日本国憲法に関する調査特別委員会
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会
会議録情報#0
平成十九年五月十日(木曜日)
午前十時開会
─────────────
委員の異動
五月九日
辞任 補欠選任
岩本 司君 大久保 勉君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 関谷 勝嗣君
理 事
岡田 直樹君
中川 雅治君
舛添 要一君
広田 一君
前川 清成君
簗瀬 進君
荒木 清寛君
委 員
岩城 光英君
太田 豊秋君
荻原 健司君
木村 仁君
佐藤 昭郎君
櫻井 新君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
野村 哲郎君
山本 順三君
大久保 勉君
小林 正夫君
芝 博一君
那谷屋正義君
藤末 健三君
松岡 徹君
水岡 俊一君
澤 雄二君
山下 栄一君
仁比 聡平君
近藤 正道君
長谷川憲正君
事務局側
日本国憲法に関
する調査特別委
員会及び憲法調
査会事務局長 小林 秀行君
参考人
法政大学法学部
教授 五十嵐敬喜君
東京慈恵会医科
大学教授 小澤 隆一君
─────────────
本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○日本国憲法の改正手続に関する法律案(衆議院
提出)
○日本国憲法の改正及び国政における重要な問題
に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法
律案(小川敏夫君外四名発議)
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この発言だけを見る →午前十時開会
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委員の異動
五月九日
辞任 補欠選任
岩本 司君 大久保 勉君
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出席者は左のとおり。
委員長 関谷 勝嗣君
理 事
岡田 直樹君
中川 雅治君
舛添 要一君
広田 一君
前川 清成君
簗瀬 進君
荒木 清寛君
委 員
岩城 光英君
太田 豊秋君
荻原 健司君
木村 仁君
佐藤 昭郎君
櫻井 新君
中島 啓雄君
中曽根弘文君
野村 哲郎君
山本 順三君
大久保 勉君
小林 正夫君
芝 博一君
那谷屋正義君
藤末 健三君
松岡 徹君
水岡 俊一君
澤 雄二君
山下 栄一君
仁比 聡平君
近藤 正道君
長谷川憲正君
事務局側
日本国憲法に関
する調査特別委
員会及び憲法調
査会事務局長 小林 秀行君
参考人
法政大学法学部
教授 五十嵐敬喜君
東京慈恵会医科
大学教授 小澤 隆一君
─────────────
本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○日本国憲法の改正手続に関する法律案(衆議院
提出)
○日本国憲法の改正及び国政における重要な問題
に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法
律案(小川敏夫君外四名発議)
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関
関谷勝嗣#1
○委員長(関谷勝嗣君) ただいまから日本国憲法に関する調査特別委員会を開会をいたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日、岩本司君が委員を辞任され、その補欠として大久保勉君が選任されました。
─────────────
この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨日、岩本司君が委員を辞任され、その補欠として大久保勉君が選任されました。
─────────────
関
関谷勝嗣#2
○委員長(関谷勝嗣君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
日本国憲法の改正手続に関する法律案及び日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案の審査のため、本日の委員会に法政大学法学部教授五十嵐敬喜君、東京慈恵会医科大学教授小澤隆一君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →日本国憲法の改正手続に関する法律案及び日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案の審査のため、本日の委員会に法政大学法学部教授五十嵐敬喜君、東京慈恵会医科大学教授小澤隆一君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
関
関
関谷勝嗣#4
○委員長(関谷勝嗣君) 日本国憲法の改正手続に関する法律案及び日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案の両案を一括して議題といたします。
本日は、投票対象及び最低投票率等について参考人から意見を聴取し、質疑を行います。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
議事の進め方について申し上げます。
まず、五十嵐参考人、小澤参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
なお、参考人の方々の御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、五十嵐参考人にお願いをいたします。
この発言だけを見る →本日は、投票対象及び最低投票率等について参考人から意見を聴取し、質疑を行います。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査の参考にしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
議事の進め方について申し上げます。
まず、五十嵐参考人、小澤参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
なお、参考人の方々の御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、五十嵐参考人にお願いをいたします。
五
五十嵐敬喜#5
○参考人(五十嵐敬喜君) 五十嵐です。今日はお招きいただきましてありがとうございました。
既にレジュメを出しておりますので、それに基づきまして今回の通称国民投票法案について私の意見を申し上げさせていただきたいと思います。
中身は大きく言いまして二点ございます。一つは、国民の立法権といいますか、国民の憲法制定権力にかかわる問題についてこの国民投票法案について若干の御意見を述べさせていただくということです。もう一つは、これは国民投票ですけれども、その投票についての運動についてどのように考えるかと、大きく言ってその二つについてお話をさせてください。
一つは、国民の立法権の問題でありますけれども、御承知のとおり、日本国憲法は国民主権というものを定めております。国民主権とは何かについていろいろ議論がありますが、一番明確な定義を下しているのがルソーであると思います。そこでルソーは何を言ったかといいますと、主権の究極は国民が立法する権限を持っていることということがルソーの主権の定義であります。私自身もいろんな憲法、世界各国憲法を見てみますと、国民の立法権について定めた憲法が多数ありまして、その意味でいえば、普遍的な二十一世紀を見通し得る原理としてこれを考えてよろしいというふうに思います。
その立場に立ちまして日本国憲法と今回の国民投票法の関係を見ますと、若干非常に調整的な規定に日本国憲法はなっているということですね。一つは、国民の立法権について日本国憲法自体は憲法四十一条に基づきまして言わば間接民主主義という形である種の限定を加えていると。つまり、国民はその立法権を投票活動によって議員に委託し、議員さんはそれに基づいて唯一で最高の立法機関としての権力を行使するということです。その意味でいえば、日本は間接民主主義の国であります。この例外となっておりますのがこの憲法改正と特別投票でありまして、これはある種の特別な規定を設けまして直接民主主義というのを採用していると。だから、間接民主主義を前提とし、かつ特殊な問題、憲法改正を含むもう一つの問題については直接民主主義を採用しているということです。
これを国民から見ますと、すべてのことについて、国政レベルですけれども、議会に委託しながら、憲法改正等せっかくの直接民主主義の規定についてもイエスかノーかしか言えないと。そういう意味で非常に消極的な国民主権の発露の仕方になっているというのが日本国憲法の特徴です。
これを今回、この直接民主主義あるいは国民投票を考える上で、もう少し豊かなものにできないかというのが私の意見でありまして、これをもう少し正確に学問的に分析して申し上げますと、国民改正に関する一連のプロセスというのがありまして、これは発案、発議、投票という形で規定されると思います。御承知のとおり、このうち発議と投票に関しては憲法マターでありますから、正に憲法改正をしないとこれは改正できないと。しかし、発案という部分については、これは言わば法律マターになっておりまして、国会でどのようにこれを考えるかということによって自由になし得る事項というふうに考えてよろしいかというふうに思います。
この発案権について幾つか意見を申し上げたいと思いますけれども、現在のところ発案権については、この国民投票法によりますと議会あるいは議員の数に限定しておりまして、内閣とかあるいは国民については一切触れておりません。これは全くできないというふうに解釈しているのか、場合によっては、法律の考え方によっては内閣にもあるいは国民にもあると考えていいのかというのが論点であります。
これは少し比較を、憲法的な考察を加えていただくと分かりますけれども、世界各国の憲法の発案、発議は別ですけど発案に関するいろんな規定がございまして、この中には国民が発案できるという規定を持っているところもありますし、あるいは大統領などある種の政府機関も発案できるというところがありまして、今回、参考人に関して意見を述べる機会がありましたので、この発案権の問題がどのように処理されているかということを私の持っている資料の範囲内で見てきたんですが、何となくあいまいなままに余り触れずにこれを過ごしてきたんじゃないかと思います。
私としては、この発案権について、国民投票をせっかく作るわけですから、もっと十分な議論をなさっていただいて、いろんな方がいろんな形で発案できるということの方がより開かれた二十一世紀的な憲法改正プロセスではないかというふうに考えますので、できれば内閣からの発案ということ、本当にできないかどうか、あるいは国民からの発案ということ、本当にできないかどうかを考えていただければ有り難いというのが一つです。
その実質的な根拠を申し上げますと、今の言っていることは、単に国民が立法権を持っているという直接的な理論的な帰結でありませんで、一番の厄介な点は、議会しか発案権がないとすると議会改革は一体だれがやるのかということであります。
つまり、二院制を含めまして、憲法上、議会に関しても様々な論点、大きく言えば議院内閣制も議会の構造とはっきりかかわる問題でありますし、その他の議会の権限についてもいろんな憲法上の論点あるんですけれども、仮に議会がそういう既存の制度について非常に保守的な態度になりますと、どんなに問題があっても議会が変わらない限り議会の改革はできないという構造になりまして、これ非常に不都合なことではないかと。議論は少なくとも、最終的に発議するかどうかは議会で決めてよろしいわけですけれども、いろんな議論をするとき、正式な憲法改正案として、例えば二院制を一院制にするというようなこともあり得ていいわけですから、そういうこと自体はいろんな形で国民あるいは内閣からも提案されてもいいだろうというのが一つであります。
