文教委員会

1997-11-18 参議院 全116発言

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会議録情報#0
平成九年十一月十八日(火曜日)
   午後一時三分開会
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   委員の異動
 十月二十日
    辞任         補欠選任
     鈴木 政二君     岡  利定君
     中原  爽君     世耕 政隆君
     菅川 健二君     都築  譲君
     照屋 寛徳君     上山 和人君
 十月二十一日
    辞任         補欠選任
     都築  譲君     菅川 健二君
 十月二十八日
    辞任         補欠選任
     但馬 久美君     山本  保君
 十月二十九日
    辞任         補欠選任
     山本  保君     但馬 久美君
 十一月十七日
    辞任         補欠選任
     但馬 久美君     松 あきら君
     山下 栄一君     福本 潤一君
     上山 和人君     鈴木 和美君
    —————————————
  出席者は左のとおり。
    委員長         大島 慶久君
    理 事
                小野 清子君
                北岡 秀二君
                石田 美栄君
               日下部禧代子君
    委 員
                井上  裕君
                岡  利定君
                世耕 政隆君
                田沢 智治君
                菅川 健二君
                福本 潤一君
                松 あきら君
                本岡 昭次君
                阿部 幸代君
                江本 孟紀君
                堂本 暁子君
                長谷川道郎君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        巻端 俊兒君
   参考人
       国際医療福祉大
       学保健学部教授  小田  晋君
       社団法人日本P
       TA全国協議会
       専務理事     鈴木  仁君
       上智大学文学部
       教授       中野 良顯君
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  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○教育、文化及び学術に関する調査
 (児童生徒の問題行動等に関する件)
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大島慶久#1
○委員長(大島慶久君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 去る十月二十日、中原爽君、鈴木政二君及び照屋寛徳君が委員を辞任され、その補欠として世耕政隆君、岡利定君及び上山和人君が選任されました。
 また、昨日、上山和人君、但馬久美君及び山下栄一君が委員を辞任され、その補欠として鈴木和美君、松あきら君及び福本潤一君が選任されました。
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大島慶久#2
○委員長(大島慶久君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育、文化及び学術に関する調査のうち、児童生徒の問題行動等に関する件について、本日の委員会に参考人として国際医療福祉大学保健学部教授小田晋君、社団法人日本PTA全国協議会専務理事鈴木仁君及び上智大学文学部教授中野良顯君の出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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大島慶久#3
○委員長(大島慶久君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
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大島慶久#4
○委員長(大島慶久君) 教育、文化及び学術に関する調査のうち、児童生徒の問題行動等に関する件を議題といたします。
 本日は、児童生徒の問題行動等について、三名の参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 参考人の皆様方には、御多忙のところ本委員会に御出席いただきまして、大変ありがとうございます。
 本日は、忌憚のない御意見を伺い、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、小田参考人、鈴木参考人、中野参考人の順序でそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、まず小田参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。小田参考人。
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小田晋#5
○参考人(小田晋君) こういう機会を与えていただいて光栄です。
 現代子供の問題行動と教育ということが浮上してきたのは、これはもちろん広い文脈がございますが、神戸小学生殺害事件の直後、当時の小杉文部大臣が心の教育の必要性を掲げられたことも一因になっています。しかし、その後この事件についての報道及び行政等の動向を見ますと、憂慮にたえない動向も一つはあるようです。
 実は、あの事件の犯人がまだ特定されないさきから、例の少年の口にくわえさせておいた挑戦状、その後神戸新聞に対して送付された犯行声明の中で学校殺死の酒鬼薔薇と名乗っていて、義務教育に対する積年の大怨ということがその中に含まれていたということから、その直後、やはり多くのジャーナリズム関係者が神戸市須磨区付近に集中しまして、例えば、少年が余りに凶暴なのでもう学校に出てくるなと教師が言ったとか、あるいはあの学校が比較的対教師暴力が少なかったので羊の学校と言われていたということとか、この話は真実でなかったそうですが、あるいは進学校であったというようなことを理由にして、内申書教育や偏差値教育、そういうところに原因がある、学校の管理教育が悪いというふうなかなり飛躍した議論が支配的になりました。特に、進歩的な社会学者がそれを主張したのであります。
 この話は、このまま放置しておきますと実はこういうことになりかねません。須磨区を含めて神戸の教師たちは、こんな凶暴だったり異常だったりする少年に対して強く注意して、その後何かをしてかされ、あの先公が頭にきたからやったというようなことを言われたら立場がありませんから、もはやそういうことに対して強くとがめることはできなくなる可能性もあります。また受験教育、とにかく公立中学から進学校に子供を送り込むというのは相当の努力を要するのに、これだって、その結果このようなことが起きたと言われたら手抜きをせざるを得ない。そうなったら、あの辺のエコロジーからしまして、公立から私立への子供たちの大脱走も起きかねない。公立の中学校は死にます。酒鬼薔薇は学校殺しに成功するかもしれないんです。
 この事件の特徴というのは、いわば快楽殺人と言われているものでありまして、快楽殺人というのは性欲と破壊衝動が結びついた形の犯罪です。この少年について言えば、例えば性的サディストであり行為障害者であるということは言えるんですが、そのほか、自分の犯罪をマスメディアに報道されることが一つの犯罪の目的であるところの劇場型犯罪であり、自分の犯罪の動機を社会に対する挑戦として大義名分化するという社会挑戦型犯罪でありますし、そのほか、オカルト的傾向を持つ超能力信仰者であったというような特徴があるのであります。
 この事件の場合、どうしたら防げたかということが問題になるだろうと思います。つまり子育ての問題としては、この事件は異例のこととして鑑定書の一部が公表されたんですが、しかし、親子関係なんかの問題について言えばその部分は伏せられています。プライバシーは大事ですからA少年で構わないが、その辺の部分まで含めて少なくとも専門家の検討に付せられるという程度のことは必要だと思います。
 一般的に言えることは、行為障害の中核となります感情の冷たさというものについて言うと、特に乳児期における母親と子供との関係がだんだん疎遠になるということが、やはり基本的な信頼関係とそれに基づく情性の発育を妨げているということは指摘されています。
 それから、思春期における性欲と第二次性徴の処理については、極めて性教育は思春期において重要で、この少年の場合もその問題があったのでありますが、最近の性教育はともすればエイズ予防の方に引っ張られてしまって、とにかくコンドームの使用方法を教える、性の解放だけを一方的に強調するというような形の性教育になっているという点にも問題はあると思います。
 そのほか情報環境の問題については、劇画とホラービデオの問題ですが、特に劇画とホラービデオが少年の欲求不満を解消するというような議論が一部の心理学者や精神科医からも唱えられていますが、実はこの少年の場合はホラービデオを持ち込んで見ていたのは母親の影響であったとも伝えられています。そうじゃなくても、精神鑑定をやった性犯罪者の場合、直前にホラービデオや劇画やあるいはポルノグラフィーを見ていなかったケースの方が極めてまれなんです。
