予算委員会

1998-03-25 参議院 全327発言

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会議録情報#0
平成十年三月二十五日(水曜日)
   午前九時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月二十四日
    辞任         補欠選任
     中曽根弘文君     阿部 正俊君
     上山 和人君     田  英夫君
     上田耕一郎君     吉川 春子君
     筆坂 秀世君     須藤美也子君
     都築  譲君     高橋 令則君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         岩崎 純三君
    理 事
                岡部 三郎君
                小山 孝雄君
                佐藤 泰三君
                永田 良雄君
                成瀬 守重君
                小山 峰男君
                角田 義一君
                風間  昶君
                照屋 寛徳君
    委 員
                阿部 正俊君
                石井 道子君
                板垣  正君
               大河原太一郎君
                大野つや子君
                金田 勝年君
                北岡 秀二君
                沓掛 哲男君
                田沢 智治君
                武見 敬三君
                谷川 秀善君
                南野知惠子君
                長谷川道郎君
                平田 耕一君
                真鍋 賢二君
                依田 智治君
                久保  亘君
                小林  元君
                直嶋 正行君
                広中和歌子君
                和田 洋子君
                魚住裕一郎君
                牛嶋  正君
                加藤 修一君
                高野 博師君
                及川 一夫君
               日下部禧代子君
                田  英夫君
                笠井  亮君
                須藤美也子君
                吉川 春子君
                高橋 令則君
                星野 朋市君
                西川きよし君
                矢田部 理君
   国務大臣
       内閣総理大臣   橋本龍太郎君
       法務大臣     下稲葉耕吉君
       外務大臣     小渕 恵三君
       大蔵大臣     松永  光君
       文部大臣     町村 信孝君
       厚生大臣     小泉純一郎君
       農林水産大臣   島村 宜伸君
       通商産業大臣   堀内 光雄君
       運輸大臣     藤井 孝男君
       郵政大臣     自見庄三郎君
       労働大臣     伊吹 文明君
       建設大臣     瓦   力君
       自治大臣
       国務大臣
       (国家公安委員
       会委員長)    上杉 光弘君
       国務大臣
       (内閣官房長官) 村岡 兼造君
       国務大臣
       (総務庁長官)  小里 貞利君
       国務大臣
       (北海道開発庁
       長官)
       (沖縄開発庁長
       官)       鈴木 宗男君
       国務大臣
       (防衛庁長官)  久間 章生君
       国務大臣
       (経済企画庁長
       官)       尾身 幸次君
       国務大臣
       (科学技術庁長
       官)       谷垣 禎一君
       国務大臣
       (環境庁長官)  大木  浩君
       国務大臣
       (国土庁長官)  亀井 久興君
   政府委員
       内閣官房内閣内
       政審議室長
       兼内閣総理大臣
       官房内政審議室
       長        竹島 一彦君
       内閣審議官    坂野 泰治君
       内閣法制局長官  大森 政輔君
       内閣法制局第一
       部長       秋山  收君
       内閣総理大臣官
       房管理室長    佐藤 正紀君
       防衛庁参事官   伊藤 康成君
       防衛庁長官官房
       長        大越 康弘君
       防衛庁防衛局長  佐藤  謙君
       経済企画庁調整
       局審議官     小林 勇造君
