憲法審査会
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会
会議録情報#0
平成二十八年十一月十六日(水曜日)
午後一時開会
─────────────
委員の異動
十月十二日
辞任 補欠選任
河野 義博君 谷合 正明君
十一月十日
辞任 補欠選任
和田 政宗君 中山 恭子君
十一月十五日
辞任 補欠選任
有村 治子君 こやり隆史君
山谷えり子君 宮島 喜文君
大野 元裕君 石橋 通宏君
徳永 エリ君 平山佐知子君
浜口 誠君 古賀 之士君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 柳本 卓治君
幹 事
岡田 直樹君
古賀友一郎君
中川 雅治君
舞立 昇治君
小西 洋之君
白 眞勲君
西田 実仁君
仁比 聡平君
浅田 均君
委 員
足立 敏之君
阿達 雅志君
愛知 治郎君
磯崎 仁彦君
北村 経夫君
こやり隆史君
高野光二郎君
滝波 宏文君
塚田 一郎君
堂故 茂君
中曽根弘文君
二之湯 智君
西田 昌司君
古川 俊治君
松川 るい君
宮島 喜文君
山下 雄平君
石橋 通宏君
古賀 之士君
那谷屋正義君
野田 国義君
平山佐知子君
福山 哲郎君
藤末 健三君
伊藤 孝江君
魚住裕一郎君
佐々木さやか君
谷合 正明君
吉良よし子君
山添 拓君
片山 大介君
福島みずほ君
松沢 成文君
中山 恭子君
事務局側
憲法審査会事務
局長 森本 昭夫君
─────────────
本日の会議に付した案件
○日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基
本法制に関する調査
(憲法に対する考え方について)
─────────────
この発言だけを見る →午後一時開会
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委員の異動
十月十二日
辞任 補欠選任
河野 義博君 谷合 正明君
十一月十日
辞任 補欠選任
和田 政宗君 中山 恭子君
十一月十五日
辞任 補欠選任
有村 治子君 こやり隆史君
山谷えり子君 宮島 喜文君
大野 元裕君 石橋 通宏君
徳永 エリ君 平山佐知子君
浜口 誠君 古賀 之士君
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出席者は左のとおり。
会 長 柳本 卓治君
幹 事
岡田 直樹君
古賀友一郎君
中川 雅治君
舞立 昇治君
小西 洋之君
白 眞勲君
西田 実仁君
仁比 聡平君
浅田 均君
委 員
足立 敏之君
阿達 雅志君
愛知 治郎君
磯崎 仁彦君
北村 経夫君
こやり隆史君
高野光二郎君
滝波 宏文君
塚田 一郎君
堂故 茂君
中曽根弘文君
二之湯 智君
西田 昌司君
古川 俊治君
松川 るい君
宮島 喜文君
山下 雄平君
石橋 通宏君
古賀 之士君
那谷屋正義君
野田 国義君
平山佐知子君
福山 哲郎君
藤末 健三君
伊藤 孝江君
魚住裕一郎君
佐々木さやか君
谷合 正明君
吉良よし子君
山添 拓君
片山 大介君
福島みずほ君
松沢 成文君
中山 恭子君
事務局側
憲法審査会事務
局長 森本 昭夫君
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本日の会議に付した案件
○日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基
本法制に関する調査
(憲法に対する考え方について)
─────────────
柳
柳本卓治#1
○会長(柳本卓治君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。
日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する調査を議題といたします。
本日は、通常選挙後初めての調査となりますので、会派の構成等が変わったことを踏まえまして、憲法に対する考え方について意見交換を行います。
本日の全ての御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず各会派一名ずつ、各七分以内で御意見を順次お述べいただきたいと存じます。
中川雅治君。
この発言だけを見る →日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する調査を議題といたします。
本日は、通常選挙後初めての調査となりますので、会派の構成等が変わったことを踏まえまして、憲法に対する考え方について意見交換を行います。
本日の全ての御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず各会派一名ずつ、各七分以内で御意見を順次お述べいただきたいと存じます。
中川雅治君。
中
中川雅治#2
○中川雅治君 自由民主党の中川雅治でございます。
憲法とは、いかなる政党が政権に就いたとしても守らなければならない共通のルールを定めた国家の基本であり、したがいまして、憲法論議は、各政党が選挙で政権を目指し、政策を推進する活動、すなわち政局とは本質が異なるものであります。
このような考え方から、これまで国会の憲法審査会及びこれに先立つ憲法調査会における議論も、各党の意見表明や委員同士の自由討議を中心にするとともに、少数会派等にも十分に時間配分を行って議論を尽くし、憲法改正に必要な三分の二以上の幅広い合意形成を目指すとの基本理念に基づいて行われてきたと私は認識いたしております。そして、このような憲法調査会及び憲法審査会での議論の積み重ねが、平成十九年の憲法改正国民投票法の制定や一昨年のいわゆる三つの宿題の解決といった成果に結び付いたものと考えます。
自由民主党は、昭和三十年の結党以来、憲法論議を積み重ねてまいりました。その間、我が党は、日本国憲法の国民主権、平和主義、基本的人権の尊重といった基本原理を堅持することを明確にした上で、一貫してその基本を大切に、自主的な憲法改正に向けて努力を重ね、平成十七年の新憲法草案、平成二十四年の日本国憲法改正草案といった党の公式文書を公表してまいりました。
しかし、平成二十四年草案公表以降、議院の構成も変わり、内外から多くの意見も出されておりまして、党内で今後とも議論を重ねて憲法改正の考え方を更に整理する必要があると考えております。このような状況の下、私は、今回改めて憲法改正の必要性に関しまして、以下の点を指摘したいと思います。
第一は、現行憲法には制定過程の問題があります。
現行憲法は、連合国軍の占領下において同司令部が作成した草案を基に、その了解の範囲において制定されたものであります。しかしながら、GHQとの交渉過程において日本国政府による検討と修正も相当程度盛り込まれている、あるいは、衆議院、貴族院両院における審議過程で相当程度の修正がなされた、さらに、憲法は制定以来国民の間に定着しているといったこと等からGHQが関与した事実ばかりを強調すべきではないとの意見も多いことは承知しておりますが、現行憲法は日本国の主権が制限された中で制定され、国民の自由な意思が十分に反映されたとは言い難いことは事実であると考えます。
第二は、現行憲法の内容自体に多くの問題があるということであります。
前文に関しては様々な問題が指摘されております。憲法第九条の規定では自衛隊の位置付けが明確でなく、自衛権の否定とも取られかねないと言われております。また、緊急事態に対処する規定の新設の必要性も指摘されています。このほかにも環境保全の責務、犯罪被害者等への配慮など新しい人権、財政の健全性、選挙制度、地方自治、私学助成など、改正すべき条文、新たに設ける必要のある条文があること等、多くの課題が指摘されております。
第三は、国民の意識、民意の変化であります。
自民党は、平成二十四年の日本国憲法改正草案発表後の総選挙で政権に返り咲き、翌平成二十五年夏の参議院通常選挙においても第一党の地位を回復いたしました。さらに、一昨年の衆議院選挙、本年の参議院選挙の結果、憲法改正を是とする立場の方がそれぞれ両院の総議員の三分の二を超えるに至っております。
このような選挙結果の背景には、不安定な国際社会や東日本大震災など国内外の情勢の激動による国民意識の変化があるのではないかと思います。国民は、今のままの憲法では自分自身や自分の家族、地域や国家を十分に守ることができないのではないかと考え始めているのではないでしょうか。このような国民の民意に応えることこそ、国会議員の責務と考えます。
以上、現行憲法の制定過程の問題、不十分な現行憲法の内容、民意の変化の三点から、私は自主的な憲法改正はまさに国政の重要な課題となっていると考えます。
安倍総理大臣も、今国会の所信表明において、憲法改正案を国民に提示することは国会議員の責任であると指摘されました。参議院憲法審査会も、この重要な課題に応えるべく審議を加速させていくべきであると考えます。そして、その際、何よりも重要なことは、当然のことでありますが、国民の広範な合意形成であり、国会は国民の意向に即した分かりやすく明快な発議をすることが必要であると考えます。
そのため、本審査会において、各党各会派が意見を持ち寄って、現憲法の足らざる点や改めるべき点など憲法改正の必要性とその内容について熟議を重ね、我が国初めての憲法改正が世界の国々にも理解されるよう丁寧な合意形成を図ってまいりたいと考えております。
以上、自主的な憲法改正の必要性につきまして意見を申し述べさせていただきました。
この発言だけを見る →憲法とは、いかなる政党が政権に就いたとしても守らなければならない共通のルールを定めた国家の基本であり、したがいまして、憲法論議は、各政党が選挙で政権を目指し、政策を推進する活動、すなわち政局とは本質が異なるものであります。
このような考え方から、これまで国会の憲法審査会及びこれに先立つ憲法調査会における議論も、各党の意見表明や委員同士の自由討議を中心にするとともに、少数会派等にも十分に時間配分を行って議論を尽くし、憲法改正に必要な三分の二以上の幅広い合意形成を目指すとの基本理念に基づいて行われてきたと私は認識いたしております。そして、このような憲法調査会及び憲法審査会での議論の積み重ねが、平成十九年の憲法改正国民投票法の制定や一昨年のいわゆる三つの宿題の解決といった成果に結び付いたものと考えます。
自由民主党は、昭和三十年の結党以来、憲法論議を積み重ねてまいりました。その間、我が党は、日本国憲法の国民主権、平和主義、基本的人権の尊重といった基本原理を堅持することを明確にした上で、一貫してその基本を大切に、自主的な憲法改正に向けて努力を重ね、平成十七年の新憲法草案、平成二十四年の日本国憲法改正草案といった党の公式文書を公表してまいりました。
しかし、平成二十四年草案公表以降、議院の構成も変わり、内外から多くの意見も出されておりまして、党内で今後とも議論を重ねて憲法改正の考え方を更に整理する必要があると考えております。このような状況の下、私は、今回改めて憲法改正の必要性に関しまして、以下の点を指摘したいと思います。
第一は、現行憲法には制定過程の問題があります。
現行憲法は、連合国軍の占領下において同司令部が作成した草案を基に、その了解の範囲において制定されたものであります。しかしながら、GHQとの交渉過程において日本国政府による検討と修正も相当程度盛り込まれている、あるいは、衆議院、貴族院両院における審議過程で相当程度の修正がなされた、さらに、憲法は制定以来国民の間に定着しているといったこと等からGHQが関与した事実ばかりを強調すべきではないとの意見も多いことは承知しておりますが、現行憲法は日本国の主権が制限された中で制定され、国民の自由な意思が十分に反映されたとは言い難いことは事実であると考えます。
第二は、現行憲法の内容自体に多くの問題があるということであります。
前文に関しては様々な問題が指摘されております。憲法第九条の規定では自衛隊の位置付けが明確でなく、自衛権の否定とも取られかねないと言われております。また、緊急事態に対処する規定の新設の必要性も指摘されています。このほかにも環境保全の責務、犯罪被害者等への配慮など新しい人権、財政の健全性、選挙制度、地方自治、私学助成など、改正すべき条文、新たに設ける必要のある条文があること等、多くの課題が指摘されております。
第三は、国民の意識、民意の変化であります。
自民党は、平成二十四年の日本国憲法改正草案発表後の総選挙で政権に返り咲き、翌平成二十五年夏の参議院通常選挙においても第一党の地位を回復いたしました。さらに、一昨年の衆議院選挙、本年の参議院選挙の結果、憲法改正を是とする立場の方がそれぞれ両院の総議員の三分の二を超えるに至っております。
このような選挙結果の背景には、不安定な国際社会や東日本大震災など国内外の情勢の激動による国民意識の変化があるのではないかと思います。国民は、今のままの憲法では自分自身や自分の家族、地域や国家を十分に守ることができないのではないかと考え始めているのではないでしょうか。このような国民の民意に応えることこそ、国会議員の責務と考えます。
以上、現行憲法の制定過程の問題、不十分な現行憲法の内容、民意の変化の三点から、私は自主的な憲法改正はまさに国政の重要な課題となっていると考えます。
安倍総理大臣も、今国会の所信表明において、憲法改正案を国民に提示することは国会議員の責任であると指摘されました。参議院憲法審査会も、この重要な課題に応えるべく審議を加速させていくべきであると考えます。そして、その際、何よりも重要なことは、当然のことでありますが、国民の広範な合意形成であり、国会は国民の意向に即した分かりやすく明快な発議をすることが必要であると考えます。
そのため、本審査会において、各党各会派が意見を持ち寄って、現憲法の足らざる点や改めるべき点など憲法改正の必要性とその内容について熟議を重ね、我が国初めての憲法改正が世界の国々にも理解されるよう丁寧な合意形成を図ってまいりたいと考えております。
以上、自主的な憲法改正の必要性につきまして意見を申し述べさせていただきました。
柳
白
白眞勲#4
○白眞勲君 民進党・新緑風会の白眞勲でございます。
会派を代表いたしまして、本日議題であります憲法に対する考え方について発言させていただきます。
我が民進党の結党宣言では、「自国の安全と世界平和をどのように実現するかが問われる中、憲法の平和主義がないがしろにされ、立憲主義が揺らいでいる。」との危機感が示されています。
そして、綱領においては、私たちの目指すもののトップとして自由と民主主義に立脚した立憲主義を守ることを掲げ、「私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を堅持し、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。象徴天皇制のもと、新しい人権、統治機構改革など時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想する。」としています。
