内閣委員会

1956-05-07 参議院 全107発言

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会議録情報#0
昭和三十一年五月七日(月曜日)
   午前十時三十三分開会
    —————————————
   委員の異動
五月四日委員亀田得治君辞任につき、
その補欠として小林亦治君を議長にお
いて指名した。
五月七日委員伊能芳雄君、藤野繁雄
君、菊田七平君及び小林亦治君辞任に
つき、青柳秀夫君、佐藤清一郎君、木
村篤太郎君及び田畑金光君を議長にお
いて指名した。
    —————————————
 出席者は左の通り。
   委員長     青木 一男君
   理事
           野本 品吉君
           宮田 重文君
           千葉  信君
   委員
           青柳 秀夫君
           井上 知治君
           井上 清一君
           木村篤太郎君
           西郷吉之助君
           佐藤清一郎君
           田畑 金光君
           永岡 光治君
           松浦 清一君
           吉田 法晴君
           梶原 茂嘉君
           高瀬荘太郎君
           廣瀬 久忠君
           堀  眞琴君
  衆議院議員
           山崎  巖君
           古井 喜實君
  国務大臣
   国 務 大 臣 吉野 信次君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       杉田正三郎君
  参考人
   元幣原内閣総理
   大臣秘書官   岸  倉松君
   早稲田大学教授 大西 邦敏君
   一橋大学教授  田上 穰治君
   元衆議院帝国憲
   法改正案特別委
   員会委員
   (衆議院議員) 鈴木 義男君
    —————————————
  本日の会議に付した案件
○憲法調査会法案(衆議院提出)
    —————————————
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青木一男#1
○委員長(青木一男君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。
 委員変更についてお知らせいたします。五月四日、亀田得治君が辞任せられまして、その補欠に小林亦治君が選任せられました。
    —————————————
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青木一男#2
○委員長(青木一男君) 本日は憲法調査会法案につきまして、学識経験者であられる方々のおいでを願って御意見を伺う次第でございますが、皆様にはお忙しいところわざわざ御出席下さいましてありがとうございました。一言ごあいさつを申し上げます。
 まず元幣原内閣総理大臣秘書官岸倉松君の御陳述を願います。大体時間は二、三十分以内においてお述べを願いたいと思います。岸君、どうぞ。
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岸倉松#3
○参考人(岸倉松君) 特に何を申し上げていいのか、何をお聞きなさろうとするのか、一向存じないで私来たのでありますが……。この書類は拝見しましたけれども、どういうことを御参考に申し上げればよいのか、何の予備知識もなしに来たのですが、何か御質問でもなさる方がおありですか。
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青木一男#4
○委員長(青木一男君) それではちょっと委員長から申し上げますが、本日お述べを願いまする関係法案は、憲法調査会法案でございます。それについて実は社会党の方面から御推薦をいただいておいでを願ったわけでございまして、十分お述べを願いまする内容等についても御理解いただいておることと思いますが、ただいま申し上げました通り、憲法調査会法案の審議の参考として御意見を伺うのでございますから、それに関係する事項について、今申し上げました時間の以内において適当にお述べを願って、それからあとあるいは質問があろうかと思います。どうぞお述べを願います。
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岸倉松#5
