憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会

2002-07-11 衆議院 全106発言

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会議録情報#0
平成十四年七月十一日(木曜日)
    午前九時四分開議
 出席小委員
   小委員長 中川 昭一君
      石川 要三君    近藤 基彦君
      土屋 品子君    葉梨 信行君
      平井 卓也君    首藤 信彦君
      中川 正春君    中村 哲治君
      山田 敏雅君    赤松 正雄君
      藤島 正之君    山口 富男君
      金子 哲夫君    井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    中野 寛成君
   参考人
   (東京大学社会科学研究所
   助教授)         中村 民雄君
   衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
    —————————————
本日の会議に付した案件
 国際社会における日本のあり方に関する件

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中川昭一#1
○中川小委員長 これより会議を開きます。
 国際社会における日本のあり方に関する件について調査を進めます。
 本日、参考人として東京大学社会科学研究所助教授中村民雄君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多用中にもかかわりませず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと思います。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 御発言は着席のままでお願いいたします。
 それでは、中村参考人、お願いいたします。
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中村民雄#2
○中村参考人 本日は、この場にお招きいただき、ありがとうございました。
 私は、ただいま御紹介にあずかりました東京大学社会科学研究所の中村と申します。
 本日、私があらかじめいただきましたテーマは、「EU憲法制定の動きと各国憲法」というものでございます。私は、イギリス憲法を中心に研究を始めまして、その後、研究をEU全体の法の制度というものに広げました。したがいまして、このようなタイトルをいただきましたことをまことに光栄に思いますとともに、いささかなりとも皆様の御参考になればと存じます。
 ただし、各国憲法の部分につきましては、私は、イギリス憲法を専攻していた関係上、ほかのヨーロッパの国々の憲法についてはいささかあいまいなところがございますので、その点はどうか御了承願いたいと思います。
 本日、私が申し上げたい意見は、大きく分けまして三つの部分に分かれております。
 まず、現在、EU憲法という言葉が使われておりますが、ヨーロッパ諸国でどのような論議が何のために行われているのかということを、ヨーロッパの文脈そのものに即して御説明するというのが第一の部分でございます。
 そして第二の部分は、これまでのEUの発展に伴って、それぞれの構成国の憲法がいかなる変化を来してきたか。逆に言うと、各国はEUをつくるためにどのように工夫をしてきたかという部分、これを語るのが第二の部分でございます。
 そして第三の部分は、このようなヨーロッパやヨーロッパ諸国の経験から私なりに考えました、日本に対する示唆がどのようなところにあるのかというところを、レジュメで申しますと「むすび」の部分でございますが、そこで若干お話ししたいと思います。
 レジュメでは、大きな柱の三番で、「EU憲法の制定に向けて 現在の論点」というのがございますが、これは第一の、現在何が論議されているかというところに織り込んで御説明をしたいと思います。
 それでは、まず最初の、現在EUでは、憲法という名前のもとで何が論議されているのかという点ですけれども、御存じのとおり、いわゆるEUと呼ばれるものは、一九九二年のマーストリヒト条約以降誕生したものでございます。それ以前はECという、ヨーロッパ共同体というものがあったにすぎません。
 それがEUになったのはどこに大きな違いがあるかというと、それは共通外交・安全保障政策を政府間協力の制度として法的に認知したという点が一つ、もう一つは、警察・刑事司法協力ないしは移民や難民の共同規制、こういった政策分野についても政府間の協力を法制度として確立したという点、そして、EC、共通外交、警察・刑事協力という三つの柱を一つに束ねるヨーロッパ首脳理事会ないし欧州首脳理事会と呼ばれるものを屋根のようなものとして三つの柱の上に置いたという点、このような制度づくりがきちんとしたというところにその特徴があります。
 ですので、現在EUと呼ばれているものは、既にあった経済共同体を中心としたECの柱に、やや異質の第二、第三の柱をつけ加えたという特殊な体制になっております。
 まず、その特殊な話をする前に、現在のEUが全体としてどれほどのことを扱うことができるのかという点を表にしたものがございますのでごらんいただきたいのですが、表1をごらんいただきたいと思います。
 この表1は左から右へと時間が流れているとお考えおきください。最も左側が設立当初の、EECだった時代の条約が管轄していた事項でございます。真ん中のあたりの「共同体の基礎」「共同体の政策」という大きな二つの柱に分かれていて、その中に、商品の自由移動、農業、人、サービス、資本の自由移動等々が書かれております。一見、明らかにこれは経済の共同市場をつくるという目的のもとに、その目的だけのために、いわば国家が限定的に権限を譲ったというふうなつくり方になっております。
 ところが、一番右側の現在のアムステルダム条約をごらんになりますと、その同じECの柱の中でも、例えば「共同体の政策」の上から四番目のところに「移民難民等、人の自由移動」というのが入っております。移民や難民は、少なくとも経済的な動機もあれば、政治的な迫害を受けて移る人等もありますので、必ずしも経済共同体という目的そのものに合致するものではなく、むしろそれを超えたものと言うことができるでしょう。
 それから、例えば、十一番から後、十二、十三、十四、十五というあたり、社会政策、教育、職業訓練及び若者に対する政策、文化政策、公衆衛生、消費者保護、環境、開発援助、このようなものになってまいりますと、純然たる経済共同体を超えて、一定の社会的価値を政策の中に織り込んで実現をするという政策領域になっております。したがって、ECの柱だけを見ても、九〇年代以降は急速にそれが政治、社会的な色彩を帯びた政策分野に広がっているということがわかります。
