政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
令和四年三月三十日(水曜日)
午後一時開会
─────────────
委員の異動
三月二十五日
辞任 補欠選任
上野 通子君 猪口 邦子君
清水 真人君 本田 顕子君
藤木 眞也君 石田 昌宏君
森屋 宏君 松山 政司君
山田 俊男君 藤井 基之君
水岡 俊一君 徳永 エリ君
三月二十八日
辞任 補欠選任
徳茂 雅之君 小川 克巳君
三月二十九日
辞任 補欠選任
藤井 基之君 藤木 眞也君
三月三十日
辞任 補欠選任
藤木 眞也君 こやり隆史君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 青木 一彦君
理 事
青山 繁晴君
今井絵理子君
北村 経夫君
勝部 賢志君
高瀬 弘美君
大塚 耕平君
清水 貴之君
委 員
有村 治子君
石田 昌宏君
猪口 邦子君
小川 克巳君
加田 裕之君
こやり隆史君
佐藤 正久君
滝沢 求君
鶴保 庸介君
比嘉奈津美君
藤木 眞也君
本田 顕子君
松山 政司君
山本 順三君
石川 大我君
徳永 エリ君
羽田 次郎君
森屋 隆君
吉田 忠智君
河野 義博君
宮崎 勝君
榛葉賀津也君
石井 苗子君
鈴木 宗男君
井上 哲士君
紙 智子君
伊波 洋一君
ながえ孝子君
国務大臣
外務大臣 林 芳正君
国務大臣
(内閣府特命担
当大臣(沖縄及
び北方対策)) 西銘恒三郎君
副大臣
内閣府副大臣 黄川田仁志君
外務副大臣 小田原 潔君
事務局側
第一特別調査室
長 岩波 祐子君
政府参考人
内閣府大臣官房
総合政策推進室
副室長 黒瀬 敏文君
内閣府政策統括
官 原 宏彰君
内閣府沖縄振興
局長 水野 敦君
外務省大臣官房
参事官 金井 正彰君
財務省大臣官房
審議官 彦谷 直克君
文部科学省大臣
官房審議官 出倉 功一君
厚生労働省大臣
官房審議官 大坪 寛子君
厚生労働省子ど
も家庭局児童虐
待防止等総合対
策室長 岸本 武史君
農林水産省農産
局農産政策部長 松本 平君
国土交通省大臣
官房審議官 石原 大君
─────────────
本日の会議に付した案件
○政府参考人の出席要求に関する件
○沖縄振興特別措置法等の一部を改正する法律案
(内閣提出、衆議院送付)
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この発言だけを見る →午後一時開会
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委員の異動
三月二十五日
辞任 補欠選任
上野 通子君 猪口 邦子君
清水 真人君 本田 顕子君
藤木 眞也君 石田 昌宏君
森屋 宏君 松山 政司君
山田 俊男君 藤井 基之君
水岡 俊一君 徳永 エリ君
三月二十八日
辞任 補欠選任
徳茂 雅之君 小川 克巳君
三月二十九日
辞任 補欠選任
藤井 基之君 藤木 眞也君
三月三十日
辞任 補欠選任
藤木 眞也君 こやり隆史君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 青木 一彦君
理 事
青山 繁晴君
今井絵理子君
北村 経夫君
勝部 賢志君
高瀬 弘美君
大塚 耕平君
清水 貴之君
委 員
有村 治子君
石田 昌宏君
猪口 邦子君
小川 克巳君
加田 裕之君
こやり隆史君
佐藤 正久君
滝沢 求君
鶴保 庸介君
比嘉奈津美君
藤木 眞也君
本田 顕子君
松山 政司君
山本 順三君
石川 大我君
徳永 エリ君
羽田 次郎君
森屋 隆君
吉田 忠智君
河野 義博君
宮崎 勝君
榛葉賀津也君
石井 苗子君
鈴木 宗男君
井上 哲士君
紙 智子君
伊波 洋一君
ながえ孝子君
国務大臣
外務大臣 林 芳正君
国務大臣
(内閣府特命担
当大臣(沖縄及
び北方対策)) 西銘恒三郎君
副大臣
内閣府副大臣 黄川田仁志君
外務副大臣 小田原 潔君
事務局側
第一特別調査室
長 岩波 祐子君
政府参考人
内閣府大臣官房
総合政策推進室
副室長 黒瀬 敏文君
内閣府政策統括
官 原 宏彰君
内閣府沖縄振興
局長 水野 敦君
外務省大臣官房
参事官 金井 正彰君
財務省大臣官房
審議官 彦谷 直克君
文部科学省大臣
官房審議官 出倉 功一君
厚生労働省大臣
官房審議官 大坪 寛子君
厚生労働省子ど
も家庭局児童虐
待防止等総合対
策室長 岸本 武史君
農林水産省農産
局農産政策部長 松本 平君
国土交通省大臣
官房審議官 石原 大君
─────────────
本日の会議に付した案件
○政府参考人の出席要求に関する件
○沖縄振興特別措置法等の一部を改正する法律案
(内閣提出、衆議院送付)
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青
青木一彦#1
○委員長(青木一彦君) ただいまから政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、水岡俊一君、清水真人君、山田俊男君、森屋宏君、上野通子君及び徳茂雅之君が委員を辞任され、その補欠として徳永エリ君、石田昌宏君、本田顕子君、松山政司君、猪口邦子君及び小川克巳君が選任されました。
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昨日までに、水岡俊一君、清水真人君、山田俊男君、森屋宏君、上野通子君及び徳茂雅之君が委員を辞任され、その補欠として徳永エリ君、石田昌宏君、本田顕子君、松山政司君、猪口邦子君及び小川克巳君が選任されました。