○参考人(岸倉松君) 憲法第九条の戦争放棄の問題に関しまして、よくあれは当時の幣原総理からマッカーサー元帥に建議したのだ、あるいはそうでないと、いろいろな論議がありました。ところが私どもも実は前総理から直接に、こういうことを話に言ったのだということをはっきり伺ってはいないのであります。ただマッカーサー元帥が一九五一年のたしか五月四日と思いますが、アメリカの上院の外交並びに軍事委員会の席上におきましてはっきり言われたことがある。あの日本の戦争放棄の憲法に関する問題というのは、その当時の総理であられる幣原が私のところにこられて、そうしてもう戦争というものが実に悲惨な結果を来たすから、これからもう戦争というものを全然廃止しなければならないということを自分のところにはっきり言ったということが、その合同委員会の席上で証明されておる。ところが、それは新聞に出ていましたけれども、私ども全然それがわからない。国会図書館に行って私調べてみました。向うの議事録がついております。それからその議事録によって見ましたら、新聞に出ておる通りはっきり同じような意味のことが議事録に出ておる。それで実は幣原がその前の年の十二月の二十九日に発病しまして、肺炎にかかって、それからそれがちょうど一月の十五日にほぼ全快した。それからいろいろの何でお礼のために、宮中に第一お礼言上に上りまして、それからマッカーサー元帥のところにも上った。それがたしか一月の二十四日なのです。そのときは十二時に上りまして約三時間、三時まで話をして、そのとき今の話が  これは推察でありますのでわかりませんが、そのときに今の憲法九条の問題の話がそこに出たのではないかと推察されるのであります。それでそれが、幣原総理からその戦争放棄に関する話をマッカーサー元帥に話したということは、その合同委員会におけるマッカーサー元帥の証言によってはっきりしたことと、それからその当時司令部に、民政部におりましたいろいろな方がある。それはたしかリゾーというのがある。ホイットニーの民政局の局長代理なんかをした方ですが、それらも話し、その後になって幣原の提言によるのだということを話しておられました。それからワイルズという人がやはり著書の中に書いております。それがやっぱり幣原の提言である。そのワイルズという人はやはり民政局におった人でありますが、書いております。それからホイットニーが民政局長自身で、それはロスアンゼルスのマッカーサー元帥の誕生日の記念会があった。その後よっぽどあとのことですけれども、そのときにも同じようなことを言っていますが、それは主として、やはりホイットニーという局長がいろいろ書いたものであって、そういうことで一月の二十四日の会見のときにそういう話をしたということが、そういう人たちのいろいろな話によって私推察して、そうだろうというまあことに推察しておるわけですが、直接聞いたのじゃないのですから——幣原自身が私にそう言ったのじゃないから、その点だけははっきり御承知を願いたいのです。
 それから憲法に関して枢密院に三月の何日かに政府が説明されたことがあります。そのときに幣原総理が総理としてまあいろいろ憲法の説明なすった。そのときに九条の問題に入ったときに、自分がかたい信念を持ってこれこれの内容を言ったんだということを幣原が説明したということが何の中に書いてあります。それは毎日新聞の何か局長をやっておる人で、何とかいう本を書きまして、それをあとでその本によって私見たのですが、まあそういう点ですね。それから、まあ大体そういうようなことで、直接に総理が私に、自分が言ったんだということはそれはおっしゃらなかったけれども、今のマッカーサー元帥の証言とか、それから民政局におった人たちのいろいろなお話などによって、それから幣原先生が総理になられてから、もちろん私毎日、朝夕自動車に同じく乗り合っておりましたが、東京のいろいろな町やなんか通過するときに、まだ焼け跡が方々に残っておった。それを見るたびにもう悲痛な何をされて、戦争のひどいことをもう非常に何している、痛感されている。またそういう意味で話もしておられる。それからどういう場合でもですね、戦争というものはもうこんな悲惨な何を来たすから、絶対にもうこれはやめなければならない。ほんとうに原子爆弾や何か戦争に使われる今日は、日本などではどうしたってこれを製造するということは財政上絶対不可能だから、だからこの戦争というものをどこまでもなくさなければいけないということをもうしょっちゅう言っておられた。それやこれやでマッカーサー元帥の証言というものは、確かに、あれは幣原が少くともああいうことを言ったんだ、それから得てそうしてああいうことになったのじゃないかと思われる節があるのであります。