憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十三年十一月八日(木曜日)
午前九時一分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 中川 正春君 幹事 細川 律夫君
幹事 斉藤 鉄夫君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
今村 雅弘君 奥野 誠亮君
金子 一義君 高村 正彦君
佐田玄一郎君 坂井 隆憲君
下村 博文君 菅 義偉君
谷本 龍哉君 中曽根康弘君
中山 正暉君 西田 司君
鳩山 邦夫君 松野 博一君
松本 和那君 森岡 正宏君
山崎 拓君 山本 公一君
吉野 正芳君 江崎洋一郎君
大出 彰君 岡田 克也君
鎌田さゆり君 小林 憲司君
島 聡君 仙谷 由人君
筒井 信隆君 手塚 仁雄君
中野 寛成君 中村 哲治君
楢崎 欣弥君 山内 功君
山田 敏雅君 上田 勇君
太田 昭宏君 都築 譲君
藤島 正之君 小沢 和秋君
塩川 鉄也君 春名 直章君
金子 哲夫君 原 陽子君
松浪健四郎君 近藤 基彦君
…………………………………
参考人
(東京大学法学部教授) 長谷部恭男君
参考人
(東京大学大学院法学政治
学研究科教授) 森田 朗君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
十一月八日
辞任 補欠選任
佐田玄一郎君 坂井 隆憲君
三塚 博君 谷本 龍哉君
小沢 鋭仁君 島 聡君
小林 憲司君 手塚 仁雄君
今野 東君 楢崎 欣弥君
首藤 信彦君 山内 功君
山口 富男君 小沢 和秋君
土井たか子君 原 陽子君
野田 毅君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
坂井 隆憲君 佐田玄一郎君
谷本 龍哉君 松野 博一君
手塚 仁雄君 小林 憲司君
楢崎 欣弥君 鎌田さゆり君
山内 功君 江崎洋一郎君
小沢 和秋君 塩川 鉄也君
原 陽子君 土井たか子君
松浪健四郎君 野田 毅君
同日
辞任 補欠選任
松野 博一君 吉野 正芳君
江崎洋一郎君 首藤 信彦君
鎌田さゆり君 今野 東君
塩川 鉄也君 山口 富男君
同日
辞任 補欠選任
吉野 正芳君 三塚 博君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時一分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 石川 要三君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 中川 正春君 幹事 細川 律夫君
幹事 斉藤 鉄夫君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
今村 雅弘君 奥野 誠亮君
金子 一義君 高村 正彦君
佐田玄一郎君 坂井 隆憲君
下村 博文君 菅 義偉君
谷本 龍哉君 中曽根康弘君
中山 正暉君 西田 司君
鳩山 邦夫君 松野 博一君
松本 和那君 森岡 正宏君
山崎 拓君 山本 公一君
吉野 正芳君 江崎洋一郎君
大出 彰君 岡田 克也君
鎌田さゆり君 小林 憲司君
島 聡君 仙谷 由人君
筒井 信隆君 手塚 仁雄君
中野 寛成君 中村 哲治君
楢崎 欣弥君 山内 功君
山田 敏雅君 上田 勇君
太田 昭宏君 都築 譲君
藤島 正之君 小沢 和秋君
塩川 鉄也君 春名 直章君
金子 哲夫君 原 陽子君
松浪健四郎君 近藤 基彦君
…………………………………
参考人
(東京大学法学部教授) 長谷部恭男君
参考人
(東京大学大学院法学政治
学研究科教授) 森田 朗君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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委員の異動
十一月八日
辞任 補欠選任
佐田玄一郎君 坂井 隆憲君
三塚 博君 谷本 龍哉君
小沢 鋭仁君 島 聡君
小林 憲司君 手塚 仁雄君
今野 東君 楢崎 欣弥君
首藤 信彦君 山内 功君
山口 富男君 小沢 和秋君
土井たか子君 原 陽子君
野田 毅君 松浪健四郎君
同日
辞任 補欠選任
坂井 隆憲君 佐田玄一郎君
谷本 龍哉君 松野 博一君
手塚 仁雄君 小林 憲司君
楢崎 欣弥君 鎌田さゆり君
山内 功君 江崎洋一郎君
小沢 和秋君 塩川 鉄也君
原 陽子君 土井たか子君
松浪健四郎君 野田 毅君
同日
辞任 補欠選任
松野 博一君 吉野 正芳君
江崎洋一郎君 首藤 信彦君
鎌田さゆり君 今野 東君
塩川 鉄也君 山口 富男君
同日
辞任 補欠選任
吉野 正芳君 三塚 博君
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本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(二十一世紀の日本のあるべき姿)
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。
本日、午前の参考人として東京大学法学部教授長谷部恭男君に御出席をいただき、統治機構に関する諸問題について御意見をお述べいただくことになっております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、長谷部参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。
本日、午前の参考人として東京大学法学部教授長谷部恭男君に御出席をいただき、統治機構に関する諸問題について御意見をお述べいただくことになっております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、長谷部参考人、お願いいたします。
長
長谷部恭男#2
○長谷部参考人 ただいま御紹介にあずかりました東京大学の長谷部恭男と申します。
本日はお招きにあずかりまして、大変光栄に感じております。非常に簡単なレジュメしか御用意しておりません。失礼をいたしますが、こちらに基づきまして話を進めさせていただきます。
事務局の方からあらかじめお話がございまして、首相公選制、それから衆議院と参議院の関係については必ず話をするようにという話がございましたので、その点からまず話を進めさせていただきます。
まず、首相公選制についてでありますが、この問題に関する私の意見は、さきにこちらの調査会、平成十二年の十一月九日の会議で、現在東京大学総長の佐々木毅教授、私の先輩ですが、佐々木参考人が発言した点と趣旨においてはほとんど同じであろうかと思います。
私が首相公選制と言うときに、主に念頭に置いておりますのは、最近までイスラエルで運用されていた首相公選制のことでございますが、ああいった形の首相公選制をとるとどういうことになるかと申しますと、レジュメの最初に書いておきましたとおり、首相の選択と議会選挙における政党の選択というものにずれを生ずる、そういう問題でございます。
本来、議院内閣制のもとでの政党の役割はどういうところにあるかと申しますと、これは、社会の中の多様な意見ですとか利害というものを吸い上げ、それを集約しまして、それを一貫した政策の形に組み立てる、さらにそれを首相の候補者とワンセットで有権者に提示するという点にあるかと思います。その結果、総選挙で勝利した政党ないし政党連合のリーダーが首相になる。そうして首相になったリーダーは、議会多数派の支持を既に得ているはずでありますから、その支持を基盤にして、総選挙で有権者に訴えかけた政策を実現していくということになるはずであります。
ところが、イスラエルにおいて実際に見られましたとおり、首相を直接公選にすることにいたしますと、こういう議院内閣制のもとでの政党の役割が機能不全を起こすことになります。つまり、有権者は、首相を選択する時点で既に国政の基本方針に関する選択を済ませたように感じる、そして、国会議員の選挙に際しましては、自分たちの属するより小さな、部分的な利益を代表する候補者に投票しようという行動に出ることになります。
また、政党の方も、実は、社会の多様な意見を吸い上げて集約し、それを首相候補者とワンセットで有権者に提示するという役割から解放されることになってしまいますので、そうなりますと、やはり個々の議員がそれぞれの部分利益を代表するという役割の方により偏っていくことになるはずであります。
そういたしますと、せっかく首相は選任されても、議会に首相を支持する安定した与党が存在しない。そのために、首相は、有権者に提示した政策を実行する手段を奪われてしまうということになるはずであります。そのために、首相公選制をとることによって首相の指導力を強化するというもくろみは外れることになったのだろうかと思います。
ただ、この点につきましては、イスラエルの選挙制度がかなり純粋な比例代表制をとっている、それがこうした首相の指導力の弱化ということにより貢献したのではないかという見方もあり得ようかと思います。
そういたしますと、例えば別のやり方、典型的には小選挙区制がそれになるかと思いますが、小選挙区制にすればもっとうまくいくのかという問題になります。私の予測では、余りうまくはいかないのではないかと感じております。
と申しますのも、小選挙区制という選挙制度は、それ自体の制度の論理といたしましては、実はローカルな特殊利益を代表する国会議員を選出する傾向を本来は持っているはずであります。
ただ、典型的に小選挙区制に基づく議院内閣制を運用しているイギリスはそうではないではないかという疑問が出てくるかもしれませんが、イギリスでそうした傾向が顕在化しないのはなぜかと申しますと、これは全国レベルで二大政党制が既に成立しておりまして、その全国レベルで首相の選択と結びついた国レベルの政策選択を行うという政治慣行ができているからであります。そのために、全国レベルの政策選択が地域レベルの利害の選択に優越するという状況があるからであります。
なぜそうなっているかといいますと、これは議院内閣制をとっていて、議会の多数派の指導者が首相になるという制度の論理がとられているからであります。これに対しまして、首相公選制をとる、首相は別建てで直接公選だということになりますと、やはり、こうしたイギリスで機能しているような選挙制度の論理というものも機能不全を起こすであろうと考えられるわけであります。
もう一つの制度の選択肢といたしまして、もう少しアメリカ型の純粋な大統領制にしたらどうなんだろうか、そういうアイデアも考えられるかと思いますが、ただ、この考え方もかなり大きなリスクを持っているというふうに私は考えております。
と申しますのも、アメリカ型のかなり厳格な権力分立の体制、そういう大統領制をとっている国家で、長期的に安定した民主政治を運営している国はほぼアメリカ合衆国一国に限られているというふうに言うことができるのではないかと思います。
現代国家と申しますのは、政府が社会経済の隅々にまでいろいろな形で干渉していく、介入していく、そういう必要がある国家であります。そういった国家で、立法と行政を厳格に分立するという体制をとって、うまくいく方がむしろ不思議であります。
そうすると、アメリカではなぜそれがうまくいっているのかという方向に疑問が進んでいくのだろうかと思います。
これはやはり、アメリカ独特の政治風土や政治慣行というものを考慮に入れなくてはいけないわけでありまして、これは先生方の方が御案内かと思いますけれども、アメリカでは議員立法が行われているというふうに言われてはおりますけれども、実は、少なくとも重要法案の大部分につきましては、行政府の側で法律案を用意しまして、それを議会の議員に提案して、そして議員立法として議会に提案してもらうという慣行がございます。そういう意味では、実際の立法活動では、行政府と立法府とが互いに協働する、協力して働いていくという慣行ができ上がっております。
