予算委員会公聴会
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会
会議録情報#0
平成十八年二月二十四日(金曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 大島 理森君
理事 金子 一義君 理事 田中 和徳君
理事 玉沢徳一郎君 理事 松岡 利勝君
理事 茂木 敏充君 理事 森 英介君
理事 細川 律夫君 理事 松野 頼久君
理事 上田 勇君
安次富 修君 井上 喜一君
伊吹 文明君 浮島 敏男君
臼井日出男君 尾身 幸次君
奥野 信亮君 河井 克行君
河村 建夫君 斉藤斗志二君
笹川 堯君 実川 幸夫君
篠田 陽介君 杉田 元司君
園田 博之君 高市 早苗君
渡海紀三朗君 中山 成彬君
長崎幸太郎君 根本 匠君
野田 毅君 原田 令嗣君
二田 孝治君 町村 信孝君
三原 朝彦君 山本 幸三君
山本ともひろ君 山本 有二君
小川 淳也君 大串 博志君
岡田 克也君 加藤 公一君
北神 圭朗君 近藤 洋介君
笹木 竜三君 仲野 博子君
伴野 豊君 古川 元久君
馬淵 澄夫君 松木 謙公君
坂口 力君 佐々木憲昭君
阿部 知子君 日森 文尋君
糸川 正晃君 徳田 毅君
…………………………………
公述人
(21世紀政策研究所理事長) 田中 直毅君
公述人
(日本労働組合総連合会副事務局長) 逢見 直人君
公述人
(野村證券金融経済研究所経済調査部シニアエコノミスト) 植野 大作君
公述人
(昭和女子大学人間社会学部教授) 木下 武男君
公述人
(慶應義塾大学経済学部教授) 吉野 直行君
公述人
(桐蔭横浜大学法科大学院教授) 郷原 信郎君
公述人
(静岡大学教育学部教授) 馬居 政幸君
公述人
(日本大学経済学部教授) 牧野 富夫君
予算委員会専門員 清土 恒雄君
—————————————
委員の異動
二月二十四日
辞任 補欠選任
伊吹 文明君 山本ともひろ君
奥野 信亮君 篠田 陽介君
亀井 善之君 浮島 敏男君
園田 博之君 長崎幸太郎君
町村 信孝君 杉田 元司君
原口 一博君 仲野 博子君
古川 元久君 近藤 洋介君
阿部 知子君 日森 文尋君
同日
辞任 補欠選任
浮島 敏男君 安次富 修君
篠田 陽介君 奥野 信亮君
杉田 元司君 町村 信孝君
長崎幸太郎君 原田 令嗣君
山本ともひろ君 伊吹 文明君
近藤 洋介君 古川 元久君
仲野 博子君 松木 謙公君
日森 文尋君 阿部 知子君
同日
辞任 補欠選任
安次富 修君 亀井 善之君
原田 令嗣君 園田 博之君
松木 謙公君 原口 一博君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
平成十八年度一般会計予算
平成十八年度特別会計予算
平成十八年度政府関係機関予算
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時開議
出席委員
委員長 大島 理森君
理事 金子 一義君 理事 田中 和徳君
理事 玉沢徳一郎君 理事 松岡 利勝君
理事 茂木 敏充君 理事 森 英介君
理事 細川 律夫君 理事 松野 頼久君
理事 上田 勇君
安次富 修君 井上 喜一君
伊吹 文明君 浮島 敏男君
臼井日出男君 尾身 幸次君
奥野 信亮君 河井 克行君
河村 建夫君 斉藤斗志二君
笹川 堯君 実川 幸夫君
篠田 陽介君 杉田 元司君
園田 博之君 高市 早苗君
渡海紀三朗君 中山 成彬君
長崎幸太郎君 根本 匠君
野田 毅君 原田 令嗣君
二田 孝治君 町村 信孝君
三原 朝彦君 山本 幸三君
山本ともひろ君 山本 有二君
小川 淳也君 大串 博志君
岡田 克也君 加藤 公一君
北神 圭朗君 近藤 洋介君
笹木 竜三君 仲野 博子君
伴野 豊君 古川 元久君
馬淵 澄夫君 松木 謙公君
坂口 力君 佐々木憲昭君
阿部 知子君 日森 文尋君
糸川 正晃君 徳田 毅君
…………………………………
公述人
(21世紀政策研究所理事長) 田中 直毅君
公述人
(日本労働組合総連合会副事務局長) 逢見 直人君
公述人
(野村證券金融経済研究所経済調査部シニアエコノミスト) 植野 大作君
公述人
(昭和女子大学人間社会学部教授) 木下 武男君
公述人
(慶應義塾大学経済学部教授) 吉野 直行君
公述人
(桐蔭横浜大学法科大学院教授) 郷原 信郎君
公述人
(静岡大学教育学部教授) 馬居 政幸君
公述人
(日本大学経済学部教授) 牧野 富夫君
予算委員会専門員 清土 恒雄君
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委員の異動
二月二十四日
辞任 補欠選任
伊吹 文明君 山本ともひろ君
奥野 信亮君 篠田 陽介君
亀井 善之君 浮島 敏男君
園田 博之君 長崎幸太郎君
町村 信孝君 杉田 元司君
原口 一博君 仲野 博子君
古川 元久君 近藤 洋介君
阿部 知子君 日森 文尋君
同日
辞任 補欠選任
浮島 敏男君 安次富 修君
篠田 陽介君 奥野 信亮君
杉田 元司君 町村 信孝君
長崎幸太郎君 原田 令嗣君
山本ともひろ君 伊吹 文明君
近藤 洋介君 古川 元久君
仲野 博子君 松木 謙公君
日森 文尋君 阿部 知子君
同日
辞任 補欠選任
安次富 修君 亀井 善之君
原田 令嗣君 園田 博之君
松木 謙公君 原口 一博君
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本日の公聴会で意見を聞いた案件
平成十八年度一般会計予算
平成十八年度特別会計予算
平成十八年度政府関係機関予算
————◇—————
大
大島理森#1
○大島委員長 これより会議を開きます。
平成十八年度一般会計予算、平成十八年度特別会計予算、平成十八年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
この際、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
御意見を賜る順序といたしましては、まず田中公述人、次に逢見公述人、次に植野公述人、次に木下公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
それでは、田中公述人にお願いいたします。
この発言だけを見る →平成十八年度一般会計予算、平成十八年度特別会計予算、平成十八年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。
この際、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。
御意見を賜る順序といたしましては、まず田中公述人、次に逢見公述人、次に植野公述人、次に木下公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
それでは、田中公述人にお願いいたします。
田
田中直毅#2
○田中公述人 痛みなければ利得なしという、非常に厳しい国民にとっての予算状況の中で、日々御審議いただいております先生方に感謝申し上げます。
きょうは、来年度予算案について、基本賛成という立場からお話をさせていただこうと思います。
そして、現在、歳出と歳入改革を一体として行うべきだという大きな路線設定がなされているというふうに理解しておりますが、それを考えるときに、経済情勢がどのように現実に推移してきているのか、経済分析を業といたしています者の立場から、きょうはお話しさせていただこうと思います。
図表を四枚用意してございますので、それに沿ってお話をさせていただきます。
第一の図表は、これまで日本の経済財政運営において、不景気がありますと補正予算を積み上げて何とか痛みを和らげようとする、そういう対応がなされてきたという事実がございます。これは、小泉政権が成立する直前までそういう対応がなされてきたわけですが、その結果何が起きたのかということを、できるだけわかりやすくグラフにしたものでございます。
出ておりますのは、九〇年代に入りまして、大型の補正予算を組んで景気対策を行いますと、その後、円高がやってくるという経緯でございます。円高がやってまいりますと、どうしても輸入がふえ、輸出が抑制されますので、名目GDPの伸び率は、補正を組んだにもかかわらず、なかなか景気がよくならないということになっていることがおわかりかと思います。
このことは、とりわけ一九九四年、これは一ドル八十円という異常円高をつけたことがございますが、その前に補正が相当組まれているという事実がございます。それから、九〇年代後半にこれもまた補正を大幅に組んだわけでございますが、その後は円高という形になっておるわけです。
これは、なぜこういうことが起きるかといいますと、変動相場制のもとにおいて、実は財政金融政策の運営というのは一〇〇%の自律性を持っているわけではないという厳しい現実でございます。
補正を組みますとどういうことが起きますかというと、従来に比べますと、それだけ国内の景気を、局部的ではございますが持ち上げることになります。そのことが金利を高くすることによりまして円高を誘導するということにつながるわけでございます。変動相場制のもとでは、景気が悪いからといって財政支出をふやしますと、円高を通じてその分だけ日本の需要の積み上がりが阻害されるという関係がございます。
こうした事実関係がどうもありそうだということについては、実はもう四十年ほど前から経済学者が言及していたことでございまして、一九六〇年代からそういう論文がございます。残念ながら、日本人ではございません。マンデルとかフレミングとかという経済学者の名前を通常引用するわけでございますが、変動相場制がまだ全般的に導入されてはいなかった六〇年代の終わりには、そうした事実がある種公知として広く知られているところとなったわけでございます。
ただ、この点については我が国における理解は必ずしも十分ではなくて、国家公務員試験を受けられる方がテキストブックとして使われています経済学の教科書には、この点はほとんど書いてございません。代表的な教科書にはこの点が書いてございませんので、ひょっとしたら霞が関の経済担当のお役所の方々も十分には御理解しておられなかったのではないかというふうに、今、ヒアリングを通じて確かめたわけではございませんが、そのように私は思っております。
いずれにしろ、景気が悪いから歳出をふやせとか補正を組めという話は何度でもやってまいりましたが、これが実は失敗のもとだったというのが一九九〇年代の総括だというふうに思います。小泉政権の登場は、まさにそうした失敗の総括の上に、景気が多少悪いからといって補正予算を組んだりはしないという対応をとったというのが基本姿勢だと思います。
結果はどうなったのか、いろいろ評価はあろうかと思いますが、ここで、第一図では二〇〇四年度までしかございません、二〇〇五年度はこの三月末まででございますので。補正は確かに今年度明らかになっていますが、ここで挙げます名目GDPや期末の為替レートについてはまだ入れてございませんが、御存じのように、名目GDPもどうやら三%台には乗ったようでございますし、為替レートにつきましても、この二〇〇四年度末に比べると円安に推移しているわけでございます。そういう意味では、足元においても、景気が悪いからといって財政支出を積み上げるというやり方は正解ではないということが出ているように思います。
恐らくこのことは、予算委員会の先生方にとっても、そんな話というのはいつからあるんだと言われるかもしれませんが、実は、そういう因果関係については英語の標準的な教科書にはずっと書いてあることでございまして、我が国、私どもの同僚をとやかく言ってもしようがないんですけれども、日本の教科書にはなかなかその点が書いてございませんので、ちょっと失敗が長引いたかなというふうに思っております。
二番目に指摘したいのは、今、政府部内でも、名目GDPの成長率と長期金利とは一体どっちが大きいのか小さいのか、今後の絵姿を考える上でこれは重要だという指摘が何人かの方々からなされております。
そこで、図二をごらんになってください。図二は、我が国における名目GDPの伸び率と、それから国債の利回り、それから米国の長期金利をとっております。
一九八〇年代の前半まで、我が国では、国債は実質上簡単には売り買いはできないというふうに認識されておりました。そこで、利付電電債とかそういうものを使って長期金利の推移を見るところでございますが、今回は予算でございますので、足元、この十数年のところだけごらんになっていただければと思いますが、我が国の長期金利の推移と一番似ている動きは何かと見ていただきますと、米国の長期金利でございます。
米国の長期金利の方が我が国の長期金利よりは高いわけでございますが、これがボルカーの就任、一九七九年にボルカーが連銀の議長に就任しております、グリーンスパンになりましたのは八七年でございますが、一貫して米国の長期金利が下落傾向をたどる、とりわけ九〇年代においては明瞭な下落傾向をたどっておるわけでございます。
我が国の長期金利は、特に九〇年代、新発債をどんどん出しましたので、こんなに国債を発行していれば長期金利は我が国では上がってしまうのではないかという懸念を非常に多くの人が言いましたし、私もそういう可能性は一般論としてはあり得るというふうに思っていたわけでございますが、経緯をごらんになっていただきますと、我が国の長期金利はこの間一貫して低下しております。
名目GDPの伸び率との対応というものよりも、米国の長期金利の下落に引っ張られてと、グラフの読み方というのはいろいろありますので、どれが因であり、どれが果である、因果関係だというふうに読むのはそんなに簡単ではございませんが、しかし一応、例えば十六、七の高校生にお話をするというふうに考えますと、このグラフの中で何と何との関係が一番ありそうだというのを、心を平明にして見てくださいと言えば、そして気になっているのは我が国の長期金利だということでしたら、どうも米国の長期金利ではないかというのが普通の答えだろうと思います。
これは何かといいますと、グローバル経済のもとにおいて、やはり金融秩序をつくり上げている国と、その金融秩序に依存してその傘のもとにある国というのが現実に生まれてしまっている。グローバライゼーションというのは、実は、規律を持った国から規律をおかりして我が国の規律とするという仕組みが実際には成立してしまっているという面がございます。
もちろん我が国でも、いつまでも米国の金融秩序の傘のもとにあっていいわけではございませんので、数年前に日銀法の改正を行いまして、日銀のボードは眠ったボードではないということで、政策審議委員をそれぞれ選出いたしまして、その方々の独自な討論を通じて日本の金融政策を決定するという仕組みをやっと導入するようになったわけですが、その前というふうに考えますと、これは眠っていたボードだと。まあ、俗称でございますが、内部におられた方がそう言われているわけじゃないんですが、観察している者は、あれは眠っているなと言っていたわけですが、眠っているということは金融政策に規律が確立しない。
アメリカの連銀の仕組みも、長い間にいろいろな実践例を積み重ねることを通じてどうやらこういう規律を確立した。我が国は、この規律をかりる限りにおいて長期金利の反騰を避けられたという関係があるように思われます。
そこで、それでは我が国の財政金融政策というのはどういうふうに機能しているんだ、マクロ経済政策というのは何も要らないのかという議論がもたらされます。
三の図をごらんになってください。これは、日本銀行が発表しています、昔は卸売物価というふうに称しておりましたが、最近は企業物価指数というふうに名前を変えております。内容はほぼ同様でございますが、普通で考えますと、工場からの出荷段階における値段を拾っているというのが企業物価指数でございます。通常はこれは一本で、千品目を超える品目の加重平均で発表しておりますが、内容を詳しく見るためには分けて考える必要がある。
ここで、九〇%点から一〇%点まで、一〇%刻みで線が引いてございます。これはどういうことかといいますと、千を超える品目のうち、対前年同月比で一番値下がりをしているものから順に考えまして、ちょうど一〇%に当たるところというのを一〇%点というふうに考えます。そして、前年同月比で一番値下がりしているものから番号をつけまして、二〇%相当のところを二〇%点というふうに呼びならわすわけでございます。
そのように考えますと、例えば九〇%点というのは、二〇〇三年の後半から二〇〇四年にかけまして大変高騰しております。これは、いわゆる卸売物価の中の一〇%程度、構成品目の中で一〇%ぐらいに相当するものでございますが、ここには、例えば中国経済の過熱の影響があるというふうに考えてよかろうかと思います。
ちなみに、鉄鋼製品は、この上昇のときに九〇%点に相当するように上がりまして、最近は、鉄鋼製品は八〇%点ぐらいのところに推移してございます。そして、昨今のように原油価格が上がりますと、原油価格はこの九〇%点より上に位置する、こういうことになっておるわけです。
一〇%点は現在でも対前年同月比で三%のマイナスになっております。ここまで改善してまいりましたが、しかし、三%程度の前年比下落を続けています。
では、これは不況でかわいそうだなというふうに一般に思われるかもしれませんが、例えばエレクトロニクスがここに入ります。薄型テレビの値段がどんどん下がってくるというのは御存じのような経緯でございますが、そういうものに引っ張られまして、今でも電子製品については対前年比マイナスでございますが、では、これは意味がないかといいますと、この業界における競争を通じてこれが実現しているのであり、業界内において企業戦略の失敗があるところは、シェアを落としたり、どこかの時点で市場から退出しなければいけないということがあるかもしれません。しかし、それは競争社会においてはあり得ること、あるいはあり得べしという形で多くの国民は理解しているのではないかというふうには思われます。
そのように考えますと、それぞれ、物価のパーセントポイントで分類しましたもの、いずれも右上がりを見せておるわけでございまして、どうやら、時間はかけてはございますが、情勢の改善は見られるということでございます。
ちなみに、ここで四〇%点と五〇%点は重なりまして、対前年比ゼロをしばらく続けております。したがいまして、今でも明確な対前年比プラスは五割しかない、ゼロが二〇%ぐらいあって、マイナスが三〇%あるというのが現在の工場渡し値段の大ざっぱな推移だというふうに考えていただいたらいいかと思います。
ここで、では金融政策はこれを無理やり引き上げることが望ましいのかというふうに考えますと、それぞれの業界において調整をされております。長い目で見て、企業経営の持続性から考えて、調整すべきものは調整すべきというふうに考えて、個々の企業経営者が御努力なさっております。それからいきますと、現在の物価の決まり方に異常性はない。
非常に大ざっぱな議論をされる方の中に、デフレは依然として加速しているではないか、デフレからの脱却を図るために金融政策により一層の踏み込みが必要なのではないか等々の議論がありますが、これはもちろんいろいろな見解があるところでございますので、そういう見解も世の中にかなりあることは承知の上で申し上げておりますけれども、私は、この企業物価指数の推移を一〇%ポイントずつ区別して見ますと、どうやら日本経済に正常なリズムが戻ってきている、そういう形としてこれは見るべきではないかというふうに思っております。
そのように考えますと、それでは、一体、財政政策とか金融政策というものは、日本の景気を考える上で何もしなくてもいいのか、そこから手を引いてしまえばいいのかというと、決してそうではないというふうに思っております。
冒頭のこの紙のレジュメの四番目に書きましたものがそれを示すレジュメでございまして、我々はやはり、歳出は一体何に割り当てられるべきか、国民の負担を背景としていますから、一体何が重要なのか。もちろん、歳出と歳入の不均衡を持続しますと大変問題が多いわけですから、将来足元をすとんとすくわれるかもしれないというリスクをだんだん膨らませることになりますので、財政の不均衡が膨れ上がるということは、これは困ることだというふうに皆考えております。
我が国において、二〇〇三年後半以降、民間設備投資が上昇に転じた大きな理由は、企業経営者が日本をもって投資するに値する場所だという評価をし始めた、従前に比べるとそう考える人がふえた、あるいはそれについての確信をふやす人がふえたということでございます。
現在のグローバル経済そして企業のグローバル経営を考えますと、どこに設備投資を行うのか、我が国に行うのか周辺アジア諸国に行うのか、あるいは欧米に行うのかは、実は選択肢の範囲という面がございまして、我が国で設備投資が出ませんと我が国の職場はふえない、我が国においてスマートなといいますか、快い形の所得を得る職場はふえないという大変冷厳な事実がございます。そういう意味では、我が国において、我が国がリスク遮断が行われ、投資に値する国だということを象徴づけるためには、財政不均衡を放置してはならない。これは、何が起きるかわからないということでございます。
最後の図の四に、米国経済をとってございます。
米国経済においては、今、名目成長率の伸びと対比しまして長期金利の伸び率が低くなっております。グリーンスパンはこれをなぞと言って退任したわけでございますが、この米国の長期国債が安定している理由として、やはり、中国からは労働集約的な製品、日本からは資本財や重要な部品を初めとした工業製品の値段が上がらない、投資が我が国において行われ、我が国から重要な機材や重要な部品が米国に安い値段で出し続けられるということがこれを生んでいるわけでございます。
グローバル経済のもとにおいては、いわばサバンナにおけるライオンとシマウマと草の関係があるように思います。ライオンは強いからどこまでもふえるかというと、そのサバンナにいるシマウマの量に依存するわけでございます。ではシマウマは何かといいますと、草原に生えている草の量に依存するわけでございます。このライオンとシマウマと草の関係において、お互いに依存関係を深めている。
確かに、金融秩序については米国からおかりしている面がございますが、工業製品の安定した背景には、もちろん、生産性の向上とか創造と挑戦を繰り返す日本の企業群があるわけでございます。それがあれば、原油の価格がたとえ値上がりしたとしても、重要な工業製品あるいはその部品というものの値段は上がらない。それを米国は享受できるということになりますと、米国において長期金利は上昇しない、将来についてのインフレのリスクというのは米国においてとめられているという面がございます。
そういう意味において、世界じゅうが相互に関係し合いながら動いておりますので、我が国において重要なのは、米国でもたまたまこの十数年はよろしかったのですが、その前の十数年は、御存じのように米国も大変つらい思いをしました。いわば秩序ができない時代がございました。米国が果たして二十一世紀ずっと秩序を持ち得ているかどうかということについては、世界の多くの人が願ってはおりますが、それが保障されるわけではありません。
日本について言えば、十数年は大変ひどい、秩序をなくした時代が続きました。そういう意味では、我が国が秩序を確立し、リスクを封じ込めることを通じて世界に貢献するということは極めて重要でございまして、歳出は、国会で不必要あるいは優先順位が低いと思われるものについては思い切った切り込みをしていただき、そして、財政収支の不均衡についてはできるだけこれを封じ込めるような御努力をしていただく。それを国民も支えるということを通じて、世界の秩序を日本もまた支えるという側に回るために御尽力いただければと思います。
どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →きょうは、来年度予算案について、基本賛成という立場からお話をさせていただこうと思います。
そして、現在、歳出と歳入改革を一体として行うべきだという大きな路線設定がなされているというふうに理解しておりますが、それを考えるときに、経済情勢がどのように現実に推移してきているのか、経済分析を業といたしています者の立場から、きょうはお話しさせていただこうと思います。
図表を四枚用意してございますので、それに沿ってお話をさせていただきます。
第一の図表は、これまで日本の経済財政運営において、不景気がありますと補正予算を積み上げて何とか痛みを和らげようとする、そういう対応がなされてきたという事実がございます。これは、小泉政権が成立する直前までそういう対応がなされてきたわけですが、その結果何が起きたのかということを、できるだけわかりやすくグラフにしたものでございます。
出ておりますのは、九〇年代に入りまして、大型の補正予算を組んで景気対策を行いますと、その後、円高がやってくるという経緯でございます。円高がやってまいりますと、どうしても輸入がふえ、輸出が抑制されますので、名目GDPの伸び率は、補正を組んだにもかかわらず、なかなか景気がよくならないということになっていることがおわかりかと思います。
このことは、とりわけ一九九四年、これは一ドル八十円という異常円高をつけたことがございますが、その前に補正が相当組まれているという事実がございます。それから、九〇年代後半にこれもまた補正を大幅に組んだわけでございますが、その後は円高という形になっておるわけです。
これは、なぜこういうことが起きるかといいますと、変動相場制のもとにおいて、実は財政金融政策の運営というのは一〇〇%の自律性を持っているわけではないという厳しい現実でございます。
補正を組みますとどういうことが起きますかというと、従来に比べますと、それだけ国内の景気を、局部的ではございますが持ち上げることになります。そのことが金利を高くすることによりまして円高を誘導するということにつながるわけでございます。変動相場制のもとでは、景気が悪いからといって財政支出をふやしますと、円高を通じてその分だけ日本の需要の積み上がりが阻害されるという関係がございます。
こうした事実関係がどうもありそうだということについては、実はもう四十年ほど前から経済学者が言及していたことでございまして、一九六〇年代からそういう論文がございます。残念ながら、日本人ではございません。マンデルとかフレミングとかという経済学者の名前を通常引用するわけでございますが、変動相場制がまだ全般的に導入されてはいなかった六〇年代の終わりには、そうした事実がある種公知として広く知られているところとなったわけでございます。
