憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会

2003-07-10 衆議院 全97発言

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会議録情報#0
平成十五年七月十日(木曜日)
    午後二時開議
 出席小委員
   小委員長 杉浦 正健君
      伊藤 公介君    佐藤  勉君
      谷川 和穗君    額賀福志郎君
      葉梨 信行君    福井  照君
      島   聡君    末松 義規君
      中川 正春君    古川 元久君
      斉藤 鉄夫君    武山百合子君
      春名 直章君    金子 哲夫君
      井上 喜一君
    …………………………………
   憲法調査会会長      中山 太郎君
   憲法調査会会長代理    仙谷 由人君
   国立国会図書館調査及び立
   法考査局政治議会調査室主
   任            高見 勝利君
   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
    —————————————
七月十日
 小委員井上喜一君六月五日委員辞任につき、その補欠として井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員山口富男君六月十二日委員辞任につき、その補欠として春名直章君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員中川正春君及び金子哲夫君同月三日委員辞任につき、その補欠として中川正春君及び金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
 小委員春名直章君同日小委員辞任につき、その補欠として山口富男君が会長の指名で小委員に選任された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 統治機構のあり方に関する件(国会と内閣の関係)

     ————◇—————
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杉浦正健#1
○杉浦小委員長 これより会議を開きます。
 統治機構のあり方に関する件、特に国会と内閣の関係について調査を進めます。
 本日の議事の進め方について申し上げます。
 国会と内閣の関係について、国民主権と政治の基本機構のあり方全般に関し、まず、国立国会図書館当局より論点の説明を聴取いたします。
 次に、古川元久君及び井上喜一君から、基調となる御意見を順次二十分以内で述べていただきます。
 次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行い、その後、小委員間の自由討議を行います。
 それでは、まず、国立国会図書館当局より説明を聴取いたします。国立国会図書館調査及び立法考査局政治議会調査室主任高見勝利君。
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高見勝利#2
○高見国立国会図書館専門調査員 まず、今回提出いたしましたA3四枚つづりの資料でありますけれども、資料一は、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカ及び日本の政治制度に関するファクターを一覧表にしたものであります。資料二は、日本国憲法と明治憲法及び旧プロイセン憲法を比較対照したものでございます。また、資料三は、両院制に関する基礎データをまとめたものでございます。
 以下、若干の補足的な説明を行うことにいたします。
 まず、資料一の一番上の欄をごらんください。
 左端に「政治制度の類型」と書かれました欄でありますけれども、そこには、イギリス、ドイツ、日本について議院内閣制、アメリカは大統領制、そしてフランスはその中間の半大統領制であると表記されております。そこで、次のページにかけてざっとごらんいただきますと、この主要五カ国だけでも、その実定制度は実に多様な形を示していることがおわかりいただけるかと思います。特に、議院内閣制として一括されている制度は、議会と政府との関係が大変に複雑な組み合わせになっております。
 では、まず、そうしたその複雑な部分を捨象した制度の核心を構成するものは何かと申しますと、それは、権力分立という基本原理から導かれる立法と行政という二つの権力の間の緩やかな分立であるというふうに説明することができるのであります。そして、この点に着目いたしまして、議院内閣制は、大統領制という立法、行政の両権力が極めて厳格な形で分立した政治制度と対置されるのであります。つまり、議院内閣制と大統領制という二つの制度が分立の厳格度によって原理的に類別されているのであります。
 そして、この分立の厳格度の違いが制度上最も明瞭な形で示されるのが、資料一の一ページの下から二段目の「兼職」の有無に関する欄であります。
 そこでは、厳格な分立を組織原理とする大統領制のアメリカでは、閣僚と議員の兼職は許されないものとされております。これに対して、権力の緩やかな分立というよりは、むしろイギリスの場合には完全な融合という言葉も使われますけれども、そのイギリスの議院内閣制のもとでは、憲法習律上、閣僚は議員でなければならないものとされるのであります。
 ドイツの場合は、イギリスと同じ議院内閣制でありながら、憲法上、閣僚と議員の兼職に関する規定は置かれていないのでありますけれども、しかし、事実上、ほとんどの閣僚は、議員の中から、議員の身分を保持したまま選ばれております。これに対して、フランスでは、第三共和制以来、内閣の不安定は大臣のいすをねらって議員が絶えず政府を倒そうとしたために起こった、そういう反省から、議員の大臣病を断つという超然内閣の論理が働き、閣僚と議員の兼職はできないものとされているのであります。
 議院内閣制と大統領制という二つの制度を分かつ最も本質的なものは、しかしながら、分立の厳格度ではなくて、立法と行政との間の信任関係、責任関係の有無にあるものと考えるべきであります。このことは、資料一の「不信任・解散等」の対照表から読み取ることができます。
 アメリカの場合、徹底した権力分立主義の立場に立って、行政府と立法府とは法律的に別個の系統とされるところから、大統領は議会に対して何ら責任を負わない。したがって、大統領は議会から不信任されることもないので、議会を解散することはできないわけであります。つまり、大統領は、議会の信任の有無にかかわらず、その職を保持するのであります。そして、議会を構成する議員もまた、大統領が好むと好まざるとにかかわらず、その定められた任期を全うし得るのであって、任期中、大統領の手で議席を剥奪され、解散によって選挙人のもとに送り返されるということはないのであります。
 これに対して、イギリスでは、内閣は下院の信任を保持する限りその職にとどまり得るのであって、下院から不信任された場合、首相は内閣総辞職するか下院を解散するかのいずれかを選択することになるのであります。
 ドイツも、基本的にはイギリスと同じでありますけれども、憲法上、下院は後継首相を決めた上でなければ内閣不信任を表明することができないという、いわゆる建設的不信任の制度を採用しております。また、首相の解散権の行使についても一定の制限が付されておりまして、この点でイギリスと異なる形をとっているのであります。これは、ワイマール憲法時代に、議会の諸党派が倒閣では一致しながら後継首相について意見がまとまらなくて、長期間にわたって国政が麻痺してしまいまして、それがナチスの台頭を許す要因になった、そういう戦前の苦い経験に基づいて考案された制度であります。
 フランスの場合には、やや込み入っておりますけれども、大統領と下院はともに国民の直接選挙により選ばれますので、選挙の結果次第では、大統領と下院との間で、その支持する政党にねじれが生ずることも当然あり得るのであります。この点は、基本的にアメリカの分割政府と同じでありますけれども、しかし、アメリカの大統領制と違うところは、フランス大統領の場合には下院解散権が認められているということであります。大統領は、下院から不信任されることがないわけですけれども、それにもかかわらず下院を解散することができるというわけであります。大統領はまた、首相、大臣の任免権を保持しております。しかし、内閣と議会との関係ということになりますと、内閣は下院の信任がなければ円滑な国政運営を行うことができないことは、これはもとより当然のことであります。