 今後どうすべきかということについて言いますと、これは法務委員会の問題であるとおっしゃるかもしれませんが、やはり現在のままではこういう問題行動に対する正当な対処はできません。
 少年犯罪の上限、これは日本だけが二十歳ですが、諸外国は全部十八歳ですし、下限についても、日本は少年犯罪として特に刑事責任を問い得る年齢が十六歳以上になっていますが、資料の二枚目にありますように、アメリカでは七歳以上、イギリスでは十歳以上、フランスでは十三歳以上、ドイツでは十四歳以上になっています。余りに日本だけがかけ離れた、少年の実態にそぐわない法律になっています。刑事処分年齢の制限の廃止。
 それから、少年審判に検察官が立ち会えないのでありますが、弁護人だけが付添人という形で立ち会っていますとどうしても検察官の反対尋問ができませんので、結果として見たら高裁の裁判官はじだんだを踏むような判決になってしまうこともあります。
 裁判に被害者側の声を反映するという意味では検察審査会の関与が大事なんですけれども、検察審査会に関与の余地を残すという意味でも、検察官による抗告権をやっぱり認めなきゃなりませんし、特にあのA少年の場合、少年院を少なくとも二、三年で出てくると予想されているんですが、そういう場合に出てくるときの出口審査のための機関が必要です。
 さらに、どうすればこの少年の犯罪を防げたかといいますと、例の猫殺しの事件でルーズなカウンセリングをやっていたわけですけれども、あれが単なる来談者中心的なカウンセリングじゃなくて、精神科医が情報事務に当たられた上で診察していたら薬物療法によってでも犯罪を阻止することができたというのは、上智大学の福嶋章先生を初め精神科医が皆異口同音に言うところです。
 つまり、少年にちゃんと家庭裁判所なり地方裁判所の命令によって治療を命ずる、治療を勝手に怠ったならば少年院に収容するという医療的保護観察制度、これだけそろえばかなりこういう事件でも予防はできるのであります。
 教育をめぐる問題でございますが、学校が制度的に機能していることに反感を持っている人たちの学校に対する攻撃が激しいので、そういう場合に学校はどういうふうに危機管理すべきか。全部箱口令をしいてしまいますと、まともな意見を言う少年や教師は表面にあらわれない。買収された、またふてくされた人たちの意見だけが表面にあらわれてくるということがあります。
 クラスの中の情報戦争といいますのは、やはりクラスの中でいじめっ子のグループにはヘゲモニーを握らせないように、例えばロングホームルームなんかをするような場合は、教師はちゃんとその前からそのための準備をしておかなきゃならないということです。
 いじめ問題への対応の変化ということで、いじめ問題について言えば、いじめ問題についての専門家たちが従来ずっといじめられつ子の方の研究ばかりをやってきたのは、その方が易しいからです。それをやれば簡単に研究費だとかそれから地位だとかが得られますので、いじめられっ子の研究ばかりをやってきた。いじめ問題はいじめられつ子が悪いと。しかも、いじめっ子に対する対策を講じようとすると、特に最近の人権論というのは加害者の人権ばかりで、被害者の人権は全く考えられないという傾向がありますので、そういうことがあるために手が触れられなかったんです。特にこの二、三年、文部省の協力者会議は方針を変えられまして、変えられたのは非常にいいことだと思います。
 いじめというのは、もともと鶏のつつき順位というのがありまして、狭い空間に脊椎動物を囲い込んで生活させると必ずいじめが起きるんです。やはり逃げ場をつくらなきゃなりません。図書室、保健室の役割は非常に重要です。こういうところから少年たちを追い出すというような管理をしてはいけないんですが、特に保健室の役割が重要で、例えば養護教諭を二人制にして、しかもカリキュラムの四〇%から五〇%は精神医学及び心理学にするというようにすれば随分状態は変わってきます。
 「みにくいあひるの子」型いじめというのは、要するに少数派をつつく。アンデルセンの「みにくいあひるの子」のような形になりますが、それをやめさせることが重要で、これこそが国際化教育の一番重要な点でありまして、むしろ小学校で英語を教えるよりもこの方が重要だと私は思うぐらいです。
 それからさらに、非行型いじめというのがありまして、愛知県西尾市立東部中学校の大河内君の自殺の事件の場合なんかは、殴って金を取れば強盗ですし、殴るぞと言って金を取れば恐喝ですし、自転車をあんなにしょっちゅう壊していれば器物毀棄ですし、ついに殺人未遂に至るまで、本当は非行が連続してグループ的に行われていたのに学校側はこれに目をつぶっていた。
 つまり、少年を強く制止すればすぐ体罰の問題が出てきますし、そうかといって、これを非行として問題にすれば子供を警察に売ったというようなことが、例えばよく地方議会なんかでは議員によって提起されて、それを新聞が報道するというようなことがあるために、学校の手は縛られに縛られ続けているわけです。見てもどうにもならないけれども、ほうっておくこともできないものに対して見えなくなるというのは、これは精神分析的には否認という行動規制でありまして、そのために学校の先生たちは見えなくなっています。
 いじめや非行が起きることは校長や教頭の責任ではないが、それを放置して、あるいは職務上当然の注意が払われていれば発見できたことが発見できなかった場合には必ず責任を問われるということを文部省ないし教育委員会が方針としてお決めになれば、この形のいじめ、第三型のいじめは数カ月で終えんすると思います。最近の少年たちは大人以上に情報人間でありまして、この程度のことをすればこの程度のパニッシュメントがあるということについては大人以上に敏感だからです。
 いじめっ子問題に対する適切な対応について言えば、例えば登校停止ということも適用されていいというふうに文部省は通達されました。このことは非常に敬意を表すべきことでありますけれども、今度の場合、もう学校に来るなと教師が言ったということが神戸の事件のきっかけになったというように間違った報道が一部なされたために、それは間違った報道であったということは少年自身の書いた「犯行計画書」やそれから「懲役十三年」という文書によってわかっているんですが、しかしながら、それによって登校停止というのはもうやってはいけないというようなことになったならば、そして今のようにいじめられっ子の方が転校させられるという、外国から来た例えばノルウェーの専門家オルヴェウスを初め、みんな驚いているようなことがまたこれからも続く。登校停止を休眠させてはいけないということは、この際どうしても確認しておかなきゃいけないことであります。
 子育てといじめ非行の抑制ということについて言えば、子育てというのはやっぱり乳児期には愛情と受容です。乳児期には一〇〇%の愛情を、幼児期にはしつけと愛を、少年期には教えることを、思春期には考えさせることを、というプログラムが行われていかなきゃならないんですが、この場合、愛による抑制のほかに、学習による抑制、つまり賞罰ということも大事です。賞罰というのは、少年の行動の修正には役立たないという考え方はよく進歩的な評論家や進歩的な教育学者や進歩的な心理学者がおっしゃるんでありますが、しかしその場合は、ごね得、しら切り、口裏合わせで、少なくとも十九歳までは何でも済んでしまうという少年たちの社会通念ですね。
 例えば、一つはおやじ狩りという形の、あれは強盗なんでありますが、あれがおやじ狩りというごく軽い一過性のものだというので、かなり多くのものが強盗罪でありながら保護観察で済んでしまっている。そういうことが少年たちにはたっぷり逆学習を行っているんですね。教育、刑法、宗教という三つの問題行動に対する抑制のシステムというのは、どうしてもしっかり確立しなきゃなりません。
 第一、こういうことを何でこの場違いの文教委員会で申すかというと、例えば法務委員会や地方行政委員会で例の少年法改正なんかの場合、教育の立場からといってこれに対して横やりが入ることが従来ありまして、そういうことがあってはならないと思うからです。
 もう一つは、狭義の心の教育とカウンセリングの問題ですが、やっぱり養護教諭の役割は非常に重要です。つまり、カウンセラーを配置するという話になっていますけれども、日本の風土の中では心の問題よりも体の問題をきっかけに入っていくのはとてもすっと入っていけるのでありまして、心の教育の担い手としての養護教諭と保健室の役割は重要なんです。養護教諭を二人制にして、そこで精神医学教育を徹底するというのが非常に有効な方法です。
 確かに、カウンセラーを配置することは役に立つんですが、この場合、非常に問題点があります。現代までの日本のカウンセリングは来談者中心療法、やつで来て話をする子供の話を黙って聞いているというやり方が中心で、そうして子供の自主性を重んじることが大事なんだけれども、子供の行動を修正するということに対しては余りカウンセラーは手は出さないという、そういう形の教育を受けてきた人が多いんですね。今度の事件の場合でも、児童相談所はそういう形のカウンセリングをやっていたことが、児童相談所がそういうカウンセリングをやっていながら途中で防げなかった一つの理由になっているんです。
 ですから、カウンセラー教育をするならば、やはり危機介入のテクニックを教えなきゃいけない。非行臨床的技術というのと犯罪心理学の知識ですね。それから、精神医学との協力ということはやっぱりしなきゃいけません。自主性という名の無責任というのかな、そういうのを教えるような教育をやっちゃいけません。
 何よりも私心配しますのは、現場の教育を知らないまま、現代の教育は管理教育だ管理教育だということばかり頭に入れて現場に出かけていったカウンセラーたちが、実は学校の中で無用の混乱をかえって生み出すことがあり得るんじゃないかという心配です。
