公職選挙法改正に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
昭和五十七年七月七日(水曜日)
午前十時一分開会
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委員の異動
七月七日
辞任 補欠選任
本岡 昭次君 寺田 熊雄君
—————————————
出席者は左のとおり。
委員長 上田 稔君
理 事
中西 一郎君
降矢 敬義君
村上 正邦君
赤桐 操君
多田 省吾君
委 員
井上 孝君
小澤 太郎君
小林 国司君
斎藤栄三郎君
田沢 智治君
玉置 和郎君
名尾 良孝君
鳩山威一郎君
藤井 孝男君
円山 雅也君
寺田 熊雄君
野田 哲君
宮之原貞光君
矢田部 理君
大川 清幸君
峯山 昭範君
近藤 忠孝君
栗林 卓司君
前島英三郎君
発 議 者 宮之原貞光君
委員以外の議員
発 議 者 本岡 昭次君
議 員 金丸 三郎君
議 員 松浦 功君
議 員 青島 幸男君
議 員 中山 千夏君
国務大臣
法 務 大 臣 坂田 道太君
自 治 大 臣
国 務 大 臣
(国家公安委員
会委員長) 世耕 政隆君
政府委員
内閣法制局長官 角田禮次郎君
警察庁刑事局長 中平 和水君
法務省訟務局長 柳川 俊一君
自治省行政局選
挙部長 大林 勝臣君
事務局側
常任委員会専門
員 高池 忠和君
法制局側
法 制 局 長 浅野 一郎君
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本日の会議に付した案件
○公職選挙法の一部を改正する法律案(宮之原貞
光君外二名発議)
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この発言だけを見る →午前十時一分開会
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委員の異動
七月七日
辞任 補欠選任
本岡 昭次君 寺田 熊雄君
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出席者は左のとおり。
委員長 上田 稔君
理 事
中西 一郎君
降矢 敬義君
村上 正邦君
赤桐 操君
多田 省吾君
委 員
井上 孝君
小澤 太郎君
小林 国司君
斎藤栄三郎君
田沢 智治君
玉置 和郎君
名尾 良孝君
鳩山威一郎君
藤井 孝男君
円山 雅也君
寺田 熊雄君
野田 哲君
宮之原貞光君
矢田部 理君
大川 清幸君
峯山 昭範君
近藤 忠孝君
栗林 卓司君
前島英三郎君
発 議 者 宮之原貞光君
委員以外の議員
発 議 者 本岡 昭次君
議 員 金丸 三郎君
議 員 松浦 功君
議 員 青島 幸男君
議 員 中山 千夏君
国務大臣
法 務 大 臣 坂田 道太君
自 治 大 臣
国 務 大 臣
(国家公安委員
会委員長) 世耕 政隆君
政府委員
内閣法制局長官 角田禮次郎君
警察庁刑事局長 中平 和水君
法務省訟務局長 柳川 俊一君
自治省行政局選
挙部長 大林 勝臣君
事務局側
常任委員会専門
員 高池 忠和君
法制局側
法 制 局 長 浅野 一郎君
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本日の会議に付した案件
○公職選挙法の一部を改正する法律案(宮之原貞
光君外二名発議)
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上
上田稔#1
○委員長(上田稔君) ただいまから公職選挙法改正に関する特別委員会を開会いたします。
まず、委員の異動について御報告いたします。
本日、本岡昭次君が委員を辞任され、その補欠として寺田熊雄君が選任されました。
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この発言だけを見る →まず、委員の異動について御報告いたします。
本日、本岡昭次君が委員を辞任され、その補欠として寺田熊雄君が選任されました。
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上
寺
寺田熊雄#3
○寺田熊雄君 二院制は、一般的に申しまして、法案審議をダブらせることによりまして立法作業の慎重さを求めるものということができると存じます。それはまた、下院の少数党圧迫あるいは特定の階級の利益を擁護するなどの横暴を抑制する機能を営むものと言われております。
わが国の参議院は、古く良識の府と言われて、無所属の知識人、文化人の発言がそれを代表するように思われてまいりました。しかし、実際にはこれは戦後のきわめて短期間に限られまして、現在では完全に政党政治が支配しております。しかし、それにもかかわらず参議院は、衆議院がそそくさと審議して重要な論点を見逃しているような粗雑な立法作業に対して、時間をかけて慎重に審議し、重要な問題の再検討を果たすことによって存在意義を発揮することができると存じます。
私自身のささやかな経験の中の一、二の例を挙げますと、たとえば衆議院が企業秘密漏示罪の規定のひそむのを見逃しておりましたのを私どもが指摘して修正させました昭和五十二年の労働安全衛生法及びじん肺法の審議、衆議院でわずか三時間足らずの委員会審議しか行わず、これに反対する者は過激派であるというような自民党の某国対役員の言論牽制が支配いたしました昭和五十三年の成田新法、社会党提案によって重要な修正を行いました昭和五十四年の民事執行法などを挙げることができると存じます。
これは宮之原先生にお伺いするわけですが、社会党案の提案者は参議院の存在理由についてどのようにお考えになっていらっしゃるか、まずお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →わが国の参議院は、古く良識の府と言われて、無所属の知識人、文化人の発言がそれを代表するように思われてまいりました。しかし、実際にはこれは戦後のきわめて短期間に限られまして、現在では完全に政党政治が支配しております。しかし、それにもかかわらず参議院は、衆議院がそそくさと審議して重要な論点を見逃しているような粗雑な立法作業に対して、時間をかけて慎重に審議し、重要な問題の再検討を果たすことによって存在意義を発揮することができると存じます。
私自身のささやかな経験の中の一、二の例を挙げますと、たとえば衆議院が企業秘密漏示罪の規定のひそむのを見逃しておりましたのを私どもが指摘して修正させました昭和五十二年の労働安全衛生法及びじん肺法の審議、衆議院でわずか三時間足らずの委員会審議しか行わず、これに反対する者は過激派であるというような自民党の某国対役員の言論牽制が支配いたしました昭和五十三年の成田新法、社会党提案によって重要な修正を行いました昭和五十四年の民事執行法などを挙げることができると存じます。
これは宮之原先生にお伺いするわけですが、社会党案の提案者は参議院の存在理由についてどのようにお考えになっていらっしゃるか、まずお伺いしたいと思います。
宮
宮之原貞光#4
○宮之原貞光君 参議院は本来第二院としての衆議院の行き過ぎのチェック機能と補完機能を持っておるところに存在価値があるわけでございますが、その点寺田先生の体験を交えての参議院の指摘のあり方は、全く私正しいとお話を聞きながら感じておるところでございます。したがいまして、本委員会で問題になりますのは、本改正法案によって参議院の政党化が促進をされる、そのことによってますます衆議院の優位性なり政党の統制が強まってしまってこの参議院の特性がなくなるのではないだろうか、あるいはそうでないという、ここのところが一つの問題点だと思っておるところなんです。
私は結論から先に申し上げますと、こういうことにはならないと確信をしておるものでございます。それは参議院一人一人の議員の皆さんが、参議院の使命は何であるのか、参議院の特色は何かということをお互いが十分わかっておって、そのことをもって事に当たれば、私は言われておるようなことは杞憂にすぎなくなってしまうのではないだろうかと思います。
同時にまた、何回も申し上げておることでございますけれども、いわゆる第六次の選挙制度審議会の報告書にもありますように、参議院の機能を高めるための五つの提案、あるいは参議院の改革協議会の遠藤小委員会のこの機構改革に対しますところの具体的提案を、お互い参議院の機能を高めるという立場から党派を超えてこれをどうつくり上げていくか、そのことにも私どもは最大の努力をしていく、その中で私はやはり参議院の特色というものは、仮にこの法案が成立しようとも損なわれることのないように運営できると、このように考えておるところでございます。
この発言だけを見る →私は結論から先に申し上げますと、こういうことにはならないと確信をしておるものでございます。それは参議院一人一人の議員の皆さんが、参議院の使命は何であるのか、参議院の特色は何かということをお互いが十分わかっておって、そのことをもって事に当たれば、私は言われておるようなことは杞憂にすぎなくなってしまうのではないだろうかと思います。
同時にまた、何回も申し上げておることでございますけれども、いわゆる第六次の選挙制度審議会の報告書にもありますように、参議院の機能を高めるための五つの提案、あるいは参議院の改革協議会の遠藤小委員会のこの機構改革に対しますところの具体的提案を、お互い参議院の機能を高めるという立場から党派を超えてこれをどうつくり上げていくか、そのことにも私どもは最大の努力をしていく、その中で私はやはり参議院の特色というものは、仮にこの法案が成立しようとも損なわれることのないように運営できると、このように考えておるところでございます。
