行政改革に関する特別委員会公聴会
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会
会議録情報#0
昭和五十八年十月五日(水曜日)
午前十時一分開議
出席委員
委員長 金丸 信君
理事 江藤 隆美君 理事 海部 俊樹君
理事 津島 雄二君 理事 三塚 博君
理事 細谷 治嘉君 理事 矢山 有作君
理事 正木 良明君 理事 吉田 之久君
足立 篤郎君 愛野興一郎君
稻村佐近四郎君 今井 勇君
小里 貞利君 大村 襄治君
片岡 清一君 亀井 善之君
澁谷 直藏君 田中 龍夫君
谷 洋一君 中村 靖君
西岡 武夫君 原田昇左右君
保利 耕輔君 村田敬次郎君
後藤 茂君 沢田 広君
森井 忠良君 安井 吉典若
湯山 勇君 渡部 行雄君
草川 昭三君 中路 雅弘君
三浦 久君 小杉 隆君
出席公述人
日本行政学会理
事
元専修大学法学
部長 小関 紹夫君
埼玉大学教育学
部教授 暉峻 淑子君
早稲田大学政治
経済学部教授 片岡 寛光君
産経新聞社論説
委員 千田 恒君
名古屋大学法学
部教授 室井 力君
全日本労働総同
盟副会長 浅野総一郎君
出席政府委員
内閣審議官 手塚 康夫君
内閣審議官 百崎 英君
内閣総理大臣官
房総務審議官 橋本 豊君
行政管理政務次
官 菊池福治郎君
行政管理庁長官
官房総務審議官 竹村 晟君
行政管理庁長官
官房審議官 古橋源六郎君
行政管理庁行政
管理局長 門田 英郎君
行政管理庁行政
監察局長 中 庄二君
委員外の出席者
行政改革に関す
る特別委員会調
査室長 大澤 利貞君
─────────────
本日の公聴会で意見を聞いた案件
国家行政組織法の一部を改正する法律案(内閣提出、第九十八回国会閣法第三九号)
国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案(内閣提出第一号)
総務庁設置法案(内閣提出第二号)
総理府設置法の一部を改正する等の法律案(内閣提出第三号)
総務庁設置法等の一部を改正する法律案(内閣提出第四号)
行政事務の簡素合理化及び整理に関する法律案(内閣提出第五号)
────◇─────
この発言だけを見る →午前十時一分開議
出席委員
委員長 金丸 信君
理事 江藤 隆美君 理事 海部 俊樹君
理事 津島 雄二君 理事 三塚 博君
理事 細谷 治嘉君 理事 矢山 有作君
理事 正木 良明君 理事 吉田 之久君
足立 篤郎君 愛野興一郎君
稻村佐近四郎君 今井 勇君
小里 貞利君 大村 襄治君
片岡 清一君 亀井 善之君
澁谷 直藏君 田中 龍夫君
谷 洋一君 中村 靖君
西岡 武夫君 原田昇左右君
保利 耕輔君 村田敬次郎君
後藤 茂君 沢田 広君
森井 忠良君 安井 吉典若
湯山 勇君 渡部 行雄君
草川 昭三君 中路 雅弘君
三浦 久君 小杉 隆君
出席公述人
日本行政学会理
事
元専修大学法学
部長 小関 紹夫君
埼玉大学教育学
部教授 暉峻 淑子君
早稲田大学政治
経済学部教授 片岡 寛光君
産経新聞社論説
委員 千田 恒君
名古屋大学法学
部教授 室井 力君
全日本労働総同
盟副会長 浅野総一郎君
出席政府委員
内閣審議官 手塚 康夫君
内閣審議官 百崎 英君
内閣総理大臣官
房総務審議官 橋本 豊君
行政管理政務次
官 菊池福治郎君
行政管理庁長官
官房総務審議官 竹村 晟君
行政管理庁長官
官房審議官 古橋源六郎君
行政管理庁行政
管理局長 門田 英郎君
行政管理庁行政
監察局長 中 庄二君
委員外の出席者
行政改革に関す
る特別委員会調
査室長 大澤 利貞君
─────────────
本日の公聴会で意見を聞いた案件
国家行政組織法の一部を改正する法律案(内閣提出、第九十八回国会閣法第三九号)
国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案(内閣提出第一号)
総務庁設置法案(内閣提出第二号)
総理府設置法の一部を改正する等の法律案(内閣提出第三号)
総務庁設置法等の一部を改正する法律案(内閣提出第四号)
行政事務の簡素合理化及び整理に関する法律案(内閣提出第五号)
────◇─────
金
金丸信#1
○金丸委員長 これより会議を開きます。
内閣提出、国家行政組織法の一部を改正する法律案、国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案、総務庁設置法案、総理府設置法の一部を改正する等の法律案、総務庁設置法等の一部を改正する法律案及び行政事務の簡素合理化及び整理に関する法律案の各案について公聴会を行います。
この際、御出席の公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、大変御多用にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。行革関係六法案に対する御意見を拝聴し、各案審査の参考にいたしたいと存じますので、それぞれ忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。
次に、御意見を承る順序といたしましては、まず最初に小関公述人、次に暉峻公述人、次に片岡公述人の順序で、お一人十五分程度で一通り御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えをお願いいたしたいと存じます。
それでは、小関公述人にお願いをいたします。
この発言だけを見る →内閣提出、国家行政組織法の一部を改正する法律案、国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案、総務庁設置法案、総理府設置法の一部を改正する等の法律案、総務庁設置法等の一部を改正する法律案及び行政事務の簡素合理化及び整理に関する法律案の各案について公聴会を行います。
この際、御出席の公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、大変御多用にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。行革関係六法案に対する御意見を拝聴し、各案審査の参考にいたしたいと存じますので、それぞれ忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。
次に、御意見を承る順序といたしましては、まず最初に小関公述人、次に暉峻公述人、次に片岡公述人の順序で、お一人十五分程度で一通り御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えをお願いいたしたいと存じます。
それでは、小関公述人にお願いをいたします。
小
小関紹夫#2
○小関公述人 今次臨調は、行政改革の視点として、変化への対応、総合性の確保、簡素化・合理化、信頼性の確保を掲げており、行政の組織、内容は簡素でかつ流動的なものであるべきことを明らかにし、それに沿うて行政改革が行われるべきであるとしております。かくて、行政の効率性の向上のための施策として、民間活力の利用、行政の活性、弾力性の確保が企図されているところであります。
今次の行政改革の特徴は、これらの問題について、いろいろの立場からきわめて多様な意見なり批評が出されているということであります。私個人としましても、第二次臨調の答申を理想的なできだとは考えておりませんし、批判すべき点、要望すべき点も存することは言うまでもありませんが、今日のわが国の置かれている現状から見て、やはりその成果は認めてよいと思うのであります。
行政改革は、ただに今次だけに終わるものではなく、これからも引き続いて行われるべきものと思うのであります。したがって、このたび提出されている改革諸法案も、それらの一連におけるものとして考えたいと思うのであります。
まず最初に、国家行政組織法の一部を改正する法律案について申し述べます。
右法案の内容は、現在法律事項となっている各省庁の官房及び部局の新設、廃止を政令にゆだね、政府が自由に手直しできることとするもので、これに対し、右は国会の統制機能を阻害するものではないかとの意見があるようであります。
しかし、現代のように激しく変動する社会に対応する行政を行うためには、行政の内容を絶えず進展させる必要があり、したがって、省庁という大もとは別にして、実際の運営に当たる補助組織の変更を内閣の責任において行っていくことは、きわめて弾力に富んだ適切な措置と言えましょう。さらに、これらの変更を国民に周知させる公示の方法をもとられており、行政官庁の独善的体制になることを防ぐ配慮もなされておるところであります。
省庁の変更の法律事項には手がつけられていず、また国会の行政統制については、国政調査権を初めとし、予算審議、一般法案の審議過程において十分に行われ得るところで、これら補助組織の変動まで一々チェックしなければ国会の統制権が阻害されるとは考えられないのであります。
もっとも、基幹的な内部組織である官房及び局の膨張を生ぜしめないかという危惧に対しては、上限が決められているところであり、さらにスクラップ・アンド・ビルド方式によることが述べられており、これによって不当に現在以上部局がふえるおそれはまずないと言えましょう。
イギリスは、各省の内部組織は各大臣が定めることができ、省の統廃合や所掌事務の移動についてさえ、政令に相当する枢密院令で定められることになっております。ただし、この場合は両院または一院の同意が必要とされます。
西ドイツでは、各省の内部組織は各大臣が定め、省の設置や所掌事務も政令で定められます。
フランスでは、各省の内部組織は大統領の発する統令、これは政令に当たるものでありますが、等で定められ、省外局等の設置や所掌事務も統令で定められることになっております。
アメリカの省庁及び次官補以上の職については法律で定められますが、省によってはビューロー、局であります、この設置も法律で定められているところもあります。しかし、行政機構改革法という時限法をそのときどきに制定することにより、組織編成については大統領に大幅に権限がゆだねられております。
このように、変動する社会に対応し、国民の行政需要を満たすために政府の行政機構に機動力を与えたことは画期的のものというべく、将来の活力を期待したいと存ずる次第であります。
これに対し、もろ刃の剣であるという批判が出ております。しかし、戦後三十有余年、ようやく民主行政が育ってきた今日、国会議員の多数によって指名される内閣総理大臣によって組織され、連帯して国会に責任を負う内閣の行政責任のあり方も明確になってきている今日、国会は行政責任を追及することができないのではなく、いよいよ行政責任の重大性が確保されるべきだと考えます。国会により信任され、行政権を負託される政府に、より弾力的に、より効率的に行政効果を上げ得る方法としてこのような措置がとられることは、きわめて現代的と認めてよいのではないかと存ずる次第であります。
次に、国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案について申し述べます。
本法律は、文字どおり国家行政組織法の一部の改正に伴う各省設置法等関係法律二百三件について必要な整理を行うものでありまして、国家行政組織法の一部を改正する法律の施行期日を昭和五十九年七月一日と定めるほか、新たに各省庁全体の所掌事務の規定を設けるとともに、官房及び部の規定並びに庁次長、局、部の次長、国務大臣を長としない庁に置かれる総括整理職等政令によることとされる部分の規定が削られております。
その他、附属機関について審議会、施設機関及び特別機関に区分し、審議会及び施設等機関について法律で定めることを要しないものについてその規定が削られております。また、政令事項とされるに至った地方支分部局のうちブロック単位に設置された機関等の個別の名称、位置、管轄区域及び内部組織についての規定も削られております。
問題は、省庁の所掌事務に関する点でありますが、右は、これまでの局単位に規定されていたものを省段階に取りまとめたもので、内容には変更を見ないので問題とするところはありません。それに、附属機関についても基幹のものについては依然法律事項と残されているところで、本案についても妥当なものと思量する次第であります。
次に、総務庁設置法案について申し述べます。
政府の総合調整機能の強化は、首相のリーダーシップ発揮の重要要件として先進諸国においてもすでに実現されているところで、わが国においても第一次臨時行政調査会においても取り上げられたところであり、きわめて重要な課題の一つとされているものであります。
本法案は、総理府本府及び行政管理庁の組織と機能を統合再編成し、総理府の外局として総務庁を設置しようとするものであります。その点において今回の措置はいまだ理想的のものとは言いがたいのでありますが、行政機関の人事、機構、定員管理及び行政監察機能の一体的、総合的の運用をねらいとするもので、新鮮な現代的理論に裏打ちされた総合的行政管理機能の強化とその推進を図るものとして、きわめて意義のある措置と言えましよう。
それに、行政組織の編成に強い権限を与えられるに至った現在、今後の総務庁の責任は一段と重大化してまいったと申してよいと思います。したがって、この措置は変化への対応、行政の効率化に沿うものと言ってよく、これをもとにして一段と政府の総合調整機能の推進に努めていただきたいと願うものであります。今後その機能の発揮に期待したいと存じます。
次に、総理府設置法の一部を改正する等の法律案について申し述べます。
本法案は、総理府の外局として総理府本府及び行政管理庁の組織及び機能の統合再編成として総務庁が設置されることになったため、本府業務の整序を目的とするもので、所掌事務の整理、総理府総務長官及び総理府総務副長官の廃止、審議会等の各省庁への移管、行政管理庁の廃止、関係法律の規定の整理を行うものであります。
注目すべきは、この措置で国務大臣が一名減じ得ることになっていることで、その有効な活用は今後の課題であり、内閣の強化に充てられんことを希望するものであります。
次に、総務庁設置法等の一部を改正する法律案について申し述べます。
本法案は、府県単位機関の整理合理化を内容とするもので、地方行政監察局を初め地方公安調査局及び財務部を廃し、それぞれ行政監察事務所、公安調査事務所及び財務事務所に改めようとするものであります。
今日、地方の時代と言われるほど地方公共団体の行政の水準の向上が見られるようになった現在、いつまでも国の地方出先機関を存置する必要はなく、これを縮小したのは多年の宿題の解決に前進したものとして歓迎したいと存じます。
ただ、地方行政監察局の縮小は、地方に対する監察業務の必要がなくなったのではなく、一段と必要となったと言えるときに縮小はどうかと思われる節もないではありませんが、これはこれから検討が望まれている住民監査、オンブズマン制の実施等と相まって、行政の適正が行われるよう努力の必要があろうかと存じます。
業務は残されるようでありまするから、廃止に伴う欠陥は十分に償われるでありましょうから、実際上の問題はないと存じます。
次に、行政事務の簡素合理化及び整理に関する法律案について申し述べます。
本法案は、いわゆる許認可事務の整理、地方公共団体に対する機関委任事務の整理を内容とするもので、現状に対応する適切なものと思われます。民間の活力を促し、行政事務の簡素化を進める方法として大きな効果があるものと存じます。ただし、公共性の確保のため、必要な規制体制の弱化とつながらないよう配意すべきは当然でありますが、現状は多くのむだが指摘されているところでありまするから、今後とも思い切って整理する必要があろうかと存じ、今回の措置を歓迎したいと存じます。今後一段と作業を進めていただきたいと存ずるものであります。