 こういう場合、例えば登校拒否とか不登校の場合でも、学校に行かない子供の方がまともであって、学校に行っている子供の方が実は管理教育の中に巻き込まれているんだというようなことを、これは児童精神医学者の一部、全共闘出身の人が多いのでありますが、そういう説がありまして、それは非常に問題になっているんです。私の言うことに御異議のあることはわかっていますが、私はそう思います。
 ただ、現実に登校拒否の場合、こういうプロジェクトがありました。筑波大学の体育学群がやりましたプロジェクトですが、野外学習の専門家の先生がいまして、野外学習のやり方をコーチするために、大学院学生と学生のためのキャンプ場をつくって、そこでキャンプの実習をやっていたんです。これは山に登ったり、沢を渡ったり、きわめつきは一人で野営させたりするキャンプなんですが、これをやって帰ると、実は学校に行くようになる少年がかなり多いんです。登校拒否の子供がまじっていたら、登校拒否の子供をそれに入れてやってみたら一応の治療効果はあるんですね。結局、何らかの形で友達とともに自然と肉体的な体験をするという体験型学習というのは、大変そういう形の非社会的な問題行動には役に立ちます。
 いずれにしても、二枚目のプリントの一番下にありますように、現代の少年犯罪は、少年の犯罪被害も過去十年間で三割強の増加を示しておりますし、最近五年間は凶悪・粗暴犯、強制わいせつ被害の増加が顕著で、特に小中学生に被害が集中する傾向があります。犯罪被害が少年に与える心の傷を考えましても、少年の犯罪だからといって単なる保護主義で一貫して、因果応報、こういうことをすればこういう報いがあるという、そのことを教えない現在の少年法や学校教育というのは間違っているんじゃないだろうかと私は思います。
 米国でさえ、実はこの形の少年保護のやり方というのは米国から出てきた発想ですが、本家の米国ではすっかり変わっていまして、最近ではカウンセリングは来談者中心から行動主義的なカウンセリングヘと方向が変わっています。
 要するに、もちろん子供の心の教育は大事ですが、心の教育ということは決して学校の中における規律を無視することであってもならないし、いじめっ子や非行少年を彼らの欲望のまにまに行動させることを自由にしろ、学校をディズニーランドみたいに変えてしまえという一部の人々の主張に根拠を与えるものじゃないということはぜひわかっていただきたいと思います。
 終わります。
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大島慶久#6
○委員長(大島慶久君) どうもありがとうございました。
 次に、鈴木参考人にお願いをいたします。鈴木参考人。
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鈴木仁#7
○参考人(鈴木仁君) このような席にお呼びをいただきまして、せっかくの機会でございますので、まず最初に、お手元にお配りしてございます私ども日本PTAの概要について若干御説明をさせていただきたいと思います。
 社団法人日本PTA全国協議会は、小学校また中学校におけるPTA活動を通して、我が国の社会教育、家庭教育と学校教育との連携を深め、青少年の健全育成と福祉の増進を図り、社会の発展に寄与することを目的とした社会教育関係団体でございます。
 私どもの団体は、会員数一千二百万会員でございます。政令都市を入れまして全国に六十団体ございまして、その中で理事十九名で法人化をされております。全体的に、年に六回ほど全国の六十名の会長会をもっての会議をし、またその間、理事会を開いていろいろな事業を展開しているところでございます。
 事業につきましては、ここにいろいろ記載されているようなことをやってございます。最近では、淡路・神戸の大震災におきましては、育英基金ということで我々のもとに全国の会員から集まったお金が十二億を超えました。このお金を、公益法人という形にしまして、親を亡くして義務教育に残っている子供がかなりの人数でございましたので、その子供たちが義務教育を卒業できるまで資金の援助をしようというような形で、この基金の中から援助をさせていただいております。また、各PTA等におきましても補助させていただいているという組織でございます。
 次に、子供の社会環境についてのアンケート調査でございます。
 これもお手元の資料を見ていただきたいのでございますが、まずこの調査の概要でございます。子供たちの生活意識、行動の実態を明らかにし、生活環境改善のための基礎資料を得ることを目的に本調査を実施したということでございます。
 調査対象者は、中学三年の男女、及びその子供の保護者という形で調査をさせていただきました。
 調査方法につきましては、調査対象校あてにアンケート用紙を郵送し、また、対象者本人記入後封印をして投函をしていただくということで、大変これは慎重を期して回収をさせていただいたわけでございます。
 有効回収については、全国二千四百校でございまして、六十協議会を通して行ったわけでございますが、回収率は七四・一%でございました。
 次に、この問題についての概要を説明させていただきますと、まず最初に十五ページを見ていただきたいのでございますが、十五ページは有害薬物についての調査でございます。
 文部省の調査によると、高校三年の一五%が「個人の自由」と答え、四・五%が「一回くらいならかまわない」と答えているが、今回のPTAの調査によると、中堂二年生では全体の一・七%が何らかの有害薬物を使用しているものの、平成六年の調査に比べて〇・六ポイント減少しているというふうに私どもは押さえたわけでございますが、平成六年度の調査につきましては回収率、またお願いをした校も少なかったものでございますから、その辺の違いが出ているのかと思います。また、使用することに「抵抗がある」と答えた生徒が九二・四%あり、文部省の調査より抵抗感が強いというようなことがあらわれております。
 この薬物に対する危機意識というものについて、有害薬物の使用について前回調査よりも減少しており、九割を超える生徒が「抵抗がある」と答えております。文部省または最近の総務庁の調査でも「絶対いけない」としている反面、「他人に迷惑を掛けないので使うかどうかは個人の自由」と、薬物に対する危機意識が緩んでいる。また、薬物は一度手に染めたら取り返しのつかない事態を招くということを早い時期からしっかりと指導をしなければならないのではなかろうか、このように今回の調査で思ったところでございます。
 次に、三十一ページを見ていただきたいのでございますが、援助交際についてでございます。
 援助交際をした「経験がある」生徒は女子が〇・八%、男子が〇・二%ありました。「したことはないがどういうものか知っている」生徒は男女平均で七二・九%だが、女子が八二・八%でございまして、男子が六三・二%と、女子の認識が高いということでございます。援助交際について「とても抵抗がある」生徒が五一・三%いる反面、「あまり抵抗がない」「全く抵抗がない」生徒が合わせて一八・三%いるのが目を引いたところでございます。また、ブルセラショップの利用に対する抵抗感が、「とても抵抗がある」が五六・八%、「やや抵抗がある」と答えたのが二六・五%もあるのに比べて、援助交際への抵抗感が低い。人数は少ないが、その動機を尋ねると、「興味があった」と「お金がほしかった」というのが五〇%ずつあり、家庭や学校で性の問題についてしっかり教育する必要を感じさせられたところでございます。
 この遊び感覚の援助交際、また性教育の必要性というものを考えたときに、援助交際という言葉が代表する売春という犯罪であるという認識が極めて低いのではなかろうか。援助交際の動機が、興味があったから、小遣いがもらえるからといったことからであるが、ここで考えなければならないことは、学校、家庭、社会を含めたモラルの欠如に問題があり、性教育の必要性と、なぜいけないのかを親子が、または教師と児童生徒がひざを交えてしっかと話し合っていくことが必要なのではなかろうかというふうに思っておるところでございます。
 次に、三十三ページでございますが、万引きについてでございます。
 PTA調査によると、「万引きの経験がある」と答えた生徒が二〇・四%、「経験がない」とする者が七七%で、経験のある生徒が前回の調査より二・九ポイントふえております。子供の万引きについて、「あるかもしれない」「あることを知っている」と答えた親は八・五%いる一方、親が「ない」と思っているのに子供が「万引きの経験がある」と答えたのが一七・四%に上っております。これは、今回調査をした子供たちの親にも調査をしているわけでございますから、ここには親と子供のずれがはっきりしているのではなかろうかと思います。親の認識の差ということではないかと思いますが、子供の万引きについての親の意識の差は、うちの子に限ってという親の一方的な見方にあるのではないか。三つ子の魂百までもではないが、幼いときから人の物をとってはいけない、やってはいけないことはきちっと教えるなど、家庭の教育が大切ということが重要になってくるのではなかろうか、このように思っておるところでございます。
 次に、資料の前の方に参りまして五ページでございますが、飲酒、喫煙についてでございます。
 飲酒の経験は「ある」が六一・九%でございまして、「おいしくてまた飲みたい」が二二・三%。たばこの経験は「ある」が二〇・八%、「おいしくてまた吸いたい」が一二・七%ございました。両親が知っているのは飲酒が八一・七%、喫煙については四三・二%で、親に気づかれたが「何も言われなかった」のは、飲酒が七七・八%、たばこにつきましては三四・二%ある。たばこに比べて酒に対する親の態度が甘いように出ているわけでございますが、これは飲酒が主として自宅内であることが理由ではないか、このように思っております。飲酒またたばこを黙認する親ということがあらわれているのではなかろうか。外では酒を飲んだりたばこを吸わないで、飲んだり吸ったりは自宅でと、家庭で飲酒、喫煙を許すというより、外への気づかいから勧める。なぜいけないのかを親自身も学び、見直す必要があるのではなかろうか。ここについても家庭教育の重大さが感じられるところでございます。
