石黒忠篤 に関する国会発言
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○山下参考人 本当に私が一番言いたいスライドを指摘していただいて、どうもありがとうございました。 農の心がなくなったんです。減反政策と農地転用で農の心がなくなった。物すごくもうかったわけですね。だから、その農の心を取り戻すにはどうするか。農家が、農業を誇りだと思えるような職業であるという認識を持たないと駄目なんです。その後に石橋湛山の言葉もありますけれども、みんな農業というのはつまらない産業だと。 農村政策でもそうです。何か、直
○山下参考人 おはようございます。 きょうもまた呼んでいただきまして、ありがとうございました。 前の二人の御参考人の方とは全く逆の立場から、政府案に対して意見を申し上げたいと思います。 左からの反論と右からの反論、これを合わせて、道は中庸にありということは昔から言われますが、右からの反論、左からの反論、両方あるときは、足して二で割ると、やはり政府案がよかったんじゃないかなというふうなことになりかねないんですけれども、私は私の
○山下参考人 石黒忠篤という人は、実は、柳田国男という人が一九〇〇年に農商務省に入りました。農商務省に二年ぐらいして法制局に行ったんですけれども、その後、柳田国男と一緒に、新渡戸稲造とかそういう人たちと郷土会というサロンをつくって一緒に活動していた人です。柳田国男、石黒忠篤、それから戦後農地改革をやった和田博雄、それから小倉武一、東畑精一、その間に河上肇という人も実は農政学というのを書いています。そのみんなに共通して言ったことは、農産物
○吉田(豊)委員 そして、山下先生にお聞きしたいんですが、二回続けて、本当にありがとうございます。 私、先生にお願いしましてから、改めて、うちのところのスタッフが、先生の著書の「バターが買えない不都合な真実」という本を勉強しなさいといって私の机の上に置いてありまして、これを一読したら結構難しい本だなと思いましたけれども。 それよりも何よりも、きょうのこの法案に対して、先生の御姿勢が、非常にまた先を進んだところにあるということを実
○山下参考人 山下でございます。 参考人として意見陳述ということで言われたんですけれども、実は、この件については、それほどよくフォローしてきたわけじゃないんです。というのは、何が議論されているのかというのが、私は、はっきり言って、さっぱりわからなかったわけでございます。 実は、この問題について全く素人じゃなくて、私は、平成元年に当時の農林水産省の畜産局牛乳乳製品課というところに行きまして、そこで酪農の制度とかいろいろ勉強してきた
○山本(有)国務大臣 昔の、戦後間もないころの農林大臣の石黒忠篤さんが、農林水産省の職員と現場とは距離がある、これを埋めることが今後の課題だと言われていましたが、まさにそのとおりであるというように思っております。
○参考人(山下一仁君) 最初の御依頼の話は、既に西田先生にお答えしたとおりなので省略させていただきたいと思います。 それから、私の農林省にいたときの仕事なんですけれども、直接関わったということはそれほどはありません。ただし、間接的に関わったことはたくさんあります。ただし、減反政策、それから高米価政策、それから農地政策、そうしたものに対して、私が農林水産省にいたときに、既に二〇〇〇年の十二月に、小倉武一という農林水産省の大先輩が理事長
○楢崎委員 先ほど申し上げました石黒忠篤さんという方の生きざまをもう一度検証されて、中山間地のさらなる改善策を模索していただきたい、このように思います。 株式会社の参入問題についてお伺いします。 私は、二〇〇一年の農地法の一部改正の審議に携わりましたけれども、当時は、株式会社の参入が結果的に農地の荒廃を招くのではないかという心配をしました。それがゆえに参入規制を厳しく求めたわけですけれども、結局、その後も農地は荒廃の一途をたどっ
○楢崎委員 私は、ある報道で知ったんですけれども、皆さん方の大先輩で、生涯を農林行政に尽くされました旧農林省官僚の石黒忠篤さんという方が、山村を守ることによって下流の田畑が守られ、そして農業が持続されるという思いで、新人官僚の方を山村の営林署に送って鍛えられたわけですね。まさに、中山間地の果たす役割を大切にしろと言っておられるんだと思います。 そこで、中山間地の活性化持続対策について、直接支払い制度以外での施策というのは考えられない
○竹内(猛)委員 もう一つ私は長官に、もう御存じかと思われますけれども、私の郷里、茅野市の米沢御出身の小平権一という人がおりましたね。農林省の事務次官で、農務局長で、農学博士で学者でもある。これは米沢村の鋳物師屋の出身だ。息子は今世界一の数学者だ。この人がちょうど昭和三年の金融恐慌、それから昭和五年に農業恐慌、そのときに農林省の農務局長、当時次官が石黒忠篤さん。何をやったかというと、当時、農村恐慌ですからね、負債整理法をつくりました。そ
