憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十三年十一月二十九日(木曜日)
午前九時二分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 津島 雄二君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 中川 正春君 幹事 細川 律夫君
幹事 斉藤 鉄夫君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
今村 雅弘君 小渕 優子君
奥野 誠亮君 高村 正彦君
佐田玄一郎君 下村 博文君
菅 義偉君 中曽根康弘君
中本 太衛君 中山 正暉君
西田 司君 鳩山 邦夫君
二田 孝治君 松野 博一君
三塚 博君 森岡 正宏君
大出 彰君 岡田 克也君
小林 憲司君 今野 東君
島 聡君 首藤 信彦君
仙谷 由人君 筒井 信隆君
中村 哲治君 山田 敏雅君
上田 勇君 太田 昭宏君
都築 譲君 藤島 正之君
塩川 鉄也君 春名 直章君
山口 富男君 植田 至紀君
金子 哲夫君 松浪健四郎君
宇田川芳雄君
…………………………………
参考人
(中部大学中部高等学術研
究所所長) 武者小路公秀君
参考人
(城西大学経済学部教授) 畑尻 剛君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
十一月二十一日
辞任 補欠選任
近藤 基彦君 宇田川芳雄君
同月二十九日
辞任 補欠選任
佐田玄一郎君 中本 太衛君
松本 和那君 松野 博一君
山口 富男君 塩川 鉄也君
土井たか子君 植田 至紀君
野田 毅君 松浪健四郎君
宇田川芳雄君 近藤 基彦君
同日
辞任 補欠選任
中本 太衛君 小渕 優子君
松野 博一君 松本 和那君
塩川 鉄也君 山口 富男君
植田 至紀君 土井たか子君
松浪健四郎君 野田 毅君
同日
辞任 補欠選任
小渕 優子君 佐田玄一郎君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)
派遣委員からの報告聴取
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時二分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 津島 雄二君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 中川 正春君 幹事 細川 律夫君
幹事 斉藤 鉄夫君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
今村 雅弘君 小渕 優子君
奥野 誠亮君 高村 正彦君
佐田玄一郎君 下村 博文君
菅 義偉君 中曽根康弘君
中本 太衛君 中山 正暉君
西田 司君 鳩山 邦夫君
二田 孝治君 松野 博一君
三塚 博君 森岡 正宏君
大出 彰君 岡田 克也君
小林 憲司君 今野 東君
島 聡君 首藤 信彦君
仙谷 由人君 筒井 信隆君
中村 哲治君 山田 敏雅君
上田 勇君 太田 昭宏君
都築 譲君 藤島 正之君
塩川 鉄也君 春名 直章君
山口 富男君 植田 至紀君
金子 哲夫君 松浪健四郎君
宇田川芳雄君
…………………………………
参考人
(中部大学中部高等学術研
究所所長) 武者小路公秀君
参考人
(城西大学経済学部教授) 畑尻 剛君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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委員の異動
十一月二十一日
辞任 補欠選任
近藤 基彦君 宇田川芳雄君
同月二十九日
辞任 補欠選任
佐田玄一郎君 中本 太衛君
松本 和那君 松野 博一君
山口 富男君 塩川 鉄也君
土井たか子君 植田 至紀君
野田 毅君 松浪健四郎君
宇田川芳雄君 近藤 基彦君
同日
辞任 補欠選任
中本 太衛君 小渕 優子君
松野 博一君 松本 和那君
塩川 鉄也君 山口 富男君
植田 至紀君 土井たか子君
松浪健四郎君 野田 毅君
同日
辞任 補欠選任
小渕 優子君 佐田玄一郎君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)
派遣委員からの報告聴取
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件について調査を進めます。
去る十一月二十六日、愛知県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。鹿野道彦君。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件について調査を進めます。
去る十一月二十六日、愛知県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。鹿野道彦君。
鹿
鹿野道彦#2
○鹿野委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員鳩山邦夫君、委員島聡君、幹事斉藤鉄夫君、委員都築譲君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員宇田川芳雄君、それに私、鹿野道彦を加えた十名であります。
なお、現地において、小林憲司議員、牧義夫議員、瀬古由起子議員及び大島令子議員が参加されました。
十一月二十六日、名古屋市のウェスティンナゴヤキャッスル会議室において会議を開催し、まず、中山会長から今回の地方公聴会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、名古屋大学名誉教授田口富久治君、主婦西英子君、岐阜県立高等学校教諭野原清嗣君、名古屋大学大学院法学研究科博士課程後期課程川畑博昭君、弁護士古井戸康雄君及び大学生加藤征憲君の六名から意見を聴取いたしました。
その意見内容につきまして、簡単に申し上げます。
田口富久治君からは、憲法は軍事的な国際貢献は想定しておらず、我が国は、今後も、国連難民高等弁務官事務所やユニセフ等を通じた非軍事的な国際貢献をなすべきであるとの意見、
西英子君からは、日本は、平和的生存権の保障など憲法前文の理念に従って国際社会における役割を果たすべきであり、途上国への経済援助に際しては、貧困層の人々まで手の届くものとし、伝統的な生活様式や自然環境を破壊しない配慮が必要であるとの意見、
野原清嗣君からは、大人が子供に対し、ルールやマナーを教えていないことを示すデータにかんがみて、自国の安全を他人任せにする憲法前文と九条に問題があり、普通の国が持つ自衛権を憲法上明記し、前文も日本人の顔が見える格調あるものとすべきとの意見、
川畑博昭君からは、ペルーの日本国大使館に勤務した際に爆破テロに遭遇した経験を踏まえて、テロに対しては、暴力によってではなく、対話により解決を図るべきであるとの意見、
古井戸康雄君からは、日本は国際社会における評価ではなく、国益の観点でその役割を考えるべきであり、資金援助中心の国際貢献だけでなく、人による国際貢献にも重点を置き、そのために人材育成を行う必要があるとの意見、
及び
加藤征憲君からは、日本は国連の安全保障理事会常任理事国入りを果たし、核廃絶にリーダーシップを発揮すべきであり、そのためには、強いリーダーシップを持った首相を選ぶことが期待できる首相公選制を導入すべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、我が国のテロへの具体的対処法、環境に関する権利及び義務を憲法に明記することの是非、国連の警察軍的活動に自衛隊を参加させることの是非、テロ問題解決のための国連の役割、テロ特措法と憲法の関係、教育の現場における憲法についての教育の実情などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、
平和憲法の理念を具体的に生かすべきであり、また女性の意見陳述者をふやすべきであるとの意見、
憲法の重要性について子供たちに伝えるべきであるとの意見、
憲法制定の経緯にかんがみて、日本人自身が議論をして憲法をつくり直すべきであるとの意見、
日本が九条がありながら軍事力を拡大するなど、信用を失墜させており、平和憲法の理念を生かすべきであるとの意見、
及び
日本国憲法は世界の英知を集め、国会の審議を経てつくられたものであり、平和憲法の立場を世界に示すべきであるとの意見
が述べられました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
この発言だけを見る →派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員鳩山邦夫君、委員島聡君、幹事斉藤鉄夫君、委員都築譲君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員宇田川芳雄君、それに私、鹿野道彦を加えた十名であります。
なお、現地において、小林憲司議員、牧義夫議員、瀬古由起子議員及び大島令子議員が参加されました。
十一月二十六日、名古屋市のウェスティンナゴヤキャッスル会議室において会議を開催し、まず、中山会長から今回の地方公聴会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、名古屋大学名誉教授田口富久治君、主婦西英子君、岐阜県立高等学校教諭野原清嗣君、名古屋大学大学院法学研究科博士課程後期課程川畑博昭君、弁護士古井戸康雄君及び大学生加藤征憲君の六名から意見を聴取いたしました。
その意見内容につきまして、簡単に申し上げます。
田口富久治君からは、憲法は軍事的な国際貢献は想定しておらず、我が国は、今後も、国連難民高等弁務官事務所やユニセフ等を通じた非軍事的な国際貢献をなすべきであるとの意見、
西英子君からは、日本は、平和的生存権の保障など憲法前文の理念に従って国際社会における役割を果たすべきであり、途上国への経済援助に際しては、貧困層の人々まで手の届くものとし、伝統的な生活様式や自然環境を破壊しない配慮が必要であるとの意見、
野原清嗣君からは、大人が子供に対し、ルールやマナーを教えていないことを示すデータにかんがみて、自国の安全を他人任せにする憲法前文と九条に問題があり、普通の国が持つ自衛権を憲法上明記し、前文も日本人の顔が見える格調あるものとすべきとの意見、
川畑博昭君からは、ペルーの日本国大使館に勤務した際に爆破テロに遭遇した経験を踏まえて、テロに対しては、暴力によってではなく、対話により解決を図るべきであるとの意見、
古井戸康雄君からは、日本は国際社会における評価ではなく、国益の観点でその役割を考えるべきであり、資金援助中心の国際貢献だけでなく、人による国際貢献にも重点を置き、そのために人材育成を行う必要があるとの意見、
及び
加藤征憲君からは、日本は国連の安全保障理事会常任理事国入りを果たし、核廃絶にリーダーシップを発揮すべきであり、そのためには、強いリーダーシップを持った首相を選ぶことが期待できる首相公選制を導入すべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、我が国のテロへの具体的対処法、環境に関する権利及び義務を憲法に明記することの是非、国連の警察軍的活動に自衛隊を参加させることの是非、テロ問題解決のための国連の役割、テロ特措法と憲法の関係、教育の現場における憲法についての教育の実情などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、
平和憲法の理念を具体的に生かすべきであり、また女性の意見陳述者をふやすべきであるとの意見、
憲法の重要性について子供たちに伝えるべきであるとの意見、
憲法制定の経緯にかんがみて、日本人自身が議論をして憲法をつくり直すべきであるとの意見、
日本が九条がありながら軍事力を拡大するなど、信用を失墜させており、平和憲法の理念を生かすべきであるとの意見、
及び
日本国憲法は世界の英知を集め、国会の審議を経てつくられたものであり、平和憲法の立場を世界に示すべきであるとの意見
が述べられました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
中
中山太郎#3
○中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中
中
中山太郎#5
○中山会長 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。
本日、午前の参考人として中部大学中部高等学術研究所所長武者小路公秀君に御出席をいただき、人権保障に関する諸問題について御意見をお述べいただくことになっております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、武者小路参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →本日、午前の参考人として中部大学中部高等学術研究所所長武者小路公秀君に御出席をいただき、人権保障に関する諸問題について御意見をお述べいただくことになっております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、武者小路参考人、お願いいたします。
武
武者小路公秀#6
○武者小路参考人 武者小路でございます。きょう、参考人としていろいろ発言させていただきますことを、とても名誉に存じております。
忌憚のない話をというお話なので、かなり忌憚のない、もしかするととげのある話をするかもしれませんが、その点はあらかじめお許しいただければと思います。そうはいっても、そんなに乱暴なことは申しません。ただ、尊敬する幾人かの先生方のお名前を出して、それでわかりやすい話にさせていただきたいと思います。