ただ、この点については我が国における理解は必ずしも十分ではなくて、国家公務員試験を受けられる方がテキストブックとして使われています経済学の教科書には、この点はほとんど書いてございません。代表的な教科書にはこの点が書いてございませんので、ひょっとしたら霞が関の経済担当のお役所の方々も十分には御理解しておられなかったのではないかというふうに、今、ヒアリングを通じて確かめたわけではございませんが、そのように私は思っております。
いずれにしろ、景気が悪いから歳出をふやせとか補正を組めという話は何度でもやってまいりましたが、これが実は失敗のもとだったというのが一九九〇年代の総括だというふうに思います。小泉政権の登場は、まさにそうした失敗の総括の上に、景気が多少悪いからといって補正予算を組んだりはしないという対応をとったというのが基本姿勢だと思います。
結果はどうなったのか、いろいろ評価はあろうかと思いますが、ここで、第一図では二〇〇四年度までしかございません、二〇〇五年度はこの三月末まででございますので。補正は確かに今年度明らかになっていますが、ここで挙げます名目GDPや期末の為替レートについてはまだ入れてございませんが、御存じのように、名目GDPもどうやら三%台には乗ったようでございますし、為替レートにつきましても、この二〇〇四年度末に比べると円安に推移しているわけでございます。そういう意味では、足元においても、景気が悪いからといって財政支出を積み上げるというやり方は正解ではないということが出ているように思います。
恐らくこのことは、予算委員会の先生方にとっても、そんな話というのはいつからあるんだと言われるかもしれませんが、実は、そういう因果関係については英語の標準的な教科書にはずっと書いてあることでございまして、我が国、私どもの同僚をとやかく言ってもしようがないんですけれども、日本の教科書にはなかなかその点が書いてございませんので、ちょっと失敗が長引いたかなというふうに思っております。
二番目に指摘したいのは、今、政府部内でも、名目GDPの成長率と長期金利とは一体どっちが大きいのか小さいのか、今後の絵姿を考える上でこれは重要だという指摘が何人かの方々からなされております。
そこで、図二をごらんになってください。図二は、我が国における名目GDPの伸び率と、それから国債の利回り、それから米国の長期金利をとっております。
一九八〇年代の前半まで、我が国では、国債は実質上簡単には売り買いはできないというふうに認識されておりました。そこで、利付電電債とかそういうものを使って長期金利の推移を見るところでございますが、今回は予算でございますので、足元、この十数年のところだけごらんになっていただければと思いますが、我が国の長期金利の推移と一番似ている動きは何かと見ていただきますと、米国の長期金利でございます。
米国の長期金利の方が我が国の長期金利よりは高いわけでございますが、これがボルカーの就任、一九七九年にボルカーが連銀の議長に就任しております、グリーンスパンになりましたのは八七年でございますが、一貫して米国の長期金利が下落傾向をたどる、とりわけ九〇年代においては明瞭な下落傾向をたどっておるわけでございます。
我が国の長期金利は、特に九〇年代、新発債をどんどん出しましたので、こんなに国債を発行していれば長期金利は我が国では上がってしまうのではないかという懸念を非常に多くの人が言いましたし、私もそういう可能性は一般論としてはあり得るというふうに思っていたわけでございますが、経緯をごらんになっていただきますと、我が国の長期金利はこの間一貫して低下しております。
名目GDPの伸び率との対応というものよりも、米国の長期金利の下落に引っ張られてと、グラフの読み方というのはいろいろありますので、どれが因であり、どれが果である、因果関係だというふうに読むのはそんなに簡単ではございませんが、しかし一応、例えば十六、七の高校生にお話をするというふうに考えますと、このグラフの中で何と何との関係が一番ありそうだというのを、心を平明にして見てくださいと言えば、そして気になっているのは我が国の長期金利だということでしたら、どうも米国の長期金利ではないかというのが普通の答えだろうと思います。
これは何かといいますと、グローバル経済のもとにおいて、やはり金融秩序をつくり上げている国と、その金融秩序に依存してその傘のもとにある国というのが現実に生まれてしまっている。グローバライゼーションというのは、実は、規律を持った国から規律をおかりして我が国の規律とするという仕組みが実際には成立してしまっているという面がございます。
もちろん我が国でも、いつまでも米国の金融秩序の傘のもとにあっていいわけではございませんので、数年前に日銀法の改正を行いまして、日銀のボードは眠ったボードではないということで、政策審議委員をそれぞれ選出いたしまして、その方々の独自な討論を通じて日本の金融政策を決定するという仕組みをやっと導入するようになったわけですが、その前というふうに考えますと、これは眠っていたボードだと。まあ、俗称でございますが、内部におられた方がそう言われているわけじゃないんですが、観察している者は、あれは眠っているなと言っていたわけですが、眠っているということは金融政策に規律が確立しない。
アメリカの連銀の仕組みも、長い間にいろいろな実践例を積み重ねることを通じてどうやらこういう規律を確立した。我が国は、この規律をかりる限りにおいて長期金利の反騰を避けられたという関係があるように思われます。
そこで、それでは我が国の財政金融政策というのはどういうふうに機能しているんだ、マクロ経済政策というのは何も要らないのかという議論がもたらされます。
三の図をごらんになってください。これは、日本銀行が発表しています、昔は卸売物価というふうに称しておりましたが、最近は企業物価指数というふうに名前を変えております。内容はほぼ同様でございますが、普通で考えますと、工場からの出荷段階における値段を拾っているというのが企業物価指数でございます。通常はこれは一本で、千品目を超える品目の加重平均で発表しておりますが、内容を詳しく見るためには分けて考える必要がある。
ここで、九〇%点から一〇%点まで、一〇%刻みで線が引いてございます。これはどういうことかといいますと、千を超える品目のうち、対前年同月比で一番値下がりをしているものから順に考えまして、ちょうど一〇%に当たるところというのを一〇%点というふうに考えます。そして、前年同月比で一番値下がりしているものから番号をつけまして、二〇%相当のところを二〇%点というふうに呼びならわすわけでございます。
そのように考えますと、例えば九〇%点というのは、二〇〇三年の後半から二〇〇四年にかけまして大変高騰しております。これは、いわゆる卸売物価の中の一〇%程度、構成品目の中で一〇%ぐらいに相当するものでございますが、ここには、例えば中国経済の過熱の影響があるというふうに考えてよかろうかと思います。
ちなみに、鉄鋼製品は、この上昇のときに九〇%点に相当するように上がりまして、最近は、鉄鋼製品は八〇%点ぐらいのところに推移してございます。そして、昨今のように原油価格が上がりますと、原油価格はこの九〇%点より上に位置する、こういうことになっておるわけです。
一〇%点は現在でも対前年同月比で三%のマイナスになっております。ここまで改善してまいりましたが、しかし、三%程度の前年比下落を続けています。
では、これは不況でかわいそうだなというふうに一般に思われるかもしれませんが、例えばエレクトロニクスがここに入ります。薄型テレビの値段がどんどん下がってくるというのは御存じのような経緯でございますが、そういうものに引っ張られまして、今でも電子製品については対前年比マイナスでございますが、では、これは意味がないかといいますと、この業界における競争を通じてこれが実現しているのであり、業界内において企業戦略の失敗があるところは、シェアを落としたり、どこかの時点で市場から退出しなければいけないということがあるかもしれません。しかし、それは競争社会においてはあり得ること、あるいはあり得べしという形で多くの国民は理解しているのではないかというふうには思われます。
そのように考えますと、それぞれ、物価のパーセントポイントで分類しましたもの、いずれも右上がりを見せておるわけでございまして、どうやら、時間はかけてはございますが、情勢の改善は見られるということでございます。
ちなみに、ここで四〇%点と五〇%点は重なりまして、対前年比ゼロをしばらく続けております。したがいまして、今でも明確な対前年比プラスは五割しかない、ゼロが二〇%ぐらいあって、マイナスが三〇%あるというのが現在の工場渡し値段の大ざっぱな推移だというふうに考えていただいたらいいかと思います。
ここで、では金融政策はこれを無理やり引き上げることが望ましいのかというふうに考えますと、それぞれの業界において調整をされております。長い目で見て、企業経営の持続性から考えて、調整すべきものは調整すべきというふうに考えて、個々の企業経営者が御努力なさっております。それからいきますと、現在の物価の決まり方に異常性はない。
非常に大ざっぱな議論をされる方の中に、デフレは依然として加速しているではないか、デフレからの脱却を図るために金融政策により一層の踏み込みが必要なのではないか等々の議論がありますが、これはもちろんいろいろな見解があるところでございますので、そういう見解も世の中にかなりあることは承知の上で申し上げておりますけれども、私は、この企業物価指数の推移を一〇%ポイントずつ区別して見ますと、どうやら日本経済に正常なリズムが戻ってきている、そういう形としてこれは見るべきではないかというふうに思っております。
そのように考えますと、それでは、一体、財政政策とか金融政策というものは、日本の景気を考える上で何もしなくてもいいのか、そこから手を引いてしまえばいいのかというと、決してそうではないというふうに思っております。
冒頭のこの紙のレジュメの四番目に書きましたものがそれを示すレジュメでございまして、我々はやはり、歳出は一体何に割り当てられるべきか、国民の負担を背景としていますから、一体何が重要なのか。もちろん、歳出と歳入の不均衡を持続しますと大変問題が多いわけですから、将来足元をすとんとすくわれるかもしれないというリスクをだんだん膨らませることになりますので、財政の不均衡が膨れ上がるということは、これは困ることだというふうに皆考えております。
我が国において、二〇〇三年後半以降、民間設備投資が上昇に転じた大きな理由は、企業経営者が日本をもって投資するに値する場所だという評価をし始めた、従前に比べるとそう考える人がふえた、あるいはそれについての確信をふやす人がふえたということでございます。
現在のグローバル経済そして企業のグローバル経営を考えますと、どこに設備投資を行うのか、我が国に行うのか周辺アジア諸国に行うのか、あるいは欧米に行うのかは、実は選択肢の範囲という面がございまして、我が国で設備投資が出ませんと我が国の職場はふえない、我が国においてスマートなといいますか、快い形の所得を得る職場はふえないという大変冷厳な事実がございます。そういう意味では、我が国において、我が国がリスク遮断が行われ、投資に値する国だということを象徴づけるためには、財政不均衡を放置してはならない。これは、何が起きるかわからないということでございます。
最後の図の四に、米国経済をとってございます。
米国経済においては、今、名目成長率の伸びと対比しまして長期金利の伸び率が低くなっております。グリーンスパンはこれをなぞと言って退任したわけでございますが、この米国の長期国債が安定している理由として、やはり、中国からは労働集約的な製品、日本からは資本財や重要な部品を初めとした工業製品の値段が上がらない、投資が我が国において行われ、我が国から重要な機材や重要な部品が米国に安い値段で出し続けられるということがこれを生んでいるわけでございます。
グローバル経済のもとにおいては、いわばサバンナにおけるライオンとシマウマと草の関係があるように思います。ライオンは強いからどこまでもふえるかというと、そのサバンナにいるシマウマの量に依存するわけでございます。ではシマウマは何かといいますと、草原に生えている草の量に依存するわけでございます。このライオンとシマウマと草の関係において、お互いに依存関係を深めている。
確かに、金融秩序については米国からおかりしている面がございますが、工業製品の安定した背景には、もちろん、生産性の向上とか創造と挑戦を繰り返す日本の企業群があるわけでございます。それがあれば、原油の価格がたとえ値上がりしたとしても、重要な工業製品あるいはその部品というものの値段は上がらない。それを米国は享受できるということになりますと、米国において長期金利は上昇しない、将来についてのインフレのリスクというのは米国においてとめられているという面がございます。
そういう意味において、世界じゅうが相互に関係し合いながら動いておりますので、我が国において重要なのは、米国でもたまたまこの十数年はよろしかったのですが、その前の十数年は、御存じのように米国も大変つらい思いをしました。いわば秩序ができない時代がございました。米国が果たして二十一世紀ずっと秩序を持ち得ているかどうかということについては、世界の多くの人が願ってはおりますが、それが保障されるわけではありません。
日本について言えば、十数年は大変ひどい、秩序をなくした時代が続きました。そういう意味では、我が国が秩序を確立し、リスクを封じ込めることを通じて世界に貢献するということは極めて重要でございまして、歳出は、国会で不必要あるいは優先順位が低いと思われるものについては思い切った切り込みをしていただき、そして、財政収支の不均衡についてはできるだけこれを封じ込めるような御努力をしていただく。それを国民も支えるということを通じて、世界の秩序を日本もまた支えるという側に回るために御尽力いただければと思います。
どうもありがとうございました。拍手
大
逢
逢見直人#4
○逢見公述人 おはようございます。連合で副事務局長を務めております逢見です。
本日は、働く者を代表する立場から、昨今話題となっております格差問題、なかんずく格差拡大という問題につきまして連合の認識を御説明させていただきまして、予算委員会における審議の参考に供させていただきたいと思っております。
さて、昨年からことしにかけまして、公共交通の大事故、耐震偽装問題、米国産牛肉輸入とBSEにかかわる問題、子供の殺害事件など、安全、安心にかかわる極めて重大な社会問題が起こっております。これらの点について細かく議論することはいたしませんが、今我が国に何より求められているのは、安全と安心の社会だと思います。安全に働くことができ、安心して暮らし、子供が産め、老後を迎えられ、仮に失敗しても再挑戦可能な社会が必要だと思っております。
そういう社会を実現させていく政策を考える上で、その前提となる問題意識、すなわち格差についてでございますが、昨今は格差が拡大し、それが行き過ぎているのではないか、つまり、安全と安心の社会から遠ざかっているのではないかと考えるところであります。もちろん、格差の全くない社会などあり得ないわけでありますが、しかし、それが行き過ぎているところに今日の我が国の問題があるのではないかと思っております。
格差はここ数年拡大していると実感しております。客観的な資料からもそのことは明らかだと思っております。しかし、内閣府は一月十九日の月例経済報告で、格差拡大の論拠として所得、消費の格差、賃金格差等が主張されているものの、統計データからは確認できないという見解を示しております。また、小泉総理は、この報告を受けてのことであると思いますが、国会において、格差拡大は誤解であるという答弁をされたという経緯がございました。
そこで、私ども連合としては、この格差問題の認識について発言させていただくこととした次第であります。お手元に資料を用意してございますので、参考にしながらお話しさせていただきます。
まず、内閣府が見かけ上の格差と判断された根拠は厚生労働省の所得再分配調査に基づくものと思いますが、この資料によれば、「ジニ係数上昇の背景には、近年の人口の高齢化による高齢者世帯の増加や、単独世帯の増加など世帯の小規模化といった社会構造の変化があることに留意する必要がある。」という認識に立って、これらの要因を除いた上で、所得格差の広がりは小さい、こういう分析をしていると理解しております。
しかし、この資料は、急速に格差が拡大していると我々が認識しておる直近のデータに基づいたものではありません。このデータは二〇〇一年までの数値しか示されておりません。また、調査結果は世帯所得を対象としておりまして、各個人の労働所得格差については明らかになっておりません。そもそも、高齢者世帯における格差そのものについても、決して無視できる問題ではないと思っております。
格差に関する統計分析については、資料の一ページにございます総務省の全国消費実態調査、これによるジニ係数の推移によりますと、三十歳未満の若年世帯で格差が拡大していることが示されております。また、二〇〇五年五月に内閣府経済社会総合研究所が公表した「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」、これは資料二ページに載せておりますが、この報告書では、一九九〇年代後半から最近にかけて、個人間の労働所得格差が拡大していること、いずれの年齢層でも格差が拡大していること、特に若年層でその拡大のテンポが速いということが指摘されております。
また、国際比較におきましては、OECDのワーキングレポート二〇〇二、これは資料の三ページでございますが、ここでは、OECD諸国では近年所得格差が安定しつつある中で、日本は各国よりも所得格差が大きく、しかも悪化してきており、貧困率も高いという結果が示されております。
私ども連合のシンクタンクであります連合総研では、日本の可処分所得のジニ係数や貧困率が高い要因として、日本では他のOECD諸国に比べて政府の社会保障給付及び税による所得格差の縮小策が貧弱であること、日本ではパートなど低賃金労働が広範に存在し、この勤労者が低所得層を形成し、貧困比率の高さを生み出していることなどを指摘しております。
このような点を踏まえますと、小泉総理が国会において格差拡大は誤解という答弁をなされたことに対しても、私どもとしては大きな疑問を感じざるを得ません。
同時に、マクロ統計のみをデータとしてとらえ、統計データからは格差拡大を確認できないという月例経済報告における内閣府の認識についても、強い懸念を感じます。所得、資産格差の拡大や雇用の二極化、貧困、生活困窮層の増加など、国民の労働、生活現場で現実に起こっていることを十分認識される必要があるのではないかと思います。
私どもが認識している格差の実態について、所得と資産という点から申し上げます。これは資料の四ページでございます。
年収三百万円以下の世帯、今、大卒初任給が二十万ぐらいだと思いますが、月二十万ぐらいで生活している人が年収三百万世帯ぐらいになろうかと思いますが、それ以下で暮らしている世帯が二〇〇三年で二八・九%、一九九九年と比較して五・一ポイントふえております。さらに、年収二百万円以下の世帯が一八・一%と、五、六世帯に一世帯を占めるようになっておりまして、これは明らかに低所得層が増加していると言えるのではないかと思います。
これは、高齢者、年金生活者世帯が増加しているという側面もあろうかと思いますが、それだけではないのではないか。社会問題化しているフリーター、ニート問題でも明らかなように、若年層の低所得者も増加しており、そういう不安定な雇用形態の若者が、正社員などに移行できず、そのまま固定化する傾向すらあることを考えますと、格差の存在はもちろんのこと、少子高齢社会を迎え、国際競争が激化していく中で、この先の経済、社会に大変悪い影響を及ぼすのではないかということを懸念しております。
先ほども申し上げましたように、二〇〇五年五月の内閣府経済社会総合研究所「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」の中では、「労働市場の変化の中で、最近では、所得格差は拡大しているのではないだろうか。」という指摘がされております。
それ以前の格差認識については、非正規雇用者までカバーされていなかったことが問題だということで、その報告ではそこをカバーする統計を用いまして、「いずれの年齢層でも格差は拡大しているが、特に若年層でその拡大テンポが速い。この若年層内における格差の拡大は、フリーター化など非正規雇用の増大の影響が大きい。 若年層の間での格差拡大は、日本社会の将来の姿を先取りしたものである可能性もある。」と、非常に現実的な分析をされております。これは、私ども現場での実感を非常によくあらわした分析だと思っております。
次は、資産の面についてであります。
資料の五ページでございますが、貯蓄保有世帯の平均額が二〇〇五年で千五百四十四万円。これは九七年に比べまして二〇%増加している。その一方で、貯蓄ができない世帯が全世帯の四分の一近い二三・八%も存在しております。年金を初めとする社会保障に対する将来不安の問題は、二年前の年金制度改革で大いに世間をにぎわせましたけれども、抜本改革が先送りされ、将来に不安があるにもかかわらず貯蓄ができない世帯がこれほど増加していることは、非常に懸念されることだと考えております。
これら格差の要因の一つは、明らかに雇用形態の変化であります。働き方の二極化が進行しております。企業のリストラなどの結果、正社員が減らされ、パートなどへの置きかえが急速に行われました。この十年間で正社員が四百万人減った一方で、パートタイマーが六百五十万人増加。これは資料の六ページに載せておりますが、このような働き方をされている四割近くが月収十万円以下という、非常に低い賃金水準となっております。
このような所得、資産の格差拡大を背景に、生活困窮層が増加していることも統計的に明らかになっております。
一つ飛ばして八ページでございますが、貧困率という指標がございます。これは、日本はOECD主要国でアメリカの一七・一%に次いで二番目の一五・三%となっております。国際的に見ても日本は格差の大きい国と見られております。
その他、九ページには、生活保護世帯が二〇〇五年で百四万世帯となり、一九九七年と比較して約七割もふえております。
そして、十ページですが、自治体から援助を受ける就学援助制度の利用者が、二〇〇四年度で百三十三・七万人。ここ四年間で三六・七%、これは給食費が払えないとかあるいは修学旅行に行くお金がないという形で援助していただく子供さんの数ですが、これだけ増加しております。
さらに、国民健康保険料長期滞納のために保険証が使用できない、いわゆる無保険者が、この四年間で三倍の三十万世帯になっているという実態もあります。まさに格差大国になっていると言わざるを得ないと思います。
さてそこで、なぜこのような格差の拡大、二極化が進行したのかということですが、直接的には、長期デフレのもとで、労働者にしわ寄せする形でマクロ的な分配が行われてきた結果であると思います。
その背後にあるのは、構造的な変化として、アメリカン・スタンダードといいますか、そういう基準、市場原理主義に追随した短期利益追求の経営への変化があります。
市場競争の過酷さを労働者に押しつけることによって格差が生み出されているのではないか。さらに、自己責任ということを強調することによって個人へのリスク転嫁を進め、セーフティーネットを縮小させる小さな政府論というものがこういう結果を引き起こしているのではないかと思います。
二極化が始まったのは、我が国がデフレ経済下でマイナス成長に陥った一九九〇年代の後半でありまして、この間のマクロ的な分配のゆがみが格差社会につながっているのではないかと思います。
特に、九八年以降の社会的な分配のゆがみの一つは、家計部門と企業部門における付加価値の分配が企業部門に偏ったことにあると思います。一人当たりの生産性が伸びた一方で、一人当たりの人件費は低下傾向にあって、その乖離がますます広がっております。
労働分配率は、一九九八年度の六五%から二〇〇四年度には六一%にまで低下しております。厚生労働省の労働経済白書においても、企業収益の改善が賃金の回復に結びついていないことが指摘されております。勤労者世帯の家計収入は、ピークである一九九七年に比べ約一割低下しており、税や社会保障における負担増、給付減の影響とあわせ、年々厳しさを増しております。
長期デフレへの対応策として、先ほども申しましたとおり、多くの企業は、正社員を減らし、パートや派遣、有期契約、請負労働といった非典型雇用労働者をふやすことで総額人件費を削減するという手段をとってきました。人件費コスト調整のしわ寄せがパート、派遣労働者などに集中することによって、全体的な所得格差が拡大したと言えると思います。
次に指摘させていただきたい点は、経営姿勢の変化が格差社会への流れをつくった一因ということです。アメリカン・スタンダード追従の短期利益追求型への傾斜であります。
日本の企業経営は、これまで経営の優先順位として従業員を重視するという姿勢があったと思いますが、これが、株主主権に変わったと言わないまでも、株主重視の姿勢をかなり強めてきたことによって、企業は、長期的、集団的で仲間動機に訴える雇用慣行から、短期的、個別的で市場動機に訴える人事施策をとるようになりました。その象徴的な動きが、中核的労働力とパートや派遣などを分離する、いわゆる雇用ポートフォリオという施策、あるいは成果主義賃金の導入であると思います。そして、これを後押ししたのが、非典型労働分野での規制緩和を進めたことの政策にあると思います。
我が国の労働現場は、職務や役割の区分が明確な英米とは異なって、人に仕事をつけて、チームでカバーし合いながら組織目標を達成し、その中で人を育成していくという職場が多いというのが実態だと思います。そして、これが日本的な強みであったと思いますし、今日でもそうだと思います。こうした実態を無視したところでアウトソーシングを進めた結果、職場では今、現場の総合力が落ちているということが大変問題になっております。
公正な処遇と人材育成という視点を欠いたまま雇用形態の多様化だけを先行させていることが、格差拡大の大きな要因になっていることのみならず、それが労働者の不満を高め、職場を分断化し、個別労働紛争を増加させている、そして、現場において総合力を低下させているという結果になっている。これは大変大きな懸念材料だと思います。