       経済企画庁調査
       局長       新保 生二君
       科学技術庁長官
       官房長      沖村 憲樹君
       環境庁企画調整
       局長       岡田 康彦君
       環境庁企画調整
       局地球環境部長  浜中 裕徳君
       環境庁大気保全
       局長       野村  瞭君
       外務大臣官房長  浦部 和好君
       外務大臣官房審
       議官       海老原 紳君
       外務省アジア局
       長        阿南 惟茂君
       外務省北米局長  高野 紀元君
       外務省欧亜局長  西村 六善君
       外務省経済局長  大島正太郎君
       外務省経済協力
       局長       大島 賢三君
       外務省条約局長  竹内 行夫君
       大蔵大臣官房長  武藤 敏郎君
       大蔵大臣官房総
       務審議官     溝口善兵衛君
       大蔵省主計局長  涌井 洋治君
       大蔵省主税局長  尾原 榮夫君
       大蔵省理財局長  伏屋 和彦君
       大蔵省証券局長  長野 厖士君
       大蔵省銀行局長  山口 公生君
       大蔵省国際金融
       局長       黒田 東彦君
       文部大臣官房長  小野 元之君
       文部省初等中等
       教育局長     辻村 哲夫君
       文部省体育局長  工藤 智規君
       厚生大臣官房総
       務審議官     田中 泰弘君
       厚生省生活衛生
       局長       小野 昭雄君
       厚生省老人保健
       福祉局長     羽毛田信吾君
       厚生省児童家庭
       局長       横田 吉男君
       厚生省保険局長  高木 俊明君
       厚生省年金局長  矢野 朝水君
       社会保険庁運営
       部長       真野  章君
       農林水産大臣官
       房長       堤  英隆君
       農林水産省構造
       改善局長     山本  徹君
       農林水産省農産
       園芸局長     高木  賢君
       農林水産省畜産
       局長       中須 勇雄君
       食糧庁長官    高木 勇樹君
       林野庁長官    高橋  勲君
       通商産業省産業
       政策局長     江崎  格君
       通商産業省環境
       立地局長     並木  徹君
       通商産業省機械
       情報産業局長   広瀬 勝貞君
       資源エネルギー
       庁長官      稲川 泰弘君
       中小企業庁次長  中村 利雄君
       運輸省鉄道局長  小幡 政人君
       郵政大臣官房長  天野 定功君
       郵政省貯金局長  安岡 裕幸君
       郵政省簡易保険
       局長       金澤  薫君
       労働大臣官房長  渡邊  信君
       労働省労政局長  澤田陽太郎君
       労働省職業安定
       局長       征矢 紀臣君
       建設大臣官房長  小野 邦久君
       建設大臣官房総
       務審議官     小鷲  茂君
       建設省都市局長  木下 博夫君
       建設省河川局長  尾田 栄章君
       建設省道路局長  佐藤 信彦君
       建設省住宅局長  小川 忠男君
       自治大臣官房長  嶋津  昭君
       自治大臣官房総
       務審議官     香山 充弘君
       自治省行政局長  鈴木 正明君
       自治省行政局選
       挙部長      牧之内隆久君
       自治省財政局長  二橋 正弘君
       自治省税務局長  成瀬 宣孝君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        宮本 武夫君
   参考人
       日本銀行総裁   速水  優君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○平成十年度一般会計予算(内閣提出、衆議院送
 付)
○平成十年度特別会計予算(内閣提出、衆議院送
 付)
○平成十年度政府関係機関予算(内閣提出、衆議
 院送付)
    ─────────────
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岩崎純三#1
○委員長(岩崎純三君) ただいまから予算委員会を開会いたします。
 平成十年度総予算三案についての理事会決定事項について御報告いたします。
 本日の総括質疑の割り当て時間は百四十六分とし、各会派への割り当て時間は、自由民主党二十分、民友連六十分、公明四十六分、社会民主党・護憲連合二十分とすること、質疑順位につきましてはお手元に配付いたしておるとおりでございます。
    ─────────────
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岩崎純三#2