以上、簡単ながら所見を述べて、上程法律案の速やかな成立を希望するものであることを申し添えるものであります。拍手
この発言だけを見る →今次の行政改革の特徴は、これらの問題について、いろいろの立場からきわめて多様な意見なり批評が出されているということであります。私個人としましても、第二次臨調の答申を理想的なできだとは考えておりませんし、批判すべき点、要望すべき点も存することは言うまでもありませんが、今日のわが国の置かれている現状から見て、やはりその成果は認めてよいと思うのであります。
行政改革は、ただに今次だけに終わるものではなく、これからも引き続いて行われるべきものと思うのであります。したがって、このたび提出されている改革諸法案も、それらの一連におけるものとして考えたいと思うのであります。
まず最初に、国家行政組織法の一部を改正する法律案について申し述べます。
右法案の内容は、現在法律事項となっている各省庁の官房及び部局の新設、廃止を政令にゆだね、政府が自由に手直しできることとするもので、これに対し、右は国会の統制機能を阻害するものではないかとの意見があるようであります。
しかし、現代のように激しく変動する社会に対応する行政を行うためには、行政の内容を絶えず進展させる必要があり、したがって、省庁という大もとは別にして、実際の運営に当たる補助組織の変更を内閣の責任において行っていくことは、きわめて弾力に富んだ適切な措置と言えましょう。さらに、これらの変更を国民に周知させる公示の方法をもとられており、行政官庁の独善的体制になることを防ぐ配慮もなされておるところであります。
省庁の変更の法律事項には手がつけられていず、また国会の行政統制については、国政調査権を初めとし、予算審議、一般法案の審議過程において十分に行われ得るところで、これら補助組織の変動まで一々チェックしなければ国会の統制権が阻害されるとは考えられないのであります。
もっとも、基幹的な内部組織である官房及び局の膨張を生ぜしめないかという危惧に対しては、上限が決められているところであり、さらにスクラップ・アンド・ビルド方式によることが述べられており、これによって不当に現在以上部局がふえるおそれはまずないと言えましょう。
イギリスは、各省の内部組織は各大臣が定めることができ、省の統廃合や所掌事務の移動についてさえ、政令に相当する枢密院令で定められることになっております。ただし、この場合は両院または一院の同意が必要とされます。
西ドイツでは、各省の内部組織は各大臣が定め、省の設置や所掌事務も政令で定められます。
フランスでは、各省の内部組織は大統領の発する統令、これは政令に当たるものでありますが、等で定められ、省外局等の設置や所掌事務も統令で定められることになっております。
アメリカの省庁及び次官補以上の職については法律で定められますが、省によってはビューロー、局であります、この設置も法律で定められているところもあります。しかし、行政機構改革法という時限法をそのときどきに制定することにより、組織編成については大統領に大幅に権限がゆだねられております。
このように、変動する社会に対応し、国民の行政需要を満たすために政府の行政機構に機動力を与えたことは画期的のものというべく、将来の活力を期待したいと存ずる次第であります。
これに対し、もろ刃の剣であるという批判が出ております。しかし、戦後三十有余年、ようやく民主行政が育ってきた今日、国会議員の多数によって指名される内閣総理大臣によって組織され、連帯して国会に責任を負う内閣の行政責任のあり方も明確になってきている今日、国会は行政責任を追及することができないのではなく、いよいよ行政責任の重大性が確保されるべきだと考えます。国会により信任され、行政権を負託される政府に、より弾力的に、より効率的に行政効果を上げ得る方法としてこのような措置がとられることは、きわめて現代的と認めてよいのではないかと存ずる次第であります。
次に、国家行政組織法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案について申し述べます。
本法律は、文字どおり国家行政組織法の一部の改正に伴う各省設置法等関係法律二百三件について必要な整理を行うものでありまして、国家行政組織法の一部を改正する法律の施行期日を昭和五十九年七月一日と定めるほか、新たに各省庁全体の所掌事務の規定を設けるとともに、官房及び部の規定並びに庁次長、局、部の次長、国務大臣を長としない庁に置かれる総括整理職等政令によることとされる部分の規定が削られております。
その他、附属機関について審議会、施設機関及び特別機関に区分し、審議会及び施設等機関について法律で定めることを要しないものについてその規定が削られております。また、政令事項とされるに至った地方支分部局のうちブロック単位に設置された機関等の個別の名称、位置、管轄区域及び内部組織についての規定も削られております。
問題は、省庁の所掌事務に関する点でありますが、右は、これまでの局単位に規定されていたものを省段階に取りまとめたもので、内容には変更を見ないので問題とするところはありません。それに、附属機関についても基幹のものについては依然法律事項と残されているところで、本案についても妥当なものと思量する次第であります。
次に、総務庁設置法案について申し述べます。
政府の総合調整機能の強化は、首相のリーダーシップ発揮の重要要件として先進諸国においてもすでに実現されているところで、わが国においても第一次臨時行政調査会においても取り上げられたところであり、きわめて重要な課題の一つとされているものであります。
本法案は、総理府本府及び行政管理庁の組織と機能を統合再編成し、総理府の外局として総務庁を設置しようとするものであります。その点において今回の措置はいまだ理想的のものとは言いがたいのでありますが、行政機関の人事、機構、定員管理及び行政監察機能の一体的、総合的の運用をねらいとするもので、新鮮な現代的理論に裏打ちされた総合的行政管理機能の強化とその推進を図るものとして、きわめて意義のある措置と言えましよう。
それに、行政組織の編成に強い権限を与えられるに至った現在、今後の総務庁の責任は一段と重大化してまいったと申してよいと思います。したがって、この措置は変化への対応、行政の効率化に沿うものと言ってよく、これをもとにして一段と政府の総合調整機能の推進に努めていただきたいと願うものであります。今後その機能の発揮に期待したいと存じます。
次に、総理府設置法の一部を改正する等の法律案について申し述べます。
本法案は、総理府の外局として総理府本府及び行政管理庁の組織及び機能の統合再編成として総務庁が設置されることになったため、本府業務の整序を目的とするもので、所掌事務の整理、総理府総務長官及び総理府総務副長官の廃止、審議会等の各省庁への移管、行政管理庁の廃止、関係法律の規定の整理を行うものであります。
注目すべきは、この措置で国務大臣が一名減じ得ることになっていることで、その有効な活用は今後の課題であり、内閣の強化に充てられんことを希望するものであります。
次に、総務庁設置法等の一部を改正する法律案について申し述べます。
本法案は、府県単位機関の整理合理化を内容とするもので、地方行政監察局を初め地方公安調査局及び財務部を廃し、それぞれ行政監察事務所、公安調査事務所及び財務事務所に改めようとするものであります。
今日、地方の時代と言われるほど地方公共団体の行政の水準の向上が見られるようになった現在、いつまでも国の地方出先機関を存置する必要はなく、これを縮小したのは多年の宿題の解決に前進したものとして歓迎したいと存じます。
ただ、地方行政監察局の縮小は、地方に対する監察業務の必要がなくなったのではなく、一段と必要となったと言えるときに縮小はどうかと思われる節もないではありませんが、これはこれから検討が望まれている住民監査、オンブズマン制の実施等と相まって、行政の適正が行われるよう努力の必要があろうかと存じます。
業務は残されるようでありまするから、廃止に伴う欠陥は十分に償われるでありましょうから、実際上の問題はないと存じます。
次に、行政事務の簡素合理化及び整理に関する法律案について申し述べます。
本法案は、いわゆる許認可事務の整理、地方公共団体に対する機関委任事務の整理を内容とするもので、現状に対応する適切なものと思われます。民間の活力を促し、行政事務の簡素化を進める方法として大きな効果があるものと存じます。ただし、公共性の確保のため、必要な規制体制の弱化とつながらないよう配意すべきは当然でありますが、現状は多くのむだが指摘されているところでありまするから、今後とも思い切って整理する必要があろうかと存じ、今回の措置を歓迎したいと存じます。今後一段と作業を進めていただきたいと存ずるものであります。
以上、簡単ながら所見を述べて、上程法律案の速やかな成立を希望するものであることを申し添えるものであります。拍手
金
暉
暉峻淑子#4
○暉峻公述人 暉峻でございます。私は、国民生活を代表してこの委員会に国民の声をお伝えしたいと思って伺いました。
この委員会が設けられましたときに、私どもは率直に言って、こんな委員会をつくって何をするんだろうというのが本当に率直な国民の声でございます。といいますのは、私どもは、財政再建、行政改革というのを一番最初に結びつけて政府側が国民に宣伝なさいましたので、行政改革をすれば財政再建もできる、それから増税もしなくてよいということを、正直な人間ほど真に受けて承ったわけでございます。ところが、財政再建のプランというのは、五十年代には赤字をなくすという約束は五十九年度というのがめどだったと思いますが、これはもろくも崩れてしまいました。その崩したものは国民の非協力ということではなくて、結局利権ですね、国の財政が利権のために使われているという、そのことが本当の理由であり続けていると思います。その幾つかの例は後でちょっと申し上げます。
それで、財政再建というのをなさる気がおありになるならば、いま六十五年度までにやるとおっしゃるのですけれども、少なくとも項目別に、それは税収の問題とのかかわりもあると思いますが、この項目で削っていくのは、こことこことここを第一番目に削り、こういうふうにするという六十五年度までのその表を国民に示してほしいのですね。何の項目が削られて、それでつじつまがどうやって合っていくのか。
それで、中曽根さんが総理大臣になられたときに行革の中曽根という言葉を大分売っていられましたので、国民はそれも信用して、今度は何とかなるかというふうに思った人が多いと思います。ところが、中曽根さんがいままでしてくださったことは、国防費をふやすことと、それから改憲への意思が何かちらちらと見えるということでして、行革の方はさっぱり進んでいないということですね。進んでいるのは、文教、福祉というものがどんどん削られていって私たちの周りにも困っている人がたくさんおりますが、そういうことだけです。
それで、行政改革をなぜいまの政府ができないかというと、これはやはり政府と利権と官とが強く結びついているということで、やろうにもできない。もし利権と政府の結びつきを断つという気持ちがおありになるのならば、今度のロッキード事件に対してももっとちゃんとした姿勢を国民に示してくだされば、それだけでも私たちは、ああ、政財官の癒着が断てる、そういう気構えがあるのだなと安心するのですが、航特委もどうなったのかわからなくなってしまいましたし、将来の展望というのは、本当に国民からの期待はないわけです。ですから私は、ここに出席するときも、もう何を言ってもどっちみち同じなのだという無力感が先で、出てくる気持ちもなかったくらいなのです。
それで、六十五年度までに赤字をなくすためのちゃんとしたプランが全く示されないで、このごろ、今度は行革と財政再建は切り離すという変な話になってきまして、行革は行革で別個に審議するというような形になってきました。そのことの国民への言いわけ、あるいは選挙対策というのがこの委員会の仕事ではないのだろうかと、邪推なのかもしれませんが、私たちはこれまでの流れの上でそういう結論に自然になってしまうのですね。第一、この法案で出されている総務庁の案でも、大臣の数はちっとも減らないのですね。これ一つからいっても、総務庁案というのが何のためにつくられるのかさっぱりわからないということです。
私たちは素人ですから、かえってよけいな理屈でごまかされることになれないもので、大変率直にいろいろな疑問が浮かんでまいります。それで、こういう特別委員会をつくって何か審議したという形だけつくって、選挙の後は結局は間接税の大増税という形になってくるのではないかしらというのが、私たち特に主婦の間で非常に心配されていることです。
実際に間接税が増税されなくても、すでに大蔵省が発表しておりますように、私たちサラリーマンの税金は二年間で二・四倍になっているのですね。六年前に比べると四兆六千億もの増税を私たちだけがしょっているのです。その十兆八千億という源泉所得税は法人税の九兆五千億を抜いてしまっているわけで、その中でも給与所得にかかってくる私たちの勤労所得税だけでほぼ八兆円、七兆九千億もあるわけですから、私たちは間接税の増税などされなくても、もうあっぷあっぷしているわけです。
それから、私は東京都の家計調査の中から、私たちが現在どれだけ間接税を負担しているかということを細かく試算してみたのですが、各世帯で所得税とほぼ同額の間接税をすでに負担しております。これはお望みでしたら、「公共サービスと国民生活」という先月出しました本の中にその計算の基礎を書いておりますので、どうぞ後でごらんになってくださいませ。
それで、私どもはそれだけ増税をされているのに、では増税された分だけ生活は少し楽になってきたのかというと、とんでもないことでして、御承知のように行革一括法案というのがありましたときに、法律補助金二千五百億円のうち何と二千四十億円の文教、福祉に関する予算が削られてしまったわけでございます。予算補助金も千六百三十六億円のうち九百十一億円は文教、福祉だったわけで、結局削るというときに、さっき言いました利権とのつながりは断たれないまま、政治献金をしていない私たちに全部しわ寄せが来ているわけなんですね。
これはもう私たちにとっては、幾ら何かを言われましても削られていく、それから予算の伸び率を見ましても理屈抜きに数字で示されていることでして、行革というのはどっちを向けて流れていくかということは、本当に一番税金を納め、しかも一番弱い者にしわが寄せられて、これは行革じゃないですね。行政改革というと、国民にとって行政はサービスをするものですから、国民生活に一番寄与し得る形になるというのが行政改革だと私たちは思っていたのですね。ところが、全くその反対の形にいってしまっているということを本当に情けなく思っております。
それで、実際私どもの方で今度の予算の編成を見てみましても、たとえば厚生省は、本当は何にもいまのサービスはふやさない、それで老人人口がふえたりして当然増になるのが九千億ありましたのに、たった二千億しか下さらないで七千億は削ってしまうというのは、これは大蔵省が言ったのじゃないですね、閣議で決めておしまいになったわけです。閣議がこれを決めておしまいになって、私たちはもうとても大変だといってみんな青くなっているわけですけれども、そうなると、今度選挙が近いということになってくるとこれでは選挙は勝てないといって、自民党の方からまたその七千億をどうにかしなければというふうになってきているわけですね。ということは、私たちから見るとこれは一つの演劇にすぎないので、七千億はやらないと言っておいて、何かある有力な議員のおかげでまたそれが復活したという目玉に使われるのではないか。一体国会は行革のことをどういうふうに考えていられるのだろうと思って、まじめに行革の行方を初めからずっと見ている私たちは本当に心配でなりません。