もちろん何ですね、日本の憲法の草案というものは申すまでもなく、司令部の方で起草して、司令部の方から全部やってきたものです。だからあの条項そのものがむろん司令部の起草したものに多くはかかっております。それから日本の政府の方ではいろいろそれを選考し、研究し、相当修正した点もあります。しかし結局日本の政府の憲法の草案になったものでありますけれども、九条の今の戦争放棄の動機というものは、幣原が言ったということも確かに一つの何をなしている。あるいは幣原が言って、マッカーサー元帥が全然考えていないことを言ったのじゃそれはないかもしれません。マッカーサー元帥もそういうことを思っておったかもしれませんが、少くともあれは、幣原総理があれを提案したことが少くともあの動機の一つになっているのじゃないか、これは裏面の動機、そういうふうに私は考えさせられます。まあ大体……。
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青木一男#6
○委員長(青木一男君) ただいまの御発言に対して御質疑のある方はどうぞ。
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廣瀬久忠#7
○廣瀬久忠君 岸さんにお伺いいたしますが、はっきりと直接にお聞きになったことはないというふうに伺うのですが、それはさようでございましょうか。
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岸倉松#8
○参考人(岸倉松君) 私は実は二十一年の一月の二十四日に総理のお供をしてマッカーサー元帥のところに上って、十二時から三時までお待ちして、そうして一緒に帰ってきたんですけれども、そのときは私は、どういうことをあなたお話しになったということを聞きませなんだ。というのは非常に長い間お話しになっておられるし、非常に疲れておられるから、車中ではそういうことを、事情を、私は特にそういうことを聞いて総理に御苦労をかけるというようなことをせなかったのです。ですから従って私はそのときに、元帥にこういうことを言ったんだということは伺いもしませんし、お話しもありませんでした。
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廣瀬久忠#9
○廣瀬久忠君 なお一、二点お伺いしたいと思いますが、そうすると直接にお聞きになったことはないが、二十一年の一月二十四日に肺炎がおなおりになったお礼に司令部をおたずねになった。その際に長時間御会談があったんだから、その際にお話があったんだろう、こういうように御推定をなさるわけだと思うんですが、そこで、それでありますと、ちょっとなおお伺いしたいのでありますが、マッカーサー元帥の証言及びこの司令部の何とかいう、リゾーとかいう方並びにワイルズですか、それからホイットニー、これらの諸君が、あるいは何か書いてあるようですな。あるいは証言が、外交委員会で証言された。そういう際に、いつどこでというようなことが何か書いてありましょうか。ただ幣原総理が戦争放棄の最初の発言をしたんだということを示すに足る時と場所というようなものを何か書いたものがありましょうか。
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岸倉松#10
○参考人(岸倉松君) それはマッカーサー元帥の証言以外には、時と場所は全然書いたものはありません。
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廣瀬久忠#11
○廣瀬久忠君 そのマッカーサー元帥の証言の中には、いつどこでと書いてありますか、それをちょっと御記憶ありますか。
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岸倉松#12
○参考人(岸倉松君) それは証言の中にはいつどこにということは書いてないようですけれども、その九条の戦争放棄に関することは、幣原さんが自分にそれを申し出たということをはっきり言っております。申し出るについては、前には病気しておりますから申し出る機会がないのです。あとになると、憲法に関する草案が向うから出てきたあとですから申し出る機会がないのです。ただ唯一の機会というのは、一月二十四日に会っただけですから、その場所と日はそれによって推測しただけです。はっきりマッカーサー元帥も一月の二十四日に云々ということは言っておりません。
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廣瀬久忠#13
