予算委員会公聴会

2000-03-14 参議院 全154発言

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会議録情報#0
平成十二年三月十四日(火曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月十三日
    辞任         補欠選任
     尾辻 秀久君     岩城 光英君
     大野つや子君     仲道 俊哉君
     加納 時男君     佐藤 昭郎君
     小山 孝雄君     中島 啓雄君
     益田 洋介君     魚住裕一郎君
     岩佐 恵美君     須藤美也子君
     堂本 暁子君     奥村 展三君
     佐藤 道夫君     島袋 宗康君
 三月十四日
    辞任         補欠選任
     市川 一朗君     脇  雅史君
     釜本 邦茂君     木村  仁君
     斉藤 滋宣君     山内 俊夫君
     谷川 秀善君     森田 次夫君
     須藤美也子君     阿部 幸代君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         倉田 寛之君
    理 事
                竹山  裕君
                長谷川道郎君
                保坂 三蔵君
                溝手 顕正君
                伊藤 基隆君
                峰崎 直樹君
                荒木 清寛君
                笠井  亮君
                照屋 寛徳君
    委 員
                市川 一朗君
                岩城 光英君
                木村  仁君
                岸  宏一君
                北岡 秀二君
                久野 恒一君
                国井 正幸君
                鴻池 祥肇君
                佐藤 昭郎君
                谷川 秀善君
                中島 啓雄君
                仲道 俊哉君
                森田 次夫君
                山内 俊夫君
                脇  雅史君
                浅尾慶一郎君
                木俣 佳丈君
                櫻井  充君
                竹村 泰子君
                直嶋 正行君
                堀  利和君
                本田 良一君
                魚住裕一郎君
                山本  保君
                阿部 幸代君
                小池  晃君
                須藤美也子君
                宮本 岳志君
                清水 澄子君
                三重野栄子君
                入澤  肇君
                高橋 令則君
                奥村 展三君
                松岡滿壽男君
                島袋 宗康君
   政務次官
       大蔵政務次官   林  芳正君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        宍戸  洋君
   公述人
       専修大学経済学
       部教授      正村 公宏君
       奈良女子大学助
       教授       中山  徹君
       経済戦略会議事
       務局長      三宅 純一君
       慶應義塾幼稚舎
       舎長
       慶應義塾大学大
       学院教授     金子 郁容君
       日本労働組合総
       連合会生活福祉
       局長       桝本  純君
       株式会社日本総
       合研究所主任研
       究員       飯田 哲也君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○平成十二年度一般会計予算(内閣提出、衆議院
 送付)
○平成十二年度特別会計予算(内閣提出、衆議院
 送付)
○平成十二年度政府関係機関予算(内閣提出、衆
 議院送付)

    ─────────────
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倉田寛之#1
○委員長(倉田寛之君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。
 本日は、平成十二年度一般会計予算、平成十二年度特別会計予算及び平成十二年度政府関係機関予算につきまして、六名の公述人の方々から順次項目別に御意見を伺います。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。
 本日は、平成十二年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。
 それではまず、財政・税制について、公述人、専修大学経済学部教授正村公宏君及び奈良女子大学助教授中山徹君から順次御意見を伺います。
 まず、正村公述人にお願いいたします。正村公述人。
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正村公宏#2
○公述人(正村公宏君) お招きいただきましてありがとうございます。時間が大変限られておりますので、幾つかの基本的な問題だけを提起させていただきたいと思います。
 まず第一に申し上げたいと思いますのは、財政と経済との関係についてであります。私が強調したいと思いますのは、過去の財政運営の経験について率直に申し上げますならば、いろいろな失敗の経験について私たちはもっと的確な理解を持つことが必要なのではないか。教訓と言ってもよろしいかと思いますが、適切な教訓を過去から学ぶためには理解の確かさということが重要であります。私が懸念いたしますのは、過去の財政運営で繰り返された誤りについての正確な認識が先生方の間で、国会議員の皆さん方、または政府の関係者の間で共有されていないのではないかということであります。
 端的に申し上げますならば、今日の財政のこの大変な危機的な状態、一般会計予算の表面上をとりましても四割前後を公債に依存している。中央、地方の公債を合わせますと──大変恐縮でございますが、私語をおやめくださいませんでしょうか。過去三十年の間の財政運営の誤り、はっきり申し上げますが、いろいろ努力をなさったことは承知しておりますが、誤りの結果として、今日四割前後を公債に依存し、国と地方を合わせてGDPの総額を超える累積負債を抱えるという状態に至ったわけであります。
 何が問題であったかということを一言で申し上げることは難しいんですけれども、財政と経済との関係で指摘したいと思いますのは、政府の財政運営は少なくとも一九七〇年代以来、非常に強くアクセルを踏んだかと思うと次の時点で今度は反対に大変強くブレーキを踏むという、そういう操作の繰り返しをなさったと思います。
 思い起こしていただけば明らかでありますが、一九七〇年代後半はアクセルの時代でありました。機関車論という国際的に推進された積極政策のもとで、石油危機に基づく不況を克服するという理由はあったものの、公共投資を一挙に拡大なさいました。一部の経済学者は景気対策のためにこれは正当だという主張をしましたけれども、私は反対でありました。公共投資というのは、長期の計画に従って安定的に重要な分野に重点を絞って伸ばすべきであって、景気のために水あめのように伸ばしたり縮めたりということをやり過ぎてはいけないということで反対でありました。
 八〇年代の前半はブレーキを踏み過ぎたわけであります。臨調という組織をおつくりになって、増税なき財政再建ということを追求なさいました。年々財政支出を削りました。私は、こんな財政運営をやっていたらどんな強い経済でも必ずおかしくなるというふうに発言しておりました。いろいろな事情がありますからそれだけが原因ではありませんが、あの極端な財政抑制政策と、内需の縮小といいましょうか内需の圧縮政策、これが大幅な貿易黒字を生み出し、急激な円高を生んだことは御承知のとおりであります。その結果として、八〇年代後半はまたアクセルを踏んだわけです。このアクセルがバブルを生み出したきっかけになったことは御承知のとおりであります。
 こういうアクセルとブレーキを交互に踏むという大変乱暴な、私に言わせれば、率直な言い方をさせていただきますが、乱暴な財政運営をやって日本の経済と財政と両面での危機をもたらしたにもかかわらず、九〇年代は再び同じようなことをおやりになったと思います。最初はアクセルを踏み、途中でブレーキに踏みかえたわけです。
 私は、財政の構造改革を前内閣が提起されたのはまことに妥当であったと思います。構造改革の不可欠性は極めて明らかでありましたし、切迫していたと思います。しかし、およそ三十年の間に財政が危機の状態に追い込まれてきたという状況を考えるならば、そしてこの危機の大きさを考えるならば、三年とか五年とか七年とかというような期間の間に財政の健全化に向けての形をつけるというのは不可能であります。不可能というよりも、こういうことをおやりになったら日本経済の安定成長は保証されないということを当時私は発言しておりました。財政構造改革の趣旨には賛成だけれども、短期間にこういうことを何か形をつける、対GDP比何%に公債発行を持っていくとか、そういうことを優先しておやりになれば日本経済の安定成長が不可能になるということを申し上げていたわけであります。いろいろな機会にいろんな形で申し上げてきたわけであります。
 このような財政運営を繰り返してはならないと私は思います。今は専ら景気対策に主眼を置いておやりになっていますけれども、その反面、財政構造改革の問題は、凍結と言うんだそうでありますが、棚上げされております。この状態を過ぎまして少し景気がよくなったら、再び財政赤字をどうするんだという話になりまして、再び抑制の方向に一方的に傾斜するということがありませんでしょうか。そういうことであったならば、二〇〇〇年代の日本経済の安定成長は確実に損なわれると思います。