それから二番目、もっとこれ原理的な問題でありますけれども、果たして議会がオールマイティーの、憲法改正という最も重要なものについてオールマイティーの権限を持っているかどうかと。
逆に言いますと、議会も憲法上の一機関でありまして、憲法があって初めて設置が認められる構造というかシステムです。その議会が構造そのものを否定するような議決をしていいかどうかということに関しては非常に論理矛盾があるということでありまして、一七八〇年に今のアメリカの憲法ができる前にマサチューセッツ憲法がありまして、ここでは、議会は少なくとも憲法に関しては、つまり自らの根拠法に関してはオールマイティーではないということを議論いたしまして、それ以来、議会以外にも発案権を認めるということが全世界的に広がっておりまして、このある種のジレンマですね、論理的ジレンマについてやっぱりもう少し深く議論をしていただければよろしかったと思いますし、これからも議論すべきではないかと私は思っております。
以上、まず参考までに、イタリア憲法などでは、例えば国民の五万人、日本に換算すると十二万人の国民の署名があれば憲法改正案を発案できる。請願との違いは、請願は審議するかどうかを却下することができますけれども、正式な発案権を国民に与えればそれは審議しなければいけない。ただ、採用するかどうかはもちろん議会ですから議会で決めてよろしいということで、こういう憲法なども国民主権、憲法制定権力にかかわる問題としてもっと深く議論すべきであろうというふうに私は思っております。これが第一点であります。
第二点は、投票運動といいますか投票に関する運動の問題であります。私、原則的に、憲法改正に関しましてはすべての国民がすべての方法で参加してよろしいというのが最も望ましい、国民主権の姿では望ましい姿だというふうに考えております。ただし、今回の国民投票法案について見ますと、二つの面で非常に制約があるという感じをしました。
今日は投票年齢のことについては触れません、まあ十八歳がいいか二十歳がいいかはいろいろ問題あると思いますけれども。もう一つ、大きく言って公務員の政治活動とそれからマスコミ規制に関して幾つかの問題があると思います。公表されている限りで資料を読んできましたが、幾つかの非常にあいまいな言葉、法律らしからぬ定義がなされているということを感じました。
まず、公務員の政治活動に関して申し上げます。
国民投票法はある種の選挙とは違いますので公職選挙法は適用にならないと、これはまあ原則、ルール、共通原理ではないかというふうにまずは思います。しかし、公務員に関する言わば設置法とか存続法がある。例えば国家公務員法とか地方公務員法がありまして、これと国民投票法の関係はどうなるかということが必ずしも分明でないということです。
投票法によりますと、国、地方公務員、特定独立行政法人等の役職員は、その地位にあるため、特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用して国民投票運動をすることはできないということです。法律家としてちょっと気になるのは、投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用してと、これは一体どういうことなんだろうかということが非常に抽象的で、法律論としては必ずしも明確でないというふうにまず思います。
一方、例えば国家公務員法を見ますと、公務員の活動に関しまして人事院規則というのがありまして、これに政治的行為というのがあります。それを見ますと、その政治的行為にどういうことが当たるかといいますと、特定の政党その他政治的団体を支持し又は反対することというのが一つです。それから二番目に、政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し又はこれに反対することというのがありまして、この憲法改正案には賛成と反対ありますけれども、これを言うことが特定の政治の方向に影響を与えるということになるのかならないのかですね。この辺が非常に法律同士の間でよく分からない。ほとんどよく分からない。恐らくは実質的には物すごく影響を与えるものだと私は思いますけれども、しかし、いわゆる投票と違って必ずしもどの党派を支持するということともイコールではありませんので、そういう意味ではこういうことに当たるのかどうか分かりませんけれども、こういう関係、よく分からないのです。
それで、非常に具体的にこの問題を提起しますと、こういうことです。これは皆さん答えられるんでしょうか。例えばある国立大、独立特定行政法人の大学の教員とかあるいは国公立の学校の先生、特に十八歳も仮に対象になりますと高校の先生などはじかに有権者を抱えるという立場になりますので、その場合、例えば授業の中でこの憲法改正について理論的にこっちがいいとかこっちが悪いと説明することは、まずその政治的な行為に入るのかどうか。あるいは教授会若しくは教員会ですかね、高等学校の教員会議でこれについては賛成であるとか反対であるとかと決めることは当たるのかどうかですね。
あるいは、これを学校を超えてある種の集会みたいなところへ行きましてこの憲法改正に反対だとか賛成だとか言うことが当たるのかどうか。あるいはそれと関連して、憲法改正に賛成する党派、政党に投票しろとかするなとかそういうことを言う。あるいはその集会を超えて自分たちでビラをまくと。例えば、何々大学教授会あるいは何々大学教授で、こういうことについては賛成しろとか反対しろというビラをまく。あるいはデモに行きまして、自分は反対だとか賛成だとかいうことについて看板を出しましてデモをする。あるいはまた戸別訪問をする。あるいはインターネットで自由にいろんなことを言うというようなときに、恐らく現在のここの理解によりますと、国民投票法では刑罰に処せられることはない。
しかし、そういう行動についてそれぞれの機関の中で、例えば何々大学なら何々大学、何々高校なら何々高校の中でこれをどのように処置するかは自由といいますか、全くここは白紙委任するという形に読める形になっています。その際、例えば投票法では自由だけれども、つまり刑罰はないけれども、その大学から高校の範囲内で職務命令でこういうことをしてはいけないと、無視したら、これについて懲戒処分に付すというようなことが起きてきたらどうするかということです。
現にこういうことは、これはいろいろな意見があるかもしれません。日の丸・君が代でもこういう問題が起きております。原則自由なんだけれども、しかし職務命令でこういうことをやりますと、ある種強制があったり強制にやらしたりすると職務命令で懲戒解雇になると。もう後それは裁判になって、少なくとも君が代に関して一審で違憲判決が出るというようなことが起きております。
こういうことについて、今回の国民投票法を考えるときにこういうことを本当に議論したのかどうか、どこまでどうなっているのか。少なくとも法律家としての感懐で言うと、先ほど言いました効果的に行い得る影響力又は便益を使ってと、これは一体、憲法教授が憲法の理論を言うというときに、これ、こういうことが当たるのかどうか、こういうことがほとんど分からない。これはやっぱりある種の不安と恐怖を与えるもので、これは立法府の責務としてはっきりしないと、なかなかこういうことを一概に、余り議論をしないで通過させてはいけないと私は思っています。
それから、二番目はマスコミです。時間がありませんので簡単に申し上げます。
マスコミについても、発議以降と発議前に分かれていろいろ対応なされています。このマスコミといってもいろいろありまして、テレビジョンもありますし、新聞もありますし、週刊誌もありますし、その他インターネットの世界もある、あるいは公的なある種NHKみたいなものと民営があると、様々な媒体があります。それから、マスコミ内部で報道をする、あるいはキャスターが何かを言うというのと、コマーシャルがあります。
それで、この中で何が報道良くて何が悪いのかを、これを見ますとよく分かりません。一般的に言えば発議前は自由と。しかし、これは放送の公平性ですか、中立性を損なわない程度というふうになっておりますが、発議以降は原則禁止されますけれども、その少なくとも前についていいますと、これ、ある種、党派が無限大に金を掛けてコマーシャルはいいのかどうか、それから、政府広報と新しくできるある種の委員会がどういう関係に立つのかというようなこと、そういうことについてほとんど議論をされません。
それから、放送の公平性とか中立性といいますけれども、実は選挙と違いまして、今回の国民投票は若干ニュートラルとかを考える場合にちょっと選挙と違うところが一つあります。それは、この今回の投票が問題になるのは、国会で既に三分の二の決議を得ているということが前提です。だから、それに反対する政党とか議員の数というのは、少なくとも国会レベルで非常に少数です。
そうすると、公平にというとき、例えば時間的公平とか費用的公平をやるときに、この三分の二対三分の二以外というときに公平とは何なのか、そのまま議席数やら何やらを反映してやることが公平なのか、あるいは全く平等に、三分の二であろうとなかろうと全く平等に賛成論、反対論をやらせるのか、その辺も公平中立の概念について普通の選挙とは違うある種の工夫が必要だと思いますけれども、少なくともマスコミの動きなどを見るとこの点についてほとんど議論をされていないということがありまして、この国民投票運動に関して今の公務員とマスコミについて問題があると。
私としては基本的にいろんな、もう一回二つまとめて言いますと、国民からの立法権を多様に認めること。だから、憲法改正だけじゃなくてその他のことについても国民投票法というようなことを含めて考えてもらいたいということと、もう一つは、今言ったマスコミとか公務員の活動についての規制をできるだけ自由にして、国民的に討議できるような形に改正してほしいと思います。
以上です。
この発言だけを見る →既にレジュメを出しておりますので、それに基づきまして今回の通称国民投票法案について私の意見を申し上げさせていただきたいと思います。
中身は大きく言いまして二点ございます。一つは、国民の立法権といいますか、国民の憲法制定権力にかかわる問題についてこの国民投票法案について若干の御意見を述べさせていただくということです。もう一つは、これは国民投票ですけれども、その投票についての運動についてどのように考えるかと、大きく言ってその二つについてお話をさせてください。
一つは、国民の立法権の問題でありますけれども、御承知のとおり、日本国憲法は国民主権というものを定めております。国民主権とは何かについていろいろ議論がありますが、一番明確な定義を下しているのがルソーであると思います。そこでルソーは何を言ったかといいますと、主権の究極は国民が立法する権限を持っていることということがルソーの主権の定義であります。私自身もいろんな憲法、世界各国憲法を見てみますと、国民の立法権について定めた憲法が多数ありまして、その意味でいえば、普遍的な二十一世紀を見通し得る原理としてこれを考えてよろしいというふうに思います。
その立場に立ちまして日本国憲法と今回の国民投票法の関係を見ますと、若干非常に調整的な規定に日本国憲法はなっているということですね。一つは、国民の立法権について日本国憲法自体は憲法四十一条に基づきまして言わば間接民主主義という形である種の限定を加えていると。つまり、国民はその立法権を投票活動によって議員に委託し、議員さんはそれに基づいて唯一で最高の立法機関としての権力を行使するということです。その意味でいえば、日本は間接民主主義の国であります。この例外となっておりますのがこの憲法改正と特別投票でありまして、これはある種の特別な規定を設けまして直接民主主義というのを採用していると。だから、間接民主主義を前提とし、かつ特殊な問題、憲法改正を含むもう一つの問題については直接民主主義を採用しているということです。
これを国民から見ますと、すべてのことについて、国政レベルですけれども、議会に委託しながら、憲法改正等せっかくの直接民主主義の規定についてもイエスかノーかしか言えないと。そういう意味で非常に消極的な国民主権の発露の仕方になっているというのが日本国憲法の特徴です。
