憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会
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会
会議録情報#0
本小委員会は平成十四年二月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
二月七日
本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
石川 要三君 高村 正彦君
近藤 基彦君 土屋 品子君
中川 昭一君 葉梨 信行君
平井 卓也君 首藤 信彦君
中川 正春君 中村 哲治君
山田 敏雅君 赤松 正雄君
藤島 正之君 山口 富男君
金子 哲夫君 井上 喜一君
二月七日
中川昭一君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月二十八日(木曜日)
午前九時四分開議
出席小委員
小委員長 中川 昭一君
高村 正彦君 近藤 基彦君
土屋 品子君 葉梨 信行君
平井 卓也君 首藤 信彦君
中川 正春君 三井 辨雄君
山田 敏雅君 赤松 正雄君
藤島 正之君 山口 富男君
大島 令子君 西川太一郎君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 中野 寛成君
参考人
(名古屋大学大学院法学研
究科教授) 松井 芳郎君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
二月二十八日
小委員中村哲治君、金子哲夫君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として三井辨雄君、大島令子君及び西川太一郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員三井辨雄君、大島令子君及び西川太一郎君同日委員辞任につき、その補欠として中村哲治君、金子哲夫君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
国際社会における日本のあり方に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →二月七日
本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
石川 要三君 高村 正彦君
近藤 基彦君 土屋 品子君
中川 昭一君 葉梨 信行君
平井 卓也君 首藤 信彦君
中川 正春君 中村 哲治君
山田 敏雅君 赤松 正雄君
藤島 正之君 山口 富男君
金子 哲夫君 井上 喜一君
二月七日
中川昭一君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月二十八日(木曜日)
午前九時四分開議
出席小委員
小委員長 中川 昭一君
高村 正彦君 近藤 基彦君
土屋 品子君 葉梨 信行君
平井 卓也君 首藤 信彦君
中川 正春君 三井 辨雄君
山田 敏雅君 赤松 正雄君
藤島 正之君 山口 富男君
大島 令子君 西川太一郎君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 中野 寛成君
参考人
(名古屋大学大学院法学研
究科教授) 松井 芳郎君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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二月二十八日
小委員中村哲治君、金子哲夫君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として三井辨雄君、大島令子君及び西川太一郎君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員三井辨雄君、大島令子君及び西川太一郎君同日委員辞任につき、その補欠として中村哲治君、金子哲夫君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
国際社会における日本のあり方に関する件
————◇—————
中
中川昭一#1
○中川小委員長 これより会議を開きます。
この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました中川昭一でございます。
小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。
国際社会における日本のあり方に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として名古屋大学大学院法学研究科教授松井芳郎君に御出席をいただいております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
次に、議事の順序につきまして申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、松井参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました中川昭一でございます。
小委員の皆様の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。
国際社会における日本のあり方に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として名古屋大学大学院法学研究科教授松井芳郎君に御出席をいただいております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
次に、議事の順序につきまして申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、松井参考人、お願いいたします。
松
松井芳郎#2
○松井参考人 名古屋大学の松井でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
国際社会における日本のあり方、特にPKO、PKFを中心とした国際協力のあり方というテーマをいただきました。ただ、私、専攻は国際法でございまして、日本の外交政策について専門的な研究をしているわけではございません。そういうわけですので、特に国連憲章なり国際法の一般的な枠組みの中でのPKOの位置づけ、そしてそれとの日本のかかわり、そのあたりに絞って話をさせていただきたいというふうに思っております。
レジュメを差し上げておりますが、実はこのレジュメをつくりました後で、事務局がつくられたこの「国連平和維持活動について」という資料をいただきました。これを見ますと、かなりのことが説明してございます。どうも私の話すことが余りないのではないかという気がしてきたわけでありますが、時間も限られておりますので、特に事実関係等についてこの資料に説明されていることはそちらに譲るということで、レジュメでいえば後半の部分を中心にお話をさせていただきたいと思います。
この資料にも、平和維持活動の定義が最初のところに載っておりますが、もう読み上げることはいたしませんけれども、この定義は、きょうのお話で申し上げます第一世代のPKO、大体冷戦期に始まって、冷戦終結まで、もちろん現在でもその形のものは行われておりますが、冷戦期に典型的であった平和維持活動、これに関する定義がこの資料に載っております。後で、第二世代で大きく変わるわけですが、そのお話は後ほどいたします。
なぜ、こういう平和維持活動が誕生するに至ったかということでありますが、レジュメで項目だけ書きましたように、国連では、集団安全保障というシステムで平和を維持しようという制度をつくったわけであります。これは、国際連盟のときに初めて、それ以前の勢力均衡とか同盟政策に基づく平和維持のやり方が挫折した。これを受けてつくられた制度でありまして、加盟国は武力に訴えないことを約束する、そして、その約束を破って武力に訴えた国については、加盟国が協力をしてこれに対処するという制度であります。
この点で、国連憲章は連盟規約から格段に強化をされまして、安保理事会が平和への脅威とか平和の破壊を集権的に認定する。そして、それに対して強制措置の発動を決定できるというシステムを採用いたしました。しかも、強制措置の内容についても、連盟期には経済制裁が中心でしたが、国連憲章の場合は、制度としては軍事的な強制措置もできるということは御存じのとおりであります。
ところが、この国連の集団安全保障、非常に強力になったわけですが、それが同時に弱点になったということも御承知のとおりでありまして、安保理事会に集権化されているということは、拒否権の結果、安保理事会が動かなければ集団安全保障が適用できないということになります。したがって、冷戦期にこの集団安全保障の強制措置が適用されたのは、朝鮮戦争を数えるかどうかについては議論がありますが、それを別にすれば、わずか二件しかなかったということも御存じかと思います。
平和維持活動というのは、こういう状況に対処するために、いわば苦肉の策として登場したものでありまして、二重の意味で冷戦の産物であると言うことができる。
一つは、拒否権のために、安保理事会による侵略者の認定とか強制措置の発動ができませんので、したがって侵略者の認定は行わない。まず、とにかく何とか停戦を実現いたしまして、これを維持することによって平和的解決のきっかけをつくろうという考え方、政策が選択されたわけであります。
それからもう一つは、冷戦期には、地域的な紛争に米ソなど両陣営の大国が介入する、そうすると、地域的な紛争が世界化するという危険がございました。したがって、あらかじめ国連がそこに介入することによって、米ソなどの介入の口実をなくすという、当時の事務総長のハマーショルドさんの言葉によりますと防止外交。防止外交という言葉は今ではもっと広い意味に使われておりますが、当時はそういう意味で使われた。この防止外交としての側面がございました。したがって、憲章規定はございませんし、特定の理論とか教義が背景にあるわけでもない。いわば、現実の必要性から生み出された経験上の産物だったと言うことができます。
そこで、平和維持活動、PKOの憲章上の根拠でありますが、これについても、さまざまな議論が事務局の資料の二ページあたりに紹介されております。そこにもありますように、最も典型的な議論としては、これもハマーショルドさんが言い出しました六章半という説がありました。憲章第六章の平和的解決の規定と第七章の強制措置の中間にあるから六章半だというわけでありますが、これはもちろん例えでありまして、具体的な憲章規定がないということがむしろここに表現されているというふうに言えます。
そういうわけで、発足の当時は、実は、ソ連とかフランスとか、これは憲章に違反するのではないかという意見がかなり根強くございました。その結果、平和維持活動に関する分担金が払われないというふうな事態が起きまして、これをどう考えるかということが、国際司法裁判所の意見が求められました。
六二年に、国際連合のある種の経費という題の勧告的意見が出されておりますが、ここでは、平和維持活動というのは、国連憲章の平和維持という全体的な目的の範囲内にあるということ、それから、関係当事国の同意を得た活動であるので強制措置ではないということ、それから、これは特にUNEFとONUC、これから平和維持活動は略語で言わせていただきますが、この略語の正式名称もすべてこの事務局の資料に載っておりますので、御参照いただきたいと思います。このONUC、UNEFという活動、いずれも関係決議が反対なしに採択された、このようなことを根拠にいたしまして、この二つの平和維持活動について、これは憲章に適合するものだという推定を下しているわけであります。
その後、平和維持活動が繰り返される中で、次に申し上げるような幾つかの原則が出てまいりますが、この原則に従っている限りにおいては憲章に適合するという判断が加盟国の一般的なものになりました。現在では、平和維持活動それ自体が憲章違反だという声は、加盟国にも、学者の間にも一切ございません。
そこで、どのような原則か。これも、憲章規定はもちろんないわけでありますし、特定の総会や安保理事会の決議があって原則を明記しているというわけでもない、国連の慣行の中から発展してきたものであります。したがって、論者によっていろいろの整理の仕方の違いがございまして、レジュメに書いております整理は、これは京都大学の名誉教授の香西茂先生の整理に沿ったものでございます。
この整理によりますと、大きく分けて、非強制、中立性、そして国際性、この三つの原則があるということで、非強制の原則の中には、同意原則、それから武器の使用の制限。これは自己防衛の場合に限る、セルフディフェンスという言葉で、一般に自衛と訳されておりますが、国の自衛権とはかなり文脈を異にいたしますので、私は、自己防衛とでもちょっと区別をして訳した方がいいのではないかと思っておりますが、その自己防衛と、任務の遂行が武力で妨げられた場合に限るということで、みずから武器の使用のイニシアチブをとってはいけないということになっております。それから、受け入れ国の内政に干渉してはいけない。
それから、中立性の原則としては、部隊派遣国から利害関係国や大国は原則として除く、もちろん例外はございますが、そういう考え方が第一世代のPKOではとられてまいりました。それから、紛争当事者に対する中立ということはもちろんであります。
そして第三に、国際性の原則としては、国連による指揮統括、それから、部隊派遣国はできるだけ地理的に公平に配分をするということ、それから、費用は国連が負担する、そういう原則がございます。
