決算委員会虎の門公園地に関する小委員会

1961-06-01 参議院 全112発言

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会議録情報#0
昭和三十六年六月一日(木曜日)
   午後一時四十九分開会
   ——————————
 出席者は左の通り。
   委員長     木内 四郎君
   委 員
           仲原 善一君
           相澤 重明君
           山田 節男君
           奥 むめお君
  政府委員
   法務省訟務局長 濱本 一夫君
  説明員
   大蔵省管財局国
   有財産第二課長 細川 俊三君
  参考人
   ニューエンパイ
   ヤモーター株式
   会社代表取締役
   社長      吉岡 照義君
   弁護士     飯沢 重一君
   ——————————
  本日の会議に付した案件
○虎の門公園地に関する件
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木内四郎#1
○委員長(木内四郎君) これより決算委員会虎の門公園地に関する小委員会を開会いたします。
 過日の小委員会におきまして、ニューエンパイヤモーター株式会社の責任者を参考人として御出席を願うことといたしまして、本日は吉岡社長の出席を求めておるのでございますが、なお、吉岡社長の答弁を補足することもあると思われますので、吉岡参考人に随行して参りました弁護士飯沢重一君を当小委員会の参考人として追加するよう決算委員長に申し入れることにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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木内四郎#2
○委員長(木内四郎君) 異議ないと認め、さよう取り計らいます。
 参考人の方々にごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ、当小委員会のため御出席をお願いいたしまして、まことにありがとうございました。虎の門公園地の問題につきましては、過日の当委員会におきまして、関係政府当局から経過の説明を聴取いたし、さらに質疑を行なったのでありますが、会社側よりも説明を聴取することを必要と認めまして、本日御出席をお願いした次第でありますので、これからの委員の質問に対しましては、この点を御了承の上、御答弁をお願いいたしたいと思います。
 それではまず会社側の方から、一応会社の立場あるいは経過等に関しまして簡単に御説明を願って、それから委員から質疑をお願いすることにいたします。
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吉岡照義#3
○参考人(吉岡照義君) 私、本日参考人としてお呼び出しにあずかりましたニューエンパイヤモーター株式会社社長の吉岡照義であります。こちらに一緒に出席いたしましたのは、当社の代理人の飯沢重一弁護士であります。あわせまして本日の御質問にお答え申し上げたいと存じます。
 虎の門の公園地に関しましては、すでに御承知のことと存じますが、国から当社を相手としまして民事の訴訟が先般まで係属いたしまして、過去まる八年間というものをこの訴訟に費やしましたのでありますが、当社としましては、できるだけすべての参考資料を御提供申し上げまして、これに関する当社の仕事並びに土地の賃貸に関係いたします証拠書類等を全部法廷に提出いたしまして、大方の御理解を願ったのでありますが、当社としましては、それに関連いたしまして、御承知の通り、あすこを民事の訴訟の提起がありますと同時に、建物に対しまして、現況よりも一歩も出ないような状態になりましたものですから、事業上何か改造、その他仕事に関連いたしましてふやしたいと思いましても、一指も手をつけられないような状態でございまして、あれを建てました当時のままで現在まで参っておるわけなんでございます。
 これは御承知の通りに、だんだんといろいろ状況が変わりまして、自動車の需要等に対しましても、開設当時と変わっておりますが、当時はいわゆる外国商社並びに軍人、軍属等に対しまする車のみを提供しておりましたものですが、だんだん国際情勢が変りまして、いわゆる観光用に提供する自動車の輸入等が政府がお許しになりまして、それらも関連してやっておりましたもので、従って事業の幅というものはだんだんとふえて参りましたのであります。しかしながら当時のままの建物で、現在まで経営の当事者といたしましては隠忍自重して実は参っておる次第でありまして、それから法廷におきましては、ただいま申し上げましたように八年間というものは全く証拠書類を提供いたしまして、前後同じようなことを繰り返しておりましたが、昨年の末でありましたか、ほとんど出るものが出尽くしたというような観がございまして、法廷におきましても、何とかこれを終結に至らなくちゃならないような御状況と私ども思いますので、現在の裁判長から、たしか国の方に先にお話があったように存じますが、被告と和解をしてはというような御希望があったのでございます。当社といたしましては、せっかくお貸し渡し願った土地を有効に使いたいと思っております。また、なお現在の仕事といたしましても、ただいま申し上げたように、ますますふえて参りますので、どうか一つ一日も早くこれを解決いたしまして、明るい姿におきまして、正式の国からの御貸与なり払い下げなりをちょうだいいたしまして、名実ともにはっきりした仕事に相なりたいと、こう考えております。
