社会労働委員会

1979-03-01 衆議院 全317発言

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会議録情報#0
昭和五十四年三月一日(木曜日)
    午前十時三十三分開議
 出席委員
   委員長 森下 元晴君
   理事 越智 伊平君 理事 竹内 黎一君
   理事 戸井田三郎君 理事 向山 一人君
   理事 村山 富市君 理事 森井 忠良君
   理事 古寺  宏君
      相沢 英之君    石橋 一弥君
      川田 正則君    斉藤滋与史君
      戸沢 政方君    友納 武人君
      葉梨 信行君    水平 豊彦君
      村上 茂利君    山口シヅエ君
      湯川  宏君    安島 友義君
      枝村 要作君    大原  亨君
      金子 みつ君    島本 虎三君
      矢山 有作君    草川 昭三君
      谷口 是巨君   平石磨作太郎君
      和田 耕作君    浦井  洋君
      田中美智子君    工藤  晃君
 出席国務大臣
        厚 生 大 臣 橋本龍太郎君
 出席政府委員
        内閣総理大臣官
        房管理室長   小野佐千夫君
        厚生省公衆衛生
        局長      田中 明夫君
        厚生省環境衛生
        局長      山中  和君
        厚生省医務局長 佐分利輝彦君
        厚生省薬務局審
        議官      本橋 信夫君
        厚生省保険局長 石野 清治君
        厚生省年金局長 木暮 保成君
        厚生省援護局長 河野 義男君
        社会保険庁医療
        保険部長    此村 友一君
 委員外の出席者
        内閣総理大臣官
        房参事官    手塚 康夫君
        総理府統計局調
        査部国勢統計課
        長       北山 直樹君
        法務省民事局第
        五課長     宮崎 直見君
        外務省アジア局
        中国課長    谷野作太郎君
        大蔵省主計局共
        済課長     山崎  登君
        国税庁直税部法
        人税課長    山本 昭市君
        社会労働委員会
        調査室長    河村 次郎君
    ―――――――――――――
委員の異動
二月二十八日
 辞任         補欠選任
  大原  亨君     川俣健二郎君
  草川 昭三君     近江巳記夫君
  谷口 是巨君     広沢 直樹君
  和田 耕作君     大内 啓伍君
  浦井  洋君     寺前  巖君
  工藤  晃君     大原 一三君
同日
 辞任         補欠選任
  川俣健二郎君     大原  亨君
  近江巳記夫君     草川 昭三君
  広沢 直樹君     谷口 是巨君
  大内 啓伍君     和田 耕作君
  寺前  巖君     浦井  洋君
  大原 一三君     工藤  晃君
三月一日
 辞任         補欠選任
  金子 みつ君     石橋 政嗣君
  草川 昭三君     二見 伸明君
  谷口 是巨君     坂井 弘一君
 平石磨作太郎君     坂口  力君
  田中美智子君     不破 哲三君
  工藤  晃君     大原 一三君
同日
 辞任         補欠選任
  石橋 政嗣君     金子 みつ君
  坂井 弘一君     谷口 是巨君
  坂口  力君    平石磨作太郎君
  二見 伸明君     草川 昭三君
  不破 哲三君     田中美智子君
  大原 一三君     工藤  晃君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す
 る法律案(内閣提出第二二号)
 国民年金法等の一部を改正する法律案(内閣提
 出二三号)
 厚生関係の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
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森下元晴#1
○森下委員長 これより会議を開きます。
 内閣提出、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大原亨君。
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大原亨#2
○大原(亨)委員 法案の審議にいよいよ入るわけですが、法案の審議が大臣、これは議会の本場ですから、きちっとやってくださいよ。