 私は、九〇年代というのは中ぐらいの成長から低成長への移行の転機になるであろうと予測しておりましたけれども、その転機が大変曲折に満ちた混乱に満ちたものになってしまったのは、多分に政府の経済政策、財政政策に責任があると申し上げざるを得ないというふうに思います。
 二〇〇〇年代の課題は、いかにしてこの低成長時代、低成長ではあるけれどもバランスのとれたいい状態に経済を持っていくかと。高成長はあり得ません。中成長でさえも再現は不可能です。大体、労働力人口がマイナスになっていくわけですから。そして、しかも相当に豊かになっているわけですから、豊かさの追求そのものが優先目標ではない。イノベーションは依然として重要でありますし、社会の活力を維持することは必要ですけれども、しかし重要なことは均衡と安定ということでしょう。
 経済の均衡と安定を損なうような財政の急変を避けながら、しかし、十年、十五年かけて確実に未来の世代に負担を残さない状態に、社会保険料、租税を含めて、一般会計だけではありません、国だけではありません、国と地方と社会保険会計を含めて、今の子供たちやこれから生まれてくる子供たちにそういういい状態を残せるような、財政のいい状態を残せるような改革をやるということをやらないといけない。三年、五年で格好をつけるということよりも、十年、十五年で確実にそういう状態に持っていくということの方が強固な意思と十分なプログラムが必要であります。硬直した計画ではなくて、戦略が必要であります。そういうことについてぜひ真剣に御議論を賜ればというふうに思います。既にそういう議論はやっているよということであれば、その一端をお聞かせいただければというふうに思って参上したものであります。
 二番目に申し上げたい点は、ではどういう姿の財政に持っていくのか、どういう規模の財政に持っていくのかということを考えなければなりません。およその見通しをつけなければいけません。
 ただし、そのときに、よく言われますようなGDP比国民負担率五〇%を超えないようにするというような数値から議論を始めることに私は反対であります。五〇%なら経済がもつけれども五五%ならもたないという根拠は全くないわけです。こういう根拠のはっきりしない数値でもって財政の議論を始めるというのは、有能な学者のやることではありません。つまり、ほかにないから一応めどをつけておこうということであります。多分、政治や行政の現場にいらっしゃる方は、何かそういう数字がないと抑えがきかないという感覚をお持ちになっているんだろうと思います。そういう感覚が支配的であるとすれば、それは民主主義政治の病理であります。
 つまり、具体的にどういうことを政府がやらなければならないかということを詰めていかないで最初から五〇%と切ろうとするのは、それは私は不毛な議論を招くしかないと思います。もし国民生活の安全、安定のために、安心の保障のためにどうしても五五%、こういう制度のもとで国民負担をお願いしなければならないという結論が出るならば五五%でもよろしい。私の申し上げた数字は仮の数字でありますけれども、五五%でもいいんです。五〇%の数字で抑えようと頑張って、国民に対する安心の給付に政府が失敗すれば、これだけ豊かになりながら国民の不安は緩和されませんし、経済の不均衡も拡大するんです。
 今までの日本は、福祉が過剰であったために不均衡が生じたのではないんです。貯蓄が超過する国は貿易が黒字になるというのは現代経済学のイロハのイであります。貯蓄が超過する国は、つまり貯蓄を国内で使い切れない国は貿易が黒字になる。日本の今までの大幅な貿易黒字と行き過ぎた円高が日本の産業に大きなダメージを与えました。この行き過ぎた円高の背後にあるものは貯蓄超過であります。
 日本人は用心深い国民性だと言われますが、その用心深い日本人が将来に対する備えのために、あるいは子供の教育のためにとか住宅ローンのためにとかいうこともあると思いますが、一つは、やはりいろいろ社会保障を政府はおやりになってきたけれども、もう一つ安心感に欠けている、画竜点睛を欠いているということが国民の不安感につながり、貯蓄超過にもつながってきたと私は考えております。
 ですから、中途半端でないやり方で、しかもつまらないばらまきはやめて、今までいろいろやってきたことを全部見直して、これだけはどうしてもやりますよという姿を示して、その上で、いや、五五%はお願いしなきゃならないかもしれないということを、五五%という数字はこだわらないでいただきたいんですけれども、後からそういう数字が出てくるはずなんです。こういうふうに議論を整理していただかないといけない。
 私は、ここのところ小さな政府論がはやりになりましたけれども、小さな政府論は既に破産しているというふうに思っております。小さな政府というふうにおっしゃいますが、日本の政府が現実におやりになっていることは小さな政府路線ではなくなっているんだと私は思う。小さな政府路線は守れなくなっているんです。
 私は、一つの指標を申し上げますならば、一九八九年に、消費税引き上げに対する国民の反対ということの衝撃をお受けになってと思いますが、ゴールドプランというものをお立てになりました。高齢者の介護について政府は責任を持つということをお示しになったわけです。
 中身は私は不十分であったと思います。当時の時点でホームヘルパーの数にして二〇〇〇年に十万人とおっしゃっていたけれども、そんなことで日本の介護が、安心のある老人介護ができるはずがないというふうに思っておりました。五十万人は必要だというのは私の当時の主張なんですけれども、でも、不十分ではあっても介護について政府が無視できなくなったということは、それなりの負担を暗に国民にお願いするということがあったはずであります。でも、そのことは明示されませんでした。どのぐらいの費用をどういう方法で調達するかということは必ずしも明確ではありませんでした。そういう方向転換をなさった。地域のボランティアと家族の介護で何とかなるという考え方でかなりやってこられたわけです。臨調路線はまさにそうだったわけです。高齢化社会が来るから今のうちに政府を小さくするというとんでもない議論を振りまいたわけです。
 私は批判をいたしました。臨調は国鉄の民営化等々の功績はありますけれども、日本経済にとっては破壊的だった。福祉社会づくりの基盤を整備する条件を破壊した。将来、高齢化社会が来るから今のうち小さな政府というのは誤りなんです。将来、高齢化社会が確実に来るのだから、今のうちにやるべきことをやりましょうと。将来の世代への負担をふやさないために、今の世代の皆さん方、負担してくださいと言わなきゃいけなかったんです。それを避けた。時間の軸を入れてお考えくだされば、この誤りは極めて明確なんです。錯覚をなさったのか、知っていて誤ったことをお書きになったのか知りません、当事者に聞いたことありませんから。でも、こういうことをやってこられたわけです。しかし、それでは間に合わない。
 さらに、九〇年代に入りまして、今まさにスタート目前でありますが、介護保険という制度をお入れになったわけです。介護保険の制度を入れたということは、保険料という形での負担増は確実になるわけであります。それだけではありません。介護保険の保険料は保険料という形で集めますけれども、これで介護の費用は賄えない。御存じのように、半分以上は国と地方の一般財政からの負担です。
 では、その一般財政からの負担がふえる裏づけをどうするのかということを御議論なさったんでしょうか。もし、その裏づけになるような新しい税体系を考えておられないのだとすれば、暗に借金に依存するということではないでしょうか。借金に依存するということは、つまり中央、地方の公債がこれでまたふえるということであれば、将来の世代の負担がふえるということです。これでどうして小さな政府論なのかということなんです。
 私は、小さ過ぎる政府は国を滅ぼしますよと。やるべきことをきちんとやり、必要なことをきちんと政府がやる、そのかわりやるべきでないこと、不必要なことからきっぱりと手を切って新しい制度体系をつくるという、そういう有効な政府をつくるということを目標にしていただきたい。有効な政府をつくるというときに、その見通しを、展望を明らかにして、将来の世代の負担をこれ以上ふやすわけにはいきませんよということを含めて、国民を十分に説得していただきたい。民主主義というのは大変厄介な制度ではありますけれども、でも、一人一人の議員さんが、自分の選挙区を駆けずり回って票を集めるんじゃなくて、日本の将来はどうするんだということをめぐって政党の間でも大いに議論していただきたい、そういう問題を最初に申し上げておきたいというふうに思います。
 どうもありがとうございました。拍手
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倉田寛之#3
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 次に、中山公述人にお願いいたします。中山公述人。
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中山徹#4
○公述人(中山徹君) 御紹介にあずかりました奈良女子大学の中山です。
 時間が限られていますので、早速本題に入らせていただきます。
 私の専門は都市計画とか公共事業、そういった問題を扱っております。そういう専門から日本の国家予算もしくは自治体の予算なんかを見ますと、どこに大きな特徴があるかといいますと、他の先進国と比べますと明らかに公共事業費が非常に大きいというところに日本の予算の大きな特徴があるのではないかなと思います。
 それがどういうものかというところ、お手元に資料が届いていると思いますので、それを参照しながらごく簡単に触れます。
 図の二というのがあるかと思います。一般政府固定資本形成の対GDP比という資料ですが、大体おおむねこの三十年ほどの推移を見ているものですけれども、ちょっと見づらくて申しわけないんですが、一番上のグラフが日本です。一九七〇年代後半から日本の公共事業費というのは他の先進国の倍以上の推移をずっとたどっております。
 また、図の三というのが右の上にありますけれども、一般政府固定資本形成、公共事業の工事費ですが、これを実際の金額ベースで見たものです。
 一九九五年の公共事業の工事費ですけれども、日本の公共事業費をアメリカのドルに換算しますと大体三千二百七十九億ドルになります。当時、アメリカは千二百九億ドルぐらいの公共事業をやってきたわけです。日本の国というのは、アメリカの国土面積と比べますとアメリカの方がはるかに大きいわけですが、そのアメリカで行ってきた公共事業の倍以上の公共事業を日本の国は一九九五年にやっておりました。