また、投票の規律というものがかなり緩やかでありまして、大統領と議会の多数派の間にたとえ食い違いが起こっても、それがそれほど政治運営のデッドロックを生じない、そういう状況。あるいは、外交防衛上の大きな問題が起こったときには、いろいろな政治的な立場を超えて一致する、国内でコンセンサスをつくり上げよう、こういう強い伝統があるということもあります。
こういったアメリカ特有の政治風土なり政治慣行なりをほかの国に移植するということは、これはなかなか難しいのではないか。つまり、制度の枠組みを輸入することはできても、その制度をうまく運用させていく背景の風土なり慣行なりを一緒に輸入することができるのかどうか、そういう問題があるかと思います。
したがいまして、このような形の制度の改革にもかなり大きなリスクがあるというのが私の考えであります。
レジュメで次の問題で、衆議院と参議院の関係について話を進めさせていただきます。
これまたよく言われることでございまして、特に物珍しいことを申し上げるわけではないんですが、二院制の妙味を生かすには両院の構成が異なっている必要があるというふうによく言われることでありますし、そのとおりであるかなと思います。
ところが、日本国憲法下の両院制というのは、なかなかこの両院の構成を異ならせるためには不都合なところがございます。と申しますのが、参議院の権限が、第二院といたしましては比較制度的に見ても相当に強い権限を持っているということであります。つまり、衆議院と参議院とで法律案の議決が異なっておりますときには、衆議院がその最終的な結論を決めるためには三分の二以上の多数が必要であるということになっておりますので、そうなりますと、衆議院の多数を支配している与党・政府は、参議院の多数派をも同時にコントロールしなくてはその政策の執行に必要な法律を得られないという状況、これは憲法の論理から必然的に出てくる結論だということになります。つまり、衆議院の多数派は参議院の多数派をもコントロールせざるを得ないようになっているわけであります。
そういたしますと、両院の構成を異ならせて二院制の妙味を生かそうといたしますと、非常に簡単な結論は参議院の権限を縮小するということになるはずでありますが、ただ、参議院の権限を縮小するということになりますと、これは憲法改正ということになりまして、憲法上、参議院議員の三分の二の賛成を得る必要がございますので、現実論といたしましては、かなり難しい問題になるかなと思います。
そういたしますと、とりあえず考えられますのが、参議院がその権限を自主的に抑制して行使するような慣例、すなわち憲法習律の形成が必要なのではないか、そういうアイデアが考えられるわけであります。例えば、地方自治や司法の独立の保障といったかなり国政上の基本的な問題、あるいは国の長期的な政策構想にかかわる問題に限って衆議院と異なる機能なり発言なりをする、そういった形で権限の行使をみずから抑える、あるいは参議院議員からは閣僚、副大臣など政府の構成員を出さないといった慣行の形成等がとりあえずは考えられます。
このように自主的に謙抑的に権限を行使するという慣行ができてしまいますと、実は、憲法改正の必要も逆になくなってくることになるのかなということであります。
次に、レジュメの3と4の問題に入っていきたいと思います。
レジュメの3と4でお話ししようと思っておりますのは、つまり、今までのような例えば首相公選制という形のアイデアが出てまいりますのは、やはりその背景には、現在の議院内閣制の制度の枠組みなり運用の仕方なりにつきまして、これを改善する余地があるのではないか、そういう問題意識があるからではないかと思うからであります。
そこで、では、議院内閣制、あるいはもう少し広くとりまして、議会制民主主義というものは、本来どのように動くのが正しい姿なんだろうか、そういういかにも学者らしい問題につきましてお話をさせていただこうというわけであります。
議会制民主主義につきましても、その正しい運用のあり方についての古典的なイメージというものがあります。これは十九世紀のイギリスにおける政治のあり方がモデルになっておりまして、そこでの古典的なイメージと申しますのは、言論、出版の自由が保障されて、社会の中に多様な見解が行き渡る。そして、そういった多様な見解を吸い上げる形で議会での公開の審議と決定が行われる。もちろん、結論は多数決で決まるわけですが、多数派もみずからの決定を説得力のある形で公開の議論の場で正当化する必要があるわけですし、そういった議論の過程を通じまして、少数派もあしたの多数派になる可能性を持っている。こうして、公開の場での審議と決定を通じまして、次第に、政治プロセス全体としては、客観的に存在する公益、社会全体の利益へと近づいていくことができるという、かなりユートピア的なイメージであります。
ただ、こういった議会制民主主義の古典的な像というものは、もはや現代国家ではそのままでは動かなくなっているのではないかという非常に強い批判が、これはかなり昔から、二十世紀の初めのころからございます。
よく知られておりますのは、ワイマール共和国の時期に行われましたカール・シュミットという憲法学者の批判であります。
彼に言わせますと、大衆が政治の舞台にあらわれ、その大衆の支持を調達するために組織政党というものが発達してまいりますと、こういった組織政党というものは、政治活動のためのリソースとして特定の利益集団に依拠するようになる。そして、そういう特定の利益集団を代表する組織政党というものは、かたい投票規律でもって、メンバーが公開の場で話す議論の内容あるいは多数決で示す投票の結果につきましても、あらかじめ結論を決めてしまっている。このように、あらかじめ所属する組織によって結論が決まっているのであるといたしますと、公開の場での審議には意味はない、相手方の議論を聞いて結論を変えるわけではないからであります。そういたしますと、あり得るのは密室における特殊利益の取引と妥協だけではないか。これがシュミットの批判の概要でございます。
こういった批判に基づきまして、シュミットが、ではどうするべきかと言ったかと申しますと、直接民主制だと。つまり、そういう秘密投票による、間接民主制での、結果としての密室での特殊利益の取引と妥協ではなくて、公開の場での喝采によって治者と被治者の自同性を直接に明らかにしよう、そういう提案であります。ただ、こういったシュミットの提案がどのような結末をもたらしたかということは、これも広く知られているところであります。
このシュミットの批判についての対応の仕方でありますが、いろいろな対応の仕方が考えられます。
一つの対応の仕方が、レジュメのその次に書いている受けとめ方でありまして、これは、シュミットの描くような現代の議会制民主主義のあり方というのが、議会制民主主義の、本来現代議会制として運用されるべき姿なのだ、そういうことであります。これは一種の価値相対主義に立脚している考え方でありまして、要するに、この世には客観的な公益などというものは存在しないという割り切りの上に成り立っております。実際には、多様な価値観や利害が存在しているだけであると。
そういたしますと、残るところはどういうことかと申しますと、組織政党というパイプを通じまして、それを議会に代表する、多数決で結論を出すということだけであります。ただ、多数決で結論を出すプロセスでは、いろいろな妥協もあって、少数派の意見も取り入れられていく。したがって、すべての立場がそれ相応に満足を得ることができるではないか、そのことが重要なのだ、そういう立場であります。
こういった見地からいたしますと、実は、間接的な民主主義をとるということにもそれほど大きな意味はないわけでありまして、いずれにいたしましても、客観的な公益は存在しない、個々のばらばらの利害や価値観があるだけでありますので、そういった個々の意見や利害というものを直接に政治的な取引の場に参加させるということが、むしろより本来の姿に近いということにもなるわけであります。
こういった割り切り方も一つの立場ではありますが、ただ、政治の役割というのは本当にそういったことだけなのか、そういう疑問が当然のように出てくるわけであります。
こういった価値相対主義の立場からいたしますと、公開の場におきまして国政について討議をすることにはほとんど何の意味もないということになりかねないことになります。
そこで出てくる局面を打開する考え方が、レジュメで申しますと次に書いてある「討議民主主義」という考え方であります。これはデリバレーティブデモクラシーという英語を翻訳したものでありますが、議会制民主主義というのはやはり客観的な公益の実現を目指すべき討議の場でなくてはいけないのだ、そういう考え方であります。この考え方からいたしますと、いわゆる民主的な討議と多数決による決定というのは、実は、客観的にも正しい決定に至るからこそ、あるいは至る蓋然性が高いからこそ、これを設営することに意味がある、そういう考え方であります。
これを基礎づける物の考え方というのもいろいろなアイデアがあります。例えば、よく引き合いに出される考え方といたしまして、これはパズルのような話なんですが、コンドルセの定理という考え方があります。コンドルセというのは、フランス革命当時に活躍したフランスの数学者ですが、彼に言わせますと、ある社会のメンバーが、平均して考えたときに、二分の一を超える確率、つまり五〇%を超える確率で正しい選択をする、そういう条件が満たされていますと、多数決で正しい選択がなされる確率は参加する人数がふえればふえるほど高まる、そういう定理であります。
選択肢が二つしかない場合に、正しい方を人が選ぶ確率というのは、当てずっぽうで選んでも五〇%でありますから、公開の審議の場でいろいろな情報を聞いた上で各自が判断をして、五〇%を超える確率で正しい選択をする、そういう条件はそれほど非現実的なものとは言えないかなと思います。
それからさらに、これはアリストテレス以来ある考え方でございますけれども、多数者の知恵、そういうアイデアがあります。これは、多様な経験や知識を持った人々が集まって討議を交わすことで、そのうちの最もすぐれた個人が独力でたどり着くよりもなおすぐれた判断というものができるはずだということでございまして、個人が独力で集められる知識や経験にはおのずと限りがございますので、多様な人々が集まって議論をすることは、そういった個人個人の能力の限界を超える意味がある、そういう考え方であります。
ただ、こういったコンドルセの定理ですとか多数者の知恵というのは、話としてはなかなかおもしろいけれども、それが現代の議会制でそのまま通用するとは言えないのではないかという疑問が当然出てくるはずであります。
これは、先ほど御紹介しましたシュミットの描いておりますとおり、現代の議会制民主主義というのは組織政党が主なプレーヤーでありますので、だれが何を語りいかに投票するかというのは所属する政党によってあらかじめ決まっている、公開の場での討議を通じて議員が見解を変えるということはそれほど期待はできないわけであります。したがいまして、多数者の知恵というアリストテレスのアイデアが働く余地もかなり限られているだろう。また、投票規律によって実質的な意味での投票者の数は減ってくるわけでありますから、先ほど御紹介いたしましたコンドルセの定理というのもそのままの形ではうまく働かないはずであります。