 下院にとっては、内閣不信任制度が政府の責任を追及する有力な武器となるのであります。この武器を用いまして、下院が内閣に対する不信任動議を可決した場合、憲法上、首相は大統領に政府の辞職を申し出ることになっておりますけれども、しかし、それによって当然内閣が総辞職ということになるわけではないのであります。なぜなら、大統領には首相の辞職を受理するか下院を解散するかの自由な判断権が与えられているからであります。
 このように、議院内閣、責任内閣の論理の貫徹が大統領の権力によって阻止せられ得る仕組みになっているというのが、半大統領制と呼ばれるフランスの制度の特徴であります。
 日本国憲法も議院内閣制を採用しているのでありますけれども、当初、この制度が実際にどのような形で運用されるのか、不明なところがございました。
 どう運用すべきかが真剣に議論され、問題になったのは、一九四八年十二月に行われた最初の解散のときでありました。すなわち、このときの解散が憲法六十九条を根拠にして行われたため、国会の内外で、憲法上、首相の解散権に制約があるのかどうか、大論争となったのであります。この論争は、憲法第七条に基づいて行われた一九五二年八月の第二回目の解散のときにも再燃いたしましたけれども、しかし、その後七条解散が定着したこともありまして、原則として首相は自由に解散権を行使することができるイギリス型、もっともイギリスの場合では、解散権の行使につきまして憲法習律上、一定の制約があるというふうに考えられておりますけれども、このイギリス型に最も近いものとして、今日に至るまで日本国憲法に規定する議院内閣制の運用が図られてきたことは、これは言うまでもないところであります。
 ここで、資料二の帝室内閣制について一言コメントしておきたいと思います。
 これは、いわゆる君主主義に基づいて、君主の政府が議会に押さえつけられないように権力の厳格な分立を強調し、制度上も大臣は専らその任命権者たる君主に対して責任を負うとするものであります。
 この点で、帝室内閣の大臣はアメリカの大統領に直隷する閣僚に似ておりますけれども、しかし他方、君主の解散権はイギリス国王の大権と同じものと考えることも可能でありまして、そこでイギリスをモデルに、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、プロイセン議会や我が国の帝国議会は、憲法上付与された法律や予算の審議・議定権、さらには、憲法上規定のないものでございますけれども、不信任決議権を武器にいたしまして、議会、特に下院に対する政府の政治責任をある程度実際に確立し、議院内閣、政党内閣をかなりの程度において実現することができたのであります。
 しかし、日本では、それが統帥権の独立に代表される、政府から隔絶した諸権力によって制約された枠内のものでしかなかったことは、明治憲法のたどった運命が示すところであります。これに対して、行政権は内閣に属するといたしまして、その行政権の行使について、内閣の国会に対する連帯責任を明記した日本国憲法第五章の諸規定はさきの反省の上に立ったものであることも、これもまた指摘するまでもないところでございます。
 次に、両院制についてでありますけれども、ここでは、議院内閣制、すなわち、下院選挙で多数を制した政党が下院を基礎に内閣を組織し、政権を担う統治システムのもとで上院の役割をどう考えるべきかということが一番の問題となります。下院と同様、公選議員から成る、いわゆる民主的第二次院型と言われる上院を採用する国家の場合には、特にそれは難しい問題をはらんでおります。
 ただ、その場合でも、連邦制の場合には、上院の存在理由についてまだ少しは説明が容易ではあるのですけれども、しかし、単一国家の場合には、上院はその存在自体が本質的に争いのある制度だというふうにもしばしば言われるところでございます。そこで、思い切って一院制にした方がよいのではないかという議論も有力に唱えられるわけでありますけれども、しかし、これに対しては、両院制論者の側から、一院制こそ本来的に問題のある、一院制も非常に問題のある制度だ、そういった批判がなされているところであります。
 このことは、資料三の二の「一院制・二院制の長所と短所」を比較した一覧表からも読み取ることができるのであります。
 例えば、一院制の長所とされる、効率的な審議、政策決定の迅速性というのは、これは両院制論者からいたしますと、一院の衝動的な行動をチェックできない、そういう短所として映るわけでございますし、それから、両院制の長所とされる拙速を避け慎重審議を行うこと、これは一院制論者からいたしますと、総じて、非効率で決定が遅延するだけだ、こういうふうに映るわけでございます。すなわち、一方が長所だと主張する点は他方にとっては短所、欠点とみなされる、そういうわけでございます。
 なお、両院制の採用状況は、資料として掲げました一の「二院制採用国の推移」が示すとおり、全体の約三分の一程度にとどまっておりますけれども、しかしながら、ここ七、八年の推移を見ますと、やや増加の兆しがあるようにも思われます。一院制の国家は数の上では圧倒しておりますけれども、しかし、それらは総じて人口規模の小さな国でありまして、規模の大きな国では、中国を除いてほぼ両院制でありまして、三の「主要国の二院制議会一覧」からも明らかなように、G8を構成する国はすべて両院制を採用しております。
 最後でございますけれども、この一覧から、一九八〇年代の半ばに政権交代があって、その結果、上院の存在感が増して、下院との間であつれきの生じましたカナダの例をごく簡単に御紹介しておきたいと思います。
 カナダの上院議員は任命制でありまして、その任命は、首相の助言のもとに総督が行うものとされております。一九八〇年代の半ばに実施された下院総選挙の結果、それまで長期間政権の座にあった自由党にかわって、進歩保守党が政権についたということから、上院と政府との間で党派的なねじれが生じ、緊張感が高まったことがございます。ここで注目しておきたいのは、その張り詰めた緊張状態の中で下院と上院とがおのおの主張した、みずからの権力の正当性の根拠についての議論であります。
 下院側の主張は、いわば選挙民主主義とでも呼ぶべきものでありまして、それは、要するに、政治権力とその行使の正当性は、直接、選挙により国民から授権されたマンデートに基づいて、下院で多数派及び少数派を構成する政党から派生するものであって、国民のマンデートを保持しない上院は、下院の意思をくじくだけの民主的な正当性と権力を保持しない、こういう議論でございます。
 これに対する上院側の主張でありますけれども、それはその時々の国民の多数ないし議会多数派の意思を超えた憲法的権威に訴えるものでありまして、それは、たとえ上院が選挙で選ばれたものでなくとも、その役割を果たすべき憲法上の義務を保持し、下院多数派を基礎とする政府が、憲法に照らしてその権力を踏み越えていると見た場合には、判断した場合には、単に消極的な抵抗にとどまらず、体を張ってでも積極的にそれを阻止する行動に出るべきだ、出る権限を有する、そういう議論でございます。
 しかし、この上院の見解にはかなり苦しいところ、無理なところがございまして、それは、立法府ないし政府の権力行使が違憲かどうかは、本来、違憲審査権を保持する裁判所が判断すべき事柄。カナダの場合にも違憲審査権を裁判所が持っております。したがって、それは上院の権限ではない、こういう反駁が容易に予測されるからであります。ただ、カナダの場合には任命制、終身制の上院でありますので、論者は、権力の正当性の根拠を直接、憲法的権威に求めざるを得なかったものと思われます。
 しかし、もしそれが公選制の上院であったならば、その権力の正当化論は、下院と同様に、選挙民主主義論に依拠することになるのではないかと思われるわけです。その場合、上院は、下院と同じ土俵、すなわち同じ国民から選出され、立法権を分有ないし共有する機関として、下院との違いをどのように示せばいいのか、どのように出せばいいのか、上院の役割をどのように果たせばいいのか、その選出の仕方をどのように工夫すればいいのかなどなど、難問が続出することになるのであります。
 そして、それは、当初、一院制であった総司令部案に対して日本政府が両院制を要求し、両院ともに公選とすることを条件にその要求が認められて参議院制度が発足したわけでございますけれども、この参議院制度発足以来現在に至るまで我が国において議論が積み重ねられてきたところでもありますし、これからも議論を重ねていく必要があるところではないかと思います。
 私の補足説明は以上でございます。拍手
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杉浦正健#3
○杉浦小委員長 これにて国立国会図書館当局の説明は終了いたしました。
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杉浦正健#4
○杉浦小委員長 次に、基調となる御意見を順次お述べいただきます。
 まず、古川元久君。
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古川元久#5