これを今回、この直接民主主義あるいは国民投票を考える上で、もう少し豊かなものにできないかというのが私の意見でありまして、これをもう少し正確に学問的に分析して申し上げますと、国民改正に関する一連のプロセスというのがありまして、これは発案、発議、投票という形で規定されると思います。御承知のとおり、このうち発議と投票に関しては憲法マターでありますから、正に憲法改正をしないとこれは改正できないと。しかし、発案という部分については、これは言わば法律マターになっておりまして、国会でどのようにこれを考えるかということによって自由になし得る事項というふうに考えてよろしいかというふうに思います。
この発案権について幾つか意見を申し上げたいと思いますけれども、現在のところ発案権については、この国民投票法によりますと議会あるいは議員の数に限定しておりまして、内閣とかあるいは国民については一切触れておりません。これは全くできないというふうに解釈しているのか、場合によっては、法律の考え方によっては内閣にもあるいは国民にもあると考えていいのかというのが論点であります。
これは少し比較を、憲法的な考察を加えていただくと分かりますけれども、世界各国の憲法の発案、発議は別ですけど発案に関するいろんな規定がございまして、この中には国民が発案できるという規定を持っているところもありますし、あるいは大統領などある種の政府機関も発案できるというところがありまして、今回、参考人に関して意見を述べる機会がありましたので、この発案権の問題がどのように処理されているかということを私の持っている資料の範囲内で見てきたんですが、何となくあいまいなままに余り触れずにこれを過ごしてきたんじゃないかと思います。
私としては、この発案権について、国民投票をせっかく作るわけですから、もっと十分な議論をなさっていただいて、いろんな方がいろんな形で発案できるということの方がより開かれた二十一世紀的な憲法改正プロセスではないかというふうに考えますので、できれば内閣からの発案ということ、本当にできないかどうか、あるいは国民からの発案ということ、本当にできないかどうかを考えていただければ有り難いというのが一つです。
その実質的な根拠を申し上げますと、今の言っていることは、単に国民が立法権を持っているという直接的な理論的な帰結でありませんで、一番の厄介な点は、議会しか発案権がないとすると議会改革は一体だれがやるのかということであります。
つまり、二院制を含めまして、憲法上、議会に関しても様々な論点、大きく言えば議院内閣制も議会の構造とはっきりかかわる問題でありますし、その他の議会の権限についてもいろんな憲法上の論点あるんですけれども、仮に議会がそういう既存の制度について非常に保守的な態度になりますと、どんなに問題があっても議会が変わらない限り議会の改革はできないという構造になりまして、これ非常に不都合なことではないかと。議論は少なくとも、最終的に発議するかどうかは議会で決めてよろしいわけですけれども、いろんな議論をするとき、正式な憲法改正案として、例えば二院制を一院制にするというようなこともあり得ていいわけですから、そういうこと自体はいろんな形で国民あるいは内閣からも提案されてもいいだろうというのが一つであります。
それから二番目、もっとこれ原理的な問題でありますけれども、果たして議会がオールマイティーの、憲法改正という最も重要なものについてオールマイティーの権限を持っているかどうかと。
逆に言いますと、議会も憲法上の一機関でありまして、憲法があって初めて設置が認められる構造というかシステムです。その議会が構造そのものを否定するような議決をしていいかどうかということに関しては非常に論理矛盾があるということでありまして、一七八〇年に今のアメリカの憲法ができる前にマサチューセッツ憲法がありまして、ここでは、議会は少なくとも憲法に関しては、つまり自らの根拠法に関してはオールマイティーではないということを議論いたしまして、それ以来、議会以外にも発案権を認めるということが全世界的に広がっておりまして、このある種のジレンマですね、論理的ジレンマについてやっぱりもう少し深く議論をしていただければよろしかったと思いますし、これからも議論すべきではないかと私は思っております。
以上、まず参考までに、イタリア憲法などでは、例えば国民の五万人、日本に換算すると十二万人の国民の署名があれば憲法改正案を発案できる。請願との違いは、請願は審議するかどうかを却下することができますけれども、正式な発案権を国民に与えればそれは審議しなければいけない。ただ、採用するかどうかはもちろん議会ですから議会で決めてよろしいということで、こういう憲法なども国民主権、憲法制定権力にかかわる問題としてもっと深く議論すべきであろうというふうに私は思っております。これが第一点であります。
第二点は、投票運動といいますか投票に関する運動の問題であります。私、原則的に、憲法改正に関しましてはすべての国民がすべての方法で参加してよろしいというのが最も望ましい、国民主権の姿では望ましい姿だというふうに考えております。ただし、今回の国民投票法案について見ますと、二つの面で非常に制約があるという感じをしました。
今日は投票年齢のことについては触れません、まあ十八歳がいいか二十歳がいいかはいろいろ問題あると思いますけれども。もう一つ、大きく言って公務員の政治活動とそれからマスコミ規制に関して幾つかの問題があると思います。公表されている限りで資料を読んできましたが、幾つかの非常にあいまいな言葉、法律らしからぬ定義がなされているということを感じました。
まず、公務員の政治活動に関して申し上げます。
国民投票法はある種の選挙とは違いますので公職選挙法は適用にならないと、これはまあ原則、ルール、共通原理ではないかというふうにまずは思います。しかし、公務員に関する言わば設置法とか存続法がある。例えば国家公務員法とか地方公務員法がありまして、これと国民投票法の関係はどうなるかということが必ずしも分明でないということです。
投票法によりますと、国、地方公務員、特定独立行政法人等の役職員は、その地位にあるため、特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用して国民投票運動をすることはできないということです。法律家としてちょっと気になるのは、投票運動を効果的に行い得る影響力又は便益を利用してと、これは一体どういうことなんだろうかということが非常に抽象的で、法律論としては必ずしも明確でないというふうにまず思います。
一方、例えば国家公務員法を見ますと、公務員の活動に関しまして人事院規則というのがありまして、これに政治的行為というのがあります。それを見ますと、その政治的行為にどういうことが当たるかといいますと、特定の政党その他政治的団体を支持し又は反対することというのが一つです。それから二番目に、政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し又はこれに反対することというのがありまして、この憲法改正案には賛成と反対ありますけれども、これを言うことが特定の政治の方向に影響を与えるということになるのかならないのかですね。この辺が非常に法律同士の間でよく分からない。ほとんどよく分からない。恐らくは実質的には物すごく影響を与えるものだと私は思いますけれども、しかし、いわゆる投票と違って必ずしもどの党派を支持するということともイコールではありませんので、そういう意味ではこういうことに当たるのかどうか分かりませんけれども、こういう関係、よく分からないのです。
それで、非常に具体的にこの問題を提起しますと、こういうことです。これは皆さん答えられるんでしょうか。例えばある国立大、独立特定行政法人の大学の教員とかあるいは国公立の学校の先生、特に十八歳も仮に対象になりますと高校の先生などはじかに有権者を抱えるという立場になりますので、その場合、例えば授業の中でこの憲法改正について理論的にこっちがいいとかこっちが悪いと説明することは、まずその政治的な行為に入るのかどうか。あるいは教授会若しくは教員会ですかね、高等学校の教員会議でこれについては賛成であるとか反対であるとかと決めることは当たるのかどうかですね。
あるいは、これを学校を超えてある種の集会みたいなところへ行きましてこの憲法改正に反対だとか賛成だとか言うことが当たるのかどうか。あるいはそれと関連して、憲法改正に賛成する党派、政党に投票しろとかするなとかそういうことを言う。あるいはその集会を超えて自分たちでビラをまくと。例えば、何々大学教授会あるいは何々大学教授で、こういうことについては賛成しろとか反対しろというビラをまく。あるいはデモに行きまして、自分は反対だとか賛成だとかいうことについて看板を出しましてデモをする。あるいはまた戸別訪問をする。あるいはインターネットで自由にいろんなことを言うというようなときに、恐らく現在のここの理解によりますと、国民投票法では刑罰に処せられることはない。
しかし、そういう行動についてそれぞれの機関の中で、例えば何々大学なら何々大学、何々高校なら何々高校の中でこれをどのように処置するかは自由といいますか、全くここは白紙委任するという形に読める形になっています。その際、例えば投票法では自由だけれども、つまり刑罰はないけれども、その大学から高校の範囲内で職務命令でこういうことをしてはいけないと、無視したら、これについて懲戒処分に付すというようなことが起きてきたらどうするかということです。
現にこういうことは、これはいろいろな意見があるかもしれません。日の丸・君が代でもこういう問題が起きております。原則自由なんだけれども、しかし職務命令でこういうことをやりますと、ある種強制があったり強制にやらしたりすると職務命令で懲戒解雇になると。もう後それは裁判になって、少なくとも君が代に関して一審で違憲判決が出るというようなことが起きております。
こういうことについて、今回の国民投票法を考えるときにこういうことを本当に議論したのかどうか、どこまでどうなっているのか。少なくとも法律家としての感懐で言うと、先ほど言いました効果的に行い得る影響力又は便益を使ってと、これは一体、憲法教授が憲法の理論を言うというときに、これ、こういうことが当たるのかどうか、こういうことがほとんど分からない。これはやっぱりある種の不安と恐怖を与えるもので、これは立法府の責務としてはっきりしないと、なかなかこういうことを一概に、余り議論をしないで通過させてはいけないと私は思っています。
それから、二番目はマスコミです。時間がありませんので簡単に申し上げます。
マスコミについても、発議以降と発議前に分かれていろいろ対応なされています。このマスコミといってもいろいろありまして、テレビジョンもありますし、新聞もありますし、週刊誌もありますし、その他インターネットの世界もある、あるいは公的なある種NHKみたいなものと民営があると、様々な媒体があります。それから、マスコミ内部で報道をする、あるいはキャスターが何かを言うというのと、コマーシャルがあります。
それで、この中で何が報道良くて何が悪いのかを、これを見ますとよく分かりません。一般的に言えば発議前は自由と。しかし、これは放送の公平性ですか、中立性を損なわない程度というふうになっておりますが、発議以降は原則禁止されますけれども、その少なくとも前についていいますと、これ、ある種、党派が無限大に金を掛けてコマーシャルはいいのかどうか、それから、政府広報と新しくできるある種の委員会がどういう関係に立つのかというようなこと、そういうことについてほとんど議論をされません。
それから、放送の公平性とか中立性といいますけれども、実は選挙と違いまして、今回の国民投票は若干ニュートラルとかを考える場合にちょっと選挙と違うところが一つあります。それは、この今回の投票が問題になるのは、国会で既に三分の二の決議を得ているということが前提です。だから、それに反対する政党とか議員の数というのは、少なくとも国会レベルで非常に少数です。