○委員長(岩崎純三君) 平成十年度一般会計予算、平成十年度特別会計予算、平成十年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。
 昨日に引き続き、総括質疑を行います。板垣正君。
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板垣正#3
○板垣正君 おはようございます。総理初め各閣僚、まことに連日御苦労さまでございます。
 早速伺います。
 日本のあり方というものが改めて問われている、まさに第三の開国と言われる大きな転機に来ていると言われているわけであります。橋本総理を先頭に、連日それに取り組んでいただいております。そうした中で、やはり心の問題が改めて問われておる。物の面では見事に繁栄を遂げましたけれども、大事な心の問題がいろいろな角度から問題がある。
 これはある精神科医の方が高校生を対象に行った調査でありますが、この中で最も高い反応のあったのが、自分がどんな人間なのかわからなくて困ることがある。つまり、日本人であることや自分と社会、国との関係をどう考えればいいのかよくわからない、だからとても不安である、こういうことであります。
 戦後、戦争に対する反省はいろいろありましたけれども、反面、国というような問題について余り考えない、むしろ国というのは対立するものである、個人の自由を制約するものだと。そういうところから、日本人というみずからの意識というか、そうしたものが非常に薄れてきているということは否めないと思う。
 私はその辺に、教育の問題にせよ、広く社会的にも問われている心の問題、日本人のあり方、日本という国の姿、国の形ということが言われますけれども、その根本にはやはり私は歴史というものがいろいろな形で戦後ゆがめられるというか、断ち切られるといいますか、歴史とのつながりを失ったところに、これは家庭の崩壊につながる。あるいは地域団体の一つの連帯精神、日本人相互の同胞意識、そうしたものの淵源するものは歴史であります、歴史の流れであります。みずからがそれにつながっているという存在であります。
 そういう面において、歴史とのつながりというものを改めて見直す必要があるのではないのか、心の問題はその辺に大きなポイントがあるのではないのか、こう思いますけれども、総理並びに文部大臣の御見解を承ります。
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町村信孝#4
○国務大臣(町村信孝君) 板垣委員からはいつもこの問題について大変貴重な御示唆をいただいております。歴史教育の重要性、これはもう委員の御指摘をまつまでもなく、特に学校教育の場では重要な課題である、こう受けとめております。
 これまでも学校の歴史教育は発達段階に応じまして、例えば小学校では、国家と社会の発展に大きな働きをした先人の業績やすぐれた文化遺産に関心と理解を持たせ、人物を中心に歴史に親しませる学習を展開する。中学校では、我が国の文化と伝統の特色を広い視野に立って学び、先人の努力により発展してきた我が国の歴史の各時代の特色と移り変わりを理解させる。通史学習と呼んでおりますが、非常に古い縄文の時代から今日に至るまでということで、中学校の段階では歴史教育を学ぶということを学習指導要領の基本にして行っているところでございます。
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橋本龍太郎#5
○国務大臣(橋本龍太郎君) 今、文部大臣は学校教育の中における歴史教育の位置づけから答弁をされましたので、私は少し違った角度でお答えをしてみたいと思います。
 確かに、将来この国を背負ってもらわなければならない子供たち、その子供たちが、先人たちが築いてきた歴史あるいは文化、伝統と言いかえてもいいかもしれません、こうしたものを理解することによって自分たちの文化や社会の基盤をしっかりととらえる、そこから今度どのような生き方をつくり上げていくにせよ、それは非常に重要なことだと思います。
 その意味では、学校教育の場だけではなく、お互いが子供のころを振り返ってみますと、それぞれの地域にはその地域の民話があり伝説がございました。例えば、私の郷里の場合は吉備文化という言葉に総称される伝承が今も伝えられ続けております。そうしたものの中で、議員は国という立場から言われましたけれども、自分のふるさとを知るということ、そしてそれを通して自分の国を知るということ、これは私は非常に大事なことだと思います。そしてそれは、ただ単に教育の場だけではなく、家庭もありましょうし地域社会もありましょう、そうしたものを子供たちに伝えていく責任がある、私はそのように思います。
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板垣正#6
○板垣正君 それで、歴史を顧みますと、戦後の一番大きな問題はやはり端的に言って東京裁判、またそこからもたらされたいわゆる東京裁判史観。東京裁判は、過ぎ去った問題ではなくして、現在も大きくこの日本のまさに今申し上げた心の問題も支配している問題ではないのか。
 東京裁判については改めて申し上げるまでもなく、十一カ国、連合国の戦勝国によって敗戦国日本を、新たな国際法の規約にない、それを超えた立場における日本に対する断罪が行われた。これはまさに法律なきところにおける、戦勝国によるある意味における復讐裁判であると言うことも、見方もできるわけでありますが、この東京裁判、淵源する東京裁判史観ということについて、まず総理の御見解を承りたい。
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橋本龍太郎#7
