予算委員会
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会
会議録情報#0
昭和五十三年三月十五日(水曜日)
午後一時六分開会
―――――――――――――
委員の異動
三月十四日
辞任 補欠選任
相沢 武彦君 黒柳 明君
三月十五日
辞任 補欠選任
成相 善十君 亀長 友義君
渡辺 武君 山中 郁子君
―――――――――――――
出席者は左のとおり。
委員長 鍋島 直紹君
理 事
戸塚 進也君
内藤誉三郎君
中村 太郎君
宮田 輝君
竹田 四郎君
吉田忠三郎君
多田 省吾君
内藤 功君
栗林 卓司君
委 員
浅野 拡君
石破 二朗君
糸山英太郎君
小澤 太郎君
亀井 久興君
亀長 友義君
久次米健太郎君
熊谷 弘君
下条進一郎君
田代由紀男君
玉置 和郎君
林 ゆう君
真鍋 賢二君
三善 信二君
望月 邦夫君
八木 一郎君
山本 富雄君
赤桐 操君
大木 正吾君
志苫 裕君
野田 哲君
福間 知之君
藤田 進君
目黒今朝次郎君
太田 淳夫君
黒柳 明君
峯山 昭範君
矢追 秀彦君
上田耕一郎君
山中 郁子君
井上 計君
喜屋武眞榮君
柿沢 弘治君
秦 豊君
国務大臣
内閣総理大臣 福田 赳夫君
法 務 大 臣 瀬戸山三男君
外 務 大 臣 園田 直君
大 蔵 大 臣 村山 達雄君
文 部 大 臣 砂田 重民君
厚 生 大 臣 小沢 辰男君
農 林 大 臣 中川 一郎君
通商産業大臣 河本 敏夫君
運 輸 大 臣 福永 健司君
郵 政 大 臣 服部 安司君
労 働 大 臣 藤井 勝志君
建 設 大 臣
国 務 大 臣
(国土庁長官) 櫻内 義雄君
自 治 大 臣
国 務 大 臣
(国家公安委員
会委員長)
(北海道開発庁
長官) 加藤 武徳君
国 務 大 臣
(内閣官房長
官) 安倍晋太郎君
国 務 大 臣
(総理府総務長
官)
(沖繩開発庁長
官) 稻村左近四郎君
国 務 大 臣
(行政管理庁長
官) 荒舩清十郎君
国 務 大 臣
(防衛庁長官) 金丸 信君
国 務 大 臣
(経済企画庁長
官) 宮澤 喜一君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 熊谷太三郎君
国 務 大 臣
(環境庁長官) 山田 久就君
国 務 大 臣 牛場 信彦君
政府委員
内閣法制局長官 真田 秀夫君
内閣法制局第一
部長 茂串 俊君
国防会議事務局
長 久保 卓也君
総理府統計局長 吉岡 邦夫君
北海道開発庁総
務監理官 吉岡 孝行君
防衛庁参事官 夏目 晴雄君
防衛庁参事官 番匠 敦彦君
防衛庁参事官 古賀 速雄君
防衛庁長官官房
長 竹岡 勝美君
防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君
防衛庁人事教育
局長 渡邊 伊助君
防衛庁衛生局長 野津 聖君
防衛庁経理局長 原 徹君
防衛庁装備局長 間淵 直三君
防衛施設庁長官 亘理 彰君
経済企画庁調整
局長 宮崎 勇君
経済企画庁総合
計画局長 喜多村治雄君
経済企画庁調査
局長 岩田 幸基君
沖繩開発庁総務
局長 亀谷 礼次君
外務省アジア局
長 中江 要介君
外務省アメリカ
局長 中島敏次郎君
外務省条約局長 大森 誠一君
外務省国際連合
局長 大川 美雄君
大蔵省主計局長 長岡 實君
大蔵省主税局長 大倉 眞隆君
大蔵省国際金融
局長 旦 弘昌君
文部省体育局長 柳川 覺治君
文部省管理局長 三角 哲生君
厚生大臣官房長 山下 眞臣君
厚生省社会局長 上村 一君
通商産業大臣官
房審議官 山口 和男君
資源エネルギー
庁長官 橋本 利一君
資源エネルギー
庁公益事業部長 服部 典徳君
労働大臣官房長 石井 甲二君
労働省労働基準
局長 桑原 敬一君
労働省職業安定
局長 細野 正君
労働省職業訓練
局長 岩崎 隆造君
建設大臣官房長 粟屋 敏信君
建設省住宅局長 救仁郷 斉君
自治省行政局長 近藤 隆之君
自治省財政局長 山本 悟君