 もう一点、ちょっと資料の後ろの方にまた戻るのでございますが、三十六ページに保護者の意識というものが出てございます。
 これは、保護者に対して「子供の教育のための社会環境」について尋ねたところ、「TVやマスコミの情報が悪影響を及ぼしていると思う」が八八・〇%でございます。「子供達の遊びの内容や感覚が大人にはわかりづらくなっている」が七六・四%などとなっております。また、最近の中学生について、「自分たちの世代と倫理観が異なっていると思う」が七四・九%、「いらいらしたり、ストレスをためていると思う」が七一・一%、「何を考えているのかよくわからない」が五九・四%あり、親子の感覚の世代格差が広がっていることをあらわしているのではなかろうかと思います。親が子供のことをわからなくなっている状況がはっきりあらわれているとしか言いようがないと思います。その意味でも、PTAの果たす役割が大きなことと我々は感じているところでございます。
 広がる世代間の価値観の格差ということで、価値観の差が拡大していることは事実でございますが、子供をしかれない親がふえている。そうした親をどう教育するか。子育ての自信を持たせるためにはマニュアルづくりだけではなく、理屈、理論ではない体をぶつけ合う親の教育が課題ではないかと思います。
 また、先ほどの有害でございますが、この有害につきましても、覚せい剤等について八十何%が認識をしているということに対しましては、それだけ中学三年生の子供たちが興味を持っているということでございますので、これは大変なことだというふうに考えておるところでございます。
 さらに、神戸市須磨区において発生した事件でございますが、特に子育ての当事者としての私たちPTA会員は、いつか我が子がいずれかの当事者となる可能性を含んでいることを考えると、子育ての原点に戻ってこの問題を考えなければならないというようなことから、この十月に行われました日本PTAの全国大会におきまして、一万三千人の会員の集まる全国大会でございましたが、その席で緊急アピールを出させていただきました。それがお配りした資料でございます。
 この中で特に、子供といえども反社会的行為は決して許されるものではないとの基本的姿勢を家庭において教育すること、また、子供の日常の生活態度に十分留意するというようなこともしっかりと親の認識を得たところでございます。
 さらに、保護者と教師が日常的に十分な連携を深め、双方からお互いに気楽に話し合える環境づくりをしていかなければならないだろう。さらには、教師、保護者代表、地域の代表、また教育諸団体を加え、地域単位での対策を講じていこう。さらに、テレビや出版物などマスメディアが青少年の有害環境を配慮し、国及び都道府県に対して必要な法的規制を図るように要請をしたところでございます。
 このような調査は、私どもは五十三年のときにも調査をさせていただいております。そのときの調査でも、ここまでの数字ではございませんが、若干このような数字が出てきたときにマスコミを通しお願いをし、いろいろ要望、陳情等もしたわけでございますが、なかなかその問題に全体が取り組んでくれるまでには至らなかったと。そして、その後の平成六年に二度目の調査をいたしました。それで今回の調査という形でございます。
 いろいろな問題がふえてきているということで、今回は特に援助交際等が新たに加わったというような問題でございます。この問題を学校が、親が、また地域がというようにお互いになすり合うんではなくて、本当に真剣に考えていかなければならないというところで我々も今苦慮しているところでございます。
 以上でございます。
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大島慶久#8
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。
 次に、中野参考人にお願いいたします。中野参考人。
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中野良顯#9
○参考人(中野良顯君) お手元にお配りいただきました「児童生徒の問題行動等について」という十五ページの資料を用いて意見を申し上げたいと存じます。
 最初にありますように、まず問題行動の分類、それから日本の問題行動の趨勢、その分析と対応、予防、そして児童生徒の健全育成、そういう順序で申し上げたいと思います。
 まず、二ページの問題行動の分類でございますけれども、いろいろな分類の仕方がございますが、コントロールの不足による問題行動と、コントロールし過ぎによる問題行動という分け方がございます。オーバーコントロールとかアンダーコントロールという言葉が使われますが、コントロール不足の中には、いじめや校内暴力とか反社会的行動といったようないわゆる攻撃型の行動が含まれます。逆にしつけられ過ぎといいますか、この過剰になっている場合に、不安とかうつとか引きこもり、登校拒否、自殺といったような問題が起こりがちになります。
 日本の問題行動で最近話題になっておりますいじめの発生状況のグラフをそのページに掲載いたしました。これは文部省の調査結果でございますが、昭和六十年度をピークとして急激に減っておるという傾向を持っておりましたけれども、大河内清輝君の事件が起きた平成六年、そしてその後、文部省等がさまざまな対応をしたにもかかわらず、平成七年度にはさらにふえているという傾向をごのグラフは示しております。
 学年別のいじめの発生件数を見ますと、中学一年生が一番多く、中学二年生がそれに次ぎます。そして、小学校六年生、さらに中学三年生、小学校五年生といったように、中学時代の問題が非常に大きいことが推測されます。
 攻撃型の問題行動の二つ目は校内暴力ということでございますが、三ページにございますように、校内暴力はじりじりと増加をしてきているということがこのグラフからわかります。中学校の発生件数は一九九五年に非常に多くなっていることがわかります。発生学校数というデータは横ばいですけれども、やはり少しずつ上昇ぎみの傾向が見られます。高校の発生件数、これも増加をしておりまして、発生学校数もふえつつあるということが憂慮されます。
 逆に、問題行動と申しましても、非社会性の問題行動として典型的なものに登校拒否というものがございますが、文部省の統計では、長期欠席者のうち、学校嫌いを理由に五十日以上長期欠席する児童生徒というふうに定義をしております。
 小学生で五十日以上の欠席者は病気が一番多いわけでありますが、一万五、六千人前後で横ばいをしておりますけれども、学校嫌いというのは一九八四年にはわずか四千人でありましたが、一九九七年になりますと、病気とほぼ同じ一万六千人に近づいていることがわかります。中学校の長期欠席者はもともと学校嫌いによるものが他を圧しておりまして、その数は六万人を超えているという憂慮すべき現状にあります。
 さらに、三十日以上の登校拒否という統計が九一年度からなされておりますけれども、下のグラフにございますように、九六年度には小中学校合わせて九万人を超えていることがわかります。
 直接のきっかけというのは、小学校の場合には本人の問題、家庭生活、学校生活という順序ですが、中学校になりますと学校生活に起因するものがトップになっておりまして、次いで本人の問題、家庭生活ということになります。学校生活ということになりますと、一つは勉強についていけるかどうか、もう一つは友人関係、いじめ等も含めたそうした対人関係上の不愉快な出来事ということが考えられます。
 登校拒否の区分についてはさまざまな方法がございますけれども、文部省統計では、不安など情緒的混乱の型、無気力型、複合型、遊び非行型、そして意図的に学校に行かないで生きるといったような、ウェー・オブ・ライフといいますか、生き方としての登校拒否、こうしたものがございますが、不安など情緒的な混乱の型と無気力型が多いことがわかります。
 さらに、五ページには保健室登校、保健室に登校しているお子さんのデータでございますけれども、一九九〇年度の調査と九六年度の調査、二回、学校保健会の調査がございます。一校一日当たり保健室利用者数、いずれも九六年の方が増加をしております。心身の健康問題の年間発生状況では、慢性疾患に次いでいじめが多くなっていることがわかります。白いグラフは高校、黒いグラフは中学、灰色のグラフが小学校でございます。
 体の問題で保健室に来談をしておりますけれども、心の問題を背景に持っているという場合について、グラフは小中高校で高校が一番多いわけでございますが、現在継続支援中の心の問題の事例も、一九九〇年度に比べますと増加をしていることがわかります。現在、保健室登校しているということ、つまり在籍学級には行けずに保健室で勉強をしているお子さんが推計で一万人を超えるという状況がございます。
 六ページは高校中退でございますが、高校中退の子供の数は約十万人前後でございます。アメリカなどに比べますと高校中退率は非常に低いわけでございますけれども、しかしこれも、高校生の数が減ってきているということを考えますと、決して中退率が減少してはいないということがわかります。
 最後に自殺でございますが、小中学校児童生徒の自殺者数は、全体としては減少の傾向をたどっていることがわかります。
 問題行動全体の動向といたしましては、やはりいじめが一校当たり発生件数で一・五件というように、全国小中高四万校以上の学校の中でいじめの問題が六万件近く起こっているということがわかります。登校拒否も例年増加をたどっておりまして、昭和四十一年度の調査開始以来、最高の数値になっております。今余りマスコミでは取り上げられておりませんけれども、校内暴力の増加は大変憂慮されるところでございまして、攻撃型の問題行動に対する対応ということが一つの緊急の課題になっているかと思われます。
