教育基本法に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成十八年十二月十三日(水曜日)
午後一時六分開会
─────────────
委員の異動
十二月十二日
辞任 補欠選任
鴻池 祥肇君 西島 英利君
下田 敦子君 山根 隆治君
広中和歌子君 浅尾慶一郎君
福山 哲郎君 岡崎トミ子君
仁比 聡平君 井上 哲士君
近藤 正道君 福島みずほ君
十二月十三日
辞任 補欠選任
鰐淵 洋子君 山本 保君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 中曽根弘文君
理 事
岸 信夫君
北岡 秀二君
保坂 三蔵君
佐藤 泰介君
櫻井 充君
蓮 舫君
風間 昶君
委 員
岩城 光英君
小野 清子君
岡田 直樹君
岡田 広君
小泉 昭男君
小泉 顕雄君
坂本由紀子君
中島 啓雄君
西島 英利君
南野知惠子君
舛添 要一君
松村 祥史君
浅尾慶一郎君
岡崎トミ子君
神本美恵子君
鈴木 寛君
西岡 武夫君
林 久美子君
藤本 祐司君
水岡 俊一君
山根 隆治君
浮島とも子君
山下 栄一君
山本 保君
井上 哲士君
福島みずほ君
亀井 郁夫君
発議者 西岡 武夫君
発議者 鈴木 寛君
発議者 水岡 俊一君
国務大臣
総務大臣 菅 義偉君
文部科学大臣 伊吹 文明君
国務大臣
(内閣官房長官) 塩崎 恭久君
国務大臣
(内閣府特命担
当大臣(少子化
・男女共同参画
)) 高市 早苗君
大臣政務官
文部科学大臣政
務官 水落 敏栄君
事務局側
常任委員会専門
員 山口 俊史君
政府参考人
内閣府大臣官房
長 山本信一郎君
総務省自治財政
局長 岡本 保君
文部科学大臣官
房長 玉井日出夫君
文部科学大臣官
房総括審議官 金森 越哉君
文部科学省生涯
学習政策局長 田中壮一郎君
文部科学省初等
中等教育局長 銭谷 眞美君
文部科学省スポ
ーツ・青少年局
長 樋口 修資君
文部科学省国際
統括官 瀬山 賢治君
厚生労働大臣官
房審議官 村木 厚子君
国土交通大臣官
房審議官 和泉 洋人君
─────────────
本日の会議に付した案件
○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第
百六十五回国会衆議院送付)
○日本国教育基本法案(輿石東君外六名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
案(輿石東君外六名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
に関する法律案(輿石東君外六名発議)
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この発言だけを見る →午後一時六分開会
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委員の異動
十二月十二日
辞任 補欠選任
鴻池 祥肇君 西島 英利君
下田 敦子君 山根 隆治君
広中和歌子君 浅尾慶一郎君
福山 哲郎君 岡崎トミ子君
仁比 聡平君 井上 哲士君
近藤 正道君 福島みずほ君
十二月十三日
辞任 補欠選任
鰐淵 洋子君 山本 保君
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出席者は左のとおり。
委員長 中曽根弘文君
理 事
岸 信夫君
北岡 秀二君
保坂 三蔵君
佐藤 泰介君
櫻井 充君
蓮 舫君
風間 昶君
委 員
岩城 光英君
小野 清子君
岡田 直樹君
岡田 広君
小泉 昭男君
小泉 顕雄君
坂本由紀子君
中島 啓雄君
西島 英利君
南野知惠子君
舛添 要一君
松村 祥史君
浅尾慶一郎君
岡崎トミ子君
神本美恵子君
鈴木 寛君
西岡 武夫君
林 久美子君
藤本 祐司君
水岡 俊一君
山根 隆治君
浮島とも子君
山下 栄一君
山本 保君
井上 哲士君
福島みずほ君
亀井 郁夫君
発議者 西岡 武夫君
発議者 鈴木 寛君
発議者 水岡 俊一君
国務大臣
総務大臣 菅 義偉君
文部科学大臣 伊吹 文明君
国務大臣
(内閣官房長官) 塩崎 恭久君
国務大臣
(内閣府特命担
当大臣(少子化
・男女共同参画
)) 高市 早苗君
大臣政務官
文部科学大臣政
務官 水落 敏栄君
事務局側
常任委員会専門
員 山口 俊史君
政府参考人
内閣府大臣官房
長 山本信一郎君
総務省自治財政
局長 岡本 保君
文部科学大臣官
房長 玉井日出夫君
文部科学大臣官
房総括審議官 金森 越哉君
文部科学省生涯
学習政策局長 田中壮一郎君
文部科学省初等
中等教育局長 銭谷 眞美君
文部科学省スポ
ーツ・青少年局
長 樋口 修資君
文部科学省国際
統括官 瀬山 賢治君
厚生労働大臣官
房審議官 村木 厚子君
国土交通大臣官
房審議官 和泉 洋人君
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本日の会議に付した案件
○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第
百六十五回国会衆議院送付)
○日本国教育基本法案(輿石東君外六名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
案(輿石東君外六名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
に関する法律案(輿石東君外六名発議)
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中
中曽根弘文#1
