憲法調査会

2001-05-09 参議院 全83発言

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会議録情報#0
平成十三年五月九日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月十八日
    辞任         補欠選任   
     峰崎 直樹君     吉田 之久君
 五月八日
    辞任         補欠選任   
     吉田 之久君     柳田  稔君
     平野 貞夫君     高橋 令則君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         上杉 光弘君
    幹 事
                海老原義彦君
                野沢 太三君
                野間  赳君
                江田 五月君
                堀  利和君
                山下 栄一君
                小泉 親司君
                大脇 雅子君
    委 員
                阿南 一成君
                岩城 光英君
                木村  仁君
                久世 公堯君
                陣内 孝雄君
                世耕 弘成君
                中川 義雄君
                中曽根弘文君
                森田 次夫君
                小川 敏夫君
                川橋 幸子君
                北澤 俊美君
                久保  亘君
                寺崎 昭久君
                直嶋 正行君
                簗瀬  進君
                柳田  稔君
                魚住裕一郎君
                大森 礼子君
                高野 博師君
                橋本  敦君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                福島 瑞穂君
                水野 誠一君
                高橋 令則君
                佐藤 道夫君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       大島 稔彦君
   参考人
       太平洋セメント
       株式会社相談役  諸井  虔君
       駒澤大学法学部
       教授       前田 英昭君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○日本国憲法に関する調査
 (国民主権と国の機構)

    ─────────────
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上杉光弘#1
○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、国民主権と国の機構について参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、太平洋セメント株式会社相談役の諸井虔参考人、駒澤大学法学部教授の前田英昭参考人に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 参考人の方々から忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
 本日の議事の進め方でございますが、諸井参考人、前田参考人の順にお一人二十分程度ずつ御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員ともに御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず諸井参考人からお願いいたします。
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諸井虔#2
○参考人(諸井虔君) 太平洋セメントの諸井でございます。
 私は、どうも学生のころから法律が大変苦手でございまして、また地方分権委員会でも憲法との絡みについては今までほとんど議論をしたことがございませんでしたので、きょうはどういうお話をしたらいいかちょっとちゅうちょをしておったんでございますが、事務局の方から、とにかく個人的な見解でいいから率直に述べてみろというふうなお話をいただきましたものですから、恐る恐る参上した次第でございます。
 国民主権ということでございますが、今の日本の憲法は確かに非常に高らかに国民主権をうたっておりまして、さらにその国民の代表たる国会というものを国の最高の機関として位置づけて、そしてその国会が総理大臣を選び、総理が閣僚を選んでそれで内閣ができる、内閣が連帯して国会に対して行政の責任を負っているという、そういう形をとっているわけでありますから、形の上ではまさに国民主権ということなんであろうかと思います。
 それから、私は分権の方をやっておりますので、地方自治の方の問題でございますけれども、これは九十二条から九十五条にかけて地方公共団体の問題について規定をしておりまして、それで地方公共団体の組織の問題とか運営の問題については、これはその法律で地方自治の本則にのっとって決めていかなくちゃいかぬ。要するに、勝手に各省が命令を出したりして決めるというようなことではいかぬというふうに規定をしておるわけであります。また、地方の公共団体には議会を置いて、その議員は住民の選挙で選ぶと、首長も住民の選挙で選ぶという形をとっておりまして、いわゆる住民自治という形になっておるわけであります。それから、この財産の処理とか行政の問題について、この地方公共団体の機能ができる形になっておりまして、法律の範囲であればみずから条例をつくってやっていいということになっているわけであります。
 そういう面を見ますと、国民主権と同時に地方自治というものを明確に考えている。明治憲法には地方自治に関する、あるいは地方公共団体に関する記述はないわけでありますから、そういうものを志向したものであるということは、これは非常にはっきりしていると思います。
 しかし、現実の今までの日本の国の運営はどうであったかという点を考えてみますと、これは私は行革の関係とか、あるいは地方分権の関係とかずっとやってまいりまして非常に痛感をしてきたことでありますけれども、実質的にはやはり行政が主導しておる。そして、各中央の省庁が分担管理をして、そしてまた省庁にまたがる問題については省庁間調整を行って、省庁間調整で結論が出れば政策なり方針が決まっていくというような形で運営されてきたということはどうも否めないのではないかという感じがするわけでございます。
 それで、一体、憲法ではっきり国民主権をうたい、国会が国民の代表として最高の地位を与えられているにもかかわらず、どうしてこういうことになっているのかなというので疑問に思ったわけでございますけれども、結局、内閣が連帯をして国会に対して行政の責任を負うと。連帯をしておるということは、閣議が常に全員一致でなきゃならないと。もし閣議が全員一致でないと、これは連帯していないということになって、結局総理大臣の責任問題になってくる、政局問題になってくるというふうなことが言われて、それで結局は各省庁間の調整ができていない問題、どこかの役所が反対をしている問題というものがあれば、それは閣議において担当の大臣が賛成できない、反対をするということになる。そうすると、内閣の一致の原則が崩れてしまうというような形で次官会議にかからないものは閣議にかけないと、省庁間調整が終わらぬものは次官会議にかけないという形で実質的に運用をされてまいりましたから、結果としては行政主導の形、分担管理、省庁間調整の形で国が運営されてきたというふうに思うわけであります。