 顧みますと、たしか九年前と思いますが、議会に証人といたしまして、大へんおしかりを受けたような時期があったのでありますが、八年間というものは全く隠忍自重して参りましたものですが、この委員会のお席にも当時の方がいらっしゃるようにお見受けしたのであります。どうかこの当社の意のあるところをおくみ取りを願いまして、何分の御配慮を願いたいと思います。なお、法律的のことに関しましては、今こちらに飯沢代理人がおりますので、詳細御質問に答えたいと思っております。簡単でありますが、ちょっと申し上げておきます。
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木内四郎#4
○委員長(木内四郎君) それでは御質疑のおありの方は……。
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相澤重明#5
○相澤重明君 参考人にお尋ねしたいと思うのですが、今のあなたのお話を聞いておると、国から訴訟を受けてからは、当時の建物そのまま、こういうお話で、非常に会社経営上困惑をしておる御説明だと思うのであります。そこで、当時、——終戦後でありますが、あなたがお借りをする動機ですね、これについて、実はいろいろお話を聞いてはおるのですが、当委員会としても、やはりできるだけ早い機会に解決をしていかなければならぬだろうと、こういう考えを持っておりますので、率直に一つ、あなたが当時契約をされる相手はどなたであったのか、どういう形で契約をされたのか、一つお答えをいただきたいと思う。
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吉岡照義#6
○参考人(吉岡照義君) ただいまの御質問にお答え申し上げたいと思いますが、当時の状況といたしましては、外国から日本の復興のために入って参りました外国の商社並びに進駐軍の軍属等に手当をいたします自動車が、日本の内地で引き渡しをする施設がほしいということでありましたのですが、当時はPXでやっておりましたのですが、それを民間の手、専門家の手によりましてそれを施設したいということがGHQに当時ありましたのですが、私ども幸い戦前から外国自動車の輸入と修理等に関係しておりました関係で、まず指名をいただいたのですが、当時ああいうこんとんとしておりますときでございますから、最初の話はGHQの経済科学局からありましたのですが、土地を選択いたしますのに、なかなかそう得られませんでした。いわゆるGHQが希望するような土地を簡単に得られませんでした。たまたま、先方からの示唆がありまして、これは今から考えますというと、大へん大それた考えでございますけれども、日比谷公園の一角でありますとか、大手町の一角であるとか、虎の門の一角であるとかいうことを実は示唆がありましたものですから、そこで飛んで参りましたのは、実は東京都へ飛んで参りまして、こういうような計画がGHQにあるのですが、東京都でそれらの土地に適当する土地がないものかということを実は伺ったわけであります。いろいろ詮議の結果、虎の門の小公園はほとんど今廃墟同様だ。あそこならば場合によってはそれができるかもわからない、こういうような話が当初ございまして、GHQと話しましたが、あそこなら大へん便利だと、われわれの考えていることと一致するのだからということから、私どもも積極的になりまして、東京都と折衝しました結果が今日になりましたような状態でございます。
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相澤重明#7
○相澤重明君 大へんこまかいようだけど、別に追及するというのじゃないので、問題解決のため話をしていきたいと思いますので、少しなお一つお答えいただきたいのですが、当時GHQの経済科学局のサゼッションがあったというお話があったのですが、そこで担当官の方はこれは二世の方ですか、それとも……。
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吉岡照義#8