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨十二日、鴻池祥肇君、近藤正道君、仁比聡平君、広中和歌子君、福山哲郎君及び下田敦子君が委員を辞任され、その補欠として西島英利君、福島みずほ君、井上哲士君、浅尾慶一郎君、岡崎トミ子君及び山根隆治君が選任されました。
また、本日、鰐淵洋子君が委員を辞任され、その補欠として山本保君が選任されました。
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この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨十二日、鴻池祥肇君、近藤正道君、仁比聡平君、広中和歌子君、福山哲郎君及び下田敦子君が委員を辞任され、その補欠として西島英利君、福島みずほ君、井上哲士君、浅尾慶一郎君、岡崎トミ子君及び山根隆治君が選任されました。
また、本日、鰐淵洋子君が委員を辞任され、その補欠として山本保君が選任されました。
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中
中曽根弘文#2
○委員長(中曽根弘文君) 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題とし、質疑を行います。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →質疑のある方は順次御発言願います。
西
西島英利#3
○西島英利君 自由民主党の西島でございます。
本当に大臣の皆様方、連日御苦労さまでございます。
私、本業は今、国会議員でございますけれども、副業は精神科医でございまして、まさしくこの精神科医としての心理学的な面から教育を考えるということで、ちょっと質問をさせていただきたいというふうに思います。
今回の法律の中で、前文では、「豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、」というふうに書かれております。また、「教育の目的」、第一条でも「教育は、人格の完成を目指し、」というふうに書かれているわけでございますが、この人格の形成、豊かな人間性というところで、今回の法律にも第十条に家庭教育が入ったわけでございますけれども、家庭教育とはいかに重要なのかということをちょっと精神科医的にお話をさせていただきたいというふうに思いますが。
資料を配付をさしていただいております。これは、「子は親の鏡」という文章でございますけれども、「子どもが育つ魔法の言葉」という本の中に書かれている内容でございます。これを書かれた方はドロシー・ロー・ノルトという方でございまして、家庭教育に生涯をずっと捧げてきた教育家でございます。アメリカ人でございますけれども。そして、それをサポートしたのがレイチャル・ハリスという精神科医の方でございます。まさしく、この精神科的に裏付けされた文章であるということを前提といたしまして、少しだけこれを読まさせていただきますと、
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
こういう文章でございます。
まさしく、実はこういうような育て方を小さいころから家庭の中でしてない結果が、今のいじめの問題や家庭内暴力、校内暴力の問題、それから自殺というふうな、そういうような今の大きな問題を起こしているのではないかというふうに思います。このような環境で育つことで初めて学校での知識を学ぶということの重要性が分かってくるようになりまして、向上心が自然に生まれて、創造性も身に付くようになるだろうというふうに思っております。
ただ、今の家庭での問題は何なのかといいますと、過干渉、過保護がこれは大きな問題になっております。そして、愛情とそれから過保護というのが間違ってどうも理解をされているところがあるのではないかなというふうに思います。
過保護というのは、子供の欲求の先取りをして、子供の都合のいいようにやってしまうのが過保護だというふうに思います。愛情というのは、場合によったらば子供が嫌がることもきちんと対応しなければいけない部分があるわけでございます。そして、もしこの過干渉が非常に多いと、神経質な性格の子供になってしまう。また、過保護で育てられますと、耐える力、つまり耐性ですね、この耐性が育たずに自己中心的になって、集団の中での生き方が非常に困難になってしまうということは、これはもう精神科的には実は証明をされているわけでございます。
この文章で、先ほどの文章で見ますと、この過干渉というのは、「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる」、「叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう」という、こういうふうな問題が実は生じてくるんだということはこの文章の中で言われているわけでございます。
それから、人間には人格的な欲求というのがございまして、これは集団の中で尊敬され認められたいと、こういう集団的な、これはもう小さい子でもみんなございます。この欲求が認められないということは、実は本当に大きなストレスになってしまうわけでございます。
先日、学校で、学校の先生が子どもに対して、その先生はからかったんだという言い方をされます。しかし、それは、この集団の中で尊敬され認められたいというこの人格的な欲求を完全につぶしてしまった結果だろうというふうに思っております。そこまでの重要性を恐らくあのときの先生はお分かりになってなかったんだろうというふうに思います。