さらに、綱領を踏まえて作られた民進党政策集二〇一六における憲法の基本姿勢では、憲法と、それがよって立つ立憲主義との関係について、「憲法は、主権者である国民が国を成り立たせるに際し、国家権力の行使について統治機構の在り方を定めたうえで一定の権限を与えると同時に、その権限の行使が国民の自由や権利を侵害することのないよう制約を課すものであって、時の権力が自らの倫理観を国民に押しつけるものではない」と明確に述べています。
その一方で、安倍内閣や与党議員からは、立憲主義とは政府を縛るものであるとの、この言わば世界常識とも言える認識に対して、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方といった主張や、昔からある学説なのでしょうかといった主張などがなされていますが、こうした政府・与党の主張は、立憲主義を理解していない無知から来るものであると思わざるを得ません。しかも、単に無知で済む話ではなく、政府・与党のこうした批判は立憲主義の危機であり、国民の危機と言うべきものであります。
このような未曽有の危機に対して、我が民進党は「自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。」との決意を表明し、国民に約束をしているのです。
また、自民党は平成二十二年の綱領に、「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」という項目を設け、平成二十四年四月には日本国憲法改正草案を発表しておりますが、この草案を見ると、改正十三条など、基本的人権を公益及び公の秩序で制約した上で、基本的人権が永久の権利であることをうたった憲法九十七条を削除し、さらには、前文の平和主義を全て削除するなど、立憲主義や憲法の基本原理そのものを否定する内容を中心に、そのほとんど全ての項目について改正案を提示しています。
新しい憲法を作るんだ、全ての項目についてこのような改正が必要なんだとする自民党の姿勢を見ると、自民党は現行憲法を評価せず、むしろ否定しているのではないか、現行憲法を破棄したいのではないかと疑問に感じます。自民党の議員の多くが押し付け憲法論を声高に主張するのもその証左ではないでしょうか。
なお、憲法は主権者である国民のものであり、自民党の改正草案のような、基本原理をも含めた憲法の全部改正の発議を国会が行う権限は憲法のどこにも見出すことができないのであります。
我が民進党は、現行憲法は戦後日本の発展と平和国家構築に多大なる貢献をしてきたと考えており、さらに、今後も現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の理念は国民の生命、自由、権利、財産を守る上で不可欠であり、果たすべき大きな役割があると認識しております。このような現行憲法の三つの理念のうち、特に平和主義については、民進党結党宣言にもあるように、立憲主義と同様、強い危機感を持っております。
そのため、さきの参議院通常選挙の選挙公約である国民との約束の中で、憲法の平和主義を守る重点政策として、一、昨年成立した安全保障法制を白紙化します、二、平和主義を脅かす憲法九条の改正に反対しますなどの約束を国民とさせていただきました。
その中でも、安全保障法制については、「現政権は意図的・便宜的に憲法解釈を変更し、あいまいな要件で集団的自衛権の行使を認めました。このことは、憲法で国民が国家権力の行き過ぎに歯止めをかける立憲主義と、憲法九条の平和主義を揺るがすものです。絶対に認められません。昨年成立した安保法制の白紙撤回を求めます。」としています。
特に、この集団的自衛権の解釈変更は、いわゆる昭和四十七年政府見解の恣意的な読替えという、法解釈ではない単なる不正の手口によるものであることが安保国会で完全に立証されていると感じます。
つまり、安倍内閣は、解釈変更の唯一の合憲の根拠として、昭和四十七年政府見解の中に限定的な集団的自衛権行使を容認する憲法九条解釈の基本的な論理が明確に示されていると主張していますが、この見解の作成者である吉國一郎内閣法制局長官による、作成契機となった僅か三週間前の、憲法九条の下では個別的自衛権しか行使できず、集団的自衛権行使は違憲との国会答弁などからは、どこをどう読んでも安倍内閣の読替えは正当化し得ないのであります。
この点、安保国会においては、濱田邦夫元最高裁判所判事が、日本語を普通に理解する人のみならず、法律的訓練を受けた専門家から見たならば、とてもそのような読み方はできない、読みたい人がそう読んでいるだけであって、裁判所に行って通るかといえば、通らない、法匪というあしき例であるなどと陳述し、宮崎礼壹元内閣法制局長官においても、黒を白と言いくるめる類いなどと述べ、それぞれ明確に違憲と断じているのであります。
ここで先輩、同僚議員の皆様に申し上げます。
私たち全国会議員は、憲法九十九条によって憲法尊重擁護義務を負っています。そして、国会法百二条の六は、憲法審査会の役割を、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行うとしています。すなわち、我が国の憲法審査会は、改憲の議論の前に、そもそも憲法違反や立憲主義、法の支配の在り方を調査する委員会でなければならないのであります。
この点、自民党及び公明党も賛成の上、成立した平成二十六年六月十一日の我が参議院憲法審査会の附帯決議第一項及び第二項については、立憲主義及び国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義の基本原理に基づいて徹底的に審議を尽くすと明記し、これら憲法と国会法の条項の趣旨を我が審査会の任務として明記しているのであります。
法解釈ではない不正の手口による解釈変更とそれに基づく安保法制を放置して、我が憲法審査会が改憲の議論を行うことは絶対に許されません。私は、良識の府、参議院の存立に向けて、我が憲法審査会が国民のための憲法保障機能を全うするよう皆様に呼びかけていくつもりであります。
最後に、我が民進党は、自民党と異なり、現行憲法を高く評価し、その役割は今後ますます重要度が高まると考えています。
しかし、いかなる法も未来永劫に完璧ではありません。時がたつにつれて改めるべき点が生まれることは当然にあり得ます。そのように改めるべき点が生じ、我が憲法審査会において徹底的に審議を尽くした結果、附帯決議第三項にある立法措置によって可能とすることができないとの判断に至ったならば、憲法であっても改正するべきであり、そういう意味で、党綱領において「未来志向の憲法を国民とともに構想する。」と述べ、そうした議論を既に始めています。
まずは現行憲法を正しく評価し、その上で憲法を守ることが今求められていると思います。特に、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の理念は堅持されるべきであり、自由と民主主義を基調とした立憲主義は断固として守るべきこと、そのために憲法審査会で徹底した憲法違反の調査もまた審議を尽くすことを重ねて述べておきます。
以上でございます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →会派を代表いたしまして、本日議題であります憲法に対する考え方について発言させていただきます。
我が民進党の結党宣言では、「自国の安全と世界平和をどのように実現するかが問われる中、憲法の平和主義がないがしろにされ、立憲主義が揺らいでいる。」との危機感が示されています。
そして、綱領においては、私たちの目指すもののトップとして自由と民主主義に立脚した立憲主義を守ることを掲げ、「私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を堅持し、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。象徴天皇制のもと、新しい人権、統治機構改革など時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想する。」としています。
さらに、綱領を踏まえて作られた民進党政策集二〇一六における憲法の基本姿勢では、憲法と、それがよって立つ立憲主義との関係について、「憲法は、主権者である国民が国を成り立たせるに際し、国家権力の行使について統治機構の在り方を定めたうえで一定の権限を与えると同時に、その権限の行使が国民の自由や権利を侵害することのないよう制約を課すものであって、時の権力が自らの倫理観を国民に押しつけるものではない」と明確に述べています。
その一方で、安倍内閣や与党議員からは、立憲主義とは政府を縛るものであるとの、この言わば世界常識とも言える認識に対して、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方といった主張や、昔からある学説なのでしょうかといった主張などがなされていますが、こうした政府・与党の主張は、立憲主義を理解していない無知から来るものであると思わざるを得ません。しかも、単に無知で済む話ではなく、政府・与党のこうした批判は立憲主義の危機であり、国民の危機と言うべきものであります。
このような未曽有の危機に対して、我が民進党は「自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。」との決意を表明し、国民に約束をしているのです。
また、自民党は平成二十二年の綱領に、「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」という項目を設け、平成二十四年四月には日本国憲法改正草案を発表しておりますが、この草案を見ると、改正十三条など、基本的人権を公益及び公の秩序で制約した上で、基本的人権が永久の権利であることをうたった憲法九十七条を削除し、さらには、前文の平和主義を全て削除するなど、立憲主義や憲法の基本原理そのものを否定する内容を中心に、そのほとんど全ての項目について改正案を提示しています。
新しい憲法を作るんだ、全ての項目についてこのような改正が必要なんだとする自民党の姿勢を見ると、自民党は現行憲法を評価せず、むしろ否定しているのではないか、現行憲法を破棄したいのではないかと疑問に感じます。自民党の議員の多くが押し付け憲法論を声高に主張するのもその証左ではないでしょうか。
なお、憲法は主権者である国民のものであり、自民党の改正草案のような、基本原理をも含めた憲法の全部改正の発議を国会が行う権限は憲法のどこにも見出すことができないのであります。
我が民進党は、現行憲法は戦後日本の発展と平和国家構築に多大なる貢献をしてきたと考えており、さらに、今後も現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の理念は国民の生命、自由、権利、財産を守る上で不可欠であり、果たすべき大きな役割があると認識しております。このような現行憲法の三つの理念のうち、特に平和主義については、民進党結党宣言にもあるように、立憲主義と同様、強い危機感を持っております。
そのため、さきの参議院通常選挙の選挙公約である国民との約束の中で、憲法の平和主義を守る重点政策として、一、昨年成立した安全保障法制を白紙化します、二、平和主義を脅かす憲法九条の改正に反対しますなどの約束を国民とさせていただきました。
その中でも、安全保障法制については、「現政権は意図的・便宜的に憲法解釈を変更し、あいまいな要件で集団的自衛権の行使を認めました。このことは、憲法で国民が国家権力の行き過ぎに歯止めをかける立憲主義と、憲法九条の平和主義を揺るがすものです。絶対に認められません。昨年成立した安保法制の白紙撤回を求めます。」としています。
特に、この集団的自衛権の解釈変更は、いわゆる昭和四十七年政府見解の恣意的な読替えという、法解釈ではない単なる不正の手口によるものであることが安保国会で完全に立証されていると感じます。
つまり、安倍内閣は、解釈変更の唯一の合憲の根拠として、昭和四十七年政府見解の中に限定的な集団的自衛権行使を容認する憲法九条解釈の基本的な論理が明確に示されていると主張していますが、この見解の作成者である吉國一郎内閣法制局長官による、作成契機となった僅か三週間前の、憲法九条の下では個別的自衛権しか行使できず、集団的自衛権行使は違憲との国会答弁などからは、どこをどう読んでも安倍内閣の読替えは正当化し得ないのであります。
この点、安保国会においては、濱田邦夫元最高裁判所判事が、日本語を普通に理解する人のみならず、法律的訓練を受けた専門家から見たならば、とてもそのような読み方はできない、読みたい人がそう読んでいるだけであって、裁判所に行って通るかといえば、通らない、法匪というあしき例であるなどと陳述し、宮崎礼壹元内閣法制局長官においても、黒を白と言いくるめる類いなどと述べ、それぞれ明確に違憲と断じているのであります。
ここで先輩、同僚議員の皆様に申し上げます。
私たち全国会議員は、憲法九十九条によって憲法尊重擁護義務を負っています。そして、国会法百二条の六は、憲法審査会の役割を、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行うとしています。すなわち、我が国の憲法審査会は、改憲の議論の前に、そもそも憲法違反や立憲主義、法の支配の在り方を調査する委員会でなければならないのであります。
この点、自民党及び公明党も賛成の上、成立した平成二十六年六月十一日の我が参議院憲法審査会の附帯決議第一項及び第二項については、立憲主義及び国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義の基本原理に基づいて徹底的に審議を尽くすと明記し、これら憲法と国会法の条項の趣旨を我が審査会の任務として明記しているのであります。
法解釈ではない不正の手口による解釈変更とそれに基づく安保法制を放置して、我が憲法審査会が改憲の議論を行うことは絶対に許されません。私は、良識の府、参議院の存立に向けて、我が憲法審査会が国民のための憲法保障機能を全うするよう皆様に呼びかけていくつもりであります。
最後に、我が民進党は、自民党と異なり、現行憲法を高く評価し、その役割は今後ますます重要度が高まると考えています。
しかし、いかなる法も未来永劫に完璧ではありません。時がたつにつれて改めるべき点が生まれることは当然にあり得ます。そのように改めるべき点が生じ、我が憲法審査会において徹底的に審議を尽くした結果、附帯決議第三項にある立法措置によって可能とすることができないとの判断に至ったならば、憲法であっても改正するべきであり、そういう意味で、党綱領において「未来志向の憲法を国民とともに構想する。」と述べ、そうした議論を既に始めています。
まずは現行憲法を正しく評価し、その上で憲法を守ることが今求められていると思います。特に、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の理念は堅持されるべきであり、自由と民主主義を基調とした立憲主義は断固として守るべきこと、そのために憲法審査会で徹底した憲法違反の調査もまた審議を尽くすことを重ねて述べておきます。