 さらにつけ加えて注目すべきなのは、先ほど申し上げた第二、第三の柱です。第二の柱の外交・安保は、九〇年代の、その表でいくと一番下の英語の文字でCFSPと書いてある部分でございますし、それから警察・刑事司法協力は、現在の言い方ではPJCCと呼ばれるものでございますが、こういったものがさらにつけ加わってくるということになりましたので、EU全体で見ますと、実は国民国家一カ国が担当する政策領域のほぼすべてを扱っていると言っても過言ではないかもしれません。もちろんすべてではございません。後で触れますが、非常に重要な部分が抜け落ちております。しかし、一見しますと、普通の国家が行いそうなことを大体は扱えるということになるほどになっております。
 それでは、そうはいいましても、EUは国家なのかというと、そうではございません。これは、先ほど申し上げた三つの柱に分かれて、それぞれ独自の統治のやり方をしておりますので、三つを束ねて一つのモデルで語るということはできないのです。
 最も歴史の古いEC、経済共同体から次第次第に広がってきたECだけを見ますと、これは確かに国家になぞらえ得るような部分を持ってはいます。例えば、独立の立法権をその条約の与えられた範囲内で持っていることは確かですし、そして独立の立法機関をやはり各国からは別個に持っているということも確かです。
 どのように立法がなされているかといえば、いわゆるコミッション、欧州委員会が提案をし、そしていろいろ手続がございますが、欧州議会、それから政府代表で構成する閣僚理事会で審議をして、最終的に法規を制定する、このような流れになっているわけです。その欧州委員会というのは、各国政府から完全に独立したものとして規範的に定められておりますし、欧州議会は、ヨーロッパ人民の選挙によって直接に、各国議会とは全く別個に選出されるものでございます。したがって、純粋にヨーロッパレベルの機関がこの手続の中に不可欠なものとして参加して、独立に行われるというふうになっているわけです。
 しかしながら、これは形の問題でございまして、実は、各国政府とECの間ではそのように簡単に役割が独立的に分担されているというわけではございません。同じ条約の中で、ECがすることができると書いてあっても、それがECだけができるという意味では必ずしもないからです。したがって、立法権がある程度独立にECにあるからといって、ECが完全に各国とは別個の統治体であるというふうに即断するわけにはいきません。
 非常にそこは微妙なところでございまして、表2を見ていただきたいのですが、実は、一口にECやEUに何らかの物事ができる管轄権があると申し上げても、それがだからといってEUやECだけができて、ほかのものができないということを意味するわけではないのです。むしろそれは逆でありまして、構成国が全面的にできるのが原則であって、例外的にEC・EUができるというのが現実でございます。
 その権限の配分方法を、これは法律の講学上、学問上の分類でございますが、そのものだけができるのを排他的権限、両方ともできるのを競合的権限というふうに大きく分けるとすると、EUが排他的に、つまりEUだけができる権限は思いのほか少ないのであります。
 それは、ECの柱でいえば、漁業資源保護の分野、それから共通通商政策の分野、あるいはこのごろ発足したユーロの管理運営に当たる通貨政策、これぐらいでございます。あとは、農業政策の部分で一部そういうものがございますが、原則として認められるのはせいぜいその程度でございまして、EUの第三の柱で共同機関として設立された警察の共同機関であるユーロポールの運営、これはその性質上各国ができないものでございますから、EUしかできないという分類になるわけですけれども、せいぜいこのくらいなんですね。
 むしろ、EU側もあるいは構成国側もできる、しかしEUが一たんそれについて全面的な立法権を行使したならば、それ以降は構成国は立法権が行使できないというふうになる部分がございまして、これが競合的権限の部分ですが、これが多いわけですね。そこに掲げましたような農漁業であるとか域内市場の自由移動、これは商品や資本、サービスの自由移動等でございますが、掲げられております。
 九〇年代になりますと、このような大ざっぱな分類にさらに加えて、構成国の権利をむしろ留保するために、補完的な権限という概念が恐らくできてきたと思われます。それはどういうことかと申しますと、一応政策項目としてEUが扱えるというふうに条約上書いてはあるんだけれども、しかし各国の法律を変えるような立法はできない、各国間の法の調和をするような立法はEUにはできないというふうにはっきり書いた、そういう条文が条約上入るようになりました。
 したがって、これは逆に申しますと、構成国があくまでも立法権限を留保しているのであって、EU・EC側にできることは、それに対する一定のガイドラインを提示すること、あるいはその立法をさらに促進するような援助措置をとることぐらいしかできない、そういうふうなものでございますので、この補完的という言葉は、EUから見て補完的という意味であります。そのような権限として、先ほど、九〇年代に特に入ってくるようになったと申し上げた、教育だとか文化だとか公衆衛生、こういった項目が掲げられていることになります。
 したがって、実質的に突き詰めて見てまいりますと、独立の立法権を持っているECといいましても、それは伝統的な経済共同体の確立のための立法範囲が中心でございまして、それを超えて社会的な価値、あるいは文化的な伝統の価値判断に深く立ち入るような政策領域になりますと、これはやはり構成国側の権限が原則として認められている、そういう分類になることになります。
 したがいまして、ECが独立の立法権を持つと申し上げても、今のような事情ですので、そのなせる範囲というものは常に各国の間の相互の交渉に任されているという部分が強く残ります。
 しかし、だからといって、では通常の国際機関と同じような交渉をしているのかといいますと、それは全く違う面もあります。それが、レジュメの最初にまた戻っていただきたいのですが、その真ん中あたりに書きましたEC法の特殊な性質の部分でございます。すなわち、対内的な部分ですけれども、そうはいっても、一たん法律としてできますと、このEC法規というのは構成国の法規との関係で非常に強い効力を持つことになります。それがいわゆる直接効と呼ばれるものです。ECの立法が、一定の条件がありますけれども、各国民に権利や義務を直接に発生させる効果というものを持ちます。
 そして、一たんそういった直接効を持ったEC法ができますと、今度は、それと抵触する国内法規があった場合にはEC法の方が常に優先をするという、EC法の優位性という原則もまたこれは判例で確立しております。
 こうなりますと、国内において、日常茶飯の民事や商事の事件の中にもEC法が絡まった事件が出てくることになりまして、それを国内の裁判所が裁くということになりますので、そこで先決裁定手続と呼ばれる特殊な手続が設けられております。これは、各国でEC法規を各国まちまちに解釈すると、法の統一的な適用ができないために、それを避けるための手続でありまして、各国の裁判所でEC法上の解釈問題や効力問題が生じた場合は、裁判所の裁量でEC裁判所へその事件を付託することができるというものであります。そして、国内の裁判所が最高裁の場合は、この付託が義務になっております。