 我々も地方分権なんかやってまいりまして、あるいは行革会議等いろいろやってまいりまして、物を動かしていく、あるいは法律を変えていくというときに、やはり担当する、関係する省庁というものの合意をきちんと得ていかないと実質的に事が運んでいかない。また、省庁の合意を得るということはそう簡単なことではなくて、各省庁、やはりそれぞれ自分の権限とかあるいは自分の分担管理している部分についての政策の考え方というものについては、はっきりした考え方を持っておる。あるいは先輩からずっと引き続いて持ってきている慣習なり前例なりあるいは責任なりというものをしょっているというような形で、なかなか物を変えるということが難しいということを痛感してきたわけであります。
 しかし、こういうことが実際には恐らく三十数年にわたってまかり通ってきたと思うんですが、それはそのやり方についてやはり国民の支持があったということは言えるのではないかと思います。要するに、日本がいわば発展途上段階にあって、それで先進国に追いつき追い越せということで先進国を目指して一生懸命経済成長を果たしておったそういう時期には、かえって行政が中央集権型で省庁間調整でお互いに責任を分担してやっていくという形が公正であり公平であり効率的であった、こういう時代がずっと続いておったのではないかと思うんです。ですから、国民もある程度行政に任していけば間違いがない、いわば行政依存のような意識になってきて、何か問題が起こると、役所はどうしているんだというふうなことを国民自身が言っていたわけであります。ですから、こういう形というものを国民が容認してきた、またこういう形で運営して日本の国がうまく回っていって高度成長して先進国の水準に達したと、こういうことではないかと思うんです。
 しかし、大体一九八〇年代にそういう段階に、先進国の水準に追いつく、一人当たりの国民所得がアメリカやドイツを追い越すというふうな状況になってきて、しかも一方で東西冷戦というのが大体一九九〇年前後になくなっていくわけでありますけれども、そうやって世の中が非常に大きく変わっていく。激動の世界になり、かつ非常にグローバルな世界的な大競争時代が始まってくる。技術的にも産業革命に匹敵するような大きな技術革新、これはIT革命であり、あるいは遺伝子分析のような問題とか新しい技術がどんどん出てくるというようなことで大変世の中が変わってくる。日本自体はもう先進国の一員に入ってしまって、モデルとすべき国というものはなくなってくる。みずから、自分がフロントランナーでありますから自分の道というものを自分で考えていかなくちゃいけない、そういう時代に入ってきたのであろうかと思うんです。
 そういう時代に入ってくると、さすがに行政主導、分担管理、省庁間調整というような形で問題の解決ができないということになってくるんだろうと思います。こういう段階になったら、大きなお国の方針というものは、内政であれ外交であれ、やはり国民みずからが決めていかなくちゃいかぬ。国民が決めるということは、選挙という場を通して結局政治が決めていくということになっていかないといけないという、そういう時代になってきているんだろうと思うんです。しかし、政治の方は長い間そういう政策の問題なんかについて、ある程度行政任せにしてうまくいってきたわけでありますから、その体制というものが必ずしも十分に整っていない。
 それから、例えば経済の問題について言えば、これは本来は企業がみずからの経営について責任を持って、みずからの道をみずから選択をして、そして自分の責任でチャレンジをしていく。もし失敗をすれば退場していくしか仕方がない、そういう激しい競争の中からみずからの道を見つけていくというのが本来であろうかと思うんですけれども、これも従来はそれぞれ分担管理する役所の行政指導、あるいは業界団体と役所とのいろんな話し合いというふうなもので大体政策が決められていった。ですから、企業も役所に何とかしてくれというふうな気持ちが抜け切れない、あるいは業界ぐるみでどうとかしようというふうな話になってしまうということ。
 それから、地方の公共団体についても、従来役所が全部決めてきたわけでありますから、その役所の指導に従っていくと。役所の言いなりにしていけばいろんな問題というものは解決をしていく。例えばお金の問題でも、役所の例えば補助金をもらって仕事をすれば、地方の負担分については地方債の認可が出るし、あるいはその償還とか金利については交付税が出るというふうな形で、お金もついてくるということで回ってきたわけであります。
 だから、そういう時代がずっと続いていたわけでありますから、政治にしても企業にしても地方公共団体にしても、いよいよこれからみずからの責任でみずから対応しなきゃならない。あるいは憲法の言うような国民主権、国会主導、政治主導、そしてまた地方公共団体もみずからの責任で動いていくというような、そういう形に早く切りかえなくちゃいけないわけでありますけれども、それがなかなか切りかえられないでここ十数年たってしまってきているのではないかというふうに感じるわけであります。
 やはり、そういう目でもう一遍憲法を考えたときに、私は今まで、さっきも連帯して責任を負うというところから行政主導になってしまったと、こういうあたりはやはりちょっと問題があるのかなと。別にその連帯してというところが悪いというわけじゃないんですけれども、連帯して責任を負うということがどうして一体、次官会議を経ないものは閣議にかけられないということになってしまうのかなというようなあたりはやっぱり一つの問題点ではないかと思います。これから先、そういう形で行政主導でやっていける時代というのはもう再び来ないんであろうかと思います。やはり本来の国会主導、政治主導で進めていかなくちゃならない時代が来ることはもう間違いないんだろうと思います。
 また、国の意思というんでしょうか決定というものが、例えば最近、首相公選制のような問題が出てきておりますけれども、最終的に国民主権ということでありますから、国民の世論の決めるところで動いていかなくちゃいけないんでしょうけれども、それはでは国会が決めればいいんだ、代表制で決めていけばいいということなのか、それとも国民が直接選挙をやって、直接代表、直接民主主義というふうなことでやっていくべきなのかというところは非常に難しいところだと思いますが、私はその辺はこれから大いに議論をしていかなくちゃならない点だと思いますが、やはりなるべく国民の世論に近い形で意思決定ができるふうにしていくべきではないんだろうかというふうに思います。
 もし首相公選のような形をとった場合には、だからといって議会をなくしてしまうわけには当然いかぬわけでありますから、また独裁のような形になってはいかぬわけでありますから、そうすると議会と首相の意思が食い違ったときに一体これをどう解決するのか。アメリカでもそういうような問題は、処理の仕方はいろいろあるわけでありますけれども、やはり解散とか不信任とか、どういう形で一体その処理をしていくのか、早く結論を出すということがどうしても必要なんじゃないかという感じがするわけです。
 参議院と衆議院の意見が食い違った場合の処理も、私はどうも今の憲法の決め方のままで果たしていいんだろうか。衆議院に戻って三分の二とるということは実際問題としては不可能でありますから、そうするといわば参議院の拒否権が認められたような格好になって、両方の意見が一致しない間は物が決まっていかないということになるわけで、これで果たしていいんだろうかというような問題も出てくると思います。
 参議院と衆議院は選挙のあり方とか解散の問題なんかが違うわけでありますから、国民の意思を一体どういうふうにしてなるべく迅速に反映をして意思決定をしていくかということは、国民主権とした場合でもやはり考え直さなくちゃいけないような面が幾つかあるんではないのかなという感じもするわけであります。
 それともう一つ、地方の問題なんでありますけれども、今は国民主権で国会が最高の立場でありますから、法律を決めれば何でも決めていけるということになるわけですね。法律で細かいことまでどんどん決めていけば、地方公共団体がみずからの意思で決めるべき部分というのはどんどんなくなっていってしまう。今まではそれは行政が大体さばいてきて、行政が中央集権で全部やっていたという感じになるわけですけれども、例えばこれが政治主導、国会主導となった場合でも国会の法律で一体どこまでお決めになるのか、お決めになるべきなのかというようなことは一つ問題になると思います。
 といいますのは、地方の行政の責任というのはこれからますます重くなってくる。今後重要視される行政というのは、例えば保育や教育の問題であったり、あるいは介護の問題であったり、あるいはごみ処理の問題であったり環境の問題であったり、自然保護の問題であったり文化の問題であったり、どんどんソフトの方向に行く。これは全国を画一的に決めるという筋の話じゃなくて、むしろ地域地域の事情に即して、そして地域地域の住民の多数の方の意見に対応して処理をしていくべき。ですから、法律で決めるよりもむしろ条例で決めるに適したような部分というものもあるんだと思うんですね。そのことと、今度は財源の配分の問題も絡んでくるわけでありまして、そういう大きな一つの国の構えというものをこの機会に、憲法の議論をしていただくときに、ぜひ二十一世紀、先を見て考えていただきたいというふうに思うわけでございます。