○古川小委員 民主党の古川元久でございます。
 憲法を基盤に据え、国民主権と政治的リーダーシップによって支えられた確かな統治を築く、こうした視点から本日は意見を述べたいと思います。
 日本国憲法は、戦後半世紀を超える歴史の中で国民生活に深く浸透し、定着しつつあります。したがって、その基本精神と骨格を維持しつつ、新たな時代に立ち向かうにふさわしい内容を盛り込むための見直しを推し進めることが必要だと考えます。
 まず、国際社会の激動と変容に合わせて、日本国が世界の有力な一員として積極的な国際協力と自主的な責任を果たすことができるよう、リーダーシップに基づく統治が可能となる仕組みを模索すべきであります。また、現代憲法の基本たる国民主権を文字どおり貫徹するよう、より高い民主主義とより精緻な人権保障システムへと転換していくべきであります。この目的のために、日本国憲法の条文と憲法運用の実態の両面においてこれまでのあり方を再検討し、問題提起を行わせていただきます。
 まず、権力分立のあり方について申し述べます。
 ドイツ連邦共和国憲法は、第二十条二項において、権力分立と国民主権との関係を、「すべての国家権力は、国民に由来する。国家権力は、選挙及び投票によって国民により、かつ、立法・執行権及び裁判の個別の諸機関を通じて行使される」という形で明記しております。しかし、日本国憲法には、この権力分立に関する特別規定はなく、憲法第四章「国会」、第五章「内閣」、第六章「司法」によって権力分立の規定が推定されているにすぎません。そのため権力分立に関して議論が絶えず、その話題の一つに憲法第四十一条の国会の最高機関規定があります。当該規定が権力間の抑制と均衡を図るための権力分立論とは異なる原理をひそかに導き入れているのではないかとの議論が続いております。
 また、三権分立の基本型の中に行政を忍び込ませて、立法府や政治そのものの関与を排除して行政権を擁護する障壁としての論理を提供してきたという側面も見受けられております。これは、日本国憲法の権力分立論に関する解釈において、戦前の憲法解釈がそのまま援用され、超然たる行政権に関する解釈を引きずることになったことも否めません。
 こうした無用の混乱と恣意的な憲法解釈あるいは権力運用を避けるためにも、地方分権や独立の準司法機関等の位置づけをも考慮した権力分立に関する明示的な規定を設けることが望ましいと考えます。
 首相主導の議院内閣制の確立について申し述べます。
 そもそも内閣総理大臣は、選挙によって国民の多数の支持を得た政党のリーダーが国会で選任されたものであり、その選任された首相、内閣総理大臣が国務大臣を指名し内閣を組織するという首相主導型システムが、日本国憲法が採用する議院内閣制の姿であります。こうした解釈は、議院内閣制の母国イギリスでは当然のものであり、ヨーロッパ大陸における議院内閣制の国ドイツでもとられている理解であります。にもかかわらず、我が国の内閣運営及び内閣と議会との関係については制度的あいまい性を多く残しながら、専ら政府の一機関たる内閣法制局の解釈と戦前からの通念によって運用されてきたという問題を抱えています。
 例えば、憲法の統治原理をなす権力分立について、内閣イコール行政と議会イコール政治との間の分離、隔離を当然として、本来政治の領域たる内閣を戦前の超然内閣のごとき行政府の地位に置き、政治の関与を極力排除する解釈をとり続けてきました。また、憲法の規定に存在しない閣議なる用語をもって内閣総理大臣の権限を拘束し、その政治主導を大きく制約してきました。このため、憲法第六十六条第一項の首長たる内閣総理大臣の地位と権限が形骸化されている側面が少なくありません。
 これは、戦前の憲法解釈の後遺症にほかなりません。我が国における政府運営を首相主導型のものとするためには、首長たる内閣総理大臣の実質を阻害する憲法及び内閣法等の規定を見直し、首相の責任と指導性が明確となる法的枠組みを確立する必要があります。具体的には、内閣を主体とする諸規定を再検討して、首相、内閣総理大臣主体の規定へと変換する必要があります。
 まず、憲法第六十五条は「行政権は、内閣に属する。」としていますが、ここに言う行政権とは、本来、例えばカナダ一八六七年憲法第二章に言う執行権に相当するものであり、日本の行政組織法に規定されている行政とは全く性質の異なるものであります。
 執行権とは、行政をコントロールし、政治目的に向けてそれを指揮監督する権限を指すものであります。英語で言えば、執行権はエグゼクティブパワーであり、行政はアドミニストレーションと訳されます。日本国憲法のもととなった英文の原案では、この部分はエグゼクティブパワーとされており、執行権と訳すべきところを行政権と訳したことが、アドミニストレーションの行政との混同を招くことにつながりました。この区分があいまいなために、執行府の中に行政が過剰に浸透するという事態をもたらしています。例えば、本来政治任用で配置すべきポストであります首相秘書官や首席参事官を、役所の暗黙のルールに従って各省の出向者で補給するという形であらわれています。
 この執行権が付与されるのは、日本においては国会で選任された首相のみであり、国務大臣はその首相の補佐機関としての地位を持つにすぎないと解すべきであります。したがって、憲法第六十五条に規定される行政権すなわち執行権は、内閣総理大臣に属すると規定するのが当然と言えます。
 また、憲法第六十六条第一項では「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。」とあり、第三項では「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」と規定されています。しかし、主体を内閣という顔の見えない機関に置いているのはいかがなものでしょうか。これは、本来内閣総理大臣を主体として書き直されるべきものであります。
 さらに、憲法第七十四条のいわゆる主任の大臣規定と連署規定は、首長たる内閣総理大臣の権限を強く制限するものとなっています。これは、戦前の国務大臣天皇補弼制の考えを引きずったもので、各大臣があたかも首長とは独立した形で権限と責任を持っているかのような仕組みをつくり出しています。これが、憲法に規定がなく内閣法において初めて登場する閣議という制度と相まって、各省庁の利益を代弁する主任の大臣に実質的な拒否権を与えることになってしまっています。この規定についても抜本的な見直しが必要であります。
 こうした憲法を初めとする諸規定に加え、戦後日本の政府運営は、自民党一党支配が長く続いたことも要因となって、与党と内閣の二元体制がとられてきました。その典型が与党の税制調査会であり与党審査であります。このことによって、政府の責任があいまいとなり、首相によって任命された国務大臣が党と省庁の利害代表として行動するケースもしばしば見られる要因となってきました。
 内閣と議会との関係についても、専ら与党が野党との駆け引きに対処し、内閣としての議会対応は二の次にされるという状態が続いています。このことが、国会に責任を負うべき内閣の姿勢をますますあいまいにする背景となってきたことは否めません。
 首相主導型システムをきちんと機能させるためには、この政府運営の二元構造を排し、内閣の一体的運営と責任の明確化が不可欠であります。このため、内閣以外の議員の行政への関与を厳しく制限し、行政のコントロールに関する内閣の主導性を確保するとともに、野党第一党に対してシャドーキャビネットの設置を義務づけ、一定の範囲での行政への関与を制限的に容認する仕組みを確立することも検討されるべきであります。
 次に、国権の最高機関の再定義について申し述べます。
 従来、国会が国政の基本方針を決定し、内閣がそれを執行するという、国会こそが政治の中心であるべきとの考えが、議会制民主主義の正しいあり方と解されてきました。しかし、このような理解では、現代社会において、内閣、特にその首長である内閣総理大臣が、政治の推進役となって政策を提案し、議会の同意を得てそれを実行に移していくという政治プロセスを的確にとらえることができません。
 したがいまして、現代社会における政治の中心は、批判、同意機関であり迅速に行動する能力を持たない国会ではなく、さまざまな情報に接し、また、その情報のもとに国政が必要とする政策を集約し得る立場にあり、さらに、現代社会において必要とされる統一的で一貫した指針のもとに迅速に行動する能力を持つ内閣ととらえるべきであります。
 政治の中心を内閣ととらえると、それに対して国会は次のような新たな二つの役割が重要になると考えられます。
 第一に、内閣機能の強化は、政策決定を官から政に取り戻すものであります。一方、強力な、首相、内閣のもとで統治が行われた場合、暴走の危険が生じます。そして、それを避けるためには、国会は政に取り戻された政策決定を強力にコントロールすることが重要となります。