○国務大臣(橋本龍太郎君) まさにちょうどその混乱の時代に私どもは小学校から中学校にかかる時期を過ごしました。そして、私どもは、議員の言われるそうした史観以前の問題として、敗戦、そしてその後何を教えていいのか先生方が迷われ混乱した時期にその少年期を過ごしております。
 そして、先ほども申し上げましたように、私は、将来の我が国を担う子供たちが我が国の歴史また文化というものを理解して、日本人の自覚、誇りを持って国際社会の中で生きていく、そういうふうに育てていくということは極めて大事なことだと思います。
 そして、学校での歴史教育というものは、客観的、学問的な研究成果というものをきちんと踏まえながら、事実は事実として、国際社会の中における国際理解、国際協調といった観点からバランスのとれた指導が行われるべきもの、そして子供たちが歴史的な事象というものをみずから多角的に考察し、公正に判断する能力を育てるその基礎を与えるものだと私は思います。
 今後とも、子供たちがしっかりとした歴史理解をみずから行えるような、そうした歴史教育の充実に努めていきたい、そのように思います。
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板垣正#8
○板垣正君 外務大臣、東京裁判についての御見解を承りたいと思います。
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小渕恵三#9
○国務大臣(小渕恵三君) この裁判につきましては、既に諸外国におきましても、学者の間でも裁判をめぐる法的な諸問題につきましては種々議論があることは承知をいたしております。いずれにしても、国と国との関係において我が国はサンフランシスコ平和条約第十一条で極東軍事裁判所の裁判を受諾いたしておりますので、同裁判について異議を唱える立場にはありません。
 ただ、私自身も総理と全く同じ世代に育ってきたわけでございます。特に、終戦後の小学校時代に、ニュース放送等を聞けばこの問題について触れられておったわけでございます。したがいまして、今日に至りましても、八月十五日等にこの裁判の問題の記録並びに映画等が再放送されるたびに、真剣にこれを見詰めながらみずからこの問題について真剣に考えてまいりたい、このように考えております。
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板垣正#10
○板垣正君 この東京裁判の問題については、外務大臣は御記憶かどうかわかりませんが、もう十年ぐらい前、決算委員会で御見解を承ったことがあります。そのときの御答弁並びにそのときの外務大臣あるいは内閣法制局長官、まさに一致した御答弁でございました。また、十年経たただいまの御見解も、つまり講和条約第十一条によってあの裁判を日本は受諾したんだ、だからこれを批判する立場にない、ある意味ではそれに拘束されるんだと、こういうことになるんじゃないでしょうか。ここに大きな問題点があると思いますが、この点についての総理の御見解を承ります。
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橋本龍太郎#11
○国務大臣(橋本龍太郎君) 今改めてサンフランシスコ平和条約第十一条を眺め直しております。
 ここにはこうあります。
  日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。
 我が国は、確かにこの条文を含んだ条約によって独立をかち得ました。極東裁判というものには学者の中においてもいろんな議論がありますし、また学者とは違った立場の方々からも御論議があることは、これは私自身も承知をいたしております。
 しかし、国と国との関係ということになりますと、私は、外務大臣がお答えを申し上げましたように、サンフランシスコ平和条約の第十一条によってこの極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している、その上で独立を回復してきた。そうなりましたときに、この裁判に対して国と国との関係におきまして異議を述べる立場にはないという外務大臣の御答弁は、政府としては同様の見解を公式にお尋ねがあれば述べるということにとどまると存じます。
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板垣正#12
○板垣正君 重ねて外務大臣、この条約は当時から解釈をめぐって、講和条約におけるほかの国からもこうしたものはない方がいいじゃないかと言われていたくらい問題の条項であります。
 講和条約が結ばれたにかかわらず、まだ千名を超えるいわゆる戦犯と称する人たちが巣鴨にも豪州にもフィリピンにも、中には死刑の判決を受けたまま置かれておった。元来、講和条約が結ばれればそうした者は全部釈放されるのが当然であります。にもかかわらず、十一条を設けてまだ捕まえておく。刑を執行するのは日本の責任でやれ、これが十一条の本旨じゃありませんか。ほかの国の条約の正文によって、今読まれましたけれども、判決を受諾すると。これがイギリスなりあるいはスペインなりフランスの原文にはそうなっている。我が国がどういうわけか裁判を受諾すると訳され、かつ今のような、まさに戦後五十年なおこれに縛られているんだというような、世界の常識とも国民の多くの考えとも隔絶した枠の中に今なお縛られているというのはいささか問題があるんじゃないですか。大いに問題があるんじゃないですか。その点、重ねて見解を承ります。
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竹内行夫#13