事務局側
常任委員会専門
員 菊地 拓君
説明員
会計検査院事務
総局第三局長 松尾恭一郎君
日本国有鉄道総
裁 高木 文雄君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
○昭和五十三年度一般会計予算(内閣提出、衆議
院送付)
○昭和五十三年度特別会計予算(内閣提出、衆議
院送付)
○昭和五十三年度政府関係機関予算(内閣提出、
衆議院送付)
―――――――――――――
この発言だけを見る →午後一時六分開会
―――――――――――――
委員の異動
三月十四日
辞任 補欠選任
相沢 武彦君 黒柳 明君
三月十五日
辞任 補欠選任
成相 善十君 亀長 友義君
渡辺 武君 山中 郁子君
―――――――――――――
出席者は左のとおり。
委員長 鍋島 直紹君
理 事
戸塚 進也君
内藤誉三郎君
中村 太郎君
宮田 輝君
竹田 四郎君
吉田忠三郎君
多田 省吾君
内藤 功君
栗林 卓司君
委 員
浅野 拡君
石破 二朗君
糸山英太郎君
小澤 太郎君
亀井 久興君
亀長 友義君
久次米健太郎君
熊谷 弘君
下条進一郎君
田代由紀男君
玉置 和郎君
林 ゆう君
真鍋 賢二君
三善 信二君
望月 邦夫君
八木 一郎君
山本 富雄君
赤桐 操君
大木 正吾君
志苫 裕君
野田 哲君
福間 知之君
藤田 進君
目黒今朝次郎君
太田 淳夫君
黒柳 明君
峯山 昭範君
矢追 秀彦君
上田耕一郎君
山中 郁子君
井上 計君
喜屋武眞榮君
柿沢 弘治君
秦 豊君
国務大臣
内閣総理大臣 福田 赳夫君
法 務 大 臣 瀬戸山三男君
外 務 大 臣 園田 直君
大 蔵 大 臣 村山 達雄君
文 部 大 臣 砂田 重民君
厚 生 大 臣 小沢 辰男君
農 林 大 臣 中川 一郎君
通商産業大臣 河本 敏夫君
運 輸 大 臣 福永 健司君
郵 政 大 臣 服部 安司君
労 働 大 臣 藤井 勝志君
建 設 大 臣
国 務 大 臣
(国土庁長官) 櫻内 義雄君
自 治 大 臣
国 務 大 臣
(国家公安委員
会委員長)
(北海道開発庁
長官) 加藤 武徳君
国 務 大 臣
(内閣官房長
官) 安倍晋太郎君
国 務 大 臣
(総理府総務長
官)
(沖繩開発庁長
官) 稻村左近四郎君
国 務 大 臣
(行政管理庁長
官) 荒舩清十郎君
国 務 大 臣
(防衛庁長官) 金丸 信君
国 務 大 臣
(経済企画庁長
官) 宮澤 喜一君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 熊谷太三郎君
国 務 大 臣
(環境庁長官) 山田 久就君
国 務 大 臣 牛場 信彦君
政府委員
内閣法制局長官 真田 秀夫君
内閣法制局第一
部長 茂串 俊君
国防会議事務局
長 久保 卓也君
総理府統計局長 吉岡 邦夫君
北海道開発庁総
務監理官 吉岡 孝行君
防衛庁参事官 夏目 晴雄君
防衛庁参事官 番匠 敦彦君
防衛庁参事官 古賀 速雄君
防衛庁長官官房
長 竹岡 勝美君
防衛庁防衛局長 伊藤 圭一君
防衛庁人事教育
局長 渡邊 伊助君
防衛庁衛生局長 野津 聖君
防衛庁経理局長 原 徹君
防衛庁装備局長 間淵 直三君
防衛施設庁長官 亘理 彰君
経済企画庁調整
局長 宮崎 勇君
経済企画庁総合
計画局長 喜多村治雄君
経済企画庁調査
局長 岩田 幸基君
沖繩開発庁総務
局長 亀谷 礼次君
外務省アジア局
長 中江 要介君
外務省アメリカ
局長 中島敏次郎君
外務省条約局長 大森 誠一君
外務省国際連合
局長 大川 美雄君
大蔵省主計局長 長岡 實君
大蔵省主税局長 大倉 眞隆君
大蔵省国際金融
局長 旦 弘昌君
文部省体育局長 柳川 覺治君
文部省管理局長 三角 哲生君
厚生大臣官房長 山下 眞臣君
厚生省社会局長 上村 一君
通商産業大臣官
房審議官 山口 和男君
資源エネルギー
庁長官 橋本 利一君
資源エネルギー
庁公益事業部長 服部 典徳君
労働大臣官房長 石井 甲二君
労働省労働基準