しかも、八割給付になって浮く三百六十億円、入院の給食をもう給付しない、自己負担にする二百九十億円、それから国民健康保険の国庫負担千二百億円、そういうようなものは、私たちが新聞で報ぜられているものだけをざっと見ましても、たとえばむだな公共事業、そういうものが会計検査院で摘発されたものだけでも四兆もあるということ、これは公共事業が主たるものです。それから、たとえば福井港なんかで何千億円もかけて五年間でたった一隻しか船が入ってこなかったというような例が報告されましたり、本当に一体国民のことを何と思っていられるのでしょう。私たちは、削られればだれか家族がそれを補う。この間コラムニストが老人の奥さんの首を締めて殺した事件とか、老夫婦の心中事件というのが新聞に報ぜられない日はないくらいなんですね。それなのに一体行革というのは何を目指していられるのでしょうか。本当に暗たんたるものを感じます。
それで、いま問題になっている例を一つだけ象徴的に言わせていただきますと、たとえば製薬メーカーとか営利的な医療の犠牲になっている富士見病院事件というのも、お金だけかかって国民には犠牲をかけたという例ですけれども、もう一つ、いま精神衛生実態調査というのが行われようとして、これは患者の人権、それから何よりも患者と医者の治療関係を破壊するという形で進められようとしているのですね。これはもう厚生省がやるやる、どうしてもやると強引に言っているのですが、私は統計調査を数多く扱いますので、ここで調べられる調査票を克明に見てみますと、これで調査される項目はみんなわかっているものばかりです。たとえば国の指定統計の国民健康調査、ここに今度調べようとするもののもっと詳細な調査があります。それから医療施設調査病院報告、これにも克明なものが載っております。それから患者調査、これも国の指定統計ですが、どうぞごらんください。第一、厚生省そのものが「我が国の精神衛生」といいまして、いま掲げましたこれらの調査から引用してここに載せているから、厚生省が知らないということはないんですね。
今度の土光さんの臨調でも、統計の重複を避ける、このことによって費用のむだ遣いをやめるということをうたっていられるわけなんですが、そういうことがあっても、だれの判こもない、利権も結びつかない、こういう問題でさえ、幾ら私たちがこれはむだだ、むだどころか犠牲が多いということを説明しても、これは縄張りなんでしょうか、あるいはだれかの何か地位、ポストにかかっているんでしょうか、国民には関係のないところで、どうしてもやると言われているんですね。こういうばかばかしいことというのがあり過ぎるんです。これは、許認可事務の問題にしても何でもそうなんですね。
ですから私たちは、今度の委員会がここに掲げてある幾つかの法案を審議されるということはもちろん結構ですけれども、もうどうしようもない利権との結びつきと縄張り根性を断つためには、もうわが国では政権交代ということでこれが是正されませんので、むしろ中央に集中している利権を断つために地方自治体に大幅に税源を委譲し、地方自治体の行政に対する住民参加の手続というものをはっきり定めて、行革の主体を国民に移してもらいたいんです。政治家にお任せしていても結局いままでお話ししたとおりですので、私たちがやります。ですから、そのためにはどうぞ地方自治体の方に主権を渡し、地方自治体に国民が、住民の私たちが参加できるような形でやってください。そしてそのためには、いま一番言われていない、先細りというかぽしょっと言葉でだけ言われた情報公開というのを、私たちが本当にできるようにしてください。そうしましたら、開かれた情報のもとに私たち住民が行政改革のイニシアチブをとりたい、こういうことです。
そういう大きな視点を含めてこの委員会が審議をしてくださるならば、私たちはまだ期待をいたしますけれども、いま言ったような体質ですね、言われても言われても直らない。お砂糖に群がるアリのように、私たちの納めた税金を食い物にする、そういう体質が改められない限りは、この委員会には期待できないという感じを持っております。
以上でございます。拍手
この発言だけを見る →この委員会が設けられましたときに、私どもは率直に言って、こんな委員会をつくって何をするんだろうというのが本当に率直な国民の声でございます。といいますのは、私どもは、財政再建、行政改革というのを一番最初に結びつけて政府側が国民に宣伝なさいましたので、行政改革をすれば財政再建もできる、それから増税もしなくてよいということを、正直な人間ほど真に受けて承ったわけでございます。ところが、財政再建のプランというのは、五十年代には赤字をなくすという約束は五十九年度というのがめどだったと思いますが、これはもろくも崩れてしまいました。その崩したものは国民の非協力ということではなくて、結局利権ですね、国の財政が利権のために使われているという、そのことが本当の理由であり続けていると思います。その幾つかの例は後でちょっと申し上げます。
それで、財政再建というのをなさる気がおありになるならば、いま六十五年度までにやるとおっしゃるのですけれども、少なくとも項目別に、それは税収の問題とのかかわりもあると思いますが、この項目で削っていくのは、こことこことここを第一番目に削り、こういうふうにするという六十五年度までのその表を国民に示してほしいのですね。何の項目が削られて、それでつじつまがどうやって合っていくのか。
それで、中曽根さんが総理大臣になられたときに行革の中曽根という言葉を大分売っていられましたので、国民はそれも信用して、今度は何とかなるかというふうに思った人が多いと思います。ところが、中曽根さんがいままでしてくださったことは、国防費をふやすことと、それから改憲への意思が何かちらちらと見えるということでして、行革の方はさっぱり進んでいないということですね。進んでいるのは、文教、福祉というものがどんどん削られていって私たちの周りにも困っている人がたくさんおりますが、そういうことだけです。
それで、行政改革をなぜいまの政府ができないかというと、これはやはり政府と利権と官とが強く結びついているということで、やろうにもできない。もし利権と政府の結びつきを断つという気持ちがおありになるのならば、今度のロッキード事件に対してももっとちゃんとした姿勢を国民に示してくだされば、それだけでも私たちは、ああ、政財官の癒着が断てる、そういう気構えがあるのだなと安心するのですが、航特委もどうなったのかわからなくなってしまいましたし、将来の展望というのは、本当に国民からの期待はないわけです。ですから私は、ここに出席するときも、もう何を言ってもどっちみち同じなのだという無力感が先で、出てくる気持ちもなかったくらいなのです。
それで、六十五年度までに赤字をなくすためのちゃんとしたプランが全く示されないで、このごろ、今度は行革と財政再建は切り離すという変な話になってきまして、行革は行革で別個に審議するというような形になってきました。そのことの国民への言いわけ、あるいは選挙対策というのがこの委員会の仕事ではないのだろうかと、邪推なのかもしれませんが、私たちはこれまでの流れの上でそういう結論に自然になってしまうのですね。第一、この法案で出されている総務庁の案でも、大臣の数はちっとも減らないのですね。これ一つからいっても、総務庁案というのが何のためにつくられるのかさっぱりわからないということです。
私たちは素人ですから、かえってよけいな理屈でごまかされることになれないもので、大変率直にいろいろな疑問が浮かんでまいります。それで、こういう特別委員会をつくって何か審議したという形だけつくって、選挙の後は結局は間接税の大増税という形になってくるのではないかしらというのが、私たち特に主婦の間で非常に心配されていることです。
実際に間接税が増税されなくても、すでに大蔵省が発表しておりますように、私たちサラリーマンの税金は二年間で二・四倍になっているのですね。六年前に比べると四兆六千億もの増税を私たちだけがしょっているのです。その十兆八千億という源泉所得税は法人税の九兆五千億を抜いてしまっているわけで、その中でも給与所得にかかってくる私たちの勤労所得税だけでほぼ八兆円、七兆九千億もあるわけですから、私たちは間接税の増税などされなくても、もうあっぷあっぷしているわけです。
それから、私は東京都の家計調査の中から、私たちが現在どれだけ間接税を負担しているかということを細かく試算してみたのですが、各世帯で所得税とほぼ同額の間接税をすでに負担しております。これはお望みでしたら、「公共サービスと国民生活」という先月出しました本の中にその計算の基礎を書いておりますので、どうぞ後でごらんになってくださいませ。
それで、私どもはそれだけ増税をされているのに、では増税された分だけ生活は少し楽になってきたのかというと、とんでもないことでして、御承知のように行革一括法案というのがありましたときに、法律補助金二千五百億円のうち何と二千四十億円の文教、福祉に関する予算が削られてしまったわけでございます。予算補助金も千六百三十六億円のうち九百十一億円は文教、福祉だったわけで、結局削るというときに、さっき言いました利権とのつながりは断たれないまま、政治献金をしていない私たちに全部しわ寄せが来ているわけなんですね。
これはもう私たちにとっては、幾ら何かを言われましても削られていく、それから予算の伸び率を見ましても理屈抜きに数字で示されていることでして、行革というのはどっちを向けて流れていくかということは、本当に一番税金を納め、しかも一番弱い者にしわが寄せられて、これは行革じゃないですね。行政改革というと、国民にとって行政はサービスをするものですから、国民生活に一番寄与し得る形になるというのが行政改革だと私たちは思っていたのですね。ところが、全くその反対の形にいってしまっているということを本当に情けなく思っております。
それで、実際私どもの方で今度の予算の編成を見てみましても、たとえば厚生省は、本当は何にもいまのサービスはふやさない、それで老人人口がふえたりして当然増になるのが九千億ありましたのに、たった二千億しか下さらないで七千億は削ってしまうというのは、これは大蔵省が言ったのじゃないですね、閣議で決めておしまいになったわけです。閣議がこれを決めておしまいになって、私たちはもうとても大変だといってみんな青くなっているわけですけれども、そうなると、今度選挙が近いということになってくるとこれでは選挙は勝てないといって、自民党の方からまたその七千億をどうにかしなければというふうになってきているわけですね。ということは、私たちから見るとこれは一つの演劇にすぎないので、七千億はやらないと言っておいて、何かある有力な議員のおかげでまたそれが復活したという目玉に使われるのではないか。一体国会は行革のことをどういうふうに考えていられるのだろうと思って、まじめに行革の行方を初めからずっと見ている私たちは本当に心配でなりません。
しかも、八割給付になって浮く三百六十億円、入院の給食をもう給付しない、自己負担にする二百九十億円、それから国民健康保険の国庫負担千二百億円、そういうようなものは、私たちが新聞で報ぜられているものだけをざっと見ましても、たとえばむだな公共事業、そういうものが会計検査院で摘発されたものだけでも四兆もあるということ、これは公共事業が主たるものです。それから、たとえば福井港なんかで何千億円もかけて五年間でたった一隻しか船が入ってこなかったというような例が報告されましたり、本当に一体国民のことを何と思っていられるのでしょう。私たちは、削られればだれか家族がそれを補う。この間コラムニストが老人の奥さんの首を締めて殺した事件とか、老夫婦の心中事件というのが新聞に報ぜられない日はないくらいなんですね。それなのに一体行革というのは何を目指していられるのでしょうか。本当に暗たんたるものを感じます。
それで、いま問題になっている例を一つだけ象徴的に言わせていただきますと、たとえば製薬メーカーとか営利的な医療の犠牲になっている富士見病院事件というのも、お金だけかかって国民には犠牲をかけたという例ですけれども、もう一つ、いま精神衛生実態調査というのが行われようとして、これは患者の人権、それから何よりも患者と医者の治療関係を破壊するという形で進められようとしているのですね。これはもう厚生省がやるやる、どうしてもやると強引に言っているのですが、私は統計調査を数多く扱いますので、ここで調べられる調査票を克明に見てみますと、これで調査される項目はみんなわかっているものばかりです。たとえば国の指定統計の国民健康調査、ここに今度調べようとするもののもっと詳細な調査があります。それから医療施設調査病院報告、これにも克明なものが載っております。それから患者調査、これも国の指定統計ですが、どうぞごらんください。第一、厚生省そのものが「我が国の精神衛生」といいまして、いま掲げましたこれらの調査から引用してここに載せているから、厚生省が知らないということはないんですね。
今度の土光さんの臨調でも、統計の重複を避ける、このことによって費用のむだ遣いをやめるということをうたっていられるわけなんですが、そういうことがあっても、だれの判こもない、利権も結びつかない、こういう問題でさえ、幾ら私たちがこれはむだだ、むだどころか犠牲が多いということを説明しても、これは縄張りなんでしょうか、あるいはだれかの何か地位、ポストにかかっているんでしょうか、国民には関係のないところで、どうしてもやると言われているんですね。こういうばかばかしいことというのがあり過ぎるんです。これは、許認可事務の問題にしても何でもそうなんですね。
ですから私たちは、今度の委員会がここに掲げてある幾つかの法案を審議されるということはもちろん結構ですけれども、もうどうしようもない利権との結びつきと縄張り根性を断つためには、もうわが国では政権交代ということでこれが是正されませんので、むしろ中央に集中している利権を断つために地方自治体に大幅に税源を委譲し、地方自治体の行政に対する住民参加の手続というものをはっきり定めて、行革の主体を国民に移してもらいたいんです。政治家にお任せしていても結局いままでお話ししたとおりですので、私たちがやります。ですから、そのためにはどうぞ地方自治体の方に主権を渡し、地方自治体に国民が、住民の私たちが参加できるような形でやってください。そしてそのためには、いま一番言われていない、先細りというかぽしょっと言葉でだけ言われた情報公開というのを、私たちが本当にできるようにしてください。そうしましたら、開かれた情報のもとに私たち住民が行政改革のイニシアチブをとりたい、こういうことです。
そういう大きな視点を含めてこの委員会が審議をしてくださるならば、私たちはまだ期待をいたしますけれども、いま言ったような体質ですね、言われても言われても直らない。お砂糖に群がるアリのように、私たちの納めた税金を食い物にする、そういう体質が改められない限りは、この委員会には期待できないという感じを持っております。
以上でございます。拍手
金
片
片岡寛光#6
○片岡公述人 貴委員会におきまして所見を述べさせていただく機会を与えられましたことを、厚く感謝申し上げます。
今回、六本の行政改革関連法案が提出されるに当たりましての関係各位の御尽力に対しまして、深甚なる敬意を表するものでございます。しかしながら、芸術家がその作品を通じてのみ評価されますように、そこに盛られた改革案だけから評価させていただきますと、必ずしもその内容が十分でないということを指摘しなければなりません。