○廣瀬久忠君 そこでお伺いしたいんですが、非常に大切なことは、二十一年の二月の二日に、大体、ホイットニーに対してマッカーサー・ノートが出ておる、御承知のように。そのマッカーサー・ノートの中には何が書いてありますね、憲法を作ることについてのいわゆる基本原則というようなものをホイットニーに対して指示しておる。そのときの第一項は天皇のことで、第二が戦争放棄のこと、そこでですね、非常に大切なことは、その戦争放棄についてマッカーサーがホイットニーに指示したその指示は、ポリティカル・リオリエンテーションの中に書いてある。その動機が幣原総理の動機であったのか、発言によるものかどうかということが、非常な一つの問題点であると思う。そうすれば二月三日以前ということに会ったのであれば、あるいはそういう疑いも起きると思う。このお話によるというと一月二十四日というのですね。ですから一月二十四日というと二月三日の前、それが前であれば、あるいはそういうことがあるのかもわからぬという感じもする。ところでとにかくそういうヒントがあったかなかったか、それは別問題だが、今日公けの文書としてポリティカル・リオリエンテーションの中には、マッカーサー元帥の指示としてこれはもうはっきりと公文で出ておる。その結びつきがどうかと、こういうことが大切なんです。ところで私が場所と時を伺ったんだが、場所はまあ司令部であるということは今の言葉でわかる。しかし時は、マッカーサーの外交委員会における証言においてもはっきりしない。非常にそれが困ったことで、一つの重大な問題、そこでまだお伺いしたい。マッカーサー元帥とお会いになったことは、二十四日以後は憲法草案が突きつけられて、十八日かあのころに会ったわけですが、その間は会いませんか。
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岸倉松#14
○参考人(岸倉松君) 私が大体あの当時の日誌をつけておるのですが、その以後は、三月のあの何が出てくる前は会っていないように思います。
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廣瀬久忠#15
○廣瀬久忠君 それからなおお伺いしますが、この問題は、日本の最も大きな文書として現われているのはたしか外交五十年史なんですね。あれは外交五十年史の中に書き入れてあるが、これはどういうような根拠か、推定をあのままお書きになったものですか、どういうものですか、これは非常に重大な問題です。
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岸倉松#16
○参考人(岸倉松君) 外交五十年史に書いてあることは、今ちょっと事実を記憶しておりませんけれども、やっぱり私今申し上げた以外には事実がないようですから……。
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廣瀬久忠#17
○廣瀬久忠君 それでは一つ、そういうお話であると非常にはっきりしないので、いつどこでおっしゃったかということがはっきりしないと、あの推定だけは、御推定になっておるのですが、非常に困ったことは、重大なことは、当時の閣僚のある人の意見、並びにことに憲法担当であった松本国務大臣が自由党の憲法調査会において発言されておる。その言葉を見ますというと、全く自分は一ぺんも幣原さんからはそういうことを伺ったことはないと、これは自由党の調査会の仕事でありますが、そのときにここにおる青木委員長が、やはり憲法調査会の席上において松木国務大臣に対して、幣原さんがその第九条についてヒントを与えたということをいうが、どうかということを言ったら、これに対して松本烝治氏はこういうことを言った。私が書いた小さい説明書、これは憲法の説明書、これは司令部に提出した説明書ですが、私が書いた小さい説明書を出すときには、幣原さんはもちろん賛成して出せというので出しておると、そのときにそういう考えを持たれる道理はないのです。でありますから後日、つまりマッカーサーの憲法が出てから後で、おせじか何かに、軍隊のことは自分も最初から考えていたというぐらいのことは言ったかもわからないが、しかしそれはおせじであって、決してそういうことは幣原さんはマッカーサーに言ったとは思われないということを、幣原総理が最も信任しておって、そして憲法を担当するところの松本国務大臣がこういうように、幣原さんはそういうことは自分にも一度も言ったことはないし、そんなことは考えておらなかった、こういうことを言っておる。そればかりでなく、もう一つここに芦田均君、現在衆議院の芦田均君ですが、これは当時の閣僚です。