そうすると、公平にというとき、例えば時間的公平とか費用的公平をやるときに、この三分の二対三分の二以外というときに公平とは何なのか、そのまま議席数やら何やらを反映してやることが公平なのか、あるいは全く平等に、三分の二であろうとなかろうと全く平等に賛成論、反対論をやらせるのか、その辺も公平中立の概念について普通の選挙とは違うある種の工夫が必要だと思いますけれども、少なくともマスコミの動きなどを見るとこの点についてほとんど議論をされていないということがありまして、この国民投票運動に関して今の公務員とマスコミについて問題があると。
私としては基本的にいろんな、もう一回二つまとめて言いますと、国民からの立法権を多様に認めること。だから、憲法改正だけじゃなくてその他のことについても国民投票法というようなことを含めて考えてもらいたいということと、もう一つは、今言ったマスコミとか公務員の活動についての規制をできるだけ自由にして、国民的に討議できるような形に改正してほしいと思います。
以上です。
関
小
小澤隆一#7
○参考人(小澤隆一君) 東京慈恵医科大学の小澤です。専攻は憲法学です。
参考人にお呼びいただき、光栄に存じますが、ちゅうちょもしました。私は、配付資料のとおり、三月二十二日に衆議院で公述人として意見を述べています。重ねて登院することへのためらいを感じながら結局お引き受けしたのは、この間の国会での審議からは私がさきに指摘した法案への疑問点は払拭されていないという思いからです。以下、配付資料の意見と重複しない形で、法案への現時点での意見を与党案を中心に述べさせていただきます。
資料の一枚目をごらんください。
第一は、意見を求められている最低投票率制度についてです。
その導入を否定する論拠には、憲法論的正統性を見いだし難いと思います。主権者たる国民の国の最高法規たる憲法の改正の是非についての判断という実質を投票が持つためには、むしろこの種の制度を採用することの方が憲法適合的であると思います。法案の根本的な再検討を求めます。
いわゆるボイコット運動の可能性は、この種の制度を退ける根拠にはなりません。そうした運動はこの制度と無関係に起こり得るし、また、憲法改正案に反対する人々が必ずボイコットの誘惑に駆られるわけではありません。不正確で過剰な想定を持ち出して憲法の趣旨の実現を妨げるのはやめるべきです。
また、憲法に規定されていない要件を加重することはできないという理由が挙げられてもいますが、この種の理解を貫くと、およそあらゆる憲法附属法は成り立ちません。憲法附属法は、いずれも憲法の趣旨にのっとり、それを補充しつつ具体化するものとして制定されているはずで、憲法の規定以外のことを定めていけないならば、現行の公職選挙法などはかなりの部分が憲法違反となってしまうでしょう。私は、そういう理由で公選法を違憲とした判例を寡聞にして知りません。
第二は、国民投票運動の規制についてです。
法案には、主権者国民が憲法改正という極めて重要な問題を判断する際にはふさわしからぬ数々の運動規制の規定が見られます。これらは、罰則の有無にかかわらず、その規制、禁止の対象、内容のあいまいさによって国民の運動に萎縮効果を及ぼすと思います。
公務員と教員の地位利用による国民投票運動の禁止は、地位とは何か、利用とはどういうことか、法案百三条に言う効果的に行い得る影響力又は便益とは何のことかなど、著しく不明確です。懲戒処分を恐れる公務員や教員が結局、個人としての意見表明を控えることにならないかと危惧します。
国公法、地公法の政治的行為の制限が公務員による国民投票運動のうちどのようなものに適用されるかを今後検討していくという趣旨の附則第十一条、これも同様の萎縮効果を持つと思います。法案の中では、適用が想定される事例として、憲法改正の賛否への勧誘が特定の公職の候補者を支持するなどの政治目的を持つ場合などが挙げられていますが、そういう極端な例を持ち出して適用の可能性を残しておくこと自体が自由濶達であるべき国民投票運動の意義を損ねることを恐れます。
第百九条の組織的多数人買収利害誘導罪の規定もあいまいさがあります。
買収や利害誘導をそれ自体はあってはならないこととして、組織によりとは一体どのような場合をいうのか不明確です。買収については、多数の者に対する意見の表明の手段として通常用いられない利益等の供与に限るとされていますが、さきに述べたボイコット運動や別の政治的目的を持った勧誘行為など、別の場面では通常のものとはとても言えない想定を持ち出しているようでは、確たる基準で通常用いられる手段か否かを判断すると本当に信頼してよいか不安になります。
総じて、国民投票運動が主権者国民の憲法についてのしっかりとした判断を促すよう、自由濶達かつ民主的道義に基づいて行われるよう、制度を基礎から構築するべきです。その際、この国民投票が、候補者や政党を選ぶものではないし、個別の国政上の施策についてのものでもなく、ほかならぬ国の最高法規の改正に関するものであることを踏まえなければなりません。
憲法第十五条が定める公務員の全体の奉仕者という地位は、公選に係る特別職公務員は別として、その所掌する公務執行の政治的な党派からの中立性を基本として理解されるべきものです。憲法改正の国民投票に際しては、この投票の事務を担う公務員は別として、公務員はさきに言う政治的中立性が一般的に問題とされる立場にはないと思います。すなわち、国民一般と同等の立場でこの投票の運動に臨むことができると解するべきです。
第三は、国民に対する広報についてです。
法案の審議では、提案者から十分な広報をする旨の答弁がなされていますが、法案第十八条四項によれば、国民投票公報の配布は国民投票の期日前十日までに行うとされています。憲法改正の発議の正確な内容は、この国民投票公報によって知らされるはずです。仮に期日の十日前に国民投票公報が配布された場合、それで憲法改正案についての国民への周知は十分と言えるでしょうか。
法案第六十条によれば、期日前投票は期日前十四日からできます。国民投票公報を見ずに期日前投票を行うことができるとするのは、日常的な政治の延長の中で候補者や政党を選ぶ公職選挙とは違う憲法改正投票において妥当な制度設計と果たして言えるでしょうか。この問題は、元々、国会の発議から投票期日までを最短で六十日としたことに原因があるように思われます。再度、この期間の抜本的な延長を求めます。それこそが国民主権にふさわしい制度と判断します。
なお、国民の判断に資する広報を行うためには、憲法改正に関する賛成、反対の両論が公平に示される必要があります。そのためには、広報協議会の構成は、法案第十二条三項のように、反対の表決を行った議員会派からの委員選任につき、できる限り配慮するという程度にとどめるのではなく、必ず含むようにすることの方が妥当と考えます。さもなければ、国民には不公平で一方的な広報との疑いを抱かせることになるでしょう。
憲法改正の発議に国会の三分の二の多数を要求しているのは、国の最高法規の改変の重要性にかんがみて、その時々の議会における単純多数の判断にゆだねることをしないという配慮から出たものと解するべきです。その趣旨からすれば、広報を担う機関はむしろ賛成、反対の意見の公平な反映にこそ重きを置くべきであって、多数、少数の比率のストレートな移入は、この問題に関する限りは多数の横暴のそしりを免れないと思います。
第四は、発議における両院の関係です。
憲法改正にかかわる衆参両院は、主権者国民による投票を仰ぐ憲法改正案を準備する機関です。法律や予算などのように自足的な議決をする機関ではありません。それゆえに、二院制という仕組みを前提にした衆議院の優越に基礎を持つ両院協議会の制度を採用するのは適切とは思われません。また、院の自律を損ないかねないような役割を合同審査会に与えるべきでもありません。この点も制度の再考を求めます。
第五は、放送や新聞を利用した意見広告についてです。
法案は、政党に無料による意見広告を保障し、国民投票期日前十四日間の広告放送を禁止していますが、果たしてこれらによって国民の判断に資する十分かつ公平な情報の提供が期待できるでしょうか。政党や政党が指定する団体以外の者の意見広告への配慮や投票期日前十四日以前の広告放送の在り方について検討が尽くされたとは言えないように思います。
以上述べた点を勘案すると、この間の衆議院、参議院での審議を経る中で、現在提出されている法案の憲法上の疑義、制度設計上の不具合が多々散見されます。こうした法案をこのまま成立させてしまうようなことがあれば、それは日本国憲法の下での憲法附属法の中で、最も憲法に密接にかかわるものが憲法の趣旨に最も背馳したものになってしまうのではないかと懸念します。貴委員会にはそのようなことを招来せぬよう切に望むとともに、重ねて法案の廃案を含む憲法原理にのっとった根本からの慎重な審議を求めて、私の意見陳述を終わります。
どうも御清聴ありがとうございました。
この発言だけを見る →参考人にお呼びいただき、光栄に存じますが、ちゅうちょもしました。私は、配付資料のとおり、三月二十二日に衆議院で公述人として意見を述べています。重ねて登院することへのためらいを感じながら結局お引き受けしたのは、この間の国会での審議からは私がさきに指摘した法案への疑問点は払拭されていないという思いからです。以下、配付資料の意見と重複しない形で、法案への現時点での意見を与党案を中心に述べさせていただきます。
資料の一枚目をごらんください。
第一は、意見を求められている最低投票率制度についてです。
その導入を否定する論拠には、憲法論的正統性を見いだし難いと思います。主権者たる国民の国の最高法規たる憲法の改正の是非についての判断という実質を投票が持つためには、むしろこの種の制度を採用することの方が憲法適合的であると思います。法案の根本的な再検討を求めます。
いわゆるボイコット運動の可能性は、この種の制度を退ける根拠にはなりません。そうした運動はこの制度と無関係に起こり得るし、また、憲法改正案に反対する人々が必ずボイコットの誘惑に駆られるわけではありません。不正確で過剰な想定を持ち出して憲法の趣旨の実現を妨げるのはやめるべきです。
また、憲法に規定されていない要件を加重することはできないという理由が挙げられてもいますが、この種の理解を貫くと、およそあらゆる憲法附属法は成り立ちません。憲法附属法は、いずれも憲法の趣旨にのっとり、それを補充しつつ具体化するものとして制定されているはずで、憲法の規定以外のことを定めていけないならば、現行の公職選挙法などはかなりの部分が憲法違反となってしまうでしょう。私は、そういう理由で公選法を違憲とした判例を寡聞にして知りません。
第二は、国民投票運動の規制についてです。
法案には、主権者国民が憲法改正という極めて重要な問題を判断する際にはふさわしからぬ数々の運動規制の規定が見られます。これらは、罰則の有無にかかわらず、その規制、禁止の対象、内容のあいまいさによって国民の運動に萎縮効果を及ぼすと思います。
公務員と教員の地位利用による国民投票運動の禁止は、地位とは何か、利用とはどういうことか、法案百三条に言う効果的に行い得る影響力又は便益とは何のことかなど、著しく不明確です。懲戒処分を恐れる公務員や教員が結局、個人としての意見表明を控えることにならないかと危惧します。
国公法、地公法の政治的行為の制限が公務員による国民投票運動のうちどのようなものに適用されるかを今後検討していくという趣旨の附則第十一条、これも同様の萎縮効果を持つと思います。法案の中では、適用が想定される事例として、憲法改正の賛否への勧誘が特定の公職の候補者を支持するなどの政治目的を持つ場合などが挙げられていますが、そういう極端な例を持ち出して適用の可能性を残しておくこと自体が自由濶達であるべき国民投票運動の意義を損ねることを恐れます。
第百九条の組織的多数人買収利害誘導罪の規定もあいまいさがあります。
買収や利害誘導をそれ自体はあってはならないこととして、組織によりとは一体どのような場合をいうのか不明確です。買収については、多数の者に対する意見の表明の手段として通常用いられない利益等の供与に限るとされていますが、さきに述べたボイコット運動や別の政治的目的を持った勧誘行為など、別の場面では通常のものとはとても言えない想定を持ち出しているようでは、確たる基準で通常用いられる手段か否かを判断すると本当に信頼してよいか不安になります。