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青
小
小田原潔#3
○副大臣(小田原潔君) 外務副大臣の小田原潔であります。
政府開発援助等及び沖縄・北方問題について、林外務大臣を補佐し、外務副大臣としての職務を全うすべく、全力で取り組んでまいります。
青木委員長を始め、理事、委員各位の御支援と御協力を心からお願い申し上げます。
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青木委員長を始め、理事、委員各位の御支援と御協力を心からお願い申し上げます。
青
青
青木一彦#5
○委員長(青木一彦君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
沖縄振興特別措置法等の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、内閣府大臣官房総合政策推進室副室長黒瀬敏文君外九名を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
青
青
有
有村治子#8
○有村治子君 自由民主党の有村治子です。
質問の機会を賜りましたこと、また西銘大臣始め答弁準備に当たっていただきました政府各位の皆様に感謝を申し上げます。
二十五分という限られた時間でできるだけ多くの往来をしたいと思いますので、御答弁は本質を簡潔におまとめいただけますれば大変有り難く存じます。御協力を仰ぎます。どうぞよろしくお願いいたします。
早速本題に入ります。
いよいよ五月十五日には沖縄が本土に復帰してからちょうど五十年の節目を迎えます。戦中戦後に沖縄がたどった歩みに真摯に思いをはせ、半世紀続いてきた沖縄振興特別措置法等について、今日は沖縄が置かれた特殊な事情という歴史的側面に焦点を当てて質問をさせていただきます。
まず最初に、沖縄戦の戦禍について伺います。
七十七年前、さきの大戦末期におよそ三か月続いた沖縄戦では、筆舌尽くし難い戦禍があり、二十万人を超える方々がお亡くなりになっています。三か月で二十万人が帰らぬ人となっている。哀悼の思いを携え、謹んでお伺いをいたしますが、沖縄戦ではどのような属性の方々がどのくらい戦死されていらっしゃるのか、御説明ください。
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二十五分という限られた時間でできるだけ多くの往来をしたいと思いますので、御答弁は本質を簡潔におまとめいただけますれば大変有り難く存じます。御協力を仰ぎます。どうぞよろしくお願いいたします。
早速本題に入ります。
いよいよ五月十五日には沖縄が本土に復帰してからちょうど五十年の節目を迎えます。戦中戦後に沖縄がたどった歩みに真摯に思いをはせ、半世紀続いてきた沖縄振興特別措置法等について、今日は沖縄が置かれた特殊な事情という歴史的側面に焦点を当てて質問をさせていただきます。
まず最初に、沖縄戦の戦禍について伺います。
七十七年前、さきの大戦末期におよそ三か月続いた沖縄戦では、筆舌尽くし難い戦禍があり、二十万人を超える方々がお亡くなりになっています。三か月で二十万人が帰らぬ人となっている。哀悼の思いを携え、謹んでお伺いをいたしますが、沖縄戦ではどのような属性の方々がどのくらい戦死されていらっしゃるのか、御説明ください。
原
原宏彰#9
○政府参考人(原宏彰君) お答えをいたします。
沖縄戦における戦没者約二十万人の内訳について、沖縄県の資料では、一般県民が約九・四万人、沖縄県出身軍人軍属が約二・八万人、他の都道府県出身の兵隊さんが約六・六万人、米軍が約一・三万人とされているものと承知をしております。
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有
有村治子#10
○有村治子君 熾烈な戦闘、飢餓や混乱の中で、最も犠牲が多かったのは無辜の沖縄県民であり、次いで地元沖縄県出身の軍人軍属であられたことを心に刻みます。
同時に、沖縄県以外の四十六都道府県からも多くの兵士六万六千人が沖縄戦で散華をされており、沖縄以外で戦没者が最も多いのは、実は沖縄から最も離れた北海道でありました。私が調べた限り、どの都道府県においても数百人から数千人、北海道では一万人を超える沖縄戦の戦没者がおられます。戦争末期、国内最大の激戦地となった沖縄に文字どおり全国各地から兵士が集結されていた当時の様子が伝わってまいります。
続いて、外務省に伺います。
昭和二十年の終戦以降、独立国家としての主権を失った日本は、アメリカを始めとする戦勝国によって六年八か月のGHQの占領下に置かれました。当時、既に沖縄の戦略的重要性を認識していた連合国、とりわけアメリカやイギリスは、沖縄に対してどのような統治をすべきだと考えていたのでしょうか。また、イギリスやアメリカの方針に対し、当時の日本政府はいかなる対応を取ったのでしょうか。
この発言だけを見る →同時に、沖縄県以外の四十六都道府県からも多くの兵士六万六千人が沖縄戦で散華をされており、沖縄以外で戦没者が最も多いのは、実は沖縄から最も離れた北海道でありました。私が調べた限り、どの都道府県においても数百人から数千人、北海道では一万人を超える沖縄戦の戦没者がおられます。戦争末期、国内最大の激戦地となった沖縄に文字どおり全国各地から兵士が集結されていた当時の様子が伝わってまいります。