この中でも、特に重要な、いろいろな性格の原則がございまして、実際に活動を進める上でそういう原則に従う方が便宜であるというふうな原則もございますが、いわば国連憲章と国際法の基本原則からくる最も重要な原則が同意原則でございます。
つまり、国連憲章上、国は主権を持っている、主権平等であるということになっておりまして、平和維持活動は強制措置ではありませんので、主権を持った国の同意なしには当該の地域に国連軍を派遣することはできない。つまり、同意原則というのは国際法と国連憲章の基本原則からくるものだということは、当時のハマーショルド事務総長の発言からも出てくるわけであります。
したがいまして、同意が撤回されれば、途中でも撤退しなければならないということになっておりまして、これは、有名な事件がありまして、UNEFが派遣された際に、エジプトと国連の間で信義則の覚書という文書が交わされておりまして、国連軍の駐留に関して、エジプトが主権を行使する際には、これを誠実に行うということが約束されております。誠実に行うというのは、不一致がある場合にはお互いに調整をしようということであって、エジプトが主権を行使するのを否定したわけではありません。そこで、結局、一九六七年に、アラブ連合の要求に従ってUNEFは撤退せざるを得なくなる。この直後に中東戦争が始まるわけですから、もっと頑張っておれば戦争の勃発を防げたのではないかという批判が強かったわけですが、政治的には確かにそうであっても、法的には撤退せざるを得なかったというのが実際のところであります。
さて、それでは、こういう第一世代のPKOをどういうふうに評価できるかということで、レジュメの二ページ目の一番上に簡単に書きましたが、これはそもそも集団安全保障とは全く考え方が違う。つまり、集団安全保障の場合は、白黒をはっきりさせまして、白を擁護するために黒をやっつけるというわけでありますが、PKOでは白黒をはっきりさせません。したがって、集団安全保障にかわるものではないわけでありますし、それから、平和維持活動、PKO自体が紛争の平和的解決の活動をやるわけでもありません。これは別の制度、例えば、事務総長の特別代表でありますとか安保理事会なり総会なり、あるいはそういった国連機関が主催した国際会議等で、別の形で行われます。
平和維持活動の任務は、停戦の監視でありますとか、緩衝地帯の保護とか、部隊撤退の確保といった、極めて限られたものであります。しかし、この限定的な範囲内では、比較的よく役割を果たしたというふうに評価されておりまして、ここにも書きましたように、ノーベル平和賞を受けております。
ただ、内戦に関与した場合には、第一世代といいますか、この時代の平和維持活動でも失敗した例がございまして、例えばコンゴ国連活動、ONUCでありますが、これは、内戦に巻き込まれて、一方の当事者を支持したという批判をかなり強く受けております。それから、キプロス国連平和維持活動、これは、六四年に始まって現在まで続いておりますが、一応、トルコ系とギリシャ系の住民の衝突を防いでいるという意味では役割を果たしているんですけれども、その内部的対立自体は一向に解決されないで、毎年延長決議をやっているというふうな事態があります。
さて、これが冷戦期の平和維持活動の特徴でありますが、これが冷戦後、第二世代のPKOと現在呼ばれているものが登場するわけでありまして、それはどういう背景のもとに出てきて、どういう問題を持っているかということを次に見てみたいと思います。
背景としては、何よりも、冷戦終結後に地域紛争が非常に多数発生するようになりました。しかも、その多くは、国家間紛争ではなくて、ここでブラヒミ報告の言葉を引用しておきましたが、イントラステートでトランスナショナルな紛争である、国内紛争ではあるけれども国境を越えた影響力を持っているんだ、こういう紛争であります。
ことしの一月十五日現在で実施されているPKOは十五件ございます。このうち、五件は九〇年代以前から継続しているものでありますが、十件が新しく始まったものであります。この十件のうちで、国家間紛争にかかわって派遣されたものは二件だけでありまして、八件は国内紛争にかかわって派遣されている。
ただし、注意しておかなければならないのは、国内紛争といいましても、少なくともその遠因には外部の国の介入がある。例えば、冷戦期における米ソ両大国の介入の後遺症が残っておるとか、冷戦後におきましては、近隣の諸国とか地域大国の介入がある、そのようなケースが少なくありませんので、この点には留意しておく必要があるかと思います。
このようにして、地域紛争が多発いたしまして、平和維持活動派遣の必要性が増大するわけでありますが、それと同時に、冷戦終結後は安保理事会が比較的円滑に活動するようになった。常任理事国の一致が得られやすくなって、PKO派遣についてコンセンサスが得られやすくなったということも、もちろんPKO活発化の背景としてございます。
ところで、地域紛争というのは幾つかの特徴を持っておりまして、レジュメでは国家構造崩壊型の紛争というふうに書いたわけでありますが、つまり、伝統的な内戦ならば、中央政府があって、これに取ってかわろうとする反乱側があって、これが対立しているという構図でありますが、そういう簡単な内戦ではないというのが大部分であります。中央政府や行政機構、司法機構などが崩壊してしまいまして、多数の当事者が入り乱れて争うというふうな状況が多くの場合生じております。
もちろん、こういう状況では平和的解決自体が大変困難になりますし、それに伴って、しばしば重大な人権侵害、ルワンダ等ではジェノサイドに至るような人権侵害が行われる。それから、難民や国内避難民が大量に発生いたしまして人道的な危機が出現するというふうなことで、こういった難しい問題に平和維持活動が対処しなければならないようになったということであります。
そこで、この特徴でありますが、レジュメでは量的な拡大と質的な拡大という二点を挙げておきました。
量的な拡大、一つは件数の増大であります。一九八〇年代までに開始された活動は十八件ございますが、九〇年代以降に始まった活動は三十八件を数えております。それから、一つ当たりの活動の規模も拡大しておりまして、第一世代の場合、ONUCのように二万ほど行った場合もありますが、大体は数百単位でありましたが、第二世代だと、UNTACで二万弱、それから国連保護軍、ユーゴに送られたUNPROFORでは五万近い要員を送っているわけであります。
それから、質的拡大ということでは、一般に、多機能型(マルチファンクショナル)とか多分野型(マルチディシプリナリー)というふうな形容がされておりまして、伝統的な停戦合意の監視とか軍隊の撤退の監視に加えて、動員解除や武装解除、それによって放棄された武器を回収するとか、旧戦闘員を市民社会に再統合するとか、地雷除去、難民や避難民の帰還の促進、人道援助の供与、警察の訓練や人権尊重の検証、それからさまざまな国内制度上の改革の支援というふうな、非常に広範な役割を担うようになる、それに伴って文民要員の必要性が大きく増大しているということが特徴であります。
それでは、第二世代のこの平和維持活動が一体うまくいっているのかどうかというと、これはどうも功罪相半ばするようでありまして、さまざまな問題点が提起されております。
一つは、もう時間がございませんので、具体的な中身には触れませんで、項目だけを申し上げますが、平和維持活動と強制措置が必ずしも十分に区別されなくなった。従来は全く違うものだと考えられていたのが区別されなくなりまして、同時に二つの活動が同じ地域で行われたり、まず強制措置が行われて平和維持活動がこれに取ってかわったり、あるいは平和維持活動、PKO自体が一定の強制権限を付与されるというふうな例が多く見られるようになりました。
これとも関連いたしますが、第二に同意原則が緩んできております。幾つかの平和維持活動は必ずしも全当事者の同意を得られないままに送られるというふうなことがございまして、後ほどまた内容に触れますが、前事務総長のブトロス・ガリさんの「平和への課題」という文書では、平和維持活動の説明をいたしまして、これまではすべての関係当事者の同意を得て、ヒザートゥという言葉を使いまして、これまではということは、これからは同意を得ないこともあるよということをにおわせていたわけであります。
それで、そのように、場合によっては強制権限まで付与されるということでありますので、部隊構成も変わってまいりました。従来のように中小国、中立的な国の部隊だけでは不足して、むしろ大国中心に変わってきております。当然のことながら、任務が広範になると内政問題へのかかわりが強化されてくる、場合によっては内政干渉のおそれがあるというふうな事態も生じます。それから、中立原則が危機に瀕することが少なくありません。停戦合意を一方の当事者が破るとか、それからルワンダの場合のように、ジェノサイドのような重大な人権侵害が行われるというところで中立原則を維持しようとすると、これは国際社会の重大な批判にさらされるわけであります。
そこで現在、そういう経験を踏まえて、これからの活動をどうするかという議論が行われるようになっておりまして、失敗例、成功例は後で必要がありましたら、時間がありましたら補足をするといたしまして、レジュメの三ページの三のところに移らせていただきます。
事務総長ブトロス・ガリさんの「平和への課題」、ここに書きましたように九二年に出されておりますが、これは、むしろ冷戦後の新しい状況を目の当たりにして、これから国連がこれにどういうふうに関与していくかということを、いわば将来の課題として検討するという側面が多うございました。一定の経験を踏まえて、若干の軌道修正をしたサプリメントが九五年に出ておりますが、この文書はそういう性格のものであります。これに対して、今回のブラヒミ報告というのは、むしろ十年間の経験を踏まえて、その失敗の例に学びながら将来のことを考えようという、いわば「平和への課題」が理念的であったのに比べて、かなり経験的な性格を持っている、このように位置づけられるかと思います。
「平和への課題」の方でありますが、これは冷戦後のかなり高揚した雰囲気を反映いたしまして、国連の非常に積極的な役割を強調したものであります。予防外交と平和形成(ピースメーキング)は、大体、紛争の平和的解決といいますかそういったことを中心にする概念でありますが、それから平和維持(ピースキーピング)、紛争後の平和構築(ピースビルディング)、この三者を一体として把握するという立場に立つ。そして、軍事力を積極的に使っていこうということで、例えば四十三条の国連軍提供のための特別協定の交渉を始めようじゃないかということを提唱するとか、一定の強制権限を持った平和強制部隊を考えようというふうなことを提唱したわけであります。
ところが、このブトロス・ガリさんの報告にはやはりさまざまな形で問題が提起されまして、特に総会などは軍事力を重視し過ぎているということで、もっと平和の維持と経済的、社会的発展あるいは人権と民主主義の擁護というふうなものを総体的につかまえなければいけないという主張が出てまいりまして、その結果、「発展への課題」という別個の報告が出されたりしております。
それから、九五年のサプリメントでは、数年間の経験を踏まえまして一定の軌道修正をしております。例えば、平和維持活動の基本原則、当事者の同意とか公平性とか自己防衛の場合を除いては武力を使ってはいけないとか、そういう原則をやはりきっちり維持しなければいけないんだ、成功例と失敗例を見ていると、成功例ではこういう原則が維持されているし、失敗例では維持されなかったというふうなことを言っております。それから、平和維持活動と強制措置は全く違う技術なんだ、一本の連続線上につながっているものではないのであって、この区別を明確にしないと平和維持活動は成功しないし、また平和維持活動の要員が危険にさらされるというふうなことも言っているわけでありまして、一定の軌道修正をいたしました。
さらに数年を経て、ですから十年ほどの第二世代の平和維持活動の経験を踏まえてブラヒミ報告が二〇〇〇年に出されるわけでありまして、非常に詳細な平和維持活動の改革のための多様な提言を行っております。技術的な提言については、もうきょうは時間もございませんし、省略をさせていただきたいと思います。私の理解した限りでの要点を申し上げます。
なお、きょうの資料には最後の部分にブラヒミ報告の全文が収録されておりますし、勧告の部分の翻訳は事務局の方で翻訳されたものがついておりますので、これをごらんいただきたいと思います。
まず第一の特徴は、やはりこれは「平和への課題」と共通いたしますが、予防外交と平和形成、平和維持、そして紛争後の平和構築、この三者を一体のものとしてつかまえなければいけないということを強調しております。ただし、おのおのの定義づけは「平和への課題」とはちょっと異なるようでありますが。そして、この三者を合わせて国連平和活動、ユナイテッドネーションズ・ピース・オペレーションズという言葉で総称するようになっております。これは、最近比較的よく使われるようになった表現でありまして、予防外交や平和構築についてもこの報告では幾つかの具体的な提言が行われております。
今も申しましたように、この報告の一つの核心は、PKOを迅速かつ効果的に派遣できるように、具体的に申しますと、伝統的な第一世代型のPKOでは安保理事会の決定後三十日以内に、それから多機能型のPKOでは九十日以内に派遣するということを目的にいたしまして、部隊派遣国と国連の関係でありますとか、安保理事会の政策決定でありますとか、あるいは国連事務局内の事務的な体制等について多数の提言を行っているということであります。