 第二に、現代社会では、国民が国会を通じて国政をコントロールする前提として、国民に対してさまざまな政策についての争点が提示されていることが必要になります。この中にあって、審議を通じて国民に論点を提示していくという国会の争点提供機能がますます重要となってまいります。
 したがいまして、憲法第四十一条に言う「国権の最高機関」について、国会の行政権のコントロール機能や争点提供機能という国会の新たな役割を踏まえて再定義を行うべきであります。
 現行の二院制については、参議院の役割を大胆に見直し、例えば、参議院議員の大臣指名の廃止、衆議院における予算審議と参議院の決算審議などの役割分担、また、長期的視野に立った調査権原や勧告機能の充実などを検討すべきであると考えます。さらに、衆議院と類似する現行の選挙制度を改め、地域代表制を中心として、専門性をも加味した選任方法へと改革することも検討すべきであると考えます。
 次に、政党の憲法的位置づけについて申し述べます。
 現代政治は、政党を無視しては成り立ち得ません。このため、現在のドイツやフランスでは、憲法上の機関として政党を位置づけております。また、選挙制度に小選挙区制が導入されて、政党の公約を媒介として国民が政権選択をするチャンスが浮上されつつあるもとでは、国民主権との関係において政党の位置づけは飛躍的に高まっていると言えます。
 現行憲法は、政党に関する規定は持ちませんが、一般的には、第二十一条の結社に含まれるものと考えられております。しかし、議会制民主主義における政党の重要な地位と役割にかんがみ、政党に憲法上の地位を与えるべきであると考えます。政党は国民世論と政府との仲介者としての役割を担っています。憲法に政党のあり方を明示し政党の重要性を意識せしめ、もって政党の自由な活動と発達を助成することは、健全な民主政治の育成、発展のために必要であります。
 ただし、その仲介機能がゆがんでいては、国民世論に基づく確かな統治はできません。現代においては、政党のゆがみを正し、その公正さと透明性とを確保する仕組みを確立していくことが重要であります。
 したがって、憲法に政党の位置づけを明確にした上で、政党法を制定することが必要であると考えます。
 最後に、権力分立も首相のリーダーシップも二院制の見直しも、本日申し述べましたことはすべて、日本の統治機構を国民主権の実体にどう近づけるかという観点から、現行憲法のよさを踏まえた上で、さらに、時代の変化や国民の声により応答する憲法に発展させるために、今何が必要かという視点から幾つかの論点を提示させていただきました。委員各位の御意見をいただければ幸いであります。
 以上で終わります。拍手
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杉浦正健#6
○杉浦小委員長 御苦労さまでした。
 次に、井上喜一君。
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井上喜一#7
○井上(喜)小委員 保守新党の井上喜一でございます。
 きょうは、国会と内閣との関係、国民主権と政治の基本機構のあり方全般についての問題の提起をしろということでございまして、いろいろなまとめ方があると思うのでありますけれども、私は、現行憲法あるいは関連の法律、そしてそれらの運用、こういうことにつきまして、私が日ごろ考えておりますことを取りまとめたということでございまして、いろいろな御意見があろうかと思いますので、また皆さん方の御意見もお伺いしたいと思います。
 まず最初に、制度の運用と改正についての検討の視点でありますけれども、日本の今の憲法制定後五十年以上がたっておりますので、この間、憲法が定着した面もありますし、問題が出てきたというような面も多々あると思います。
 言いかえてみれば、社会構造あるいは産業構造、非常に大きな変化が生まれてきておりますし、社会、経済ともにグローバル化の大きな波の中に現在あると言ってもいいかと思います。安全保障体制につきましても、米ソの対立が崩れて、今日のような状況になってきております。また、日本の国際社会の中での地位の向上、これも明らかにあったと思うのでありますけれども、それだけに国際社会に対して責任が出てきている、こんなふうに思います。国民の意識の変化も、個についての意識というのは非常に強くなってきていると思います。
 そういったことで、あらゆる分野におきまして、制度的な大改革を、時間を置かずに改革をしていく、迅速に実施をしていく、こういう状況だと思います。
 統治機構としては、私は、二院制のような、憲法上の問題もありますけれども、体系的には一応国民主権を基本にした制度ができ上がっていると考えておりまして、問題はむしろその制度の運用にある、こういうように認識しているものでございます。
 次に、議院内閣制であります。
 これは、内閣よりも本来は議会の、国会の方を議論に回すべきでありますけれども、一応、議院内閣制ということを言いますので、内閣を持ってまいりました。
 今は、内閣機能を強化しろ、こういう要請が非常に強いものがございますが、これは内政、外政ともにいろいろな問題が出てきておりまして、要するに、抜本的な、機動的な改革、対応が必要だということだと思いますし、まずもって、やはり責任の所在を明確化して、どの問題をどういうぐあいに変えていくのかということを明らかにしないといけないと思います。
 そういう意味では、官僚主導から政治主導へということが言われるのでありますが、まだ日本は完全にこの政治主導というところに来ていると思いませんけれども、しかし、この五十年の歴史を見ましても、いわゆる官僚が果たしてきた役割というのがだんだん小さくなってきて、政治が果たす役割が非常に大きくなってきていると思いますし、今そういった過程にあると考えてよろしいんじゃないかと私は思います。
 そういったことで、内閣総理大臣がより強いリーダーシップを発揮していくことが必要でございます。憲法上は大変強い権限ですね。これは前の旧憲法と比較してみますとはっきりするのでありますけれども、閣僚の任免権あるいは内閣各部に対する指揮監督権、非常に強いものがございます。
 ただ、問題は、我が国は、ややもすれば権力の二元化という傾向があるわけですね。これは、長く政権の座に着きました自由民主党に派閥があるというようなことも関係していると私は思うのであります。その派閥と総理大臣の関係あるいは全体等々の関係ということで、必ずしも権力が一元化しないんですね。今は政府・与党でありますから一元化しないといけないんだけれども、まだこれが二元化するような傾向、あるいは三元化するような、多元化するような傾向があるということで、これはこれから問題として解決していかないといけない課題だと思います。
 首相公選制の議論がありますけれども、私は、これは非常に問題が多いと思います。だれが選ばれるかわからない、あるいは立法府、国会との関係、大変調整が難しくなるんじゃないかと思いますので、これは時期尚早だと思います。
 それから次に、ポリティカルアポインティーですね。アメリカなんかの場合は、三千人ぐらいのポリティカルアポインティーがいると言われておりますが、日本もだんだんとこういう方に移行してくると思うんですね。
 今までこういう政府の中の人材というのは行政府が随分輩出してきたのでありますけれども、今や行政府だけではなしに、行政府以外でそういった適任者が出てきているということでありますので、今の内閣にも大学の先生が若干入るというようなことで、これはだんだんと多くしていかないといけないことだと思います。
 それから次に、議会機能の強化であります。まさにこれが一番大事なことでありまして、内閣の機能だけ強化をしておくということはやはりよくないので、対応して議会の機能も強化をしていかないといけないということで、この議会の方も、五十年来の傾向を見ますと、だんだん議会の機能が強化されてきている、こんなふうに思いますし、そういった傾向をさらに強めていかないといけないということであります。
 制度的には、内閣総理大臣は国会で選ばれますし、衆議院で内閣の不信任決議なんかもできるわけでありますし、内閣は国会に連帯して責任を負うということとか、あるいは議院が国政調査権を持つというようなことで、完全に内閣は国会のコントロール下にある、制度的には私はそうなっていると思います。
 人事院なんかの行政委員会があるんですが、これは内閣から一応独立しておりまして、内閣総理大臣の守備範囲に入っていないのでありますが、国会のコントロール下にはあるわけですよね。そういうようなことで、国会は非常に強い国政上の権限を持つということであります。
 ただ、内閣にも衆議院の解散権を持たせているわけですね。いわゆる七条解散というのがそうでありまして、これは多少歴史的なことと関係するかと思うのでありますが、行政府と立法府とのバランスをとらせているということであります。いろいろな議論があるかもしれませんけれども、これも一つの賢明なやり方じゃないかと私は思います。