きょうは、人権保障についてお話をしろという御指摘でございますので、人権保障の問題で憲法のこととどういう関係が問題になるかというところをお話しさせていただきたいと思います。
一番先に、何を言おうとしているのかを先に申し上げた方が後の話がわかりやすいかと思いますので、種明かしをまずさせていただきたいと思います。
つまり、人権保障の問題については、いろいろ国連の人権委員会で取り上げられておりまして、ことしも三月に、人権委員会の中の人種差別撤廃委員会で日本政府の報告が審議されました。
その審議のときの委員会の最終所見がございまして、そこで幾つか相当厳しい日本の人権保障の問題についての問題点の指摘がございました。ちょっと手違いで、それをあらかじめお配りしてお話をさせていただきたいと思っていましたが、それが間に合いませんので、後で確かめていただければと存じます。
そのことをお話し申し上げまして、その後で、一つ一つの人権の問題は実はばらばらな問題ではなくて、一つの問題にみんな集約されているということについて、そこで森総理の神の国発言に触れさせていただきたいと思います。森総理の発言がけしからぬということでお話をするのではなくて、今のグローバル化の中で日本が一つにまとまっていくためにどうしたらいいか、非常に苦労なさっていらっしゃる、そういうことで申し上げたいと思います。
ただ、私がねらっておりますことは、日本だけで一つ固まっていくということはこれからとても難しい、むしろ日本人以外のいろいろな人たちがどんどん日本に入ってくる、そういうときの日本の国家理念というものをはっきり持つ必要がある。今までの国家理念というのは、日本が固まって一丸になるという国家理念だったけれども、それはもうこれからはなかなか使えないのではないか。そういう国家理念がもとになって人権法の法理念が出てきますから、そこの関係についてちょっと説明をさせていただきたいと思います。
それで、新しいグローバル化の時代の国家理念としてはどういうことが必要かということで、実は、かなり忌憚のないというか乱暴な話で、昔の話に戻りたいと思います。
つまり、聖徳太子の和の精神というものをどう解釈するかということに戻りまして、和というものを、日本人だけが集まって固まって和をとうとぶというのではなくて、日本の中にいろいろなエスニック集団がいて、その間の和をとうとぶというのが本来の聖徳太子の和であった。それが何か日本人だけで和をとうとぶという話になっちゃったところに問題があり、その問題を乗り越えようとして出てきたのが日本国憲法の前文にある平和的生存権ではないか。その生存権という言葉は使わないで、今、日本政府は国際的に非常に注目すべき理念を日本の国家の理念として売り出している。これは人間の安全保障という考え方です。
その人間の安全保障という理念は、世界の理念でもあり日本の国家の理念でもあるということができれば、日本の国家は開かれた国家になり、人種差別撤廃委員会で指摘されているような問題はかなり解消されるのではないか。そういう日本の中の人権問題を解消するためには、人間の安全保障、そして人間の安全保障の法理念として掲げている平和的生存権という、日本国憲法の前文の考え方を一つの理念としてはっきり確立することがとても大事なのではなかろうかということをお話しさせていただきたいと思います。細かい人権のそれぞれの問題よりも、そういう理念をお立ていただくということが、とりもなおさず憲法のことを考えるときに一番大事ではないかということです。
まず、国連の問題指摘、人種差別撤廃委員会では、ことしの三月八日から九日にかけて、日本の政府が、人種差別撤廃条約を締結したときに約束をしている国としての報告、ナショナルリポートを提出しました。
それに対して、人種差別撤廃委員会でいろいろな委員からいろいろな質問が出まして、それに外務省、法務省、それから文部省その他幾つかの省庁からも出席されまして、それで、委員会を構成しているのは政府の委員ではなくて人権の専門家でありますが、その専門家のいろいろな質問に答えられました。その答えたことに対して、また専門家たちの方でいろいろ話し合って、そして最終的に自分たちはこう考えるということをまとめました。それが最終所見というもので、その最終所見を日本国政府は持ち帰りまして、それでそれに対する反論もちゃんとしております。その反論で、私が納得するところもあるし納得しないところもありますが、委員の方々は余り納得していないように聞いております。
この最終所見は、次の日本国による報告、これはあと二年後に提出しなければいけないのですが、そこで、最終所見でこういうことをやってくれと言われたことをやって報告書をまとめるということになっております。
この最終所見、皆さんの手元にまだ配っていないので、非常に簡単にざっと申し上げておきます。
まず第一に、最終所見は悪いことばかり言っているのではなくて、肯定的な側面があるということで、例えば、「委員会は、アイヌ民族をその独特の文化を享受する権利を有する少数民族であると認定した最近の判決を関心をもって留意する。」というように褒めているところがあります。
その後で、「懸念事項および勧告」ということで、まずこの報告書の中でもう少しいろいろな情報を、統計的な情報も含めて、韓国・朝鮮人のマイノリティー、部落民及び沖縄人集団を含む、条約の適用対象とするすべてのマイノリティーの状況を反映した経済的及び社会的指標の情報を置いてくれということがあります。これに対して、日本国政府は、沖縄民族はマイノリティーではない、でも委員の方では、固有の文化を持ったマイノリティーではないかということを言っております。
それから、部落民については、ディセントの問題、世系あるいは門地、門地差別ということが、日本政府としては、これが人種差別撤廃条約には入っていない、要するに人種主義ではない、問題は問題かもしれないけれども、何もそれを報告することはない。委員会の方では、人種差別撤廃条約でディセント、世系というのがちゃんと入っているから、部落差別もちゃんと報告しろというようなことを要求しております。
詳しいことは後でごらんいただければと思いますけれども、部落差別の問題、それからさっき言いました沖縄人差別の問題、在日朝鮮人・韓国人差別の問題、それから例えば、もっと一般的な、日本に居住する外国籍の子供に関する初等教育及び前期中等教育の義務教育となっていないことに留意する、だから、それを受ける権利を与えなければいかぬというようなこと、あるいは在日韓国人・朝鮮人の民族学校、朝鮮学校を含むインターナショナルスクールの卒業者が日本の大学に入れない、それから、アイヌ民族の権利についてもさらに努力をすべきであるというようなことがいろいろ出ております。
それで、そのことについて考えます場合に、二つのやり方がございます。
外務省は、当然、日本で今支配的な考え方になっています解釈法学に基づいて、どこどこの問題は、例えば部落問題はこれこれの理由で法的に条約に含まれていないとか、そういう細かいことで説明をしています。
ただ、私がきょう憲法調査会の先生方に御提案させていただきたいことは、この人権法、ほかのことでもそうだと思いますけれども、特に人権法の問題は、これは単なる解釈法学では取り上げ切れない問題ではないかということを問題提起させていただきたいと思います。
私が勉強したところでは、公法学は専門ではないのですけれども、公法学の考え方の中に、これはフランスの制度学派の考え方なのですが、法律を解釈するときには、法規範がどのように形成されたかというその形成過程を大事にする。法規範が形成されるその前提には、必ず何らかの法理念がある。だから、法理念をまず明らかにして、その法理念は幾つかの政治勢力が新しく出てきて、それが新しい法理念というものを提案する、その政治的な過程のこともちゃんと研究した上で、どういう形で、どんな法理念が提案されているのかということを調べた上で、それで法規範を解釈するということを行うのがその制度学派の考え方です。
そこで考えますと、人権法の問題につきましても、解釈法学的に、この法律はこういうことでやっているんだ、アイヌ民族についてはこういうふうなことで、こういう法的なことが基本にあってこうやっているんだという話をすることはよろしいわけです。
ですけれども、私が問題提起させていただきたいのは、いろいろ人種差別撤廃委員会で問題にされたことと、それから日本の人権保障についての実績というものとの関係を私なりに乱暴に整理したいと思います。乱暴に整理しますと、日本は人権法をちゃんと確立し、またかなりその人権を守っている国の一つではないかと思います。これは先生方も皆さんそうお思いになるでしょうし、当然のことを言っているとお思いになるかもしれません。
アメリカなんかではいろいろな人種差別の血なまぐさい事例も、殺されたり、焼き殺されたりということがかなりありますが、日本ではそういうことはない。そういう意味では、かなり日本は人権の面で誇るに足る成績を持っているということをまず確認できると思います。
ただ、それは裏の面の問題がありまして、日本の人権は、平均的な日本人の人権、そして平均的な日本人の生活の安全を保障するということ、そういう枠の中で、普通でない日本人の権利をいろいろ無視する場合がかなりあるという問題があるかと思います。
国連でも問題になっていますし、日本で仕事をしているNGOのアムネスティが一生懸命言っていることでありますけれども、死刑廃止の問題があります。死刑を廃止しろという主張がなぜ国連でも多数を占めているかと申しますと、これはすべての人の権利ということを考え、死刑で死ぬ人の人権ということを特に大事にいたします。
ですけれども、日本の場合に、死刑を廃止しないという考え方は、後ほど御叱責があれば甘受いたしますが、死刑廃止をなぜしないかというと、死刑を廃止したら、まともな普通の日本国民が、殺人とかいろいろ悪いことをしている例外的な日本人の犠牲になるではないか、だから、社会の秩序、社会の和、そういう治安の方が大事で、そのためには悪いことをしている非常に数の少ない人たちの人権というか、生命を絶つということもいいであろう、そういう判断ではないかと思います。
ですから、マイノリティーの問題だけではなくて、例外的な人たちの問題ということは案外、要するに、大の虫のために小の虫を殺すというようなところがあるのではないかと思います。
そこのところで、先ほど申しました人種差別撤廃委員会では、日本人以外の人たち、在日コリアン、在日朝鮮人・韓国人、あるいはニューカマーと呼ぶ場合もありますけれども、そのほかの日本に居住する外国籍の移住してきたいろいろな国の人々、あるいはその人々の中でも、子供たちの権利がうまく守られていないということを指摘しております。
この問題は、先ほどちょっと申しましたように、グローバル化が進みますと、どうしてもたくさんの日本人でない人たちが日本に入ってまいります。そこで、日本に入ってまいりますと、その人たちとどう仲よくするかという和の問題は、日本人だけの和の問題ではなくて、日本人でない人たちとどううまくすみ分けていくか、うまく共存共生していくのかという問題がかなり大事になります。
そういうことで、また乱暴なことを申しますが、ある私の友人は、二十一、二世紀は大丈夫だけれども、二十三世紀ぐらいになったら大和民族は日本列島での少数民族になってしまうおそれだってあるかもしれない。それだけ少子化の問題だとかいろいろなことが出てきているので、いつまでも日本人が日本列島に住む唯一の民族、単一国家を形成している単一言語の単一民族である、そういうことはこれからなかなかそのままやっていくことはできないのではないかということがあります。
ですから、これは人権保障の問題をもう少し広い社会の変化、グローバル化の中で取り上げて考える必要が出てくるということを指摘させていただきたいと思います。そういうことが、国際化とか国際国家日本をどうつくるか、そういう問題になるかと思います。
そこで、先ほど予告をしましたように、多少先生方に失礼なことを申させていただくことをお許しください。きょうお話をするつもりはございませんでしたが、ここに中曽根先生もいらっしゃいまして、中曽根先生は私は昔から非常に尊敬申し上げておりまして、随分昔、六五年ごろに、研究会でドゴールの外交の話をさせていただいたこともございます。
ただ、中曽根先生もやはり失言を昔されたことがございまして、日本みたいにアメリカがなかなか経済が伸びないのは、もしかしたら不正確な引用になって申しわけございませんが、アメリカの場合には、アングロ・サクソンだけが住んでいればいい国になるのに、教育のない、あるいは麻薬をやる、そういうアフリカ系の人たちとかいろいろなマイノリティーがいるから大変なんだ、日本はそれがないから、これだけ頑張ってこれだけいい国になったという御発言を前になさったことがありまして、これは人権保障の立場からするとかなり問題があるということがございます。その流れで、最近問題になりましたのが森総理の神の国発言でございました。
私がこれからお話し申し上げたいのは、それがいけないんだということを申し上げたいわけではありません。人権法の立場、法理念の立場からすると、これはとても困る考え方だということになります。なぜ困るかというと、これはゼノフォビアという、外国人嫌いあるいは自国中心主義の考え方ということになります。
それで、この八月から九月にかけて南アフリカのダーバンで国連が開きました反人種主義の会議は、人種主義に反対をし、人種差別に反対をし、それからゼノフォビアに反対をする、自国中心主義に反対をするということが一つちゃんと入っております。
実は、日本中心主義というものがやはり神の国という考え方の基礎にあるということは、かなり私には明らかでございます。違うということがありましたら後で教えていただければ、そのことは勉強させていただきたいと思います。