まず、今回の関連法案を見てみまして、一体何のための行政改革かということが必ずしも明確でないということを指摘せざるを得ないのでございます。本来、今回の行政改革は、「増税なき財政再建」の目的を旗印として始まったはずでございますけれども、直接この目的に奉仕し得る案件と申しますのは、許認可の整理三十九件等ごくわずかでございます。もちろん、複雑に錯綜いたしました現代社会がそのまま昔の小さな政府の時代に戻ることはできませんけれども、とは申しましても、そうかといいましてそれでは大きな政府というのがよろしいわけでもないわけでございます。政府にはおのずから節度というものが求められるわけでございます。
今日、国民経済における財政の占める比重と申しますのは、欧米諸国に比べますればまだ低い段階にあると申しましても、しかし、過去十年間の財政規模の膨張率を見てみますと、欧米諸国に見られない急激な上昇率を示しているわけでございまして、このままで推移いたしますと、先日来瀬島さんが四〇%から四五%という目標を示されたというごとでございますが、その数字を突破するのも間もなくであるわけでございまして、ここに何か思い切った措置というものが求められるわけでございます。
政府は、本省庁に設けられます局の数の上限を現在の百二十八に置くことによって行政規模の拡大に対する歯どめとしておられますけれども、この省における局の数の規模を将来に向かって縮減することを含めて、いろいろな検討を加えていく必要があろうかと思われるわけでございます。その際に、局の数を制限することによって、逆に、たとえば部でありますとか課でありますとか、そういうものが増大してはまた意味がないわけでございまして、これをトータルにどのようにして抑えていくかということを、もうちょっと真剣に考えていかなければならないと思います。
国家行政組織法の一部を改正いたしまして、現在法律事項となっております行政機関の内部組織、官房でありますとか局、部の設置、改廃を政令事項に改める件につきましては、行政の弾力性の要請から申しまして、これはある程度必要かと思います。先ほど小関先生からヨーロッパの例の御紹介がありましたが、全世界的傾向から見ますと、やはりまだ法律事項としている国の方が私は多いと思います。ですけれども、内部組織まで法律事項にしているという国は余りないわけでございまして、そういった点では、今回の改正もやむを得ないことであろうかと思います。
ですけれども、内部組織を政令事項に移管した場合に、一体行政機関の膨張に対する歯どめをどこに設けるかということが問題となってくるわけでございます。一つは、行政組織そのものの中に、行政部内にそういうものをチェックするシステムというものが設けられていかなければならないことは言うまでもございません。従来も行政管理庁の方では、予算の編成に連動いたしまして組織の査定を行っておるわけでございますが、そういった機能が一層将来に向かって強化されていくということが期待されるわけでございます。
ですけれども、行政部内におけるそういう努力がより有効に作用するためにも、議会における何らかの統制というものが必要になってこようかと思うわけでございまして、野党四党が用意いたしております改正案、新聞等で承っておりますところによりますと、国会に対する報告を義務づけるというのがございますけれども、これはやはり最小限必要なことではなかろうか。それがまた、議会の統制というものを確保するための手段でもあるというふうに考えるわけでございます。
先ほど小関先生からも御紹介がありましたように、アメリカでは大統領が議会から授権された権限に基づきまして組織計画、再組織計画というものを議会に提出いたしまして、議会がこれに対して拒否権を発動しない限りそれがそのまま発効するという仕組みがとられております。この場合、議会は拒否権というのを留保しているわけでございます。そこまでいかないにいたしましても、最小限議会に対する報告義務というのは必要でございますし、またそれに伴いまして、議会の方が果たして政令委任したことが妥当であったかどうかということをチェックする機会というものをお持ちになるのが妥当なことではなかろうかというふうに私は考える次第でございます。
総務庁の設置につきましては、果たしてこの財政危機の時代に、これを実行するほど緊要性のある問題であるかどうか、私は疑問を持っている次第でございます。
その理論的根拠となりましたのは、臨調答申にもありましたように、人事による調整という考え方でございますけれども、人事による調整が実際的な意義を持ちますのは人事権と結びついてでありまして、人事権と結びつかない形で人事による調整ということを考えるのは、いささか当を失しているというふうに思わざるを得ないわけでございます。
事実問題といたしましても、行政管理庁が行っております定員管理と、それから総理府人事局が行っております人事管理では、これは本来異質的な性質のものでございます。臨調答申は、同質性の原則と申しますか、同じような機能は同じところに集中することによってより強力な効果を発揮することができるという前提に立っているわけでございますけれども、最近では、類似の機能であるがゆえに異なった機関が異なった角度からそれに対する検討を加えた方がいいというような考え方もあるわけでございまして、必ずしもこの総務庁というものの設置が明確な理論的根拠に基づいて提案されているものでないというふうに、理論的には言わざるを得ないわけでございます。
中国の古いことわざに、「はなはだしく民に不便なるにあらざればみだりに改むるなかれ、大いに民に有益なるにあらざれば軽々しく事を起こすなかれ」というのがございます。改革というのは、それによって得られるメリットもありますけれども、それに伴いますデメリットあるいはコストというものが必ずつくものでございます。したがいまして、改革を断行するからには、それによって得られるメリットが明らかにすべてのコスト、デメリットを上回るという保証がなければならないわけでございます。さもない限り、千載に悔いを残すことになるわけでございます。
たとえば、府県単位機関であります地方行政監察局、地方公安調査局、それから財務部というものをそれぞれ事務所というものに改めるという案もございますけれども、単に名称を変更するだけの問題が果たして現在やらなければならないことなのかどうか、私は疑問に思うわけでございます。臨調の基本答申におきましては、府県単位機関というものをブロック機関に吸収することがうたわれておりますけれども、活動の性質によりましては、依然府県単位機関を必要としているものもあるということは認めなければならないのでございます。しかし、この問題は、国と地方との行政事務の配分をどのようにするかということを考えた上で決められるべき問題でございまして、その問題を決める前に、それじゃ地方出先機関は要らないのだというふうな議論は、私はできないというふうに思っておるわけでございます。
行政改革には拙速は禁物でございまして、その点、慎重な御審議をお願いしたい次第でございます。拍手
この発言だけを見る →今回、六本の行政改革関連法案が提出されるに当たりましての関係各位の御尽力に対しまして、深甚なる敬意を表するものでございます。しかしながら、芸術家がその作品を通じてのみ評価されますように、そこに盛られた改革案だけから評価させていただきますと、必ずしもその内容が十分でないということを指摘しなければなりません。
まず、今回の関連法案を見てみまして、一体何のための行政改革かということが必ずしも明確でないということを指摘せざるを得ないのでございます。本来、今回の行政改革は、「増税なき財政再建」の目的を旗印として始まったはずでございますけれども、直接この目的に奉仕し得る案件と申しますのは、許認可の整理三十九件等ごくわずかでございます。もちろん、複雑に錯綜いたしました現代社会がそのまま昔の小さな政府の時代に戻ることはできませんけれども、とは申しましても、そうかといいましてそれでは大きな政府というのがよろしいわけでもないわけでございます。政府にはおのずから節度というものが求められるわけでございます。
今日、国民経済における財政の占める比重と申しますのは、欧米諸国に比べますればまだ低い段階にあると申しましても、しかし、過去十年間の財政規模の膨張率を見てみますと、欧米諸国に見られない急激な上昇率を示しているわけでございまして、このままで推移いたしますと、先日来瀬島さんが四〇%から四五%という目標を示されたというごとでございますが、その数字を突破するのも間もなくであるわけでございまして、ここに何か思い切った措置というものが求められるわけでございます。
政府は、本省庁に設けられます局の数の上限を現在の百二十八に置くことによって行政規模の拡大に対する歯どめとしておられますけれども、この省における局の数の規模を将来に向かって縮減することを含めて、いろいろな検討を加えていく必要があろうかと思われるわけでございます。その際に、局の数を制限することによって、逆に、たとえば部でありますとか課でありますとか、そういうものが増大してはまた意味がないわけでございまして、これをトータルにどのようにして抑えていくかということを、もうちょっと真剣に考えていかなければならないと思います。
国家行政組織法の一部を改正いたしまして、現在法律事項となっております行政機関の内部組織、官房でありますとか局、部の設置、改廃を政令事項に改める件につきましては、行政の弾力性の要請から申しまして、これはある程度必要かと思います。先ほど小関先生からヨーロッパの例の御紹介がありましたが、全世界的傾向から見ますと、やはりまだ法律事項としている国の方が私は多いと思います。ですけれども、内部組織まで法律事項にしているという国は余りないわけでございまして、そういった点では、今回の改正もやむを得ないことであろうかと思います。
ですけれども、内部組織を政令事項に移管した場合に、一体行政機関の膨張に対する歯どめをどこに設けるかということが問題となってくるわけでございます。一つは、行政組織そのものの中に、行政部内にそういうものをチェックするシステムというものが設けられていかなければならないことは言うまでもございません。従来も行政管理庁の方では、予算の編成に連動いたしまして組織の査定を行っておるわけでございますが、そういった機能が一層将来に向かって強化されていくということが期待されるわけでございます。
ですけれども、行政部内におけるそういう努力がより有効に作用するためにも、議会における何らかの統制というものが必要になってこようかと思うわけでございまして、野党四党が用意いたしております改正案、新聞等で承っておりますところによりますと、国会に対する報告を義務づけるというのがございますけれども、これはやはり最小限必要なことではなかろうか。それがまた、議会の統制というものを確保するための手段でもあるというふうに考えるわけでございます。
先ほど小関先生からも御紹介がありましたように、アメリカでは大統領が議会から授権された権限に基づきまして組織計画、再組織計画というものを議会に提出いたしまして、議会がこれに対して拒否権を発動しない限りそれがそのまま発効するという仕組みがとられております。この場合、議会は拒否権というのを留保しているわけでございます。そこまでいかないにいたしましても、最小限議会に対する報告義務というのは必要でございますし、またそれに伴いまして、議会の方が果たして政令委任したことが妥当であったかどうかということをチェックする機会というものをお持ちになるのが妥当なことではなかろうかというふうに私は考える次第でございます。
総務庁の設置につきましては、果たしてこの財政危機の時代に、これを実行するほど緊要性のある問題であるかどうか、私は疑問を持っている次第でございます。
その理論的根拠となりましたのは、臨調答申にもありましたように、人事による調整という考え方でございますけれども、人事による調整が実際的な意義を持ちますのは人事権と結びついてでありまして、人事権と結びつかない形で人事による調整ということを考えるのは、いささか当を失しているというふうに思わざるを得ないわけでございます。
事実問題といたしましても、行政管理庁が行っております定員管理と、それから総理府人事局が行っております人事管理では、これは本来異質的な性質のものでございます。臨調答申は、同質性の原則と申しますか、同じような機能は同じところに集中することによってより強力な効果を発揮することができるという前提に立っているわけでございますけれども、最近では、類似の機能であるがゆえに異なった機関が異なった角度からそれに対する検討を加えた方がいいというような考え方もあるわけでございまして、必ずしもこの総務庁というものの設置が明確な理論的根拠に基づいて提案されているものでないというふうに、理論的には言わざるを得ないわけでございます。
中国の古いことわざに、「はなはだしく民に不便なるにあらざればみだりに改むるなかれ、大いに民に有益なるにあらざれば軽々しく事を起こすなかれ」というのがございます。改革というのは、それによって得られるメリットもありますけれども、それに伴いますデメリットあるいはコストというものが必ずつくものでございます。したがいまして、改革を断行するからには、それによって得られるメリットが明らかにすべてのコスト、デメリットを上回るという保証がなければならないわけでございます。さもない限り、千載に悔いを残すことになるわけでございます。
たとえば、府県単位機関であります地方行政監察局、地方公安調査局、それから財務部というものをそれぞれ事務所というものに改めるという案もございますけれども、単に名称を変更するだけの問題が果たして現在やらなければならないことなのかどうか、私は疑問に思うわけでございます。臨調の基本答申におきましては、府県単位機関というものをブロック機関に吸収することがうたわれておりますけれども、活動の性質によりましては、依然府県単位機関を必要としているものもあるということは認めなければならないのでございます。しかし、この問題は、国と地方との行政事務の配分をどのようにするかということを考えた上で決められるべき問題でございまして、その問題を決める前に、それじゃ地方出先機関は要らないのだというふうな議論は、私はできないというふうに思っておるわけでございます。
行政改革には拙速は禁物でございまして、その点、慎重な御審議をお願いしたい次第でございます。拍手
金
金
森
森井忠良#9
○森井委員 それぞれの公述人の皆様、きょうはお忙しいところ、それぞれの立場から御意見を聞かせていただきまして、どうもありがとうございました。
まず最初に、小関公述人にお伺いいたしたいと思いますが、国家行政組織法の改正案が出されておりまして、御存じのとおり各省庁の官房や局等が、今度は法律によらないで改廃ができることになるわけでございますが、これはいままで一つの局とかあるいは一つの官房とか、具体的に申し上げますと、防衛庁設置法等々の改正もいままで出されまして、さまざまな形で国会で議論が行われました。議論が多いものにつきましてはなかなか成立がしにくい、それだけ意見が多いというようなことで、国会で議論が続けられてきたという経過がございます。
それから、この国家行政組織法の改正案に近い改正案が歴代内閣、たとえば佐藤内閣でありますとかたしか田中内閣でありますとか、しばしば計画がされましたけれども、いままで一度も成立をしていないという経過もあるわけでございます。それだけやはり官庁の局や部を変えるということは、国民生活にもずいぶんかかわりがあるのじゃないか、こう言えなくもないわけでございますけれども、基本的に御賛成の立場で意見をお述べになりましたけれども、いま申し上げましたような国会での論議を考えていただきますと、今回の改正案についてはずいぶん無理があるのではないかという感じがいたします。