当時の閣僚が中央公論に出しておるのを見ましても、やはり幣原さんはそういうことを言っておったんではないかと、こういうことを考えておったんではないということをはっきり書いておるのであります。そこで幣原さんが向うの憲法の草案を受け取って、そしてそれに対する幣原さんの言が、言葉が書いてあるのですが、二月十八日に、白洲君がホイットニーから二月十八日に受けた言葉を政府に伝えておる。そのときに幣原総理は、こんな案を直ちに受諾することはできないと言って非常に憤慨しておられた。で、そのときにやはり三土内務大臣、岩田司法大臣も総理と同一意見であるということを言っておった。それからなおこういうことも言っておるのですよ。マッカーサーが日本の軍備を廃止しろということを言うた。そのときに幣原さんはたしか十八日に会いにいっておるようですが、そのときにマッカーサーは日本の軍備は廃止しろ、そうして日本は道義的指導権を握るべきだと思うということを言ったことに対して、幣原さんは、そんなリーダー・シップというけれども、指導権を握れというけれども、どの国も日本についてこないというようなことを言っておる。それから大体当時の閣僚諸公の話をわれわれが聞くところでも、閣僚諸公は一度も総理からさようなことを聞いたことはないというようなことを言っておる。そうすると幣原さんはマッカーサーには戦争放棄を主張することを言うたが、しかし閣僚には言わなかった。のみならず、御自分が信任せられておる憲法担当の松本国務大臣にも一度も言わなかったということは、どうしてもわれわれには信じられない。そこでこれはどうも間違いじゃないかと私どもは思うのです。その点についてはあなたはどういう工合にそこの関係を御解釈になるか。ことに私が特にお伺いしたのは、幣原総理の外交五十年史の中に堂々とこの問題が入っておる。今私きょう持ってきませんでしたが、してみればこの問題についてはどういう工合にそこを、つまり閣議並びに憲法担当の大臣に対しても一度もおっしゃったことはないということは、これはいかがなものであろうか。それなのにマッカーサーには話しをした。そのほかに憲法五十年史に書いてあるということは、私にはどういうわけかよくわからない。これらの点はどういう工合に解釈せられるのか。外交五十年史の問題も私は重要だと思うのですが、その間のいきさつをどういう工合にあなたはお考えになりますか、非常にむずかしい。
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岸倉松#18
○参考人(岸倉松君) 今、廣瀬さんのお話の、関係各大臣や何かのお述べになったことは、それは全部事実だと思います。その関係各大臣などがそう信じておられてそう申したのだと思います。ところがそれが事実にしても、一方マッカーサー元帥の言われた、この九条というものが、幣原総理が私にそういうことを言ったので、自分がそういうふうにしたのだというふうに、第九条をこしらえ上げる前にそれを、私の推測ですよ。こしらえ上げる前に、ちょうど一月の二十四日に総理がマッカーサーに会ったときに、戦争の惨害の非常なことを言った。もうこれじゃ、日本の国民がこの戦争のためにどんなに重大な被害を受けておるか、その戦争の被害の甚大なることを言っておる。それでことに原子爆弾や何かが武器として発明された今日では、しかも敗戦の日本でそういうものを作るなんていうことは絶対不可能なんです。だから戦争というものは、これから絶対もうなくしなければならぬ。従って日本が国際法上のいろいろな問題が起ってきた場合に、戦争によって解決するなんということは絶対にやめなければいかんという信念を、それもマッカーサーのところへ行って初めて言ったのじゃなしに、そういうかたい信念はもう行く前からずっと、組閣のときから持っておられた。だからそれをマッカーサーに会ったときに、一般の自分の所信を述べたということは、私何も不思議じゃないと思う。だからそのときに憲法問題が出ないのですから、憲法九条にこういうことを書きなさいと言ったわけじゃないのですけれども、日本の国民として戦争の被害の甚大なることによって、これからの戦争というものはやめたいということは、それは一人じゃないのです。もういかなる人といえども、そういうことは思っておったに違いないのですよ。だからそれをマッカーサーに会ったときに言ったということは、何も不思議はない。
 それで、それからもう一つは、廣瀬さんのおっしゃった関係各閣僚がそういうことを知らなかったのは、それはもっともでしょう。しかし自分が一般論としてマッカーサーにそういうことを、かたく自分の信念を、言っただけで、これは何本憲法の問題のときに閣僚に話さなかったのじゃないのです。だからそこは閣僚諸君の言ったことも事実だろうと思うのです。