しかし、私が申し上げたいのは、ゼノフォビアがけしからぬということを言おうとしているんじゃなくて、実は、日本中心主義、ゼノフォビアというものは、それがなかったら日本は国家として成り立たなかった、そういう歴史を日本が持っているということは、やはり研究者として確認をしたいと思います。
つまり、明治の開国以来、日本が近代国家の仲間入りをしたときには四面楚歌で、要するに、先進工業諸国は北からも南からも東からも西からも日本に対して圧力をかけて、そういう植民地化の波が押し寄せてきていた。そこのところで日本民族が一丸となって、そして国家を形成する。それこそ、先ほど申しました和をもってとうとしとなす。それまで藩に分かれて争っていた日本が一つの国にまとまったということは、それがなかったら日本は独立国家として成り立たなかったということがあります。
そういうことで、それ以来、日本の公教育、教育も、そういう国民を育てるということに一生懸命になりました。その結果、周りの国に対して迷惑をかけるような侵略をしたということも、実はそういう、日本を打って一丸とするということのとても残念な結果としてそういうことも出てきました。
しかし、それを乗り越えて、第二次大戦後の日本が独立を回復して、そしてこれだけ平和な国になった。今いろいろ問題はありますけれども、しかしそれでも、昔に比べれば非常に豊かな国になったということは確認しなければいけないと思います。
そして、その場合に、世界の中でも貧富の格差が最も少ない国の一つに日本はなっているということは、やはり日本が神の国であるおかげだというふうに考えることは無理もないことかと思います。ちょっと皮肉なことを申し上げて申しわけないのですが、要するに、日本が、一緒に日本人としてみんなで固まるということができるような、そういうイデオロギーがちゃんと天皇のもとで行われてきました。
そして、そのイデオロギーを支えるものとして部落差別というものがうまく使われてきたという側面も同時に申し上げる必要があるかと思います。つまり、すべての日本人は、部落差別があるおかげで、一番下積みではないという安心感を持つことができます。そういうことで、部落差別というものは悪いと思いますが、しかし、日本国家をまとめるためには、そういう差別を一つ下敷きにして、そして普通の日本人はみんな中産階級であるということで安心できる、そういうイデオロギー的な基礎が実はあったということが、私は一つの大きな問題だと思います。
ですから、日本中心主義といっても、日本の中でもだれかを差別しておかないとみんなは安心できない。これは、小学校でやっているいじめの構造とまさに同じで、だれかいじめられるような子がいてくれるから、いじめる側のクラスがまとまる、そういうことが実はいじめの構造のもとにある。部落差別の構造のもとも同じことではないかと思います。ですから、神の国ということで、みんなが神様の子供になればいいんですが、必ずしもそうでないというところもあるかと思います。
ということで、和をもってとうとしとなすということで、日本人が一丸となって、部落以外の日本人が一緒になって一生懸命日本をつくった。これはとてもよかったんですけれども、それが成功したおかげで、例えば、いろいろな国の不法入国労働者がたくさん出てくるという問題が出てまいりました。そして、このことに非常に心配をされました石原東京都知事が三国人発言をなさいまして、三国人が災害のときに蜂起するおそれがあるから、それを鎮圧するために自衛隊が常日ごろから準備をする必要があるということを御指摘になりました。
これは、日本国民の安全を守るという配慮から、日本人以外を警戒して、そしてやっつける必要がある、そういう考え方です。日本がグローバル化してきますとどうしても外国人が入ってきて、その外国人が悪いことをするという、実は悪いことをするのは普通の外国人じゃなくて、国際犯罪組織がやっているんですけれども、それも外国人ですから、その問題がクローズアップされる。そうなりますと、グローバル化が進めば進むほど、どうしても、外国人、あるいは外国から昔入ってきた三国人、あえて差別語を使いますが、在日朝鮮人・韓国人が警戒の相手になる。そういう形で、日本人だけの和を固めようという動きがかなり出てきているのではないかと思います。
そして、森総理は、非常に熱心にIT、情報技術の問題を進められ、例えばインドからもITの専門家を呼びたいという努力をしておられました。このことは、要するに、都合のいい外国人は入れる、だけれども、日本の神の国としての結束は破らないような形で入れるんだ、そういう形のグローバル化を期待しておられましたが、実際には、そうではないグローバル化が今進んできているのではないかと思います。これが、東京の新宿歌舞伎町の問題がまさにそういうことです。
実は、その問題を解決するために、多文化探検隊というNGOが歌舞伎町で防災訓練をやりました。歌舞伎町でやった防災訓練というのは、戦車を繰り出しての防災訓練ではなくて、むしろ、そこに奴隷働きをしているいろいろな国からのセックスワーカーがいます、タイとかビルマとかコロンビアとかポーランドとか。その人たちが、震災のときに、日本語がわからないと情報が伝わらないということで、どういうふうにしてその情報を伝えるかという訓練をして、タイ語ができる人とかいろいろな人を集めて、タイ人の多いところにはタイ語ができる人をつけるとか、そういう訓練をしました。
この二つの例は、実は、和をもってとうとしとなすということの二つの考え方のあらわれ、両方とも和をもってとうとしとなす考えです。けれども、石原都知事がやったのは、和をもってとうとしとし、日本人の安全を守る。多文化探検隊は、日本というのは、単一文化だと言っているけれども、実はいろいろな文化がある、それが一番典型的にすばらしい多文化の基地になっているのが歌舞伎町である、そこで、その多文化を大事にし、入ってきている人たちの生命を大事にしよう、そういうこと。これは、まさに和をもってとうとしとなす。つまり、和の中に日本人だけではなくて、そこに入ってきている、あるいは人身売買で連れてこられたタイの人とかフィリピンの女性とか、いろいろな国の人たちも入れて、そしてみんなで和をとうとぶ、そういうことではないかと思います。
実を申しますと、その意味で、この和をもってとうとしとなすということが二つの解釈がどうもあって、日本人だけでとうとぶ場合には、国連で非難されるような、マイノリティーに対する配慮が足りないという形で、和が日本の国家理念、日本の法理念としてマイナスに働く。ところが、グローバル化したところではそれでは困るので、やはり和というものは、日本人だけの和ではなくて、日本国籍を持っていない人たち、あるいは日本国籍を持っても大和民族でない人たちも含めての和ということを考える必要があるのではないかと思います。
実はそこで、平和のうちに生存する権利ということが出てまいります。
日本国憲法の前文でこの平和的生存権が出ているんですけれども、私なりの勝手な解釈をさせていただきたいと思いますけれども、日本は「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」名誉ある地位を占めたいということのその次に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」だから、平和に生存するのは、全世界の国民、いろいろな国民がみんな平和のうちに生存する権利を持っている。それは、日本が国際社会において名誉ある地位を得るということと関係がある。
つまり、日本だけが単一国家の平和主義とかそういうものでは全くなくて、平和というものは全世界のいろいろな国民が一緒に楽しむことにしなければいけないのだということで、ある意味では、和という考え方は、私は今西錦司先生のすみ分けという考え方とつながると思うんですが、それを世界的に押し広げようとしている。
これを今の日本政府は、人間安全保障という名前で、一つの平和の理念として人間の安全保障ということを国際的に主張しておられる。それを国際的に主張するのなら日本の中でも主張すべきで、日本の中の人間の安全を保障するというときには、東京都民の安全も保障しなければいけないけれども、同時に、日本にあるいは東京に人身売買で連れてこられたタイの女性の安全も保障しないといけない。両方、共通の安全であるということを確認することが、和をもってとうとしとなすという聖徳太子の言われたことだったと思います。
聖徳太子が言われた和というのは、当時は日本の中でいろいろな氏族が戦い、その氏族の中には、大和系の氏族もいれば、朝鮮系の氏族もいれば、中国系の氏族もいれば、蝦夷もいればあるいは隼人もいれば、いろいろな氏族がある。その間の平和共存ということ、平和に一緒に生きるということを和として教えられたので、江戸時代以来のように一つの国がみんな同じだから、均質だから和というのではない、むしろ異質だから和というものをとうとしとなすということだと思います。
これを考えていただければ、人権保障を考えるときにも、日本の平均的な日本人だけではなく、ほかの国の人たちも、それから日本人の中で、殺人をしたり特別な境遇の人たちも同じ人間であるということでとうとぶ。それは別に人権という形ではなくて、和という日本の伝統的な価値をもとにした国家理念がもしもそこにあれば、人権を守るということを日本側の方から言うことができます。
最後にもう一つだけつけ加えさせていただきたいと思いますけれども、実は、一九九八年に日本の隣の韓国のクァンジュ、光州で、一つの人権の集まりがありまして、そこでアジア人権憲章というものが発表されました。これは、アジアのいろいろな国、南アジア、東アジア、東南アジア、太平洋、いろいろなところの人権の運動家、専門家、研究者あるいは弁護士、そういう人たちが何回も集まって、ですから民間の人権憲章ですけれども、それをまとめました。
そこのところで、この一番中心にあるのは、西欧的な人権の、例えば社会、経済、文化権と政治権、市民的自由、そういう区別ではなくて、むしろ生命から始まっています。生命の権利、次に平和の権利として、あらゆる人は、いかなる種類の暴力の標的になることもなく、肉体的、知的、道義的及び精神的能力を含むすべての能力を完全に発展させることができるよう、平和に生きる権利を有するということで、平和的生存権をアジアの一つの価値として、一番中心が生命、生命の次が平和に生きるという形で取り上げています。
その意味で、もしも日本が、日本国憲法のこの価値を人間の安全保障ということで確立すれば、これは国家理念としても、あるいは人権保障のための法理念としてもとても大事だし、単に外から押しつけられたものとか舶来の人権とかということでは全くない、日本の、つまり和をもってとうとしとなすということを中心とする人権保障ができるし、すべきではないかということを提案させていただきまして、私の参考人としての問題提起を終わらせていただきます。
どうも御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →忌憚のない話をというお話なので、かなり忌憚のない、もしかするととげのある話をするかもしれませんが、その点はあらかじめお許しいただければと思います。そうはいっても、そんなに乱暴なことは申しません。ただ、尊敬する幾人かの先生方のお名前を出して、それでわかりやすい話にさせていただきたいと思います。
きょうは、人権保障についてお話をしろという御指摘でございますので、人権保障の問題で憲法のこととどういう関係が問題になるかというところをお話しさせていただきたいと思います。
一番先に、何を言おうとしているのかを先に申し上げた方が後の話がわかりやすいかと思いますので、種明かしをまずさせていただきたいと思います。
つまり、人権保障の問題については、いろいろ国連の人権委員会で取り上げられておりまして、ことしも三月に、人権委員会の中の人種差別撤廃委員会で日本政府の報告が審議されました。
その審議のときの委員会の最終所見がございまして、そこで幾つか相当厳しい日本の人権保障の問題についての問題点の指摘がございました。ちょっと手違いで、それをあらかじめお配りしてお話をさせていただきたいと思っていましたが、それが間に合いませんので、後で確かめていただければと存じます。
そのことをお話し申し上げまして、その後で、一つ一つの人権の問題は実はばらばらな問題ではなくて、一つの問題にみんな集約されているということについて、そこで森総理の神の国発言に触れさせていただきたいと思います。森総理の発言がけしからぬということでお話をするのではなくて、今のグローバル化の中で日本が一つにまとまっていくためにどうしたらいいか、非常に苦労なさっていらっしゃる、そういうことで申し上げたいと思います。
ただ、私がねらっておりますことは、日本だけで一つ固まっていくということはこれからとても難しい、むしろ日本人以外のいろいろな人たちがどんどん日本に入ってくる、そういうときの日本の国家理念というものをはっきり持つ必要がある。今までの国家理念というのは、日本が固まって一丸になるという国家理念だったけれども、それはもうこれからはなかなか使えないのではないか。そういう国家理念がもとになって人権法の法理念が出てきますから、そこの関係についてちょっと説明をさせていただきたいと思います。
それで、新しいグローバル化の時代の国家理念としてはどういうことが必要かということで、実は、かなり忌憚のないというか乱暴な話で、昔の話に戻りたいと思います。
つまり、聖徳太子の和の精神というものをどう解釈するかということに戻りまして、和というものを、日本人だけが集まって固まって和をとうとぶというのではなくて、日本の中にいろいろなエスニック集団がいて、その間の和をとうとぶというのが本来の聖徳太子の和であった。それが何か日本人だけで和をとうとぶという話になっちゃったところに問題があり、その問題を乗り越えようとして出てきたのが日本国憲法の前文にある平和的生存権ではないか。その生存権という言葉は使わないで、今、日本政府は国際的に非常に注目すべき理念を日本の国家の理念として売り出している。これは人間の安全保障という考え方です。