 与えられた時間が参りましたので、一応これで終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。
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上杉光弘#3
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、前田参考人にお願いいたします。
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前田英昭#4
○参考人(前田英昭君) 参議院の憲法調査会で意見を述べさせていただく機会を持ちまして、大変光栄に思っております。
 国民主権と統治機構について、憲法第四十一条、立法機関に焦点を当てまして、外国の事情と比較しながら、お配りしましたレジュメに沿って意見を申し上げたいと思います。
 法律案の発案者はだれか、一の議員か内閣かということです。
 まず、イギリスとの比較です。
 もともと議会は立法機関でありますから、議員立法中心であります。それが十九世紀、小さな政府から大きな政府へと移行するのに伴いまして内閣主導に変わります。さらに首相主導に発展をする。
 イギリスでは、内閣主導は政党制の発達と公務員制度の整備と結びついて実現いたしました。まず政党ですが、イギリスの議院内閣制は政党中心、内閣を議会の委員会または与党の委員会とする形をとります。日本流に言いますと、与党幹部は、総裁、幹事長以下国会対策委員長まで全部入閣いたします。主権者から選ばれたその中の実力者が内閣に入って立法を主導する。内閣と与党は一体関係になります。日本のように二重構造にはなりません。
 議員は、複雑な内容の法案づくりなどとても手に負えませんから、みずからやらずに信頼できる同僚の大臣に任せて、内閣提出の法案審議に専念いたします。憲法上、法案提出権は議員に限られますが、大臣は議員ですから問題にはなりません。主権者たる国民の代表が内閣にゆだねたわけですから、官僚立法にはならないというわけであります。
 次に公務員制度です。
 内閣は、今申し上げたように、議員から委託されましても複雑な法案を大臣一人でつくれるわけではありません。内閣の仕事に協力させる機構をつくり、官僚、専門家に手伝ってもらうことにいたしました。内閣に法制局を設置いたしました。立法と行政は分離すべきものですから、議員は個人的に官僚に接触しない。議員が必要なときには大臣を通じて折衝する。ここが日本と違うところであります。
 日本の帝国議会でありますが、明治二十三年の議会開設のときに既に官僚機構はできておりました。その頂点に内閣がある。内閣法制局は明治十八年にでき、二十三年に強化された。戦後、昭和二十年、官僚立法の牙城であった内閣法制局は、アメリカの占領下、廃止されましたが、昭和二十七年に復活して今日に至っております。
 明治時代の超然内閣は、議会や民意を無視して官僚に法案をつくらせたのですから、当然、内閣立法はイコール官僚立法であります。イギリスの議会は議会主権と言われるように、立法権は最高のものであります。
 官僚が先か議会が先か。イギリスでは議会政治の基盤の上に官僚政治のレールが敷かれました。日本では官僚制度の基盤の上に議会政治のレールが敷かれました。この違いは日本の国会を考える場合に重要なポイントであります。議会は議員の集まりですから、イギリスでは国会審議には官僚は加わらない。およそ会議体というものは、そのメンバーだけで審議するものであります。
 日本の帝国議会は官僚中心。議場の高いところに大臣席がある。憲法第五十四条、大臣はいつでも発言できる。したがって、いつでもですから、法案の採決の直前になって演壇に出てきて、政府は反対であると述べた例などもございます。官僚が政府委員の形で審議をリードした。政府委員は廃止になりました。しかし、参考人として残りました。
 次に、アメリカとの比較であります。
 アメリカでは、大統領制の国、厳格な三権分立の憲法規定に縛られまして、議会は当初から自分たちで立法する自前の立法を続け、小さい政府から大きな政府へ、行政優位時代になれば、議会の中に法制局と立法考査局を設置し、議員秘書初めスタッフを採用して立法補佐体制を強化して対応してまいりました。
 二十世紀になりますと、大統領が直接立法に乗り出すのであります。大統領は、憲法で認められているメッセージまたは行政書簡を議会に送ることができるという憲法の権限を利用いたしまして、議会に立法を勧告し、添付した法案を与党議員に提出させました。大統領勧告法案は、事実上、大統領提出法案であります。大統領はロビイストを使いまして、またはみずから電話によって議員に法案の成立を要請します。最近の著書には、大統領は第一の立法者であると書かれております。
 第二次世界大戦後の一九四六年、アメリカ議会は議会再建法を制定して、大統領に対抗し立法の補佐機構をさらに充実いたしました。現在、イギリス、アメリカともに政府提出法案の成立件数及び成立率、どちらも成立です、議員提出法案の場合をはるかに上回っております。
 日本国憲法は、アメリカ占領下にでき、その影響を強く受けたために、幸いに当時、議院内閣制の国では世界一の立法補佐機構を実現いたしました。国会に議院法制局が衆参二つあるのは日本だけであります。
 第二次大戦後の行政優位時代にできた新しい憲法は、内閣と議員双方に議案の提出権を認め、議員より政府を上位に置いております。例えば、フランスの一九五八年、現行第五共和国憲法、ドイツの一九四九年、現行の憲法がその例であります。日本国憲法は新しい憲法でありますが、アメリカの最古の成文憲法の影響でできたものですから、内容は非常に古いものであります。
 次の国会法の関係については省略をさせていただきます。
 二の民意のルートです。
 国民は制限選挙時代は選良という形で選び、代表者に白紙委任したと考えられます。代表制では、これは純粋代表論といいます。
 普通選挙、国民が主権者として成長しますと民意に従った立法を主張し始める。代表といっても半分しか任せないということから、半代表論というような代表制の理論が登場してまいります。それを受けて、今度は政党は民意を吸収しなければならなかった。イギリスで独特のマニフェストができたのはそれであります。政党は選挙の前に公約を発表いたします。政党が政権をとった場合にマニフェストを実行する。選挙はマニフェスト対マニフェスト、政策の対決になる。選挙では国民は政策選択、政党選択、内閣総理大臣を選びます。現在、事実上の首相公選制を実現しております。こうして内閣主導の立法は官僚立法にならず、民意を反映したものになるというわけであります。
 選挙を民意のメーンのルートといたしますと、イギリスにもバイパスというものがあります。多種多様な利益団体がそれぞれ要求を持っております。そういう団体は決定権を持つ者に対して働きかけます。イギリスの場合は内閣に働きかけます。議員に要求しても、議員は官僚と個人的に接触しませんし、個人では何もできません。内閣は、バイパスを通して寄せられた団体の要求を聞くために各省に窓口を設けました。さらに、内閣の下に閣僚委員会を設置して各省の意見調整に当たる。閣僚委員会は大臣や党役員で構成されていますので、特定団体や特定の省庁の利害の突出や各省と特定団体との癒着の発生を未然に防ぐという効果があります。バイパスルートも内閣主導だということであります。
 日本では、こういう民意を政策に反映させる回路を構築できませんでした。いまだにできていないように思われます。明治憲法下の議会が決定権がなかったがゆえにこのようになったのではないのか。つまり、政策を提示しても決定権がなければ何にもならない、いわばスローガンになる。選挙は人が中心になる。そして、公約がありましても、体につけるこう薬と同じように選挙が終わればはがれるものというふうな、そんなような形で観念されるようになりました。イギリスのマニフェストは、選挙公約は公文書扱いでありますから、一冊の本として長く保存されております。日本では、民意吸収のメーンルートというものがないがために一部の者が団体を組織してバイパスを通していろいろな要求をするわけです。これが政官業のトライアングルだというふうに考えられます。日本の政治主導というものは、これまで欠落していた民意のルートを構築する必要があると思います。選挙改革につながる問題かもしれません。
 三の審議機能ですが、こうして吸い上げられた民意を議会がどうするかという問題です。