ただ、私の感想では、やはりここでもやや軍事力を重視する傾向が見られるということは否定できないようでありまして、例えば、こういうことを言っております。平和維持がその使命を達成するためには、国連が過去十年間に繰り返して経験したように、いかに多くの善意であっても、信頼するに足る武力を投入する基本的能力に取ってかわることはできないとか、国連は国内紛争あるいは越境紛争における平和維持または平和構築で一貫した成功をおさめようとすれば、妨害者に効果的に対処する準備がなければならないとか、そのようなことを言っておりまして、これには後に、これを実施するための事務総長の報告の中で若干の批判的な言葉が出てまいります。
事務総長はこういうふうなことを言っております。武力行使に関するパネルの勧告は、武装した国連平和維持活動が関係当事者の同意を得て派遣された場合にだけ当てはまるものである、したがって、私はパネルの報告が国連を戦争遂行機関に変えたり、平和維持活動による武力の使用に関する諸原則を根本的に変えることを勧告するものとは解釈しないというふうに言っておりまして、この点ではこのブラヒミ報告には若干の問題が含まれているように思います。
このブラヒミ報告は既に実施の段階に移されておりまして、これも内容を詳しくお話しすることはできませんが、実施のために事務総長が多数の報告を出しておりますし、総会や安保理事会では幾つかの決議が採択されており、事務局内の改革も進められているようであります。
さて、もう時間が少なくなってまいりましたが、最後に、このような、とりわけ最近の動きに注目しながら日本の国際協力のあり方について考えてみるというのがきょうの結論部分であります。
この点で、まず最初に確認しなければならないことというふうに書きましたが、この点で私が申し上げたいことは、一つは、国際協力を平和維持の分野に限定して狭くとらえてはならないということでありまして、繰り返して申してきましたように、平和とか経済的、社会的な発展とか人権と民主主義、そういったものが不可分の相互関係にあるのだということは国連では繰り返して確認されてまいりました。平和維持の分野に限っても、「平和への課題」にしてもブラヒミ報告にしても、予防外交から始まって平和維持、そして紛争後の平和構築、これを一貫した過程として把握しなければいけないということを強調しております。
実は、これは多少余談でありますが、このような平和の分野だけではなくて、去年から大変話題になりましたテロ対策についても、昨年の十一月十二日に採択された安保理事会決議の一三七七というものが、テロリズムと闘うためのグローバルな努力に関する宣言という宣言を採択しておりますが、この宣言の中でも、やはりテロについてはその根本原因を除去するような広範な努力が必要だということを強調しているわけでありまして、この点を確認することがまず第一の出発点になるだろうということであります。
それからもう一つ、これは日本の議論でよく忘れられがちになるわけなんですが、どうも国連というのはどこか我々とは別のところにあって、国連はこういうふうに動く、こういうことを決めた、だからそれに対して日本はどういう協力をするかしないかという議論が行われがちなのですが、国連の政策というのは加盟国の意思によって決まる。国連をつくっているのは加盟国でありまして、意思決定過程で投票するのは、国の代表が投票するわけであります。もちろん事務局も影響力を持っておりますが、基本的には国連の政策決定は加盟国によって行われる。したがって、日本自身としてどのような国際協力が必要であり、望ましいのか、そういう国際協力像を日本自身で自主的に構築をして、これを実現するように国連に働きかけるという側面、この側面を忘れてはいけないだろうというふうに考えております。
そして、こういう日本独自の国際協力像を構築する際に出発点になるのは日本国憲法だろうというふうに考えておりまして、御存じのように、日本国憲法は、平和主義、そして国際協調主義、それに、この点は余り注目されませんが、主権平等ということも前文で強調されております。これはこれまでの国連の国際協力の理念と見事に一致するわけでありますから、こういった立場に立って日本独自の国際協力像を展開すれば、これは国際社会に非常に大きな貢献になり、かつ影響力を発揮することができるだろうというふうに考えております。
そこで、最後に、ブラヒミ報告に言う広い意味での国連平和活動、これに日本がどういう協力ができるかということを、そのブラヒミ報告の三つの柱に分けて、これは最初にもお断りいたしましたように、私の専門をやや離れますので、全く印象でございますが、考えつく限りで挙げてみました。
まず、予防外交と平和形成でありますが、これは非常に広範な協力が可能であり、かつ必要な分野であります。特に、予防外交の重要性は近年非常に強調されるようになっておりまして、事務総長は毎年国連の年次活動報告を出しておりますが、九九年の年次活動報告では、アナン事務総長は専らこの予防外交を中心に置いた議論を展開しております。
予防外交がいかに重要かということを、ちょっとお金の話になって余り理念が高くないんですが、例を申し上げますと、ルワンダではUNAMIRという平和維持活動、これはジェノサイドの発生を防ぐことができずに、典型的な失敗例に挙げられております。これはソマリアのちょうど悪い経験があった直後でありますので、加盟国が部隊の派遣になかなか応じないというふうなことで、必要な部隊が展開できなくて失敗したわけですが、このUNAMIRに実際にかかった費用は四百三十七万ドルだったと言われます。
これに対して、部隊指揮官が、ジェノサイドを防ぐためには五千名の増員が必要だということを言ってまいりました。これは結局実現しなかったわけですが、この五千名の増員のために必要だった費用は五千万ドルと計算されております。これに対して、結局防げなかったジェノサイド、その結果としてルワンダとその周辺に人道援助が必要になった、この額が四十五億ドルと計算されている。
ということで、いかに予防段階で手を打っておればお金の上でも安く済むのかということが、いささかちょっと程度が低い話ですが、こういう例からもわかろうかと思います。
この点では、特に早期警戒能力、情報収集能力の向上ということが強調されておりまして、これは国連にとってはもちろん、個別国家としても言えることでありまして、このあたりでも日本は貢献できるところが大変大であろうというふうに思われます。
それから、言うまでもなく、紛争の平和的解決、このためのさまざまな仕組みをつくり上げるとか、あるいは、そういった仕組みを活用して、現実の紛争に働きかけて平和解決の努力をする、こういった点は、例えばカンボジア和平過程などからは日本も積極的な役割を果たすようになっておりますが、まだまだこの点で活動する余地は多々あるだろうというふうに考えます。もちろん、一番基本的には紛争の根本原因の除去ということがありますが、これは、むしろ(c)の方の問題だろうかと思います。
それから、第二に平和維持、これがここでの皆さん方の関心の中心でもあろうかと思いますが、この平和維持の分野においても、従来の議論は、どうもPKFへの協力の可否の議論に傾き過ぎていたのではないだろうかという印象を私は持っております。
軍隊を送る以外にも、平和維持活動、PKOに協力をする可能性はさまざまにあるわけでありまして、特に、先ほども申しましたように、第二世代のPKOについては非常に活動の分野が広まっておりまして、文民要員の必要性が大きく増大しております。ブラヒミ報告でも特に重視されているのは文民警察官でありますが、これ以外にも、選挙監視とか人権状況の監視とか地雷除去とか、さらに広い意味では、国家機構の再建への援助等で非常に多数の文民要員が必要となるわけでありますから、このあたりでの協力というのはもっともっと可能性があるのだろうというふうに考えます。
それから、お金を出すということは、先ほども次元が低い話だと申しましたが、どうも日本では余りよくない。金よりも人を出そうという議論になりがちでありますが、PKOの活動範囲がこのように広がってまいりますと、物的な資源の不足というのも大変目立つようになっておりますので、お金に限らず物資も含めて、そういう物的資源の提供も無視できない役割を演じるだろうというふうに思っております。
ただ、この点で一つ考えておく必要があることは、先ほども少し触れましたように、最近のPKOは、ともすればPKOの諸原則を踏み越える状況が出てきております。これは決して望ましいことではないわけでありますから、PKOが諸原則を遵守して実施されるように国連の諸機関に積極的に働きかけることが必要であります。日本のPKO協力法では、その原則が遵守されることが日本の協力の前提とされておりますが、単に日本の協力の前提ではなくて、これはPKO自体の前提として、もっと積極的な国連への働きかけが必要なのではないか。
そして、最後に、紛争後の平和構築への協力であります。これが恐らく日本にとって最も積極的な役割が期待できる分野だろうというふうに思っております。もう時間がなくなりましたので、具体的な内容についてお話をすることは、もし後に御質問の中で出ましたら、現在国連で議論されていることを幾つか御紹介いたしますが、今は内容は省略せざるを得ませんけれども、この紛争後の平和構築、つまり、一般的な意味での社会的、経済的な発展の支援、これが日本にとって最も積極的な協力が可能かつ必要な分野であろうというふうに考えております。
そういうわけで、やや最後がしり切れトンボになってしまいましたが、とりあえず私の御報告は、ちょうど時間になりましたので、これで終わらせていただきます。あとは皆さん方の御質問に答えるという形で、できれば補足をさせていただきたいと思っております。どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →国際社会における日本のあり方、特にPKO、PKFを中心とした国際協力のあり方というテーマをいただきました。ただ、私、専攻は国際法でございまして、日本の外交政策について専門的な研究をしているわけではございません。そういうわけですので、特に国連憲章なり国際法の一般的な枠組みの中でのPKOの位置づけ、そしてそれとの日本のかかわり、そのあたりに絞って話をさせていただきたいというふうに思っております。
レジュメを差し上げておりますが、実はこのレジュメをつくりました後で、事務局がつくられたこの「国連平和維持活動について」という資料をいただきました。これを見ますと、かなりのことが説明してございます。どうも私の話すことが余りないのではないかという気がしてきたわけでありますが、時間も限られておりますので、特に事実関係等についてこの資料に説明されていることはそちらに譲るということで、レジュメでいえば後半の部分を中心にお話をさせていただきたいと思います。
この資料にも、平和維持活動の定義が最初のところに載っておりますが、もう読み上げることはいたしませんけれども、この定義は、きょうのお話で申し上げます第一世代のPKO、大体冷戦期に始まって、冷戦終結まで、もちろん現在でもその形のものは行われておりますが、冷戦期に典型的であった平和維持活動、これに関する定義がこの資料に載っております。後で、第二世代で大きく変わるわけですが、そのお話は後ほどいたします。
なぜ、こういう平和維持活動が誕生するに至ったかということでありますが、レジュメで項目だけ書きましたように、国連では、集団安全保障というシステムで平和を維持しようという制度をつくったわけであります。これは、国際連盟のときに初めて、それ以前の勢力均衡とか同盟政策に基づく平和維持のやり方が挫折した。これを受けてつくられた制度でありまして、加盟国は武力に訴えないことを約束する、そして、その約束を破って武力に訴えた国については、加盟国が協力をしてこれに対処するという制度であります。
この点で、国連憲章は連盟規約から格段に強化をされまして、安保理事会が平和への脅威とか平和の破壊を集権的に認定する。そして、それに対して強制措置の発動を決定できるというシステムを採用いたしました。しかも、強制措置の内容についても、連盟期には経済制裁が中心でしたが、国連憲章の場合は、制度としては軍事的な強制措置もできるということは御存じのとおりであります。
ところが、この国連の集団安全保障、非常に強力になったわけですが、それが同時に弱点になったということも御承知のとおりでありまして、安保理事会に集権化されているということは、拒否権の結果、安保理事会が動かなければ集団安全保障が適用できないということになります。したがって、冷戦期にこの集団安全保障の強制措置が適用されたのは、朝鮮戦争を数えるかどうかについては議論がありますが、それを別にすれば、わずか二件しかなかったということも御存じかと思います。
平和維持活動というのは、こういう状況に対処するために、いわば苦肉の策として登場したものでありまして、二重の意味で冷戦の産物であると言うことができる。
一つは、拒否権のために、安保理事会による侵略者の認定とか強制措置の発動ができませんので、したがって侵略者の認定は行わない。まず、とにかく何とか停戦を実現いたしまして、これを維持することによって平和的解決のきっかけをつくろうという考え方、政策が選択されたわけであります。
それからもう一つは、冷戦期には、地域的な紛争に米ソなど両陣営の大国が介入する、そうすると、地域的な紛争が世界化するという危険がございました。したがって、あらかじめ国連がそこに介入することによって、米ソなどの介入の口実をなくすという、当時の事務総長のハマーショルドさんの言葉によりますと防止外交。防止外交という言葉は今ではもっと広い意味に使われておりますが、当時はそういう意味で使われた。この防止外交としての側面がございました。したがって、憲章規定はございませんし、特定の理論とか教義が背景にあるわけでもない。いわば、現実の必要性から生み出された経験上の産物だったと言うことができます。