○竹内(猛)分科員 代替地方式というもの、これはさっき伊奈、谷和原という話が出たけれども、伊奈、谷和原というところは初めて公共的なものに山林や原野を提供するところなのですよ。だから早く九〇%ぐらい同意者が出ている。ところがつくば市ではほとんどゼロでしょう。調印していないでしょう。というのは、前々からの経過があるからそういうふうに慎重になっている。そこで、国も県もそうですが、二千ヘクタールの開発面積を三百五十ヘクタール減らしたでしょう。千
○片岡委員 公述人の皆様方、大変お忙しいところ、貴重な御意見を賜りましてありがとうございました。 私は、時間がないようでございますので、農業問題について池田公述人に一点、そしてちょっと補足的にもう一点だけ、これは簡単にお答えいただきたいと思います。皆さんよくおわかりになっていることでございますので。 まず第一点は、先ほど将来の農業に活力を与えてそして希望のある農業に仕上げていかなければならぬ、こういうお話でございます。それにつき
○池田公述人 私は、まず結論から申し上げますと、非常に厳しい財政の状況の中で国債に依存する度合いが余りにも大きい、これをできるだけ今後調整をしていくという視点から五十五年度の予算編成が行われまして、総額四十二兆五千八百八十八億円、その中で私ども関係のある農林予算が三兆五千八百四十億円、こういうことで編成をされ、いま国会の審議を煩わしておるわけでございますが、いろいろむずかしい中で工夫がされて予算編成が行われておるということを是といたしま
○川本委員 軍の要請に基づくという言葉がありましたけれども、昭和十一年の五月の十二日だと思うのですが、旧関東軍司令部からの建言書が当時の近衛内閣に対して出されておるわけですね。この旧満州青年移民義勇軍というものの派遣の一番最初の意見書が旧関東軍から出されておると思うのです。それを受けて後に石黒忠篤さんから建白書が出されておる。農村更生協会理事長石黒忠篤さん外五名からいわゆる「滿蒙開拓青少年義勇軍編成に閲する建白書」こういうものが出されて
○米内山委員 そこで、若干古い話になって恐縮なんですが、これは大臣などは御存じないことだし、いまの農林省の官僚諸君も伝え聞きには聞いていることかもしれませんが、実は、私は、青森県の非常に貧しい、条件の悪い村に生まれまして、昭和の初期に世界的な不況が起きて、われわれの方には凶作が起きて、これを何とかしなければならぬということで、今日までかれこれ五十年近く同じ道を歩いてきている。そのころの農林省というのはいまの農林省と別でした。看板は同じだ
○米内山委員 大臣、それは非常に甘い考えですよ。非常に甘過ぎて危険だと思うのです。というのは、国内でも、国がこう思ったからこうやりたいといったって、日本の農林省がそうやっても、農民はそうなかなかやらないものなんです。やる気があって、そこに政策が伴っていけば成果が上がるんです。外国人が外国へ行って、おまえの国もよくしておれも食糧の不足を補うなんて、そんな打算的な考えでこれは成り立つものじゃない。 大臣、これは何もむずかしいことじゃない
○堂森芳夫君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員坂田英一君は、去る七月二十二日逝去されました。まことに哀悼にたえません。(拍手) 私たちの郷里は、坂田君が石川、私が福井と分かれてはおりますが、互いに県境に近く、隣接しておりまして、また坂田君は、旧制第四高等学校における私の先輩という関係もありまして、私が初めて本院に議席を得ました昭和二十一年に、当時農林省に在職中の君とお会いして以来、公私にわたり、党派を越えて親交を重
○稻村(隆)委員 ところが、小作争議が起きて小作組合ができると、どんどん小作料が下がった。これは大臣もよく御存じだと思いますが、小作争議調停法というものができた。それで小作官というのが調停にいろいろ奔走したけれども、下火にならなかった。地価がどんどん下がった。地価が下がったから、これで地主もちょうど土地を売る時期だ、こういうことで、これは農林大臣も地主さんでありますし、村長もやられた、農業の組合長も長くやっておられたから、農村のことはよ
○三浦分科員 もう一点。往年各町村並びに部落等を動員して計画的な振興計画をやったのは、われわれの大先輩の石黒忠篤先生がやったわけなんです。このときには文字通り自主的な計画に基づいてだんだん推進している。今日の指導方針としても自主的にやらせるということではございましょうけれども、現在の農村の実態から行きまして、必ずしも今日の事態に合うようないい計画を立て得る素質を持っておるものがあるとは言えないと思うのです。そうですから前提として、ここに
○斎藤昇君 ただまい議題となりました参議院予備金支出の件につきまして御報告を申し上げます。 昭和三十四年度並びに三十五年度の予算額は、両年度ともそれぞれ五百万円でございますが、昭和三十四年度分は、前回の常会の初めに院の承諾を得ました三百二十四万円のほか、その後、百八万円が支出され、差引六十八万円が不用額となったわけであります。支出額の内訳は、在職中死亡された故議員石黒忠篤君の遺族に対する弔慰金であります。 また、昭和三十五年度分