 それで、戦傷病者戦没者遺族等援護法は、国が第一条にある国家補償の精神に基づいて措置をしている法律はたくさんあるわけですが、戦争犠牲者に対する措置として言うなれば戦後いち早く立法化された法律であります。
 最初に、これについての部門別の適用状況をひとつお答えいただきたい。
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河野義男#3
○河野(義)政府委員 援護法の適用状況でございますが、先生の御質問の御趣旨は主として準軍属の身分別の適用状況ではなかろうか、こういうふうに思うわけでございます。
 準軍属につきましては、被徴用者とかあるいは戦闘参加者、開拓義勇隊員というふうに一号から七号までの該当者があるわけでございますが、さらに遺族給与金につきまして、公務死の遺族給与金が支給されている方とそれから勤務関連死亡に伴う遺族給与金が支給されている者と、この二つに分かれるわけでございまして、これにつきまして五十三年十一月末現在でとらえてみますと、公務死に伴う遺族給与金は三万二千八百五十件でございます。それから勤務関連死に伴う遺族給与金の支給件数は二千六百三十八件でございまして、合計いたしまして三万五千四百八十八件でございます。
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大原亨#4
○大原(亨)委員 ちょっと質問の仕方が悪かったのですが、軍人軍属、準軍属のうち、軍人については恩給法へ移していった、軍属についてはすでに概念は決まっておる、問題は、順次拡大をいたしまして軍人と準軍属の差をなくしてまいりましたが、その準軍属の身分別であります。身分別と言えば悪いから部門別と言ったのでありますが、改めて身分別の弔慰金、遺族給与金で、いわゆる第二号の戦闘参加者の現状、それから国民義勇隊員の適用の現状、この二点についてお答えいただきたい。
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河野義男#5
○河野(義)政府委員 戦闘参加者で公務死による遺族給与金が支給されている件数は、先ほど申しましたように五十三年十一月末現在において一万五百六十件、国民義勇隊の公務死については千四百九十件でございます。
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大原亨#6
○大原(亨)委員 私の手元の資料によると、戦闘参加者については遺族給与金は一万九千三百四十九件、弔慰金は六万二千六百八十件、国民義勇隊は遺族給与金が二千三百四十八件、弔慰金は四千百九十七件、そういうふうになっているかどうか。
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河野義男#7
○河野(義)政府委員 私が申し上げましたのは、五十三年十一月末現在で遺族年金受給者の数を申し上げたわけでございまして、いま先生が御指摘になりました一万九千三百四十九件は累積でございます。その後失権された方も相当あるわけでございまして、現在まで遺族給与金が支給された方の累積が一万九千三百四十九件ということでございます。
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大原亨#8
○大原(亨)委員 この戦闘参加者の中で準軍属の沖繩の在籍者が四万九千名というふうに出ておるわけですが、戦闘参加者と沖繩の準軍属の四万九千名との関係はどうなっていますか。
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河野義男#9
○河野(義)政府委員 戦闘参加者で公務死された方につきましては弔慰金がまず出るわけでございますが、その弔慰金が支給された件数は六万二千六百八十件でございます。その中で遺族給与金が先ほど申しましたように累積で一万九千三百四十九件でございます。
 これを沖繩について申し上げますと、準軍属として処遇された方は四万九千でございまして、これは弔慰金の対象になっておるわけでございます。全体と比較しますと、六万二千六百八十件に対しましてそのうち沖繩が四万九千件、こういうわけでございます。
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大原亨#10
○大原(亨)委員 沖繩の場合はどういう条件の人が戦闘参加者になっていますか。
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河野義男#11
○河野(義)政府委員 御承知のように、沖繩は戦場になりまして非常な苛烈な状況のもとに置かれたわけでございます。官民協力して戦われたわけでございまして、戦闘参加者の態様は、弾薬を運ぶとかあるいは食糧、水を運ぶとかあるいはごうを掘るとか、そういったことにつきまして、軍の要請に基づきまして沖繩県の方々が協力されたわけでございます。そういった方々を戦闘参加者として、準軍属として援護法上処遇しておるわけでございます。
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大原亨#12