総じて、国民投票運動が主権者国民の憲法についてのしっかりとした判断を促すよう、自由濶達かつ民主的道義に基づいて行われるよう、制度を基礎から構築するべきです。その際、この国民投票が、候補者や政党を選ぶものではないし、個別の国政上の施策についてのものでもなく、ほかならぬ国の最高法規の改正に関するものであることを踏まえなければなりません。
憲法第十五条が定める公務員の全体の奉仕者という地位は、公選に係る特別職公務員は別として、その所掌する公務執行の政治的な党派からの中立性を基本として理解されるべきものです。憲法改正の国民投票に際しては、この投票の事務を担う公務員は別として、公務員はさきに言う政治的中立性が一般的に問題とされる立場にはないと思います。すなわち、国民一般と同等の立場でこの投票の運動に臨むことができると解するべきです。
第三は、国民に対する広報についてです。
法案の審議では、提案者から十分な広報をする旨の答弁がなされていますが、法案第十八条四項によれば、国民投票公報の配布は国民投票の期日前十日までに行うとされています。憲法改正の発議の正確な内容は、この国民投票公報によって知らされるはずです。仮に期日の十日前に国民投票公報が配布された場合、それで憲法改正案についての国民への周知は十分と言えるでしょうか。
法案第六十条によれば、期日前投票は期日前十四日からできます。国民投票公報を見ずに期日前投票を行うことができるとするのは、日常的な政治の延長の中で候補者や政党を選ぶ公職選挙とは違う憲法改正投票において妥当な制度設計と果たして言えるでしょうか。この問題は、元々、国会の発議から投票期日までを最短で六十日としたことに原因があるように思われます。再度、この期間の抜本的な延長を求めます。それこそが国民主権にふさわしい制度と判断します。
なお、国民の判断に資する広報を行うためには、憲法改正に関する賛成、反対の両論が公平に示される必要があります。そのためには、広報協議会の構成は、法案第十二条三項のように、反対の表決を行った議員会派からの委員選任につき、できる限り配慮するという程度にとどめるのではなく、必ず含むようにすることの方が妥当と考えます。さもなければ、国民には不公平で一方的な広報との疑いを抱かせることになるでしょう。
憲法改正の発議に国会の三分の二の多数を要求しているのは、国の最高法規の改変の重要性にかんがみて、その時々の議会における単純多数の判断にゆだねることをしないという配慮から出たものと解するべきです。その趣旨からすれば、広報を担う機関はむしろ賛成、反対の意見の公平な反映にこそ重きを置くべきであって、多数、少数の比率のストレートな移入は、この問題に関する限りは多数の横暴のそしりを免れないと思います。
第四は、発議における両院の関係です。
憲法改正にかかわる衆参両院は、主権者国民による投票を仰ぐ憲法改正案を準備する機関です。法律や予算などのように自足的な議決をする機関ではありません。それゆえに、二院制という仕組みを前提にした衆議院の優越に基礎を持つ両院協議会の制度を採用するのは適切とは思われません。また、院の自律を損ないかねないような役割を合同審査会に与えるべきでもありません。この点も制度の再考を求めます。
第五は、放送や新聞を利用した意見広告についてです。
法案は、政党に無料による意見広告を保障し、国民投票期日前十四日間の広告放送を禁止していますが、果たしてこれらによって国民の判断に資する十分かつ公平な情報の提供が期待できるでしょうか。政党や政党が指定する団体以外の者の意見広告への配慮や投票期日前十四日以前の広告放送の在り方について検討が尽くされたとは言えないように思います。
以上述べた点を勘案すると、この間の衆議院、参議院での審議を経る中で、現在提出されている法案の憲法上の疑義、制度設計上の不具合が多々散見されます。こうした法案をこのまま成立させてしまうようなことがあれば、それは日本国憲法の下での憲法附属法の中で、最も憲法に密接にかかわるものが憲法の趣旨に最も背馳したものになってしまうのではないかと懸念します。貴委員会にはそのようなことを招来せぬよう切に望むとともに、重ねて法案の廃案を含む憲法原理にのっとった根本からの慎重な審議を求めて、私の意見陳述を終わります。
どうも御清聴ありがとうございました。
関
関谷勝嗣#8
○委員長(関谷勝嗣君) ありがとうございました。
以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、大変恐縮でございますが、各委員の質疑時間は限られておりますので、簡潔に御発言いただきますようお願いを申し上げます。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、大変恐縮でございますが、各委員の質疑時間は限られておりますので、簡潔に御発言いただきますようお願いを申し上げます。
質疑のある方は順次御発言願います。
野
野村哲郎#9
○野村哲郎君 自由民主党の野村哲郎でございます。
今日は、五十嵐参考人、そして小澤参考人、大変お忙しい中御出席いただきまして、示唆に富んだ今お話を伺いました。本当にありがとうございました。
この私どもの参議院における特別委員会も今日で四十時間をもう超えていると思いますが、衆議院でも五十八時間、そういう審議の経過をたどっておるところでございます。
私は、学者でもあるいは専門家でもないものですから大変平べったい御質問になろうというふうに思うわけでありますが、ただ、この憲法問題というのを考えた場合に、六十年たつわけでありますが、今まで本当に国民の皆さん方が関心を持っていただいていたのであろうかということを一つ考えるわけであります。そういう意味におきまして、昨年の五月に与党案、そしてまた民主党案が出されて、衆議院なり、こうして参議院で審議を重ねているわけでありますが、マスメディアの影響もありまして、私は大変国民の皆さん方が憲法問題に対する関心というのが非常に高まってきているというふうに思います。
私は鹿児島でございますが、地元紙でちょうど憲法記念日に世論調査の結果が出ておりましたけれども、六八・数%という高い関心があると、こういう結果が出ておりました。そういう意味におきましては、大変国民の皆さん方と私どもがこの今審議している、議論していることが共有できつつあると、こういうふうに実は思うわけであります。
ただ、一つ危惧しておりますのは、どうもこのマスコミの取上げ方が、国民投票法案の内容とか、あるいは、今私ども与党とあるいは野党の皆さん方との争点が何なのかという、そういう報道じゃなくて、むしろ改憲という視点での報道というのが非常に色濃く出ているのではないかなというふうに思います。
その証拠にといいますか、地元でいろいろ聞きますと、我々が今この国会で審議している国民投票法案について御存じですかというこの問い掛けをしますと、憲法の条文を改正するんでしょうと、こういう話がよく出てまいります。ですから、もう少しこの国民投票法案というものについて、マスコミの皆さん方にもお願いしたいわけでありますけれども、要は今回の、先ほども五十嵐先生からもありましたように、手続法案なんだということを是非ともしていただかないと、どうも国民投票法案イコール改憲なんだという、そのことがどうも国民の皆さん方の目に映っているのではないかなというふうに思います。
それで、実はファクスも来るわけです、一杯来ます。そうしますと、そのファクスの中にも第九条の改憲は許さぬと、こういうようなのがあったり、あるいは、その国民の声で改憲に対する機運が盛り上がっていない中でのこの投票法案は廃案にしろとか、こういったようないろんなファクスもいただいております。ですから、私がどうも考えるに、国民の皆さん方の目に映っているのはやはり国民投票法案イコール改憲と、こういうことじゃないのかなというふうに実は思うわけであります。ですから、そのことについての先生方の、参考人のお二人のちょっと御認識をお伺いしたいというのが一つございます。
それと、先ほどお話がございましたけれども、私どももこの地方公聴会なりあるいはここの場での参考人の皆さん方のいろんな公述を聞いておりまして、どうも、先ほど申し上げましたように、反対の方々は改憲だから駄目だという方もいらっしゃるし、いや、そうじゃないと、これやっぱり主権者たる国民が憲法改正の権利を行使するためのその具体的な法律なんだと、だからこれを定めないのは立法府の責任だと、こういう方もいらっしゃるわけであります。ですから、国民投票法案を定めることの是非について、この今の時期に作る是非について、基本的な先生方の、参考人のお二人のお話をお伺いしたいと、こういうふうに思うわけであります。
この発言だけを見る →今日は、五十嵐参考人、そして小澤参考人、大変お忙しい中御出席いただきまして、示唆に富んだ今お話を伺いました。本当にありがとうございました。
この私どもの参議院における特別委員会も今日で四十時間をもう超えていると思いますが、衆議院でも五十八時間、そういう審議の経過をたどっておるところでございます。
私は、学者でもあるいは専門家でもないものですから大変平べったい御質問になろうというふうに思うわけでありますが、ただ、この憲法問題というのを考えた場合に、六十年たつわけでありますが、今まで本当に国民の皆さん方が関心を持っていただいていたのであろうかということを一つ考えるわけであります。そういう意味におきまして、昨年の五月に与党案、そしてまた民主党案が出されて、衆議院なり、こうして参議院で審議を重ねているわけでありますが、マスメディアの影響もありまして、私は大変国民の皆さん方が憲法問題に対する関心というのが非常に高まってきているというふうに思います。
私は鹿児島でございますが、地元紙でちょうど憲法記念日に世論調査の結果が出ておりましたけれども、六八・数%という高い関心があると、こういう結果が出ておりました。そういう意味におきましては、大変国民の皆さん方と私どもがこの今審議している、議論していることが共有できつつあると、こういうふうに実は思うわけであります。
ただ、一つ危惧しておりますのは、どうもこのマスコミの取上げ方が、国民投票法案の内容とか、あるいは、今私ども与党とあるいは野党の皆さん方との争点が何なのかという、そういう報道じゃなくて、むしろ改憲という視点での報道というのが非常に色濃く出ているのではないかなというふうに思います。
その証拠にといいますか、地元でいろいろ聞きますと、我々が今この国会で審議している国民投票法案について御存じですかというこの問い掛けをしますと、憲法の条文を改正するんでしょうと、こういう話がよく出てまいります。ですから、もう少しこの国民投票法案というものについて、マスコミの皆さん方にもお願いしたいわけでありますけれども、要は今回の、先ほども五十嵐先生からもありましたように、手続法案なんだということを是非ともしていただかないと、どうも国民投票法案イコール改憲なんだという、そのことがどうも国民の皆さん方の目に映っているのではないかなというふうに思います。
それで、実はファクスも来るわけです、一杯来ます。そうしますと、そのファクスの中にも第九条の改憲は許さぬと、こういうようなのがあったり、あるいは、その国民の声で改憲に対する機運が盛り上がっていない中でのこの投票法案は廃案にしろとか、こういったようないろんなファクスもいただいております。ですから、私がどうも考えるに、国民の皆さん方の目に映っているのはやはり国民投票法案イコール改憲と、こういうことじゃないのかなというふうに実は思うわけであります。ですから、そのことについての先生方の、参考人のお二人のちょっと御認識をお伺いしたいというのが一つございます。
それと、先ほどお話がございましたけれども、私どももこの地方公聴会なりあるいはここの場での参考人の皆さん方のいろんな公述を聞いておりまして、どうも、先ほど申し上げましたように、反対の方々は改憲だから駄目だという方もいらっしゃるし、いや、そうじゃないと、これやっぱり主権者たる国民が憲法改正の権利を行使するためのその具体的な法律なんだと、だからこれを定めないのは立法府の責任だと、こういう方もいらっしゃるわけであります。ですから、国民投票法案を定めることの是非について、この今の時期に作る是非について、基本的な先生方の、参考人のお二人のお話をお伺いしたいと、こういうふうに思うわけであります。
