと無理じゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。
中
中山太郎#29
○衆議院議員(中山太郎君) 今、委員御指摘の点は六条の二項の問題だと思います。
「前項に規定する「脳死体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された死体をいう。」、こういうふうに明文化しておりますから、ここのところは、それで判定されなければ脳死体にならないわけですから、そこのところは私どもはこの法のいわゆる二項で充足されているものだというふうに理解をいたしております。
この発言だけを見る →「前項に規定する「脳死体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された死体をいう。」、こういうふうに明文化しておりますから、ここのところは、それで判定されなければ脳死体にならないわけですから、そこのところは私どもはこの法のいわゆる二項で充足されているものだというふうに理解をいたしております。