以上でございます。ありがとうございました。
柳
西
西田実仁#6
○西田実仁君 初めに、我が参議院憲法審査会の初代会長を務められました小坂憲次氏が十月二十一日に逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
我が党は、人類普遍の原理ともいうべき国民主権主義、基本的人権の尊重、恒久平和主義の三原理を骨格とする憲法は優れた憲法であると積極的に評価しております。三原理は将来にわたって不変のものとして、これを堅持していくべきと考えます。
参議院憲法審査会の前身とも言える参議院憲法調査会では五年間を掛けて日本国憲法に関する調査報告書を作成しており、憲法審査会はそれを踏まえて議論することが当然と言えます。
そこでは、自民、当時の民主、公明、共産、社民の五党で、共通又はおおむね共通の認識を得られたものとして、憲法の三大基本原則は戦後半世紀以上の年月を経て我が国に定着しており、これを今後も維持すべきであるとの共通認識が記されております。また、現行憲法は基本的に優れた憲法であり、戦後日本の平和と安定、経済発展に大きく寄与してきたと高く評価する旨も共通の意見として示されております。
確かに、現行憲法の制定過程をめぐっては、GHQの関与は極めて大きく、押し付け憲法であるとの意見も憲法調査会では示されております。しかし、憲法ができるまでの過程をつぶさに見ると、決して一方的な押し付けではないことは明らかであります。
GHQから示された総司令部案では一院制であったものが、日本国政府内の検討によって二院制に変更されております。昭和二十一年四月十日、婦人参政権が認められて初めて実施された総選挙を経て出された憲法改正草案には、参議院の緊急集会について規定されております。衆議院、貴族院それぞれで修正議決も行われ、今から七十年前の一九四六年十一月三日に日本国憲法は公布されました。
何より、制定当時の責任者としての経験をつづった吉田茂著「回想十年」には、押し付けられたという点に、必ずしも全幅的に同意し難いとして、こう述べておられます。
なるほど、最初の原案作成の際に当たっては、終戦直後の特殊な事情もあって、かなり積極的にせき立ててきたこと、また内容に関する注文のあったことなどは前述のとおりであるが、さればといって、その後の交渉経過中、徹頭徹尾強圧的若しくは強制的というものではなかった。
ただ、憲法も法規範である以上、新しい時代に対応した改正があってしかるべきとの立場から、憲法の施行時には想定できず、憲法改正しか解決方法がないような課題が明らかになる可能性もあります。
公明党は、改正について、現行憲法を維持した上で、改正が必要になった場合に新たな条文を付け加える形の加憲という方法を主張しております。
憲法審査会が活動を開始してから五年が過ぎました。この間、参議院選挙は二回行われ、一票の格差をめぐって司法の厳しい判断が続いております。さきに行われた参議院選挙に対する高裁判決では、違憲状態が合憲判断を上回り、合憲とした結論も含めて投票価値が平等であるとの判断は一つもありませんでした。投票価値の不平等は存在するけれども、参議院が立法府としてその改善に努力しているとの評価からの合憲判決でした。
とすれば、法律にうたって自らが誓った抜本改革への議論を進めなければなりません。その際、衆議院と参議院の選挙制度における投票価値が違ってもよいとは言えないことは現行憲法に明らかです。
公務員の選定、罷免権は国民固有の権利であり、民主主義の基礎を成す重要な人権です。それが憲法十四条の平等原則で担保されています。その上で、それぞれの院の特徴から選挙制度をつくり出すべきであります。まずは衆参それぞれの役割を明確にして、その上で、それらを担う人材をどう選ぶかという選挙制度の議論を進めていかなければなりません。現行憲法上、選挙制度はあくまで法律事項です。本末転倒の議論は避け、しかも法律で誓った二〇一九年次期参議院選挙までに抜本改革の結論を必ず得なければなりません。
国民主権に基づく二院制と議院内閣制という仕組みの中で、第二院の参議院は第一院の衆議院を具体的にどうバックアップすればよいのか。国民主権が参議院改革の基本の視点であり、改憲論議においてはなおさら国民主権の徹底が必要です。
そう考えれば、当然、衆議院議員も参議院議員も全国民の代表という性格付けが適切ではないかと私は考えます。主権は国民全体にあるからです。参議院議員も全国民の代表であるからこそ、参議院には、衆議院が解散されていても、国に緊急の必要がある場合の緊急集会の規定が置かれていると言えます。緊急集会が参議院に置かれることとなった経緯や規定の制定理由を見れば、緊急集会は第二院の参議院が第一院の衆議院をバックアップする典型であることは明らかです。
参議院改革については、これまでも様々な議論がありました。二院制を支持する者の共通認識は、参議院は行政監視機能をより重視すべきであるということです。良識の府である参議院は、公共の利益の実現を目指し、党派を超えて努力すべきです。特に、解散のない六年という長い任期を与えられている参議院は、行政の組織、人事に対する統制という観点が重要であり、政府と官僚機構をつくる衆議院、それを監視する参議院という新たな観点から国会の行政監視機能を見直すべきではないか。本年二月の本審査会に続いて、こうした議論をこれからもしっかりと行っていきたいと考えます。
以上です。
この発言だけを見る →我が党は、人類普遍の原理ともいうべき国民主権主義、基本的人権の尊重、恒久平和主義の三原理を骨格とする憲法は優れた憲法であると積極的に評価しております。三原理は将来にわたって不変のものとして、これを堅持していくべきと考えます。
参議院憲法審査会の前身とも言える参議院憲法調査会では五年間を掛けて日本国憲法に関する調査報告書を作成しており、憲法審査会はそれを踏まえて議論することが当然と言えます。
そこでは、自民、当時の民主、公明、共産、社民の五党で、共通又はおおむね共通の認識を得られたものとして、憲法の三大基本原則は戦後半世紀以上の年月を経て我が国に定着しており、これを今後も維持すべきであるとの共通認識が記されております。また、現行憲法は基本的に優れた憲法であり、戦後日本の平和と安定、経済発展に大きく寄与してきたと高く評価する旨も共通の意見として示されております。
確かに、現行憲法の制定過程をめぐっては、GHQの関与は極めて大きく、押し付け憲法であるとの意見も憲法調査会では示されております。しかし、憲法ができるまでの過程をつぶさに見ると、決して一方的な押し付けではないことは明らかであります。
GHQから示された総司令部案では一院制であったものが、日本国政府内の検討によって二院制に変更されております。昭和二十一年四月十日、婦人参政権が認められて初めて実施された総選挙を経て出された憲法改正草案には、参議院の緊急集会について規定されております。衆議院、貴族院それぞれで修正議決も行われ、今から七十年前の一九四六年十一月三日に日本国憲法は公布されました。
何より、制定当時の責任者としての経験をつづった吉田茂著「回想十年」には、押し付けられたという点に、必ずしも全幅的に同意し難いとして、こう述べておられます。
なるほど、最初の原案作成の際に当たっては、終戦直後の特殊な事情もあって、かなり積極的にせき立ててきたこと、また内容に関する注文のあったことなどは前述のとおりであるが、さればといって、その後の交渉経過中、徹頭徹尾強圧的若しくは強制的というものではなかった。
ただ、憲法も法規範である以上、新しい時代に対応した改正があってしかるべきとの立場から、憲法の施行時には想定できず、憲法改正しか解決方法がないような課題が明らかになる可能性もあります。
公明党は、改正について、現行憲法を維持した上で、改正が必要になった場合に新たな条文を付け加える形の加憲という方法を主張しております。
憲法審査会が活動を開始してから五年が過ぎました。この間、参議院選挙は二回行われ、一票の格差をめぐって司法の厳しい判断が続いております。さきに行われた参議院選挙に対する高裁判決では、違憲状態が合憲判断を上回り、合憲とした結論も含めて投票価値が平等であるとの判断は一つもありませんでした。投票価値の不平等は存在するけれども、参議院が立法府としてその改善に努力しているとの評価からの合憲判決でした。
とすれば、法律にうたって自らが誓った抜本改革への議論を進めなければなりません。その際、衆議院と参議院の選挙制度における投票価値が違ってもよいとは言えないことは現行憲法に明らかです。
公務員の選定、罷免権は国民固有の権利であり、民主主義の基礎を成す重要な人権です。それが憲法十四条の平等原則で担保されています。その上で、それぞれの院の特徴から選挙制度をつくり出すべきであります。まずは衆参それぞれの役割を明確にして、その上で、それらを担う人材をどう選ぶかという選挙制度の議論を進めていかなければなりません。現行憲法上、選挙制度はあくまで法律事項です。本末転倒の議論は避け、しかも法律で誓った二〇一九年次期参議院選挙までに抜本改革の結論を必ず得なければなりません。
国民主権に基づく二院制と議院内閣制という仕組みの中で、第二院の参議院は第一院の衆議院を具体的にどうバックアップすればよいのか。国民主権が参議院改革の基本の視点であり、改憲論議においてはなおさら国民主権の徹底が必要です。
そう考えれば、当然、衆議院議員も参議院議員も全国民の代表という性格付けが適切ではないかと私は考えます。主権は国民全体にあるからです。参議院議員も全国民の代表であるからこそ、参議院には、衆議院が解散されていても、国に緊急の必要がある場合の緊急集会の規定が置かれていると言えます。緊急集会が参議院に置かれることとなった経緯や規定の制定理由を見れば、緊急集会は第二院の参議院が第一院の衆議院をバックアップする典型であることは明らかです。
参議院改革については、これまでも様々な議論がありました。二院制を支持する者の共通認識は、参議院は行政監視機能をより重視すべきであるということです。良識の府である参議院は、公共の利益の実現を目指し、党派を超えて努力すべきです。特に、解散のない六年という長い任期を与えられている参議院は、行政の組織、人事に対する統制という観点が重要であり、政府と官僚機構をつくる衆議院、それを監視する参議院という新たな観点から国会の行政監視機能を見直すべきではないか。本年二月の本審査会に続いて、こうした議論をこれからもしっかりと行っていきたいと考えます。
以上です。
柳
山
山添拓#8
○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
さきの参院選で初めて当選をさせていただきました。憲法審査会で初めて発言をさせていただきます。よろしくお願いをいたします。
私は、日本国憲法の下で生まれ、学び、弁護士として仕事をする中で、憲法の重みと価値を感じてきました。積み重ねられてきた憲法判例には、人々の闘いの歴史が刻み込まれています。私が取り組んできた福島原発事故の被害者の救済を求める事件、過労死や冤罪など、権利を侵され闘う人々の隣にはいつも憲法がありました。
電通の過労自死事件が報道されています。先日、私も御遺族の話を伺いました。春、希望に満ちて就職した会社で、秋には一週間に僅か十時間しか眠れないほどの長時間労働を余儀なくされる。自殺するのによさそうな歩道橋を探す自分に気付く。年末には家族で一緒に過ごそうと言っていたのに、クリスマスイブに自ら命を絶つまで追い込まれた。
働き過ぎで命を落とす社会は、どう考えても異常です。人間らしく働ける社会をと多くの人が求める中、過労死、過労自死のない社会を実現することは、まともに働く権利、自分らしく生きる権利を保障する政治に求められた大事な仕事です。医療、介護、子育てや教育、暮らしに関わるあらゆる場面で、憲法を羅針盤に政治のかじを切ることこそが国会に求められています。
ところが、この憲法審査会は憲法改正原案の発議を審査する権限を持つものであり、ここで議論を進めることは、勢い改憲案をすり合わせることになります。日本共産党は、国民の多数が改憲を求めていない中、改憲のための憲法審査会を動かす必要などなく、動かしてはならないと考えます。
さらに、見逃すことができないのは、安倍首相がこの間、改憲について重大な発言を繰り返しているということです。参院選が終わった途端、口にしたのは、いかに我が党の案をベースに三分の二を構築していくか、これがまさに政治の技術という発言でした。今国会冒頭の所信表明演説では、改憲案を国民に提示するのは国会議員の責任だなどと述べ、国会に改憲発議をあおる有様です。総理大臣として最も重い憲法尊重擁護義務を負っている安倍首相のこうした発言は、国民が権力を縛るという立憲主義の在り方を理解しない、到底許されない姿勢であることを指摘したいと思います。
その上で、憲法破壊を進める安倍政権における二つの点について述べたいと思います。
一つは、集団的自衛権の行使を容認した二〇一四年七月の閣議決定と、これに基づき昨年強行された安保法制、戦争法です。
戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定める憲法九条からすれば、集団的自衛権が認められないのは明らかです。日本に対する侵害行為がないにもかかわらず、同盟国への攻撃だけで相手国を攻撃する。攻撃した相手に対する関係では、先制攻撃以外の何物でもありません。歴代の内閣ですら明確に違憲としてきたものです。
昨年六月、衆院の憲法審査会で三人の憲法学者がそろって違憲と述べたとおり、憲法九条とも、また歴代自民党政府の解釈とも論理的整合性がなく、法的安定性も認められません。一内閣の判断で、九条という日本国憲法の最も特徴的で誇るべき条文について、その解釈を百八十度転換させ黒を白と言いくるめるとは常軌を逸しています。だからこそ、学生や学者が、ママたちが、多くの市民が、主権者として主体的に行動を起こし、安保法制、戦争法許すなと声を上げました。しかし、政府・与党は、その声に全く耳を傾けることなく強行採決に及んだのです。立憲主義と民主主義をじゅうりんする政治に国民の怒りが渦巻いています。違憲の法律は一年たっても違憲のままです。
ところが、安倍政権は昨日、南スーダンPKOに派遣する自衛隊に、安保法制に基づき駆け付け警護など新たな任務を負わせる旨の閣議決定を行いました。違憲の立法の上に、内戦状態の現地の状況をも無視して、自衛隊を殺し殺される部隊にするなど言語道断です。安保法制、戦争法は直ちに廃止すべきです。
もう一点、自民党が二〇一二年に発表した改憲草案です。
私は、この改憲草案を一目見たときにぞっとしました。今の憲法とは全く異なる世界観で作られたものだからです。九条二項を全部入れ替え国防軍をつくる、集団的自衛権は何の制約もなく行使できると言っています。緊急事態条項で、内閣総理大臣が緊急事態だと言いさえすれば、国会の権限を取り上げ、内閣が法律と同じ効力を持つ命令を出す、民主政治の基本と言うべき議会の機能を止めるものです。基本的人権は侵すことのできない永久の権利だと定めた九十七条は全文削除です。憲法の基本原理を全て否定する内容です。そして、つくられようとしているのは、秘密保護法で情報を隠し、国民の権利を縛り、戦争する国だ。私たちの未来を抑圧と戦争に導く改憲案は断じて許されないものです。