 また、ほかの先進国、日本を除く六つの先進国をすべて足した値がそのグラフの一番右に出ています二千六百八十二億ドルです。ですから、そういう意味では、日本の国というのはほかの六つの先進国の公共事業費をすべて足した以上の公共事業をこの年には行っていたということになるかと思います。
 ちなみに、例えば都道府県で見ますと、ここの東京都でいいますと、東京都内で一年間でこの年に行っていた公共事業は、このグラフでいいますと大体イギリスぐらいに当たります。ですから日本の場合、公共事業をたくさんやっている都道府県というのは東京とか北海道になるわけですけれども、そういった東京とか北海道でやってきた公共事業というのは大体イギリスと同じぐらいというような金額になるかと思います。
 日本の予算、国とか自治体まで含めまして非常に大きな特徴というのは、こういう公共事業予算が非常に大きいというところにあるのではないかと思います。
 では、なぜこういう公共事業予算が大きくなったかということなんですが、その図の二というのをもう一度見ていただいたらおわかりのように、九〇年代に入ってから日本の公共事業予算がふえています。
 これには幾つかの理由があると思いますが、一つ大きいのは、公共投資基本計画というのがございます。日本の国は公共投資基本計画というのを立てております。そこで、日本の公共事業を内需拡大のためにふやしていくという、これを国際的な公約にしたわけです。そういう中で、九〇年代に入ってから公共事業費が急増しております。
 また、もう一つ大きなのは、ここでもずっと議論されていると思いますけれども、景気対策です。九一年にバブルがはじけました。それ以降、日本は不況に入っていくわけですが、その中で、日本の国の不況対策といいますと公共事業の拡大というふうになっております。ただ、御承知のように、前の内閣のときに財政構造改革で議論されておりましたが、今先進国の中で景気対策で公共事業を拡大している国というのは日本だけでございます。
 図の四というのに資料を挙げておりますけれども、これは一九八五年、九〇年、九五年の公共事業費の比率を見たものです。各国ごとにグラフを三つ挙げておりますが、特に見ていただきたいのが九〇年と九五年のグラフです。
 アメリカは九〇年代半ばからやや景気が回復してきていますが、おおむね九〇年代の前半というのは国際的に見て景気が余り芳しくなかった、特に先進国は芳しくなかった時代です。その時期にカナダとかフランス、ドイツ、イタリア、イギリス、そういった国々は公共事業の予算の比率を下げております。
 これはある意味では当然でして、不況のときというのは税収が減ります。そういう中で公共事業も抑制しているということなんですが、日本の国は不況対策といいますと公共事業をふやすということになっておりますので、九〇年代に入ってから他の先進国とは違って公共事業費を非常にふやしたという、そういう経済対策をとってきたのではないかと思います。そういった景気対策によって九〇年代に入って公共事業費が非常にふえたのではないかと思います。
 また、私のように都市計画を専門的にしていますと、今の自治体のあり方というのも問われるかと思います。
 御存じのように、この間、国際化とか情報化、そして規制緩和、そういったものが物すごく進んでおります。そういう中で各自治体は、国際化、情報化の波に乗りおくれては大変だ、国際化とか情報化、そういうのに勝てるような地域社会を築いていく必要があるということで、日本の各都市が国際化や情報化に役立つような大型公共事業をこの間競争のようにやってきたわけです。そういった背景で九〇年代に入って公共事業費が非常に膨らんだのではないかと思われます。
 さて、そうなってきますと、九〇年代に入って非常にふえてきた公共事業が当初予定していたような経済効果をもたらしてきたのかどうか、この点を考えておくことが日本の今後の予算を考えていく上では非常に重要になるのではないかと思います。
 特に、公共事業と景気の関係でいいますと重要な点が幾つかあります。
 一つは、いわゆるストックの効果と言われているものです。これは何かといいますと、公共事業で高速道路とか空港をつくりますと、当然、後々それを使って経済の活性化が図れるわけです。確かに、六〇年代から七〇年代にかけての高度経済成長期、例えば東海道新幹線ができて東名高速道路や名神高速道路が当時つくられました。そういった公共事業というのが日本の当時の経済発展にある一定の寄与を果たしてきた。これは事実だと思います。ところが、この間行われてきた大型公共事業、それが日本の経済にとってストックとして大きな役割を果たしてきているかというと、この辺はやや慎重に考える必要があるのではないかなと思います。
 例えば、この近辺でいいますと東京湾の横断道路、またもうちょっと西の方へ行きますと本四架橋があります。また、自治体が行ってきた大きなプロジェクトでいいますと、ここでしたら東京の臨海副都心開発、また私の住んでいる大阪でいいますと、大阪のりんくうタウンなどをこの間ずっと手がけてきています。
 ところが、そういった公共事業を見ていますと、当初予定していただけの利用が行われていくか、当初予定していただけの採算があるか、また当初考えていただけの企業進出が見込まれてきたか、そういった点を判断していきますと、大型公共事業をやってきたのがストックとして経済の活性化に当初予定していたほど役立ってきているかというと、この辺は必ずしもそうではないのではなかったかと思います。
 また、公共事業に、経済的な問題でいいますとストック以外にいわゆるフローの効果というのがございます。このフローの効果というのは、公共事業をやればたくさんのお金が動くわけで、そのお金が景気の回復に与える効果です。このフローの効果というのも、大きく分けると二つあります。
 一つは、公共事業をやりますと、当然そこでは建設会社が仕事を受けるわけですけれども、建設会社が仕事を受けるだけではなくて、製鉄所とかが鉄を受注するわけですし、また公共事業をやりますとたくさんのセメントなんかを使います。公共事業をやりますと、そこで鉄やセメントなどいろんなものを使って、それがさまざまな別の産業に波及していく効果があるわけです。
 公共事業はそういう効果が非常に高い分野だというふうに言われてきました。確かに、かつての高度経済成長期、そういった面はかなりあったかと思います。ところが、最近の様子を見ていますと、必ずしもその辺の効果がかつてほどは高くなくなってきたのではないかなと思います。
 なぜそういう変化が起こっているかと申しますと、御承知のように、一九八五年にプラザ合意があって、それ以降急速な円高が進んでいく中で、日本の製造業は、日本の国内で工場をフル回転させるというよりも、むしろ日本の国内の工場を海外に移していくという、そういう方向が一九八〇年代半ば以降急速に強まってきたわけです。
 かつてのように公共事業でたくさんの資材を使えば、それがそれ以外の産業にもどんどん波及していって、そこで新たな設備投資を次々引き起こしていくというようなことが最近ではほとんどなくなってきています。強いて仮に公共事業でたくさん鉄を使ったとしても、かつてのように日本の製鉄所がそれを受けて日本国内で新たな工場をつくるかというと、もう今ではそういうことは恐らくあり得ないと思います。そういう意味では、公共事業が持っているこの波及効果、それが年々低下してきているんではないかなと思われます。
 また、もう一つ公共事業が持っているフローの効果として大きいのは雇用効果でございます。公共事業をやりますと、そこでたくさんの人を雇用することができます。雇用された人は当然給料をもらうわけです。給料をもらいますと、その人たちはそれを消費に使います。公共事業というのはそういう個人消費の拡大につながる効果が非常に高いというふうにかつては言われていました。確かに、景気が悪いときには失業する方がふえるわけで、その人たちを公共事業で救っていくという政策が日本の国は伝統的にとられてきたわけです。
 ところが、最近、その雇用効果という点を見ても公共事業の持っている効果がやや衰えてきているんではないかなと思います。それを見ているのが、お手元にお配りしています資料の裏側になりますが、図の七でございます。これは建設省が出している公共工事着工統計年度報からつくったものですけれども、すべての公共事業を網羅している統計書ではないのですが、大体大まかな経過はわかるかと思います。一番太い実線がこの十年間の公共事業費の変化を見ておりますが、大体公共事業費はこの十年間で五割ほどふえています。それに対して、例えば総工事費百万円当たりの労働者数を見ますと大体五割ほど減っています。そういう意味では、公共事業の持っている雇用効果がかつてのように高いかといいますと、最近の雇用効果という点でいいますとやや衰えてきているんではないかというふうに判断できると思います。
 そういった点から見ますと、公共事業を景気対策としてやっていく、日本の政策というのは伝統的にそういうことを行ってきたんですが、そういった効果というものをもう一度見直しておく必要が今あるのではないかなと思います。
 では、どうすればいいのかということなんですが、公共事業というのはどんどん拡大しますと当然借金がふえます。日本の財政状況が極めて深刻だということは国会でも議論されておられるとおりでして、そういった財政状況が厳しい中で一体どう考えていったらいいのかということがあるかと思います。
 私のように都市計画とか公共事業をやっている者からいいますと、今の日本の公共事業はもう一度きちっと内容を見直していくべきときに来ているのではないかと思います。特に、今のような財政状況を考えますと、緊急度の低い公共事業もしくは採算性に疑問のある公共事業、そういった公共事業についてはかなり内容を精査していく必要があるのではないか、そのように思います。
 もちろん、国際化がどんどん進んでいく中で、そういった社会資本整備が全く不要だと言っているわけでは決してありません。私も都市計画を専門にしていますので、日本の社会資本整備が先進国と比べると劣っているということは当然事実としてあるわけでして、すべての社会資本整備をやめろと言っているわけでは決してありません。ただ、今のような財政状況、国民の暮らしの状況を考えますと、今本当に慌ててしなければならない公共事業というのは何なのか、その辺を精査していく必要があるのではないかなと思います。
 例えば、国際化というとすぐ空港というふうな感じになろうかと思います。もちろん、空港というのも非常に重要な施設で整備していく必要はあるのですが、例えば首都圏では成田がありますし羽田があります。今、首都圏の第三空港の計画というのもあります。静岡に行きますと静岡空港が計画されていますし、愛知県に行きますと愛知新空港に名古屋空港もあります。滋賀県に行きますと琵琶湖空港の計画があります。私が住んでおる大阪には関空がありますし伊丹があります。神戸市は今、神戸沖空港の計画を進めています。兵庫県は姫路に空港をつくる計画を持っています。岡山に行きますと岡山空港。広島空港それから広島西空港。山口県に行きますと、山口県は東部に空港をつくりたい計画を持っておりますし、今既に山口宇部空港があります。九州に入りますと北九州空港があって福岡空港があるわけで、ちょっと数え間違っているかもしれませんが、おおむね首都圏から九州までに十八ぐらいの空港がこれから並んでいく可能性があると思います。
