社会労働委員会
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会
会議録情報#0
昭和三十四年八月十日(月曜日)
午前十時三十九分開会
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出席者は左の通り。
委員長 加藤 武徳君
理事
高野 一夫君
吉武 恵市君
阿具根 登君
木下 友敬君
委員
鹿島 俊雄君
勝俣 稔君
紅露 みつ君
谷口弥三郎君
徳永 正利君
山本 杉君
片岡 文重君
小柳 勇君
坂本 昭君
藤田藤太郎君
村尾 重雄君
常岡 一郎君
国務大臣
厚 生 大 臣 渡邊 良夫君
事務局側
常任委員会専門
員 増本 甲吉君
説明員
警察庁警備局長 江口 俊男君
厚生省公衆衛生
局長 尾村 偉久君
厚生省医務局長 川上 六馬君
厚生省社会局長 高田 正巳君
厚生省引揚援護
局長 河野 鎮雄君
海上保安庁長官 林 坦君
参考人
日本赤十字社副
社長 葛西 嘉資君
日本赤十字社臨
時帰還業務中央
対策本部総務部
長 小沢 辰男君
—————————————
本日の会議に付した案件
○社会保障制度に関する調査の件
(在日朝鮮人帰還問題に関する件)
(埴生療養所問題に関する件)
(小児麻痺多発に伴う措置に関する
件)
(拓洋丸問題に関する件)
○派遣委員の報告
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この発言だけを見る →午前十時三十九分開会
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出席者は左の通り。
委員長 加藤 武徳君
理事
高野 一夫君
吉武 恵市君
阿具根 登君
木下 友敬君
委員
鹿島 俊雄君
勝俣 稔君
紅露 みつ君
谷口弥三郎君
徳永 正利君
山本 杉君
片岡 文重君
小柳 勇君
坂本 昭君
藤田藤太郎君
村尾 重雄君
常岡 一郎君
国務大臣
厚 生 大 臣 渡邊 良夫君
事務局側
常任委員会専門
員 増本 甲吉君
説明員
警察庁警備局長 江口 俊男君
厚生省公衆衛生
局長 尾村 偉久君
厚生省医務局長 川上 六馬君
厚生省社会局長 高田 正巳君
厚生省引揚援護
局長 河野 鎮雄君
海上保安庁長官 林 坦君
参考人
日本赤十字社副
社長 葛西 嘉資君
日本赤十字社臨
時帰還業務中央
対策本部総務部
長 小沢 辰男君
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本日の会議に付した案件
○社会保障制度に関する調査の件
(在日朝鮮人帰還問題に関する件)
(埴生療養所問題に関する件)
(小児麻痺多発に伴う措置に関する
件)
(拓洋丸問題に関する件)
○派遣委員の報告
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加
加藤武徳#1
○委員長(加藤武徳君) それではただいまから社会労働委員会を開会いたします。
社会保障制度に関する調査の一環として、在日朝鮮人帰還問題に関する件を議題といたします。
本件に関し、日本赤十字社副社長葛西嘉資君及び日本赤十字社臨時帰還業務中央対策本部総務部長小沢辰男君を参考人として御出席を願い、経過等について御説明を願うことにいたしております。参考人の方にはお忙しいところをありがとうございました。それでは葛西参考人の御説明をお願いいたします。
この発言だけを見る →社会保障制度に関する調査の一環として、在日朝鮮人帰還問題に関する件を議題といたします。
本件に関し、日本赤十字社副社長葛西嘉資君及び日本赤十字社臨時帰還業務中央対策本部総務部長小沢辰男君を参考人として御出席を願い、経過等について御説明を願うことにいたしております。参考人の方にはお忙しいところをありがとうございました。それでは葛西参考人の御説明をお願いいたします。
葛
葛西嘉資#2
○参考人(葛西嘉資君) ただいま私が今日までのことをお話し申し上げるようにというお話でございましたが、もう参議院の皆様方大体御存じでございますので、あまりこまかくは申しませんで、骨組みのような点だけ申し上げて、あとは御質問に応じてお答えさしていただくことにさしていただいたらと思います。
この問題、御承知のように、終戦直後から日本におりました朝鮮人は、帰還を希望する者は大部分、もうすでに百三、四十万、終戦の直後本国に帰っておったのであります。日本に六十万前後残っておりました者は皆本人の意思で残るということになっておって、十何年このままの状態で来ておったのは御承知の通りでございます。ところが、ちょうどこの問題が、日本におる朝鮮人で北鮮に帰りたい者を帰すという、いわゆる北鮮帰還問題が起りましたのは、私の承知するところでは、昭和三十一年の初めに、北鮮におる日本人の帰還に関して私ども日本赤十字の代表として平壌に参って日本人の引き揚げ交渉をしたときに始まったと思います。このときに日本人を帰すという協定をする、これはもう非常に簡単なことであったのでありますが、当時北鮮側としては、日本人を帰すかわりに、日本におる北鮮に帰りたい者がだいぶあるから、これを帰してもらいたい、こう言い出したのが初めでございます。ところが、なかなかこの問題解決、御承知のように、できなかったのでございまするが、初めから私ども並びに伺うところによると、政府もそういう御意見であったようでありますが、この問題は非常にデリケートであり、ことにまた、航海の安全というふうな点から考えても、どうしても赤十字国際委員会に介入してもらう必要があるというのがその当時からの考え方であったと思います。そんなことで私ども国際委員会に頼んだわけでございます。
日本人を迎えると同時に、昭和三十一年の五月だと思いますが、国際委員会の代表であるミッチェル、ドゥヴックという二人の人がこの調査のために来てくれました。中共、北鮮、南鮮、東京というふうな各地でいろいろ調査をして帰った。このときにはもちろん大村収容所並びに釜山の収容所の問題も一緒に調べてこれに対する勧告のあったことは御承知の通りでありますが、そんなにして彼らは帰る。帰るとすぐに彼らは国際委員会の首脳部に報告をして、赤十字国際委員会としては、同年八月だったと記憶いたしますが、ジュネーブで国際委員会が主催をするから、日本と南北両朝鮮、三赤十字のこれらの問題についての会談をしたいということを提唱いたしました。当時日本はもう直ちにこれに応じます、それから北朝鮮の方の赤十字も応じます、ただ南鮮の赤十字だけは、その必要なしということでその会談がだめになったいきさつがございます。そんなことであったのでありますが、その後日本としまして、日韓会談が進行中であったりなんかいたしますし、昨年あたりまでそのままの状態できたというのが事実のようでございます。
昨年の秋ころだったと思いますが、北鮮の方から、実は、日本におる朝鮮人帰ってこい、自分の方はこれを受け入れる万般の準備を整えている。しかもこのとき新しいことは、配船は自分の方でやるということを言ったようであります。そんなことから、昨年の秋あたりから、日本におる在日朝鮮人で帰還を希望する者などがワイワイ言ったというのは皆さん御承知の通りでございます。そんなようなことがあったと思いますが、御承知のように、本年の二月十三日に、政府は北鮮帰還問題を閣議で御決定になりまして、そうしてその交渉を日本赤十字に御依頼になったのでございます。そこで私ども、井上外事部長は二月の下旬でありますが、私は三月の十日ころから向うへ行きまして、北鮮の方も当初はジュネーブに行くことを反対しておったのでありますが、四月の八日に、ジュネーブに向うの代表も参りまして、四月十三日からずっと、新聞で御承知のように、十八回ばかり、ずいぶん長い会談をいたしておって、六月の二十四日に大体私どもと北鮮との間では帰還に関する協定に大体同意を見て、サインをするばかりになっておったのでございます。ところが、その後話し合いをした結果、この十三日にインドのカルカッタで調印をしようということに話がまとまりまして、明後日私も行ってこいということで、向うに調印のために行こうかというようなことに相なっておるわけでございます。