○大原(亨)委員 戦闘参加者はいつからですか。
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河野義男#13
○河野(義)政府委員 そういう状態が発生いたしましたのは、米軍が沖繩に上陸いたしました二十年の四月一日以降そういう状態が出てまいったわけでございます。いま申しましたのは、それ以降沖繩の戦場の各地でそういう状態が起こりましたわけでございまして、そういった方々につきまして準軍属として処遇しておるわけでございます。
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大原亨#14
○大原(亨)委員 つまり、この援護法は軍人軍属、準軍属、その中で準軍属の処遇を決める際にそれぞれこの法律で規定をいたしておるわけでありますが、それは言うなれば国との特別の命令服従、特別な権力関係にある者の業務中の行為について、これを判定をして入れていったわけでありますね。ただし、沖繩の場合には昭和二十年の四月一日から、これは身分とは関係なしに、戦闘参加者についてその事実に基づいて準軍属として入れていったわけであります。
 もう一つこのことに関連して聞くのですが、沖繩のこの民間人の戦闘参加者で準軍属として扱われている以外で、日本の本土においてそういう範疇に入る準軍属がありますか。
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河野義男#15
○河野(義)政府委員 戦闘参加者は、実際にそこで戦闘が行われた場合にそういう状態があるわけでございます。したがいまして、沖繩以外につきましてはいわゆる戦場にはなっておりませんので、戦闘参加者に該当する方はございません。
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大原亨#16
○大原(亨)委員 私がいままでずっと指摘をして附帯決議にもあるのは、本土においてもそういう官民一体というか、一般国民に対して戦闘協力を法制上規定をした、そういう状況が一定の時期判断においてあるのではないか。言うなればこれは一つの特別権力関係でありますが、法律に基づく適法なそういう命令服従の関係という場合には国家補償の原則で処理する、こういう原則で本援護法をつくっておるのだと思うわけですが、そういう段階があるのではないかという点を繰り返して指摘をしたわけです。
 それは、一つの時期は昭和二十年の三月の東京大空襲という意見もあるだろう。その前の二月にはヤルタ会談があって、そして当時日本の軍は、日本が負けたならば長野県に皇居を移す、長野県で負けたならば旧満州に皇居を移して関東軍をとりでとして戦う、こういう方針を決めていた。それに対してアメリカは、そういう日本側のきわめて長期の情勢に対応して東京の大空襲を始めた。そしてヤルタ会談でソビエトの参戦を約束させて、それを取りつけた。そういう経過をたどってポツダム会議までいっておるわけですが、その一つの時期は三月の東京大空襲。これはやはり本土決戦を決定的にした段階であって、三月の二十三日に閣議決定、閣議決定でもこれは当時は法律、勅令と同じような状況であったわけですから、閣議決定に基づいて国民義勇隊組織に関する件を決定をしたのです。これを援護法の一つの対象にいたしておるわけであります。法二条の第三項第三号に該当するのが国民義勇隊であります。東京大空襲を受けて国民義勇隊の発足が閣議決定されて、そしてこれによって家屋疎開とかいろんな陣地構築等に動員をされたわけですが、それを決定的にしたのは、沖繩が陥落いたしまして、六月東京の空襲下において臨時国会が開かれて、そして国民義勇兵役に関する法律ができた。戦局がだんだんと緊迫してくるに従って、国民義勇兵役法ができて、十五歳以上六十歳までの全部の国民は兵役に従う者以外は戦闘に参加する、そういう刑事罰をつけた法律をつくった。きわめて簡単な法律です。そして施行するに当たっては勅令や政令全部を整備してある。そういうのはまさに、当時艦砲射撃その他もあったけれども、空挺部隊がおりてくるという想定もあったけれども、そういう状況の中における民間の戦闘協力体制というものは法律的にきちっと規定されておったのではないか。そういう点を私はいままで法律に基づいて追及をしてきたわけであります。附帯決議は、その点についての実態調査は十分するような措置をして、そしていわゆる戦争犠牲者に対する救済措置について遺憾なきを期する、こういうことであったわけであります。私の見解に対して政府はどう考えるか、お答えいただきたい。
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河野義男#17
○河野(義)政府委員 援護法の処遇の対象にいたしておりますのは、先生御指摘がございましたように、まず一つの要件は国との使用関係あるいはそれに準ずる関係があるということと、それから具体的に戦闘、戦争公務によって傷病にかかるとか死亡する、こういうのが基本的な考え方でございまして、それにつきましていろんな場合を考えまして処遇をしておるわけでございます。