ただ、この点で、あきらめてしまうのは実はまだ早い、そういう話がございまして、現代ドイツの社会哲学者でハバーマスという有名な人がいます。これは彼の提案でありますけれども、彼の提案では、現代の議会制民主主義というのはもう少し広がりを持った形で理解しなくてはいけない。つまり、現代の議会制民主主義では、公開の場での討議と決定を経て公益へと至るプロセスというのは、時間的にも空間的にもより広がりを持った形で実は行われているのだ、そういう話であります。
つまり、議会での討論というのは、実は反対政党に対して行われているのではなく、むしろ世論一般に向けて語りかけられているのであるという形でありまして、世論一般では、それを受けて社会全体での討議というものが進んでいく、そういった社会全体での討議の結果というのは、引き続く選挙を通じて議会の構成へと反映されていくはずだという話であります。そう言って、時間的にも空間的にもより広がりを持った形で、公開の場での討議と決定というのは本当は進んでいるのだ、そういう見方であります。
ただ、このハバーマスの見方につきましても、さらに本当にそのとおりなのかという疑問を出すことができるわけでありまして、これまたシュミットの指摘にさかのぼってまいりますけれども、議会で行われている討論というのは、本当は、客観的な公益を目指しているわけではなくて、特定の利益集団の主張を反映しているだけではないか、そういうかなりシニカルな指摘であります。
これに対してどういうふうに答えるのかということでありますが、確かにそういったことはあり得るとは思います。ただ、こういった特殊利益なり部分利益を追求しようという立場からいたしましても、公開の場でそれをあからさまに示すということは、実はその目的自体に反しております。つまり、そういう特殊利益を追求しようという目的からいたしましても、公開の場におきましては、それがあたかも一般公共の利益になるかのように筋の通った議論を組み立てていく必要があるわけであります。ただ、そういった大義名分を立てた以上は、結論におきましても特殊利益や部分利益を丸出しにすることはできないはずでありまして、そういった大義名分に対する一定の譲歩は迫られるはずであります。
これは非常に常識的な議論に戻っていってしまうわけでありますが、つまり、世の中では大義名分も大事でありますが、具体的に制度や仕組みを動かしていく人々の利害というものもやはり重要でありまして、いずれが欠けても制度や仕組みというのはうまく動いていかないものであります。今まで申し上げた話は、公開の場における討議と決定というものにはこの二つを近づけて両方の実現を図る効用がある、そういう話であります。
したがいまして、結論といたしましては、非常に凡俗な話にはなりますけれども、一般公共の利益を目指す筋の通った議論というものを公開の場で展開するのが現代民主政治における政治家のあるべき役割だ、そういう結論になるかと存じます。
以上で私の話を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →本日はお招きにあずかりまして、大変光栄に感じております。非常に簡単なレジュメしか御用意しておりません。失礼をいたしますが、こちらに基づきまして話を進めさせていただきます。
事務局の方からあらかじめお話がございまして、首相公選制、それから衆議院と参議院の関係については必ず話をするようにという話がございましたので、その点からまず話を進めさせていただきます。
まず、首相公選制についてでありますが、この問題に関する私の意見は、さきにこちらの調査会、平成十二年の十一月九日の会議で、現在東京大学総長の佐々木毅教授、私の先輩ですが、佐々木参考人が発言した点と趣旨においてはほとんど同じであろうかと思います。
私が首相公選制と言うときに、主に念頭に置いておりますのは、最近までイスラエルで運用されていた首相公選制のことでございますが、ああいった形の首相公選制をとるとどういうことになるかと申しますと、レジュメの最初に書いておきましたとおり、首相の選択と議会選挙における政党の選択というものにずれを生ずる、そういう問題でございます。
本来、議院内閣制のもとでの政党の役割はどういうところにあるかと申しますと、これは、社会の中の多様な意見ですとか利害というものを吸い上げ、それを集約しまして、それを一貫した政策の形に組み立てる、さらにそれを首相の候補者とワンセットで有権者に提示するという点にあるかと思います。その結果、総選挙で勝利した政党ないし政党連合のリーダーが首相になる。そうして首相になったリーダーは、議会多数派の支持を既に得ているはずでありますから、その支持を基盤にして、総選挙で有権者に訴えかけた政策を実現していくということになるはずであります。
ところが、イスラエルにおいて実際に見られましたとおり、首相を直接公選にすることにいたしますと、こういう議院内閣制のもとでの政党の役割が機能不全を起こすことになります。つまり、有権者は、首相を選択する時点で既に国政の基本方針に関する選択を済ませたように感じる、そして、国会議員の選挙に際しましては、自分たちの属するより小さな、部分的な利益を代表する候補者に投票しようという行動に出ることになります。
また、政党の方も、実は、社会の多様な意見を吸い上げて集約し、それを首相候補者とワンセットで有権者に提示するという役割から解放されることになってしまいますので、そうなりますと、やはり個々の議員がそれぞれの部分利益を代表するという役割の方により偏っていくことになるはずであります。
そういたしますと、せっかく首相は選任されても、議会に首相を支持する安定した与党が存在しない。そのために、首相は、有権者に提示した政策を実行する手段を奪われてしまうということになるはずであります。そのために、首相公選制をとることによって首相の指導力を強化するというもくろみは外れることになったのだろうかと思います。
ただ、この点につきましては、イスラエルの選挙制度がかなり純粋な比例代表制をとっている、それがこうした首相の指導力の弱化ということにより貢献したのではないかという見方もあり得ようかと思います。
そういたしますと、例えば別のやり方、典型的には小選挙区制がそれになるかと思いますが、小選挙区制にすればもっとうまくいくのかという問題になります。私の予測では、余りうまくはいかないのではないかと感じております。
と申しますのも、小選挙区制という選挙制度は、それ自体の制度の論理といたしましては、実はローカルな特殊利益を代表する国会議員を選出する傾向を本来は持っているはずであります。
ただ、典型的に小選挙区制に基づく議院内閣制を運用しているイギリスはそうではないではないかという疑問が出てくるかもしれませんが、イギリスでそうした傾向が顕在化しないのはなぜかと申しますと、これは全国レベルで二大政党制が既に成立しておりまして、その全国レベルで首相の選択と結びついた国レベルの政策選択を行うという政治慣行ができているからであります。そのために、全国レベルの政策選択が地域レベルの利害の選択に優越するという状況があるからであります。
なぜそうなっているかといいますと、これは議院内閣制をとっていて、議会の多数派の指導者が首相になるという制度の論理がとられているからであります。これに対しまして、首相公選制をとる、首相は別建てで直接公選だということになりますと、やはり、こうしたイギリスで機能しているような選挙制度の論理というものも機能不全を起こすであろうと考えられるわけであります。
もう一つの制度の選択肢といたしまして、もう少しアメリカ型の純粋な大統領制にしたらどうなんだろうか、そういうアイデアも考えられるかと思いますが、ただ、この考え方もかなり大きなリスクを持っているというふうに私は考えております。
と申しますのも、アメリカ型のかなり厳格な権力分立の体制、そういう大統領制をとっている国家で、長期的に安定した民主政治を運営している国はほぼアメリカ合衆国一国に限られているというふうに言うことができるのではないかと思います。
現代国家と申しますのは、政府が社会経済の隅々にまでいろいろな形で干渉していく、介入していく、そういう必要がある国家であります。そういった国家で、立法と行政を厳格に分立するという体制をとって、うまくいく方がむしろ不思議であります。
そうすると、アメリカではなぜそれがうまくいっているのかという方向に疑問が進んでいくのだろうかと思います。
これはやはり、アメリカ独特の政治風土や政治慣行というものを考慮に入れなくてはいけないわけでありまして、これは先生方の方が御案内かと思いますけれども、アメリカでは議員立法が行われているというふうに言われてはおりますけれども、実は、少なくとも重要法案の大部分につきましては、行政府の側で法律案を用意しまして、それを議会の議員に提案して、そして議員立法として議会に提案してもらうという慣行がございます。そういう意味では、実際の立法活動では、行政府と立法府とが互いに協働する、協力して働いていくという慣行ができ上がっております。
また、投票の規律というものがかなり緩やかでありまして、大統領と議会の多数派の間にたとえ食い違いが起こっても、それがそれほど政治運営のデッドロックを生じない、そういう状況。あるいは、外交防衛上の大きな問題が起こったときには、いろいろな政治的な立場を超えて一致する、国内でコンセンサスをつくり上げよう、こういう強い伝統があるということもあります。
こういったアメリカ特有の政治風土なり政治慣行なりをほかの国に移植するということは、これはなかなか難しいのではないか。つまり、制度の枠組みを輸入することはできても、その制度をうまく運用させていく背景の風土なり慣行なりを一緒に輸入することができるのかどうか、そういう問題があるかと思います。
したがいまして、このような形の制度の改革にもかなり大きなリスクがあるというのが私の考えであります。
レジュメで次の問題で、衆議院と参議院の関係について話を進めさせていただきます。
これまたよく言われることでございまして、特に物珍しいことを申し上げるわけではないんですが、二院制の妙味を生かすには両院の構成が異なっている必要があるというふうによく言われることでありますし、そのとおりであるかなと思います。
ところが、日本国憲法下の両院制というのは、なかなかこの両院の構成を異ならせるためには不都合なところがございます。と申しますのが、参議院の権限が、第二院といたしましては比較制度的に見ても相当に強い権限を持っているということであります。つまり、衆議院と参議院とで法律案の議決が異なっておりますときには、衆議院がその最終的な結論を決めるためには三分の二以上の多数が必要であるということになっておりますので、そうなりますと、衆議院の多数を支配している与党・政府は、参議院の多数派をも同時にコントロールしなくてはその政策の執行に必要な法律を得られないという状況、これは憲法の論理から必然的に出てくる結論だということになります。つまり、衆議院の多数派は参議院の多数派をもコントロールせざるを得ないようになっているわけであります。
そういたしますと、両院の構成を異ならせて二院制の妙味を生かそうといたしますと、非常に簡単な結論は参議院の権限を縮小するということになるはずでありますが、ただ、参議院の権限を縮小するということになりますと、これは憲法改正ということになりまして、憲法上、参議院議員の三分の二の賛成を得る必要がございますので、現実論といたしましては、かなり難しい問題になるかなと思います。
そういたしますと、とりあえず考えられますのが、参議院がその権限を自主的に抑制して行使するような慣例、すなわち憲法習律の形成が必要なのではないか、そういうアイデアが考えられるわけであります。例えば、地方自治や司法の独立の保障といったかなり国政上の基本的な問題、あるいは国の長期的な政策構想にかかわる問題に限って衆議院と異なる機能なり発言なりをする、そういった形で権限の行使をみずから抑える、あるいは参議院議員からは閣僚、副大臣など政府の構成員を出さないといった慣行の形成等がとりあえずは考えられます。