で、交渉の中で非常に問題になりました点、大きな点から申しますと、一番最初に、とにかくジュネーブで会談をするのだということ、これは非常に大きな点であったのでありますが、とうとう向うでも出てきたということで、これは事実で解決したわけでございます。それから国際委員会の建物の中で十八回やったのでありますが、国際委員会の建物の中でやったということに私は非常に意味があるような気がいたします。十八回ともこれは国際委員会が建物を貸してくれまして、その一室でやった。もちろん公的な会談のほかに私的な打ち合せもいろいろいたしました。これはお互いに、向うが私どものホテルにたずねるとか、あるいはこちらから向うのホテルへたずねるというようなことで、おそらく、数は数えてみたことはございませんが、十八回の倍くらいは接触をしておったというふうに思います。
そんなことで、会談の場所等については日本側の言い分といいますか、これがある程度通ったというように私は思います。
それから、閣議の大体今度の北鮮帰還問題についての一つの大きな柱というものは、私どもの承知するところでは、本日は伊関アジア局長並びに河野引揚援護局長がおりますから、政府の方で間違っておりましたら訂正していただきたいと思いますが、私どもの承知いたしておりますところでは、この今回の帰国というのが、在日朝鮮人個人々々の自由意思でその行く先をきめるという点が非常に大事な点でございます。御承知のように、日本におる朝鮮人の地位等についてはまだきまっておらぬので、非常に複雑になっておるわけでありまして、こういう場合に国際通念並びに赤十字の決議あるいはまた人権宣言等によれば、本人の自由意志で居住地を選択するのだ、居住地選択の自由というものは、これは人間の基本的な人権なんだ。だからその北鮮へ帰りたいというのはその自由意思によってきめるのだという点でございます。従って、私どもとしましては、この意思にもし間違いがあっちゃ困るのだから、この意思というものは非常に大事にせにゃならぬ。それをまあ私どもは初め意思の確認ということを言っておったのでございますが、北鮮側の方は意思確認は人権の侵害であるから絶対反対だといってジュネーブへ乗り込んで参りました。この意思確認問題というものについての話し合いというのが、会談にして四回くらいかかったと思いますが、やったのでございます。非常に、私の受けた印象でございますが、北鮮側もどうも日本を信頼できないというような態度であったように思います。私どもの方もまあ何を言い出すか、ああは言っているけれども、その裏に何があるかわからぬというようなことでお互いに警戒して話をする。従って、話すことは初めのうちはきわめて抽象的なことをお互いに話し合うというようなことでございます。それを一回会談をやり、二回会談をやり、三回目ぐらいになって、大体向うが何を考えているのだというようなことがぼやっとわかってくるというようなことでございます。一体私の理解するところによると、向うが意思確認絶対反対と言っておったのは、今言ったように朝鮮人の日本における地位というものが非常にデリケートであり、しかも複雑なのだから、自由意思帰国でやるのだという点については、これはもう向うも異議がなかったわけです。ただ、意思の確認という名目のもとに日本側において朝鮮人のいろいろなことを調べられては困るというのがどうも意思確認反対と言っておった理由のように私は見受けました。たとえて申しますと、この在日朝鮮人は過去において共産運動をしたとか、あるいは特定の団体へ属しておったとか、あるいはどろぼうをして前科があるとか、あるいは密入国を何べんやったとか、そういうふうな過去の、言葉は悪うございますが、古傷を洗うというようなことは一切しない。ただ本人の意思だけは、これは帰還についての基本的なものなんだから、これはどうしても日本としてはやらざるを得ない。これができなければもう問題にならぬ。また、日本には帰還を阻止する勢力もあるわけだ。そういうふうなものを納得させることができない。だから意思の確認ということだけはどうしても必要なのだ、ということを言ったところが、わかりました、意思確認がそういう意味ならばいい、ということを第四回の会議だったと思いますが言ったのでございます。それで意思確認問題というのはそんなことで終って、最後まで自由意思帰国だという点については両者はほとんど争いはない、こういうふうに思います。それから閣議でありました第二の大事な点というのは、赤十字国際委員会の介入の点でございます。これも、私ども理解するところでは、国際委員会の介入なしでは北鮮帰還はやらないのだということを明瞭に向うに申しておったのであります。ところが、向うの方は、国際委員会の介入の必要はない。現にあなた方が北鮮におる日本人を連れて帰るときに国際委員会が介入しましたか。これは日本と北鮮の両赤十字が話し合いをしてそれで帰っておった。その必要を認めない、というのが彼らの態度でございました。一体、この問題というのは、二つの赤十字でやればそれでいいので、何のために国際委員会を介入するか、それがわからぬ、こういうふうな主張でありました。私の感じたところをもってしますと、どうも北鮮の連中は、もし国際委員会なんかに介入されるというと、何を言い出されるかわからない。ことに、まあこれは言葉は悪うございますが、国際委員会が公正だ公正だと日本は言うけれども、ほんとうに公正か、どうも彼らは日本びいきに違いないと、こう思っておったんだろうと思うのでございます。だから、うっかり入れちゃうと二者が三者になっちゃって、国際委員会と日本と組んで北鮮を何とかされやせぬかというような感じがあったんじゃないかと思うわけでございます。そういうふうなことでありましたが、そんなことはないのだ、ほんとうに公正なのだということを話すと同時に、日本としてはこれなしじゃ絶対できないのだ、これが生命線だと私ども言ったわけでございますが、向うも盛んに生命線ということを言い出した。それが、第六回の正式会談だったと思いますが、国際委員会の介入に賛成しますということを向うが言い出しました。しかし、それには限度がある。それは、日本は国際委員会にいろいろやってもらおうというふうに考えているけれども、自分らが言うのは、日本は介入が生命線だと言うからそれじゃ認める。認めるけれども、私どもは何もそう深入りをしてもらう必要はない。実務に関与してもらっちゃ困る。帰還の実務に関与することなく、国際委員会はわきにおって、観察者として、オブザーバーとしてやるということならば自分の方は異議はないと言ったのが第六回の正式会談だったと思います。そこで、自来そのあとは、今度国際委員会の介入の程度について日本側と北鮮側との間でいろいろ議論があったのは、もう御承知の通りでございます。日本の方は国際委員会というものにある程度やってもらいたい、あるいは国際委員会の管理のもとにこの帰還業務をやるんだ、あるいは国際委員会の指導のもとにこれをやるんだ、あるいは、もしこの意思確認が、これは非常に大事なんだが、そういうふうな意思確認について若干の苦情が出たような場合においては、その苦情は最終的には国際委員会に下してもらう、日本はそれに従ってやるということにしてもらわなきゃ困るというようなことであったのでございますが、これは、向うの方は、どうしてもそれは困る、二者会談だけだ、日本がその代り国際委員会に私どもの北鮮側の言うようにやってもらうのならばその限度は異議がないと、まあこういうふうなことでやっておったのでございます。で、そうやっておったのですが、結局は日本側としてはそれじゃというようなことで、大体こういうことになりました。今度の帰国というのは自由意思による帰国で人道上の措置なんだ。人道上の措置をいろいろ日本がとる場合に、これは人間のやることだから間違いがあるかもしれぬ。そういうような間違いがあっちゃいかぬから、その間違いを確保するために、日本は国際委員会に対して適当な措置をとってもらうように依頼する。国際委員会からこっちへ言うてもらう。そうしてその措置とは何ぞといえば、三つのことがあるわけでございますが、その第一は、今度の帰還というのは朝鮮人の自由意思で帰すというのだから、その自由意思で帰すための組織、言葉をかえて申しますと、集団帰国でたくさん帰るのでございますから、それを登録せんならぬ。登録の組織をどういうふうにするかということを日本がきめて国際委員会にアドヴァイスをしてもらう、助言をしてもらうということ、これが一つでございます。登録機構の組織について国際委員会から助言しもらうことを赤十字が依頼する。それから第二は、そうしてできた登録機構の運営についていいか悪いかを一つ確かめてもらう。組織は助言によってできて、なるほどこれならば、人道上正しいということはできるかもしれぬけれども、それを運営するについていいか悪いか見てもらってそれを確かめてもらうというのが第二でございます。第三は、それを確かめた結果、もし必要ありと認めれば、国際委員会は日本の赤十字に対して助言を与えてくれる、アドヴァイスを与えてくれる。