○参考人(吉岡照義君) ドクター・ケニーと、こういっておりました。これはりっぱな方でございました。経済科学局のOSSのセクション、OSSというのはオーバーシーズのセクションという意味で、外国から入って参ります人たちのホテルですとか、食糧ですとか、それから足というようなものをサービスと申しますか、施設、それを扱っている、ドクター・ケニーといっております。
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相澤重明#9
○相澤重明君 それから、東京都の相手は知事さんでしたか、それとも経済局長でしたか。
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吉岡照義#10
○参考人(吉岡照義君) 当初は建設局長でございました。建設局長、緑地課長、それに参加をされましたのは副知事が参加されまして、財務課長ももちろんです。
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相澤重明#11
○相澤重明君 それから、当時、東京都の副知事あるいは関係局長、課長等ですね、当時の。そういうところでは、GHQのケニー氏から、あなた一緒においでになってお話し、陳情をされたのか、あるいは別々にあなたの方からお話しになったのですか。
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吉岡照義#12
○参考人(吉岡照義君) 土地の物色は当然私の方でいたしまして、最後にその土地を見てもらい、またそれを、土地を基礎にいたしまして事業計画をいたしたときには、関係の方々が全部一堂に集まりまして、そして取りまとめました。
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相澤重明#13
○相澤重明君 次に、関係者が、東京都の関係者とあなたの会社のいわゆる代表、あるいは弁護士さんもおいでだったかもしれませんが、そこで東京都と契約をしたのはいつなんですか。
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吉岡照義#14
○参考人(吉岡照義君) 昭和二十三年五月二十日でございます、正式に契約いたしましたのは。
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相澤重明#15
○相澤重明君 私の方の、虎の門公園敷地関係の概要、これを見ると、東京都知事に対して昭和二十三年二月、申請をしたというのですね。「連合国人に対するフォード自動車及び部分品の販売及びサービスの施設を設けるため、」申請をして、東京都知事は、「五月二十五日使用面積千百三十六坪、使用期間昭和三十二年十二月三十一日まで、使用料一ケ月金千七百四円、」、そして、「公園の美観を充分保持すること、」、こういうふうになっておるのですが、この通りですか。
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飯沢重一#16
○参考人(飯沢重一君) 私が担当でございまするので、私からお答え申し上げます。今相澤委員さんからおっしゃった通りでございまして、その通り間違いございません。
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相澤重明#17
○相澤重明君 そうしますと、使用がきめられたのは五月二十五日、二十五日にいわゆる契約ができた。しかしそのときの状況はまだ「当時本件土地は、なお、連合軍に接収されていた」、こういうことになっておるので、実際にあなたの方は東京都と契約をするように申請して話はついたのだけれども、連合軍が接収しておったから使えなかった、こういうことですか。
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飯沢重一#18
○参考人(飯沢重一君) お答えいたします。先ほど委員から御質問の通りに、二十三年二月に使用方の申請をいたしまして、五月二十五日に都知事から使用認可がありまして、それ以前に建築の許可申請をいたします必要上、使用許可の承諾書というものを必要といたしますので、東京都の方にお話しをいたしましたところが、五月二十日付で建設局長名をもって使用許諾書が出たわけであります。それを添えまして、東京都庁を経由いたしまして、当時は建設院でありました。建設院の方にかけて、GHQの方から示されております、あの虎の門の現在のニューエンパイヤの建物の規格の、建築許可の申請と、それに要する物資の配給方の申請をいたしたわけであります。その許可が参りまして、いよいよ建築工事にかかるという状態に立ち至ったときに、初めてそれは進駐軍に接収中の土地であって、任意にこれを使用することができないという状態がわかったのでございます。その後にその使用を促進するために、接収の解除方を関係の官庁方面にお願いをいたしまして申請をした、こういうことになるわけでございます。