 その一つが戦闘参加者でございます。戦闘参加者と申しますのはどういう場合に援護法上処遇をいたすかと申しますと、国との特別権力関係、特別の関係につきましては、戦闘について軍から何らかの形で要請があった、その要請に基づいて実際に戦闘行為に参加した、こういうわけでございまして、先ほどの国民義勇兵役法が昭和二十年六月二十三日に施行されたわけでございます。
 もちろんこれが施行される状況と申しますのは、本土が戦場になるおそれがあり、非常に急迫した状態にあったからでございます。幸いにして、いわゆる内地におきましては上陸して戦闘が行われるということには至らなかったわけでございますが、この場合におきましても、ある一つの時期を画してそれ以降は戦闘参加者としてとらえるという考え方ではなくして、たとえば先生のお話にございましたように、昭和二十年の三月九日の夜から十日にかけての東京大空襲とか、あるいは国民義勇兵役法が施行されました二十年六月二十三日以降とか、そういう時期はあるいは目安にはなるかもしれませんが、要するに戦闘参加の実態があったかどうかということで判断して援護法の適用をする、こういうことになるわけでございます。
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大原亨#18
○大原(亨)委員 依然としてそういう答弁を繰り返しているわけだ。それはなぜかというと、昭和二十八年に、これは二十八年だと思うのだが戦傷病者戦没者遺族等援護法をつくった。そのときに、旧防空法の関係と義勇隊の関係についてどこかで線引きをしなければならぬことになった。それで、旧防空法の関係で、空襲その他に対して、防空業務はむろん、家屋疎開とか食糧増産とか全部が総動員法で総動員業務であったわけですから、線引きをしないで民間の一般国民を権力で戦闘に動員するということになると、非戦闘員を戦闘に参加させたということで、参加させた当時の内務大臣とかそういうふうな者は、官僚知事その他全部そういう者は戦犯として追及を受ける、そういうことで線引きをした。そしてこの資料を一部隠した。私が指摘するとおり隠した。そこで線引きをした後に、私もずっと指摘をして、昭和四十九年に警防団、医療従事者、こういう者がここへ追加された。これは防空法のカテゴリーに入るものである。しかし、それをやるならば、旧防空法は全部職場や地域において軍の命令に協力いたしてやっておったわけですから、空襲というものがあったならば、これは戦闘参加である。その一部を端的に決めたのが三月二十二日の閣議決定、国民義勇隊に関する件である。当初二十八年につくったときには三月二十二日閣議決定というふうになっておったけれども、二十二日は閣議決定はなかったということを私は全部資料を出して指摘した。それで二十三日に直した、そういう経過がある。そういうふうに資料を隠しておいて、そして言うなれば、戦闘協力者と一般国民がボランタリー、自発的にやったのだということで線引きをした。しかし、一部は是正した。それをずっと追跡するならば、国家賠償の原則あるいは国家補償の原則で戦争犠牲者を救済する際に、公務員とかあるいは軍人軍属、準軍属という直接的なカテゴリーもあるだろう、範疇もあるだろう。しかし、たとえばこれから言うところの原爆による被災などというのは、原爆によって戦闘の継続を断念した者で、言うなれば、原爆の犠牲を担保にして戦争を終結して、多数の国民の非常に戦闘を激化させる状況を避けるため、そこで一つの戦争終結の決断をすることになった。そういう原爆の被害者に対する問題、これは放射能障害がある。その問題と一般戦災者も含めて、これは後で金子委員から説明があるけれども、やはり薄い厚いといういろいろな対象による特殊性はあるけれども、国としては国家補償の精神において一定の措置をすることが当然ではないかという議論を展開してきたところであります。
 私はこれ以上のことについては、いまの機会には申し上げません。時間がありませんからやりませんが、そういう状況を考えたならば、戦闘参加者というのは直接銃をとって戦闘することだけじゃないのだ。これは国民義勇隊の仕事の中にもあるように、あるいは戦闘協力者の仕事の中にもあるように、水をくんだり食糧を運んだり、本土においては飛行場をつくったり、空襲があったならば職場でも地域でも防空隊をつくって出動して、そして国の主権を守る、こういうふうなことを軍の協力でやる。もし空挺隊等で向こうの軍人がおりてきたならばすぐ戦闘に協力する、そういう体制をとったのが、法律的に全部の制度が完備したのが、六月二十三日の国会で議決になった国民義勇兵役法である。だからこの問題について、附帯決議にあるように事実を追求して、事実に即して、国民から見て常識に沿うような戦争犠牲者の救済法をつくるべきであるということを私は主張してきたわけです。この主張は撤回するわけではありません、引き続いてやってまいります。