そのアドヴァイスを与えてもらって日本はそれに従えばいい。そういうふうな三つのことを日本の方から国際赤十字委員会に頼む。この限度ならば異議がない。こういうことに話がまとまったのでございます。さらに、今度の帰還について、日本でこのことが人道的に正しいことであり、ことにまた、意思の確保に欠けるところがない、こうやってやるんだということを国際委員会の代表に日本に来てもらってそれをラジオを通じて一般に周知させる、ラジオを通じて放送するという点を日本が依頼する。これも異議がない。まあ大体それだけのことを国際委員会に依頼する。国際委員会の方が日本から頼んだこれこれの事項を引き受けてやると言ってもらえばこれが動き出す。それがない限りはこの帰還業務は動き出さない、というのが大体の協定でございます。あとの協定の内容は、皆さん新聞でも出ておりまして御承知の通り、あるいはまた、中共、ソ連等ののと同じように、日本の新潟港が今度出港地になりますが、新潟港までの間の一切の措置というふうなものはある一定の限度の制限はありますけれども、日本側においてこれを処置してやる。それから船場まで朝鮮の代表が乗ってきますから、その北鮮の代表にそれを渡しますというと、もうそれから先は北鮮での定着地までの措置というものは北鮮側でやるんだ、こういうことをはっきり書いてございます。で、協定は、さっき申しましたように、六月の二十四日、ジュネーブにおいて起草委員会の仮調印をいたしましてできておったのでございますが、御承知のようないきさつで調印だけができずにおるというふうなことであったのでございますが、ようやくこの話ができまして、十三日に調印というふうにきまりましたのは、先ほども申し上げた通りでございます。それで、まあそれだけのことに一体なぜこんなに時間がかかったのかと皆さん御疑問をお持ちになるかもしれませんが、別に遊んでおったわけではございませんが、何と申しますか、まあお互いが信頼が非常に薄い。従って、言うときに非常に遠くの方からものを言ってだんだん具体化していかなきゃならぬ。こういうようなことで、さっきも申しましたように、今度の会談についての山というものは、大きい山が二つ三つございます。それで、その山の中にさらに小山があるわけですが、その一つ一つの山を越えるのに、やっぱり今言ったように抽象論をやり、向うが何を考えているということをお互いがだんだんに理解する。まあそんなことで妥結の道が自然に見つけられるというようなことで、大きい山二つ、小さい山になると五つ六つを越えるのに、一つずつ手間がかかったというのが、まあ長くかかった理由ではないか、こう思うわけであります。はなはだ雑然としたことを申し上げましたが、一応私の説明を終りまして、御質問がございましたらば、御質問によってお答えをさしていただきたい、かように考えます。
この発言だけを見る →この問題、御承知のように、終戦直後から日本におりました朝鮮人は、帰還を希望する者は大部分、もうすでに百三、四十万、終戦の直後本国に帰っておったのであります。日本に六十万前後残っておりました者は皆本人の意思で残るということになっておって、十何年このままの状態で来ておったのは御承知の通りでございます。ところが、ちょうどこの問題が、日本におる朝鮮人で北鮮に帰りたい者を帰すという、いわゆる北鮮帰還問題が起りましたのは、私の承知するところでは、昭和三十一年の初めに、北鮮におる日本人の帰還に関して私ども日本赤十字の代表として平壌に参って日本人の引き揚げ交渉をしたときに始まったと思います。このときに日本人を帰すという協定をする、これはもう非常に簡単なことであったのでありますが、当時北鮮側としては、日本人を帰すかわりに、日本におる北鮮に帰りたい者がだいぶあるから、これを帰してもらいたい、こう言い出したのが初めでございます。ところが、なかなかこの問題解決、御承知のように、できなかったのでございまするが、初めから私ども並びに伺うところによると、政府もそういう御意見であったようでありますが、この問題は非常にデリケートであり、ことにまた、航海の安全というふうな点から考えても、どうしても赤十字国際委員会に介入してもらう必要があるというのがその当時からの考え方であったと思います。そんなことで私ども国際委員会に頼んだわけでございます。
日本人を迎えると同時に、昭和三十一年の五月だと思いますが、国際委員会の代表であるミッチェル、ドゥヴックという二人の人がこの調査のために来てくれました。中共、北鮮、南鮮、東京というふうな各地でいろいろ調査をして帰った。このときにはもちろん大村収容所並びに釜山の収容所の問題も一緒に調べてこれに対する勧告のあったことは御承知の通りでありますが、そんなにして彼らは帰る。帰るとすぐに彼らは国際委員会の首脳部に報告をして、赤十字国際委員会としては、同年八月だったと記憶いたしますが、ジュネーブで国際委員会が主催をするから、日本と南北両朝鮮、三赤十字のこれらの問題についての会談をしたいということを提唱いたしました。当時日本はもう直ちにこれに応じます、それから北朝鮮の方の赤十字も応じます、ただ南鮮の赤十字だけは、その必要なしということでその会談がだめになったいきさつがございます。そんなことであったのでありますが、その後日本としまして、日韓会談が進行中であったりなんかいたしますし、昨年あたりまでそのままの状態できたというのが事実のようでございます。
昨年の秋ころだったと思いますが、北鮮の方から、実は、日本におる朝鮮人帰ってこい、自分の方はこれを受け入れる万般の準備を整えている。しかもこのとき新しいことは、配船は自分の方でやるということを言ったようであります。そんなことから、昨年の秋あたりから、日本におる在日朝鮮人で帰還を希望する者などがワイワイ言ったというのは皆さん御承知の通りでございます。そんなようなことがあったと思いますが、御承知のように、本年の二月十三日に、政府は北鮮帰還問題を閣議で御決定になりまして、そうしてその交渉を日本赤十字に御依頼になったのでございます。そこで私ども、井上外事部長は二月の下旬でありますが、私は三月の十日ころから向うへ行きまして、北鮮の方も当初はジュネーブに行くことを反対しておったのでありますが、四月の八日に、ジュネーブに向うの代表も参りまして、四月十三日からずっと、新聞で御承知のように、十八回ばかり、ずいぶん長い会談をいたしておって、六月の二十四日に大体私どもと北鮮との間では帰還に関する協定に大体同意を見て、サインをするばかりになっておったのでございます。ところが、その後話し合いをした結果、この十三日にインドのカルカッタで調印をしようということに話がまとまりまして、明後日私も行ってこいということで、向うに調印のために行こうかというようなことに相なっておるわけでございます。
で、交渉の中で非常に問題になりました点、大きな点から申しますと、一番最初に、とにかくジュネーブで会談をするのだということ、これは非常に大きな点であったのでありますが、とうとう向うでも出てきたということで、これは事実で解決したわけでございます。それから国際委員会の建物の中で十八回やったのでありますが、国際委員会の建物の中でやったということに私は非常に意味があるような気がいたします。十八回ともこれは国際委員会が建物を貸してくれまして、その一室でやった。もちろん公的な会談のほかに私的な打ち合せもいろいろいたしました。これはお互いに、向うが私どものホテルにたずねるとか、あるいはこちらから向うのホテルへたずねるというようなことで、おそらく、数は数えてみたことはございませんが、十八回の倍くらいは接触をしておったというふうに思います。
そんなことで、会談の場所等については日本側の言い分といいますか、これがある程度通ったというように私は思います。