 こうした問題行動をどう分析し対応するかということに関して申しますと、八ページにございますように、いじめや校内暴力の神話と事実ということで申しますと、加害者は外面は強そうに見えるけれども内面は不安定で壊れやすく、他の子供たちより自尊心が低いといったような常識がございますが、事実は逆でありまして、加害者は自尊心も低くないし、別に不安や心的な問題を持っているとは限らない。加害行動をむしろ正当化し、いじめは好きだというような言動を発する場合が多く、発見された後も加害者の側で被害者に謝罪をするといったような行為はまれであることがわかります。
 いじめ問題は田舎よりも大都市の方が多いというのも誤りでありまして、知覧町の場合などは人口一万四千でございましたけれども、やはりいじめの問題は起こっている。つまり、都市と農村の差はないということであります。学級、学校規模が大きければ大きいほどいじめや校内暴力が多いか。これも、小規模校であっても問題は起こるということであります。
 また、眼鏡、肥満、そばかす、頭髪の色といったような身体的な特徴をきっかけとしていじめが起こるという考え方がありますけれども、そうではなくて、被害者の側の不安な傾向、あるいは報復をしないといったような弱々しさ、いじめを受けても仕返しをしないというメッセージ、そうした心理的特徴がむしろ被害者の最初のきっかけになるということがこれまでの研究で明らかになっております。
 ほとんどのいじめが校内よりも登下校中に起こるという見方も間違っておりまして、昼休み、あるいは先生が職員会議をしている時間、朝自習の時間、休み時間といったような校内で多く起こっております。日本の調査では、中学生の場合、休み時間に六三%、部活動で二六%、放課後二〇%、授業開始前が二八%ということで、登下校ではわずか一八%にすぎない。いわば大人の目を盗んだ学校場面でのいじめというものが多いことがわかります。
 また、いじめが学校での成績不振と挫折を原因とする欲求不満のはけ口として起こるという見方ももっともらしい見方でありますけれども、必ずしも学業成績不振と相関の関係はないということであります。また、加害者が貧困家庭の出身であるということも間違いでありまして、いじめの行動の出現と家庭の経済状態は関係がないということであります。
 一方、非社会的行動の代表である登校拒否をどうとらえるかということでございますが、典型的には不安型と恐怖型というのがございますけれども、不登校によって何らかの利益を手に入れている道具的行動というふうにこれを行動主義的に見れば考えることができるわけであります。
 学校に不快源がある場合には、学校に行かないことによって不快源から回避することができる。学校でしかられたので、逃げ出すということで不快源から脱出をする。また、家庭に滞在することによって家から離れることの不安を取り除くことができる。あるいは遊び型、非行型の登校拒否の場合であれば、テレビを見たり遊び仲間と一緒に過ごしたりすることができるといったようなことがあります。そういう意味で、問題行動をその機能によって分類して、それぞれに応じた対応が必要であると考えられます。
 問題行動全体に対する予防ということで考えますと、十ページのように予防の等式というものがございます。図にありますように、問題行動の発生は一種の分数であり、分母は対処技能、社会的支援網、自尊感情。分子はストレスと傷つきやすさの個人差。分母が小さく分子が大きいほど問題行動は起こりやすいということになります。
 ストレスというのは、環境がもたらす心身への負荷あるいは不快刺激。これにも引っ越しとか両親の離婚とか大きなストレスイベントもありますけれども、毎日の暑さ寒さ、騒音といったようなデーリーハッスルというタイプのストレスもございます。
 ストレスが大きく、かつ、その本人が生来傷つきやすい体質のお子さんである場合には問題は起こりやすくなる。しかし、対処技能、対人問題、葛藤に適切に対応する能力といったようなもの、あるいは社会的な問題解決能力といったようなものを教育によって指導することにより、スキルを増大させることで分子の大きさを相殺することは可能であります。
 社会的支援網、ソーシャル・サポート・ネットワークというのは、その本人がどれだけ孤立しているか、あるいはどれほど友達があり、相談できる大人がいるかということでありまして、二番目の対策は、そうした子供の対人関係やその能力を高めること、そしてネットワークを強めることであります。
 そして、自尊感情、これは自尊心あるいは自分を価値ある存在と評価して大切にする感情のことでございます。
 こうした一次予防等式に従いますと、登校拒否とかいじめの予防というのは、まずストレス源としての学校や家庭や地域の持つ不快さ、嫌悪性の性質を明らかにし逆転させること。ストレス反応の個人差を考慮して、弱い子供に対しては日ごろから目を配り、たくましく育つように積極的に育成する。傷ついたときには早目に手当てをする。分母を膨らませる方法として、生涯学習社会に必要な学ぶスキル、対人関係のスキルの組織的教授を行う。わかる授業、考えさせる授業、個人差を考慮した授業などが重要になってまいります。
 学校では、孤立児に注目をして、友達や助けてくれる大人がふえるように教師が調整をする、あるいはリーダー的な子供と組み合わせをして仕事や発表をさせる。孤立児を仲間に入れる子供を奨励し称賛をするといったような対応が必要になってまいります。
 自尊感情、これは自尊心ということでありますけれども、少し困難な課題に挑戦して成功する経験、あるいは他人に役立つことをして感謝される経験を提供するといったようなことが必要になってまいります。
 問題行動というのは、やはり複合的な要因から起こると考えられます。学校の改善、家庭の改善、地域社会の改善、それから社会全体の改善、それぞれのシステムの各成分がこぞって改革をするということが必要になってまいります。
 学校の改善としては、ゆとりある学校をつくるということでありますが、やはり現在の日本の学級規模というのは先進国と比べますと著しく大きい。これは第十五期中教審答申の中でも指摘しているところでございます。教員一人当たりの児童生徒数を減らさなければきめ細かな指導は難しい。
 二番目は、人間形成専門家の配置。学校教育は生徒指導と学習指導という車の両輪で行われておりますけれども、特に生徒指導に関して専門家が配置されていないということが、日本の戦後教育におけるバランスを失った教育の欠陥である。教師は学習指導の専門家ではあっても人間形成の専門家ではない、あるいは人間形成の専門家であったとしても学習指導と兼務を余儀なくされているところに大きな問題がございます。
 学校経営を改善する。これは、行動の指針を明快にし、規則に従えば強化を受け、規則を守らなければ罰を受けるといったような行動の原理が重要になります。二番目は一支援関係をつくる。教師同士の支援関係、子供同士の助け合いの関係が希薄になっている。三番目は、個人差を考慮する。それから、子供同士の助け合うファシリテーターを育成するといったようなことが重要になってまいります。
 家庭教育としては、やはり子供をモニターして、今だれとどこにいるかを親が知りていること。ささいな問題は無視して、重大な問題はきちっとしつける一貫性のある子育てをする。また、子供自身が問題解決のスキルを学習できるように親がそのモデルになる。子供の行動をしっかりとフォローして、ささいな行動でもよい行動には必ず言葉かけや御褒美で報いるようにする。親子で一緒に楽しめる活動を見出し、子供と過ごす時間を確保する。子供の成長に関心を示し、あきらめず子供に期待し、学校でのことを話し合う。家庭生活のルールをつくり、子供が現実の自分に気づくように、なんじ自身を知れということを要求する等々の家庭の教育の改善が必要であります。
 地域としては、学校、家庭、地域の連携ということが必要でありますが、私どもが関係している松戸市の場合にも健全育成会議という試みをしておりますけれども、そうした活動に対する財政的な援助というものを継続的に行われることが望まれます。
 社会の改善としては、よい大人のモデル、あこがれの対象となるような大人をふやすということと、社会に貢献する企業を強化するということも重要かと存じます。
 今年度の朝日新聞文化財団の企業の社会貢献賞では、イトーヨーカ堂が環境・資源問題などに積極的に取り組んでいる点が評価されている。社員にやさしい賞では日本航空。障害者雇用賞では、松下電器産業が一・六%を超える障害者雇用を実現している。日本IBMが雇用の国際化を図り、花王が消費者志向賞を、また関西電力が地域と共生賞、安田火災海上は社会支援賞。
 しかし、これらの賞の理由を見ますと、自分の社内の労務管理がよいからといって賞を受けるというのは、ちょっといささか理由が弱いといいましょうか、社会に貢献するということに対して国家が報奨を出すような制度がむしろ必要ではないかというふうに思われます。
 以上、児童生徒の健全育成に関しましては、学校、家庭、地域社会、そして社会というものの改革が必要かと思われます。
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大島慶久#10
○委員長(大島慶久君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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北岡秀二#11
○北岡秀二君 自由民主党の北岡でございます。
 小田先生、鈴木専務理事そして中野先生におかれましては、それぞれの立場から大変貴重な御意見、御見解を私どもに御披露いただきましてまことにありがとうございます。
