憲法審査会
⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。
会
会議録情報#0
平成二十九年四月二十日(木曜日)
午前八時四十分開議
出席委員
会長 森 英介君
幹事 上川 陽子君 幹事 中谷 元君
幹事 根本 匠君 幹事 平沢 勝栄君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 武正 公一君 幹事 辻元 清美君
幹事 北側 一雄君
青山 周平君 赤枝 恒雄君
安藤 裕君 伊藤 達也君
池田 佳隆君 衛藤征士郎君
大塚 高司君 鬼木 誠君
神山 佐市君 熊田 裕通君
後藤田正純君 佐々木 紀君
佐藤ゆかり君 園田 博之君
田畑 裕明君 高木 宏壽君
辻 清人君 土屋 正忠君
野田 毅君 福山 守君
古田 圭一君 星野 剛士君
宮崎 政久君 宮路 拓馬君
村井 英樹君 保岡 興治君
山際大志郎君 山下 貴司君
山田 賢司君 奥野総一郎君
岸本 周平君 北神 圭朗君
後藤 祐一君 中川 正春君
古本伸一郎君 升田世喜男君
本村賢太郎君 太田 昭宏君
斉藤 鉄夫君 遠山 清彦君
赤嶺 政賢君 大平 喜信君
足立 康史君 小沢 鋭仁君
照屋 寛徳君
…………………………………
参考人
(明治大学法学部教授) 大津 浩君
参考人
(沖縄大学客員教授) 小林 武君
参考人
(東京大学大学院法学政治学研究科教授) 齋藤 誠君
参考人
(中央大学教授) 佐々木信夫君
衆議院憲法審査会事務局長 阿部 哲也君
—————————————
委員の異動
四月二十日
辞任 補欠選任
赤枝 恒雄君 宮路 拓馬君
星野 剛士君 熊田 裕通君
村井 英樹君 青山 周平君
山際大志郎君 古田 圭一君
山田 賢司君 神山 佐市君
枝野 幸男君 升田世喜男君
細野 豪志君 後藤 祐一君
山尾志桜里君 本村賢太郎君
同日
辞任 補欠選任
青山 周平君 村井 英樹君
神山 佐市君 山田 賢司君
熊田 裕通君 星野 剛士君
古田 圭一君 山際大志郎君
宮路 拓馬君 赤枝 恒雄君
後藤 祐一君 細野 豪志君
升田世喜男君 枝野 幸男君
本村賢太郎君 山尾志桜里君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(国と地方の在り方(地方自治等))
————◇—————
この発言だけを見る →午前八時四十分開議
出席委員
会長 森 英介君
幹事 上川 陽子君 幹事 中谷 元君
幹事 根本 匠君 幹事 平沢 勝栄君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 武正 公一君 幹事 辻元 清美君
幹事 北側 一雄君
青山 周平君 赤枝 恒雄君
安藤 裕君 伊藤 達也君
池田 佳隆君 衛藤征士郎君
大塚 高司君 鬼木 誠君
神山 佐市君 熊田 裕通君
後藤田正純君 佐々木 紀君
佐藤ゆかり君 園田 博之君
田畑 裕明君 高木 宏壽君
辻 清人君 土屋 正忠君
野田 毅君 福山 守君
古田 圭一君 星野 剛士君
宮崎 政久君 宮路 拓馬君
村井 英樹君 保岡 興治君
山際大志郎君 山下 貴司君
山田 賢司君 奥野総一郎君
岸本 周平君 北神 圭朗君
後藤 祐一君 中川 正春君
古本伸一郎君 升田世喜男君
本村賢太郎君 太田 昭宏君
斉藤 鉄夫君 遠山 清彦君
赤嶺 政賢君 大平 喜信君
足立 康史君 小沢 鋭仁君
照屋 寛徳君
…………………………………
参考人
(明治大学法学部教授) 大津 浩君
参考人
(沖縄大学客員教授) 小林 武君
参考人
(東京大学大学院法学政治学研究科教授) 齋藤 誠君
参考人
(中央大学教授) 佐々木信夫君
衆議院憲法審査会事務局長 阿部 哲也君
—————————————
委員の異動
四月二十日
辞任 補欠選任
赤枝 恒雄君 宮路 拓馬君
星野 剛士君 熊田 裕通君
村井 英樹君 青山 周平君
山際大志郎君 古田 圭一君
山田 賢司君 神山 佐市君
枝野 幸男君 升田世喜男君
細野 豪志君 後藤 祐一君
山尾志桜里君 本村賢太郎君
同日
辞任 補欠選任
青山 周平君 村井 英樹君
神山 佐市君 山田 賢司君
熊田 裕通君 星野 剛士君
古田 圭一君 山際大志郎君
宮路 拓馬君 赤枝 恒雄君
後藤 祐一君 細野 豪志君
升田世喜男君 枝野 幸男君
本村賢太郎君 山尾志桜里君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(国と地方の在り方(地方自治等))
————◇—————
森
森英介#1
○森会長 これより会議を開きます。
日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に国と地方の在り方(地方自治等)について調査を進めます。
本日は、本件調査のため、参考人として明治大学法学部教授大津浩君、沖縄大学客員教授小林武君、東京大学大学院法学政治学研究科教授齋藤誠君及び中央大学教授佐々木信夫君に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。
本日は、幹事会の総意に基づいた御専門の方々を参考人としてお招きしております。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
まず、大津参考人、小林参考人、齋藤参考人、佐々木参考人の順に、それぞれ二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず大津参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に国と地方の在り方(地方自治等)について調査を進めます。
本日は、本件調査のため、参考人として明治大学法学部教授大津浩君、沖縄大学客員教授小林武君、東京大学大学院法学政治学研究科教授齋藤誠君及び中央大学教授佐々木信夫君に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。
本日は、幹事会の総意に基づいた御専門の方々を参考人としてお招きしております。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
まず、大津参考人、小林参考人、齋藤参考人、佐々木参考人の順に、それぞれ二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず大津参考人、お願いいたします。
大
大津浩#2
○大津参考人 ありがとうございます。
私、明治大学で憲法を教えております大津浩と申します。
私の研究テーマというのは、国民主権と地方自治の関係を憲法の観点から探るということでありまして、ずっと三十数年間それを研究しております。
本日お招きいただきましたことを非常に光栄に思っているところなんですけれども、地方自治を憲法の中で規定することにつきまして、私の考え方を述べていきたいと思います。
まず、皆さんのお手元に、私の、原稿ではないんですが、レジュメがありまして、原稿に近いものですので、はしょってお話をする関係上、こちらのレジュメもごらんいただきたいと思います。
今回の私の陳述では、とりわけ憲法の総則規定に置かれるべき地方自治の基本原理について論じたいと思います。その上で少し耳なれない言葉を使うかもしれませんが、大事なことですので、言葉の定義をしておきたいと思います。
私は、立法権分有という言葉を用います。立法権の分有というのは、二つのものを包括した概念だと私は思っております。
一つは、皆様御存じのように、典型的には連邦国家に見られるように、憲法で、国と自治体、連邦国家の場合には州になるのが一般的ですが、国家と州との間で、これは連邦の立法事項である、これは州の立法事項である、その上で競合事項はこれだというふうに、明確に立法権ないし立法事項を分配する場合、これを立法権分割と申しますが、これも立法権分有の一つであります。
それだけでなく、これから私が述べたいと思っているもう一つのシステムも含まれると思っています。それは、国と自治体とが同一事項にそれぞれが持っている法規範の定立権を通じて重複的に関与することを憲法が認めており、かつ何らかの形で両者の対等性や競合性までも保障される、全ての場合に対等、競合とは言いませんが、必要に応じて対等、競合性までも憲法が保障している、そういうシステムのことを立法権重複と呼びたいと思います。
この立法権分割のみならず立法権重複も含めて、広い意味で立法権分有というふうに言葉を使いたいと思います。
私は、高度に複雑化した現代社会において、多様な利害のよりよい調整と実現のためには、国家意思の決定権力を一元的に集中させることはもはや許されない。そうではなくて、このように一元的な集中を避ける試みというのが現代の民主主義論では非常に盛んになっているんですね。私は、これを対話型ないし相互交流型の多元的民主主義と呼んでおります。
このような、できるだけ決定権力を多様な主体が持ち、お互いに議論する中でよりよい立法、国家意思をつくっていくという政治システムは、今後、さまざまな紆余曲折はあろうとも、この方向に先進民主主義国は発展していくと思っております。国と地方の関係も同じでありまして、私はこれを対話型立法権分有と呼んでおります。
さて、法的な観点から見て、この対話型の立法権分有がかかわるであろうというような事例はたくさんございます。
皆様のお手元にも恐らく事務局から配られているかと思いますが、「「国と地方の在り方(地方自治等)」に関する資料」というものを私もいただきまして、読ませていただきました。その十六から十八ページには、簡潔に、国と自治体との間の、とりわけ法律と条例との間の紛争、その裁判所による解決の事例がさまざまに述べられております。これらは全て、条例による国の法令に対する抵触が法的な紛争となった事例でございます。これはもちろん、どう解決するのかという話の中で、対話型の立法権分有の要素が出てまいります。
しかし、それ以外にも、定住外国人に対して在留更新手続をする際に、昔は常に指紋押捺を強制する法律がございましたが、これがプライバシーの侵害になるんだということで、自分の自治体に住んでいる定住外国人については指紋押捺を強制しない、これは指紋押捺せずにいると告発するという告発義務が関係機関に法律上義務づけられているんですが、これを無視して告発もしない、できるだけ在留更新手続をやってあげようとした川崎市の事例というのが有名でございます。
あるいは、非核神戸方式と呼ばれるように、国の防衛政策への抵抗という効果が発生しているわけですが、アメリカ軍の艦船が自治体が管理する港に入港するときに、その入港業務に際して非核証明を求め、非核証明を出さない入港業務を拒否するという神戸市の事例もございます。
これらは、立法そのものというよりは、もう少し広い意味になりますが、国の意思に対する自治体意思の事実上の抵抗というふうに考えられます。
確かに、これらの事例の全てで自治体側の国の立法意思への抵触や抵抗が常に正当、適切であったかは議論の余地があるかと思います。また、さきに示しました高知県の普通河川等管理条例や、あるいは神奈川県の臨時特例企業税条例などに関する紛争では、最高裁は両条例とも違法判決を下しております。
しかしながら、神奈川県条例につきましては、訴訟の帰趨とは別に、この紛争を通じて、地方税法における法人事業税に一部外形標準課税制度が導入される法改正が実現いたしました。これは、神奈川県がこれを求めていて、それが地方税法にないものだから無理にこの条例をつくって、逼迫した県財政を何とか立て直したい、こういう試みをやったわけでございます。また、川崎市の事例ですが、指紋押捺拒否事例については、在日に対する取り扱いが、その後、法改正を通じて改善いたしました。
これら自治体の抵抗というのが、国の立法権に事実上の影響を与え、その改善を促す結果を生み出しております。私は、地域側にその必要性と合理性とが相当程度ある抵抗の結果としての国の立法の修正は、対話型の立法権分有の重要な一要素であると考えております。
二ページ目に進んでいただきます。
さて、このような対話型立法権分有、実際にはけんかも含んだ対話ですが、これは果たして日本国憲法が保障しているものなんだろうかという法的な議論に移ります。