寺
寺田熊雄#5
○寺田熊雄君 この法案に対しまして、「参議院は発足以来政党に属さない知識人、文化人が議員となり、衆議院に比して良識の府としての機能を発揮してきたけれども、個人の立候補を許さない比例代表制をしくことは参議院のこの特色を失わせ、第二衆議院と化せしめる不当きわまるものである」という反対論がございます。
しかし、現実には、先ほども触れましたように、参議院が多くの知識人、文化人を擁して、それが政治に大きな影響を与えておりましたのは敗戦後の短期間にすぎません。昭和二十三年以降現在までは、参議院は政党政治が隅から隅まで支配しておるのが現実であると存じます。亡くなられた市川房枝さんのようなあまねく国民の尊敬を集められた人も、院外にありましては国民運動に影響を与え得た点では他の追随を許さなかったのでありますけれども、院内にあって院の動向やその決定に影響を与え得たかということを問われるならば、それは残念ながら否定せざるを得ないと存じます。
参議院が政党政治から離れた良識の府でなければならぬとか、あるいは現にそうしたものであるとする見方は、古きよきものに対するノスタルジアにすぎない、現実を見つめていないと私は考えております。また、その根底には、間違いなく現在の政党、とりわけ田中角榮等汚れた政治家によって支配されている自民党と、それに対して効果的な抑制をなし得ないでいる現在の野党に対する不信感がひそむものと考えております。もし、自民党及び社会党を含めて、野党が国民の信頼と尊敬をかち得ているならば、本改正案に対する強い国民的批判は起こり得なかったのではないだろうかと考えるのでございますけれども、提案者としてはこの点どのようにお考えでございましょうか。
この発言だけを見る →しかし、現実には、先ほども触れましたように、参議院が多くの知識人、文化人を擁して、それが政治に大きな影響を与えておりましたのは敗戦後の短期間にすぎません。昭和二十三年以降現在までは、参議院は政党政治が隅から隅まで支配しておるのが現実であると存じます。亡くなられた市川房枝さんのようなあまねく国民の尊敬を集められた人も、院外にありましては国民運動に影響を与え得た点では他の追随を許さなかったのでありますけれども、院内にあって院の動向やその決定に影響を与え得たかということを問われるならば、それは残念ながら否定せざるを得ないと存じます。
参議院が政党政治から離れた良識の府でなければならぬとか、あるいは現にそうしたものであるとする見方は、古きよきものに対するノスタルジアにすぎない、現実を見つめていないと私は考えております。また、その根底には、間違いなく現在の政党、とりわけ田中角榮等汚れた政治家によって支配されている自民党と、それに対して効果的な抑制をなし得ないでいる現在の野党に対する不信感がひそむものと考えております。もし、自民党及び社会党を含めて、野党が国民の信頼と尊敬をかち得ているならば、本改正案に対する強い国民的批判は起こり得なかったのではないだろうかと考えるのでございますけれども、提案者としてはこの点どのようにお考えでございましょうか。
宮
宮之原貞光#6
○宮之原貞光君 確かに御指摘のように、国民及び議員の中には緑風会華やかなりしころの古きよき時代の郷愁があるということは私は事実だと思います。しかし今日は、寺田先生も御指摘いただいておりますように、参議院においても政党本位の議会運営がなされておるということは厳然たる事実でありますし、なおかつまた議会制民主主義下におきますところの政党の果たしておるところの役割りと任務ということを考えますれば、第二院といえどもその政党化はこれは当然でありまた自然の流れであると、こう見ておるわけであります。それだけにいま一番大事なことは、先ほどの御質問にもお答えいたしましたように、この現実の上に立っていかにして参議院の存在価値を高めるか、ここに各政党の努力がなされなければならないと思います。
にもかかわらず、なおかつ政党本位の本選挙制度の改革案に反対という強い意見のあるということは、確かに御指摘のように今日の既成政党のあり方、その政治姿勢が国民の信頼と尊敬を十分持ち得ないというところに私はやはり帰着せざるを得ないところの要素があると思います。しかし、だからといって短絡的に政党本位のこの改革案は反対だというのではなく、むしろやはり各政党は議会民主主義下におきますところの政党の任務と役割りということを十分自覚し、謙虚にそれぞれの政党みずからを省みながら姿勢をただしていくという、このことが一番大事じゃないだろうかと思うのであります。
実は、私先日も小林先生の御質問に対してお答えいたしたわけでありますが、結局本法案が成立するといたしますれば、政党のあり方、政党の姿勢というのは常に国民の前に正され、しかもその審判を受けるわけですから、政党自体もやはりいままでのような歩み方では、国民から指弾を受けるようなことではだめだと思います。私は、そういう意味ではこの法案の成立ということはそれぞれの政党自体の自浄効果にもなるのではないだろうか、このように考えておるところでございます。
この発言だけを見る →にもかかわらず、なおかつ政党本位の本選挙制度の改革案に反対という強い意見のあるということは、確かに御指摘のように今日の既成政党のあり方、その政治姿勢が国民の信頼と尊敬を十分持ち得ないというところに私はやはり帰着せざるを得ないところの要素があると思います。しかし、だからといって短絡的に政党本位のこの改革案は反対だというのではなく、むしろやはり各政党は議会民主主義下におきますところの政党の任務と役割りということを十分自覚し、謙虚にそれぞれの政党みずからを省みながら姿勢をただしていくという、このことが一番大事じゃないだろうかと思うのであります。
実は、私先日も小林先生の御質問に対してお答えいたしたわけでありますが、結局本法案が成立するといたしますれば、政党のあり方、政党の姿勢というのは常に国民の前に正され、しかもその審判を受けるわけですから、政党自体もやはりいままでのような歩み方では、国民から指弾を受けるようなことではだめだと思います。私は、そういう意味ではこの法案の成立ということはそれぞれの政党自体の自浄効果にもなるのではないだろうか、このように考えておるところでございます。
寺
寺田熊雄#7
○寺田熊雄君 「純粋な一個人の立場における国民の立候補を許さない、そうした個人への投票を認めない比例代表制は、憲法第四十三条、第十五条、第十三条、第二十一条、第四十四条ただし書き、第十四条等に違反する」というのが本改正案への最も有力な反対論であると存じます。
これに対しては、なるほど憲法には比例代表制に関する規定がないのでありますけれども、憲法第十五条の参政権、とりわけ被選挙権は、他の国民的利益、憲法十二条、十三条にうたわれております公共の福祉を守るために必要な合理的な範囲内であればこれを制限し得るという考え方も十分に成り立つと存じます。
憲法第十五条の参政権の中の被選挙権は、選挙権に比べますといわゆる基本的人権としての価値はいささか軽いように私には考えられるのであります。それは選挙権と違いまして衆議院議員は二十五歳以上、参議院議員は三十歳以上という制限を受けておりますし、これは公選法第十条によるものであります。一般の国家及び地方公務員もこの権利を奪われております。これも公選法の第八十九条が規定しております。また、選挙犯罪を犯した者も同様であります。これも八十六条の二で規定せられております。
そのほか一定の金額の供託を義務づけられておるのでありまして、すべてこのような制限は他の国民的利益あるいは公共の福祉のためには被選挙権は制限し得るし、その制限の度合いも選挙権に比して大きなものであり得るということを物語っておると存じます。まして、それは憲法第十九条の思想及び良心の自由、第二十条の信教の自由、第二十一条の表現の自由のような絶対不可侵のものとは考えられません。提案者はこの被選挙権の基本的人権としての性格についてはどのようにお考えでございましょうか、まずこの一点。
さらにまた、この基本的人権を制約する比例代表制が追求する国民的利益あるいは公共の福祉については、有権者の意思を公正かつ合理的に国会の議席に反映させるという目的、あるいは政党政治の現実を踏まえまして、政党政派の実勢力をできるだけ公正に国会の議席に反映させるためなどという説が行われておりますが、提案者はこの国家的利益についてはどのようにお考えでございましょうか、これをお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →これに対しては、なるほど憲法には比例代表制に関する規定がないのでありますけれども、憲法第十五条の参政権、とりわけ被選挙権は、他の国民的利益、憲法十二条、十三条にうたわれております公共の福祉を守るために必要な合理的な範囲内であればこれを制限し得るという考え方も十分に成り立つと存じます。
憲法第十五条の参政権の中の被選挙権は、選挙権に比べますといわゆる基本的人権としての価値はいささか軽いように私には考えられるのであります。それは選挙権と違いまして衆議院議員は二十五歳以上、参議院議員は三十歳以上という制限を受けておりますし、これは公選法第十条によるものであります。一般の国家及び地方公務員もこの権利を奪われております。これも公選法の第八十九条が規定しております。また、選挙犯罪を犯した者も同様であります。これも八十六条の二で規定せられております。
そのほか一定の金額の供託を義務づけられておるのでありまして、すべてこのような制限は他の国民的利益あるいは公共の福祉のためには被選挙権は制限し得るし、その制限の度合いも選挙権に比して大きなものであり得るということを物語っておると存じます。まして、それは憲法第十九条の思想及び良心の自由、第二十条の信教の自由、第二十一条の表現の自由のような絶対不可侵のものとは考えられません。提案者はこの被選挙権の基本的人権としての性格についてはどのようにお考えでございましょうか、まずこの一点。