五
五十嵐敬喜#10
○参考人(五十嵐敬喜君) まず、憲法改正の中身と今回の投票法がどのように受け止められているかということです。
認識は、これ先生と私同じです。ただ、受け止められるのもしようがないという部分があると思うんですね。
それはどういうことかといいますと、今回の安倍政権は明らかに参議院選挙において憲法を争点にすると、それは国民投票法の手続を争点にすると言っているんじゃなくて、やっぱり九条を含めたあの内容について参議院の争点にするということを言っています。これは七月です。今回、この投票法案が五月に審議されているのは、当然のことながら、そういう憲法改正の中身と連動してその手続を定めると、国民はほとんどの人が受け取っていると思います。だから、その改憲かどうかについての議論が主になっていて、この投票法どうあるべきかについて余り具体的に議論されていないというのも、政治がそういう状況をつくっていると私はまず思っています。
それから二番目は、ちょっと外側から見て気になることがありまして、国民投票ということのイメージが、国会を含めて、きちんと国民の皆様方にうまく宣伝されていないんじゃないかと思うんですね。身近なところでは、実は住民投票というのはいろんなところでもう既に日本でもやっております。これは地方レベルですけど、そういうことありますね。そういうものの全国版を国民投票と言うんだろうと思うんですね。
それからもう一つ、小泉さんが行った郵政民営化選挙もある種の、衆議院の選挙に絡めたある種の国民投票に近い部分があるということです。
それからもう一つ、憲法改正、憲法そのものについていえば、EU憲法条約案についてフランスやオランダがやった国民投票ありまして、そういうものの功罪がちゃんと国民の方に伝われば、この手続をどうすれば一番いいのかということについてのもうちょっと確かな評価が出ると思いますけれども、これがこの国会からは一向に発信されないといいますか、だから、国民投票というのは自分たちのリアリティーをほとんど持っていない、むしろその安倍政権の政治姿勢と関連して、国民投票法制定イコール改憲議論ということがあってむしろ改憲の方に議論が行っている、そういう状況だろうと。それを覆すためには、覆すというかちょっと修正するためには、国民投票というのはどういうものかということをもっとまじめに、もっと大々的に宣伝したらどうかということです。
そういう立場でいえば、最後の質問です。私自身は、国民投票法についてはいずれ必要だし、いいものを作ったらいいと私は思っています。ただ、今言ったように、明らかに次、その参議院選挙でも九条改憲の話題にするという前提でこれ急ぐというのは、それはよく分からないんですね。だから、それは慎重にやったらいいと思います。しかし、絶対国民投票をやらないという議論では私はありません。むしろ、住民投票条例とかあるいは国民投票条例とかあるいは国政課題でもいろんなことについて、憲法に準じるような問題については国民投票していくというような法案をどんどん作るべきであると私は思っています。
ただ、政治的にはいかにもその九条改憲論議とこれは結び付いてやられているので、非常に誤解を与えているし、そういう意味では余り良くないと私は率直に思います。
この発言だけを見る →認識は、これ先生と私同じです。ただ、受け止められるのもしようがないという部分があると思うんですね。
それはどういうことかといいますと、今回の安倍政権は明らかに参議院選挙において憲法を争点にすると、それは国民投票法の手続を争点にすると言っているんじゃなくて、やっぱり九条を含めたあの内容について参議院の争点にするということを言っています。これは七月です。今回、この投票法案が五月に審議されているのは、当然のことながら、そういう憲法改正の中身と連動してその手続を定めると、国民はほとんどの人が受け取っていると思います。だから、その改憲かどうかについての議論が主になっていて、この投票法どうあるべきかについて余り具体的に議論されていないというのも、政治がそういう状況をつくっていると私はまず思っています。
それから二番目は、ちょっと外側から見て気になることがありまして、国民投票ということのイメージが、国会を含めて、きちんと国民の皆様方にうまく宣伝されていないんじゃないかと思うんですね。身近なところでは、実は住民投票というのはいろんなところでもう既に日本でもやっております。これは地方レベルですけど、そういうことありますね。そういうものの全国版を国民投票と言うんだろうと思うんですね。
それからもう一つ、小泉さんが行った郵政民営化選挙もある種の、衆議院の選挙に絡めたある種の国民投票に近い部分があるということです。
それからもう一つ、憲法改正、憲法そのものについていえば、EU憲法条約案についてフランスやオランダがやった国民投票ありまして、そういうものの功罪がちゃんと国民の方に伝われば、この手続をどうすれば一番いいのかということについてのもうちょっと確かな評価が出ると思いますけれども、これがこの国会からは一向に発信されないといいますか、だから、国民投票というのは自分たちのリアリティーをほとんど持っていない、むしろその安倍政権の政治姿勢と関連して、国民投票法制定イコール改憲議論ということがあってむしろ改憲の方に議論が行っている、そういう状況だろうと。それを覆すためには、覆すというかちょっと修正するためには、国民投票というのはどういうものかということをもっとまじめに、もっと大々的に宣伝したらどうかということです。
そういう立場でいえば、最後の質問です。私自身は、国民投票法についてはいずれ必要だし、いいものを作ったらいいと私は思っています。ただ、今言ったように、明らかに次、その参議院選挙でも九条改憲の話題にするという前提でこれ急ぐというのは、それはよく分からないんですね。だから、それは慎重にやったらいいと思います。しかし、絶対国民投票をやらないという議論では私はありません。むしろ、住民投票条例とかあるいは国民投票条例とかあるいは国政課題でもいろんなことについて、憲法に準じるような問題については国民投票していくというような法案をどんどん作るべきであると私は思っています。
ただ、政治的にはいかにもその九条改憲論議とこれは結び付いてやられているので、非常に誤解を与えているし、そういう意味では余り良くないと私は率直に思います。
小
小澤隆一#11
○参考人(小澤隆一君) まず、憲法改正の中身と今回の手続法を絡めるそういった議論や世論についてどう考えるかという点ですけれども、この間の安倍総理の御発言を国民が聞いていれば、そのように受け止めるように世論がなるのはある意味では自然なことだというふうに私は思います。
そしてまた、二〇〇五年の十一月に、自民党さんは新憲法草案をお作りになり発表されているわけですから、そのことを覚えている国民もまた、今この時点でこのような法案が審議されるということの意味は、やはり主権者としてそれなりに感じているというふうに考えます。ですから、そのことについてはごく自然なことだというふうに思っています。
そしてまた、過去にも、一九五三年に自治庁が作った投票法案が結局お蔵入りになった。あの翌年は、改進党や自由党が憲法案を発表した時期です。ですので、そういう憲法案が示されたときと、これの手続法が同時に政治の場に出れば今のような事態になるということは十分に五十年前からも想像が付いていたというふうに私は理解をしております。
そして、第二番目の御質問ですが、国民投票法を定めることの是非につきましては、私は本当に必要になるときまでにでき上がっていればよろしい、そういうふうに理解をしています。議論は十分に尽くして、そして憲法原理にのっとった、これに適切に従った法律を作る、それまで徹底的に国民も含めた議論をしていくべきだというふうに思います。
ですから、今この時点で作らなければいけないとか、あるいはできてないことは立法の不作為で国会の怠慢だというふうな議論には私は同調いたしません。そうではなくて、本当に国会がなすべき任務は、憲法原理にのっとった、それにふさわしい手続法をいつの日にか定めるということであって、今作るということが国会の任務かと問われれば、必ずしもそうではないというふうにお答えしたいと思います。
この発言だけを見る →そしてまた、二〇〇五年の十一月に、自民党さんは新憲法草案をお作りになり発表されているわけですから、そのことを覚えている国民もまた、今この時点でこのような法案が審議されるということの意味は、やはり主権者としてそれなりに感じているというふうに考えます。ですから、そのことについてはごく自然なことだというふうに思っています。
そしてまた、過去にも、一九五三年に自治庁が作った投票法案が結局お蔵入りになった。あの翌年は、改進党や自由党が憲法案を発表した時期です。ですので、そういう憲法案が示されたときと、これの手続法が同時に政治の場に出れば今のような事態になるということは十分に五十年前からも想像が付いていたというふうに私は理解をしております。
そして、第二番目の御質問ですが、国民投票法を定めることの是非につきましては、私は本当に必要になるときまでにでき上がっていればよろしい、そういうふうに理解をしています。議論は十分に尽くして、そして憲法原理にのっとった、これに適切に従った法律を作る、それまで徹底的に国民も含めた議論をしていくべきだというふうに思います。
ですから、今この時点で作らなければいけないとか、あるいはできてないことは立法の不作為で国会の怠慢だというふうな議論には私は同調いたしません。そうではなくて、本当に国会がなすべき任務は、憲法原理にのっとった、それにふさわしい手続法をいつの日にか定めるということであって、今作るということが国会の任務かと問われれば、必ずしもそうではないというふうにお答えしたいと思います。
野
野村哲郎#12
○野村哲郎君 時間がありませんので、あと一問だけお願い申し上げたいと思います。
小澤参考人が最低投票率については、最低投票率を導入することが憲法に適合していると、こういうお話を伺ったわけであります。
ただ、私どもも、今までのこの議論の中で、あるいはまた地方公聴会等々でいろいろ皆さんの意見も聞いているわけでありますけれども、要は投票権というのは、あくまでもそれぞれ国民主権、国民たるその主権者が、行使するしないというのは本人の意思であると。要はこの投票所に行って賛否の意思表示をするのが当然であって、また棄権するのもこれもまた意思表示じゃないのかということで、私もそういう意見を持っているわけでありますけれども、棄権する人たち、投票率が下がったからといってそのことについての問題というのは余りないのではないか。
例えば、いろんな今公職選挙法に基づく選挙もあるわけですけれども、これも非常に高いところ、低いところあるわけでありますけれども、そのことで大きな問題というのは、これは最低投票率は別にしましてあるわけでありますので、そういう意味においてこのことが問題にそうなるのかなと。
ただ、もう一つの意見として私どもが聞いてきましたのが、要はこれは法律で定めるべきではないと。むしろ、もしこの最低投票率を定めるならば、憲法のやっぱり九十六条の中で入れるかあるいはそこを改正するか、そういうところにいくのではないのかなと、こういう御意見もありました。
ですから、今のこの法律で最低投票率を定めることについて、それからもう一つは、先生はもう専門家でいらっしゃいますが、憲法に定めると、この意味についてどういうお考えをお持ちか、小澤参考人にお聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →小澤参考人が最低投票率については、最低投票率を導入することが憲法に適合していると、こういうお話を伺ったわけであります。
ただ、私どもも、今までのこの議論の中で、あるいはまた地方公聴会等々でいろいろ皆さんの意見も聞いているわけでありますけれども、要は投票権というのは、あくまでもそれぞれ国民主権、国民たるその主権者が、行使するしないというのは本人の意思であると。要はこの投票所に行って賛否の意思表示をするのが当然であって、また棄権するのもこれもまた意思表示じゃないのかということで、私もそういう意見を持っているわけでありますけれども、棄権する人たち、投票率が下がったからといってそのことについての問題というのは余りないのではないか。