また、投資ファンドが関与する企業買収の動きが活発化していることも、株主の権利ばかりが声高に叫ばれ、従業員の声が無視されているという流れを加速させております。
企業にとって株価が重要な企業価値の面があることは否定しませんが、本当の企業価値はそこに働く従業員によって成り立っている側面が極めて大きいということを強く訴えたいと思います。とりわけ、ライブドア問題などはその最たるものと言えます。この件は捜査中ですのでこれ以上の発言は控えますが、ライブドアはITとは無縁で、単に株式市場を舞台にした、まさに虚業であったことが明らかになりつつあります。こうしたマネーゲームの風潮については極めて強い懸念を持っております。
さらに指摘したい点は、小さな政府の名のもとに、一方的な負担増、給付削減の財政改革を進め、また市場原理に基づく自己責任原則のもとで個人へリスクを転嫁しようとする方向に政策のかじ取りが行われていることであります。
市場万能主義者は、機会の平等さえあれば自助努力で挽回できると言いますが、自己責任では賄い切れないリスク、具体的には、その時々の経済や雇用情勢などで働きたくても働く場所がない、正社員で働きたいけれども雇ってくれるところがない、こうした側面の中で、市場競争がもたらす痛みが個人に集中しやすくなっていることが負け組を生み出す原因になっております。
特に、社会の所得再分配機能が弱まっていることが格差拡大に拍車をかけていると言えます。課税前の所得とともに再分配後の所得も格差拡大を続けているということは、税金が高いと経済活力が低下するという一部の主張によって、所得税の税率のフラット化や、資産、財産収入への課税の軽減が行われてきたためにほかならないと思います。
そうした中で、サラリーマンにねらい撃ちの増税が行われようとしていることについては、大きな懸念を感じます。恒久的減税措置とされてきた定率減税が今年一月から半減され、今国会では完全廃止の方向で審議が進んでおります。さらに、昨年六月に政府税調の基礎問題小委員会では、所得税の各種控除の縮小、廃止を盛り込んだ個人所得課税に関する論点整理をまとめたわけでございますが、これはまさにサラリーマンをねらい撃ちにした増税と言わざるを得ないと思います。多くの勤労者、サラリーマンが大きな不安と怒りを訴えております。現在でも不公平であると感じている税制について、どのように公平で透明な税制にしていくかという議論がないまま、取りやすいところから取るという安易な増税路線を進めると、貧富の差はますます拡大すると思います。
社会保障についても、この十年間の制度改革は、負担増、給付減による財政上の対応を優先し、制度の抜本改革を先送りしてきたことから、制度に対する不信感が高まっております。
社会的セーフティーネットから抜け落ちる人が増加し、公的年金では二号被保険者から一号被保険者へのシフトが起こっておりますし、さらに、一号被保険者の保険料未納者も、御承知のように、国民年金では四割近くの未納というところまでふえてきておりまして、将来の無年金者の増大が強く危惧されるところであります。医療保険でも、組合健保から政管健保あるいは国保へのシフトと同時に、健保財政の悪化も進んでおります。
最後に指摘したい点は、ワークルールの破壊が不当な格差を生み出しているということです。最低限のワークルールさえも守られない職場がふえております。その一つは最低賃金であります。
これは、資料の七ページで示すように、日本の最低賃金水準というのは欧米先進国に比べて決して高いわけではありません。その低い最低賃金水準すら守られていないという問題があります。
北海道のハイヤー、タクシー労働者の最低賃金違反をきっかけに、全国で自主点検を行ったところ、五%の事業者で最賃違反が見つかった。これはあくまでも経営者が自主点検した結果でありまして、これは氷山の一角であって、実際にはもっと違反があるのではないかと思っております。
また、不払い残業は依然として多くの職場で横行しております。具体的に申しますと、労働者からの自己申告で労働基準法違反を申告された事案が年間三万六千件に上り、これにより臨検監督をした事業場の七割に法違反が認められております。こうした違法行為の増加は、労働分野の規制緩和の一方で監督行政が徹底されていないことが大きな原因だと思います。こういう社会的規制こそむしろ強化されるべきだと思います。
格差社会を乗り越えるためには社会的な分配を変えていく必要があり、そのためには、以下のような雇用、労働法制や、税、社会保障制度の見直しが必要であると思います。
一つは、均等待遇の実現など、雇用形態間の格差の対応を図ることであります。
均等待遇の原則が貫かれてこそ、労働者の働き方の選択肢として多様な雇用形態を生かしていくことが可能になります。二〇〇四年の統計では、男性のパート労働者の一時間当たりの平均賃金は千十二円で、男性一般労働者の五〇・六%。同様に、女性では九百四円で、女性一般労働者の四五・二%と半分以下になっております。もちろん、正社員とパートでは責任の軽重とか転勤や残業の有無とかという差もありますが、合理的な理由で説明できない、ただ単にあなたはパートだからというだけで、同じ仕事をしていながら正社員よりも不当に低い賃金で働いているという実態があります。
また、待遇面では、パートには有給休暇というものがそもそもないんだと言われることも後を絶ちません。このような処遇に大きな格差があることは社会的な問題であり、これを克服していかなければならないと思います。ぜひとも均等待遇原則の法制化や有期労働契約のルール化を進めていただきたいと思っております。
第二に、社会保障制度の改革であります。
二極化、格差社会に歯どめをかけ、是正するためには、社会のセーフティーネットである社会保障制度の改革、再構築が不可欠です。制度の抜本的な見直しを通じて、安心、安全、公正な社会を実現することが喫緊の課題であります。
今国会では医療制度改革関連法案が上程されております。この中には、連合が求めてきた主張が盛り込まれていた点もありますが、独立した高齢者医療保険制度の創設については、財政調整や最終的な責任主体が不明確であるということから見て、見直しが必要と言わざるを得ません。
年金制度については、雇用形態にかかわらず、生涯を通じてすべての雇用労働者を対象として一元化を図ること、子育て世代が将来に希望を持って子供を生み育てられる子育て支援策を強化することなどが必要です。
最後に、不公平税制の是正です。
格差が拡大し、低所得、生活困窮層が増加している現状において、所得の再分配機能は今極めて脆弱になっていると思っております。取りやすいところから取る税制ではなく、ぜひとも不公平税制を是正し、公平で透明な税制改革を実現していただくようお願いいたします。また、定率減税の廃止につきましては、今申しました二極化の現状を十分に踏まえ、慎重に対応すべきだと思っております。少なくともその実施に当たっては、デフレからの確実な脱却を前提とすべきであり、持続的な経済成長に悪影響がないよう慎重に御判断いただくことを強くお願い申し上げます。
以上、私の公述とさせていただきます。拍手
この発言だけを見る →本日は、働く者を代表する立場から、昨今話題となっております格差問題、なかんずく格差拡大という問題につきまして連合の認識を御説明させていただきまして、予算委員会における審議の参考に供させていただきたいと思っております。
さて、昨年からことしにかけまして、公共交通の大事故、耐震偽装問題、米国産牛肉輸入とBSEにかかわる問題、子供の殺害事件など、安全、安心にかかわる極めて重大な社会問題が起こっております。これらの点について細かく議論することはいたしませんが、今我が国に何より求められているのは、安全と安心の社会だと思います。安全に働くことができ、安心して暮らし、子供が産め、老後を迎えられ、仮に失敗しても再挑戦可能な社会が必要だと思っております。
そういう社会を実現させていく政策を考える上で、その前提となる問題意識、すなわち格差についてでございますが、昨今は格差が拡大し、それが行き過ぎているのではないか、つまり、安全と安心の社会から遠ざかっているのではないかと考えるところであります。もちろん、格差の全くない社会などあり得ないわけでありますが、しかし、それが行き過ぎているところに今日の我が国の問題があるのではないかと思っております。
格差はここ数年拡大していると実感しております。客観的な資料からもそのことは明らかだと思っております。しかし、内閣府は一月十九日の月例経済報告で、格差拡大の論拠として所得、消費の格差、賃金格差等が主張されているものの、統計データからは確認できないという見解を示しております。また、小泉総理は、この報告を受けてのことであると思いますが、国会において、格差拡大は誤解であるという答弁をされたという経緯がございました。
そこで、私ども連合としては、この格差問題の認識について発言させていただくこととした次第であります。お手元に資料を用意してございますので、参考にしながらお話しさせていただきます。
まず、内閣府が見かけ上の格差と判断された根拠は厚生労働省の所得再分配調査に基づくものと思いますが、この資料によれば、「ジニ係数上昇の背景には、近年の人口の高齢化による高齢者世帯の増加や、単独世帯の増加など世帯の小規模化といった社会構造の変化があることに留意する必要がある。」という認識に立って、これらの要因を除いた上で、所得格差の広がりは小さい、こういう分析をしていると理解しております。
しかし、この資料は、急速に格差が拡大していると我々が認識しておる直近のデータに基づいたものではありません。このデータは二〇〇一年までの数値しか示されておりません。また、調査結果は世帯所得を対象としておりまして、各個人の労働所得格差については明らかになっておりません。そもそも、高齢者世帯における格差そのものについても、決して無視できる問題ではないと思っております。
格差に関する統計分析については、資料の一ページにございます総務省の全国消費実態調査、これによるジニ係数の推移によりますと、三十歳未満の若年世帯で格差が拡大していることが示されております。また、二〇〇五年五月に内閣府経済社会総合研究所が公表した「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」、これは資料二ページに載せておりますが、この報告書では、一九九〇年代後半から最近にかけて、個人間の労働所得格差が拡大していること、いずれの年齢層でも格差が拡大していること、特に若年層でその拡大のテンポが速いということが指摘されております。
また、国際比較におきましては、OECDのワーキングレポート二〇〇二、これは資料の三ページでございますが、ここでは、OECD諸国では近年所得格差が安定しつつある中で、日本は各国よりも所得格差が大きく、しかも悪化してきており、貧困率も高いという結果が示されております。
私ども連合のシンクタンクであります連合総研では、日本の可処分所得のジニ係数や貧困率が高い要因として、日本では他のOECD諸国に比べて政府の社会保障給付及び税による所得格差の縮小策が貧弱であること、日本ではパートなど低賃金労働が広範に存在し、この勤労者が低所得層を形成し、貧困比率の高さを生み出していることなどを指摘しております。
このような点を踏まえますと、小泉総理が国会において格差拡大は誤解という答弁をなされたことに対しても、私どもとしては大きな疑問を感じざるを得ません。
同時に、マクロ統計のみをデータとしてとらえ、統計データからは格差拡大を確認できないという月例経済報告における内閣府の認識についても、強い懸念を感じます。所得、資産格差の拡大や雇用の二極化、貧困、生活困窮層の増加など、国民の労働、生活現場で現実に起こっていることを十分認識される必要があるのではないかと思います。
私どもが認識している格差の実態について、所得と資産という点から申し上げます。これは資料の四ページでございます。
年収三百万円以下の世帯、今、大卒初任給が二十万ぐらいだと思いますが、月二十万ぐらいで生活している人が年収三百万世帯ぐらいになろうかと思いますが、それ以下で暮らしている世帯が二〇〇三年で二八・九%、一九九九年と比較して五・一ポイントふえております。さらに、年収二百万円以下の世帯が一八・一%と、五、六世帯に一世帯を占めるようになっておりまして、これは明らかに低所得層が増加していると言えるのではないかと思います。
これは、高齢者、年金生活者世帯が増加しているという側面もあろうかと思いますが、それだけではないのではないか。社会問題化しているフリーター、ニート問題でも明らかなように、若年層の低所得者も増加しており、そういう不安定な雇用形態の若者が、正社員などに移行できず、そのまま固定化する傾向すらあることを考えますと、格差の存在はもちろんのこと、少子高齢社会を迎え、国際競争が激化していく中で、この先の経済、社会に大変悪い影響を及ぼすのではないかということを懸念しております。
先ほども申し上げましたように、二〇〇五年五月の内閣府経済社会総合研究所「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」の中では、「労働市場の変化の中で、最近では、所得格差は拡大しているのではないだろうか。」という指摘がされております。
それ以前の格差認識については、非正規雇用者までカバーされていなかったことが問題だということで、その報告ではそこをカバーする統計を用いまして、「いずれの年齢層でも格差は拡大しているが、特に若年層でその拡大テンポが速い。この若年層内における格差の拡大は、フリーター化など非正規雇用の増大の影響が大きい。 若年層の間での格差拡大は、日本社会の将来の姿を先取りしたものである可能性もある。」と、非常に現実的な分析をされております。これは、私ども現場での実感を非常によくあらわした分析だと思っております。
次は、資産の面についてであります。
資料の五ページでございますが、貯蓄保有世帯の平均額が二〇〇五年で千五百四十四万円。これは九七年に比べまして二〇%増加している。その一方で、貯蓄ができない世帯が全世帯の四分の一近い二三・八%も存在しております。年金を初めとする社会保障に対する将来不安の問題は、二年前の年金制度改革で大いに世間をにぎわせましたけれども、抜本改革が先送りされ、将来に不安があるにもかかわらず貯蓄ができない世帯がこれほど増加していることは、非常に懸念されることだと考えております。
これら格差の要因の一つは、明らかに雇用形態の変化であります。働き方の二極化が進行しております。企業のリストラなどの結果、正社員が減らされ、パートなどへの置きかえが急速に行われました。この十年間で正社員が四百万人減った一方で、パートタイマーが六百五十万人増加。これは資料の六ページに載せておりますが、このような働き方をされている四割近くが月収十万円以下という、非常に低い賃金水準となっております。
このような所得、資産の格差拡大を背景に、生活困窮層が増加していることも統計的に明らかになっております。
一つ飛ばして八ページでございますが、貧困率という指標がございます。これは、日本はOECD主要国でアメリカの一七・一%に次いで二番目の一五・三%となっております。国際的に見ても日本は格差の大きい国と見られております。
その他、九ページには、生活保護世帯が二〇〇五年で百四万世帯となり、一九九七年と比較して約七割もふえております。
そして、十ページですが、自治体から援助を受ける就学援助制度の利用者が、二〇〇四年度で百三十三・七万人。ここ四年間で三六・七%、これは給食費が払えないとかあるいは修学旅行に行くお金がないという形で援助していただく子供さんの数ですが、これだけ増加しております。
さらに、国民健康保険料長期滞納のために保険証が使用できない、いわゆる無保険者が、この四年間で三倍の三十万世帯になっているという実態もあります。まさに格差大国になっていると言わざるを得ないと思います。
さてそこで、なぜこのような格差の拡大、二極化が進行したのかということですが、直接的には、長期デフレのもとで、労働者にしわ寄せする形でマクロ的な分配が行われてきた結果であると思います。
その背後にあるのは、構造的な変化として、アメリカン・スタンダードといいますか、そういう基準、市場原理主義に追随した短期利益追求の経営への変化があります。
市場競争の過酷さを労働者に押しつけることによって格差が生み出されているのではないか。さらに、自己責任ということを強調することによって個人へのリスク転嫁を進め、セーフティーネットを縮小させる小さな政府論というものがこういう結果を引き起こしているのではないかと思います。
二極化が始まったのは、我が国がデフレ経済下でマイナス成長に陥った一九九〇年代の後半でありまして、この間のマクロ的な分配のゆがみが格差社会につながっているのではないかと思います。
特に、九八年以降の社会的な分配のゆがみの一つは、家計部門と企業部門における付加価値の分配が企業部門に偏ったことにあると思います。一人当たりの生産性が伸びた一方で、一人当たりの人件費は低下傾向にあって、その乖離がますます広がっております。
労働分配率は、一九九八年度の六五%から二〇〇四年度には六一%にまで低下しております。厚生労働省の労働経済白書においても、企業収益の改善が賃金の回復に結びついていないことが指摘されております。勤労者世帯の家計収入は、ピークである一九九七年に比べ約一割低下しており、税や社会保障における負担増、給付減の影響とあわせ、年々厳しさを増しております。
長期デフレへの対応策として、先ほども申しましたとおり、多くの企業は、正社員を減らし、パートや派遣、有期契約、請負労働といった非典型雇用労働者をふやすことで総額人件費を削減するという手段をとってきました。人件費コスト調整のしわ寄せがパート、派遣労働者などに集中することによって、全体的な所得格差が拡大したと言えると思います。
次に指摘させていただきたい点は、経営姿勢の変化が格差社会への流れをつくった一因ということです。アメリカン・スタンダード追従の短期利益追求型への傾斜であります。
日本の企業経営は、これまで経営の優先順位として従業員を重視するという姿勢があったと思いますが、これが、株主主権に変わったと言わないまでも、株主重視の姿勢をかなり強めてきたことによって、企業は、長期的、集団的で仲間動機に訴える雇用慣行から、短期的、個別的で市場動機に訴える人事施策をとるようになりました。その象徴的な動きが、中核的労働力とパートや派遣などを分離する、いわゆる雇用ポートフォリオという施策、あるいは成果主義賃金の導入であると思います。そして、これを後押ししたのが、非典型労働分野での規制緩和を進めたことの政策にあると思います。
我が国の労働現場は、職務や役割の区分が明確な英米とは異なって、人に仕事をつけて、チームでカバーし合いながら組織目標を達成し、その中で人を育成していくという職場が多いというのが実態だと思います。そして、これが日本的な強みであったと思いますし、今日でもそうだと思います。こうした実態を無視したところでアウトソーシングを進めた結果、職場では今、現場の総合力が落ちているということが大変問題になっております。
公正な処遇と人材育成という視点を欠いたまま雇用形態の多様化だけを先行させていることが、格差拡大の大きな要因になっていることのみならず、それが労働者の不満を高め、職場を分断化し、個別労働紛争を増加させている、そして、現場において総合力を低下させているという結果になっている。これは大変大きな懸念材料だと思います。
また、投資ファンドが関与する企業買収の動きが活発化していることも、株主の権利ばかりが声高に叫ばれ、従業員の声が無視されているという流れを加速させております。
企業にとって株価が重要な企業価値の面があることは否定しませんが、本当の企業価値はそこに働く従業員によって成り立っている側面が極めて大きいということを強く訴えたいと思います。とりわけ、ライブドア問題などはその最たるものと言えます。この件は捜査中ですのでこれ以上の発言は控えますが、ライブドアはITとは無縁で、単に株式市場を舞台にした、まさに虚業であったことが明らかになりつつあります。こうしたマネーゲームの風潮については極めて強い懸念を持っております。
さらに指摘したい点は、小さな政府の名のもとに、一方的な負担増、給付削減の財政改革を進め、また市場原理に基づく自己責任原則のもとで個人へリスクを転嫁しようとする方向に政策のかじ取りが行われていることであります。
市場万能主義者は、機会の平等さえあれば自助努力で挽回できると言いますが、自己責任では賄い切れないリスク、具体的には、その時々の経済や雇用情勢などで働きたくても働く場所がない、正社員で働きたいけれども雇ってくれるところがない、こうした側面の中で、市場競争がもたらす痛みが個人に集中しやすくなっていることが負け組を生み出す原因になっております。
特に、社会の所得再分配機能が弱まっていることが格差拡大に拍車をかけていると言えます。課税前の所得とともに再分配後の所得も格差拡大を続けているということは、税金が高いと経済活力が低下するという一部の主張によって、所得税の税率のフラット化や、資産、財産収入への課税の軽減が行われてきたためにほかならないと思います。
そうした中で、サラリーマンにねらい撃ちの増税が行われようとしていることについては、大きな懸念を感じます。恒久的減税措置とされてきた定率減税が今年一月から半減され、今国会では完全廃止の方向で審議が進んでおります。さらに、昨年六月に政府税調の基礎問題小委員会では、所得税の各種控除の縮小、廃止を盛り込んだ個人所得課税に関する論点整理をまとめたわけでございますが、これはまさにサラリーマンをねらい撃ちにした増税と言わざるを得ないと思います。多くの勤労者、サラリーマンが大きな不安と怒りを訴えております。現在でも不公平であると感じている税制について、どのように公平で透明な税制にしていくかという議論がないまま、取りやすいところから取るという安易な増税路線を進めると、貧富の差はますます拡大すると思います。
社会保障についても、この十年間の制度改革は、負担増、給付減による財政上の対応を優先し、制度の抜本改革を先送りしてきたことから、制度に対する不信感が高まっております。
社会的セーフティーネットから抜け落ちる人が増加し、公的年金では二号被保険者から一号被保険者へのシフトが起こっておりますし、さらに、一号被保険者の保険料未納者も、御承知のように、国民年金では四割近くの未納というところまでふえてきておりまして、将来の無年金者の増大が強く危惧されるところであります。医療保険でも、組合健保から政管健保あるいは国保へのシフトと同時に、健保財政の悪化も進んでおります。
最後に指摘したい点は、ワークルールの破壊が不当な格差を生み出しているということです。最低限のワークルールさえも守られない職場がふえております。その一つは最低賃金であります。
これは、資料の七ページで示すように、日本の最低賃金水準というのは欧米先進国に比べて決して高いわけではありません。その低い最低賃金水準すら守られていないという問題があります。
北海道のハイヤー、タクシー労働者の最低賃金違反をきっかけに、全国で自主点検を行ったところ、五%の事業者で最賃違反が見つかった。これはあくまでも経営者が自主点検した結果でありまして、これは氷山の一角であって、実際にはもっと違反があるのではないかと思っております。
また、不払い残業は依然として多くの職場で横行しております。具体的に申しますと、労働者からの自己申告で労働基準法違反を申告された事案が年間三万六千件に上り、これにより臨検監督をした事業場の七割に法違反が認められております。こうした違法行為の増加は、労働分野の規制緩和の一方で監督行政が徹底されていないことが大きな原因だと思います。こういう社会的規制こそむしろ強化されるべきだと思います。
格差社会を乗り越えるためには社会的な分配を変えていく必要があり、そのためには、以下のような雇用、労働法制や、税、社会保障制度の見直しが必要であると思います。
一つは、均等待遇の実現など、雇用形態間の格差の対応を図ることであります。
均等待遇の原則が貫かれてこそ、労働者の働き方の選択肢として多様な雇用形態を生かしていくことが可能になります。二〇〇四年の統計では、男性のパート労働者の一時間当たりの平均賃金は千十二円で、男性一般労働者の五〇・六%。同様に、女性では九百四円で、女性一般労働者の四五・二%と半分以下になっております。もちろん、正社員とパートでは責任の軽重とか転勤や残業の有無とかという差もありますが、合理的な理由で説明できない、ただ単にあなたはパートだからというだけで、同じ仕事をしていながら正社員よりも不当に低い賃金で働いているという実態があります。
また、待遇面では、パートには有給休暇というものがそもそもないんだと言われることも後を絶ちません。このような処遇に大きな格差があることは社会的な問題であり、これを克服していかなければならないと思います。ぜひとも均等待遇原則の法制化や有期労働契約のルール化を進めていただきたいと思っております。
第二に、社会保障制度の改革であります。
二極化、格差社会に歯どめをかけ、是正するためには、社会のセーフティーネットである社会保障制度の改革、再構築が不可欠です。制度の抜本的な見直しを通じて、安心、安全、公正な社会を実現することが喫緊の課題であります。
今国会では医療制度改革関連法案が上程されております。この中には、連合が求めてきた主張が盛り込まれていた点もありますが、独立した高齢者医療保険制度の創設については、財政調整や最終的な責任主体が不明確であるということから見て、見直しが必要と言わざるを得ません。
年金制度については、雇用形態にかかわらず、生涯を通じてすべての雇用労働者を対象として一元化を図ること、子育て世代が将来に希望を持って子供を生み育てられる子育て支援策を強化することなどが必要です。
最後に、不公平税制の是正です。
格差が拡大し、低所得、生活困窮層が増加している現状において、所得の再分配機能は今極めて脆弱になっていると思っております。取りやすいところから取る税制ではなく、ぜひとも不公平税制を是正し、公平で透明な税制改革を実現していただくようお願いいたします。また、定率減税の廃止につきましては、今申しました二極化の現状を十分に踏まえ、慎重に対応すべきだと思っております。少なくともその実施に当たっては、デフレからの確実な脱却を前提とすべきであり、持続的な経済成長に悪影響がないよう慎重に御判断いただくことを強くお願い申し上げます。