 イギリスでは選挙に勝った政党は内閣を組織し、国民に公約した政策を、これはマンデートと言うわけでありますけれども、国民の承認を得たというものとして立法化する、またしなければなりません。今、イギリスは総選挙を前にして、ブレア首相が前回の選挙で公約したことがどのくらい実行されたか、七〇%であるとかというようなことが新聞をにぎわせております。
 次に、議会が開会すれば冒頭の女王の演説です。我が国における施政方針演説に相当いたします。この施政方針演説に相当する女王の演説は、議会に法案を提出するわけですが、公約したうちの順序で、この一年間で何をするかという具体的な政策提言であります。首相を初め、約百三十人ぐらいの議員が質問あるいは討論に参加してまいります。一週間に五日間審議しております。イギリスの議会は昼の二時三十分にきちっと始まります。休憩なしで十時半までは必ずやります。なぜこんなに議論をするのかと思われるくらい議論をしております。
 そういう本会議の討論だけではなくて、委員会でもやっております。委員会というのは委員が面と向かってやっている、与野党が向かい合ってやっております。会議の常識ですから、すべて委員が審議するわけです。大臣は委員であります。担当大臣が筆頭の委員であり、野党の影の大臣が筆頭の委員であり、そういうことでやりとりをしている、こういうふうな感じであります。したがって、審議時間が非常に長い。その結果として、情報が国会からたくさん国民に対して提供されるというわけであります。
 日本の国会は審議時間が短いので有名でありまして、かつてIPUが調査したところによると、一番少ないのがモナコであり、ついでドイツ連邦参議院、これは特殊な機関でございますね、チェコ、続いて四番目が日本というふうに報告されています。
 各国とも定足数というのを無視するというか、定足数よりも情報提供というところに力点を置きまして審議をしている。それは、主権者に対する説明責任、国民からそういうふうな説明を求めるというアカウンタビリティーという概念が登場してきたからだと思われます。斎藤議長の有識者懇談会の答申にある定足数の弾力化というものも、そういう観点で取り上げられたのではないかと私には思われます。
 次は、国会は立法のための審議機関であるということ。
 最近、イギリスでは、議会の機能を、立法機関だけれども正統化を目的としたものだというふうに言われているのでございます。ごろ合わせですが、立法というのはレジスレーションでございますね、レジティメーションだ、正統化だと、それが大事だというふうに言っております。つまり、採決は一瞬であります。しかし、それに至る審議、これが大事だと。
 第四ですが、立法機関としての充実について幾つか提案をさせていただきます。
 国会は、国会活性化法をつくりまして、政府委員を廃止し、政治主導を選択されました。その趣旨からいえば、立法についても政治主導というものは内閣が中心になるのではないのか、その内閣というものが民主化される、それを確立することが重要なのではないかと思います。小泉首相は、総裁選に勝った勢いで、首相公選制に限定して憲法改正を考える意向を表明されました。公選制は憲法改正をしなければできないものでしょうか。
 イギリスの国民は、政党が選んだ首相候補者に国民が選挙で票を投じている。国民が首相を選ぶ、だからこそ選挙に関心を持つ。公選制をしているように実態では思われる。ドイツにおいても同じであります。アメリカの大統領選挙と、議院内閣制の今日におけるドイツ、イギリスにおける総選挙は極めて似てきているということであります。
 小選挙区比例代表並立制を導入しましたとき、いろいろ問題がありました。ある方は、終わってから、熱病だったと言われました。しかし、これは法律でございます。もし憲法改正が、後に熱病だったというふうなことでは済まされるものではないと思っております。
 憲法改正の手続や発議、国民投票についてはよく議論になります。改正案の発案者はだれでしょうか。内閣でしょうか、議員でしょうか。憲法学界では内閣に発案権なしという反対論がございます。しかし、議員が発案することについて反対する会員は一人もおりません。だとすると、議員立法。通常の議員立法とすると、大変手続が軽いんでございますが、そうではなくて、この調査会が発案しないという申し合わせで設置された経緯とか憲法というものの重要性を考えて、もし提案されるなら相当数の賛成者を必要とするとか、そういったようなことが必要になってくるんではないか。事前にルールを確認することが必要だと思います。
 次に、内閣主導の中で議員立法をどう位置づけるかということです。
 内閣とか政党主導の中で、議員や野党の立法活動を促す方法として興味を持つのが、イギリス本会議の議員の時間、プライベート・メンバーズ・タイムというものであります。この時間には、議員提出法律案の趣旨説明と質疑を行うのであります。そして、そのほかに別に、議員の法案ではなくて法案要綱を中心にして、こういう法案を出させてほしいという動議を提出、十分間だけ本会議で趣旨説明ができる。反対の人は十分間だけ反対の討論ができます。それで、動議を可決したら、つまり賛成ということになったらその法案は提出できる、ただし逆にそうでなかったら提出できないと、こういうふうなのがございます。
 衆議院は、イギリスにおける首相質問をまねてクエスチョンタイムをつくられました。参議院は、こういうふうな本会議における議員の時間で議員立法をそれぞれ提案してアイデア合戦をなされたらいかがでしょうか。国民の関心を呼ぶことはもちろんであります。では、先例がないかとおっしゃいますから先例をそこへ書いておきました。衆議院であります。そこに数字をずらっと並べておいたのがそれでございます。例えば、第五十二回、昭和元年、八十件のうち七十六件と書いたのは、第五十二回、昭和元年、この年に議員提出法律案が提出されたその件数が八十件でございます。八十件のうちの七十六件が本会議で趣旨説明をし、かつ質疑を行ったということでございます。こういう先例がございます。そのほか、長いから省略をさせていただきます。
 そして、参議院においてそのほか考えられることは何かといえば、イギリスでやっている議員立法に対する採決はそれぞれ党議拘束をしないという原則にしております。それから、逐条審議であるとか、あるいは法律案の実施状況をフォローアップするとか政令の事後審査をするとか、そういったようなこと、つまり衆議院がやれないことを補完してやる。そういったことが参考になるのではないかと思います。
 参議院は、衆議院のような政権をめぐる争いの場になるのをできるだけ避けまして、各会派の意見交換の場として国民の世論を盛り上げるのに必要な情報発信源となるべきだと私は考えております。衆議院は政権の基盤ですから、選挙はどうしても民意の集約にならざるを得ません。民意を吸収するパイプは細くなるわけなので、パイプが細くなればそこから吸い上げられる民意は狭められます。民意でそのパイプからはじき出される人がある。そのはじき出された民意、それを含めて多様な民意を反映するのが参議院だと私は考えております。したがって、パイプを狭めるような、またはパイプをなくしてしまうような憲法改正案がもし出るとすれば、私は賛成できないのでございます。
 以上、立法機関としての国会は立法過程の中心に位置するものであり、国会を取り巻く諸要素、特に主権者たる国民、内閣、政党などとの関連を重視する。議会制民主主義においては、人間の血液のように民意を体内で循環させ、議会がその民意の循環を促進する心臓部として働く。国民主権と統治機構、その中の立法機関としての関係はそのように私は考えるべきだと考えております。
 以上でございます。
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上杉光弘#5
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。木村仁君。
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木村仁#6
○木村仁君 自由民主党の木村仁でございます。
 両参考人におかれましては、極めて示唆に富む御教示をいただきまして、まことにありがとうございました。
 時間に限りがございますので、まず諸井参考人からお尋ねをいたしたいと思います。
 本日は主として国政レベルにおけるお話をいただきましたけれども、諸井参考人は地方分権推進委員会の委員長として非常に偉大な仕事をなされた方でございます。この委員会はやがてなくなるわけでありますけれども、我々は引き続き地方分権について大きなリーダーシップを発揮していただくことを期待するものでございまして、なかなか得られない機会でございますので、本日のお話とは少し外れますけれども、地方分権について一、二お尋ねをしておきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 推進委員会の五次にわたる答申の基本は、地域住民の自主決定、自己責任を中心とする地方分権体制の確立と、こういうことではなかったかと思います。そして、機関委任事務の廃止を中心とする事務のあり方を中心に改革をしていただきましたが、これは二十世紀後半五十年にわたる地方自治の巨大な課題を解決していただいたもので、非常にすばらしいことであったと思います。そして、さらなる権限移譲、国による規制、干渉の縮小、そして自主財源の確保のための税財源の再配分等について、各省庁とも問題を煮詰めた答申をいただいているわけでございます。