続いて、外務省に伺います。
昭和二十年の終戦以降、独立国家としての主権を失った日本は、アメリカを始めとする戦勝国によって六年八か月のGHQの占領下に置かれました。当時、既に沖縄の戦略的重要性を認識していた連合国、とりわけアメリカやイギリスは、沖縄に対してどのような統治をすべきだと考えていたのでしょうか。また、イギリスやアメリカの方針に対し、当時の日本政府はいかなる対応を取ったのでしょうか。
金
金井正彰#11
○政府参考人(金井正彰君) お答え申し上げます。
サンフランシスコ平和条約の交渉過程におきまして、沖縄の主権放棄といった厳しい内容を含みますイギリスの条約案がアメリカ側から内々示されたこともございました。これに対しまして、当時の吉田総理を始めとする日本側は、日米間の協議を踏まえて作成いたしましたアメリカ案の方がはるかに望ましく、アメリカ案の実現に努めてほしいと米国側に要望したわけでございます。
こうした経緯も踏まえまして、一九五一年九月にサンフランシスコで開催されました講和会議の場におきまして、ダレス米国全権代表が、沖縄等を含む北緯二十九度以南の南西諸島につきまして、連合国のこの意見の相違にもかかわらず、最善の方法は日本に残存主権を許すことである旨を述べまして、サンフランシスコ平和条約を締結するに至ったわけでございます。
我が国の吉田全権代表は、受諾演説におきまして、これら諸島に我が国の主権が残される旨の米国全権代表等の発言を了承する旨述べた上で、これらの諸島が一日も早く日本の行政の元に戻ることを期待する旨述べておられます。
この発言だけを見る →サンフランシスコ平和条約の交渉過程におきまして、沖縄の主権放棄といった厳しい内容を含みますイギリスの条約案がアメリカ側から内々示されたこともございました。これに対しまして、当時の吉田総理を始めとする日本側は、日米間の協議を踏まえて作成いたしましたアメリカ案の方がはるかに望ましく、アメリカ案の実現に努めてほしいと米国側に要望したわけでございます。
こうした経緯も踏まえまして、一九五一年九月にサンフランシスコで開催されました講和会議の場におきまして、ダレス米国全権代表が、沖縄等を含む北緯二十九度以南の南西諸島につきまして、連合国のこの意見の相違にもかかわらず、最善の方法は日本に残存主権を許すことである旨を述べまして、サンフランシスコ平和条約を締結するに至ったわけでございます。
我が国の吉田全権代表は、受諾演説におきまして、これら諸島に我が国の主権が残される旨の米国全権代表等の発言を了承する旨述べた上で、これらの諸島が一日も早く日本の行政の元に戻ることを期待する旨述べておられます。
有
有村治子#12
○有村治子君 すなわち、英国は、未来永劫、日本から沖縄をもう切り離す、主権を放棄させるという案を外交文書によると持っていた。そして、イギリスのそのような考えに対してアメリカは、半ば永続的に、永遠に沖縄を統治しようという考えも当時あったようでございます。その中で、せいぜい日本政府ができたのは、潜在主権ということでございました。
吉田茂首相が署名され昭和二十七年の四月二十八日に発効したサンフランシスコ平和条約によって、日本は晴れて主権を回復し、外交権を持つ独立主権国家として国際社会に復帰しました。今年は日本の主権回復からちょうど七十年という節目でもあります。私は、独立国家として、主権、すなわち自分の国の統治の在り方を自らが決め執行する権利の尊さをかみしめ、主権の存する私たち国民が主権を守り続けることの意義を確認することは極めて大事だと思っております。
と同時に、今御答弁ありましたように、七十年前、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権を回復したこの四月二十八日は、時を同じくして、沖縄及び鹿児島県奄美群島及び東京都小笠原諸島が本土の動きから留め置かれ、引き続き米国の支配下に置かれることが決定的になったという意味で、厳しくつらい側面を持ちます。同じ日本にあって国土を同じくする同胞として、このような悲しい分離があったこと、またこの日を屈辱の日として記憶にとどめておられる民意が沖縄にあることにも深く思いを致さなければならないと私自身思ってきました。
七十年前の四月二十八日、主権回復という日本にとって大事な悲願が達成された喜びがある一方で、この日を境に国土、国民の分離統治が確定したという悲しい側面があることについて、歴代の首相や日本政府はどのような留意をし、沖縄に向き合ってこられたのでしょうか。
この発言だけを見る →吉田茂首相が署名され昭和二十七年の四月二十八日に発効したサンフランシスコ平和条約によって、日本は晴れて主権を回復し、外交権を持つ独立主権国家として国際社会に復帰しました。今年は日本の主権回復からちょうど七十年という節目でもあります。私は、独立国家として、主権、すなわち自分の国の統治の在り方を自らが決め執行する権利の尊さをかみしめ、主権の存する私たち国民が主権を守り続けることの意義を確認することは極めて大事だと思っております。
と同時に、今御答弁ありましたように、七十年前、サンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権を回復したこの四月二十八日は、時を同じくして、沖縄及び鹿児島県奄美群島及び東京都小笠原諸島が本土の動きから留め置かれ、引き続き米国の支配下に置かれることが決定的になったという意味で、厳しくつらい側面を持ちます。同じ日本にあって国土を同じくする同胞として、このような悲しい分離があったこと、またこの日を屈辱の日として記憶にとどめておられる民意が沖縄にあることにも深く思いを致さなければならないと私自身思ってきました。