その人間の安全保障という理念は、世界の理念でもあり日本の国家の理念でもあるということができれば、日本の国家は開かれた国家になり、人種差別撤廃委員会で指摘されているような問題はかなり解消されるのではないか。そういう日本の中の人権問題を解消するためには、人間の安全保障、そして人間の安全保障の法理念として掲げている平和的生存権という、日本国憲法の前文の考え方を一つの理念としてはっきり確立することがとても大事なのではなかろうかということをお話しさせていただきたいと思います。細かい人権のそれぞれの問題よりも、そういう理念をお立ていただくということが、とりもなおさず憲法のことを考えるときに一番大事ではないかということです。
まず、国連の問題指摘、人種差別撤廃委員会では、ことしの三月八日から九日にかけて、日本の政府が、人種差別撤廃条約を締結したときに約束をしている国としての報告、ナショナルリポートを提出しました。
それに対して、人種差別撤廃委員会でいろいろな委員からいろいろな質問が出まして、それに外務省、法務省、それから文部省その他幾つかの省庁からも出席されまして、それで、委員会を構成しているのは政府の委員ではなくて人権の専門家でありますが、その専門家のいろいろな質問に答えられました。その答えたことに対して、また専門家たちの方でいろいろ話し合って、そして最終的に自分たちはこう考えるということをまとめました。それが最終所見というもので、その最終所見を日本国政府は持ち帰りまして、それでそれに対する反論もちゃんとしております。その反論で、私が納得するところもあるし納得しないところもありますが、委員の方々は余り納得していないように聞いております。
この最終所見は、次の日本国による報告、これはあと二年後に提出しなければいけないのですが、そこで、最終所見でこういうことをやってくれと言われたことをやって報告書をまとめるということになっております。
この最終所見、皆さんの手元にまだ配っていないので、非常に簡単にざっと申し上げておきます。
まず第一に、最終所見は悪いことばかり言っているのではなくて、肯定的な側面があるということで、例えば、「委員会は、アイヌ民族をその独特の文化を享受する権利を有する少数民族であると認定した最近の判決を関心をもって留意する。」というように褒めているところがあります。
その後で、「懸念事項および勧告」ということで、まずこの報告書の中でもう少しいろいろな情報を、統計的な情報も含めて、韓国・朝鮮人のマイノリティー、部落民及び沖縄人集団を含む、条約の適用対象とするすべてのマイノリティーの状況を反映した経済的及び社会的指標の情報を置いてくれということがあります。これに対して、日本国政府は、沖縄民族はマイノリティーではない、でも委員の方では、固有の文化を持ったマイノリティーではないかということを言っております。
それから、部落民については、ディセントの問題、世系あるいは門地、門地差別ということが、日本政府としては、これが人種差別撤廃条約には入っていない、要するに人種主義ではない、問題は問題かもしれないけれども、何もそれを報告することはない。委員会の方では、人種差別撤廃条約でディセント、世系というのがちゃんと入っているから、部落差別もちゃんと報告しろというようなことを要求しております。
詳しいことは後でごらんいただければと思いますけれども、部落差別の問題、それからさっき言いました沖縄人差別の問題、在日朝鮮人・韓国人差別の問題、それから例えば、もっと一般的な、日本に居住する外国籍の子供に関する初等教育及び前期中等教育の義務教育となっていないことに留意する、だから、それを受ける権利を与えなければいかぬというようなこと、あるいは在日韓国人・朝鮮人の民族学校、朝鮮学校を含むインターナショナルスクールの卒業者が日本の大学に入れない、それから、アイヌ民族の権利についてもさらに努力をすべきであるというようなことがいろいろ出ております。
それで、そのことについて考えます場合に、二つのやり方がございます。
外務省は、当然、日本で今支配的な考え方になっています解釈法学に基づいて、どこどこの問題は、例えば部落問題はこれこれの理由で法的に条約に含まれていないとか、そういう細かいことで説明をしています。
ただ、私がきょう憲法調査会の先生方に御提案させていただきたいことは、この人権法、ほかのことでもそうだと思いますけれども、特に人権法の問題は、これは単なる解釈法学では取り上げ切れない問題ではないかということを問題提起させていただきたいと思います。
私が勉強したところでは、公法学は専門ではないのですけれども、公法学の考え方の中に、これはフランスの制度学派の考え方なのですが、法律を解釈するときには、法規範がどのように形成されたかというその形成過程を大事にする。法規範が形成されるその前提には、必ず何らかの法理念がある。だから、法理念をまず明らかにして、その法理念は幾つかの政治勢力が新しく出てきて、それが新しい法理念というものを提案する、その政治的な過程のこともちゃんと研究した上で、どういう形で、どんな法理念が提案されているのかということを調べた上で、それで法規範を解釈するということを行うのがその制度学派の考え方です。
そこで考えますと、人権法の問題につきましても、解釈法学的に、この法律はこういうことでやっているんだ、アイヌ民族についてはこういうふうなことで、こういう法的なことが基本にあってこうやっているんだという話をすることはよろしいわけです。
ですけれども、私が問題提起させていただきたいのは、いろいろ人種差別撤廃委員会で問題にされたことと、それから日本の人権保障についての実績というものとの関係を私なりに乱暴に整理したいと思います。乱暴に整理しますと、日本は人権法をちゃんと確立し、またかなりその人権を守っている国の一つではないかと思います。これは先生方も皆さんそうお思いになるでしょうし、当然のことを言っているとお思いになるかもしれません。
アメリカなんかではいろいろな人種差別の血なまぐさい事例も、殺されたり、焼き殺されたりということがかなりありますが、日本ではそういうことはない。そういう意味では、かなり日本は人権の面で誇るに足る成績を持っているということをまず確認できると思います。
ただ、それは裏の面の問題がありまして、日本の人権は、平均的な日本人の人権、そして平均的な日本人の生活の安全を保障するということ、そういう枠の中で、普通でない日本人の権利をいろいろ無視する場合がかなりあるという問題があるかと思います。
国連でも問題になっていますし、日本で仕事をしているNGOのアムネスティが一生懸命言っていることでありますけれども、死刑廃止の問題があります。死刑を廃止しろという主張がなぜ国連でも多数を占めているかと申しますと、これはすべての人の権利ということを考え、死刑で死ぬ人の人権ということを特に大事にいたします。
ですけれども、日本の場合に、死刑を廃止しないという考え方は、後ほど御叱責があれば甘受いたしますが、死刑廃止をなぜしないかというと、死刑を廃止したら、まともな普通の日本国民が、殺人とかいろいろ悪いことをしている例外的な日本人の犠牲になるではないか、だから、社会の秩序、社会の和、そういう治安の方が大事で、そのためには悪いことをしている非常に数の少ない人たちの人権というか、生命を絶つということもいいであろう、そういう判断ではないかと思います。
ですから、マイノリティーの問題だけではなくて、例外的な人たちの問題ということは案外、要するに、大の虫のために小の虫を殺すというようなところがあるのではないかと思います。
そこのところで、先ほど申しました人種差別撤廃委員会では、日本人以外の人たち、在日コリアン、在日朝鮮人・韓国人、あるいはニューカマーと呼ぶ場合もありますけれども、そのほかの日本に居住する外国籍の移住してきたいろいろな国の人々、あるいはその人々の中でも、子供たちの権利がうまく守られていないということを指摘しております。
この問題は、先ほどちょっと申しましたように、グローバル化が進みますと、どうしてもたくさんの日本人でない人たちが日本に入ってまいります。そこで、日本に入ってまいりますと、その人たちとどう仲よくするかという和の問題は、日本人だけの和の問題ではなくて、日本人でない人たちとどううまくすみ分けていくか、うまく共存共生していくのかという問題がかなり大事になります。
そういうことで、また乱暴なことを申しますが、ある私の友人は、二十一、二世紀は大丈夫だけれども、二十三世紀ぐらいになったら大和民族は日本列島での少数民族になってしまうおそれだってあるかもしれない。それだけ少子化の問題だとかいろいろなことが出てきているので、いつまでも日本人が日本列島に住む唯一の民族、単一国家を形成している単一言語の単一民族である、そういうことはこれからなかなかそのままやっていくことはできないのではないかということがあります。
ですから、これは人権保障の問題をもう少し広い社会の変化、グローバル化の中で取り上げて考える必要が出てくるということを指摘させていただきたいと思います。そういうことが、国際化とか国際国家日本をどうつくるか、そういう問題になるかと思います。
そこで、先ほど予告をしましたように、多少先生方に失礼なことを申させていただくことをお許しください。きょうお話をするつもりはございませんでしたが、ここに中曽根先生もいらっしゃいまして、中曽根先生は私は昔から非常に尊敬申し上げておりまして、随分昔、六五年ごろに、研究会でドゴールの外交の話をさせていただいたこともございます。
ただ、中曽根先生もやはり失言を昔されたことがございまして、日本みたいにアメリカがなかなか経済が伸びないのは、もしかしたら不正確な引用になって申しわけございませんが、アメリカの場合には、アングロ・サクソンだけが住んでいればいい国になるのに、教育のない、あるいは麻薬をやる、そういうアフリカ系の人たちとかいろいろなマイノリティーがいるから大変なんだ、日本はそれがないから、これだけ頑張ってこれだけいい国になったという御発言を前になさったことがありまして、これは人権保障の立場からするとかなり問題があるということがございます。その流れで、最近問題になりましたのが森総理の神の国発言でございました。
私がこれからお話し申し上げたいのは、それがいけないんだということを申し上げたいわけではありません。人権法の立場、法理念の立場からすると、これはとても困る考え方だということになります。なぜ困るかというと、これはゼノフォビアという、外国人嫌いあるいは自国中心主義の考え方ということになります。
それで、この八月から九月にかけて南アフリカのダーバンで国連が開きました反人種主義の会議は、人種主義に反対をし、人種差別に反対をし、それからゼノフォビアに反対をする、自国中心主義に反対をするということが一つちゃんと入っております。
実は、日本中心主義というものがやはり神の国という考え方の基礎にあるということは、かなり私には明らかでございます。違うということがありましたら後で教えていただければ、そのことは勉強させていただきたいと思います。
しかし、私が申し上げたいのは、ゼノフォビアがけしからぬということを言おうとしているんじゃなくて、実は、日本中心主義、ゼノフォビアというものは、それがなかったら日本は国家として成り立たなかった、そういう歴史を日本が持っているということは、やはり研究者として確認をしたいと思います。
つまり、明治の開国以来、日本が近代国家の仲間入りをしたときには四面楚歌で、要するに、先進工業諸国は北からも南からも東からも西からも日本に対して圧力をかけて、そういう植民地化の波が押し寄せてきていた。そこのところで日本民族が一丸となって、そして国家を形成する。それこそ、先ほど申しました和をもってとうとしとなす。それまで藩に分かれて争っていた日本が一つの国にまとまったということは、それがなかったら日本は独立国家として成り立たなかったということがあります。
そういうことで、それ以来、日本の公教育、教育も、そういう国民を育てるということに一生懸命になりました。その結果、周りの国に対して迷惑をかけるような侵略をしたということも、実はそういう、日本を打って一丸とするということのとても残念な結果としてそういうことも出てきました。
しかし、それを乗り越えて、第二次大戦後の日本が独立を回復して、そしてこれだけ平和な国になった。今いろいろ問題はありますけれども、しかしそれでも、昔に比べれば非常に豊かな国になったということは確認しなければいけないと思います。
そして、その場合に、世界の中でも貧富の格差が最も少ない国の一つに日本はなっているということは、やはり日本が神の国であるおかげだというふうに考えることは無理もないことかと思います。ちょっと皮肉なことを申し上げて申しわけないのですが、要するに、日本が、一緒に日本人としてみんなで固まるということができるような、そういうイデオロギーがちゃんと天皇のもとで行われてきました。
そして、そのイデオロギーを支えるものとして部落差別というものがうまく使われてきたという側面も同時に申し上げる必要があるかと思います。つまり、すべての日本人は、部落差別があるおかげで、一番下積みではないという安心感を持つことができます。そういうことで、部落差別というものは悪いと思いますが、しかし、日本国家をまとめるためには、そういう差別を一つ下敷きにして、そして普通の日本人はみんな中産階級であるということで安心できる、そういうイデオロギー的な基礎が実はあったということが、私は一つの大きな問題だと思います。
ですから、日本中心主義といっても、日本の中でもだれかを差別しておかないとみんなは安心できない。これは、小学校でやっているいじめの構造とまさに同じで、だれかいじめられるような子がいてくれるから、いじめる側のクラスがまとまる、そういうことが実はいじめの構造のもとにある。部落差別の構造のもとも同じことではないかと思います。ですから、神の国ということで、みんなが神様の子供になればいいんですが、必ずしもそうでないというところもあるかと思います。