これに否定的な立場というのも確かに強いです。例えば、昔の通説を唱えておられました横浜国立大学の名誉教授であります成田先生は、連邦国家と単一国家は本質的に異なるのだという理屈を用いて、したがいまして、単一国家である日本においては、条例と法律が競合することはあり得ないのだ、こういう主張をしております。成田先生の根拠の一つは、条例制定権はあくまで九十四条のみが保障するという九十四条限定論から来ておりまして、私はこれは間違っていると思っております。
さて、最高裁判所につきましても、否定的な立場を持っていると思います。
例えば先ほどの高知県の条例事件では、法令の明文の規定またはその趣旨に反する条例は常に違法であるというふうに述べています。さらに、神奈川県の臨時企業税条例事件におきましても、憲法九十二条は自治体の運営や組織を法律で定めるべきこと、九十四条は条例制定が法律の範囲内であるべきことを事実上定めたにすぎない、それ以上の意味はないんだというふうにした上で、租税法律主義のもとで、地方税法に定められた基本事項は、法定税条例であると法定外税条例であるとを問わず、準則として例外なく遵守されるべき強行規定として、その効果を一部遮断する本件条例を違法といたしました。
このようなかたい、立法が常に条例よりも優位に立ち、条例は一切抵抗できないという議論に対しては、法令の条例に対する規律密度がきつ過ぎる、もっと緩めるべきだという御議論を皆さんもされまして近年の分権改革がなされたわけですが、残念ながら、そこにもなお立法権分有を否定する傾向がかいま見られます。
例えば地方分権改革推進委員会の第三次報告の中では、憲法四十一条を表に出しまして、憲法四十一条によれば国会は国権の最高機関である、この国会に立法権を帰属させているんだということを強調いたします。そして、九十四条は法律の範囲内での条例制定しか定めていない、こう述べています。その上で、憲法七十三条六号や内閣法十一条等を引き合いに出して、政省令は必ず法律の根拠が必要で法律の委任を義務づけているんだ、こういうふうに述べることで、政省令と条例は基本的には同じなんだから法律の委任が必要なんだとあたかも言うがごとき理論を立てつつ、したがいまして、法律が余りにきつ過ぎるので条例によってそれを上書きする、より地域に適合的な内容に書きかえる考え方に対しては、常にそれは個別立法による委任を必要とするんだと。
これに対して、憲法の一般規定、すなわち、地方自治の本旨等から条例による上書きは常に認められるとか、あるいは一般的な通則法などをつくって、あるいは地方自治法の中に一般的な条項をつくって、自治体はいつでも必要に応じて上書きできる、こういう考え方については認められないと述べております。
さて、これらの議論の中心的な立場は、条例の本質はやはり法律ではなく政省令レベルに近い法規範だ、法律よりはやはり命令に近いんだ、こういう考え方をとっていると思います。
さて、反論を述べさせていただきます。
まず、一つ目です。
成田先生がおっしゃられたような立法権の分有は連邦国家でしか許されないという議論は、もはや現代の世界の趨勢に合いません。
例えばイタリアです。イタリアは、憲法上、単一不可分の国家であると宣言しながら、二〇〇一年の憲法改正の結果、国と州とで立法権を明確に分割しております。このような国家は、連邦国家でもなく単一国家でもない、中間の地域国家と呼ばれるものに分類されます。
このような地域国家は、したがいまして、州に専属の立法権をちゃんと憲法上分割しているんですが、しかし連邦国家ではない。どうしているのかといいますと、州に専属した立法事項を定めておきながら、その後の憲法裁判所の判例によりまして、統一の必要性からどうしてもやむを得ないときには、州の専属的な権限にも国の法律で介入して規律してよいのだ、大事なことは国の必要性がどれだけあるかだ、それが証明できなければやはり州法を侵害する国の法律は違法だ、こういう仕分けをしております。
なお、典型的な連邦国家であるドイツでも、連邦の立法権と州の立法権との間での競合をどう処理するのかということが近年発展していますが、割愛いたします。
三ページに進んでください。
さて、日本国憲法についての考え方でございますが、世界の趨勢を考えながら、日本国憲法の地方自治と、さらにそのベースにある現代の国民主権論を考えますと、地方自治の本旨に反する国の法律は禁止されているのだ、これをもっと強調するべきだと思います。
そこにるる書きましたように、現代民主主義の発展を踏まえて日本国憲法の国民主権を理解するならば、もはや国民の意思決定は国会に一元化できません。地域生活と全国生活の両面を持つ国民が、国と地域の多元的な代表機関を通じて重層的、重複的に主権を行使することこそ現代の国民主権の意味である、こう考えます。
そうしますと、国民主権の地域的な行使の場として地方自治を考えることが大事だと言えます。
そうしますと、国民主権の第一の発現形態は立法でありますから、国も自治体もそれなりに立法権を分有して、お互いに対話、交渉を重ねながらよりよい立法をつくる、これが憲法九十二条の地方自治の本旨の第一の要素となると思います。これを地方自治の本旨の最初の意味とした上で、住民自治、団体自治、適切な役割分担の原則も出すべきである、こう考えております。
さて、こう考えますと、憲法九十四条そのものは法律の範囲内での条例制定としか述べておりませんが、当然、憲法九十二条を踏まえて解釈する必要があるだろう。憲法九十二条は、あくまでも地方自治の本旨に反しないような法律で地方自治制度を定めなさいと書いてあるわけですから、条例制定権の範囲を限定いたします法律というのも地方自治の本旨に反しないものでなければならないはずであります。
憲法四十一条の問題が常にあるわけですが、これは確かに「国の唯一の立法機関」として国会を規定しておるわけですが、「国の」というところに注意していただきたい。すなわち、全国レベルでは国会に立法権が独占されていると考えられますが、「国の」でありまして、国、地方関係は別だと考えるべきです。
憲法四十一条は、国、地方関係では国の法律が優位するということを原則としては認めつつ、しかしながら、地域的ないし現場の実験的な視点からの必要性と合理性が相当程度認められる場合には、例外的に条例が優位することまで認めなければならない、これを憲法の地方自治の本旨が要求していると考えます。
さて、近年の分権改革につきましてはどう考えたらいいのか。時間も大分切迫してきましたので、詳しくはそこを読んでおいていただきたいんですが、国と自治体の対等性をかなり認めているのですが、二つ目の黒丸を見てください。
しかしながら、一九九九年、地方自治法が改正されたものを見ますと、なお、地方自治体は地方の自主行政である、条例は地方の自主的な行政立法、行政立法という言葉を使っていますが、実際には政省令と同じ地方命令のちょっと緩い版というような観念が残存していると思います。地方自治法の一条の二の一項「地域における行政」、地方自治法一条の二第二項「住民に身近な行政」と、あくまで自治体が担当するのは行政的な性質の作用なんだということを強調しております。
なぜこれを行政にしたのか。ヨーロッパ地方自治憲章というのは皆さんも御存じかと思いますが、補完性の原理等々を定めているのですが、ここには、行政ではなくて責務、リスポンシビリティーと書いてあるんですね。これをなぜ行政という狭い言葉に限定したんだろうか、いろいろと疑問に思うところであります。
さて、このように行政という言葉に限定するといろいろな問題が出てきます。
二〇〇三年にフランスは分権国家を目指した憲法改正を行ったんですが、しかしながら、地方自治は憲法上、リーブルアドミニストレーション、自由な地方の行政作用だ、こう述べております。条例についても地方の命令だ、こういう言葉を捨てておりません。したがいまして、国の政省令も同じ命令という言葉を使っていますので、自治体の条例は、国の法律にも、そして国の政省令にも劣位する存在に落とし込められております。
ドイツの場合はもう少しましだろうというふうに思うかもしれませんが、少しはましなんですが、しかしながら、ドイツの地方自治の概念も、ゼルプストフェアヴァルトゥング、自主行政という行政の枠の中の問題として捉えているわけなんですね。
日本国憲法はアメリカの影響を受けておりますので、地方自治の文言も、それからそれに対する一般の理解も、ローカルセルフガバメントであるということで、もっと広いわけでございます。このことは非常に大事なのでありまして、今後も大事にしていただきたいと思います。
さて、このような立法権を認めながら、自治体の条例と法律を、抵触したときにどう処理をするのかは、四番等にイメージを述べておりますが、割愛させていただきます。
さて、最後に、このような立法権分有に向けた憲法改正が必要なのかどうかを論じたいと思います。
私がこれまで述べてきたところからおわかりのように、本来の憲法九十二条の地方自治の本旨には、立法権分有の趣旨が含まれているはずである。しかしながら、官僚法学、こういう言い方をして失礼ですが、内閣法制局その他の官僚の方々が展開する法律論や、あるいは最高裁判所の判例は、それを十分に認めていない。したがいまして、将来、官僚法学や判例変更が期待できるのであれば、憲法改正は必要ないだろうと思います。
しかしながら、現実には、このような官僚法学や最高裁判例は極めてかたくて、なかなかそれを突破できないというふうに言う方もたくさんおります。その場合なんですが、私も、もしどうしてもやむを得ない場合であれば、地方自治の本旨として現在の憲法に本来あるはずのものを明確化する憲法改正の考え方はあり得ると思います。それを五ページに書いております。
憲法九十二条につきましては、国民主権の地域的行使の場としての地方自治の本旨に基づいてというふうに、地方自治の本旨を国民主権の地域的行使の場というふうにもっと明確化するべきだろうと思います。
なお、地方に関して定めることにつきましては、「法律でこれを定める。」と現行憲法は書いてあるんですが、及び自治体の定める自治体憲章でこれを定めるという並列にすると、より改善されるのではないかと思ってもおります。
さて、憲法九十四条なんですけれども、「法律の範囲内で」ということだけが強調されますので、次の文言をつけ加えるとより趣旨が明確化すると思います。
地方公共団体は、地域における立法の権能を有し、地方自治の本旨に適合する法律の範囲内でこれを行使する。地方公共団体の立法は自治体憲章または条例の名称を持ち、自治体憲章は地方公共団体の組織と運営に関する基本事項を定め、条例はこの憲章の範囲内で制定される。
憲法九十五条には、二項も追加するとさらに改善されると思います。自治体憲章の制定改廃は、地方議会の議決の後、その住民投票において過半数の同意を得なければならないというものであります。
さて、失礼ですが、二〇一二年に出された自民党の憲法改正草案をこの観点から見ていきますと、非常に私は疑問が残ります。
自民党憲法改正草案では、地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的に、総合的に実施することを旨として行うという、住民に身近な自主行政に限定する意図が明確でございます。
九十三条二項に、現行の九十二条にほぼ近い規定があるじゃないかというふうにおっしゃるかもしれませんが、しかしながら、総則規定である九十二条で、地方自治は住民に身近な自主行政というふうに限定をかけているわけですから、九十三条二項に地方自治の本旨の文言を移したとしても、その意味は非常に狭まってしまいます。
結局、九十五条で、自民党の憲法改正草案は、「地方自治体は、その事務を処理する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」と書いた上で、解説書であるQアンドAによれば、「自治体の条例が「法律の範囲内で」制定できることについては、変更しませんでした。条例の「上書き権」のようなことも議論されていますが、こうしたことは個別の法律で規定することが可能であり、国の法律が」「条例に優先するという基本は、変えられないと考えています。」こう書いてあります。
確かに、自民党の方々はこのような地方自治を目指しておられるのかと思いますが、私は、このような考え方は、立法権の分有が今後もっと発展するという方向を阻止する問題だろうと思います。
