木村武雄 に関する国会発言
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○中村(茂)委員 天野建設大臣に二点ほどお聞きいたしたいというふうに思います。 私のところに、この国土利用計画法を策定した当時の念書があります。これは、そのときの衆議院建設委員会の委員長が木村武雄先生、まだ国土庁はなくて、土地問題に対する所管は経済企画庁長官の内田常雄先生、そういう中で十分論議されて、別に念書の中身をどうこうというふうに言うつもりはございません。そのつくった経過並びにそのときの経済状況なり、そういう中でこういうものが
○瀬崎委員 具体的な答えは何も言ってないのですね。ここはもっと詰めたいところなんですよ。ここまで来ればだれが見たって民営会社にしなければしようがないなということになるので、ここへ来るまでがもっともっと大事だったと私は思うのです。 そういう点で私が特に強調しておきたいのは、当時木村武雄氏が六十九議会でこの会社についてこういう指摘をしているのです。「東北農民は行政の苦しみは浴しているが有難味には浴して居らぬ。凶作の交付金が一遍あった切り
○国務大臣(竹下登君) 特許庁のいわゆる人員の問題でございますが、これは何年でございましたか、特許庁長官が十六年組の人でございますから、今若杉さんが二十八年ですから十二年ぐらい前だったと思いますが、あの行管長官が木村武雄さん、通産大臣が椎名悦三郎さん、そのときに何かの関係で間へ入らせられまして、片や百何十人、片やで、結局、足して二で割って百人にするとなんですから、二けたというので九十九人ということを覚えておりまして、そのときから多少コン
○弥富事務総長 まず最初に、昨日に引き続きまして国務大臣の演説に対する質疑を行います。竹入義勝さん、佐々木良作さん、瀬長亀次郎さんの順序で行われます。 質疑が終了いたしましたならば、太田誠一さん、齋藤邦吉さん、平泉渉さん、佐藤隆さんの議員請暇についてお諮りをいたします。 次に、日程第一から第十までの各種委員等の選挙を行います。この選挙は、動議により、その手続を省略して、議長において指名いたします。 次に、国家公務員任命につき
○小沢委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。 なお、木村君に対する弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、各派協議会で御了承を得まして、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。 ――――――――――――― 衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され さきに内閣委員長建設委員長の要職につき また再度国務大臣の重任にあたられた議員正三位
○小沢委員長 次に、議員木村武雄君逝去の件についてでありますが、昨年十一月二十六日、山形県第一区選出議員木村武雄君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 木村君に対する追悼演説は、本日の本会議において行うこととし、演説者は、日本社会党・護憲共同の渡辺三郎君にお願いいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○渡辺三郎君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員木村武雄先生は、昨年十一月二十六日逝去されました。 戦前戦後を通じ憲政の正道を追い求め、半世紀にわたってきっすいの政党政治家として御活躍された先生が、御家族皆様の手厚い御看護の中で静かにこの世を去られたのであります。いかに天命とは申せ、まことに痛恨哀惜の念にたえません。 私は、ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
○議長(福永健司君) 御報告いたすことがあります。 議員木村武雄君は、昨年十一月二十六日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において昨年十二月二十七日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔総員起立〕 衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議 をもってその功労を表彰され さきに内閣委員 長建設委員長の要職につき また再度国務大臣 の重任にあたられた議員正
○大原(亨)分科員 私は、昭和四十七年災害の復旧問題、原状復旧、改良復旧、それで現在なお残っていてかなりむずかしい問題等を含めまして、二、三点にわたって質問をいたします。 それは、当時の建設大臣は木村武雄さんでありますが、四十七年に広島県だけでなしに岡山県、鹿児島その他物すごい災害がございまして、私はちょうど災害後の四十八年に衆議院の特別委員長をやっております。したがって、全国各地を四十七年災害の問題について調査をして回ったことがあ