ということで、和をもってとうとしとなすということで、日本人が一丸となって、部落以外の日本人が一緒になって一生懸命日本をつくった。これはとてもよかったんですけれども、それが成功したおかげで、例えば、いろいろな国の不法入国労働者がたくさん出てくるという問題が出てまいりました。そして、このことに非常に心配をされました石原東京都知事が三国人発言をなさいまして、三国人が災害のときに蜂起するおそれがあるから、それを鎮圧するために自衛隊が常日ごろから準備をする必要があるということを御指摘になりました。
これは、日本国民の安全を守るという配慮から、日本人以外を警戒して、そしてやっつける必要がある、そういう考え方です。日本がグローバル化してきますとどうしても外国人が入ってきて、その外国人が悪いことをするという、実は悪いことをするのは普通の外国人じゃなくて、国際犯罪組織がやっているんですけれども、それも外国人ですから、その問題がクローズアップされる。そうなりますと、グローバル化が進めば進むほど、どうしても、外国人、あるいは外国から昔入ってきた三国人、あえて差別語を使いますが、在日朝鮮人・韓国人が警戒の相手になる。そういう形で、日本人だけの和を固めようという動きがかなり出てきているのではないかと思います。
そして、森総理は、非常に熱心にIT、情報技術の問題を進められ、例えばインドからもITの専門家を呼びたいという努力をしておられました。このことは、要するに、都合のいい外国人は入れる、だけれども、日本の神の国としての結束は破らないような形で入れるんだ、そういう形のグローバル化を期待しておられましたが、実際には、そうではないグローバル化が今進んできているのではないかと思います。これが、東京の新宿歌舞伎町の問題がまさにそういうことです。
実は、その問題を解決するために、多文化探検隊というNGOが歌舞伎町で防災訓練をやりました。歌舞伎町でやった防災訓練というのは、戦車を繰り出しての防災訓練ではなくて、むしろ、そこに奴隷働きをしているいろいろな国からのセックスワーカーがいます、タイとかビルマとかコロンビアとかポーランドとか。その人たちが、震災のときに、日本語がわからないと情報が伝わらないということで、どういうふうにしてその情報を伝えるかという訓練をして、タイ語ができる人とかいろいろな人を集めて、タイ人の多いところにはタイ語ができる人をつけるとか、そういう訓練をしました。
この二つの例は、実は、和をもってとうとしとなすということの二つの考え方のあらわれ、両方とも和をもってとうとしとなす考えです。けれども、石原都知事がやったのは、和をもってとうとしとし、日本人の安全を守る。多文化探検隊は、日本というのは、単一文化だと言っているけれども、実はいろいろな文化がある、それが一番典型的にすばらしい多文化の基地になっているのが歌舞伎町である、そこで、その多文化を大事にし、入ってきている人たちの生命を大事にしよう、そういうこと。これは、まさに和をもってとうとしとなす。つまり、和の中に日本人だけではなくて、そこに入ってきている、あるいは人身売買で連れてこられたタイの人とかフィリピンの女性とか、いろいろな国の人たちも入れて、そしてみんなで和をとうとぶ、そういうことではないかと思います。
実を申しますと、その意味で、この和をもってとうとしとなすということが二つの解釈がどうもあって、日本人だけでとうとぶ場合には、国連で非難されるような、マイノリティーに対する配慮が足りないという形で、和が日本の国家理念、日本の法理念としてマイナスに働く。ところが、グローバル化したところではそれでは困るので、やはり和というものは、日本人だけの和ではなくて、日本国籍を持っていない人たち、あるいは日本国籍を持っても大和民族でない人たちも含めての和ということを考える必要があるのではないかと思います。
実はそこで、平和のうちに生存する権利ということが出てまいります。
日本国憲法の前文でこの平和的生存権が出ているんですけれども、私なりの勝手な解釈をさせていただきたいと思いますけれども、日本は「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」名誉ある地位を占めたいということのその次に、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」だから、平和に生存するのは、全世界の国民、いろいろな国民がみんな平和のうちに生存する権利を持っている。それは、日本が国際社会において名誉ある地位を得るということと関係がある。
つまり、日本だけが単一国家の平和主義とかそういうものでは全くなくて、平和というものは全世界のいろいろな国民が一緒に楽しむことにしなければいけないのだということで、ある意味では、和という考え方は、私は今西錦司先生のすみ分けという考え方とつながると思うんですが、それを世界的に押し広げようとしている。
これを今の日本政府は、人間安全保障という名前で、一つの平和の理念として人間の安全保障ということを国際的に主張しておられる。それを国際的に主張するのなら日本の中でも主張すべきで、日本の中の人間の安全を保障するというときには、東京都民の安全も保障しなければいけないけれども、同時に、日本にあるいは東京に人身売買で連れてこられたタイの女性の安全も保障しないといけない。両方、共通の安全であるということを確認することが、和をもってとうとしとなすという聖徳太子の言われたことだったと思います。
聖徳太子が言われた和というのは、当時は日本の中でいろいろな氏族が戦い、その氏族の中には、大和系の氏族もいれば、朝鮮系の氏族もいれば、中国系の氏族もいれば、蝦夷もいればあるいは隼人もいれば、いろいろな氏族がある。その間の平和共存ということ、平和に一緒に生きるということを和として教えられたので、江戸時代以来のように一つの国がみんな同じだから、均質だから和というのではない、むしろ異質だから和というものをとうとしとなすということだと思います。
これを考えていただければ、人権保障を考えるときにも、日本の平均的な日本人だけではなく、ほかの国の人たちも、それから日本人の中で、殺人をしたり特別な境遇の人たちも同じ人間であるということでとうとぶ。それは別に人権という形ではなくて、和という日本の伝統的な価値をもとにした国家理念がもしもそこにあれば、人権を守るということを日本側の方から言うことができます。
最後にもう一つだけつけ加えさせていただきたいと思いますけれども、実は、一九九八年に日本の隣の韓国のクァンジュ、光州で、一つの人権の集まりがありまして、そこでアジア人権憲章というものが発表されました。これは、アジアのいろいろな国、南アジア、東アジア、東南アジア、太平洋、いろいろなところの人権の運動家、専門家、研究者あるいは弁護士、そういう人たちが何回も集まって、ですから民間の人権憲章ですけれども、それをまとめました。
そこのところで、この一番中心にあるのは、西欧的な人権の、例えば社会、経済、文化権と政治権、市民的自由、そういう区別ではなくて、むしろ生命から始まっています。生命の権利、次に平和の権利として、あらゆる人は、いかなる種類の暴力の標的になることもなく、肉体的、知的、道義的及び精神的能力を含むすべての能力を完全に発展させることができるよう、平和に生きる権利を有するということで、平和的生存権をアジアの一つの価値として、一番中心が生命、生命の次が平和に生きるという形で取り上げています。
その意味で、もしも日本が、日本国憲法のこの価値を人間の安全保障ということで確立すれば、これは国家理念としても、あるいは人権保障のための法理念としてもとても大事だし、単に外から押しつけられたものとか舶来の人権とかということでは全くない、日本の、つまり和をもってとうとしとなすということを中心とする人権保障ができるし、すべきではないかということを提案させていただきまして、私の参考人としての問題提起を終わらせていただきます。
どうも御清聴ありがとうございました。拍手
中
中
森
森岡正宏#9
○森岡委員 武者小路先生、いろいろな御示唆に富んだお話をいただきまして、ありがとうございます。私も大変参考にさせていただきたいお話でございましたけれども、先生と考えを異にする面も幾つかあるなと思いながら聞かせていただいたわけでございました。
まず、武者小路先生が先ほどおっしゃいましたように、ことしの夏に南アフリカ共和国のダーバンで開かれました人種主義に反対する世界会議に、日本政府の一員として、またNGOの代表として参加されたと聞いております。
この会議のスローガンは、「ユナイテッド ツー コンバット レイシズム イコーリティー、ジャスティス、ディグニティー」「人種主義と闘うために団結しよう 平等、正義、尊厳」ということだったと伺っております。
このときに、アフリカや中南米諸国から、私たちの国は過去において欧米先進国の植民地だったんだ、そして搾取されて、奴隷となって大変な迫害を受けてきた、だから貧しくなったんだ、したがって途上国が先進国から援助をもらうのは当たり前なんだ、先進国は援助する義務を負っているんだ、そういうお話があったということも聞きましたし、中東におけるアメリカやイスラエルの姿勢にアラブ諸国が不満をぶちまけられたということも聞きました。会議の途中で米国とイスラエルの代表団が引き揚げる事態になったということなども聞きましたけれども、そういうことで、その宣言文の取りまとめに先生も御苦労されたと伺っております。
私たちの国を考えましたときに、我が国は、世界で一番の経済援助をしている国でございます。途上国から、当然の義務だ、こう言われますと、日本のタックスペイヤーは納得できないんじゃないかなというふうに思うわけでございまして、人権問題と南北問題をごちゃまぜにしてしまうのは不毛の議論だと私は思います。
武者小路先生はこの点どんなふうに思われますでしょうか。日本のODAのあり方も含めて、簡潔にお答えをいただきたいと思います。
この発言だけを見る →まず、武者小路先生が先ほどおっしゃいましたように、ことしの夏に南アフリカ共和国のダーバンで開かれました人種主義に反対する世界会議に、日本政府の一員として、またNGOの代表として参加されたと聞いております。
この会議のスローガンは、「ユナイテッド ツー コンバット レイシズム イコーリティー、ジャスティス、ディグニティー」「人種主義と闘うために団結しよう 平等、正義、尊厳」ということだったと伺っております。
このときに、アフリカや中南米諸国から、私たちの国は過去において欧米先進国の植民地だったんだ、そして搾取されて、奴隷となって大変な迫害を受けてきた、だから貧しくなったんだ、したがって途上国が先進国から援助をもらうのは当たり前なんだ、先進国は援助する義務を負っているんだ、そういうお話があったということも聞きましたし、中東におけるアメリカやイスラエルの姿勢にアラブ諸国が不満をぶちまけられたということも聞きました。会議の途中で米国とイスラエルの代表団が引き揚げる事態になったということなども聞きましたけれども、そういうことで、その宣言文の取りまとめに先生も御苦労されたと伺っております。
私たちの国を考えましたときに、我が国は、世界で一番の経済援助をしている国でございます。途上国から、当然の義務だ、こう言われますと、日本のタックスペイヤーは納得できないんじゃないかなというふうに思うわけでございまして、人権問題と南北問題をごちゃまぜにしてしまうのは不毛の議論だと私は思います。
武者小路先生はこの点どんなふうに思われますでしょうか。日本のODAのあり方も含めて、簡潔にお答えをいただきたいと思います。
武
武者小路公秀#10
○武者小路参考人 とても大切な御質問で、私なりにお答えさせていただきたいと思います。
このダーバンの会議には、日本国を代表して外務省の丸谷政務官が御出席になり、それで発言をされました。その御発言については、幾つかNGOで不満なところもございましたが、しかし、非常に立派な発言で、その趣旨の一番中心にありましたのが、先ほど申しました人間の安全保障ということでございました。人間の安全を保障するために日本はあらゆる努力をするし、ほかの国にも努力するように呼びかける、そして、人間の安全を保障するということは、その人間の中でも一番安全が脅かされているマイノリティーとか、ダーバンで問題になっている人々の安全を守るということが一番大事なんだという御発言がございました。その御発言、まさにこれは一つの国家理念というふうに受けとめることができると私は思います。
その場合、日本のODAも、ODAというのは、何か当然の義務ということではなくて、しかし当然の、国家理念から流れ出てくる行為である。つまり、和をもってとうとしとするということで、違った国で、違った境遇の中で暮らしている、そして非常に難儀をしている人たちが安心して暮らせるようにする、そのために欠乏と恐怖を免れるように努力をするということは、これは日本の国家の理念としてとても立派なものではないかと思います。
しかし、この国家理念は、実は日本が苦労してきたことと関係がある。つまり、日本も植民地支配の対象になりかけて、ならないために一生懸命日本人だけで固まった、そして一生懸命固まって日本も周りの国を植民地化してしまった、そういう悲しい現実があるわけです。
日本だけが植民地支配をしたんじゃなくて、日本が植民地支配の対象になりそうになったことに対する反応としてそういうことになってしまったというその歴史の流れの中で、日本は被害者でもあり加害者でもある。ある意味では、人種差別というものを国際社会で初めて問題にしたのは、国際連盟で日本が人種主義の問題を最初に出した、それだけ日本も人種主義の対象として苦労したことがあるわけです。
ですから日本は、もらったり上げたり、歴史の中で起こった植民地支配の問題を清算するために補償を必要とするということは、私はとても大事だと思います。それはしかし、当然の義務ということではなくて、和をもってとうとしとし、そういう和によってつなげられるような世界をつくっていく、そのために金持ちが金を出す、そういうことではないかと思います。