七十年前の四月二十八日、主権回復という日本にとって大事な悲願が達成された喜びがある一方で、この日を境に国土、国民の分離統治が確定したという悲しい側面があることについて、歴代の首相や日本政府はどのような留意をし、沖縄に向き合ってこられたのでしょうか。
原
原宏彰#13
○政府参考人(原宏彰君) お答えいたします。
一九七二年、沖縄復帰に当たりまして制定された沖縄振興開発特別措置法におきましては、先ほど先生から御質問ありました、沖縄がさきの大戦で文字どおり筆舌に尽くし難い被害を被ったこと、その後二十七年間にわたり米国の施政権下にあったことという沖縄の歴史的事情等に鑑み、長年にわたる本土との隔絶により生じた格差の是正等を図るために沖縄の振興開発のための各種措置を講じるということで法律の制定があったわけでございます。現行の沖縄振興特別措置法におきましても、この沖縄の特殊事情に鑑みまして、沖縄振興のための措置を講じているところでございます。
政府といたしまして、これらの法律に基づき、また沖縄の発展のため、様々に意を用いながら沖縄振興に取り組んできたものと考えてございます。
この発言だけを見る →一九七二年、沖縄復帰に当たりまして制定された沖縄振興開発特別措置法におきましては、先ほど先生から御質問ありました、沖縄がさきの大戦で文字どおり筆舌に尽くし難い被害を被ったこと、その後二十七年間にわたり米国の施政権下にあったことという沖縄の歴史的事情等に鑑み、長年にわたる本土との隔絶により生じた格差の是正等を図るために沖縄の振興開発のための各種措置を講じるということで法律の制定があったわけでございます。現行の沖縄振興特別措置法におきましても、この沖縄の特殊事情に鑑みまして、沖縄振興のための措置を講じているところでございます。
政府といたしまして、これらの法律に基づき、また沖縄の発展のため、様々に意を用いながら沖縄振興に取り組んできたものと考えてございます。
有
有村治子#14
○有村治子君 昭和二十七年に日本が主権を回復してからも、なおのこと二十年間沖縄では米国統治が続きました。この間、沖縄はいかなる法的地位にあり、内外においてはどのような立場に置かれたのでしょうか。
この発言だけを見る →金
金井正彰#15
○政府参考人(金井正彰君) お答え申し上げます。
ただいま御紹介いただきましたとおり、一九五二年、昭和二十七年四月に発効いたしましたサンフランシスコ平和条約におきまして沖縄に対する我が国の主権は残されることとなったわけでございますが、この条約の発効後もアメリカが沖縄の施政権を行使し、それに伴い、沖縄の住民の方々に日本国民としての権利も制約される面がございました。
例えば、日本国憲法は観念的には沖縄に施行されておりましたけれども、現実には米国が施政権を行使していたため、実効性を持って適用されることはなかったというふうに承知しております。具体的に申し上げますと、沖縄住民の方々は当時も引き続き日本国籍を有していたわけでございますが、本土を離れる際に、琉球列島米国民政府が発行いたします日本渡航証明書が必要であった等の制約があったと承知しております。
また、沖縄では、米国以外の国旗又は軍旗を政府庁舎等で掲揚することは基本的に禁止されておりましたほか、琉球船舶は船舶間の通信に利用される国際信号旗、旗でございます、旗を一部改変した特別の旗の使用が命じられていたといった事情もございまして、国籍不明船として拿捕される等の問題があったと承知しております。
この発言だけを見る →ただいま御紹介いただきましたとおり、一九五二年、昭和二十七年四月に発効いたしましたサンフランシスコ平和条約におきまして沖縄に対する我が国の主権は残されることとなったわけでございますが、この条約の発効後もアメリカが沖縄の施政権を行使し、それに伴い、沖縄の住民の方々に日本国民としての権利も制約される面がございました。
例えば、日本国憲法は観念的には沖縄に施行されておりましたけれども、現実には米国が施政権を行使していたため、実効性を持って適用されることはなかったというふうに承知しております。具体的に申し上げますと、沖縄住民の方々は当時も引き続き日本国籍を有していたわけでございますが、本土を離れる際に、琉球列島米国民政府が発行いたします日本渡航証明書が必要であった等の制約があったと承知しております。
また、沖縄では、米国以外の国旗又は軍旗を政府庁舎等で掲揚することは基本的に禁止されておりましたほか、琉球船舶は船舶間の通信に利用される国際信号旗、旗でございます、旗を一部改変した特別の旗の使用が命じられていたといった事情もございまして、国籍不明船として拿捕される等の問題があったと承知しております。
有
有村治子#16
○有村治子君 日本国憲法も適用されず、日本円も流通しない、国旗日の丸を掲揚することを禁じられ、その後も制約を受け、かといって米国の一部でもない、琉球国という国家が当時存在したわけでもない、まさに主権が発揮できない状態であり、国際的にも極めて不安定な立場を余儀なくされた沖縄でありました。
昭和四十年、佐藤内閣で佐藤首相が初めて米国統治下の那覇に飛び立たれ、沖縄の祖国復帰なくして日本の戦後は終わりません、この思いは日本国民全ての思いですということを演説された、まさにそれは当時の国民感情であったんだろうというふうに思います。