今求められていることは、戦争する国をつくり、憲法改正に進んでいくことではなく、憲法を生かし、憲法が掲げる理想に現実を少しでも近づけることです。それこそが、憲法尊重擁護義務を負う国会議員が果たすべき役割であることを強調して、発言といたします。
この発言だけを見る →さきの参院選で初めて当選をさせていただきました。憲法審査会で初めて発言をさせていただきます。よろしくお願いをいたします。
私は、日本国憲法の下で生まれ、学び、弁護士として仕事をする中で、憲法の重みと価値を感じてきました。積み重ねられてきた憲法判例には、人々の闘いの歴史が刻み込まれています。私が取り組んできた福島原発事故の被害者の救済を求める事件、過労死や冤罪など、権利を侵され闘う人々の隣にはいつも憲法がありました。
電通の過労自死事件が報道されています。先日、私も御遺族の話を伺いました。春、希望に満ちて就職した会社で、秋には一週間に僅か十時間しか眠れないほどの長時間労働を余儀なくされる。自殺するのによさそうな歩道橋を探す自分に気付く。年末には家族で一緒に過ごそうと言っていたのに、クリスマスイブに自ら命を絶つまで追い込まれた。
働き過ぎで命を落とす社会は、どう考えても異常です。人間らしく働ける社会をと多くの人が求める中、過労死、過労自死のない社会を実現することは、まともに働く権利、自分らしく生きる権利を保障する政治に求められた大事な仕事です。医療、介護、子育てや教育、暮らしに関わるあらゆる場面で、憲法を羅針盤に政治のかじを切ることこそが国会に求められています。
ところが、この憲法審査会は憲法改正原案の発議を審査する権限を持つものであり、ここで議論を進めることは、勢い改憲案をすり合わせることになります。日本共産党は、国民の多数が改憲を求めていない中、改憲のための憲法審査会を動かす必要などなく、動かしてはならないと考えます。
さらに、見逃すことができないのは、安倍首相がこの間、改憲について重大な発言を繰り返しているということです。参院選が終わった途端、口にしたのは、いかに我が党の案をベースに三分の二を構築していくか、これがまさに政治の技術という発言でした。今国会冒頭の所信表明演説では、改憲案を国民に提示するのは国会議員の責任だなどと述べ、国会に改憲発議をあおる有様です。総理大臣として最も重い憲法尊重擁護義務を負っている安倍首相のこうした発言は、国民が権力を縛るという立憲主義の在り方を理解しない、到底許されない姿勢であることを指摘したいと思います。
その上で、憲法破壊を進める安倍政権における二つの点について述べたいと思います。
一つは、集団的自衛権の行使を容認した二〇一四年七月の閣議決定と、これに基づき昨年強行された安保法制、戦争法です。
戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定める憲法九条からすれば、集団的自衛権が認められないのは明らかです。日本に対する侵害行為がないにもかかわらず、同盟国への攻撃だけで相手国を攻撃する。攻撃した相手に対する関係では、先制攻撃以外の何物でもありません。歴代の内閣ですら明確に違憲としてきたものです。
昨年六月、衆院の憲法審査会で三人の憲法学者がそろって違憲と述べたとおり、憲法九条とも、また歴代自民党政府の解釈とも論理的整合性がなく、法的安定性も認められません。一内閣の判断で、九条という日本国憲法の最も特徴的で誇るべき条文について、その解釈を百八十度転換させ黒を白と言いくるめるとは常軌を逸しています。だからこそ、学生や学者が、ママたちが、多くの市民が、主権者として主体的に行動を起こし、安保法制、戦争法許すなと声を上げました。しかし、政府・与党は、その声に全く耳を傾けることなく強行採決に及んだのです。立憲主義と民主主義をじゅうりんする政治に国民の怒りが渦巻いています。違憲の法律は一年たっても違憲のままです。
ところが、安倍政権は昨日、南スーダンPKOに派遣する自衛隊に、安保法制に基づき駆け付け警護など新たな任務を負わせる旨の閣議決定を行いました。違憲の立法の上に、内戦状態の現地の状況をも無視して、自衛隊を殺し殺される部隊にするなど言語道断です。安保法制、戦争法は直ちに廃止すべきです。
もう一点、自民党が二〇一二年に発表した改憲草案です。
私は、この改憲草案を一目見たときにぞっとしました。今の憲法とは全く異なる世界観で作られたものだからです。九条二項を全部入れ替え国防軍をつくる、集団的自衛権は何の制約もなく行使できると言っています。緊急事態条項で、内閣総理大臣が緊急事態だと言いさえすれば、国会の権限を取り上げ、内閣が法律と同じ効力を持つ命令を出す、民主政治の基本と言うべき議会の機能を止めるものです。基本的人権は侵すことのできない永久の権利だと定めた九十七条は全文削除です。憲法の基本原理を全て否定する内容です。そして、つくられようとしているのは、秘密保護法で情報を隠し、国民の権利を縛り、戦争する国だ。私たちの未来を抑圧と戦争に導く改憲案は断じて許されないものです。
今求められていることは、戦争する国をつくり、憲法改正に進んでいくことではなく、憲法を生かし、憲法が掲げる理想に現実を少しでも近づけることです。それこそが、憲法尊重擁護義務を負う国会議員が果たすべき役割であることを強調して、発言といたします。
柳
浅
浅田均#10
○浅田均君 日本維新の会、浅田均です。我が党を代表して、憲法に対する考え方について申し述べます。
憲法の歴史を振り返ると、イギリスで誕生した近代立憲主義や、イギリスの基盤を受け継ぎつつ現代の憲法、現代立憲主義の原型を作ったのがアメリカ独立革命とその所産である合衆国憲法であるということが分かります。
佐藤幸治先生によりますと、合衆国憲法の構成は次のようになります。すなわち、主権者である人民が憲法制定権力者として、人権の保障と権力分立ないし抑制、均衡の統治構造を定める憲法典、成文憲法を制定して政府を創設し、立法権を含む政治権力に対する憲法の優位性を確保するために、独立の裁判所に憲法適合性に関する最終的判断権、司法審査権を付与するというものであります。
このような観点から現行憲法を概観するとき、問題になるのは、本来の憲法制定権力者である日本国民が直接憲法論議に参加できなかったことであり、また、いまだに参加できないことです。
現行憲法は、国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重という基本的な価値を国民に根付かせたという点で評価できます。しかし、後述するように、憲法裁判所や未来志向を欠く等の点で不備があるのもまた確かです。したがって、参議院憲法審査会での議論が九か月ぶりに開催されたことを評価したいと思います。
ただ、戦後初めて憲法改正がリアリティーを持って語られる状況であるにもかかわらず、憲法審査会がほとんど開かれなかったのは極めて残念ですし、国会は憲法改正に関する国民の意思表示の権利、つまり国民投票を行う権利を奪うべきではありません。
衆参両院の憲法審査会は、調査は何年も掛けて繰り返し行ってきましたが、憲法改正原案についての審議は一度も行っておりません。我々日本維新の会は、今年三月に憲法改正原案を作成し、メディア等を通じて国民に訴えかけております。さきの参議院選挙もこの憲法改正原案を掲げて闘い、国民の負託を一定程度得ていると考えております。
この審査会で各会派がそれぞれの改正原案を持ち寄り、改正の是非を議論できるようになってほしいと願っております。どの条項の改正にも反対の会派は、その都度反対の立場で討論されればよいことで、審査会の開催には是非御協力いただきたいと思います。
我が党は、憲法改正は特定のイデオロギーの表現のためではなく、政策的な課題の解決のために行うべきものであると考えております。法律に立法事実が必要であるのと同様、憲法改正についても言わば憲法事実が必要です。また、憲法改正は最終的には国民投票で決することになりますが、過半数を得ることは大変難しい。憲法改正の項目として、国論を二分するような安全保障や危機管理等の問題よりも、ほとんどの国民が身近で切実に感じている問題を取り上げるべきでしょう。
以上のような考え方に基づき、我が党は以下の三点について憲法改正原案をまとめ、発表をしました。
一点目は、教育の無償化です。
子供の貧困問題に見られるとおり、教育の機会平等が十分に保障されておらず、将来世代への投資は全く不十分です。少子化、人口減少と相まって子供や子育て世帯への一層手厚い支援が必要であることは、どの党も反対はないでしょう。こうした必要性に正面から応えるのが教育の無償化です。憲法でしっかり定めることにより、国に予算措置と立法化を義務付けていくべきです。政権が替わっても教育無償化の方針が堅持されるためにも、憲法で定めるべきです。我が党の調査の結果では、四二%が賛成、二五%が反対となっております。
二点目は、国と地方の統治機構の抜本改革についてです。
地方における経済の衰退と人口の減少は急速に進んでおります。戦後繰り返された国主導の地方振興政策は残念ながらことごとく失敗したと言わざるを得ません。東京一極集中を打破して地域の自立を確保し、我が国を多極分散型国家にしていくべきことも、ほとんどの会派が賛成できるはずです。このため、地方の権限と財源を抜本的に強化する形で、国と地方の関係を憲法で新たに定めるべきです。
待機児童問題は地域差が大きく、国で一律の対応をすることが特に難しい問題です。大災害からの復興も土地利用規制を被災地自治体に任せる等、現場での柔軟な対応を可能にすべきです。地域のことは地域が決めることができるよう憲法上の根拠をしっかり定めるべきだと考えます。我が党の調査によると、統治機構改革に関し五五%が賛成、反対は二三%でした。
三点目は、憲法裁判所の設置です。
安保国会で分かったのは、安全保障法制について誰が違憲判断をするのかよく分からなくなっているということでした。元法制局長官、元最高裁判事、学者等は違憲立法審査権を持っておりません。本来は、やはり全ての憲法問題について憲法適合性に関する最終的判断権を有する憲法裁判所を設置すべきです。我が党の調査結果では、憲法裁判所の設置に関しては四七%が賛成、反対が二〇%でした。
以上が、憲法に対する日本維新の会の考え方です。
この発言だけを見る →憲法の歴史を振り返ると、イギリスで誕生した近代立憲主義や、イギリスの基盤を受け継ぎつつ現代の憲法、現代立憲主義の原型を作ったのがアメリカ独立革命とその所産である合衆国憲法であるということが分かります。
佐藤幸治先生によりますと、合衆国憲法の構成は次のようになります。すなわち、主権者である人民が憲法制定権力者として、人権の保障と権力分立ないし抑制、均衡の統治構造を定める憲法典、成文憲法を制定して政府を創設し、立法権を含む政治権力に対する憲法の優位性を確保するために、独立の裁判所に憲法適合性に関する最終的判断権、司法審査権を付与するというものであります。
このような観点から現行憲法を概観するとき、問題になるのは、本来の憲法制定権力者である日本国民が直接憲法論議に参加できなかったことであり、また、いまだに参加できないことです。
現行憲法は、国民主権主義、平和主義、基本的人権の尊重という基本的な価値を国民に根付かせたという点で評価できます。しかし、後述するように、憲法裁判所や未来志向を欠く等の点で不備があるのもまた確かです。したがって、参議院憲法審査会での議論が九か月ぶりに開催されたことを評価したいと思います。
ただ、戦後初めて憲法改正がリアリティーを持って語られる状況であるにもかかわらず、憲法審査会がほとんど開かれなかったのは極めて残念ですし、国会は憲法改正に関する国民の意思表示の権利、つまり国民投票を行う権利を奪うべきではありません。
衆参両院の憲法審査会は、調査は何年も掛けて繰り返し行ってきましたが、憲法改正原案についての審議は一度も行っておりません。我々日本維新の会は、今年三月に憲法改正原案を作成し、メディア等を通じて国民に訴えかけております。さきの参議院選挙もこの憲法改正原案を掲げて闘い、国民の負託を一定程度得ていると考えております。
この審査会で各会派がそれぞれの改正原案を持ち寄り、改正の是非を議論できるようになってほしいと願っております。どの条項の改正にも反対の会派は、その都度反対の立場で討論されればよいことで、審査会の開催には是非御協力いただきたいと思います。
我が党は、憲法改正は特定のイデオロギーの表現のためではなく、政策的な課題の解決のために行うべきものであると考えております。法律に立法事実が必要であるのと同様、憲法改正についても言わば憲法事実が必要です。また、憲法改正は最終的には国民投票で決することになりますが、過半数を得ることは大変難しい。憲法改正の項目として、国論を二分するような安全保障や危機管理等の問題よりも、ほとんどの国民が身近で切実に感じている問題を取り上げるべきでしょう。
以上のような考え方に基づき、我が党は以下の三点について憲法改正原案をまとめ、発表をしました。
一点目は、教育の無償化です。
子供の貧困問題に見られるとおり、教育の機会平等が十分に保障されておらず、将来世代への投資は全く不十分です。少子化、人口減少と相まって子供や子育て世帯への一層手厚い支援が必要であることは、どの党も反対はないでしょう。こうした必要性に正面から応えるのが教育の無償化です。憲法でしっかり定めることにより、国に予算措置と立法化を義務付けていくべきです。政権が替わっても教育無償化の方針が堅持されるためにも、憲法で定めるべきです。我が党の調査の結果では、四二%が賛成、二五%が反対となっております。
二点目は、国と地方の統治機構の抜本改革についてです。
地方における経済の衰退と人口の減少は急速に進んでおります。戦後繰り返された国主導の地方振興政策は残念ながらことごとく失敗したと言わざるを得ません。東京一極集中を打破して地域の自立を確保し、我が国を多極分散型国家にしていくべきことも、ほとんどの会派が賛成できるはずです。このため、地方の権限と財源を抜本的に強化する形で、国と地方の関係を憲法で新たに定めるべきです。
待機児童問題は地域差が大きく、国で一律の対応をすることが特に難しい問題です。大災害からの復興も土地利用規制を被災地自治体に任せる等、現場での柔軟な対応を可能にすべきです。地域のことは地域が決めることができるよう憲法上の根拠をしっかり定めるべきだと考えます。我が党の調査によると、統治機構改革に関し五五%が賛成、反対は二三%でした。
三点目は、憲法裁判所の設置です。
安保国会で分かったのは、安全保障法制について誰が違憲判断をするのかよく分からなくなっているということでした。元法制局長官、元最高裁判事、学者等は違憲立法審査権を持っておりません。本来は、やはり全ての憲法問題について憲法適合性に関する最終的判断権を有する憲法裁判所を設置すべきです。我が党の調査結果では、憲法裁判所の設置に関しては四七%が賛成、反対が二〇%でした。
以上が、憲法に対する日本維新の会の考え方です。