 ですから、最終的には、いずれにせよ、EC法上の解釈問題や効力問題はEC裁判所が一手に解釈をするということになりますので、そこで法の統一的な適用や解釈が確保される、こういう制度なんですね。各国の裁判所は一回手続を停止しまして、EC裁判所の論点に関する判断を得た後にまた手続を再開して終局判決を導く、このような手続でもって法の統一的適用が確保される、こういうふうになっておりますので、一たんできた法律のその後の部分を見ますと、これは非常に統合的な法制度になっているということがわかります。
 しかしながら、ECの独自の統治というのはここまででございまして、ECの政策を法あるいはガイドライン等で実現していく行政の場面になりますと、これはほとんどの場合、構成国の政府の機関を通して実施をするということになりまして、EC独自の機関はほとんど持っておりません。競争法の場面でEC委員会、ヨーロッパ委員会が入ってくる程度でございます。
 したがって、実際には、立法するところにおいてECはいわば独立なのであって、それ以外の部分は各国に依存しながらやっていくというものになっております。ここもやはり普通の国家や連邦国家でのイメージとは違うものであろうと思います。
 第二、第三の柱になりますと、ましていわんやでございまして、立法の過程からして、実は構成国が非常に強力な影響力をまだ温存しております。すなわち、立法の提案において、欧州委員会のみならず、各国も実は提案権を持つというふうになっておりますし、それから、最後の審議の過程では、欧州議会は諮問的な立場にとどめられておりまして、むしろ、閣僚理事会、これは各国の政府代表ですが、彼らがほとんど全会一致で決めるというのが原則でございます。したがって、これは伝来的な国際組織の形をとどめた部分でもございます。そういうふうに言うこともできます。
 というわけで、このEUというものは、そもそも、これまで出てきた成果から考えても、一種、国家が扱うほどの大きな広がりを持った管轄権を持ってはいるのですけれども、しかしながら、現実の権力行使というものにおいては、要所要所で各国の制度に依存をしながら、あるいは各国の制度のチェックを受けながら行うというふうなものになっているということなのです。
 ですので、これを一足飛びに連邦国家ができる途中の体制であるというふうに評価をするのはやや即断であろうかと私は思うわけであります。むしろ、前代未聞の、非常に特異な実験途上のものである。それは国家になるのかもしれないけれども、そうでない可能性もまだたくさんある、そういうものにすぎないというふうに見るべきであろうと思います。
 ただ、いずれにせよ、この制度を使ってヨーロッパ大陸での悲惨な戦争が過去五十年間根絶されてきたというのは大きな成果でありますし、それから、夢にまで見たような一つの通貨ができて、現実に流通しているという多大なる経済的成果をもたらしたのもこのEC・EUの制度でございますから、これは、構成国が厳然として残っているというふうに単純にまた考えるのもおかしなわけでありまして、本当によくわからない中間的なものであるというふうに、むしろそのままお考えいただいた方がよろしいと思います。
 まさに、それゆえに、実はEU憲法という言葉でもって、現在のヨーロッパの人たちは、今自分たちが持っている統治体制がどんなものであるかを再確認しようとしているわけです。国家を超えた何らかの強力な統治体ではある、しかしそれは国家の上の国家ではない。ならば何か。しかし、その何かがわからないわけですね。それを語る言葉がないのです。ですから、とりあえず憲法という言葉を使っておいて、つまり人民の主権に由来する統治体制というものをヨーロッパレベルでも確保したいという願いが彼らの中にあるのです。ですので、そういった言葉を使いながら、しかし新しい事態を何らかの形で明確に説明するための言葉をつくりたいというのが、現在のヨーロッパ憲法のいわば願望を込めた運動であろうと私は考えております。
 ですので、レジュメの二枚目の大きな三番を見ていただきたいのですが、EU憲法の制定に向けての現在の論点として語られていることは、実は、例えば先ほど私が表2で御説明した、権限の配分をもっと明確化せよといった論点が挙がっております。それも、先ほど申し上げたような排他的とか競合的とか補完的とかいう概念を新たに導入して、明確化せよといった議論が出てまいりますし、それからもう一つは、各国議会が、ヨーロッパ議会とはまた別個に、どのような役割を果たすべきなのかということが議論の対象として挙がっております。
 そしてもう一つは、二〇〇〇年代に入って特にですけれども、人権の擁護というものを、やはりEC・EU独自のものをつくって、規範をつくって明確化すべきではないかという論調も強まっておりましたので、つい最近、基本権憲章というものが政治宣言として出されるに至っております。そこで、これを一歩さらに進めて、いわゆる国民国家の人権章典と同じように法的効力を持ったものに進めるべきではないかといったような議論がなされているわけです。
 このような議論は、それだけを見ますと確かに国民国家の憲法の制定過程に近づいているように見えるのですが、しかしその中には、各国そのものとか各国議会というのは厳然として残る、国際法上の主権主体として残るというふうな概念自体はありまして、したがって、いわゆる国づくりというのとはやはり違う論調であります。
 例えば、一つの象徴的な例を今の点で申し上げておきますと、国民国家の場合は、国民がだれであるかという定義があるわけですけれども、ヨーロッパの場合は、ヨーロッパ人がだれであるかという定義は、実は各国の国籍を持つ者ということになっています。ですから、各国がまずあって、プラスアルファでヨーロッパに属することによる権利というのが、特殊、もう一つつけ加わる、そういう発想なんですね。それを全部消してしまって、ヨーロッパ国というのができて、ヨーロッパ国国民とはこういうものであるというふうなことを言っているわけではありません。ですので、今ある論調というのは、常に各国があって、その上にプラスアルファとしての権利や利益の擁護体として何をつくるか、そういう議論であるということを御承知おき願いたいと思います。
 さて、以上のようなヨーロッパ憲法形成過程があったとしますと、それでは各国の憲法はどうであったかと申しますと、これはかなり、イギリスの場合ですけれども、重大な変化をもたらされております。
 例えばイギリスは、御存じのとおり議会主権という一つの大きな憲法原則を持っておりました。これは、議会というのは法的に無制限の立法権を持つというものです。それも常に持つという意味ですから、すべての会期の国会が持つということです。ですので、後の国会がつくった法律の方が前の国会がつくった法律に優先する、これは、後法が前法を覆すのはどの国にも共通したものがありますが、それを議会の主権で説明するわけです。
 これが国際の場面にも適用されまして、したがって、例えば、ある条約を締結し、それを批准した後に、議会がそれに反するような立法をした場合、その後の立法の方が当然に優先するというのが、簡単に言いますと議会主権の考え方でございました。
