北村徳太郎 に関する国会発言
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○小林(進)委員 先ほどの問題と違いまして、いまの問題はひとつ早期に加入する方向ということで、前向きの御答弁がありました。これは非常に結構だと思います。 参考までに申し上げまするけれども、五十三年四月十八日、参議院の文教委員会で同じくこの問題でも附帯決議が行われておりまして、「著作隣接権保護の徹底を図るため、「実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護に関する条約」にすみやかに加盟すること。」と、ぴたっとやはり立法府の意思が明確にな
○西宮分科員 私も、ぜひそうあってほしい。また、そうするという道を歩んで、われわれの終局の理想に近づいていくという以外にはないのじゃないかと思います。 大変偉そうなことを言うようで恐縮でありますが、ここで、日本におけるいわゆる世界連邦というか、世界国家というか、そういうものの思想の系譜を若干御披露しておきたいと思うのです。 まず、幕末の碩学佐藤信淵、この人は「混同秘策」という書物をあらわしまして、その中で今日言うところの世界連邦
○西宮分科員 実は私、この問題をこの機会にお伺いをいたしますのは、そこまで運んで大変結構だと思うのですが、私は常任委員会が法務なものですから……。 新聞報道によりますると、この国際人権規約の批准について一番問題になっているのは法務だというふうに、ある新聞が書いておったわけです。そこで私は、去年の国会で、法務委員会でそのことを指摘をいたしましたけれども、当時、法務大臣は就任間もないころでもありましたし、非常にはっきりしなかったわけです
○西宮委員 当然わかり切ったことをあえてお尋ねをいたしましたのは、これは法務省入管局で出した書物でありますけれども、それには法務省を人権擁護の府と呼んでいるわけですよ。たとえば文部省が学問、教育の府であると同じように、人権擁護の府、これが法務省なんだ、こういう言葉が入っているわけです。私も非常にそれは共鳴をしたわけです。人権擁護の府が、日本人の人権擁護については法務省の重大責任だ、こういうことを明らかにした一つの表現だと思うので、ぜひそ
○小林(進)委員 私が申し上げますが、延べ六十七人いるのですよ。その中には、皆さん方の先輩の、輝ける自民党の元老級の方々が公然と委員会に出頭し、宣誓をして証言台に立っていられる。 時間が惜しいのでありますが、参考までにひとつ申し上げましょう。 まず、辻嘉六をめぐる政治資金の問題から始まって、これは昭和二十三年六月二十三日でありまするが、大野伴睦先生が証人台に立って宣誓をしながら証言をしていらっしゃる。これを初めといたしまして、齋
○稻葉国務大臣 まあ、そういう質問に答えるのも、どうかとは思うけれども、児玉、小佐野なんという人が使っていたということは知らなかったですな。そういうことは聞いてませんですね。昔あれは場所が変わる前から、私が当選したころから北村徳太郎先生にごちそうになったところなんでね。それ以来だから、まあ、ちょこちょこですよ。それは、たびたび行くほどの財力はないからね。
○梅田委員 昭和二十三年四月五日に、第二回国会におきまして財政及び金融委員会が行なわれております。そこで、当時の大蔵事務官で福田赳夫という方がおられる。これはよく御存じの方ですね。現在の田中内閣の責任ある大臣です。この方が御説明されておるのに「事実上國の独占に属する事業における事業料金というものがありますが、さようなものといたしましては、郵便法に基く郵便料金、それから電信法に基く電信電話料金、それから國有鉄道運賃、これが大きなものであろ
○中山(正)委員 ぜひひとつそう願いたいと思いますが、いつでございましたか、昭和四十五年に、私ども若い国会議員ばかり九人でソビエトへ行ったことがありますが、そのときにビノグラドフという外務次官にお目にかかりました。私のそばにおられた中村弘海という議員さんが、私は北村徳太郎の後継者で国会に出てまいりました、北村徳太郎先生という方も親ソ派議員でございます、だから、自分も親ソ派の代議士としてひとつ活躍いたしたいと思います、ちなみに私の選挙区は
○足鹿覺君 外務大臣、それはあまりにも、あなた、御答弁としては従来の経緯を踏まえてそういうことをおっしゃるのでしょうが、現在日ソの大使交換等の事の起こりを回顧いたしますと、私は北村徳太郎団長、わが党の野溝勝団長のもとに、一員として昭和三十年であったと思いますが、中国を経てソ連に参りました。同地に約一カ月余滞在をし、ソ連の首脳部と会見しました。そして、両国間の戦争状態終結をうたった平和条約、すなわち国交回復ということには一挙にはならないが
○川崎(秀)分科員 これはぜひ、少しずつでも改善をされたいと思うのであります。去年より、午前、午後三十分ぐらいずついままでよりは延びておるというのが実情であることもこの機会に申し上げまして、もっと自由に電話の交換ができないものかということを痛切に感じておりますので、この点を申し述べまして、改善の方途を講ぜられるように希望する次第であります。 それから、これはまあ現在佐藤内閣でありまして、四選をされるかどうか。私は最近の佐藤総理大臣の