 関連して私は、先ほど参考人が言われました、一体地方自治に関して法律でどこまで細かいことを決めるんですかという問題提起について、しり馬に乗るわけではありませんが、一つお尋ねをしたいと思います。
 それは、地方自治の根幹を定める地方自治法自体の問題でございまして、今地方自治法は、本法、附則まで加えますと五百条に及ぶ巨大な法律でございます。これを読み通すことはもちろん、理解している国民も少ないのではないかと思います。そして、その中身は実に微に入り細にわたって地方自治のあり方について定めをしておりまして、この地方自治法自身が地方自治体の自主決定、自己責任をがんじがらめにしているのではないかと私は実は思っております。
 例えば、一番新しい改正で、地方公共団体の議会の議員の定数を条例で自主的に決めるように定められました。これは以前は基準数値が決まっていて、必要であればそれを条例で減少しなさいということだったんですが、それを原則として条例で定めてよろしいと。ところが、その法律の中に、しかし上限は何名までですよというのを決めました。これは、せっかく条例で決めるという自主決定の機会を与えながら、実際にはがんじがらめにしているということではないかと思いますから、現在の立法傾向そのものが、まだ諸井参考人の言われる自主決定に近寄っているとは言えないのではないかなという気がいたします。
 実は、マッカーサー憲法草案の中の地方自治のところにこういう規定があったんです。住民は彼ら自身の憲章を作成する権限を奪わるることなかるべしと。この憲章というのは英語の原文ではチャーターという言葉でございまして、これは広範に地域住民がみずからの行政体制を定めて住民投票で決定をするというのがホームルールチャーターであると思いますが、それを、日本はまだ時期尚早だということだろうと思いますけれども、極めて巧みに、法律の範囲内で条例を定めることができるという規定にいたしました。
 条例と憲章では全く質の異なるもので、我々はむしろ二十一世紀の地方行政、地方自治のあり方としては、地域住民にこのチャーターをつくる権能を与えていくような法律、それが地方自治法であるべきで、だとすれば二百五十条か三百条ぐらいの法律に換骨奪胎して自主決定権を広げていくべきではないかと思うのでございますが、こういった点についてどのようなお考えをお持ちでいらっしゃいましょうか。
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諸井虔#7
○参考人(諸井虔君) 私もその問題について深く考えてきたわけではございませんので、的確なお答えができるかどうか心配なのでありますけれども、確かにおっしゃるように、この地方自治法というのは、多分、地方公共団体の自治を守るためにつくられた法律なんだろうと思います。それは、ですから非常に親切に丁寧に一生懸命守ってあげようというような意思がそこに働いて、いわばお母さんが一生懸命幼い子供のことを守ってあげようというふうな形でつくられたものじゃないかと思うんですね。
 やはり日本の官庁全体にそういうところがあるわけで、国民とか地方公共団体とか企業とかというものが弱いものでだめなもので、これをそれぞれ分担して守ってやらなくちゃいかぬという面が非常に強いんじゃないかと思うんです。ですから、そういう考え方、そういう流れそのものをここで変えていかなくちゃならないということだと思いますので、地方公共団体についてもやっぱりある程度自立させて自分の責任でやらせる。ということは、やっぱりそれぞれ自分で考えて、いろいろ失敗することもあるかもしれないけれども自分で考えて、自分でやって失敗してまたそれを直してということを許すようなことをしないと、何でもかんでも国が決めてこのとおりやっていろと、これでは地方は育たないと思うんです。
 ですから、今個々の細かい問題については私も知らないことはたくさんありますので申し上げられませんけれども、大きな流れとしてはやはりおっしゃるように、だんだんに地方に自主的にやらせるという方向に自治法も変わっていくべきではないか。これは個人的な見解でございますが、そう思います。
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木村仁#8
○木村仁君 ありがとうございました。
 大変示唆に富むお答えで、気持ちは親切心なんだろう、しかしそれが実は大きなお世話になっていると。これはもう多くの国の立法について言えることで、その点を御指摘いただきましたことは非常にありがたいと考えております。
 もう一つ、時間がありませんので簡単にお尋ねいたしますが、今、市町村合併を一生懸命進めております。これは、恐らく日本の二十一世紀における地方分権の体制をつくっていく上で必要だということで進めているんだろうと思いますが、その際に自主合併ということで、実は地域の住民の広範な、これは私の言うことと逆になるかもしれませんが、自主合併という建前であります。そして、これは私ども自身の責任でありますが、人口三万人の市制施行の特例を今国会でつくりました。
 しかし、考えてみれば、二十一世紀の本当の地方分権を実現するためには市町村が本当に力強い団体にならなければだめだろう。その上で、道州制とか言うと幾らか官僚的になりますから、やはり市町村が本当に力のある地方自治体になることが出発点ではないかと思います。
 そうすると、こういうときには思い切って、言うことが反対になりますけれども、国や県が大きなリーダーシップをとって二十一世紀の地方分権を担うに値するようなちゃんとした合併をやってもらうということが必要ではないかと思いますが、その点いかがでございましょうか。
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諸井虔#9
○参考人(諸井虔君) 地方分権委員会としてもここは随分議論したところでありまして、やはり合併は基本的には市町村が自主的に決めるべき問題であって、それを国や都道府県が強制すべきものではないだろうということの原則は貫いているつもりであります。
 しかし、おっしゃるように、これから先の地方の行政というものを考えますと、市町村の役割がどんどん大きくなっていく。それは広域行政とかいろんなやり方があると思いますけれども、最終的にはやはり市町村の力というものを強めないと市町村自体が行政をこなしていけない。ですから、自主的なんですが、できるだけそういう方向で行ってもらわぬといかぬのじゃないのかなと。国や都道府県というものはやっぱりそれが進むように極力いろんな環境整備をしていくという必要があるんではないかというふうに思います。
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木村仁#10
○木村仁君 ありがとうございました。
 続いて、それでは前田参考人にお尋ねをいたします。
 前田参考人におかれては国会の御経験もおありになり、その御経験に基づく御意見をいただきまして本当にありがとうございました。国会の活性化のための提案の中に、恐らく時間の関係でお入れいただかなかったんだろうと思いますが、あらかじめいただきました論文の中には、公聴会に関する詳細な御議論がございます。
 お話にありましたレジスレーションとレジティメーション、このメーンルートとバイパスというような関係もありますが、参議院の特殊性を、特異性を出すためにどういう審議をしたらいいのかというものがかなり議論がされております。
 参議院は六年間選挙がありません。三年に一度選挙はありますが、半分だけだということで、現在のドッグイヤーと言われている時代における民意の反映という面では構造的にやっぱり問題があるのではないかと私は思うんです。そうしますと、例えば公聴会というような形でどんどん国民の意見をじかに聞くということが非常に重要になってくるのではなかろうかという気がいたします。
 そういうことで、例えば参議院は質疑応答という一般の委員会を行いながら、同時に常時公聴会を開いてあらゆる階層の人々の意見を聞いているというような審議のあり方があっていいのではないかなと常々思っておりますが、その点、時間がございませんで申しわけございませんが、コメントがおありになれば御指示いただきたいと思います。