 しかし、そうしますと、直接効があるEC法は常に国内法に優先するという原則と衝突してしまうわけですね。一九八〇年のEC法があったとして、一九九〇年のイギリス法ができた。この場合、EC法の立場からすると、両者が抵触する場合は、必ず一九八〇年の方のEC法が優先しなければいけないわけです。しかし、議会主権から考えると、一九九〇年の国会の方がより新しい意思を持っているわけだから、こちらの方が優先しなくちゃいけないということになりますので、全く逆の結論になるわけです。
 現実にそういう問題を正面から取り上げるような事件が起きまして、その中で、イギリスの最高裁に当たります貴族院は、やや技巧的な判決ではありますけれども、一九七二年、これはイギリスがECに加盟する前の年ですけれども、そのときに国会の加盟するという議決が一応あって、そのときの意思が明文で覆されない限りは、後の国会の法の中にも当然に推定されるということを言ったんですね。
 ですので、明文でもってEUからイギリスが脱退すると言わない限りは、基本的にEC法の優位性というものを認めるということを言ったのと同じことになります。それはあくまでも国会の意思でやっているんだというふうに説明をするわけであります。
 説明の技巧性はともあれ、実質的には、加盟し続けている限りはEC法の優位性というものを承認せざるを得ないというところまで追い込まれておりますので、そうなりますと今度は、EC法が一種の憲法のような作用になりまして、EC法に反する国内法を裁判所が適用しないという場面まで出てくることになります。
 かつての議会主権の考え方では、議会だけが法律を改廃できるわけですから、裁判所がその適用をとめたり、あるいは無効を宣言したりということはおよそ考えられないことだったわけですが、しかし、EC法に反するという理由でもって国内法の適用を差しとめたりするということが可能になってき、実際それを行うようになってきているわけです。
 こういうふうになりますと、イギリスのいわゆる議会主権、国会主権の原則というのは、もう実質的に換骨奪胎されたと言っても過言ではないというのが私の見方でございます。
 行政や司法の面でどのような深い影響があったかと申しますと、まず行政面ですけれども、EC・EUの政策の実施主体として、いわば代行機関として各国の機関が活動することになりますので、実はこれまでイギリスの法律やあるいは制度運営上なかったような考え方を執行しなければならないというふうな場面が出てまいります。
 例えば、比例原則という言葉がございます。これは目的に比例した手段で、とりわけ私人の権利を侵害するような場合には、最小限の手段でそれを実施するといったような原則でございますが、イギリスの行政機関は、そういった新しいヨーロッパ大陸風の原則でもって自分の行政行為を統制していかなければならないというふうになりますし、それから逆に、行政の主体の方から立法案を提案したいというような場合に、イギリスの国会の側に、EC側からの情報を得ながらその法案を提起するといったような、影の準備過程での協力作用といったようなものがございます。
 司法過程におきましては、例えば国内法上、EC法の実効的な実現を妨げるようなものがあった場合、適用を排除するといった義務を課される場合があります。
 これはイギリスの事例ではなくてアイルランドの事例なんですけれども、国内の民法上の時効の規定がありまして、EC法上の権利を行使しようとした人が、国内法上の時効でもって権利の実現を阻まれるという事件がありました。これそのものでしたら何の問題にもならないんですが、実はたまたまEC法の国内的な実施をアイルランド政府が怠っておりまして、それゆえに事件の発生から時効が成立してしまうほど経過してしまった、そういう事件なんです。
 この場合、国内法上の時効の規定をそのまま適用するのは正義に反するとECの裁判所は申しまして、国内法上の時効の規定の適用をしてはならないという義務がむしろEC法上積極的に課されるというようなことを言いました。
 それから、イギリスの事例でいいますと、国会の立法の執行を差しとめるということは、国内の裁判所の権限としてはできないということになっていました。国王に対する差しとめと国王の家臣に対する差しとめというものは、コモンローの裁判所はできないというのが原則だったわけですけれども、これもEC法の実効的な実現を妨げる場合には適用されないとして、実際のところ、イギリスの制定法がEC法に反している場合、イギリスの制定法の方の適用を差しとめるといった事例まで出てまいりました。
 こういうわけで、立法、行政、司法のどの面を見ましても、実は深くその行為様式を変えなければならないほどのものになっているということは確かです。
 ただ、イギリスの場合、憲法が不文憲法ですので、こういった変化がはっきり市民の前にあらわれるわけではありません。これがわかるのは、やはり専門的な法律家だけであります。したがいまして、よその国と比べまして、イギリスがEUに属したことによって統治の根本的な決まりが変わっているという点について、国民と、それからそれがわかっている議会や議員やあるいは弁護士との間では、相当に相違があるというのが現実であります。
 よその国については、私は実は余り語る能力がございませんので省略させていただきたいと思いますが、以上のような経験から、一体何が日本の現在の状況に示唆を与えるものとして導けるかという点に最後に簡単に触れて、意見陳述を終わりたいと存じます。
 まず第一に、私は、このヨーロッパそのものの経験は、具体的な法制度の点では参考にならないところが多いと思います。しかし、もう少しレベルを抽象化して考えますと、経済がグローバル化して、相互依存関係が各国間で非常に深まってまいりますと、一カ国の規制、権限では、規制が十分に達成できないという問題状況がたくさん出てまいります。
 例えば、環境や資源保護などが最も簡単に挙がる事例であろうと思います。日本と隣国との間で、共同で漁業資源を保護するとか共同で環境の積極的な保護措置を実施するというふうに、何らかの形で国境を越えた協力でもって初めて実効的な政策が実現できるといった場面が今後ますますふえていくであろうと予測できますので、この点でEUがどのような制度をつくって実験をしているのかということを参照する、そういうレベルでまず一つの関連性を見出すことができると思います。
 私の個人的な関心で申し上げますと、いわゆる狂牛病、BSEの事件がありましたときに、ヨーロッパの諸国は、直ちに科学専門委員会を開きまして、イギリスで発生したBSEの全世界禁輸措置をとりました。そのことによって、病気が蔓延することを防ぎ、そしてその間、イギリスに多大な補助金を出しながら、その罹患牛の焼却処分を進めさせたわけです。
 例えば、こういった国境を越えて物品のリスクが広がるといった場合、各国同士が別個に、独立にやっていては、その抜け道を使ったリスクの蔓延というものがどうしても生じます。それを防ぐためにも、何らかの形で越境的な組織をつくって、そこで情報を収集して一気にやるといったような制度が求められる時代が恐らく近々来るであろうと私は思いますので、このような場合に、どのような制度をEUがつくってきたかということは参考になろうと思います。