補償というのは、ただ金の問題ではなくて、昔の歴史が悪かったということ、それを正直に認めることで前に進むということであって、別にただ悪かったというだけのことではない。しかも、この場合には、実は日本よりもはるかに悪い国々がたくさんあるということがある中で日本の補償ということも出るわけで、それで初めてバランスのとれた歴史を理解して、一歩前進する。そして、みんながお互いに諸国民の間の平和に生きる権利を認め合う、そういう和の世界をつくっていく、これが日本の国家の理念であるということができれば、日本はすばらしい国になるわけです。
ただ日本のための平和だけを守るとか、憲法の制約で日本はこれができないとか、そういう形の問題では全くなくて、世界を平和にしていく、そういう問題が日本の国家理念、課せられている問題ではないかと思います。
この発言だけを見る →このダーバンの会議には、日本国を代表して外務省の丸谷政務官が御出席になり、それで発言をされました。その御発言については、幾つかNGOで不満なところもございましたが、しかし、非常に立派な発言で、その趣旨の一番中心にありましたのが、先ほど申しました人間の安全保障ということでございました。人間の安全を保障するために日本はあらゆる努力をするし、ほかの国にも努力するように呼びかける、そして、人間の安全を保障するということは、その人間の中でも一番安全が脅かされているマイノリティーとか、ダーバンで問題になっている人々の安全を守るということが一番大事なんだという御発言がございました。その御発言、まさにこれは一つの国家理念というふうに受けとめることができると私は思います。
その場合、日本のODAも、ODAというのは、何か当然の義務ということではなくて、しかし当然の、国家理念から流れ出てくる行為である。つまり、和をもってとうとしとするということで、違った国で、違った境遇の中で暮らしている、そして非常に難儀をしている人たちが安心して暮らせるようにする、そのために欠乏と恐怖を免れるように努力をするということは、これは日本の国家の理念としてとても立派なものではないかと思います。
しかし、この国家理念は、実は日本が苦労してきたことと関係がある。つまり、日本も植民地支配の対象になりかけて、ならないために一生懸命日本人だけで固まった、そして一生懸命固まって日本も周りの国を植民地化してしまった、そういう悲しい現実があるわけです。
日本だけが植民地支配をしたんじゃなくて、日本が植民地支配の対象になりそうになったことに対する反応としてそういうことになってしまったというその歴史の流れの中で、日本は被害者でもあり加害者でもある。ある意味では、人種差別というものを国際社会で初めて問題にしたのは、国際連盟で日本が人種主義の問題を最初に出した、それだけ日本も人種主義の対象として苦労したことがあるわけです。
ですから日本は、もらったり上げたり、歴史の中で起こった植民地支配の問題を清算するために補償を必要とするということは、私はとても大事だと思います。それはしかし、当然の義務ということではなくて、和をもってとうとしとし、そういう和によってつなげられるような世界をつくっていく、そのために金持ちが金を出す、そういうことではないかと思います。
補償というのは、ただ金の問題ではなくて、昔の歴史が悪かったということ、それを正直に認めることで前に進むということであって、別にただ悪かったというだけのことではない。しかも、この場合には、実は日本よりもはるかに悪い国々がたくさんあるということがある中で日本の補償ということも出るわけで、それで初めてバランスのとれた歴史を理解して、一歩前進する。そして、みんながお互いに諸国民の間の平和に生きる権利を認め合う、そういう和の世界をつくっていく、これが日本の国家の理念であるということができれば、日本はすばらしい国になるわけです。
ただ日本のための平和だけを守るとか、憲法の制約で日本はこれができないとか、そういう形の問題では全くなくて、世界を平和にしていく、そういう問題が日本の国家理念、課せられている問題ではないかと思います。
中
森
森岡正宏#12
○森岡委員 人種差別撤廃委員会の最終見解について先ほど先生はお述べになりました。先生がおっしゃっているように、世界じゅうの人たちと和をもってとうとしとなす、大変いい言葉だと思いますし、私も、世界じゅうの人たちと仲よくしていかなければならない、日本もそういう立場で国際社会で活動していかなければならない、当然のことだと思います。
ところが、日本政府の反論を読んでみますと、ほとんど見解を異にしているように思います。その根底に、武者小路先生がおっしゃるように、自国中心主義があるという御指摘でございますけれども、我が国が国益を優先させながらODAなどの外交政策を考えていく、また外国人労働者の受け入れについても、日本人労働者の職域を確保するということを頭に置きながら入管行政が行われている、当然のことではないかなと思いますし、世界じゅうを見まして、自国中心主義をとっていない国などないのではないかなというふうにも思うわけでございます。この点をどんなふうに先生はお考えでございましょうか。
この発言だけを見る →ところが、日本政府の反論を読んでみますと、ほとんど見解を異にしているように思います。その根底に、武者小路先生がおっしゃるように、自国中心主義があるという御指摘でございますけれども、我が国が国益を優先させながらODAなどの外交政策を考えていく、また外国人労働者の受け入れについても、日本人労働者の職域を確保するということを頭に置きながら入管行政が行われている、当然のことではないかなと思いますし、世界じゅうを見まして、自国中心主義をとっていない国などないのではないかなというふうにも思うわけでございます。この点をどんなふうに先生はお考えでございましょうか。
武
武者小路公秀#13
○武者小路参考人 おっしゃるとおり、すべての国は自己中心的なところがございます。ですから、日本だけが悪いということは全くございません。ただ、すべての国は、それぞれの歴史的な事情の中で、やはり自国中心主義を乗り越える必要があると思います。
御指摘のように、日本人の労働者の生活を脅かされないようにすることがとても大事だと思います。しかし、その場合に、どこから脅威が来るかと申しますと、これはいわゆる不法入国労働者が脅威をもたらしているのではなくて、むしろほかの先進国の、特にアメリカの企業が、グローバル化の中で日本の小さな中小工業と競争して入ってくる、そういうことで日本の中小企業がつぶれ、そして労働者が失職する。失職するのは、別にほかの国から移住労働者が来るからではない。グローバル経済の中で先進国の大企業がどんどん入ってくる、その対策をとることが、これは日本にとっても大事だし、それから日本に労働者を送り出す国々が送り出さなくなるようにするためにも、そういうグローバル経済を秩序あるものに変えていくということが一番大事であろうかと思います。
この発言だけを見る →御指摘のように、日本人の労働者の生活を脅かされないようにすることがとても大事だと思います。しかし、その場合に、どこから脅威が来るかと申しますと、これはいわゆる不法入国労働者が脅威をもたらしているのではなくて、むしろほかの先進国の、特にアメリカの企業が、グローバル化の中で日本の小さな中小工業と競争して入ってくる、そういうことで日本の中小企業がつぶれ、そして労働者が失職する。失職するのは、別にほかの国から移住労働者が来るからではない。グローバル経済の中で先進国の大企業がどんどん入ってくる、その対策をとることが、これは日本にとっても大事だし、それから日本に労働者を送り出す国々が送り出さなくなるようにするためにも、そういうグローバル経済を秩序あるものに変えていくということが一番大事であろうかと思います。
森
森岡正宏#14
○森岡委員 先ほど、先生は部落差別の問題を取り上げられました。私の選挙区は奈良でございますが、私の選挙区でも、部落問題、同和対策、これは大変重要な政治課題でございます。
先生は先ほど、部落差別があるおかげで、この戦後の日本は、一番下でいないという中産階級をたくさんつくることによって日本国家をまとめることができたんだというような御発言で、何か部落差別があったおかげで日本がよくなってきたんだみたいな、そういう御発言でございました。しかし、戦後の日本が、同和対策特別措置法などによりまして、私が調べただけでも、昭和四十四年度から平成十三年度までに国費だけでも四兆三千億円が投じられておりますし、また県市町村分を加えますと、二十兆円近いお金を同和対策に充て、そして、かつてあったような貧富の差からくる部落差別というものはほとんどなくなってきた。私たち日本国民全体が一生懸命部落差別をなくそうとして努力をしてきた。そして、同和教育というものも行われておりますし、経済的には随分よくなったんじゃないか。
むしろ私たちは、部落差別といいますと、経済的な問題じゃなしに、結婚とか就職についてまだ差別がある、これをどのように克服していくのかということが課題だ、私たちはそのことに一生懸命これからも取り組んでいかなければならないんだ、そんなふうに思っておりますし、武者小路先生の御認識と私は随分違うように思うわけでございますが、このことについて一言触れていただければありがたいと思います。
この発言だけを見る →先生は先ほど、部落差別があるおかげで、この戦後の日本は、一番下でいないという中産階級をたくさんつくることによって日本国家をまとめることができたんだというような御発言で、何か部落差別があったおかげで日本がよくなってきたんだみたいな、そういう御発言でございました。しかし、戦後の日本が、同和対策特別措置法などによりまして、私が調べただけでも、昭和四十四年度から平成十三年度までに国費だけでも四兆三千億円が投じられておりますし、また県市町村分を加えますと、二十兆円近いお金を同和対策に充て、そして、かつてあったような貧富の差からくる部落差別というものはほとんどなくなってきた。私たち日本国民全体が一生懸命部落差別をなくそうとして努力をしてきた。そして、同和教育というものも行われておりますし、経済的には随分よくなったんじゃないか。
むしろ私たちは、部落差別といいますと、経済的な問題じゃなしに、結婚とか就職についてまだ差別がある、これをどのように克服していくのかということが課題だ、私たちはそのことに一生懸命これからも取り組んでいかなければならないんだ、そんなふうに思っておりますし、武者小路先生の御認識と私は随分違うように思うわけでございますが、このことについて一言触れていただければありがたいと思います。
武
武者小路公秀#15
○武者小路参考人 意見はそれほど違わない、私の表現の仕方がまずいということかと思います。
私が、和が大事だということを申し上げましたが、まさに第二次大戦後の日本は、和をとうとしとしまして、そして同和対策というのは、まさに同和という、和をもってその中に部落民を入れよう、溶け込ませようという努力をしてきました。これは、日本の政府そして地方自治体も非常に努力をした。これはやはり和の精神、人間安全保障の精神というものが生きた一つの例で、私は、とてもそれはいいことだと高く評価しております。しかし、グローバル化でそれが続けられるかどうか、いろいろ難しくなっているということもあるかと思います。
ただ、私が申し上げましたことは、むしろ今御指摘のように、いまだに結婚差別とか就職差別とか、そういうことで自殺する男女がいたりする。これは、日本人が均質であるということを本当に部落民も含めて言っていればそうならない。別の人たちがいるということが江戸時代から明治時代、それから今日までずっと続いている。
これは、なくそうと政府がしている、国家がしていることは認めますが、なかなかなくならないのは、やはりそれが日本の近代化の礎になってしまった。そのおかげでというのではなくて、そういうことが、同和で、本当の日本人全体の和をつくる、それが今かなり前進しているということではないかと思います。
この発言だけを見る →私が、和が大事だということを申し上げましたが、まさに第二次大戦後の日本は、和をとうとしとしまして、そして同和対策というのは、まさに同和という、和をもってその中に部落民を入れよう、溶け込ませようという努力をしてきました。これは、日本の政府そして地方自治体も非常に努力をした。これはやはり和の精神、人間安全保障の精神というものが生きた一つの例で、私は、とてもそれはいいことだと高く評価しております。しかし、グローバル化でそれが続けられるかどうか、いろいろ難しくなっているということもあるかと思います。
ただ、私が申し上げましたことは、むしろ今御指摘のように、いまだに結婚差別とか就職差別とか、そういうことで自殺する男女がいたりする。これは、日本人が均質であるということを本当に部落民も含めて言っていればそうならない。別の人たちがいるということが江戸時代から明治時代、それから今日までずっと続いている。
これは、なくそうと政府がしている、国家がしていることは認めますが、なかなかなくならないのは、やはりそれが日本の近代化の礎になってしまった。そのおかげでというのではなくて、そういうことが、同和で、本当の日本人全体の和をつくる、それが今かなり前進しているということではないかと思います。
森
森岡正宏#16
○森岡委員 敗戦後、日本国憲法が占領軍から与えられまして、かつての日本にはなかったアメリカ型の民主主義が入ってまいりました。先生のお話を頭に入れながら、戦後の半世紀を憲法とともにちょっと振り返りたいわけでございますが、基本的人権とか平和主義とか主権在民などの思想が定着して、日本はこの五十年余りの間に世界レベルではかなりいい社会になってきたと思います。先生がおっしゃるように、人権を守り、人権では世界的に見ると誇るに足る実績を持っておるように私も思います。