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相澤重明#19
○相澤重明君 そこで今の参考人のお話のように、連合軍が接収をしておるから、解除をしなければ実際の仕事はできない、こういうことで、東京都が連合軍に接収解除の申請をした。それが昭和二十三年十二月ということになっておるわけです。そのときには公園の敷地総面積千百七坪八合五勺のうち、六百五十坪の解除を受けた、こうなっておるのですが、あなたの方の申請をしたのは千百三十六坪ということなのですが、これはどちらがほんとうでしょうか。
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飯沢重一#20
○参考人(飯沢重一君) 当初ニューエンパイヤの方から申請いたしましたのは、あの公園地の全面積の千百三十六坪であることは相違ございません。その後これは訴訟になって、あとからいろいろ経過がわかりましたので、さらに後刻御質問がありますれば、その経過も御説明申し上げますが、その解除方を申請をいたしております間に、建設省の方あたりから、公園地の保持に関するいろいろな御意見が裏側から——裏側からと申します意味は、私どもにわからない間に出てきたようでありまして、いろいろとそれに対して都の方に制約の御意向があったようであります。従いまして、その御意見にも基づきまして、先ほど申し上げました昭和二十三年の五月二十五日付の東京都知事からの使用許可が昭和二十四年の二月一日付に取り消されまして、新たなる使用——前と少し条件の違いました使用許可条件が出てきたのでございます。その改められた使用許可条件は千百三十六坪でなくて、六百五十坪であるということに相なっておるのでございます。千百三十六坪と六百五十坪の間の相違の部分は、現在の虎の門を通過しております道路に面する部分が、将来何か都市計画の関係上、あるいは道路敷地として収用されることがあるというような理由を申されまして、その部分は賃貸しする対象になりにくい、こういうようなお話から、その使用面積の千百三十六坪というものを六百五十坪に一応縮減されたというふうに聞いておったわけであります。
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相澤重明#21
○相澤重明君 そこで、今の参考人のお話でわかりましたが、六百五十坪を使用期間昭和二十八年一月三十一日までと、ただし更新しないと、こうしているのです。それで最初の昭和二十三年の五月に許可をされたときには、使用料は一カ月千七百四円、しかも千百三十六坪、しかし、それが変更になって、一たん取り消して、今度認可したときには、六百五十坪で使用料は一カ月三千三百十五円、そしてまあ建築については仮設工事による木造二階建てとする。使用期間が満了の際、すなわち昭和二十八年の一月三十一日になったならば、その一カ月前に東京都の指定する方法で会社の費用で使用地を原形に復すると、こういうふうになっておるというのですが、そういう契約をされたのですか。
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飯沢重一#22
○参考人(飯沢重一君) お答え申します。契約を示された内容としてはその通りでございます。ただ、これにつけ加えて私の方から申し上げたいのは、昭和二十三年五月二十五日付でなされた契約は、本契約が結ばれる以前に、東京都におきましては、都議会の審議に付しまして、都議会の議決を経由してなされた契約でございます。そうしてその契約の内容になりますいわゆる使用期限の問題、それから建設される建物の規格の問題、そういう問題は、当時契約の条件に明示されておったものでありまして、先ほど私が申し上げましたように、これは東京都庁並びに建設院の許可を得て、規格を定められた建物でございます。しかも、これは当時GHQから示された建築規格でありました。従って、いわゆるOAS業務に関係しております日本政府——貿易庁、特別調達庁、商工省、そういった関係官庁の担当官もみな御承知になっておったものでございました。つまり建物の種類から申しますと、いわゆる法律上永久構造に属する建物でございまして、当然短期の使用によってこれを取りこわしたりするものではなかったのでございます。使用目的自体も、先ほど申しますように、いわゆる駐留外人の使用する車の販売並びにサービスということでございましたから、当時占領地行政がはたしてどこまで続くかということは、当時予見し得なかった客観的事情にありますので、いわゆる賃貸借の期間というものも、当然そういった外部の事情によって制約されるものでありまして、四年間を限ってこれを打ち切るとか、あるいは更新するとか、あるいは更新しないとかいうことは、当然考えられなかった客観的事情にあったわけでございます。