したがいまして、住民に身近な自主行政に地方自治の本旨を縮減し明確化する憲法改正は、日本の分権改革を進める点からも、日本のこの分権改革は世界的に見ても非常に先進的なわけなんですが、世界の地方自治原理の発展に日本が先進的な寄与をする点でも真っ向からこれに反するので、現時点では私は反対でございます。
御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私、明治大学で憲法を教えております大津浩と申します。
私の研究テーマというのは、国民主権と地方自治の関係を憲法の観点から探るということでありまして、ずっと三十数年間それを研究しております。
本日お招きいただきましたことを非常に光栄に思っているところなんですけれども、地方自治を憲法の中で規定することにつきまして、私の考え方を述べていきたいと思います。
まず、皆さんのお手元に、私の、原稿ではないんですが、レジュメがありまして、原稿に近いものですので、はしょってお話をする関係上、こちらのレジュメもごらんいただきたいと思います。
今回の私の陳述では、とりわけ憲法の総則規定に置かれるべき地方自治の基本原理について論じたいと思います。その上で少し耳なれない言葉を使うかもしれませんが、大事なことですので、言葉の定義をしておきたいと思います。
私は、立法権分有という言葉を用います。立法権の分有というのは、二つのものを包括した概念だと私は思っております。
一つは、皆様御存じのように、典型的には連邦国家に見られるように、憲法で、国と自治体、連邦国家の場合には州になるのが一般的ですが、国家と州との間で、これは連邦の立法事項である、これは州の立法事項である、その上で競合事項はこれだというふうに、明確に立法権ないし立法事項を分配する場合、これを立法権分割と申しますが、これも立法権分有の一つであります。
それだけでなく、これから私が述べたいと思っているもう一つのシステムも含まれると思っています。それは、国と自治体とが同一事項にそれぞれが持っている法規範の定立権を通じて重複的に関与することを憲法が認めており、かつ何らかの形で両者の対等性や競合性までも保障される、全ての場合に対等、競合とは言いませんが、必要に応じて対等、競合性までも憲法が保障している、そういうシステムのことを立法権重複と呼びたいと思います。
この立法権分割のみならず立法権重複も含めて、広い意味で立法権分有というふうに言葉を使いたいと思います。
私は、高度に複雑化した現代社会において、多様な利害のよりよい調整と実現のためには、国家意思の決定権力を一元的に集中させることはもはや許されない。そうではなくて、このように一元的な集中を避ける試みというのが現代の民主主義論では非常に盛んになっているんですね。私は、これを対話型ないし相互交流型の多元的民主主義と呼んでおります。
このような、できるだけ決定権力を多様な主体が持ち、お互いに議論する中でよりよい立法、国家意思をつくっていくという政治システムは、今後、さまざまな紆余曲折はあろうとも、この方向に先進民主主義国は発展していくと思っております。国と地方の関係も同じでありまして、私はこれを対話型立法権分有と呼んでおります。
さて、法的な観点から見て、この対話型の立法権分有がかかわるであろうというような事例はたくさんございます。
皆様のお手元にも恐らく事務局から配られているかと思いますが、「「国と地方の在り方(地方自治等)」に関する資料」というものを私もいただきまして、読ませていただきました。その十六から十八ページには、簡潔に、国と自治体との間の、とりわけ法律と条例との間の紛争、その裁判所による解決の事例がさまざまに述べられております。これらは全て、条例による国の法令に対する抵触が法的な紛争となった事例でございます。これはもちろん、どう解決するのかという話の中で、対話型の立法権分有の要素が出てまいります。
しかし、それ以外にも、定住外国人に対して在留更新手続をする際に、昔は常に指紋押捺を強制する法律がございましたが、これがプライバシーの侵害になるんだということで、自分の自治体に住んでいる定住外国人については指紋押捺を強制しない、これは指紋押捺せずにいると告発するという告発義務が関係機関に法律上義務づけられているんですが、これを無視して告発もしない、できるだけ在留更新手続をやってあげようとした川崎市の事例というのが有名でございます。
あるいは、非核神戸方式と呼ばれるように、国の防衛政策への抵抗という効果が発生しているわけですが、アメリカ軍の艦船が自治体が管理する港に入港するときに、その入港業務に際して非核証明を求め、非核証明を出さない入港業務を拒否するという神戸市の事例もございます。
これらは、立法そのものというよりは、もう少し広い意味になりますが、国の意思に対する自治体意思の事実上の抵抗というふうに考えられます。
確かに、これらの事例の全てで自治体側の国の立法意思への抵触や抵抗が常に正当、適切であったかは議論の余地があるかと思います。また、さきに示しました高知県の普通河川等管理条例や、あるいは神奈川県の臨時特例企業税条例などに関する紛争では、最高裁は両条例とも違法判決を下しております。
しかしながら、神奈川県条例につきましては、訴訟の帰趨とは別に、この紛争を通じて、地方税法における法人事業税に一部外形標準課税制度が導入される法改正が実現いたしました。これは、神奈川県がこれを求めていて、それが地方税法にないものだから無理にこの条例をつくって、逼迫した県財政を何とか立て直したい、こういう試みをやったわけでございます。また、川崎市の事例ですが、指紋押捺拒否事例については、在日に対する取り扱いが、その後、法改正を通じて改善いたしました。
これら自治体の抵抗というのが、国の立法権に事実上の影響を与え、その改善を促す結果を生み出しております。私は、地域側にその必要性と合理性とが相当程度ある抵抗の結果としての国の立法の修正は、対話型の立法権分有の重要な一要素であると考えております。
二ページ目に進んでいただきます。
さて、このような対話型立法権分有、実際にはけんかも含んだ対話ですが、これは果たして日本国憲法が保障しているものなんだろうかという法的な議論に移ります。
これに否定的な立場というのも確かに強いです。例えば、昔の通説を唱えておられました横浜国立大学の名誉教授であります成田先生は、連邦国家と単一国家は本質的に異なるのだという理屈を用いて、したがいまして、単一国家である日本においては、条例と法律が競合することはあり得ないのだ、こういう主張をしております。成田先生の根拠の一つは、条例制定権はあくまで九十四条のみが保障するという九十四条限定論から来ておりまして、私はこれは間違っていると思っております。
さて、最高裁判所につきましても、否定的な立場を持っていると思います。
例えば先ほどの高知県の条例事件では、法令の明文の規定またはその趣旨に反する条例は常に違法であるというふうに述べています。さらに、神奈川県の臨時企業税条例事件におきましても、憲法九十二条は自治体の運営や組織を法律で定めるべきこと、九十四条は条例制定が法律の範囲内であるべきことを事実上定めたにすぎない、それ以上の意味はないんだというふうにした上で、租税法律主義のもとで、地方税法に定められた基本事項は、法定税条例であると法定外税条例であるとを問わず、準則として例外なく遵守されるべき強行規定として、その効果を一部遮断する本件条例を違法といたしました。
このようなかたい、立法が常に条例よりも優位に立ち、条例は一切抵抗できないという議論に対しては、法令の条例に対する規律密度がきつ過ぎる、もっと緩めるべきだという御議論を皆さんもされまして近年の分権改革がなされたわけですが、残念ながら、そこにもなお立法権分有を否定する傾向がかいま見られます。
例えば地方分権改革推進委員会の第三次報告の中では、憲法四十一条を表に出しまして、憲法四十一条によれば国会は国権の最高機関である、この国会に立法権を帰属させているんだということを強調いたします。そして、九十四条は法律の範囲内での条例制定しか定めていない、こう述べています。その上で、憲法七十三条六号や内閣法十一条等を引き合いに出して、政省令は必ず法律の根拠が必要で法律の委任を義務づけているんだ、こういうふうに述べることで、政省令と条例は基本的には同じなんだから法律の委任が必要なんだとあたかも言うがごとき理論を立てつつ、したがいまして、法律が余りにきつ過ぎるので条例によってそれを上書きする、より地域に適合的な内容に書きかえる考え方に対しては、常にそれは個別立法による委任を必要とするんだと。
これに対して、憲法の一般規定、すなわち、地方自治の本旨等から条例による上書きは常に認められるとか、あるいは一般的な通則法などをつくって、あるいは地方自治法の中に一般的な条項をつくって、自治体はいつでも必要に応じて上書きできる、こういう考え方については認められないと述べております。
さて、これらの議論の中心的な立場は、条例の本質はやはり法律ではなく政省令レベルに近い法規範だ、法律よりはやはり命令に近いんだ、こういう考え方をとっていると思います。
さて、反論を述べさせていただきます。
まず、一つ目です。
成田先生がおっしゃられたような立法権の分有は連邦国家でしか許されないという議論は、もはや現代の世界の趨勢に合いません。
例えばイタリアです。イタリアは、憲法上、単一不可分の国家であると宣言しながら、二〇〇一年の憲法改正の結果、国と州とで立法権を明確に分割しております。このような国家は、連邦国家でもなく単一国家でもない、中間の地域国家と呼ばれるものに分類されます。
このような地域国家は、したがいまして、州に専属の立法権をちゃんと憲法上分割しているんですが、しかし連邦国家ではない。どうしているのかといいますと、州に専属した立法事項を定めておきながら、その後の憲法裁判所の判例によりまして、統一の必要性からどうしてもやむを得ないときには、州の専属的な権限にも国の法律で介入して規律してよいのだ、大事なことは国の必要性がどれだけあるかだ、それが証明できなければやはり州法を侵害する国の法律は違法だ、こういう仕分けをしております。
なお、典型的な連邦国家であるドイツでも、連邦の立法権と州の立法権との間での競合をどう処理するのかということが近年発展していますが、割愛いたします。
三ページに進んでください。
さて、日本国憲法についての考え方でございますが、世界の趨勢を考えながら、日本国憲法の地方自治と、さらにそのベースにある現代の国民主権論を考えますと、地方自治の本旨に反する国の法律は禁止されているのだ、これをもっと強調するべきだと思います。
そこにるる書きましたように、現代民主主義の発展を踏まえて日本国憲法の国民主権を理解するならば、もはや国民の意思決定は国会に一元化できません。地域生活と全国生活の両面を持つ国民が、国と地域の多元的な代表機関を通じて重層的、重複的に主権を行使することこそ現代の国民主権の意味である、こう考えます。
そうしますと、国民主権の地域的な行使の場として地方自治を考えることが大事だと言えます。
そうしますと、国民主権の第一の発現形態は立法でありますから、国も自治体もそれなりに立法権を分有して、お互いに対話、交渉を重ねながらよりよい立法をつくる、これが憲法九十二条の地方自治の本旨の第一の要素となると思います。これを地方自治の本旨の最初の意味とした上で、住民自治、団体自治、適切な役割分担の原則も出すべきである、こう考えております。
さて、こう考えますと、憲法九十四条そのものは法律の範囲内での条例制定としか述べておりませんが、当然、憲法九十二条を踏まえて解釈する必要があるだろう。憲法九十二条は、あくまでも地方自治の本旨に反しないような法律で地方自治制度を定めなさいと書いてあるわけですから、条例制定権の範囲を限定いたします法律というのも地方自治の本旨に反しないものでなければならないはずであります。
憲法四十一条の問題が常にあるわけですが、これは確かに「国の唯一の立法機関」として国会を規定しておるわけですが、「国の」というところに注意していただきたい。すなわち、全国レベルでは国会に立法権が独占されていると考えられますが、「国の」でありまして、国、地方関係は別だと考えるべきです。