例えば、いろんな今公職選挙法に基づく選挙もあるわけですけれども、これも非常に高いところ、低いところあるわけでありますけれども、そのことで大きな問題というのは、これは最低投票率は別にしましてあるわけでありますので、そういう意味においてこのことが問題にそうなるのかなと。
ただ、もう一つの意見として私どもが聞いてきましたのが、要はこれは法律で定めるべきではないと。むしろ、もしこの最低投票率を定めるならば、憲法のやっぱり九十六条の中で入れるかあるいはそこを改正するか、そういうところにいくのではないのかなと、こういう御意見もありました。
ですから、今のこの法律で最低投票率を定めることについて、それからもう一つは、先生はもう専門家でいらっしゃいますが、憲法に定めると、この意味についてどういうお考えをお持ちか、小澤参考人にお聞きしたいと思います。
小
小澤隆一#13
○参考人(小澤隆一君) 後の御質問からお答えします。
まず、憲法で定めることの意味についてですが、確かに諸外国を見れば、憲法で定めている憲法を持っている、そういう国もあるようです。しかし、そのことから憲法で定めなければいけないという理屈が出てくるかどうか、これについては、私は先ほど申したようにならないだろうという考えでいます。
憲法の下での法律は、憲法の原理にのっとった、この場合であれば国民主権原理にのっとった法律を作ればいいことでありまして、そして憲法改正国民投票の場合はできる限り国民の神聖な意思の帰結がこの投票で示されることが求められているのではないか。その場合には、最低投票率のようなこの種の制度を設けるということはそれの趣旨に従っているというふうに考えます。
それと、あと棄権を意思表示としてどう見るかという問題ですが、これはどういう理由で投票所に足が向かなかったかは、これはおよそ判読不可能なことだろうと思います。結果として外形的に表示されるその意味というのは、要するに、その方々はこの問題は今判断したくないという意思表示をしたのだというふうに理解せざるを得ない。そういう人が多いということは、これ正に、今、国民にこの問題を問う機が熟していないというふうな評価もなし得る場面ではないか。仮に六〇%、七〇%の方が投票所に足を運ばなかったような場合は、機が熟していないというふうに判断するようなことが政治をつかさどる方々には求められるのではないか、そういう場面が出てくるのではないかというふうに考えます。
この発言だけを見る →まず、憲法で定めることの意味についてですが、確かに諸外国を見れば、憲法で定めている憲法を持っている、そういう国もあるようです。しかし、そのことから憲法で定めなければいけないという理屈が出てくるかどうか、これについては、私は先ほど申したようにならないだろうという考えでいます。
憲法の下での法律は、憲法の原理にのっとった、この場合であれば国民主権原理にのっとった法律を作ればいいことでありまして、そして憲法改正国民投票の場合はできる限り国民の神聖な意思の帰結がこの投票で示されることが求められているのではないか。その場合には、最低投票率のようなこの種の制度を設けるということはそれの趣旨に従っているというふうに考えます。
それと、あと棄権を意思表示としてどう見るかという問題ですが、これはどういう理由で投票所に足が向かなかったかは、これはおよそ判読不可能なことだろうと思います。結果として外形的に表示されるその意味というのは、要するに、その方々はこの問題は今判断したくないという意思表示をしたのだというふうに理解せざるを得ない。そういう人が多いということは、これ正に、今、国民にこの問題を問う機が熟していないというふうな評価もなし得る場面ではないか。仮に六〇%、七〇%の方が投票所に足を運ばなかったような場合は、機が熟していないというふうに判断するようなことが政治をつかさどる方々には求められるのではないか、そういう場面が出てくるのではないかというふうに考えます。
野
芝
芝博一#15
○芝博一君 民主党の芝博一でございます。
まずもって、私からも五十嵐参考人、そして小澤参考人に、大変お忙しい中を御出席いただきましたことを感謝を申し上げたいと、こう思っております。
本来ならば、私どもの委員会、国会の中ではいろんな形で参考人の皆さん方から御意見をいただくわけでありますけれども、各党若しくは与党、野党、いろんな形の中でいろんな立場の専門の先生方の御意見、さらには国民の皆さん方の御意見を聴かせていただくという形で、本来は今日も四人の予定をされていたわけでありますけれども、残念ながら与党側の参考人の皆さん方が御出席をいただいておりません。大変残念ではありますけれども、私から、そんな中でお越しをいただきました先生方に感謝を申し上げて質問をさせていただきたいと、こう思いますが。
いろんな形で先生方から御指摘をいただきました。正に、この手続法が多くの問題を含んでいることは重々承知をした上で、その上で御質問させていただきたいと思いますが、根本的に、原則的に、これまでこの憲法に定められている国民投票の手続法が六十年間本格的に議論をされてきませんでした。このことについて、その背景とか要因はどんなことがあったんだろうか、具体的にまとめて端的に先生方のお考えをお聞きをしたいと思います。
この発言だけを見る →まずもって、私からも五十嵐参考人、そして小澤参考人に、大変お忙しい中を御出席いただきましたことを感謝を申し上げたいと、こう思っております。
本来ならば、私どもの委員会、国会の中ではいろんな形で参考人の皆さん方から御意見をいただくわけでありますけれども、各党若しくは与党、野党、いろんな形の中でいろんな立場の専門の先生方の御意見、さらには国民の皆さん方の御意見を聴かせていただくという形で、本来は今日も四人の予定をされていたわけでありますけれども、残念ながら与党側の参考人の皆さん方が御出席をいただいておりません。大変残念ではありますけれども、私から、そんな中でお越しをいただきました先生方に感謝を申し上げて質問をさせていただきたいと、こう思いますが。
いろんな形で先生方から御指摘をいただきました。正に、この手続法が多くの問題を含んでいることは重々承知をした上で、その上で御質問させていただきたいと思いますが、根本的に、原則的に、これまでこの憲法に定められている国民投票の手続法が六十年間本格的に議論をされてきませんでした。このことについて、その背景とか要因はどんなことがあったんだろうか、具体的にまとめて端的に先生方のお考えをお聞きをしたいと思います。
五
五十嵐敬喜#16
○参考人(五十嵐敬喜君) 少し観点を変えて言いますと、日本は余りにも中央集権国家で、国民の意思を問うということについて無関心過ぎたし、そのことについて国家も自覚的でなかったと。いろんな場面で国民の意思を聴くことを、単なる参考人とかという形ではなくて、いろんな形で聴いた方がよかったと思います。その方法として、例えば国民投票というようなものもいろんな形で、憲法だけではなくてやるべきであったし、地方自治体でも住民投票などの国民が政治に参加する、具体的に参加する方法をやるべきだったと思います。
この議論がなぜうまくいかないかというと、中央集権という以外にやっぱり議会の保守性というのがありまして、何かその立法権が国民に移るとそれは議会の軽視につながるという議論がありまして、こういうある種の議会の権威主義もその中央集権的なことと重なってこういう事態を生んだと私は理解しています。だから、そういう意味で言えば、こういう形で遅きに失したって国民投票法の論点がきちんと議論されることは非常にいいことだと。六十年掛かったのはちょっと残念ですけれども、私はそう思っています。
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小
小澤隆一#17
○参考人(小澤隆一君) 今まで議論されなかったことについて、私が憲法研究者として戦後の憲法政治の歴史を少し考えてみますと、まず日本国憲法が制定されて数年たつと憲法九条を変える変えないの議論が始まります。そして、五〇年代の半ばには、先ほど申しましたように、自治庁が投票法案を作りながらも、しかしそれは閣議で決定するまでには至らないような、そういう状況がやってまいります。実際の憲法の明文改憲論議が起こる、そういう時代です。ところが、この一九五〇年代の明文改憲の動向が一段落しますと、今度は歴代政府は解釈による憲法運用の変更という、こういうことをやるようになります。六〇年代、七〇年代辺りは、自分の任期中には憲法改正はしないというふうに総理も明言されるような、こういう状況になります。そういう状況の中ではこの手続法をあえて作ろうという議論は沸き起こらなかったというのは不自然ではないというふうに理解をしております。
この発言だけを見る →芝
芝博一#18
○芝博一君 ありがとうございます。
続きまして、今参考人の皆さん方お二方も御発言いただきましたように、今こうして手続法が議論されている背景には政治的な発言なり主導があってと、こういう趣旨の御発言もございました。そのことはおいておいて、今の日本の現状の中で、そして流れの中で、歴史の中で、参考人の皆さん方は個々には改めて、今この憲法改正につながる、また憲法改正ありきの手続法の議論が必要だと考えてみえるかどうかということの御自身のお考えを端的にお述べください。
この発言だけを見る →続きまして、今参考人の皆さん方お二方も御発言いただきましたように、今こうして手続法が議論されている背景には政治的な発言なり主導があってと、こういう趣旨の御発言もございました。そのことはおいておいて、今の日本の現状の中で、そして流れの中で、歴史の中で、参考人の皆さん方は個々には改めて、今この憲法改正につながる、また憲法改正ありきの手続法の議論が必要だと考えてみえるかどうかということの御自身のお考えを端的にお述べください。
五
五十嵐敬喜#19
○参考人(五十嵐敬喜君) 端的に言いまして、私自身は現在の憲法改正論議と併せて憲法国民投票法を考えること、もう連動することについては反対です。むしろ切り離してニュートラルなものとして作るべきであるというものです。
この発言だけを見る →小
小澤隆一#20
○参考人(小澤隆一君) 先ほど来申しましているように、憲法改正の手続を定めるこの法律は憲法原理にのっとったそういうものにふさわしいものとしてしっかりとしたものを作るべきである、そのためには多少の年数が掛かってもそれはいいのではないか、このように考えています。
この発言だけを見る →芝
芝博一#21
○芝博一君 ありがとうございます。
先生方も今、衆議院の状況、そしてこの参議院の状況もいろんな形で情報としてまたお知りをいただいているものとお考えをいただいております。その中で大切なことは、憲法の基本は国民主権であります。すなわち、それは国民のより多数の声が反映をされる、そして意見が届けられるというのが大原則だろうと、こう思っております。
そういう原則を踏まえた上で、これまでの衆議院の審議の状況、運営のされ方、そしてこの参議院での審議の状況、運営のされ方等、先生方から見られまして、国民の声、そしてすなわち民意が、多数の民意が十分に反映をされている、届いているとお考えかどうか、その点についてお答えください。
この発言だけを見る →先生方も今、衆議院の状況、そしてこの参議院の状況もいろんな形で情報としてまたお知りをいただいているものとお考えをいただいております。その中で大切なことは、憲法の基本は国民主権であります。すなわち、それは国民のより多数の声が反映をされる、そして意見が届けられるというのが大原則だろうと、こう思っております。
そういう原則を踏まえた上で、これまでの衆議院の審議の状況、運営のされ方、そしてこの参議院での審議の状況、運営のされ方等、先生方から見られまして、国民の声、そしてすなわち民意が、多数の民意が十分に反映をされている、届いているとお考えかどうか、その点についてお答えください。
五
五十嵐敬喜#22
○参考人(五十嵐敬喜君) 私の大学で学生にこの国民投票の、参考になるかどうかは別にしまして話したことがあります。ほとんど投票法については知りません。それから、二十歳か十八歳がいいかなんという非常に身近なところですね。これはどこで区分かというと、学生に言わせると大学生か高校生かで区分するらしいんですけれども、これ高校生に与えていいかどうかについていろんな意見があるということも分かりました。