それから、閣議の大体今度の北鮮帰還問題についての一つの大きな柱というものは、私どもの承知するところでは、本日は伊関アジア局長並びに河野引揚援護局長がおりますから、政府の方で間違っておりましたら訂正していただきたいと思いますが、私どもの承知いたしておりますところでは、この今回の帰国というのが、在日朝鮮人個人々々の自由意思でその行く先をきめるという点が非常に大事な点でございます。御承知のように、日本におる朝鮮人の地位等についてはまだきまっておらぬので、非常に複雑になっておるわけでありまして、こういう場合に国際通念並びに赤十字の決議あるいはまた人権宣言等によれば、本人の自由意志で居住地を選択するのだ、居住地選択の自由というものは、これは人間の基本的な人権なんだ。だからその北鮮へ帰りたいというのはその自由意思によってきめるのだという点でございます。従って、私どもとしましては、この意思にもし間違いがあっちゃ困るのだから、この意思というものは非常に大事にせにゃならぬ。それをまあ私どもは初め意思の確認ということを言っておったのでございますが、北鮮側の方は意思確認は人権の侵害であるから絶対反対だといってジュネーブへ乗り込んで参りました。この意思確認問題というものについての話し合いというのが、会談にして四回くらいかかったと思いますが、やったのでございます。非常に、私の受けた印象でございますが、北鮮側もどうも日本を信頼できないというような態度であったように思います。私どもの方もまあ何を言い出すか、ああは言っているけれども、その裏に何があるかわからぬというようなことでお互いに警戒して話をする。従って、話すことは初めのうちはきわめて抽象的なことをお互いに話し合うというようなことでございます。それを一回会談をやり、二回会談をやり、三回目ぐらいになって、大体向うが何を考えているのだというようなことがぼやっとわかってくるというようなことでございます。一体私の理解するところによると、向うが意思確認絶対反対と言っておったのは、今言ったように朝鮮人の日本における地位というものが非常にデリケートであり、しかも複雑なのだから、自由意思帰国でやるのだという点については、これはもう向うも異議がなかったわけです。ただ、意思の確認という名目のもとに日本側において朝鮮人のいろいろなことを調べられては困るというのがどうも意思確認反対と言っておった理由のように私は見受けました。たとえて申しますと、この在日朝鮮人は過去において共産運動をしたとか、あるいは特定の団体へ属しておったとか、あるいはどろぼうをして前科があるとか、あるいは密入国を何べんやったとか、そういうふうな過去の、言葉は悪うございますが、古傷を洗うというようなことは一切しない。ただ本人の意思だけは、これは帰還についての基本的なものなんだから、これはどうしても日本としてはやらざるを得ない。これができなければもう問題にならぬ。また、日本には帰還を阻止する勢力もあるわけだ。そういうふうなものを納得させることができない。だから意思の確認ということだけはどうしても必要なのだ、ということを言ったところが、わかりました、意思確認がそういう意味ならばいい、ということを第四回の会議だったと思いますが言ったのでございます。それで意思確認問題というのはそんなことで終って、最後まで自由意思帰国だという点については両者はほとんど争いはない、こういうふうに思います。それから閣議でありました第二の大事な点というのは、赤十字国際委員会の介入の点でございます。これも、私ども理解するところでは、国際委員会の介入なしでは北鮮帰還はやらないのだということを明瞭に向うに申しておったのであります。ところが、向うの方は、国際委員会の介入の必要はない。現にあなた方が北鮮におる日本人を連れて帰るときに国際委員会が介入しましたか。これは日本と北鮮の両赤十字が話し合いをしてそれで帰っておった。その必要を認めない、というのが彼らの態度でございました。一体、この問題というのは、二つの赤十字でやればそれでいいので、何のために国際委員会を介入するか、それがわからぬ、こういうふうな主張でありました。私の感じたところをもってしますと、どうも北鮮の連中は、もし国際委員会なんかに介入されるというと、何を言い出されるかわからない。ことに、まあこれは言葉は悪うございますが、国際委員会が公正だ公正だと日本は言うけれども、ほんとうに公正か、どうも彼らは日本びいきに違いないと、こう思っておったんだろうと思うのでございます。だから、うっかり入れちゃうと二者が三者になっちゃって、国際委員会と日本と組んで北鮮を何とかされやせぬかというような感じがあったんじゃないかと思うわけでございます。そういうふうなことでありましたが、そんなことはないのだ、ほんとうに公正なのだということを話すと同時に、日本としてはこれなしじゃ絶対できないのだ、これが生命線だと私ども言ったわけでございますが、向うも盛んに生命線ということを言い出した。それが、第六回の正式会談だったと思いますが、国際委員会の介入に賛成しますということを向うが言い出しました。しかし、それには限度がある。それは、日本は国際委員会にいろいろやってもらおうというふうに考えているけれども、自分らが言うのは、日本は介入が生命線だと言うからそれじゃ認める。認めるけれども、私どもは何もそう深入りをしてもらう必要はない。実務に関与してもらっちゃ困る。帰還の実務に関与することなく、国際委員会はわきにおって、観察者として、オブザーバーとしてやるということならば自分の方は異議はないと言ったのが第六回の正式会談だったと思います。そこで、自来そのあとは、今度国際委員会の介入の程度について日本側と北鮮側との間でいろいろ議論があったのは、もう御承知の通りでございます。日本の方は国際委員会というものにある程度やってもらいたい、あるいは国際委員会の管理のもとにこの帰還業務をやるんだ、あるいは国際委員会の指導のもとにこれをやるんだ、あるいは、もしこの意思確認が、これは非常に大事なんだが、そういうふうな意思確認について若干の苦情が出たような場合においては、その苦情は最終的には国際委員会に下してもらう、日本はそれに従ってやるということにしてもらわなきゃ困るというようなことであったのでございますが、これは、向うの方は、どうしてもそれは困る、二者会談だけだ、日本がその代り国際委員会に私どもの北鮮側の言うようにやってもらうのならばその限度は異議がないと、まあこういうふうなことでやっておったのでございます。で、そうやっておったのですが、結局は日本側としてはそれじゃというようなことで、大体こういうことになりました。今度の帰国というのは自由意思による帰国で人道上の措置なんだ。人道上の措置をいろいろ日本がとる場合に、これは人間のやることだから間違いがあるかもしれぬ。そういうような間違いがあっちゃいかぬから、その間違いを確保するために、日本は国際委員会に対して適当な措置をとってもらうように依頼する。国際委員会からこっちへ言うてもらう。そうしてその措置とは何ぞといえば、三つのことがあるわけでございますが、その第一は、今度の帰還というのは朝鮮人の自由意思で帰すというのだから、その自由意思で帰すための組織、言葉をかえて申しますと、集団帰国でたくさん帰るのでございますから、それを登録せんならぬ。登録の組織をどういうふうにするかということを日本がきめて国際委員会にアドヴァイスをしてもらう、助言をしてもらうということ、これが一つでございます。登録機構の組織について国際委員会から助言しもらうことを赤十字が依頼する。それから第二は、そうしてできた登録機構の運営についていいか悪いかを一つ確かめてもらう。組織は助言によってできて、なるほどこれならば、人道上正しいということはできるかもしれぬけれども、それを運営するについていいか悪いか見てもらってそれを確かめてもらうというのが第二でございます。第三は、それを確かめた結果、もし必要ありと認めれば、国際委員会は日本の赤十字に対して助言を与えてくれる、アドヴァイスを与えてくれる。そのアドヴァイスを与えてもらって日本はそれに従えばいい。そういうふうな三つのことを日本の方から国際赤十字委員会に頼む。この限度ならば異議がない。こういうことに話がまとまったのでございます。さらに、今度の帰還について、日本でこのことが人道的に正しいことであり、ことにまた、意思の確保に欠けるところがない、こうやってやるんだということを国際委員会の代表に日本に来てもらってそれをラジオを通じて一般に周知させる、ラジオを通じて放送するという点を日本が依頼する。これも異議がない。まあ大体それだけのことを国際委員会に依頼する。国際委員会の方が日本から頼んだこれこれの事項を引き受けてやると言ってもらえばこれが動き出す。それがない限りはこの帰還業務は動き出さない、というのが大体の協定でございます。あとの協定の内容は、皆さん新聞でも出ておりまして御承知の通り、あるいはまた、中共、ソ連等ののと同じように、日本の新潟港が今度出港地になりますが、新潟港までの間の一切の措置というふうなものはある一定の限度の制限はありますけれども、日本側においてこれを処置してやる。それから船場まで朝鮮の代表が乗ってきますから、その北鮮の代表にそれを渡しますというと、もうそれから先は北鮮での定着地までの措置というものは北鮮側でやるんだ、こういうことをはっきり書いてございます。で、協定は、さっき申しましたように、六月の二十四日、ジュネーブにおいて起草委員会の仮調印をいたしましてできておったのでございますが、御承知のようないきさつで調印だけができずにおるというふうなことであったのでございますが、ようやくこの話ができまして、十三日に調印というふうにきまりましたのは、先ほども申し上げた通りでございます。それで、まあそれだけのことに一体なぜこんなに時間がかかったのかと皆さん御疑問をお持ちになるかもしれませんが、別に遊んでおったわけではございませんが、何と申しますか、まあお互いが信頼が非常に薄い。従って、言うときに非常に遠くの方からものを言ってだんだん具体化していかなきゃならぬ。こういうようなことで、さっきも申しましたように、今度の会談についての山というものは、大きい山が二つ三つございます。それで、その山の中にさらに小山があるわけですが、その一つ一つの山を越えるのに、やっぱり今言ったように抽象論をやり、向うが何を考えているということをお互いがだんだんに理解する。まあそんなことで妥結の道が自然に見つけられるというようなことで、大きい山二つ、小さい山になると五つ六つを越えるのに、一つずつ手間がかかったというのが、まあ長くかかった理由ではないか、こう思うわけであります。はなはだ雑然としたことを申し上げましたが、一応私の説明を終りまして、御質問がございましたらば、御質問によってお答えをさしていただきたい、かように考えます。