その点についてお伺いをしたいのと、それから、小関公述人の場合は、何といいますか、もし局の改廃が行われましても、それは周知の方法がちゃんと明らかにされておるから結構だ、こういう御趣旨でございますが、これも御案内のとおり官報に載るだけでございまして、官報というのは、私どもの見ますところ、国民に広く親しまれて読まれている性質のものではないと思いまして、まさに一部の国民にしか行き渡らない、また目を通せないものだというふうに思っておるわけでございますが、その辺、広報の方法についてもお聞かせをいただきたいと思います。
この発言だけを見る →まず最初に、小関公述人にお伺いいたしたいと思いますが、国家行政組織法の改正案が出されておりまして、御存じのとおり各省庁の官房や局等が、今度は法律によらないで改廃ができることになるわけでございますが、これはいままで一つの局とかあるいは一つの官房とか、具体的に申し上げますと、防衛庁設置法等々の改正もいままで出されまして、さまざまな形で国会で議論が行われました。議論が多いものにつきましてはなかなか成立がしにくい、それだけ意見が多いというようなことで、国会で議論が続けられてきたという経過がございます。
それから、この国家行政組織法の改正案に近い改正案が歴代内閣、たとえば佐藤内閣でありますとかたしか田中内閣でありますとか、しばしば計画がされましたけれども、いままで一度も成立をしていないという経過もあるわけでございます。それだけやはり官庁の局や部を変えるということは、国民生活にもずいぶんかかわりがあるのじゃないか、こう言えなくもないわけでございますけれども、基本的に御賛成の立場で意見をお述べになりましたけれども、いま申し上げましたような国会での論議を考えていただきますと、今回の改正案についてはずいぶん無理があるのではないかという感じがいたします。
その点についてお伺いをしたいのと、それから、小関公述人の場合は、何といいますか、もし局の改廃が行われましても、それは周知の方法がちゃんと明らかにされておるから結構だ、こういう御趣旨でございますが、これも御案内のとおり官報に載るだけでございまして、官報というのは、私どもの見ますところ、国民に広く親しまれて読まれている性質のものではないと思いまして、まさに一部の国民にしか行き渡らない、また目を通せないものだというふうに思っておるわけでございますが、その辺、広報の方法についてもお聞かせをいただきたいと思います。
小
小関紹夫#10
○小関公述人 お答えいたします。
国会の審議権の問題につきましては、申し述べたところでおわかりいただいたと思いますので、再び述べる必要はないかと思うのでございます。
行政機構の公示の問題でございますが、実は私といたしましては、現代では行政組織論が大きく変わっているのでございますね。というのは、行政する側からだけ組織論を考えるのではなくて、行政を受ける側からの組織の問題を考えるべきだというのが、現代における従来の伝統的な行政組織論に対する展開なんでございます。アメリカではそれを新行政派の台頭というようなことで、行政組織論の展開が行われるべき時期に来ておるのじゃないかということで、実は私もそういう意味合いで、むしろこれから行政組織をつくります場合には、住民の意向あるいはその行政組織自体が住民にとってプラスになるのかどうなのかというような視点に立って行政組織がつくられるべきだというのを組織論としては考えておるわけなんです。
そういう意味合いからいたしますれば、日本の行政ももうそろそろ変わっていいのじゃないか。ですから、これはいずれかのところで、別の機会でも申し上げたのですが、総務庁が政令でやるというようなことにつきましても、実はそういうような手段をとって、もっと民主的な、国民になじんだ行政機構の組織、これは補助組織ですから、そういうような点をどんどんとっていくようにならなければ、日本の行政は一歩進んだものとは言えないのじゃないか。そこまでは今度の法案には書いてありません。ですから、そういう意味で、さっき総務庁のところで申し上げましたように、行政機構の編成権が与えられる総務庁についての責任の重大性はこれからますます大きくなる、現代行政理論で裏打ちされた新しい行政をつくっていくという心がけをしてもらいたいということを含めて、総務庁のときに申し上げたつもりであります。
実は、国会の方の行政統制あるいは審議権も、そういうような内容についての審議あるいは統制が行われるようになって、ただ組織がどうのこうのというのじゃなくて、その組織が果たしてメリットを持って行政効果を上げるかどうかというような意味合いでの行政調査権で徹底的に御究明になるのが本当はいいのじゃないか。そういう意味で、これは政令に譲るということについては先ほど詳しく述べましたから、それでいいのじゃないか。また、そのやり方については、今後は変わっていくべきものだというふうには考えております。
お答えにはならぬかもわかりませんが。
この発言だけを見る →国会の審議権の問題につきましては、申し述べたところでおわかりいただいたと思いますので、再び述べる必要はないかと思うのでございます。
行政機構の公示の問題でございますが、実は私といたしましては、現代では行政組織論が大きく変わっているのでございますね。というのは、行政する側からだけ組織論を考えるのではなくて、行政を受ける側からの組織の問題を考えるべきだというのが、現代における従来の伝統的な行政組織論に対する展開なんでございます。アメリカではそれを新行政派の台頭というようなことで、行政組織論の展開が行われるべき時期に来ておるのじゃないかということで、実は私もそういう意味合いで、むしろこれから行政組織をつくります場合には、住民の意向あるいはその行政組織自体が住民にとってプラスになるのかどうなのかというような視点に立って行政組織がつくられるべきだというのを組織論としては考えておるわけなんです。
そういう意味合いからいたしますれば、日本の行政ももうそろそろ変わっていいのじゃないか。ですから、これはいずれかのところで、別の機会でも申し上げたのですが、総務庁が政令でやるというようなことにつきましても、実はそういうような手段をとって、もっと民主的な、国民になじんだ行政機構の組織、これは補助組織ですから、そういうような点をどんどんとっていくようにならなければ、日本の行政は一歩進んだものとは言えないのじゃないか。そこまでは今度の法案には書いてありません。ですから、そういう意味で、さっき総務庁のところで申し上げましたように、行政機構の編成権が与えられる総務庁についての責任の重大性はこれからますます大きくなる、現代行政理論で裏打ちされた新しい行政をつくっていくという心がけをしてもらいたいということを含めて、総務庁のときに申し上げたつもりであります。
実は、国会の方の行政統制あるいは審議権も、そういうような内容についての審議あるいは統制が行われるようになって、ただ組織がどうのこうのというのじゃなくて、その組織が果たしてメリットを持って行政効果を上げるかどうかというような意味合いでの行政調査権で徹底的に御究明になるのが本当はいいのじゃないか。そういう意味で、これは政令に譲るということについては先ほど詳しく述べましたから、それでいいのじゃないか。また、そのやり方については、今後は変わっていくべきものだというふうには考えております。
お答えにはならぬかもわかりませんが。
森
森井忠良#11
○森井委員 暉峻公述人にお伺いをいたしたいわけでございますが、本委員会でも、行政改革を論ずるということになりますとその前にやらなければならないことがある、たとえば政治の浄化、おっしゃったようにロッキードの追及、政治家の資産の公開、あるいは田中議員の辞職勧告決議案の早期審議、成立、そういったことがまずあって、その後で行政改革を論ずべきだ、こういう意見が出されておりますけれども、この点についてまずお伺いをしたいと思うのです。
この発言だけを見る →暉
暉峻淑子#12
○暉峻公述人 おっしゃるとおりでございます。繰り返して申しましたように、もう大変むなしい気がするわけです。
それで、いま最後に私が例を出しましたのは、何のために例を言いましたかといいますと、今度総務庁法案というのが出ておりますけれども、総務庁の中には総理府が入るわけで、統計に対するいろいろな調整を行うということも、これは行管の仕事になっております。それで土光臨調では、さっき言いましたように、大変大きなむだな統計をすることはお金も使うし国民にも非常な負担をかける、だからこれを調整するようにと言っているのですが、ちゃんとした権限も持ち、こういう総務庁みたいなものができてやるべき仕事というのもわかっているのですが、現実に行われている、しかも国民には迷惑なだけで何にも利するところはない、そういう調査でさえ防ぎ切れないのですね。それがいま現実に進行中で事前調査のところまでいっておりまして、いまは総理府でもう詰めにかかっているところなんですけれども、そういうこともできない。私たちから見ても、そんなにやさしい、法律にもそういうことはちゃんと調整してむだなものはやめなければいけないというふうにうたってある、合理的にやらなければいけない、質問項目の合理性ということもうたってありながら、しかもできないというような現実がもう目の前にいまあるわけです。これは新聞のいろいろな論壇や投稿にもたびたび登場している問題なんですけれども、そういうことでいて、一体こんな特別委員会で法案の審議がされても何になるのか、本当にわからないのです。わかる人があったらこちらが教えてほしいのです。
それで、おっしゃいましたように、いま製薬会社との例の利権の癒着が毎日のように新聞に出ておりますね。あの問題を見ても本当にうんざりします。利権だらけという感じですね。そんなに政治と利権が結びついて、政治家にとっては集票の役割りをし、政治献金のもとになり、そして業者にとっては、いまや公共需要、国の財政支出、これに取りつくか取りつかないかということが非常に大きな問題になっている。しかも一方では、独禁法の改悪というのが悠々と議論されているわけですね。こういう状態を考えて、もしこの特別委員会で何か法案を審議したら行政改革は好ましいところに行くと言えるとしたら、なぜ言えるのか、私は逆に教えてほしいのです。本当にわかりません。
この発言だけを見る →それで、いま最後に私が例を出しましたのは、何のために例を言いましたかといいますと、今度総務庁法案というのが出ておりますけれども、総務庁の中には総理府が入るわけで、統計に対するいろいろな調整を行うということも、これは行管の仕事になっております。それで土光臨調では、さっき言いましたように、大変大きなむだな統計をすることはお金も使うし国民にも非常な負担をかける、だからこれを調整するようにと言っているのですが、ちゃんとした権限も持ち、こういう総務庁みたいなものができてやるべき仕事というのもわかっているのですが、現実に行われている、しかも国民には迷惑なだけで何にも利するところはない、そういう調査でさえ防ぎ切れないのですね。それがいま現実に進行中で事前調査のところまでいっておりまして、いまは総理府でもう詰めにかかっているところなんですけれども、そういうこともできない。私たちから見ても、そんなにやさしい、法律にもそういうことはちゃんと調整してむだなものはやめなければいけないというふうにうたってある、合理的にやらなければいけない、質問項目の合理性ということもうたってありながら、しかもできないというような現実がもう目の前にいまあるわけです。これは新聞のいろいろな論壇や投稿にもたびたび登場している問題なんですけれども、そういうことでいて、一体こんな特別委員会で法案の審議がされても何になるのか、本当にわからないのです。わかる人があったらこちらが教えてほしいのです。
それで、おっしゃいましたように、いま製薬会社との例の利権の癒着が毎日のように新聞に出ておりますね。あの問題を見ても本当にうんざりします。利権だらけという感じですね。そんなに政治と利権が結びついて、政治家にとっては集票の役割りをし、政治献金のもとになり、そして業者にとっては、いまや公共需要、国の財政支出、これに取りつくか取りつかないかということが非常に大きな問題になっている。しかも一方では、独禁法の改悪というのが悠々と議論されているわけですね。こういう状態を考えて、もしこの特別委員会で何か法案を審議したら行政改革は好ましいところに行くと言えるとしたら、なぜ言えるのか、私は逆に教えてほしいのです。本当にわかりません。
森
暉
暉峻淑子#14
○暉峻公述人 大変恥ずかしいことだと思います。起訴されたという時点でやはり政治の舞台から退かれるべきであったというふうに思います。それが行われていない。「上行えば下これにならう」という言葉がありますけれども、実は財政再建の問題はもちろんですが、行政改革の問題も、それから私どもが新聞やテレビなどで見たりその他いろいろな財政関係の研究論文なんかを見ておりましても、国会に合理性が失われてきた。
それぞれの考えが政党によっておありになるのは結構ですから、そこで合理的に議論を闘わせる、あるいは現実の問題を持ってきて実証してこうする、そういう空気が失われたというのは、やはりこのロッキード事件以来なんですね。もう理屈でもない、倫理でもない、現実の問題でもない、ただ力のある者が横車を押してそれで通るという、だからもう議論するのもばからしいというような、私は全部にこれは悪い影響を及ぼしていると思います。これが上で通れば下の方でも収賄、たとえば医科歯科大学の教授の云々というのも言われておりますが、本当に政治はこれを責める資格もないというふうに思います。大変もう何とも言えないということです。
この発言だけを見る →それぞれの考えが政党によっておありになるのは結構ですから、そこで合理的に議論を闘わせる、あるいは現実の問題を持ってきて実証してこうする、そういう空気が失われたというのは、やはりこのロッキード事件以来なんですね。もう理屈でもない、倫理でもない、現実の問題でもない、ただ力のある者が横車を押してそれで通るという、だからもう議論するのもばからしいというような、私は全部にこれは悪い影響を及ぼしていると思います。これが上で通れば下の方でも収賄、たとえば医科歯科大学の教授の云々というのも言われておりますが、本当に政治はこれを責める資格もないというふうに思います。大変もう何とも言えないということです。
森
森井忠良#15
○森井委員 いま薬のメーカーと行政との癒着の問題についてちょっとお話がございました。
具体的にお伺いをしたいわけでありますが、国立公衆衛生院と藤沢薬品の関係で見られるような行政と企業の癒着というものを具体的に断つためには、どういうふうにしたらよろしゅうございますか。
この発言だけを見る →具体的にお伺いをしたいわけでありますが、国立公衆衛生院と藤沢薬品の関係で見られるような行政と企業の癒着というものを具体的に断つためには、どういうふうにしたらよろしゅうございますか。
暉
暉峻淑子#16
○暉峻公述人 先ほどから、官僚及び官僚に推薦された審議会というものにもう浄化能力がないということは、あらゆる面で証明されているわけですね。ですから私は、先ほどもう一人の方がオンブズマンの話を出されましたけれども、ともかく政治から離れる、あるいは行政から離れたところで国民が参加する、この人をという、そういうような形のところで審議されない限り、どうしようもない。