 私の方からは、先生方に共通して御質問をさせていただく点と、個々御質問をさせていただきたいと思う点とちょっと区分けをして、思いつくままに何点か質問をさせていただきたいと思います。
 私どもにとりまして神戸の事件というのは、これはもう青少年を考える上で一番身近な大きな事件でございましたので、まずここからお聞きしたいんですけれども、先ほど小田先生の方からは、少年法についてはいろいろの御見解をいただきました。少年法の改正について、これは直接は法務委員会で、文教の直接担当ではないんですけれども、私も委員会議論としてやらせていただきました。
 特に、PTAの立場での鈴木専務理事さん、そしてまた中野先生の立場で、直接の専門の領域ではないだろうとは思うんですけれども、この少年法の改正問題についてお二方の立場から御見解がございましたら、まずお教えをいただきたいと思います。
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鈴木仁#12
○参考人(鈴木仁君) ただいまの点でございますが、全体的に議論をされているところでございますが、諸外国と比べ青少年の保護に対する法規制があいまいというような感じがございます。十分な比較について私どもしたわけではございませんのでわかりませんが、この点について御検討をいただき、もし少年法の甘さというものがあるならば、ひとつその辺を十分に善処していただければありがたいと、かように我々としては思っているところでございます。
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中野良顯#13
○参考人(中野良顯君) 子供でも、人間として責任をとる、責任を持つという一貫した教育と司法のシステムが必要であるように思われます。もし、少年であるがゆえにみずからの責任を負うことを免れるといったような悪用が可能である点があれば、やはりその点については改正すべきであるというふうに考えます。
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北岡秀二#14
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 あと何点か共通してお答えをいただく部分を先にやらせていただきたいと思います。
 それぞれの先生の御見解の中にある程度入っていらっしゃったことではあるんですけれども、私の立場から、子供を取り巻く環境、今の現状と将来ということを考えていったときに、少子化社会というのが非常に大きな要因になっておるような感じがするんです。
 ちょうど、皆さん方御承知だろうと思いますけれども、直近の出生率が一・四二ということで、私らの時代、さらにずっとずっと以前の時代から比べると、一つの家庭の中で子供の数がどんどん減ってきて、当然兄弟間の切磋琢磨もなくなっているし、これはもう少子化と表裏なんですけれども、特に女性の社会進出ということも関連してきたりで、かかわり合い方も家庭の中でどんどん変わってきておる。
 そうしてまた、そういう状況の中での親のあり方、あるいは子供の存在感というのがこれから将来に向けてもどんどん変わっていくであろうし、それに少子化ということの延長線で学校の中でもいろんな問題点が起こっておるということで、少子化という状況の中で家庭の中にどれだけの影響が進行しておるのか、そしてまたなおかつ、少子化ゆえに学校の中でどういう問題が起こってきておるのか、そしてまた、それぞれの先生方が先ほど見解を表明していただいた中にも重複して入っておるわけでございますけれども、これからの学校での対応、少子化ということを前提にした中でどういう対応をしていかなければならないのか、先生方の御見解をお伺い申し上げたいと思います。
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小田晋#15
○参考人(小田晋君) 少子化の問題は日本ばかりじゃなくて、一人っ子政策をとった中華人民共和国で非常に問題になっているところであります。中華人民共和国の場合は、特に徴兵制度を持っておりますから、それと関連して非常に大きな問題を生じてきているように思いますけれども、日本の場合はちょっと違います。
 少子化現象が起きてから日本で起きてきた幾つかの現象ということですと、一つは、確かに過保護化という言葉は正しくありませんけれども、先ほど御指摘になったように少年たちが切磋琢磨の機会を失ったということがあるんです。要するに、子供たちがはれものにさわるように学校でも家庭でも扱われるようになっているということは確かに問題だと思います。
 これは女性の社会進出とどういう関係があるかということなんでありますけれども、女性が社会進出する場合に、例えばフェミニズムの見地から、夫の家事の協力とかそういうことがなければ子供を産んでやらないという子供を人質にとった議論があるんですけれども、これは実際のところからいうと、現在は子育ての義務というのはほとんど、その一つ前の世代、祖父母にかかっているというような状況であります。
 これを一体どの程度のところまでカバーすれば母親の社会進出に邪魔にならない形で第二番目、第三番目の子供を産むことができるかということが問題なんですが、一般的に言いますと、最低限いわゆる授乳期間中、その授乳期間中でも四カ月という説もありますけれども、私はやっぱり八カ月と考えておりますが、バックアップを母親がやらなきゃならない。しかし、このときにその間のキャリアが中断することを女性の側として引き受けることができないなら、これは非常に難しい問題になってしまいます。
 その場合、やはりそこを何とかバックアップするというのが社会的な仕事ですし、それから子供連れでの出勤ですね、その場合の託児所の制度なんというのができれば大分違ってくると思います。我々の知っている職業では看護婦ですが、看護婦の場合には需要と供給の関係から職場託児所を持っているところが多くて、そういうところでは二人目の子供を産むことができるんです。こういうことを考えてみることも必要なバックアップの方法じゃないかと思います。
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鈴木仁#16
○参考人(鈴木仁君) 学校生活アンケート調査などの結果を見ましても、いじめ等につきましても、子供の数の減少が大きくいじめというものに対して影響しているのではなかろうかという数字なんかもあらわれてございます。一人っ子というような形で、どうしても兄弟げんかというものもなくなってございますし、学校へ行っても、確かに今の学校教育は高度になったことは事実でございますけれども、高度になった反面、昔は補導という言葉を使われても大変だった時代でございましたけれども、今は堂々と中学生の逮捕という言葉がどんどん出てくるようになってしまった。
 そういう問題を考えたときに、一人の子供のただ教育的なものに親が没頭していくということで、子供の個性を生かすこともできない、そういうところから大きな原因が出てきているのではなかろうか。ですから、全体的にいろいろ見ましても、何人かの子供の中で育ってきている子供たちの方が、いじめとかそういうものでの結果は余り出てこないというようなものがデータに出ているのはその辺ではないかと思います。
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中野良顯#17
○参考人(中野良顯君) 少子化によって子供たちが社会性というものを育てる機会を奪われてしまっているといいますか、あるいは経験が非常に少なくなってきているという事実があると思います。家庭と学校だけという生活の中で社会性がなかなか育たないという面がございますけれども、伝統的にはソーシャルスキルといったようなものは家庭で授けたものでありますけれども、現代ではやはり学校教育の中で積極的に育てていく必要がある。
 例えば、ボランティア活動などは実際の職場を体験するということでありますけれども、そうした老人ホームとか、あるいは保育所とか障害者施設とか、人々が働いて生活をしている場所で実際に触れるということ、あるいは、今考えられている総合的学習の時間などを使っての問題解決型のフィールドワークを含めた学習といったようなことを通じて社会とか職場の現実に触れるチャンスをふやすということが、子供たちの社会性を育てる上で大変大事になってくるだろうということが考えられます。
 それから、女性の社会進出との関係で申しますと、やはり家庭生活や家庭環境にゆとりをつくるということが時間的にも空間的にも必要ではないかというふうに思われます。欧米の都市と日本の都市などを比べて一番大きく違うところは、やはり自動車道路と家並みとの間にかなり広い空間を持って空間的にゆとりがあり、そういうところで子供たち同士の触れ合いといったようなチャンスが自然に生まれるようにできておりますけれども、日本の場合には余りにも合理的な都市づくりあるいは家庭環境の狭さ、そうしたことが家族同士のつき合いとか子供同士の交流といったようなチャンスを奪っているという面があると思います。家族が団らんをするという時間的なゆとり、空間的なゆとり、そうしたものが子供の教育にとっても必要かというふうに思われます。
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北岡秀二#18
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 今のお話で中野先生にちょっと足してお伺い申し上げたいのですけれども、今の御答弁の中にございました、少子化現象によって子供の社会性が損なわれる部分もあると。そういう問題解決に際して、当然家庭で対応していかなければならない部分と、地域社会で対応していかなければならない部分と、学校でカバーしていかなければならない部分と、今の三点の論点でお話しをいただいたわけでございますが、私の受け取った印象では、子供の環境が非常に損なわれつつある部分を学校教育の現場で一番大きくカバーをしていかなければならないというふうにちょっと私お聞きさせていただいたのですけれども、そのあたりはどうでしょうか。