それと同時に、第一次の二十三年五月の契約前には、東京都の方から御要求がございました契約の対償として、当時の金額から申しますと非常に多額な金額になるわけでございますが、いわゆる五百万円を、私どもの方から申しますと、契約の一種の権利金という性質のような金をお納めいたした契約であったのでございまして、その契約の性質から申しますと、いわゆる長期の契約である。法律的に申しますと、そういう性質の契約であったわけであります。それが昭和二十四年に更改されたと称する契約の内容を見ますると、短期の、何と申しますか、あるいは行政処分的な使用期間である、あるいはさらに一時使用の契約であるかのごとき契約条件としては様相を呈しておりますけれども、その契約の内容をなします建物であるとか、あるいは今の権利金であるとかといったような問題は毫も更改されておらないのでございます。つまり五百万円をそのまま出したままでございますし、建物の規格も、契約の内容には、廃材を使って、取りこわしやすいということを契約条件に書かれておりますけれども、その以前に、先ほど申しました申請をいたしました建築規格申請は、前のままのいわゆる永久構造の建物でございまして、これは東京都も建設院も無条件で許可なり、しかも、その建築に要する資材は、政府のごあっせんによって配給を受けまして、そのまま建築を済ませて、その間において関係の官庁からは一言の御批判も出ておらないのでございます。私どもは契約の形式は違っておりますけれども、それは当時他の行政監督官庁——あるいは建設省でございましょうか、そういう方面からのいろいろな御意見があって、それの御意見を調整するためになされたあとから争いで、われわれは仮装行為、仮装行為と申して争っていたわけでございますけれども、そういう性質の内容ではないかというふうに推測をいたしておったわけでございます。
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相澤重明#23
○相澤重明君 そうしますと全くこの会社側がむしろペテンにかかったというような、僕らもこの文書を見ながら、あなたのお話を聞きながら、これが真相だということを聞くとそう思うのですよ。というのは、最初あなたの方で昭和二十三年の五月二十日、この許可申請に出したものは永久建造物、しかもその資材等は政府のあっせんによるものだ。ところが昭和二十四年の二月一日に一たん取り消したけれども、あと認可をしてきたものは、先ほど私が申し上げたような木造二階建なんです。しかも時限ですよ、これは二十八年という期間を区切っているわけです。しかもこの期限満了の一カ月前にこわして、そうして公園の美観を損しないように会社側でやれ、こういうようなことを関係官庁といいますか、いわゆる建設院あるいは東京都がやった、そういう書面が、これは書面はあとからきたのですか。この申請をして認可が出た昭和二十四年の二月一日にその書類はきておるのですか、建築許可だけで、この書類はきていなかったのですか、内容は先ほど聞くと、どうですかな。
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飯沢重一#24
○参考人(飯沢重一君) お答えいたします。この二十四年の二月一日の更改された使用許可の書類は、当時都の方からの御要求がありまして、いわゆる何といいますか、承諾書といいますか、これを受け取ったということを承諾せいというようなものを都の方からお書き下さったものに、会社の責任者が記名捺印をいたしまして、それを差し出して、おおむねこの二月一日の近いときに受け取っております。それから建築許可の方は、たぶん二十四年の四月か五月、本更改された契約の後に受け取っております。その後に受け取った建築許可書は、先ほど申し上げました通り、当初第一次の契約に従って、GHQの御要請に基づいて申請をいたしました建築許可書でございます。
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相澤重明#25
○相澤重明君 なるほど、お話を聞けば聞くほど当時のでたらめなことがよくわかってくるのですな。会社側の正当な許可申請について、実際にはこの原本を見せないで、そうして承諾書に記名捺印させていくというような、全く今の常識では考えられないことですよ、実際の話が。しかし、おそらく逆をいえば、東京都の場合は、あなたの会社が軍の要望、いわゆるサゼスチョンによるものである、こういうことも含んでおるから、とにかく一応の形式を整えればいい、こういう形で、今の常識では考えられない役所の取り扱いではなかったか。むしろお話を聞いておると、会社に対してはむしろ好意的に、仕事をやっていい、こういうような印象を受けるのですが、そうじゃなかったですか、いかがでしょう。
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吉岡照義#26