このように自主的に謙抑的に権限を行使するという慣行ができてしまいますと、実は、憲法改正の必要も逆になくなってくることになるのかなということであります。
次に、レジュメの3と4の問題に入っていきたいと思います。
レジュメの3と4でお話ししようと思っておりますのは、つまり、今までのような例えば首相公選制という形のアイデアが出てまいりますのは、やはりその背景には、現在の議院内閣制の制度の枠組みなり運用の仕方なりにつきまして、これを改善する余地があるのではないか、そういう問題意識があるからではないかと思うからであります。
そこで、では、議院内閣制、あるいはもう少し広くとりまして、議会制民主主義というものは、本来どのように動くのが正しい姿なんだろうか、そういういかにも学者らしい問題につきましてお話をさせていただこうというわけであります。
議会制民主主義につきましても、その正しい運用のあり方についての古典的なイメージというものがあります。これは十九世紀のイギリスにおける政治のあり方がモデルになっておりまして、そこでの古典的なイメージと申しますのは、言論、出版の自由が保障されて、社会の中に多様な見解が行き渡る。そして、そういった多様な見解を吸い上げる形で議会での公開の審議と決定が行われる。もちろん、結論は多数決で決まるわけですが、多数派もみずからの決定を説得力のある形で公開の議論の場で正当化する必要があるわけですし、そういった議論の過程を通じまして、少数派もあしたの多数派になる可能性を持っている。こうして、公開の場での審議と決定を通じまして、次第に、政治プロセス全体としては、客観的に存在する公益、社会全体の利益へと近づいていくことができるという、かなりユートピア的なイメージであります。
ただ、こういった議会制民主主義の古典的な像というものは、もはや現代国家ではそのままでは動かなくなっているのではないかという非常に強い批判が、これはかなり昔から、二十世紀の初めのころからございます。
よく知られておりますのは、ワイマール共和国の時期に行われましたカール・シュミットという憲法学者の批判であります。
彼に言わせますと、大衆が政治の舞台にあらわれ、その大衆の支持を調達するために組織政党というものが発達してまいりますと、こういった組織政党というものは、政治活動のためのリソースとして特定の利益集団に依拠するようになる。そして、そういう特定の利益集団を代表する組織政党というものは、かたい投票規律でもって、メンバーが公開の場で話す議論の内容あるいは多数決で示す投票の結果につきましても、あらかじめ結論を決めてしまっている。このように、あらかじめ所属する組織によって結論が決まっているのであるといたしますと、公開の場での審議には意味はない、相手方の議論を聞いて結論を変えるわけではないからであります。そういたしますと、あり得るのは密室における特殊利益の取引と妥協だけではないか。これがシュミットの批判の概要でございます。
こういった批判に基づきまして、シュミットが、ではどうするべきかと言ったかと申しますと、直接民主制だと。つまり、そういう秘密投票による、間接民主制での、結果としての密室での特殊利益の取引と妥協ではなくて、公開の場での喝采によって治者と被治者の自同性を直接に明らかにしよう、そういう提案であります。ただ、こういったシュミットの提案がどのような結末をもたらしたかということは、これも広く知られているところであります。
このシュミットの批判についての対応の仕方でありますが、いろいろな対応の仕方が考えられます。
一つの対応の仕方が、レジュメのその次に書いている受けとめ方でありまして、これは、シュミットの描くような現代の議会制民主主義のあり方というのが、議会制民主主義の、本来現代議会制として運用されるべき姿なのだ、そういうことであります。これは一種の価値相対主義に立脚している考え方でありまして、要するに、この世には客観的な公益などというものは存在しないという割り切りの上に成り立っております。実際には、多様な価値観や利害が存在しているだけであると。
そういたしますと、残るところはどういうことかと申しますと、組織政党というパイプを通じまして、それを議会に代表する、多数決で結論を出すということだけであります。ただ、多数決で結論を出すプロセスでは、いろいろな妥協もあって、少数派の意見も取り入れられていく。したがって、すべての立場がそれ相応に満足を得ることができるではないか、そのことが重要なのだ、そういう立場であります。
こういった見地からいたしますと、実は、間接的な民主主義をとるということにもそれほど大きな意味はないわけでありまして、いずれにいたしましても、客観的な公益は存在しない、個々のばらばらの利害や価値観があるだけでありますので、そういった個々の意見や利害というものを直接に政治的な取引の場に参加させるということが、むしろより本来の姿に近いということにもなるわけであります。
こういった割り切り方も一つの立場ではありますが、ただ、政治の役割というのは本当にそういったことだけなのか、そういう疑問が当然のように出てくるわけであります。
こういった価値相対主義の立場からいたしますと、公開の場におきまして国政について討議をすることにはほとんど何の意味もないということになりかねないことになります。
そこで出てくる局面を打開する考え方が、レジュメで申しますと次に書いてある「討議民主主義」という考え方であります。これはデリバレーティブデモクラシーという英語を翻訳したものでありますが、議会制民主主義というのはやはり客観的な公益の実現を目指すべき討議の場でなくてはいけないのだ、そういう考え方であります。この考え方からいたしますと、いわゆる民主的な討議と多数決による決定というのは、実は、客観的にも正しい決定に至るからこそ、あるいは至る蓋然性が高いからこそ、これを設営することに意味がある、そういう考え方であります。
これを基礎づける物の考え方というのもいろいろなアイデアがあります。例えば、よく引き合いに出される考え方といたしまして、これはパズルのような話なんですが、コンドルセの定理という考え方があります。コンドルセというのは、フランス革命当時に活躍したフランスの数学者ですが、彼に言わせますと、ある社会のメンバーが、平均して考えたときに、二分の一を超える確率、つまり五〇%を超える確率で正しい選択をする、そういう条件が満たされていますと、多数決で正しい選択がなされる確率は参加する人数がふえればふえるほど高まる、そういう定理であります。
選択肢が二つしかない場合に、正しい方を人が選ぶ確率というのは、当てずっぽうで選んでも五〇%でありますから、公開の審議の場でいろいろな情報を聞いた上で各自が判断をして、五〇%を超える確率で正しい選択をする、そういう条件はそれほど非現実的なものとは言えないかなと思います。
それからさらに、これはアリストテレス以来ある考え方でございますけれども、多数者の知恵、そういうアイデアがあります。これは、多様な経験や知識を持った人々が集まって討議を交わすことで、そのうちの最もすぐれた個人が独力でたどり着くよりもなおすぐれた判断というものができるはずだということでございまして、個人が独力で集められる知識や経験にはおのずと限りがございますので、多様な人々が集まって議論をすることは、そういった個人個人の能力の限界を超える意味がある、そういう考え方であります。
ただ、こういったコンドルセの定理ですとか多数者の知恵というのは、話としてはなかなかおもしろいけれども、それが現代の議会制でそのまま通用するとは言えないのではないかという疑問が当然出てくるはずであります。
これは、先ほど御紹介しましたシュミットの描いておりますとおり、現代の議会制民主主義というのは組織政党が主なプレーヤーでありますので、だれが何を語りいかに投票するかというのは所属する政党によってあらかじめ決まっている、公開の場での討議を通じて議員が見解を変えるということはそれほど期待はできないわけであります。したがいまして、多数者の知恵というアリストテレスのアイデアが働く余地もかなり限られているだろう。また、投票規律によって実質的な意味での投票者の数は減ってくるわけでありますから、先ほど御紹介いたしましたコンドルセの定理というのもそのままの形ではうまく働かないはずであります。
ただ、この点で、あきらめてしまうのは実はまだ早い、そういう話がございまして、現代ドイツの社会哲学者でハバーマスという有名な人がいます。これは彼の提案でありますけれども、彼の提案では、現代の議会制民主主義というのはもう少し広がりを持った形で理解しなくてはいけない。つまり、現代の議会制民主主義では、公開の場での討議と決定を経て公益へと至るプロセスというのは、時間的にも空間的にもより広がりを持った形で実は行われているのだ、そういう話であります。
つまり、議会での討論というのは、実は反対政党に対して行われているのではなく、むしろ世論一般に向けて語りかけられているのであるという形でありまして、世論一般では、それを受けて社会全体での討議というものが進んでいく、そういった社会全体での討議の結果というのは、引き続く選挙を通じて議会の構成へと反映されていくはずだという話であります。そう言って、時間的にも空間的にもより広がりを持った形で、公開の場での討議と決定というのは本当は進んでいるのだ、そういう見方であります。
ただ、このハバーマスの見方につきましても、さらに本当にそのとおりなのかという疑問を出すことができるわけでありまして、これまたシュミットの指摘にさかのぼってまいりますけれども、議会で行われている討論というのは、本当は、客観的な公益を目指しているわけではなくて、特定の利益集団の主張を反映しているだけではないか、そういうかなりシニカルな指摘であります。
これに対してどういうふうに答えるのかということでありますが、確かにそういったことはあり得るとは思います。ただ、こういった特殊利益なり部分利益を追求しようという立場からいたしましても、公開の場でそれをあからさまに示すということは、実はその目的自体に反しております。つまり、そういう特殊利益を追求しようという目的からいたしましても、公開の場におきましては、それがあたかも一般公共の利益になるかのように筋の通った議論を組み立てていく必要があるわけであります。ただ、そういった大義名分を立てた以上は、結論におきましても特殊利益や部分利益を丸出しにすることはできないはずでありまして、そういった大義名分に対する一定の譲歩は迫られるはずであります。
これは非常に常識的な議論に戻っていってしまうわけでありますが、つまり、世の中では大義名分も大事でありますが、具体的に制度や仕組みを動かしていく人々の利害というものもやはり重要でありまして、いずれが欠けても制度や仕組みというのはうまく動いていかないものであります。今まで申し上げた話は、公開の場における討議と決定というものにはこの二つを近づけて両方の実現を図る効用がある、そういう話であります。
したがいまして、結論といたしましては、非常に凡俗な話にはなりますけれども、一般公共の利益を目指す筋の通った議論というものを公開の場で展開するのが現代民主政治における政治家のあるべき役割だ、そういう結論になるかと存じます。
以上で私の話を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。拍手
中
中
中
中山太郎#5
○中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。
まず、調査会を代表いたしまして私から総括的質疑を行い、その後、委員からの質疑を行います。
それでは、ただいまからお伺いをさせていただきます。
まず、参考人に、本日、大変貴重な御意見をいただいて、まことにありがとうございました。
