高柳賢三 に関する国会発言

← 検索ページへ

96件  /  5ページ  /  1 ページ目

2001-12-06 中曽根康弘 憲法調査会 衆議院

○中曽根委員 私は、昭和二十二年の、新しい今の憲法が施行されました第一回国会からこの国会に出席させていただいております。言いかえれば、憲法と同じように歩んできて、憲法のもとに政治家として成長した者でありますが、今日の事態におきまして、政治と憲法というものがどういう関係にあり、どうすべきか、そういう観点から申し上げてみたいと思うのであります。  歴史の流れと申しますか政治の流れと申しますか、いずれも生命力があるものであり、おのおの光と影

2000-05-11 東中光雄 憲法調査会 衆議院

○東中委員 日本共産党の東中光雄でございます。  日本国憲法の制定経緯等に関する参考人十人の発言がございました。私は、その発言、経緯についての調査が十分やられたとはちょっと言いにくいわけでありますけれども、結論的には、参考人の意見で、日本国憲法は制定経緯に照らして無効だという無効論を言うた人はだれもいなかった。そして、むしろ無効ではない、あるいは有効だ、あるいは無効論は既に決着が済んでいるというふうに言ったことは、この要約、「発言の要

2000-04-20 天川晃 憲法調査会 衆議院

○天川参考人 御紹介いただきました天川でございます。  私は、日本国憲法の制定の経緯について、全般的な問題ではなく、第八章の「地方自治」を中心に話をしたいと思います。  日本国憲法と大日本帝国憲法、以下明治憲法と申しますが、これを形式的に比較いたしますと、日本国憲法になって新しくつけ加えられた章が幾つかあります。第二章の「戦争の放棄」については最もよく知られている新しい章でありますが、第八章の「地方自治」もその一つであります。  

2000-04-06 進藤榮一 憲法調査会 衆議院

○進藤参考人 御紹介いただきました進藤でございます。  歴史の節目に当たります、戦後五十五年目になるんでしょうか、二〇〇〇年、新世紀の出発点に当たって、国のあり方を規定した日本国憲法自体のあり方を議論する会に招請されましたことを大変光栄に存じます。  私、一九四六年に小学校一年生、ちょうど憲法が生まれたときに私もまた新制小学校に入ったという経緯がございまして、私どもの世代にとっては、憲法というのは、いわば人生の歩みとともに展開してき

2000-02-24 青山武憲 憲法調査会 衆議院

○青山参考人 青山でございます。  日ごろテレビでしかお目にかからないお顔を拝顔いたしまして、少しく緊張しております。緊張いたしますと、私は、日本語が出てこなくなったり、少しく論理がおかしくなることがございますが、その点、御寛恕をいただきたいと思います。  きょう、霞ケ関の駅をおりまして少しく感じたことですが、二・二六事件というのが間もなく迫ってまいりました。今、首相官邸をだれかが襲って、閣議中であってみんな死んだら憲法上どうなるん

2000-02-24 保岡興治 憲法調査会 衆議院

○保岡委員 政府の憲法調査会の会長であった高柳賢三氏が、マッカーサーから書簡をいただいたというような証言をしているようでございますが、その点に関し、マッカーサーが憲法制定当時、自衛権を含むかどうかという点についての憲法の審議の過程における認識を表明しているかに聞いているのですが、いかがでございましょうか。

1999-07-16 吹浦忠正 内閣委員会 衆議院

○吹浦参考人 ただいま委員長から御紹介いただきました、長野オリンピックの儀典アドバイザーをしておりました吹浦でございます。  私は、我が国の国旗・国歌を法的に明確にすべきであるという立場から、まずもってこの国旗・国歌法案に賛成であるということを申し上げ、参考人としての公述をしたいと存じます。  国旗・国歌は、国の公式制度の主要なものとして、きちんとした形で整備すべきであるというのが私の基本的な考えでございます。今お話もしたように、私

1986-03-25 秦野章 法務委員会 参議院

○秦野章君 もちろん理由はあるわけでしょうが、問題は、その実体的な判断の問題だと思うんですよね。私はそういう感じを持つわけです。  それから最後に、これは私の問題提起として、ひとつ法務省で検討してもらいたい。余りだれも言っていないものだから、これは間違っているかどうかわからぬけれども、意外に思うかもしらぬが、岡村君にしても根來君にしても、その世界でやってきた人には、特に検察の方には検察一体の原則というのは戦前からずっと今日に至る不文憲

1982-12-23 中曽根康弘 予算委員会 参議院

○国務大臣(中曽根康弘君) それだけではなくしていろいろな内容がございます。しかしその点もあるんです。  あの当時憲法調査会におきまして制定手続に関する小委員会というものがありまして、細川隆元先生がその小委員長になっていろいろな人が集まって制定当時の状況を調べたわけです。それで、最終的にはアメリカ占領下非常に大きな影響を受けてこの憲法はできたというような表現になっていたのではないかと記憶しておりますが、その表現で果たしていいかという問

1982-12-14 中曽根康弘 予算委員会 衆議院

○中曽根内閣総理大臣 私は、昭和三十年代の初頭、憲法調査会に所属しておりまして、そこでいろいろ発言をいたしました。そのときに、私のほかにかなりの数の議員が、あるいは委員がこの憲法の制定の過程について調査をし、その結論について大体考えが一致したので、その一致した意見を連名で具申したことがあります。当時憲法調査会長であった高柳賢三博士は、最終的にはこの憲法はいわば日米合作の憲法である、そういう結論をお出しになったのです。しかし、憲法について