加
加藤武徳#3
○委員長(加藤武徳君) ありがとうございました。
それでは参考人に対する質疑をお願いいたします。
なお、政府側からは、外務省の伊関アジア局長、厚生省の河野引揚援護局長が出席いたしております。
この発言だけを見る →それでは参考人に対する質疑をお願いいたします。
なお、政府側からは、外務省の伊関アジア局長、厚生省の河野引揚援護局長が出席いたしております。
坂
坂本昭#4
○坂本昭君 この帰還の交渉に当りまして、先ほど葛西さんの説明の通り、警戒と不信から融和と信頼と友情へだんだん変っていったその長い忍耐の御苦労に対して、私たち心から感謝と敬意を表したいと思います。特に、今最初にお話のありました昭和三十一年の日本の同胞引き揚げのことについては、私も直接関係があったんです。ちょうど三十年の九月に、日赤の本社で井上外事部長に、当時平壌に集結して故国に帰りたいということを切望しておった三十数名の日本人の帰国の交渉に当ったことがあります。というのは、ちょうど忘れもしない三十年の八月の中旬です。あの暑い平壌の駅で、三十人ほどの、中には御婦人もまじえた方々から、当時はほとんど廃墟に近い平壌の町、その中からたしかユリの花を持って私たちを平壌の駅へ送りにきてくれた同胞の人たちがおりました。その人たちは、私たちの持っている旅行カバンの中に入れて連れて帰って下さい、私たちは日本へ帰りたいんだ、そういうことを切実に訴えられたことがある。私はその当時の同胞の胸をえぐるような訴えを忘れることができなくて、九月の初めに羽田に着いて、朝五時ごろ、税関が終ったら夜がもう明けていましたが、そのまま、日赤の方々がおいでになった時間を見計らって井上外事部長に面会を求めて交渉をして何とかして帰してもらいたいということを申し上げたことがあります。いわば、ちょうど昭和三十年の夏にたまたま私が平壌へ、そのときはもちろん国会議員ではありません、一私人として参りましたことがきっかけとなってこうなってきたことを、非常に、何と申しますか、感慨深く顧みるものでございます。その当時、この廃墟の平壌の町の中に、引き揚げの三十数人の日本人のために特別な家を作っておりました。これは葛西さんも御承知と思いますが、障子の入った日本風の家なんです。それには子供ももう入っておって、当時集結しておった日本の同胞諸君は非常に感謝と満足の気持を持っておりました。ただ問題は、いつ帰れるかという不安であったんです。それが幸いにして皆様方の熱心な御努力によって帰ることができて、私も三十一年の春でしたか、帰られた方々から、並びに、その家族から、お礼状をもらったことを今でも忘れることが実はできません。それで、その当時の平壌におった日本人の気持を考えると、今、日本におって朝鮮に帰りたいという人の気持が、私は、純然たる人道主義的な気持でよくわかるんです。私は高知県ですが、高知のいなかにおった朝鮮人の諸君からも、もうこれでお別れですから、先生と一緒に写真をとらして下さい、そう言って写真をとったこともあるんです。ところが、四カ月たってもなかなか帰れないので、おそらく平壌におった日本人の人たちと同じ気持で、非常にいらいらした気持でいるのじゃないかと思います。一つ純然たる人道主義的な立場でその立場を貫いて、特に赤十字の精神を徹底さして、今回の帰還業務を精神的にも物質的にも十分にやりとげていただいて、日本赤十字健在なりということを示していただきたいと思うんです。
それで少し具体的なことをこれから二、三お尋ねしたいんですが、まず赤十字の国際委員会の承認は絶対間違いないというふうに、日赤の方々は非常に確信と自信を持っておりますけれども、どうもわれわれ報道関係を見ても、一体それほど確実なのだろうか、そういう証拠があるのだろうか、一体どういう証拠がまずあるかということ、たとえば、この十一日にはコミュニケが出されるというふうに出ておりました。最初十口であったのが十一日に延びた。このコミュニケには何かそういうことを裏書きするようなことが予想されるのか、あるいはまた、国際委員会の公式の意思表示というものがいつなされるか、調印の十三日からジュノー副委員長の出発される十八日までの間にそれがなされるのか。それからもう一つは、十八日ごろに国際委員会の副委員長のマルセル・ジュノー氏がジューネーブをたって日本に特派されるというのですが、一体その目的は那辺にあるのか、とりあえず、それらの点を御説明いただきたい。
この発言だけを見る →それで少し具体的なことをこれから二、三お尋ねしたいんですが、まず赤十字の国際委員会の承認は絶対間違いないというふうに、日赤の方々は非常に確信と自信を持っておりますけれども、どうもわれわれ報道関係を見ても、一体それほど確実なのだろうか、そういう証拠があるのだろうか、一体どういう証拠がまずあるかということ、たとえば、この十一日にはコミュニケが出されるというふうに出ておりました。最初十口であったのが十一日に延びた。このコミュニケには何かそういうことを裏書きするようなことが予想されるのか、あるいはまた、国際委員会の公式の意思表示というものがいつなされるか、調印の十三日からジュノー副委員長の出発される十八日までの間にそれがなされるのか。それからもう一つは、十八日ごろに国際委員会の副委員長のマルセル・ジュノー氏がジューネーブをたって日本に特派されるというのですが、一体その目的は那辺にあるのか、とりあえず、それらの点を御説明いただきたい。
葛
葛西嘉資#5
○参考人(葛西嘉資君) 一番大事な生命線である国際委員会の介入の同意が確実なのかというお尋ねだと思いますが、これは実は国際委員会の関係は実は非常にデリケートでございまして、私、実はジュネーブをたちますときに、ちょうど九品にたったのですが、八日に向うのボアシェ委員長に会いまして、そのときに実はいろいろ打ち合せて参りました。そのとき、ボアシェさんから念を押されまして、日本にものを言うと全部それが漏れてしまう、それでこりた例が数々ござると、こういうようなことで、これから言うことは、もうこれは赤十字のあなたと赤十字の私の間のごく内々の話なんだから、その含みで聞いてくれるかということを念を押しまして、それは文書にもいたしませんししますから、こう言って実は話をして参ったのであります。それで極端な言い方で、向うはこれは一体——非常に私も困ったんですが、日本にはビューロークラシーというものがあるのですか、全部書面が漏れてしまう、そういうことでは話ができぬ——いや、それはもう話しませんから、それは私も、これは帰る以上は、と言うたら、いろいろな話を伺って参りました。これは大へん国会の皆様に申しわけないんですが、どういう話をしてきたのかということは、これはちょっとまだ、もう少したたないと、国会の方々でありましても、私はちょっと申し上げられぬような気がいたします。ただ私は、さればといって、具体的に話が八日にあったわけではありませんが、私は、折衝の経過から見て、日本としてはこれをやらなければできないんだということをくどく言ってありますので、私はもう必ず確実に、調印をしても間違いなく国際委員会は介入の同意をしてくれるものと確信をいたしております。十一日に何かコミュニケが出るというようなことを、新聞を見ますと外電等がきているようでありますが、出るのかもしれないと思いますが、そこらどうなりますか、実は私どもつまびらかにいたしておりませんので、責任を持って皆さん方にこうでありますということを申し上げることも実はできないと思います。ただそういうことに、同意というようなことになってくれば、どうしても日本へ国際委員会の代表というものが来て、そしてそこでいろいろ正本が先ほど申し上げた協定の内容を助言を与えたり、あるいは確かめをしたり、あるいは放送をしたりするような仕事をやらなきゃなりません。これはもう必ず来てくれると思います。ただそれがジュノー氏が一体どういう用務を帯びて来ることになりますか、そこらのところを私は実はつまびらかにいたしておりません。おそらくジュノー氏はそう長く日本におることはできぬと思います。従って、荒ごなしというような、そういうことをして、そしてジュノー氏はまたジュネーヴに帰るというようなことではないか、これは想像をいたしておるわけであります。ただ日本がこの仕事をやるために絶対要件であり生命線である国際委員会の介入という点は、これはもう私は絶対と申していいと思います。絶対間違いないと確信をしております。その根拠は何だと言われても、今のところちょっとこうこうこうだということを申し上げられないことは大へん残念であり、申しわけなく思いますが、これは間違いないと、こう思っております。