憲法四十一条は、国、地方関係では国の法律が優位するということを原則としては認めつつ、しかしながら、地域的ないし現場の実験的な視点からの必要性と合理性が相当程度認められる場合には、例外的に条例が優位することまで認めなければならない、これを憲法の地方自治の本旨が要求していると考えます。
さて、近年の分権改革につきましてはどう考えたらいいのか。時間も大分切迫してきましたので、詳しくはそこを読んでおいていただきたいんですが、国と自治体の対等性をかなり認めているのですが、二つ目の黒丸を見てください。
しかしながら、一九九九年、地方自治法が改正されたものを見ますと、なお、地方自治体は地方の自主行政である、条例は地方の自主的な行政立法、行政立法という言葉を使っていますが、実際には政省令と同じ地方命令のちょっと緩い版というような観念が残存していると思います。地方自治法の一条の二の一項「地域における行政」、地方自治法一条の二第二項「住民に身近な行政」と、あくまで自治体が担当するのは行政的な性質の作用なんだということを強調しております。
なぜこれを行政にしたのか。ヨーロッパ地方自治憲章というのは皆さんも御存じかと思いますが、補完性の原理等々を定めているのですが、ここには、行政ではなくて責務、リスポンシビリティーと書いてあるんですね。これをなぜ行政という狭い言葉に限定したんだろうか、いろいろと疑問に思うところであります。
さて、このように行政という言葉に限定するといろいろな問題が出てきます。
二〇〇三年にフランスは分権国家を目指した憲法改正を行ったんですが、しかしながら、地方自治は憲法上、リーブルアドミニストレーション、自由な地方の行政作用だ、こう述べております。条例についても地方の命令だ、こういう言葉を捨てておりません。したがいまして、国の政省令も同じ命令という言葉を使っていますので、自治体の条例は、国の法律にも、そして国の政省令にも劣位する存在に落とし込められております。
ドイツの場合はもう少しましだろうというふうに思うかもしれませんが、少しはましなんですが、しかしながら、ドイツの地方自治の概念も、ゼルプストフェアヴァルトゥング、自主行政という行政の枠の中の問題として捉えているわけなんですね。
日本国憲法はアメリカの影響を受けておりますので、地方自治の文言も、それからそれに対する一般の理解も、ローカルセルフガバメントであるということで、もっと広いわけでございます。このことは非常に大事なのでありまして、今後も大事にしていただきたいと思います。
さて、このような立法権を認めながら、自治体の条例と法律を、抵触したときにどう処理をするのかは、四番等にイメージを述べておりますが、割愛させていただきます。
さて、最後に、このような立法権分有に向けた憲法改正が必要なのかどうかを論じたいと思います。
私がこれまで述べてきたところからおわかりのように、本来の憲法九十二条の地方自治の本旨には、立法権分有の趣旨が含まれているはずである。しかしながら、官僚法学、こういう言い方をして失礼ですが、内閣法制局その他の官僚の方々が展開する法律論や、あるいは最高裁判所の判例は、それを十分に認めていない。したがいまして、将来、官僚法学や判例変更が期待できるのであれば、憲法改正は必要ないだろうと思います。
しかしながら、現実には、このような官僚法学や最高裁判例は極めてかたくて、なかなかそれを突破できないというふうに言う方もたくさんおります。その場合なんですが、私も、もしどうしてもやむを得ない場合であれば、地方自治の本旨として現在の憲法に本来あるはずのものを明確化する憲法改正の考え方はあり得ると思います。それを五ページに書いております。
憲法九十二条につきましては、国民主権の地域的行使の場としての地方自治の本旨に基づいてというふうに、地方自治の本旨を国民主権の地域的行使の場というふうにもっと明確化するべきだろうと思います。
なお、地方に関して定めることにつきましては、「法律でこれを定める。」と現行憲法は書いてあるんですが、及び自治体の定める自治体憲章でこれを定めるという並列にすると、より改善されるのではないかと思ってもおります。
さて、憲法九十四条なんですけれども、「法律の範囲内で」ということだけが強調されますので、次の文言をつけ加えるとより趣旨が明確化すると思います。
地方公共団体は、地域における立法の権能を有し、地方自治の本旨に適合する法律の範囲内でこれを行使する。地方公共団体の立法は自治体憲章または条例の名称を持ち、自治体憲章は地方公共団体の組織と運営に関する基本事項を定め、条例はこの憲章の範囲内で制定される。
憲法九十五条には、二項も追加するとさらに改善されると思います。自治体憲章の制定改廃は、地方議会の議決の後、その住民投票において過半数の同意を得なければならないというものであります。
さて、失礼ですが、二〇一二年に出された自民党の憲法改正草案をこの観点から見ていきますと、非常に私は疑問が残ります。
自民党憲法改正草案では、地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的に、総合的に実施することを旨として行うという、住民に身近な自主行政に限定する意図が明確でございます。
九十三条二項に、現行の九十二条にほぼ近い規定があるじゃないかというふうにおっしゃるかもしれませんが、しかしながら、総則規定である九十二条で、地方自治は住民に身近な自主行政というふうに限定をかけているわけですから、九十三条二項に地方自治の本旨の文言を移したとしても、その意味は非常に狭まってしまいます。
結局、九十五条で、自民党の憲法改正草案は、「地方自治体は、その事務を処理する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」と書いた上で、解説書であるQアンドAによれば、「自治体の条例が「法律の範囲内で」制定できることについては、変更しませんでした。条例の「上書き権」のようなことも議論されていますが、こうしたことは個別の法律で規定することが可能であり、国の法律が」「条例に優先するという基本は、変えられないと考えています。」こう書いてあります。
確かに、自民党の方々はこのような地方自治を目指しておられるのかと思いますが、私は、このような考え方は、立法権の分有が今後もっと発展するという方向を阻止する問題だろうと思います。
したがいまして、住民に身近な自主行政に地方自治の本旨を縮減し明確化する憲法改正は、日本の分権改革を進める点からも、日本のこの分権改革は世界的に見ても非常に先進的なわけなんですが、世界の地方自治原理の発展に日本が先進的な寄与をする点でも真っ向からこれに反するので、現時点では私は反対でございます。
御清聴ありがとうございました。拍手
森
小
小林武#4
○小林参考人 小林でございます。
本日は、貴重な機会をいただきまして、会長そして委員の皆様に感謝いたします。
私は、国と地方のあるべき関係について、憲法上の基本的な論点を検討した上で、特に沖縄を視野に入れて意見を述べることにいたします。
憲法審査会の権限を定めている国会法第十一章の二に基づいて本日の主題を考えますと、憲法第八章地方自治と、憲法の附属法とされる地方自治法等の基本法制を対象として検討を加え、それを通して改憲の要否を論じることが求められていると思います。
それにつきまして、私は、現在、日本国憲法第八章の改正を不可避とする事情は存在しない、それは条文の規定の仕方も含めて存在しておらず、また、それを要求する世論は多数ではなく、かえって、これを完全に実施するための方策を講じることこそが政治に求められていると考えます。したがって、また、憲法改正提案に対していわゆる対案を出すべしという議論についても、現行憲法の完全実施こそ現在における最善の対案であると思う次第であります。
以下に理由を述べますが、それに先立ち、本審査会が日本国憲法の改正に関して、九十六条に基づく厳密な改正を審議する場であることに特に留意して、いわゆる憲法改正の限界について一言触れておきたいと思います。
すなわち、憲法改正手続によりさえすればどのような改正も法的に許されると説く無限界説もありますが、限界があると解するのが、戦前戦後を通して憲法学界の通説であります。
それによれば、人権宣言の基本原則や国民主権、国際平和の原理、そして憲法改正の国民投票制などについては、九十六条による改正は許されないことになります。このことに照らすならば、二〇一二年に出された自由民主党憲法改正草案は、多くの箇所で改正限界に抵触しているとの疑念を禁じ得ないものであります。
ちなみに、この二〇一二年案と同程度に限界を超えていると思われるものであったところの二〇〇五年の自民党案は、改正草案とは名乗らずに、新憲法草案としておりました。これは示唆的であります。
改正限界を超えた憲法の改正は、法的に無効と評価されるものでありますから、この憲法改正限界の問題には、当審査会におかれましても格別の留意が払われてしかるべきであると私は考えます。
以上を前置きして、国と地方のあり方という本日の主題の検討に入りたいと思います。
我が国におきまして真正の地方自治制度をもたらしたものは、ほかならぬ日本国憲法であります。明治憲法は地方自治に関する規定を備えておらず、地方制度は法律上のものでしかなく、その編制ないし運営は立法政策上の問題でありました。それで、地方自治体は実質上中央政府の下請機関となり、また、住民の手による本来の自治は実現されるべくもなかったわけであります。それに対して、日本国憲法が地方自治に憲法的保障を与えたことは、憲法原理上の根本的な変革であり、まさに画期的な意義を有するものであると言わなくてはなりません。
ただ、憲法制定過程で、連合国軍総司令部が提案した地方政府構想は、日本政府、とりわけ内務省の強硬な抵抗に出会います。それは、明治憲法時代の徹底した官治行政の仕組みと中央集権の理念を新憲法下でもできる限り維持しようとするものでありました。そのことが、制定されたただいまの第八章にも少なからず反映していることは否めないと思います。
とはいえ、憲法第八章は、そのような制約を加えられながらも、民主主義政治の基盤としての地方自治を実現し、住民の人権を確保する規範としての内容を十分に備えたものとなっております。
そして、この第八章地方自治が、第二章戦争放棄とともに、明治憲法には存在せず、日本国憲法に新規に導入されたものであることを重視しておきたいと思います。つまり、この二つの章は、明治憲法下で進められた官治主義と軍国主義を排除するものとして不可分一体の双子の形で誕生したものであります。
このようにして、第八章地方自治は、まさに平和国家の建設にとって不可欠の章であると言わなくてはなりません。
それゆえに、逆に国が軍事へと傾斜するとき、地方自治は戦争遂行の阻害物とみなされます。最近のとても見やすい事例は、改憲の主張として登場している緊急事態条項でありますが、例えば、二〇一二年の自民党改憲案によれば、緊急事態が内閣総理大臣によって宣言された場合、地方自治体の長は内閣総理大臣から必要な指示を受けることになります。地方自治は一時停止されるわけであります。
以上述べましたような憲法第八章が憲法史上に持つ画期的意義を確認しておくことは、今回のテーマの審議に当たって共通の土台となるものではないかと思われます。
今述べましたところから、地方自治は、人民の人民による人民のための政治という民主主義の価値において、国の政治と対等の位置にあると言えます。それにもかかわらず、実際には、中央政府は地方自治を軽視し、その結果、国と地方はあたかも上下主従の関係にあるようにみなされ、中央集権制の弊害が払拭されずに色濃く残されてきました。
この点で、詳しく述べる時間はありませんけれども、一九九九年の地方自治法大改正、ここに込められた国と地方の対等関係を相当前進させる内容は注目すべきであると私は考えております。
さらに、我が国の国と地方の関係を極めて不正常なものにしている要因として、日米安保条約の問題を見落とすことができないと思います。すなわち、それに基づいて日本各地に米軍基地が置かれ、各自治体と住民が負担を強いられており、その負担は住民の生命と人間の尊厳を脅かすまでに至っております。