 そこでもう一つの問題は、戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するに当たって、端的に私は聞きますが、原爆被爆者の医療法と特別措置法に基づく認定疾病の被爆者で、軍人や軍属や準軍属として障害を受けたりあるいは死亡した人の遺族、そういう者に対しましては、認定疾病を持っている被爆者については、これを業務中の疾病という認定の仕方をしているか、その点についてお答えをいただきます。
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河野義男#19
○河野(義)政府委員 軍人軍属としての身分を持っている方で、それぞれ任務を遂行中に原爆によって倒れられた方につきましては、恩給法あるいは援護法の遺族年金あるいは障害年金、そういった援護の措置の対象になっておるわけでございます。
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大原亨#20
○大原(亨)委員 もう一回聞きますよ。いままでにこの原爆医療法に基づいて認定疾患の被爆者と認定をされた人が、累積をいたしまして七千四百七十五件あるわけです。その人がもし軍人軍属、準軍属の身分がある人であるならば、全部援護法の対象になっていますか。
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河野義男#21
○河野(義)政府委員 先ほど申しましたように、まず援護法に限って申し上げますと、軍人あるいは軍属で特別のそういった関係にある人は援護法の対象になるわけでございまして、まずそういう要件を満たして、かつ公務の遂行中あるいは公務に関連しまして、原爆によって死亡あるいは傷病になられて障害を残された方につきましては、援護法上の処遇をすることは当然だと思います。
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大原亨#22
○大原(亨)委員 もう一回聞きますよ。つまり昭和二十年八月六日に、広島の場合でしたら広島で原爆を受けた人が、最近認定疾病の指定を受けて死んだとしますね。その人は戦傷病者戦没者遺族等援護法で、もし軍属であるならば、準軍属であるならば、これは指定になりますね。
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河野義男#23
○河野(義)政府委員 基本的には、先ほど申しましたように、そういう一定の身分関係がありまして、原爆に起因して死亡とかあるいは傷病にかかった場合には援護法の対象になるわけでございますが、いろいろ個々のケースによって事情も違うわけでございますので、具体的には個々のケースごとに判断せざるを得ない、かように考えております。
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大原亨#24
○大原(亨)委員 私がいろいろと関係いたしましたたとえば警防団や医療従事者について、昭和四十九年につくりまして現在まで、適用者が全国で千五百三十八名ほど遺族給与金をもらっていて、弔慰金は二千三百八十一件ほどあるわけですが、その適用を受けようとする際に、原爆症について援護局は非常に理解が足りない。一般の焼夷弾とか艦砲射撃等でありますと、被害を受けまして時間がたつに従って治癒していく。しかし、これは放射能障害が残っておるから、後遺症があるから、そういうことで後になって認定を受けて、そして不幸にも死亡される、こういう事態があった場合には援護法の適用をなかなかしない。
 特に一番問題なのは、放射能の特殊事情からいって、たとえば直接放射能をたくさん受けた人はほとんど死んで、爆心地から中心のところは一割か二割残っておる、その残った人が、五百メートルあるいは一千メートルの範囲ですと、政府やABCCその他の資料、大学の資料でもわかるのですが、たとえば脱毛する、それから歯ぐきから血が出る、血尿、血便、こういう状況がある。それをある程度繰り返す、あるいは習慣的にずっとそういう状況になって一週間ぐらいで、一キロ以内の人はたくさんの放射能を受けているから、中を越えることができない者は死んでしまう、そして後に残った人で生き延びる人が若干あるというふうな状況で、今日までずっと生きた人がいろいろな症状がある。その症状は、医療法によると、原子爆弾の傷害作用に起因する疾病というふうに認定をするようになっている。傷害作用に起因しているのだから、うんと後になってそういう認定の条件が起きてきても、当然に戦傷病者戦没者遺族等援護法で、そういう身分上の規定のある者については適用を受けるはずである。であるのに、当時の医学の常識からいうと、血便が出ると腸チフスだ、こういう診断を死亡診断書にやった人がある。それから呼吸器系統、結核系統の病気だというふうな、空気の放射能ですからそういう診断をしたのもある。当時、戦争直後は原爆の傷害ということがわかっていなかった。こういうこと等を類推をしてみて、明らかに原爆の傷害に起因するということであるならば、これは援護法の適用をすべきである。軍人軍属準軍属の適用に当たってすべきである。公務による傷害、疾病、死亡というふうにすべきであると考えるわけです。援護局はどういうふうに考えて処理をしておるか、お聞きいたします。