そして今、まさしくこういう状況が家庭の中でなされていない。ですから、家庭教育の重要性というのをこの学校教育の中で教えなければいつまでも変わらない。教育を受けた者が、これは親になって、親が子を育てるわけでございますから、まさしく家庭教育の重要性をやっぱり学校教育の中で教えていかなければならないのではないかというふうに思うんでございますけれども、大臣、いかがお考えになりますでしょうか。
この発言だけを見る →本当に大臣の皆様方、連日御苦労さまでございます。
私、本業は今、国会議員でございますけれども、副業は精神科医でございまして、まさしくこの精神科医としての心理学的な面から教育を考えるということで、ちょっと質問をさせていただきたいというふうに思います。
今回の法律の中で、前文では、「豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、」というふうに書かれております。また、「教育の目的」、第一条でも「教育は、人格の完成を目指し、」というふうに書かれているわけでございますが、この人格の形成、豊かな人間性というところで、今回の法律にも第十条に家庭教育が入ったわけでございますけれども、家庭教育とはいかに重要なのかということをちょっと精神科医的にお話をさせていただきたいというふうに思いますが。
資料を配付をさしていただいております。これは、「子は親の鏡」という文章でございますけれども、「子どもが育つ魔法の言葉」という本の中に書かれている内容でございます。これを書かれた方はドロシー・ロー・ノルトという方でございまして、家庭教育に生涯をずっと捧げてきた教育家でございます。アメリカ人でございますけれども。そして、それをサポートしたのがレイチャル・ハリスという精神科医の方でございます。まさしく、この精神科的に裏付けされた文章であるということを前提といたしまして、少しだけこれを読まさせていただきますと、
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
こういう文章でございます。
まさしく、実はこういうような育て方を小さいころから家庭の中でしてない結果が、今のいじめの問題や家庭内暴力、校内暴力の問題、それから自殺というふうな、そういうような今の大きな問題を起こしているのではないかというふうに思います。このような環境で育つことで初めて学校での知識を学ぶということの重要性が分かってくるようになりまして、向上心が自然に生まれて、創造性も身に付くようになるだろうというふうに思っております。
ただ、今の家庭での問題は何なのかといいますと、過干渉、過保護がこれは大きな問題になっております。そして、愛情とそれから過保護というのが間違ってどうも理解をされているところがあるのではないかなというふうに思います。
過保護というのは、子供の欲求の先取りをして、子供の都合のいいようにやってしまうのが過保護だというふうに思います。愛情というのは、場合によったらば子供が嫌がることもきちんと対応しなければいけない部分があるわけでございます。そして、もしこの過干渉が非常に多いと、神経質な性格の子供になってしまう。また、過保護で育てられますと、耐える力、つまり耐性ですね、この耐性が育たずに自己中心的になって、集団の中での生き方が非常に困難になってしまうということは、これはもう精神科的には実は証明をされているわけでございます。
この文章で、先ほどの文章で見ますと、この過干渉というのは、「けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる」、「叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう」という、こういうふうな問題が実は生じてくるんだということはこの文章の中で言われているわけでございます。
それから、人間には人格的な欲求というのがございまして、これは集団の中で尊敬され認められたいと、こういう集団的な、これはもう小さい子でもみんなございます。この欲求が認められないということは、実は本当に大きなストレスになってしまうわけでございます。
先日、学校で、学校の先生が子どもに対して、その先生はからかったんだという言い方をされます。しかし、それは、この集団の中で尊敬され認められたいというこの人格的な欲求を完全につぶしてしまった結果だろうというふうに思っております。そこまでの重要性を恐らくあのときの先生はお分かりになってなかったんだろうというふうに思います。
そして今、まさしくこういう状況が家庭の中でなされていない。ですから、家庭教育の重要性というのをこの学校教育の中で教えなければいつまでも変わらない。教育を受けた者が、これは親になって、親が子を育てるわけでございますから、まさしく家庭教育の重要性をやっぱり学校教育の中で教えていかなければならないのではないかというふうに思うんでございますけれども、大臣、いかがお考えになりますでしょうか。
伊
伊吹文明#4
○国務大臣(伊吹文明君) 今、先生がおっしゃったとおりだろうと思います。基本的には、人間というのは、学校と地域社会とそして家庭の中で大きくなって、人格の形成をし、知識を付けていくわけです。
先生がおっしゃったことはすべてそのとおりだと思いますが、残念ながら、時代の進展とともに、まあ今から六十年前、現教育基本法が初めて制定されたときは、農業で自分の生活を支えている人は五割を超えておりましたね。ですから、土に定着をして三家族一緒に住んでいるという形態が非常に多く、そのことはコミュニティーができやすいということですね。ところが、今は農業で生活を支えている方はもう一けたというか、五%以内になっておりますし、多くの人たちは職を求めて都会に出てきておりますし、共働きが始まっておりますから、確かに家庭教育は大切なんですけれども、共働き、核家族という状態ではなかなか家庭が昔のようには機能しないと。その実は役割を学校の先生にやや期待し過ぎていると。学校の先生もいろいろなことをおっしゃりたい場面がたくさんあると思うんですよ、いじめの問題だとかいろいろなことがあると。しかし、教師のお立場としては言えないこともあるんでしょう。だから、私がここでこういうことを言っておるわけですが。