○参考人(吉岡照義君) 当時のことを申し上げますというと、まことにただいまの相澤先生のおっしゃるようなことがたくさんございまして、私どもは何をおいてもあの当時のことでございますから、経済科学局あたりの御要望にこたえて一日も早く仕事をしたい、それから、われわれ業者でございますから、それに従いまして関連した外国のメーカーの品物を扱いたいというものもございましょうが、とにかくトップを切って一日も早く仕事をしたいということで、それ以外に何ものも考えておらなかったのでございますが、ところが先ほどお話がありましたように、やってみるというと、あの土地は接収地だということで、ちょうど私当事者であったものですから、GHQの別のセクションから呼び出しがあったのですが、行ってみるというと、とんでもないことであったのです。そこですぐその足で東京都にかけつけまして言ったところが、東京都も全くびっくりしたのです。それで夢にも思わなかったのでございましょう。さっそくその書類を引っぱり出しまして調べてみたところが、あの一帯が接収予定地であったということが初めてわかったという状況で、東京都としても、これはどうもまことに恥ずかしいことだということで、東京都も進んで接収解除の申請に当たってくれたようなことでございます。
 さて、そういたしますというと、いろいろお役所間の手違いというものがあったのでございましょうか、ただいま飯沢代理人から申し上げましたように、建設省の方から、それは公園まかりならぬということで、だいぶ時間がかかりまして、その間実にどうも悩んだのでございます、私どもは。片方でとにかく全部関係者が集まりまして、あの土地はいいということで、あれはその年の初めでございましたか、会合がありまして、七月一日まで開設できるからやってくれということで、お役所といたしまして、東京都もわれわれも、それからGHQの方も、それで会議を開きまして、いよいよ建築にかかろうといったときに、そういうような状況であったものですから、私ども非常に困りまして、それから東京都も、確かに当事者の方は困ったのですが、何といっても建設省が公園の主管官庁だということで、ただいま御指摘のありましたような契約の更改ということを実は申されたようでございます。そこで東京都としても全く立場に窮しまして、そしてその更改のような条件ではんこを押せということになりまして、私どもも当時ずいぶんいろいろ検討いたしましたのですが、とにかくあそこに建てざるを得ない立場に追い込まれましたものですから、結果から見ますというと、まことに一貫したあれがないように見えますのですが。
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相澤重明#27
○相澤重明君 それから、これは弁護士さんの方がいいかもしれませんが、二十四年二月一日に一たん取り消して認可になって、六百五十坪ですか、それが四、五日おくれて今の許可書がきたと思うのですが、二月五日の日に許可書を見て、二月五日の日にこれは大へんだというので、木造ではなくて永久材にするんだと、こういう申請書を出したんですか。つまりこれには、私の方の参考資料には、東京都に対して二月五日付で、修繕工場の部分は木造では構造複雑となって、施工、解体も難渋するというので鉄骨を使用したい、こういうふうになっているわけです。だからあなたの方は、昭和二十三年の最初に、五月二十日に出したときは永久材、政府の資材あっせんを受けて認可申請を出した、それは建築許可は違反だ。ところが更改をされた今度のあなたの方の許可になってきたものは木造二階建だ。これでは大へんだというので、二月五日に追っかけて鉄骨にしたいのだと、こういう許可申請を出したんだと、こういう理解でよろしいですか。
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飯沢重一#28
○参考人(飯沢重一君) 今の点でございますが、これは都の方からもある程度の御指示がございまして、鉄骨を使った方が、二月一日付の改めた更改契約による場合の取りこわしが容易である、容易であるという理由を付加いたしまして、一部修理工場といわゆる店舗の間の区画の防火壁及びその構造は鉄骨を用いてやる。それから同時に、そのまま前の規格でございますので、一階と二階のはりの部分にもやはりそういう鉄骨がそのまま使用される、こういう結果になっておりますが、それは計画の内容については都との了解を一部修正いたしまして、建築許可の書類は従前のまま、そのまま通っておるわけであります。
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相澤重明#29
○相澤重明君 それからこの会社の方では建築をウオッシュ・モビール装置というものを作って土地の全部に建築をしたと、こういうことになってるのですが、最初の千百三十六坪を借りたいというときに、建物はどういうものを作りたいということは、もちろんあわせて出したと思うのです。そのときに大体六百五十坪のものなのか、千坪のものなのか、その点はどういうふうになっておりましたか。
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