 ただ、例えば新幹線の「のぞみ」に乗りますと、東京を出ますと、通常は名古屋にとまって、京都にとまって、それから大阪、岡山、広島、小倉、博多、「のぞみ」でも八つしかとまらないわけでして、その間に十八の空港を並べることが、それは予算がたくさんあればいいと思うんですけれども、今の時代そういう整備を進めていくことが本当に日本経済、国民生活にとって必要なのかどうか、そういった内容を精査していく必要が今の財政状況を見ればあるのではないかというふうに考えています。
 ただ、そういうことを申していますと、いや、この間公共事業を行ってきたから日本の経済はここで食いとめられているんだ、もし公共事業を削減すればもっと失業者がふえて大変であったはずだというふうな議論も聞かれます。
 ただ、その点をどう考えればいいかということで、私自身、試算をしたことがありますので、それを紹介しておきますと、図の八と図の九があります。これはちょっと急いでいまして、タイトルが図の八と図の九を反対にしてしまって申しわけないんですが、この図の九の折れ線グラフの方が、これは普通建設事業の一般財源に対する比率、自治体の公共事業費を見ているものです。見ていただければわかりますように、九〇年代に入って公共事業費が急増しています。
 私がどういう試算をしたかといいますと、仮に九〇年代に入ってこれだけ公共事業をふやさなかったとすれば、別にゼロとしろとは言いません、せめて八〇年代後半ぐらいの水準、一般財源に対して四割程度の公共事業費の水準で仮に九一年以降推移させておれば日本の経済はどうなっていたのかというのを見ました。
 もちろん、公共事業を削減する、それだけをすれば景気に対して悪い影響が出るのは当たり前ですが、公共事業を削減することによって財源が浮いてきます。その財源を、私が考えたのは、社会保障、自治体でいえば民生費になりますけれども、仮にそういったところに充当していたとすれば日本の経済はどうなっていたかというのを見たものです。
 御承知のように、これから少子高齢化社会に入っていくということで、社会保障予算の拡充というのはむしろ求められていると思います。従来でしたら、社会保障といいますと、国民生活の向上には必要だけれども、経済対策という面から見るとややお荷物ではないか、むしろ経済的に見ると浪費ではないかという考え方が強かったと思うんですが、社会保障とか民生費というのは経済的な面から見ましてもそれなりの一定の効果を持っています。特に、社会保障の持っている経済的な面で多いのは雇用効果です。公共事業と比べましても社会保障というのはかなりのそういった意味では雇用効果を持っています。
 もし、公共事業を九〇年代に入ってこれだけふやさずに、そこで浮いてきた予算を社会保障に該当しておればどうなっていたか。それを計算しましたが、結論だけ申しておきますと、経済的な波及効果という面ではほとんど変わりません。
 それに対して、今失業者がどんどんふえています。雇用効果という点だけを見ますと、むしろ公共事業を八〇年代の水準で推移させていて、それで浮いてきた財源を社会保障に充てていた方が明らかに雇用はふえていたというふうな計算結果になっています。
 もちろん、これだけですべてのことが論じられるわけではありませんけれども、今の国民生活の状況とか日本の財政状況そして景気、そういったことを考えていきますと、この公共事業予算というのをどこまで精査していくことができるのか、またそういう中で財政再建というのをどういうふうにめどを立てていくことができるのか、そういったことが、恐らく日本の今の国とか自治体の予算全般を見ていますと非常に重要なことではないか。私のように都市計画をやっている者から見ますと、そのように考えている次第でございます。
 以上です。拍手
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倉田寛之#5
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。
 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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市川一朗#6
○市川一朗君 自由民主党の市川一朗でございます。
 両先生、大変お忙しいところわざわざお出向きいただきまして、また大変貴重な御意見を発表いただきまして、まことにありがとうございました。
 特に、正村先生には、前々から私もいろいろ啓発されておる先生でございまして、先ほどのお話の中でかなりスケールの大きいお話をいただきまして、しっかり論戦しようというような気構えも感じたわけでございますが、ちょっとお聞きしてすぐ論戦を挑むには話のスケールが大き過ぎますので、とりあえず今予算審議しておりますところでいろいろ議論になっております点について、まず先生の基本的な考え方を一、二お聞きしてみたいと思います。
 また、中山先生には、公共事業関係につきましてその後でちょっとお尋ねしたいと思います。
 まず、いろいろお話もございましたが、バブル崩壊以後、日本の経済というのは長期の低迷を余儀なくされてきたわけでございますが、その間、財政はいろいろな状況の中でアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりというお話もございましたが、経済情勢に応じた対応という面においては、私はそれなりに大変頑張ってきたのではないかというふうに思っておりまして、特に具体的な点を一、二挙げますと、一つはやはり公共投資や減税を含めた景気対策に財政は頑張りましたので、民需の落ち込みを相殺できたのじゃないか。そして、景気がスパイラル的に悪化していくのを防止したのじゃないか。そしてまた、金融システムの問題につきましても、複数の金融機関が破綻しまして大変国民不安をあおりかけました金融システムへの信頼というものもある程度回復されたといったようなところで、ここは評価が分かれると思いますが、ここのところ、私どもは我が国経済、自律回復の兆候が見えてきつつあるのじゃないかと見ているわけでございますけれども、そういった点に関しまして、特に長いスパンでの話という中で、バブル崩壊以降の我が国の財政政策につきまして先生はどのような評価をされておられますか、改めてお尋ねしたいと思います。
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正村公宏#7
○公述人(正村公宏君) もし政府が積極的な財政政策をおとりにならなかったらもっと大変なことになったことは事実だと思います。
 金融についても、いろいろ問題点はありますけれども、緊急措置をおとりになったのは、これは金融システムの崩壊を防ぐ効果を、どれだけかというのはわかりませんが、持ったことは事実であります。それは、かつての自由放任経済とは違うということを皆さんが体験なさったと思うんです。非常に政府が重要な役割をする。
 金融の自由化ということについて、話はちょっとそれるかもしれませんが、自由化自由化ということを盛んに言ってまいりましたけれども、自由化ではあるんですけれども、それは規制をなくすことではないんです。護送船団方式と言われるような、金融機関を保護するという形で間接的に預金者の資産を保護してきた、こういう仕組みから、もっと競争原理を働かせながら別の方法で預金者の資産を、ミニマムを保証するという新しい規制です、これは。あるいは金融機関の放漫な経営を国民にかわって、預金者にかわって監督する。
 ですから、自由化とか規制緩和とかいう言葉は非常に誤解を生んでいるのであって、政府の役割は軽くはならない、政府の役割の質が変わるということをしっかり理解してこなかったところに問題があったと思います。
 そして、危機が発生したときに、率直に言って慌てられたと思います。それはバブルの崩壊の後遺症が非常に大きかったわけですから仕方がないんですけれども。財政についても、私は緊急の、いわば堤防の決壊を防ぐための措置をおとりになったというふうに理解しております。
 その措置をとるときに、残念ながら過去二十年なり三十年なりの間に取り組んでおかなければならなかった日本の財政構造の改革ということがおくれているために、税制もそうです。私も税制調査会の専門委員をしばらくやっておりまして、多少は議論を知っておりますけれども、テーマは話題になるんですけれども、決まらないんです。あらゆる委員会にそういう傾向があります。調査会、審議会にそういう傾向がありますけれども。それをずっとやってきて、ここに来ていますね。
 そこで、応急措置をとるということになれば、今の財政制度、今の財政構造の枠の中でやらなければなりません。したがって、手っ取り早く言えば、手っ取り早く公共投資を拡大せざるを得ない。公共投資というのは、日本の財政法では公共投資は一応公債発行の可能性が制度として認められておりますから比較的楽にやれる。その枠を超えて公債を発行しておられますけれども、今の制度の状況の中ではやはり公共投資に依存せざるを得ない。その長期的な効率とか、今お話がありましたような当面の経済効果ということを一々考えて選択するということは不可能な状態になっている。
 私は、堤防の決壊のための応急措置をなさったという範囲のことであると思います。その応急措置の結果として、財政赤字はさらに拡大したわけです。公債の残高はさらにふえたわけです。将来にまた重い後遺症を残すことになったわけです。そのことを考えないわけにいかないと思います。
 九〇年代の不況の重要な特徴の一つは、消費が冷え込んだということなんです。過去の景気循環の過程での不況期の重要な特徴の一つは、消費が堅調で下支えを、落ち込みを防ぐという効果を持っていて、その土台の上に、景気の動力は設備投資なんですけれども、下支えを消費がしていたわけです。その消費が冷え込みました。これが景気の回復を非常に悪くいたしました。その消費の冷え込みというのは、やはり国民生活の不安感が非常に大きいという、そういうことをあらわしていると思うんです。そこにやはり七〇年代以来の日本の社会保障への取り組みとか、そういうものの立ちおくれがあります。
 ですから、そのことをお考えいただきたいということなんです。九〇年代の政策は、その極めて厳しい状況の中で、後に物すごい後遺症を残すような形で過去の後遺症の後始末に追われたということを考えますならば、こういう危機のときこそ超長期の問題との取り組みを始めていただく必要があるのではないかというのが私の意見でございます。