人間は、よく言われるように、母親の子宮の中にいたときに一番穏やかな状態にあるわけですから、家庭教育が根本であるということは大切ですし、またそういうことを大切にしていかなければならないということを学校教育の場でも教えなければいけないし、今回の教育基本法には家庭教育という条をわざわざ起こしたということもそういう意味ではございますが、現実はなかなか、社会の進展に伴って家庭教育が従来のようには十分ではないということは認めなければいけないと思います。
この発言だけを見る →先生がおっしゃったことはすべてそのとおりだと思いますが、残念ながら、時代の進展とともに、まあ今から六十年前、現教育基本法が初めて制定されたときは、農業で自分の生活を支えている人は五割を超えておりましたね。ですから、土に定着をして三家族一緒に住んでいるという形態が非常に多く、そのことはコミュニティーができやすいということですね。ところが、今は農業で生活を支えている方はもう一けたというか、五%以内になっておりますし、多くの人たちは職を求めて都会に出てきておりますし、共働きが始まっておりますから、確かに家庭教育は大切なんですけれども、共働き、核家族という状態ではなかなか家庭が昔のようには機能しないと。その実は役割を学校の先生にやや期待し過ぎていると。学校の先生もいろいろなことをおっしゃりたい場面がたくさんあると思うんですよ、いじめの問題だとかいろいろなことがあると。しかし、教師のお立場としては言えないこともあるんでしょう。だから、私がここでこういうことを言っておるわけですが。
人間は、よく言われるように、母親の子宮の中にいたときに一番穏やかな状態にあるわけですから、家庭教育が根本であるということは大切ですし、またそういうことを大切にしていかなければならないということを学校教育の場でも教えなければいけないし、今回の教育基本法には家庭教育という条をわざわざ起こしたということもそういう意味ではございますが、現実はなかなか、社会の進展に伴って家庭教育が従来のようには十分ではないということは認めなければいけないと思います。
西
西島英利#5
○西島英利君 是非、せっかくこの家庭の教育というのが法律の中に書き込まれたわけでございますし、恐らく、これから学校に来て、そしてその子供たちがそれを学び、そしてそれが親になったときに初めてこれが生きてくるだろうというふうに思いますので、是非そういう視点は重要かなというふうに思っているところでもございます。
次に、教育の目標で第二条第三項に男女の平等ということが言われているわけでございます。男らしさとか、それから女性らしさとか、父親の役割、母親の役割、こういうことは人格形成には非常に重要だろうというふうに思うわけでございます。
人間は、成人して結婚をし、そして子供が生まれますと、親はその子供を育てなければなりません。女の子は実は父親にあこがれるんですね。そして、男の子は母親を独り占めしようというふうにするという、そういう傾向があるわけでございます。
そこで、先ほどのドロシーさんの文章の中で、「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる」という文章がございますが、この和気あいあいというのは実は夫婦が仲がいいということなんですね。
そこで、父親と母親が仲が良ければ、女の子は母親のようになって父親に好かれたいというふうに思う、そういうふうな傾向が出てくるわけです。また、男の子は、この父親の権威をまねして母親に好かれたいというふうに考えるようになる。ですから、そういう意味で、まずは夫婦が仲がいいということがポイントでございます。
私、いつも、PTAで呼ばれて講演するときには、子供の前では夫婦げんかしないでくださいと、こう言うんですね。隠れたところではしても構いませんけれどもというふうに言うわけでございますが、そういう意味で、この和気あいあいとした家庭が子供の成長には非常に重要だというふうに思うわけでございます。
そして、よく言われるんですが、じゃ、母子家庭はどうなのかと、父親がいないじゃないかということを言われますが、このときは、子供に向かって、あなたの父親は本当こんなすばらしい人だったんだよという話をずっとしていけば、実はそれが子供のイメージとしてしっかりと植え付けられるということでございます。
しかし、よくこの家庭の話を見ますと、本当あんたのお父さんはもうお酒ばっかり飲んで、そして女の子をつくってどこか行っちゃったのよと、こう言われますと、一体自分の親というのは何なんだというふうに思いまして、これは家庭教育どころではなくなってしまうんだろうというふうに思っております。
そういう意味で、男らしさ、女らしさ、それから父親の役割、母親の役割というのは非常に大事だと思うんですけれども、日教組の方針の中に、ジェンダーフリーというこの方針を掲げていられる部分がございます。
新聞記事でも、これは去年の新聞記事でございましたけれども、日教組教研集会ジェンダーフリー報告というので、ひどい内容がここに書かれているわけでございますが、まさしくこのジェンダーフリーというのは、この今私がお話ししたこの考えを否定するようなものだというふうに私自身は思っているわけでございますが、こういうことも含めて大臣の御見解をお聞かせいただければと思います。
この発言だけを見る →次に、教育の目標で第二条第三項に男女の平等ということが言われているわけでございます。男らしさとか、それから女性らしさとか、父親の役割、母親の役割、こういうことは人格形成には非常に重要だろうというふうに思うわけでございます。