終戦から二十七年掛かりましたが、ともかくも、日米両国共に銃声を聞かれることもなく、ついに昭和四十七年、沖縄返還が実現しました。復帰の日、今日から日本人と教室の黒板に書かれた沖縄県内小学校の様子を当時の新聞は高揚感を持って伝えています。
そもそも、戦争に勝った国が負けた国の国土や国民を統治し、その後、両国の平和的な外交交渉によって本来の祖国に領土、主権、統治権が返還されるという事案は、国際社会、国際政治において間々あることなんでしょうか。時に起こり得ることなのか、ほかに似たような事例というのはあるものでしょうか。
この発言だけを見る →昭和四十年、佐藤内閣で佐藤首相が初めて米国統治下の那覇に飛び立たれ、沖縄の祖国復帰なくして日本の戦後は終わりません、この思いは日本国民全ての思いですということを演説された、まさにそれは当時の国民感情であったんだろうというふうに思います。
終戦から二十七年掛かりましたが、ともかくも、日米両国共に銃声を聞かれることもなく、ついに昭和四十七年、沖縄返還が実現しました。復帰の日、今日から日本人と教室の黒板に書かれた沖縄県内小学校の様子を当時の新聞は高揚感を持って伝えています。
そもそも、戦争に勝った国が負けた国の国土や国民を統治し、その後、両国の平和的な外交交渉によって本来の祖国に領土、主権、統治権が返還されるという事案は、国際社会、国際政治において間々あることなんでしょうか。時に起こり得ることなのか、ほかに似たような事例というのはあるものでしょうか。
金
金井正彰#17
○政府参考人(金井正彰君) お答え申し上げます。
沖縄返還時に当時の福田赳夫外務大臣が国会で御答弁されているとおりでございますけれども、戦争で失った領土に対します施政権、これが話合いで返ってきた、このようなことは史上まれなことであったと当時の福田外務大臣も答弁されておられると承知しております。
この発言だけを見る →沖縄返還時に当時の福田赳夫外務大臣が国会で御答弁されているとおりでございますけれども、戦争で失った領土に対します施政権、これが話合いで返ってきた、このようなことは史上まれなことであったと当時の福田外務大臣も答弁されておられると承知しております。
有
有村治子#18
○有村治子君 今の御答弁では、当時まれであったというふうに理解をしておりますが、通告のときに伺っている限りは、世界において最も外交をよく知っている外務省において、そのような事例はほかに承知していないという御答弁をいただいております。
すなわち、沖縄戦では米国側も一万二千人、先ほどの御答弁ですと一万三千人とありましたが、私が調べた自らのデータでは一万二千人を超える兵士の命をなくしています。戦火を交えて勝った国と負けた国ではそれぞれの戦没者遺族がおられ、全く異なる国民感情や歴史認識が出てきます。
戦争によって他国に占領された領土、とりわけ、その後の朝鮮戦争などもあり、沖縄の戦略的重要性を誰よりも理解している米国を相手にして行う返還交渉は、難易度が極めて高い国際交渉であったと思われます。事実、歴代の総理が沖縄返還の夢を胸に抱きつつも、佐藤栄作内閣が昭和四十七年に沖縄返還を実現するまでには長い年月を要しました。
では、なぜこれほどまでにハードルの高い沖縄の本土復帰が実現できたのでしょうか。
この発言だけを見る →すなわち、沖縄戦では米国側も一万二千人、先ほどの御答弁ですと一万三千人とありましたが、私が調べた自らのデータでは一万二千人を超える兵士の命をなくしています。戦火を交えて勝った国と負けた国ではそれぞれの戦没者遺族がおられ、全く異なる国民感情や歴史認識が出てきます。
戦争によって他国に占領された領土、とりわけ、その後の朝鮮戦争などもあり、沖縄の戦略的重要性を誰よりも理解している米国を相手にして行う返還交渉は、難易度が極めて高い国際交渉であったと思われます。事実、歴代の総理が沖縄返還の夢を胸に抱きつつも、佐藤栄作内閣が昭和四十七年に沖縄返還を実現するまでには長い年月を要しました。
では、なぜこれほどまでにハードルの高い沖縄の本土復帰が実現できたのでしょうか。
金
金井正彰#19
○政府参考人(金井正彰君) お答え申し上げます。
一九七二年にアメリカによる沖縄の施政権返還が実現したことは、その時々の政権による様々な外交努力に加えまして、沖縄県民を始めとする全国民が戦後四半世紀にわたって抱き続けてきた悲願、当時の佐藤総理のお言葉を借りれば、民族的な悲願、これを達成するための努力によるものであるというふうに考えております。
同時に、まさしく、当時佐藤栄作総理大臣が演説されておられますけれども、沖縄の施政権返還という日米両国の合意は、四半世紀にわたる日米両国の友好と信頼、理解と協力があって初めて達成された成果であったと考えております。
この発言だけを見る →一九七二年にアメリカによる沖縄の施政権返還が実現したことは、その時々の政権による様々な外交努力に加えまして、沖縄県民を始めとする全国民が戦後四半世紀にわたって抱き続けてきた悲願、当時の佐藤総理のお言葉を借りれば、民族的な悲願、これを達成するための努力によるものであるというふうに考えております。
同時に、まさしく、当時佐藤栄作総理大臣が演説されておられますけれども、沖縄の施政権返還という日米両国の合意は、四半世紀にわたる日米両国の友好と信頼、理解と協力があって初めて達成された成果であったと考えております。
有
有村治子#20