 内閣は、連帯をして国会に責任を負うということでありますが、議会も、かつての議会と違ってまいりまして、与党、野党に分かれておりまして、与党の方は政府と一体ということで政府の政策を支持、推進する、野党はこれをチェックするような機能に変わってきていると思います。
 それから、議会の機能強化のために検討すべき事項が幾つかあります。
 私は、本会議で法案の趣旨説明とか質疑がありますが、これはやはり原則的に廃止をして、委員会審議を充実すべきじゃないかと思うんです。出席者を見ますと、そう大多数の人が出席しているように思わないし、また長い質問の場合は、大体質問が重なっているわけですよね。同じような質問をしているということでありまして、これを長時間本当にみんなが聞いているかといったら、この点についても若干の疑問があるということでありまして、私はそんなふうに考えます。
 それから、衆参両院の調査室、法制局、これは膨大な人がいるわけですよね。本当に多い。これを二つに分けるんじゃなしに、このスタッフを一体化してやった方がより効率的になると思います。もう事務量が両院で違ったりするわけでありますからね。本当にこれは国会議員のために活用すれば、もっともっとうまく効率化が図れるんじゃないか、こんなふうに思います。
 今よく審議拒否だとかそれに対する強行採決、これはまだあるのでありますけれども、これなんかも、やはり委員会審議を充実していけば、だんだんとこれは克服していくべき問題じゃないか、こんなふうに思います。
 審議での大臣答弁、これは昔と比べますと、確かに閣僚が答弁をするようになってきた。それだけ閣僚が自分の所管事項について勉強もする、理解も深まってくる、それで問題意識も出てきている、こんなふうに思いますけれども、副大臣、大臣政務官なんかはどうなんだろうかな、こんなふうに思います。
 クエスチョンタイムも、今は総理と野党党首でやっておりますけれども、本当にこういう形でいいのかどうか、もう少し検討の余地があるんじゃないかということであります。
 それから、議会機能の強化のためには、行政監視の中核的な役割を担っております決算行政監視委員会がありますが、あるいは予備的調査制度も、これは新設されたわけでありまして、こういった活用をしていく必要があると思います。
 それから、与党の法律案の事前審査制でありますが、これは私は、やはり政府・与党一体化の原則から、置いておいた方がよろしいんじゃないか、こんなふうに思います。
 三番目、政党であります。
 政党の存在は絶対必要でありますし、民意を政治に反映していく役割というものでありますから、大変重要で大きいわけであります。私は、憲法上にこの政党を位置づけるべきと思っております。やはり、政党に対する支援を考えていくべきだと思います。
 ただ、結社の自由の侵害の可能性もあるんじゃないかというような指摘もあるようでありますが、そういうことのないような形で、やはり政党とはいかなるものか、どういうことをすべきかというようなことを明確にして、必要な支援をしていくということがよろしいんじゃないかと思います。
 私は、日本はまだ政党のシンクタンクができていないと思うのでありますけれども、こういったものも置く必要があると思いますし、国としても当然考えていくべきことじゃないのかなというような感じがいたします。
 それから、二院制の問題であります。
 議院内閣制というのは、原則として衆議院の多数党の党首が内閣総理大臣に指名されるわけでありますから、その党の政策を実行していくということでありますから、衆議院の政党化は御案内のとおりであります。
 しかし、参議院が、これは衆議院に対して権限上は多少制約はあるのでありますけれども、予算あるいは条約、それから内閣総理大臣の指名等については衆議院優位になっておりますけれども、肝心の、根幹をなす法律については、これは参議院の同意なしには成立しないということでありまして、そういう意味では、参議院というのは非常に強い権限を持っていると思います。
 したがいまして、私は、こういった枠組みの中では、参議院におきましても衆議院と同じような政党化が進むことは必然だ、こんなふうに思っております。
 二院制をどうしてとっているのかということでありますが、二院制をとることによって国会の審議が慎重にできるんだというような説明がされておりますが、しかし、現実はどうなのかということです。私は、カーボンコピーなんということは言いませんが、どうもやはりそういう、審議を慎重にして参議院なりの成果が上がっているようなことは、それはあるでしょうけれども、比較的少ないのではないかと思います。しかも、政党化が非常に今進んでおりますね。選挙の制度も、私は衆参そんなに根本的な差異があるとも思いません。あるいは、外国の連邦制のように二院制をとる、そういう理由があるようにも思わない、こういうことであります。
 理論的に言いますと、一院制、二院制でそれぞれ理屈はあるんでしょうが、私は、現実に衆参の構成が違ったり、あるいは議決が違うというようなときには、やはりプラスよりもマイナスの方が大きい、つまり、無用の混乱が起こる可能性があるんじゃないかということでありまして、結論としては、衆議院の一院制の方がおおむねよいと言えるのではないかと思います。
 参議院をどうしても設置しないといけないというときには、成立した法律等の運用に当たっての意見を述べるというような諮問機関として置くのがいいんじゃないか、その場合は、例えば職能代表の人なんかを充てていくというのがよろしいんじゃないかなと思います。
 それから、選挙であります。
 選挙は民意を集約する機能と民意を鏡のように反映する機能をあわせ持つと言われているのです。ただ、今日のような大変動、大激動、大改革の時代にありましては、やはり政権交代が活発な、そういう政治制度の方が私はよろしいんじゃないか、必要じゃないかと思います。なかんずく、議院内閣制を活性化していくためには、選挙の結果、二つか三つの大政党が出てくるというような制度がいいんじゃないかと思います。
 現行の小選挙区制は所期の目的からいってどうなのかということは、まだ結論を出すのは早いんじゃないかと思うのでありますが、しかし、本来的には、制度がうまく機能すれば、二大政党化の方向を志向するのではないかと考えております。政権を競う政党が切磋琢磨をするというような単純小選挙区制度、こういったものを考えていった方がよろしいのではないかなと思います。
 それから、あわせて、やはり一票の格差、この是正は必要だと思います。
 それから、違憲立法審査権と国会であります。
 国会は国権の最高機関で唯一の立法機関だと言っているんですが、最高裁は一切の法律等についての違憲立法審査権を持つ、こういうことを言っております。私は、この前にも申し上げましたが、いわゆる統治行為については、最高裁の判断にまつのは必ずしも適切ではない場合がある、そういったことで、国内政治が国際関係に大きな関連を持つものもあります。いわゆる統治行為につきましては、国会に憲法裁判所を設置をして、この所管とするのがより適切じゃないかと考えるものであります。
 それから議決方法でありますけれども、衆議院と参議院では、特定事項において、単純多数決ではなしに三分の二等の特別の議決を要するということをしているわけですね。予算あるいは条約とか総理大臣の指名につきまして両院の決議の中身が違う、こういうような場合であります。私は、こういうのはやはり廃止をして、そういうような場合には、例えば両院が協議をして調整をするとして、これが調わないときはやはり再度の衆議院の多数決で決めるようにする方がよりスムーズじゃないのかと思います。
 憲法の改正手続につきましては、これは国民投票制度がありますから、発議は両院の、または衆議院の多数決によるものとすることなどを検討すべきじゃないのかな、こんなふうに思います。
 それから最後に、危機管理についてでありますけれども、これは内閣制度の運用で対応するというようなことに今はなっているのでありますけれども、私は、これはやはり憲法上、内閣に危機管理を所管する組織、権限等について、明確にした方がよろしいのではないか、こんなことを思っている次第であります。
 以上であります。拍手
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杉浦正健#8
○杉浦小委員長 どうもありがとうございました。
 これにて、基調となる御意見の開陳は終わりました。
    —————————————
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杉浦正健#9
○杉浦小委員長 これより質疑または発言の時間帯に入ります。
 それでは、まず、谷川和穗君。
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谷川和穗#10