そこで、平和維持活動、PKOの憲章上の根拠でありますが、これについても、さまざまな議論が事務局の資料の二ページあたりに紹介されております。そこにもありますように、最も典型的な議論としては、これもハマーショルドさんが言い出しました六章半という説がありました。憲章第六章の平和的解決の規定と第七章の強制措置の中間にあるから六章半だというわけでありますが、これはもちろん例えでありまして、具体的な憲章規定がないということがむしろここに表現されているというふうに言えます。
そういうわけで、発足の当時は、実は、ソ連とかフランスとか、これは憲章に違反するのではないかという意見がかなり根強くございました。その結果、平和維持活動に関する分担金が払われないというふうな事態が起きまして、これをどう考えるかということが、国際司法裁判所の意見が求められました。
六二年に、国際連合のある種の経費という題の勧告的意見が出されておりますが、ここでは、平和維持活動というのは、国連憲章の平和維持という全体的な目的の範囲内にあるということ、それから、関係当事国の同意を得た活動であるので強制措置ではないということ、それから、これは特にUNEFとONUC、これから平和維持活動は略語で言わせていただきますが、この略語の正式名称もすべてこの事務局の資料に載っておりますので、御参照いただきたいと思います。このONUC、UNEFという活動、いずれも関係決議が反対なしに採択された、このようなことを根拠にいたしまして、この二つの平和維持活動について、これは憲章に適合するものだという推定を下しているわけであります。
その後、平和維持活動が繰り返される中で、次に申し上げるような幾つかの原則が出てまいりますが、この原則に従っている限りにおいては憲章に適合するという判断が加盟国の一般的なものになりました。現在では、平和維持活動それ自体が憲章違反だという声は、加盟国にも、学者の間にも一切ございません。
そこで、どのような原則か。これも、憲章規定はもちろんないわけでありますし、特定の総会や安保理事会の決議があって原則を明記しているというわけでもない、国連の慣行の中から発展してきたものであります。したがって、論者によっていろいろの整理の仕方の違いがございまして、レジュメに書いております整理は、これは京都大学の名誉教授の香西茂先生の整理に沿ったものでございます。
この整理によりますと、大きく分けて、非強制、中立性、そして国際性、この三つの原則があるということで、非強制の原則の中には、同意原則、それから武器の使用の制限。これは自己防衛の場合に限る、セルフディフェンスという言葉で、一般に自衛と訳されておりますが、国の自衛権とはかなり文脈を異にいたしますので、私は、自己防衛とでもちょっと区別をして訳した方がいいのではないかと思っておりますが、その自己防衛と、任務の遂行が武力で妨げられた場合に限るということで、みずから武器の使用のイニシアチブをとってはいけないということになっております。それから、受け入れ国の内政に干渉してはいけない。
それから、中立性の原則としては、部隊派遣国から利害関係国や大国は原則として除く、もちろん例外はございますが、そういう考え方が第一世代のPKOではとられてまいりました。それから、紛争当事者に対する中立ということはもちろんであります。
そして第三に、国際性の原則としては、国連による指揮統括、それから、部隊派遣国はできるだけ地理的に公平に配分をするということ、それから、費用は国連が負担する、そういう原則がございます。
この中でも、特に重要な、いろいろな性格の原則がございまして、実際に活動を進める上でそういう原則に従う方が便宜であるというふうな原則もございますが、いわば国連憲章と国際法の基本原則からくる最も重要な原則が同意原則でございます。
つまり、国連憲章上、国は主権を持っている、主権平等であるということになっておりまして、平和維持活動は強制措置ではありませんので、主権を持った国の同意なしには当該の地域に国連軍を派遣することはできない。つまり、同意原則というのは国際法と国連憲章の基本原則からくるものだということは、当時のハマーショルド事務総長の発言からも出てくるわけであります。
したがいまして、同意が撤回されれば、途中でも撤退しなければならないということになっておりまして、これは、有名な事件がありまして、UNEFが派遣された際に、エジプトと国連の間で信義則の覚書という文書が交わされておりまして、国連軍の駐留に関して、エジプトが主権を行使する際には、これを誠実に行うということが約束されております。誠実に行うというのは、不一致がある場合にはお互いに調整をしようということであって、エジプトが主権を行使するのを否定したわけではありません。そこで、結局、一九六七年に、アラブ連合の要求に従ってUNEFは撤退せざるを得なくなる。この直後に中東戦争が始まるわけですから、もっと頑張っておれば戦争の勃発を防げたのではないかという批判が強かったわけですが、政治的には確かにそうであっても、法的には撤退せざるを得なかったというのが実際のところであります。
さて、それでは、こういう第一世代のPKOをどういうふうに評価できるかということで、レジュメの二ページ目の一番上に簡単に書きましたが、これはそもそも集団安全保障とは全く考え方が違う。つまり、集団安全保障の場合は、白黒をはっきりさせまして、白を擁護するために黒をやっつけるというわけでありますが、PKOでは白黒をはっきりさせません。したがって、集団安全保障にかわるものではないわけでありますし、それから、平和維持活動、PKO自体が紛争の平和的解決の活動をやるわけでもありません。これは別の制度、例えば、事務総長の特別代表でありますとか安保理事会なり総会なり、あるいはそういった国連機関が主催した国際会議等で、別の形で行われます。
平和維持活動の任務は、停戦の監視でありますとか、緩衝地帯の保護とか、部隊撤退の確保といった、極めて限られたものであります。しかし、この限定的な範囲内では、比較的よく役割を果たしたというふうに評価されておりまして、ここにも書きましたように、ノーベル平和賞を受けております。
ただ、内戦に関与した場合には、第一世代といいますか、この時代の平和維持活動でも失敗した例がございまして、例えばコンゴ国連活動、ONUCでありますが、これは、内戦に巻き込まれて、一方の当事者を支持したという批判をかなり強く受けております。それから、キプロス国連平和維持活動、これは、六四年に始まって現在まで続いておりますが、一応、トルコ系とギリシャ系の住民の衝突を防いでいるという意味では役割を果たしているんですけれども、その内部的対立自体は一向に解決されないで、毎年延長決議をやっているというふうな事態があります。
さて、これが冷戦期の平和維持活動の特徴でありますが、これが冷戦後、第二世代のPKOと現在呼ばれているものが登場するわけでありまして、それはどういう背景のもとに出てきて、どういう問題を持っているかということを次に見てみたいと思います。
背景としては、何よりも、冷戦終結後に地域紛争が非常に多数発生するようになりました。しかも、その多くは、国家間紛争ではなくて、ここでブラヒミ報告の言葉を引用しておきましたが、イントラステートでトランスナショナルな紛争である、国内紛争ではあるけれども国境を越えた影響力を持っているんだ、こういう紛争であります。
ことしの一月十五日現在で実施されているPKOは十五件ございます。このうち、五件は九〇年代以前から継続しているものでありますが、十件が新しく始まったものであります。この十件のうちで、国家間紛争にかかわって派遣されたものは二件だけでありまして、八件は国内紛争にかかわって派遣されている。
ただし、注意しておかなければならないのは、国内紛争といいましても、少なくともその遠因には外部の国の介入がある。例えば、冷戦期における米ソ両大国の介入の後遺症が残っておるとか、冷戦後におきましては、近隣の諸国とか地域大国の介入がある、そのようなケースが少なくありませんので、この点には留意しておく必要があるかと思います。
このようにして、地域紛争が多発いたしまして、平和維持活動派遣の必要性が増大するわけでありますが、それと同時に、冷戦終結後は安保理事会が比較的円滑に活動するようになった。常任理事国の一致が得られやすくなって、PKO派遣についてコンセンサスが得られやすくなったということも、もちろんPKO活発化の背景としてございます。
ところで、地域紛争というのは幾つかの特徴を持っておりまして、レジュメでは国家構造崩壊型の紛争というふうに書いたわけでありますが、つまり、伝統的な内戦ならば、中央政府があって、これに取ってかわろうとする反乱側があって、これが対立しているという構図でありますが、そういう簡単な内戦ではないというのが大部分であります。中央政府や行政機構、司法機構などが崩壊してしまいまして、多数の当事者が入り乱れて争うというふうな状況が多くの場合生じております。
もちろん、こういう状況では平和的解決自体が大変困難になりますし、それに伴って、しばしば重大な人権侵害、ルワンダ等ではジェノサイドに至るような人権侵害が行われる。それから、難民や国内避難民が大量に発生いたしまして人道的な危機が出現するというふうなことで、こういった難しい問題に平和維持活動が対処しなければならないようになったということであります。
そこで、この特徴でありますが、レジュメでは量的な拡大と質的な拡大という二点を挙げておきました。
量的な拡大、一つは件数の増大であります。一九八〇年代までに開始された活動は十八件ございますが、九〇年代以降に始まった活動は三十八件を数えております。それから、一つ当たりの活動の規模も拡大しておりまして、第一世代の場合、ONUCのように二万ほど行った場合もありますが、大体は数百単位でありましたが、第二世代だと、UNTACで二万弱、それから国連保護軍、ユーゴに送られたUNPROFORでは五万近い要員を送っているわけであります。
それから、質的拡大ということでは、一般に、多機能型(マルチファンクショナル)とか多分野型(マルチディシプリナリー)というふうな形容がされておりまして、伝統的な停戦合意の監視とか軍隊の撤退の監視に加えて、動員解除や武装解除、それによって放棄された武器を回収するとか、旧戦闘員を市民社会に再統合するとか、地雷除去、難民や避難民の帰還の促進、人道援助の供与、警察の訓練や人権尊重の検証、それからさまざまな国内制度上の改革の支援というふうな、非常に広範な役割を担うようになる、それに伴って文民要員の必要性が大きく増大しているということが特徴であります。
それでは、第二世代のこの平和維持活動が一体うまくいっているのかどうかというと、これはどうも功罪相半ばするようでありまして、さまざまな問題点が提起されております。
一つは、もう時間がございませんので、具体的な中身には触れませんで、項目だけを申し上げますが、平和維持活動と強制措置が必ずしも十分に区別されなくなった。従来は全く違うものだと考えられていたのが区別されなくなりまして、同時に二つの活動が同じ地域で行われたり、まず強制措置が行われて平和維持活動がこれに取ってかわったり、あるいは平和維持活動、PKO自体が一定の強制権限を付与されるというふうな例が多く見られるようになりました。
これとも関連いたしますが、第二に同意原則が緩んできております。幾つかの平和維持活動は必ずしも全当事者の同意を得られないままに送られるというふうなことがございまして、後ほどまた内容に触れますが、前事務総長のブトロス・ガリさんの「平和への課題」という文書では、平和維持活動の説明をいたしまして、これまではすべての関係当事者の同意を得て、ヒザートゥという言葉を使いまして、これまではということは、これからは同意を得ないこともあるよということをにおわせていたわけであります。
それで、そのように、場合によっては強制権限まで付与されるということでありますので、部隊構成も変わってまいりました。従来のように中小国、中立的な国の部隊だけでは不足して、むしろ大国中心に変わってきております。当然のことながら、任務が広範になると内政問題へのかかわりが強化されてくる、場合によっては内政干渉のおそれがあるというふうな事態も生じます。それから、中立原則が危機に瀕することが少なくありません。停戦合意を一方の当事者が破るとか、それからルワンダの場合のように、ジェノサイドのような重大な人権侵害が行われるというところで中立原則を維持しようとすると、これは国際社会の重大な批判にさらされるわけであります。
そこで現在、そういう経験を踏まえて、これからの活動をどうするかという議論が行われるようになっておりまして、失敗例、成功例は後で必要がありましたら、時間がありましたら補足をするといたしまして、レジュメの三ページの三のところに移らせていただきます。
事務総長ブトロス・ガリさんの「平和への課題」、ここに書きましたように九二年に出されておりますが、これは、むしろ冷戦後の新しい状況を目の当たりにして、これから国連がこれにどういうふうに関与していくかということを、いわば将来の課題として検討するという側面が多うございました。一定の経験を踏まえて、若干の軌道修正をしたサプリメントが九五年に出ておりますが、この文書はそういう性格のものであります。これに対して、今回のブラヒミ報告というのは、むしろ十年間の経験を踏まえて、その失敗の例に学びながら将来のことを考えようという、いわば「平和への課題」が理念的であったのに比べて、かなり経験的な性格を持っている、このように位置づけられるかと思います。
「平和への課題」の方でありますが、これは冷戦後のかなり高揚した雰囲気を反映いたしまして、国連の非常に積極的な役割を強調したものであります。予防外交と平和形成(ピースメーキング)は、大体、紛争の平和的解決といいますかそういったことを中心にする概念でありますが、それから平和維持(ピースキーピング)、紛争後の平和構築(ピースビルディング)、この三者を一体として把握するという立場に立つ。そして、軍事力を積極的に使っていこうということで、例えば四十三条の国連軍提供のための特別協定の交渉を始めようじゃないかということを提唱するとか、一定の強制権限を持った平和強制部隊を考えようというふうなことを提唱したわけであります。