私は、オンブズマンというのも実はやや疑念を持っているわけなんです。いまのような体質のもとでオンブズマンが出てきても、だれが出てくるかという問題もありますし、ちょっとそこのところも結果的にはやや疑念はあるのですけれども、いまの問題は、さっき私が言いました政権交代ということができなかった非民主的な政治形態ですから、ここではやはり地方自治体がいろいろな形で試みをやってみる。地方自治体の中で公衆衛生院の、ミニチュア版みたいなものがいろいろあるわけですから、そこでやりてみて、どういうふうにうまくいったかという実験を各都道府県で競争的にやってみる、そしてこの県はうまくいったというふうに実験例ができたらそれに政治がならうという、これが私は一番具体的で現実に見込みのあることだと思います。だから中央政府は、地方自治体がいいことをしたときに、介入をしてこれをとめるようなことは、どうぞくれぐれもなさってくださいませぬようにということです。
この発言だけを見る →私は、オンブズマンというのも実はやや疑念を持っているわけなんです。いまのような体質のもとでオンブズマンが出てきても、だれが出てくるかという問題もありますし、ちょっとそこのところも結果的にはやや疑念はあるのですけれども、いまの問題は、さっき私が言いました政権交代ということができなかった非民主的な政治形態ですから、ここではやはり地方自治体がいろいろな形で試みをやってみる。地方自治体の中で公衆衛生院の、ミニチュア版みたいなものがいろいろあるわけですから、そこでやりてみて、どういうふうにうまくいったかという実験を各都道府県で競争的にやってみる、そしてこの県はうまくいったというふうに実験例ができたらそれに政治がならうという、これが私は一番具体的で現実に見込みのあることだと思います。だから中央政府は、地方自治体がいいことをしたときに、介入をしてこれをとめるようなことは、どうぞくれぐれもなさってくださいませぬようにということです。
森
森井忠良#17
○森井委員 片岡公述人にお伺いをいたしたいのですが、小さな政府ということに関連をいたしまして、小さければいいというものじゃない、逆に言えば大きくていいというものじゃないということになるだろうと思うのでありますが、日本の場合は、諸外国と比較をしてみますと、皆様方も諸外国の例をお引きになったわけでございますが、公務員の数はそう多くないと言われております。諸外国と必ずしも条件が同じではないという点もございますけれども、一体いまの日本の行政機構というものは大き過ぎるわけでしょうか、あるいは小さ過ぎるわけでしょうか、その辺の規模の問題についてお伺いをしたいと思います。
この発言だけを見る →片
片岡寛光#18
○片岡公述人 お答え申し上げますけれども、まず、ガリバーの旅行記からわかりますように、物が大きいか小さいかというのは比較する対象によって違ってくるわけでございまして、これは一概に言うことができないわけでございます。財政規模の点からいいますと、ヨーロッパ諸国に比べて日本はまだモデストな方に属する。そして、公務員数で言いますと、たとえば人口千人当たり日本の公務員数は四十五人でございますが、イギリスの場合には人口千人当たり百四人、それからフランスになりますと百十一人、アメリカでは七十八人、西ドイツでは七十四人というふうになりまして、日本はきわめて小さな効率的な政府であるというふうに、この数字に関する限りは言うことができるわけでございます。しかしながら、それでは、国民の側のたとえば租税負担の重税感から見まして、果たして国民がそれを小さな政府と思っているかというと、私は、決してそうではない、かなり国民の負担感というものが重いわけでございまして、国民からすれば依然重い政府をしょっているのだという意識があるのは当然であろうかと思います。
この発言だけを見る →森
森井忠良#19
○森井委員 一わたり聞かしていただきましたので、一番歯切れのよかった暉峻公述人に少し詳しくお聞きをしたいと思います。
御指摘がありましたように、厚生省の予算は大変な切り込みでございまして、おっしゃったように六千九百億削っているわけでございます。そのうち医療費が何と六千二百億削減という形になってまいりました。結果としてあらわれてまいりますのは、健康保険の被保険者本人の二割給付削減、それから御指摘がありましたように入院時の給食費の一部負担というような形になってあらわれてきております。これは国民にとっては大変なことじゃないか。マスコミ等も新聞で、これによって家計に大きな打撃があるだろうというふうなことも言われております。
先生は学者でありますとともに御家庭の主婦でもあられるわけでございますが、この問題についてのお考えを承っておきたいと思うのです。
この発言だけを見る →御指摘がありましたように、厚生省の予算は大変な切り込みでございまして、おっしゃったように六千九百億削っているわけでございます。そのうち医療費が何と六千二百億削減という形になってまいりました。結果としてあらわれてまいりますのは、健康保険の被保険者本人の二割給付削減、それから御指摘がありましたように入院時の給食費の一部負担というような形になってあらわれてきております。これは国民にとっては大変なことじゃないか。マスコミ等も新聞で、これによって家計に大きな打撃があるだろうというふうなことも言われております。
先生は学者でありますとともに御家庭の主婦でもあられるわけでございますが、この問題についてのお考えを承っておきたいと思うのです。
暉
暉峻淑子#20
○暉峻公述人 病気というのはその人の責任でなるわけではないのですね。本当に思いがけずなるわけです。このときにお金の心配、治療の心配があるということは、人間にとって一番不幸なことではないでしょうか。病気であれば、これは所得も失われます。ですから、つつがなく無事に病気が治せる制度があるということは、その国の社会保障制度にとっては一番大事なことだと思います。ところが、これがおっしゃるように切り込まれるわけですから、国民は心の安定を失う。
御承知かもしれませんが、健康保険制度、医療保険の制度がないときに、大正時代それから戦前の家計は病気を心配して幾ら貯金していたかというのは、当時の「主婦の友」などの雑誌を克明にめくってみますと、何と収入の四割を病気のときのためにみんな貯金をせざるを得なかったのですね。これくらい、医療費というものが社会保障制度であるかないかというのは、私たちの生活にとても大きな影響を及ぼすものです。これが削られるということは大問題なんですが、削るときに患者及び私たちにその負担が全部かかってくる形で削られるというのが、また第二番目に大問題なんですね。これは、やはり製薬メーカー、それから医療検査機器メーカー、それから営利的な開業医、こういうものと政府との結びつきをまずきちんとしてもらわなくてはいけないということです。
それから、厚生省が国民に言うことが毎年毎年変わるのも困るのです。老人保健法が始まるときには、重いものは私どもが必ず責任を持ちます、だからかぜとかおなか壊しぐらいの軽いものは皆さんで負担してくださいということを言われました。これは私、直接大臣と向かい合ってNHKでこの話をいたしたときにおっしゃいました。一年もたたないうちに、今度は、重いものの方は保険財政を圧迫するから別にしたいということなんですね。それでまた二割は私たちに負担しなさいということ、それから高額医療費の負担限度額も引き上げられます。
〔委員長退席、津島委員長代理着席〕
こういうことになりますと、私たちは、日本は平和国家になったときに福祉国家を目指したはずなんですね。他の国家は全然目指してないのです。私たちはもう軍国主義をやめると同時に福祉国家を目指したわけなので、社会の安定があるということは政治家にとっては一番好ましいことじゃないんでしょうか。それが社会の安定がなくなったら、動乱とかいろいろな国で起こっているようなそういうことになってくるわけです。
それから、失業があったり、あるいは産業構造の変化で、ある産業からこちらの産業に移動する間に一時的に持ちこたえなければならないということも、社会には多々あるわけです。こういうときに社会保障制度がその安定を下支えする、それから貿易摩擦でごちゃごちゃ言われているときに内需を確保するというとても大事な仕事を持っているのに、これをないがしろにすれば結局天につばをするのと同じことになると私は思います。
それから、厚生省が国民の生活の代表者としてもうちょっと闘ってほしいのですね。何か大蔵省よりも勇ましく削るようなことに協力するような、そういう課長さんでは困ると思います。というのは、福祉行政を行き渡らせると怠け者ができるというような、つまり馬の目の先にニンジンをぶら下げてはいしはいしと走らせるのが活力があるような、そういうレベルの低い哲学を持たれては困るのです。そんな哲学はもうどこにも通用しない。本当に救貧法的な十九世紀の発想です。これは土光臨調にも言えると私は思うのですけれども、いまや社会保障制度とか保険制度というのはそんな低いレベルにはないのですね。生産力が社会化すれば消費も社会化しなければ企業の方も大変なことになりますというのが、現状の社会保障制度の根本にあります。
ですから私は、その中の一番大事な、御質問にあった医療保険制度を、メーカー及び政治の方で姿勢を正さずに、患者に負担させるという形でつじつまを合わせようというこの問題は間違っている、こういう解決の仕方は間違っていると思います。
この発言だけを見る →御承知かもしれませんが、健康保険制度、医療保険の制度がないときに、大正時代それから戦前の家計は病気を心配して幾ら貯金していたかというのは、当時の「主婦の友」などの雑誌を克明にめくってみますと、何と収入の四割を病気のときのためにみんな貯金をせざるを得なかったのですね。これくらい、医療費というものが社会保障制度であるかないかというのは、私たちの生活にとても大きな影響を及ぼすものです。これが削られるということは大問題なんですが、削るときに患者及び私たちにその負担が全部かかってくる形で削られるというのが、また第二番目に大問題なんですね。これは、やはり製薬メーカー、それから医療検査機器メーカー、それから営利的な開業医、こういうものと政府との結びつきをまずきちんとしてもらわなくてはいけないということです。
それから、厚生省が国民に言うことが毎年毎年変わるのも困るのです。老人保健法が始まるときには、重いものは私どもが必ず責任を持ちます、だからかぜとかおなか壊しぐらいの軽いものは皆さんで負担してくださいということを言われました。これは私、直接大臣と向かい合ってNHKでこの話をいたしたときにおっしゃいました。一年もたたないうちに、今度は、重いものの方は保険財政を圧迫するから別にしたいということなんですね。それでまた二割は私たちに負担しなさいということ、それから高額医療費の負担限度額も引き上げられます。
〔委員長退席、津島委員長代理着席〕
こういうことになりますと、私たちは、日本は平和国家になったときに福祉国家を目指したはずなんですね。他の国家は全然目指してないのです。私たちはもう軍国主義をやめると同時に福祉国家を目指したわけなので、社会の安定があるということは政治家にとっては一番好ましいことじゃないんでしょうか。それが社会の安定がなくなったら、動乱とかいろいろな国で起こっているようなそういうことになってくるわけです。
それから、失業があったり、あるいは産業構造の変化で、ある産業からこちらの産業に移動する間に一時的に持ちこたえなければならないということも、社会には多々あるわけです。こういうときに社会保障制度がその安定を下支えする、それから貿易摩擦でごちゃごちゃ言われているときに内需を確保するというとても大事な仕事を持っているのに、これをないがしろにすれば結局天につばをするのと同じことになると私は思います。
それから、厚生省が国民の生活の代表者としてもうちょっと闘ってほしいのですね。何か大蔵省よりも勇ましく削るようなことに協力するような、そういう課長さんでは困ると思います。というのは、福祉行政を行き渡らせると怠け者ができるというような、つまり馬の目の先にニンジンをぶら下げてはいしはいしと走らせるのが活力があるような、そういうレベルの低い哲学を持たれては困るのです。そんな哲学はもうどこにも通用しない。本当に救貧法的な十九世紀の発想です。これは土光臨調にも言えると私は思うのですけれども、いまや社会保障制度とか保険制度というのはそんな低いレベルにはないのですね。生産力が社会化すれば消費も社会化しなければ企業の方も大変なことになりますというのが、現状の社会保障制度の根本にあります。
ですから私は、その中の一番大事な、御質問にあった医療保険制度を、メーカー及び政治の方で姿勢を正さずに、患者に負担させるという形でつじつまを合わせようというこの問題は間違っている、こういう解決の仕方は間違っていると思います。
森
森井忠良#21
○森井委員 国民泣かせの健康保険の改悪、保険制度の改悪という御趣旨のようでございますけれども、御存じのとおり、医療費は国民所得の伸びあるいは賃金の伸びをはるかに上回ってふえていっておるわけです。そこで、厚生省としては本人の二割負担等を強行しようとしているわけですけれども、その前に何かやることがあるんじゃないのか。つまり、医療費のむだですね。たとえば国民医療費に占める薬剤費の割合というものは諸外国に比べてはるかに高い。そして、先ほど来話がありましたように、薬剤メーカーとの癒着もありますが、薬の使い過ぎというようなこともあると思うわけでございます。あるいは、富士見産婦人科に見られるように、乱診乱療、さらには不正請求、そういったもの等もずいぶんありますね。そういった医療費のむだをなくすれば、こういう二割削減というふうな暴挙を行わなくても済むのじゃないかという感じがするわけでございますが、この点についてもお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →暉
暉峻淑子#22
○暉峻公述人 民主主義というのは、民が主人なんですね。私は、一番いまの政治家に欠けている発想は、イニシアチブを国民に渡すという思想だと思うのです。ごみ処理場をある研究者がつぶさに探してみたら、パックというのですか、銀紙みたいなものに入ったものがいっぱい捨ててあって、恐らく処方された薬の半分は捨ててあるということは、いろいろなところから、私どもが調査をしたところでも、これは世帯調査なんですが、半分は捨てるという答えです。そういうことになるときに、さっき言いましたのと同じですが、ある浄化作用、たとえば医者の連合、薬剤師の連合というようなところが自分たちでチェック機能を持つということが、専門家としての信用を高める、信用という意味でも大変大事だと思います。
それと同時に、いま健康・保健教育というのが学校で行われているのでしょうか。保健の時間というのはありますが、いわば医者へのかかり方、薬の飲み方、こういう健康教育というのは非常におざなりです。ということは何かといいますと、医者と対等に患者が対し得ないということなんですね、どんな薬を処方されても医者にすべてお任せしてしまって。薬というのは、副作用のない薬はないわけで、やむを得ず飲むわけなんですから、飲まなくて治れば一番いいわけですね。ですから、私は、患者が自分の体のことを自分で判断し得るように、医者に適切な質問をして、医者からちゃんとした答えがとれるように、この教育を、つまり消費者教育になるわけですけれども、これをおざなりにしてはいけないと思います。
それからもう一つ、イギリスなんかでも非常に言われていることは、病人を出さないような環境整備ですね。ちょっと話が飛びますが、いま森林関係の費用というのは物すごく削られて、御承知かと思いますが、林政審議会などの報告書を見ますと、立ち木を自分で売ってその上がりで会計のつじつまを合わせるということなんか言われて、十六営林署の廃止、百五十九事業所の廃止というふうに言われていますが、緑の環境とか、都市の私たちが持っていなければならない広場とか、そういう国民の精神、ストレスというものに対する環境保護というものがあることはとても大事です。これは掛川市の例ですけれども、環境を整備して、緑を多くして、国民が公園や何かでよく散歩できたり、あるいは老人がゲートボールなんかをすることができるようになったら、医療費が途端に、ちょっと細かな数字をいま持ってきておりませんが、多分三割から五割ぐらい減ってしまったんですね。