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前田英昭#11
○参考人(前田英昭君) おっしゃるとおりでございます。
 いろいろな審議の仕方がございますが、公聴会を中心にしてと。これは私の差し上げました資料の中では、委員会中心主義というふうな形で、アメリカへ行きました渡米議員団の報告書の中に出ている。これはもっと中を見ますと、公聴会中心主義と。アメリカは公聴会中心主義でございますから、議員同士で話をするエグゼクティブ・セッションが別にあるのでございます。ですから、それを日本ではわからないから、委員会中心主義とこのとき理解されたんではないか。
 それから、委員会の公開制というものも同じでございます。エクセプト・バイ・エグゼクティブ・セッション。公聴会は公開する、そのほかは公開しないんだと。後のがないから、それは全部委員会は公開して、昭和三十年で非公開になった。
 そういうふうに公聴会を中心にしてやることは全く賛成。しかしながら、それが導入されたときは、いろんな形で公述人を呼んでやられたのでございます。公述人の数も大変多うございました。それから賛否につきましても、今は必ず同数でございます。そうじゃなくて、いろいろな方に来ていただく。そうすると、結果として賛成よりも反対の方が多くなることもあったと思います。そういうふうなことを初期においてやられておりました。だから、ぜひ公聴会はこれからも続ける。
 それから、各党推薦でいいけれども、この各党推薦ということを表へ出さないでいただきたい。
 私は学者になりまして、ある政党から推薦されたというと、ほかの研究会へ行くと、ああ、おまえは何党だったのかなんと言われると大変苦しいのでございます。何党のために行くんじゃなくて、やはりそのときに求められたら、自分がお役に立つというのなら行きたいというふうな気持ちでおりますので、そういうふうになる。だから、委員会の席、そのほかにもそういうのをおっしゃっていただきたくない。同時に、いろんな方に来ていただきたい。そして、これは私から言うのは口幅ったいのでございますけれども、呼んでいただいたならばもう少し時間をいただきたいということでございます。もういつもいつも大変短いのでございます。きょうも三時十分、もしかしたらこれは三時までじゃないかなという、裏のいろいろなことを私は考えるので、大変失礼でございますけれども、短うございます。
 だから、公聴会というものは、本題に戻しまして、大いにやっていただきたい、衆議院よりも余計やっていただきたいのでございます。よろしゅうございますね。
 それから、質疑というものも、昔は時間割り当てではございません。もう全く衆議院と同じパターンになりました。関連質問がある。自民党の方が質問なさっているときに、ちょっとやらせてくれよと社会党の方が質問する、これが関連質問でございます。これは大体昭和四十三年ごろまでやっておりました。このごろはそういうのはなくなりました。
 今の関連質問というのは、事前にだれだれの割り当ての時間のときにだれだれ議員もやるよと予告しておくわけでございます。その質問の隣に座って準備しておられる、それが関連質問。そうではございません。関連質問というのは、聞いていて私もしゃべりたい、ちょっとやらせてくれよ、どうぞと、こういうわけでございますね、余り長々じゃないけれども三十秒ぐらい、こういうふうなものがかつてあった。参議院はなかなかよかったと当時新聞に書かれたのを覚えております。調べれば出てまいります。
 そういうふうに、時間がないので、お答えすると私の持ち時間がなくなるとおっしゃいますからやめなきゃいけませんですけれども、衆議院と同じじゃなくて、党に縛られない、少しここはうんとやらせてくれよとか、関連質問とか公聴会とか、そのほか先ほど言いました逐条審議でございますね。これは衆議院は政権の基盤でございますからそういうのをやらないんです、参議院でもそういうのをおやりにならないと思う。しかし、立法府がそれぞれ提案された法律案の中身が何であるかを確認しないということは、立法意思が確認できないというのは、これは義務ということからいっても大事なことだろう。そして、そのことを確認しないままで法律ができて、行政府ないしは裁判所の方で自由に解釈されたらどういうことになるか。提案されたときの趣旨はこうだったということを確認しておく、これは大事なことでございます。そういう意味で逐条審議。
 そして逐条審議を、皆さん方からするとどこが問題かわからないから、ここに、前の資料によりますと四十二ページに書いておきましたけれども、渡米議員団の報告書の中にこう書いてあるんですね。委員長は、専門員にやらせなさいと書いてあります。「専門員にも専門的な立場から質疑を許し審査を全からしめる途を開くこと。」と書いてある。そうすると、なぜこういうことができるかとよく質問されるんです。議員がこんなことは質問できるかと。
 私は、申し上げたいのは、委員会で請願審査についての報告書を、これは委員長じゃないですね、専門員がおやりになっています。それは専門員にやらせているわけでございます。それならば、法制局とか調査室の方々に調べさせて、これは大事だ、そして委員長に質問してくださいと、代表質問させるわけですね。委員長は、おれはということで、専門員やりなさいと、こうなればできるわけでございます。かつてありました。
 そういうふうなことを考えながら、いろいろな形で創意工夫して、少なくとも参議院がおやっと思わせるようにするには衆議院と違ったことをやってほしいということ。どれがということではございませんが、時間がございませんからそれだけお答えさせていただきます。
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木村仁#12
○木村仁君 ありがとうございました。
 終わります。
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上杉光弘#13
○会長(上杉光弘君) 次に、簗瀬進君。
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簗瀬進#14
○簗瀬進君 民主党の簗瀬進でございます。
 世界第四位の審議時間が短い国であるということを前田先生に教えていただきまして、本当に恐縮をしながら短い時間の中で質問をさせていただきたいと思うんです。
 まず、諸井参考人にお尋ねをしたいんですけれども、大変示唆に富むお話を本当にありがとうございました。特に、政治、行政だけではなく、経済あるいは国民全体の意思形成のあり方等についての示唆に富むお話が大変私は印象に深く残っております。
 特に、いわゆる護送船団方式的な横並びの意思形成というようなものが、政治のみならず行政あるいは地方あるいは業界にあっても非常に今までの日本ではそれが一般的であったんではないのかな、こんな趣旨のお話もありましたし、それがさらに閣議の全員一致ということで、一種の意思形成の中での全会一致主義といいますか、そういうようなものについての示唆があったと思うんです。
 この憲法改正の議論をしながらいつも私は考えるのは、日本の国民というのは政治的な意思形成というようなものが本当の意味できちんとできるんだろうかというそういう危惧を持ちながら、偉そうな意味で言っているんではありません、例えば横並びで全会一致的にばっと一つの方向に大きくぶれてしまったりというようなことも結構歴史の中ではあるわけでございまして、このような一つの全会一致主義的な意思形成の癖といいますか、そういう一種の国民性的なものが今後やっぱり同じように続いていくんだろうかというふうな、そういう意外に深い疑問をずっと私は感じているんですけれども、参考人としてはどんなふうにお感じになりますでしょうか。
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諸井虔#15
○参考人(諸井虔君) 大変難しい御質問でございます。
 例えば私どもの経済界、今までは業界団体というのがあって、業界団体の中で大手も中小もみんな一緒にいろいろ議論して、できればみんな丸々生き残っていけるような方策を政府にお願いしてやっていただくと。政府、分担している省庁もそういう線で業界団体といろいろ相談をしながら、みんながまとまってやっていけるようなそういう政策を考えてくださるというふうなことで進んでまいったわけですけれども、この方式はもう今の世界的大競争の時代には全く通用しない。それをやっていけば、恐らく業界ぐるみ、大手も、最も強いものも含めて丸々競争に敗れてしまうだろうというところへもう今来ていると思うんですね。