さらにまた、この基本的人権を制約する比例代表制が追求する国民的利益あるいは公共の福祉については、有権者の意思を公正かつ合理的に国会の議席に反映させるという目的、あるいは政党政治の現実を踏まえまして、政党政派の実勢力をできるだけ公正に国会の議席に反映させるためなどという説が行われておりますが、提案者はこの国家的利益についてはどのようにお考えでございましょうか、これをお伺いしたいと思います。
宮
宮之原貞光#8
○宮之原貞光君 まず、選挙権、被選挙権と憲法条文とのかかわりについて申し上げますれば、先生の御見解同様に、私どもも憲法十五条一項の参政権の中にそれらはすべて包括をされておると見ております。ただし、選挙権、被選挙権の具体的内容については四十四条、四十七条に規定をされておると理解いたしておるのであります。
なお、先生が御指摘いただきましたところの選挙権、被選挙権の兼ね合いの問題につきましては、先生の御見解をよく勉強させていただき、大変有益だと思っておるところでございますが、御承知のように、よく本委員会でも紹介をされておりますところの四十三年十二月四日の公選法違反の最高裁の判決の要旨にもありますように、「憲法一五条一項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定してないが」云々とこうありますように、十五条一項には確かに被選挙権の問題については直接の規定はないものだと、こういうふうに理解せざるを得ないと思うのであります。しかし、さればといって被選挙権が基本的人権であるということは私も間違いないと思うのでございます。
しかし、そう申し上げても、これはよく本委員会でも二、三の委員の方から強く主張されておりますように、その基本的人権といえども自然権的超国家的で絶対可侵の人権ではない、こう思うのであります。その点は先生が先ほどの御主張のように、第十九条の思想及び良心の自由、第二十条の信教の自由、第二十一条の表現の自由とは異なると考えておるところでございます。また、このことはわが国の憲法学者として憲法学界にそれぞれ大きな影響を及ぼしておられますところの小林直樹先生なり佐藤功先生の御見解も同じような立場に立っておられると私は理解をいたしておるわけでございます。
ただ問題は、それならばやはり他の十三条との関連におきますところの制限の度合いの問題でございますが、それらは無制限なものではなくして、明白な合理的な理由を根拠としたぎりぎりのやはり最小限度のものでなければならないと、このように考えておるところでございます。
第二問の比例代表制の追求する国民的利益ないし公共の福祉についての先生の御所見は、これはやはり明白な合理的理由の一つだと私は理解をしていいのではないだろうかと考えているところでございます。
この発言だけを見る →なお、先生が御指摘いただきましたところの選挙権、被選挙権の兼ね合いの問題につきましては、先生の御見解をよく勉強させていただき、大変有益だと思っておるところでございますが、御承知のように、よく本委員会でも紹介をされておりますところの四十三年十二月四日の公選法違反の最高裁の判決の要旨にもありますように、「憲法一五条一項には、被選挙権者、特にその立候補の自由について、直接には規定してないが」云々とこうありますように、十五条一項には確かに被選挙権の問題については直接の規定はないものだと、こういうふうに理解せざるを得ないと思うのであります。しかし、さればといって被選挙権が基本的人権であるということは私も間違いないと思うのでございます。
しかし、そう申し上げても、これはよく本委員会でも二、三の委員の方から強く主張されておりますように、その基本的人権といえども自然権的超国家的で絶対可侵の人権ではない、こう思うのであります。その点は先生が先ほどの御主張のように、第十九条の思想及び良心の自由、第二十条の信教の自由、第二十一条の表現の自由とは異なると考えておるところでございます。また、このことはわが国の憲法学者として憲法学界にそれぞれ大きな影響を及ぼしておられますところの小林直樹先生なり佐藤功先生の御見解も同じような立場に立っておられると私は理解をいたしておるわけでございます。
ただ問題は、それならばやはり他の十三条との関連におきますところの制限の度合いの問題でございますが、それらは無制限なものではなくして、明白な合理的な理由を根拠としたぎりぎりのやはり最小限度のものでなければならないと、このように考えておるところでございます。
第二問の比例代表制の追求する国民的利益ないし公共の福祉についての先生の御所見は、これはやはり明白な合理的理由の一つだと私は理解をしていいのではないだろうかと考えているところでございます。
寺
角
寺
寺田熊雄#11
○寺田熊雄君 いま申し上げましたような国民的利益を守るために必要なまた合理的な範囲内であれば基本的人権も制限し得るとする実定法上の根拠は、憲法第十二条、第十三条に求めるほかはないと考えるのでありますが、これについては提案者としてはどのようにお考えでございましょうか。
この発言だけを見る →宮
宮之原貞光#12
○宮之原貞光君 先生御指摘のように私も十二条、十三条が実定法上の根拠だと見ております。
次のようなことを申し上げることは、いわゆる法律問題の専門家であられますところの先生には釈迦に説法というそしりを免れないと思うのでありますが、実は今日まで本委員会でいろいろな角度からこの問題について議論をされておりますし、私また余り発言の機会もございませんでしたので、この機会に若干この問題について付言をさせていただきたいと思うのであります。
御承知のように、憲法十一条、九十七条は、基本的人権は侵すことのできない永久の権利云々と規定をしております。しかし一方、十二条、十三条は公共の福祉のためとか公共の福祉に反しない限りとかという制限条項があるのであります。まあ議論をされておる場合に、人によりましてはこの十一条、九十七条だけを強調して十二条、十三条のところを全然触れないで絶対不可侵だと、こういう主張もあるわけでございますが、実は私はそれにくみするわけにはまいりません。問題は、この十一条、九十七条と一方の十二条、十三条との両者の兼ね合いをどう判断をするか、ここが一番やはり論議の焦点でなければならないと、こう思うのであります。
この点、最高裁の判例を私は私なりに見てみますと、ほとんどの場合一貫して十二条、十三条、さらには二十二条、二十九条を根拠とするところの人権制約の判断が示されておるのであります。たとえば、三十一年三月のチャタレー事件の判決、三十五年七月の都公安条例事件の判決、四十一年十月の全逓中郵判決、四十八年四月の全農林事件判決、五十年四月の薬事法違反事件等々がそれであるようでありますが、これらの多くは、制約を受ける権利と自由の現代社会におけるところの価値判断と、制約することによる社会的利益の価値判断を比較考量して、制約の判断を判示しておるという傾向が特に最近強いようでございます。
したがいまして、問題の意見の分かれるところは、この判断の賛否にさまざまな私は議論があると思うのであります。場合によっては最高裁の判断をよしとする場合もありますし、場合によっては最高裁の判断には承服をしかねると、こういうことも私はあり得ると思うのであります。実は私が最高裁の判決と判断といえども九十九条があるから何が何でもそれを認めなければならないという意見にくみしないところの理由はここにあるわけでございます。したがいまして、この二つの憲法のそれぞれの条項との兼ね合いの中でこれはどう判断をされるべきだという判断を示すのが、特に立法府におけるところの私は公正なやはり判断じゃないだろうかと思うのであります。
そういうような意味合におきましては、御指摘のように十二条、十三条の制限がいわゆる実定法上の根拠であるということは明白でございます。
この発言だけを見る →次のようなことを申し上げることは、いわゆる法律問題の専門家であられますところの先生には釈迦に説法というそしりを免れないと思うのでありますが、実は今日まで本委員会でいろいろな角度からこの問題について議論をされておりますし、私また余り発言の機会もございませんでしたので、この機会に若干この問題について付言をさせていただきたいと思うのであります。
御承知のように、憲法十一条、九十七条は、基本的人権は侵すことのできない永久の権利云々と規定をしております。しかし一方、十二条、十三条は公共の福祉のためとか公共の福祉に反しない限りとかという制限条項があるのであります。まあ議論をされておる場合に、人によりましてはこの十一条、九十七条だけを強調して十二条、十三条のところを全然触れないで絶対不可侵だと、こういう主張もあるわけでございますが、実は私はそれにくみするわけにはまいりません。問題は、この十一条、九十七条と一方の十二条、十三条との両者の兼ね合いをどう判断をするか、ここが一番やはり論議の焦点でなければならないと、こう思うのであります。
この点、最高裁の判例を私は私なりに見てみますと、ほとんどの場合一貫して十二条、十三条、さらには二十二条、二十九条を根拠とするところの人権制約の判断が示されておるのであります。たとえば、三十一年三月のチャタレー事件の判決、三十五年七月の都公安条例事件の判決、四十一年十月の全逓中郵判決、四十八年四月の全農林事件判決、五十年四月の薬事法違反事件等々がそれであるようでありますが、これらの多くは、制約を受ける権利と自由の現代社会におけるところの価値判断と、制約することによる社会的利益の価値判断を比較考量して、制約の判断を判示しておるという傾向が特に最近強いようでございます。