 どうもありがとうございました。
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市川一朗#8
○市川一朗君 超長期的な取り組みの必要性につきまして、また時間がありましたら後ほどお尋ねしたいと思いますが、もう一点だけちょっと、最近のこの予算委員会でよく議論しております問題点で正村先生の御意見をお伺いしたいと思います。
 今のお話にもございましたけれども、現在の我が国の財政の状況は、先生もお触れになりましたように、非常に厳しい状況になっていることは事実でございまして、平成十二年度の公債依存度も三八・四%、それから平成十二年度末、国、地方を合わせました長期債務残高は六百四十五兆円ということで、大変な深刻な状況でございます。
 大蔵省が予算委員会の資料として配っております「財政の中期展望」というのがございました。非常に簡単な計算ですので私などは不満がいっぱいあるんですが、ただ、やはりそこには極めて示唆に富む数字がございまして、GDP成長率を仮に三・五%と前提を置いて計算してみた場合、余りいろんな政策的な変数は入れていないのでございますが、結局平成十五年度は財政はむしろ悪化するというような計算もしているわけでございまして、これは堂々と予算を出している政府側から私どもに資料として提供されているという状況の中で、我々は予算の審議に真剣に取り組んで議論しているつもりでございますが、こうした状況を見ますと、先生も指摘されておりますように、財政の構造改革というのはもう避けて通れない課題であるということは、私も言うまでもないことだと思っておりますが、しかしながら、小渕総理が我二兎を追わずと言っておりますが、経済がようやく最悪期を脱しまして緩やかな回復基調に入りかけておる今、その足元を固めることなく財政再建に取りかかるという過ちは犯すべきでないという考え方で私などはいるわけでございます。
 先生の先ほどのお話も、急いで短期間にやる問題ではない、しっかりと取り組むべきであるということで、私は我が意を得たりという感じがするわけでございます。要するに、今なすべきことは、せっかく上向きかかってきた景気を本格的な回復軌道に乗せて、かじ取りに過ちなきよう万全を期して着実に国力の回復を図ることが重要で、そして財政再建、財政の構造改革にも長期的にしっかりと取り組むという考え方で私どもはいるわけでございますが、先生はこの点につきましてどのようにお考えになっておりますか。先ほどのお話で大体尽きていると思いますが、もう少し細部にわたってお聞かせいただければと思う次第でございます。
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正村公宏#9
○公述人(正村公宏君) 時間をかけて取り組まなければならないということは、問題を先送りするということであっては絶対なりません。
 それで、財政構造改革の展望を示すということ自体が景気の回復にプラスに作用すると思うんです。それは、財政構造改革をするということが、ただ将来の負担をふやすということにつながるだけだ、あるいは将来の歳出のカット、切り詰めにつながるだけだという、そういう予想を国民に抱かせるような性質の財政構造改革論をにおわされたならばこれはマイナスですね。
 でも、この極めて重大な、ほとんど破産していると言ってもいいほどの国家の財政を我々は立て直すことができるんだ、その立て直すということはただ切り詰めをやるということではなくて、国民の安全、安心、安定のためにどうしても必要なことについてはこういう対応をしますと。例えば、年金、医療、福祉、これはばらばらに扱われてきているんですね。そうではなくて、総合的な社会保障、社会福祉計画をお示しになって、これだけの負担はお願いしなければならないかもしれないけれども、そのかわり、心配で心配でたまらなくて生命保険会社と契約したりというのをやたらにやるということはしなくても済む状態になりますよということを示してくださることが非常に重要だと思うんです。
 ですから、当面は景気対策でやむを得ず今の制度ではこれをやっていますよという弁明は、賛成はいたしませんが、理解はいたします。でも、だから構造改革論はちょっと待ってくださいという話では済まないだろうと。そうではなくて、構造改革論をむしろ積極的にお取り上げになって、そして付加価値税を一五%まで上げなければならないかもしれないけれども、年金、医療、福祉はこういう形に持っていけますよという、そして財政の健全化の可能性は、立て直しは我々できますよ、今非常に危機的な状態だけれどもという、そういうことを今おやりになることが非常に重要だと思うんです。そういうふうに私は思っていますけれども。
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市川一朗#10
○市川一朗君 先ほどの先生のお話にもございましたけれども、先生、最近立派な御本をお出しになられて、私も読ませていただきました。
 あの中でも述べておられますけれども、やはり私も、何といいますか、人間と社会の再生産力をどのように維持していくかといった、先生が表現されておられるそういう問題意識に非常に強く共鳴を覚えている一人でございますが、そういった中で、少子化、高齢化というのを文明史観的なとらえ方でこれからの財政、経済の問題を議論すべきだという御主張はまことに同感の至りと私は思うわけでございます。
 その中で、きょうも触れておられますが、公的介護の問題一つ取り上げても、やはり国民の負担のあり方をどう持っていくかということが極めて重要でございまして、選挙で当選しなきゃならない政治家としての立場をよく考慮されて叱咤激励の部分もあったというふうに理解しておりますが、ただ、今予算委員会の場でも、またいろいろ政治家の中で議論がありますのは、例えば公的介護をどういうふうにやっていくかということで、保険制度でやっていくか、いわゆる税制の形で賦課的にやっていくかというような問題でいろいろ議論が分かれておりまして、いろんな議論の結果、保険制度でスタートすることにしたわけでございますが、しかし少子化の時代を迎えますと、もう既に年金あたりではっきり兆候が出ておりますように、保険制度というものの限界というものが今、日本の社会では見えてきているわけでございますね。特に、先生が御指摘なさっている少子化の急激な状況が現実化してまいりますと、保険というものは果たして従来我々が考えてきたような保険でうまくいくのかなというような問題もあると思います。
 そういった面で、ちょっと質問の仕方としては少し幼稚かもしれませんが、例えば公的介護保険制度について先生はどのように評価されており、そして長期的に見て今後はこういうふうに考えるべきではないかというようなお考え方がございましたら表明していただければと思います。
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正村公宏#11
○公述人(正村公宏君) 介護を保険にするという制度は、世界の中で少数派だと思います、国でいいますと。
 日本の政府も、多分ドイツの八〇年代以後導入されました介護保険制度を参考になさっていると思いますが、非常に違うんですね。ドイツの介護保険制度というのは、障害の原因を問わないで要介護状態になったすべてのハンディキャップドピープルを介護の対象にするということでありまして、今までの普遍的な社会的な扶助の制度を普遍的な社会的な介護保険の制度に切りかえるということをやっているわけです、ドイツの場合は。ところが、日本の場合には、初めは二十歳という情報が伝わっておりましたが、結局四十歳以上からだけ保険を集めて、そして原則高齢者だけを対象にするという限定された方法で始められたわけですね。
 それで、いろいろな点で問題があります。私は、新聞などで求められて多少論争にもかかわりましたけれども、こういう制度は無理ではないかと。まず、保険料だけで賄えない。それから、保険料の徴収そのものにも不安がある。それは今までの国民健康保険やその他を見ていればわかることでありますけれども。
 私は税でやるべきだと。付加価値税を差し当たり二%国民に訴えて、そしてこれを地方に高齢者の数に応じて配分し、特別会計に組み込ませて住民に開示して、この部分を介護に使うと。経済が発展し社会構造が大きく変わり農山漁村から若者がいなくなっちゃったという状況のもとでございますから、各自治体に財政的自立を求めることは不可能であります。年をとった人たちを支えるべき人たちは都会へ出てしまっているわけですから、こちらで税を集めて、そしてプールをして、財政についてはナショナルシステムで、全国的なシステムで調整をする。
 しかし、介護のシステムをどう構築するかは、地方によって非常に状況が違いますし、いろいろ工夫をしていらっしゃる地方の首長さんもおられるわけでありますから、もっと自主性に任せる。分権の時代でありますから、介護サービス、人と人との間の対人関係が基本的に重要なものですよね、サービスというのは。社会福祉の特徴であります。
 ですから、財源の調整についてはナショナルシステムを考えなければならないけれども、サービスについては分権的におやりになったらどうですかと。透明性を高めれば、隣の自治体がやっているのをおれのところもやってくれないのかという、そういう自治体間の競争も起こってまいりますし、むしろ改善されるだろうと思います。
 ただ、今ここまで来てしまった段階で、介護保険制度の発足をおくらせるとか保険料の徴収を少し先送りするとかという措置は私はおとりにならない方がいいと思っております。
 そうではなくて、ここまで来た以上は決意を持ってスタートさせて、保険料もちゃんとお取りになって、そして受益と負担の関係についての意識をはっきり持ってもらう。ついでに、皆さんからいただいている保険料では半分も賄えていないんです、一般財政からこれだけのものを出さなければならないんですということをやはり情報公開なさったらいいと思う、徹底的に。そして、どういう姿がいいですかということを改めて議論して、そして安心ができる状態で、しかも乱用されない仕組みというのはどうしたらいいのかということについてもっと世論を起こさないといけません。それが不足しているというふうに私は思っております。これは二年、三年、五年かけて御検討いただくべきことじゃないかと思います、非常に厳しい状態になっていると思いますけれども。
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市川一朗#12
○市川一朗君 大変貴重な御意見、ありがとうございました。
 中山先生、ちょっと時間が少なくなりまして、大変恐縮でございます。
 先生は、都市計画、公共事業の専門とおっしゃっておられましたが、景気対策と公共事業の関係についての中山先生の御意見は、私としてはちょっといろいろ意見がございますが、ただ、先生の御意見としてはきょう非常に明快に御説明いただいたと思います。お考えはよくわかりました。