人間は、成人して結婚をし、そして子供が生まれますと、親はその子供を育てなければなりません。女の子は実は父親にあこがれるんですね。そして、男の子は母親を独り占めしようというふうにするという、そういう傾向があるわけでございます。
そこで、先ほどのドロシーさんの文章の中で、「和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる」という文章がございますが、この和気あいあいというのは実は夫婦が仲がいいということなんですね。
そこで、父親と母親が仲が良ければ、女の子は母親のようになって父親に好かれたいというふうに思う、そういうふうな傾向が出てくるわけです。また、男の子は、この父親の権威をまねして母親に好かれたいというふうに考えるようになる。ですから、そういう意味で、まずは夫婦が仲がいいということがポイントでございます。
私、いつも、PTAで呼ばれて講演するときには、子供の前では夫婦げんかしないでくださいと、こう言うんですね。隠れたところではしても構いませんけれどもというふうに言うわけでございますが、そういう意味で、この和気あいあいとした家庭が子供の成長には非常に重要だというふうに思うわけでございます。
そして、よく言われるんですが、じゃ、母子家庭はどうなのかと、父親がいないじゃないかということを言われますが、このときは、子供に向かって、あなたの父親は本当こんなすばらしい人だったんだよという話をずっとしていけば、実はそれが子供のイメージとしてしっかりと植え付けられるということでございます。
しかし、よくこの家庭の話を見ますと、本当あんたのお父さんはもうお酒ばっかり飲んで、そして女の子をつくってどこか行っちゃったのよと、こう言われますと、一体自分の親というのは何なんだというふうに思いまして、これは家庭教育どころではなくなってしまうんだろうというふうに思っております。
そういう意味で、男らしさ、女らしさ、それから父親の役割、母親の役割というのは非常に大事だと思うんですけれども、日教組の方針の中に、ジェンダーフリーというこの方針を掲げていられる部分がございます。
新聞記事でも、これは去年の新聞記事でございましたけれども、日教組教研集会ジェンダーフリー報告というので、ひどい内容がここに書かれているわけでございますが、まさしくこのジェンダーフリーというのは、この今私がお話ししたこの考えを否定するようなものだというふうに私自身は思っているわけでございますが、こういうことも含めて大臣の御見解をお聞かせいただければと思います。
高
高市早苗#6
○国務大臣(高市早苗君) 現在はジェンダーフリーという言葉を使用しない方がいいということで地方の方にも国から文書を送っております。
このジェンダーフリーという用語を使用することについては、第二次男女共同参画基本計画にも明確に書かせていただいておりまして、この用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なるということで、例えばということで、児童生徒の発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育、男女同室の着替え、男女同室の宿泊、男女混合騎馬戦などの事例は極めて非常識であると、ここまで書いているところでございます。
この発言だけを見る →このジェンダーフリーという用語を使用することについては、第二次男女共同参画基本計画にも明確に書かせていただいておりまして、この用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なるということで、例えばということで、児童生徒の発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育、男女同室の着替え、男女同室の宿泊、男女混合騎馬戦などの事例は極めて非常識であると、ここまで書いているところでございます。
西
西島英利#7
○西島英利君 これは決して男女の差別、男が上で女性が下とか、そういうことではないんですね。やはりこれは非常に必要なことです、家庭の教育という意味では。ですから、そういう視点からこのジェンダーフリーの考え方というのはやはりしっかりと議論をしていかないといけないんだろうというふうに思っております。
次の質問をさせていただきたいと思うんですが、帰属意識がやっぱり今この日本には薄くなってきておるのではないかなというふうに思います。この国に生まれ、この国で育ち、この国で自分たちは守られているんだと、こういう意識が非常に大事なんですね。たとえグローバルな社会といえども、実はこの帰属意識というのが安心につながるわけでございます。
特に外国に行きますと、非常に孤立感といいますか孤独感を感じるわけでございますが、しかし、私が今年ちょっとスイスに参りましたときに、ガイドさん、日本人のガイドさんでございました。その方のお話を聞いて、ああ、これ大事だなと思ったのは、空港にお客さんを迎えに行ったときに日の丸を付けた飛行機を見ると、そうするとほっとすると言われるんですね。まさしくそういう意味で、この帰属意識をやっぱり子供たちに持ってもらうという意味では、国歌、歌ですね、国歌とか国旗に対する教育というのは非常に重要ではないかなというふうに私自身は思うわけでございますけれども、大臣、コメントをいただければと思います。
この発言だけを見る →次の質問をさせていただきたいと思うんですが、帰属意識がやっぱり今この日本には薄くなってきておるのではないかなというふうに思います。この国に生まれ、この国で育ち、この国で自分たちは守られているんだと、こういう意識が非常に大事なんですね。たとえグローバルな社会といえども、実はこの帰属意識というのが安心につながるわけでございます。