以上、私の公述とさせていただきます。拍手
大
植
植野大作#6
○植野公述人 ただいま御指名いただきました野村證券の植野と申します。本日は、このようなところにお招きいただきまして、まことにありがとうございます。
私は、現在、弊社金融経済研究所におきまして、内外の経済金融情勢をもとに、為替相場及び国際資本移動に関する調査、分析、予測に携わっております。平たい言葉で言ってしまえば、あなたは為替レートの予測をやりなさいということで、恐らく世の中で一番当てるのが困難な仕事だと思いますが、それを仰せつかって、ここ八年ばかり、野村グループの中で為替の調査について責任を持ってやっているものでございます。
したがいまして、私、本日は、そういう立場にございますので、我が国が現在取り組んでいる財政再建、これを進めていく上で、必要不可欠あるいはチェックしていかざるを得ない環境として注目されております日本経済の現状と為替変動のリスクについて、私どもの見解をお話しさせていただきたいと思います。
まず、日本経済に関しましては、御用意いたしました資料の表紙をめくっていただきまして、一ページ目をごらんになっていただけますでしょうか。
結論から最初に申し上げますと、現在は、マクロ経済全体としては、比較的順調な回復、拡大過程にあるというふうに考えてございます。一ページ目の左に載せてございます二〇〇五年から二〇〇七年度の日本経済見通し、こちらが二月二十二日に私どもが公表いたしました経済見通しでございます。
ポイントは大きく分けて三つございまして、一番最初は、上の水色のラインのところをごらんになっていただきたいんですけれども、民間内需主導で、日本経済は回復持続の蓋然性が非常に高くなってきているということでございます。
私どもの予測に基づきますと、二〇〇五年度は三・三%成長、それから二〇〇六年度は三・一、二〇〇七年度は二・六ということで、比較的安定的なプラス成長を実質ベースで確保すると考えております。
うち、その下の緑のところに赤い丸で囲ってあるところ、こちらがその成長率のうちどれぐらいが民間内需によるものかというものでございますが、民間内需主導という特徴が極めて鮮明になっております。すなわち、二〇〇五年度は三・三%成長のうち二・七%は民間の内需によるもの、二〇〇六年度は三・一のうち三・二というのが内需によるもの、それから、二〇〇七年度についても二・六のうち二・八ということになりますので、基本的には、二〇〇五年度、二〇〇六年度ともに三%台の成長を見込みつつ、民間内需主導でこういった成長が達成されるということが予想されております。
すなわち、近年の景気回復の特徴としては、九〇年代、いわゆる失われた十年の特徴でよく言われているように、外需、つまり輸出ですとかあるいは公共投資、これに頼った成長というよりは、民間の活力を背景とした経済成長ということを見込むということですね。
ポイントの二番目は、こういった環境の中で、長らく日本経済を悩ませていた宿痾と考えられていたデフレ、これも徐々に克服され始めているということですね。表の中では黄色い部分になりますけれども、赤い丸をつけてあるところが消費者物価の中から変動の激しい生鮮食品を除いたものでございますが、おおむね、グラフで御確認いただいてわかりますように、小幅ながらもプラスの伸び率に転じてくるというふうに考えております。したがって、今年度以降、徐々に日本経済はデフレからも脱却ということが見えてきていると考えております。
この結果、現在のような景気拡大が続けば、恐らくことしの十一月には、戦後最長の景気拡大記録として現在残っております、五十七カ月続きました一九六〇年代のいざなぎ景気、これを上回って、戦後最長の景気拡大ということになるかと思います。
したがいまして、今回の景気回復の特徴を三つのキーワードで示すとすれば、一つは民間内需主導、二番目はデフレ克服元年、それから三番目は戦後最長の景気拡大、こういったところになるかと思います。
もちろん、経済は生き物でございまして、日々変動している内外の金融環境や政策変化によってさまざまな影響を受けます。その中には、よい影響を及ぼすものもあれば悪い影響を及ぼすものもあると思いますが、我々が注視すべきはやはり悪い影響を及ぼすもの、すなわちリスクだと思います。
その中で、日ごろ為替相場を見ている私の立場としては、やはり気になるリスクは為替円高のリスクになると思います。先ほど田中先生も御指摘しておられましたが、なぜなら、このように日本経済に対する内外の評価が高まったり成長率が高まりやすい局面においては、円に対する評価も高まって、結果として円高になる可能性があるからです。この円高も、行き過ぎますと、企業収益を圧迫し、デフレ圧力を発生する源となりますので、この点には注意が必要、過去何度も我々が経験してきたことだと思います。
この点について次にお話ししていきたいんですが、ページをまためくっていただきまして、二ページ目をごらんになっていただけますでしょうか。
ただし、結論から申しますと、私は、日本経済を再び奈落の底に突き落とすような強烈な円高というのは起きにくいのではないかというふうに思っております。もちろん、数カ月、半年あるいは一年単位等で見れば、時々の循環的な要素によってある程度の円高、ある程度の円安という振れが起きる可能性はありますけれども、ここで私が強調しておきたいのは、非常に長い長期的な視野で見れば、ドル・円相場の変動は過去に比べて抑制され始めていると考えられるからです。
二ページ目の左側のグラフをごらんになってください。こちらは、ドル・円三百六十円から出発した一九七〇年代以降、過去三十七年間ぐらいのドル・円相場の動きでございます。グラフはドル・円相場でございまして、上に行きますと、これは目盛りを逆にしておりますので、円高というものですね。
こちら、ごらんになっていただいてわかりますように、例えば、十年単位でドル・円相場の変動をごらんになっていただきますと、一九七〇年代は、三百六十円が安値、高値が百七十五円五十銭ということですから、値幅は、赤いところに書いてございますが、百八十四円五十銭もあったわけですね。その間、変動率六五%近く。八〇年代は、これが少し縮小してまいりまして、値幅に直しますと百五十八円五銭、変動率約八〇%。九〇年代は、さらにこれが一段と縮小いたしまして、安値百六十円ぐらいから高値七十九円七十五銭ということで、八〇年代の約半分、変動率にしても六九%ぐらい。
今世紀に入って、この傾向がさらに一段と縮小いたしまして、値幅は、二〇〇〇年代に入って、今のところわずか三十三円六十四銭、変動率にいたしましても約三〇%弱という形で、一九七〇年代初頭の変動相場制への移行後、各年代におけるドル・円相場の変動幅と変動率は、一貫して抑制される傾向にある。かつ、今世紀に入って、ドル・円相場、下値はまだ切り上がっているように見えるんですが、高値がようやく切り下がってきたようにも見えるということで、世界最強通貨円という状況が徐々に終わりを迎えつつあるのかなというような傾向すら見えるということですね。
この原因は一体何であろうかということが非常に重要になってくるわけですが、考えられる理由としては三つぐらいあると思います。
一つは、変動相場制移行後三十数年を経て、日米経済の格差がかなり縮小してきたということだと思うんですね。すなわち、変動相場制に移行した当初というのは、日本はまだ高度成長期から安定成長期に入る手前でございまして、世界の先進国を圧倒的に凌駕する高い成長ポテンシャルを持っていたわけですけれども、現在、人口の減少とともに徐々に日本の潜在成長率なるものは下がってきておりまして、その他の先進国に比べて圧倒的に日本が高い成長を遂げるというような状況ではなくなってきている。格差が縮小すれば、それの表現の場である為替の変動も縮小してくるんじゃないかということですね。
それと、もう一つ言えますのは、この変動相場制移行の初期段階というのは、ドル・円三百六十円からスタートした当初というのは、恐らく当時のドル・円相場というのは、今の中国人民元のように、のっけからすごくプライスのミスマッチというのがあったと思うんですね。つまり、当時の日本は、世界的に見ても非常に競争力のある製造業を抱えていながら、黒字も稼ぐ、しかしながら、輸出産業が為替固定相場の中で保護されていたわけですね。ほとんど今の中国と似たようなところ。
したがって、変動相場制に入った用意ドンの初期の段階というのは、当初から本当にもう埋めていかなきゃいけない価格のミスマッチというのがあった。それを埋めていくためには、十分な値幅も必要であったし、かつ相場は円高傾向である必要があったと思うんですが、三十数年も変動相場をやっていくと、初期に発生していた大幅なミスマッチというのは徐々に解消されているのではないかということですね。これが一番目です。
それから、二番目は、経済金融統計の整備と拡大によって正しい情報がマーケットに伝えられるようになった結果、過剰な、間違った価格のつけ方というのが起きにくくなってきているんじゃないか、あるいは規制緩和によって市場参加者の厚みが増してきている、こういったことが変動を抑制しているのではないかというようなことも言われております。
それから、最近の、今世紀に入ってというところで私が大きいと思っておりますのは、情報技術革新による情報の共有化ですね。
すなわち、これまでは多分、内外の投資家、海外の投資家と国内の投資家は、持っている情報に相当な格差が時間的に見ても内容的に見てもございました。しかしながら、現在は、インターネット取引等の普及によって、例えばアメリカの金融政策の情報などについても、英語さえ読めれば、夜更かしする覚悟があれば、ほとんど海外の投資家とリアルタイムで我々は情報を入手することができるというような状況になってきております。
したがいまして、内外の投資家の情報格差が埋まる。あるいは、インターネット取引が普及すれば、各官公庁が発表しているさまざまな経済データあるいは詳しい内容についても、アマチュアの投資家だって、すぐにプロと同じ時期に見ることができるわけですね。恐らく、価格の変動というものが、いわゆるいい情報を持っている人といい情報を持っていない人の差によって発生しやすいというふうに考えれば、それがなくなることがこういった過度の変動の抑制に寄与しているという面もあると思います。
それから三番目には、過去の試行錯誤を経て、日米ともに金融政策が市場との対話を重視し、時宜を得た運営のあり方を模索されてきたということで、マーケットを驚かす、つまりびっくりさせるような政策の変更というのが、過去に比べると総体的には起きにくくなってきているというようなことも背景としてはあろうかと思います。
いずれにいたしましても、ドル・円相場は昔に比べると派手な変動が抑制される傾向にございますので、今後、数年単位で恐らく円高、円安への循環というものは起き得ると思いますが、昔のように、一たん円高になってしまうともう二度と返ってこないような非常に強烈な円高、あるいは日本経済の体力を急速に奪ってしまうような過度な円高というのは、現局面においては私は起きにくいのではないかというふうに考えております。
経済の環境が民需主導で比較的よい状況にあるということも踏まえて考えますと、現局面というのは、我が国が長く取り組んでまいりました財政再建、これに取り組むべき絶好の機会が訪れているのではないか、このように考えております。
以上でございます。拍手
この発言だけを見る →私は、現在、弊社金融経済研究所におきまして、内外の経済金融情勢をもとに、為替相場及び国際資本移動に関する調査、分析、予測に携わっております。平たい言葉で言ってしまえば、あなたは為替レートの予測をやりなさいということで、恐らく世の中で一番当てるのが困難な仕事だと思いますが、それを仰せつかって、ここ八年ばかり、野村グループの中で為替の調査について責任を持ってやっているものでございます。
したがいまして、私、本日は、そういう立場にございますので、我が国が現在取り組んでいる財政再建、これを進めていく上で、必要不可欠あるいはチェックしていかざるを得ない環境として注目されております日本経済の現状と為替変動のリスクについて、私どもの見解をお話しさせていただきたいと思います。
まず、日本経済に関しましては、御用意いたしました資料の表紙をめくっていただきまして、一ページ目をごらんになっていただけますでしょうか。
結論から最初に申し上げますと、現在は、マクロ経済全体としては、比較的順調な回復、拡大過程にあるというふうに考えてございます。一ページ目の左に載せてございます二〇〇五年から二〇〇七年度の日本経済見通し、こちらが二月二十二日に私どもが公表いたしました経済見通しでございます。
ポイントは大きく分けて三つございまして、一番最初は、上の水色のラインのところをごらんになっていただきたいんですけれども、民間内需主導で、日本経済は回復持続の蓋然性が非常に高くなってきているということでございます。
私どもの予測に基づきますと、二〇〇五年度は三・三%成長、それから二〇〇六年度は三・一、二〇〇七年度は二・六ということで、比較的安定的なプラス成長を実質ベースで確保すると考えております。
うち、その下の緑のところに赤い丸で囲ってあるところ、こちらがその成長率のうちどれぐらいが民間内需によるものかというものでございますが、民間内需主導という特徴が極めて鮮明になっております。すなわち、二〇〇五年度は三・三%成長のうち二・七%は民間の内需によるもの、二〇〇六年度は三・一のうち三・二というのが内需によるもの、それから、二〇〇七年度についても二・六のうち二・八ということになりますので、基本的には、二〇〇五年度、二〇〇六年度ともに三%台の成長を見込みつつ、民間内需主導でこういった成長が達成されるということが予想されております。
すなわち、近年の景気回復の特徴としては、九〇年代、いわゆる失われた十年の特徴でよく言われているように、外需、つまり輸出ですとかあるいは公共投資、これに頼った成長というよりは、民間の活力を背景とした経済成長ということを見込むということですね。
ポイントの二番目は、こういった環境の中で、長らく日本経済を悩ませていた宿痾と考えられていたデフレ、これも徐々に克服され始めているということですね。表の中では黄色い部分になりますけれども、赤い丸をつけてあるところが消費者物価の中から変動の激しい生鮮食品を除いたものでございますが、おおむね、グラフで御確認いただいてわかりますように、小幅ながらもプラスの伸び率に転じてくるというふうに考えております。したがって、今年度以降、徐々に日本経済はデフレからも脱却ということが見えてきていると考えております。
この結果、現在のような景気拡大が続けば、恐らくことしの十一月には、戦後最長の景気拡大記録として現在残っております、五十七カ月続きました一九六〇年代のいざなぎ景気、これを上回って、戦後最長の景気拡大ということになるかと思います。
したがいまして、今回の景気回復の特徴を三つのキーワードで示すとすれば、一つは民間内需主導、二番目はデフレ克服元年、それから三番目は戦後最長の景気拡大、こういったところになるかと思います。
もちろん、経済は生き物でございまして、日々変動している内外の金融環境や政策変化によってさまざまな影響を受けます。その中には、よい影響を及ぼすものもあれば悪い影響を及ぼすものもあると思いますが、我々が注視すべきはやはり悪い影響を及ぼすもの、すなわちリスクだと思います。
その中で、日ごろ為替相場を見ている私の立場としては、やはり気になるリスクは為替円高のリスクになると思います。先ほど田中先生も御指摘しておられましたが、なぜなら、このように日本経済に対する内外の評価が高まったり成長率が高まりやすい局面においては、円に対する評価も高まって、結果として円高になる可能性があるからです。この円高も、行き過ぎますと、企業収益を圧迫し、デフレ圧力を発生する源となりますので、この点には注意が必要、過去何度も我々が経験してきたことだと思います。
この点について次にお話ししていきたいんですが、ページをまためくっていただきまして、二ページ目をごらんになっていただけますでしょうか。
ただし、結論から申しますと、私は、日本経済を再び奈落の底に突き落とすような強烈な円高というのは起きにくいのではないかというふうに思っております。もちろん、数カ月、半年あるいは一年単位等で見れば、時々の循環的な要素によってある程度の円高、ある程度の円安という振れが起きる可能性はありますけれども、ここで私が強調しておきたいのは、非常に長い長期的な視野で見れば、ドル・円相場の変動は過去に比べて抑制され始めていると考えられるからです。
二ページ目の左側のグラフをごらんになってください。こちらは、ドル・円三百六十円から出発した一九七〇年代以降、過去三十七年間ぐらいのドル・円相場の動きでございます。グラフはドル・円相場でございまして、上に行きますと、これは目盛りを逆にしておりますので、円高というものですね。
こちら、ごらんになっていただいてわかりますように、例えば、十年単位でドル・円相場の変動をごらんになっていただきますと、一九七〇年代は、三百六十円が安値、高値が百七十五円五十銭ということですから、値幅は、赤いところに書いてございますが、百八十四円五十銭もあったわけですね。その間、変動率六五%近く。八〇年代は、これが少し縮小してまいりまして、値幅に直しますと百五十八円五銭、変動率約八〇%。九〇年代は、さらにこれが一段と縮小いたしまして、安値百六十円ぐらいから高値七十九円七十五銭ということで、八〇年代の約半分、変動率にしても六九%ぐらい。
今世紀に入って、この傾向がさらに一段と縮小いたしまして、値幅は、二〇〇〇年代に入って、今のところわずか三十三円六十四銭、変動率にいたしましても約三〇%弱という形で、一九七〇年代初頭の変動相場制への移行後、各年代におけるドル・円相場の変動幅と変動率は、一貫して抑制される傾向にある。かつ、今世紀に入って、ドル・円相場、下値はまだ切り上がっているように見えるんですが、高値がようやく切り下がってきたようにも見えるということで、世界最強通貨円という状況が徐々に終わりを迎えつつあるのかなというような傾向すら見えるということですね。
この原因は一体何であろうかということが非常に重要になってくるわけですが、考えられる理由としては三つぐらいあると思います。
一つは、変動相場制移行後三十数年を経て、日米経済の格差がかなり縮小してきたということだと思うんですね。すなわち、変動相場制に移行した当初というのは、日本はまだ高度成長期から安定成長期に入る手前でございまして、世界の先進国を圧倒的に凌駕する高い成長ポテンシャルを持っていたわけですけれども、現在、人口の減少とともに徐々に日本の潜在成長率なるものは下がってきておりまして、その他の先進国に比べて圧倒的に日本が高い成長を遂げるというような状況ではなくなってきている。格差が縮小すれば、それの表現の場である為替の変動も縮小してくるんじゃないかということですね。
それと、もう一つ言えますのは、この変動相場制移行の初期段階というのは、ドル・円三百六十円からスタートした当初というのは、恐らく当時のドル・円相場というのは、今の中国人民元のように、のっけからすごくプライスのミスマッチというのがあったと思うんですね。つまり、当時の日本は、世界的に見ても非常に競争力のある製造業を抱えていながら、黒字も稼ぐ、しかしながら、輸出産業が為替固定相場の中で保護されていたわけですね。ほとんど今の中国と似たようなところ。
したがって、変動相場制に入った用意ドンの初期の段階というのは、当初から本当にもう埋めていかなきゃいけない価格のミスマッチというのがあった。それを埋めていくためには、十分な値幅も必要であったし、かつ相場は円高傾向である必要があったと思うんですが、三十数年も変動相場をやっていくと、初期に発生していた大幅なミスマッチというのは徐々に解消されているのではないかということですね。これが一番目です。
それから、二番目は、経済金融統計の整備と拡大によって正しい情報がマーケットに伝えられるようになった結果、過剰な、間違った価格のつけ方というのが起きにくくなってきているんじゃないか、あるいは規制緩和によって市場参加者の厚みが増してきている、こういったことが変動を抑制しているのではないかというようなことも言われております。
それから、最近の、今世紀に入ってというところで私が大きいと思っておりますのは、情報技術革新による情報の共有化ですね。
すなわち、これまでは多分、内外の投資家、海外の投資家と国内の投資家は、持っている情報に相当な格差が時間的に見ても内容的に見てもございました。しかしながら、現在は、インターネット取引等の普及によって、例えばアメリカの金融政策の情報などについても、英語さえ読めれば、夜更かしする覚悟があれば、ほとんど海外の投資家とリアルタイムで我々は情報を入手することができるというような状況になってきております。
したがいまして、内外の投資家の情報格差が埋まる。あるいは、インターネット取引が普及すれば、各官公庁が発表しているさまざまな経済データあるいは詳しい内容についても、アマチュアの投資家だって、すぐにプロと同じ時期に見ることができるわけですね。恐らく、価格の変動というものが、いわゆるいい情報を持っている人といい情報を持っていない人の差によって発生しやすいというふうに考えれば、それがなくなることがこういった過度の変動の抑制に寄与しているという面もあると思います。
それから三番目には、過去の試行錯誤を経て、日米ともに金融政策が市場との対話を重視し、時宜を得た運営のあり方を模索されてきたということで、マーケットを驚かす、つまりびっくりさせるような政策の変更というのが、過去に比べると総体的には起きにくくなってきているというようなことも背景としてはあろうかと思います。
いずれにいたしましても、ドル・円相場は昔に比べると派手な変動が抑制される傾向にございますので、今後、数年単位で恐らく円高、円安への循環というものは起き得ると思いますが、昔のように、一たん円高になってしまうともう二度と返ってこないような非常に強烈な円高、あるいは日本経済の体力を急速に奪ってしまうような過度な円高というのは、現局面においては私は起きにくいのではないかというふうに考えております。
経済の環境が民需主導で比較的よい状況にあるということも踏まえて考えますと、現局面というのは、我が国が長く取り組んでまいりました財政再建、これに取り組むべき絶好の機会が訪れているのではないか、このように考えております。
以上でございます。拍手
大
木
木下武男#8
○木下公述人 昭和女子大学の木下と申します。よろしくお願いします。
私は、そこにありますA4二枚のテーマでお話しします。何やら大学の講義のようなレジュメになってしまって恐縮ですが、ごらんください。
私は、今到来しつつある格差社会に十分に配慮して予算編成をしていただきたいという立場からお話しします。連合の公述人の方も格差社会について触れられましたけれども、私は違った角度からお話ししたいと思います。それは、格差社会の問題を構造的にとらえるという視点です。つまりそれは、単に格差が拡大してきている、ないしはフリーターの増加が問題であるということにとどまらず、実は、戦後につくられた労働と生活をめぐる日本的システムが崩壊しつつあるという認識に立っているからです。
本題に入ります。
まず、格差社会の指摘というところですけれども、今、格差社会ないしは下流社会等々の言葉がはんらんしておりますけれども、私は、それは不正確であって、二極化社会というふうに考えたいと思っています。それは、これまでの日本の社会は十分に格差社会であったというふうに思っているからです。
ここに引用しましたのは、一九九一年の国民生活審議会の答申、報告であります。ここに、企業中心社会、余りにも経済効率に偏った企業中心社会が、長時間労働、会社人間、単身赴任など諸外国に類を見ない勤労生活をもたらしている、この企業中心社会の変革が必要だというふうに述べていました。そして、その中で格差社会についてこのように触れています。個人の生活が過度に企業に依存してしまった状況下では、企業間の優劣が単に賃金の格差にとどまらず、従業員の生活全体に格差を生じさせてしまう、企業規模間の賃金格差は近年拡大傾向にある、教育機会や相続を通じて次世代にわたって継続していく場合があり、社会の不平等性の見地から問題になるというふうに言っています。
ちょうど、亡くなったソニーの盛田会長は、日本的経営が危ないという論文を書いて、似たような問題意識でありました。こういった一九九一年状況のときには、かなりこういった企業中心社会や格差社会についての問題指摘があったわけであります。
それでは、格差社会から二極化社会へというのはどういうことなのか、つまり、これまでの格差社会は一体どういうものであったのかということをお話しします。
下の図、左のところを見てください。実は、格差社会の秩序と安定ということでこれまでの日本社会は形成されていたというふうに考えています。
図は、九六年の企業規模ごとの年齢別賃金カーブを描いたものです。企業規模別のカーブで、整然と、しかも序列化されていることがわかります。働いている者の世界では、日本のこの格差は、企業規模別に大変大きな賃金の格差がある、これは日本の特殊な年功賃金によるものでありますけれども、そのことは省きます。企業規模によって賃金格差が極めて大きい、そして、賃金の年収格差はやがて働く者の生涯所得格差を生み出します。
そして、その企業規模間の秩序と、実は、大学、学校の格、序列というものが対応関係にあったわけです。つまり、この年功賃金カーブの一番上のトップのカーブに乗ろうとするならば、いい学校、いい大学に入らなければならない、こういった構造になっていたわけです。
したがって、日本では、いい学校、いい大学、そしていい会社、こういったルートがつくられて、学校や大学の格を競う日本特有の学歴競争社会というものがつくられたわけです。そして、このことについて、親も子供たちも教師も、一応このルートに乗せることを暗黙の合意として、そして、そのルートに乗せるために勉強させていたわけでありますし、学生生徒は、ここから落ちた場合には、自分が勉強しなかったから、自分がだめだったからといって納得していたわけです。
しかし、この格差社会というものは、実は、格差はあるけれども、私は、安定した社会、秩序があった社会だというふうに思っています。それを今の図の右のところで示しました。