○谷川小委員 私は、内閣の国政上の地位について、古川委員にお尋ねをさせていただきたいと思います。
 行政法の講義というのが大学で行われるようになったのは、明治十九年、七年間にわたって明治の初期に留学しておったアメリカ留学から帰ってこられた金子堅太郎、後の伯爵が、これからの立憲政治を実施するなら、やはり一番大事なことはその運用にあるんだということから行政法の講義を始めたというのが初めだったというふうに聞いております。
 当時は、法律学という学問はあったけれども、行政学という学問はなかった。明治憲法の条文は極めて簡潔で、したがって解釈に幅を持たせることができた。そのことを、私自身は、それがあったからこそ大正デモクラシーというような花が咲いたと思っております。東洋の地に、ほかに類を見ないような、日本が世界に誇り得べき時代があったというふうに思っております。
 ところが、行政という面から見ると、明治憲法には内閣の規定はなかった。国務大臣は内閣という合議体を形成するものとはされていなかった。だけれども、一方、今度は立憲政治の方から見ると、憲法の運用を通じて政党内閣の実現も十分可能であるという判断がその当時から成り立っておったからこそ、憲法が成立してからわずか十年もたたないうちに、大隈重信は政党内閣の可能性について触れているし、議院内閣制の必要を説いて譲らなかった高田早苗が、聞きしにまさるよき憲法というような言葉を残しているし、自由民権の闘士と聞こえた植木枝盛も、この憲法によって西欧以外の国で初の立憲国家となり得ると、この明治憲法を祝福した論文を発表しております。
 問題は、当時の憲法学の泰斗の中に、明治憲法下の天皇を絶対君主国家の君主と同様のものと理解しようとする学説が相次いだということだったと思うんです。
 そこで、内閣の国政上の地位の問題なんですけれども、国会が開設されて十年もたたないうちに、大隈内閣のころ、そのとき既に陸軍は、反軍的な思想の持ち主が数多く内閣に参画するという理由だけで大臣を出さないというようなことをやりましたし、日露戦争後は、ロシアから賠償金を取り損なった、その上、韓国を併合したんだから防衛範囲が拡大したんだ、こういうときになぜ三連隊も縮小しなきゃいけないんだということで、時の陸軍大臣が、まあ、驚くべきことですが、あの憲法からいえば当然そういう手続かもしれませんが、明治天皇の崩御の年の秋ですけれども、大正天皇に直接辞表を提出した。これによって西園寺内閣が瓦解してしまった。
 たった一人の反対で閣内不統一、内閣の更迭を図れる。これが昭和五年、浜口内閣のときの憲法十一条の統帥権問題が引き起こった、後に日本がずうっと軍国主義へ進んでいってしまったということだったと思うんです。
 戦後日本憲法は、そういう明治憲法下の内閣制度の反省に立って首相の地位を強化したと言われておりますが、確かに、現行憲法の六十八条一項、二項はそれぞれ、大臣の任命権あるいは罷免権を総理大臣が握っておる、こういう格好になっておりますが、私が問題にしたいところは、七十三条四項に、「内閣は、」「一般行政事務の外、」「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理する」。難しい言葉を使っていますが、今の日本の国の憲法でもこの掌理するというような言葉が書いてあるんですが、中学生はこれを読んで一体わかるのだろうかなと思います。
 いずれにしても、こういう条文があるけれども、その条文は、その前の七十二条の「内閣総理大臣は、」「行政各部を指揮監督する。」という条文とどうも一致しない、バランスを欠いておる、憲法の文言としては不十分である、私はそんな感じがいたしております。
 特に私が問題にいたしたい点は、日本は現在、第三の改革に直面していると言われておるんですけれども、明治以来、挙国一致の人づくり、それにはどうしたって協調が必要だということで、行政が日本の発展の中心にあって、それで行政指導だとか通達行政の根拠規定がいまだに国家行政組織法の中に存在するという国、どうもこれで果たしていいんだろうかと。まさに金子堅太郎翁が指摘した運用の面で、日本の国の現在の憲法においてすら、やはり、あの当時つくられた、あの敗戦の直後だった混乱期の占領下における憲法だということから、あるいは明治の憲法に対することの反省からそうなったのかもしれませんけれども。
 しかし、今日本を取り巻く中国を含めた東アジアの地域の発展は、まさに驚くべきほどのスピードで進んでおります。日本の決断が何においてもとにかくおくれるということが問題になっているにもかかわらず、やはり、憲法の中の行政に関する理解においては相変わらず過去の今までのものを引きずっている、さっき古川先生もその点についてちょっとお触れになって、私もまさにそうだと思っております。
 したがって、結論として、成文憲法を持つ以上、いつも常に時代に合わせたような改正に適応できなければ、現実との乖離が当然拡大して、ついには国民の幸せすら破壊することもあり得るんだ、あるいはおくれをとることもあり得るんだということを感じます。
 そこで、先ほどの古川先生の御発言、私は前段について大賛成なんですけれども、最後にお尋ねしたいことは、先生が御指摘されたことは、私個人からすると、できるだけ早く改正できるものなら改正していくことの方が二十一世紀における日本の発展につながるんだ、こう思うんですが、先生はどう判断されているか、それをお尋ねいたしたいと思います。
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古川元久#11
○古川小委員 結論からいえば、おっしゃるとおりだと思います。一日も早く、今の憲法上、そうした問題となる点は改めるべきだというふうに考えております。
 少し付言させていただきたいと思いますけれども、私も、大学時代の行政法の講義を思い出しますと、今行政の実務についているような人のほとんどは、田中二郎先生の行政法の本を読んで行政法の勉強をしたんじゃないのかなというふうに思います。たしか、私の記憶が正しければ、田中二郎先生の本には、憲法が変わっても行政法は変わらない、そういうような何か言葉が、これはもともとはプロイセンか何かだったような気が、ちょっと記憶違いかもしれませんが、そういうようなことを学んだ覚えがあります。まさにここに憲法と行政法との本来の上下関係の倒錯というものが起きてしまっている。それがまた日本においては、先ほども申し上げましたけれども、政治で本来やる部分のところに行政が浸透してきたということを生み出してしまったのではないかなというふうに思います。
 先ほども私、申し上げましたが、今の日本の憲法では、これは意図的なのか、あるいは結果的にたまたまそうなったのかわかりませんけれども、エグゼクティブパワーとアドミニストレーションという、英語で言えば書き分けている部分をひとしく行政というふうに訳したというところがやはり混同を招いたんじゃないか。
 ですから、エグゼクティブパワーは、行政権というよりは、どちらかといえば執行権というふうに訳した方がやはりその違いが正しくわかると思うんですね。アドミニストレーション、日本で言う行政というのは、どちらかといえば、もう少し詳しく、別の言い方をするとすれば、執行とか管理というような意味であって、そこをやることが行政府の役割であって、内閣はエグゼクティブパワーとして執行権を行使するんだというふうにやはり明確に区別するべきであろうと思います。
 先ほど谷川先生からも御指摘がありましたけれども、国家行政組織法などというものも、これは同じ議院内閣制のイギリスやドイツには存在しておりません。
 なぜならば、本来、行政組織をどうするかということは執行権をゆだねられた首相が決めていいはずのものであって、首相がいじれないような行政組織というのは、本来その執行権を持っている立場からすれば、社長になったのに社長が自分の会社の組織をいじれないというのがおかしいのと同じことでありまして、ここのところはやはりもう少し柔軟に考えるべきではないか。首相がかわれば行政組織もその首相の意向に従って柔軟に変えられるような仕組みに、法体系にしていくということも考えなければいけないのではないかというふうに思います。
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谷川和穗#12
○谷川小委員 ありがとうございました。
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杉浦正健#13
○杉浦小委員長 次に、中川正春君。
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中川正春#14
○中川(正)小委員 民主党の中川正春でございます。
 統治機構の議論をするたびに私自身がつくづく思うことが一つあるんですが、それは、憲法を戦後新しく導入していく過程で、形態的にはイギリス型の議院内閣制という形態をとりながら、運用の面でアメリカの大統領制の部分というものが、それこそ混乱された中で、いわゆる整理がつけられない中で私たちのシステムの中に入り込んできたということ、このことがあるんじゃないかなというふうに思うんですね。