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河野義男#25
○河野(義)政府委員 原爆に起因する軍人軍属等の死亡あるいは障害につきましては、先生御指摘のように原爆医療と非常に密接な関係があるわけでございまして、部内におきましては、医学的な専門的な問題でございますので、公衆衛生局と十分連絡をして認定を行っておるわけでございまして、もし具体的なケースにおきまして特別何か納得できないというような事情がありましたら、また個別なケースとして十分検討はしなければならぬと思っております。
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大原亨#26
○大原(亨)委員 大臣にお聞きしますが、いまのような原爆症については、三十二年に医療法をつくって、また四十三年に、認定疾病の制度を中心として、特別措置法で特別手当を出すとか健康管理手当の制度ができて、それに対応する厚生大臣が指定する十一の疾病ができた。同じく特別措置法に、最近になりまして昭和五十年に、爆心地から二キロメートル以内の被爆をした人に対しましては保健手当を出すということにいたしておるわけです。
 その中心である認定の制度というものも、昭和三十二年以来、原爆による爆風や熱線や放射能によるそういう被害について、昭和二十年八月六日、九日当時はどさくさではっきり把握できなかった。そして二十八年に援護法が発足したそのときに、公務ということに関係をして一定の線引きをした。しかし、そういう公務の関係がある人であっても、原爆症による場合には、時間がたつに従って認定が非常にむずかしくなっておる。
 私が言っているのは、少なくとも認定患者というのは原子爆弾の傷害作用に起因するというふうになっているわけですから、これが一つ問題であるということば先般来議論していることですが、現行制度でもそうなっているわけですから、認定疾病の被爆者がそういう身分関係を持つ場合においては、当然これはそれに基づく障害、疾病、死亡というふうに認定をして、遺族に対する措置もきちっとすべきである、こう考える。その点を発足当時の、公務との関係とか障害等々について関係があるとかないとか時間がたっておるということは、この場合については言えないのです。従来からの被爆当時からの経過をずっとたどって初めてわかることである。そういう点を十分加味して本援護法の適用をすべきであると思うが、ひとつ総括的に大臣の御答弁をいただきます。
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橋本龍太郎#27
○橋本国務大臣 いまの大原委員の御指摘は、私も一般的にそのとおりであると思います。当然そうあるべきであろうと思います。それだけに、いま援護局長にそうしてないのかと言って尋ねてみましたところ、しているつもりでございますという返事が返ってまいりましたので、私は、いまの大原委員の御質問は一般的にそのとおりだと理解をし、同時に、個別ケースにおいてなお具体的に問題のあるケースがありましたならば、それこそ再審査の道があるわけでありますから、そうした中で努力をしてみたいと思います。
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大原亨#28
○大原(亨)委員 その問題は、原爆二法で中心的な役割りを果たしている認定被爆者の実情ですが、援護局長もちゃんと並んでおってよく聞いておらぬとだめですよ。やっておるつもりだと言うけれどもやってないのだ、君のところは。私が個々のケースを挙げると時間がかかるから、やらないけれども。これは原爆に関係があるとかないとか言って現在の症状だけをとらえてやるので、非常にトラブルが起きている。その点は十分注意して、公衆衛生局等と十分相談してやってもらいたい。相談する、相談すると言うだけで何も相談しておらぬ、そういう実績があるから私は指摘をしておきますが、せっかく大臣の答弁がありましたから、前に進みます。
 認定被爆者の現在の患者数は何名か。そして、いままでずっと認定してきた被爆者の総数は何名か。認定被爆者の中で三十二年に制度が発足して以来死亡した人は何名で、その中で認定書が返還されたのが何名であるか。これをお答えいただきます。
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田中明夫#29
○田中(明)政府委員 現在といいますと、私ども把握しているのは昭和五十三年の九月末現在でございますが、認定被爆者の数は四千百八十六名でございます。認定被爆者として現在までに認定いたしました累積の数は七千四百七十五名でございます。そのうち、三十二年から五十三年九月末までに死亡いたしまして、認定書が返還されました数は千八百五十七でございます。
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