これは、下の長方形と上の台形が重なっています。下が学校、上が会社です。三月卒業、四月入社という日本特有の定期一括採用制度というものがありますけれども、このことによって学生生徒は、企業内の生涯の入り口に正社員として立つことができたし、そしてその中で、内部昇進制といいまして、日本特有のだんだんと昇進、出世していくという仕組みに乗っていったわけです。
つまり、三月卒業、四月入社、昇進、出世、そして定年を迎える、これは企業の濃淡があって、大なり小なり差はありますけれども、しかし、このルートに多くの学生生徒は乗ることができた。これが格差社会の安定と秩序というふうに見ることができると思います。
この格差社会へのインパクトというものがどのようなものであったのか、これが下のところで書きました下層の形成。1は失業者、2は有期雇用労働者、これは左のところが十五歳から二十四歳までの男性の正社員と有期雇用の比率ですけれども、右の薄いところが正社員です。左が有期雇用というふうになりますけれども、これは就業構造基本統計調査で五年ごとの変化ですけれども、二〇〇二年のこの変化が大変大きいというところに注目していただきたいと思います。
今、これは四二%です。二〇〇二年段階で、この二十四歳未満の若者の四二%は非正規です。そして、直近の二〇〇五年の労働力調査では、これが四八%という結果が出されています。右が女性ですけれども、女性全体では五三%、つまり、働く女性の多数派は有期雇用というふうに変化いたしました。
そして問題は、上のところの二極化社会という図に戻っていただきたいのでありますけれども、この若年を中心とした有期雇用、失業者、無業者という若者の労働市場がだんだんと壮年や中高年へと拡大していく、こういったことが予想されるわけです。
現に、昨年の国民生活白書では、フリーターの中心層が三十代にかかり始めている、そういったふうに述べております。また、そこでは、これは二十五から三十四歳ですけれども、共働き世帯の四、五%がフリーターカップルだというふうにデータを出しています。あるいは、中高年フリーターという言葉も出ています。つまり、若者を中心とした労働市場の変化が、やがて日本全体の労働市場の変化を引き起こしていくだろうというふうに予想することができるわけです。
これが右のところでありまして、これまでの台形と長方形が接していた、ここのところに、そのまま正社員になれない部分がある。流動的労働市場というふうに言いましたけれども、このことが形成されて二極化社会がつくられていくだろうというふうに予想することができます。
次に、二極化社会についてのイメージですけれども、少しイメージでお話しします。
左の下ですけれども、実現してはならないアメリカ二極化社会の例ということで、左のところの棒グラフを見てください。これは、アメリカの所得階層を五つに、最も低所得、そして最も高所得というふうに五分の一、五分の一、五分の一で分けています。上が、小さくて恐縮ですけれども、一九四七年から七三年までの所得階層の伸び率を示しています。明らかに一番低所得の階層が所得は伸びています。しかし、下のこれは一九七三年から二〇〇〇年です、低所得者は余り伸びない、高所得者は大変伸びているということがわかります。
そして、二極化社会というのは、五割五割という分け方ではなくて、少なくともアメリカの場合は、右の高所得者の五分の一と五分の四に断層があるように感じられます。つまり、五分の一階層と五分の四階層というふうにアメリカは分かれているということであります。
そして、右のところ、上層は、これはかなり言われていることでありますけれども、ゲーテッドタウンといいまして、一つの町に鉄さくをつくって、そこでライフルを持ったガードマンが警備し、その中に上層のお金持ちの邸宅やショッピングのお店があるということがありまして、郊外にそういうものがあります。下のダウンタウンでは、ここに書きましたように、刑務所人口がこのような形になっています。五百万人が保護観察下にあるということで、見たら、これは長崎県ないしは青森県の人口に匹敵します。このような二極化社会がこういった不安定な社会をつくり出すということは明らかであります。
次のところに、それでは日本はどうなのかということで少し見てみたのがこの図であります。これは勤労者の純預貯金額の推移を示していまして、アメリカは五分の一で切りましたけれども、これは十分の一ずつに切ってあります。
そうすると、これが一九九五年から〇四年までの間の経過でありますけれども、実は、純預貯金額の推移でいえば、一番上層がやや伸びているという感じですけれども、あとは右下がりになっています。とりわけ、十分の一の階層のところを見ていただきたいんですけれども、二〇〇〇年に純預貯金額ゼロになっています。そして、これはマイナスですから、預金の切り崩しに入っているということです。
見なければならないのはこの第一階層、さっき言いました預貯金なしですけれども、この世帯主の年齢は決して若くなくて、四十五・四歳です。世帯数三・〇六人です。こういったところに今階層化、二極化という事態が進んできているというふうに見ることができます。
それで、ここで強調したいのは、次の、日本的システムの崩壊と二極化社会というところであります。
私は、先ほど、労働と生活をめぐる戦後的システムの崩壊というふうに話しましたけれども、重要なのは、その代替システムを構築するということが大切だということが一番強調したい点であります。
一つは、(1)年功賃金・企業福祉による生活保障の崩壊ないしは縮減ということでありまして、先ほどの生活審議会は、個人の生活が過度に企業に依存しているという表現ですけれども、これは企業依存の生活構造というふうにとらえることができます。
つまり、どういうことかというと、左のところは、上がブルーカラー、下がホワイトカラーの年齢別の賃金カーブです。これを見ますると、日本だけが特別な年功賃金というふうになっていまして、欧米は年齢とともに余り上がらない、フラットになっていますね。これは極めて注目すべきものだというふうに思っています。
右はそれをモデル化したものですけれども、これは賃金の水準ではなくて上がり方です。ヨーロッパの場合は、ここの水準のフラットのところが一人前の賃金です。日本の場合は、単身者賃金から世帯主賃金へと上がるという年功賃金です。この二つの差が今大変重要になってきているわけです。
ヨーロッパの場合は、モデル化して示しましたけれども、年齢とともに上がらない。さぞや大変だろうというふうに思われがちですけれども、生計費が上がらないような仕組み、これがヨーロッパの福祉国家における社会保障、社会政策で、住宅、教育、老後ということでベクトルを下に押し下げる役割があるということと、生計費を上げる、これが児童手当であります。このような形で、フラットになっているものに対して、これを押し下げる、押し上げるという福祉国家的機能があるということです。
強調したいのは、これを日本は企業が肩がわりしていたということですね。この企業が肩がわりしていたものに対して、もう企業は撤退する、どうするのかということが、私は日本の政策的な中心点にならなければならないだろうというふうに思っています。
それで、具体的に連合の公述人の方がおっしゃられたところはそのとおりでありまして、省きます。
それと、特に(2)日本型雇用の崩壊と労働力政策という点では、これは日本の雇用の特殊な採用方式というのがありまして、さっき言いました三月卒業、四月入社です。だから、学校に職業紹介を任せていたわけでありまして、これが、もうそれこそ高校では正社員になれない人たちがいるから、結局はハローワークだとかさまざまな派遣になってしまうわけでありますけれども、この職業紹介についてもきちっとした手当てが必要だろうということ。
二番目は、日本の企業内の技能養成システムです。
これは、日本は特殊な技能養成の仕方がありまして、欧米は企業の外で技能を養成するということです。これが、日本で今企業に余裕がなくなった、あるいはフリーターとして技能を養成することができない、これは私はもう国家的な課題だと思います。技能を身につけることのできないような国になってはいけないと思います。
トニー・ブレアが、エデュケーション、エデュケーション、エデュケーションと三回叫びました。先進国はどこでもITを中心とした教育に熱心です。しかし、日本のフリーターやさまざまな有期雇用に対してどこが技能養成をするんだ。これまでは企業がやっていました、企業が撤退した後どこがやるのか、このことが今重要になってきていると思います。
最後に、トリノ・オリンピックで、一つとったようでありますけれども、振るわなかった背景に企業がスポーツから撤退しているという指摘があります。それを国家が肩がわりするというのもいかがかと思いますけれども、少なくとも、労働と生活のところで企業が撤退しつつあるということに対して、どこがどのような形で代替機能を構築するのか、それは決して小さな政府ではないだろうというふうに思っています。積極的な御論議をお願いしたいと思います。
以上で終わります。拍手
この発言だけを見る →私は、そこにありますA4二枚のテーマでお話しします。何やら大学の講義のようなレジュメになってしまって恐縮ですが、ごらんください。
私は、今到来しつつある格差社会に十分に配慮して予算編成をしていただきたいという立場からお話しします。連合の公述人の方も格差社会について触れられましたけれども、私は違った角度からお話ししたいと思います。それは、格差社会の問題を構造的にとらえるという視点です。つまりそれは、単に格差が拡大してきている、ないしはフリーターの増加が問題であるということにとどまらず、実は、戦後につくられた労働と生活をめぐる日本的システムが崩壊しつつあるという認識に立っているからです。
本題に入ります。
まず、格差社会の指摘というところですけれども、今、格差社会ないしは下流社会等々の言葉がはんらんしておりますけれども、私は、それは不正確であって、二極化社会というふうに考えたいと思っています。それは、これまでの日本の社会は十分に格差社会であったというふうに思っているからです。
ここに引用しましたのは、一九九一年の国民生活審議会の答申、報告であります。ここに、企業中心社会、余りにも経済効率に偏った企業中心社会が、長時間労働、会社人間、単身赴任など諸外国に類を見ない勤労生活をもたらしている、この企業中心社会の変革が必要だというふうに述べていました。そして、その中で格差社会についてこのように触れています。個人の生活が過度に企業に依存してしまった状況下では、企業間の優劣が単に賃金の格差にとどまらず、従業員の生活全体に格差を生じさせてしまう、企業規模間の賃金格差は近年拡大傾向にある、教育機会や相続を通じて次世代にわたって継続していく場合があり、社会の不平等性の見地から問題になるというふうに言っています。
ちょうど、亡くなったソニーの盛田会長は、日本的経営が危ないという論文を書いて、似たような問題意識でありました。こういった一九九一年状況のときには、かなりこういった企業中心社会や格差社会についての問題指摘があったわけであります。
それでは、格差社会から二極化社会へというのはどういうことなのか、つまり、これまでの格差社会は一体どういうものであったのかということをお話しします。
下の図、左のところを見てください。実は、格差社会の秩序と安定ということでこれまでの日本社会は形成されていたというふうに考えています。
図は、九六年の企業規模ごとの年齢別賃金カーブを描いたものです。企業規模別のカーブで、整然と、しかも序列化されていることがわかります。働いている者の世界では、日本のこの格差は、企業規模別に大変大きな賃金の格差がある、これは日本の特殊な年功賃金によるものでありますけれども、そのことは省きます。企業規模によって賃金格差が極めて大きい、そして、賃金の年収格差はやがて働く者の生涯所得格差を生み出します。
そして、その企業規模間の秩序と、実は、大学、学校の格、序列というものが対応関係にあったわけです。つまり、この年功賃金カーブの一番上のトップのカーブに乗ろうとするならば、いい学校、いい大学に入らなければならない、こういった構造になっていたわけです。
したがって、日本では、いい学校、いい大学、そしていい会社、こういったルートがつくられて、学校や大学の格を競う日本特有の学歴競争社会というものがつくられたわけです。そして、このことについて、親も子供たちも教師も、一応このルートに乗せることを暗黙の合意として、そして、そのルートに乗せるために勉強させていたわけでありますし、学生生徒は、ここから落ちた場合には、自分が勉強しなかったから、自分がだめだったからといって納得していたわけです。
しかし、この格差社会というものは、実は、格差はあるけれども、私は、安定した社会、秩序があった社会だというふうに思っています。それを今の図の右のところで示しました。
これは、下の長方形と上の台形が重なっています。下が学校、上が会社です。三月卒業、四月入社という日本特有の定期一括採用制度というものがありますけれども、このことによって学生生徒は、企業内の生涯の入り口に正社員として立つことができたし、そしてその中で、内部昇進制といいまして、日本特有のだんだんと昇進、出世していくという仕組みに乗っていったわけです。
つまり、三月卒業、四月入社、昇進、出世、そして定年を迎える、これは企業の濃淡があって、大なり小なり差はありますけれども、しかし、このルートに多くの学生生徒は乗ることができた。これが格差社会の安定と秩序というふうに見ることができると思います。
この格差社会へのインパクトというものがどのようなものであったのか、これが下のところで書きました下層の形成。1は失業者、2は有期雇用労働者、これは左のところが十五歳から二十四歳までの男性の正社員と有期雇用の比率ですけれども、右の薄いところが正社員です。左が有期雇用というふうになりますけれども、これは就業構造基本統計調査で五年ごとの変化ですけれども、二〇〇二年のこの変化が大変大きいというところに注目していただきたいと思います。
今、これは四二%です。二〇〇二年段階で、この二十四歳未満の若者の四二%は非正規です。そして、直近の二〇〇五年の労働力調査では、これが四八%という結果が出されています。右が女性ですけれども、女性全体では五三%、つまり、働く女性の多数派は有期雇用というふうに変化いたしました。
そして問題は、上のところの二極化社会という図に戻っていただきたいのでありますけれども、この若年を中心とした有期雇用、失業者、無業者という若者の労働市場がだんだんと壮年や中高年へと拡大していく、こういったことが予想されるわけです。
現に、昨年の国民生活白書では、フリーターの中心層が三十代にかかり始めている、そういったふうに述べております。また、そこでは、これは二十五から三十四歳ですけれども、共働き世帯の四、五%がフリーターカップルだというふうにデータを出しています。あるいは、中高年フリーターという言葉も出ています。つまり、若者を中心とした労働市場の変化が、やがて日本全体の労働市場の変化を引き起こしていくだろうというふうに予想することができるわけです。
これが右のところでありまして、これまでの台形と長方形が接していた、ここのところに、そのまま正社員になれない部分がある。流動的労働市場というふうに言いましたけれども、このことが形成されて二極化社会がつくられていくだろうというふうに予想することができます。
次に、二極化社会についてのイメージですけれども、少しイメージでお話しします。
左の下ですけれども、実現してはならないアメリカ二極化社会の例ということで、左のところの棒グラフを見てください。これは、アメリカの所得階層を五つに、最も低所得、そして最も高所得というふうに五分の一、五分の一、五分の一で分けています。上が、小さくて恐縮ですけれども、一九四七年から七三年までの所得階層の伸び率を示しています。明らかに一番低所得の階層が所得は伸びています。しかし、下のこれは一九七三年から二〇〇〇年です、低所得者は余り伸びない、高所得者は大変伸びているということがわかります。
そして、二極化社会というのは、五割五割という分け方ではなくて、少なくともアメリカの場合は、右の高所得者の五分の一と五分の四に断層があるように感じられます。つまり、五分の一階層と五分の四階層というふうにアメリカは分かれているということであります。
そして、右のところ、上層は、これはかなり言われていることでありますけれども、ゲーテッドタウンといいまして、一つの町に鉄さくをつくって、そこでライフルを持ったガードマンが警備し、その中に上層のお金持ちの邸宅やショッピングのお店があるということがありまして、郊外にそういうものがあります。下のダウンタウンでは、ここに書きましたように、刑務所人口がこのような形になっています。五百万人が保護観察下にあるということで、見たら、これは長崎県ないしは青森県の人口に匹敵します。このような二極化社会がこういった不安定な社会をつくり出すということは明らかであります。
次のところに、それでは日本はどうなのかということで少し見てみたのがこの図であります。これは勤労者の純預貯金額の推移を示していまして、アメリカは五分の一で切りましたけれども、これは十分の一ずつに切ってあります。
そうすると、これが一九九五年から〇四年までの間の経過でありますけれども、実は、純預貯金額の推移でいえば、一番上層がやや伸びているという感じですけれども、あとは右下がりになっています。とりわけ、十分の一の階層のところを見ていただきたいんですけれども、二〇〇〇年に純預貯金額ゼロになっています。そして、これはマイナスですから、預金の切り崩しに入っているということです。
見なければならないのはこの第一階層、さっき言いました預貯金なしですけれども、この世帯主の年齢は決して若くなくて、四十五・四歳です。世帯数三・〇六人です。こういったところに今階層化、二極化という事態が進んできているというふうに見ることができます。
それで、ここで強調したいのは、次の、日本的システムの崩壊と二極化社会というところであります。
私は、先ほど、労働と生活をめぐる戦後的システムの崩壊というふうに話しましたけれども、重要なのは、その代替システムを構築するということが大切だということが一番強調したい点であります。
一つは、(1)年功賃金・企業福祉による生活保障の崩壊ないしは縮減ということでありまして、先ほどの生活審議会は、個人の生活が過度に企業に依存しているという表現ですけれども、これは企業依存の生活構造というふうにとらえることができます。
つまり、どういうことかというと、左のところは、上がブルーカラー、下がホワイトカラーの年齢別の賃金カーブです。これを見ますると、日本だけが特別な年功賃金というふうになっていまして、欧米は年齢とともに余り上がらない、フラットになっていますね。これは極めて注目すべきものだというふうに思っています。
右はそれをモデル化したものですけれども、これは賃金の水準ではなくて上がり方です。ヨーロッパの場合は、ここの水準のフラットのところが一人前の賃金です。日本の場合は、単身者賃金から世帯主賃金へと上がるという年功賃金です。この二つの差が今大変重要になってきているわけです。
ヨーロッパの場合は、モデル化して示しましたけれども、年齢とともに上がらない。さぞや大変だろうというふうに思われがちですけれども、生計費が上がらないような仕組み、これがヨーロッパの福祉国家における社会保障、社会政策で、住宅、教育、老後ということでベクトルを下に押し下げる役割があるということと、生計費を上げる、これが児童手当であります。このような形で、フラットになっているものに対して、これを押し下げる、押し上げるという福祉国家的機能があるということです。
強調したいのは、これを日本は企業が肩がわりしていたということですね。この企業が肩がわりしていたものに対して、もう企業は撤退する、どうするのかということが、私は日本の政策的な中心点にならなければならないだろうというふうに思っています。
それで、具体的に連合の公述人の方がおっしゃられたところはそのとおりでありまして、省きます。
それと、特に(2)日本型雇用の崩壊と労働力政策という点では、これは日本の雇用の特殊な採用方式というのがありまして、さっき言いました三月卒業、四月入社です。だから、学校に職業紹介を任せていたわけでありまして、これが、もうそれこそ高校では正社員になれない人たちがいるから、結局はハローワークだとかさまざまな派遣になってしまうわけでありますけれども、この職業紹介についてもきちっとした手当てが必要だろうということ。
二番目は、日本の企業内の技能養成システムです。
これは、日本は特殊な技能養成の仕方がありまして、欧米は企業の外で技能を養成するということです。これが、日本で今企業に余裕がなくなった、あるいはフリーターとして技能を養成することができない、これは私はもう国家的な課題だと思います。技能を身につけることのできないような国になってはいけないと思います。
トニー・ブレアが、エデュケーション、エデュケーション、エデュケーションと三回叫びました。先進国はどこでもITを中心とした教育に熱心です。しかし、日本のフリーターやさまざまな有期雇用に対してどこが技能養成をするんだ。これまでは企業がやっていました、企業が撤退した後どこがやるのか、このことが今重要になってきていると思います。
最後に、トリノ・オリンピックで、一つとったようでありますけれども、振るわなかった背景に企業がスポーツから撤退しているという指摘があります。それを国家が肩がわりするというのもいかがかと思いますけれども、少なくとも、労働と生活のところで企業が撤退しつつあるということに対して、どこがどのような形で代替機能を構築するのか、それは決して小さな政府ではないだろうというふうに思っています。積極的な御論議をお願いしたいと思います。
以上で終わります。拍手
大
大
高
高市早苗#11
○高市委員 おはようございます。自民党の高市早苗でございます。
本日は、公述人の先生方におかれましては、御多用の中お出ましいただきまして、すばらしい御見解をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
冒頭に、小さな政府と官の役割ということで、田中先生に伺いたいと思います。
自民党は、昨年の総選挙で小さな政府の実現を公約いたしました。民間でできることは民間で、地方でできることは地方でということで、官が民の邪魔をしない、それから、官が使うお金を減らすこと、これを目標にいたしました。そして、自民党総裁の小泉総理は、今国会で審議される法制度改正ですとか、それから十八年度の予算、税制、こういったものを通じてこの公約を実現されようとされているわけでございます。
さて、田中先生は、財政制度審議会の委員でおられると理解しているのですが、財政制度審議会が去年の五月に試算を出された、二〇一〇年代初頭に国、地方の基礎的財政収支を黒字化させるという小泉政権の方針、これを実現しようとしますと、非常に大変な改革をやらなきゃいけないと。
二〇一五年にプライマリー収支をバランスさせる、二〇一五年と設定したといたしまして、もしもこれを歳出減のみで達成するとしたら、国債費以外の歳出を三割はカットしなきゃいけないだろう。これを歳入増、税収増のみで達成するとすると、税収を四割ぐらい増加させるようなことになる。仮にこれをもし消費税だけで賄うと、税率が一九%ぐらいになるんじゃないかなというようなこと。そこで、歳出減と歳入増、両面抱き合わせて達成していこうということであっても、社会保障費以外の歳出、国債費を除いて二割は圧縮しなきゃいけないだろうということで、今回、予算の審議でございますので、どういった分野に歳出を割り当てるか、どう節約していくか、これは大変大事な視点でございます。
田中先生は、中央公論のことしの二月号に、昨年の総選挙を機に加速する小泉改革についてということで「小泉改革、最終年の標的とリスク」と題した論文を発表しておられます。
その中の幾つかのフレーズを申し上げますが、「昨年の総選挙の際、有権者は日本の将来を考えるにあたり、財政赤字を生み出す仕組みを放置したまま人口減少に入ったならば、今後の生活展望は可能なのか、という点に焦点を合わすほかなかった。そして老後を考えれば、勤労時に拠出した年金持ち分の価値の増殖がなければ、年金給付額はみじめなものになるだろう。ここから年金持ち分の価値の増殖につながるはずの、日本における国富増殖の趨勢を決定するものを直視せざるをえなかったといえよう。」と。
続いて「有権者は、戦後の保守政治が骨格のところで、「政府」の役割を利害調整にまで広げてしまったことに気づかざるをえなかった。」そして「利害調整に割り当てられた経済的資源は日本における国富増殖に結びつかないばかりか、国富を食いつぶしているのではないか、という結論に至らざるをえなかった。」と書いておられます。
そこで、政府の役割を、国富を食いつぶす利害調整から、どのようなものに変えていくのが好ましいかという話になるのですが、自民党は、この政府の役割ということで、昨年の総選挙で、官が民の邪魔をしないで、安心で安全で公正な社会をつくるためには、ルールと秩序、不正の摘発と厳格な監視が不可欠だということで、官の役割を、市場の監視や不正の取り締まりなど、ルールや秩序を維持する番人型ということで提示をさせていただきました。
そこで、先生は論文の中で「政府の役割として、真の弱者への支援策を正面から打ち出すべきだという路線が次第にかたちを整え始めたといえるのではないか。」という御指摘もされておられますけれども、この新たな政府の役割ということを田中先生の言葉で明確に定義づけていただくとすると、どのような物差し、どのような表現になるのかということが一点。
それから、真の弱者への支援策というと、具体的にはどのような施策が必要、どのようなことに歳出を使うべきだと考えておられるのか。そしてまた、現行の施策の中で、これは真の弱者への支援策ではないため支出は必要でないよとお考えになるようなものがあれば、お教えください。
この発言だけを見る →本日は、公述人の先生方におかれましては、御多用の中お出ましいただきまして、すばらしい御見解をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
冒頭に、小さな政府と官の役割ということで、田中先生に伺いたいと思います。
自民党は、昨年の総選挙で小さな政府の実現を公約いたしました。民間でできることは民間で、地方でできることは地方でということで、官が民の邪魔をしない、それから、官が使うお金を減らすこと、これを目標にいたしました。そして、自民党総裁の小泉総理は、今国会で審議される法制度改正ですとか、それから十八年度の予算、税制、こういったものを通じてこの公約を実現されようとされているわけでございます。