○政府委員(竹内行夫君) サンフランシスコ平和条約におきます用語の問題に関しまして御答弁申し上げます。
 確かに先生おっしゃいますとおり、英語文でジャッジメントという言葉が使われておりまして、これを通常は裁判という文言を当てる場合と判決という文言を当てる場合がございますけれども、いずれの場合におきましても特段の意味の差があるとはこの場合におきましては考えておりません。
 この極東国際軍事裁判所の裁判を例にとりますと、裁判の内容、すなわちジャッジメントは三部から構成されておりまして、この中に裁判所の設立及び審理、法──法律でございますけれども、侵略とか起訴状の訴因についての認定、それから判定、これはバーディクトという言葉を使っておりますけれども、及び刑の宣言、センテンスという言葉でございますけれども、こういうことが書かれておりまして、裁判という場合にはこのすべてを包含しております。
 平和条約第十一条の受諾というものが、単に刑の言い渡し、センテンスだけを受諾したものではない、そういう主張には根拠がなかろうと言わざるを得ないというのが従来政府から申し上げているところでございますことは、先生も御承知のとおりでございます。
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板垣正#14
○板垣正君 それでは、私はこの歴史の流れをまさに顧みる意味において、この国会において我々の先輩議員がこの問題についてどういう姿勢をとられたか、どういう政治見識と信念を示されたか、このことについて記録に基づいて申し上げたいと思う。
 今申し上げたような千何百名も講和条約ができても拘束されていることに対しては、まず国民的な運動が起こり、四千万と言われる署名運動が寄せられ、釈放すべきだ、解放すべきだと。こういうものを受けまして国会で決議が行われております。
 講和条約が締結されたのは昭和二十七年ですね。二十七年の十二月九日、第十五回国会、まず衆議院において当時の田子一民議員外五十八名、当時の自由党、改進党、左右両派社会党、無所属倶楽部の共同提案による次のような戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議が圧倒的多数で可決された。独立後既に半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数がある、たえがたい、釈放すべきだというのが国会決議でありますが、この提案の趣旨説明に立った田子一民議員が、
  およそ戦争犯罪の処罰につきましては、極東国際軍事裁判所インド代表パール判事によりまして有力な反対がなされ、また東京裁判の弁護人全員の名におきましてマツカーサー元帥に対し提出いたしました覚書を見ますれば、裁判は不公正である、その裁判は証拠に基かない、有罪は容疑の余地があるという以上には立証されなかつたとあります。
 さらに、これは御存じの方もおられると思いますが、改進党の山下春江議員もこの趣旨説明について本会議で、
 占領中、戦犯裁判の実相は、ことさらに隠蔽されまして、その真相を報道したり、あるいはこれを批判することは、かたく禁ぜられて参りました。当時報道されましたものは、裁判がいかに公平に行われ、戦争犯罪者はいかに正義人道に反した不逞残虐の徒であり、正義人道の敵として憎むべきものであるかという、一方的の宣伝のみでございました。また外地におきまする戦犯裁判の模様などは、ほとんど内地には伝えられておりませんでした。国民の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙をきわめたものでありまして、今でも一部国民の中には、その宣伝から抜け切れないで、何だか戦犯者に対して割切れない気持を抱いている者が決して少くないのであります。
  戦犯裁判は、正義と人道の名において、今回初めて行われたものであります。しかもそれは、勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であつたといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。
 まさに独立を回復した本会議において、戦犯釈放という決議ではありますけれども、ここに込められた思いは、勝者の一方的な断罪に対するまさに国民の叫びであり、国政の場における叫びではありませんか。
 これは与党だけではない、当時の社会党議員による批判も行われている。決議採択に際し、日本社会党の古屋貞雄議員は、
 戦争が残虐であるということを前提として考えますときに、はたして敗戦国の人々に対してのみ戦争の犯罪責任を追及するということ──言いかえまするならば、戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追及するということは、正義の立場から考えましても、基本人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。世界の残虐な歴史の中に、最も忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしましたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であつて、われわれはこれを忘れることはできません。この世界人類の中で最も残虐であつた広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもつて戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。