米軍への基地提供の法的仕組みの大もとにあるものは安保条約でありますけれども、しかし、条約は、住民と自治体の権利、権限を制限し、義務を課す直接の根拠となり得るものではありません。国民代表議会の作品としての法律が必要とされるわけであります。それが原則であります。憲法九十二条が、地方自治体の組織、運営に関する事項は法律で定めるとしているのも、この趣旨であると言えます。
したがいまして、安保条約との関係でも、本来、法律を定める国自身が、地方とその住民の権利擁護について自覚的でなければならないのであります。
加えて、地方自治体は、米軍基地を発生源とする事件、事故のもたらす被害から住民を保護するために、自主立法権を行使して、住民保護条例を制定することができる、また、すべきであると私は考えます。
これは、特に日米地位協定が米軍への我が国の法令の適用を基本的に排除していることにかかわっておりますけれども、日本政府はその改定に進み出そうとはいたしません。それで、地方自治体が、条例によって米軍、米軍人等の一定の違法行為を規制し、もって住民の生命と人権を守ることが求められるのであります。そして、現在、そのことは、とりわけて沖縄で喫緊の課題となっております。
2の沖縄に関する議論に進みます。
国と地方のあり方について、その極端にゆがめられた姿を見るのは沖縄であります。ことし、日本国憲法施行七十年を迎えますが、沖縄については四十五年であることを、まず確認しておきたいと思います。
すなわち、一九四五年四月、沖縄戦で上陸した米軍は直ちに日本の統治権を停止し、それによって大日本帝国憲法の適用は遮断されました。そして、戦争の終了によっても、さらに一九四七年の日本国憲法の施行後も、あまつさえ一九五二年の平和条約発効による日本の法的独立の回復の際にも、その三条によって沖縄は切り離され、米国による占領は変わることなく、憲法は復活しなかったわけであります。憲法の適用のない法状況は、一九七二年の本土復帰まで二十七年に及んだのであります。
沖縄の人々は、日本国憲法のもとへの復帰を望み、幾多の努力を重ねたのでありますが、復帰の実態は日米安保条約体制に組み込まれることを意味しました。その間、地方自治は米国による施政のもとでは存在すべくもなく、また、復帰後も米軍基地が重圧となり続けているのであります。
今日の焦点は、名護市辺野古における米軍新基地の建設にありますが、沖縄県民はこれに一貫して反対しております。
特に、二〇一三年には、いわゆるオール沖縄と言われる、そういう沖縄を挙げての声でありますけれども、オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖、撤去、そして県内移設断念を求める建白書を内閣総理大臣に提出いたしました。一月のことでありました。
その年の末に、当時の仲井真弘多知事が、県民への公約に背いて政府に辺野古の公有水面埋め立てを承認したのでありますが、翌二〇一四年、県民はこれを絶対につくらせないことを公約した翁長雄志氏を知事に選びました。そして、同じ年、辺野古のある名護市の市長選、市議選、衆議院の四つの小選挙区選挙の全てにおいて、新基地反対の候補者が推進派の自民党候補者に圧勝する結果となったのであります。
すなわち、地方自治の原則に照らしますならば、この段階で、沖縄の民意を尊重して基地建設を断念するのが、憲法のもとにある政府がなすべき当然の選択であったはずであります。それにもかかわらず、こうした民意を政府が一顧だにしようとしないことは、地方自治をないがしろにするものでありまして、そのもとでは、住民と自治体はみずからの運命をみずから選ぶことはできず、住民は自治を担う主権者として育つ機会を奪われます。つまり、それは民主主義の死滅をもたらすものであると言わざるを得ないのであります。
加えて、沖縄県に対して国がとっている姿勢には、法制度の運用の恣意性が際立っております。事例を限って指摘しておきます。
一つは、二〇一五年十月十三日に知事が公有水面埋立承認の取り消しを行ったのに対して、直ちに沖縄防衛局が行政不服審査法を持ち出して、国土交通大臣に審査請求と執行停止を申し立てたことであります。国土交通大臣はすぐさま承認取り消しの執行停止を決定し、工事は着手されました。
しかし、政府がここで用いた行政不服審査法は、本来、行政の違法な行為に対して、国民の権利利益の救済を図ることを目的とした法律であります。それにもかかわらず、国は、あたかも国民、つまり私人に成り済ましてこの制度を使っております。法の悪用ないし逆用と言わなくてはなりません。
また、今年三月二十五日、知事はいずれ承認の撤回に踏み切ることを明言しましたが、これを受けて政府は、知事個人に対して損害賠償を請求することもある旨表明いたしました。
こうした訴訟は、現行司法制度が本来的に予定している類型にはなじまないものであります。いわゆるスラップ訴訟が企図されているのではないかと思われます。つまり、首長に高額の賠償という懲罰を与えて、住民の側に立つ抵抗行動を控えさせるという萎縮効果を上げることが目的とされているのであります。しかし、国がこうした手法をとることは、地方自治を機能不全に追い込むものであって、許されるものではありません。
もう一つは、政府の法解釈の恣意性であります。これは、新基地建設の岩礁破砕に関してお話を申し上げようと用意していたんですが、時間の関係で省略いたしますので、私のこの拙い文章をごらんになっていただければ大変ありがたいと思います。
結局、沖縄については、特に米軍基地問題を見るときに、政府による法制度の運用は、国、地方の対等関係を真っ当に理解したものとは到底言うことができません。沖縄を、地理的にとどまらず、政治的、軍事的に辺境とみなした措置であるように思われます。つまり、特定の地域と住民に矛盾を押しつけ、苦悩を負わせておきながら、恬として恥じない政治であります。
そして、それは、二〇一一年三月十一日の原発事故で甚大な被害をこうむった福島に対する姿勢にも通底しております。国には、今こそ、憲法の原理と地方自治の原則に基づいてみずからを省みることが求められていると明確に指摘をしておきたいと思います。
結びでありますが、以上の検討からすれば、国と地方のあり方に関して今なすべきは、憲法第八章に改定を加えることではなく、地方自治の保障の原点に立ち返って、これを充実させることであると思います。
その内容は、主要なもののみを列挙いたしますが、一、事務分担に関して、自治体優先、基礎自治体最優先の原則を大前提に、補充性の原則を貫いて、地域社会にとって根幹的な行政を自治体に総合的に移譲すること、二、財政権限の移譲により自治体財源を確保すること、三、行政区画については、現行の二層制を維持した上で、さらに将来、広域性とは逆に、狭域行政の制度づくりに進むこと、四、自治体がみずからの行財政の立案をし、それを実行する公共経営能力を持つようにすること、五、住民が、自治体の政治、政策をつくる過程に参加して意見表明をする地位が保障されることなどがその主な部分になるかと思います。
そして、国と地方のあり方を考える場合に、本日の私の意見で触れた沖縄の問題、また福島の問題を等閑に付してはならないことを繰り返し強調しておきたいと思います。それは、全ての地方の問題に共通する普遍性を持つものだからであります。
憲法審査会におかれましては、地方自治を充実させる課題にこそ力を注ぎ、もって主権者国民の信託に応えられることを強く望みまして、参考人としての意見にいたします。
御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →本日は、貴重な機会をいただきまして、会長そして委員の皆様に感謝いたします。
私は、国と地方のあるべき関係について、憲法上の基本的な論点を検討した上で、特に沖縄を視野に入れて意見を述べることにいたします。
憲法審査会の権限を定めている国会法第十一章の二に基づいて本日の主題を考えますと、憲法第八章地方自治と、憲法の附属法とされる地方自治法等の基本法制を対象として検討を加え、それを通して改憲の要否を論じることが求められていると思います。
それにつきまして、私は、現在、日本国憲法第八章の改正を不可避とする事情は存在しない、それは条文の規定の仕方も含めて存在しておらず、また、それを要求する世論は多数ではなく、かえって、これを完全に実施するための方策を講じることこそが政治に求められていると考えます。したがって、また、憲法改正提案に対していわゆる対案を出すべしという議論についても、現行憲法の完全実施こそ現在における最善の対案であると思う次第であります。
以下に理由を述べますが、それに先立ち、本審査会が日本国憲法の改正に関して、九十六条に基づく厳密な改正を審議する場であることに特に留意して、いわゆる憲法改正の限界について一言触れておきたいと思います。
すなわち、憲法改正手続によりさえすればどのような改正も法的に許されると説く無限界説もありますが、限界があると解するのが、戦前戦後を通して憲法学界の通説であります。
それによれば、人権宣言の基本原則や国民主権、国際平和の原理、そして憲法改正の国民投票制などについては、九十六条による改正は許されないことになります。このことに照らすならば、二〇一二年に出された自由民主党憲法改正草案は、多くの箇所で改正限界に抵触しているとの疑念を禁じ得ないものであります。
ちなみに、この二〇一二年案と同程度に限界を超えていると思われるものであったところの二〇〇五年の自民党案は、改正草案とは名乗らずに、新憲法草案としておりました。これは示唆的であります。
改正限界を超えた憲法の改正は、法的に無効と評価されるものでありますから、この憲法改正限界の問題には、当審査会におかれましても格別の留意が払われてしかるべきであると私は考えます。
以上を前置きして、国と地方のあり方という本日の主題の検討に入りたいと思います。
我が国におきまして真正の地方自治制度をもたらしたものは、ほかならぬ日本国憲法であります。明治憲法は地方自治に関する規定を備えておらず、地方制度は法律上のものでしかなく、その編制ないし運営は立法政策上の問題でありました。それで、地方自治体は実質上中央政府の下請機関となり、また、住民の手による本来の自治は実現されるべくもなかったわけであります。それに対して、日本国憲法が地方自治に憲法的保障を与えたことは、憲法原理上の根本的な変革であり、まさに画期的な意義を有するものであると言わなくてはなりません。
ただ、憲法制定過程で、連合国軍総司令部が提案した地方政府構想は、日本政府、とりわけ内務省の強硬な抵抗に出会います。それは、明治憲法時代の徹底した官治行政の仕組みと中央集権の理念を新憲法下でもできる限り維持しようとするものでありました。そのことが、制定されたただいまの第八章にも少なからず反映していることは否めないと思います。
とはいえ、憲法第八章は、そのような制約を加えられながらも、民主主義政治の基盤としての地方自治を実現し、住民の人権を確保する規範としての内容を十分に備えたものとなっております。
そして、この第八章地方自治が、第二章戦争放棄とともに、明治憲法には存在せず、日本国憲法に新規に導入されたものであることを重視しておきたいと思います。つまり、この二つの章は、明治憲法下で進められた官治主義と軍国主義を排除するものとして不可分一体の双子の形で誕生したものであります。
このようにして、第八章地方自治は、まさに平和国家の建設にとって不可欠の章であると言わなくてはなりません。
それゆえに、逆に国が軍事へと傾斜するとき、地方自治は戦争遂行の阻害物とみなされます。最近のとても見やすい事例は、改憲の主張として登場している緊急事態条項でありますが、例えば、二〇一二年の自民党改憲案によれば、緊急事態が内閣総理大臣によって宣言された場合、地方自治体の長は内閣総理大臣から必要な指示を受けることになります。地方自治は一時停止されるわけであります。
以上述べましたような憲法第八章が憲法史上に持つ画期的意義を確認しておくことは、今回のテーマの審議に当たって共通の土台となるものではないかと思われます。
今述べましたところから、地方自治は、人民の人民による人民のための政治という民主主義の価値において、国の政治と対等の位置にあると言えます。それにもかかわらず、実際には、中央政府は地方自治を軽視し、その結果、国と地方はあたかも上下主従の関係にあるようにみなされ、中央集権制の弊害が払拭されずに色濃く残されてきました。