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廣瀬久忠#19
○廣瀬久忠君 その心持は、私も幣原さんとは非常に懇意だしよくわかるので、幣原さんが平和主義者だということもよく知っておるわけですが、要するに今のお話を承わると、幣原さんは平和主義の信念を持っておる、で戦争のおそろしさを強調した。それをマッカーサーは解釈して、戦争放棄に持っていっちゃったのだ、戦争放棄という第九条と、今の幣原氏の信念との間には、そこには憲法としての関係はないのだ、こういうことであろうと私は思うのです。ただ、そういうことであろうと思うのですが、しかし非常にわれわれが解しにくいのは、むろんだれだって戦争はいやなんですよ。いやなんですが、しかしその考え方を、第九条の問題がマッカーサーの方から指示されたときは非常に強いもので、修正される前の第九条のマッカーサーの条文というものは非常に、戦争の絶対放棄を書いておるわけなんだ。そういう問題があって、この問題については閣議においても、やはり自衛権までの放棄のような形になるので因るという議論もあったようにも私は聞くのですが、そういうときに幣原先生のお心持を少しも強調せられたものがないというのは実に遺憾だと思うのですね。そこで私は幣原さんのお心持は、やはり今あなたのおっしゃったように国際法上の、国際紛争があった、そういう場合においてこれを戦争で解決しようというようなことはいけない。つまりこれは別の言葉でもっていえば、侵略戦車というようなことは絶対にいけないのだ、こういうことであるのであって、私は独立国家としてのつまり自衛の権利まで放棄しようというような心持はむろんなかったのだ。従って私はやはりこの自衛権の行使までも否認するのだというような考えはむろんなかったのだ、こう私は思うのです。ただそれがとかく非常に強く解釈されて、戦争絶対放棄、自衛の戦車まで放棄だということが幣原さんの主張なるもののごとくに解されることは、あるいは御本人のお考えじゃなかったのだろうと、こう私は思う。その点はどうお考えですか。
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岸倉松#20
○参考人(岸倉松君) その前にもう一言ちょっとつけ加えて申し上げたいのは、一月の二十四日に幣原総理がお会いしたときのマッカーサー元帥の心情ですね、それは今申し上げた通り、幣原総理から今のような気持で申し上げた。ところが一方マッカーサーが——これは書いたもので読んだから事実かどうかわかりません。マッカーサーが、自分は今まではずっと軍人で、戦争ばかりやってきた、戦争戦争でやってきた。ところがどうも戦争の悲惨なることというものは自分はしみじみ何した。だから何かそれ以外に一つ何かとらなければいかんという考えを持っておるところに、幣原さんがそれを述べたものですから、そこで戦争放棄ということまで憲法に掲げるようになったのじゃないかと思うのです。
 それからもう一つは何ですかね、あとの方は……。
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廣瀬久忠#21
○廣瀬久忠君 今、私が伺ったのは、つまり自衛の戦争、自衛権の行使というものはいい、侵略戦争というものは、これは絶対にいけない、つまり国際紛争の解決の手段としてはいけないのだ、それは幣原さんもわれわれもそうだ、ところがこの問題がいつでも問題になるので、自衛権の放棄にまでいくのだ、そういうところまで幣原さんはヒントを与えたかのごとく考えられる点があるから、この点はあなたはどうお考えになるか。
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岸倉松#22
○参考人(岸倉松君) 幣原総理が方々で演説したものによりますと、それは戦争放棄のことをはっきり言っておるのです。演説の中で、戦争はもうやっちゃいかんということを言ったのです。しかしそれは、ことに原子爆弾や何かの発明された今日、日本はどうしてもそういうものを作り得ないじゃないか、ことに終戦の今日は財政的にもそんなことはとても作り得ないから、戦争というものはこれから絶対にもう……しかし国内にいろいろな治安を乱すようなものや何か、その当時よく国内革命をやるなんという風説が方々にあったのです。だからそういう国内の秩序を乱すようなものを防ぐために必要な自衛隊といいますか、警察隊といいますか、そういうものはそれは必要だ。従ってそれが使用する武器といいますか、今まではピストルだけでやっておったのでしょうけれども、これからなかなか国内の治安維持にも相当の武器が要る。それは必要だということは、各所における演説の中に公然と言っております。