私は、病気というのは、病院のここのところだけでごちゃごちゃやる問題ではなくて、いまの消費者教育、それから環境整備、広い意味の公衆衛生ですね、そういうものを整備することで、いろいろなえげつないことをしなくても自然に私たちが病院に行かなくなるという体制をとることが大事で、それをするものこそ政治なんですね。そんなことは企業ではできないと思います。それなのに、厚生省が今度食品添加物をふやしてみたり、何かがん患者がふえるようなことをしてもらうのは困るわけで、そういう意味で、政治家に、国民の生命、生活、お金のこともですが、もっと責任を持った立案及び執行をしてもらいたいと思います。
この発言だけを見る →それと同時に、いま健康・保健教育というのが学校で行われているのでしょうか。保健の時間というのはありますが、いわば医者へのかかり方、薬の飲み方、こういう健康教育というのは非常におざなりです。ということは何かといいますと、医者と対等に患者が対し得ないということなんですね、どんな薬を処方されても医者にすべてお任せしてしまって。薬というのは、副作用のない薬はないわけで、やむを得ず飲むわけなんですから、飲まなくて治れば一番いいわけですね。ですから、私は、患者が自分の体のことを自分で判断し得るように、医者に適切な質問をして、医者からちゃんとした答えがとれるように、この教育を、つまり消費者教育になるわけですけれども、これをおざなりにしてはいけないと思います。
それからもう一つ、イギリスなんかでも非常に言われていることは、病人を出さないような環境整備ですね。ちょっと話が飛びますが、いま森林関係の費用というのは物すごく削られて、御承知かと思いますが、林政審議会などの報告書を見ますと、立ち木を自分で売ってその上がりで会計のつじつまを合わせるということなんか言われて、十六営林署の廃止、百五十九事業所の廃止というふうに言われていますが、緑の環境とか、都市の私たちが持っていなければならない広場とか、そういう国民の精神、ストレスというものに対する環境保護というものがあることはとても大事です。これは掛川市の例ですけれども、環境を整備して、緑を多くして、国民が公園や何かでよく散歩できたり、あるいは老人がゲートボールなんかをすることができるようになったら、医療費が途端に、ちょっと細かな数字をいま持ってきておりませんが、多分三割から五割ぐらい減ってしまったんですね。
私は、病気というのは、病院のここのところだけでごちゃごちゃやる問題ではなくて、いまの消費者教育、それから環境整備、広い意味の公衆衛生ですね、そういうものを整備することで、いろいろなえげつないことをしなくても自然に私たちが病院に行かなくなるという体制をとることが大事で、それをするものこそ政治なんですね。そんなことは企業ではできないと思います。それなのに、厚生省が今度食品添加物をふやしてみたり、何かがん患者がふえるようなことをしてもらうのは困るわけで、そういう意味で、政治家に、国民の生命、生活、お金のこともですが、もっと責任を持った立案及び執行をしてもらいたいと思います。
森
森井忠良#23
○森井委員 医療費のむだの点について、いまもりっぱな御意見を伺ったわけでございますが、いまの健康保険制度では、患者がお医者さんにかかりますと、お医者さんに対して健康保険等から診療報酬を差し上げるわけですね。ところが、これが出来高払い点数制というものでございまして、要するに、どんなに濃厚診療がありましても、たとえば、言われておりますように、ちょっとしたかぜでもむちゃくちゃに検査をして薬をいっぱい上げて診療報酬を稼ぐ、ところが、そういった支払い請求が参りますと、いまは無条件に代金を払う、こういうかっこうになっているわけですね。そうしますと、お医者さんの側ではたくさん検査をした方が得だということになるし、薬について言えば、実勢価格よりもはるかに診療報酬で払う薬代の方が高い。ですから、たくさん薬を投与すればするほどお医者さんは薬の差益でももうかる、こういうシステムになっておるわけですよ。この辺についてやはり改革をする必要があるのではないかと考えますが、御意見を承りたいと思います。
この発言だけを見る →暉
暉峻淑子#24
○暉峻公述人 おっしゃるとおりだと思います。そのことについては、私はさっき言いましたように、専門家の集団の中でまず自浄する、自律するというシステムをつくることが大事です。御承知かと思いますが、例の富士見病院事件というのは、あれは結局起訴することができませんでした。民事ではいままだ裁判が続行中なんですけれども、結局検察庁の告訴では有罪にはならないということで、あれだけの証拠がありながら何でこれが処罰できないのかということで、みんな本当に変に、変というよりもびっくりしているわけですね。これは結局、証拠もある、つまり何ら病気になっていない臓器をさっさと摘出して取ってしまったという証拠もあって、できないことはないのにそれができない。
これはなぜかというと、医者のかばい合いです。つまり、法廷に行って、こういう手術は間違っている、これはただお金稼ぎの医療だということを言ってくれる人がないということが一番大きなガンになっているんです。こういう専門家集団というのは大変おかしなことで、たとえば素人に何がわかるかというような言い方をされますが、イギリスなんかでもちゃんと医者と法律家とそれから患者の立場を代表する人々がそういうことを審議するところを持っていて、苦情は年とともにふえていく一方です。イギリスでも医者は初め反対したんだけれども、反対しても事件はどんどんふえるからということでこれが設けられたわけですね。日本はそういう点で、ある営利団体が反対をするということについて政府の対応がきわめて鈍い。たとえば民間に任せていい許認可事務なんかは、やはり利権にかかわるからなかなか手放さないくせに、つくらなければならないものはなかなかつくってくださらないわけですね。
では一方、さんざんもうかるところにお金が転げ込みながら、国立病院はどうなっているかといいますと、朝十時半にはもう診療の窓口の受付は閉まってしまうのです。九時から十時半までたった一時間半しか外来の窓口は開いていないんですね。しかも国立療養所などは看護婦さん一人で五十人見ている。一日二百人の外来が療養所でもあるのですが、これはみんなパートの看護婦さんしかやっていない。それから薬剤師その他の資格を持っていなければいけない人が雇えなくて、保健所からたびたびおしかりを受けているような療養所がずいぶんあります。こんなアンバランスですね。
製薬メーカーや医療機器メーカーや、それからお医者さんが皆悪徳だとは思いませんが、いいお医者さんもあると同時に悪徳の医者もいるわけで、そっちへむだなお金が流れながら、必要なところにはお金が行ってない、こういう仕組みを、たとえば厚生省などはただただ保険の点数で医師会と相談し合うだけが業務であって、あと政府機関としての何か行政らしいことを戦後なさっていらしたのでしょうかと思います。薬事審議会の問題もそうですし。ですから、私たちは、公共サービスというのは公共の福祉を守る、これが公共サービスですね。だから、そういう役割りを果たさないのだったらそれこそ行政改革で、なくてもいいのじゃないかというふうに思います。
この発言だけを見る →これはなぜかというと、医者のかばい合いです。つまり、法廷に行って、こういう手術は間違っている、これはただお金稼ぎの医療だということを言ってくれる人がないということが一番大きなガンになっているんです。こういう専門家集団というのは大変おかしなことで、たとえば素人に何がわかるかというような言い方をされますが、イギリスなんかでもちゃんと医者と法律家とそれから患者の立場を代表する人々がそういうことを審議するところを持っていて、苦情は年とともにふえていく一方です。イギリスでも医者は初め反対したんだけれども、反対しても事件はどんどんふえるからということでこれが設けられたわけですね。日本はそういう点で、ある営利団体が反対をするということについて政府の対応がきわめて鈍い。たとえば民間に任せていい許認可事務なんかは、やはり利権にかかわるからなかなか手放さないくせに、つくらなければならないものはなかなかつくってくださらないわけですね。
では一方、さんざんもうかるところにお金が転げ込みながら、国立病院はどうなっているかといいますと、朝十時半にはもう診療の窓口の受付は閉まってしまうのです。九時から十時半までたった一時間半しか外来の窓口は開いていないんですね。しかも国立療養所などは看護婦さん一人で五十人見ている。一日二百人の外来が療養所でもあるのですが、これはみんなパートの看護婦さんしかやっていない。それから薬剤師その他の資格を持っていなければいけない人が雇えなくて、保健所からたびたびおしかりを受けているような療養所がずいぶんあります。こんなアンバランスですね。
製薬メーカーや医療機器メーカーや、それからお医者さんが皆悪徳だとは思いませんが、いいお医者さんもあると同時に悪徳の医者もいるわけで、そっちへむだなお金が流れながら、必要なところにはお金が行ってない、こういう仕組みを、たとえば厚生省などはただただ保険の点数で医師会と相談し合うだけが業務であって、あと政府機関としての何か行政らしいことを戦後なさっていらしたのでしょうかと思います。薬事審議会の問題もそうですし。ですから、私たちは、公共サービスというのは公共の福祉を守る、これが公共サービスですね。だから、そういう役割りを果たさないのだったらそれこそ行政改革で、なくてもいいのじゃないかというふうに思います。
森
森井忠良#25
○森井委員 次に、年金のことにつきましてちょっと暉峻公述人にお伺いをしたいのです。
ことしは、年金の引き上げ、つまり物価や賃金のスライドがとめられたままでございます。これは、御存じのとおり人事院勧告がいまもって実施されておりません。去年の人事院勧告もことしの人事院勧告もまだ実施をされていないわけでございます。それに理由をつけて、お年寄りの年金まで凍結という形になっておるわけでございます。おっしゃいましたように、高齢化社会を迎えて老人対策というのはうんとこれから力を入れていかなければならぬ点だと思うわけでございますが、いま申し上げました年金の引き上げのストップについてどう思われるか。さらに、これから老人対策というのはもっともっと力を入れていかなければならぬと思いますが、あなたのお考えを承っておきたいと思います。
この発言だけを見る →ことしは、年金の引き上げ、つまり物価や賃金のスライドがとめられたままでございます。これは、御存じのとおり人事院勧告がいまもって実施されておりません。去年の人事院勧告もことしの人事院勧告もまだ実施をされていないわけでございます。それに理由をつけて、お年寄りの年金まで凍結という形になっておるわけでございます。おっしゃいましたように、高齢化社会を迎えて老人対策というのはうんとこれから力を入れていかなければならぬ点だと思うわけでございますが、いま申し上げました年金の引き上げのストップについてどう思われるか。さらに、これから老人対策というのはもっともっと力を入れていかなければならぬと思いますが、あなたのお考えを承っておきたいと思います。
暉
暉峻淑子#26
○暉峻公述人 いまのストップの問題ですけれども、年金のレベルはやがていまの六割ぐらいに下げられるのではないかという不安は、国民の間に大変広がっておりますね。それで、特に老人問題というのは、老人人口がふえてくるというのは、厚生省の人口問題研究所なんかでももう何十年も前からわかっていたことなんですね。これは、二兆円を上回る防衛費の当然増、つまり後年度負担ですね、飛行機や何かを買った後年度負担が当然増と言われるならば、人間が生きているというのはもっと当然だと思うのですね。そうやって老人がふえてくることがわかっていたのに、それに対する対策がきちんとできていない。まず介護、看護という問題が、ぼけ老人にしても何にしても、いま全く行われておりません。これは家族がやれということで、狭い住居で共働きもふえているそういう家族に無理やりに老人が押しつけられているので、家族ぐるみ共倒れになる、もっともっと社会保障費用がふえるというような形になっているわけで、老人対策費というのはもう何十年も前からわかっていて準備ができなかったという本当の怠慢、政策怠慢だと思います。
それから、年金の問題も、国家公務員共済の場合、共済年金ははっきりした計算が出ているのですが、みんな二十年から三十年積み立てますので、インフレ目減りというのが半分あるのですね。これは本人の失敗でもなければ、それを積み立てている基金の失敗でもない、そういう社会の影響を受けて、結局年金が苦しくなってきているわけですね。これはインフレによってもうけたところ、そういうところが負担をするのがあたりまえで、これを年金レベルを下げるということで解決する、その手始めにインフレによる目減り分を、政府の国庫補助をむしろ減らしてしまうという逆行する形、それから年金の物価スライドもおくらせて、最後にはやめたい、そういうことですね。こういう行き方はやはり公共の福祉に反する。われわれが何のために掛金、あるいは掛金だけでなく税金を納めているかという理由もなくなる。
そして、ではどういうことが起きているかというと、あっ、これはいいとばかりに喜んでいるのは生命保険会社でして、国の年金は信用できませんよ、もうだめになりますよ、崩壊しますよとちゃんと書いてあるのですね。だから生命保険に皆さんお入りくださいという形でどんどん勧誘をして、どうなっているかといいますと、貧富の差が物すごく拡大しているわけですね。貧しい人は大きな掛金を掛けられない。お金持ちは掛けられる。これはがん保険、入院保険も同じです。貧しい人にこそある社会保険制度なのに、お金持ちの人にだけ保障される社会保険制度という、民間の活力導入が貧富の差を拡大するという方にずっと動いていっております。これも生計問題からいうと大変なことですね。
それから、公務員のベースアップ、人事院勧告の凍結というのは、もうすでに識者がいろいろ言っていることですが、人事院勧告が何のためにあるかということを考えても明らかだ。
それからもう一つ、なぜこんなに凍結を言うかというと、結局、人事院勧告の凍結は民間の賃金を下げておくことに利用できるから財界が言っているわけですね。だから、人事院勧告による公務員の賃金の凍結ということに賛成するということは、私たちの税金が安くて済むというふうな面だけがいろいろに言われますが、そうではなくて、民間に働く人々の賃金がみんな安くなるということの手段として使われているわけです。
それからもう一つ大事なことは、内需というのをもっと真剣に考えてほしいのですね。西ドイツなんかは税率が日本より高いと言われますが、私はこの春行ってきたばかりで、自分と同じ給与の人がどけだけ税金を納めているかというのを個々に当たって歩きました。私よりずっと安いです。これはなぜかといいますと、税金を納めるときの必要経費をサラリーマンにほぼ無制限に認めています。これは車を買おうが、本を買おうが、洋服を買おうが。ですから、一円も納めていないという人もあるのですね。私が財政の専門家に、なぜこんなに無制限に認めるのか、少しは制限をつけてもいいのではないかと聞いたら、これは内需の喚起のためだと言っていました。ですから、たとえば住宅を建てようが、あるいはマンションみたいなところに入っていて建てられないからほかのマンションにもう一部屋借りようが、これは皆控除が認められるのですね。