局長 桑原 敬一君
労働省職業安定
局長 細野 正君
労働省職業訓練
局長 岩崎 隆造君
建設大臣官房長 粟屋 敏信君
建設省住宅局長 救仁郷 斉君
自治省行政局長 近藤 隆之君
自治省財政局長 山本 悟君
事務局側
常任委員会専門
員 菊地 拓君
説明員
会計検査院事務
総局第三局長 松尾恭一郎君
日本国有鉄道総
裁 高木 文雄君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
○昭和五十三年度一般会計予算(内閣提出、衆議
院送付)
○昭和五十三年度特別会計予算(内閣提出、衆議
院送付)
○昭和五十三年度政府関係機関予算(内閣提出、
衆議院送付)
―――――――――――――
鍋
鍋島直紹#1
○委員長(鍋島直紹君) ただいまから予算委員会を開会いたします。
昭和五十三年度一般会計予算
昭和五十三年度特別会計予算
昭和五十三年度政府関係機関予算
以上三案を一括して議題とし、きのうに引き続き上田耕一郎君の総括質疑を行います。上田君。
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昭和五十三年度特別会計予算
昭和五十三年度政府関係機関予算
以上三案を一括して議題とし、きのうに引き続き上田耕一郎君の総括質疑を行います。上田君。
上
上田耕一郎#2
○上田耕一郎君 きのうからの質問に入る前に、日中問題について一言お伺いしたいと思います。
きのう鄧小平副主席が政府の正式な態度として四項目を示しましたけれども、この四項目について政府としてどうお考えになるか、首相にお願いします。
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園
園田直#3
○国務大臣(園田直君) 新聞に報じられておる四項目なるものは、外交の場で述べられたものではございませんが、有力なる参考意見としてこれを検討しておるところでありますが、いずれにしても矢野書記長が帰られてから詳細御感触等も入れて承りたいと考えております。政府の日中友好条約締結の方針は、既定どおりに進めていくつもりでおります。
この発言だけを見る →上
上田耕一郎#4
○上田耕一郎君 この二項目ですね、これが一番問題になる。首相が矢野書記長に伝言として渡しました第二項、これに対する回答として満足すべきものであるのかどうか、この第二項目が。この点いかがでしょうか。
この発言だけを見る →園
園田直#5
○国務大臣(園田直君) これも、いま申し上げましたとおりに、いまのところ新聞で承っただけでありますから、外交の場ではございませんから、矢野書記長が帰られて御意見等も承った上でやりたいと考えております。
この発言だけを見る →上
上田耕一郎#6
○上田耕一郎君 どうも全部お答えは矢野書記長が帰られてからというのですけれども、「一方で覇権反対をしながら、もう一方で「だれに対するものでない」というのでは論理的でない。事実上、覇権主義は中国を脅かしているとともに、日本をも脅かしている。」と、こう言っているわけで、鄧小平副主席は会談の中でもソ連を名指しで批判しているということがありますが、こういう考え方で、政府の言うような、この条約は反覇権というのは第三国、特にソ連を名指すものではないという考え方と両立できるとお思いになりますか。
この発言だけを見る →園
上
上田耕一郎#8
○上田耕一郎君 われわれも一切の覇権主義に反対であります。しかし、それが中国の特定の路線、特に反ソ統一戦線の一環に日本が組み込まれることになると、これは全くまずいと思います。そうなりますと、対米従属プラス対中追随というようなことになって、国民の真の利益を守ることにならないと思います。政府は毅然とした態度で自主独立の立場に立ってこの問題に臨んでいただきたい、このことをお願いいたします。
次に、大蔵大臣にお伺いしますけれども、先ほどのニュースで、きょう午後三時日銀が理事会を開いて公定歩合の引き下げ〇・七五%を決めるということを聞いておりますが、大蔵大臣としては引き下げることは御存じですか。