しかし一方で、規範意識が低下し、善悪の価値基準というものがなくなって、何もかも経済で片づけよう、損得で価値判断をしようというような風潮がはびこっておりますし、個人主義が行き過ぎて利己主義が非常にはびこっておる。義務を果たすことなく、権利意識ばかりというようなところがあらゆるところで顔を出しておるように思います。
教育の現場そして青少年の犯罪、マスメディアのあり方、そういうところを見ておりますと、その風潮が著しく思いますし、日本人はこの半世紀の間に精神的なバックボーンを失ってしまったのではないか、私はそんなふうに思っておるのですが、先生は日本国憲法との関係でこういう風潮をどう総括されますでしょうか。一言でお願いいたします。
この発言だけを見る →しかし一方で、規範意識が低下し、善悪の価値基準というものがなくなって、何もかも経済で片づけよう、損得で価値判断をしようというような風潮がはびこっておりますし、個人主義が行き過ぎて利己主義が非常にはびこっておる。義務を果たすことなく、権利意識ばかりというようなところがあらゆるところで顔を出しておるように思います。
教育の現場そして青少年の犯罪、マスメディアのあり方、そういうところを見ておりますと、その風潮が著しく思いますし、日本人はこの半世紀の間に精神的なバックボーンを失ってしまったのではないか、私はそんなふうに思っておるのですが、先生は日本国憲法との関係でこういう風潮をどう総括されますでしょうか。一言でお願いいたします。
武
武者小路公秀#17
○武者小路参考人 おっしゃるように、日本人は今精神的バックボーンをもう一回立て直すべき時期に来ていると私も思います。
しかし、さっき申しましたように、それは昔のバックボーンそのままで、このグローバル化の中で日本人だけで固まるというバックボーンではなくて、お互いの安全を認め合う。だから、個人主義という形の人権思想ではなくて、和をとうとぶ。つまり、違う考え方、違う人種、違う民族、違う働きをしている、それをお互いに認め合って、それで和をもってとうとしとなすという多元的な和、すみ分けの和、共生の和、そういう新しい精神的なバックボーンを持たないと、このグローバル化の中ではとても金の力には勝てないということではないかと思います。
この発言だけを見る →しかし、さっき申しましたように、それは昔のバックボーンそのままで、このグローバル化の中で日本人だけで固まるというバックボーンではなくて、お互いの安全を認め合う。だから、個人主義という形の人権思想ではなくて、和をとうとぶ。つまり、違う考え方、違う人種、違う民族、違う働きをしている、それをお互いに認め合って、それで和をもってとうとしとなすという多元的な和、すみ分けの和、共生の和、そういう新しい精神的なバックボーンを持たないと、このグローバル化の中ではとても金の力には勝てないということではないかと思います。
森
森岡正宏#18
○森岡委員 ちょっと安全保障の問題に触れさせていただきたいと思います。
日本国憲法は、制定当時、国連常備軍があることを想定して、国連による強制担保措置が確保されていることを前提にできたものだと思われます。しかし、現実は全く違っておりました。今、我が国の安全保障を考えたときに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と前文に書かれておりますけれども、そんなのんきなことを言っていられる状況じゃありませんし、国連中心主義に頼ることも私は危険だと思います。憲法第九条の理念を世界に呼びかけ、平和憲法を守れと言う人たちもいらっしゃいますけれども、隣の中国は原子爆弾を持っておる、また日本全土を中距離ミサイルの射程内に置いて毎年二けた台の軍事増強を続けておりますし、朝鮮半島も不安定な状況にございます。
我が国は、戦後、独立を回復すると同時に、アメリカと同盟条約を結んでその核の傘に入っておりましたし、自衛隊があればこそ、おかげで今日、半世紀の間日本は戦争に巻き込まれなくてこられたと私は思っております。しかし、憲法第九条をめぐって相変わらず神学論争が繰り広げられてきたことも事実でございます。
私は、時の総理大臣によって憲法解釈が変わる、また学者によって全く違った見解を述べられる、こんな条文はそのままにしておくことはおかしいと思います。先生はこのことについてどうお考えでしょうか、一言でお願いいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法は、制定当時、国連常備軍があることを想定して、国連による強制担保措置が確保されていることを前提にできたものだと思われます。しかし、現実は全く違っておりました。今、我が国の安全保障を考えたときに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と前文に書かれておりますけれども、そんなのんきなことを言っていられる状況じゃありませんし、国連中心主義に頼ることも私は危険だと思います。憲法第九条の理念を世界に呼びかけ、平和憲法を守れと言う人たちもいらっしゃいますけれども、隣の中国は原子爆弾を持っておる、また日本全土を中距離ミサイルの射程内に置いて毎年二けた台の軍事増強を続けておりますし、朝鮮半島も不安定な状況にございます。
我が国は、戦後、独立を回復すると同時に、アメリカと同盟条約を結んでその核の傘に入っておりましたし、自衛隊があればこそ、おかげで今日、半世紀の間日本は戦争に巻き込まれなくてこられたと私は思っております。しかし、憲法第九条をめぐって相変わらず神学論争が繰り広げられてきたことも事実でございます。
私は、時の総理大臣によって憲法解釈が変わる、また学者によって全く違った見解を述べられる、こんな条文はそのままにしておくことはおかしいと思います。先生はこのことについてどうお考えでしょうか、一言でお願いいたします。
武
武者小路公秀#19
○武者小路参考人 その点は、残念ながら先生と全く見解を異にしております。
私は、日本国憲法は日本だけが守るということは全くおかしい。むしろ、その主張をもとにして、国連を改革し、アメリカが一極支配的な形で安全保障をやってきている、その安全保障が非常に危険な状況にありますから、それをつくりかえるために積極的に日本が、アメリカ中心でない、地域の安全を守るための地域的な取り決めとかいろいろな措置を組み合わせる。
その出発点として、長期的な目標として、さっき申しました平和的生存権の実現の一つの手段として軍備を撤廃する、そういうことを日本だけがやるのではなくて、世界にやらせる。やらせるための一つの手段を持ち、そして日本が率先して、アメリカ中心の安全保障とは全く違った、軍事的な問題も含めて本当に人間を大事にする人間安全保障の新しい考え方を打ち出すべきだと思います。
この発言だけを見る →私は、日本国憲法は日本だけが守るということは全くおかしい。むしろ、その主張をもとにして、国連を改革し、アメリカが一極支配的な形で安全保障をやってきている、その安全保障が非常に危険な状況にありますから、それをつくりかえるために積極的に日本が、アメリカ中心でない、地域の安全を守るための地域的な取り決めとかいろいろな措置を組み合わせる。
その出発点として、長期的な目標として、さっき申しました平和的生存権の実現の一つの手段として軍備を撤廃する、そういうことを日本だけがやるのではなくて、世界にやらせる。やらせるための一つの手段を持ち、そして日本が率先して、アメリカ中心の安全保障とは全く違った、軍事的な問題も含めて本当に人間を大事にする人間安全保障の新しい考え方を打ち出すべきだと思います。
森
森岡正宏#20
○森岡委員 先ほど先生がおっしゃったように、ヒューマンセキュリティー、人間の安全保障という概念が、一九九八年十二月に小渕総理大臣の政策演説で日本外交の中に明確に位置づけられまして、我が国はこの分野で世界の牽引役を務めてまいりました。
この人間の安全保障という概念は、先ほどから先生お述べになっておりますけれども、今の日本国憲法にはない、はるかに超える大きなものだと思います。先生は、今の日本国憲法との関係から見まして、どのように位置づけたらいいとお考えでしょうか。余り時間がないものですから、一言でお願いします。
この発言だけを見る →この人間の安全保障という概念は、先ほどから先生お述べになっておりますけれども、今の日本国憲法にはない、はるかに超える大きなものだと思います。先生は、今の日本国憲法との関係から見まして、どのように位置づけたらいいとお考えでしょうか。余り時間がないものですから、一言でお願いします。
武
武者小路公秀#21
○武者小路参考人 私は、人間安全保障は日本国憲法の平和的生存権を創造的に展開した考え方であると理解しております。だから、同じだと思います、同じ枠で広がっていると思います。
この発言だけを見る →森
森岡正宏#22
○森岡委員 九月十一日にニューヨークとワシントンで起こりました同時多発テロについて、米英軍の軍事行動を指して、報復や暴力はけしからぬ、無辜の民を巻き添えにして殺傷するようなことは許せない、日本も米英に加担するのは間違いだ、こういう声がマスメディア、そして野党の一部の皆さん方からも聞こえてまいります。
しかし、タリバンが崩壊ないしは崩壊寸前、こういう事態になりまして、アフガンの首都カブールなどでは、顔や体を隠すブルカを脱いだ女性たちの明るい笑顔が映し出される、また、解放されて自由を喜んでいる市民の姿がテレビを通じて見られるわけでございます。私は、本当によかったなと思います。
アフガニスタンの人たちの人権を取り戻し、タリバン政権の抑圧から解き放ったのは、明らかに米英軍による空爆のおかげだと私も思います。北部同盟が独力で達成できたわけでもないわけでございます。テロリストは、アメリカで罪もない六千人の人たちを突然死に追いやったわけです。テロリストと被害者を同列に置いて、日本は中立であるべきだ、予算委員会などでもそんなことを言う議員もいらっしゃいました。しかし、だれの人権を守るのか、本末転倒してはいけないと私は思います。
武者小路先生は、この点、どんなふうにお考えでございましょうか。
この発言だけを見る →しかし、タリバンが崩壊ないしは崩壊寸前、こういう事態になりまして、アフガンの首都カブールなどでは、顔や体を隠すブルカを脱いだ女性たちの明るい笑顔が映し出される、また、解放されて自由を喜んでいる市民の姿がテレビを通じて見られるわけでございます。私は、本当によかったなと思います。
アフガニスタンの人たちの人権を取り戻し、タリバン政権の抑圧から解き放ったのは、明らかに米英軍による空爆のおかげだと私も思います。北部同盟が独力で達成できたわけでもないわけでございます。テロリストは、アメリカで罪もない六千人の人たちを突然死に追いやったわけです。テロリストと被害者を同列に置いて、日本は中立であるべきだ、予算委員会などでもそんなことを言う議員もいらっしゃいました。しかし、だれの人権を守るのか、本末転倒してはいけないと私は思います。
武者小路先生は、この点、どんなふうにお考えでございましょうか。
武
武者小路公秀#23
○武者小路参考人 この点も先生と意見を異にしております。
それは、おっしゃるように非常に明るい面がテレビに映し出され、テレビというものは非常に偏っているという印象を持っております。つまり、今、全く泥沼にどんどん足を突っ込んで、勝った者が新しいアフガニスタンの国づくりをするといっても、ゲリラはどんどん地下に潜って、これから大変なアフガニスタンの情勢がずっと続く。それに対して日本もいろいろ援助をしなくてはいけない。だから、明るい面は表だけで裏はとても暗い、そういうことをしてしまったことは、やはりアメリカの一つの責任だと思います。
そして、その問題は、要するに、テロ対策だけではなくて、なぜテロが起こったのかという、その裏にあるいろいろな問題について、日本はもう少しイスラム圏のいろいろな、穏健な考えの人たちと一緒に協力をする必要がある。結局、タカ派同士がいがみ合って、そして、普通の人の安全がどんどん脅かされていく。それに対して、日本が中心になって、人間の安全を大事にしようということでハト派をまとめていく、そういう外交努力というものを日本がやる必要があると思います。
この発言だけを見る →それは、おっしゃるように非常に明るい面がテレビに映し出され、テレビというものは非常に偏っているという印象を持っております。つまり、今、全く泥沼にどんどん足を突っ込んで、勝った者が新しいアフガニスタンの国づくりをするといっても、ゲリラはどんどん地下に潜って、これから大変なアフガニスタンの情勢がずっと続く。それに対して日本もいろいろ援助をしなくてはいけない。だから、明るい面は表だけで裏はとても暗い、そういうことをしてしまったことは、やはりアメリカの一つの責任だと思います。
そして、その問題は、要するに、テロ対策だけではなくて、なぜテロが起こったのかという、その裏にあるいろいろな問題について、日本はもう少しイスラム圏のいろいろな、穏健な考えの人たちと一緒に協力をする必要がある。結局、タカ派同士がいがみ合って、そして、普通の人の安全がどんどん脅かされていく。それに対して、日本が中心になって、人間の安全を大事にしようということでハト派をまとめていく、そういう外交努力というものを日本がやる必要があると思います。
森
中
細
細川律夫#26
○細川委員 民主党の細川でございます。
本日は、大変貴重な御意見をありがとうございました。
先生の方で憲法の平和的生存権について述べられまして、私も、憲法前文に書かれております文言は大変大事だというふうに思っております。憲法の勉強を始めた当初から、この前文の、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」私は、これはすばらしい文章だというふうに思っております。
憲法制定当時の恐怖というのは圧制とかファシズムのことでありますし、現在では、この恐怖というのはテロリズムも入っているのではないかというふうに思いますし、また、欠乏というのは貧困、飢餓でありますけれども、これまた、まさに現在も世界的に大変大きなテーマだというふうに思っております。