実は、小泉内閣総理大臣が、五月九日の衆議院本会議におきまして、首相公選制について発言をされておられます。参考人も御存じのように、このような発言が行われております。
私は、この首相公選制というのは、政治の分野における規制緩和の一つだと思っております。今、国会議員だけが総理大臣を選ぶ権利を持っている、それを一般国民に開放するということでありまして、これは当然、憲法改正が必要だと思います。
その際には、天皇制の問題とか今の議会はどうあるかと、いろいろな問題が出てまいります。この問題については、私個人だけの考えではなく、憲法学者初め多くの識者の意見を聞いていくべき問題であり、また、国民的な議論を盛り上げて、多くの国民が納得できるような首相公選制がいいなという気持ちで、早急に懇談会を立ち上げて具体案を提示していきたいと所信表明に盛り込んだつもりであります。
今、私が考えるところは、当然、天皇制とこの首相公選制は矛盾しない、両立できる。そして、候補者も、県知事とか市長選挙みたいにだれでも立候補するということではなくて、国会議員から何名かの推薦を要件とするということになれば、いわゆる売名候補とか泡沫候補も阻止できるんじゃないか。
いずれにしても、議会をなくす話じゃありません。議会とこの首相公選、両立できる、天皇制とも矛盾しない制度を考えてもらいたいという気持ちで、懇談会を立ち上げて、多くの学識者の意見を聞きながら具体案を提示していきたいと思っております。
このように本会議で述べておられます。
この発言に国民は大きな関心を持っておられると思いますが、私ども当調査会の調査団は、本年八月にイスラエルへ参りまして、イスラエルのいわゆる首相公選制の状況とその経過について調査をいたしました。
イスラエルは、先生からも御指摘のように、議院内閣制、そして議院の議席は百二十、閣僚は二十八、こういうことでございまして、結局、先生の御指摘のように、首相候補者の投票と、選ばれるクネセットの国会議員のいわゆる投票の質が違ってくる。つまり、御指摘のように、ローカルな利益あるいは宗教とのつながりの深い考え方で投票が行われた結果、このようなことになって、首相が提案する法律案というものが議会でなかなか通らない。この経過を五年やってみて、今年から首相公選制を憲法改正して廃止した、こういう説明を受けてまいりました。
今ここで、小泉首相が首相公選制を我が国に導入するというお考えを明示されたわけでありますが、それには懇談会を立ち上げて意見を求めたい、こういうお話であります。
先生は、首相公選制というものには極めて問題が多いという御指摘が先ほどありました。また、大統領制を導入しているアメリカはアメリカ一国のみで成功していて、これを他の国に移植することは非常に難しいという御指摘もされたわけでありますが、日本の場合には天皇制という制度がございます。もし首相公選制を導入した場合、国家元首というもの、そして首相の権限、こういったものと、国民からあるいは外国から見て、天皇制のもとでの首相の認証ということによって、国のいわゆる代表者、国事行為を行う代表者の立場というものがどのように変わっていくのか、この点について参考人から率直な御意見をちょうだいいたしたいと思います。
よろしくお願いします。
この発言だけを見る →まず、調査会を代表いたしまして私から総括的質疑を行い、その後、委員からの質疑を行います。
それでは、ただいまからお伺いをさせていただきます。
まず、参考人に、本日、大変貴重な御意見をいただいて、まことにありがとうございました。
実は、小泉内閣総理大臣が、五月九日の衆議院本会議におきまして、首相公選制について発言をされておられます。参考人も御存じのように、このような発言が行われております。
私は、この首相公選制というのは、政治の分野における規制緩和の一つだと思っております。今、国会議員だけが総理大臣を選ぶ権利を持っている、それを一般国民に開放するということでありまして、これは当然、憲法改正が必要だと思います。
その際には、天皇制の問題とか今の議会はどうあるかと、いろいろな問題が出てまいります。この問題については、私個人だけの考えではなく、憲法学者初め多くの識者の意見を聞いていくべき問題であり、また、国民的な議論を盛り上げて、多くの国民が納得できるような首相公選制がいいなという気持ちで、早急に懇談会を立ち上げて具体案を提示していきたいと所信表明に盛り込んだつもりであります。
今、私が考えるところは、当然、天皇制とこの首相公選制は矛盾しない、両立できる。そして、候補者も、県知事とか市長選挙みたいにだれでも立候補するということではなくて、国会議員から何名かの推薦を要件とするということになれば、いわゆる売名候補とか泡沫候補も阻止できるんじゃないか。
いずれにしても、議会をなくす話じゃありません。議会とこの首相公選、両立できる、天皇制とも矛盾しない制度を考えてもらいたいという気持ちで、懇談会を立ち上げて、多くの学識者の意見を聞きながら具体案を提示していきたいと思っております。
このように本会議で述べておられます。
この発言に国民は大きな関心を持っておられると思いますが、私ども当調査会の調査団は、本年八月にイスラエルへ参りまして、イスラエルのいわゆる首相公選制の状況とその経過について調査をいたしました。
イスラエルは、先生からも御指摘のように、議院内閣制、そして議院の議席は百二十、閣僚は二十八、こういうことでございまして、結局、先生の御指摘のように、首相候補者の投票と、選ばれるクネセットの国会議員のいわゆる投票の質が違ってくる。つまり、御指摘のように、ローカルな利益あるいは宗教とのつながりの深い考え方で投票が行われた結果、このようなことになって、首相が提案する法律案というものが議会でなかなか通らない。この経過を五年やってみて、今年から首相公選制を憲法改正して廃止した、こういう説明を受けてまいりました。
今ここで、小泉首相が首相公選制を我が国に導入するというお考えを明示されたわけでありますが、それには懇談会を立ち上げて意見を求めたい、こういうお話であります。
先生は、首相公選制というものには極めて問題が多いという御指摘が先ほどありました。また、大統領制を導入しているアメリカはアメリカ一国のみで成功していて、これを他の国に移植することは非常に難しいという御指摘もされたわけでありますが、日本の場合には天皇制という制度がございます。もし首相公選制を導入した場合、国家元首というもの、そして首相の権限、こういったものと、国民からあるいは外国から見て、天皇制のもとでの首相の認証ということによって、国のいわゆる代表者、国事行為を行う代表者の立場というものがどのように変わっていくのか、この点について参考人から率直な御意見をちょうだいいたしたいと思います。
よろしくお願いします。
長
長谷部恭男#6
○長谷部参考人 どうもありがとうございます。
イスラエルの調査からお帰りの先生方に対して、私のようにイスラエルに行ったこともない人間がお話をするのは、お経をとってきた三蔵法師に説法するようなお話だったかと思いますけれども、その失礼を省みずに、さらにお話をさせていただきます。
首相公選制と天皇制との関係ということでございます。
これは、イギリスの昔の政治学者でバジョットという人がいますが、彼がイギリスの国政について指摘した議論の中に、憲法には尊厳的な部分と機能的な部分があるんだ、ある種、国家の威権というものを象徴して国民の信従を調達する部分と、実際に統治を担っていく部分が区別できるのであるということを指摘しているわけなんです。仮に、今首相公選制を採用した場合におきましても、天皇と公選首相の間には、やはり尊厳的な部分と機能的な部分の区分というものは当然成り立ち得ますので、制度としてどうしても両者が矛盾をするということではないのではないかと思います。
ただ、これは中山会長御指摘のように、首相が直接公選で選ばれるということになりますと、それはそれなりに一種のカリスマをそこで調達するということになりますので、そのために、事実上、国の象徴としての役割を果たすということは当然あり得るのであろうかと思います。
これは、例えば現在のイギリスで、トニー・ブレア首相とエリザベス女王とで、いずれが英国をよりよく象徴しているとイギリス国民も思い、あるいは海外の人間も思うかという問題と関連をしているかと思います。この問題は意見の分かれるところではないかと思います。
ただ、一言つけ加えますと、国の象徴がだれか、あるいはそれが何かという問題は、突き詰めて申しますと、結局は、個々の人が心の中でどう思っているか、個々の人が例えばエリザベス女王がイギリスの象徴だと思っているのか、あるいはむしろトニー・ブレア首相が国の象徴だと思っているのかという、個々の人の思いようの問題でございまして、法令や制度で定めるとそうなるという問題ではないのかなと思います。事実上の問題ということになりますので、制度を考えるときに、決定的な答えを決める際の条件になるということではないかなと思います。
以上でございます。
この発言だけを見る →イスラエルの調査からお帰りの先生方に対して、私のようにイスラエルに行ったこともない人間がお話をするのは、お経をとってきた三蔵法師に説法するようなお話だったかと思いますけれども、その失礼を省みずに、さらにお話をさせていただきます。
首相公選制と天皇制との関係ということでございます。
これは、イギリスの昔の政治学者でバジョットという人がいますが、彼がイギリスの国政について指摘した議論の中に、憲法には尊厳的な部分と機能的な部分があるんだ、ある種、国家の威権というものを象徴して国民の信従を調達する部分と、実際に統治を担っていく部分が区別できるのであるということを指摘しているわけなんです。仮に、今首相公選制を採用した場合におきましても、天皇と公選首相の間には、やはり尊厳的な部分と機能的な部分の区分というものは当然成り立ち得ますので、制度としてどうしても両者が矛盾をするということではないのではないかと思います。
ただ、これは中山会長御指摘のように、首相が直接公選で選ばれるということになりますと、それはそれなりに一種のカリスマをそこで調達するということになりますので、そのために、事実上、国の象徴としての役割を果たすということは当然あり得るのであろうかと思います。
これは、例えば現在のイギリスで、トニー・ブレア首相とエリザベス女王とで、いずれが英国をよりよく象徴しているとイギリス国民も思い、あるいは海外の人間も思うかという問題と関連をしているかと思います。この問題は意見の分かれるところではないかと思います。
ただ、一言つけ加えますと、国の象徴がだれか、あるいはそれが何かという問題は、突き詰めて申しますと、結局は、個々の人が心の中でどう思っているか、個々の人が例えばエリザベス女王がイギリスの象徴だと思っているのか、あるいはむしろトニー・ブレア首相が国の象徴だと思っているのかという、個々の人の思いようの問題でございまして、法令や制度で定めるとそうなるという問題ではないのかなと思います。事実上の問題ということになりますので、制度を考えるときに、決定的な答えを決める際の条件になるということではないかなと思います。
以上でございます。
中
保
保岡興治#8
○保岡委員 きょうは、先生におかれましては、本当に貴重なお話を承らせていただいて、心からまずお礼を申し上げたいと思います。
私も、今中山会長のお話しになった、総理が首相公選制の導入を考えて発言をされた、それには憲法改正を要する、ただ、多くの学者や識者や国民の理解が必要だという前提でのお話だったわけですが、これは、必ずしも小泉総理だけじゃなくて、国民が、自分が総理大臣を選べるということに対しては非常に期待感もあるし、今、いろいろな人に聞くと、総理を自分で選べるというのは賛成だという人もかなりいるわけですね。