柳
福
福島みずほ#12
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。社民党を代表して意見を述べます。
まず冒頭、昨日、十一月十五日、安倍政権が閣議で南スーダンPKOの駆け付け警護の新任務を付与しました。南スーダンは内戦状態であり、PKO五原則は崩壊をしています。憲法違反です。撤退をすべきです。また、駆け付け警護はやるべきではありません。憲法違反のこのような行為をすることはできないと強く抗議をいたします。
憲法審査会は、国会法百二条の六の規定によって二つの任務が与えられています。第一番目の任務は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的な調査を行うことです。そのことを憲法審査会でやっていかなければなりません。
今の日本において日本国憲法が実現をされているでしょうか。憲法二十一条の表現の自由は今著しく侵害されています。世界で表現の自由ランキングは七十二位まで落ちました。憲法十九条の思想、良心の自由、憲法十三条の個人の尊重と幸福追求権、憲法の規定する労働基本権、そして憲法二十五条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利など、実現をしているでしょうか。憲法価値の実現こそやらなければならないことです。国会は憲法価値の実現をこそやるべきです。改憲の必要性はありません。この憲法審査会で改憲の議論をしてはなりません。
社民党は、憲法についての広範かつ総合的な調査ということでは、何といっても安保関連法、戦争法についての広範かつ総合的な調査を求めます。安保関連法、戦争法について合憲と言う法律家はほんの一握り、数人ではないでしょうか。憲法に照らせば、安保関連法、戦争法は明確に違憲だからです。そして、政府見解に照らしても違憲であると断言できるからです。
安倍政権は、戦後長年にわたり積み上げ、確認をしてきた政府見解をねじ曲げ、安保関連法、戦争法案を国会に提出し、強行採決をしました。このことは立憲主義を踏みにじるものであり、憲法への冒涜です。自らの政府見解をねじ曲げたことに重大な問題があります。
政府は一貫して集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの立場を取ってきました。二年前に一転して行使できると唱え始めたときの論拠は、集団的自衛権と憲法との関係を整理した一九七二年、昭和四十七年の政府見解です。ところが、この見解の結論は、集団的自衛権は行使できないというものです。その文章を変えることなく、解釈を百八十度ひっくり返しました。
安倍政権は、一九七二年見解の中に、行使容認の法理としては当時から含まれていたと答弁をしました。しかしながら、一九七〇年以降の歴代政権も、内閣法制局長官、幹部も、行使はできないと答弁し続けてきました。一九七二年見解の作成者たちは、国会答弁で集団的自衛権の行使を全否定しています。
一九七二年九月十四日、吉國内閣法制局長官は、我が国に対する侵略が発生して初めて自衛のための措置をとり得るのだということからいたしまして、集団的自衛のための行動は取れないと、これは私ども政治論として申し上げているわけではなくて、憲法第九条の法律的な憲法的な解釈として考えておると答弁を明確にしています。
同じく一九七二年見解の決裁者である真田次長、角田部長も、その前後の国会答弁で、集団的自衛権行使は憲法違反であるとしています。一九七二年五月十二日、真田次長は、よもや憲法九条がこれを許しているとは思えない。一九八一年六月三日、角田部長、当時は内閣法制局長官ですが、国会でこう述べています。集団的自衛権につきましては、全然行使できないわけでございますから、ゼロでございます。集団的自衛権の行使は一切できない、日本の集団的自衛権の行使は絶対にできないと。
もう一つの一九七二年見解があります。一九七二年政府見解で同じ国会質問を受けて当時の防衛庁が作成し、内閣法制局に国会提出の決裁を仰ぎ、吉國長官たち三名が署名押印した防衛庁政府見解も集団的自衛権の行使は違憲としています。
さらに、当時携わった役人の証言もあります。一九七二年見解の作成に内閣法制局第一部長として当時関わり、後に法制局長官も務めた角田禮次郎さんは、共同通信の取材に答え、七二年見解にある外国による武力攻撃の対象には米国などの同盟国も含まれるのかと聞かれ、攻撃対象は日本のこと、同盟国のことは考えてなかったと明快に答えています。これは、二〇一六年七月一日、共同通信全国配信で書かれていることです。
一九七二年当時の様々な文書によっても、一九七二年前後の政府答弁によっても、現在御健在の方の証言によっても、いかなる角度からも一九七二年見解は集団的自衛権の行使を政府が認めたものではありません。なぜ安倍政権は一九七二年見解が集団的自衛権の行使を言外に認めていると強弁できるのでしょうか。この問題が極めて深刻なことは、政府自身の見解を政府が後から解釈を捏造し、ゆがめてしまっていることです。これでは、政府の見解など全くないがしろにするものです。
憲法がいかようにも時の政権によってねじ曲げられ違憲を合憲とし得るのであれば、憲法は憲法の意味を成しません。憲法の最高法規性を安保関連法、戦争法は踏みにじっています。憲法が憲法でなくなれば、国会は何を根拠に法律を作るのでしょうか。内閣は何を基に行政を行うのでしょうか。裁判所は何を根拠に裁判を行うのでしょうか。
憲法改正をしても、その憲法を政府が遵守しないのであれば、憲法改正の意味もありません。総理や国会議員がいつでも憲法を解釈によって破壊してしまうことができるのであれば、改憲を議論する意味もなくなってしまいます。改憲を論ずる資格はありません。
私たちは、改憲を議論する前に、破壊された憲法を取り戻すべきではないでしょうか。改憲を議論する前に、憲法違反の安保関連法、戦争法の憲法適合性を議論すべきです。そのことなくして改憲の議論をしてはなりません。
社民党は、憲法審査会で安保関連法、戦争法の憲法適合性を議論することを強く求めます。
この発言だけを見る →まず冒頭、昨日、十一月十五日、安倍政権が閣議で南スーダンPKOの駆け付け警護の新任務を付与しました。南スーダンは内戦状態であり、PKO五原則は崩壊をしています。憲法違反です。撤退をすべきです。また、駆け付け警護はやるべきではありません。憲法違反のこのような行為をすることはできないと強く抗議をいたします。
憲法審査会は、国会法百二条の六の規定によって二つの任務が与えられています。第一番目の任務は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的な調査を行うことです。そのことを憲法審査会でやっていかなければなりません。
今の日本において日本国憲法が実現をされているでしょうか。憲法二十一条の表現の自由は今著しく侵害されています。世界で表現の自由ランキングは七十二位まで落ちました。憲法十九条の思想、良心の自由、憲法十三条の個人の尊重と幸福追求権、憲法の規定する労働基本権、そして憲法二十五条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利など、実現をしているでしょうか。憲法価値の実現こそやらなければならないことです。国会は憲法価値の実現をこそやるべきです。改憲の必要性はありません。この憲法審査会で改憲の議論をしてはなりません。
社民党は、憲法についての広範かつ総合的な調査ということでは、何といっても安保関連法、戦争法についての広範かつ総合的な調査を求めます。安保関連法、戦争法について合憲と言う法律家はほんの一握り、数人ではないでしょうか。憲法に照らせば、安保関連法、戦争法は明確に違憲だからです。そして、政府見解に照らしても違憲であると断言できるからです。
安倍政権は、戦後長年にわたり積み上げ、確認をしてきた政府見解をねじ曲げ、安保関連法、戦争法案を国会に提出し、強行採決をしました。このことは立憲主義を踏みにじるものであり、憲法への冒涜です。自らの政府見解をねじ曲げたことに重大な問題があります。
政府は一貫して集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの立場を取ってきました。二年前に一転して行使できると唱え始めたときの論拠は、集団的自衛権と憲法との関係を整理した一九七二年、昭和四十七年の政府見解です。ところが、この見解の結論は、集団的自衛権は行使できないというものです。その文章を変えることなく、解釈を百八十度ひっくり返しました。
安倍政権は、一九七二年見解の中に、行使容認の法理としては当時から含まれていたと答弁をしました。しかしながら、一九七〇年以降の歴代政権も、内閣法制局長官、幹部も、行使はできないと答弁し続けてきました。一九七二年見解の作成者たちは、国会答弁で集団的自衛権の行使を全否定しています。
一九七二年九月十四日、吉國内閣法制局長官は、我が国に対する侵略が発生して初めて自衛のための措置をとり得るのだということからいたしまして、集団的自衛のための行動は取れないと、これは私ども政治論として申し上げているわけではなくて、憲法第九条の法律的な憲法的な解釈として考えておると答弁を明確にしています。
同じく一九七二年見解の決裁者である真田次長、角田部長も、その前後の国会答弁で、集団的自衛権行使は憲法違反であるとしています。一九七二年五月十二日、真田次長は、よもや憲法九条がこれを許しているとは思えない。一九八一年六月三日、角田部長、当時は内閣法制局長官ですが、国会でこう述べています。集団的自衛権につきましては、全然行使できないわけでございますから、ゼロでございます。集団的自衛権の行使は一切できない、日本の集団的自衛権の行使は絶対にできないと。
もう一つの一九七二年見解があります。一九七二年政府見解で同じ国会質問を受けて当時の防衛庁が作成し、内閣法制局に国会提出の決裁を仰ぎ、吉國長官たち三名が署名押印した防衛庁政府見解も集団的自衛権の行使は違憲としています。
さらに、当時携わった役人の証言もあります。一九七二年見解の作成に内閣法制局第一部長として当時関わり、後に法制局長官も務めた角田禮次郎さんは、共同通信の取材に答え、七二年見解にある外国による武力攻撃の対象には米国などの同盟国も含まれるのかと聞かれ、攻撃対象は日本のこと、同盟国のことは考えてなかったと明快に答えています。これは、二〇一六年七月一日、共同通信全国配信で書かれていることです。
一九七二年当時の様々な文書によっても、一九七二年前後の政府答弁によっても、現在御健在の方の証言によっても、いかなる角度からも一九七二年見解は集団的自衛権の行使を政府が認めたものではありません。なぜ安倍政権は一九七二年見解が集団的自衛権の行使を言外に認めていると強弁できるのでしょうか。この問題が極めて深刻なことは、政府自身の見解を政府が後から解釈を捏造し、ゆがめてしまっていることです。これでは、政府の見解など全くないがしろにするものです。
憲法がいかようにも時の政権によってねじ曲げられ違憲を合憲とし得るのであれば、憲法は憲法の意味を成しません。憲法の最高法規性を安保関連法、戦争法は踏みにじっています。憲法が憲法でなくなれば、国会は何を根拠に法律を作るのでしょうか。内閣は何を基に行政を行うのでしょうか。裁判所は何を根拠に裁判を行うのでしょうか。
憲法改正をしても、その憲法を政府が遵守しないのであれば、憲法改正の意味もありません。総理や国会議員がいつでも憲法を解釈によって破壊してしまうことができるのであれば、改憲を議論する意味もなくなってしまいます。改憲を論ずる資格はありません。
私たちは、改憲を議論する前に、破壊された憲法を取り戻すべきではないでしょうか。改憲を議論する前に、憲法違反の安保関連法、戦争法の憲法適合性を議論すべきです。そのことなくして改憲の議論をしてはなりません。
社民党は、憲法審査会で安保関連法、戦争法の憲法適合性を議論することを強く求めます。
柳
松
松沢成文#14
○松沢成文君 無所属クラブの松沢成文でございます。
私は、あえて、憲法改正に向けての方法論について意見を申し述べたいと思います。
憲法は決して不磨の大典ではありません。憲法の良い理念は守りつつも、時代に合わなくなったところ、あるいは現実と乖離してしまったところをしっかりと国会で議論をし、改正を発議し、国民の投票によって憲法は変えられる、憲法には九十六条の改正条項もあるわけで、これは、私は極めて大事な視点だというふうに思っております。
そうであれば、憲法の問題点は何かというと、恐らく今日ここにお集まりの皆さんそれぞれ違うと思うんですね。前文が問題だという方もいれば、あるいは天皇の国事行為がこれでいいのかと。あるいは、お話がありましたように、統治機構をこう見直したい、あるいは人権や自由権をこう見直したい、それぞれ意見があると思います。
私は、あえて、現行憲法の最大の問題点は、これは国家の危機から国民や平和や人権を守るための具体的な条項が欠如していること、つまり国家の防衛と国家緊急事態に対する条項が日本国憲法は欠如している、これは独立国家の憲法としては最大の欠陥であるというふうに思っています。
その国家の防衛と国家緊急事態に対して働くのが自衛隊であります。その自衛隊に対する規定がないというところ、私は、ここは見直していかなければいけない、しっかりと国には自衛権がある、自衛隊の皆さんにしっかりとその権限を行使してもらう、さらには自衛隊は文民統治でやっていく、これをしっかり書き込んでおくこと、あるいは、いざ国家として大きな災害やテロに遭ったときには、そのときに国家、国民を守るためにどういうやり方があるのかということをしっかり憲法に規定しておくこと、これこそが、私は改正に向けての最大のテーマだというふうに思います。
さて、皆さん、これまで憲法調査会、憲法審査会でこの憲法の議論をしてきました。憲法調査会では憲法に対する調査をすると。しかし、この憲法審査会は、調査、研究をした後に憲法原案を作成して発議をするということが役割の一つとなっています。しかし、先ほど申し上げましたように、もちろん自主憲法を主張する政党から、あるいは創憲だ、加憲だ、あるいは憲法改正絶対反対、もうこんなに多様な政党があって、そしてこの憲法審査会でもその意見発表と自由討議だけが永遠に続いています。私たちは国民の期待に応えられていないんです。
そこで、会長、ちょっと一つ提案があります。
まず、この憲法審査会において、来年度、国民世論調査をやったらいかがでしょうか。憲法改正、まあ十ぐらいにテーマを集約して、国民の皆さんに、憲法を見直すとしたらどの条項、どのテーマから見直すべきか、あるいはどこに新しい条項を作るべきか、この世論調査をする。マスコミだけに任せていてはいけません。しっかりとこの憲法審査会で世論調査をやる。そのために来年度、予算を取るべきだと思います。そして、その世論調査を実行して、多くの国民の皆さんの憲法改正に向けての方向を把握した上で、来年、この憲法審査会においてしっかりとその発議案を議論すべきだと思います。これは、常に政局に追われている衆議院ではなくて、六年間保障されている参議院において、こうしたしっかりとした世論調査に基づく憲法改正案の発議ということが可能になるんだというふうに思っております。