ですから私は、日本の場合、税金は高い、賃金はふえない、そして賃金からの控除も自分がひっかぶらざるを得ないという、実際の必要経費は全部自分がかぶらざるを得ない、こういう中にあったら内需はもうふえようがないと思いますね。たとえば、私なんかも本は買いたい、だけれども買っても全部自分がかぶらなければならない、調査にも行きたいけれども旅費も全部かぶらなければならないというようなことですから、結局買いたいものが、私の中に需要はいっぱいあるのだけれども、それが買えないということなのですね。だから、人事院勧告の凍結というものは、財政支出を節約するという狭いところでだけ故意に宣伝が行われて、その及ぼす社会的影響の重大さ、つまり、勤労者階級を貧困に陥れる、しかも内需というものは阻害される、ここが見られていないということを大変残念に思います。
それからもう一つ、これは年金もそうだし、公務員の賃金の凍結もそうなんですが、なぜある金額以上の人は凍結すると言わないのですか。年金もそうなんですね。たとえば特殊法人に天下りした理事は退職金の一年計算が一カ月計算になっていますね。あんなことはなぜやめないのですか。私は、退職金も賃金も、幾ら以上、これは生計費の計算か何かすれば出てくるわけで、高い人はとめる、足踏みしてもらう、だけれどもここから以下については絶対に保障するという、それがあった方がいいと思います。それがまず第一に失敗したのはグリーンカードでしょう。あんなに建物さえもう建っているのに、ああいう発想ですね。これがグリーンカードでもう出だしでたたかれてしまった、国会も通ったのに実現しなかったということは、私は、賃金や年金の面でも、それは多分公務員給与の面でもすべてできないだろうと思いますが、できることをやってほしいのですね。こういうことは、やっても、国民は拍手するだけで、決して悪いとは言わない。だけれども、むしろたくさんもらっている人にいつもよく、もらわない人に悪いということがいつも私たちのところに返ってきていると思います。
この発言だけを見る →それから、年金の問題も、国家公務員共済の場合、共済年金ははっきりした計算が出ているのですが、みんな二十年から三十年積み立てますので、インフレ目減りというのが半分あるのですね。これは本人の失敗でもなければ、それを積み立てている基金の失敗でもない、そういう社会の影響を受けて、結局年金が苦しくなってきているわけですね。これはインフレによってもうけたところ、そういうところが負担をするのがあたりまえで、これを年金レベルを下げるということで解決する、その手始めにインフレによる目減り分を、政府の国庫補助をむしろ減らしてしまうという逆行する形、それから年金の物価スライドもおくらせて、最後にはやめたい、そういうことですね。こういう行き方はやはり公共の福祉に反する。われわれが何のために掛金、あるいは掛金だけでなく税金を納めているかという理由もなくなる。
そして、ではどういうことが起きているかというと、あっ、これはいいとばかりに喜んでいるのは生命保険会社でして、国の年金は信用できませんよ、もうだめになりますよ、崩壊しますよとちゃんと書いてあるのですね。だから生命保険に皆さんお入りくださいという形でどんどん勧誘をして、どうなっているかといいますと、貧富の差が物すごく拡大しているわけですね。貧しい人は大きな掛金を掛けられない。お金持ちは掛けられる。これはがん保険、入院保険も同じです。貧しい人にこそある社会保険制度なのに、お金持ちの人にだけ保障される社会保険制度という、民間の活力導入が貧富の差を拡大するという方にずっと動いていっております。これも生計問題からいうと大変なことですね。
それから、公務員のベースアップ、人事院勧告の凍結というのは、もうすでに識者がいろいろ言っていることですが、人事院勧告が何のためにあるかということを考えても明らかだ。
それからもう一つ、なぜこんなに凍結を言うかというと、結局、人事院勧告の凍結は民間の賃金を下げておくことに利用できるから財界が言っているわけですね。だから、人事院勧告による公務員の賃金の凍結ということに賛成するということは、私たちの税金が安くて済むというふうな面だけがいろいろに言われますが、そうではなくて、民間に働く人々の賃金がみんな安くなるということの手段として使われているわけです。
それからもう一つ大事なことは、内需というのをもっと真剣に考えてほしいのですね。西ドイツなんかは税率が日本より高いと言われますが、私はこの春行ってきたばかりで、自分と同じ給与の人がどけだけ税金を納めているかというのを個々に当たって歩きました。私よりずっと安いです。これはなぜかといいますと、税金を納めるときの必要経費をサラリーマンにほぼ無制限に認めています。これは車を買おうが、本を買おうが、洋服を買おうが。ですから、一円も納めていないという人もあるのですね。私が財政の専門家に、なぜこんなに無制限に認めるのか、少しは制限をつけてもいいのではないかと聞いたら、これは内需の喚起のためだと言っていました。ですから、たとえば住宅を建てようが、あるいはマンションみたいなところに入っていて建てられないからほかのマンションにもう一部屋借りようが、これは皆控除が認められるのですね。
ですから私は、日本の場合、税金は高い、賃金はふえない、そして賃金からの控除も自分がひっかぶらざるを得ないという、実際の必要経費は全部自分がかぶらざるを得ない、こういう中にあったら内需はもうふえようがないと思いますね。たとえば、私なんかも本は買いたい、だけれども買っても全部自分がかぶらなければならない、調査にも行きたいけれども旅費も全部かぶらなければならないというようなことですから、結局買いたいものが、私の中に需要はいっぱいあるのだけれども、それが買えないということなのですね。だから、人事院勧告の凍結というものは、財政支出を節約するという狭いところでだけ故意に宣伝が行われて、その及ぼす社会的影響の重大さ、つまり、勤労者階級を貧困に陥れる、しかも内需というものは阻害される、ここが見られていないということを大変残念に思います。
それからもう一つ、これは年金もそうだし、公務員の賃金の凍結もそうなんですが、なぜある金額以上の人は凍結すると言わないのですか。年金もそうなんですね。たとえば特殊法人に天下りした理事は退職金の一年計算が一カ月計算になっていますね。あんなことはなぜやめないのですか。私は、退職金も賃金も、幾ら以上、これは生計費の計算か何かすれば出てくるわけで、高い人はとめる、足踏みしてもらう、だけれどもここから以下については絶対に保障するという、それがあった方がいいと思います。それがまず第一に失敗したのはグリーンカードでしょう。あんなに建物さえもう建っているのに、ああいう発想ですね。これがグリーンカードでもう出だしでたたかれてしまった、国会も通ったのに実現しなかったということは、私は、賃金や年金の面でも、それは多分公務員給与の面でもすべてできないだろうと思いますが、できることをやってほしいのですね。こういうことは、やっても、国民は拍手するだけで、決して悪いとは言わない。だけれども、むしろたくさんもらっている人にいつもよく、もらわない人に悪いということがいつも私たちのところに返ってきていると思います。
森
森井忠良#27
○森井委員 暉峻公述人に最後の御質問を申し上げますが、あなたは統計調査等に非常にお詳しいわけでございますが、そういった調査をします場合に、やはり人権問題が非常にかかわってまいります、国勢調査にいたしましても、障害者の調査にいたしましても。ヨーロッパでは非常に人権に対する配慮と工夫がなされておると聞きますが、この点についてお伺いをしたいと思います。
この発言だけを見る →暉
暉峻淑子#28
○暉峻公述人 この問題は大変大事な問題なので、それこそ党派を問わず本当に考えていただきたいことなんですが、昨年オランダで国勢調査ができませんでした、国民の反対によって。西ドイツではことし国勢調査は十三年ぶりに行われるという予定でしたが、国会を超党派で通った法律であるにもかかわらず、憲法裁判所が差しとめをしましたので、西ドイツも国勢調査ができませんでした。これは非常に象徴的なことなんですね。
というのは、一つは、コンピューターというのが導入されてから、昔の調査方法はコンピューターを使った場合に本当に秘密保持ということについてどのような保証があるかという、この実験、テストというのは行われていないのです。また、コンピューター会社と行政は癒着しているのかしていないのか、まだいまのところはわかりませんが、情報公開というときにいつもコンピューターを入れる話ばかりが出てくるのです。これは臨調の場合もそうだったと思います。この問題で、たとえば民間では武富士事件みたいなものがありまして、NHKのアナウンサーが、秘密であるはずのものがコンピューターから漏れたのでやめざるを得なくなったということも起こりました。その他、スイスの銀行で名前でなく番号で入っていた預金者が見つかったということもあります。これは朝日一新聞に出ていたわけです。コンピューターというものの中で、いままでと同じ調査方法が行われてそのデータの管理が行われるということが一つの問題点になっています。
それからもう一つは、調査をするときに大なり小なりプライバシーを侵すわけですから、調査の目的、これがプライバシーを侵してもなおこの調査をする価値があるのかという点を国民にはっきりしてほしいのですね。ということは、国が国の力で——これは国の権力です、財政だけではありません。国の権力でみんなにいろいろなことを答えさせるわけですから、国民にそれだけの見返りがなければいけない。いいことがなかったら、私たちの福祉が増進するような見返りがなかったら、私たちはいろいろなことを調べられて、ただはい、はいと答えるというのはばからしいということになります。それから、答えたくないということになります。ですから調査は、ただ調査のために調査をするのじゃ困るのですね。国民の生活に還元されるという目的をしっかりと具体的に示して、そのためには最小限これだけのプライバシーを侵さざるを得ません、でもこれだけいいことが返ってくるのだから公共の福祉のために協力してくださいといってやるべきものだと思います。
それから、プライバシーについては、このごろのプライバシーというのは権利の拡大がだんだん進んでいまして、知られたくないことを知られないというだけでなくて、自分に関する情報をコントロールできる、この権利をプライバシーというふうに言っております。ですから、どんな情報が国につかまえられたか、しかも私たちはそれについて、これは間違っているとか、これは知られたくないというふうにコントロールもできないというのは間違いです。
一つ言わせてください。
今度の精神衛生実態調査ですが、これは患者及び患者の家族に秘密にして、医者が、守秘義務があるにもかかわらず、ただ患者の個人名を明かさないというたった一つのそういう小さな保証だけしかなくて、患者の病状その他のことをコンピューターに入れるために調査票に書かなければならない調査です。
これは理屈がたとえどうであっても、患者は何と言っているかといいますと、もしここにいらっしゃる皆様方が、あなたの顔にふろしきをかぶせてあなたの名前がわからないようにします、だから裸の写真を撮らせてください、その裸の写真は厚生省がしっかり管理して人に見せないようにしますと言ったときに、この中の幾人の方が、では撮ってよろしいとおっしゃいますか。それと同じことをいま精神神経科の患者は国家権力によって強要されているのですよ。
しかも、その目的は何かというと、さっき言ったように、ここにちゃんと指定統計のデータはあるから、目的らしいものは何もないのです。こういう調査がまかり通れば、私は国の統計に対する国民の信用はなくなると思います。反発がふえるだけです。しかも、調査現場の人々が書き込めるような、調査票でもないものが無神経に出されているのですね。私は、こういう調査はやはりしっかり監督してほしいと思います。
〔津島委員長代理退席、委員長着席〕
この発言だけを見る →というのは、一つは、コンピューターというのが導入されてから、昔の調査方法はコンピューターを使った場合に本当に秘密保持ということについてどのような保証があるかという、この実験、テストというのは行われていないのです。また、コンピューター会社と行政は癒着しているのかしていないのか、まだいまのところはわかりませんが、情報公開というときにいつもコンピューターを入れる話ばかりが出てくるのです。これは臨調の場合もそうだったと思います。この問題で、たとえば民間では武富士事件みたいなものがありまして、NHKのアナウンサーが、秘密であるはずのものがコンピューターから漏れたのでやめざるを得なくなったということも起こりました。その他、スイスの銀行で名前でなく番号で入っていた預金者が見つかったということもあります。これは朝日一新聞に出ていたわけです。コンピューターというものの中で、いままでと同じ調査方法が行われてそのデータの管理が行われるということが一つの問題点になっています。
それからもう一つは、調査をするときに大なり小なりプライバシーを侵すわけですから、調査の目的、これがプライバシーを侵してもなおこの調査をする価値があるのかという点を国民にはっきりしてほしいのですね。ということは、国が国の力で——これは国の権力です、財政だけではありません。国の権力でみんなにいろいろなことを答えさせるわけですから、国民にそれだけの見返りがなければいけない。いいことがなかったら、私たちの福祉が増進するような見返りがなかったら、私たちはいろいろなことを調べられて、ただはい、はいと答えるというのはばからしいということになります。それから、答えたくないということになります。ですから調査は、ただ調査のために調査をするのじゃ困るのですね。国民の生活に還元されるという目的をしっかりと具体的に示して、そのためには最小限これだけのプライバシーを侵さざるを得ません、でもこれだけいいことが返ってくるのだから公共の福祉のために協力してくださいといってやるべきものだと思います。
それから、プライバシーについては、このごろのプライバシーというのは権利の拡大がだんだん進んでいまして、知られたくないことを知られないというだけでなくて、自分に関する情報をコントロールできる、この権利をプライバシーというふうに言っております。ですから、どんな情報が国につかまえられたか、しかも私たちはそれについて、これは間違っているとか、これは知られたくないというふうにコントロールもできないというのは間違いです。
一つ言わせてください。
今度の精神衛生実態調査ですが、これは患者及び患者の家族に秘密にして、医者が、守秘義務があるにもかかわらず、ただ患者の個人名を明かさないというたった一つのそういう小さな保証だけしかなくて、患者の病状その他のことをコンピューターに入れるために調査票に書かなければならない調査です。
これは理屈がたとえどうであっても、患者は何と言っているかといいますと、もしここにいらっしゃる皆様方が、あなたの顔にふろしきをかぶせてあなたの名前がわからないようにします、だから裸の写真を撮らせてください、その裸の写真は厚生省がしっかり管理して人に見せないようにしますと言ったときに、この中の幾人の方が、では撮ってよろしいとおっしゃいますか。それと同じことをいま精神神経科の患者は国家権力によって強要されているのですよ。
しかも、その目的は何かというと、さっき言ったように、ここにちゃんと指定統計のデータはあるから、目的らしいものは何もないのです。こういう調査がまかり通れば、私は国の統計に対する国民の信用はなくなると思います。反発がふえるだけです。しかも、調査現場の人々が書き込めるような、調査票でもないものが無神経に出されているのですね。私は、こういう調査はやはりしっかり監督してほしいと思います。
〔津島委員長代理退席、委員長着席〕
森