この点で、詳しく述べる時間はありませんけれども、一九九九年の地方自治法大改正、ここに込められた国と地方の対等関係を相当前進させる内容は注目すべきであると私は考えております。
さらに、我が国の国と地方の関係を極めて不正常なものにしている要因として、日米安保条約の問題を見落とすことができないと思います。すなわち、それに基づいて日本各地に米軍基地が置かれ、各自治体と住民が負担を強いられており、その負担は住民の生命と人間の尊厳を脅かすまでに至っております。
米軍への基地提供の法的仕組みの大もとにあるものは安保条約でありますけれども、しかし、条約は、住民と自治体の権利、権限を制限し、義務を課す直接の根拠となり得るものではありません。国民代表議会の作品としての法律が必要とされるわけであります。それが原則であります。憲法九十二条が、地方自治体の組織、運営に関する事項は法律で定めるとしているのも、この趣旨であると言えます。
したがいまして、安保条約との関係でも、本来、法律を定める国自身が、地方とその住民の権利擁護について自覚的でなければならないのであります。
加えて、地方自治体は、米軍基地を発生源とする事件、事故のもたらす被害から住民を保護するために、自主立法権を行使して、住民保護条例を制定することができる、また、すべきであると私は考えます。
これは、特に日米地位協定が米軍への我が国の法令の適用を基本的に排除していることにかかわっておりますけれども、日本政府はその改定に進み出そうとはいたしません。それで、地方自治体が、条例によって米軍、米軍人等の一定の違法行為を規制し、もって住民の生命と人権を守ることが求められるのであります。そして、現在、そのことは、とりわけて沖縄で喫緊の課題となっております。
2の沖縄に関する議論に進みます。
国と地方のあり方について、その極端にゆがめられた姿を見るのは沖縄であります。ことし、日本国憲法施行七十年を迎えますが、沖縄については四十五年であることを、まず確認しておきたいと思います。
すなわち、一九四五年四月、沖縄戦で上陸した米軍は直ちに日本の統治権を停止し、それによって大日本帝国憲法の適用は遮断されました。そして、戦争の終了によっても、さらに一九四七年の日本国憲法の施行後も、あまつさえ一九五二年の平和条約発効による日本の法的独立の回復の際にも、その三条によって沖縄は切り離され、米国による占領は変わることなく、憲法は復活しなかったわけであります。憲法の適用のない法状況は、一九七二年の本土復帰まで二十七年に及んだのであります。
沖縄の人々は、日本国憲法のもとへの復帰を望み、幾多の努力を重ねたのでありますが、復帰の実態は日米安保条約体制に組み込まれることを意味しました。その間、地方自治は米国による施政のもとでは存在すべくもなく、また、復帰後も米軍基地が重圧となり続けているのであります。
今日の焦点は、名護市辺野古における米軍新基地の建設にありますが、沖縄県民はこれに一貫して反対しております。
特に、二〇一三年には、いわゆるオール沖縄と言われる、そういう沖縄を挙げての声でありますけれども、オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖、撤去、そして県内移設断念を求める建白書を内閣総理大臣に提出いたしました。一月のことでありました。
その年の末に、当時の仲井真弘多知事が、県民への公約に背いて政府に辺野古の公有水面埋め立てを承認したのでありますが、翌二〇一四年、県民はこれを絶対につくらせないことを公約した翁長雄志氏を知事に選びました。そして、同じ年、辺野古のある名護市の市長選、市議選、衆議院の四つの小選挙区選挙の全てにおいて、新基地反対の候補者が推進派の自民党候補者に圧勝する結果となったのであります。
すなわち、地方自治の原則に照らしますならば、この段階で、沖縄の民意を尊重して基地建設を断念するのが、憲法のもとにある政府がなすべき当然の選択であったはずであります。それにもかかわらず、こうした民意を政府が一顧だにしようとしないことは、地方自治をないがしろにするものでありまして、そのもとでは、住民と自治体はみずからの運命をみずから選ぶことはできず、住民は自治を担う主権者として育つ機会を奪われます。つまり、それは民主主義の死滅をもたらすものであると言わざるを得ないのであります。
加えて、沖縄県に対して国がとっている姿勢には、法制度の運用の恣意性が際立っております。事例を限って指摘しておきます。
一つは、二〇一五年十月十三日に知事が公有水面埋立承認の取り消しを行ったのに対して、直ちに沖縄防衛局が行政不服審査法を持ち出して、国土交通大臣に審査請求と執行停止を申し立てたことであります。国土交通大臣はすぐさま承認取り消しの執行停止を決定し、工事は着手されました。
しかし、政府がここで用いた行政不服審査法は、本来、行政の違法な行為に対して、国民の権利利益の救済を図ることを目的とした法律であります。それにもかかわらず、国は、あたかも国民、つまり私人に成り済ましてこの制度を使っております。法の悪用ないし逆用と言わなくてはなりません。
また、今年三月二十五日、知事はいずれ承認の撤回に踏み切ることを明言しましたが、これを受けて政府は、知事個人に対して損害賠償を請求することもある旨表明いたしました。
こうした訴訟は、現行司法制度が本来的に予定している類型にはなじまないものであります。いわゆるスラップ訴訟が企図されているのではないかと思われます。つまり、首長に高額の賠償という懲罰を与えて、住民の側に立つ抵抗行動を控えさせるという萎縮効果を上げることが目的とされているのであります。しかし、国がこうした手法をとることは、地方自治を機能不全に追い込むものであって、許されるものではありません。
もう一つは、政府の法解釈の恣意性であります。これは、新基地建設の岩礁破砕に関してお話を申し上げようと用意していたんですが、時間の関係で省略いたしますので、私のこの拙い文章をごらんになっていただければ大変ありがたいと思います。
結局、沖縄については、特に米軍基地問題を見るときに、政府による法制度の運用は、国、地方の対等関係を真っ当に理解したものとは到底言うことができません。沖縄を、地理的にとどまらず、政治的、軍事的に辺境とみなした措置であるように思われます。つまり、特定の地域と住民に矛盾を押しつけ、苦悩を負わせておきながら、恬として恥じない政治であります。
そして、それは、二〇一一年三月十一日の原発事故で甚大な被害をこうむった福島に対する姿勢にも通底しております。国には、今こそ、憲法の原理と地方自治の原則に基づいてみずからを省みることが求められていると明確に指摘をしておきたいと思います。
結びでありますが、以上の検討からすれば、国と地方のあり方に関して今なすべきは、憲法第八章に改定を加えることではなく、地方自治の保障の原点に立ち返って、これを充実させることであると思います。
その内容は、主要なもののみを列挙いたしますが、一、事務分担に関して、自治体優先、基礎自治体最優先の原則を大前提に、補充性の原則を貫いて、地域社会にとって根幹的な行政を自治体に総合的に移譲すること、二、財政権限の移譲により自治体財源を確保すること、三、行政区画については、現行の二層制を維持した上で、さらに将来、広域性とは逆に、狭域行政の制度づくりに進むこと、四、自治体がみずからの行財政の立案をし、それを実行する公共経営能力を持つようにすること、五、住民が、自治体の政治、政策をつくる過程に参加して意見表明をする地位が保障されることなどがその主な部分になるかと思います。
そして、国と地方のあり方を考える場合に、本日の私の意見で触れた沖縄の問題、また福島の問題を等閑に付してはならないことを繰り返し強調しておきたいと思います。それは、全ての地方の問題に共通する普遍性を持つものだからであります。
憲法審査会におかれましては、地方自治を充実させる課題にこそ力を注ぎ、もって主権者国民の信託に応えられることを強く望みまして、参考人としての意見にいたします。
御清聴ありがとうございました。拍手
森
齋
齋藤誠#6
○齋藤参考人 本日は、このような機会をいただき、ありがとうございます。
私は、地方自治、地方分権と憲法の関係について、お配りしたレジュメの項目に沿って意見を述べさせていただきます。
初めに、日本国憲法第八章、この四つの条文が規定された意義とその基本理念、それがどのように捉えられてきたかについて若干振り返っておきます。
第一に、帝国議会の憲法改正案審議において、当時の金森徳次郎憲法担当国務大臣は、第八章の趣旨説明の中で、民主主義原理が根本にあり、国民の自由、公共団体の自由を保障するものであって、自治の本旨の理念からすると、人間の個性の尊重に眼目があるとしています。個人の尊重を地方自治の基礎に据えることで、金森は後に、自治体には基本的自治体権とでもいうべきものがあると記しています。
第二に、特別区長公選制廃止にかかわる著名な昭和三十八年の最高裁大法廷判決は、八章の保障のゆえんについて、新憲法の基調とする政治民主化の一環であり、地方住民の手で住民の団体が主体となって地方の公共的事務を処理する政治形態の保障である旨述べています。
個人の尊重、自由、そして民主主義を基調に地方自治の保障を構築するという視点は今後とも重要であると私は考えますが、個人の尊重、自由の確保のための分権、権力分立という観点も、地方自治保障の意義として、あわせて指摘すべきでありましょう。
次に、明治憲法においては、金森大臣も指摘したように、地方自治に関する直接の規定はありませんでした。しかし、だからといって、地方自治が国家の重要事項でなかったということではなく、当時の実務、そしてその考え方では、自治体の組織事項は、憲法十条の官制大権の例外として法律事項に位置づけられており、原則として、勅令ではなく議会の審議を経た法律によって規律されていました。
しかし、全体として見れば、明治憲法のもとでの地方自治制度は、国家統治のための地方自治という色彩が色濃く、日本国憲法のもとでの地方自治とは大きく異なることにもやはり留意が必要でしょう。
そこで、現行憲法の地方自治規定をどのように充実させるべきかという論点に進みます。
第一に、国の立法権による過度の介入、これを防ぐために、実体的な規定をより詳細化するという観点が挙げられます。
現在は、この点については法律のレベルで、地方自治法二条十一項が、「地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基づき、かつ、国と地方公共団体との適切な役割分担を踏まえたものでなければならない。」と定めています。
この規定は、第一次地方分権改革で導入されたものですが、その後の過度の立法介入を抑制することや地方自治保障の司法審査の基準としては機能してきませんでした。そこで、第二次地方分権改革においては、より具体的なメルクマールを設定して、法令による義務づけ、枠づけを見直すという作業が行われ、逐次の閣議決定を経て、平成二十三年の第一次一括法から昨年の第六次一括法に至る成果を上げています。
しかし、この手法にも限界はあります。例えば、この介入抑制手法は、基本的には、閣議決定を経る閣法を対象にしたものであって、省令や告示のレベルで、いわば隠れた形でなされる義務づけを必ずしも有効にチェックできません。また、各種基本法の制定などで重要性が増している議員立法についても、直接の対象にはなりません。
現在、他の個別法と同じ、法律というレベルで規定されている地方自治法二条十一項の内容を、憲法のレベルで規定する。それによって、より体系的、包括的に立法権による過度の介入を防ぐという意義はあるのではないかと考えています。
第二に、司法的救済に関する規定の導入についてです。
地方自治保障の実体的な内容を憲法のレベルで全て書き切るということは恐らくできませんし、適切でない面も持っていると思われます。そこで、訴訟を通じて地方自治保障の内容が明確化し、実現するというプロセスも極めて重要です。この点、自治体が国に対して出訴するというルートは、現在の裁判実務の考え方では、国の関与に関する自治体側の明文による出訴以外は極めて狭い道になっています。
ヨーロッパ自治憲章、この憲章は法的拘束力を持ったヨーロッパ各国間の多国間条約ですが、その十一条は、地方自治体は、その権限の自由な行使及び憲法または国内法に定められた地方自治の尊重を確保するために、司法的救済に訴える権利を有するものとすると定めています。このような規定を憲法レベルで設けることによって、自治体の出訴権に関する現在までの日本の裁判実務の動向を変える可能性があるのならば、地方自治の広い意味での手続的保障条項として、その導入につき検討する価値はあると考えます。