さて、田中先生は、財政制度審議会の委員でおられると理解しているのですが、財政制度審議会が去年の五月に試算を出された、二〇一〇年代初頭に国、地方の基礎的財政収支を黒字化させるという小泉政権の方針、これを実現しようとしますと、非常に大変な改革をやらなきゃいけないと。
二〇一五年にプライマリー収支をバランスさせる、二〇一五年と設定したといたしまして、もしもこれを歳出減のみで達成するとしたら、国債費以外の歳出を三割はカットしなきゃいけないだろう。これを歳入増、税収増のみで達成するとすると、税収を四割ぐらい増加させるようなことになる。仮にこれをもし消費税だけで賄うと、税率が一九%ぐらいになるんじゃないかなというようなこと。そこで、歳出減と歳入増、両面抱き合わせて達成していこうということであっても、社会保障費以外の歳出、国債費を除いて二割は圧縮しなきゃいけないだろうということで、今回、予算の審議でございますので、どういった分野に歳出を割り当てるか、どう節約していくか、これは大変大事な視点でございます。
田中先生は、中央公論のことしの二月号に、昨年の総選挙を機に加速する小泉改革についてということで「小泉改革、最終年の標的とリスク」と題した論文を発表しておられます。
その中の幾つかのフレーズを申し上げますが、「昨年の総選挙の際、有権者は日本の将来を考えるにあたり、財政赤字を生み出す仕組みを放置したまま人口減少に入ったならば、今後の生活展望は可能なのか、という点に焦点を合わすほかなかった。そして老後を考えれば、勤労時に拠出した年金持ち分の価値の増殖がなければ、年金給付額はみじめなものになるだろう。ここから年金持ち分の価値の増殖につながるはずの、日本における国富増殖の趨勢を決定するものを直視せざるをえなかったといえよう。」と。
続いて「有権者は、戦後の保守政治が骨格のところで、「政府」の役割を利害調整にまで広げてしまったことに気づかざるをえなかった。」そして「利害調整に割り当てられた経済的資源は日本における国富増殖に結びつかないばかりか、国富を食いつぶしているのではないか、という結論に至らざるをえなかった。」と書いておられます。
そこで、政府の役割を、国富を食いつぶす利害調整から、どのようなものに変えていくのが好ましいかという話になるのですが、自民党は、この政府の役割ということで、昨年の総選挙で、官が民の邪魔をしないで、安心で安全で公正な社会をつくるためには、ルールと秩序、不正の摘発と厳格な監視が不可欠だということで、官の役割を、市場の監視や不正の取り締まりなど、ルールや秩序を維持する番人型ということで提示をさせていただきました。
そこで、先生は論文の中で「政府の役割として、真の弱者への支援策を正面から打ち出すべきだという路線が次第にかたちを整え始めたといえるのではないか。」という御指摘もされておられますけれども、この新たな政府の役割ということを田中先生の言葉で明確に定義づけていただくとすると、どのような物差し、どのような表現になるのかということが一点。
それから、真の弱者への支援策というと、具体的にはどのような施策が必要、どのようなことに歳出を使うべきだと考えておられるのか。そしてまた、現行の施策の中で、これは真の弱者への支援策ではないため支出は必要でないよとお考えになるようなものがあれば、お教えください。
田
田中直毅#12
○田中公述人 戦後の日本政府が何をやってきたのか、そして、自民党を中心とした、政府を担ってきた諸政党の代表者の人々がどういう考え方であったのか、いろいろ考えることがございます。
亡くなりました渡辺美智雄先生が、小さな親切大きな迷惑というふうに言われたことがございまして、確かに政治家は法で親切心を発揮しなければいけないといろいろ頑張るんだけれども、よくよく考えてみたら政府財政に大きな穴をあけてしまった。このあけた穴がどうなるのかという点については、なかなか政治家は思い浮かばないものだ、小さな親切運動にも限度があるのではないかと渡辺先生が言われたことを、私は今でも記憶しております。
ということは、戦後保守政治の真ん中におられた方でも、やはり今のままの政府の支出あるいは政府のあり方には限度が来ているという御自覚があったんだと思います。一九九〇年代に入ってからの御発言でございましたけれども、私は、やはりそういうものかなというふうに理解しております。
それからいきますと、現在、それからもう十年以上経過いたしておりますが、今日の医療保険と介護保険をとりましても、公費負担が入っております。国債の発行によって四割以上のカバーをしているわけですから、次世代に対する負担で、歳出の四割以上を負担している中で、そして公費助成が行われなければ医療保険も介護保険も持続しないということは、現在の世代が孫や子供のクレジットカードで保険料の支払いをしているのと同じだということでございます。
これを続けますと、次の世代の人たちは、我々の前の世代は一体どういうツケを回してくれたんだということになろうかと思います。現在の状況は、そういう意味において、残念ながら、世代間において財政赤字あるいは将来に対するツケ回しを行っている財政構造全般に対する不信感が非常に強いということだと思います。ここから、やはり政府の役割はもう少し絞り込まなければいけないという議論になるんだろうと私は思います。
お尋ねの中で、弱者をどう定義するのかということは、私は非常に重要なことだと思います。戦後政治の中では、弱者と政策上定義されたわけではありませんが、ただ、こういう分野には優先的に財政資金を回した方がいいと思われるものを非常に包括的に決めてきたという経緯があると私は思っております。
例えば、中山間地はどうだろうという問題があります。あるいは半島はどうか、あるいは離島はどうだろう。それはやはり、離島ならば、半島ならば、あるいは中山間地ならば、政策優遇の何かが行われるべきだ、こういう考え方もございました。あるいは中小企業、あるいは農業というと、これはもう助成の対象である、何らかの支援をしなければいけないということになっております。
しかし、本当にそれでいいのだろうかという問題がございます。民間事業所の統計を見ますと、事業所の規模が百人未満で、ちょうど、我々働いている人の半ばでございます。百人以下というのは間違いなく中小企業だと思いますので、中小企業振興といえば、では民間事業所で働いている人の半分がそもそも何か助成されたい、政府が手を差し伸べなければいけない対象なのかといえば、それはちょっとバランスを欠いた議論だということになろうかと思いますし、そのこと自身、たとえ五十人規模の事業所に働いている人でも、何かほかのタックスペイヤーから助成をいただくということを是としない方もいっぱいあるわけです。
ということは、例えば農業とか中小企業、これは職業とか規模でございますが、あるいは住んでいる地域によって、包括的に何か支援をしなければいけないという仕組み、それはまさに小さな親切運動の結果つくり上げてきたものだと思いますけれども、もう一度見直すべきではないかということでございます。
そこを見直したときから、政府が支援の対象としなければいけない真の弱者が浮かび上がってくるというふうに思っておりまして、これは諸論、あらゆる分野において議論をしていただく以外ありませんけれども、私は、みなし弱者という仕組みを小さな親切運動がつくり上げてきたおかげで、とりわけ将来世代が大きな迷惑をこうむっている。ここに、政府の役割の限定と、それから真の弱者を、この高度文明国家、市民国家においてもう一度、しかし支援を受けなければいけない弱者がおられることは事実ですから、そこに政府の施策を絞り込むべきだというふうに思っております。
〔委員長退席、玉沢委員長代理着席〕
この発言だけを見る →亡くなりました渡辺美智雄先生が、小さな親切大きな迷惑というふうに言われたことがございまして、確かに政治家は法で親切心を発揮しなければいけないといろいろ頑張るんだけれども、よくよく考えてみたら政府財政に大きな穴をあけてしまった。このあけた穴がどうなるのかという点については、なかなか政治家は思い浮かばないものだ、小さな親切運動にも限度があるのではないかと渡辺先生が言われたことを、私は今でも記憶しております。
ということは、戦後保守政治の真ん中におられた方でも、やはり今のままの政府の支出あるいは政府のあり方には限度が来ているという御自覚があったんだと思います。一九九〇年代に入ってからの御発言でございましたけれども、私は、やはりそういうものかなというふうに理解しております。
それからいきますと、現在、それからもう十年以上経過いたしておりますが、今日の医療保険と介護保険をとりましても、公費負担が入っております。国債の発行によって四割以上のカバーをしているわけですから、次世代に対する負担で、歳出の四割以上を負担している中で、そして公費助成が行われなければ医療保険も介護保険も持続しないということは、現在の世代が孫や子供のクレジットカードで保険料の支払いをしているのと同じだということでございます。
これを続けますと、次の世代の人たちは、我々の前の世代は一体どういうツケを回してくれたんだということになろうかと思います。現在の状況は、そういう意味において、残念ながら、世代間において財政赤字あるいは将来に対するツケ回しを行っている財政構造全般に対する不信感が非常に強いということだと思います。ここから、やはり政府の役割はもう少し絞り込まなければいけないという議論になるんだろうと私は思います。
お尋ねの中で、弱者をどう定義するのかということは、私は非常に重要なことだと思います。戦後政治の中では、弱者と政策上定義されたわけではありませんが、ただ、こういう分野には優先的に財政資金を回した方がいいと思われるものを非常に包括的に決めてきたという経緯があると私は思っております。
例えば、中山間地はどうだろうという問題があります。あるいは半島はどうか、あるいは離島はどうだろう。それはやはり、離島ならば、半島ならば、あるいは中山間地ならば、政策優遇の何かが行われるべきだ、こういう考え方もございました。あるいは中小企業、あるいは農業というと、これはもう助成の対象である、何らかの支援をしなければいけないということになっております。
しかし、本当にそれでいいのだろうかという問題がございます。民間事業所の統計を見ますと、事業所の規模が百人未満で、ちょうど、我々働いている人の半ばでございます。百人以下というのは間違いなく中小企業だと思いますので、中小企業振興といえば、では民間事業所で働いている人の半分がそもそも何か助成されたい、政府が手を差し伸べなければいけない対象なのかといえば、それはちょっとバランスを欠いた議論だということになろうかと思いますし、そのこと自身、たとえ五十人規模の事業所に働いている人でも、何かほかのタックスペイヤーから助成をいただくということを是としない方もいっぱいあるわけです。
ということは、例えば農業とか中小企業、これは職業とか規模でございますが、あるいは住んでいる地域によって、包括的に何か支援をしなければいけないという仕組み、それはまさに小さな親切運動の結果つくり上げてきたものだと思いますけれども、もう一度見直すべきではないかということでございます。
そこを見直したときから、政府が支援の対象としなければいけない真の弱者が浮かび上がってくるというふうに思っておりまして、これは諸論、あらゆる分野において議論をしていただく以外ありませんけれども、私は、みなし弱者という仕組みを小さな親切運動がつくり上げてきたおかげで、とりわけ将来世代が大きな迷惑をこうむっている。ここに、政府の役割の限定と、それから真の弱者を、この高度文明国家、市民国家においてもう一度、しかし支援を受けなければいけない弱者がおられることは事実ですから、そこに政府の施策を絞り込むべきだというふうに思っております。
〔委員長退席、玉沢委員長代理着席〕
高
高市早苗#13
○高市委員 つまり、シビルミニマムというものをどう定義づけて支援していくかということになるんじゃないかなと、今、お話を伺いました。
続いて田中先生に、きょうも先生方から御指摘のありました格差の問題についてのお考えを聞きたいと思うのですけれども、今国会、予算委員会でも本会議でも、実に多くの、野党委員を中心に、勝ち組、負け組の言葉に代表される二極化、格差の拡大ということを指摘されまして、これを小泉構造改革の失敗だと断じられる方が多うございました。
批判を恐れずに言いますと、私はむしろ、仮に全く格差のない社会ができてしまったとしたら、これはもう小泉構造改革は大失敗という考え方もあると思います。本日、木下先生や逢見先生が教えてくださったように、もしも貧困層の拡大のみによる格差拡大ということになりますと、これは確かに税収を減らし、そしてまた福祉の支出をふやしてしまうということで、将来的に大変なことになるんですけれども、反対に、もしも富裕層の広がり、こういったものが原因になった格差であれば、これはむしろ、官が民のすることを邪魔しない、規制緩和の成果があらわれた、そしてまた、本当に創意工夫して努力する方々が頑張れる環境が整ってきた、こういう考え方もできるんだろうと私は思います。
ですから、私は、特別な事情から努力したくてもできないようになったとか、また、天災ですとか資源の高騰など特別な事情でどうしようも立ち行かなくなってしまった企業があるですとか、こういった場合はやはりシビルミニマムということで公平さをつくり出していく、これは国の役割だと思うのですけれども、田中先生は、昨今の国会やマスコミで非常に大きく取りざたされておりますこの格差拡大と小泉構造改革の失敗という視点についてどうお考えになるかということ。
あと一点、今回、この格差拡大の事例として、正社員とパートもしくは派遣社員の所得格差という視点も国会で取り上げられております。特に、本会議ででしたが、共産党の方から、派遣労働自由化など規制緩和路線が格差をもたらしたという御批判がございました。
私の奈良の事務所にも、大手の派遣会社から、政党支部の職員として、経理やコンピューターを担当してくださる方に来ていただいているんです。きっちりです。もう時間は九時—五時できっちり、お昼休みもきっちり一時間、まあこれが契約ですから。お昼休み中はプライベートに使うということで、全く事務所の用事は頼めません。また、ほかの正規の職員が大変忙しくしていても、これもきちっとお帰りになるということで、ただ、大変よくトレーニングされた方ですので、社会保険ですとかボーナスとかそういったことを正規の職員と同じ扱いにしたいので、ぜひもっともっと続けて働いてくださいとお誘いいたしましても、もう五時以降はとにかく趣味を楽しむので、習い事もしたいのでというようなことで、全くそれは断られてしまったんですけれども。
派遣労働自由化が格差を拡大した、一つの政策の失敗である、そのようにお考えになるかどうかという点、これをお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →続いて田中先生に、きょうも先生方から御指摘のありました格差の問題についてのお考えを聞きたいと思うのですけれども、今国会、予算委員会でも本会議でも、実に多くの、野党委員を中心に、勝ち組、負け組の言葉に代表される二極化、格差の拡大ということを指摘されまして、これを小泉構造改革の失敗だと断じられる方が多うございました。
批判を恐れずに言いますと、私はむしろ、仮に全く格差のない社会ができてしまったとしたら、これはもう小泉構造改革は大失敗という考え方もあると思います。本日、木下先生や逢見先生が教えてくださったように、もしも貧困層の拡大のみによる格差拡大ということになりますと、これは確かに税収を減らし、そしてまた福祉の支出をふやしてしまうということで、将来的に大変なことになるんですけれども、反対に、もしも富裕層の広がり、こういったものが原因になった格差であれば、これはむしろ、官が民のすることを邪魔しない、規制緩和の成果があらわれた、そしてまた、本当に創意工夫して努力する方々が頑張れる環境が整ってきた、こういう考え方もできるんだろうと私は思います。
ですから、私は、特別な事情から努力したくてもできないようになったとか、また、天災ですとか資源の高騰など特別な事情でどうしようも立ち行かなくなってしまった企業があるですとか、こういった場合はやはりシビルミニマムということで公平さをつくり出していく、これは国の役割だと思うのですけれども、田中先生は、昨今の国会やマスコミで非常に大きく取りざたされておりますこの格差拡大と小泉構造改革の失敗という視点についてどうお考えになるかということ。
あと一点、今回、この格差拡大の事例として、正社員とパートもしくは派遣社員の所得格差という視点も国会で取り上げられております。特に、本会議ででしたが、共産党の方から、派遣労働自由化など規制緩和路線が格差をもたらしたという御批判がございました。
私の奈良の事務所にも、大手の派遣会社から、政党支部の職員として、経理やコンピューターを担当してくださる方に来ていただいているんです。きっちりです。もう時間は九時—五時できっちり、お昼休みもきっちり一時間、まあこれが契約ですから。お昼休み中はプライベートに使うということで、全く事務所の用事は頼めません。また、ほかの正規の職員が大変忙しくしていても、これもきちっとお帰りになるということで、ただ、大変よくトレーニングされた方ですので、社会保険ですとかボーナスとかそういったことを正規の職員と同じ扱いにしたいので、ぜひもっともっと続けて働いてくださいとお誘いいたしましても、もう五時以降はとにかく趣味を楽しむので、習い事もしたいのでというようなことで、全くそれは断られてしまったんですけれども。
派遣労働自由化が格差を拡大した、一つの政策の失敗である、そのようにお考えになるかどうかという点、これをお伺いしたいと思います。
田
田中直毅#14
○田中公述人 日本経済の先行きについて非常に悲観論が広がりましたときに、日本で投資が起きるかどうか、あるいは新しい職場を本当に生み出すことができるのかどうか、これが問われたことがございます。
ちょうどそのときは、我が国の賃金水準が、ドル建てで見て、世界で見て第一等の、平均賃金でございますが、そういう立場であります。そうしますと、もし新たに日本で職場が生まれるとすると、創造と挑戦が企業のどこかで起きていなければ新しい職場は生まれないだろうという理解が国民的に広がったんだと思います。
そうしますと、その創造と挑戦にかける、そこに自分の時間を投入して企業経営を行う、あるいはそのために一生懸命努力をするということになりますと、そういう人たちは、どういう動機といいましょうか、名誉がいただけるのか所得がいただけるのか、あるいは自分自身の仕事の達成感なのか、いろいろあると思いますが、やはりそこには何らかの形のものが要るのだろうというふうに考えたのだと思います。
そのときに、やはりだれでもかれでもこの創造と挑戦に取り組めるわけではない。もっと言えば、自分の時間と自分の能力をそれにつぎ込むということはリスクを負うことでございますから、心理的な負担まで、疲労感まで、だれでも負担できることではないことをお願いしないと、新しい職場を生み出す力というのは社会の内部から生まれないという理解が広がったんだと思います。
ここから幾つかの実際上の取り決めといいますか、国会で幾つかの法案が通りました。例えば、最高限界所得税率が五〇%になりましたのは小渕政権のときでございます。これが通ったのは、やはり、もう少し余分に働くときに、六五%取られて、残るのが三五%じゃなというのと、五〇%は税金だけれども五〇%は手元に残る、そういうバランスなんですけれども、五〇対五〇、五公五民は一応取り上げるべき筋だなと。そして、国際的にも限界最高所得税率は、地方税、国税合わせてでございますが、五〇%程度という国が多いわけですから、これが基準かというので入ったのだと私は思っております。
それから、金融所得について、例えば配当所得を通常ならば二〇%取るところを、現在一〇%でございます。これは確かに、配当所得について源泉分離一〇%というのは優遇し過ぎだという意見が国民の中に上がったとしても不思議はないと私は思っておるのですが、ただ、あの時期なぜこれが通ったかというと、株価の上昇を通じて意欲ある企業分野に資金が回る仕組みをつくらないと日本で職場をつくり出すことはできないぞという理解が国民の間に強かったから、あのとき、一応特則としてではございますが、配当所得一〇%、源泉徴収課税というのが通りました。それは、我が国の置かれたつらさの中で、そうした手段を投入してでも、我が国の職場を何としてでもふやすという国会の意思が結集されたものだと私は思っております。
ただ、どうにか日本経済、立ち上がってまいりまして、しばらくはうまくいきそうでございますので、例えば配当所得について、この一〇%を二〇%という本則にまで戻す時期が近づいているということだと思います。
格差はなぜ生まれたのかというときに、我々は確かに、高い所得を上げる人に対して、最高限界所得税率五〇%にしたときに、弁護士さんならもう一件歯を食いしばってやってください、百万円余分に入ったら五十万円はお手元に残りますということを認めたんだと思います。
このことについて、多分、国民的理解は、五公五民はいいのかな、これは受け入れるべき筋のことだというのが私の理解でございます、もちろんいろいろ意見があることは承知の上で。その範囲でいうと、多少所得の高い、創造と挑戦に取り組んでいる人たちに、その税引き後の勤労所得を与えることは、私はほぼ認められていると思います。
ただし、金融資産について言いますと、これは過去に、あるいは相続を通じて得られたものですから、現在ただいまからいくと、金融資産所得二〇%という本則に戻すべきだという意見が多分強まっているように思いますし、私は、もし意見を求められれば、配当の一〇%というのは二〇%の本則に戻すべきだというふうに思います。そういうことが一つの流れかというふうに思います。
それから、求人、求職、要するに常用雇用の問題は極めて重要でありまして、日本経済が回復してまいりましたので、常用雇用をふやそうとする動きが企業の中に強まっております。
そういう意味では、求人活動と求職活動のバランスは、求人を心がけておられる企業がどんどんふえているんですが、実際には、数値の上では有効求人・求職倍率は一を上回ってきているんですが、雇えないと言っているんですね、企業は。それは、こういう条件でというか、こういうことを備えた人がいれば欲しいんだけれども、求職で来ていただく中にそういう人を見つけられない。だから、依然として求人という広告を出し続けながら実際には未充足な職場がいっぱいあるというのが現実ですので、どうやってそこに橋をかけるのか。そこが橋がかかれば、雇用形態が、パートとか派遣から常用雇用にもっと円滑に移る。
そういう意味では、比較的所得の低い方の所得を改善するためには、求められている労働にふさわしい訓練が受けられる仕組みを社会全体としてどうやってつくるのか、それはやはり個別に考えるべきテーマに既になっているんだと思います。ミスマッチの数は極めて多い、未充足な求人が物すごくふえているということに焦点を当てると、ここには国政上の何らかの施策が施されてしかるべきだというふうに思います。
〔玉沢委員長代理退席、委員長着席〕
この発言だけを見る →ちょうどそのときは、我が国の賃金水準が、ドル建てで見て、世界で見て第一等の、平均賃金でございますが、そういう立場であります。そうしますと、もし新たに日本で職場が生まれるとすると、創造と挑戦が企業のどこかで起きていなければ新しい職場は生まれないだろうという理解が国民的に広がったんだと思います。
そうしますと、その創造と挑戦にかける、そこに自分の時間を投入して企業経営を行う、あるいはそのために一生懸命努力をするということになりますと、そういう人たちは、どういう動機といいましょうか、名誉がいただけるのか所得がいただけるのか、あるいは自分自身の仕事の達成感なのか、いろいろあると思いますが、やはりそこには何らかの形のものが要るのだろうというふうに考えたのだと思います。
そのときに、やはりだれでもかれでもこの創造と挑戦に取り組めるわけではない。もっと言えば、自分の時間と自分の能力をそれにつぎ込むということはリスクを負うことでございますから、心理的な負担まで、疲労感まで、だれでも負担できることではないことをお願いしないと、新しい職場を生み出す力というのは社会の内部から生まれないという理解が広がったんだと思います。
ここから幾つかの実際上の取り決めといいますか、国会で幾つかの法案が通りました。例えば、最高限界所得税率が五〇%になりましたのは小渕政権のときでございます。これが通ったのは、やはり、もう少し余分に働くときに、六五%取られて、残るのが三五%じゃなというのと、五〇%は税金だけれども五〇%は手元に残る、そういうバランスなんですけれども、五〇対五〇、五公五民は一応取り上げるべき筋だなと。そして、国際的にも限界最高所得税率は、地方税、国税合わせてでございますが、五〇%程度という国が多いわけですから、これが基準かというので入ったのだと私は思っております。
それから、金融所得について、例えば配当所得を通常ならば二〇%取るところを、現在一〇%でございます。これは確かに、配当所得について源泉分離一〇%というのは優遇し過ぎだという意見が国民の中に上がったとしても不思議はないと私は思っておるのですが、ただ、あの時期なぜこれが通ったかというと、株価の上昇を通じて意欲ある企業分野に資金が回る仕組みをつくらないと日本で職場をつくり出すことはできないぞという理解が国民の間に強かったから、あのとき、一応特則としてではございますが、配当所得一〇%、源泉徴収課税というのが通りました。それは、我が国の置かれたつらさの中で、そうした手段を投入してでも、我が国の職場を何としてでもふやすという国会の意思が結集されたものだと私は思っております。
ただ、どうにか日本経済、立ち上がってまいりまして、しばらくはうまくいきそうでございますので、例えば配当所得について、この一〇%を二〇%という本則にまで戻す時期が近づいているということだと思います。
格差はなぜ生まれたのかというときに、我々は確かに、高い所得を上げる人に対して、最高限界所得税率五〇%にしたときに、弁護士さんならもう一件歯を食いしばってやってください、百万円余分に入ったら五十万円はお手元に残りますということを認めたんだと思います。