こういった首相公選論を期待するというか、それに賛成する、そういう風潮の背景がどういうものであるか、先生の御理解をお話しいただければと思います。
この発言だけを見る →私も、今中山会長のお話しになった、総理が首相公選制の導入を考えて発言をされた、それには憲法改正を要する、ただ、多くの学者や識者や国民の理解が必要だという前提でのお話だったわけですが、これは、必ずしも小泉総理だけじゃなくて、国民が、自分が総理大臣を選べるということに対しては非常に期待感もあるし、今、いろいろな人に聞くと、総理を自分で選べるというのは賛成だという人もかなりいるわけですね。
こういった首相公選論を期待するというか、それに賛成する、そういう風潮の背景がどういうものであるか、先生の御理解をお話しいただければと思います。
長
長谷部恭男#9
○長谷部参考人 どうも御質問ありがとうございます。
国民が直接総理を選ぶということで、国の基本的な政策決定にみずから参加をしていく、そういう満足感を得ることができる。国のリーダーをみずから直接決めることに参加をすることで、それで満足感なり責任感を得ることができるという考え方は確かにあり得るところかなとは思いますが、ただ、私は、満足感なり責任感なりを実現の目的として一定の制度を導入するということには、少し慎重でなくてはいけないのではないかなと思います。
と申しますのも、先ほど私が御説明したような形で首相公選制を導入いたしますと、実際には、首相の直接公選によっても、国の基本的な方針を本当に決めたことにはならないのかもしれない。確かに、一定の政策を提言した首相を直接に選んだことは選んだのであるけれども、その政策を実施する手段となる法案なり予算案なりを、議会に安定した支持が欠けているために通し得ることができないということになりますと、結局のところは、直接に国政の基本方針を決定したことにはならないのではないかと思います。ですから、そうだといたしますと、首相公選制によって得られるのは、何となく国の基本的な方針に直接参加したかのような満足感であり責任感ではあるんだけれども、それは単なる感じにとどまっていて、実質は伴っていないということになりそうであります。
そうなりますと、何となくそういう感じを実現するために、実質を伴わないような制度を導入してもいいのかどうか、そうなるリスクも十分にあるのではないかということはやはり心得なくてはいけないのかな、そういう感じがしております。
この発言だけを見る →国民が直接総理を選ぶということで、国の基本的な政策決定にみずから参加をしていく、そういう満足感を得ることができる。国のリーダーをみずから直接決めることに参加をすることで、それで満足感なり責任感を得ることができるという考え方は確かにあり得るところかなとは思いますが、ただ、私は、満足感なり責任感なりを実現の目的として一定の制度を導入するということには、少し慎重でなくてはいけないのではないかなと思います。
と申しますのも、先ほど私が御説明したような形で首相公選制を導入いたしますと、実際には、首相の直接公選によっても、国の基本的な方針を本当に決めたことにはならないのかもしれない。確かに、一定の政策を提言した首相を直接に選んだことは選んだのであるけれども、その政策を実施する手段となる法案なり予算案なりを、議会に安定した支持が欠けているために通し得ることができないということになりますと、結局のところは、直接に国政の基本方針を決定したことにはならないのではないかと思います。ですから、そうだといたしますと、首相公選制によって得られるのは、何となく国の基本的な方針に直接参加したかのような満足感であり責任感ではあるんだけれども、それは単なる感じにとどまっていて、実質は伴っていないということになりそうであります。
そうなりますと、何となくそういう感じを実現するために、実質を伴わないような制度を導入してもいいのかどうか、そうなるリスクも十分にあるのではないかということはやはり心得なくてはいけないのかな、そういう感じがしております。
保
保岡興治#10
○保岡委員 なるほど、先生のお話からいえば、確かに、総理を選ぶ満足感と責任感で筋を通しても、その総理が議会に提出した法案や予算その他の案件を議決してもらえなければ、結局は、実質、責任感や満足感は実現できない、そういう御指摘でございましたけれども、今、国民が首相を自分で選びたいというのは、一種の閉塞感があるんじゃないかと私は思っておるんです。非常に世界が大きく変わるというんでしょうか、世界や日本に連動する急激な大転換期だ、そういうことに対してなかなか、総理がくるくるかわってみたり、それから、本当に迅速的確な、国民に国の未来の進むべき道や社会像、あるいは生活がどう変わるか、そういったことが的確に行われているという満足感がない。したがって、自分で総理を選んで、何とか強いリーダーシップで政策決定のプロセスを筋を通して強力に進めて、国民の求める政策を実現していくことに非常に強い期待があるというか、それができないことに不満があるというか、そういう状況があるんじゃないかと思うんですね。
それで、そういう国民の、強い総理のリーダーシップ、安定した政治を求めるということは、イスラエルにおいてもやはり同じ期待があったために首相公選制の導入というものに入っていったということで、そういった国民の、首相のリーダーシップや的確迅速な政策決定に対する期待というものを、もし我が国で首相公選制を導入しないとすれば、どういう形で実現していくべきなのか。
今、日本は議院内閣制をとっているわけですが、そういった意味では、議会の多数の選ぶ総理大臣ということでございますから、本来ならば強いリーダーシップが働いてもいいはずだと思うんですね。事実、議院内閣制をとっているイギリスなどでも非常に強い総理のリーダーシップがある。一体なぜ、日本でこういう安定したあるいは強い総理のリーダーシップが得られないのか。これはどの政党から見ても当然の政治の一番の課題だと思うんですが、先生はどのようにお考えか、お聞かせいただければと思います。
この発言だけを見る →それで、そういう国民の、強い総理のリーダーシップ、安定した政治を求めるということは、イスラエルにおいてもやはり同じ期待があったために首相公選制の導入というものに入っていったということで、そういった国民の、首相のリーダーシップや的確迅速な政策決定に対する期待というものを、もし我が国で首相公選制を導入しないとすれば、どういう形で実現していくべきなのか。
今、日本は議院内閣制をとっているわけですが、そういった意味では、議会の多数の選ぶ総理大臣ということでございますから、本来ならば強いリーダーシップが働いてもいいはずだと思うんですね。事実、議院内閣制をとっているイギリスなどでも非常に強い総理のリーダーシップがある。一体なぜ、日本でこういう安定したあるいは強い総理のリーダーシップが得られないのか。これはどの政党から見ても当然の政治の一番の課題だと思うんですが、先生はどのようにお考えか、お聞かせいただければと思います。
長
長谷部恭男#11
○長谷部参考人 確かに、迅速的確な統治活動への期待、政治の指導力の強化への期待があるというのは、先生の御指摘のとおり間違いのないところかと思います。
私が首相公選制に関して持っている考え方というのは、先ほども申し上げたとおり、どうも首相公選制を導入いたしましても、迅速的確な統治活動や政治の指導力の強化はちょっと期待薄であろうか、こういうことであります。
他方、議院内閣制というのは、先生御指摘のとおり、うまく回っていれば、迅速的確な統治活動や強力な政治的指導力を実現できるはずの統治制度であります。
イギリスと日本とでどうしてそういう違いが出てくるのかということになるわけなんですが、これはもちろんいろいろな要素が絡み合ってそういう結果になっているのであろうかと思いますが、恐らく、そのうちの一つは、日本におきましては、よく言われているところですけれども、政策決定が与党と政府とで二本立てになっているということが言われますが、イギリスにはそういったことはございません。つまり、与党というのは政府でありまして、与党の議員のかなりの部分が政府の中に入り込んでいる、政府の中にポジションを占めて政策決定に当たっている、そういう事情がございます。こういうふうに政策決定のプロセスを一本化いたしますと、的確かどうかはとにかく、少なくとも迅速にはなるかなと思いますし、それを束ねている首相の指導力もある程度は強まるに違いないかな、そういう考えを持っております。
以上です。
この発言だけを見る →私が首相公選制に関して持っている考え方というのは、先ほども申し上げたとおり、どうも首相公選制を導入いたしましても、迅速的確な統治活動や政治の指導力の強化はちょっと期待薄であろうか、こういうことであります。
他方、議院内閣制というのは、先生御指摘のとおり、うまく回っていれば、迅速的確な統治活動や強力な政治的指導力を実現できるはずの統治制度であります。
イギリスと日本とでどうしてそういう違いが出てくるのかということになるわけなんですが、これはもちろんいろいろな要素が絡み合ってそういう結果になっているのであろうかと思いますが、恐らく、そのうちの一つは、日本におきましては、よく言われているところですけれども、政策決定が与党と政府とで二本立てになっているということが言われますが、イギリスにはそういったことはございません。つまり、与党というのは政府でありまして、与党の議員のかなりの部分が政府の中に入り込んでいる、政府の中にポジションを占めて政策決定に当たっている、そういう事情がございます。こういうふうに政策決定のプロセスを一本化いたしますと、的確かどうかはとにかく、少なくとも迅速にはなるかなと思いますし、それを束ねている首相の指導力もある程度は強まるに違いないかな、そういう考えを持っております。
以上です。
保
保岡興治#12
○保岡委員 議院内閣制でも本来総理の強いリーダーシップはとれるはずだ、それを妨げている一つの大きな要因は、政府・与党の政策決定が二元化していて、責任がどちらにあるかはっきりしないとか、与党が了承しなければ、政府は法案を国会に提出したりいろいろな施策の実現に向かえない、進んでいけないというようなところに問題があるんじゃないかというような御趣旨と受けとめました。
確かに、先ほど先生が言われたように、与党の事前審査というのがあるわけですね。事前審査を経てくる法案というのは、与党はもう十二分に了解して出した法案だからということで、国会で与党が法案や案件をめぐって発言する機会が少なくなってしまう。
また、先生がさっき、いわゆる公開の場での議論が適正に行われることによって、正しい多数の公益、客観的公益につながる蓋然性の高い議論や議決が保障、担保されるというようなことをおっしゃったわけですが、政府・与党の二元性と議会の空洞化、これとの関係について、先生はどういう御見解をお持ちでしょうか。
この発言だけを見る →確かに、先ほど先生が言われたように、与党の事前審査というのがあるわけですね。事前審査を経てくる法案というのは、与党はもう十二分に了解して出した法案だからということで、国会で与党が法案や案件をめぐって発言する機会が少なくなってしまう。
また、先生がさっき、いわゆる公開の場での議論が適正に行われることによって、正しい多数の公益、客観的公益につながる蓋然性の高い議論や議決が保障、担保されるというようなことをおっしゃったわけですが、政府・与党の二元性と議会の空洞化、これとの関係について、先生はどういう御見解をお持ちでしょうか。
長
長谷部恭男#13
○長谷部参考人 非常に重要な御指摘でありまして、イギリスの例をまた持ち出すことになりますけれども、イギリスにおきましては、よく知られておりますとおり、投票に関しては規律がありますけれども、議会での討論に関しては規律は存在しておりません。与党の議員でありましても、議会に何らかの法案が出てきて初めて、ああ、こんな法案が出てきたのかということを知らされる。ですから、その場になって、おかしいではないか、私はこの点は反対だという討議を行う例は非常にしばしば見られるところであります。