したがいまして、これからも憲法審査会をやるたびに、意見表明だ、自由討議だ、これが永遠に続いていても全く憲法改正は進んでいきません。今、国民の五割以上が憲法は見直してもいいという世論が多くの調査で出ていますし、国会議員は、衆議院、参議院、共に三分の二以上の議員が憲法改正をやっていくべきだという考えを表明しております。こういう状況になってもなお議論しかできないのであれば、私は憲法審査会の役割は果たせないと思っておりまして、是非とも会長におかれましては、幹事会で、来年度、この審査会において憲法改正の国民世論調査を行い、そのための予算を確保し、そして憲法審査会において憲法改正案をしっかりとまとめていく、衆議院とも連携していく、こういう方向を取っていただきたいと思いますので、幹事会において是非とも御調整をいただきたいと思います。
以上です。
この発言だけを見る →私は、あえて、憲法改正に向けての方法論について意見を申し述べたいと思います。
憲法は決して不磨の大典ではありません。憲法の良い理念は守りつつも、時代に合わなくなったところ、あるいは現実と乖離してしまったところをしっかりと国会で議論をし、改正を発議し、国民の投票によって憲法は変えられる、憲法には九十六条の改正条項もあるわけで、これは、私は極めて大事な視点だというふうに思っております。
そうであれば、憲法の問題点は何かというと、恐らく今日ここにお集まりの皆さんそれぞれ違うと思うんですね。前文が問題だという方もいれば、あるいは天皇の国事行為がこれでいいのかと。あるいは、お話がありましたように、統治機構をこう見直したい、あるいは人権や自由権をこう見直したい、それぞれ意見があると思います。
私は、あえて、現行憲法の最大の問題点は、これは国家の危機から国民や平和や人権を守るための具体的な条項が欠如していること、つまり国家の防衛と国家緊急事態に対する条項が日本国憲法は欠如している、これは独立国家の憲法としては最大の欠陥であるというふうに思っています。
その国家の防衛と国家緊急事態に対して働くのが自衛隊であります。その自衛隊に対する規定がないというところ、私は、ここは見直していかなければいけない、しっかりと国には自衛権がある、自衛隊の皆さんにしっかりとその権限を行使してもらう、さらには自衛隊は文民統治でやっていく、これをしっかり書き込んでおくこと、あるいは、いざ国家として大きな災害やテロに遭ったときには、そのときに国家、国民を守るためにどういうやり方があるのかということをしっかり憲法に規定しておくこと、これこそが、私は改正に向けての最大のテーマだというふうに思います。
さて、皆さん、これまで憲法調査会、憲法審査会でこの憲法の議論をしてきました。憲法調査会では憲法に対する調査をすると。しかし、この憲法審査会は、調査、研究をした後に憲法原案を作成して発議をするということが役割の一つとなっています。しかし、先ほど申し上げましたように、もちろん自主憲法を主張する政党から、あるいは創憲だ、加憲だ、あるいは憲法改正絶対反対、もうこんなに多様な政党があって、そしてこの憲法審査会でもその意見発表と自由討議だけが永遠に続いています。私たちは国民の期待に応えられていないんです。
そこで、会長、ちょっと一つ提案があります。
まず、この憲法審査会において、来年度、国民世論調査をやったらいかがでしょうか。憲法改正、まあ十ぐらいにテーマを集約して、国民の皆さんに、憲法を見直すとしたらどの条項、どのテーマから見直すべきか、あるいはどこに新しい条項を作るべきか、この世論調査をする。マスコミだけに任せていてはいけません。しっかりとこの憲法審査会で世論調査をやる。そのために来年度、予算を取るべきだと思います。そして、その世論調査を実行して、多くの国民の皆さんの憲法改正に向けての方向を把握した上で、来年、この憲法審査会においてしっかりとその発議案を議論すべきだと思います。これは、常に政局に追われている衆議院ではなくて、六年間保障されている参議院において、こうしたしっかりとした世論調査に基づく憲法改正案の発議ということが可能になるんだというふうに思っております。
したがいまして、これからも憲法審査会をやるたびに、意見表明だ、自由討議だ、これが永遠に続いていても全く憲法改正は進んでいきません。今、国民の五割以上が憲法は見直してもいいという世論が多くの調査で出ていますし、国会議員は、衆議院、参議院、共に三分の二以上の議員が憲法改正をやっていくべきだという考えを表明しております。こういう状況になってもなお議論しかできないのであれば、私は憲法審査会の役割は果たせないと思っておりまして、是非とも会長におかれましては、幹事会で、来年度、この審査会において憲法改正の国民世論調査を行い、そのための予算を確保し、そして憲法審査会において憲法改正案をしっかりとまとめていく、衆議院とも連携していく、こういう方向を取っていただきたいと思いますので、幹事会において是非とも御調整をいただきたいと思います。
以上です。
柳
中
中山恭子#16
○中山恭子君 日本のこころを大切にする党の中山恭子でございます。
本日は、参議院憲法審査会におきまして、我が党の憲法に関する基本的な考えを表明する機会をいただき、誠にありがとうございます。
日本のこころの立党精神は、自主憲法の制定でございます。我が党の綱領では、日本の独立と繁栄を守り、国民の手による自主憲法を制定するとうたっています。
さらに、基本政策の第一に、「我が党は、長い歴史と伝統を持つ日本の国柄と日本人の心を大切にした、日本人の手による自主憲法の制定を目指す。」と掲げています。
我が党が自主憲法の制定を主張するのは、主に次の三つの理由によります。
第一に、日本国憲法は、主権が回復されていない時期に連合国軍総司令部、GHQと極東委員会、FECという外部勢力の関与と圧力の下で制定された憲法であるということです。総司令部によって原案が作成され、その後の審議においても逐一連合国総司令部の同意が必要とされ、また極東委員会の厳しい監視下に置かれていたことが明らかになっています。今年の八月十五日には、米国のバイデン副大統領が、日本国憲法は我々が書いたと明言なさいました。
いずれにしましても、日本国憲法は日本の国柄を全く知らないアメリカの人々が作った憲法であること、このことは憲法が国の基本を成す法であることから非常に重要な論点、重要なポイントであると考えています。
一九〇七年のハーグ陸戦法規、陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則に照らし、日本国憲法は国際法的にも正統性に疑問があると言わざるを得ません。日本国憲法を日本国民の手で作り直し、正統性を与えなければなりません。
第二に、現行憲法には自主憲法に当然含めるべき良い事項がたくさんあります。しかし、そのような成立過程で作成されたものであることから、現行憲法には日本国の歴史や伝統に基づく国柄が反映されていません。
マクネリー・メリーランド大学教授は、日本の憲法改正に対する国内的、国際的影響という論文の中で、日本国憲法前文はアメリカ等の歴史的文書のパッチワークであると指摘しています。日本国憲法前文は、米国の憲法や大西洋憲章、テヘラン宣言など、幾つもの既存の文章から写し取った切り張り、パッチワークです。日本国憲法がコピペとやゆされるゆえんでもあります。日本国憲法は、どこの国の憲法でもない憲法であると言えましょう。
明治憲法を作成するに当たり、一八八二年、憲法制度の調査のため渡欧していた伊藤博文がウィーン大学のシュタイン教授に協力を依頼したとき、シュタイン教授から、そもそも憲法とは民族精神の発露であって、自国の歴史や慣習に根差したものでなければならない、自分は日本の歴史や習慣を知らないので手伝えないと断られたと伝えられています。憲法は国の形を示すものであり、日本人自身の手で日本国の国柄を明確に表現した憲法にしなければなりません。
第三に、憲法の虚偽の部分を正さなければならないということです。現行憲法の上諭には、日本国憲法は自由に表明された日本国民の総意によって確定されたものであると記述されています。一体いつ、どこで、どのように日本国民の総意が問われたのでしょうか。現行憲法が日本国民の総意に基づいたものでないことは明らかであります。国民の意思を問うてこなかったのは政治の怠慢であり、責任放棄だったと言えるのではないでしょうか。今こそ、憲法改正国民投票法にのっとり、日本国民の意思が問われるときであります。
憲法改正の在り方について申し上げます。
我が党は、自主憲法の制定を訴えています。国会法第百二条の六には、憲法審査会の最大の目的は憲法原案を審査することにあると書いてあります。しかし、憲法改正の方法について、国会法第六十八条の三では、「憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする。」となっており、この方法ですと、憲法原案の審査は考慮されていません。現行法の部分改正を主眼とするのではなく、各党が憲法原案を提出し審査に着手すべきであり、憲法改正に先立ち、国会法の改正についても検討する必要があると考えます。
日本のこころは、憲法とは、伝統、歴史、文化などに立脚した国の形を表す国の基本法であるとの認識の下に、自主憲法の制定に向けて精力的に勉強を重ね、作業を進めています。近いうちに草案をお示ししたいと考えております。
以上でございます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →本日は、参議院憲法審査会におきまして、我が党の憲法に関する基本的な考えを表明する機会をいただき、誠にありがとうございます。
日本のこころの立党精神は、自主憲法の制定でございます。我が党の綱領では、日本の独立と繁栄を守り、国民の手による自主憲法を制定するとうたっています。
さらに、基本政策の第一に、「我が党は、長い歴史と伝統を持つ日本の国柄と日本人の心を大切にした、日本人の手による自主憲法の制定を目指す。」と掲げています。
我が党が自主憲法の制定を主張するのは、主に次の三つの理由によります。
第一に、日本国憲法は、主権が回復されていない時期に連合国軍総司令部、GHQと極東委員会、FECという外部勢力の関与と圧力の下で制定された憲法であるということです。総司令部によって原案が作成され、その後の審議においても逐一連合国総司令部の同意が必要とされ、また極東委員会の厳しい監視下に置かれていたことが明らかになっています。今年の八月十五日には、米国のバイデン副大統領が、日本国憲法は我々が書いたと明言なさいました。
いずれにしましても、日本国憲法は日本の国柄を全く知らないアメリカの人々が作った憲法であること、このことは憲法が国の基本を成す法であることから非常に重要な論点、重要なポイントであると考えています。
一九〇七年のハーグ陸戦法規、陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則に照らし、日本国憲法は国際法的にも正統性に疑問があると言わざるを得ません。日本国憲法を日本国民の手で作り直し、正統性を与えなければなりません。
第二に、現行憲法には自主憲法に当然含めるべき良い事項がたくさんあります。しかし、そのような成立過程で作成されたものであることから、現行憲法には日本国の歴史や伝統に基づく国柄が反映されていません。
マクネリー・メリーランド大学教授は、日本の憲法改正に対する国内的、国際的影響という論文の中で、日本国憲法前文はアメリカ等の歴史的文書のパッチワークであると指摘しています。日本国憲法前文は、米国の憲法や大西洋憲章、テヘラン宣言など、幾つもの既存の文章から写し取った切り張り、パッチワークです。日本国憲法がコピペとやゆされるゆえんでもあります。日本国憲法は、どこの国の憲法でもない憲法であると言えましょう。
明治憲法を作成するに当たり、一八八二年、憲法制度の調査のため渡欧していた伊藤博文がウィーン大学のシュタイン教授に協力を依頼したとき、シュタイン教授から、そもそも憲法とは民族精神の発露であって、自国の歴史や慣習に根差したものでなければならない、自分は日本の歴史や習慣を知らないので手伝えないと断られたと伝えられています。憲法は国の形を示すものであり、日本人自身の手で日本国の国柄を明確に表現した憲法にしなければなりません。
第三に、憲法の虚偽の部分を正さなければならないということです。現行憲法の上諭には、日本国憲法は自由に表明された日本国民の総意によって確定されたものであると記述されています。一体いつ、どこで、どのように日本国民の総意が問われたのでしょうか。現行憲法が日本国民の総意に基づいたものでないことは明らかであります。国民の意思を問うてこなかったのは政治の怠慢であり、責任放棄だったと言えるのではないでしょうか。今こそ、憲法改正国民投票法にのっとり、日本国民の意思が問われるときであります。
憲法改正の在り方について申し上げます。
我が党は、自主憲法の制定を訴えています。国会法第百二条の六には、憲法審査会の最大の目的は憲法原案を審査することにあると書いてあります。しかし、憲法改正の方法について、国会法第六十八条の三では、「憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする。」となっており、この方法ですと、憲法原案の審査は考慮されていません。現行法の部分改正を主眼とするのではなく、各党が憲法原案を提出し審査に着手すべきであり、憲法改正に先立ち、国会法の改正についても検討する必要があると考えます。
日本のこころは、憲法とは、伝統、歴史、文化などに立脚した国の形を表す国の基本法であるとの認識の下に、自主憲法の制定に向けて精力的に勉強を重ね、作業を進めています。近いうちに草案をお示ししたいと考えております。
以上でございます。ありがとうございました。
柳
柳本卓治#17
○会長(柳本卓治君) 次に、委員間の意見交換を行います。
発言を希望される方は、氏名標を立てていただき、会長の指名を受けた後、御発言願います。
多くの委員が発言の機会を得られますよう、一回の発言時間は各三分以内といたします。発言時間の経過状況をメモで通知し、時間が超過した際はベルを鳴らします。あらかじめ御承知願います。
それでは、発言を希望される方は氏名標を立ててください。
磯崎仁彦君。
この発言だけを見る →発言を希望される方は、氏名標を立てていただき、会長の指名を受けた後、御発言願います。
多くの委員が発言の機会を得られますよう、一回の発言時間は各三分以内といたします。発言時間の経過状況をメモで通知し、時間が超過した際はベルを鳴らします。あらかじめ御承知願います。
それでは、発言を希望される方は氏名標を立ててください。
磯崎仁彦君。
磯
磯崎仁彦#18
○磯崎仁彦君 自由民主党の磯崎仁彦です。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
私は、国権の最高機関であって国の唯一の立法機関である国会として憲法にどう向き合うべきかという点について意見を述べさせていただきたいと思います。