○有村治子君 戦後の米国統治下における数々の苦難にも向き合いながら、日本の本土復帰に向け長年にじむような努力を重ねられた沖縄の方々の強い意思があり、沖縄戦で親族を亡くされた全国の御遺族を始め多くの国民が沖縄に心を寄せ続けられ、歴代の政権が匍匐前進を続けられ、粘り強い国際交渉によってついに成し遂げられた沖縄の本土復帰は、文字どおり国民的悲願でありました。立場や地域は、役割は違えども、復帰実現に向けてそれぞれの持ち場で尽力された先達の判断は、復帰後半世紀を経る今もなお歴史の評価に堪えており、現在の沖縄の基盤になっています。
沖縄が晴れて本土に復帰かなって、四十七都道府県全てに主権、施政権が日本に戻った五月十五日の歴史的意義を考えると、沖縄の本土復帰は、実は沖縄だけが向き合うローカルイベント、一地域の記念行事という位置付けではなく、本来であればもう少し国全体で大事に記憶されるべき歴史であり、まさに人々がきずなと望みを紡いで実現した我が国の歩みだと考えております。
平成二十五年、主権回復・国際社会復帰六十年を記念して開催された政府式典には、当時の天皇皇后両陛下の御臨席があった一方、当時の仲井眞沖縄県知事は、知事御自身ではなく副知事を代理出席されるという政治判断によって沖縄の複雑な気持ちを代弁されています。
ゆえ、令和の時代となった今、沖縄が復帰かなって五十年を記念するこの五月の式典にこそ、国民統合の象徴であられる天皇陛下の御臨席がかなうことが肝だと私は考えてきました。昨年十二月の参議院本会議において、記念式典は日本政府として最高位の真心を持って開催していただきたいと訴えたゆえんでございます。この度、岸田政権が沖縄に思いをはせる誠意として、天皇皇后両陛下の御臨席を調整され、正式発表されたことに心からの敬意と共感を申し上げます。
そこで、記念式典に向けて御尽力くださっている西銘大臣に伺います。
五月十五日に予定されています沖縄本土復帰五十年の記念式典に天皇皇后両陛下がオンラインで御臨席をされることになった意義及びその背景、意図をお聞かせください。
この発言だけを見る →沖縄が晴れて本土に復帰かなって、四十七都道府県全てに主権、施政権が日本に戻った五月十五日の歴史的意義を考えると、沖縄の本土復帰は、実は沖縄だけが向き合うローカルイベント、一地域の記念行事という位置付けではなく、本来であればもう少し国全体で大事に記憶されるべき歴史であり、まさに人々がきずなと望みを紡いで実現した我が国の歩みだと考えております。
平成二十五年、主権回復・国際社会復帰六十年を記念して開催された政府式典には、当時の天皇皇后両陛下の御臨席があった一方、当時の仲井眞沖縄県知事は、知事御自身ではなく副知事を代理出席されるという政治判断によって沖縄の複雑な気持ちを代弁されています。
ゆえ、令和の時代となった今、沖縄が復帰かなって五十年を記念するこの五月の式典にこそ、国民統合の象徴であられる天皇陛下の御臨席がかなうことが肝だと私は考えてきました。昨年十二月の参議院本会議において、記念式典は日本政府として最高位の真心を持って開催していただきたいと訴えたゆえんでございます。この度、岸田政権が沖縄に思いをはせる誠意として、天皇皇后両陛下の御臨席を調整され、正式発表されたことに心からの敬意と共感を申し上げます。
そこで、記念式典に向けて御尽力くださっている西銘大臣に伺います。
五月十五日に予定されています沖縄本土復帰五十年の記念式典に天皇皇后両陛下がオンラインで御臨席をされることになった意義及びその背景、意図をお聞かせください。
西
西銘恒三郎#21
○国務大臣(西銘恒三郎君) 本年五月の沖縄復帰五十周年記念式典については、復帰から五十年という重要な節目に、国民全体で復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すとともに、沖縄の魅力や可能性を国内外に発信するため開催するものであります。
この式典については、ただいま申し上げた開催趣旨や沖縄県を始めとする地元の御要望等を踏まえ、東京都と沖縄県のそれぞれに会場を設けた上で、両会場をオンラインで結ぶ形で開催することとしております。
政府としましては、東京都、沖縄県、いずれの会場についても同様に重要と考えているところであります。この式典の開催趣旨やただいま申し上げた両会場の位置付けも踏まえ、天皇皇后両陛下にはオンラインによる御臨席を賜ることとなったものであります。なお、開催趣旨等を踏まえ、岸田総理には沖縄会場に御参列いただくことを予定しており、私も沖縄会場に参列する予定であります。
以上です。
この発言だけを見る →この式典については、ただいま申し上げた開催趣旨や沖縄県を始めとする地元の御要望等を踏まえ、東京都と沖縄県のそれぞれに会場を設けた上で、両会場をオンラインで結ぶ形で開催することとしております。
政府としましては、東京都、沖縄県、いずれの会場についても同様に重要と考えているところであります。この式典の開催趣旨やただいま申し上げた両会場の位置付けも踏まえ、天皇皇后両陛下にはオンラインによる御臨席を賜ることとなったものであります。なお、開催趣旨等を踏まえ、岸田総理には沖縄会場に御参列いただくことを予定しており、私も沖縄会場に参列する予定であります。
以上です。
有
有村治子#22
○有村治子君 大臣、ありがとうございます。
沖縄の会場も大事、また日本ということでの東京の会場も、両方にオンラインで陛下がお言葉を賜れるというふうな背景であることを確認をさせていただきました。
資料一を御覧くださいませ。現在、政府、各省庁では沖縄復帰五十年の各種記念事業を検討されているようでございますが、既に財務省からは記念硬貨の発行が発表をされています。その意義や意図を御説明ください。