ですから、先生がおっしゃるとおり、与党内部での事前審査をやめて、議会の場で、公開の場で討議をすることにすれば、より公益を目指す公開の場での審議というものが実質的に行われるではないか、そういうアイデア、考え方というのは当然あり得る考え方ではないかなというふうに考えております。
この発言だけを見る →ですから、先生がおっしゃるとおり、与党内部での事前審査をやめて、議会の場で、公開の場で討議をすることにすれば、より公益を目指す公開の場での審議というものが実質的に行われるではないか、そういうアイデア、考え方というのは当然あり得る考え方ではないかなというふうに考えております。
保
保岡興治#14
○保岡委員 そうすると、議会を充実して政府提出の法案を審議していくためには、議会の運営に当たる議運とか委員会の委員長あるいは議長、こういった人たちが非常に公正な立場で議会を運営するという慣行が必要だと思うんですが、その点いかがでしょうか。日本の場合は、運営は国対という憲法などに規定のない機関が、与党機関と野党の機関が話し合いで進めるという慣行があるんですが、どうでしょうか。
この発言だけを見る →長
長谷部恭男#15
○長谷部参考人 一国の議会の中の運用の仕方というのは、さまざまな伝統があり、いろいろな時代の知恵が集まってでき上がっているものでありますので、軽々にここをああするべきだ、こうするべきだというふうに言い得るものではないかなとは思いますけれども、これまたイギリスの例を出させていただきますと、イギリスの特定の政策を審議する委員会は、与党、野党の立場を離れて、政府の政策が本当にいいのか悪いのか、適切なのか適切でないのかをまさに公平中立な立場で審査する、そういう性格を持っているものでありまして、公平中立な立場での審査をするがゆえに、そういった委員会の出すリポートも社会的に非常に高く評価をされる、そういった事情がございます。
ですから、どのような立場で委員会等での審議を行い、どういった形での結論を出すかということは当然社会での評価にもつながってくる、そして、そういった慣行なり制度というものが再生産されていく、そういう事情ではないかなというふうに考えております。
この発言だけを見る →ですから、どのような立場で委員会等での審議を行い、どういった形での結論を出すかということは当然社会での評価にもつながってくる、そして、そういった慣行なり制度というものが再生産されていく、そういう事情ではないかなというふうに考えております。
保
保岡興治#16
○保岡委員 先ほど先生、与党の政策責任者が政府に入って、そして、強力な内閣の主導というか、総理を中心とするリーダーシップを一元化して進めることがイギリスの行っている慣行だというお話がございました。
私は、これは自分の意見なんですが、官僚の縦割りの弊害というんですか、そして官僚の持つ、目前にならなきゃ問題をやらない、あるいは中長期の展望に立った総合的な企画立案、将来の大きな構想みたいな、理念みたいなことには、これは、役人になじむというよりかは、むしろ国民と直接つながる政治家の責任ということを考えると、今先生が言われた内閣と与党の政策決定の一元化というのは、そういう点でも非常に重要な機能を効果的に発揮するんではないかと思いますが、いかがでしょう。
この発言だけを見る →私は、これは自分の意見なんですが、官僚の縦割りの弊害というんですか、そして官僚の持つ、目前にならなきゃ問題をやらない、あるいは中長期の展望に立った総合的な企画立案、将来の大きな構想みたいな、理念みたいなことには、これは、役人になじむというよりかは、むしろ国民と直接つながる政治家の責任ということを考えると、今先生が言われた内閣と与党の政策決定の一元化というのは、そういう点でも非常に重要な機能を効果的に発揮するんではないかと思いますが、いかがでしょう。
長
長谷部恭男#17
○長谷部参考人 先生がおっしゃるとおり、そういう効果も確かに期待できるのではないかと思います。官僚制度にどの程度の役割を果たさせるかというのもこれまた国ごとに違うところでありますけれども、仮に、その官僚制度が現在のままでは中長期的な政策構想等に関しまして不十分なところがあるということでございますと、それを補完する形で、例えば民間のシンクタンクなり、あるいはシンクタンクとは言わないまでもさまざまな民間の団体、組織等の知恵を吸い上げていく、そういう試みもやはり必要になってくるのかなとは考えております。
この発言だけを見る →保
保岡興治#18
○保岡委員 今の我が国の置かれているというか、どの国もそうだと思うんですが、いろいろな制度や政策の見直しに迫られる。また、総理のリーダーシップ、内閣のリーダーシップ、的確迅速な政策決定というのは、だれが総理になっても、どの党が政権についても当然必要とされることなんで、首相公選制という問題は、決してそれ自体がいい悪いだけの問題ではなくて、その究極の目的である首相のリーダーシップ、それを発揮するための安定した政治という意味で、我々、大きな政治のテーマではないかと思います。
最後に、衆議院と参議院のお話がございました。参議院が、権限が強過ぎると。確かに憲法上は、予算とか条約の優越権とか、法律も一定の条件のもとに優越性が認められてはいるものの、参議院の方も同じような選挙制度になっているし、大臣や政務官、副大臣等も政府に送るという形になっていて、余り機能の違いがない。
ところが、衆議院は、総理の不信任決議が成立したら、総理がやめるか解散するかという、民意を問う仕組みがあって、国民とそういう点で密接につながる第一院としての機能も持っているわけですね。ところが、参議院は三年ごとに交代する、半数を入れかえるという形で安定させてある。
ところが、参議院の与党が少数になりますと、今度は参議院の安定した数の不足が連立をつくる。要するに、どちらかというと、二院制で、コントロールしたり補完したりする議院の構成で肝心の政府の構成が決まってしまう、連立政権で。
こういうことは、私は、この憲法の持つ最大の欠点じゃないか、連立政権のよしあしは別として、制度の大きな欠点ではないかと思いますが、いかがでしょうか。最大の憲法の改正の項目ではないかと思いますが、いかがでございましょう。
この発言だけを見る →最後に、衆議院と参議院のお話がございました。参議院が、権限が強過ぎると。確かに憲法上は、予算とか条約の優越権とか、法律も一定の条件のもとに優越性が認められてはいるものの、参議院の方も同じような選挙制度になっているし、大臣や政務官、副大臣等も政府に送るという形になっていて、余り機能の違いがない。
ところが、衆議院は、総理の不信任決議が成立したら、総理がやめるか解散するかという、民意を問う仕組みがあって、国民とそういう点で密接につながる第一院としての機能も持っているわけですね。ところが、参議院は三年ごとに交代する、半数を入れかえるという形で安定させてある。
ところが、参議院の与党が少数になりますと、今度は参議院の安定した数の不足が連立をつくる。要するに、どちらかというと、二院制で、コントロールしたり補完したりする議院の構成で肝心の政府の構成が決まってしまう、連立政権で。
こういうことは、私は、この憲法の持つ最大の欠点じゃないか、連立政権のよしあしは別として、制度の大きな欠点ではないかと思いますが、いかがでしょうか。最大の憲法の改正の項目ではないかと思いますが、いかがでございましょう。
長
長谷部恭男#19
○長谷部参考人 これは、先ほど私が冒頭の説明の中でも申し上げたところですけれども、二院制の妙味を生かすためには、両院の構成なりその役割が異なっている必要があるんです。ただ、参議院の現在の、特に法案の議決に関する権限が相当に強いものであるがゆえに、衆議院における多数派、そして政府というものは、参議院での支持も確保していなければ政策をちゃんと執行していけない、そういう実態にあるというのは、これは先生おっしゃったとおりのことでありまして、それがやはり問題と言えば問題だ。つまり、それでは、制度の論理からして、二院制の妙味というものを生かすことができないことになっているわけであります。
ただ、これまた先ほど申し上げたことの繰り返しになってしまいますけれども、では、憲法上の権限を憲法改正を通じて縮減するのかと申しますと、それには参議院の特別多数の賛成を経なくてはいけない問題になりますので、現実論としては非常に難しいかなと。
そういたしますと、そういった正面からの制度改正という非常に現実的には難しい問題よりも、その前に、今現実的な話といたしましては、自主的に謙抑的に権限を行使するような慣行をつくっていただく、そういう呼びかけをするというのがとりあえずは考えられる、そういうお話をしたわけでございます。
この発言だけを見る →ただ、これまた先ほど申し上げたことの繰り返しになってしまいますけれども、では、憲法上の権限を憲法改正を通じて縮減するのかと申しますと、それには参議院の特別多数の賛成を経なくてはいけない問題になりますので、現実論としては非常に難しいかなと。
そういたしますと、そういった正面からの制度改正という非常に現実的には難しい問題よりも、その前に、今現実的な話といたしましては、自主的に謙抑的に権限を行使するような慣行をつくっていただく、そういう呼びかけをするというのがとりあえずは考えられる、そういうお話をしたわけでございます。
保
中
山
山田敏雅#22
○山田(敏)委員 民主党の山田敏雅でございます。本日はどうもありがとうございました。
最初に、首相公選制の背景というのを先ほどから保岡議員も言われました。この点について、ちょっとお伺いしたいと思います。
先ほどから出ておりますように、まず非常に共通した認識として、リーダーシップが必要である。正しい、そして的確、そして迅速なリーダーシップが必要だ、これは私も同じ意見でございます。過去十年間に十人ぐらい総理がかわった。大臣に至っては数カ月でかわる。こういうことでは、国民が望む、そして日本の正しい将来は難しい、これが、私を初め国民の意見としてあるんではないかと思います。
そこで、小泉総理は、総理になられたときに、私のケースは、疑似首相公選というか一種の首相公選によって選ばれた、すなわち、国民の望む改革をこの内閣ではやっていくんだというような意味を込めて言われました。田中外務大臣初め、外務省の機密の疑惑、これを改革していこう、これは一種国民の望む改革であります。
この七カ月の間に、この一種の疑似首相公選制、これはどういうふうに評価、あるいは見ていらっしゃるか、お伺いいたします。
この発言だけを見る →最初に、首相公選制の背景というのを先ほどから保岡議員も言われました。この点について、ちょっとお伺いしたいと思います。
先ほどから出ておりますように、まず非常に共通した認識として、リーダーシップが必要である。正しい、そして的確、そして迅速なリーダーシップが必要だ、これは私も同じ意見でございます。過去十年間に十人ぐらい総理がかわった。大臣に至っては数カ月でかわる。こういうことでは、国民が望む、そして日本の正しい将来は難しい、これが、私を初め国民の意見としてあるんではないかと思います。
そこで、小泉総理は、総理になられたときに、私のケースは、疑似首相公選というか一種の首相公選によって選ばれた、すなわち、国民の望む改革をこの内閣ではやっていくんだというような意味を込めて言われました。田中外務大臣初め、外務省の機密の疑惑、これを改革していこう、これは一種国民の望む改革であります。
この七カ月の間に、この一種の疑似首相公選制、これはどういうふうに評価、あるいは見ていらっしゃるか、お伺いいたします。
長
長谷部恭男#23