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坂本昭#6
○坂本昭君 それでは明後日御出発ですし、特に国会からそういう混乱を起させようとは思いません。一応その点は葛西さんを信服して、信頼して、これ以上私も追及しませんが、ただ葛西さんも今のビューロークラシーの中におられた方でありますし、よく知っておられるはずでありますから、やはりこれは重大なことですし、それだけのことを言われた以上は、われわれとしては国会に対しても言うことはできないというほどのことを言われた以上は責任を持っていただきたい。これがきわめてあいまいな結果に終ったときには、これは葛西さんの責任をわれわれとしては追及する、そのことだけ申し上げて、重大な段階であるからもうこれ以上はでは今お尋ねをいたさないでおきます。
それから次に、今度の協定については、大体秘密であって、調印後に初めて出されるということでありますが、紙上発表されたものを見ますと、先ほど言われた国際委員会が帰還業務に協力し、勧告を与えて帰還申請の登録機構に対して助言をする、それが協定のたしか第三条ですか、三条に人道的立場と赤十字の諸原則に合致するものであることの公式の確認をするというふうに私はちょっと漏れ承わっております。そのために別にこの国際委員会が八月の末ごろある程度の人員を派遣してこちらに来られる。ジュノー氏は滞在日数が短かいとされると、ジュノー氏が一度来られて帰られてから多分その国際委員会があらためてそういうことのために人員を派遣されるのじゃないか。そしてその派遣があって初めて全国の市町村の窓口での登録受付が開始される。そうすると、新聞に伝えられるように、その時期というのは九月の中旬以後だろうというふうに思うのですが、そうすると、第一船の出港の見込みですね、第一の船の出港の見込み、これは新聞によりますといろいろ若干の違いがあるのです。あるものは十月、あるものは十一月、いろいろ準備期間を二月と見るか三月と見るか。これについても皆さんは二月でやりこなすとかいうふうな確信があられるように……。これは援護局との関係もあると思いますが、大体第一船出港の見込みはいつであるかということを一つ承わりたい。
この発言だけを見る →それから次に、今度の協定については、大体秘密であって、調印後に初めて出されるということでありますが、紙上発表されたものを見ますと、先ほど言われた国際委員会が帰還業務に協力し、勧告を与えて帰還申請の登録機構に対して助言をする、それが協定のたしか第三条ですか、三条に人道的立場と赤十字の諸原則に合致するものであることの公式の確認をするというふうに私はちょっと漏れ承わっております。そのために別にこの国際委員会が八月の末ごろある程度の人員を派遣してこちらに来られる。ジュノー氏は滞在日数が短かいとされると、ジュノー氏が一度来られて帰られてから多分その国際委員会があらためてそういうことのために人員を派遣されるのじゃないか。そしてその派遣があって初めて全国の市町村の窓口での登録受付が開始される。そうすると、新聞に伝えられるように、その時期というのは九月の中旬以後だろうというふうに思うのですが、そうすると、第一船の出港の見込みですね、第一の船の出港の見込み、これは新聞によりますといろいろ若干の違いがあるのです。あるものは十月、あるものは十一月、いろいろ準備期間を二月と見るか三月と見るか。これについても皆さんは二月でやりこなすとかいうふうな確信があられるように……。これは援護局との関係もあると思いますが、大体第一船出港の見込みはいつであるかということを一つ承わりたい。
加
葛
葛西嘉資#8
○参考人(葛西嘉資君) これは実は申し上げるのを忘れたのでありますが、協定の中には、実は調印をいたしましてから三カ月以内に第一船を新潟から出す、日本の方は諸般の手続をして出す義務があるし、朝鮮の方はそれまでに船の準備をして—これはソ連船が迎えに来るのであります。来るようにする責任があるということを規定してございます。以内でございますから。ところが、これは援護局長からお話があるかもしれませんが、大体調印を十三日といたしますと、日にしますと、多分十一月十一日ということになります。少し、まだ確定はいたしておりませんけれども、大体今お話しになった通りだと思いますが、まず登録機構を助言によって作らなければなりません。このためには赤十字国際委員会の代表が来てもらうことがもう必要だ、来てもらって、そして助言を得て、登録機構をまず整備する。これは第一線の地区町村の窓口から都道府県を通じての本部に至るまでの登録の組織をそこで作ります。それを助言を得て作るということ、そしてできますと今度はそれを都道府県のレベルそれから市町村のレベルまで周知徹底しなければなりません。そして今度の帰還は、何度も申し上げますように、朝鮮人の個々の意思が大事でございますが、これが間違ってくると大へんなことになります。第一線の窓口から大事なので、これを訓練と申しますか、指導と申しますか、なれさせて、こういうふうにやってくれということを町村までやらなければならぬ。大体朝鮮人のいない町村もありますが、事務的に調べますと、全国で窓口が三千八百ぐらいあるという—これは間違ったら援護局長から直してもらいたいが、見込みでございます。これもしかしながら、朝鮮人が登録したものと思っても、密入国をした朝鮮人も帰りたいと言えば帰さなければならぬから、そういうのが出ると若干数がふえるかもしれませんが、一応そういうことで三千八百の第一線の窓口までいろいろ訓練をしたり指導をしたりして、急いでやっても相当時間がかかる。そういうことを考えまして、大体九月の下旬ぐらいまでに朝鮮人が窓口に登録ができるということになるだろうと今予定をしております。そしてそれができまして、それか今度あと厚生省、政府の方でおやりになるいろいろ援護所の手続あるいは政府でやっていただく援護の手続の準備というようなものができて、そして本人に送ってやる。それは鉄道を無賃にするとか、途中の弁当賃を出す、あるいは新潟援護所に入った場合のいろいろな処置の準備といったものを入れると、短かくしても一、二日しかないのじゃないかといういうようなことを私どもは考えて、政府と今そこらを打ち合わせておる次第でございます。だから船の見込みというものはおそくも十一月十二日までという、違っても大した一両日の違いぐらいしかない、それぐらいしか見込めないじゃないか、私どもそんなつもりでおります。あるいは間違っておったりあるいは不足の点がありましたら援護局長から……。
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坂
河
河野鎮雄#11
○説明員(河野鎮雄君) ただいま葛西さんからお話がございました通りでございまして、私どもといたしましてはできるだけ早く準備をやって、一日も早くお帰り願えるような状態を作らなければならぬと思っております。非常に大事な準備がございますので、ただいま関係の方といろいろ御相談をいたしておりまする結果から予測いたしまして、どうしても十一月の十日ごろにならなければ第一船が帰られないというふうな状況になっております。
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坂本昭#12