このことについて、多分、国民的理解は、五公五民はいいのかな、これは受け入れるべき筋のことだというのが私の理解でございます、もちろんいろいろ意見があることは承知の上で。その範囲でいうと、多少所得の高い、創造と挑戦に取り組んでいる人たちに、その税引き後の勤労所得を与えることは、私はほぼ認められていると思います。
ただし、金融資産について言いますと、これは過去に、あるいは相続を通じて得られたものですから、現在ただいまからいくと、金融資産所得二〇%という本則に戻すべきだという意見が多分強まっているように思いますし、私は、もし意見を求められれば、配当の一〇%というのは二〇%の本則に戻すべきだというふうに思います。そういうことが一つの流れかというふうに思います。
それから、求人、求職、要するに常用雇用の問題は極めて重要でありまして、日本経済が回復してまいりましたので、常用雇用をふやそうとする動きが企業の中に強まっております。
そういう意味では、求人活動と求職活動のバランスは、求人を心がけておられる企業がどんどんふえているんですが、実際には、数値の上では有効求人・求職倍率は一を上回ってきているんですが、雇えないと言っているんですね、企業は。それは、こういう条件でというか、こういうことを備えた人がいれば欲しいんだけれども、求職で来ていただく中にそういう人を見つけられない。だから、依然として求人という広告を出し続けながら実際には未充足な職場がいっぱいあるというのが現実ですので、どうやってそこに橋をかけるのか。そこが橋がかかれば、雇用形態が、パートとか派遣から常用雇用にもっと円滑に移る。
そういう意味では、比較的所得の低い方の所得を改善するためには、求められている労働にふさわしい訓練が受けられる仕組みを社会全体としてどうやってつくるのか、それはやはり個別に考えるべきテーマに既になっているんだと思います。ミスマッチの数は極めて多い、未充足な求人が物すごくふえているということに焦点を当てると、ここには国政上の何らかの施策が施されてしかるべきだというふうに思います。
〔玉沢委員長代理退席、委員長着席〕
大
高
高市早苗#16
○高市委員 はい。
時間が参りました。先生のお話の中で、小さな政府の中でも、職業観教育ですとか、あとまたマッチング政策、充実させていきたいと思います。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →時間が参りました。先生のお話の中で、小さな政府の中でも、職業観教育ですとか、あとまたマッチング政策、充実させていきたいと思います。
ありがとうございました。
大
上
上田勇#18
○上田委員 公明党の上田勇でございます。
きょうは、四名の公述人の皆様方には、大変お忙しい中御出席をいただきまして、そしてまた、それぞれの立場から大変貴重な御意見を伺ったこと、心から御礼を申し上げます。
今伺いました御意見について何点か質問させていただきますが、全員の先生方に、本当はいろいろとお聞きしたいこともあるんですけれども、限られた時間の中でやらせていただきますので、質問できない部分もあるかというふうに思いますが、御理解いただきたいというふうに思います。
最初に、田中先生にお伺いをいたします。
先生の今の御意見の中で、図の一番で、いわゆる財政出動と経済のパフォーマンスというのは、むしろここのところ負の相関にあったということをおっしゃったわけでありますけれども、この間、景気対策というのは、一つには、公共投資の積み増しに代表される財政政策と、それからもう一方で、所得税、法人税などの大幅な減税も行われてきました。そこで、そうした財政政策と減税というものの経済のパフォーマンス、成長率との関係について、それぞれどの程度の関係があるのか、もし御意見があれば伺えればというふうに思います。
これは、これから財政の健全化を議論していくときに、歳入歳出両方を改革していくということになりますので、それぞれどういうような影響があるのかということを考える基礎になるのではないかというふうに思いますので、御所見を伺えればというふうに思います。
この発言だけを見る →きょうは、四名の公述人の皆様方には、大変お忙しい中御出席をいただきまして、そしてまた、それぞれの立場から大変貴重な御意見を伺ったこと、心から御礼を申し上げます。
今伺いました御意見について何点か質問させていただきますが、全員の先生方に、本当はいろいろとお聞きしたいこともあるんですけれども、限られた時間の中でやらせていただきますので、質問できない部分もあるかというふうに思いますが、御理解いただきたいというふうに思います。
最初に、田中先生にお伺いをいたします。
先生の今の御意見の中で、図の一番で、いわゆる財政出動と経済のパフォーマンスというのは、むしろここのところ負の相関にあったということをおっしゃったわけでありますけれども、この間、景気対策というのは、一つには、公共投資の積み増しに代表される財政政策と、それからもう一方で、所得税、法人税などの大幅な減税も行われてきました。そこで、そうした財政政策と減税というものの経済のパフォーマンス、成長率との関係について、それぞれどの程度の関係があるのか、もし御意見があれば伺えればというふうに思います。
これは、これから財政の健全化を議論していくときに、歳入歳出両方を改革していくということになりますので、それぞれどういうような影響があるのかということを考える基礎になるのではないかというふうに思いますので、御所見を伺えればというふうに思います。
田
田中直毅#19
○田中公述人 私、経済予測の仕事を一九七〇年代に入ってから民間の研究所でやっておりまして、公共事業を積み上げるやり方で景気がよくなるというチャネル、その因果関係が崩れているんじゃないかというふうに思ったのは、一九七〇年代の後半でございます。
これは、時の政府が景気が悪いからといって公共事業をふやされるんですが、いろいろな計算の仕方がございます。公共事業がふえることによって例えば資材に対する発注がふえる、そうしたら景気はよくなるではないか、これはその当時の代表的な見解なんですが、しかし、実際にはなかなか思ったほど景気が立ち上がってこないという事実がある。
その中で、やはり経済の仕組みはグローバルな仕組み、変動相場制を通じて世界につながった場合に、一たんは確かに景気がよくなる局面があるんですが、それが、従来思っていたよりは金利が高くなるということになると、やはり為替レートの動きを通じて減殺されるというのが現実に起きているという観察が、もう七〇年代の後半でそういう観察結果に至らざるを得ないということでございました。
それ以来、私は、いわゆるケインズ型の景気対応はまずいと。それは、財政赤字をふやすのみであって、国債の発行残高がふえるばかりであって、景気を刺激することにつながる要素は非常に小さくなっているというふうに思いまして、それ以来、そういう論文を書くようになっております。
どうも、残念ながら、九〇年代に入りましてもそういう政策が続く。
例えばですが、連立与党の中で、建設業者の人たちが仕事がなくなったという声が入ってくると、仕事を出してやれ、それが景気対策だぞという考え方がやはり非常に強かったと思うんですが、それは、確かにその分野だけについて言えば、そこは仕事が余分に出ますから、仕事はある程度回るようになります。しかし、それが日本経済全体には回ってこないというには、別の影響のチャネルが働いているということでございますので。
私は、国会の先生方のお仕事の中で、そういう形で、地元から景気が悪いというお話が入ってきたら、これは何とかして予算を拡大して政府が仕事を配らなければいけないというふうに、それだけで対応されると結果としてはうまくいかないというふうに思っておりまして、これを選挙民の方々、地元の方々にどうやって説明するんだという非常に難しい課題があるんですが、これは相当難しい話なんですが、やはり政府が直接仕事を与えるというのはよほどのことだと。政府が直接、特定の分野を選んで職場をふやすという形に乗り込むことがすべて拒否されると私は思いませんが、それはよほどの非常時だということで、多少景気が悪いからとかお金の回りが悪いからといって政府支出を拡大するというのは、もうやめるべき時期に来ているという説得をしていただけないものかと。多分それは選挙民に伝わる、その真意は伝わるのではないかと、済みません、勝手に憶測しておるんですが、思っております。もし間違っておりましたら御指摘を。
この発言だけを見る →これは、時の政府が景気が悪いからといって公共事業をふやされるんですが、いろいろな計算の仕方がございます。公共事業がふえることによって例えば資材に対する発注がふえる、そうしたら景気はよくなるではないか、これはその当時の代表的な見解なんですが、しかし、実際にはなかなか思ったほど景気が立ち上がってこないという事実がある。
その中で、やはり経済の仕組みはグローバルな仕組み、変動相場制を通じて世界につながった場合に、一たんは確かに景気がよくなる局面があるんですが、それが、従来思っていたよりは金利が高くなるということになると、やはり為替レートの動きを通じて減殺されるというのが現実に起きているという観察が、もう七〇年代の後半でそういう観察結果に至らざるを得ないということでございました。
それ以来、私は、いわゆるケインズ型の景気対応はまずいと。それは、財政赤字をふやすのみであって、国債の発行残高がふえるばかりであって、景気を刺激することにつながる要素は非常に小さくなっているというふうに思いまして、それ以来、そういう論文を書くようになっております。
どうも、残念ながら、九〇年代に入りましてもそういう政策が続く。
例えばですが、連立与党の中で、建設業者の人たちが仕事がなくなったという声が入ってくると、仕事を出してやれ、それが景気対策だぞという考え方がやはり非常に強かったと思うんですが、それは、確かにその分野だけについて言えば、そこは仕事が余分に出ますから、仕事はある程度回るようになります。しかし、それが日本経済全体には回ってこないというには、別の影響のチャネルが働いているということでございますので。
私は、国会の先生方のお仕事の中で、そういう形で、地元から景気が悪いというお話が入ってきたら、これは何とかして予算を拡大して政府が仕事を配らなければいけないというふうに、それだけで対応されると結果としてはうまくいかないというふうに思っておりまして、これを選挙民の方々、地元の方々にどうやって説明するんだという非常に難しい課題があるんですが、これは相当難しい話なんですが、やはり政府が直接仕事を与えるというのはよほどのことだと。政府が直接、特定の分野を選んで職場をふやすという形に乗り込むことがすべて拒否されると私は思いませんが、それはよほどの非常時だということで、多少景気が悪いからとかお金の回りが悪いからといって政府支出を拡大するというのは、もうやめるべき時期に来ているという説得をしていただけないものかと。多分それは選挙民に伝わる、その真意は伝わるのではないかと、済みません、勝手に憶測しておるんですが、思っております。もし間違っておりましたら御指摘を。
上
上田勇#20
○上田委員 どうもありがとうございます。
それでは、逢見さんにお伺いをいたしますけれども、逢見さんの御意見の中で、経済格差が拡大をしているということをいろいろなデータでもって示していただいたわけでありますし、また、その要因についてもいろいろとお話を伺ったところでございます。
この格差の問題についてはさまざまな御意見があります。現状認識についてもいろいろありますし、またその評価といったこともいろいろ分かれているのではないかというふうに思いますが、ただ、一つ言えることというのは、少なくとも、将来の生活の格差についてそういう不安感が広がってきているということは、もう間違いのないことなんだろうというふうに思っております。
逢見さんの御意見の中でも、その原因というのが、例えば労働法制等の規制緩和といった政策的な判断というようなものもあったけれども、主としてそれは、経済がグローバル化した、それに伴って経済が構造が変わってきた、そしてそれに対応するために企業の経営の理念や手法も変わってきた。それが最大の原因であるということでありまして、私も同じように考えておりますし、またその上に、やはり高齢化という問題がもう一つの要因としてあるんだろうというふうに思います。
そういった認識は理解するところなんですけれども、ここで重要なのは、ではこれから政策はどういうふうに、特に財政運営についてはどういうふうにやっていくのかということなんだろうと思うんですが、特に、この格差の問題と関係しては、所得の再分配という社会保障制度についてどうあるべきかということが、これから政策選択の非常に大きな要素じゃないかというふうに思うんです。
そこで、ちょっとお伺いしたいんですけれども、一つは、なかなかこれは定量的にあらわしにくいことかもしれませんが、逢見さんのお立場から考えて、将来とも適正な国民負担率の割合というのはどの程度が適切というふうにお考えなのかという点。
それともう一つは、社会保障に向ける財政の総額というんでしょうか、これも今の一般歳出の中では相当大きなウエートを占めるようになってきたんですけれども、その割合というのは、現状が適切なのか、もっと多くあるべきなのか。特に、これから財政の健全化を図っていく中で、いろいろな分野、これは無駄なところは全部排除していかなければいけないんですけれども、では、社会保障の財政の規模というのはどの程度に考えていくべきなのか、その辺の御意見。必ずしも何%という数字で言うことは難しい面もあるかというふうに思いますが、大まかな考え方を伺えればというふうに思います。
この発言だけを見る →それでは、逢見さんにお伺いをいたしますけれども、逢見さんの御意見の中で、経済格差が拡大をしているということをいろいろなデータでもって示していただいたわけでありますし、また、その要因についてもいろいろとお話を伺ったところでございます。
この格差の問題についてはさまざまな御意見があります。現状認識についてもいろいろありますし、またその評価といったこともいろいろ分かれているのではないかというふうに思いますが、ただ、一つ言えることというのは、少なくとも、将来の生活の格差についてそういう不安感が広がってきているということは、もう間違いのないことなんだろうというふうに思っております。
逢見さんの御意見の中でも、その原因というのが、例えば労働法制等の規制緩和といった政策的な判断というようなものもあったけれども、主としてそれは、経済がグローバル化した、それに伴って経済が構造が変わってきた、そしてそれに対応するために企業の経営の理念や手法も変わってきた。それが最大の原因であるということでありまして、私も同じように考えておりますし、またその上に、やはり高齢化という問題がもう一つの要因としてあるんだろうというふうに思います。
そういった認識は理解するところなんですけれども、ここで重要なのは、ではこれから政策はどういうふうに、特に財政運営についてはどういうふうにやっていくのかということなんだろうと思うんですが、特に、この格差の問題と関係しては、所得の再分配という社会保障制度についてどうあるべきかということが、これから政策選択の非常に大きな要素じゃないかというふうに思うんです。
そこで、ちょっとお伺いしたいんですけれども、一つは、なかなかこれは定量的にあらわしにくいことかもしれませんが、逢見さんのお立場から考えて、将来とも適正な国民負担率の割合というのはどの程度が適切というふうにお考えなのかという点。
それともう一つは、社会保障に向ける財政の総額というんでしょうか、これも今の一般歳出の中では相当大きなウエートを占めるようになってきたんですけれども、その割合というのは、現状が適切なのか、もっと多くあるべきなのか。特に、これから財政の健全化を図っていく中で、いろいろな分野、これは無駄なところは全部排除していかなければいけないんですけれども、では、社会保障の財政の規模というのはどの程度に考えていくべきなのか、その辺の御意見。必ずしも何%という数字で言うことは難しい面もあるかというふうに思いますが、大まかな考え方を伺えればというふうに思います。
逢
逢見直人#21
○逢見公述人 あるべき国民負担を数字で示すことは、なかなか難しいところがあります。といいますのは、例えば、今国会でも医療保険制度についての審議がなされますけれども、もし仮に、健康でずっとお医者さんにかからずに死を迎えたという人にとっては、全く医療保険を使わずに済むわけですが、最も望ましいのは、健康でずっと生涯を送ることができる、それが、何かの形で病気にかかってしまったときに安心して医者にかかることができる、その安心感というものの負担のために国民は医療保険料を拠出しているだろうと思います。たくさん病気になる人がふえて、あるいは感染病にかかる人がふえて医療費がふえてしまった、そのことによって国民負担がふえたというのは、あるべき社会としては決して望ましくない。
そういう意味では、国民負担ということをある前提に置いて社会制度を考えるという議論は、私は余りすべきではないと思っておりまして、総額でキャップをかぶせてそこで提供すべきサービスとかを抑制するというよりは、むしろ、どのようなサービス、特に、国民が安心して暮らせる、安心して老後を迎えられる、健康で過ごせるというその安心、安全のためのコストとしてどれぐらいのものが適当か、そういう議論をすべきだと思いますので、ここで数字をもってお答えすることは差し控えたいと思います。
この発言だけを見る →そういう意味では、国民負担ということをある前提に置いて社会制度を考えるという議論は、私は余りすべきではないと思っておりまして、総額でキャップをかぶせてそこで提供すべきサービスとかを抑制するというよりは、むしろ、どのようなサービス、特に、国民が安心して暮らせる、安心して老後を迎えられる、健康で過ごせるというその安心、安全のためのコストとしてどれぐらいのものが適当か、そういう議論をすべきだと思いますので、ここで数字をもってお答えすることは差し控えたいと思います。
上
大
大
大串博志#24
○大串委員 本日は、予算委員会の公聴会ということで、各公述人の方々にはお忙しい中足をお運びいただきまして、大変ありがとうございます。民主党の大串博志でございます。
本日は、国の予算についての意見を各公述人の方々から、大変貴重な意見をお聞かせいただきました。
予算というものは、考えてみますれば、国の財政の持つ機能をひもといてみますと、よく言われておりますように、一つは景気を安定させる機能、これはビルトインスタビライザーの存在を通じて、あるいはより積極的な財政の対応を通じて景気を安定させる機能、もう一つは公平という観点から資源を再分配する作用、この二つがあるというふうに言われております。
きょうの公述人の皆さんの御意見を聞かせていただいていると、大変その二つの問題、しかも今日的な問題について、バランスよく御意見を聞かせていただいたというふうに思っております。すなわち、前者の景気安定という作用から話をすれば、田中先生あるいは植野先生の景気の全体の話、そして現在の財政の持つ役割、マンデル・フレミングのモデルにも触れていただきましたけれども、そういう面からしても、どういう役割を持っているのかということ。そしてもう一つの、公平という観点からして、資源をどう配分していくかという観点からしてみると、そこを若干単純化も含めて、経済的な格差論という問題について言えば、むしろ、政府が経済格差という問題に関して対応するとすると、財政の資源再配分の機能を通じてどうやってこの経済格差を埋めていくのか、若干の単純化も含めて言っていけば、そういう問題にきれいに整理できるんだろうというふうに思います。
その二つの面から、今申し上げましたように、非常に今日的な問題だというふうに私思っておりまして、その二つとも非常に重要な問題だというふうに思っています。ですから、その二つの問題について、きょうはいろいろお話をお聞かせいただければというふうに思うのでございます。
まずは、逢見公述人に、景気の安定化作用は後ほどまた田中公述人にもいろいろ聞かせていただければと思うんですけれども、まずは資源再配分という観点から、格差という問題について少しお話を聞かせていただければというふうに思います。
今回の国会でも、現在の小泉内閣での改革路線、これに対する総決算ということで、行革国会というふうに小泉総理は銘打たれていらっしゃって、その中で、その改革の内容が結果として格差というふうなものにつながってきているのではないかという観点から、いろいろな質疑が行われてきました。
そして、その中で、先ほど御紹介もありましたように、内閣府による資料によりますと、現在の格差というものは、統計的には必ずしも格差が広がっているようには確認できていないと。それは、格差が広がっているように見える、見かけ上の格差というふうに現在の政府の説明ではなっているわけでございますけれども、一つには、高齢化世帯、高齢者の方々がふえている。高齢者の方々というのはおのずと所得の広がりを持ち、であるから、その層がふえているということは、経済格差が全体で見ると自然的に広がる、そういう意味から一つの見かけではないかという論点が一つ。もう一つは、世帯の単位が小さくなってきているという点、この点から見かけ上の格差の拡大なんだというふうな意見がございました。
これに関して、私、前の予算委員会でも少しずつ議論を行っていたところでございましたけれども、もう少しこの点についてお聞かせいただければと思うんです。まず、高齢者の方々がふえている、よって格差が拡大しているように見えているんだというふうなこの認識に関して、果たしてそれでいいのかなという思いがあるわけでございます。
すなわち、高齢者の方々の中の、この間の格差。年金だけに暮らしの生計を頼っていらっしゃって、その中で非常につつましい、あるいは苦しい生活をされている方もたくさんいらっしゃる。いろいろな統計でも、高齢者の方々の貧困の問題が大きな問題になってきているというような話も聞いております。先ほどお話しいただきました内閣府研究所の二〇〇五年五月の発表におきましても、各年齢層の中でも格差が広がっているんだという話も先ほどいただきました。資料を見させていただきますと、高齢者層の中でも格差が広がっている、そういうふうに見えもしました。
この辺につきまして、高齢者の方々の格差、これ自体が問題なのではないかという点について、私は問題意識を持っているんですけれども、この点に関して、逢見公述人、御意見がありましたら聞かせていただければと思います。
この発言だけを見る →本日は、国の予算についての意見を各公述人の方々から、大変貴重な意見をお聞かせいただきました。
予算というものは、考えてみますれば、国の財政の持つ機能をひもといてみますと、よく言われておりますように、一つは景気を安定させる機能、これはビルトインスタビライザーの存在を通じて、あるいはより積極的な財政の対応を通じて景気を安定させる機能、もう一つは公平という観点から資源を再分配する作用、この二つがあるというふうに言われております。
きょうの公述人の皆さんの御意見を聞かせていただいていると、大変その二つの問題、しかも今日的な問題について、バランスよく御意見を聞かせていただいたというふうに思っております。すなわち、前者の景気安定という作用から話をすれば、田中先生あるいは植野先生の景気の全体の話、そして現在の財政の持つ役割、マンデル・フレミングのモデルにも触れていただきましたけれども、そういう面からしても、どういう役割を持っているのかということ。そしてもう一つの、公平という観点からして、資源をどう配分していくかという観点からしてみると、そこを若干単純化も含めて、経済的な格差論という問題について言えば、むしろ、政府が経済格差という問題に関して対応するとすると、財政の資源再配分の機能を通じてどうやってこの経済格差を埋めていくのか、若干の単純化も含めて言っていけば、そういう問題にきれいに整理できるんだろうというふうに思います。
その二つの面から、今申し上げましたように、非常に今日的な問題だというふうに私思っておりまして、その二つとも非常に重要な問題だというふうに思っています。ですから、その二つの問題について、きょうはいろいろお話をお聞かせいただければというふうに思うのでございます。
まずは、逢見公述人に、景気の安定化作用は後ほどまた田中公述人にもいろいろ聞かせていただければと思うんですけれども、まずは資源再配分という観点から、格差という問題について少しお話を聞かせていただければというふうに思います。
今回の国会でも、現在の小泉内閣での改革路線、これに対する総決算ということで、行革国会というふうに小泉総理は銘打たれていらっしゃって、その中で、その改革の内容が結果として格差というふうなものにつながってきているのではないかという観点から、いろいろな質疑が行われてきました。
そして、その中で、先ほど御紹介もありましたように、内閣府による資料によりますと、現在の格差というものは、統計的には必ずしも格差が広がっているようには確認できていないと。それは、格差が広がっているように見える、見かけ上の格差というふうに現在の政府の説明ではなっているわけでございますけれども、一つには、高齢化世帯、高齢者の方々がふえている。高齢者の方々というのはおのずと所得の広がりを持ち、であるから、その層がふえているということは、経済格差が全体で見ると自然的に広がる、そういう意味から一つの見かけではないかという論点が一つ。もう一つは、世帯の単位が小さくなってきているという点、この点から見かけ上の格差の拡大なんだというふうな意見がございました。
これに関して、私、前の予算委員会でも少しずつ議論を行っていたところでございましたけれども、もう少しこの点についてお聞かせいただければと思うんです。まず、高齢者の方々がふえている、よって格差が拡大しているように見えているんだというふうなこの認識に関して、果たしてそれでいいのかなという思いがあるわけでございます。
すなわち、高齢者の方々の中の、この間の格差。年金だけに暮らしの生計を頼っていらっしゃって、その中で非常につつましい、あるいは苦しい生活をされている方もたくさんいらっしゃる。いろいろな統計でも、高齢者の方々の貧困の問題が大きな問題になってきているというような話も聞いております。先ほどお話しいただきました内閣府研究所の二〇〇五年五月の発表におきましても、各年齢層の中でも格差が広がっているんだという話も先ほどいただきました。資料を見させていただきますと、高齢者層の中でも格差が広がっている、そういうふうに見えもしました。