 それからもう一つは、きょう私が申し上げたお話の中で強調したことですが、EUは、各国から浮かんで存在しているものではなくて、常に各国の制度とタイアップして存在しているというところからわかりますように、EUが法規範として出してきているものは、十分各国間で練り上げられた、討論で練り上げられた、いわば良識の最大公約数なわけです。
 ですので、そこから出てきたヨーロッパの公の秩序、公序ないしは規範感覚、規範価値といったものは、十分日本においても参考になるであろうと思います。これは、国際協調をうたった現在の日本国憲法の中においても、国際的なレベルでの議論を常に反映して統治に当たるという精神に合致するものでございますので、ヨーロッパの持ち出してくる公序というものは全く無視できないものがあろうと思います。
 時間になりましたので、後の質疑応答の場面でさらに意見をもし補足できたらと存じますが、以上で私の意見陳述を終わりたいと思います。拍手
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中川昭一#3
○中川小委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。
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中川昭一#4
○中川小委員長 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。近藤基彦君。
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近藤基彦#5
○近藤(基)小委員 自由民主党の近藤基彦でございます。
 中村参考人には、大変私が勉強不足なものですから、本当はもう少しお時間をいただいて意見をお聞きしたいと思うんですが、限られた時間でありますので、いろいろな条約を批准してきて今のEU法的なものが総体的にでき上がってきつつあるという深化の過程の中で、現実、加盟国が自分の国の憲法をそのEU法に合わせて改定したという具体的な部分はあるんでしょうか。
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中村民雄#6
○中村参考人 ございます。それは、例えばマーストリヒト条約を、これは九二年のEUを設立するときの条約ですが、批准するときのフランスが最もいい例だと思います。
 すなわち、いわゆるヨーロッパ市民権という概念をこのマーストリヒト条約は導入しまして、そこで、例えばある国の国民が別の国に移住をしてそこで住んでいた場合、その住んでいた自治体の選挙に出ることができる、あるいは投票することができるといった権利を認めたわけですね。これは、フランスの場合、フランスの統治はフランス国民によるということになっておりまして、市町村を含めてそうであるという解釈でしたので、憲法を改正せざるを得なくなりまして改正したという事例がございます。
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近藤基彦#7
○近藤(基)小委員 第二の柱の方は、きょう、多分時間がなくて余り突っ込んだお話がなかったように思うんですが、いわゆる安全保障という問題で、これはEU法の中でどういう規定になっていて、各国、集団自衛権を当然持っているんですが、EU法の中で照らすと、集団自衛権じゃなくて、EU内は、例えば、既にどこかの国がやられればそれは共同の自衛権なんだというところまで踏み込んでいるのかどうなのか、その辺、ちょっと具体的に教えてください。
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中村民雄#8
○中村参考人 第二の柱は、実は、安全保障、防衛問題と申しましても、集団的自衛権にまで立ち入るものではございません。EUはあくまでも人道的援助を行うという部分での任務にとどまっておるのでありまして、そういった軍事行動を伴った具体的な問題は、NATOであるとかあるいはかつてのWEUであるといった別の枠組みで実は語られることになっております。ですので、現在まで、EUとしての集団的自衛権というものを語る場面はございません。
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近藤基彦#9
○近藤(基)小委員 一番最初の原加盟国の構成を見ていますと、ベルギーあるいはルクセンブルクという原加盟国六カ国の、その当時のそういった共同体をつくろうとする動きの基本には、経済の共同体ですから、各国それぞれ自分の国のいわゆる利益的な部分を考えてなんだろうと思うんですが、例えば国力の違いとか、運輸、輸送力の違いとか、フランス、西ドイツとルクセンブルクを比べればかなりの差があったにもかかわらず参加をしていく。それぞれの思惑があるんでしょうが、なぜうまくこの六カ国が当初のEC共同体を組んでいけたのか、その辺の背景をちょっと教えていただきたいんです。
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中村民雄#10
○中村参考人 まず、ルクセンブルク、ベルギー、オランダといういわゆるベネルクス三国は、EECができる前に、既に経済共同体をつくろうとして関税同盟等の条約を締結しております。これはなぜかと申しますと、非常に国の規模が小さいということから、協力をして一定の規模を確保するというところにあったようです。とりわけ、ルクセンブルクの鉄をどういうふうに有効的に使うかという点で、隣の国と協力した方が得であるというのがどうやらあったようでございます。
 それがまずありまして、その後でEECの話ができてくるわけですが、これは独仏融和というのがやはり大きくその背景にあります。二度と戦争をヨーロッパ大陸の中で起こしてはならないという平和の決意もありましたし、それから、当時既に深まっておりました東西冷戦の状況がヨーロッパの一つの安定を保つための柱を要請していたというのがございますので、ベネルクス三国にとってもこの独仏融和は自国の安全保障のためには不可欠でしたし、さらには、より大きな経済単位に自分たちの国を入れることができるということになりますと、むしろより有利に経済交渉ができるということを意味していたと考えたのだろうと思います。
 フランスとドイツの間では、農業のフランス、工業のドイツというのが駆け引きを行いまして、条約を交渉するときにも、実は農業という部分が、商品の自由移動がすぐ後に出てまいりまして、そこで独仏はいわば取引をしたというふうに言われております。ルクセンブルク等は、それをさらに使うことによって、実質自分たちの経済版図を広げたというふうに解釈したと言われております。
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近藤基彦#11