したがいまして、問題の意見の分かれるところは、この判断の賛否にさまざまな私は議論があると思うのであります。場合によっては最高裁の判断をよしとする場合もありますし、場合によっては最高裁の判断には承服をしかねると、こういうことも私はあり得ると思うのであります。実は私が最高裁の判決と判断といえども九十九条があるから何が何でもそれを認めなければならないという意見にくみしないところの理由はここにあるわけでございます。したがいまして、この二つの憲法のそれぞれの条項との兼ね合いの中でこれはどう判断をされるべきだという判断を示すのが、特に立法府におけるところの私は公正なやはり判断じゃないだろうかと思うのであります。
そういうような意味合におきましては、御指摘のように十二条、十三条の制限がいわゆる実定法上の根拠であるということは明白でございます。
寺
角
角田禮次郎#14
○政府委員(角田禮次郎君) 提案者の言われることは、ふだん私どもが申し上げていることをそのまま言っていただいたというような気持ちがいたしておりますから、全くそのとおりだと思います。
この発言だけを見る →寺
寺田熊雄#15
○寺田熊雄君 今回の改正案でさらに問題点とされておりますものは、一定の政党ないし政治団体に所属する者が一定の条件のもとでのみ立候補し得るとする点であります。まあ推薦の場合もありますが、ティピカルなタイプ、理念型を一応前提として論議を進めたいと存じますが、この制度に対しましては個人の立候補を認むべきであるという強い主張がございます。それはさらに、一定の政治団体に所属することという条件を容認した上で、政治団体に所属しておればただ一人の立候補を認めてもよいではないかという議論と、そうした制約を一切認めないで全く純粋に国民が一個人としての立候補をする権利を認むべきであるという議論とに分かれるように思うのであります。
後者は、一定の政治団体に所属することを被選挙権行使の条件とすることは、憲法第二十一条、第四十四条ただし書き、ひいては第十四条にも関連いたしますが、それらの規定に違反すると言うのであります。これは憲法第十三条にうたわれております個人の尊重という個人主義的な世界観に立脚して、基本的人権としての参政権を守ることに最大の意義を置くものであるように思われます。私はこれは傾聴に値する価値観であると存じます。しかし、被選挙権に対しても他の国家的利益を守るために必要かつ合理的な範囲内で制限を課し得るという点につきましては、先ほども申し述べたとおりであります。
立候補に当たって一定の政治団体に所属することを要求するのは、国民が国会議員たらんとして立候補するのは政治家として国政に影響を与え、あるいは自己の所信をあるいは政策を国政に反映させるという目的に出るものであることは言うまでもございません。その極致は政権の掌握であると存じます。そのためには一定の政策を国民の前に明らかにすることがどうしても必要であります。また、同志を糾合して共同して目的を追求することが、一人が単独に行動するよりもより効果的でありますし、合理的でもあります。政治は本来的に共同作業を必要とし、文学や絵画の世界のように個人が孤立して行動することになじまないものであります。したがって、立候補に当たって一定の政治団体に所属することを求めるとしましても、それは決して個人の人権の侵害とは言えないと考えます。
次に、これを憲法第二十一条の結社の自由を侵すものであると説く人もございますが、もともと結社の自由が結社する自由の意義であることは歴史的に明らかであります。ただ反面、国民には結社しない自由があるということも認めないわけにはいかないと存じますが、その自由を、国民が一般の社会生活を送る場合や、学問や芸術活動を営む場合、あるいは単純に政治的意見を表明する場合、さらに進んで選挙権を行使する場合などにこれを謳歌することと、これに対して被選挙権の行使、参議院議員として立候補する場合に適用することとは、とうてい同列に論じ得ないと考えるのであります。
すなわち、国政に影響を与えんとする目的を持って一定の政策を掲げて立候補する政治家は、個人として行動するのではなくして同志とともにその政策を掲げる政治団体を組織しあるいはこれに加入して行動をせよと命じましても、それは政党政治が支配しております今日的状態のもとでは決して不合理な自由の制限ということはできないと考えるのであります。
これについて提案者はどのようにお考えでございましょうか。またさらに、自民党案の提案者の金丸先生にもこの点についてあわせてお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →後者は、一定の政治団体に所属することを被選挙権行使の条件とすることは、憲法第二十一条、第四十四条ただし書き、ひいては第十四条にも関連いたしますが、それらの規定に違反すると言うのであります。これは憲法第十三条にうたわれております個人の尊重という個人主義的な世界観に立脚して、基本的人権としての参政権を守ることに最大の意義を置くものであるように思われます。私はこれは傾聴に値する価値観であると存じます。しかし、被選挙権に対しても他の国家的利益を守るために必要かつ合理的な範囲内で制限を課し得るという点につきましては、先ほども申し述べたとおりであります。
立候補に当たって一定の政治団体に所属することを要求するのは、国民が国会議員たらんとして立候補するのは政治家として国政に影響を与え、あるいは自己の所信をあるいは政策を国政に反映させるという目的に出るものであることは言うまでもございません。その極致は政権の掌握であると存じます。そのためには一定の政策を国民の前に明らかにすることがどうしても必要であります。また、同志を糾合して共同して目的を追求することが、一人が単独に行動するよりもより効果的でありますし、合理的でもあります。政治は本来的に共同作業を必要とし、文学や絵画の世界のように個人が孤立して行動することになじまないものであります。したがって、立候補に当たって一定の政治団体に所属することを求めるとしましても、それは決して個人の人権の侵害とは言えないと考えます。
次に、これを憲法第二十一条の結社の自由を侵すものであると説く人もございますが、もともと結社の自由が結社する自由の意義であることは歴史的に明らかであります。ただ反面、国民には結社しない自由があるということも認めないわけにはいかないと存じますが、その自由を、国民が一般の社会生活を送る場合や、学問や芸術活動を営む場合、あるいは単純に政治的意見を表明する場合、さらに進んで選挙権を行使する場合などにこれを謳歌することと、これに対して被選挙権の行使、参議院議員として立候補する場合に適用することとは、とうてい同列に論じ得ないと考えるのであります。
すなわち、国政に影響を与えんとする目的を持って一定の政策を掲げて立候補する政治家は、個人として行動するのではなくして同志とともにその政策を掲げる政治団体を組織しあるいはこれに加入して行動をせよと命じましても、それは政党政治が支配しております今日的状態のもとでは決して不合理な自由の制限ということはできないと考えるのであります。
これについて提案者はどのようにお考えでございましょうか。またさらに、自民党案の提案者の金丸先生にもこの点についてあわせてお伺いしたいと思います。
宮
宮之原貞光#16
○宮之原貞光君 個人立候補の問題と憲法二十一条、四十四条、十四条とのかかわりの問題は、寺田先生の御所見のとおりだと私どもも理解をいたしておるのであります。
実は、本改正法案に反対をしておられるところの日弁連の意見書を拝見いたしてみますと、憲法十四条一項は明白な合理的理由がない限り国民は法のもとに平等に取り扱われるべきことを規定し、この条文を受けて四十四条もこれ同様で、国会は明白な理由がない限りその立法裁量により議員資格を差別してはならないと、このように意見書は主張しているのでありますが、私どももこの意見書と全く同じ見解なんです。ただ、残念ながら日弁連の御見解は、肝心かなめな拘束名簿式比例代表制に合理的根拠があるかないのかということを吟味することなく、頭から違法だとこう決めつけているところに私どもは問題があると思う。
したがって、私どもは、この日弁連でも主張されておるところの根拠と全く同じような立場から、言うならばこの個人立候補の問題とこの拘束名簿式比例代表制の採用という問題が、やはり合理的な明白な理由と根拠がある限り一定の制限はやむを得ないものだと、こういう立場に立っておるわけでございます。その点は二十一条の結社の自由のところの結社しないところの自由という問題との関連も全く同じでございます。
この発言だけを見る →実は、本改正法案に反対をしておられるところの日弁連の意見書を拝見いたしてみますと、憲法十四条一項は明白な合理的理由がない限り国民は法のもとに平等に取り扱われるべきことを規定し、この条文を受けて四十四条もこれ同様で、国会は明白な理由がない限りその立法裁量により議員資格を差別してはならないと、このように意見書は主張しているのでありますが、私どももこの意見書と全く同じ見解なんです。ただ、残念ながら日弁連の御見解は、肝心かなめな拘束名簿式比例代表制に合理的根拠があるかないのかということを吟味することなく、頭から違法だとこう決めつけているところに私どもは問題があると思う。
したがって、私どもは、この日弁連でも主張されておるところの根拠と全く同じような立場から、言うならばこの個人立候補の問題とこの拘束名簿式比例代表制の採用という問題が、やはり合理的な明白な理由と根拠がある限り一定の制限はやむを得ないものだと、こういう立場に立っておるわけでございます。その点は二十一条の結社の自由のところの結社しないところの自由という問題との関連も全く同じでございます。