 こうした決議のもとに努力が続けられましたけれども、最終的にいわゆるB・C級戦犯の最後の方が釈放されたのは昭和三十三年に至るわけであります。
 しかし、今読み上げましたのが、まさに当時における我々の先輩議員が、まだまだ貧しいあの廃墟の中から立ち上がり、しかも新たなる平和国家再建を目指して立ち上がったときの烈々たる心情ではありませんか。我々は今これを受け継いで、いかに第三の開国をしていくか問われていると思う。
 改めて、先輩議員のこの思いに対する総理の御見解を承ります。
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橋本龍太郎#15
○国務大臣(橋本龍太郎君) これは私が申し上げることが適切かどうかわかりませんけれども、議員が今触れられました中にパール判事のお話がございました。そして、パール判事は、御承知のように極東国際軍事裁判の判事としてこの裁判において被告全員の無罪を勧告された方であります。ただ、それは戦争中の日本の行為を免罪としたものではございませんでした。そしてその上で、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くこと及び事後法によって被告を裁くことの不条理さ、これを厳密な法理論のもとにその観点から指摘をされた、そう私たちは後に学びました。
 そして、東京裁判につきましては、パール博士の議論も含めまして法的にさまざまな問題について議論があることも事実です。同時に、私は、当時の日本人、我々の先輩世代の方々が、このパール判事のこうした姿勢によって、敗戦に打ちひしがれたその中で日本人が勇気づけられたことも事実であったと思います。そして、議員が今紹介をされましたような先輩議員の党派を超えたその声というものは、そうした当時の我々の先輩たちの胸の中に党派を超えて存在した思いを表現されたものだと思います。
 そして、みずからの責務に取り組まれたこの献身的な姿勢に対し、その真摯な姿勢というものが日本人の心に深く刻まれておりますし、日印両国国民の精神的紐帯のきずなとなっているということも御承知のとおりであります。政府はこうした博士の功績をたたえて勲一等瑞宝章を授与いたしてまいりました。
 今、サンフランシスコ講和条約から、あるいはこの条約によってその裁判を受諾したこと、それについてのコメントは政府として申し上げることは適当ではないと思いますけれども、このパール判事の行動に対する今も伝わっております日本人の中に残る思い、それがインドとの紐帯を築いているきずなとなっていること、そうしたものから国民の思いというものは御理解がいただけることであろう、私はそう思います。
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板垣正#16
○板垣正君 今、パール博士のお話がありました。パール博士の顕彰碑が昨年十一月に京都の霊山護国神社の境内に民間有志の手で建立されたわけであります。これは大変意義の深いことでありまして、この除幕式には橋本総理もメッセージを寄せられ、祝辞を寄せられております。
  世界の平和と正義を守る精神を強調することに尽力され、日本人の心の中にいつまでも思い出を残されているラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑が竣工されましたことを、心から慶祝いたします。
 外務大臣は出席できませんでしたが、高村外務政務次官が出席をして、大変心のこもったごあいさつをしていただいております。
 最も劇的なものは、ナラヤナン・インド大統領からメッセージが寄せられておる。このメッセージには、
  ラダ・ビノード・パール博士は、極東国際軍事裁判において、インド代表として、極めて緊迫した国際的政治情勢の下で、困難な責任を背負われました。
  博士の有名な反対判決は、勝者側の偏狭なナショナリズムと政治的復讐とを退け、それよりも平和そして国家間の和解と親善のために努力すべきことを説いた、感銘深い呼びかけでありました。
 まさにパール博士は、今なおインドにおきましては、しかも昨年はインド独立五十周年、こういう意味も込めてパールさんの顕彰碑が建てられたわけでありますが、まさにインド国を挙げてこのパール博士の当時の日本とのつながりを今日に継続させておる。大変意義が大きい。今、総理も言われましたけれども、重ねてこのパールさんの東京裁判、これはパールさんが日本に同情してああいう判決を出したという一部の曲解がありますが、そうではない。十一人の判事の中で権威ある国際法学者はパールさんお一人ですよ。しかも、パールさんは四万語に及ぶ少数判決を書かれて、国際法、この基準からいって連合国はそうした裁判を行う資格なしと膨大な判決を出されたわけであります。
 そして、裁判後も何回か日本に来られて、侵略の元凶は欧米ではないか、それをあなた方は学校で子供たちに、日本は侵略した、悪いことをしたということを書いて教えておるのは耐えられない、こう言って日本人を激励してくれた。このことについて、もう一度総理の見解を承ります。
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橋本龍太郎#17
○国務大臣(橋本龍太郎君) 私は、パール博士の御議論は、日本に戦争という行動に対しての免罪符を与えたものではない、その上で、勝者が敗者を裁くことの不条理性、そうしたものを指摘された、ポイントはそういうところにある、そのように思っております。