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廣瀬久忠#23
○廣瀬久忠君 それで今の治安維持ということに力を入れておっしゃるが、要するにその言葉は、別の言葉で言えば、わが国を安全に守るということはやらなければならぬのだということに私は帰するのだと、こう解釈するのですが、それはそういう意味でありますか。
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岸倉松#24
○参考人(岸倉松君) そういうことをはっきり言いませんが、戦争はとにかく、国内の秩序維持のために警察隊のようなものはそれは必要だ、それから……。
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廣瀬久忠#25
○廣瀬久忠君 もう一言だけ。こういうことを最後に言っておられます。これはいよいよ向うの司令部の草案を受諾しなければならぬということにきまったときに、閣議の終る直前に、幣原さんはすこぶる沈痛な顔をしてこういうことを言っておる。これは芦田君の書いたものですが、「「かような憲法草案を受諾することはきわめて重大な責任であり、恐らく子々孫々にわたるまで責任は残る。この案を発表すれば一部の者は喝采するであろうが、また一部の者は沈黙を守りつつ心中深くわれわれの態度に憤激するに違いない。しかし今日の場合大局の上から見て外に行くべき途はない」」と言われた。「これを聞いて閣僚一同は暗然とした。」、これは三月の初め、最後のものです。ここで一つあなたに幣原さんの心境を、あなたが常にそばにおって幣原さんを見ておられて、どういう工合にこの幣原さんの、一部の者はかっさいするが、他の者は心中深く沈黙を守りつつ憤激するであろうと言われたその心持ですね、あなたはどんな工合にお考えになりますか。
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岸倉松#26
○参考人(岸倉松君) どうもその点は意味深長で、はっきり私の考えを申し上げかねます。
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廣瀬久忠#27
○廣瀬久忠君 私の質問はこれで……。
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千葉信#28
○千葉信君 岸さんにお尋ねをいたしますが、先ほど委員長からもちょっと触れられましたようですが、岸さんに来ていただきましたのは、社会党の推薦によって来ていただくことになりました。さっきもあなたは一体何を聞かれるのか、どういう問題についてお話をすればいいのか、実はあらかじめ自分としては用意もしてこなかったのでと、こう言われました。全くその通りだと思うのです。私どもももし親切なやり方をするとすれば、もしかまた自分たちの希望を率直にぶちまけるとすれば、これはもとより当然私どもの方から事前にあなたに御連絡を申し上げ、そうして今日の参考意見等について十分御用意を願う筋合のことですが、実は私どもとしてはなるべくあなたにその思い通りの正直なお話を伺いたい、それがやはり最も客観的な立場から判断するものにとって公平な結論を出すことができるのじゃないか、まあこういう考え方から事前に何らの御連絡を申し上げなかった次第です。その点は一つ御了承を願いたい次第です。
 ところが先ほどの参考意見なり、それからまた今廣瀬委員の方からいろいろな角度からの質問がありましたが、全体を通じて私どもは全く期待した通りにあなたはりっぱな参考意見を出されましたので、私は非常にその点については心強いものを感じております。ただ若干真相をはっきりつかむために少しお尋ねをしたいことは、幣原さんが軍備の放棄あるいはまた戦争の放棄ということについてまあ当時のマッカーサー司令官との会談なり、もしくはまた憲法問題についてのお話し合いのときに、どうも私どもの知っているところでは、そういう会談の内容について若干津さんにお漏らしになられたような印象を従来持っておりました。どういう点からといいますと、毎日新聞に笠井重治さんという方がおられます。この方がマッカーサー元帥に、一体あなたはほんとうに第九条を示唆するときに幣原首相の方から話があって、自分もそれに賛成したのだということだが、その通りでございますかという文書をマッカーサーに送ったわけです。ところがそれに対してマッカーサーはその通りだという返事をよこしたのです。ところがその文書を笠井さんが出される前に、岸さんに会われて、その事実についてあなたに聞いていることになっているのです。それに対してあなたはその通りだということをおっしゃったということになっているが、この点について御記憶がないかどうか……。