 時間もございませんので、私はその前の部分、先生が公共投資基本計画という形で触れられましたが、本来は景気対策で公共事業をやるというのはおかしいのでありまして、専門家ということでそれは御理解いただけると思うんです。やはり日本に必要な社会資本の整備を行う、これが公共事業の基本でございます。やはり公共投資というのは長期の計画に従って必要なものをやると。
 これは、先ほど正村先生もそういう表現をなさったと思いますが、そういった観点に立った場合、今の日本の公共投資のあり方につきまして、先ほど空港を例にされて厳しい御指摘がございましたが、こういうふうにやるべきではないかといったようなことにつきまして、公共投資基本計画、あるいは個々のあれでもよろしゅうございますが、そういう計画をつくる側に対するサジェスチョンという形で先生の御意見を御開陳をいただければと思う次第でございます。
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中山徹#13
○公述人(中山徹君) 今御指摘にありましたように、公共事業というのは、本来どういう社会資本が必要かという、そういう視点から当然組み立てていくものだと思います。
 ただ、日本の公共事業の原型というのがいつごろできたのかといいますと、大体おおむね一九六〇年代ごろの高度経済成長期に日本の公共事業の原型ができたのではないかなと思います。
 当時の日本経済というのはどういう状況であったかといいますと、今とは違いまして、どんどん工場が国内でふえる、もしくは人口がどんどんふえる。そういう状況の中で、そういうふえる産業とか人口の受け皿をどうつくっていくのか、そういう公共事業が日本の国ではつくられてきたわけです。例えば、ニュータウンをつくるとか高速道路をつくる、工場団地をつくる。それを私は開発型公共事業というふうに呼んでいるんですけれども、そういうふえ続ける産業や人口の受け皿としての公共事業というのが大体おおむね一九六〇年代ぐらいにつくられてきたのではないかなと思います。
 ところが、今これからの日本を考えますと、日本の国内でどんどん工場がふえるとか、もしくは、日本の人口もあと数年後がピークですけれども、人口がどんどんふえるということは恐らくあり得ないと思います。そういう時代の中で、かつてのように行ってきた次から次へと開発していく公共事業、そういった開発型公共事業を続けると、どうしても社会的な浪費が発生するのではないかなと思います。
 むしろ、これから日本が少子高齢化社会に向かっていく中で、また、むしろ日本の産業が余り国内でどんどんふえるような、そういうのとは違う時代の中で、そういった開発型の公共事業ではなくて、私は改善型の公共事業と言っているんですけれども、今ある市街地を例えば防災的に強いものにしていくとか、高齢者でも安心して暮らせるような町にするとか、住宅の改善を行っていくとか、かつてのように人口や産業がふえるような時代に行ってきた公共事業とは違って今あるものを改善していくような、そういった改善型の公共事業に重点を移していくことがこれからの公共事業では重要ではないか。開発型公共事業から改善型公共事業、そういうふうに公共事業の内容を変えていくということが公共事業のあり方という点では重要ではないかなというように考えております。
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市川一朗#14
○市川一朗君 それに若干関連しますが、例えば、言葉が適切かどうかはわかりませんが、いわゆる再開発といったようなことの重要性というのは、特に東京や大阪に住んでいますと市民ひとしくみんな感じている問題だと思いますが、ところが実際やるとなりますと、そこへ住んでいる人たちのいろんな居住条件その他の条件を変えていくという問題もございますし、またある程度の負担も願わなきゃいけないという問題があって、なかなか住民同意をとることが難しい。しかし、これからの都市計画は、やはり住民参加の中で、合意形成の中で進めなければうまくいかない。
 そこのところは、私は非常に難しい二つのジレンマの中で、しかしなし遂げていかなきゃならない問題だというふうに思っておりますが、そういった問題についての住民参加とか住民合意とか、そういう問題につきまして中山先生のお考えをお聞かせいただければありがたいと思う次第でございます。
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中山徹#15
○公述人(中山徹君) 今の御意見を伺いまして非常に心強く感じたんですけれども、日本の都市計画とか公共事業を見ていますと、諸外国と比べますと、そういった市民の意見をどう取り入れていくか、また市民の意見を聞きながらどのように改善していくか、その点が、最近はやや改善はされてきているんですけれども、やっぱりまだまだ弱い側面があると思います。
 特に、都市計画の場合も今度地方分権との関係でかなり変わりましたが、まだまだ、地方での独自性を生かした町づくりができるか、また例えば国でも今公共事業の再評価などに取り組んでおられますけれども、そういった再評価をしていく上で市民の意見をどう反映させていくのか。そういった点から見ますと、日本の取り組みというのが他の先進国と比べて非常に進んでいるかというと、なかなか残念ながらそういう状況にはまだなっていないのではないかなと思います。
 ですから、そういう意味では、今御指摘がありましたように、町づくりというのは二十年、三十年、もしくは数十年かけて行っていくものです。特に急いで、人命にかかわるような事業というのはこれは急がなければなりませんけれども、そうでない事業というのはかなりの時間をかけてやっていけばいいと思います。特に景気対策との関係で慌ててするというよりも、むしろ市民の意見とかそこに住んでいる方の合意を図りながら長期的な時間をかけてきちっとやっていくべきものが本来の都市計画や公共事業だと思います。
 ですから、そういう点では、今後地方分権を進めていくとか、市民の意見を聞く制度をつくっていくとか、そういった取り組みをしていただけたら非常に心強いなというふうに感じた次第でございます。
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市川一朗#16
○市川一朗君 どうもありがとうございました。
 きょうは大変貴重な御意見を両先生からお伺いしたと思っておりますが、特に正村先生、私どもも、二十一世紀を迎えまして、非常に日本経済が厳しい状況の中で、しかししっかりと国民の立場に立って頑張っていきたいと思っております。これからもどうぞよろしく御指導を願いたいと思う次第でございます。
 ありがとうございました。
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浅尾慶一郎#17
○浅尾慶一郎君 正村先生、中山先生、大変わかりやすいお話、ありがとうございました。
 まず、正村先生にお伺いをさせていただきますが、先生のお話の中で、日本は貯蓄過剰だ、それがひいては貿易黒字につながるというお話がありまして、私もそれはそのとおりだろうなというふうに思っておりますが、この貯蓄過剰の状況を変えていくためには恐らく二つのことが必要なのではないかなと。
 先ほどお話で触れておられましたように、六十五歳以上の方がほぼその千三百兆円の貯蓄の大宗を持っておられる状況。それはなぜかという原因を考えると、将来に対する不安ということにつながるのかなということでございますので、総合的な社会保障の制度をつくるということもそのとおりというふうに思っておりますが、もう一つ大事なのは、国内で新しい投資というものをつくっていくということ、投資機会ということをつくっていくことがひいては貯蓄過剰の解消につながるのではないかなというふうに思っております。
 そこで、正村先生に伺いたいのは、前半の将来に対する不安ということはそのとおりだと思っておりますので、それではなくて、この日本の中に新たな投資機会、今IT革命ですとかバイオですとか、アメリカを中心とする、あるいはアメリカ、イギリスの方では大変な新しい産業ということで、百年に一回あるいは二百年に一回のビジネス機会というふうに言われておりますが、日本の中でどういうふうにしたらそういったようなものがつくれるというふうに考えておられるか、もし御意見があればお伺いしたいと思います。
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正村公宏#18
○公述人(正村公宏君) 貯蓄が非常に大きかったというのは過去なんですね。これから非常に高い貯蓄がずっと続くというふうに私は考えているわけではありません。
 急速に高齢化していくわけであります。それから所得の伸びが落ちてまいります。いろいろな事情がありまして、高い貯蓄率がそのまま長く維持されるかどうかはかなり疑わしいと思っております。その点はまず留保をしておかないといけないと思います。さま変わりしてうんと減ってしまうということはないと思います、高齢者がまた貯蓄をしたりしている社会でありますから。ですけれども、今までのような形でそのまま高貯蓄が続くかどうかというのは疑わしい、世代もかわってまいりますから。
 ただしかし、御指摘のように、貯蓄を国内で有効に使うということが必要であるということはおっしゃるとおりであります。しかし、主要な部分は民間なんですね。民間の設備投資の水準が六〇年代、七〇年代、八〇年代と落ちてきているわけです。九〇年代は民間の設備投資が非常に落ち込んだということが景気を悪くしたわけです。景気を悪くしたということは、九〇年代に日本経済にとって可能であった水準の成長率よりは低く現実の経済成長率を下げてしまったと。
 私は、九〇年代は恐らくポテンシャルで三%台の成長は可能であるというふうに考えておりました、九〇年代の初期の段階で。三%台を実現いたしたのは九六年だけだったわけであります。しかし、九六年の三%台の実質経済成長率が実現したのは、それは民間設備投資なんですね。民間設備投資がきれいに盛り上がってまいりまして、将来に対する予想、それから今お話がありました情報技術革命等の影響もあって、この状態がある程度続くことができれば安定成長の軌道に日本経済を乗せることは可能であったと思いますけれども、それはならなかった。ならなかった理由はいろいろございます、金融不安もございますし、政府の財政もこの時期に引いてしまったわけでありますから。