特に外国に行きますと、非常に孤立感といいますか孤独感を感じるわけでございますが、しかし、私が今年ちょっとスイスに参りましたときに、ガイドさん、日本人のガイドさんでございました。その方のお話を聞いて、ああ、これ大事だなと思ったのは、空港にお客さんを迎えに行ったときに日の丸を付けた飛行機を見ると、そうするとほっとすると言われるんですね。まさしくそういう意味で、この帰属意識をやっぱり子供たちに持ってもらうという意味では、国歌、歌ですね、国歌とか国旗に対する教育というのは非常に重要ではないかなというふうに私自身は思うわけでございますけれども、大臣、コメントをいただければと思います。
伊
伊吹文明#8
○国務大臣(伊吹文明君) 国際化すればするほど、外国で尊敬を受ける人間は、自国のやはり固有の文化をしっかりと身に付けている人なんですね。同時にまた、他国の文化を身に付けている人をそれなりに評価ができるだけの知的レベルがなけりゃ当然いけないわけです。ですから、日本の伝統文化を尊重し、そしてそれをはぐくんできた我が国を愛する態度を養うと、こう書いているのは、正に国際時代においてそういうことだということです。と同時に、他国を尊重する態度ということを言っておりますね。ですから、そのようなものの象徴として国旗・国歌は尊重をしていただきたいし、また尊重をしていただくような人間に育っていただくというのが学習指導要領の中にうたっていることでございます。
この発言だけを見る →西
西島英利#9
○西島英利君 是非、これは非常に重要な部分でございますので、是非しっかりとした御指導をお願い申し上げたいというふうに思います。
もう一つ、この法律の中に宗教教育が一項目ございます。まさしく宗教というのは何のためにあるんだろうと思いますと、実は常に人間というのは死に対する不安があるわけでございます。しかし、日本の今の教育には、特にこの死の準備教育といいますか、それがなされていないというふうに思うんですね。欧米諸国はこの死の準備教育をしっかりなされているわけでございます。そういう意味で、この宗教教育というのは非常に重要だろうというふうに思うんですが、自分が死んだ後の世界に対しての恐怖感を取るという意味でも、この宗教というのは非常に大事だろうというふうに思っております。そして、これらの教育がなされることによって、例えば祖先に対する尊敬の念も、これ自然に生まれてくると。死が何を意味するのかという教育がないがゆえに、子供たちが安易に自殺をしていっているんじゃないかなというふうにも感じるところでございます。
この死の準備教育という視点から、大臣、何かコメントいただければと思うんですが。
この発言だけを見る →もう一つ、この法律の中に宗教教育が一項目ございます。まさしく宗教というのは何のためにあるんだろうと思いますと、実は常に人間というのは死に対する不安があるわけでございます。しかし、日本の今の教育には、特にこの死の準備教育といいますか、それがなされていないというふうに思うんですね。欧米諸国はこの死の準備教育をしっかりなされているわけでございます。そういう意味で、この宗教教育というのは非常に重要だろうというふうに思うんですが、自分が死んだ後の世界に対しての恐怖感を取るという意味でも、この宗教というのは非常に大事だろうというふうに思っております。そして、これらの教育がなされることによって、例えば祖先に対する尊敬の念も、これ自然に生まれてくると。死が何を意味するのかという教育がないがゆえに、子供たちが安易に自殺をしていっているんじゃないかなというふうにも感じるところでございます。
この死の準備教育という視点から、大臣、何かコメントいただければと思うんですが。
伊
伊吹文明#10
○国務大臣(伊吹文明君) 宗教教育という言葉は、今回の基本法にはそのままの言葉としては使っておりません。宗教に対する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位という記述をしております。
これは、やはり特定の宗教を布教の目的でもって教えるということ、布教の目的かどうかは実は教える人の心の中にあるものですから、慎重にありたいということでこういう表現になっておるわけですが、宗教一般の情操としては、先生がおっしゃったように、やはり命、自分の命、そして相手の命、そして人間だけではなくて、動物も植物もみんな命があるという命に対する謙虚さというか、命に対する認める意識というんでしょうかね、それと同時に、大自然に対する謙虚な姿勢、それから長い歴史の中で見ると、たまたま七、八十年生きるという自分はいかにちっぽけなものかと、こういうのが宗教一般の情操のようなものだと思いますから、そういうものはやっぱりしっかりと身に付けていくということだと思います。
この発言だけを見る →これは、やはり特定の宗教を布教の目的でもって教えるということ、布教の目的かどうかは実は教える人の心の中にあるものですから、慎重にありたいということでこういう表現になっておるわけですが、宗教一般の情操としては、先生がおっしゃったように、やはり命、自分の命、そして相手の命、そして人間だけではなくて、動物も植物もみんな命があるという命に対する謙虚さというか、命に対する認める意識というんでしょうかね、それと同時に、大自然に対する謙虚な姿勢、それから長い歴史の中で見ると、たまたま七、八十年生きるという自分はいかにちっぽけなものかと、こういうのが宗教一般の情操のようなものだと思いますから、そういうものはやっぱりしっかりと身に付けていくということだと思います。
西
西島英利#11
○西島英利君 時間が参りましたので、これで終わりますけれども、六十年ぶりの改正と、さらには本当に長い時間を掛けて議論をした結果の今回の改正案だというふうに私は思っております。早期の成立を願いまして、質問を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →ありがとうございました。