 時代がよりずっと複雑になり、特に情報という面では、国民の中にさまざまな目覚めというかそんなものがあり、民主主義のあり方というのが大きく変わってきた中で、全体のコンセンサスとしては、やはり首相に対して多くのリーダーシップというのをこういう時代背景の中では期待すべきだ、また、そういうシステムに持っていくべきだということ。それからもう一つは、これは野党であるからということじゃなくて、真から、やはり政権交代のある、当たり前の民主主義といいますか、そういうシステムというのがこの国の中にもやはり統治機構の一つの重大な柱として存在すべきだということ。こういうことが一つのコンセンサスになってきているんじゃないかなというふうに思うんです。
 その上に立って考えていくと、先ほど非常に古川さんにいい整理をしていただいたと思うのですが、二点で私はいわゆるシステムとして克服していかなければならないところがあると思うのです。
 その一つは、さっき議論の中心になった、内閣というものの定義でありまして、これをいわゆるエグゼクティブパワーとして定義していく、これは大賛成でありまして、それと行政機構とを分けていく。これはもうイギリスでは、一般の行政機構の官僚と政治家が接触することさえ禁じているというような形できれいに、同じ組織がアドミニストレーションとエグゼクティブパワー、いわゆる内閣に分かれているということですね。これに私たちも注目をして考えていくべきだろうなということ。これが一つですね。
 それからもう一つは、いわゆるアメリカ式でいえば三権分立なんですけれども、恐らく議院内閣制でいけば、三権というよりも、議会の政権与党が丸々、それこそエグゼクティブパワー、内閣に入り込んでいく、そして責任をそこでとっていくというような、そういう形のものなんだろうというふうに思うんですね。
 そういう意味で、よくもう最近になってそのことが自覚をされて、自民党の中にある部会組織と内閣が二元的に運営をされている、そのこと自体が結局は責任の所在というものを明確化しないで、それぞれが逃げる形でといいますか、先送りする形で物事が決められていかない、はっきりとさせていくことができないという、そんなことをよく最近になって指摘されるようになってきましたけれども、そこに起因するところがあるんだろうと思うんです。
 そこで、私もそれぞれきょうの発言者の皆さんに改めてお尋ねをしたいというか、そこをどう考えていくかということを具体的にどのように認識されているか、改めて確かめていきたいのです。
 では、これを一元化していくことが望ましいであろうと。やはり政権与党というのは内閣に対して責任をとっていく、持っていく、そういう体制をつくるべきだろう、こういうことだと思うのですけれども、では今、保守党で参画されておって、具体的にはそれがどういう形で実現をされていくべきなのか、中で議論をしていられてどのようにお感じか、井上議員に改めてちょっとここはお聞きをしたいと思うのです。
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井上喜一#15
○井上(喜)小委員 今、政党も、中選挙区時代に生まれてずっと生々発展してきた政党、これが基本になっているわけですよね。それが、選挙制度が変わって、今日の中で多少変わってきているということだと思うんですよね。
 ですから、これは自民党の人に答えてもらった方がいいかと思いますけれども、やはりかつての派閥、派閥というのは、一つの選挙区から三人とか四人とか五人とか六人選んでいた、そういう結果として派閥が出てきたわけですよ。そういうものが今でも残っていて、その派閥がそれぞれ政権を目指すというようなことで、どうもうまく一本にまとまりにくい、そういう土台があったと思うのですが、私はこれは、小選挙区になってくる、しかも全部が単純小選挙区制の選挙区になってきたら、やはり変わってくると思うのですよ。まだそこまで現実の運用が、つまり、党の意識が一つになるというようなところまで来ていないと思うのです。
 そういうことになるためには、少なくとも予備選挙が導入される、自民党なら自民党、民主党なら民主党でチャンピオンを決めて戦う、それできちっと固まって戦うということになってくれば、私は変わってくると思うのですよ。ただ、まだ制度が変わったばかりだから意識がそこまで私はついていっていないと思うのですよね。だから、これは多少の時間がかかると思いますよ。こんな十年とか何年ではこれは解消できない問題ではないか。もうちょっと長くかかる。
 しかし、最終的には、こういう小選挙区制というのは予備選挙でチャンピオンを決めてやるという制度ですから、これが定着してくれば、権力の二元化とか三元化というのはだんだんと解消していくんじゃないか、私はそんな感じがしております。
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中川正春#16
○中川(正)小委員 民主党は、そこのところにしっかりと焦点を絞りながら、次の内閣というのを組織して、そこで一元化をしていくということですね。政権についたときには、それが一元化をした形で入り込んでいくという体制にあるわけですが、そういう観点から見て、野党の立場から改めてこの問題を論じるとすれば、古川議員にも一言お願いをしたいと思うのです。
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古川元久#17
○古川小委員 野党の立場といいますか、かつて私も役所にいて、役所の中から政策決定を見ていた、そういう面からいたしますと、ここのところは自民党の政策決定のところになってくるわけなんですけれども、やはり、閣議にかかる前に、各部会、そして最後、総務会を通らなきゃいけない、そういう仕組みがあるわけですね。今の場合ですと、多分与党間の、その後にまた三党の調整というのが総務会の前なのかどうかわかりませんがあるのだと思いますが、そういった意味では、実は、いわゆる政府と言われている中での政策の決定ルートが二元化をしている。
 例えば税制なんかでいいますと、与党の自民党でいえば、自民党の税制調査会としての税制改革大綱というのと、政府税制調査会の税制改革大綱というのが、二つ出る。これは微妙に関係をしていて、両者が調整をとりながら、しかし、少し違いをつけてみたいな、こういう非常にわかりにくいところがあるわけですね。
 ですから、やはり一つ大事なことというのは、政府・与党から出てくる発信というものはやはり一本に絞られなきゃいけないんじゃないか。あたかも、何か政府では書けないことの部分を、何か与党であれば責任がないからというような形で踏み込んで書いていく。私がかつて役所にいたころよくやったのは、政府税調の答申では書けないけれども、自民党の税調の方にだけは書いておく。そうすると、これで与党の方はおさまって、政府の方は、そこまで踏み込まないでいいからそれでまたおさまる。それは国民の側から見ると、一体どこまでやられるのかというのは、非常に政府・与党として進めるべき政策の方向性が明確でないというところがあって、やはりそこは、政府・与党から国民に対して発信されるメッセージというものは一本にまとめられるべきじゃないのかな、そんなふうに思います。
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中川正春#18
○中川(正)小委員 時間が来たようです。ありがとうございました。
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杉浦正健#19
○杉浦小委員長 次に、斉藤鉄夫君。
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斉藤鉄夫#20
○斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫です。
 今、中川委員の質問に関連して、ちょっと別な質問を考えたのですが、それに続いて、政府と与党の意思決定のことについて、古川先生と井上先生の御意見がちょっと違うようなのでお伺いしたいんです。
 私は国対をやっているんですが、国対で教えてもらったことは、政府提案の案件であってもそれを通すのは国会だ、したがって与党の協力なしにその案件は国会を通らない。ということは、与党内審査というのは当然必要なことなんだ、こういうふうに言われて、ああ、そうかなと単純に思っていたんですけれども、そのことに関連して、井上先生は、与党内審査は当然のことなんだという御意見でした。今の、私が説明を受けた考え方、私の考え方で間違いないのか、先生もそう思っていらっしゃるのか。また、同じことの質問になるかもしれませんが、古川先生にもその点について御意見を伺えればと思います。