 ですから、私は財政で積極的に国民の貯蓄を使うという考え方ではなくて、これをやろうと思ったら公債依存をずっと続けなければならないわけですから、そうではなくて、民間の企業がこの大変化の時代に、御指摘のように非常に大きな変化の時代です。非常に大きな変化の時代は、非常に大きな潜在的可能性があると同時に、やはり非常に不安定化する時代でもあるわけですから、この状況の中で、財政政策は国民生活の基盤を支えるということでアンカーになるという役割を追求することが必要ではないかというふうに考えております。
 それから、もう一つ申し上げたいのは、高貯蓄ということの中には可処分所得が大きいということがあるわけですね。可処分所得が非常に大きいということは、つまり租税負担率が相対的にヨーロッパのいわゆる福祉国家に比べますならば一段と低いわけであります。
 例えば、スウェーデンの人たちの生活の構造を見ますと、租税・社会保険料の負担率は言うまでもなくかなり高いわけです。しかし、貯蓄率は低いわけです。しかし、考えてみるならば、そんなに高い貯蓄をしなくてもいい暮らしを、安心感、安心の給付ですから、社会保障は所得の再分配だと考える人がありますけれども、これは間違いなんです。社会保障は所得の再分配の制度ではないんです。そうではなくて、すべての国民に安心を給付する制度なんですね。
 ですから、この安心を給付するためにこれだけのコストを負担してくださいよということで租税・社会保険料の負担率を高めれば、これは消費水準を大幅に下げないようにするためには当然貯蓄を削らざるを得ません。しかし、貯蓄を削っても済む、削ることができる状態になると思いますね。
 それから、もう一つ貯蓄に影響しているのは、恐らく持ち家主義、日本の住宅政策が持ち家主義でやってきたと。ですから、頭金を用意し、ローンを返しということで、これは貯蓄になりますから、その貯蓄の率、家計貯蓄率は高くならざるを得ないんですね。
 持ち家主義というのはやむを得ない部分はありますけれども、私はかねてから批判的でありまして、持ち家主義でやってきたということは、日本のいわば国民の政治的無関心を高めたり、一種の保守的な空気、保守党とか何とかという意味じゃなくて、保守的な空気を育てる上で自作農主義と同じように大きな効果があったと思いますが、経済政策としては私は必ずしも妥当でなかったと思っております。
 もう一つは、過剰な進学ですね。こんなに、高等学校に九割の子が行き、四割の子は大学に行っていますけれども、そのうちの何%がまじめに勉強していますか。親の贈与と社会の贈与、補助金つぎ込まれていますからね。親の贈与と社会の贈与に依存してモラトリアム人間をたくさんつくるという、そういうことになってしまって、そのために親は猛烈に貯金しているわけです。こういうことをやめなきゃ、全体の構造を変えないと私はまずいんだろうというふうに思っております。
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浅尾慶一郎#19
○浅尾慶一郎君 正村先生のお話の持ち家政策の部分、その他の部分もそうですが、大変そのとおりだろうなと思っておりまして、欧米の例でいえば、例えばイギリスの家は大変長い期間もつということなんだと思いますけれども、日本の場合はどうしても自分の家を建てかえたいということで、恐らく一つの家に住まわれるサイクルというんでしょうか、家が保有する人数というんでしょうか、そういったようなものが欧米の家とは全然違うという部分があるということはそのとおりだと思います。もちろん、その背景としては石づくりの家と木造といったような説明もできるのかもしれませんけれども、それにしても、これだけ建築技術が進歩している中ではもう少し変えていくことも可能なんではないかなと、こんなふうに思っております。
 そこで、時間の関係で九分と九分ということで、中山先生に移らさせていただきますが、先生のお話、大変わかりやすく伺っておりました。
 その中でも、ストック効果とフロー効果という形で二つに公共事業というものを分けて御説明をいただいたわけでありますが、先ほど来のお話を伺っておりますと、まず、第一点目のストック効果については非常にその経済効果が限定的であるということは私もそのとおりだと思いますし、それからフローの方もその波及効果と雇用効果とさらにそれを分けて御説明いただいたわけでございますが、両方ともだんだんと限定的になってきているというふうにとらえたのはそのとおりだろうなというふうに思います。
 何を伺いたいかというのは、その先の話でありまして、公共事業の経済効果を考えた場合には、これはなかなか外部不経済というような話になるから難しいのかもしれませんけれども、今議論が一部で出ておりますPFIといったようなものを考えた場合に、高速道路でも何でもそうでしょうけれども、通行料を払ってそれによって賄えるものはつくっていきましょうというような議論があるんだと思いますが、そういう形で市場に任せる。民間資本が参入することによって、そこである程度のリスクをとりながら、本当にその需要があるところにはそういう橋をかけるとか高速道路をつくるといったような考え方もあるんではないかなというふうに思いますが、PFIについて何か、要は政府が直接的に関与するんではなくて、そこの部分に関与するのは民間の資本に任せるという考えについて御意見があれば伺いたいと思いますが。
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中山徹#20
○公述人(中山徹君) 今ちょうど政府の方でもPFIについては御検討されている時期だと思います。
 ただ、このPFIについて今後考えていこうとしますと、かつて一九八〇年代に重点的に取り組みました第三セクターの問題をどう考えておくのか、そこがどうしても必要になってくると思います。
 御承知のように、一九八〇年代の行政改革のころに公共事業費の抑制というのが言われました。公共事業費を抑制するんだけれども、公共事業全体としての事業費はできるだけ減らしたくない。要するに国とか自治体の財政負担を余りふやさずに公共事業をどうすれば進められるか。それで一九八〇年代にかなり重視されたのが第三セクターです。第三セクターというのは、要するに半ば公共事業のようなことをやるんですが、その費用を国や自治体の財政に頼るのではなくて、主に借金に依存して開発を進めていくということがとられます。
 ところが、その第三セクター、当時は何が議論されたかといいますと、行政の持っている公共性と民間企業の持っている効率性、ここをうまくかけ合わせたものが第三セクターであって、これをしていけば非常に効率的、しかも公共的に開発が進められるということが今から十年以上前に言われたわけです。
 ところが、この第三セクターがどういう状況になっているかといいますと、これはもう御承知のように、東京でも問題になっておりますが、至るところで当初の予定どおりいかないということが起こっているわけです。これについてはいわゆる行政と民間の責任関係が不明瞭だからうまくいかなかったという側面も指摘されておりますが、私のように都市計画とか開発問題を専門的にやっている者から言いますと、仕組みに問題があったというよりも、こういう第三セクターに頼って本来必要であったかどうかが不明瞭な公共事業をかなり進めてきた結果、それが破綻してきているのではないかと思います。
 今のようにここまで第三セクターの破綻が相次いできますと、それと同じ方法で公共事業を進めていくというのは現実的に非常に困難になってきます。そういう中で、じゃ財政的負担は余りふやさずに公共事業の総額を何とかして確保できないか、そこでまた考えられてきているのが私はPFIではないかというふうに考えております。
 今おっしゃられたように、PFIによって公共事業を進めていくというのは確かにイギリスなどで用いられてきた方法ですけれども、それを日本で適用していくことが果たしていいのかどうかということなんですが、私のように都市計画をやっておる者から言いますと、本当に公共性の高い事業、それについてはやはり行政が責任を持って公共事業としてきっちり進めていくべきではないかと思います。公共性は余り高くないけれども採算ベースに合いそうなもの、そういったものはむしろ余り行政が手をつけずに民間の独自の事業としてやっていったらいいものではないかと思います。
 PFIというのを別に頭から否定はしませんけれども、第三セクターと同じような形でPFIの導入という方向になってきますと、むしろ問題は大きくなるのではないかという懸念があります。
 例えばどういう懸念かといいますと、PFIというのは契約期間が二十年以上、そういうふうな事業が多くなると思います。その間に社会的ないろんな変動も起こってくるかと思います。それで第三セクターのように事業が破綻するというようなことが起こってきた場合、今度はだれが責任をとるのかといいますと、PFIの場合は長期間の契約を結ぶことになります。もしくは事業が破綻したとなっても、第三セクターの場合はその時点でだれが責任をとるかというのが議論されるわけですけれども、PFIの場合ですと、このままいきますと行政がむだだとわかっていてもその事業を買い続ける必要が起こってくるとか、もしくはかなりの違約金を払って契約を解除するとか、そういうことが起こってくる危険性があると思います。
 ですから、そういう点を見ますと、民間の資金を導入するということは頭から否定はしませんけれども、そういうことをするに当たってやっぱりかなり慎重なことが必要ではないか、特に第三セクターの経験なんかを見ますとそれ以上に慎重な対応がPFIについては求められているのではないか、そのように考えております。
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浅尾慶一郎#21
○浅尾慶一郎君 大変わかりやすい御説明でよくわかりました。
 若干私の観点を御説明させていただきますと、PFIでやる場合は、採算性ということで、当然その事業のキャッシュフローというものを民間側が複数の人が見てキャッシュフローのいいところにはお金がつく、だから採算性のいい事業だけが事業として立ち上がるのではないかという観点でございますので、多分その御意見はそういう面では一緒なのかなというふうに思っております。
 恐らく時間の関係で最後になると思いますが、当委員会でも公共事業の観点で、例えば高速道路の話で言いますと、本来であればこれは何年間かたつと無料になるということになっておったわけでございますが、全国一律ということになると半永久的に、例えば首都高速なんというのは大変なキャッシュフローを上げているんでしょうけれども、半永久的に無料にはならない。それは果たして、冒頭申し上げましたストック効果ということを考えた場合に、それをつくることが本当に、交通量の少ないところに交通量の多いところの負担においてつくることが経済効果の上で合理的なのかどうかということについての御意見をいただきたいと思います。要は交通量の多いところの収益でもって少ないところを負担しているということだと思いますので。