この発言だけを見る →次に、大蔵大臣にお伺いしますけれども、先ほどのニュースで、きょう午後三時日銀が理事会を開いて公定歩合の引き下げ〇・七五%を決めるということを聞いておりますが、大蔵大臣としては引き下げることは御存じですか。
村
上
上田耕一郎#10
○上田耕一郎君 きょうの新聞には十七日とも書いてありますが、どうやらきょうやりそうなんですが、これまでもたびたび問題になっておりましたが、公定歩合が引き下げられますと、これと連動しまして国民の預貯金の引き下げがいつも行われるということになりますが、これを連動させるべきでないと思いますが、大蔵大臣と郵政大臣に預貯金の利子引き下げ、これをしない問題についてお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →村
村山達雄#11
○国務大臣(村山達雄君) 仮定の問題でございますけれども、私は、公定歩合を引き下げるということは、金利水準を下げましてそして日本の景気を振興し、あるいは金融負担を減らすことによりまして、雇用の維持あるいは拡大に資するということであろうと思いますが、現在の金融機関の預貯金あるいは貸し付けの金利差から申しまして、もし公定歩合の引き下げに伴って貸付金利をそのような意味で下げようとすれば、預貯金の金利の引き下げは当然伴わなければやれるところではないと、そのような認識を持っているわけでございます。
この発言だけを見る →服
服部安司#12
○国務大臣(服部安司君) 郵便貯金の利率と公定歩合の引き下げとは、直接的には関係はありません。
しかし、郵便貯金法第十二条で、郵便貯金の利率については、預金者の利益を増進し、十分な考慮を払いつつ、あわせて民間金融機関の預金の利率についても配意するという決定原則がございますので、私はこの決定原則にのっとって対処したいと、現在のところそのように考えている次第であります。
この発言だけを見る →しかし、郵便貯金法第十二条で、郵便貯金の利率については、預金者の利益を増進し、十分な考慮を払いつつ、あわせて民間金融機関の預金の利率についても配意するという決定原則がございますので、私はこの決定原則にのっとって対処したいと、現在のところそのように考えている次第であります。
上
上田耕一郎#13
○上田耕一郎君 やっぱり国民生活を守るために連動させないという方向でぜひ努力を願いたいと思います。
さて、きのうに引き続きまして、沖繩返還交渉に絡む密約の疑惑、これについてお伺いしたいと思います。
ここに、日本国際政治学会の昭和五十年に発行しました「沖繩返還交渉の政治過程」という本があります。これはその年の一月に開かれた箱根会議での研究をまとめて出したもので、この中に、アメリカのブルッキングス研究所、これはアメリカの民主党のシンクタンクと言われておりますけれども、そこの福井治弘さんとプリシラ・クラップ女史のお二人の論文が載っております。この福井論文を見ますと、日本側だけで官僚、学者、関係者を初め約百人の人とインタビューをして書いた、そう書かれております。この本の百二ページ、百十五ページには、外務省チームの中核メンバーとして、つまり沖繩返還に関する外務省チームの中核メンバーとして六人の名前が挙っておりますけれども、外務省にお伺いします。これらの人々は福井さんのインタビューに応じたんでしょうか。
この発言だけを見る →さて、きのうに引き続きまして、沖繩返還交渉に絡む密約の疑惑、これについてお伺いしたいと思います。
ここに、日本国際政治学会の昭和五十年に発行しました「沖繩返還交渉の政治過程」という本があります。これはその年の一月に開かれた箱根会議での研究をまとめて出したもので、この中に、アメリカのブルッキングス研究所、これはアメリカの民主党のシンクタンクと言われておりますけれども、そこの福井治弘さんとプリシラ・クラップ女史のお二人の論文が載っております。この福井論文を見ますと、日本側だけで官僚、学者、関係者を初め約百人の人とインタビューをして書いた、そう書かれております。この本の百二ページ、百十五ページには、外務省チームの中核メンバーとして、つまり沖繩返還に関する外務省チームの中核メンバーとして六人の名前が挙っておりますけれども、外務省にお伺いします。これらの人々は福井さんのインタビューに応じたんでしょうか。