第三に、地方自治の事前手続による保障という論点を挙げることができます。
自治体及び住民に影響を及ぼす国の立法や行政の施策について、地方の側が事前に協議をし、あるいは意見を述べて、立法や施策への反映を求めるという事前手続は、憲法九十五条の規定する地方特別法の住民投票を除けば、現在のところ、法律レベルで一定の手当てがされているにとどまります。
もちろん、この法律による事前手続的保護がこの間に充実してきているということも指摘すべきでしょう。
具体的には、第一は、国と地方の協議の場に関する法律における協議と、協議が調った事項についての国、地方の結果尊重義務であり、第二は、地方自治法二百六十三条の三が規定する、地方六団体の意見具申権です。後者については、同条第五項の意見具申のための情報周知の国の側の適切な措置に対して、地方分権改革推進委員会の第三次勧告が、その時期と方法について、審議会段階や政令案制定段階での情報提供など、適切な運用を求めています。
一方で、これらの法律レベルでの保障について、運用実績を積み重ね、自治体の側でも、来た球を的確に打ち返すことのできる政策調整や法制執務などの体制を整備することで、地方自治の事前手続保護の実をある程度上げることはできると考えます。
しかし、他方で、これらの手続において、国の側の当事者は内閣及び各大臣であり、国の立法者はダイレクトには登場しません。立法府における手続を規律するためには、憲法レベルで規定することが考えられます。
実際に、徳島県の地方自治に関する憲法課題研究会の案では、その九十七条二項として、「地方自治に影響を及ぼす重要な法律については、法律の定めるところにより、地方自治体を代表する機関との協議を経なければ、国会はこれを制定することができない。」という条項を提言しています。
現行憲法九十五条は、自治保障の一環として、特別法の住民投票という形で国会単独立法の例外を既に認めていますので、この提言も、いわばその延長線上に位置づけられる面があり、今後の議論に当たり参考になると考えられます。
地方自治に影響を及ぼす重要な法律には一体何が該当するのか、地方自治体を代表する機関としてどのような機関が考えられるのか。そしてまた、グローバル化の中で、自治体に大きな影響を及ぼす条約もふえていますが、国家間の条約交渉について自治体は直接に権限を持ちませんから、法律だけでなく、条約の国内における検討過程及び実施プロセスでの自治体の参加手続も一つの論点になりましょう。
広義の、広い意味の手続的保障の論点についてまとめますと、国と地方の適切な役割分担にせよ、財政権、財政調整の保障にせよ、実体的な規定の詳細化には限界もあるので、憲法レベルでの地方自治保障の充実については、事前手続、司法的救済とあわせて検討する必要があります。
次に、憲法九十三条との関係で、二元代表制と首長公選制の伝統と憲法という視点を提示しておきます。
地方制度において、議会と首長について分離型の制度とすることは、府県レベルでは非常に長い伝統を持っております。それは、明治十一年の府県会規則にさかのぼり、伊藤博文の言葉をかりれば、行政と議会の区域を明らかにし、お互いに権限を侵さず、その権衡、これは均衡と言いかえてもいいと思いますが、その権衡をとるの習慣、これを形成してきた。そして、現行憲法が、議員と長、両者の直接公選を規定し、そこでは、特に政治の民主化として、長の直接公選が大きな意義を持っております。その後、市町村、都道府県ともに、双方を直接公選とする分離型の二元代表制度が定着しています。
他方で、現在においては、地域におけるさまざまな課題、それに対応すべき自治体のあり方、さらに、その連携のあり方、それぞれにおいて多様性が重要であると多く指摘されるにもかかわらず、憲法上の地方公共団体である以上、議員と長、それぞれの直接公選という一律の組織体制の存続が九十三条により要請されることになります。
例えば、私は、集権的な道州制、各地方にミニ霞が関をつくるような道州制には反対の意見を持ちますが、そうではない道州制を検討する場合に、道州が憲法上の地方公共団体として位置づけられると、この一律のシステムになってしまう。地方における多様な民意を広域団体として酌み取り、すり合わせながら政策形成と実施に当たる、多様な民意の反映と集約という視点からは、住民の直接公選ではなく、首長を議会において選出する可能性も模索すべきではないかと考える次第です。
最後に、結びですが、地方自治、地方分権と戦時体制、戦争というものは相入れません。
歴史の教えるところ、例えば、戦時中には、町内会や隣保班が戦争遂行のための国の下部組織、国民相互の監視組織として使われ、そしてまた、戦争末期には、全国をブロック化した、いわば集権的な、道州制の先取りのような地方総監府というものも登場していました。その結果、戦後には、一方では、長い伝統を持っていた地縁団体としての町内会自体が一旦は解体されるという事態になり、他方で、都道府県レベルを超えた広域団体形成への警戒感というものもより強まった面があるのではないでしょうか。
いずれにいたしましても、空襲に備えて帝国議会議事堂も黒白の迷彩塗装が施されていたというような状況では、実り豊かな自治、分権を目指すことは到底できなかった。それゆえ、憲法改正について今後議論を深めていくに当たっては、地方自治及び分権の保障の充実という観点からも、平和の維持と構築ということに十二分に配慮いただければありがたい次第です。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、地方自治、地方分権と憲法の関係について、お配りしたレジュメの項目に沿って意見を述べさせていただきます。
初めに、日本国憲法第八章、この四つの条文が規定された意義とその基本理念、それがどのように捉えられてきたかについて若干振り返っておきます。
第一に、帝国議会の憲法改正案審議において、当時の金森徳次郎憲法担当国務大臣は、第八章の趣旨説明の中で、民主主義原理が根本にあり、国民の自由、公共団体の自由を保障するものであって、自治の本旨の理念からすると、人間の個性の尊重に眼目があるとしています。個人の尊重を地方自治の基礎に据えることで、金森は後に、自治体には基本的自治体権とでもいうべきものがあると記しています。
第二に、特別区長公選制廃止にかかわる著名な昭和三十八年の最高裁大法廷判決は、八章の保障のゆえんについて、新憲法の基調とする政治民主化の一環であり、地方住民の手で住民の団体が主体となって地方の公共的事務を処理する政治形態の保障である旨述べています。
個人の尊重、自由、そして民主主義を基調に地方自治の保障を構築するという視点は今後とも重要であると私は考えますが、個人の尊重、自由の確保のための分権、権力分立という観点も、地方自治保障の意義として、あわせて指摘すべきでありましょう。
次に、明治憲法においては、金森大臣も指摘したように、地方自治に関する直接の規定はありませんでした。しかし、だからといって、地方自治が国家の重要事項でなかったということではなく、当時の実務、そしてその考え方では、自治体の組織事項は、憲法十条の官制大権の例外として法律事項に位置づけられており、原則として、勅令ではなく議会の審議を経た法律によって規律されていました。
しかし、全体として見れば、明治憲法のもとでの地方自治制度は、国家統治のための地方自治という色彩が色濃く、日本国憲法のもとでの地方自治とは大きく異なることにもやはり留意が必要でしょう。
そこで、現行憲法の地方自治規定をどのように充実させるべきかという論点に進みます。
第一に、国の立法権による過度の介入、これを防ぐために、実体的な規定をより詳細化するという観点が挙げられます。
現在は、この点については法律のレベルで、地方自治法二条十一項が、「地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基づき、かつ、国と地方公共団体との適切な役割分担を踏まえたものでなければならない。」と定めています。
この規定は、第一次地方分権改革で導入されたものですが、その後の過度の立法介入を抑制することや地方自治保障の司法審査の基準としては機能してきませんでした。そこで、第二次地方分権改革においては、より具体的なメルクマールを設定して、法令による義務づけ、枠づけを見直すという作業が行われ、逐次の閣議決定を経て、平成二十三年の第一次一括法から昨年の第六次一括法に至る成果を上げています。
しかし、この手法にも限界はあります。例えば、この介入抑制手法は、基本的には、閣議決定を経る閣法を対象にしたものであって、省令や告示のレベルで、いわば隠れた形でなされる義務づけを必ずしも有効にチェックできません。また、各種基本法の制定などで重要性が増している議員立法についても、直接の対象にはなりません。
現在、他の個別法と同じ、法律というレベルで規定されている地方自治法二条十一項の内容を、憲法のレベルで規定する。それによって、より体系的、包括的に立法権による過度の介入を防ぐという意義はあるのではないかと考えています。
第二に、司法的救済に関する規定の導入についてです。
地方自治保障の実体的な内容を憲法のレベルで全て書き切るということは恐らくできませんし、適切でない面も持っていると思われます。そこで、訴訟を通じて地方自治保障の内容が明確化し、実現するというプロセスも極めて重要です。この点、自治体が国に対して出訴するというルートは、現在の裁判実務の考え方では、国の関与に関する自治体側の明文による出訴以外は極めて狭い道になっています。
ヨーロッパ自治憲章、この憲章は法的拘束力を持ったヨーロッパ各国間の多国間条約ですが、その十一条は、地方自治体は、その権限の自由な行使及び憲法または国内法に定められた地方自治の尊重を確保するために、司法的救済に訴える権利を有するものとすると定めています。このような規定を憲法レベルで設けることによって、自治体の出訴権に関する現在までの日本の裁判実務の動向を変える可能性があるのならば、地方自治の広い意味での手続的保障条項として、その導入につき検討する価値はあると考えます。
第三に、地方自治の事前手続による保障という論点を挙げることができます。
自治体及び住民に影響を及ぼす国の立法や行政の施策について、地方の側が事前に協議をし、あるいは意見を述べて、立法や施策への反映を求めるという事前手続は、憲法九十五条の規定する地方特別法の住民投票を除けば、現在のところ、法律レベルで一定の手当てがされているにとどまります。
もちろん、この法律による事前手続的保護がこの間に充実してきているということも指摘すべきでしょう。
具体的には、第一は、国と地方の協議の場に関する法律における協議と、協議が調った事項についての国、地方の結果尊重義務であり、第二は、地方自治法二百六十三条の三が規定する、地方六団体の意見具申権です。後者については、同条第五項の意見具申のための情報周知の国の側の適切な措置に対して、地方分権改革推進委員会の第三次勧告が、その時期と方法について、審議会段階や政令案制定段階での情報提供など、適切な運用を求めています。
一方で、これらの法律レベルでの保障について、運用実績を積み重ね、自治体の側でも、来た球を的確に打ち返すことのできる政策調整や法制執務などの体制を整備することで、地方自治の事前手続保護の実をある程度上げることはできると考えます。
しかし、他方で、これらの手続において、国の側の当事者は内閣及び各大臣であり、国の立法者はダイレクトには登場しません。立法府における手続を規律するためには、憲法レベルで規定することが考えられます。
実際に、徳島県の地方自治に関する憲法課題研究会の案では、その九十七条二項として、「地方自治に影響を及ぼす重要な法律については、法律の定めるところにより、地方自治体を代表する機関との協議を経なければ、国会はこれを制定することができない。」という条項を提言しています。
現行憲法九十五条は、自治保障の一環として、特別法の住民投票という形で国会単独立法の例外を既に認めていますので、この提言も、いわばその延長線上に位置づけられる面があり、今後の議論に当たり参考になると考えられます。