金
金丸三郎#17
○委員以外の議員(金丸三郎君) 憲法の十四条あるいは十三条、二十一条、四十四条に関連いたしまして個人の立候補に関するお尋ねでございますが、これらの条文の解釈等につきましては私は寺田委員と全く見解が同様でございます。
私ども、究極的には個人の立候補に関しますこの案は、何回もこの委員会でお答えを申し上げておりますように、憲法十二条、十三条の実定的な規定を根拠にいたしまして、現実のわが国の政党政治の実情から拘束名簿式の比例代表制を採用いたしますことは合理的な理由があるのだとこういう考えで、制約が生じてまいりましても適法である、こういうふうに考えておる次第でございます。
この発言だけを見る →私ども、究極的には個人の立候補に関しますこの案は、何回もこの委員会でお答えを申し上げておりますように、憲法十二条、十三条の実定的な規定を根拠にいたしまして、現実のわが国の政党政治の実情から拘束名簿式の比例代表制を採用いたしますことは合理的な理由があるのだとこういう考えで、制約が生じてまいりましても適法である、こういうふうに考えておる次第でございます。
寺
寺田熊雄#18
○寺田熊雄君 問題はその自由の制限の度合いであると存じます。自民党案のように、名簿登載による候補者数が十人以上、所属国会議員数が五人以上、直近の選挙の得票が有効投票総数の四%以上という要件を強いることは、少数政党ないし新しく組織される政治団体にとってはきわめて困難な条件であると存じます。また、そこまで要求しなくとも現状では一定の政治団体は国政に影響を及ぼす政治力を持ち得ると考えるのであります。したがってこの制限は、基本的人権の制限としては合理的な必要の範囲を超えるのではないか、緩和する必要があるのではないかと考えるのであります。
一方、社会党案は、自民党案に比して候補者数を五人以上、得票数を二%以上、所属議員数を三人以上とする点で、少数政党や新しく組織せられる政治団体に配慮しておると考えられるのでありますが、たとえば候補者数を三人以上、所属国会議員を二人以上に改める余地を残すものかどうか。
また、それが自民党案の場合は必要かつ合理的な制限の範囲を超えておるのではないか、緩和する用意があるかというような点について、双方の提案者にそれぞれお伺いをいたしたいと思います。
この発言だけを見る →一方、社会党案は、自民党案に比して候補者数を五人以上、得票数を二%以上、所属議員数を三人以上とする点で、少数政党や新しく組織せられる政治団体に配慮しておると考えられるのでありますが、たとえば候補者数を三人以上、所属国会議員を二人以上に改める余地を残すものかどうか。
また、それが自民党案の場合は必要かつ合理的な制限の範囲を超えておるのではないか、緩和する用意があるかというような点について、双方の提案者にそれぞれお伺いをいたしたいと思います。
宮
宮之原貞光#19
○宮之原貞光君 いまの御質問の御趣旨は、いろいろ本委員会でも議論をされておりますところの政党要件の問題だと思うのでありますが、この問題は先ほども申し上げましたように基本的人権とその制限の兼ね合いの問題に帰着するわけでありますから、いわゆるぎりぎり政党要件としてどの程度まで許容できるか、言うならばどの程度までのぎりぎりのところで政党としての機能を発揮し得るのだろうかどうだろうか、このところが私は判断のポイントじゃないかと思うのです。
そういう点で申し上げますと、自民党案の五人以上の議員、四%の得票、あるいは十人以上の候補者というこの三原則は、恐らく政治資金規正法に言うこの登録団体との整合性ということを重視されたのではありましょうけれども、私もやはり質問者の御指摘のように、これは単に個人の立候補を禁止するということばかりか、小会派、小政党の締め出しにもなりかねない。したがって、この政党要件は同意するわけにはまいらないと考えておるのであります。
この点、私ども社会党が案として出しておりますのは、現在の参議院におきますところの院内活動、それぞれの無所属の方も出てこられては一番最低限三人で一つのグループをつくられて、二院クラブとか一の会とかそういうものを組織されてこうやっておられるわけですから、そしてやはり大きな役割りを果たしておられるわけですから、その現実をやはり直視して、同時にまた一つの集団としての政党の機能のぎりぎりはどこだろうか、機能を果たし得るところのものを考えました場合に、いわゆる三人、二%あるいは五人というのが一番適切で、きわめて合理性のある政党の要件じゃないだろうかと、こう考えたところでございます。
しかし、さらばといって私どもはこれは絶対に譲れないものだとは思っておりません。それぞれの政党の話し合いの中で、一人一党はいただきかねますけれども、ある程度下げてでも可能な限りやはり小会派も活動できるようにしようじゃないかということで意がまとまるとするならば、御相談に応ずるところの気持ちだけはあることをお答え申し上げておきたいと思います。
この発言だけを見る →そういう点で申し上げますと、自民党案の五人以上の議員、四%の得票、あるいは十人以上の候補者というこの三原則は、恐らく政治資金規正法に言うこの登録団体との整合性ということを重視されたのではありましょうけれども、私もやはり質問者の御指摘のように、これは単に個人の立候補を禁止するということばかりか、小会派、小政党の締め出しにもなりかねない。したがって、この政党要件は同意するわけにはまいらないと考えておるのであります。
この点、私ども社会党が案として出しておりますのは、現在の参議院におきますところの院内活動、それぞれの無所属の方も出てこられては一番最低限三人で一つのグループをつくられて、二院クラブとか一の会とかそういうものを組織されてこうやっておられるわけですから、そしてやはり大きな役割りを果たしておられるわけですから、その現実をやはり直視して、同時にまた一つの集団としての政党の機能のぎりぎりはどこだろうか、機能を果たし得るところのものを考えました場合に、いわゆる三人、二%あるいは五人というのが一番適切で、きわめて合理性のある政党の要件じゃないだろうかと、こう考えたところでございます。
しかし、さらばといって私どもはこれは絶対に譲れないものだとは思っておりません。それぞれの政党の話し合いの中で、一人一党はいただきかねますけれども、ある程度下げてでも可能な限りやはり小会派も活動できるようにしようじゃないかということで意がまとまるとするならば、御相談に応ずるところの気持ちだけはあることをお答え申し上げておきたいと思います。
松
松浦功#20
○委員以外の議員(松浦功君) わが党で提案をいたしております政党要件は、拘束名簿式比例代表制度が政党本位の選挙であります以上、政党らしい政党、言いかえれば国民の政治的意思を国会に適正に反映するための媒体としての機能を有するものでなければならないだろうと、こういうことを前提に考えまして、さらには現行法規の脈絡を考えて、政治資金規正法の中に規定しておりまするもの、さらには公職選挙法の確認団体に規定しておりますもの、これを基準としてとりまして、さらにそれに関連いたしまして、同じような価値を持つだろうということで直近の選挙における得票数が四%と、こういう三つの基準を選んだわけでございまして、私どもなりに一つの根拠があるものと考えてはおります。
しかし、これが私どもは絶対にベストなものだとは考えておりません。したがって、いろいろお話がございました場合について緩和を検討するにやぶさかではございませんけれども、現行法規との脈絡の問題もございます。そういった技術的な要件も解決した上でということを前提に考えさせていただきたいと、こう思っております。
この発言だけを見る →しかし、これが私どもは絶対にベストなものだとは考えておりません。したがって、いろいろお話がございました場合について緩和を検討するにやぶさかではございませんけれども、現行法規との脈絡の問題もございます。そういった技術的な要件も解決した上でということを前提に考えさせていただきたいと、こう思っております。
寺
寺田熊雄#21
○寺田熊雄君 次に、一定の政治団体に所属することを立候補の要件とすることは、一定の身分を被選挙権行使の要件とすることになり、それは憲法四十四条ただし書き、ひいては十四条の規定に違反するという反対論がございます。また、無所属のまま立候補するというのは一つの信条と言えるから、信条による差別にも該当するという説もあります。
まず、身分の問題でありますが、憲法の文言は言うまでもなく社会的身分または門地による差別の禁止を規定しておるのでありまして、この社会的身分という意味は、歴史的に見て出生や職業あるいは階層によって決定せられる社会的な地位を指すことは明らかであります。これを被選挙権行使の要件としての政治団体所属というごとき政治的な資格に当てはめることは無理であると考えます。
無所属でありたいとすることを、憲法の言う人種や性別あるいは社会的身分と並んで平等原理の一要件たる信条に含まれるとすることは、私にも牽強付会の議論のように思われます。ここに言う信条とは歴史的にはもともと信仰を意味したものでありますが、現代ではこれに政治的な主義、思想ないし信念を加えても差し支えないと存じます。したがって、それは無所属でありたいというようなきわめて部分的な政治的願望や、反対の立場をとるのにそれほど厳しい良心的な抵抗を必要としない技術的とも言える政治上の欲求あるいは考え方というようなものにまでこれを延長することは、かえって法のもとの平等を実現せんとするこの重要な憲法上の基本原理を矮小化すると申しますか、軽いものにする解釈のように思われます。これについては提案者としてはどのようにお考えでございましょうか。