ところが、このブトロス・ガリさんの報告にはやはりさまざまな形で問題が提起されまして、特に総会などは軍事力を重視し過ぎているということで、もっと平和の維持と経済的、社会的発展あるいは人権と民主主義の擁護というふうなものを総体的につかまえなければいけないという主張が出てまいりまして、その結果、「発展への課題」という別個の報告が出されたりしております。
それから、九五年のサプリメントでは、数年間の経験を踏まえまして一定の軌道修正をしております。例えば、平和維持活動の基本原則、当事者の同意とか公平性とか自己防衛の場合を除いては武力を使ってはいけないとか、そういう原則をやはりきっちり維持しなければいけないんだ、成功例と失敗例を見ていると、成功例ではこういう原則が維持されているし、失敗例では維持されなかったというふうなことを言っております。それから、平和維持活動と強制措置は全く違う技術なんだ、一本の連続線上につながっているものではないのであって、この区別を明確にしないと平和維持活動は成功しないし、また平和維持活動の要員が危険にさらされるというふうなことも言っているわけでありまして、一定の軌道修正をいたしました。
さらに数年を経て、ですから十年ほどの第二世代の平和維持活動の経験を踏まえてブラヒミ報告が二〇〇〇年に出されるわけでありまして、非常に詳細な平和維持活動の改革のための多様な提言を行っております。技術的な提言については、もうきょうは時間もございませんし、省略をさせていただきたいと思います。私の理解した限りでの要点を申し上げます。
なお、きょうの資料には最後の部分にブラヒミ報告の全文が収録されておりますし、勧告の部分の翻訳は事務局の方で翻訳されたものがついておりますので、これをごらんいただきたいと思います。
まず第一の特徴は、やはりこれは「平和への課題」と共通いたしますが、予防外交と平和形成、平和維持、そして紛争後の平和構築、この三者を一体のものとしてつかまえなければいけないということを強調しております。ただし、おのおのの定義づけは「平和への課題」とはちょっと異なるようでありますが。そして、この三者を合わせて国連平和活動、ユナイテッドネーションズ・ピース・オペレーションズという言葉で総称するようになっております。これは、最近比較的よく使われるようになった表現でありまして、予防外交や平和構築についてもこの報告では幾つかの具体的な提言が行われております。
今も申しましたように、この報告の一つの核心は、PKOを迅速かつ効果的に派遣できるように、具体的に申しますと、伝統的な第一世代型のPKOでは安保理事会の決定後三十日以内に、それから多機能型のPKOでは九十日以内に派遣するということを目的にいたしまして、部隊派遣国と国連の関係でありますとか、安保理事会の政策決定でありますとか、あるいは国連事務局内の事務的な体制等について多数の提言を行っているということであります。
ただ、私の感想では、やはりここでもやや軍事力を重視する傾向が見られるということは否定できないようでありまして、例えば、こういうことを言っております。平和維持がその使命を達成するためには、国連が過去十年間に繰り返して経験したように、いかに多くの善意であっても、信頼するに足る武力を投入する基本的能力に取ってかわることはできないとか、国連は国内紛争あるいは越境紛争における平和維持または平和構築で一貫した成功をおさめようとすれば、妨害者に効果的に対処する準備がなければならないとか、そのようなことを言っておりまして、これには後に、これを実施するための事務総長の報告の中で若干の批判的な言葉が出てまいります。
事務総長はこういうふうなことを言っております。武力行使に関するパネルの勧告は、武装した国連平和維持活動が関係当事者の同意を得て派遣された場合にだけ当てはまるものである、したがって、私はパネルの報告が国連を戦争遂行機関に変えたり、平和維持活動による武力の使用に関する諸原則を根本的に変えることを勧告するものとは解釈しないというふうに言っておりまして、この点ではこのブラヒミ報告には若干の問題が含まれているように思います。
このブラヒミ報告は既に実施の段階に移されておりまして、これも内容を詳しくお話しすることはできませんが、実施のために事務総長が多数の報告を出しておりますし、総会や安保理事会では幾つかの決議が採択されており、事務局内の改革も進められているようであります。
さて、もう時間が少なくなってまいりましたが、最後に、このような、とりわけ最近の動きに注目しながら日本の国際協力のあり方について考えてみるというのがきょうの結論部分であります。
この点で、まず最初に確認しなければならないことというふうに書きましたが、この点で私が申し上げたいことは、一つは、国際協力を平和維持の分野に限定して狭くとらえてはならないということでありまして、繰り返して申してきましたように、平和とか経済的、社会的な発展とか人権と民主主義、そういったものが不可分の相互関係にあるのだということは国連では繰り返して確認されてまいりました。平和維持の分野に限っても、「平和への課題」にしてもブラヒミ報告にしても、予防外交から始まって平和維持、そして紛争後の平和構築、これを一貫した過程として把握しなければいけないということを強調しております。
実は、これは多少余談でありますが、このような平和の分野だけではなくて、去年から大変話題になりましたテロ対策についても、昨年の十一月十二日に採択された安保理事会決議の一三七七というものが、テロリズムと闘うためのグローバルな努力に関する宣言という宣言を採択しておりますが、この宣言の中でも、やはりテロについてはその根本原因を除去するような広範な努力が必要だということを強調しているわけでありまして、この点を確認することがまず第一の出発点になるだろうということであります。
それからもう一つ、これは日本の議論でよく忘れられがちになるわけなんですが、どうも国連というのはどこか我々とは別のところにあって、国連はこういうふうに動く、こういうことを決めた、だからそれに対して日本はどういう協力をするかしないかという議論が行われがちなのですが、国連の政策というのは加盟国の意思によって決まる。国連をつくっているのは加盟国でありまして、意思決定過程で投票するのは、国の代表が投票するわけであります。もちろん事務局も影響力を持っておりますが、基本的には国連の政策決定は加盟国によって行われる。したがって、日本自身としてどのような国際協力が必要であり、望ましいのか、そういう国際協力像を日本自身で自主的に構築をして、これを実現するように国連に働きかけるという側面、この側面を忘れてはいけないだろうというふうに考えております。
そして、こういう日本独自の国際協力像を構築する際に出発点になるのは日本国憲法だろうというふうに考えておりまして、御存じのように、日本国憲法は、平和主義、そして国際協調主義、それに、この点は余り注目されませんが、主権平等ということも前文で強調されております。これはこれまでの国連の国際協力の理念と見事に一致するわけでありますから、こういった立場に立って日本独自の国際協力像を展開すれば、これは国際社会に非常に大きな貢献になり、かつ影響力を発揮することができるだろうというふうに考えております。
そこで、最後に、ブラヒミ報告に言う広い意味での国連平和活動、これに日本がどういう協力ができるかということを、そのブラヒミ報告の三つの柱に分けて、これは最初にもお断りいたしましたように、私の専門をやや離れますので、全く印象でございますが、考えつく限りで挙げてみました。
まず、予防外交と平和形成でありますが、これは非常に広範な協力が可能であり、かつ必要な分野であります。特に、予防外交の重要性は近年非常に強調されるようになっておりまして、事務総長は毎年国連の年次活動報告を出しておりますが、九九年の年次活動報告では、アナン事務総長は専らこの予防外交を中心に置いた議論を展開しております。
予防外交がいかに重要かということを、ちょっとお金の話になって余り理念が高くないんですが、例を申し上げますと、ルワンダではUNAMIRという平和維持活動、これはジェノサイドの発生を防ぐことができずに、典型的な失敗例に挙げられております。これはソマリアのちょうど悪い経験があった直後でありますので、加盟国が部隊の派遣になかなか応じないというふうなことで、必要な部隊が展開できなくて失敗したわけですが、このUNAMIRに実際にかかった費用は四百三十七万ドルだったと言われます。
これに対して、部隊指揮官が、ジェノサイドを防ぐためには五千名の増員が必要だということを言ってまいりました。これは結局実現しなかったわけですが、この五千名の増員のために必要だった費用は五千万ドルと計算されております。これに対して、結局防げなかったジェノサイド、その結果としてルワンダとその周辺に人道援助が必要になった、この額が四十五億ドルと計算されている。
ということで、いかに予防段階で手を打っておればお金の上でも安く済むのかということが、いささかちょっと程度が低い話ですが、こういう例からもわかろうかと思います。
この点では、特に早期警戒能力、情報収集能力の向上ということが強調されておりまして、これは国連にとってはもちろん、個別国家としても言えることでありまして、このあたりでも日本は貢献できるところが大変大であろうというふうに思われます。
それから、言うまでもなく、紛争の平和的解決、このためのさまざまな仕組みをつくり上げるとか、あるいは、そういった仕組みを活用して、現実の紛争に働きかけて平和解決の努力をする、こういった点は、例えばカンボジア和平過程などからは日本も積極的な役割を果たすようになっておりますが、まだまだこの点で活動する余地は多々あるだろうというふうに考えます。もちろん、一番基本的には紛争の根本原因の除去ということがありますが、これは、むしろ(c)の方の問題だろうかと思います。
それから、第二に平和維持、これがここでの皆さん方の関心の中心でもあろうかと思いますが、この平和維持の分野においても、従来の議論は、どうもPKFへの協力の可否の議論に傾き過ぎていたのではないだろうかという印象を私は持っております。
軍隊を送る以外にも、平和維持活動、PKOに協力をする可能性はさまざまにあるわけでありまして、特に、先ほども申しましたように、第二世代のPKOについては非常に活動の分野が広まっておりまして、文民要員の必要性が大きく増大しております。ブラヒミ報告でも特に重視されているのは文民警察官でありますが、これ以外にも、選挙監視とか人権状況の監視とか地雷除去とか、さらに広い意味では、国家機構の再建への援助等で非常に多数の文民要員が必要となるわけでありますから、このあたりでの協力というのはもっともっと可能性があるのだろうというふうに考えます。
それから、お金を出すということは、先ほども次元が低い話だと申しましたが、どうも日本では余りよくない。金よりも人を出そうという議論になりがちでありますが、PKOの活動範囲がこのように広がってまいりますと、物的な資源の不足というのも大変目立つようになっておりますので、お金に限らず物資も含めて、そういう物的資源の提供も無視できない役割を演じるだろうというふうに思っております。
ただ、この点で一つ考えておく必要があることは、先ほども少し触れましたように、最近のPKOは、ともすればPKOの諸原則を踏み越える状況が出てきております。これは決して望ましいことではないわけでありますから、PKOが諸原則を遵守して実施されるように国連の諸機関に積極的に働きかけることが必要であります。日本のPKO協力法では、その原則が遵守されることが日本の協力の前提とされておりますが、単に日本の協力の前提ではなくて、これはPKO自体の前提として、もっと積極的な国連への働きかけが必要なのではないか。
そして、最後に、紛争後の平和構築への協力であります。これが恐らく日本にとって最も積極的な役割が期待できる分野だろうというふうに思っております。もう時間がなくなりましたので、具体的な内容についてお話をすることは、もし後に御質問の中で出ましたら、現在国連で議論されていることを幾つか御紹介いたしますが、今は内容は省略せざるを得ませんけれども、この紛争後の平和構築、つまり、一般的な意味での社会的、経済的な発展の支援、これが日本にとって最も積極的な協力が可能かつ必要な分野であろうというふうに考えております。
そういうわけで、やや最後がしり切れトンボになってしまいましたが、とりあえず私の御報告は、ちょうど時間になりましたので、これで終わらせていただきます。あとは皆さん方の御質問に答えるという形で、できれば補足をさせていただきたいと思っております。どうもありがとうございました。拍手
中
中
近
近藤基彦#5
○近藤(基)小委員 自民党の近藤でございます。
先生にまず、大変貴重な御意見を、大変短い時間でありましたので、先生の最後の方でお述べになれない部分がまだ多少あったやにお伺いしましたけれども。
私自身は、ついこの前の日本のテロ対策特別措置法をつくった特別委員会に所属をしておりまして、あのときの印象では、国際法上どうのという以前に、国際的な世論に動かされた部分がかなり、今から考えるとあるのかなと。日本人の気持ちとして、どちらかというと勧善懲悪的な部分があって、悪人がいればそれをたたきつぶさなきゃいけないみたいな部分で。