 そうなると、もうそれぞれ一つ一つの企業が自分の責任で自分の行く道を考えると。失敗した場合に政府にお願いしますという話ではなくて、失敗はもう自分たちの責任、自分たちのリスクということでやっていく、それ以外にもう道はないと。大体行政だってこんな変動の激しい時代の先行きを読んで、こうしなさい、ああしなさいと言えるそんな段階じゃないわけですね。ですから、これはやっぱり一つ一つの企業が自分でやるしかないというところへもう来ているわけです、現実がどんどんそういうふうに迫ってまいりますから。
 私も、やっぱり日本の国民もそんなばかじゃなくて、それはみんなと同じようにやっていれば抵抗がなくていきやすいということは確かですけれども、それで結局、その結果自分がだめになる、その結果社会がだめになるということはだんだん見えてくるわけですから、私はそんなにいつまでもこれは続くものじゃないんじゃないのかというふうに楽観をしているわけでございます。
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簗瀬進#16
○簗瀬進君 それで、今、小泉総理が誕生いたしまして首相公選制というものが非常にクローズアップをされてきております。諸井参考人のお話の中でも、世論に近い形での意思決定は必要なのではないのかなとされながら、ただし、議会の意思とそれから公選の結果選ばれたリーダーとの間の食い違いが出た場合はどのようにそれをコントロールしたらいいのかなというようなことで、その部分についての、何といいますか、ためらいがあるようなふうに私は理解をさせていただきました。
 その上で、やっぱりこれからは、IT革命は私は意思形成の仕方にあっても非常に直接的な参加をそれぞれの人が、それぞれの有権者が求めるように間違いなくなると思うんですね。そういう趨勢の中では、まさに民意をさらに直接的に政治に参加をさせるという方向性を強めていかない限り、逆な意味での自分の意思がストレートに政治に反映をしていないということでのフラストレーション、これが制度自体を揺るがしてくるような状況になるんではないのかなと。
 まさにそういう意味で、時代の趨勢の中で、やはり首相公選あるいは国民投票制等の直接民主主義的な制度の枠組み変更ということはどうしても必要になるのではないのかなと考えておるんですけれども、この点についての御見解、これは諸井参考人とそれから前田参考人、お二人に伺わせていただきたいと思います。
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諸井虔#17
○参考人(諸井虔君) 今こういう局面になってきておりますので、非常に発言が難しい話なんだと思うんですけれども、私は前は首相公選というのは日本ではちょっと無理じゃないのかなと。それは、天皇制との関係もありますし、これはいわば大統領制のようなものですから、東京都や大阪府のかつての選挙のようなことが出てくる可能性もありますし、やっぱり今の形の方がいいんじゃないかなというふうに考えていたんでございますけれども、今度のことの流れを見て、果たして今までの考えのとおりでよかったかなと。確かに、天皇制との関連というのは小泉さんの言うような形で解決できないわけではないんだろうと思います。
 ですから、そうなると、国民の意思というものをより早く、よりよく伝えるという意味ではそれも一つの方法なのかもしれないなというふうに、必ずしもこれは全面肯定ではないんですけれども、ちょっとそんな気がしてきているところでございます。
 ただ、さっき申し上げたように、やはり国の意思決定というのはどこかではっきり、しかもこういうスピードの時代ですから迅速にしてもらわないと困る。議会と首相が食い違っちゃってなかなか結論が半年も出ないというようなことでは、非常に国全体としてマイナスになってくると思うんです。ですから、そういうふうにする場合には、それじゃ拒否権の問題とか、何か不信任をどう処理するかとか、あるいは解散をどうするかとかという、そういった点をきちんとして迅速に国民の意思が出るように。支持率だってやっぱり非常に極端に動くケースもあるわけですよね。それから、今はこうだからそのままでずっといくというわけでもないわけですし、その辺の運用というのは私はなかなか難しいものじゃないのかなと。
 しかし、最終的にはどっちがより迅速に、より正確に国民の意思をあらわすことになるんだろうかという点でもう一遍考え直してもいいような気が今しているところでございます。
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前田英昭#18
○参考人(前田英昭君) よく公選制の問題が出ますときに、今も諸井先生からおっしゃいましたけれども、元首との関係が云々というのが出てまいります。私は、元首との関係は切り離して考えるべきだろう、どうしてこれが元首と結びつくんだろうかと。それは、アメリカの大統領のことを考えるからだろうと思うんでございます。
 私としては、今のことについての最終的にどちらがいいかという結論を申し上げる準備もございませんが、ただ、考えていただきたいのは、今言ったようなそういういろいろこの公選制についての問題点というものを、よく御存じないと言うと変ですけれども、いろいろ複雑な問題が絡んでいる。それをはっきりさせないで議論しているところに問題があると思うんでございます。
 例えば、イギリスの場合に、日本では国会を勉強するときには立法機関だと、こう言うんでございますけれども、一八六七年に出ましたバジェットの「イングリッシュ・コンスティチューション」という本を見ますと、まず一番最初の機能、ファンクションは何か。セレクティブファンクションと出るんでございます。セレクティブファンクションで選ぶんですから、総理大臣を選ぶ指名選挙と考えてもいいんでございます。
 そうじゃないんでございますね。国会は言論活動の機関でございますから、先生方もそうですが、初当選してからずっと皆さんと一緒に過ごして生活していらっしゃる、議論する。そうすると、だんだんあの人はこういう人であるとわかってくる。あれはリーダーに、あの人はまじめだけれども少し政治性が足りないから議長のような方にいいかなとか、そういうふうにわかる。そういうふうにしてセレクトしていくんで、最後に自分たちで、あの人は総理にふさわしいからと出てくる。そういうふうな感じ。そうすると、国民から選んだ人が選ぶという間接選挙でございますね。こういう点に力点を置いているんでございます。
 そして、そういうふうな議会をまねしてつくったアメリカでございますから、制度は違いますけれども、大統領の選挙というのは直接じゃございません。今も手続的には間接選挙でございます。だけれども、間接選挙だけれども事実上直接選挙のようになっております。しかし、その前に予備選というのをやってございます。予備選という半年間にわたるような、正月から夏にわたる半年間にわたるような激戦をやって、有力な方が落ちているとか、そういうふうな予備選をやっている。
 そして、こういったようなものをエレクトラルカレッジ、つまり直接国民が選ぶのではなくて、その辺の周辺の人たち、いわばそういう政治のいろんな情報を持っておられる方、仲間、あの方はどういう方であるかと知っている人たちが集まって議論したら、あの人がいいという、そういうふうなエレクトラルカレッジがあって、そこから候補が選ばれる、それで最終的に国民が決めるんだと、こういうことでございます。
 そうしますと、アメリカもそうでございますし、イギリスもそうでございますが、先ほど私が申し上げたのは、今アメリカ式の公選制を導入するとしたら、それは憲法改正の問題につながる。そうしたら元首にかかわるかもしれないけれども、そうするとそれは大変なエネルギーを使うんでございます。その大変なエネルギーを使うくらいなら、今の不景気を吹っ飛ばすような、そっちに私は政治のエネルギーを使っていただきたい。学者であれば議論するのは幾らでもよろしゅうございます。
 それとは別に、イギリス型の首相公選制と、そういうことを言っている方はいらっしゃらないかもしれません。イギリス人は自分たちが総選挙の際に首相を選んでいるんでございます。ですから、選挙のときには何党がいいかを選び、党首のどちらを首相にするかということを考えている。だから、選挙に行くんでございます。関心があるんでございます。ですから補欠選挙を見ますと、イギリスは小選挙区制でございますから、しょっちゅう補欠選挙をやります。補欠選挙は野党が勝つとか、あるいはまたそのときは政権選択でなくて、その人とか、そのときの世論の、政治が約束どおりやっていないじゃないかという批判的な票が出てくるとか、そういうふうになるんです。だからそういうふうに、もしイギリスのような形で持っていくとしたら、何も憲法を改正しなくてもできるんです。
 そうすると、そこで大事なのは、政党の中における党首選挙でございます。今、小泉首相が自信を持っておられるのは、やはり党内の選挙、それを議員だけじゃなくて一般の方々を入れてやった、そうしたら勝った。しかし、どこまで広げたらいいのか。