この発言だけを見る →沖縄の会場も大事、また日本ということでの東京の会場も、両方にオンラインで陛下がお言葉を賜れるというふうな背景であることを確認をさせていただきました。
資料一を御覧くださいませ。現在、政府、各省庁では沖縄復帰五十年の各種記念事業を検討されているようでございますが、既に財務省からは記念硬貨の発行が発表をされています。その意義や意図を御説明ください。
彦
彦谷直克#23
○政府参考人(彦谷直克君) お答えいたします。
記念貨幣は国家的な記念事業として閣議の決定を経て発行するものであり、このうち金貨につきましては、これまで皇室の御慶事を始め、広く国民的、国家的な意義を有する特に重要な行事について発行しております。
沖縄の本土復帰は、沖縄県民、そして国民全体の悲願で、まさに国家的事業として実現したものでございます。その五十周年の節目である本年は、沖縄の本土復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すとともに、沖縄の魅力や可能性を内外に発信する極めて重要な機会であり、今回は、銀貨に加えて金貨を発行することといたしました。
今回の記念貨幣につきましては、一万円金貨は純金製で首里城正殿と琉球舞踊の演目である四つ竹を図柄としており、千円銀貨は純銀製で首里城正殿と沖縄の県鳥ノグチゲラ及び県花デイゴを図柄としています。また、それぞれの裏面には沖縄の伝統的な染物である紅型をデザインしているところでございます。
この発言だけを見る →記念貨幣は国家的な記念事業として閣議の決定を経て発行するものであり、このうち金貨につきましては、これまで皇室の御慶事を始め、広く国民的、国家的な意義を有する特に重要な行事について発行しております。
沖縄の本土復帰は、沖縄県民、そして国民全体の悲願で、まさに国家的事業として実現したものでございます。その五十周年の節目である本年は、沖縄の本土復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すとともに、沖縄の魅力や可能性を内外に発信する極めて重要な機会であり、今回は、銀貨に加えて金貨を発行することといたしました。
今回の記念貨幣につきましては、一万円金貨は純金製で首里城正殿と琉球舞踊の演目である四つ竹を図柄としており、千円銀貨は純銀製で首里城正殿と沖縄の県鳥ノグチゲラ及び県花デイゴを図柄としています。また、それぞれの裏面には沖縄の伝統的な染物である紅型をデザインしているところでございます。
有
有村治子#24
○有村治子君 当時、分離された奄美、小笠原が日本に、本土に復帰したときにも硬貨が発行されているというふうに理解をいたしております。そのときには銀貨が発行されたと理解をしておりますけれども、今回、五十周年ということで国民的な大事な行事として金貨が発行されるということを理解をいたしております。
復帰から五十年を経た今の時代、記憶の風化もありまして、残念ながら必ずしも国民的な認知度が高いわけでもない沖縄復帰の国民的、歴史的な意義について、より多くの世代や地域の方々にも認知を広げ、五十年を節目にして将来的な真の沖縄振興につなげていくことが大事だと考えています。
資料二を御覧ください。昨年春開催された超党派の議員連盟、新たな国立公文書館の建設を実現する議連においては、私は、沖縄復帰五十年を記念し、政府が保有する沖縄復帰前後の外交文書などの公文書を一挙に公開する特別展示を検討していただきたい旨提案をしておりましたが、せんだって、この企画を実現する方向だと内閣府からお電話をいただきました。議連における提案を文字どおり前向きに検討され、一年後、実現に向けて奔走くださった政府各位の御尽力に感謝をいたします。
そこで、国立公文書館における沖縄復帰五十年記念特別展の意図や特徴をお聞かせください。
この発言だけを見る →復帰から五十年を経た今の時代、記憶の風化もありまして、残念ながら必ずしも国民的な認知度が高いわけでもない沖縄復帰の国民的、歴史的な意義について、より多くの世代や地域の方々にも認知を広げ、五十年を節目にして将来的な真の沖縄振興につなげていくことが大事だと考えています。
資料二を御覧ください。昨年春開催された超党派の議員連盟、新たな国立公文書館の建設を実現する議連においては、私は、沖縄復帰五十年を記念し、政府が保有する沖縄復帰前後の外交文書などの公文書を一挙に公開する特別展示を検討していただきたい旨提案をしておりましたが、せんだって、この企画を実現する方向だと内閣府からお電話をいただきました。議連における提案を文字どおり前向きに検討され、一年後、実現に向けて奔走くださった政府各位の御尽力に感謝をいたします。
そこで、国立公文書館における沖縄復帰五十年記念特別展の意図や特徴をお聞かせください。
黒
黒瀬敏文#25
○政府参考人(黒瀬敏文君) お答え申し上げます。
国立公文書館では、アメリカ統治下の時代の資料を含めまして、歴史資料として重要な公文書等を保存、管理しております。沖縄復帰五十周年に当たる本年、公文書を通して沖縄の本土復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すべく、琉球大学の高良名誉教授の監修の下、沖縄県公文書館とも連携をして、戦後の沖縄の歩みと日本政府の沖縄に関する政策を紹介する特別展を開催することとしたものでございます。
内閣府といたしましても、今回の特別展は時宜を得た大変意義深いものであると認識をしておりまして、多くの方に御覧をいただくことで、沖縄の日本復帰とその後の歩みについて知る機会としていただくとともに、歴史的な公文書を後世に残す意義についても関心を持っていただければというふうに考えているところでございます。