先生は学者さんでいらっしゃいますから、その点、冷静にあの当時のことをごらんになっていたと思うんですが、国際法上からいって、国が別な国を侵略するという場面ではいろいろな意見が今までもあったんだろうと思います。今度のような、国軍というわけじゃなくて私設部隊的な部分が、ある意味、小さいなりに核も持っているかもしれないという脅威の中で、それを排除するために、今回はアメリカが自衛権を発動した、それに同盟国として参加をしているという感じですが、このときの国連の動きに関して、全く動いてないというわけじゃないんでしょうけれども、先生からごらんになって、その辺の動き方が、参考までにお聞かせいただければと思うんです。
この発言だけを見る →先生にまず、大変貴重な御意見を、大変短い時間でありましたので、先生の最後の方でお述べになれない部分がまだ多少あったやにお伺いしましたけれども。
私自身は、ついこの前の日本のテロ対策特別措置法をつくった特別委員会に所属をしておりまして、あのときの印象では、国際法上どうのという以前に、国際的な世論に動かされた部分がかなり、今から考えるとあるのかなと。日本人の気持ちとして、どちらかというと勧善懲悪的な部分があって、悪人がいればそれをたたきつぶさなきゃいけないみたいな部分で。
先生は学者さんでいらっしゃいますから、その点、冷静にあの当時のことをごらんになっていたと思うんですが、国際法上からいって、国が別な国を侵略するという場面ではいろいろな意見が今までもあったんだろうと思います。今度のような、国軍というわけじゃなくて私設部隊的な部分が、ある意味、小さいなりに核も持っているかもしれないという脅威の中で、それを排除するために、今回はアメリカが自衛権を発動した、それに同盟国として参加をしているという感じですが、このときの国連の動きに関して、全く動いてないというわけじゃないんでしょうけれども、先生からごらんになって、その辺の動き方が、参考までにお聞かせいただければと思うんです。
松
松井芳郎#6
○松井参考人 今回のテロに関してですが、御存じのように、アメリカ等の軍事行動は自衛権の発動だということで、特に安保理事会の、一部では安保理事会が許可したという解釈もあるようですが、これはちょっと無理な解釈で、正当化できるとしたら自衛権ということで、国連は基本的には動かなかったということであろうと思いますが、動く余地が全くなくて動かなかったかというと、必ずしもそうは言えなくて、もちろん、国連のやれることには、先生がおっしゃったように、従来、国連憲章が予定していなかったような行動でありますので、カバーできない点は幾つもあると思いますが、それでもやれることは幾つかあっただろうと思うんです。
例えば、アフガニスタンに対しては、既に従来から、ビンラディン等のテロリストをかくまっているということで、引き渡しを要求して、経済的な強制措置が行われております。これをもっと強化するというふうな幾つかの方法はあっただろうと思われますので、アメリカ等が安保理事会を指導する立場にある諸国でもあるわけですから、そういう可能性を十分尽くすことなしに一方的な武力に走ったというのは、私としては残念なことだというふうに感じております。
この発言だけを見る →例えば、アフガニスタンに対しては、既に従来から、ビンラディン等のテロリストをかくまっているということで、引き渡しを要求して、経済的な強制措置が行われております。これをもっと強化するというふうな幾つかの方法はあっただろうと思われますので、アメリカ等が安保理事会を指導する立場にある諸国でもあるわけですから、そういう可能性を十分尽くすことなしに一方的な武力に走ったというのは、私としては残念なことだというふうに感じております。
近
近藤基彦#7
○近藤(基)小委員 今、アルカイダがせん滅されたかどうか、あるいはビンラディンの行方もまだわからないというような状況の中で、これは今、アフガニスタンの紛争後と言っていいのかどうかちょっとわからないんですが、先生が最後に御質問があればということで、できれば具体的に、例えばアフガニスタンの紛争後の平和構築に関して各国がやれること、それと、日本がやれる部分というのをちょっとお話しいただければと思います。
この発言だけを見る →松
松井芳郎#8
○松井参考人 アフガニスタンに限って申しますと、私、現地の状況をそれほどフォローしているわけではありませんので、具体的なことをそれほど申し上げられるわけではありませんが、現在、十分に治安も回復していないような状況でありまして、国連として平和維持活動、PKOを展開できる状況にあるとはどうもまだ判断されていないようであります。
ですから、もう少し事態が鎮静化いたしまして、平和維持活動自体が展開できるというふうな状況になると、それと連携しながら、紛争後の平和構築という活動に入っていくことになるだろうと思うわけです。
その平和構築ということでは既に幾つか国際会議が開かれ、その中で日本も重要な役割を果たしてきているわけでありますから、その方向での努力を今後も強化するということは、国際社会の中で、ここに日本ありということを示すためにも非常に必要なことではないかと思っております。
この発言だけを見る →ですから、もう少し事態が鎮静化いたしまして、平和維持活動自体が展開できるというふうな状況になると、それと連携しながら、紛争後の平和構築という活動に入っていくことになるだろうと思うわけです。
その平和構築ということでは既に幾つか国際会議が開かれ、その中で日本も重要な役割を果たしてきているわけでありますから、その方向での努力を今後も強化するということは、国際社会の中で、ここに日本ありということを示すためにも非常に必要なことではないかと思っております。
近
近藤基彦#9
○近藤(基)小委員 それでは、一般的でも結構なんですが、紛争後の平和構築に関して、先生がお考えになって、この部分は日本はもっと協力的にサポートすべきだ、あるいはこの部分が日本独自の、その前に、国連の政策は加盟国の意思ということ、そして自国の国際協力像を日本はきちんと持たなければいけないということ、その部分に関連するんですが、特に紛争後の平和構築が一番大事だろうと思うのであえて聞くんですが、日本独自の、日本でなければできないということではないんでしょうけれども、特にこれを力を入れなければいけないということがあったら、先生ちょっとお聞かせください。
この発言だけを見る →松
松井芳郎#10
○松井参考人 全く印象で申しわけありませんが、一言だけ申しますと、教育の面です。アフガニスタンの事態に大変関心を持ってフォローしてきたイランの映画監督で、「カンダハール」という映画をつくって、アフガニスタンの事態を世界に訴えようという映画があったが、爆弾のかわりに教科書を降らせたらどれだけ役に立ったかということを言った話を聞いたことがあるんですね。
日本の場合、明治維新以後、教育に非常に力を尽くしてきたということが現在の日本をつくり上げる上で大変大きな役割を果たしてきたと思うので、このあたりでの協力というのは、もちろん先生がおっしゃったように日本だけではないと思いますけれども、日本が強みを発揮できる非常に重要な局面ではないか、突然の思いつきなんですが、そのようなことを感じます。
この発言だけを見る →日本の場合、明治維新以後、教育に非常に力を尽くしてきたということが現在の日本をつくり上げる上で大変大きな役割を果たしてきたと思うので、このあたりでの協力というのは、もちろん先生がおっしゃったように日本だけではないと思いますけれども、日本が強みを発揮できる非常に重要な局面ではないか、突然の思いつきなんですが、そのようなことを感じます。
近
近藤基彦#11
○近藤(基)小委員 最後に、今回のようなテロ、一つの国というものではなくて、私設軍隊みたいな部分で、アメリカにしても国軍が出ているわけですね。国連警察機構みたいな話があちこちで恐らくこれからもっと強力に出てくるだろうと思うんです。一つの国に対してなら、例えば経済制裁とかいろいろなことが考えられるんですが、そういったテロ集団という話になると、そこに一国の軍隊は出してもいいのかという。インターポールみたいなものがありますが、そういったものではなくて、武力行使までいくかどうかは別として、国連警察みたいなことが多分これから議論されていかざるを得ないだろうと思うんですが、それは国際法上のかかわりで先生のお考えがあったら、ちょっとお聞かせください。
この発言だけを見る →松
松井芳郎#12
○松井参考人 遠い将来の課題としては必要だろうと思うんですが、急に現在の中で、例えば五年とか十年の単位で実現可能かというと、それは大変難しいだろう。むしろ、今かなり現実化しているのは国際刑事裁判所です。あれは間もなくできるわけでありますから、ああいうところで、少なくとも被疑者を確保したときには裁く。
ということは、例えば今回、アメリカが裁判するとなると、どうしてもあれは復讐じゃないかという印象を国際社会に与えるわけですから、そうではなくて、国際社会の全体を代表するような国際刑事裁判所で裁くということは現実の課題になっておりまして、これはできるだけ早く日本も批准をしていただきたいと思うんですが、またその方向へ持っていくことは必要でもあり、可能でもあろうと思います。
警察力といいますと、これは主権国家の一番根幹になる一つの機能でありますので、これを国連に譲り渡そうというふうに各主権国家が考えてくれるのは相当遠い将来ではないか。残念ながら、現状では具体的な課題には少し難しいだろうというふうな印象を持っております。
この発言だけを見る →ということは、例えば今回、アメリカが裁判するとなると、どうしてもあれは復讐じゃないかという印象を国際社会に与えるわけですから、そうではなくて、国際社会の全体を代表するような国際刑事裁判所で裁くということは現実の課題になっておりまして、これはできるだけ早く日本も批准をしていただきたいと思うんですが、またその方向へ持っていくことは必要でもあり、可能でもあろうと思います。
警察力といいますと、これは主権国家の一番根幹になる一つの機能でありますので、これを国連に譲り渡そうというふうに各主権国家が考えてくれるのは相当遠い将来ではないか。残念ながら、現状では具体的な課題には少し難しいだろうというふうな印象を持っております。
近
中
首
首藤信彦#15
○首藤小委員 民主党の首藤信彦です。
私自身も平和維持活動に長年携わってきた者なんですが、一つ参考人に私の意見を言わせていただきますが、最後の、「紛争後の平和構築」、日本にとって最も協力が可能というふうに書いてありますけれども、私に言わせれば、これこそ日本にとって最も難しい分野である、そういうふうに考えております。
ちょっと考えればわかるわけですが、人を撃つのは、引き金を引けば人を撃つことはできます。しかし、弾が当たった人間を野山を越えて病院へ連れていって治して、そしてその間残された家族の面倒を見て、傷跡を治して、傷跡を気にしないようにいろいろなことを説教してあげて、精神的なトラウマも考えてあげなきゃいけない。それから、その間にぐれた子供の面倒も見なきゃいけない。そういうふうに考えますと、平和再建というのはもうめちゃくちゃに難しいことであって、この分野こそ日本が最もおくれているというふうに言わざるを得ないと思います。
世界では、この分野に関して、司法の再建や刑務所の所長に対する人権教育から、本当にありとあらゆるNGOが活動しているんですが、この分野、紛争地においてもほとんど日本のNGOあるいは日本人に会うことすらない。日本の専門家はもっとまれであるというふうに考えると、この問題が可能であると私はとても思えず、これこそ日本が全力を挙げて、これからゼロから組み上げていかなきゃいけないものだと私は思うんですね。
それは別としまして、国際法の御専門だということですから、専門的な立場から二つほど聞かせていただきたいと思います。
まず一つは、このブラヒミ・レポートに盛られました国連PKOの限界というものが明らかになっているわけですが、相手が正規軍、撃ってくる者に対しては、例えば国際社会あるいは相互間で将校同士が話し合って、撃ち方やめと言えばそれで銃の使用はとまるわけですね。しかし、例えばスレブレニツァ虐殺のように、自分の親戚を殺された、殺していった人間が今は降伏して武装放棄して目の前にいるというと、それに対して、リンチではありませんけれども、石を投げ、かまを振りかざし、ピストルを持てば撃ってしまう、こういうような普通の人たちがいるわけですね。それをとめようとしたら、そこに入ったPKOの部隊は、そういう普通の市民、普通の農民に対して銃を向けなきゃいけない。そうしなければとまらないのが現実だと思うんです。
そうした状況におけるROEというものは、例えば日本のPKOにとって可能なのかどうか。あるいは、日本のPKOだけじゃなくても、どのような基準に基づいて、そういう普通の、加害者となるかもしれない怒れる大衆に対して、どのようなルール・オブ・エンゲージメントを考えていったらいいのかというのを、法律家の立場から明らかにしていただきたいと思います。
この発言だけを見る →私自身も平和維持活動に長年携わってきた者なんですが、一つ参考人に私の意見を言わせていただきますが、最後の、「紛争後の平和構築」、日本にとって最も協力が可能というふうに書いてありますけれども、私に言わせれば、これこそ日本にとって最も難しい分野である、そういうふうに考えております。
ちょっと考えればわかるわけですが、人を撃つのは、引き金を引けば人を撃つことはできます。しかし、弾が当たった人間を野山を越えて病院へ連れていって治して、そしてその間残された家族の面倒を見て、傷跡を治して、傷跡を気にしないようにいろいろなことを説教してあげて、精神的なトラウマも考えてあげなきゃいけない。それから、その間にぐれた子供の面倒も見なきゃいけない。そういうふうに考えますと、平和再建というのはもうめちゃくちゃに難しいことであって、この分野こそ日本が最もおくれているというふうに言わざるを得ないと思います。