中
中島敏次郎#14
○政府委員(中島敏次郎君) 六人の名前が挙がっておるという先生の御指摘でございますが、恐らくそれは当時の外務省アメリカ局及び条約局の責任者の名前を挙げたものであろうと思われますが、当時この人間が福井先生にインタビューを具体的にされたか否かということは、私は承知いたしておりません。
この発言だけを見る →上
中
中島敏次郎#16
○政府委員(中島敏次郎君) 私は、その当時条約局の条約課長をしておりまして、いま先生の挙げられた六人の中に挙がっておると思います。
私は、当時、福井先生なる方がいろいろ日本の外交政策の政策の決定過程についてアカデミックな研究をしておられるということを聞いておりまして、現に日本にその関係でやってこられたということで、何かの機会にお目にかかった記憶はございます。
この発言だけを見る →私は、当時、福井先生なる方がいろいろ日本の外交政策の政策の決定過程についてアカデミックな研究をしておられるということを聞いておりまして、現に日本にその関係でやってこられたということで、何かの機会にお目にかかった記憶はございます。
上
中
上
上田耕一郎#19
○上田耕一郎君 箱根会議の参加者の方々に私は面会しました。その人たちの言うところによりますと、箱根会議に福井論文のペーパーが出た。その前にペーパーを外務省の関係者にもお配りしたそうです、やっぱりインタビューした者の責任として。福井さんがアメリカにお帰りになった後、在アメリカの日本大使館を通じて、この福井論文に関してどことどことどこを直してほしいという要望が来た。こんな細かなところまで直すのかというので非常に関係学者は驚いたそうですけれども、そういう事実はありますか。私、おととい、よく調査してほしいということを要望しておきました。
この発言だけを見る →中
中島敏次郎#20
○政府委員(中島敏次郎君) まことに申しわけありませんが、先生の言及された時点で私は東京におりませんでしたので、具体的にどのようなことがあったか存じませんが、いやしくも学術的な研究をされる成果に対して、外務省がその内容に立ち入って云々というようなことを述べることはないものだろうというふうに考えております。
この発言だけを見る →上
上田耕一郎#21
○上田耕一郎君 否定しますけれども、明白な事実であります。
この福井論文、外務省関係者もペーパーを見ていろいろ直さしたんですけれども、この本の百十九ページにこういう個所があります。一九六九年の八月に、佐藤首相は、私的な使者をワシントンに派遣して、キッシンジャー大統領特別補佐官と数度にわたって会談をさせた、そして一括合意に達したと、沖繩返還問題で。これには、施政権返還後、米国による緊急時の核再持ち込みにつき日本政府が考慮するということも含まれていたと。この密使は同時に繊維交渉についてもこの裏ルートで行ったということが書かれております。これは福井論文だけではありません。同じくタラップ論文にも同様の記述があります。
そして、ここにブルッキングス研究所の出しました「マネージング・アン・アライアンス」という本があります。これは、当時、アメリカ側で沖繩返還交渉についてリチャード・スナイダー日本部長とともに国家安全保障会議の作業グループのチーフとして大きな責任を負いましたモートン・ハルペリン、この人がイニシアチブをとって主任研究所員時代につくった本であります。この本にも、三十四ページに、沖繩問題について佐藤首相が、ヒズ・オウン・プライベート・チャンネルをキッシンジャーに向けて開いた、それで交渉を行わしたということが書いてあります。また、三十九ページには、繊維交渉をも佐藤首相が、密使――ア・プライベート・エミサリーとちゃんと書いてありますけれども、それを通じて行ったということが書いてあります。これはハルペリン自身が責任を持った文書であります。こういう事実が当時ありましたか、密使はだれを送ったのか、この点外務省にお伺いいたします。