 そして、この極東軍事裁判というものについて、私は国民それぞれみずからの胸の中にはさまざまな思いをお持ちであろうと存じます。しかし、近代日本開国の後におきまして、当時の国際環境の中でそれがどう評価され、時代の変化とともにどう変わっていったかということとは別に、朝鮮半島における植民地支配を日本が実施したという事実、あるいは中国に対して侵略的な行動をとったという事実、その事実を私は否定はできないと思います。
 そして、当時の列強というものの行動がどうであったかということ、その中においての日本の行動ということについていろいろな議論をしようと思えばできる部分はあるかもしれません。しかし、その地域の人々からすれば、日本によって植民地支配を受けたという思い、あるいは侵略を受けたという思い、これは事実として否定し去ることのできるものではないように私は思います。
 その上で、議論はさまざまありましょうし、一人一人のかかわりの中でまた国民の思いというものもさまざまなものがあるでありましょう。私はそのように思います。
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板垣正#18
○板垣正君 日本の過去の歴史をすべて私は善なり、間違っていないということは一言も言っておらない。一番いけないのは、日本は悪玉で連合国は善玉だ、中国は善玉で日本は悪玉だ、日本のやってきたことは全部侵略だ、悪いことをしてきた。これはまさに村山談話の名において総括されているではありませんか。日本は侵略を行い、植民地支配を行い、アジアを苦しめました、申しわけありません、日本の歴史をそういう言葉だけで集約されて、しかもこれが外交の柱になっているではありませんか。これが今なお東京裁判に距離を置いて、国民の意識の方がもっと進んでいますよ。
 そういう点において、歴史解釈の自主権を持ちたい、解釈権を持ちたいというのが一貫した戦後からの流れですよ、心ある人の、志ある人の。みずからが解釈権を取り戻してみずからの解釈権のもとに歴史の教科書をつくりたい、こういう国民運動が起こっているではありませんか。こうしたことについて文部大臣はどういう御見解でしょうか。
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町村信孝#19
○国務大臣(町村信孝君) 特に、戦後あるいは戦中に関する歴史認識については私は総理と同じ見解でございます。その上に立ちまして、歴史の教科書のあり方というものにつきましては、歴史にはもちろんさまざまな解釈があるでしょう、そのさまざまな解釈にのっとって今、日本の歴史の教科書というものができ上がっております。それは基本的に執筆者あるいは出版社の権利として、それはまさに出版の自由という形で保障されております。
 ただし、その中で教科書として何が適切であるかということに関しては、教科書として載せるにふさわしい内容、あるいはそれが客観的な、あるいは学問的な事実に基づいているかどうかということについて文部省は教科書の検定を行っているわけであります。ただ逆に、こういう事実を書きなさいとか、こういう見方でこの教科書を書きかえなさいということを私どもとしては言う立場にはないというのが、日本の教科書についての文部省の考え方であります。
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板垣正#20
○板垣正君 この問題はなお論議が尽きませんけれども、京都に刻まれた碑の言葉、これはまさにパールさんの四万語に及ぶ判決文の一番最後に書かれた有名な言葉であります。
 時が熱狂と偏見を
 やわらげた暁には
 また理性が虚偽から
 その仮面を剥ぎとつた暁には
 その時こそ正義の女神は
 その秤を平衡に保ちながら
 過去の賞罰の多くに
 そのところを変えることを
 要求するであろう
 私は、まさにそのときが来ていると思う。それがやはり戦後五十年の脱皮をして日本が立ち直っていく道である、こう重ねて申し上げておきます。
 最後に、昭和の日をつくろうという国民運動が、あるいは議員連盟の結成が進んでおります。
 四月二十九日はみどりの日という、昭和天皇が亡くなって、あの日は残したい、残したいが名前はみどりの日。このことについて当時から国会においても昭和の日と呼ぶべきではないのかと。昭和の時代を思う、昭和天皇を思う、そういう立場でみどりの日を昭和の日に改めてもらいたい、こうした国民的な署名運動も活発に行われておりますし、国会でも党派を超えて議員連盟を進めていこう、こういう動きがございますが、これに対して総理は積極的に受けとめていただきたい。
 総理の御見解を承って、私の質問を終わります。
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橋本龍太郎#21
○国務大臣(橋本龍太郎君) 今、私は議員の御意見は御意見として真剣に拝聴いたしました。そして、昭和天皇をしのぶ、その気持ちにおいては私は議員にまさるとも劣らないものを持っていると思っております。そして、昭和という時代は将来ともに日本の歴史の中で考えていくべき非常に大事な時代であったとも思います。
 ただ、明治天皇の御誕生日、これも日本にとって忘れてはならない方でありますけれども、このお誕生日が御承知のように文化の日として定着をいたしております。そして、みどりの日を祝日とする法律、これが多数の政党の賛成によって成立をしたということ、こうしたことを考えますと、慎重な対応を必要とすることであると私は思いますが、それ以上に、私は実は、みどりの日という名称が決められましたとき、いかにも昭和様にふさわしい名前が選ばれたなという思いを本当に持ちました。自然を愛され、学者としてもその道の尊敬を集められる、そして、それこそ陛下が御出席をされる年間の行事の中で特に植樹祭というものを非常に大切にされ楽しみにして、そのたびに緑のふえていくことを喜んでおられた。そのようなことを思い起こしますと、みどりの日という命名は昭和様をしのぶ非常にいい名前だったという気持ちが私はするんです。