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中山徹#22
○公述人(中山徹君) 時間の関係もありますのでごく簡潔に申しますと、当然、こういった場で議論する以上、国土の均衡な発展ということを考えていくことが必要ですので、過疎地だからといって別に整備をしなくていいというわけには決していかないと思います。ただ、道路なんかを考える場合、交通手段ですから、その場合は交通手段をトータルに考えていく必要があるのではないかと思います。
 日本の場合は、道路とか鉄道とか空港とかがどちらかというと別個に考えられていると思うんですけれども、道路の財源にしましても、そこから税収として上がってくるものを道路の整備だけに使うのではなくて、もっと公共交通の整備、鉄軌道とかバスとか、そういったものもトータルに含めて日本の国土全体の交通をどう考えていったらいいのか、そういう議論が日本の交通政策を見ると重要ではないか。
 ですから、過疎地だから要らない、都市部で上がってきた収益を使うのはもったいないというよりも、国土全体の交通網をどう整備していったらいいのか、道路とか鉄道とか空港を含めてトータルに考えていくことが今一番重要ではないかと思います。
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浅尾慶一郎#23
○浅尾慶一郎君 今後の予算委員会の審議のために大変参考になる意見をいただきました。
 どうもありがとうございました。
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魚住裕一郎#24
○魚住裕一郎君 公明党・改革クラブの魚住裕一郎でございます。
 両先生には大変示唆に富むお話をいただきまして、ありがとうございます。
 時間が限られておりますので、早速御質問させていただきたいと思います。
 まず、正村先生、今、先生のお話の中で、不安感といいますか、安心がないから消費も冷え込むというようなお話がございました。私どももまさにそのとおりだなというふうに思っております。
 長期的な財政の再建を含めて総合的な政策をということでございますが、人口問題研究所で統計を、将来予測を考えてみると、二〇〇五年ぐらいから労働人口が減ってくる、それから二〇〇八年から具体的に人口が減るということで、しかも高齢者が頭がでかくて働く世代がどんどん減って子供になってもっと減る。これは百年ぐらいたったら人口が半分ぐらいになるんじゃないか。そうすると、活力を維持する、私ども今の生活を維持するためには子供をふやせればいいんですけれども、そうじゃなければ外国の方から働き手を招くしかないというようなことも多分出てくるんだろうというふうに思うんです。
 そういうような観点から、長期的な視野に立って私どもも子育て支援策といいますか、女性も産むだけじゃなくて、もちろん自己実現のために男女共同参画型社会の中における子供をふやせる方策は何かないかと一生懸命考えているところでございますが、不安除去といいますか、そういう観点から見て少子化社会への対応につきまして正村先生の御意見ございましたらお教えいただきたいと思うんです。
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正村公宏#25
○公述人(正村公宏君) 私は、二十世紀のタイプの文明をそのまま二十一世紀に延ばすわけにいかないことがはっきりしつつあると思います。大変資源浪費的、環境破壊的な文明であったわけでありまして、このまま延長したら人類は滅びます、確実に。ですから、大転換をやらなければいけないので、人口についても人口の増加というのは恐らく目標になり得ない、しかし激減するのは問題があります。
 国家と社会は違いますが、国家の基盤をなしている社会が崩壊していきますから、だから私は、ナショナルゴールみたいなものを考えるとすれば、漸減ということだろうと思っています。資源の消費をふやさないリサイクル型社会をつくる、環境保全を重視するということでありますから。
 しかし、問題は、そういう状態のもとで、数が減るだけではなくて子供の育ち方が変わってまいりますから、質にも問題がある。日本人は教育に失敗しつつあると思います。私たちの社会の教育力が低下してしまっている。進学率は先ほど申し上げたように過剰に高くなっていますけれども、本当の教育をやっていないと。本当の教育というのは何だといろいろ議論がありますけれども、一番日本の子供たちに身につけてもらわなければいけないことで不足しているのはコミュニケーションの能力だと思います。人間と人間のコミュニケーションというのは厄介なんですね、人づき合いというのはなかなか大変なんです。私はそういうのは最も苦手の方でありまして、多分だから政治家には絶対なれないと思っているんですが、そういうことを我々は失敗しています。
 かつては家族が子供を育てる、それも子供が大勢おりました。それから、地域社会が子供を育てる、そういうことだったわけです。そこに共同性、子供たちは自分たちの共同の未来の世代として育てなきゃいけない対象だという、それも盆栽みたいに育てるんじゃなくて、厳しい自然の中で彼ら自身が自然の厳しさを体得し、人間関係の大切さを体得するという、そういう条件があったと思うんです。
 それは、都市型の社会に大きく変わりましたときに本当の都市を私たちはつくらなかったわけです。ベッドタウンをつくっただけなんです。スプロール型の町をつくったけれども、人間の都市はできてないんですね。そういうことを根底から変えていかないといけないと思います。
 女性について言えば、働くのは当たり前だったんです。かつての農家の女性、商家の女性、今でもそうですけれども、働くのは当たり前なんです。それがそうでなくなった。働くということと子供を育てるということがばらばらになったんです。
 こういう構造そのものを、全体を変えるということを問題にしていただくことが必要なんであって、子育て支援のために多少の予算をつけたぐらいでは、大変申しわけないんですけれども、余り効果がないと私は思います。やっていますよということにはなるかもしれないけれども、それは余り効果がない。それよりは、私たちの暮らし方はこれでいいのかと。子供たちが夕日に輝く浜辺を見て感動するとか、そういうことがなくなっているということをどうするんだということから議論をしていただく必要があると思います。私は、もちろん保育制度を整備するとか大賛成なんですけれどもね。
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魚住裕一郎#26
○魚住裕一郎君 今私どもは、循環型社会元年ということで、そういう社会の構造変化、また教育改革ということもしっかり取り組んでいきたい、総合的にその部分も含めて考えていきたいと思います。
 中山先生に、本当に時間がなくなってしまったんですが、先ほど図の八をお示しになられて、民生費拡充によるプラスということをお教えいただいたんですが、私どももこの辺非常に危惧をしておりまして、建設業から民生の方にどう労働を移行させるかというのは大事なポイントになると思いますが、その辺について対応策、お考えがありましたらお教えいただきたいんです。
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中山徹#27
○公述人(中山徹君) 確かに、公共事業を今すぐに例えば半分にしてしまうとかということを一年や二年でやってしまいますと、一体そこで働いている人をどうするのかという問題が出てくると思います。これはむしろこういった国会の場で、例えば十年ぐらいかけて公共事業費をどう削減していくのか、それとの関係で雇用をどう安定的に確保していくのか、そういった視点が当然重要になってくると思います。
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笠井亮#28
○笠井亮君 日本共産党の笠井亮です。
 きょうは両公述人から貴重なお話、本当にありがとうございました。
 GDPの二期連続減ということもありまして、今度の予算、それから財政、経済のあり方をめぐって、景気も財政も共倒れという今のやり方、そして予算の問題などが大きな問題になっていると思うんです。お話を伺いながら、今本当に予算に求められていることは、やはり景気回復を実現するためにも国民の暮らしや社会保障に思い切って予算を回すとともに、財政再建の確かな目標と見通しを示すことだということで、そのことを改めて痛感したところです。
 早速伺いますけれども、まず中山公述人から伺いたいのですが、先ほど公共事業の経済効果ということで、フローの効果の面の中で、かつてと違って最近は雇用効果が高くない、衰えてきているという点で、その点にも触れられたわけですけれども、その要因といいますか、なぜかということについて御説明いただければと思います。
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中山徹#29
○公述人(中山徹君) 公共事業の雇用効果がこの間減ってきているのは事実ですが、それに対して特に政府の方でこういう理由だということは発表されておりませんので、私の方の考えですけれども、一つの大きな点は、公共事業、この間やっぱりかなり建設現場でも労働の生産性を改善させるというか、リストラをかなり進めてきていると思います。
 ですから、そういう意味では、かつてのように公共事業をやることによってどんどん人を雇うというよりも、むしろ少ない人数でどうやって工事をこなしていくのか。特に日本の場合は、建設というのは非常に上下関係の厳しいところですから、元請、下請、孫請の中でどうやって少ない人数でやりくりして工事をしていくのかという、そういうリストラというのがかなり建設現場でも進んできていると思います。ですから、そういう意味では、ほかの分野と同じように建設現場でもかなりのリストラが進む中で雇用効果が落ちてきているのではないかと、一つはそのように思います。
 それからもう一つは、不良債権との関係がありますけれども、工事費をすべてそういった、いわゆる個人消費とか賃金に充てていく、もしくは資材の購入に充てていくのでしたら、それなりの一定の雇用効果というのは確保できると思うのですけれども、その受け取ってきたお金の相当部分が不良債権対策などに使われるということに回っていきますと、それが雇用効果のなかなか拡大につながらないという、そういう面があるかと思います。
 ですから、そういう意味では、この間建設会社も今いろいろと不良債権を抱えて大変なんですけれども、そういった不良債権対策とか、そういうのにかなりの部分が流れていくおかげで雇用効果というのが減ってきているのではないか、そのように考えております。
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