この発言だけを見る →この福井論文、外務省関係者もペーパーを見ていろいろ直さしたんですけれども、この本の百十九ページにこういう個所があります。一九六九年の八月に、佐藤首相は、私的な使者をワシントンに派遣して、キッシンジャー大統領特別補佐官と数度にわたって会談をさせた、そして一括合意に達したと、沖繩返還問題で。これには、施政権返還後、米国による緊急時の核再持ち込みにつき日本政府が考慮するということも含まれていたと。この密使は同時に繊維交渉についてもこの裏ルートで行ったということが書かれております。これは福井論文だけではありません。同じくタラップ論文にも同様の記述があります。
そして、ここにブルッキングス研究所の出しました「マネージング・アン・アライアンス」という本があります。これは、当時、アメリカ側で沖繩返還交渉についてリチャード・スナイダー日本部長とともに国家安全保障会議の作業グループのチーフとして大きな責任を負いましたモートン・ハルペリン、この人がイニシアチブをとって主任研究所員時代につくった本であります。この本にも、三十四ページに、沖繩問題について佐藤首相が、ヒズ・オウン・プライベート・チャンネルをキッシンジャーに向けて開いた、それで交渉を行わしたということが書いてあります。また、三十九ページには、繊維交渉をも佐藤首相が、密使――ア・プライベート・エミサリーとちゃんと書いてありますけれども、それを通じて行ったということが書いてあります。これはハルペリン自身が責任を持った文書であります。こういう事実が当時ありましたか、密使はだれを送ったのか、この点外務省にお伺いいたします。
中
中島敏次郎#22
○政府委員(中島敏次郎君) ただいま先生の言及されました福井先生の書かれた論文の一部を拝見いたしますと、この論文でも、たとえば、「外務省関係者はもとより愛知外相でさえも関知しなかったと思われる秘密の交渉ルートが存在したからである。」と、こう書いてございまして、当然のことながら私どもが何らこの点について知っていなかった。書かれた御当人が書いておられるとおりでございます。
この発言だけを見る →上
上田耕一郎#23
○上田耕一郎君 「朝日ジャーナル」の去年の七月一日、七月八日に、同じくブルッキングス研究所の所員のデスラー、福井、佐藤三氏の繊維交渉についての論文の翻訳が載っております。これは近く発行されます大部の本の第七章であります。この中にはかなり詳しくこの密使との関係が書いてありまして、「佐藤が送り込んだ人物は政府高官ではなく、沖繩問題やその関連問題について佐藤にしばしば助言を与えていた専門学者たちの「大浜グループ」につらなるある民間人だった。」と、そう書かれてあります。そして、キッシンジャーは、その人物が八月に来たとき、果たしてその人物が佐藤首相の本当の代理人であると確かめた後、数度にわたる会談を行った。そして、その後長距離電話でひそかに話し合ったと。そのとき、暗号を使って、「あなたの友人」と言えば佐藤首相のこと、「私の友人」と言えばニクソンのこと、そういうことを行ったと書かれております。
これらの事実を見ますと、外務省は知らないと言われますけれども、ブルッキングス研究所、特にハルペリンが責任を持ったこの研究でアメリカがこういう問題を公表している事実について、われわれは大きな疑惑を持たざるを得ません。外務省は御存じないと言いますけれども、恐らく国家の最高機密に属するものと思いますので、福田首相はこういう件について御存じですか。