○近藤(基)小委員 それならば、東西冷戦の中で、フランス、ドイツの融和という部分も含めて、安全保障に関して、経済だけではなくて、この時点から出てきても不思議じゃないのかなと思いますし、先ほどの話で、EU法の中では人道的な部分しかまだ語られていないということですが、ただ、NATO、北大西洋条約にしても、十九カ国加盟をしていますが、ヨーロッパ以外にはアメリカとカナダですが、それを排除しようとする動きがあるやに聞いてもいるんです。EUの中で、新たな、いわゆるヨーロッパだけの集団安全保障を考えようという動きがあるやに聞いておるんですが、それとEU諸国との関係というのは今現実全く論議をされていないんでしょうか。
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中村民雄#12
○中村参考人 現実にその論議はございます。
 それに入る前にちょっと歴史のお話をいたしますと、実際、御指摘のとおり、一九五〇年代、ちょうどEECができる前に、むしろ防衛共同体案というのがございました。ヨーロピアン・ディフェンス・コミュニティーが先に出てまいりまして、ディフェンスをつくる限りは、それを政治的に統制する共同体も必要だから、政治共同体をつくろうというお話がむしろ先に出てきていたんですね。ところが、その発起人であったフランスが実は議会の承認を得られませんで、その条約自体が立ち消えになってしまうというところから、それならばできる経済からやりましょうということで、五七年の経済共同体が出てくる。こういう経緯がございます。
 ですので、確かに、ヨーロッパは常に、EECの発足の当時から安全保障問題を背後に持っておりました。現代に至っても、その安保問題について、立場の相違を含めて激しい論議があることは確かです。NATOをあくまでも主体にして考えていくべきだという立場もあれば、そうではなくて、御指摘のとおり、ヨーロッパ独自の防衛力をむしろ強化すべきであるという立場もございます。
 しかし、現実問題としまして、既にある軍事設備の充実度、それから利用状況を考えますと、NATOの協力抜きで独自のヨーロッパの軍事力を持つということは不可能であろうと思うんです、今の状況では。ですので、やはり何らかの妥協を探るしかないと思います。
 したがって、論議は完全にクリアカットではありませんで、どうやればその二つの立場を融和できるか、そのあたりで進んでおるというふうに理解しております。
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近藤基彦#13
○近藤(基)小委員 時間ですので、ありがとうございました。
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中川昭一#14
○中川小委員長 山田敏雅君。
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山田敏雅#15
○山田(敏)小委員 山田敏雅でございます。きょうは、どうもありがとうございました。
 このEUの理想というものをちょっと考えてみるのですけれども、今おっしゃったように、ヨーロッパの恒久の平和を実現するにはどうすればいいかということなんですが、EUがやろうとしていることは地球の恒久的な平和につながっていくものだと思うんですね。
 国連という組織があったわけですけれども、過去五十年の歴史を見ると、地球の今のいろいろな紛争をとめる機能は不十分であった。連邦国家という考え方が述べられているんですけれども、単純に言うと二つあると思うんです。一つは、軍事力を一つの統治下に置くこと、もう一つは、国際紛争というか国家間の紛争を、強制力のある裁判制度、国際司法裁判所が今機能しておりませんけれども、この二つが恒久的な平和に持っていく大きなかぎだと思います。
 その点でちょっと御質問したいのですけれども、ヨーロッパの国家間の紛争、これについて、裁判制度をきちっとして、しかもそれが本当の強制力のあるものにしていこうというふうに、今度の憲法については向かっているのかどうか。
 もう一つは、軍事力、NATOの話が出ましたけれども、これを本当に各国の、例えばイギリス軍というのがなくなってNATO軍しかない、フランス軍というのもなくなって、EUの中の軍隊としてはEUの一つの軍隊しかない、各国は警察機構を主に扱う、こういう考え方があると思うんですけれども、それについて、そういう議論は進んでいるのかどうか、この二点について。
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中村民雄#16
○中村参考人 まず、ヨーロッパ国家間の紛争に対しての強制力ある裁判機構を整える議論があるかという問題ですが、EUに関しては、直接にはその議論はございません。これは、EUの目的そのものが、経済共同体から、それに付随した外交や刑事規制の問題に出ていったという歴史的な経緯がございますので、そこまで一足飛びに行かないというのが一つありますし、もう一つは、実は人権保障の点で、ヨーロッパ人権条約という全く別個の国際機構がございます。これは、人権という立場から、いわば国家の中の紛争で結果的に生じた人権侵害といったようなものを救済する機構として働いてまいりました。
 恐らく、最も先生の御関心に近いものとしては、国際刑事裁判所の設立という動きであろうと思います。しかし、これはむしろ全世界的な動きでございまして、ヨーロッパ特殊なものではございません。もちろん、ヨーロッパの多くの国はこの条約に署名し批准しようとしておりますので、したがって、大きな目で見れば、これが一つの共通の精神を持った流れであろうというふうには思いますけれども、きょう私がお話しした中の文脈で申しますと、残念ながら、ECとかEUとかいうコンテクストからこのお話が出てきたわけではございません。
 私自身も、御指摘のとおり、国家間の紛争に対する何らかの抑制的な機構が必要であるということは考えております。それをどのような形で実現するのがよいかというのは、実はまだ自分自身で考えが煮詰まっておりません。
 もう一つの、軍事力の点ですけれども、これも今申し上げたとおり、EUそのものがまだ人道的援助のレベルで終わっておりまして、それをもう少し進めて、いわゆる平和創出、ピースメーキングと彼らは言っておりますが、ピースキーピングではなくてピースメーキングの部分まで立ち入るというふうに、慎重ながら一歩を進めておりますので、少しずつではありますが、共同の、何らかの形の防衛力というものを考えつつあることは確かです。確かではあるのですが、あくまでも、まだ各国軍が主体の現状を維持しているという建前が続いております。
 ですので、今の段階でEU軍というものを考えるというところまでいくというのは、まだ話としてはないと思います。機能的に緊急対応部隊をつくるとかいった、局所局所の問題ごとの対症療法で実績を重ねていくというのはあり得ると思いますけれども、いわゆる原則論として軍隊を持つというところまで大きな議論をしている国はまだ少なかろうと思います。
 ですので、この問題は既存の安全保障機構の方の問題として議論されることが多いであろうと思います。
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山田敏雅#17