この発言だけを見る →まず、身分の問題でありますが、憲法の文言は言うまでもなく社会的身分または門地による差別の禁止を規定しておるのでありまして、この社会的身分という意味は、歴史的に見て出生や職業あるいは階層によって決定せられる社会的な地位を指すことは明らかであります。これを被選挙権行使の要件としての政治団体所属というごとき政治的な資格に当てはめることは無理であると考えます。
無所属でありたいとすることを、憲法の言う人種や性別あるいは社会的身分と並んで平等原理の一要件たる信条に含まれるとすることは、私にも牽強付会の議論のように思われます。ここに言う信条とは歴史的にはもともと信仰を意味したものでありますが、現代ではこれに政治的な主義、思想ないし信念を加えても差し支えないと存じます。したがって、それは無所属でありたいというようなきわめて部分的な政治的願望や、反対の立場をとるのにそれほど厳しい良心的な抵抗を必要としない技術的とも言える政治上の欲求あるいは考え方というようなものにまでこれを延長することは、かえって法のもとの平等を実現せんとするこの重要な憲法上の基本原理を矮小化すると申しますか、軽いものにする解釈のように思われます。これについては提案者としてはどのようにお考えでございましょうか。
宮
宮之原貞光#22
○宮之原貞光君 寺田先生の御所見のとおりだと私どもも思います。十四条、四十四条の身分条項とのかかわりに、被選挙権行使の要件としての政治団体所属のような政治的な資格まで当てはめなければならないかどうか、これはちょっと無理があるのじゃないだろうかと私は思います。また、通常信条と言われておるのは、基本的な政治信条あるいはまた宗教的信条というものが当然入るべきであって、無所属主義もその一つでなければならないということも私はちょっと無理な解釈じゃないかと思うのです。
実は、いつでございましたか、参考人の御意見の中に、私のような見解をとるのは少数意見だというお話がありましたけれども、私はそれが通説じゃないだろうかと、このように思うわけであります。言うならば、やはり絶対平等主義という立場に立つのはいかがだろうかという考え方でございます。
なおまた、仮に一歩譲って十四条、四十四条の条項に当てはまるとしても、先ほども何回もお答えいたしておりますように、やはり合理的な根拠という立場から見てもそれはまた最小限度の制約は認められていいのじゃないだろうか、こういう考えを持っているわけです。
この発言だけを見る →実は、いつでございましたか、参考人の御意見の中に、私のような見解をとるのは少数意見だというお話がありましたけれども、私はそれが通説じゃないだろうかと、このように思うわけであります。言うならば、やはり絶対平等主義という立場に立つのはいかがだろうかという考え方でございます。
なおまた、仮に一歩譲って十四条、四十四条の条項に当てはまるとしても、先ほども何回もお答えいたしておりますように、やはり合理的な根拠という立場から見てもそれはまた最小限度の制約は認められていいのじゃないだろうか、こういう考えを持っているわけです。
寺
寺田熊雄#23
○寺田熊雄君 「比例代表制は政党政治を前提といたしますが、わが国ではまだ政党がそれほど国民の間に浸透していない」。たとえばアメリカの場合は、私ども高校生に聞きましても、私はリパブリカンであるとか私はデモクラットであるとかいうようなことを申しますが、日本ではまだとうていそこまでは行っておりません。「また、政党政治も欧米のようには成熟していない。したがって、比例代表制の採用は時期尚早であるし、とりわけ良識の府である参議院、ことに知識人、文化人の進出しやすい全国区の選挙にこの制度の導入を図ることは適当でない」、以上申し上げたような批判があることは事実であります。
この反対論は、法律論ではなくして、政治の現状認識の上に立った政策論とも言うべきものでありますが、この根底には先ほども申し上げましたように既成政党に対する不信感が強く横たわっておるのであります。また、現状認識の点でも必ずしも正確さを持つものではございません。と申しますのは、国政の分野では市町村のような自治体の政治とは異なりまして現実に政党政治が支配しております。時と所によっては選挙民は人よりも政党を選択する傾向を示す場合がないとは申せません。私個人のささやかな経験でも、私がたとえば市長に立候補した実例を申しますと、寺田さんは私は好きだ、しかし社会党だから入れないという人が現実にかなりの数あったのであります。
それだけに、知識人、文化人が結集して新しい政治団体をつくれば、既成政党に飽き足らない国民をこれに引きつけ、現在よりもより多くの知識人、文化人を当選させるチャンスともなり得るのではないかと考えております。また、それは既成政党にとっても、できるだけ多くの信望のある知識人、文化人を候補者のうちに加えて党のイメージを変えようとする意欲を生ぜしめる動機ともなり得るのではないかと思うのであります。この点はいかがでしょうか、提案者にお伺いいたしたいと思います。
この発言だけを見る →この反対論は、法律論ではなくして、政治の現状認識の上に立った政策論とも言うべきものでありますが、この根底には先ほども申し上げましたように既成政党に対する不信感が強く横たわっておるのであります。また、現状認識の点でも必ずしも正確さを持つものではございません。と申しますのは、国政の分野では市町村のような自治体の政治とは異なりまして現実に政党政治が支配しております。時と所によっては選挙民は人よりも政党を選択する傾向を示す場合がないとは申せません。私個人のささやかな経験でも、私がたとえば市長に立候補した実例を申しますと、寺田さんは私は好きだ、しかし社会党だから入れないという人が現実にかなりの数あったのであります。
それだけに、知識人、文化人が結集して新しい政治団体をつくれば、既成政党に飽き足らない国民をこれに引きつけ、現在よりもより多くの知識人、文化人を当選させるチャンスともなり得るのではないかと考えております。また、それは既成政党にとっても、できるだけ多くの信望のある知識人、文化人を候補者のうちに加えて党のイメージを変えようとする意欲を生ぜしめる動機ともなり得るのではないかと思うのであります。この点はいかがでしょうか、提案者にお伺いいたしたいと思います。
宮
宮之原貞光#24
○宮之原貞光君 確かに御指摘いただきましたように、現在のこの政党政治いわゆる議会民主政治の一番の中核をなしておりますところの政党というものの役割り、任務について、その重要性は認めながらもまだ成熟しておらないじゃないか、したがってまあ成熟しないところの段階、いわゆる国民の無所属の層も相当ある、政党不支持層も相当あるんだ、したがって導入すべきでないという立場からの御意見があることは事実でございます。
ただ、ここでお互い政治家として、特に議会制民主主義を発展させようという立場に立つところの政治家として考えなければならないことは、成熟していないから導入をするのはまずいという立場をとるのか、それとも導入によってやはり政党政治をよりよくし成熟をさせていくんだという立場に立つのか。私は、政治家は少なくとも理想に生き、何としてもそういう政党あるいは議会政治というものをつくらなければならないという立場に立つだけに、後段にやはり立つべきじゃないだろうか、このように考えておるところでございます。それだけに成熟していないから導入すべきでないというそのことにはくみするわけにはまいらないのでございます。
なお、寺田先生から御指摘いただきましたように、それならば知識人、文化人が結集して新しい政治団体を結成するという方法があるじゃないか、どうなのかということでございますが、私はやはり今日の現状の中におきましては、特に既成政党に対するところの批判が厳しい中では、そういう政治団体の一つの連合の形式ですか、そういうことはきわめて国民の期待にこたえるところの条件に、現実的には出てくるところの可能性があるのではないだろうかと思うのです。
御承知のように、西ドイツには大きな政党としてキリスト教民主同盟、社民党、自由民主党、まあ日本と違いまして自由民主党はここでは第三党でございますけれども、こういうのがありまして、しかも御承知のように五%条項というのがありまして、いわゆる小政党の乱立というのを防ぐところの条項があるのです。しかしそれにもかかわらず、御承知のように緑の党あるいはALという政党がこの五%条項を突破して市民権を得ておる。このことは何を物語るかと申しますと、これは寺田先生御指摘のような状態が西ドイツの中にもやはり国民の意向としてあることを示すものではないだろうかと思うのです。したがって、そういう意味におきましては、既成政党に対してはみずからを顧みるところのきわめて重要なことを示唆しておるのではないだろうかと考えるわけでございますが、いずれにいたしましてもそういう一つの仕組みをするというのも私は一つの方法ではないかと思うのです。
実は私、古い雑誌でございますけれども、ジュリストの一九六八年の三月号をちょっと焼いたのをここに持っておるんです。そこに「参議院二十年の歩み」という座談会がある。ここの中で——実はこの前後に選挙制度の全国区の問題点が議論をされておる。この中で、実は亡くなられたところの市川房枝先生がこういう発言をされているのです。
「いまの参議院でぜひほしいと思うのは、学者の方たちにもつと入ってもらいたいと思うのです。初期はある程度あったのですが、だんだんなくなってきた。二五年までは専門家の人がいて、そしてそういう人が委員長になってうまくいった」のでありますが、結局現行制度の中ではそういうことが出られなくなった。こういうことをおっしゃると同時に、一番後部に「篠原さん」と言われているのはこの座談会に出られたところの東京大学教授の篠原一さんですが、その人の御意見を踏まえて、「篠原さんのおっしゃるように、政党でなくてもそういう一つの連合名簿が認められ、そこにそういう人たちが入ってくだされば、道がひらけますね。そういう比例代表制なら、私も賛成します。」、こう言っておられるのです。