浅
浅尾慶一郎#12
○浅尾慶一郎君 民主党・新緑風会の浅尾慶一郎です。
まず初めに、タウンミーティング調査委員会の調査報告書というものが本日出ております。この点、様々なやらせ質問というものもありましたが、簡潔に、まとめられました官房長官、責任ではないんですけど、ある種の所管という意味で官房長官に、どういう認識を持っているかということについて、まずお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →まず初めに、タウンミーティング調査委員会の調査報告書というものが本日出ております。この点、様々なやらせ質問というものもありましたが、簡潔に、まとめられました官房長官、責任ではないんですけど、ある種の所管という意味で官房長官に、どういう認識を持っているかということについて、まずお伺いしたいと思います。
塩
塩崎恭久#13
○国務大臣(塩崎恭久君) 大変長い間掛かりましたが、百七十四回のタウンミーティングすべてについての調査を一区切り付けて、今日、林委員長の方から十二時半から発表させていただきました。
既に、様々な委員会の質疑等々で出ているわけでありますけれども、全体として、これまでの教育改革タウンミーティングに加えて、十回のタウンミーティングでいわゆるやらせ質問というものがあったということでもあり、これ実は延べ人数にしますと六万八千人ぐらいが参加をしていただいたタウンミーティングでありますが、その他謝礼の問題、それから発言の内容は依頼しないでも、発言をしてほしいという依頼をした、そういったケースもかなり、これはかなりあったということで、元々国民との双方向での対話の場ということであったはずのものが、その基本から外れていたんではないかというおそれが間々見られるということで、また一方で、この委員会でも大分御指摘をいただきましたけれども、契約の中身について、まあ世間の常識では考えられないような貴重な税金の使い方をしている、無駄遣いが行われているということを見て、これは大いに反省をし、そして国民との双方向の対話というのはやはり必要であります。政策をつくるにはやっぱり必要でありますから、新しいやり方を、今回の教訓を引き出した後につくっていくべく早急に対応をしていきたいと、このように考えているところでございます。
総理からも、官房長官中心に新たなやり方を早急につくるようにということでもございますが、その原点は、総理からも、今回の問題についての国民に対して不信感を招いてしまったことについては大いに反省をするようにと、こういうことで我々としても担当する各大臣反省をしてけじめを付けていきたいと、このように思っておるところでございます。
この発言だけを見る →既に、様々な委員会の質疑等々で出ているわけでありますけれども、全体として、これまでの教育改革タウンミーティングに加えて、十回のタウンミーティングでいわゆるやらせ質問というものがあったということでもあり、これ実は延べ人数にしますと六万八千人ぐらいが参加をしていただいたタウンミーティングでありますが、その他謝礼の問題、それから発言の内容は依頼しないでも、発言をしてほしいという依頼をした、そういったケースもかなり、これはかなりあったということで、元々国民との双方向での対話の場ということであったはずのものが、その基本から外れていたんではないかというおそれが間々見られるということで、また一方で、この委員会でも大分御指摘をいただきましたけれども、契約の中身について、まあ世間の常識では考えられないような貴重な税金の使い方をしている、無駄遣いが行われているということを見て、これは大いに反省をし、そして国民との双方向の対話というのはやはり必要であります。政策をつくるにはやっぱり必要でありますから、新しいやり方を、今回の教訓を引き出した後につくっていくべく早急に対応をしていきたいと、このように考えているところでございます。
総理からも、官房長官中心に新たなやり方を早急につくるようにということでもございますが、その原点は、総理からも、今回の問題についての国民に対して不信感を招いてしまったことについては大いに反省をするようにと、こういうことで我々としても担当する各大臣反省をしてけじめを付けていきたいと、このように思っておるところでございます。
浅
浅尾慶一郎#14
○浅尾慶一郎君 今官房長官から対話の場というお言葉がございました。実は先般、平田オリザさんという劇作家の人と話をしていまして、会話と対話の違いということを私も改めて認識をしたんですが、会話というのは仲間うちですると。対話というのは、意見が違う場合にその意見の違いを、あなたの考え方はこういう意見ですねと、私の考え方はこういう意見ですと、それぞれに了解した上でその接着点を図るというのが対話だということで、そういう定義をしていまして、そういう定義の対話の場だとすると、やらせ質問というのは非常に問題があるということを改めて指摘をさせていただきたいんですが。
そこで、教育改革で五回、そしてその他で十回あるということでありましたが、こちらの厚い方の報告書を読ませていただいたところ、その他の中の大部分は実は司法制度改革であります。司法制度改革のタウンミーティングでなぜやらせ質問をしたかというと、そもそも司法制度改革というものに余り一般的な国民がまだなじみがないと。なじみがないから質問がなかなか出ない可能性があるのでやらせの質問を頼んだというのが、この報告書に書いてあります。それはまあ、そういうこともあってはいけないと思いますが、なじみがないなら、そういう発想というのも致し方ないとまでは言いませんが、そういう発想もあり得なくはないかなと思います。