 そうすると、アメリカの場合には予備選にも、予備選というのは党員でやるものでありますが、にわか党員という、そのときだけ私は入党しますと言えば選挙権を得ることができるんでございます。だから、そういうふうにしてどんどん広げていっていいのか。イギリスにおける保守党の選挙とか労働党の選挙というもの、余りすそ野を広げると問題が起きてくるんです。例えば──よろしいですか。
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簗瀬進#19
○簗瀬進君 ちょっと時間が超過しているので……
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前田英昭#20
○参考人(前田英昭君) はい。そういうふうなことを考えているんでございます。
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簗瀬進#21
○簗瀬進君 前田参考人にはもう一問お聞きしたかったんですけれども、民意を反映するメーンルートが日本の場合はまだまだしっかりと確立をされていない、これは大変重要な御指摘だと思います。
 しからば、この民意反映のメーンルートを変な癒着のない形でしっかりと築くためにはどのような方法があるのか、端的にお答えいただければと思います。
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前田英昭#22
○参考人(前田英昭君) それは選挙の際に政策を提示すること、それは政策でございます、スローガンではだめです。
 例えば、消費税を上げるとか上げないとか約束をしていただきたい。そしてその政策は、イギリスのようにいきますと、ちゃんとした公文書扱いでございますから残っているんでございます。そうすると、このときにちゃんと約束したのを、消費税を上げないと言ったら五年間、五年間といいますか、その政権の間は上げてほしくない、そういうふうな批判が国民から出てくる。そして国民だけではなくてマスコミの方も協力をしていただきたい、そういうふうなのが一つあります。
 要するに、政党改革ということだろうと思います。あといろいろありますが、まずそれが一番だと思っております。
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簗瀬進#23
○簗瀬進君 本当にもう時間がなくなってしまいまして、諸井参考人に、最後にもう一つの大きな憲法改正のテーマになるのが、私は地方自治をもっとはっきりとした形で明確化した道州制、あるいは我が党では連邦分権国家という連邦国家的な、完全に地域主権の国づくりということを考えてもいいんではないのかな、こういうふうな提案がございます。
 この点についての参考人の御見解を聞かせていただいて、質問を終わります。
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諸井虔#24
○参考人(諸井虔君) 連邦制には二種類あると思うんですね。今の都道府県をもう少し地域を拡大したような形の道州制、それからもう一つは、アメリカのように州がやはりある程度主権を持ったような形のそういう連邦制ですね。
 私は、前者についてはいずれやっていかなくちゃいけないんだろうなと。市町村の規模が拡大してくれば、やっぱり都道府県の規模も拡大せざるを得ないんだろうなと思います。ただ、アメリカのような、州がある程度主権を持って、それが連邦を構成するという意味での道州制というのは、ちょっと日本の場合に果たして妥当なのか、疑問を持っております。
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上杉光弘#25
○会長(上杉光弘君) 山下栄一君。
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山下栄一#26
○山下栄一君 初めに諸井参考人にお聞きしたいと思います。
 憲法調査会で地方自治の観点からの議論というのはどれだけあったのか定かに私は知りませんけれども、きょうは、現在、地方分権推進委員長の要職におられる、また地方分権一括法を一貫して大変な御苦労の中でまとめ上げられた、そういう諸井先生に来ていただいたということは、立法府としても、また憲法調査会としても非常に大事なことであるし、大きな歴史に残ることであると私は思っております。
 そういう観点からちょっと御質問したいわけですけれども、日本国憲法、戦後になって初めて地方自治という理念が憲法の中にうたわれたと、そういう大変な意義があるわけですけれども、ただ意識の上では、やはり中央が上で地方は下だというのは私は今も厳然とあると。それがまた、地方分権一括法の中でも大変な御苦労の中で官僚と闘われた背景ではないかなと思うんです。
 そういう観点から、先ほども地方自治の本旨ということに触れられたんですけれども、憲法九十二条ですか、結局妥協的なあいまいな形で、地方自治の本旨に基づいて法律で定めると、地方公共団体の実質的な運営、組織についてはというふうなことになってしまったという、そういう観点から憲法条項として地方自治の本旨の中身をもう少しやはりうたうべきであったのではないか。地方行政は独自に地方自治体が行うとか、また基礎的自治体こそが中心であるとか、また地方の自主財源の基本原則をうたうとかいうふうなことについては憲法条項として明らかにすべきであったのではないかと思いますし、今後そういう課題が憲法調査会も含めて今の日本の国の中にあるのではないかというふうなことを考えるわけですけれども、この点についてのお考えをお聞きしたいと思います。
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諸井虔#27
○参考人(諸井虔君) 私も大体同じような感じを持っております、これは個人的見解でございますけれども。やはり地方自治というのは、何か美しいものでいいものでやった方がいいというふうな、そんなロマンチックな話じゃなくて、現実の問題として、その地域の行政あるいは生活に関する行政というものはもうどんどん地方公共団体、特に市町村の方へ任せてお願いをしていかないと処理ができないという今事態になってきていると思うんですね。
 ですから、地方自治の本旨ということを、おっしゃるようにやはりもっとはっきりしてもらいたい。地域の問題とかそういう生活の問題に関しては、もうむしろ条例に任せるんだ、地方公共団体に任せるんだと。国がどうしても決めなきゃならないのはこの範囲ということをむしろ明確にしていかなくちゃいけないんじゃないか。そうしないと、せっかくの条文も結局国の法律の決め方でどうにでもなってしまうということになるのではないかというふうに思います。
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山下栄一#28
○山下栄一君 それと、先ほども少し木村委員の方からもお話がございましたけれども、市町村の合併の話ですけれども、特に市町村というのは一番、今もおっしゃいましたように、生活者の観点からの政策課題がどんどんふえる中で非常に重要な組織だと思うわけです、市町村というのは。その統廃合の問題について、住民投票の観点ですけれども、これはやはり住民に意見を、直接判断を、そういう問う機会をつくった方がいいのではないかと、こういう議論もあるわけですけれども、この統廃合の問題と住民投票の関連についてのお考えを諸井参考人にお聞きしたいと思います。
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諸井虔#29
○参考人(諸井虔君) 住民投票をどういう形で使うかということについて、地方分権委員会としては直接合併をするかしないかということを住民投票にかけてしまうということは少し問題があるだろうという考え方で、協議会の設置の問題というふうなところへ使うような形で考えてきたわけでありますけれども、私は合併の問題こそ住民投票に、これは個人的な考え方でございます、住民投票に最も適した問題ではないんだろうか。
 ということは、失礼ですが、首長さんなり議会の議員さんなりと住民の方の利害が合併に関して相反するケースというのは当然あり得るわけですね。それで、これはやはり住民の大多数の方が合併に賛成というのならば、その意思がやはりその合併にはっきり出てくるような、そういう形をとるのが本来ではないかと、私は個人的にはそう思っております。分権委員会の立場はちょっと違います。
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