総じて、私のところは政治学科であります、政治学科の学生ですらほとんど知らないという状況でありまして、審議としては極めて不十分と私は思っています。
この発言だけを見る →総じて、私のところは政治学科であります、政治学科の学生ですらほとんど知らないという状況でありまして、審議としては極めて不十分と私は思っています。
小
小澤隆一#23
○参考人(小澤隆一君) 何をもって国民の世論と取るかというのはこれは難しい問題ですが、例えば私の見聞きしているところでは、私が前回衆議院で公述人として出席させていただいたときには、公述人の半数以上の方が慎重審議を求めていらした、これも一つの民意かと思います。それと新聞などの世論調査で、例えば朝日新聞の世論調査で、七割でしたか八割でしたか、それぐらいの数で最低投票率の制度は設けるべきだというこのような回答が返ってきている、これも一つの世論ではないか。
こういった声に対してどこまで憲法原理の、基礎から審議をされているのか、その点についてはやはり私は先ほど申したようにまだまだ十分ではないというふうに考えております。
この発言だけを見る →こういった声に対してどこまで憲法原理の、基礎から審議をされているのか、その点についてはやはり私は先ほど申したようにまだまだ十分ではないというふうに考えております。
芝
芝博一#24
○芝博一君 ありがとうございます。
今、小澤参考人からも、衆議院でも参考人として意見陳述をいただいたと、こういう経験もおありでございます。五十嵐先生は初めてだとお聞きをしております。
そんな中ではありますけれども、参考人の制度また公聴会、今日午後も地方での公聴会が開かれるわけでありますけれども、より広く国民の声、専門的な声を聴かせていただこうと、これが趣旨であります。ところが、特に小澤参考人は一度経験をいただいておりますけれども、この憲法特の委員会の審議過程において、参考人の先生方はその意見や声が反映されているとお考えでしょうか。その点についてお述べをいただけませんでしょうか。
この発言だけを見る →今、小澤参考人からも、衆議院でも参考人として意見陳述をいただいたと、こういう経験もおありでございます。五十嵐先生は初めてだとお聞きをしております。
そんな中ではありますけれども、参考人の制度また公聴会、今日午後も地方での公聴会が開かれるわけでありますけれども、より広く国民の声、専門的な声を聴かせていただこうと、これが趣旨であります。ところが、特に小澤参考人は一度経験をいただいておりますけれども、この憲法特の委員会の審議過程において、参考人の先生方はその意見や声が反映されているとお考えでしょうか。その点についてお述べをいただけませんでしょうか。
五
五十嵐敬喜#25
○参考人(五十嵐敬喜君) 私は、この委員会は初めてですが、ほかにも参考人として出席をさせていただいたことはございます。
それで、簡単に率直に感想を申し上げますと、ここにいることは心地よくありません。これはもう明らかに出来レースで、言わば何かセレモニーとしていつも行われている感じがいたします。現に、この投票法についてもいろんな報道がありますが、もうあしたにはここで決議すると、それから来週にはもう本会議で決議するということになっています。私たちの意見というのはどこでどのように参考にされているのか全く分かりません。そういう意味でいえば心地よくない感じがいたします。
むしろエチケットとかありまして、やっぱりここでちゃんとみんな参考人はそれぞれの立場で、意見はいろいろありますけれども、述べていますので、例えば各議員、各政党に持ち帰って、こういうことについてどう考えるかということをもう一回審議に反映して、それで決議していくというプロセスを通すべきだと私は思います。
この発言だけを見る →それで、簡単に率直に感想を申し上げますと、ここにいることは心地よくありません。これはもう明らかに出来レースで、言わば何かセレモニーとしていつも行われている感じがいたします。現に、この投票法についてもいろんな報道がありますが、もうあしたにはここで決議すると、それから来週にはもう本会議で決議するということになっています。私たちの意見というのはどこでどのように参考にされているのか全く分かりません。そういう意味でいえば心地よくない感じがいたします。
むしろエチケットとかありまして、やっぱりここでちゃんとみんな参考人はそれぞれの立場で、意見はいろいろありますけれども、述べていますので、例えば各議員、各政党に持ち帰って、こういうことについてどう考えるかということをもう一回審議に反映して、それで決議していくというプロセスを通すべきだと私は思います。
小
小澤隆一#26
○参考人(小澤隆一君) 参考人も自分の意見をつくるにはそれなりの情報と時間が必要だと思います。私は衆議院の公述人として出席したときはそれなりの時間を確保していただきましたが、しかし地方公聴会などではその日の朝に資料が届くという、こういうような方も公述人でいらしたそうです。このようなやり方では、私は、せっかく呼んでいただいた公述人の皆さんも十分な準備をできずに公述をなさっているのではないかというふうに危惧をいたします。こういったやはり運営の仕方は改めていただければというふうに考えております。
この発言だけを見る →芝
芝博一#27
○芝博一君 私は今までの状況から先生方にお聞きをしたわけでありますけれども、御存じのように、実は今日もこれから地方の公聴会が二か所で開かれて、どうも明日は最終的な採決に入る、そんな申出があるようでございます。
改めて、本当にこの参考人制度、そして公聴会制度というのを国会自体としても考えなければならないと私自身は思っているわけでありますけれども、あえて先生方からも御指摘をいただきまして、大変参考に、勉強にさせていただきたいと、こう思っております。
そこで、今日の一つのテーマであります最低投票率の問題でありますけれども、この件については、与党案も私ども民主党案もいろんな形で提出をさせていただいております。
その議論は別といたしまして、実は先生方も御存じのように、世の中のいろんな動向、政治の状況も含め、国民の考えを含めて、世論の調査、すなわちアンケートの調査というのが種々雑多に行われております。その中で一番のポイントは、このテーマに対して賛成ですよ、反対ですよ、もう一つは分かりません、若しくは棄権という部分の中に、これだけでは世論調査、アンケートというのは本当に真実の声を吸い上げられない。だから、どちらかといえば賛成、どちらかといえば反対という、必ずこの項目を入れる。これは世論調査やアンケート調査の原則であり基本だと、このように私ども理解しておりますし、学界ではそのように通っていると聞いております。
ところが、今回の投票制度でいきますと、投票用紙に、憲法改正の条項について賛成か反対か、それにマルを付ける、二つしかないと。この部分であって、国民の皆さん方が、どちらかといえば賛成、どちらかといえば反対、この部分の表記が全然できない、こんな状況になっております。もう一つは白紙で出すしかない。この部分で、改めて国民主権である皆さん方の民意を十分に反映できるのか。私は、賛成でもないけれどもどちらかといえば、反対でもないけれどもどちらかといえば反対という部分、その皆さん方が動向的には白紙で投票されるということが危惧をされるわけであります。すなわち、それは無効票になってしまって、有効票としてはカウントされないという今の法案になっています。
この部分について、先生方のお考えと御意見をいただきたいと思います。
この発言だけを見る →改めて、本当にこの参考人制度、そして公聴会制度というのを国会自体としても考えなければならないと私自身は思っているわけでありますけれども、あえて先生方からも御指摘をいただきまして、大変参考に、勉強にさせていただきたいと、こう思っております。
そこで、今日の一つのテーマであります最低投票率の問題でありますけれども、この件については、与党案も私ども民主党案もいろんな形で提出をさせていただいております。
その議論は別といたしまして、実は先生方も御存じのように、世の中のいろんな動向、政治の状況も含め、国民の考えを含めて、世論の調査、すなわちアンケートの調査というのが種々雑多に行われております。その中で一番のポイントは、このテーマに対して賛成ですよ、反対ですよ、もう一つは分かりません、若しくは棄権という部分の中に、これだけでは世論調査、アンケートというのは本当に真実の声を吸い上げられない。だから、どちらかといえば賛成、どちらかといえば反対という、必ずこの項目を入れる。これは世論調査やアンケート調査の原則であり基本だと、このように私ども理解しておりますし、学界ではそのように通っていると聞いております。
ところが、今回の投票制度でいきますと、投票用紙に、憲法改正の条項について賛成か反対か、それにマルを付ける、二つしかないと。この部分であって、国民の皆さん方が、どちらかといえば賛成、どちらかといえば反対、この部分の表記が全然できない、こんな状況になっております。もう一つは白紙で出すしかない。この部分で、改めて国民主権である皆さん方の民意を十分に反映できるのか。私は、賛成でもないけれどもどちらかといえば、反対でもないけれどもどちらかといえば反対という部分、その皆さん方が動向的には白紙で投票されるということが危惧をされるわけであります。すなわち、それは無効票になってしまって、有効票としてはカウントされないという今の法案になっています。
この部分について、先生方のお考えと御意見をいただきたいと思います。
五
五十嵐敬喜#28
○参考人(五十嵐敬喜君) 非常に悩ましい論点だと私は思います。
ただし、この国民投票の結果は直ちに法的拘束力を持ちます。その際に、やっぱりやや賛成、やや反対というのをどうアカウントするかということをだれが解釈するかというような形のあいまいさを残すことは良くないということだと私は思います。白票はやっぱり有効ではないので、やっぱり有効投票の過半数というので、どこかでこれは腹をくくらないと永遠に議論は決着しないと私は思っております。
この発言だけを見る →ただし、この国民投票の結果は直ちに法的拘束力を持ちます。その際に、やっぱりやや賛成、やや反対というのをどうアカウントするかということをだれが解釈するかというような形のあいまいさを残すことは良くないということだと私は思います。白票はやっぱり有効ではないので、やっぱり有効投票の過半数というので、どこかでこれは腹をくくらないと永遠に議論は決着しないと私は思っております。
小
小澤隆一#29
○参考人(小澤隆一君) どちらかといえばという項目を設けるかどうかですが、予備的な諮問投票とか、あるいは予備的でなくても結構なんですけれども、ともかく諮問投票のような場合にはそういう項目を立てるということは一つの選択肢としてあり得るかもしれませんが、しかし、拘束的な国民投票あるいは住民投票の制度をつくった場合には、恐らくそういう書き方はできないだろうというふうに考えます。
しかも、果たして予備的諮問投票あるいは諮問投票の場合に、その後には今度は何らかの法的な決定を控えているというふうなことを考えるとしますと、そのアンケートをどう読むかというのもこれもなかなか悩ましい問題が出てくるのではないかと思います。
今のどちらかといえばというのは、やはり社会科学の、社会学、社会調査学の世界では有効かと思いますが、余りこの種の制度の中では制度設計としては適切ではないのではないかというふうに、そんな個人的な印象を持っております。
この発言だけを見る →しかも、果たして予備的諮問投票あるいは諮問投票の場合に、その後には今度は何らかの法的な決定を控えているというふうなことを考えるとしますと、そのアンケートをどう読むかというのもこれもなかなか悩ましい問題が出てくるのではないかと思います。
今のどちらかといえばというのは、やはり社会科学の、社会学、社会調査学の世界では有効かと思いますが、余りこの種の制度の中では制度設計としては適切ではないのではないかというふうに、そんな個人的な印象を持っております。