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中野良顯#19
○参考人(中野良顯君) 例えば一人っ子とか、あるいは兄弟二人だけれども年が離れているといったように、実際に家庭で同じ年齢の仲間と触れ合うチャンスというものはほとんどない状態にございます。四人、五人と兄弟があって、お互いに競争したり助け合ったりするという機会が自然に生まれるという時代ではない。同年齢の子供たちが出会う場はやはり学校が中心になりますので、学校は従来はいわゆる学問の基礎基本を教えるということが中心になっておりましたけれども、ソーシャルスキルあるいは社会的能力を育成するということも大きな教育目標としてカリキュラムに含めていく必要があるというふうに考えております。
 そういう意味で、学校でのソーシャルスキルの訓練とか、あるいはグループワークとかボランティア活動とか、職場体験型の問題解決学習といったようなものがカリキュラムの中にもこれからは必要になってくるだろうというふうに考えられます。
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北岡秀二#20
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 それでは、個別にちょっとお話をお伺いさせていただきたいと思います。
 まず、鈴木参考人にお伺いいたします。
 先ほどからこのアンケート調査の結果報告の御説明をいただきました。非常にタイムリーで新聞報道、マスコミ報道にもかなり大きく取り上げられて、時宜を得た内容のアンケートであり、そしてまたなおかつ現状の青少年を取り巻く状況の問題点を改めて浮き彫りにしていただいたということで、非常に大きな活動成果を得られたのではなかろうかと思うのです。
 先ほどいろいろな分野にまたがっての御説明をいただきましたが、このアンケート調査をやられた結果のトータルの御感想はどうでしょうか。率直な御感想をちょっとお伺いしたいんです。
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鈴木仁#21
○参考人(鈴木仁君) 先ほども申し上げましたように、薬害関係のところにおいて八十数%が認知しているという結果があらわれたということ、高校生ではなくて中学三年生がこれほど認知をしているということ、興味を持たれているということに対しては、これは大変なことだと。
 この辺について、これから私どもも六十協議会の御意見のもとに、親の意識の改革の中で何をしていかなければならないのか、やっていかなきゃならないなというのが全体の中で感じているところでございます。
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北岡秀二#22
○北岡秀二君 今の答弁の中にも含まれておることでございますが、今後のPTA活動、先ほどから各先生の話の中にも、そしてまたPTAのサイドでも十分に御認識をされておることだろうと思います。
 家庭の教育というのはいかにあるべきかという部分がこれからますますクローズアップされるだろうと思います。そういう観点で、今お話しの今後の活動展開ですね、もっと具体的な形で何かおありでしたらお教えをいただきたいのです。
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鈴木仁#23
○参考人(鈴木仁君) 全体的に言われていますように、学校と家庭と地域、三位一体という言葉、連携強化、さらには融合というような言葉が使われております。いろいろな青少年を取り巻く環境の問題をこの連携強化の中でしっかりすべきと。これは社会教育、生涯学習の中でも全体的にやっているわけでございますが、本当に連携強化ができているのかどうか、言葉だけが走り過ぎているのではなかろうか、また親としては子供たちの事件のことだけを頭に置いて進んでいるのではなかろうかと。まさに先ほどの万引きの問題などでもそうでございますが、うちの子に限ってはというのが全体的でもございます。
 最近の事例でもございますように、私は栃木でございますから、たまたま栃木で起きたことでございますけれども、中学生がお酒を飲んでオートバイに乗って夜十二時過ぎに走っていたのを警察に保護された。警察の方から自宅に連絡をとった。自宅の者は、うちの子供はとっくに休んで寝ています、間違ってだれかに子供の名前を使われたんじゃないかということでけんもほろろに警察はおしかりを受けて電話を切られた。その後間もなく親が部屋を見てみたら、子供はもぬけの殻であった、うちの子供だということで慌てて警察に飛んできた。
 こういうことが現実にあらわれているのを見たときに、親の意識の改革という言葉も、言葉だけではなくてどの辺からどういうふうにしていくのか、この辺をPTAの中でもしっかりと取り入れていかなきゃならないんだというふうには思っております。
 それではまず何からということになりますと、まず最初には家庭では何を、学校では何を、地域では何をというような、できるものをしっかりと役割分担を決めてかかっていくことが大切なのかな、こんなふうに思っておるところです。
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北岡秀二#24
○北岡秀二君 ちょうど私もPTAの一員でございますが、学校の教育現場での限界というのも確かにある。そしてまた、今の社会というのは非常につかみづらいというか、地域社会はある程度とらえることができるのですけれども、一般的な社会という概念というのは物すごくつかみどころのない状況である。もう一つの視点である家庭、これが一番私どもからしたら動かせる相手と言ったらおかしいのですけれども、一番動かせる相手じゃなかろうかなというような感じが私もPTAの一員としてしております。
 それともう一つ、これは私の立場からのお願いというか、これからの活動の中で参考になればと思うんですけれども、このアンケート調査の結果にも本人の自由意思というようなニュアンスの部分がたくさんございます。これを私なりにいろいろ点検をしてみますと、今の家庭あるいは親の中で残っておる唯一の社会規範である人に迷惑さえかけなければという、人に迷惑をかける子になったらだめだというような教え方、そしてまたなおかつ人に迷惑をかけるような子になったらいかぬという、何か知らぬけれども一つの社会規範になっている。
 これは親の気持ちとして、そしてまた大人の立場の気持ちとして私はわからなくはないんですけれども、裏を返せば人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいんだというような誤った社会道徳というか自由さというのが物すごく蔓延しておるような感じがするんですね。ついつい大人もそういう認識になりますけれども、人に迷惑をかけなければ何をやってもいいという部分が特にいろんな社会の中で、いろんな現場現場で非常に見え隠れをしておるような感じが私はするんです。確かに親の気持ちとして、人に迷惑をかけるような子になったらいかぬというのは私も痛切にわかるんですけれども、このあたりを何とかひつくり返すような運動展開をぜひともしていただきたいと思います。
 相手に危害を加えるとか法律を犯すとかいう問題は別なんですけれども、人間というのは迷惑かけたり迷惑かけられたりのぶつかり合いの中で成長していく部分もあるんです。だから、ある一部分では人に大いに迷惑をかけなさいという部分を私は逆に推奨してもいいのじゃないかな、危害を加えたり法律を犯したりという意味じゃなくて、そういうようなことも私は考えておる人間の一人でございます。日本の伝統にはいろんなそういう道徳というのがたくさんあって、先輩を敬いなさいとか、両親を大切にしなさいとか、お年寄りを大事にしなさいとかいろいろあったんですけれども、言葉は生きていますが、ほとんど死んでおる。唯一残っておる最低限の社会規範として、人に迷惑をかけたらいけない、これだけはまだ生きているんです。
 私はここに大きな問題があるというような感じがしますので、ぜひとも今後のお父さん教育あるいはお母さん教育の運動展開の中に取り組んでいただきたいなと思いますので、ちょっと感想がございましたら御意見をいただきたいと思います。
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鈴木仁#25
○参考人(鈴木仁君) まさにそのとおりだと思います。
 私も保護司という立場を何年間も続けてございますので子供たちの例を見ておるわけでございますけれども、人に、そんなに何人もに迷惑をかけたわけじゃなければいいだろうというようなことを平気で言いますし、また、ちょっとしたことで警察に捕まってもすぐ帰してもらえるんだという感覚も持ってございます。そういう子供が警察に、きょうは何が何でもだめだ、帰さないぞといって留置場に入れられると同時に、こんなに人が変わったのかなというぐらいに一瞬に人が変わるように変わりまして、泣きじゃくって、そして今までのことをすべてしゃべって反省し、本当に悪かったというものをそこで打ち出すという実体験を私も見てございます。
 そういうものから見ると、先ほど私も申し上げましたように、三つ子の魂じゃございませんけれども、人のものはとっちゃいけないよ、あれはこうですよというようなことだけただ口先だけで言ってそのままでは今後あり得ないのだな、こんなふうには思っております。
 そういうところも十分これからは、例えばPTAにおきましてもお父さんの出番もしっかりとしてもらわなきゃなりませんし、もう場合によっては夫婦で出てきていただいて、学校教育の中でもいろいろ話し合いができるような場面にしていかなければならないな、こんなふうに考えております。