この発言だけを見る →これらの事実を見ますと、外務省は知らないと言われますけれども、ブルッキングス研究所、特にハルペリンが責任を持ったこの研究でアメリカがこういう問題を公表している事実について、われわれは大きな疑惑を持たざるを得ません。外務省は御存じないと言いますけれども、恐らく国家の最高機密に属するものと思いますので、福田首相はこういう件について御存じですか。
福
福田赳夫#24
○国務大臣(福田赳夫君) 佐藤政権のとき、私はずっと大蔵大臣、外務大臣等をしておりまして、あるいは党の幹事長などしておりまして、かなり佐藤総理の行動については承知しておる方でありますが、ただいま上田さんのお話をごもっともだなあと申し上げるような何らのあれはありませんですね。これはもうあり得ざることである、こういうふうに申し上げておきます。
この発言だけを見る →上
上田耕一郎#25
○上田耕一郎君 牛場対外経済担当相にちょっとお伺いします。
牛場さん、あなたは当時外務次官でした。その後、駐米大使にもなられましたが、これらについて何か感じたことはございませんか。
この発言だけを見る →牛場さん、あなたは当時外務次官でした。その後、駐米大使にもなられましたが、これらについて何か感じたことはございませんか。
牛
上
上田耕一郎#27
○上田耕一郎君 つまり、なかなか外務省関係者は口がかたいのか、全く知らなかったのか。しかし、この密使は同時に繊維の密約をも結んだわけであります。
それで、宮澤通産相にお伺いいたします。
佐藤さんは、ニクソンと協定を結んだ後帰られて、そのときは大平通産相です。大平通産相にもこの密約のことは一切言わなかったというふうにこの彼らの論文は書いている。うまくいかないので、翌年の一月に内閣改造をやって宮澤さんを通産相にした。宮澤さんと、あなたの任務の大事な問題は繊維交渉を解決することだというふうに佐藤さんが言ったそうです。宮澤さんは、交渉を始めて、どうもおかしいので、佐藤首相にそういうものが何かあるのじゃないかと聞いたことがある、そう言われておりますが、そういう事実はありますか。
この発言だけを見る →それで、宮澤通産相にお伺いいたします。
佐藤さんは、ニクソンと協定を結んだ後帰られて、そのときは大平通産相です。大平通産相にもこの密約のことは一切言わなかったというふうにこの彼らの論文は書いている。うまくいかないので、翌年の一月に内閣改造をやって宮澤さんを通産相にした。宮澤さんと、あなたの任務の大事な問題は繊維交渉を解決することだというふうに佐藤さんが言ったそうです。宮澤さんは、交渉を始めて、どうもおかしいので、佐藤首相にそういうものが何かあるのじゃないかと聞いたことがある、そう言われておりますが、そういう事実はありますか。
宮
宮澤喜一#28
○国務大臣(宮澤喜一君) 昭和四十五年、一九七〇年の当初から私は繊維交渉を通産大臣としていたしまして、たしかその年の六月であったと思いますが、ワシントンに参りました。当時の米国の商務長官スタンズ、後にウオーターゲートにちょっと出てまいりますスタンズと、数日間交渉をいたしましたけれども、これは不調に終わりまして私は帰国をいたしました経緯がございます。が、その間に、ただいま仰せられましたようなことを具体的に感じたようなことはございません。
この発言だけを見る →上
上田耕一郎#29
○上田耕一郎君 宮津さんは昭和四十五年六月のスタンズ商務長官との会談について触れられました。当時日本繊維産業連盟会長の谷口豊三郎、この人が、「エコノミスト」の「戦後産業史への証言」、これは七七年三月八日付ですが、この中でこう述べております。宮澤さんスタンズさんとやり合ったときに、「スタンズは「そんなバカな、何いっとるんだ」というような気持ですよ。「おまえ、これ知っておるか」と宮澤さんにある書類を見せたというんだ。「あの書類にイニシアルがあったかなかったか、私は見ておりません」とあとで宮澤さんは私に言った。大臣がそういう表現を使うということはイニシアルがあったということですよ。」と。宮澤さんが、谷口さんに、スタンズに書類を見せられたと。これは密約ですよ、佐藤さんがつくった。この事実を否定されますか。
この発言だけを見る →