一点目は、憲法と法律について、二点目は、憲法改正の発議についてであります。
まず、一点目の憲法と法律についてですが、憲法第九十八条において、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定をされております。最高裁判所によって、これまでも何件もの法令違憲判決が出されております。古いところでは尊属殺重罰規定事件、薬事法距離制限事件、新しいところでは女子再婚禁止期間事件、非嫡出子法定相続分規定などであります。
三権分立の下、裁判所の憲法違憲判断を踏まえてその後速やかに法令改正をすることでも問題はないかもしれませんが、国民の皆さんの意識が多様化して、また慣例も変わる中では、国会も取り巻く環境に敏感であり、憲法に照らして法令がどうかということを常に意識することが必要ではないかと思います。
また、昨今、衆参の選挙制度に関して、一票の格差をめぐり訴訟が提起をされ、違憲状態の判決が出されています。しかしながら、裁判所はあくまで憲法に照らして公職選挙法の規定が違憲か合憲かを判断するまでで、人口減少が進む中、代表の在り方をどうすべきかという政策判断は行わない、いや、行えないわけでございます。人口減少の時代を迎えた今、地方を守り、国土を守るためにどのような代表の在り方が望ましいかを議論をし、必要であれば憲法の在り方まで踏み込めるのは国会をおいてほかにありません。憲法の枠内で法律で対応するのか、憲法の在り方まで踏み込んでいくのか、まさに国会の役割は大きいと言えます。
次に、憲法改正の発議についてです。
言うまでもなく、我が国は三権分立を取っています。立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は裁判所に帰属をしております。三権とも、憲法の枠内で法律を提出し、法律を制定し、法律を執行し、法律を審査しなければなりません。そして、主権者である国民の皆さんに対して憲法改正の発議を行えるのは国会だけです。
去る十一月三日、日本国憲法は公布七十周年を迎えました。七十年の間に我が国を取り巻く環境は大きく変わっています。国民の皆さんの意識にも大きな変化があります。憲法と現実との乖離、憲法がそもそも想定していなかった状況が現実となっています。自衛隊、私学助成、新しい人権等については、憲法の解釈で対応しているところもありますし、憲法の変遷で解決しようという学者も見受けられます。しかしながら、もはや解釈も、憲法の変遷といった論理で、現実との乖離、憲法の空白を埋めるには限界に来ているのではないかと思います。
これらの問題を議論をし、今の憲法の枠組みでは対応が難しいと判断したときに、憲法改正の発議を行うのは国会です。憲法はまさに我が国の在り方、我が国の形を示すものであり、我が国が大きな変革期にある中、国の在り方、国の形を憲法として国民の皆様にしっかりと提示をする、この国会としての責任をしっかりと自覚しなければいけないと思います。
以上でございます。
この発言だけを見る →私は、国権の最高機関であって国の唯一の立法機関である国会として憲法にどう向き合うべきかという点について意見を述べさせていただきたいと思います。
一点目は、憲法と法律について、二点目は、憲法改正の発議についてであります。
まず、一点目の憲法と法律についてですが、憲法第九十八条において、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定をされております。最高裁判所によって、これまでも何件もの法令違憲判決が出されております。古いところでは尊属殺重罰規定事件、薬事法距離制限事件、新しいところでは女子再婚禁止期間事件、非嫡出子法定相続分規定などであります。
三権分立の下、裁判所の憲法違憲判断を踏まえてその後速やかに法令改正をすることでも問題はないかもしれませんが、国民の皆さんの意識が多様化して、また慣例も変わる中では、国会も取り巻く環境に敏感であり、憲法に照らして法令がどうかということを常に意識することが必要ではないかと思います。
また、昨今、衆参の選挙制度に関して、一票の格差をめぐり訴訟が提起をされ、違憲状態の判決が出されています。しかしながら、裁判所はあくまで憲法に照らして公職選挙法の規定が違憲か合憲かを判断するまでで、人口減少が進む中、代表の在り方をどうすべきかという政策判断は行わない、いや、行えないわけでございます。人口減少の時代を迎えた今、地方を守り、国土を守るためにどのような代表の在り方が望ましいかを議論をし、必要であれば憲法の在り方まで踏み込めるのは国会をおいてほかにありません。憲法の枠内で法律で対応するのか、憲法の在り方まで踏み込んでいくのか、まさに国会の役割は大きいと言えます。
次に、憲法改正の発議についてです。
言うまでもなく、我が国は三権分立を取っています。立法権は国会に、行政権は内閣に、司法権は裁判所に帰属をしております。三権とも、憲法の枠内で法律を提出し、法律を制定し、法律を執行し、法律を審査しなければなりません。そして、主権者である国民の皆さんに対して憲法改正の発議を行えるのは国会だけです。
去る十一月三日、日本国憲法は公布七十周年を迎えました。七十年の間に我が国を取り巻く環境は大きく変わっています。国民の皆さんの意識にも大きな変化があります。憲法と現実との乖離、憲法がそもそも想定していなかった状況が現実となっています。自衛隊、私学助成、新しい人権等については、憲法の解釈で対応しているところもありますし、憲法の変遷で解決しようという学者も見受けられます。しかしながら、もはや解釈も、憲法の変遷といった論理で、現実との乖離、憲法の空白を埋めるには限界に来ているのではないかと思います。
これらの問題を議論をし、今の憲法の枠組みでは対応が難しいと判断したときに、憲法改正の発議を行うのは国会です。憲法はまさに我が国の在り方、我が国の形を示すものであり、我が国が大きな変革期にある中、国の在り方、国の形を憲法として国民の皆様にしっかりと提示をする、この国会としての責任をしっかりと自覚しなければいけないと思います。
以上でございます。
柳
藤
藤末健三#20
○藤末健三君 民進党・新緑風会の藤末健三でございます。
私は、一点、立憲主義についてお話をさせていただきたいと思います。
先ほど、公明党の西田委員からもお話がございましたように、我が国の日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三大原則として、立憲主義を基盤としております。しかしながら、我が国の今までの議論におきまして、この立憲主義が非常にないがしろにされているんじゃないかということを危惧しております。
憲法は、先ほど磯崎委員からもございましたように、国家の根本の秩序を定めた最高法規でございます。このことにつきましては、九十八条に、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と決められております。
また、同時に、国民が個人として尊重されるために必要な自由と人権を保障し、国家権力の濫用を防ぐための法律規範でございます。このことにつきましては、憲法九十七条に、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と規定されております。
このような中において、憲法は民法や商法などの一般の法律とは違います。国家が国民に対してあるべき法的基準を示し守らせるもの、これが法律であるわけでございますが、憲法は、国民側が作成し、強力な権力を有する政治家、政府などに対して守らせる法典というふうに考えられるわけであります。このことにつきましては、日本国憲法の九十九条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」というふうに規定されてございます。
立憲主義とは、憲法に基づき政治を行うことを意味しております。このような中におきまして、是非ともこの立憲主義という基本的な概念を我々がきちんとこの憲法審査会で議論させていただくことを提案させていただきます。
以上でございます。
この発言だけを見る →私は、一点、立憲主義についてお話をさせていただきたいと思います。
先ほど、公明党の西田委員からもお話がございましたように、我が国の日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三大原則として、立憲主義を基盤としております。しかしながら、我が国の今までの議論におきまして、この立憲主義が非常にないがしろにされているんじゃないかということを危惧しております。
憲法は、先ほど磯崎委員からもございましたように、国家の根本の秩序を定めた最高法規でございます。このことにつきましては、九十八条に、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と決められております。
また、同時に、国民が個人として尊重されるために必要な自由と人権を保障し、国家権力の濫用を防ぐための法律規範でございます。このことにつきましては、憲法九十七条に、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と規定されております。
このような中において、憲法は民法や商法などの一般の法律とは違います。国家が国民に対してあるべき法的基準を示し守らせるもの、これが法律であるわけでございますが、憲法は、国民側が作成し、強力な権力を有する政治家、政府などに対して守らせる法典というふうに考えられるわけであります。このことにつきましては、日本国憲法の九十九条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」というふうに規定されてございます。
立憲主義とは、憲法に基づき政治を行うことを意味しております。このような中におきまして、是非ともこの立憲主義という基本的な概念を我々がきちんとこの憲法審査会で議論させていただくことを提案させていただきます。
以上でございます。
柳
山
山下雄平#22
○山下雄平君 自由民主党の山下雄平です。発言の機会をいただきましてありがとうございます。
私も、磯崎議員が少々触れられました人口と議員定数の配分の問題について政策論の観点で問題点を指摘させていただいて、憲法改正の必要性を強調したいと思います。
私は、先頃まで行われておりましたアメリカの大統領選挙を考える題材にしたいと思います。
アメリカは五十州ありますけれども、一番人口が多いのはカリフォルニア州で、約三千七百万人いらっしゃるそうです。一方で、一番人口が少ないのはワイオミング州で、約五十六万人。その差は六十六倍にもなります。アメリカの大統領選挙は、御存じのとおり、選挙人の獲得人数を競われます。カリフォルニアではその選挙人は五十五人ですけれども、ワイオミングは三人しか割り振られていません。最少のこの三人が割り振られている州は、首都ワシントンDCも含めて八か所あります。
今回の大統領選挙で、ドナルド・トランプ氏、そしてヒラリー・クリントン氏、その両方が党の候補者になった後にどこの州に入ったのかを日本の外務省に調べてもらったところ、首都ワシントンDCを除くこの選挙人が一番少ない七州には両候補とも一度も足を踏み入れていらっしゃいませんでした。
国の政治に携わる者は、日本国憲法の規定のように全国民を代表しなければなりません。だから、その場所に行ったからとか行ったことがないからにかかわらず、全ての国土、国民のことを考えて政治に当たらなければなりませんけれども、皆さん、ここにいらっしゃる全ての皆さんは選挙を経ていらっしゃるので、よく御存じだと思いますけれども、そこに行ったからこそ、そこで見たからこそ、その声を聞いたからこそ分かることがたくさんあります。
選挙で選ばれる代表の数を人口だけに比例させていけば、人口が少ないところには徐々に国政に携わる人が行かなくなる危険性があるというのは、アメリカの大統領選を見れば明らかです。アメリカの場合は、憲法の規定に基づいて上院議会ではカリフォルニアもワイオミングも同じ数の議員が選ばれて、そうした問題を是正されております。
私は、二十代の頃、鳥取県に住んでいました。私の奥さんは高知県の出身です。両方とも今回合区になりました。そして、私は佐賀県の出身です。合区になった四県、そして福井県に次いで六番目に人口の少ないところの出身です。田舎の声、山の声、海の声、島の声、そうした声が国会に届かなくなるのではないかと非常に心配しております。そうした点も含めて、政策論の観点から議論していただければと思います。
この発言だけを見る →私も、磯崎議員が少々触れられました人口と議員定数の配分の問題について政策論の観点で問題点を指摘させていただいて、憲法改正の必要性を強調したいと思います。
私は、先頃まで行われておりましたアメリカの大統領選挙を考える題材にしたいと思います。
アメリカは五十州ありますけれども、一番人口が多いのはカリフォルニア州で、約三千七百万人いらっしゃるそうです。一方で、一番人口が少ないのはワイオミング州で、約五十六万人。その差は六十六倍にもなります。アメリカの大統領選挙は、御存じのとおり、選挙人の獲得人数を競われます。カリフォルニアではその選挙人は五十五人ですけれども、ワイオミングは三人しか割り振られていません。最少のこの三人が割り振られている州は、首都ワシントンDCも含めて八か所あります。
今回の大統領選挙で、ドナルド・トランプ氏、そしてヒラリー・クリントン氏、その両方が党の候補者になった後にどこの州に入ったのかを日本の外務省に調べてもらったところ、首都ワシントンDCを除くこの選挙人が一番少ない七州には両候補とも一度も足を踏み入れていらっしゃいませんでした。
国の政治に携わる者は、日本国憲法の規定のように全国民を代表しなければなりません。だから、その場所に行ったからとか行ったことがないからにかかわらず、全ての国土、国民のことを考えて政治に当たらなければなりませんけれども、皆さん、ここにいらっしゃる全ての皆さんは選挙を経ていらっしゃるので、よく御存じだと思いますけれども、そこに行ったからこそ、そこで見たからこそ、その声を聞いたからこそ分かることがたくさんあります。
選挙で選ばれる代表の数を人口だけに比例させていけば、人口が少ないところには徐々に国政に携わる人が行かなくなる危険性があるというのは、アメリカの大統領選を見れば明らかです。アメリカの場合は、憲法の規定に基づいて上院議会ではカリフォルニアもワイオミングも同じ数の議員が選ばれて、そうした問題を是正されております。
私は、二十代の頃、鳥取県に住んでいました。私の奥さんは高知県の出身です。両方とも今回合区になりました。そして、私は佐賀県の出身です。合区になった四県、そして福井県に次いで六番目に人口の少ないところの出身です。田舎の声、山の声、海の声、島の声、そうした声が国会に届かなくなるのではないかと非常に心配しております。そうした点も含めて、政策論の観点から議論していただければと思います。
柳
小
小西洋之#24
○小西洋之君 民進党の小西洋之でございます。