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北岡秀二#26
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 続いて小田先生に数点お伺いしたいと思います。
 神戸の事件についていろいろお話をいただきました。これはよく議論されることなんですが、神戸の小学生の殺害事件、この加害者の少年の精神状態の問題、先ほど先生の立場でいろいろ御分析をされたお話をいただいたわけでありますが、この事例というのは、特殊な事例と考えて解釈をした方がいいのでしょうか、それとも一般的、潜在的にだれにでも起こり得ると考えて我々は対応しなければならないのでしょうか、改めて。
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小田晋#27
○参考人(小田晋君) この事件については、その特殊か一般かという問題と全く逆立ちした議論がなされていると思います。
 つまり、一方ではこの事件は特殊な事件であって、この事件をもとにして少年法の改正などを考えるのは短絡だという意見が、もちろんこの参議院からも出ています。それから一方では、この事件はたった一人の少年の事件であったんですが、この事件をすぐに内申書の問題とか管理教育の問題に結びつけてしまって、今の教育一般が全部間違っているというふうな議論もあります。
 これはどちらも間違った意見です。実はこの事件のような快楽殺人の事件というのは極めて少ないのでありまして、人口二百万人に一人とか百万人に一人ぐらいしか起きてこない事件だと言われておりまして、日本でも極めて少なかったんですが、最近少しふえてきた。
 これはいろいろな事情がありますけれども、一つは、確かに多くの人々の中には性的な衝動と攻撃的な衝動とがもやもやと共存しているという状態はありますし、そしてそれは、思春期に特に性衝動が高まりますので玉突き的に攻撃的な衝動にそれが及んでくるということはあるんですが、最近はそのもやもやとした衝動を行動につなげてしまうような情報が社会の中にあふれている。そのためにこれが行動化されてしまうということはあると思うんです。
 それじゃ、この少年は正常であったか異常であったかといえば、明らかに異常です。異常という言葉は私は余り使いたくないのでありますが、それは精神医学的に診断がつく事例である。行為障害と性障害がある。行為障害というのは人格障害の一つです。人格障害の小さいときの幼弱型です。だから正常ではないんですが、精神分裂病であったかどうかということについて言うと、鑑定では精神分裂病であったことを否定されておりまして、この鑑定はある程度信頼できるものだと思います。その程度のところなんです。
 ただ、この事件を例えばモデルケースにしてみると、こういう事件について現在の少年法の処遇システムがうまく働いていなかったし、今後もこのままではうまくいかないなと。
 この少年が例えばもし心神喪失で精神病院に送られたとしたら、この場合は数カ月で退院するというのが関西の精神病院の運営の仕方である。入院した場合はできるだけ早く精神障害者は退院させなきゃならないのでありますが、いつまでも病院に置いておくのは人権の問題がありますが、犯罪事件に関与した場合は反社会性と精神的な病理と両方が矯正されたということがちゃんとした専門家の機関によって確認されてから退院させるということを提案しますと、これは精神障害者を予防拘禁するものである、保安処分であるという形の非難が提案した精神科医に対しても個人攻撃という形で加えられていく、それが現在の状況です。そういう意味では、この事件は決して教訓にならない事件ではありません。
 もう一つの教訓になることは、こういう形で現実に問題が起きかかっているときにどうしたら入り口でとめることができただろうかと。
 もちろん、子育ての問題として情性をどうやったら高めるのか、それから思春期における性的な興奮をどうやって抑制するのかということがありますが、確かに、猫殺しなんというのは相当異常な行動で、それと、友だちが驚いて転校してしまうほどの暴力をやるというのを両方加えれば、飼い猫一匹でも猫殺しは器物毀棄ですし、友だちに対しては傷害。傷害と器物毀棄と二つあって、しかもその背後に精神的な問題が考えられるような場合には、そこで早急の対応をしなきゃならない。それが今回はできなかったという意味では、これは一般的な問題です。
 ただ、この事件の場合、これが管理教育や学校の教師の対応の問題だということがよく言われておりますけれども、そして神戸の中学校の態度が悪いということですが、この少年が猫殺しを始めたのは、少年が語っているところによりますと、これは本当かどうかこの辺はわかりません、実のところを言うと、これはちょっと比喩でありますから。少年がこういうことを言われていたんです。少年が飼っていた犬のえさを猫が横取りして食べた、そのことに対する復讐として猫を殺したんだとこの少年は友人に語っていた。もしこのことが本当だったとしたら、この事件はちゃんと野良猫の始末をやらなかった保健所の責任だということになります。
 こういうレベルの議論を多くの教育関係者、特に社会評論家、社会学者、ジャーナリスト、新聞の論説委員という人はこの程度の議論を展開してきたんだと。それによって地元の学校の教師たちはいわれない非難を受けてきた。何らかの少年の問題が発生したら学校の教師がいわれない非難を受けるという、現在の報道のあり方ばかりじゃなくて、特にいろんなところでの識者の発言のやり方というのは極めて遺憾だというようなことをこの事件は示してはくれました。
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北岡秀二#28
○北岡秀二君 ありがとうございました。
 それともう一点、先生の先ほどの御説明の中で、五番目の「子育てといじめ非行の抑制」という項目で、思春期の対応で「考えさせること」という御指導をいただきました。思春期、これはもう中学生の領域も思春期ということでございますが、この「考えさせること」というのをもうちょっと突っ込んでお教えいただきたいんです。
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小田晋#29
○参考人(小田晋君) 子供は、乳児期にはもう全面的に受容して愛する。幼児期にはしつける、これはもう体でしつけるんです。少年期には教えるということです。少年期に教えるということをしないために、考えさせるといっても何を考えていいかわからないんです。
 例えば、親に対する扶養というのは本能じゃありません。人間以外の動物で親を扶養する動物というのはないんです。だからこそすべての高等宗教は、ユダヤ・キリスト教はなんじの父を敬えと言いますし、仏教には父母恩重経というのがありますし、儒教には孝は百行のもとというのがあります。この孝という言葉を、孝というのはもう私的なことであって親子の情というのは私的なものだから、これは公教育から取り除いてもいいだろう、あるいは民法から取り除いてもいいだろうということにしてしまいまして、戦後、これは国会で教育勅語を廃止するという決議をなさって、その後それにかわるものをおつくりにならなかった結果そうなりまして、今、孝という言葉は国民の間から消えてしまいました。そうしたら、子供は自然の情で親を大事にするかというと、必ずしもそうではないということが現在わかってきているわけです。
 それと同じように、やはり基本的な道徳観念というのは少年期に教えなきゃだめなんです。それに対して、徳目教育徳目教育ということで妨害に妨害を重ねてきたのは、実は現在までの国会でもそういうような機能が少しはあったと思うんです。ただ、思春期になったらただ教えるだけではだめで、善悪についてみずから考えさせなきゃならない。これはソクラテスの方法と言うんですけれども、何でも議論をさせ考えさせるという時間をつくらなきゃならない。モラルの問題について話し合うという時間は、ゆとりの教育が導入されるならば、それはやっぱり絶対必要なことだということなんです。
 ただ、性教育の問題について言うと、この少年は実は少し思春期が早く来ています。客観的にわかるのは、この少年は国語力は非常に高いんです。ところが英語力は非常に低い。ギャップがある。小学校の教育にはよく適応しているけれども、中学校の教育になってから完全にだめになった。そういうことが起きるのは普通は中学校二年生で起きるのでありますが、小学校六年から中学校一年の間に起きている。思春期が非常に早く来まして性ホルモンの濃度が急激に高くなりますと認知能力が落ちるという論文も幾つかあります。そういう成績が落ちたときに、これをどうやって立ち直らせるか、どうやってアドバイスするか。昔は身辺にちょっと不良のおじさんとか、ちょっと不良のいとことかいうのがいて、それこそ非常に上手にこういうものをやったんですが、今これがなかなかできない。親も教師もこれを道徳的に責めてしまう。お前が怠けているからと言ってしまう。
 こういうときの性教育というのは担任の教師にとっても、それから学校カウンセラーにとっても、それから養護教員にとっても非常に重要なことなのでありますが、こういうとぎの性教育ができるような教育というのは、そういう人たちはだれもやらされていない。現在、確かに性教育の読本というのはありますけれども、あれを見たら性の解放ともう一つはコンドームの使用法しか書いてない。それしか書いてないというのは言い過ぎですけれども、それが中心になっている。コンドーム、コンドームということでエイズ予防に振り回されて、思春期における性のモラルの問題、性をどうするかということを無視した性教育が行われたために、数十億円の金を日本国はどぶに捨てたんです。
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