○山田(敏)小委員 私は、二十年ぐらい前なんですけれども、ジュネーブで、国連代表部というところで働いたことがあるんですけれども、そのときに、ECの代表の方と一緒にいろいろな交渉をやったのです。私の印象では、意思決定のメカニズムというか、非常に未発達な、だれがリーダーシップをとって、どんな理念に基づいて、何をやろうとしているのかというところが、これは余り機能しない組織じゃないかなと思ったのです。
 その後二十年ぐらい、少しずつ変わってきたのですけれども、今でも、これから先の、本当に理想の追求をするのであれば、今言いましたように、軍事力をEUだけじゃなくて、世界に広げて一つの軍事力、各国の軍隊をやめるという。
 もう一つは、国際間の紛争を本当に強制力を持って裁判ができる。これができないと、本当の意味の恒久的な地球規模の平和はできないと思うんですけれども、その辺の、EUの今の意思決定のメカニズムとかそういうものが、ちょっと私たちから見たらはっきりしないなと思います。
 時間がないので最後の質問ですが、我が国のことをちょっと考えてみるのですけれども、EUは経済共同体から出発したのですけれども、日本は今シンガポールと自由貿易協定をやったわけです。現実には、シンガポールと我が国の通商貿易問題はほとんどない、貿易量もほとんどない、農業問題もない、一番やりやすいということでやったのですね。次に韓国とやろうということで今やっているんですけれども、世界全体から見ると、日本の自由貿易圏というか、それをやろうとしている構想もかなりおくれているというか、孤立している。
 それに続いて、中国は、自由貿易機構というものをASEANとやろうとしているということなんですけれども、日本はこれから世界をリードして、世界の平和をつくっていこうということであれば、日米安保条約の枠組みから一歩外れて、そういう自由貿易圏の経済的なアジアの共同体を目指していくべきなのかどうか、この点について。
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中村民雄#18
○中村参考人 アジア共同体という言葉で何を考えるかにもよりますけれども、私自身の考えでは、まずは経済的な利益の問題の前に、アジアの各国がそれぞれの国だけで統治を実効的にもはやできない事態に直面しているという現実認識を共有することから始めないと、この話は進まないと思います。
 ですので、それは経済問題だけではございません。政治的な問題も含めて、とにかく一国ではとてもやっていけないから協力しましょうという、そういう気持ちがまず共有されて初めて、じゃ、どういう制度をつくりましょうかという話に進んでいくことになると思いますので、単純に自由貿易協定をたくさんつくっていって、いつの間にか共同体に近づくというふうな発想ではないだろうと思います。それがまず第一点申し上げたいことです。
 もう一つは、現実的な策として、自由貿易協定を一つ一つつくっていくというのもあながちおかしなことではないのですけれども、しかし、現在の貿易問題というのは常に経済以上のものを含んでいます。例えば、遺伝子組み換え食品の問題を一つ取り上げましても、それは商品という問題だけではないですね、人の健康に常に関係する問題ですので。そうすると、そういったものを個々別々の国と条約関係を結ぶということだけで議論が尽くせるかというと、そういうことはないわけです。やはり共通の場をつくって、きちんと話し合わなければならない、制度的な枠組みを要求する声というのは出てきますので。
 したがって、まずは、一国ではできないことは何なのか、そして、共通に共有できるような価値というのは何なのかというようなことを政治的に析出していく、だんだん明確化していくということが恐らく必要であろうというふうに思っています。
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山田敏雅#19
○山田(敏)小委員 時間が参りました。どうもありがとうございました。
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中川昭一#20
○中川小委員長 赤松正雄君。
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赤松正雄#21
○赤松(正)小委員 公明党の赤松正雄でございます。
 大変貴重な御意見、ありがとうございました。
 まず、先ほどのお話の中で、EU憲法制定の動きを連邦国家に向かっての途中のものと見るのは問題であって、いわば前代未聞の実験なんだという非常に印象的な言葉を発せられました。
 それに関連しまして、参考人が、法律時報のことしの四月号、「EC法からEU法へ」という論文をざっと読ませていただいたんですが、一番最後の結びの部分に、今と関連したこと、こうおっしゃっています。「連邦国家か国家連合かといった図式を捨て、規範像と実像の両面を見つめ、使う概念に国民国家の法秩序の説明概念としての暗黙の想定がまとわりついていないかを常に批判的に検証する、という徹底した態度が要請されている。」こうおっしゃっているんですが、要するに、古い概念というか言葉というものを余り使って考えちゃいけないということをおっしゃっているんですか。この辺のことについてもう少し詳しく教えてください。
    〔小委員長退席、平井小委員長代理着席〕
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中村民雄#22
○中村参考人 今伺いまして、私も、何でそう回りくどい言い方をしたのかがわからないんですけれども。
 簡単に申しますと、我々はやはり既成の概念にとらわれて議論をしているわけですね、憲法と聞くと国民国家があるものだというふうに。私は、そこで言いたいのは、憲法という同じ言葉を使っていても、それは、あるべき統治像を求めているというぐらいの意味であって、国家とか国民とか、そういった既成のものと結びつけないでほしいということを言っているんですね。
 先ほども申し上げましたが、ヨーロッパという一つのまとまりがあって、そこにEU憲法なるものがあったからといって、ではEU人というのがあるかというと、そういうふうにはならないわけで、常に何か新しいけれども違うという部分が残るわけですね。その部分を何か言葉化しなくちゃいけないんですけれども、まだ言葉がないんです。ですので、その言葉をつくるまでの間は、とにかくその言葉は使ってはいけませんということを自分でわかりながら使ってほしいという、矛盾しているんですけれども、そういう気持ちをそこでは申し上げたわけです。
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赤松正雄#23
○赤松(正)小委員 具体的に一つお伺いしたいんですが、要するに、今のEUの有力なメンバーであるフランス、ドイツあるいはイギリス、こういう構成する国家の間の物の考え方の違いということです。フランス、ドイツの方は、EU統合を一層推進して、国民国家で構成する連邦体として発展させるべきである、そういう立場に立っていると聞いているんです。一方、イギリスの方は、国家主権を維持しつつ統合を深化させると。