そこで、先生が先ほど言われました人間の安全保障、ヒューマンセキュリティー、このことも憲法の平和的生存権のいわば発展的なものだというふうに、あるいは憲法の方が発展的なのか、まさにそういう意味では、理念は同じようなところにある、私自身はそういうふうに思っております。
そこで、そういうことを前提としながらお聞きしたいと思いますけれども、日本に現実に差別がまだたくさん存在している。先生のお話からも、国連からの指摘もあったということでございます。
日本では、在日韓国あるいは朝鮮人への差別、部落差別の問題、あるいはまた現在では、特に外国人労働者への差別、とりわけジェンダーの差別、こういうものもあります。私どもはこういう差別に対して、それでは、日本の国内でそういう差別を禁止する法律がきちんとなされているかどうか。先生は、ある程度、日本はそういう面が保障されている国ではないかというふうなお話もありましたけれども、私は、まだまだきちんとしなければいけない問題をたくさん残しているのではないかというふうに思っております。
そういう意味では、日本では、法的な措置としては、アイヌ新法とかあるいは人権教育啓発法、それぐらいのもので、余りないわけなんです。だから、私たちとしては、いわゆる差別をしない、差別を禁止するような法律をつくらなければいけないというふうには思っておりますけれども、しかし、なかなか政治家だけではできないところもございます。そうしますと、差別してはいけないという法律をつくるには、それぞれの運動があって、それが社会の多数の認識あるいは共感を得るようになって初めて、そういう差別を禁止する法律ができるというふうに思います。
そうしますと、これから先、どういう運動をやり、どういうことをすることによって、そういう差別を禁止する法律などをつくっていけるのか。具体的にどういうような形でやっていったらいいのか。先生はいろいろ運動にも携わっておると思いますけれども、そういう点をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →本日は、大変貴重な御意見をありがとうございました。
先生の方で憲法の平和的生存権について述べられまして、私も、憲法前文に書かれております文言は大変大事だというふうに思っております。憲法の勉強を始めた当初から、この前文の、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」私は、これはすばらしい文章だというふうに思っております。
憲法制定当時の恐怖というのは圧制とかファシズムのことでありますし、現在では、この恐怖というのはテロリズムも入っているのではないかというふうに思いますし、また、欠乏というのは貧困、飢餓でありますけれども、これまた、まさに現在も世界的に大変大きなテーマだというふうに思っております。
そこで、先生が先ほど言われました人間の安全保障、ヒューマンセキュリティー、このことも憲法の平和的生存権のいわば発展的なものだというふうに、あるいは憲法の方が発展的なのか、まさにそういう意味では、理念は同じようなところにある、私自身はそういうふうに思っております。
そこで、そういうことを前提としながらお聞きしたいと思いますけれども、日本に現実に差別がまだたくさん存在している。先生のお話からも、国連からの指摘もあったということでございます。
日本では、在日韓国あるいは朝鮮人への差別、部落差別の問題、あるいはまた現在では、特に外国人労働者への差別、とりわけジェンダーの差別、こういうものもあります。私どもはこういう差別に対して、それでは、日本の国内でそういう差別を禁止する法律がきちんとなされているかどうか。先生は、ある程度、日本はそういう面が保障されている国ではないかというふうなお話もありましたけれども、私は、まだまだきちんとしなければいけない問題をたくさん残しているのではないかというふうに思っております。
そういう意味では、日本では、法的な措置としては、アイヌ新法とかあるいは人権教育啓発法、それぐらいのもので、余りないわけなんです。だから、私たちとしては、いわゆる差別をしない、差別を禁止するような法律をつくらなければいけないというふうには思っておりますけれども、しかし、なかなか政治家だけではできないところもございます。そうしますと、差別してはいけないという法律をつくるには、それぞれの運動があって、それが社会の多数の認識あるいは共感を得るようになって初めて、そういう差別を禁止する法律ができるというふうに思います。
そうしますと、これから先、どういう運動をやり、どういうことをすることによって、そういう差別を禁止する法律などをつくっていけるのか。具体的にどういうような形でやっていったらいいのか。先生はいろいろ運動にも携わっておると思いますけれども、そういう点をお聞かせいただきたいと思います。
武
武者小路公秀#27
○武者小路参考人 とても大事な御質問、ありがとうございます。
先生の御指摘で、私がはっきり言わなかったことをまず訂正いたします。
日本が人権でいい国であると申しましたのは、これは正確に言うと、自由権とか思想、言論の自由とか、そういう差別されていない国民にとっていい国だ。だけれども、差別がなくていい国だというのではなくて、差別が片一方ではあるということを言いたかったわけで、その差別をなくすための法律体系をつくるということはとても大事で、これは人種差別撤廃委員会でも指摘されていることです。
それをつくるためにはどうしたらいいかという御質問に対しまして、時間がありませんので、簡潔に申し上げてしまいます。
一つは、市民がしっかりしなければいけないのですが、市民はどうしても、差別をしている日本人の市民が多い。ですから、例えばジェンダー問題を一生懸命やっている女性の方々も、マイノリティーの女性ではなくてマジョリティーの女性が一生懸命やっておられる。女性運動は、マジョリティーの女性とマイノリティーの女性が一緒になるべきだし、ほかの市民運動も、マジョリティーの運動がマイノリティーの運動と一緒になるということが大事です。
それからもう一つは、ヨーロッパみたいに、ドイツでは労働組合とNGOが一生懸命一緒に運動をしていますが、労働組合と市民運動とのつながりをもう一つつくる必要があります。
それからもう一つは、やはり下から、地方分権ということで地方自治体が一生懸命いろいろ日本では動いています、差別と闘ういろいろな動きに。部落の問題なんかも一生懸命やっていまして、地方自治体をベースにして、上からではなくて、地方から中央にという形の運動をする必要があるのではないかと思います。
そういうことで反差別立法ができることを期待しております。
この発言だけを見る →先生の御指摘で、私がはっきり言わなかったことをまず訂正いたします。
日本が人権でいい国であると申しましたのは、これは正確に言うと、自由権とか思想、言論の自由とか、そういう差別されていない国民にとっていい国だ。だけれども、差別がなくていい国だというのではなくて、差別が片一方ではあるということを言いたかったわけで、その差別をなくすための法律体系をつくるということはとても大事で、これは人種差別撤廃委員会でも指摘されていることです。
それをつくるためにはどうしたらいいかという御質問に対しまして、時間がありませんので、簡潔に申し上げてしまいます。
一つは、市民がしっかりしなければいけないのですが、市民はどうしても、差別をしている日本人の市民が多い。ですから、例えばジェンダー問題を一生懸命やっている女性の方々も、マイノリティーの女性ではなくてマジョリティーの女性が一生懸命やっておられる。女性運動は、マジョリティーの女性とマイノリティーの女性が一緒になるべきだし、ほかの市民運動も、マジョリティーの運動がマイノリティーの運動と一緒になるということが大事です。
それからもう一つは、ヨーロッパみたいに、ドイツでは労働組合とNGOが一生懸命一緒に運動をしていますが、労働組合と市民運動とのつながりをもう一つつくる必要があります。
それからもう一つは、やはり下から、地方分権ということで地方自治体が一生懸命いろいろ日本では動いています、差別と闘ういろいろな動きに。部落の問題なんかも一生懸命やっていまして、地方自治体をベースにして、上からではなくて、地方から中央にという形の運動をする必要があるのではないかと思います。
そういうことで反差別立法ができることを期待しております。
細
細川律夫#28
○細川委員 次に、先生の話の中で、人間の安全保障、これについては、私も、大変重要な概念で、これからも、国家理念といいますか、そういうことにこの人間の安全保障ということを持ってきながらいろいろな政策をつくり上げていく、こういうことは非常に大事だというふうに思いますけれども、一方では国家の安全保障ということも、国家がある以上、これは至極当然のことだろうというふうに思っております。
そこで、ある学者の方がこういうふうな言葉を使っておられるんです。国家の安全保障から人間の安全保障へという考え方の転換。要するに、国家の安全保障から人間の安全保障へ転換の時代だ、こういうふうな扱い方で人間の安全保障というふうなことを言われております。このことは、ずっと長い物差しで見ましたらあるいは正しいかもわかりませんけれども、しかし、現実に国家が対立をして対峙しているときに、国家の持つ安全保障を否定することはちょっとできないんじゃないかというふうに私は思っております。
そこで、国家の安全保障といわゆる人間の安全保障を対立的に考えることは私はいかがなものかというふうに思っておりますけれども、先生が考えられる国家の安全保障と人間の安全保障はどういう関係にあるのか、そういうところを御説明いただきたいと思います。
この発言だけを見る →そこで、ある学者の方がこういうふうな言葉を使っておられるんです。国家の安全保障から人間の安全保障へという考え方の転換。要するに、国家の安全保障から人間の安全保障へ転換の時代だ、こういうふうな扱い方で人間の安全保障というふうなことを言われております。このことは、ずっと長い物差しで見ましたらあるいは正しいかもわかりませんけれども、しかし、現実に国家が対立をして対峙しているときに、国家の持つ安全保障を否定することはちょっとできないんじゃないかというふうに私は思っております。
そこで、国家の安全保障といわゆる人間の安全保障を対立的に考えることは私はいかがなものかというふうに思っておりますけれども、先生が考えられる国家の安全保障と人間の安全保障はどういう関係にあるのか、そういうところを御説明いただきたいと思います。
武
武者小路公秀#29
○武者小路参考人 私も先生と全く同意見です。国家安全保障と人間安全保障を対立させるということは全く無意味だと思います。むしろ、人間の安全ということを基準にして国家安全保障政策を立てる、国家安全保障の基準に人間を中心にするということが大事だと思います。
人間といってもいろいろな人間集団でありまして、結局、アフガニスタンの問題も、国家の安全ではなくて、タリバンがいなくなった後のいろいろなエスニック集団の安全、人々がどういうふうに自分たちの安全を考えるかで安全保障を、軍事的な安全保障も含めて考える必要があります。
そういうことで、人間の安全を大事にするという国家安全保障は、例えば、非攻撃的な防衛ということを国がやる、それから、地域で核を入れないという非核地帯をつくるとか、いろいろな形で、人間を大事にする国家の安全保障、あるいは国際的、地域的な安全保障の形というのは幾つもあります。
それから、国連がやるときにも、国家の立場ではなくて、人間を守るために介入するというときに国益がいろいろなふうにぶつかりますから、それを人間の安全ということを物差しにして、国家安全保障の中で国家の利害だけが先走りするのをどういうふうに抑えるか、それを抑えるということも人間安全保障の大事なことです。
あと、国家安全保障ということと、それからグローバル経済の中で、金融面とか経済面とか、そういういろいろな計算が入って、今の国家の安全というものは、実は軍事面だけじゃなくて経済面とかいろいろな問題が入ってくる。このアフガニスタンの問題も、石油のパイプラインとか、そういう非常に生々しい経済利害の対立が国家の間にありますから、国家の安全保障だけじゃなくて、国家の利害というものを何とか人間を中心にして評価する。何がよくて何が悪いかを人間を中心にして評価し、そして国際的な同意を形成するということがやはり人間安全保障の一番大事なことだと思います。
この発言だけを見る →人間といってもいろいろな人間集団でありまして、結局、アフガニスタンの問題も、国家の安全ではなくて、タリバンがいなくなった後のいろいろなエスニック集団の安全、人々がどういうふうに自分たちの安全を考えるかで安全保障を、軍事的な安全保障も含めて考える必要があります。
そういうことで、人間の安全を大事にするという国家安全保障は、例えば、非攻撃的な防衛ということを国がやる、それから、地域で核を入れないという非核地帯をつくるとか、いろいろな形で、人間を大事にする国家の安全保障、あるいは国際的、地域的な安全保障の形というのは幾つもあります。
それから、国連がやるときにも、国家の立場ではなくて、人間を守るために介入するというときに国益がいろいろなふうにぶつかりますから、それを人間の安全ということを物差しにして、国家安全保障の中で国家の利害だけが先走りするのをどういうふうに抑えるか、それを抑えるということも人間安全保障の大事なことです。
あと、国家安全保障ということと、それからグローバル経済の中で、金融面とか経済面とか、そういういろいろな計算が入って、今の国家の安全というものは、実は軍事面だけじゃなくて経済面とかいろいろな問題が入ってくる。このアフガニスタンの問題も、石油のパイプラインとか、そういう非常に生々しい経済利害の対立が国家の間にありますから、国家の安全保障だけじゃなくて、国家の利害というものを何とか人間を中心にして評価する。何がよくて何が悪いかを人間を中心にして評価し、そして国際的な同意を形成するということがやはり人間安全保障の一番大事なことだと思います。