まあ、すでに故人になられたわけでございますが、私この記録が絶対正しいとは言いかねますが、少なくともやはりそれぞれが責任を持って編集したわけでございますから、そのことはやはり亡くなられたところのあの市川先生にしても、いま寺田先生の御指摘いただいたところの、国民の既成政党にあきたらないところのものを何とか反映をした新しい連合の方向というのも一つのあり方だねと、こういうことをお考えになっておられたのではないだろうかと、実は私はこれを読みながらそんたくしておるところでございます。
なおもう一つは、御指摘いただきましたように、これはそういうことになりますと既成政党もじっとしてはおられぬですよ。いままでのようなやはりふやけたようなかっこうで国民の指弾を受けるようなことになりますとこれは大変ですから、そういう意味ではまた既成政党の自浄作用と申しますか、みずからの姿勢を正していくということにも私は御指摘のように大きく役立つのではないだろうか、こう考えております。
この発言だけを見る →ただ、ここでお互い政治家として、特に議会制民主主義を発展させようという立場に立つところの政治家として考えなければならないことは、成熟していないから導入をするのはまずいという立場をとるのか、それとも導入によってやはり政党政治をよりよくし成熟をさせていくんだという立場に立つのか。私は、政治家は少なくとも理想に生き、何としてもそういう政党あるいは議会政治というものをつくらなければならないという立場に立つだけに、後段にやはり立つべきじゃないだろうか、このように考えておるところでございます。それだけに成熟していないから導入すべきでないというそのことにはくみするわけにはまいらないのでございます。
なお、寺田先生から御指摘いただきましたように、それならば知識人、文化人が結集して新しい政治団体を結成するという方法があるじゃないか、どうなのかということでございますが、私はやはり今日の現状の中におきましては、特に既成政党に対するところの批判が厳しい中では、そういう政治団体の一つの連合の形式ですか、そういうことはきわめて国民の期待にこたえるところの条件に、現実的には出てくるところの可能性があるのではないだろうかと思うのです。
御承知のように、西ドイツには大きな政党としてキリスト教民主同盟、社民党、自由民主党、まあ日本と違いまして自由民主党はここでは第三党でございますけれども、こういうのがありまして、しかも御承知のように五%条項というのがありまして、いわゆる小政党の乱立というのを防ぐところの条項があるのです。しかしそれにもかかわらず、御承知のように緑の党あるいはALという政党がこの五%条項を突破して市民権を得ておる。このことは何を物語るかと申しますと、これは寺田先生御指摘のような状態が西ドイツの中にもやはり国民の意向としてあることを示すものではないだろうかと思うのです。したがって、そういう意味におきましては、既成政党に対してはみずからを顧みるところのきわめて重要なことを示唆しておるのではないだろうかと考えるわけでございますが、いずれにいたしましてもそういう一つの仕組みをするというのも私は一つの方法ではないかと思うのです。
実は私、古い雑誌でございますけれども、ジュリストの一九六八年の三月号をちょっと焼いたのをここに持っておるんです。そこに「参議院二十年の歩み」という座談会がある。ここの中で——実はこの前後に選挙制度の全国区の問題点が議論をされておる。この中で、実は亡くなられたところの市川房枝先生がこういう発言をされているのです。
「いまの参議院でぜひほしいと思うのは、学者の方たちにもつと入ってもらいたいと思うのです。初期はある程度あったのですが、だんだんなくなってきた。二五年までは専門家の人がいて、そしてそういう人が委員長になってうまくいった」のでありますが、結局現行制度の中ではそういうことが出られなくなった。こういうことをおっしゃると同時に、一番後部に「篠原さん」と言われているのはこの座談会に出られたところの東京大学教授の篠原一さんですが、その人の御意見を踏まえて、「篠原さんのおっしゃるように、政党でなくてもそういう一つの連合名簿が認められ、そこにそういう人たちが入ってくだされば、道がひらけますね。そういう比例代表制なら、私も賛成します。」、こう言っておられるのです。
まあ、すでに故人になられたわけでございますが、私この記録が絶対正しいとは言いかねますが、少なくともやはりそれぞれが責任を持って編集したわけでございますから、そのことはやはり亡くなられたところのあの市川先生にしても、いま寺田先生の御指摘いただいたところの、国民の既成政党にあきたらないところのものを何とか反映をした新しい連合の方向というのも一つのあり方だねと、こういうことをお考えになっておられたのではないだろうかと、実は私はこれを読みながらそんたくしておるところでございます。
なおもう一つは、御指摘いただきましたように、これはそういうことになりますと既成政党もじっとしてはおられぬですよ。いままでのようなやはりふやけたようなかっこうで国民の指弾を受けるようなことになりますとこれは大変ですから、そういう意味ではまた既成政党の自浄作用と申しますか、みずからの姿勢を正していくということにも私は御指摘のように大きく役立つのではないだろうか、こう考えております。
寺
世
世耕政隆#26
○国務大臣(世耕政隆君) 議会制民主主義国家において、政党が国民の政治的な意思を媒体するという意味においては、政党の存在というのはどうしても不可欠であろうと思っております。で、いろいろ論議されているところでございますが、私はやはりわが国の政党もそれぞれ長い間のその政党の主張するところの主義主張を通じて任務を果たしてきていると思うのでございます。ですから、歴史的な年代だけでヨーロッパの政党に比較して成熟度が少ない云々、こういうことは必ずしも当たらないのではないか、そういうふうに考えているものでございます。
また、無所属とか一人の政党、これがあるかないかは私も何とも言えないのでございますが、やはり今回のこの選挙制度の改正は、一人、個人を中心とする選挙に対する大方の批判とかいろいろな形の中から派生してきたものでございますから、当然それなりの答え、方向としては、私はその個人本位の選挙の対角線上にあるものとして、政党を中心とする、それもわれわれが将来理想とする政党、政党の責任は非常に大きくなるかと思うのでございますが、それを中心とする選挙制度への方法模索、これは当然あり得るべきことでございまして、これは各政党間で十分に御審議をいただきましてある結論をお出しいただく、これに対して私どもは期待しているところでございます。
この発言だけを見る →また、無所属とか一人の政党、これがあるかないかは私も何とも言えないのでございますが、やはり今回のこの選挙制度の改正は、一人、個人を中心とする選挙に対する大方の批判とかいろいろな形の中から派生してきたものでございますから、当然それなりの答え、方向としては、私はその個人本位の選挙の対角線上にあるものとして、政党を中心とする、それもわれわれが将来理想とする政党、政党の責任は非常に大きくなるかと思うのでございますが、それを中心とする選挙制度への方法模索、これは当然あり得るべきことでございまして、これは各政党間で十分に御審議をいただきましてある結論をお出しいただく、これに対して私どもは期待しているところでございます。
寺
寺田熊雄#27
○寺田熊雄君 「選挙法改正問題のうち最重要の課題は定数不均衡是正である。しかるに、今回の法改正は、この重要問題を差しおいて、これと関連のない新制度を導入せんとするものであって不当である」という反対論があります。
定数不均衡の是正を求める者の論拠は、選挙人の投票が選挙の結果に及ぼす影響力において平等でなければならないとするのであります。いわゆる投票価値の平等でありますが、これが憲法第十四条、第四十四条ただし書き、第十五条一項、三項などの規定から当然に憲法の要求するところであるとするのであります。これは確かに幾多の高等裁判所の判例が肯定するところでありますし、最高裁の判例もまたこれを是認しております。したがって、それが政治的にもまた立法政策上も緊急な課題であるということは言うまでもありません。
ただ、ここに考えなければいけないのは、比例代表制もまた選挙人の投票による意思表示をできるだけ公正に国会の議席に反映せしめんとするものでありますから、定数の不均衡是正と無縁のものではないということであります。すなわち、比例代表制は議席数の決定が全体として選挙民の投票数を正確に反映するものであることを要求しておりますし、また一票の価値の平等を求める論拠は候補者の当選が選挙民の投票数を正確に反映するものであることを要求するのでありまして、立脚点こそ異なれ選挙民の投票数を正確に選挙結果に反映せしめんとする目的においては共通するものがあると考えるのでありますが、提案者はこの点についてどのようにお考えでいらっしゃるでしょうか。
この発言だけを見る →定数不均衡の是正を求める者の論拠は、選挙人の投票が選挙の結果に及ぼす影響力において平等でなければならないとするのであります。いわゆる投票価値の平等でありますが、これが憲法第十四条、第四十四条ただし書き、第十五条一項、三項などの規定から当然に憲法の要求するところであるとするのであります。これは確かに幾多の高等裁判所の判例が肯定するところでありますし、最高裁の判例もまたこれを是認しております。したがって、それが政治的にもまた立法政策上も緊急な課題であるということは言うまでもありません。