この辺につきまして、高齢者の方々の格差、これ自体が問題なのではないかという点について、私は問題意識を持っているんですけれども、この点に関して、逢見公述人、御意見がありましたら聞かせていただければと思います。
逢
逢見直人#25
○逢見公述人 高齢化によって格差が見かけ上拡大しているにすぎないという内閣府の見解は、恐らく私が解釈するに、高齢者世帯がふえると、高齢者というのは稼労所得はないわけですから、年金とそれから過去の貯蓄を徐々に取り崩しながら老後生活の消費に使っていく。したがって、貯蓄そのものが次第に減っていくわけであって、これが、豊かな高齢者が、貯蓄がたくさんあって、その人たちが自分の持っている貯蓄を徐々に使うことによって生活を維持していくこと自体であれば、余り問題にすることはないと思うんですが、では、果たして、今、豊かな高齢者が自分の貯蓄を取り崩すことによって起こっている見かけ上の格差拡大なのかというと、私はこれは違っているんじゃないかと思います。
高齢者の中にも決して豊かでない人たちもいる、つまり、公的年金のみに依存して老後生活を送っているという方もたくさんいらっしゃいます。そういう意味で、高齢化による見かけ上の格差という認識は実態を正確に把握していないんじゃないか。むしろ、高齢者の中で、豊かな人と貧しい人といいますか、蓄えがない、貯蓄がないという人たちの格差が拡大している。もう一つは、現役世代で貯蓄が減っている。これは、まさに老後生活に向けて貯蓄を拡大していなければならない人たちが、今、目の前の生活費のために貯蓄を減らしてしまっているという実態があります。これは将来、大変大きな不安材料になると思います。
そしてもう一つ、先ほど公述で申し上げましたことは、若年層の中に格差が拡大している。これは、再挑戦可能で、自分は今フリーターだけれども、しかし挑戦して、また、より能力の高い、レベルの高い仕事につくということが可能であれば、たまたま今フリーターであってもそのことは問題ないと思いますが、それが固定化してしまって、一たんフリーターになってそこから再挑戦できない、上のレベルにはい上がることができないということになれば、これは、その人の労働生活、さらに老後生活にとって大きな不安を抱えることになるのではないかと思っております。
この発言だけを見る →高齢者の中にも決して豊かでない人たちもいる、つまり、公的年金のみに依存して老後生活を送っているという方もたくさんいらっしゃいます。そういう意味で、高齢化による見かけ上の格差という認識は実態を正確に把握していないんじゃないか。むしろ、高齢者の中で、豊かな人と貧しい人といいますか、蓄えがない、貯蓄がないという人たちの格差が拡大している。もう一つは、現役世代で貯蓄が減っている。これは、まさに老後生活に向けて貯蓄を拡大していなければならない人たちが、今、目の前の生活費のために貯蓄を減らしてしまっているという実態があります。これは将来、大変大きな不安材料になると思います。
そしてもう一つ、先ほど公述で申し上げましたことは、若年層の中に格差が拡大している。これは、再挑戦可能で、自分は今フリーターだけれども、しかし挑戦して、また、より能力の高い、レベルの高い仕事につくということが可能であれば、たまたま今フリーターであってもそのことは問題ないと思いますが、それが固定化してしまって、一たんフリーターになってそこから再挑戦できない、上のレベルにはい上がることができないということになれば、これは、その人の労働生活、さらに老後生活にとって大きな不安を抱えることになるのではないかと思っております。
大
大串博志#26
○大串委員 ありがとうございます。
まさに今おっしゃったように、私も高齢者の方々の生活を地元に帰って見ておりますと、確かに、手厚い貯蓄を持ち、年金を持ち、暮らしている方もいらっしゃれば、非常につつましい、公的年金に頼って日々一生懸命暮らしている方も大変多くいらっしゃる。そういう意味からすると、高齢者の方々の層が人口的に多くなっているから、それが格差を見かけ上ふやしているんだというのは、やや早計かなという感じが私自身もしておるわけでございます。
そしてもう一つ、内閣府の格差に関する分析の中で、私、おやっと思ったところがございまして、もう一つの点といいますのは、今最後におっしゃいました、若年層の方々の間での格差という問題でございます。
これも内閣府での分析の内容を見てみますと、若年層におけるニートとかあるいはフリーター、総体として非正規な雇用者の方々がふえているということについては、それ自体が格差だという認識でぴたっと定式化されているわけではなくて、それは将来の格差を拡大させる可能性を秘めたものなのだというふうに、将来の格差を拡大する可能性なんだというふうに分析がされているわけです。
確かに、そういう面もあろうかと思います。先ほどお話がありましたように、非正規雇用者として、訓練を受けず、あるいは低い所得の中で、みずから訓練をするということもなかなか機会を与えられず、かつ正規雇用に移っていくということが難しいことが現状としてあるとするならば、それが固定化されていき、身分が変わらないということから、将来的にもより格差が固定化され、あるいは拡大されていくということがあるんだろうというふうに論理的には思うんですけれども、では、目を転じて、現在の若年層の方々に、ここに格差が広がっているという実態がないのかというと、私はそうではないのではないかと。
これもまた地元に戻って、いろいろな若者と話をします。そうすると、高校を出て、あるいは大学を出て、一生懸命仕事をしたいと思って求人を求めていく、そういう中でも本当に職がなかなか得られないという実態があります。そういう中で、仕方なく非正規の雇用の中に入っていく。それで、非正規の雇用者の方々は、やはりなかなか生活的には厳しいというところがあると思うんです。
そういう点、恐らくお仕事の中で職場の現場等々をごらんになって、若年層、若い人たちの、フリーターや非正規雇用者の中で、ここに実態としての格差が見られるのではないかというようなところについて、ちょっとお話しをいただければというふうに思うんです。
この発言だけを見る →まさに今おっしゃったように、私も高齢者の方々の生活を地元に帰って見ておりますと、確かに、手厚い貯蓄を持ち、年金を持ち、暮らしている方もいらっしゃれば、非常につつましい、公的年金に頼って日々一生懸命暮らしている方も大変多くいらっしゃる。そういう意味からすると、高齢者の方々の層が人口的に多くなっているから、それが格差を見かけ上ふやしているんだというのは、やや早計かなという感じが私自身もしておるわけでございます。
そしてもう一つ、内閣府の格差に関する分析の中で、私、おやっと思ったところがございまして、もう一つの点といいますのは、今最後におっしゃいました、若年層の方々の間での格差という問題でございます。
これも内閣府での分析の内容を見てみますと、若年層におけるニートとかあるいはフリーター、総体として非正規な雇用者の方々がふえているということについては、それ自体が格差だという認識でぴたっと定式化されているわけではなくて、それは将来の格差を拡大させる可能性を秘めたものなのだというふうに、将来の格差を拡大する可能性なんだというふうに分析がされているわけです。
確かに、そういう面もあろうかと思います。先ほどお話がありましたように、非正規雇用者として、訓練を受けず、あるいは低い所得の中で、みずから訓練をするということもなかなか機会を与えられず、かつ正規雇用に移っていくということが難しいことが現状としてあるとするならば、それが固定化されていき、身分が変わらないということから、将来的にもより格差が固定化され、あるいは拡大されていくということがあるんだろうというふうに論理的には思うんですけれども、では、目を転じて、現在の若年層の方々に、ここに格差が広がっているという実態がないのかというと、私はそうではないのではないかと。
これもまた地元に戻って、いろいろな若者と話をします。そうすると、高校を出て、あるいは大学を出て、一生懸命仕事をしたいと思って求人を求めていく、そういう中でも本当に職がなかなか得られないという実態があります。そういう中で、仕方なく非正規の雇用の中に入っていく。それで、非正規の雇用者の方々は、やはりなかなか生活的には厳しいというところがあると思うんです。
そういう点、恐らくお仕事の中で職場の現場等々をごらんになって、若年層、若い人たちの、フリーターや非正規雇用者の中で、ここに実態としての格差が見られるのではないかというようなところについて、ちょっとお話しをいただければというふうに思うんです。
逢
逢見直人#27
○逢見公述人 まずマクロ的に、失業率が改善されているとか、あるいは有効求人倍率が一・〇になったとかということで雇用環境が改善されている、マクロ的にはそういうことだろうと思います。しかし、これは大変地域格差がありまして、愛知県とかそういうところは非常に活況を呈しておりますが、東北とかそういうところへ行くと、依然としてまだ雇用環境は厳しい。そうすると、労働市場というのは、全国的に、広域に移動できる方もいますけれども、しかし、その地域で生活しなきゃいけない方も大勢いらっしゃいます。そうすると、その地域の雇用環境のもとで、今まだ良好な求職先がなくて職が得られていないという方もいらっしゃいます。
それから、フリーターとかいう形で、一たんそういう形で就職して、若いうちはまだそれでもいろいろ仕事を楽しめるということがあるかもしれませんが、やがてその人たちが結婚する世代になる、そうすると、今の所得ではとても結婚できないということで、結婚をあきらめざるを得ない。あるいは、より高いレベルの仕事につきたいと思っても、自分の能力を高める手段が自己責任だとすれば、その自己責任の中でそういう訓練を得られる場もないし、またそういう時間もない。結局、フリーターというままでずっと甘んじざるを得ない。こうなると、これは格差の固定化という問題になってくると思います。
今、九〇年代半ば以降、そうしたフリーターがふえてきた中で、そういう長期にフリーター生活をしている人たちが次のステップアップする機会がないことが問題ではないかという指摘がされておりまして、私もこれは大変重要な問題だと思っています。正社員であれば企業内で人材を育成する仕組みがあります。しかし、非典型雇用の方については、企業の中で能力を開発し、教育訓練するという仕組みは整っていないわけでありまして、これはやはり外部で、あるいは公共政策としてそういう部分をやる。そのことが格差の固定化を防ぐことであって、そのために必要な財政出動はすべきだ、つまり、人に対する投資の重要性ということを私は強調したいと思います。
この発言だけを見る →それから、フリーターとかいう形で、一たんそういう形で就職して、若いうちはまだそれでもいろいろ仕事を楽しめるということがあるかもしれませんが、やがてその人たちが結婚する世代になる、そうすると、今の所得ではとても結婚できないということで、結婚をあきらめざるを得ない。あるいは、より高いレベルの仕事につきたいと思っても、自分の能力を高める手段が自己責任だとすれば、その自己責任の中でそういう訓練を得られる場もないし、またそういう時間もない。結局、フリーターというままでずっと甘んじざるを得ない。こうなると、これは格差の固定化という問題になってくると思います。
今、九〇年代半ば以降、そうしたフリーターがふえてきた中で、そういう長期にフリーター生活をしている人たちが次のステップアップする機会がないことが問題ではないかという指摘がされておりまして、私もこれは大変重要な問題だと思っています。正社員であれば企業内で人材を育成する仕組みがあります。しかし、非典型雇用の方については、企業の中で能力を開発し、教育訓練するという仕組みは整っていないわけでありまして、これはやはり外部で、あるいは公共政策としてそういう部分をやる。そのことが格差の固定化を防ぐことであって、そのために必要な財政出動はすべきだ、つまり、人に対する投資の重要性ということを私は強調したいと思います。
大
大串博志#28
○大串委員 ありがとうございます。
今おっしゃいましたように、確かに、フリーター、非正規雇用者、若年層の中での格差、そしてその中で適切な職業訓練やスキルの獲得がなかなかなされないということにおいて、現実に今非常に大変な思いをしていらっしゃる方々、そして将来の格差の拡大に非常に心配をされている方々、それが非常に多いんだと思います。今おっしゃったように、その中で政府が重要な役割を果たしていく、特に雇用教育の面や、それ以外の一般的な教育の面でも果たしていく役割があるんだという点については、そのとおりだと思いますので、その点についてはまた後ほど少し話をさせていただくことにします。
もう一つ逢見公述人にお尋ねできればと思うんですけれども、先ほどのお話の中で、格差拡大の背景の一つとして、企業の行動の変化があるんだというお話をいただきました。アメリカ流の短期利益追求主義に走り過ぎたがゆえに、例えば、人を育て、人を活用していくというような視点をもってして企業経営をしなくなったのではないか。あるいは、雇用ポートフォリオというふうな言葉をお使いになりましたけれども、雇用の部分に異常に無理を強いて企業の利益を上げていこうとしているところがあるんじゃないかというふうなお話がありました。
一方、日本経済の現状、先ほど植野公述人からもお話がありましたけれども、戦後の日本の経済の成長過程を見ておりますと、オイルショック前後、それからバブル経済と言ってもいいでしょうか、バブル経済が終わるころまでのところ、ある程度のコンセンサスはあるんだと思いますけれども、潜在的な経済成長率が非常に高かった時代というのがあったんだと思います。
そういう中での企業経営というのが一つあって、そしてバブルが崩壊して以降、いわゆる人口もそう伸びなくなる社会に入ってきて、かつ、もう一つ、経済成長の一つの淵源たる資本の深化みたいなものも、戦後の時代が終わるとともに、その部分で伸びていくというのもなかなかなくなってきて、あとは技術進化でどう伸びていくか、そういう世界になっていく、潜在成長率が非常に低くなった時代に入ってきているんじゃないかというふうに思われます。
そういう中での企業経営というのは大変難しくなってきているんだろうというふうに思うわけです。非常に効率的に、人材も含めて資源を使っていかなければならないというふうな企業経営が求められてくる。そういう中で、企業の中のいろいろなインセンティブシステムをきちっと働かせて、収益をどう上げているかということをきっちり管理していかなければならなくなるような時代におのずと入ってきているのではないか。しかもそれは、全体の経済の活力を維持するためにはそういう面も、企業の中で一生懸命頑張ってもらうという点も、やはりどうしても経済の構造の変化とともに起こってきているんじゃないかというふうに思うわけです。
一方で、先ほどお話のありましたように、過度にそれが一部のところにツケが回るようなことがあってはいけない。先ほど、雇用形態ごとに非常に待遇が違うんだという点の指摘がございました。一方が非正規で一方が正規だったら、同じような仕事をしていても取り扱いが全く違うんだ、そこで非常に不平等を感じていらっしゃる方々が日本の中では非常に多いんだというふうな御説明もありました。
そういうふうに、企業の中でも効率を求め、収益を上げていくという動きが必然的になってきている時代にはあると思うんです。それはある程度、日本の中でも起こっていかざるを得ない。それと、先ほど申されたような企業の雇用慣行等も含めて、どこか弱いところに非合理的な力をかけて、圧力をかけて、どこかに苦しみのしわを寄せるようなことがあってはならないんじゃないかというふうに思われるんですけれども、そこをどういうふうに企業経営として調和させていくのかというところが、非常に悩ましいところがあると思うんです。その辺については御所見はございますでしょうか。
この発言だけを見る →今おっしゃいましたように、確かに、フリーター、非正規雇用者、若年層の中での格差、そしてその中で適切な職業訓練やスキルの獲得がなかなかなされないということにおいて、現実に今非常に大変な思いをしていらっしゃる方々、そして将来の格差の拡大に非常に心配をされている方々、それが非常に多いんだと思います。今おっしゃったように、その中で政府が重要な役割を果たしていく、特に雇用教育の面や、それ以外の一般的な教育の面でも果たしていく役割があるんだという点については、そのとおりだと思いますので、その点についてはまた後ほど少し話をさせていただくことにします。
もう一つ逢見公述人にお尋ねできればと思うんですけれども、先ほどのお話の中で、格差拡大の背景の一つとして、企業の行動の変化があるんだというお話をいただきました。アメリカ流の短期利益追求主義に走り過ぎたがゆえに、例えば、人を育て、人を活用していくというような視点をもってして企業経営をしなくなったのではないか。あるいは、雇用ポートフォリオというふうな言葉をお使いになりましたけれども、雇用の部分に異常に無理を強いて企業の利益を上げていこうとしているところがあるんじゃないかというふうなお話がありました。
一方、日本経済の現状、先ほど植野公述人からもお話がありましたけれども、戦後の日本の経済の成長過程を見ておりますと、オイルショック前後、それからバブル経済と言ってもいいでしょうか、バブル経済が終わるころまでのところ、ある程度のコンセンサスはあるんだと思いますけれども、潜在的な経済成長率が非常に高かった時代というのがあったんだと思います。
そういう中での企業経営というのが一つあって、そしてバブルが崩壊して以降、いわゆる人口もそう伸びなくなる社会に入ってきて、かつ、もう一つ、経済成長の一つの淵源たる資本の深化みたいなものも、戦後の時代が終わるとともに、その部分で伸びていくというのもなかなかなくなってきて、あとは技術進化でどう伸びていくか、そういう世界になっていく、潜在成長率が非常に低くなった時代に入ってきているんじゃないかというふうに思われます。
そういう中での企業経営というのは大変難しくなってきているんだろうというふうに思うわけです。非常に効率的に、人材も含めて資源を使っていかなければならないというふうな企業経営が求められてくる。そういう中で、企業の中のいろいろなインセンティブシステムをきちっと働かせて、収益をどう上げているかということをきっちり管理していかなければならなくなるような時代におのずと入ってきているのではないか。しかもそれは、全体の経済の活力を維持するためにはそういう面も、企業の中で一生懸命頑張ってもらうという点も、やはりどうしても経済の構造の変化とともに起こってきているんじゃないかというふうに思うわけです。
一方で、先ほどお話のありましたように、過度にそれが一部のところにツケが回るようなことがあってはいけない。先ほど、雇用形態ごとに非常に待遇が違うんだという点の指摘がございました。一方が非正規で一方が正規だったら、同じような仕事をしていても取り扱いが全く違うんだ、そこで非常に不平等を感じていらっしゃる方々が日本の中では非常に多いんだというふうな御説明もありました。
そういうふうに、企業の中でも効率を求め、収益を上げていくという動きが必然的になってきている時代にはあると思うんです。それはある程度、日本の中でも起こっていかざるを得ない。それと、先ほど申されたような企業の雇用慣行等も含めて、どこか弱いところに非合理的な力をかけて、圧力をかけて、どこかに苦しみのしわを寄せるようなことがあってはならないんじゃないかというふうに思われるんですけれども、そこをどういうふうに企業経営として調和させていくのかというところが、非常に悩ましいところがあると思うんです。その辺については御所見はございますでしょうか。
逢
逢見直人#29
○逢見公述人 九〇年代のバブル崩壊以降、グローバル競争と厳しいコスト削減競争の中で、企業が生き残りをかけて戦略を立てなければならなかった、これは事実としてあると思います。
ただ、私は、競争には二つあると思っております。一つは、持続可能性ということを考えながら、そしてその中で人とかいろいろな資源配分のバランスを考えながら、長期的視野を忘れずに、しかし、もちろん企業ですから利益を追求していかなきゃいけません。そういう競争ルールの中でやっていく競争と、それからもう一つは、コスト削減のためにはそのほかの部分は無視していいんだ、安全も無視していいんだ、そして人件費を削減するということの手段は選ぶ必要がないんだという形でいく。これは奈落の底に向かっていく競争であって、その結末のどちらがいいかということは明らかだと思います。そういう意味で、市場競争の厳しさはありますけれども、そこに当然守らなきゃいけないルールというのがあって、それをつくることが政府の役割だというふうに思っております。
そういう点でいうと、私が懸念するのは、今、そうした奈落の底に向かっていく競争になりはしないかと。そのことに対して、やはり経営者の中にも問題意識を持つ人たちが出てきていると思います。ことしの日本経団連の経営労働委員会報告、通称経労委報告と呼んでおりますけれども、そこで、日本的経営をもう一回見直そうということが言われております。
今までの経営パラダイムの変化といった中で、もう日本的経営の時代は終わって、アメリカ型のルールに向かっていかなきゃいけないんだということが議論の主流になった時期もありますけれども、そこで起こってきた問題は現場力の低下ということであって、いろいろな大事故が起きた中で、職場できちんとした技能の伝承、技術の継承ということが人を通じて行われていないのではないかということが問題視された。
それから、短期的な利益追求の中で成果主義賃金ということが言われましたけれども、この成果主義というのは、端的に言いますと、頑張った人にはたくさん払います、しかし、普通の人や頑張らなかった人についてはそこそこか、あるいは、頑張らなかった人は下がりますという賃金制度なわけですね。
頑張った人には報いるという賃金システムにしたことによって、実は、大部分は普通の人なんです。黙々と、きちんとした仕事をこなしていく、チームプレーの中で決して自分が目立ったことをしないで、きちんとその仕事が行われていくことを誇りにしている、そういう人たちによって実は日本の職場集団というのは守られているわけですが、成果主義になると、そういう普通の人たちが日の当たるところに行かない、どうも目立つ人だけが成果をかすめ取ってしまうということがあって、そこで経労委報告では、ことしは普通の人がちゃんと報われる賃金制度にしなければいけないんじゃないかという提起が出て、これもまさに的を射た問題指摘だと思っております。そういう意味で、経営者サイドの中でも心ある人たちは、今までのようなものではなくて、もう一度日本の強さを見直して、そういう経営をしていくべきだというところに立ち返っているわけです。
私は、雇用の多様化そのものは否定しませんが、しかし、それが格差の拡大や固定化につながるような処遇ではなくて、働きに応じて適正に公正に配分できる仕組みというものをつくっていく、そして政府に対しては、人への投資ということについて、それは長期的に考えれば日本の国力、活力を高めることにつながるということを申し上げておきたいと思います。
この発言だけを見る →ただ、私は、競争には二つあると思っております。一つは、持続可能性ということを考えながら、そしてその中で人とかいろいろな資源配分のバランスを考えながら、長期的視野を忘れずに、しかし、もちろん企業ですから利益を追求していかなきゃいけません。そういう競争ルールの中でやっていく競争と、それからもう一つは、コスト削減のためにはそのほかの部分は無視していいんだ、安全も無視していいんだ、そして人件費を削減するということの手段は選ぶ必要がないんだという形でいく。これは奈落の底に向かっていく競争であって、その結末のどちらがいいかということは明らかだと思います。そういう意味で、市場競争の厳しさはありますけれども、そこに当然守らなきゃいけないルールというのがあって、それをつくることが政府の役割だというふうに思っております。
そういう点でいうと、私が懸念するのは、今、そうした奈落の底に向かっていく競争になりはしないかと。そのことに対して、やはり経営者の中にも問題意識を持つ人たちが出てきていると思います。ことしの日本経団連の経営労働委員会報告、通称経労委報告と呼んでおりますけれども、そこで、日本的経営をもう一回見直そうということが言われております。
今までの経営パラダイムの変化といった中で、もう日本的経営の時代は終わって、アメリカ型のルールに向かっていかなきゃいけないんだということが議論の主流になった時期もありますけれども、そこで起こってきた問題は現場力の低下ということであって、いろいろな大事故が起きた中で、職場できちんとした技能の伝承、技術の継承ということが人を通じて行われていないのではないかということが問題視された。
それから、短期的な利益追求の中で成果主義賃金ということが言われましたけれども、この成果主義というのは、端的に言いますと、頑張った人にはたくさん払います、しかし、普通の人や頑張らなかった人についてはそこそこか、あるいは、頑張らなかった人は下がりますという賃金制度なわけですね。
頑張った人には報いるという賃金システムにしたことによって、実は、大部分は普通の人なんです。黙々と、きちんとした仕事をこなしていく、チームプレーの中で決して自分が目立ったことをしないで、きちんとその仕事が行われていくことを誇りにしている、そういう人たちによって実は日本の職場集団というのは守られているわけですが、成果主義になると、そういう普通の人たちが日の当たるところに行かない、どうも目立つ人だけが成果をかすめ取ってしまうということがあって、そこで経労委報告では、ことしは普通の人がちゃんと報われる賃金制度にしなければいけないんじゃないかという提起が出て、これもまさに的を射た問題指摘だと思っております。そういう意味で、経営者サイドの中でも心ある人たちは、今までのようなものではなくて、もう一度日本の強さを見直して、そういう経営をしていくべきだというところに立ち返っているわけです。
私は、雇用の多様化そのものは否定しませんが、しかし、それが格差の拡大や固定化につながるような処遇ではなくて、働きに応じて適正に公正に配分できる仕組みというものをつくっていく、そして政府に対しては、人への投資ということについて、それは長期的に考えれば日本の国力、活力を高めることにつながるということを申し上げておきたいと思います。