 ただ、これは国民の判断をされることでありますし、また先ほど申し上げましたように、多数の政党の賛成によって成立を決定づけたものでありますから、むしろ国会において昭和の日がよりふさわしいということになりましたなら、それに私はこだわるものではありません。ただ、私個人としては、いかにも昭和様のお人柄、御人徳というものをしのぶ上でふさわしい名前が選ばれたのではないかという感じを持っておりますことは申し添えたいと思います。
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板垣正#22
○板垣正君 終わります。
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岩崎純三#23
○委員長(岩崎純三君) 以上で板垣正君の質疑は終了いたしました。拍手
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岩崎純三#24
○委員長(岩崎純三君) 次に、広中和歌子君の質疑を行います。広中和歌子君。
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広中和歌子#25
○広中和歌子君 おはようございます。
 参議院予算委員会もきょうで三日目でございます。既に十人を超える委員が質問に立ちましたけれども、その多くが現下の不況を訴えているわけでございます。資産デフレ約千兆円、うち土地六百十六兆円、株四百三十四兆円、こうした背景の中で、消費マインド、企業マインドが冷え切っているわけでございます。
 日本は不況のさなか、けさの新聞にも書いてございましたけれども、デパートの売り上げが前年同月の六・六%マイナス、しかしそれよりももっと問題なのは、日用品を買うスーパーとかコンビニ、その売り上げでさえ五・五%下がっているということでございます。不況感がちまたにみなぎっているわけでございます。貸し渋り、それによって新規の融資を受けられないだけではなくて、資金の回収をされたり、また回転資金が借りられないために黒字倒産が急増している、こういう現状については、総理といえども心を痛めていらっしゃるんじゃないかと思います。
 現在、経済危機のさなかにあり、国として思い切った経済対策をとらなければならないのは、何も私が申し上げるまでもなく、日々の新聞、そしてちまたの声を聞けば当然でございます。それなのに、昨年は増税など九兆円の国民負担がふえた、そして構造改革とは名ばかりの歳出にキャップをかぶせるような財政構造改革法を野党の反対を押し切って通過させた、そしてその結果として生まれた平成十年度本予算はデフレ予算と言われているわけです。
 そうした中で、昨年十一月、大型金融機関の相次ぐ倒産で三十兆円の公的資金が投入された。預金者保護と金融システム安定をうたっておりますけれども、これで金融危機は一段落と見てよろしいのでしょうか。大蔵大臣、お伺いいたします。
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松永光#26
○国務大臣(松永光君) 委員、今お話がありましたように、昨年の十一月以降、大型金融機関の破綻等がありましたがために、我が国の金融システムについての内外の信頼というものが著しく低下をしてきて、いわゆる金融不安という色合いが出てまいりました。
 これを速やかに手を打って、そして金融システムを安定させ内外の信頼を回復していく。極めて大事なことだということで、緊急的な措置をやらなきゃいかぬというわけで、国会の審議をいただいて金融安定化緊急措置法を成立させていただき、そして預金者の預金に対する信頼感を確立するために十七兆をもってこれに充てる、国債三兆円、そして政府保証十兆円をもって金融システム安定化のための措置をしていく、こういったことを決めていただいたわけでありまして、それに基づく手続を進めてきた結果、我が国の金融システムについての信頼度というものは相当程度回復してきたというふうに見ておるところでございます。
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広中和歌子#27
○広中和歌子君 つまり、金融機関の倒産は起こり得ないというふうにお思いになりますか。
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松永光#28
○国務大臣(松永光君) 手を打ったことは、要するに預金者保護を徹底して、金融不安という流れの中で預金者が預金を下げにいく、それが広がっていけばいわゆる取り立て騒ぎになるわけでありまして、そういった事態は十七兆の資金を預金保険機構の特例勘定に入れたことによってとめられたと、こういうふうに私は思っております。
 そのほかに、我が国の金融機関の中で破綻するものが出てくるか出てこないか、その点については、私が今の段階で胸をたたいてもう出てきませんということを言い切るほどの自信はございません。
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広中和歌子#29
○広中和歌子君 これからのビッグバンの中でいろいろ再編ということはあり得る、そういうことでございますか。
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