1976-02-02 多賀谷真稔 予算委員会 衆議院

○多賀谷委員 それはやはりごまかされますけれども、親方日の丸と言っておるけれども、一体どこが、だれが親方日の丸ですか。時間がありませんから申し上げませんけれども、国鉄は、御存じのように、明治四十年に国有鉄道になってから、大体昭和の五、六年ぐらいまでに、新幹線を除いたら日本の鉄道網は整備されたわけですよ。それから、満州事変から昭和三十年まで、われわれは明治、大正の遺産を食いつぶした。投資もしない。出資もしない。設備投資もしない。そうして国

1973-06-15 中曽根康弘 商工委員会 衆議院

○中曽根国務大臣 日本国憲法によりますと、「日本國民は、正當に選擧された國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたって自由のもたらす恵澤を確保し、政府の行爲によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の嚴粛な信託によるものであつて、その権威は國民に由來し、その権力は國民の代表者

1969-06-17 淡谷悠藏 内閣委員会 衆議院

○淡谷委員 私の質問には答えないで、かってな武装平和論、非武装平和論なりやるなら私もやりましょう。こっちでもやりましょう。一体、この憲法制定当時の考え方はどうであったか。別にこれは社会党の意図ではございませんよ。幣原さんのこと、だから、幣原さんの考え方というものはあなたのような考え方でこれはつくったのじゃなかったらしい。やはり完全非武装ですよ。日本が主導権をとって、全世界に向かって平和防衛という線を推し進めるという構想がいまの平和憲法の

1967-06-07 秋山長造 公職選挙法改正に関する特別委員会 参議院

○秋山長造君 これは、私なんかが申し上げなくても、おそらく政府自身でもうお考えになっておられるだろうし、また、いろいろな似たような意見は聞いておられると思うのです。やはり、当分これでやっていくよりしかたがないということはよくわかります。そのとおりだと思いますが、やはり同時に、もっと端的な、一口に言える、わかりいい名前というもの、これ不断に政府自身としても、特に選挙局なんかでは真剣に私はやはり研究されるべき問題じゃないかと思うのです。これ

1966-02-15 矢崎憲正 法務委員会 参議院

○最高裁判所長官代理者(矢崎憲正君) これは、御承知のように、修習全体を通じての問題でございます。ですから、あるいは本年最終の段階にきております修習生につきましては、あるいはこれからの日程に入っていることになるのかもしれませんですけれども、この日程というものは、問題が起きたからすぐそういう日程を入れるというようなことはできませんもので、あらかじめずっと計画をきめまして、将来何カ月なら何カ月ということの時間割りで実施しているわけでございま

1964-03-19 高柳賢三 予算委員会 参議院

○説明員(高柳賢三君) 学者が、憲法九条をどういうふうに解釈しておるか、これは多数の説と少数の説と、いろいろ分かれております。しかし、旧憲法時代の感覚からいえば、多数説のほうが、これが圧倒的意見だと、有力だと、これは旧憲法の感覚なんで、現行憲法においては、学者の学説も、大いに尊重しなければならぬけれども、しかし、それをどちらが正しいかを判定する、最高の権限は最高裁判所が持っておる。学者の少数説をとるということは自由なんです。どちらが正し

1964-03-19 高柳賢三 予算委員会 参議院

○説明員(高柳賢三君) 先ほども申し上げましたように、数を基礎としてものを考えれば、初めて構成もゆがんでいるから、報告書もそういう点を反映してくる、これはあたりまえのことです。しかし、問題は数じゃないのであって、論拠です。なぜ改正しないほうがいいのか、なぜ改正するほうがいいのか、そういう角度から国民は判断していただきたいというのが憲法調査会の趣旨でございます。

1964-03-19 高柳賢三 予算委員会 参議院

○説明員(高柳賢三君) おっしゃるとおり、憲法調査会の構成が少し片寄っているおもな原因は、社会党のほうでもって参加を拒まれたということが、おもな原因でありますが、とにかく片寄っているということは、憲法調査会自身が当初から考えておったので、これは非常に遺憾なことでありまして、調査会といたしましても、社会党、民社党に対してもう入ったらどうかということを勧告したのですけれども、とうとう入られなかった。その結果として、やはり片寄っておるので、憲

1964-03-19 高柳賢三 予算委員会 参議院

○説明員(高柳賢三君) 六月の末までに出す予定でおりますが、討議の次第によりまして、あるいは少し早く出すかもしれませんし、あるいは少しおくれるようになるかもしれません。

1964-03-05 矢部貞治 予算委員会 参議院

○説明員(矢部貞治君) 一々名簿を出して申し上げてもよろしいのですが、そこまで必要はなかろうと思いますが、まあ幾つかのグループがおのずからできております。改正に反対である、あるいは改正する必要ない、そういう意見の方が七名くらいおられます。その中には、いわゆる護憲論に近いような方もあれば、解釈運用によってやれるんだから改正の必要はないという、こういう御意見もあって、必ずしも一致してはおりませんが、大体そういう方が七名くらいおられます。名前