○坂本昭君 今度のまあいわば歴史的な民族移動みたいなものですね。それでおそらく三、四十万人になりはせぬかと思いますし、期間も三、四年はかかるんじゃないかとわれわれ思うのですが、そのために新潟集結所の宿舎の整備は十分できるか、まあことし一ぱいくらいで終ってしまえばいいのですが、私は三、四年かかりはせぬかと思うし、人員も何十万になるのじゃないかと思う。だからその辺の見通し、並びにそれに関連して整備の状態はどうか。特に施設の改修だとか、冬に向っての毛布だとか、ふとんだとか、食器だとか、こういうことは予算もある程度示されてありましたが、十分な確信を持っておやりになれるのでございますか、日赤の御当局に伺いたい。
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葛西嘉資#13
○参考人(葛西嘉資君) お答えいたします。大体のところは一体帰国希望者がどれだけあるかということは、これは私どももわかりませんし、当時ジュネーブで交渉したときに朝鮮側も、それは届け出をしてみなければわからぬのだとはっきり申しております。何か内地におきましては、朝総連が何か集めたのに十何方かあるとかというようなことを言って、あの名簿を基礎にしていろいろやっておるようでありますが、これは向うの北鮮の李団長も、これはやってみねばわかりませんということは、はっきり申しております。従って、数のわからぬものを一体何年間にやるのかというので、非常に困ったのでございますが、やってみた結果、それが数が少ければ、現在新潟港の収容施設は一千人、しかも大体一週間に一回ずつ船が出る。そうすると、一月に四千人出るというようなことを基礎にして、大体それでやってみる。ところが、この協定を今お話のように、何カ年間有効にするかという点と、それから送り出す能力、あるいは受け入れ能力との関係でだいぶん議論をいたしました。そのときに北鮮側の意見は、清津、興南、羅津、この三港を受け入れ港にすると、こういうことだそうでございます。だから、日本で一つ港を増してくれぬかというような意見がございました。しかし、それは新潟を増すことはできない。もしたくさんどうしてもあれば、それはそのときに収容力を増すことをお互いに相談して考えようということで協定に到達いたしました。それで一体今一月に四千人でございますと、一年に約五万人ということになるのでございます。一年に五万人やって、十万人おったら二年でやるのか、あるいは新潟港をふやしてそうして二千人にして年十万にして一年で済ます方がいいのかということを聞きましたところが、北鮮側は、これは自分の方は新潟港をふやしても一年で済ます方がいい、短かく済ましてもらいたいということで、一応協定の中にはそういうことをうたいまして、協定有効期間は一年三カ月とするということで、三カ月というのは今の三カ月以内に船が出るということで、船が出だしてから一年として一年三カ月とする。なお、それでも希望者がどんどん続くようであれば、そのときにはまた相談して期間を延長しようというような大体の仕組みになっております。収容施設等の関係については援護局長の方から……。
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河野鎮雄#14
○説明員(河野鎮雄君) ただいまお話のありましたように、大体一回千人ということでスタートをする準備を進めております。大体二月は必要であろうというふうに見込んでおります。今月の下旬ころ着工すれば十分間に合うということで、関係のものと相談して十分遺憾のないようにいたしたいと思います。
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坂本昭#15
○坂本昭君 一番最初に申し上げた昭和三十一年に朝鮮から帰って来た日本の同胞の場合ですね、あの場合は数はわずか三十数人でした。しかし、非常にいい待遇を受けていましたし、おそらく帰られた方々は厚遇を受けておったことを感謝しておると思うのです。あのときは正確な金額は覚えておりませんが、五、六万円くらい何か金をもらって帰ったのじゃなかったかと思います。そうしますと、今度は非常に数が多いので、あのときと同じ程度のことをして差し上げるということはなかなか困難かもしれませんが、少くとも人道主義的な立場で、日本として恥かしくない程度のことは私はして差し上げるべきじゃないかと思う。特に今、日本におられる朝鮮の諸君の生活というのは非常に悪いということ、まあ生活保護を受けておられる人も非常に多い。たしか二十数億ぐらいがそのために生活保護費として使われていると私も聞いているのです。そうしますと、そういう人たちがあまりにみっともなくない格好で日本から朝鮮へ帰られる。そのためにまあどの程度のことを赤十字としてはして差し上げる所存であるか。仕度料の金額まで、こまかいことまで追及するのもいかがかと思いますけれども、ある程度のことをして差し上げないと、ボロのままで帰るということでは、これはどうもちっとみっともないのではないかと思うのです。それで今の仕度料のことなども含めて、どういう御方針でおられるか、赤十字並びに援護局長に伺いたいと思います。
この発言だけを見る →葛
葛西嘉資#16
○参考人(葛西嘉資君) お話のように、確かに三十何名北鮮から帰って参りますときには、なかなか日本へ帰っても生活が定着してからもむずかしかろうというような意味で、生活の援助というような意味で、たしか朝鮮円で二万円、それを何か外貨にして換算すると、大体六万円近くになる。日本の金にして、当時六万円だったと思います——ぐらいな金を一人ずつにくれたことは、これは事実でございます。現にジュネーブでもその話を向うが打ち出しまして、やってくれ、やってくれと言って、盛んに申しました。ところが、大体話が違うということをこっちは申しました。さっきも一番最初申し上げましたように、大体終戦の直後、朝鮮に帰りたい者は政府の責任で、申し出なさい、それは帰しますということで、ちょうど二十一年の終りごろになりますと、五十万の希望者があったものが大体八万人ぐらいしか帰らなんだ。当時、から列車が走ったといういきさつがあったのでございます。これは本人の意思で日本にとどまった、それが今度帰るのだから、朝鮮から来た者とは若干そこが違いはせぬか。それからただいま御指摘になりましたように、数が違うので、とても朝鮮並みにはできませんということで、まあしかし、やはりおっしゃるようなことを向うは言いましたのですけれども、大体日本側で提供する便宜はこれこれ、それから朝鮮へ帰ってからの、船の中をどうするとか、それから定着地においては住宅だとか就職だとか、あるいは就学ですね、そういうようなものについて世話をしますということをまあ協定の中に入れてあるのでございます。それで、日本側で与える便宜はこうこう、それから朝鮮側で与える便宜はこうこうというのを協定の中に—おっしゃるように、調印までまあ極秘中で、向うもそれを発表しておりません。こっちも従って出しておらぬのですが、大体そういう内容になっております。それには今の日本に残していく財産なんかは法的に保護する、それから持っていきたいものは引っ越し荷物とか、それから職業用具だとかというようなもので、税関で今まで許しているものは相当大幅に認めるという政府の御方針でありますということを伝えておきました。ただ個人に金をくれるかどうかというような点は、これはそうはいきませんというのを言ってございます。ただそれじゃ本人が自分が金を持っておったらどうかというふうな点でございます。それでは財産を処分していくというような場合はどうかということでございますが、大体協定の中には日本円で四万五千円だけは英ポンドにして持ち帰らせる。それ以上を持っておった者は、非居住者円預金という制度があるそうでございます。日本に預けておく。そうして日本に預けておいて、必要があれば、本人から言うてきたら支払ってやるというふうにして保護してやる。それから汽車の便宜でございますね、荷物なんかの便宜は六十キロ以内はただにするとか、チッキにすればチッキ料が要るわけでございますが、そんなことで大体朝鮮側の本国の方は、まあ日本側の援護はこれだけ、朝鮮側の援護はこれだけということで、協定には書いてございます。まあ赤十字の方としてもできればたくさん何とかしてやりたいのですけれども、それはもうこっちが大へんで、そんな労力もないものですから、もう私どもとしてはそれ以上のことはできないということを本国側にもはっきり、これはあとでまた遅滞でもしては困ると思って、はっきり申しておきました。
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葛