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井上喜一#21
○井上(喜)小委員 多分同じことを言っているんじゃないかと思います。つまり、政府が法案を提出する、そういう場合に、やはり議会で議論がされて最終的に可決されるんだけれども、そのときに賛成してくれるように、事前によく説明をして、直すところがあったら直して、与党が賛成するようにする、そういう意味で事前の協議制というのは必要じゃないかということを私は申し上げたわけです。
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古川元久#22
○古川小委員 ここのところを先ほどから私やあるいは中川委員も申し上げていることなんですけれども、今の斉藤委員のお話だと、やはり政府と与党というのが分離しているんですよね。しかし、そこがやはり責任の所在とかを非常にあいまいにしているわけでありまして、議院内閣制というのは与党が政府を構成するんです。ですから、斉藤委員のお話の中で言う政府というのは、何か与党とは別に政府というのが存在する。それは多分、今までの問題になっている霞が関の行政、アドミニストレーションの部分の官僚群ということを意味するんじゃないかと思うんですが、官僚群というのが、与党が本来構成すべき部分とは別に存在しているかのような、そういう前提じゃないと今のような話は起きないはずなんですね。今の仕組みというのは、与党からしても、霞が関のお役所は自分たちとは別の存在というふうに認識をしているわけです。
 しかし、先ほどの私の話からすれば、内閣というのはエグゼクティブパワーであって、霞が関はそのエグゼクティブパワーのもとに、その指揮監督に従うアドミニストレーションなわけですよね。ですから、本来からすれば、そうした政府と与党というような対立などはおかしいわけですよね。
 会社で考えてみていただければわかりますけれども、社長がこうやってやろうと言ってそれで執行部で決まったことと、下の方の現場部門と意見が違うんだ、現場でこうだと言っても上の方の経営陣の方が違う、だからそこのところは調整しなきゃいけないなんというような会社では決してうまくいかないわけですね。当然、会社がうまく機能するという状況はどうかと考えれば、経営陣で決めたものを現場に落としてそれを実行させるというのが会社経営でも基本であって、これは私は国家の経営でも同じだと思うんです。
 そういった意味では、今の、まさに国対でそういう意識があるというそこ自身に、与党の皆さんも、自分たちが霞が関の上に立ってちゃんとそれを指揮監督する立場にあるということを忘れて、何かそれと同じ立場にあるかのような錯覚にあるからそういうふうな議論になってしまうんじゃないか、私はそういうふうに思います。
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斉藤鉄夫#23
○斉藤(鉄)小委員 今、古川先生のおっしゃったことはよくわかります。
 ただ、いわゆる官僚群としての政府というよりも、いわゆる政治家の集まりとしての内閣の考え方と、政治家の集まりであるところの与党、そこに多少のずれは当然あることもあり得る、こういうふうに考えれば、この政府と与党の間の調整というのは存在してもおかしくないというふうに感じるんですが、この点についてはどうでしょうか。
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古川元久#24
○古川小委員 そこの部分は、もしやるのであれば、例えばイギリスなんかもそうなんですが、それは、大臣とか政治家の部分と与党の中の議員との間で議論をしてそこで決めたことを、要は、内閣から政府といいますか、官僚たちに回す。今のように、与党の、内閣にも入っていない議員が官僚と直接議論をしたりとか、具体的な政策の中身を決めるようなことをやっているということが私はおかしいと思うんです。
 それではなくて、与党の政治家の中のところで、しかも閣内に入っている人に対して与党の人がいろいろ意見を言う、それで伝えるということは当然あるべきことだし、あってしかるべきだと思います。ただ、大事なことは、そのことによって決めた政策の責任はすべてこれはその大臣が負う、やはりそういう仕組みが大事なんです。今の場合だと、大臣が言っていることと違う話が、部会とか何かの実力者のところで決まってしまう。ところが、その人は法律上で考えれば何の責任も負っていない。責任も負っていない人が実質的な政策決定権限、影響力を持つということがやはり私はおかしいと思うんですね。そこのところの政策的な影響力を持つのであれば、ちゃんとした法律上の権限がある人がそこは責任を持って決めるべきだ、そういう仕組みにしていくべきだと思うんです。
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井上喜一#25
○井上(喜)小委員 いや、ちょっと、非常に事実の認識で違うところがあると思いますよ。
 政府の中というのは、本来一つの組織だから、これは上下一体なんですよ。その政府の中が二元化しているとか、あるいは政府の下に国会がつくみたいな話、それはおおよそおかしいし、今現実にそういうことになっていないですよ。
 ただ、今の政治あるいは行政も含めて、非常に技術的なことが多くなっている場合もありますよね。ですから、それぞれのエキスパートの協力を仰がぬといかぬところもありますよ。それは当然あるわけですよ。しかし、それは当然のこととして、内閣、政府は一つなんですよね。その考え方に対して国会の方、与党が意見を言うというのは、これはやはり当たり前の話なのです。だから、答弁で事務官僚が答えたら、それは事務官僚に従属しているなんていうようなことじゃないと思いますよ。全く違う。
 それは、私も長いこと役所でやってきて、何十年もたつけれども、もうその力関係というのは物すごい変わってきていますよ。与党と内閣の関係、それから、内閣というか政府の中の、大臣、閣僚とそうでない人、下の下僚との関係は非常に変わってきていると思いますね。
 私は、だから、どうも今でも下の事務官僚が政治を牛耳っていてそれが思うとおりにやっている、そして二元化をしているなんていうようなことは、これは事実と違うと思いますね。それは例外的にそういうことがあったかもわからぬけれども、私はそうだとは思いませんね。
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斉藤鉄夫#26
○斉藤(鉄)小委員 私の質問時間でございまして……。
 古川先生に最初に聞こうと思っていたことがあるんです。もうあと一分しかないので簡単に聞きます。
 国権の最高機関、憲法第四十一条で国会に定められている。これは私、選挙によって選ばれた国民の代表たる国会が国権の最高機関というのは非常にわかりやすいものだと思うんですが、古川先生は、これを再定義して、やはり内閣としてとらえるべきではないか、このようにおっしゃったんですが、そうだとしたら、内閣の国権の最高機関としての権威の由来はどこになるんでしょうか。これを最後にお聞きいたします。
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古川元久#27
○古川小委員 それは全く事実誤認で、別に私は、内閣を国権の最高機関にしろという話じゃなくて、国会の国権の最高機関ということの中の意味をもう一回再定義すべきだというふうに申し上げたんですね。
 つまり、今の国権の最高機関といっても、これは通説を御存じだと思いますが、単なる政治的美称だというので、別にそこに、実質的に国会に特別な高い権限を与えたものではないというのが憲法学の通説になっているんですね。単なるそういうことではなくて、もう少し国権の最高機関ということを、では実質的にどういう意義づけをしていくかということで考えたら、先ほど私も申し上げましたように、とにかく行政権をしっかりとコントロールしていくという視点と、国民に対して争点を提供していく機能、やはりその部分に重点を置いた、そういう意味を持ったものとして国権の最高機関である国会を意味づけする、新しい意味で意味づけすべきじゃないかというふうに申し上げたわけであります。
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斉藤鉄夫#28
○斉藤(鉄)小委員 ありがとうございました。
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杉浦正健#29
○杉浦小委員長 御意見は、後で自由討議の際にどんどんおっしゃっていただくようにお願いしたいと思います。
 次に、武山百合子君。
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