私は、我が参議院の憲法審査会が果たすべき役割について、まずは、憲法改正の議論ではなくて、憲法保障、主権者である国民の皆様の憲法、またそれがよって立つ立憲主義や法の支配を守るとりでとして、我が憲法審査会が憲法保障機能を全うする、憲法九十九条の下の、そして国会法百二条の六、そして平成二十六年の我が参議院の附帯決議である、立憲主義、国民主権、基本的人権の尊重、そして恒久平和主義の基本原理に基づいて徹底的に審議を尽くすと記してある附帯決議を守り、憲法保障機能を全うすることを先輩、同僚委員の皆様に呼びかけさせていただきたいと思います。
先ほど白眞勲筆頭幹事から御説明のありました昭和四十七年政府見解、安倍内閣による解釈変更の違憲の根拠、証明でございますけれども、これが意味するところは、過去の政府が我が参議院の決算委員会に提出した、内閣が国会に対して提出したその政府見解の文書、憲法九条を離れて、その政府見解を恣意的に読み替えて、新しい集団的自衛権という武力行使、それを容認する憲法規範を捏造しているという問題であります。
これは、申し上げると、解釈変更とかそういう話ではありませんで、解釈論ではなくて単なる不正でございます。つまり、憲法がよって立つところの法の支配、立憲主義そのものが、今私たちの国会で、そして日本社会で、日本政治で失われているわけでございます。
それはすなわち、憲法九条そして前文の平和主義が守っていた自衛隊員の命や尊厳、そして国民の皆様の生命というものが、主権者の国民投票なく奪われていることを意味します。こうした政治の下で憲法改正の議論ができるのか、していいのか、そのことが私たち国会議員に問われているものだというふうに考えるところでございます。
私も、国民の皆様のかけがえのない命や尊厳を守るために、憲法を変えないと作ることができない、違憲になってしまう法律があるのかどうか、その意味においての立法事実、憲法事実というものを議論することは、一議員としては賛成でございます。
例えば、衆議院の任期が満了したときに、もし大震災などが起きたときに国会が開けない、参議院の緊急集会の規定が憲法五十四条の二項しかないということがございます。ただ、これについては衆議院の任期の四年間の間に必ず総選挙をしていただくような国会法及び公選法の法改正によって対応することができるのではないか。
あるいは、参議院の合区の問題。私も徳島の生まれ育ちではございますけれども、七百二十名の国会議員がいる中で都道府県を選挙区としているのは参議院の選挙区選出議員のみでございます。一方で、私たちが作る法律は全て、ほとんど都道府県や市町村の行政区を基に法律を組み立てております。すなわち、都道府県全体を公共福祉の観点から見る、そうした国会議員集団が憲法の下で必要ではないか、そうした立論は法律論として、憲法論ではなくて、私はあり得るのではないかと思います。
先輩、同僚の皆さんとともに、こうした議論、ただし全ての前提として憲法保障機能を全うする、そのために、会長にお願いしたいんですけれども、四十七年見解に本当に集団的自衛権があるのかどうか、作成者の議事録などが残っておりますので、それをこの我が憲法審査会で検証することをお願いしたいと思います。
以上でございます。
この発言だけを見る →私は、我が参議院の憲法審査会が果たすべき役割について、まずは、憲法改正の議論ではなくて、憲法保障、主権者である国民の皆様の憲法、またそれがよって立つ立憲主義や法の支配を守るとりでとして、我が憲法審査会が憲法保障機能を全うする、憲法九十九条の下の、そして国会法百二条の六、そして平成二十六年の我が参議院の附帯決議である、立憲主義、国民主権、基本的人権の尊重、そして恒久平和主義の基本原理に基づいて徹底的に審議を尽くすと記してある附帯決議を守り、憲法保障機能を全うすることを先輩、同僚委員の皆様に呼びかけさせていただきたいと思います。
先ほど白眞勲筆頭幹事から御説明のありました昭和四十七年政府見解、安倍内閣による解釈変更の違憲の根拠、証明でございますけれども、これが意味するところは、過去の政府が我が参議院の決算委員会に提出した、内閣が国会に対して提出したその政府見解の文書、憲法九条を離れて、その政府見解を恣意的に読み替えて、新しい集団的自衛権という武力行使、それを容認する憲法規範を捏造しているという問題であります。
これは、申し上げると、解釈変更とかそういう話ではありませんで、解釈論ではなくて単なる不正でございます。つまり、憲法がよって立つところの法の支配、立憲主義そのものが、今私たちの国会で、そして日本社会で、日本政治で失われているわけでございます。
それはすなわち、憲法九条そして前文の平和主義が守っていた自衛隊員の命や尊厳、そして国民の皆様の生命というものが、主権者の国民投票なく奪われていることを意味します。こうした政治の下で憲法改正の議論ができるのか、していいのか、そのことが私たち国会議員に問われているものだというふうに考えるところでございます。
私も、国民の皆様のかけがえのない命や尊厳を守るために、憲法を変えないと作ることができない、違憲になってしまう法律があるのかどうか、その意味においての立法事実、憲法事実というものを議論することは、一議員としては賛成でございます。
例えば、衆議院の任期が満了したときに、もし大震災などが起きたときに国会が開けない、参議院の緊急集会の規定が憲法五十四条の二項しかないということがございます。ただ、これについては衆議院の任期の四年間の間に必ず総選挙をしていただくような国会法及び公選法の法改正によって対応することができるのではないか。
あるいは、参議院の合区の問題。私も徳島の生まれ育ちではございますけれども、七百二十名の国会議員がいる中で都道府県を選挙区としているのは参議院の選挙区選出議員のみでございます。一方で、私たちが作る法律は全て、ほとんど都道府県や市町村の行政区を基に法律を組み立てております。すなわち、都道府県全体を公共福祉の観点から見る、そうした国会議員集団が憲法の下で必要ではないか、そうした立論は法律論として、憲法論ではなくて、私はあり得るのではないかと思います。
先輩、同僚の皆さんとともに、こうした議論、ただし全ての前提として憲法保障機能を全うする、そのために、会長にお願いしたいんですけれども、四十七年見解に本当に集団的自衛権があるのかどうか、作成者の議事録などが残っておりますので、それをこの我が憲法審査会で検証することをお願いしたいと思います。
以上でございます。
柳
堂
堂故茂#26
○堂故茂君 自由民主党の堂故茂です。
日本国憲法には、環境や災害に対応する条項や矛盾箇所の訂正、そして正しい日本語の使い方など、改正すべき箇所が数多くあると考えます。
私は、人口減少と財政難に苦しむ自治体の首長を三年余り前までいたしておりました。市政の方向を示す総合計画と併せて五十年ぶりに市民憲章を改定するに当たり、二千人程度の市民の意識調査をする機会がありました。その中で、日本国憲法が施行された昭和二十年代と現在では、市政を取り巻く状況や市民意識において大きな変化が生じていることを改めて実感いたしました。
少子高齢化、人口減が急激に進んだこと、その結果、医療、福祉、教育、そして過疎化する集落への対応が強く求められるようになったこと。一方、高速道路網などの整備によって勤務先や生活圏が拡大し、交流時代に対応できる広域行政が求められていること。基礎自治体の仕事の大切さとともに、その限界も感じるようになりました。政治、経済、文化で結び付きの強い都道府県単位の広域的な自治体の果たす役割が大きくなっていると考えます。
サッカーのチームでいえば、市町村は市民に向き合う最前線にあるフォワードと言える存在でありますが、都道府県が果たしているバックスからミッドフィルダーとも言える役割が本当に大きくなってきていると思います。
憲法施行時にはそのような広域的行政の記述もなく、必要性も議論されていないのではないかと考えます。憲法にはっきりと基礎自治体と都道府県などの広域自治体のことを、そしてそこから選ばれる議員についても明記すべきだと考えます。
したがって、単に一票の格差の是正を合区に求めるのは、国土、国民を守っていく政治のあるべき方向、広域行政の在り方と全く逆の方向に向かうものではないかと心配します。
以上です。
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私は、人口減少と財政難に苦しむ自治体の首長を三年余り前までいたしておりました。市政の方向を示す総合計画と併せて五十年ぶりに市民憲章を改定するに当たり、二千人程度の市民の意識調査をする機会がありました。その中で、日本国憲法が施行された昭和二十年代と現在では、市政を取り巻く状況や市民意識において大きな変化が生じていることを改めて実感いたしました。
少子高齢化、人口減が急激に進んだこと、その結果、医療、福祉、教育、そして過疎化する集落への対応が強く求められるようになったこと。一方、高速道路網などの整備によって勤務先や生活圏が拡大し、交流時代に対応できる広域行政が求められていること。基礎自治体の仕事の大切さとともに、その限界も感じるようになりました。政治、経済、文化で結び付きの強い都道府県単位の広域的な自治体の果たす役割が大きくなっていると考えます。
サッカーのチームでいえば、市町村は市民に向き合う最前線にあるフォワードと言える存在でありますが、都道府県が果たしているバックスからミッドフィルダーとも言える役割が本当に大きくなってきていると思います。
憲法施行時にはそのような広域的行政の記述もなく、必要性も議論されていないのではないかと考えます。憲法にはっきりと基礎自治体と都道府県などの広域自治体のことを、そしてそこから選ばれる議員についても明記すべきだと考えます。
したがって、単に一票の格差の是正を合区に求めるのは、国土、国民を守っていく政治のあるべき方向、広域行政の在り方と全く逆の方向に向かうものではないかと心配します。
以上です。
柳
吉
吉良よし子#28
○吉良よし子君 日本共産党の吉良よし子です。
私は、改憲案のすり合わせになりかねないこの憲法審査会は動かすべきではないし、ましてや、自民党改憲草案を議論のベースにするなどもってのほかであることを訴えたいと思います。
自民党改憲草案は、立憲主義を否定し、憲法の基本原理を根底から覆すものです。とりわけ、表現の自由について、わざわざ「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と規定して、国民の知る権利や、言論、政治活動の自由を規制しようとしていること、また、現行憲法が人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であるとうたう基本的人権を制限しようとしていることは見過ごすわけにはいきません。
これは、決して改憲草案の中だけの問題ではありません。既に今、政府や自民党による国民の自由を踏みにじろうとする動きがあることは重大な問題です。
例えば、今年の初め、高市総務大臣が、政治的公平性が遵守されない番組が放送された場合、電波停止もあり得るとの答弁を繰り返し、憲法に基づき放送の自由を保障することを求めている放送法を踏みにじり、放送の自由を踏みにじる発言をしました。
また、さきの参議院選のときには、自民党が、教員の具体的な授業内容を密告させようとする、学校教育における政治的中立性についての実態調査を行いました。
そもそも、この調査において、政治的中立性を逸脱すると例示された、子供たちを戦場に送るなという言葉は、憲法の平和主義に照らして当たり前であり、政治的中立性からの逸脱などではあり得ません。十八歳選挙権の行使へ向けた主権者教育を行おうとしている教育現場を監視し、恩師や同僚の密告を奨励するようなやり方は、これから政治に参加しようとする子供たちをも萎縮させかねない行為であるとともに、教育の自由を踏みにじる行為です。
国民からも、高市大臣の発言にも、自民党の調査にも、強い怒りと批判の声が上がっています。何より、政治的公平性、中立性などの言葉で安倍政権の独自の価値観を一方的に国民に押し付けようという行為は、思想、信条の自由や内心の自由を保障する日本国憲法に照らして、絶対に許すわけにはいきません。
今必要なのは、憲法を壊したり変えたりすることではなく、現行憲法の自由と権利、平和と民主主義、全ての条項を守り生かし実現することです。だからこそ、憲法の基本原理を根底から覆す自民党改憲草案を議論のベースにするのはもってのほかであり、改憲案のすり合わせとなりかねない憲法審査会は絶対に動かすべきではないことを申し上げ、私の発言といたします。
この発言だけを見る →私は、改憲案のすり合わせになりかねないこの憲法審査会は動かすべきではないし、ましてや、自民党改憲草案を議論のベースにするなどもってのほかであることを訴えたいと思います。
自民党改憲草案は、立憲主義を否定し、憲法の基本原理を根底から覆すものです。とりわけ、表現の自由について、わざわざ「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」と規定して、国民の知る権利や、言論、政治活動の自由を規制しようとしていること、また、現行憲法が人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であるとうたう基本的人権を制限しようとしていることは見過ごすわけにはいきません。
これは、決して改憲草案の中だけの問題ではありません。既に今、政府や自民党による国民の自由を踏みにじろうとする動きがあることは重大な問題です。
例えば、今年の初め、高市総務大臣が、政治的公平性が遵守されない番組が放送された場合、電波停止もあり得るとの答弁を繰り返し、憲法に基づき放送の自由を保障することを求めている放送法を踏みにじり、放送の自由を踏みにじる発言をしました。
また、さきの参議院選のときには、自民党が、教員の具体的な授業内容を密告させようとする、学校教育における政治的中立性についての実態調査を行いました。
そもそも、この調査において、政治的中立性を逸脱すると例示された、子供たちを戦場に送るなという言葉は、憲法の平和主義に照らして当たり前であり、政治的中立性からの逸脱などではあり得ません。十八歳選挙権の行使へ向けた主権者教育を行おうとしている教育現場を監視し、恩師や同僚の密告を奨励するようなやり方は、これから政治に参加しようとする子供たちをも萎縮させかねない行為であるとともに、教育の自由を踏みにじる行為です。
国民からも、高市大臣の発言にも、自民党の調査にも、強い怒りと批判の声が上がっています。何より、政治的公平性、中立性などの言葉で安倍政権の独自の価値観を一方的に国民に押し付けようという行為は、思想、信条の自由や内心の自由を保障する日本国憲法に照らして、絶対に許すわけにはいきません。
今必要なのは、憲法を壊したり変えたりすることではなく、現行憲法の自由と権利、平和と民主主義、全ての条項を守り生かし実現することです。だからこそ、憲法の基本原理を根底から覆す自民党改憲草案を議論のベースにするのはもってのほかであり、改憲案のすり合わせとなりかねない憲法審査会は絶対に動かすべきではないことを申し上げ、私の発言といたします。
柳