ただ、ここに考えなければいけないのは、比例代表制もまた選挙人の投票による意思表示をできるだけ公正に国会の議席に反映せしめんとするものでありますから、定数の不均衡是正と無縁のものではないということであります。すなわち、比例代表制は議席数の決定が全体として選挙民の投票数を正確に反映するものであることを要求しておりますし、また一票の価値の平等を求める論拠は候補者の当選が選挙民の投票数を正確に反映するものであることを要求するのでありまして、立脚点こそ異なれ選挙民の投票数を正確に選挙結果に反映せしめんとする目的においては共通するものがあると考えるのでありますが、提案者はこの点についてどのようにお考えでいらっしゃるでしょうか。
宮
宮之原貞光#28
○宮之原貞光君 私も、先生の御所見のように、定数是正の問題、さらには政治資金規正法の改正問題というのは緊急な課題だと認識をいたしておるわけであります。
実は、本委員会で公明党の峯山先生でございましたか、七十三臨時国会で設置をされましたところの公選法特別小委員会の合意問題、いわゆる地方区の定数是正、政治資金規正法の改正、選挙公営、そういうものをまず先にさせようじゃないかという点、もちろんこの小委員会は次の七十五通常国会まであり、九月からの七十六臨時国会以降はなくなったようでございますが、いずれにいたしましても、この公選法の委員会の中でそのことの緊急性、重要性というものは非常に議論をされておりますし、また各党の方向性としてこれは理解をされておったわけであります。
ただ、それが現実の問題といたしましては、当時の社会党、公明党、共産党、民社党の四党合意になるところの定数増の問題は自民党の同意を得られないでそのまま不発に終わったという点、あるいはまた五十二年八十国会におきまして、同様にやはり野党共同提案としての十八名増案が提出されながら本委員会で日の目を見なかったと、こういうような経緯もあるわけでございますし、それにまた、御指摘のようにすでに裁判所の判断も数次にわたって出ておるわけでございますから、きわめて急がなければならない緊急の課題だということを私も認識をしております。
また、政治資金規正法の問題にいたしましても、附則八条には明確にやはり五年後の見直しということが規定をされておる。五年過ぎた今日なお、ここに自治大臣おられますけれども、これはやはり私は自治省の怠慢だと思うのですね、まだいまだに手をつけられない。このことについては私どもも非常に不満を持っておるわけでございます。この二つの問題はやはり緊急に処理をさるべきところの事項であるということについては全く同感であります。
ただ、私はこの二つの問題がまず先に処理をされなければ全国区制度の改正問題について手をつけてはならないという考え方には同意いたしません。特に、この問題については、御承知のようにわが党が提起したというよりも与党の自民党の方から提起されて、現実に議論をされておるわけです。議論をされておるものに対してわれわれはこう考えるというものを提起して、自分の党の主張を通すということはやはりこれは当然だと思う。それをやることなくして、ただそのほかのもの二つ先にやれやれと言うことだけでは、私は論議もかみ合っていかないのでいかがであろうかと思うのです。そういうような意味合いにおきましては、緊急課題であるところのこの二つはもっと積極的にお互いやっぱり同意を得るように話を詰めていく必要がある。
同時にまたこの問題については、いわゆる全国区改正の問題については、具体的にやはり現実の問題として数次にわたりますところの審議が続いておるわけですから、それはやっぱり積極的に対応していくということであっていいのではないだろうか、このように考えます。
この発言だけを見る →実は、本委員会で公明党の峯山先生でございましたか、七十三臨時国会で設置をされましたところの公選法特別小委員会の合意問題、いわゆる地方区の定数是正、政治資金規正法の改正、選挙公営、そういうものをまず先にさせようじゃないかという点、もちろんこの小委員会は次の七十五通常国会まであり、九月からの七十六臨時国会以降はなくなったようでございますが、いずれにいたしましても、この公選法の委員会の中でそのことの緊急性、重要性というものは非常に議論をされておりますし、また各党の方向性としてこれは理解をされておったわけであります。
ただ、それが現実の問題といたしましては、当時の社会党、公明党、共産党、民社党の四党合意になるところの定数増の問題は自民党の同意を得られないでそのまま不発に終わったという点、あるいはまた五十二年八十国会におきまして、同様にやはり野党共同提案としての十八名増案が提出されながら本委員会で日の目を見なかったと、こういうような経緯もあるわけでございますし、それにまた、御指摘のようにすでに裁判所の判断も数次にわたって出ておるわけでございますから、きわめて急がなければならない緊急の課題だということを私も認識をしております。
また、政治資金規正法の問題にいたしましても、附則八条には明確にやはり五年後の見直しということが規定をされておる。五年過ぎた今日なお、ここに自治大臣おられますけれども、これはやはり私は自治省の怠慢だと思うのですね、まだいまだに手をつけられない。このことについては私どもも非常に不満を持っておるわけでございます。この二つの問題はやはり緊急に処理をさるべきところの事項であるということについては全く同感であります。
ただ、私はこの二つの問題がまず先に処理をされなければ全国区制度の改正問題について手をつけてはならないという考え方には同意いたしません。特に、この問題については、御承知のようにわが党が提起したというよりも与党の自民党の方から提起されて、現実に議論をされておるわけです。議論をされておるものに対してわれわれはこう考えるというものを提起して、自分の党の主張を通すということはやはりこれは当然だと思う。それをやることなくして、ただそのほかのもの二つ先にやれやれと言うことだけでは、私は論議もかみ合っていかないのでいかがであろうかと思うのです。そういうような意味合いにおきましては、緊急課題であるところのこの二つはもっと積極的にお互いやっぱり同意を得るように話を詰めていく必要がある。
同時にまたこの問題については、いわゆる全国区改正の問題については、具体的にやはり現実の問題として数次にわたりますところの審議が続いておるわけですから、それはやっぱり積極的に対応していくということであっていいのではないだろうか、このように考えます。
寺
寺田熊雄#29
○寺田熊雄君 次は、供託金の問題に触れたいと存じます。
供託金については、自民党案は現行の二百万円を倍額の四百万円に改めんとしております。社会党案は一・五倍の三百万円に改めようとするのであります。これは恐らく全国区選挙に要する国費を念頭に置いて、候補者にもある程度その負担を分担せしめんとすると同時に、泡沫候補の立候補を牽制せんとする目的に出たものと考えられます。確かに五十五年六月の参院選の費用を見ますと、全国区、地方区合わせて二百五億円を要しております。うち公営費関係は、全国区が二十億、地方区は四十億であるようであります。
しかし、自民党案のように政党に十人以上の候補者を要求する改正案を前提といたしますと、新しい政治団体は四千万円以上の供託金を準備せねばなりません。しかも、このうちの相当額が没収されるという危険をも冒さなければなりません。それはこのような財政上の理由から少数党や新しい政治団体の政治への参加の機会を奪いかねないのであります。このような考慮と、選挙に金のかからないようにするため公営選挙をできるだけその範囲を拡大したいというわれわれの願望、あるいは国の負担をあとう限り少なくして国民にその負担をかぶせようとするのは臨調的発想にほかならない、そして国民にできるだけ政治参加の機会を与えようとする民主主義的要請にそぐわないというような諸般の考慮をいたしますと、この供託金引き上げの改正はむしろ撤回ないし修正することが好もしいようにも考えるのでありますが、この点は自民党案、社会党案、両側の提案者におかれましてはどのようにお考えであるか、お伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →供託金については、自民党案は現行の二百万円を倍額の四百万円に改めんとしております。社会党案は一・五倍の三百万円に改めようとするのであります。これは恐らく全国区選挙に要する国費を念頭に置いて、候補者にもある程度その負担を分担せしめんとすると同時に、泡沫候補の立候補を牽制せんとする目的に出たものと考えられます。確かに五十五年六月の参院選の費用を見ますと、全国区、地方区合わせて二百五億円を要しております。うち公営費関係は、全国区が二十億、地方区は四十億であるようであります。
しかし、自民党案のように政党に十人以上の候補者を要求する改正案を前提といたしますと、新しい政治団体は四千万円以上の供託金を準備せねばなりません。しかも、このうちの相当額が没収されるという危険をも冒さなければなりません。それはこのような財政上の理由から少数党や新しい政治団体の政治への参加の機会を奪いかねないのであります。このような考慮と、選挙に金のかからないようにするため公営選挙をできるだけその範囲を拡大したいというわれわれの願望、あるいは国の負担をあとう限り少なくして国民にその負担をかぶせようとするのは臨調的発想にほかならない、そして国民にできるだけ政治参加の機会を与えようとする民主主義的要請にそぐわないというような諸般の考慮をいたしますと、この供託金引き上げの改正はむしろ撤回ないし修正することが好もしいようにも考えるのでありますが、この点は自民党案、社会党案、両側の提案者におかれましてはどのようにお考えであるか、お伺いしたいと思います。