○戸叶武君 私は、一九六二年七月二十三日の正午に、くしくも、ブラジリアで行われるところの列国議会同盟会議に列席するためにニューヨークの国連本部を訪れ、岡崎大使から午さん会の招待を受けました。そのときに、池田さんが政権をとって、事に敗れた佐藤榮作さんが橋本登美三郎及び木村武雄両氏を従えて、そうして世界を歩いて、世界を見てきたという感触を受けたので、とりあえず私は、もう米ソ間において戦争はできないという見通しをつけているけれども、日本がなす
○目黒今朝次郎君 みんな承知しない、承知しないで、川上前知事の五千万の念書をかばうんですな。 じゃ、建設省関係に、具体的なことをちょっとお伺いします。昭和三十七年七月十二日、浦安地区一期埋立地の土地分譲協定が、県とオリエンタルランドとで締結。三十九年一月二十九日、県は建設大臣より、浦安A、B地区の遊園地用地の埋め立ての免許を受けた、許可を受けた。四十一年一月二十五日、オリエンタルランドと県は土地分譲協定を変更した。ちょっと飛んで、四
○大原(亨)分科員 最近出生率が低下をしておるのは、高齢化社会になって三世代、四世代で上の方の重圧、高齢化の重圧が出生率の低下になっておるという面があるのです。それはどういうことになるかというと、結局は夫婦単位がだんだんふえてくるということになる。それから離婚が非常にふえできます。それから子供が一人か二人になってしまうわけですから、そうするとそれが十年、二十年の後には両方の両親を支えていかなければならなくなるわけです。そうすると夫婦の共
○伊藤郁男君 私は、最終的に仕事減らしとしましても、機構がそのままあれば仕事があるわけですから、仕事は減っていかないと思うんですね。だから、宇野長官のように器から減らしていくんだ、機構から減らしていくんだという基本路線は、私は、それの方が結果的には行革が進む道ではないか、そのように考えます。 そこで、この行革を進めるに当たりまして、これはもう前大平総理大臣もこういうような発言をされているわけです。行政改革というのは、戦前戦後を通じて
○山崎昇君 ですから、あなたはめどをどうするんですか。特にあなたは運輸大臣当時に、当時の行政管理庁長官木村武雄、自治大臣赤澤正道、運輸大臣中曽根康弘。昭和四十三年十一月二十五日、三人で署名したものもある。これどうなりますか。 だから私は、歴代内閣は必ず、中身がむずかしくて調整がとれません、苦慮しております。そして私どもが質問するというと、ある意味では二年以内だとか、五十五年の六月まではどうしますとか、そういうところまで答弁するが、そ
○峯山昭範君 長官が大臣になられて一番喜んでいるのは、行政管理庁の職員の皆さんじゃないかと私は思っているんです。といいますのは、昭和四十三年の初め、木村武雄さんが当時の大臣でございました。その後荒木さんが大臣になられまして、とにかくその後もずっとそれぞれ有能な方が大臣になっておられました。当時は相当行政改革にも取り組んでまいりましたし また取り組んでおられたわけです。しかしながら、実際問題としていろんなプランが思うように実行されない。最
○柴田(睦)委員 この婦人少年室は、設置以来国の機関として置くのか、地方自治体に移管するのかということが絶えず問題になってきたわけです。しかし、婦人労働問題などが重大な時期にもあって、これらの地方自治体移管はまさに重要な問題であります。この関係大臣の覚書には、十年前ですけれども、当時の木村武雄行政管理庁長官も加わった覚書になっているのですが、こうした婦人少年室を国の機関として存続を進めるべきであるというのが私の考えですが、行政管理庁長官
○高沢委員 私、大臣に、いまの中国とベトナムあるいはベトナムとカンボジア、こういう関係でひとつお尋ねをいたしたいと思います。 初めに、中国とベトナムのいまの戦争状態、これは、もちろん、ある日突然起きた現象ではなくて、その前からのずっと経過があってこういうことになった、こう思うのであります。そこで、その経過をどういうふうに見るかということが、事柄の本質を見るやはり大事なポイントではないか、こういうふうに思うわけですが、実は大臣御存じか
○滝澤参考人 お答えいたします。 北海道地下資源開発株式会社が国会におきまして廃止になりましたのは昭和四十三年五月でございます。当時の背景といたしましては、石炭から石油へのエネルギーの転換期、そういう中でこの北海道地下資源開発株式会社の仕事が、いわば地下資源開発をするための主としてボーリング事業をやっていたということもありまして、もはやその使命は達したということから、政府の側としてはこれを民間会社として改組して、さらに仕事をするなら
○矢田部理君 丸紅筋は、本来はあれは、ここの表に出てくる限りでも盆暮れに払われているというのがこの表の上からは追認できるわけです。ところがこの年に限って十月三十日という、十二月ではなくて十月に払われている。しかも、一部の人について金額を増額している。その説明を、この年は暮れに総選挙があるので早目に金額を積み増して払ったというような説明も実は伝え聞くわけでありますけれども、どうもそれだけでは説明し切れないわけであります。つまり一つは、全体
○上田耕一郎君 中馬さんが建設大臣になられて一般質問の機会、最初ですので、まず建設大臣の政治姿勢の問題についてお伺いしたいと思います。 ロッキード疑獄、それから金権政治、田中前首相の逮捕、起訴などで建設行政にも世論の批判が向けられています。建設省は昭和四十六年七月以来五カ年にわたって、西村英一、木村武雄、金丸信、亀岡高夫、小沢辰男、仮谷忠男、竹下登と七代にわたって田中派に大臣が独占されてきている。官僚も田中派だというふうに言われて多