 それからもう一つの点は、幣原さんが病気のときにペニシリンをいただいたので、そのお礼のために総司令部でお会いになった。そのときの会談は非常に長いもので、あなたはちょうどその会談は三時間ぐらいということを言っておられますが、ホイットニーの立ち会っていたそのときの経験からいうと、ホイットニーは、そのときはまあ二時間半ということで、時間は若干食に違っているが、時間の食い違いは大したことはありませんけれども、その第九条の関係の問題で、マッカーサーと幣原さんが会われた日は一月の二日の正午だと、こう書いておる。岸さんはその点については、今までずっと日記をつけておられて、その日記には一月の二十四日と、こういうことにただいまお話がありました。実はその一月二日正午、幣原首相とマッカーサーとが会談をしたということについては、ホイットニーはアメリカのライフ誌にこうはっきりと書いております。一九四六年一月二日正午、時の幣原首相が、マ元帥に病気のときペニシリンをもらった礼を述べにきて、マ元帥と二人で二時間半にわたり会談をした。そのすぐあとホイットニー少将がその席に入っていくと、新憲法の話が出て、幣原首相は、ぜひとも戦争否定の条項と軍備をしない条項を入れて、二度と再び軍国政治や恐怖政治にあと戻りしないようにせねばならない云々と信念を披瀝したので、元帥は思わず立ち上って、この老人の手を握り締めた。この老人というのは幣原首相です。こう具体的に内容についてもホイットニーは書いておられる。まあこの内容については、あなたが先ほど来証言された、参考意見として述べられた事実と全く符合する。ですからあなたが推測だということにかりになっても、私はこれはもう否定できない事実だと考えざるを得ない。そこで第一問の、前に笠井さんとのお話のときには、あなたはそういう事実はあったという証言をしておられますが、それは一体あっただろうという証言だったのか、笠井さんの言っているように、その通りあったということを言われたのか、それから第二の点については、ホイットニー少将の言っておられるこの……内容はいいのです、内容はあなたの言っておられる通り、ただその日付が少し違うものですから、当時御病気なんかを幣原首相されておりましたので、日付の点では、どうも病気の関係等からいっても食い違ってくるはずがないと思うのですが、その点どうですか。
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岸倉松#29
○参考人(岸倉松君) ただいまの御質問の第一点の、笠井君に対してのお話ですが、これは私がさっき申し上げた以外には全然言っておりません。なぜならば、そういうことはなかったのですから、私がさっき申し上げたことは事実なんで、それ以外には笠井君に何も申しておりません。
 第二点の、一月二日の話は、これは幣原総理の病気は肺炎で、一月二日はまだ熱があって苦しんでいる時代です。まだ病床にあって苦しんでいる時代です。一切の人は面会謝絶です。十二月の二十五日の夜病床につきまして、そうして二十六日にたしかマ元帥からお見舞のためにケンドリックという人が来た。そこへペニシリンを持ってきまして、わざわざ来たものですから、私の方の侍医は聖路加病院の橋本院長です。それが来ておりまして、私と相談しまして、せっかくケンドリック侍医が来られた。そのままただ帰すのもどうかと思うから、総理に伺って、もし差しつかえなければ一つ病気をみてもらおうということで相談しまして、総理に伺ったところが、いや、それはぜひそうしてもらいたいということで、それでケンドリック大佐がみたわけです。その結果、たしかにペニシリンを打った方がいいということで、それは聖路加病院の副院長の日野原という人、それがペニシリンを打ったんです。その当時は、非常に性能の高い、日本にはない、三十万単位の何でありましたけれども、二時間置きにやったんです。それで最初は非常に白血球が多くて、赤血球が非常に少かった。その注射の結果非常によくなりまして、だんだんよくなってはおりましたけれども、一月二日にはまだ病気が重い、それで病床にずっとあったのですから、ほかの人は絶対に面会謝絶、だからホイットニー准将のお話は記憶違いだろうと思います。
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