ところが、問題は教育改革の方でありまして、教育改革の方は何て書いてあるかというと、こうした教育改革あるいは教育基本法改正に関して、文部科学省が過去に主催したフォーラム等の状況から見て、教育基本法改正に反対する者のみが発言する可能性があり、賛否両論幅広い意見が出るよう配慮する必要があると考えたとはっきり書いてあります。
今申し上げましたように、反対の人しか発言しないんだったら反対の人しか事実上はいないということなんだと思うんですよ。つまり、力強く賛成だったら、そういう人が出てきて賛成すればいいと。何となく賛成というのは、その強さとは違う。それから申し上げたいのは、対話ということで言えば、その主催者側と考えが違うんだったら、その人たちの考え方はこうですと、政府の考え方はこうですということを本来説明すべきだったんではないかというふうに思いますが、そういう観点から質問をこれ、伊吹文科大臣にさせていただきますけれども、要約しますと、反対の人しか来ないから賛成側でやらせ質問をしたというのは、全くもってけしからぬというふうに思いますが、そういう認識を文科大臣も持つかどうか、伺いたいと思います。
この発言だけを見る →そこで、教育改革で五回、そしてその他で十回あるということでありましたが、こちらの厚い方の報告書を読ませていただいたところ、その他の中の大部分は実は司法制度改革であります。司法制度改革のタウンミーティングでなぜやらせ質問をしたかというと、そもそも司法制度改革というものに余り一般的な国民がまだなじみがないと。なじみがないから質問がなかなか出ない可能性があるのでやらせの質問を頼んだというのが、この報告書に書いてあります。それはまあ、そういうこともあってはいけないと思いますが、なじみがないなら、そういう発想というのも致し方ないとまでは言いませんが、そういう発想もあり得なくはないかなと思います。
ところが、問題は教育改革の方でありまして、教育改革の方は何て書いてあるかというと、こうした教育改革あるいは教育基本法改正に関して、文部科学省が過去に主催したフォーラム等の状況から見て、教育基本法改正に反対する者のみが発言する可能性があり、賛否両論幅広い意見が出るよう配慮する必要があると考えたとはっきり書いてあります。
今申し上げましたように、反対の人しか発言しないんだったら反対の人しか事実上はいないということなんだと思うんですよ。つまり、力強く賛成だったら、そういう人が出てきて賛成すればいいと。何となく賛成というのは、その強さとは違う。それから申し上げたいのは、対話ということで言えば、その主催者側と考えが違うんだったら、その人たちの考え方はこうですと、政府の考え方はこうですということを本来説明すべきだったんではないかというふうに思いますが、そういう観点から質問をこれ、伊吹文科大臣にさせていただきますけれども、要約しますと、反対の人しか来ないから賛成側でやらせ質問をしたというのは、全くもってけしからぬというふうに思いますが、そういう認識を文科大臣も持つかどうか、伺いたいと思います。
伊
伊吹文明#15
○国務大臣(伊吹文明君) 私は当時、率直なところ文部科学大臣をしておりませんから、当時の模様を事務局に伺いますと、反対の人ばかり来るからではないんですよ。ある意味では逆で、要するに逆やらせというのか、動員のようなことが過去に行われて、そしてそれらの人たちだけで会場が埋まっちゃって、一方的な意見が次々と述べられるという事実がかつてあったと。であるから、バランスの取れた構成にしたいということであったと伺っています。
この発言だけを見る →浅
浅尾慶一郎#16
○浅尾慶一郎君 いや、私の質問の趣旨は、動員かどうかは別として、まあ動員であったとしても、もし賛成の人がいれば自然に賛成の人も来てやればいいということなんではないかと。それをあえて反対しかいないから賛成側を動員するというのもおかしな話ではないでしょうかという質問なんです。まあそう思われないというなら思われないで結構です。
この発言だけを見る →伊
伊吹文明#17
○国務大臣(伊吹文明君) 議員会館の前に今大勢の人たちが来ておりますね。しかし、同時に賛成の人たちも世論調査でたくさんおられるわけですよ。そうすると、あの人たちだけの意見だけを聞いて物事を決めたらいいんじゃないかということになると、どうもそうとは思わないですね。
この発言だけを見る →浅
浅尾慶一郎#18
○浅尾慶一郎君 私が申し上げていることはそういうことじゃないんです。もし本当に賛成なら、なぜ賛成の人がそういうところに行って賛成だと言わないんですかという質問です。
この発言だけを見る →伊
中
中
浅
浅尾慶一郎#22
○浅尾慶一郎君 私が申し上げているのは、強く反対しているからその会合に出る人がいるかもしれない、しかし何となく賛成しているからいないということ、という認識を持っておられるかどうかということをまず伺います。
この発言だけを見る →伊
伊吹文明#23
○国務大臣(伊吹文明君) 例えば自分たちの今までやってきたこと、仕事に関係が非常にある人は、これは制度だとか仕組みが変わることに対してどちらかといえば非常にやはり不安を持ちますから、そういう人たちはたくさん出てくると思いますし、そうじゃない人たちは、気持ちの上では賛成であってもそれほど熱意はないかも分かりませんね。
この発言だけを見る →浅
伊
伊吹文明#25
○国務大臣(伊吹文明君) それは全く違うでしょう。やはりそれは、それは全く違うと思いますよ。それはバランスが取れた意見を聞きたいということであったから、それは行き過ぎがあったということは私は認めますよ。認めますが、しかし、文部科学省の当時の職員としては、例えば会場にこのバランスの取れた人たちが入ってもらいたいと思ったってそれは当然のことじゃないんでしょうか。
この発言だけを見る →浅
伊
浅
伊