○長谷部参考人 確かに、首相公選制に似たような形で小泉首相が選ばれたのであるということはいろいろなところで耳にし、あるいは目にする表現ではあるのですけれども、私は、小泉首相の選出の過程というのは、首相公選制とは違うものであるかなと思います。
党内におきましてどういう形で党の党首を選んでいくのかは、それはそれぞれの党が内部的に決める話でありまして、公選制に近いような形で選ぶこともあれば、党の主要なリーダー間で話し合って決めるということも、その時々の政治状況においては当然あり得る話であります。今回はたまたま首相公選制に近いような形で選ばれているというふうに言えるかもしれませんが、これは、私が本日冒頭にお話しした首相公選制とは全く別の話かなというふうに考えております。
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山
長
長谷部恭男#25
○長谷部参考人 小泉政権の政策全体についての評価は、私は非常に狭い専門分野の人間ですので差し控えさせていただければと思いますが、首相公選制を目指す改革に絞ってお話をさせていただきますと、これは、例えば先ほどから会長の御紹介もありましたとおり、政界の規制緩和であるという形で、国民の直接参加という問題とつないだ形でお話をしておられるわけなんです。これまた、先ほどからの話の続きになってしまいますけれども、私は、規制緩和もそうだとは思うんですけれども、国民を直接に首相の選択に参与させるということでよりよい結果が生じるのであれば、それは大変よい改革であるかなと思います。
ただ、私の考えは、先ほども申し上げたところですけれども、恐らく今よりもよい結果にはなりそうもない、そういう蓋然性はかなり低いだろうという考え方でございますので、この改革案自体について申し上げますと、よい改革案であるとはなかなか考えられないということになるかなと思います。
この発言だけを見る →ただ、私の考えは、先ほども申し上げたところですけれども、恐らく今よりもよい結果にはなりそうもない、そういう蓋然性はかなり低いだろうという考え方でございますので、この改革案自体について申し上げますと、よい改革案であるとはなかなか考えられないということになるかなと思います。
山
山田敏雅#26
○山田(敏)委員 先ほどから議論に出ております日本の官僚制度、過去四十年にわたって非常に肥大化して、そして、なかなか国民のいい方向にコントロールできない部分がたくさん出てきた。昭和十年には国家公務員、地方公務員合わせて五十万人であったのが、今はたしか四百万人以上の制度になってしまった、人口はその間、倍になったわけですけれども。どんどん増殖して、かつ、国民の立場に立ってコントロールができなくなっているということが言えるんじゃないかと思います。そこで、この首相公選制というのはある種の大きな役割を果たすのではないか。
先ほど先生がおっしゃいました与党と政府の一体化、すなわち、単に今の副大臣、政務官という制度を超えて、審議官なりもっと別のクラスで、コントロールするようなところまで与党の議員が行く、こういうことで御提案されたように私は思うんですが、その点はいかがでございましょうか。
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長
長谷部恭男#27
○長谷部参考人 官僚制との問題でございますけれども、私の考え方と申しますのは、首相公選制というものを導入してしまいますと、先ほど申しましたとおり、社会全体のいろいろな利害なり意見なり価値観なりというものを集約して、それを首相とワンセットで有権者に提示する、こういう、従来議院内閣制のもとで政党が果たしてきた役割は確実に弱まると思います。どの程度弱まるかは、社会の中のほかの条件、あるいはいろいろな制度の組み方にもよりますけれども、弱まることは間違いがないだろうと思います。
そういった形で弱まってしまいますと、実際のところ、政治的な資産として政策の形成及び執行するはずの、少なくともそれを指導するはずの首相の指導力もやはり弱まっていくであろう。したがって、官僚制度に対するコントロールというものもそれほど強くはならないのではないのか、そういう懸念を持っているわけであります。
ですから、首相公選制を導入するべきなのかするべきでないのかというのは、現在の日本で、そういう社会の多様な利害なり意見なりを集約して、首相候補とワンセットにして提示するという政党の機能が強過ぎるということですと、それを弱めることには意味があると思うんですが、それがまだまだ不十分だということなのだとすると、それを今以上に弱めるには及ばない、そういう判断の分かれ方なのかな、そういう気がしております。
この発言だけを見る →そういった形で弱まってしまいますと、実際のところ、政治的な資産として政策の形成及び執行するはずの、少なくともそれを指導するはずの首相の指導力もやはり弱まっていくであろう。したがって、官僚制度に対するコントロールというものもそれほど強くはならないのではないのか、そういう懸念を持っているわけであります。
ですから、首相公選制を導入するべきなのかするべきでないのかというのは、現在の日本で、そういう社会の多様な利害なり意見なりを集約して、首相候補とワンセットにして提示するという政党の機能が強過ぎるということですと、それを弱めることには意味があると思うんですが、それがまだまだ不十分だということなのだとすると、それを今以上に弱めるには及ばない、そういう判断の分かれ方なのかな、そういう気がしております。
山
山田敏雅#28
○山田(敏)委員 アメリカのことをちょっとお伺いしたいんです。
首相公選制の議論がいろいろあるんですけれども、一つのモデルとして、アメリカの大統領制が、この日本の政治的な閉塞感を打ち破っていくには比較的いいかなという感じがあると思うんです。
先ほど先生は、アメリカのケースは日本と背景が違うとおっしゃったわけですね。アメリカの議会の下院議員というのは地元利益を最優先している傾向が非常に強いということが一点。もう一つは、外交防衛に関しては与党も野党も一致する伝統がある。この二点で、アメリカの制度をそのまま日本に持ってきた場合は機能しないんじゃないかということなんですが、アメリカの大統領制も長い間かかって築いてきたものであって、二大政党の役割も時間をかけてつくってきたわけですね。日本も、そういうものが理想である、こういうものをやろうという国民の意思であるならばですね。私は、先生のおっしゃった、規律が穏やかな二大政党であるということと、地元利益中心の下院議員がいる、それから、外交防衛に関して与野党が一致する伝統があるんだというようなことは、今の日本でそんなに不可能な、非現実的な話でもないような気がいたしますけれども、その点はいかがでしょうか。
この発言だけを見る →首相公選制の議論がいろいろあるんですけれども、一つのモデルとして、アメリカの大統領制が、この日本の政治的な閉塞感を打ち破っていくには比較的いいかなという感じがあると思うんです。
先ほど先生は、アメリカのケースは日本と背景が違うとおっしゃったわけですね。アメリカの議会の下院議員というのは地元利益を最優先している傾向が非常に強いということが一点。もう一つは、外交防衛に関しては与党も野党も一致する伝統がある。この二点で、アメリカの制度をそのまま日本に持ってきた場合は機能しないんじゃないかということなんですが、アメリカの大統領制も長い間かかって築いてきたものであって、二大政党の役割も時間をかけてつくってきたわけですね。日本も、そういうものが理想である、こういうものをやろうという国民の意思であるならばですね。私は、先生のおっしゃった、規律が穏やかな二大政党であるということと、地元利益中心の下院議員がいる、それから、外交防衛に関して与野党が一致する伝統があるんだというようなことは、今の日本でそんなに不可能な、非現実的な話でもないような気がいたしますけれども、その点はいかがでしょうか。
長
長谷部恭男#29
○長谷部参考人 もちろん、これは社会科学の問題でありまして、例えば中学校の理科の実験のように、確実に答えはこうなるというふうに決まったものではございません。どちらが蓋然的かという予測にとどまることは当然でありまして、アメリカ型の大統領制を導入すると、驚くべきことに日本ではうまくいったということはあり得るのかもしれませんけれども、ただ、それには非常に難しい条件をクリアしなくてはいけない。アメリカ以外の、例えばラテンアメリカ諸国の例を見ましても、どうもアメリカのようには民主政治というものがうまく働いていないということはよく知られている話でございまして、厳格に立法権と行政権とを分立してしまいますと、両者が対立するということになりますと、国政全体がデッドロックに陥ってしまう、そういうリスクが非常に高いわけであります。
それから、アメリカの大統領選挙というのは、もちろん制度的には間接公選で、それが直接公選として実際上機能しているということなんですけれども、ただ、実際上直接公選として機能させる制度の運用というのは、イギリスの議院内閣制もそうなっております。アメリカも、実は、間接公選なのが直接公選として制度が運用されている、イギリスでも、議院内閣制で首相が有権者によって直接選ばれるように制度が運用されているということは全く同じだというふうに言ってよろしいのかなと思います。
ですから、制度の枠組み自体を根本から変える以前に、制度の運用の点で知恵を出すということももちろんあるでありましょうし、また、アメリカの大統領選挙がそんなに見事に民主的な制度であるというふうには、必ずしもアメリカの国内でも一致して思われているわけではないという点は押さえておく必要があるのかなと思います。
これは、アメリカの現代の有名な政治哲学者でマイケル・ウォルツァーという人がいるんですが、彼に言わせますと、現在のアメリカの大統領選挙というのは、大統領候補者がある州にやってきて演説をして、みんな拍手喝采して、風船をわっと飛ばして、それが終わると、すぐ次の州に行って演説をして、みんなで拍手喝采をして、風船をわっと飛ばしてと、そういうことをどんどん続けているだけで、先ほど私が申し上げた、公開の場での審議と決定という意味での民主政治とはちょっとほど遠い感じの選挙になっているのではないか、そういう話でございます。
この発言だけを見る →それから、アメリカの大統領選挙というのは、もちろん制度的には間接公選で、それが直接公選として実際上機能しているということなんですけれども、ただ、実際上直接公選として機能させる制度の運用というのは、イギリスの議院内閣制もそうなっております。アメリカも、実は、間接公選なのが直接公選として制度が運用されている、イギリスでも、議院内閣制で首相が有権者によって直接選ばれるように制度が運用されているということは全く同じだというふうに言ってよろしいのかなと思います。
ですから、制度の枠組み自体を根本から変える以前に、制度の運用の点で知恵を出すということももちろんあるでありましょうし、また、アメリカの大統領選挙がそんなに見事に民主的な制度であるというふうには、必ずしもアメリカの国内でも一致して思われているわけではないという点は押さえておく必要があるのかなと思います。
これは、アメリカの現代の有名な政治哲学者でマイケル・ウォルツァーという人がいるんですが、彼に言わせますと、現在のアメリカの大統領選挙というのは、大統領候補者がある州にやってきて演説をして、みんな拍手喝采して、風船をわっと飛ばして、それが終わると、すぐ次の州に行って演説をして、みんなで拍手喝采をして、風船をわっと飛ばしてと、そういうことをどんどん続けているだけで、先ほど私が申し上げた、公開の場での審議と決定という意味での民主政治とはちょっとほど遠い感じの選挙になっているのではないか、そういう話でございます。