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内閣府といたしましても、今回の特別展は時宜を得た大変意義深いものであると認識をしておりまして、多くの方に御覧をいただくことで、沖縄の日本復帰とその後の歩みについて知る機会としていただくとともに、歴史的な公文書を後世に残す意義についても関心を持っていただければというふうに考えているところでございます。
有
有村治子#26
○有村治子君 西銘沖縄北方担当大臣は、御自身が米国統治下の沖縄に生まれ育たれ、沖縄返還前後における社会の激変を自ら経験されていると思います。国立公文書館の沖縄復帰五十年記念特別展には若宮公文書館管理担当大臣とともに是非御参加を検討いただきたい、そして引き続き沖縄応援団の最前線で御活躍をいただきたいというふうに御提案を申し上げます。
沖縄本土復帰から五十年を経た今、沖縄における世論の分断にただならぬ関心を寄せ注力をしている人たちの一部は、実は海外の勢力だったりもいたします。世論に対する分断工作は、現下のウクライナ危機においても危機感が高まっている典型的な認知影響工作に該当します。政府におかれては、この点も引き続き御留意をいただきたいと思います。
沖縄がたどった歴史に思いをはせ、今後も主体性を持って花開く沖縄の真の振興、発展に温かいきずなと真の共感を寄せられる国民世論が熱くなることを念じております。
今日の議論を聞いていただいて、西銘大臣の当事者としての、また五十年後に担当大臣になられているその本当に巡り合わせも含めての決意をお聞かせいただきたいと思います。
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沖縄がたどった歴史に思いをはせ、今後も主体性を持って花開く沖縄の真の振興、発展に温かいきずなと真の共感を寄せられる国民世論が熱くなることを念じております。
今日の議論を聞いていただいて、西銘大臣の当事者としての、また五十年後に担当大臣になられているその本当に巡り合わせも含めての決意をお聞かせいただきたいと思います。
西
西銘恒三郎#27
○国務大臣(西銘恒三郎君) 私の世代も、この場におられる伊波洋一委員、比嘉奈津美委員も、米国のドルを高校卒業ぐらいまで使って生活をしておったものであります。五十年の節目に本当に、沖縄担当の大臣として今、有村委員御指摘のように、この場に立っていることに非常に感慨深いものと同時に、責任の重さを痛感しております。
今のお話を聞きながら、改めて気合を込めて、沖縄振興五十年の節目に、これから更に一歩一歩確実に期待に応えていかなければならないなという思いを強くしているところであります。ありがとうございます。
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有
有村治子#28
○有村治子君 西銘大臣の御活躍を念じ、現在の岸田総理も初入閣をされたのは沖縄北方担当大臣でございました。その巡り合わせも偶然ではないというふうに信じております。ますますの御活躍を念じて、また、沖縄の真の振興と発展に心を合わせられる、そういう動きが大きくなることを願って、私、自由民主党、有村治子の質問を終わります。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →ありがとうございました。
今
今井絵理子#29
○今井絵理子君 本日はよろしくお願いいたします。自由民主党の今井絵理子です。
本日は、沖縄振興特別措置法等の一部を改正する法律案についてお伺いいたします。
先ほど有村委員も触れていましたが、沖縄は本年、本土復帰から五十年を迎えます。これを節目に更なる沖縄の発展が期待されるところです。
そこで、まず初めに、子供の貧困問題についてお伺いいたします。
沖縄県の県民意識調査によると、最も取り組むべき課題として、基地問題を抑えて一番多かった声が子供の貧困問題でした。平成二十八年度より、子供の貧困緊急対策事業として六年間にわたり支援員の配置や居場所づくりを行うなど、国も対策を講じてまいりました。今国会で提出されている沖縄振興特別措置法の改正案にも子供の貧困対策を努力義務とすることが盛り込まれることなど、一刻も早い問題解決が望まれるところです。
そこでまず、沖縄の子供の貧困に関する問題の所在と現状について大臣の基本認識をお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →本日は、沖縄振興特別措置法等の一部を改正する法律案についてお伺いいたします。
先ほど有村委員も触れていましたが、沖縄は本年、本土復帰から五十年を迎えます。これを節目に更なる沖縄の発展が期待されるところです。
そこで、まず初めに、子供の貧困問題についてお伺いいたします。
沖縄県の県民意識調査によると、最も取り組むべき課題として、基地問題を抑えて一番多かった声が子供の貧困問題でした。平成二十八年度より、子供の貧困緊急対策事業として六年間にわたり支援員の配置や居場所づくりを行うなど、国も対策を講じてまいりました。今国会で提出されている沖縄振興特別措置法の改正案にも子供の貧困対策を努力義務とすることが盛り込まれることなど、一刻も早い問題解決が望まれるところです。
そこでまず、沖縄の子供の貧困に関する問題の所在と現状について大臣の基本認識をお伺いしたいと思います。