○平岡委員 別の問題でお伺いします。 あなたの最初のお話の中に、制度的なオブスタックルが正常な需要供給を阻害していることが多々あるんだ、そういうお話がありまして、最後に、食管制度にちょっと触れられたように思います。これも、需要供給を円滑にさせないオブスタックルの一つであるかどうかという議論は、非常に大きな問題だろうと思います。 実は、昭和二十八年ごろ北村徳太郎さんと一緒に外国に行ったことがあります。その旅の話ですが、かなり政府の
○参考人(折下吉延君) ただいま小川参考人のお話を聞いて、私も一部同感でございます。東京都は緑地帯を一つも緑地帯にしておらぬということ、同感でございます。その点は同感でありますが、あるいは道路をつくり、あるいは箱にして住宅をつくるという、さようなことには賛成はしておりません。 大体都市計画ということの始まりましたのは大正八年ごろからでございます。この都市計画法を立案したのが、故人になりましたが池田宏君でありまして、その当時自由空地論
○黒田委員 この問題について現在具体的に中国と何らかの交渉を持つということは考えておいでになりませんでしょうか。実は、これを申し上げますのは、昭和三十年、日本政府は、ジュネーブ駐在の日本総領事を通じて中国の総領事に対しまして、これはわが国からの要求でありましたけれども、日本人行方不明者の消息問題について情報提供を申し入れたことがあった。まだ国交回復以前でございましたけれども、出先の外交機関によりましてこのような申し入れを日本政府としてし
○岡田宗司君 ちょっと関連して。この六月ごろ北村徳太郎さんが団長になってソ連に通商使節団が行くことに大体きまったのですが、おそらくこれが向こうに参りましたときに、油送管の取引も問題点には出てくる、こういうふうに予想されます。これはこの間のネステロフが来たときのいろいろな言動からも私は予想されるところがあるのです。そういうような場合に、今外務大臣が言われましたように、政府としてはあえてこれを押える意図はないという態度を堅持されますか。
○河合参考人 ただいまのお話は、ごもっともなんですが、私はもうすっぱりとそのまま申します。それは、この話は二年ほど前か、国際貿易促進協会の山本熊一君、それから日ソ東欧貿易会の北村徳太郎君、この二人のソビエトの貿易関係の団体がありますので、この方からソビエトへいろいろ話をして、二つの団でだれかミッションを作ろうじゃないかということを話をしていらっしゃった。それで、二人の団でいろいろ財界じゅうをお当たりになっておったらしいのだが、その中で私
○佐藤(觀)委員 これはわれわれの解釈とあなたの解釈と違うので平行線になるからあまりこれ以上追及しませんが、ただこれは日本の経済との関係があることでございまして、池田さんは非常に日本の高度成長経済、日本の今日の経済の発展が、自分たちの政治的なやり方がうまかったとまでは言われませんけれども、この二年間の実績の中から、池田さんは長い間御承知のように大蔵大臣、通産大臣をやってこられて、総理大臣になられたのでありますが、そういうことを非常に誇示
○阿部竹松君 ただいま次官からお聞きいたしました、石井さん、北村徳太郎さん、これは自民党さんの大物であるということは認めるわけですが、この種の仕事にあまりたんのうではない。これは次官はそうですと言われぬでしょうけれども、私どもは一般にそういうように認めている。この人が行ってジェトロを中心としてやったんですが、ジェトロは、御承知のように、二十億の資金でその金利で大体仕事をなさっておるというのがジェトロの実体だと思うわけです。このジェトロが
○政府委員(始関伊平君) 昨年の八月から九月にかけましてモスクワで開かれました見本市の経過でございますが、これは三十三年の十月ごろから、わが国の関係業界からぜひソ連で見本市を開催しようじゃないかという望要がございまして、その後関係各省でいろいろ相談をいたしまして、日ソ貿易の拡大をはかりますために見本市の開催が有意義である、こういう結論に達しまして、一昨年の七月十日の閣議におきまして、この見本市を開催するということが閣議了解になりました次
○国務大臣(石井光次郎君) 先日モスクワで開かれました日本見本市に日本の政府を代表して出席をいたしました。帰りにロンドンとパリを訪ねまして、どこででも貿易の問題で話し合って帰って参ったのでございますが、見本市は私が十六日に開会式の行なわれます二日前の八月十四日にモスクワに着いて、いろいろ様子を聞いてみますると、大へんに前景気がよくて評判もよろしいということでございまして、産業省の大臣代理をしております次官に聞きますと、自分はあらかじめ会
○田中(稔)委員 どうも今のお答弁はなっていないのですけれども、それ以上は追及しない。そこで、話がまた変わりますが、去る四月二十六日、文京公会堂において、中国人俘虜殉難者国民大慰霊祭というものが盛大に挙行されたのであります。発起人としては、石橋湛山、松村譲三、高碕達之助、北村徳太郎、鈴木茂三郎、淺沼稻次郎、松本治一郎氏らが、党派を越えて名を連ねておるのであります。この慰霊祭に岸総理の御出席を見なかったのはまことに残念でありますが、総理は