 どちらに力点を置くかということなんでしょうけれども、そういう国家主権の問題とEUの将来のあり方をめぐる加盟国間の深いギャップがあると言われているのですが、その辺についてはいかがなんでしょうか。
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中村民雄#24
○中村参考人 将来像について意見の一致がないのは確かです。ドイツとフランスの間でも微妙に違いがあると思いますので、連邦体であるか連合体であるかといった議論の中では酌み尽くせない微妙な差異であろうと思います。
 イギリスがとりわけ常に主張してきているのは、それぞれの国としての違いが制度としても反映しやすいようなものをつくってほしいということを言っているだけであって、彼らは別に、ひとり孤立をしたいとか、あるいはEUそのものをもっと緩めて、普通のもっと強制力の薄い国際組織に戻してほしいとか、そういうことを言っているのではないわけです。イギリスとしても、ヨーロッパなしでは現在の経済は成っていきませんし、政治的にも、世界的な大きな声を出すときにもヨーロッパをつけて発言した方が大きくなるというのはわかっておりますので、彼らが言っているのは、その中での差異というものをどこまで確保するかということだと思うんですね。
 これは何もイギリスに特殊な問題ではありません。例えばデンマークであるとか、あるいはスウェーデンであるとかアイルランドであるとか、それぞれの国が国家として譲れない部分というのは持っておりまして、そういった差異が多数決だけで押し切られるのは困る、そういう危惧を常に持っているわけですね。
 ですから、イギリスにいわば代表格として発言させているという部分がありまして、イギリス自体が求めているのは、統合の中の差異というのでしょうか、そういうものだと思います。ですので、イギリス自体が、将来的にできてくるであろう今よりも緊密な各国間の協力制度の中から脱落するというようなものではないと思います。
 ですので、深いギャップというのは、いわば将来像の制度設計においての意見の相違というぐらいの意味でありまして、根本的な理想の部分は共通していると思うんです。
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赤松正雄#25
○赤松(正)小委員 このEUの試みということを考えましたときに、ヨーロッパと非ヨーロッパというものを区別するというか、そういうものが非常に顕著にうかがえるのかなという感じがいたします。ヨーロッパにあの第一次大戦、第二次大戦という大変悲惨な戦争があった。それを二度と再び起こさないようにしようということが、ある意味で根底の突き動かすものとして存在しているということはわかるんですけれども、そういう中で、EUというまとまりを強調すればするほど、接触する外の世界とのそれこそ差異というものが非常に強調されてくるんじゃないのかなという感じがします。
 参考人も、「EU法秩序の理念と現実」「新たな「ヨーロッパの人々」を求めて」というくだりで、その辺の域内と域外の関係、域外に対しては、むしろ、同類の発想によって排他性を主張することになるということをおっしゃっておるわけです。
 そこで、例えば、これからEUの、今も少しずつ構成国がふえてきているわけですけれども、旧東ヨーロッパの国々とか、あるいは南の旧ユーゴスラビアのようなああいう地域との関係性ということを考えたときに、いわゆるヨーロッパ、EU域内で平和はあっても、接触する国々との関係の中において、むしろ、いろいろな意味でトラブルの種というか、そういうものがこれから起きてくる可能性があるのではないかな。
 例えば、近過去でいうとコソボ紛争、こういったことに対してEUの憲法制定の動きはどういう試練を受けたというか、そういう流れの中で、どういう議論の中で、どういう変化、影響を受けたのかどうか、そのあたりについてお聞きしたいと思います。
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中村民雄#26
○中村参考人 御指摘のとおり、EUのまとまりを強調すればするほど、ほかとの差異が出てくるというのは論理必然でございます。現実に、これは本当に悲惨な状況に既に陥っておりまして、EUの対外的な関係での移民政策や難民政策が、特に近時急速に非常に門が狭くなってきております。こういった問題一つとりましても、その違いというものが、外との関係での平和を保つものなのかという疑問を持たざるを得ません。これは私も全く同感です。
 しかしながら、公平のためにEUの中の方から見てまいりますと、コソボ紛争をきっかけにして、あのときEUとして何もできなかったという非常に悔悟の念が彼らにあります。したがって、例えば、先ほど申し上げた基本権憲章として、人権価値をどういうものを共有するのかを再確認して文書化する、あるいは第二の柱の、外交政策での行動手段を強化する、特定多数決を部分的にも導入して拡大するとか、それから、より拘束的な手段が使えるようにするとかといったような改正をしました。
 さらには、少なくとも身内の中での人権侵害国に対しては制裁をしようということでEU条約の改正がなされまして、アムステルダム条約、九七年の条約のときに、EUの構成国の中で人権侵害を重大に継続しながらやっているような国があった場合には、議決権の停止を含めて制裁を行うということが規定されました。それが近時のニース条約でさらに一歩進められまして、そういった十分重大な人権侵害がありそうな国、危険がある国もまたその制裁の対象になるというふうになってまいりましたので、少なくとも自分たちの中で悲惨なことをする国がないようにしようという自戒の念はまず来たと思うんですね。
 その後で、それでは、それが外との関係で公平に同様に保たれるかというと、ここは今後の課題ということだろうと思います。
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赤松正雄#27
○赤松(正)小委員 終わります。ありがとうございました。
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平井卓也#28
○平井小委員長代理 藤島正之君。
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藤島正之#29
○藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
 私も、考えていた以上によく進んだなという感じがするんですけれども、主権国家を残したままで共通通貨というのはそもそも可能なのかなというのから始まって、随分うまく統合化が進んでいると思うんです。
 さればとて、連邦国家モデルでは説明できない、特異な前代未聞の統治制度だということなんですが、今後もっと統合の内容がほかの分野にまでいくのか、もうこれが大体限界なんだと考えた方がよろしいんでしょうか。
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