坂
坂本昭#19
○坂本昭君 そうしますと、やはり問題になるのは、向うに帰りたい人の中には生活の困窮者が多いと思うのです。そうすると、生活の保護を受けているような人が帰る場合の処置として厚生省としてはどういうふうなことを考えておられますか。
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河野鎮雄#20
○説明員(河野鎮雄君) ただいま葛西さんからお話のございました点以上のことは考えておらない。先ほどもお話しございましたように、終戦直後、国といたしましても帰りたいものと、それから残りたいものというのをはっきりとりまして、その当時もう残ることをきめた人は将来援護はできないというふうなことも決定しまして、その当時決をとったわけです。今度は事実上帰れないというふうな障害がございますので、人道的の立場からその障害を除去する意味で、国なり日赤が便宜を供するという建前で協定ができている。そんなふうないきさつ、それから今まで援護してお帰ししたときの例でも、そういったようなこととにらみ合せまして、ただいまお話のありました協定にあります限度において援護したい、こういうふうに考えております。
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坂本昭#21
○坂本昭君 もちろん終戦直後に帰りたい者は帰りなさい、それは援助する、しかし、その後は援助しないと、そう言われても、実際人間の気持というのはその当時は帰りたくなくても、あとで何というか、やはり生活が苦しくて帰りたくなるということは、朝鮮から帰ってきた人たちの場合も同じことなんです。私も三十何人の人が今この期に及んでどうして帰りたいかと思って疑問に思ったのですが、それが人間の気持なんですね。だからそういう場合に前に帰れというときに帰らなかったからといって問い詰めることは、これははなはだ非人道主義的だと思うのです。ただ問題は、生活保護を受けておられる方たちが新潟へ集結する、それから新潟から船に乗るという場合に、十一月になるとだんだんと寒くなってきますが、そうした場合に、これは協定の中にはないとしても、冬空を迎えて帰っていく人たちに対してどの程度のことをしてあげるか、これは協定外のこととして、とにかく乗船するまではやはり日本におる人なんですが、そういう人たちに対してどういうことをされるおつもりがあるか、厚生省として特に生活保護の対象としてそういう点をお伺いしているのです。
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河野鎮雄#22
○説明員(河野鎮雄君) ジュネーブの会談のお話も伺っておりますが、北鮮側も帰ってくれば、全然心配のないようにすべての世話をするというふうなお話に伺っておるわけです。私どもといたしましては、乗船地までお届けする、そうして北鮮側に引き継ぐ、それまでのお世話をするという考え方をしておるわけであります。それ以上のことは考えておらないわけであります。
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坂
高
高野一夫#25
○高野一夫君 議事進行。私はこういうことを皆さんにお願いしたいのですが、事は外交的折衝の段階にあるし、しかも話が円満にまとまる最後の段階にきているわけでありますから、当委員会は速記をやめて祕密会でもありますれば、いかなる質疑あるいは答弁を願ってもけっこうかと思いますけれども、速記をつけ、かつ大勢の傍聴者のいる前で、やはりわれわれとしてこの席に発表して差しつかえがあることがあるかもしれないと思いますので、その辺のところは適宜一つ委員長の方で御裁量を願うことが適当じゃないかと思います。
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坂
坂本昭#27
○坂本昭君 私もその点は十分含んで御質疑申し上げていると思うのです。
次に、伺いたいのは、新潟の港まで向うが迎えにくると思うのです、朝鮮の赤十字が。そうした場合に、その人たちの宿泊のこと、まさか船の中にそのまま待っていなさい、あんたたち船の中までのことだというふうなことでは、どうも少しあまりにも非人情的の扱いだと思うのですが、その宿泊のこと、場合によれば日本赤十字との連絡のこともあって、東京へ来る必要のこともあろうと思うのです。そういう場合のことについて、日赤としてどういうふうに取り計らうようなおつもりでおられるか。また同時に、日本の新聞記者あたりも送っていく場合には、いろいろ乗っていって、さっきの友和と信頼と友情の、そういった関係を取り結ぶことも必要じゃないかと思う。こういうことも赤十字の立場としては、きょうは外務省にはお尋ねしませんが、赤十字の立場として、どういうふうなお考えでおられるか、その二点を二つ伺いたいと思います。
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加
加藤武徳#28
○委員長(加藤武徳君) 他に質疑の希望者も二、三通告が来ておりますが、坂本君がほとんどの問題にお触れになったようですから、今までの問題なりあるいはこれから質問なさること等について、御希望の方は関連して御質問願って時間の節約をはかりたい、こういうことで一つ御了承をいただきたいと思います。
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葛西嘉資#29
○参考人(葛西嘉資君) 今の協定で申しますと、実は今のお話になったようなものは、みんなジュネーブで出た問題でございます。今度の帰還は非常に多いから、朝鮮の代表を一つ東京なり新潟なりに常駐させてくれぬかというようなことの話がございました。しかし、今の段階ではできないとはっきり断わっております。これは何べんも断わったのでございます。先方は非常に不愉快ですと、こう言いましたけれども、不愉快でも仕方がないということで、代表はただし新潟へ迎えに来るのだから、各船には全部朝鮮赤十字の代表が乗ってくる。月に四回来れば四人、それが全部乗って参ります。それは船の停泊期間中新潟の港域内へ泊る、こういうことになった。従って、代表は新潟の港域だけは上って、そうして適当の時期になれば、あるときはおそらく二日か三日ぐらい停泊すると仮定いたしますと、初めの一日ぐらいはやはり船の中に泊ってもらわなければならないと思っております。しかし、日本の方の手続が済んで、意思確認でも済んでしまえば、今度はお見舞に来るというのが中共やソ連に行ったときのやはりやった例でございまするから、それは新潟港域へ上る。上ってお見舞をするということはけっこうです、こういうことを言うでございます。従って、東京へ来るとか何とかというようなことはこれはできませんと言って、そういうことで代表だけが新潟港域内に停泊できると言っております。それから船員は、おそらく大多数はソ連船でありますから、ソ連船を朝鮮赤十字がチャーターしてくる、こういう形になるようでございます。そういうことでありますから、おそらくソ連の船員だろう。そこで日本はソ連と条約ができておるのだから上れぬはずはないということで、だいぶあれしましたのですが、これはやはり港における所轄官庁の許可を得て上陸をすることができるというふうに書いてございます。協定付属文書にそういうことを書いてございます。それ以上のことは書いてございません。それから新聞記者の話も、やはり先方は第一船に十名ぐらいの新聞だのラジオだのが来るということでございますが、これは第一船あたりはとても見込みがない、困るということで、それは書かぬことにしようということで、第一船はあきらめようというようなことでございます。それから日本側からも、私どもの赤十字記者会からも朝鮮の方面に申し入れがあったようでございます。それもジュネーブの方に回ってきて、もう一ぺんやるかと言うているうちに、そんなことはだめだということで、ないわけでございます。これもやっぱり従来中共なりソ連の例なんかを見ましても、最初は全部そういうことはないようでございます。だんだんやっておりますうちに許されている例はあるようでございまするので、これはもう赤十字ではございませんので、政府の御所管のことだと思いますが、やっていただくように、時期が来たら適当にやっていただくようにお願いをしたい、赤十字はそう考えております。大体経過と気持だけ申し上げます。
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