世界では、この分野に関して、司法の再建や刑務所の所長に対する人権教育から、本当にありとあらゆるNGOが活動しているんですが、この分野、紛争地においてもほとんど日本のNGOあるいは日本人に会うことすらない。日本の専門家はもっとまれであるというふうに考えると、この問題が可能であると私はとても思えず、これこそ日本が全力を挙げて、これからゼロから組み上げていかなきゃいけないものだと私は思うんですね。
それは別としまして、国際法の御専門だということですから、専門的な立場から二つほど聞かせていただきたいと思います。
まず一つは、このブラヒミ・レポートに盛られました国連PKOの限界というものが明らかになっているわけですが、相手が正規軍、撃ってくる者に対しては、例えば国際社会あるいは相互間で将校同士が話し合って、撃ち方やめと言えばそれで銃の使用はとまるわけですね。しかし、例えばスレブレニツァ虐殺のように、自分の親戚を殺された、殺していった人間が今は降伏して武装放棄して目の前にいるというと、それに対して、リンチではありませんけれども、石を投げ、かまを振りかざし、ピストルを持てば撃ってしまう、こういうような普通の人たちがいるわけですね。それをとめようとしたら、そこに入ったPKOの部隊は、そういう普通の市民、普通の農民に対して銃を向けなきゃいけない。そうしなければとまらないのが現実だと思うんです。
そうした状況におけるROEというものは、例えば日本のPKOにとって可能なのかどうか。あるいは、日本のPKOだけじゃなくても、どのような基準に基づいて、そういう普通の、加害者となるかもしれない怒れる大衆に対して、どのようなルール・オブ・エンゲージメントを考えていったらいいのかというのを、法律家の立場から明らかにしていただきたいと思います。
松
松井芳郎#16
○松井参考人 まず、具体的な御質問の方からお答えいたしますと、一般住民がいわば暴徒化してほかの人に対して危害を加える可能性があるということは、今例に挙げられた事態以外にもルワンダでもあったわけです。それに対して、従来の国連のPKOの交戦規則では対処できない。したがいまして、交戦規則を今後、ブラヒミ報告では、ロブストでしたか、強固なルール・オブ・エンゲージメントをつくらなきゃいかぬということを言っているんですが、そのような必要性があるということは一方では否定できないだろうと思います。
ただ、正規軍が軍事力を使って戦う一般の武力紛争の場合でも、正規軍にとって、どのような状況になっても、一般住民を意識的に攻撃するということは国際人道法の基本原則でもって禁止されているわけですから、そういう範囲までの活動を国連の平和維持活動に認めることはとてもできないだろう。むしろ、それに至るまでに、どのようにしていわばそういった動きを抑止することができるのかという、その抑止の側面を考えることしかないだろう、一般住民が暴徒化するというふうなことに対処するのは。人道法の基本原則からしてそのように考えられるということを、まずこの点についてはお答えしておきたいと思います。
前半にお話しになった平和構築について、実は、これは日本が非常に問題をまだ抱えているんだということは、まさにおっしゃるとおりで、私は、もう少し長期的な見通しで日本にとっても可能性が大きいということを申し上げたので、この点については、日本のさまざまな、行政機関の役割だけではなくて、おっしゃったようにNGOの役割をもっと日本でも活用するようになる。昨今、いろいろNGOをめぐっては議論がございましたが、日本でもやっとNGOといわば連携しながらさまざまな対外協力を進めるという動きが軌道に乗りつつあるようでありますが、NGO自体の育成も含めて、今後もっとNGOとの連携を強化していく必要は、特に先生がおっしゃったような平和構築の部面では極めて大きいだろうというふうに考えております。
この発言だけを見る →ただ、正規軍が軍事力を使って戦う一般の武力紛争の場合でも、正規軍にとって、どのような状況になっても、一般住民を意識的に攻撃するということは国際人道法の基本原則でもって禁止されているわけですから、そういう範囲までの活動を国連の平和維持活動に認めることはとてもできないだろう。むしろ、それに至るまでに、どのようにしていわばそういった動きを抑止することができるのかという、その抑止の側面を考えることしかないだろう、一般住民が暴徒化するというふうなことに対処するのは。人道法の基本原則からしてそのように考えられるということを、まずこの点についてはお答えしておきたいと思います。
前半にお話しになった平和構築について、実は、これは日本が非常に問題をまだ抱えているんだということは、まさにおっしゃるとおりで、私は、もう少し長期的な見通しで日本にとっても可能性が大きいということを申し上げたので、この点については、日本のさまざまな、行政機関の役割だけではなくて、おっしゃったようにNGOの役割をもっと日本でも活用するようになる。昨今、いろいろNGOをめぐっては議論がございましたが、日本でもやっとNGOといわば連携しながらさまざまな対外協力を進めるという動きが軌道に乗りつつあるようでありますが、NGO自体の育成も含めて、今後もっとNGOとの連携を強化していく必要は、特に先生がおっしゃったような平和構築の部面では極めて大きいだろうというふうに考えております。
首
首藤信彦#17
○首藤小委員 ありがとうございます。
もう一つ、ルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定に関して、ひとつ短くお答え願いたいと思うんですけれども、もちろんこれは、日本がPKOを派遣されるということでは、日本でもルール・オブ・エンゲージメントを変えよう、一生懸命変えよう、国際基準にしようとか、いろいろあると思いますけれども、こういう機会にこそ、自衛隊、防衛庁の中だけではなく、法律家の観点、特に人道法とか、そういう観点が私は盛り込まれるべきだと思うんですね。昔のように戦争だけを考えていたのは確かに軍隊や防衛庁を考えればいいんですけれども、いろいろ市民が混在しているところでのROEというのは、むしろ法律家がいろいろなアドバイスをして、人権の問題とかそういう視点を入れながら具体的なルール・オブ・エンゲージメントをつくるべきだ、そういうふうに私は思うんです。
参考人からぜひお聞きしたいのは、こういう視点で、どの程度法律家が、例えばルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定の改定に具体的に参加しているか、どういう方か、もし参加されておられるならそのお名前を教えていただきたいし、それに関する論文がありましたらぜひ教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →もう一つ、ルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定に関して、ひとつ短くお答え願いたいと思うんですけれども、もちろんこれは、日本がPKOを派遣されるということでは、日本でもルール・オブ・エンゲージメントを変えよう、一生懸命変えよう、国際基準にしようとか、いろいろあると思いますけれども、こういう機会にこそ、自衛隊、防衛庁の中だけではなく、法律家の観点、特に人道法とか、そういう観点が私は盛り込まれるべきだと思うんですね。昔のように戦争だけを考えていたのは確かに軍隊や防衛庁を考えればいいんですけれども、いろいろ市民が混在しているところでのROEというのは、むしろ法律家がいろいろなアドバイスをして、人権の問題とかそういう視点を入れながら具体的なルール・オブ・エンゲージメントをつくるべきだ、そういうふうに私は思うんです。
参考人からぜひお聞きしたいのは、こういう視点で、どの程度法律家が、例えばルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定の改定に具体的に参加しているか、どういう方か、もし参加されておられるならそのお名前を教えていただきたいし、それに関する論文がありましたらぜひ教えていただきたいと思います。
松
松井芳郎#18
○松井参考人 日本の問題でございますね。
日本は、実はルール・オブ・エンゲージメントどころか、人道法の研究自体が非常におくれておりまして、これは、一時は世界的にそうだった。つまり、国連憲章で、もう武力は使われないはずだから、戦争の研究なんて要らないだろうという雰囲気が第二次大戦後は一般的だったんですが、日本はそれに比べて、平和憲法というふうなことがございまして、人道法自体の研究が非常におくれております。
恐らく現在でも、人道法を専門に研究しておられる方は、国際法学会の会員、約千名おられますが、そのうちで十名おられるかおられないかというようなことで、もちろん、そういった個々の方で、例えば防衛庁と協力しながらさまざまな研究をしておられる方はあるだろうとは思いますけれども、それが具体的な形になった研究報告とか論文とかいうふうなものになってあらわれて、もちろん人道法の一般原則については貴重な成果が出ておりますが、ROEというふうな具体的な問題についての業績というのは、まだ残念ながらあらわれていない。
ですから、そういう個別的な問題も含めて、まず日本における人道法研究をもっと活発にする、そういうふうにすそ野が広がっていくと個別的な問題への研究も広がっていくと思われますので、すそ野を広げていく必要を非常に強く感じております。
この発言だけを見る →日本は、実はルール・オブ・エンゲージメントどころか、人道法の研究自体が非常におくれておりまして、これは、一時は世界的にそうだった。つまり、国連憲章で、もう武力は使われないはずだから、戦争の研究なんて要らないだろうという雰囲気が第二次大戦後は一般的だったんですが、日本はそれに比べて、平和憲法というふうなことがございまして、人道法自体の研究が非常におくれております。
恐らく現在でも、人道法を専門に研究しておられる方は、国際法学会の会員、約千名おられますが、そのうちで十名おられるかおられないかというようなことで、もちろん、そういった個々の方で、例えば防衛庁と協力しながらさまざまな研究をしておられる方はあるだろうとは思いますけれども、それが具体的な形になった研究報告とか論文とかいうふうなものになってあらわれて、もちろん人道法の一般原則については貴重な成果が出ておりますが、ROEというふうな具体的な問題についての業績というのは、まだ残念ながらあらわれていない。
ですから、そういう個別的な問題も含めて、まず日本における人道法研究をもっと活発にする、そういうふうにすそ野が広がっていくと個別的な問題への研究も広がっていくと思われますので、すそ野を広げていく必要を非常に強く感じております。
首
首藤信彦#19
○首藤小委員 ありがとうございました。
もう一点、先ほどお話ありましたICC、国際刑事裁判所ですけれども、御存じのとおり、PKOの場合は、PKO部隊の犯罪というのもすごく多いわけですね。しかも、それがまた、紛争地のようにいろいろな犯罪が周りにあったり、いろいろな誘惑もあったり、それから無政府状態があったりすると、PKOの要員自体が犯罪行為をするというのが、今まで第一段階、第二段階のように隔絶されたキャンプに住んでいるのとは違いまして、いろいろなところに混在しているわけですから、当然多くなるとは思うんです。
そうしたPKO要員の犯罪に関して、もちろんICCなどはずっと先だとは思うんですけれども、そういったPKO要員の犯罪とか不法行為に対してどのように取り締まっていくのが国際法の立場として好ましいのか、ちょっと御専門の立場からお聞かせ願えれば幸いであります。
この発言だけを見る →もう一点、先ほどお話ありましたICC、国際刑事裁判所ですけれども、御存じのとおり、PKOの場合は、PKO部隊の犯罪というのもすごく多いわけですね。しかも、それがまた、紛争地のようにいろいろな犯罪が周りにあったり、いろいろな誘惑もあったり、それから無政府状態があったりすると、PKOの要員自体が犯罪行為をするというのが、今まで第一段階、第二段階のように隔絶されたキャンプに住んでいるのとは違いまして、いろいろなところに混在しているわけですから、当然多くなるとは思うんです。
そうしたPKO要員の犯罪に関して、もちろんICCなどはずっと先だとは思うんですけれども、そういったPKO要員の犯罪とか不法行為に対してどのように取り締まっていくのが国際法の立場として好ましいのか、ちょっと御専門の立場からお聞かせ願えれば幸いであります。
松
松井芳郎#20
○松井参考人 これについては実は国連の対応が従来非常におくれておりまして、ほとんど各国の派遣部隊に任せるという形になっていたと思うんですが、一昨年でしたでしょうか、事務総長の布告という形で、国連軍部隊に関する人道法の適用を求める、そういう事務総長の文書が出ております。したがって、今後は、その文書に従って平和維持活動を含めて規律が行われていくことになるだろう。ただし、違反があった場合の処罰は、これはICCに任せるのではなくて、各部隊の所属国で行うという建前でありまして、考えようによってはこれが限界かなとも思うんですが、現状ではそういうことになっております。
この発言だけを見る →首
中
赤
赤松正雄#23
○赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。きょうは、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
まず、私は、今同僚委員からもお話ございましたけれども、国連の平和活動に対して日本がありとあらゆる側面で協力をすべきである、つまり、非軍事的な部分も、さらにお金も物も、そして、直接的な軍事的行動ではもちろんありませんけれども、後方的な支援というものも含めて、ありとあらゆる考えられることをやっていくべきである、そういうふうな基本的な立場に立っております。
その上で、最初にお伺いしたいと思いますのは、日本のいわゆるPKO法、これには五つの原則が組み込まれている、ビルトインされている、法律の中にちりばめられている。そういう五原則、いわゆる参加当事紛争機関の合意、そして同意、中立、必要最小限の武器の携帯、そしてまた、紛争に巻き込まれた場合は撤収するという、この五つの原理というものが組み込まれて今日まで来ているわけですが、先ほど来のお話の中で、今のさまざまな新しい形態の紛争が起こる中で、この五原則に対して、見直すべきではないのかという議論が実はあります。
私ども公明党は、一番最初にこの五原則を強く主張して入れていったという経緯もあり、これに非常にこだわるわけですけれども、この五原則に対する評価と、それから、今申し上げた、一部というか、そういう新しい動きの中で、見直すべしという意見に対してどういうふうにお考えになるか、お聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →まず、私は、今同僚委員からもお話ございましたけれども、国連の平和活動に対して日本がありとあらゆる側面で協力をすべきである、つまり、非軍事的な部分も、さらにお金も物も、そして、直接的な軍事的行動ではもちろんありませんけれども、後方的な支援というものも含めて、ありとあらゆる考えられることをやっていくべきである、そういうふうな基本的な立場に立っております。
その上で、最初にお伺いしたいと思いますのは、日本のいわゆるPKO法、これには五つの原則が組み込まれている、ビルトインされている、法律の中にちりばめられている。そういう五原則、いわゆる参加当事紛争機関の合意、そして同意、中立、必要最小限の武器の携帯、そしてまた、紛争に巻き込まれた場合は撤収するという、この五つの原理というものが組み込まれて今日まで来ているわけですが、先ほど来のお話の中で、今のさまざまな新しい形態の紛争が起こる中で、この五原則に対して、見直すべきではないのかという議論が実はあります。
私ども公明党は、一番最初にこの五原則を強く主張して入れていったという経緯もあり、これに非常にこだわるわけですけれども、この五原則に対する評価と、それから、今申し上げた、一部というか、そういう新しい動きの中で、見直すべしという意見に対してどういうふうにお考えになるか、お聞かせいただきたいと思います。
松
松井芳郎#24
○松井参考人 PKO法自体については私専門的に研究しているわけではございませんが、今の御質問の限りでお答えいたしますと、この五原則自体が、日本独自で考えて立法化したということではなくて、立法当時の国連の平和維持活動の中で積み重ねられてきた原則を、その中身については先ほど簡単にお話をいたしましたが、それを踏まえて立法化されたものであるというふうに考えるわけです。その立法化された段階で、これも先ほど少しお話ししましたように、既に幾つかの原則が危殆に瀕していたわけでありますから、その意味では、その時点でこの原則を掲げられたことは、それ自体としては重要なことだっただろうと思っております。
おっしゃったように、現在、新しい動きの中でさまざまな議論が出ておりますが、そしてブラヒミ報告の中でも個別的にはあれっと思うところがあるのは正直なところでございますが、ただ、では、従来の、例えば同意原則とか中立の原則とか、武器使用は自己防衛に限る、そういう原則自体を変えようという正式な提起は、国連文書では今のところ見られないだろうと思うんです。少なくとも、そういう原則とのかかわりが出てきた部分では、今後もこの原則は堅持するんだということが繰り返して言われておりますので、したがって、そういう国連が維持しようという原則を場合によっては踏み外すような検討を日本がやるというのは、やはりかなり場違いであろうという印象を持っております。
この発言だけを見る →おっしゃったように、現在、新しい動きの中でさまざまな議論が出ておりますが、そしてブラヒミ報告の中でも個別的にはあれっと思うところがあるのは正直なところでございますが、ただ、では、従来の、例えば同意原則とか中立の原則とか、武器使用は自己防衛に限る、そういう原則自体を変えようという正式な提起は、国連文書では今のところ見られないだろうと思うんです。少なくとも、そういう原則とのかかわりが出てきた部分では、今後もこの原則は堅持するんだということが繰り返して言われておりますので、したがって、そういう国連が維持しようという原則を場合によっては踏み外すような検討を日本がやるというのは、やはりかなり場違いであろうという印象を持っております。
赤
赤松正雄#25
○赤松(正)小委員 ありがとうございました。
先ほどのお話の中で、一番最後のところ、「ブラヒミ報告にいう「国連平和活動」への日本の協力」の(b)のところで、「これまでの議論はPKFへの協力の可否に傾きすぎ」であったというふうな御指摘がございました。
私は、先ほど参考人はお金の話をされたりしましたけれども、あれかこれか、金か人かというのではなくて、両方とも大事だろうというふうに思うんですね。そういうPKF協力の可否に傾き過ぎであったということについては、背景にやはり、私は、どちらかといえば人を出さない、あえて軍事部門、非軍事部門という言い方をすれば、その非軍事部門に偏り過ぎていたということから、いわば人を出さないということに対する後ろめたさというふうな日本の世論の動きがあったんではないかと思うんですが、その辺についてはどう思われますか。
この発言だけを見る →先ほどのお話の中で、一番最後のところ、「ブラヒミ報告にいう「国連平和活動」への日本の協力」の(b)のところで、「これまでの議論はPKFへの協力の可否に傾きすぎ」であったというふうな御指摘がございました。
私は、先ほど参考人はお金の話をされたりしましたけれども、あれかこれか、金か人かというのではなくて、両方とも大事だろうというふうに思うんですね。そういうPKF協力の可否に傾き過ぎであったということについては、背景にやはり、私は、どちらかといえば人を出さない、あえて軍事部門、非軍事部門という言い方をすれば、その非軍事部門に偏り過ぎていたということから、いわば人を出さないということに対する後ろめたさというふうな日本の世論の動きがあったんではないかと思うんですが、その辺についてはどう思われますか。
松
松井芳郎#26
○松井参考人 ここで「PKFへの協力の可否に傾きすぎ」というふうに書きまして、PKOとは書きませんでしたのは、PKOの中における、特に第二世代でさまざまな活動がさまざまな要因によって行われる、その中での軍事部門に日本がどのように協力するかという議論に傾き過ぎというふうに私は印象を持っておりまして、その議論ではなくてというのは、要するに人は出すなという議論ではないわけです。
第二世代のPKOは、お話の中でも申しましたように、文民警察官を初めとして、文民要員の必要性は非常に高まっているわけですから、そこに積極的に人を出すということについては、これは日本の国内でもきっちり議論をすれば、例えば憲法上の問題が出るわけでも全くございませんし、広範な理解が得られる問題だろうというふうに考えられるわけであります。私も、もちろん人もお金も可能な限り協力するべきだと思いますが、軍事部門での協力についてはなお、つまり自衛隊の問題ですね、憲法上の議論が多々残っておるわけでありますから、それよりも、憲法上全く問題のない文民部門での人の協力ということをもっと積極的に議論してよろしいのではないだろうか。
この中では、ちょっと御質問の範囲から離れるかもしれませんが、日本のいわゆる護憲派の人たちも十分に議論していない。つまり、護憲派の立場に立つと自衛隊が出せないということであれば、もっとほかに人を出す協力があってもいいのではないかという議論は、護憲派ももっとやってしかるべきだろうというふうに感じております。
この発言だけを見る →第二世代のPKOは、お話の中でも申しましたように、文民警察官を初めとして、文民要員の必要性は非常に高まっているわけですから、そこに積極的に人を出すということについては、これは日本の国内でもきっちり議論をすれば、例えば憲法上の問題が出るわけでも全くございませんし、広範な理解が得られる問題だろうというふうに考えられるわけであります。私も、もちろん人もお金も可能な限り協力するべきだと思いますが、軍事部門での協力についてはなお、つまり自衛隊の問題ですね、憲法上の議論が多々残っておるわけでありますから、それよりも、憲法上全く問題のない文民部門での人の協力ということをもっと積極的に議論してよろしいのではないだろうか。
この中では、ちょっと御質問の範囲から離れるかもしれませんが、日本のいわゆる護憲派の人たちも十分に議論していない。つまり、護憲派の立場に立つと自衛隊が出せないということであれば、もっとほかに人を出す協力があってもいいのではないかという議論は、護憲派ももっとやってしかるべきだろうというふうに感じております。
赤
赤松正雄#27
○赤松(正)小委員 最後に、実は、松井参考人がお書きになられた、「国連とこれからの日本」という論文を事務局からいただいて読ませていただきました。その中で、問題は、憲法の理念に立った国際協力を歴代の政府は行ってこなかったことにあるというふうな御指摘をされた上で、五つのポイントを述べておられるんですが、その五つのポイントの中で、四番目に、
一部の加盟国に武力行使を「授権」する動きについていえば、このようなやりかたは明らかに憲章に違反するものであり、国連の場においてそのような決議が採択されないように、あらゆる努力を行わなければならない。そのような決議が採択されたとしても、「授権」された軍事行動に参加することはもちろん、これになんらかの協力を行なうことは、日本国憲法の立場からだけでなく国連憲章の立場に立っても、論外である。
こういうふうにおっしゃっています。
そうすると、何らかの協力という側面は、例えば今回のテロ特措法というケースを持ち出しますと、いわば直接的な軍事行動に参画するわけではありませんけれども、後方から非軍事的側面という部分に限って支援をする、これは参考人おっしゃるところの何らかの協力に入り、そして、これは今ここでおっしゃっているように論外である、こういうお立場でしょうか。
私は、これは今の憲法の中でぎりぎりの一つの知恵である、そういうふうに思っておるんですけれども、参考人の御意見を聞かせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →一部の加盟国に武力行使を「授権」する動きについていえば、このようなやりかたは明らかに憲章に違反するものであり、国連の場においてそのような決議が採択されないように、あらゆる努力を行わなければならない。そのような決議が採択されたとしても、「授権」された軍事行動に参加することはもちろん、これになんらかの協力を行なうことは、日本国憲法の立場からだけでなく国連憲章の立場に立っても、論外である。
こういうふうにおっしゃっています。
そうすると、何らかの協力という側面は、例えば今回のテロ特措法というケースを持ち出しますと、いわば直接的な軍事行動に参画するわけではありませんけれども、後方から非軍事的側面という部分に限って支援をする、これは参考人おっしゃるところの何らかの協力に入り、そして、これは今ここでおっしゃっているように論外である、こういうお立場でしょうか。
私は、これは今の憲法の中でぎりぎりの一つの知恵である、そういうふうに思っておるんですけれども、参考人の御意見を聞かせていただきたいと思います。
松
松井芳郎#28
○松井参考人 これはかなり以前に書いたものでありまして、加盟国に武力行使を授権するという方式は、古くは朝鮮戦争のときに例がございますが、目立つようになったのは冷戦後でありまして、御存じのように、口火を切ったのは湾岸戦争の決議です。成立当時は、これについては非常に問題が多いという指摘が多うございました。私もそのように考えておりますし、その線に立ってその当時に書いた論文でございます。
ただ、その後の経過を申しますと、私自身はまだ疑念を捨てておりませんけれども、国連の中では、安保理事会の許可ないし授権があれば個別国家が武力を使えるという意見はかなり一般的に受け入れられるようになっていると思います。ただ、これが国連の活動であるというふうに言えるためには、国連自体がその授権された活動をきっちり統括するということがないと、集団安全保障の活動として国連の活動であるというふうには言えないだろう。
したがって、こういった活動に協力するのは、国連への協力という枠内ではなくて、個々の授権を受けた加盟国、例えば米国と日本との関係での協力の問題であって、一般的な国連協力とか国際協力の問題ではないだろうというのが私の理解の仕方でありまして、その範囲で考えると、私の憲法理解に立つとこういうことになるわけでありますし、赤松先生の憲法のお考えでは、先ほどおっしゃったような考え方はもちろんその枠内では十分成り立つだろう。私はちょっと理解を異にいたしますが、お立場からすれば、そういう考え方はあるだろうというふうに思っております。
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したがって、こういった活動に協力するのは、国連への協力という枠内ではなくて、個々の授権を受けた加盟国、例えば米国と日本との関係での協力の問題であって、一般的な国連協力とか国際協力の問題ではないだろうというのが私の理解の仕方でありまして、その範囲で考えると、私の憲法理解に立つとこういうことになるわけでありますし、赤松先生の憲法のお考えでは、先ほどおっしゃったような考え方はもちろんその枠内では十分成り立つだろう。私はちょっと理解を異にいたしますが、お立場からすれば、そういう考え方はあるだろうというふうに思っております。
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