地方自治に影響を及ぼす重要な法律には一体何が該当するのか、地方自治体を代表する機関としてどのような機関が考えられるのか。そしてまた、グローバル化の中で、自治体に大きな影響を及ぼす条約もふえていますが、国家間の条約交渉について自治体は直接に権限を持ちませんから、法律だけでなく、条約の国内における検討過程及び実施プロセスでの自治体の参加手続も一つの論点になりましょう。
広義の、広い意味の手続的保障の論点についてまとめますと、国と地方の適切な役割分担にせよ、財政権、財政調整の保障にせよ、実体的な規定の詳細化には限界もあるので、憲法レベルでの地方自治保障の充実については、事前手続、司法的救済とあわせて検討する必要があります。
次に、憲法九十三条との関係で、二元代表制と首長公選制の伝統と憲法という視点を提示しておきます。
地方制度において、議会と首長について分離型の制度とすることは、府県レベルでは非常に長い伝統を持っております。それは、明治十一年の府県会規則にさかのぼり、伊藤博文の言葉をかりれば、行政と議会の区域を明らかにし、お互いに権限を侵さず、その権衡、これは均衡と言いかえてもいいと思いますが、その権衡をとるの習慣、これを形成してきた。そして、現行憲法が、議員と長、両者の直接公選を規定し、そこでは、特に政治の民主化として、長の直接公選が大きな意義を持っております。その後、市町村、都道府県ともに、双方を直接公選とする分離型の二元代表制度が定着しています。
他方で、現在においては、地域におけるさまざまな課題、それに対応すべき自治体のあり方、さらに、その連携のあり方、それぞれにおいて多様性が重要であると多く指摘されるにもかかわらず、憲法上の地方公共団体である以上、議員と長、それぞれの直接公選という一律の組織体制の存続が九十三条により要請されることになります。
例えば、私は、集権的な道州制、各地方にミニ霞が関をつくるような道州制には反対の意見を持ちますが、そうではない道州制を検討する場合に、道州が憲法上の地方公共団体として位置づけられると、この一律のシステムになってしまう。地方における多様な民意を広域団体として酌み取り、すり合わせながら政策形成と実施に当たる、多様な民意の反映と集約という視点からは、住民の直接公選ではなく、首長を議会において選出する可能性も模索すべきではないかと考える次第です。
最後に、結びですが、地方自治、地方分権と戦時体制、戦争というものは相入れません。
歴史の教えるところ、例えば、戦時中には、町内会や隣保班が戦争遂行のための国の下部組織、国民相互の監視組織として使われ、そしてまた、戦争末期には、全国をブロック化した、いわば集権的な、道州制の先取りのような地方総監府というものも登場していました。その結果、戦後には、一方では、長い伝統を持っていた地縁団体としての町内会自体が一旦は解体されるという事態になり、他方で、都道府県レベルを超えた広域団体形成への警戒感というものもより強まった面があるのではないでしょうか。
いずれにいたしましても、空襲に備えて帝国議会議事堂も黒白の迷彩塗装が施されていたというような状況では、実り豊かな自治、分権を目指すことは到底できなかった。それゆえ、憲法改正について今後議論を深めていくに当たっては、地方自治及び分権の保障の充実という観点からも、平和の維持と構築ということに十二分に配慮いただければありがたい次第です。
ありがとうございました。拍手
森
佐
佐々木信夫#8
○佐々木参考人 御紹介をいただきました、中央大学の佐々木信夫でございます。本日は、お招きをいただきまして、ありがとうございました。
私は、憲法学者ではございません。政治学、行政学、地方自治というものを専攻しておりますので、なお、都庁にも十六年勤務した経験もございますので、少し違う角度から、国と地方、地方自治に関する所見を述べさせていただきたいと思います。
お手元に、メモという形でレジュメを用意させていただきました。必ずしも話し言葉になっておりませんけれども、この流れに沿ってお話をさせていただきたいと思います。
このメモについては、六ページにわたっておりますが、前半の三ページまでが問題提起、問題を整理して、そして、それを踏まえまして、四ページ以降が憲法改正にかかわる八つの論点という形で論点を御提示させていただいております。
時間の制約もありますので、三ページまでの問題提起はごくかいつまんでお話をしたいと思います。
言うまでもございませんが、憲法制定から七十年、日本社会というものは大変大きい変化を遂げております。キーワードだけ並べましたけれども、一つは、非常に広域化した。二つ目としては、経済の成熟化。あるいは、高度に都市化した。さらに、分権化、ネット化、高学歴化、こうしたキーワードが社会変化の特徴だと思いますが、同時に、人口増加時代、戦後二倍にふえた人口が人口減社会へと変化し始めております。
このように極めて多様化した、あるいは多元化した、高度都市国家と言っていいと思いますが、こういう国においては、七十年たった憲法についても、新たな国の形、二十一世紀の国の形をリセットするという視点から、憲法の改正についてもいろいろな側面を吟味してみる必要があると考えます。
まず、レジュメの二番目、国と地方のあり方についてというところですが、第一は、戦後の日本は、中央集権体制のメリットを最大限に生かして、国全体の底上げ戦略に成功してきたというふうに思います。
ただ、二〇〇〇年に始まった地方分権改革でございますけれども、機関委任事務制度の廃止など、その成果はありましたけれども、その後、どのような中央、地方関係を目指すのか、その国家像が不明なまま、改革は事実上停止をしている状態だというふうに思われます。
国民の身近なところで政策形成が行われる、税金の使い方をコントロールできるという分権化に反対する方はほとんどおられないと思いますけれども、これまでの、国が政策決定をし、国、地方が一体となって個別サービスを実現していくという、ちょっと難しい表現をしておりますが、集権・融合型の行政のやり方を変えるまでには至っていない。
レジュメに少し黒く塗っておきましたけれども、現段階の国と地方の関係というのは、集権・融合型国家体系というふうに表現できるだろう。つまり、中央政府が意思決定の主体であり、地方と融合する形で国民に行政サービスを提供していく、こういう形であります。フランスに代表される大陸系諸国に多く見られる、ある種、中央集権体制の一つの形であります。
分権改革をより進める場合、欧米に見られる分権・分離タイプ、あるいは北欧に見られる分権・融合タイプ、いずれかの方向というものをはっきり定めた上で、実際、分権改革を進める必要があると思われます。
これは、一九九五年の分権改革推進法ができて、それ以後、制度改革の委員会が、分権推進委員会ができておりますけれども、最初の、中間のまとめを見ますと、やや分権・分離型の英米系の国家を目指すような、政府の役割を十七に限定するというような書き方をされておられますけれども、現実に二〇〇〇年の分権一括法に見られる形はそうではなかった。
かといって、分権・融合型、つまり、地方自治体が、実質上、意思決定、政策決定、結果責任まで負う形であるけれども、国がある程度かかわる、どういうかかわり方をするかということについての制限というものも必ずしも明確にならない、なっていない形で、この約十五年間、日本の分権改革が推移してきていると思われます。
格差の大きい日本の現状からしますと、いわゆる地域間格差の大きい現状からしますと、北欧系の分権・融合型、つまり、地方が主体的に政策形成から結果責任を負う体制をとるとして、国家のかかわりとしては、やはり財政調整及び政策のガイドライン、政策の標準を示すという役割に限定したかかわり方をする改革方向が望ましいのではないか。これは、今後、分権改革をもう一度呼び戻す場合に大いに議論されるべき一つの論点ではないかと思われます。
もう一つは、中央、地方関係についてですが、これまで国は、自治の原則、いわゆる地方自治体の自治の原則を重視するよりも、地方自治体間の均衡の原則を重視するといういわゆる均衡の原則に軸足を置いて、全国の均てん化を目指す自治政策を採用してきたというふうに見えます。
これは、地方交付税制度にもあらわれておりますし、ナショナルミニマムの実現という点では大きい成果があったと思います。ただ、地方の創意工夫によって国を発展させるという、その意欲を引き出すという点では十分ではなかったと思われます。
地方創生の議論が始まっておりますけれども、今後は、地域が統治主体となる国の形を目指す、それには、自治の原則を重視し、均衡の原則は補完的なものにしていく必要があるのではないかと思われます。
大きい二番目でございます。レジュメですと二ページの二番ですが、地方自治制度そのものについて、必ずしも憲法改正とかかわる条項だけではございませんけれども、五点ばかり、三ページまでにわたって整理をいたしました。これをお話ししていますと時間がなくなりますので、ごく簡単に申し上げます。
第一に、規律密度。非常に微に入り細に入り、規律密度の高い、濃い地方自治法というものを廃止して、自治基本法にかえたらどうかという点が一つでございます。
第二に、規模とか地域にかかわりなく一律に適用される二元代表制。首長と議会議員の直接公選を別々にする、こういう形が大中小にかかわらず都道府県制度まで使われておりますけれども、イギリス等に見られるように、いわゆる多様な自治制度を用意し、そこから地域が選択をする、こういう多様化、選択制に変えるべきではないかという点が二つ目でございます。
第三の点ですけれども、議員の選挙。現在、都道府県で二千七百名の議員さんがおられますし、千七百十八市町村、二十三区で約三万三千名の市区町村議会議員さんがおられますけれども、なり手がないというところもふえてきておりますし、無競争当選もふえてきております。いわゆる議会の専門性をどのように上げていくのかという点も大事でありまして、議員の選挙も、専門職、一般職に分けて選挙するという、カナダなどに見られる、多様性を持たせる方法もあるのではないかという指摘でございます。
第四としては、大都市制度。正確に言うと、日本には大都市制度はございませんで、市町村の大都市特例という形で、特に政令指定都市制度が使われております。今二十都市指定されておりますが、もう少し選択的な大都市制度を構想したらどうか。つまり、人口七十万人から三百七十万人まで使われている一律の制度が地域に合わなくなっている、こういうことでございます。
第五点は、都道府県制度についてでありますが、広域化時代に対応できるよう、四十七都道府県制度を抜本的に改めて、内政の拠点性を有する道州制に早期に移行したらどうかという意見でございます。
この道州制論議は、いろいろ御議論もおありだろうと思いますし、都道府県の上に州をかぶせるという四層制を構想する方もおられますが、そういう道州制ではございませんで、都道府県制度にかえて、地方主権型道州制というふうに表現をしておきましたが、地域主権型道州制でも地域主導型道州制でも表現としては構わないだろうと思いますが、公選制を維持する自治体としての道州制というものを、国の省庁のあり方、市町村のあり方も含めて、ただ都道府県の再編合併という話ではなくて、国家の統治機構全体を見直す意味で道州制ということが検討される時期に来ているのではないかと思われます。
ここまでが問題整理というか、意見も含まれておりますけれども、憲法改正に必ずしもかかわらない全体の話でございます。
次に、四ページから、項目を追って、ほぼこのとおりお話を申し上げます。
第一の論点、四ページですが、憲法上の条項の置き方について、現在の統治機構について、第四章から第八章まで並列的に並べております。地方自治を第八章に置く、こういう並べ方がなされていますけれども、国の統治機構と地方の統治機構を大分類した上で、つまり、中央政府と地方政府という、二つの統治形態と趣旨の異なる政府を別々に規定したらどうか。
つまり、第四章から第八章までではなくて、国の統治機構については、国会、内閣、司法、財政というものを一つ書く、そして、地方の統治機構については、理念、議会、首長、自治権、財政、住民監視権などを別途規定する、こういう二つの政府形態の存在というものを憲法上表現したらどうでしょうかという点であります。
第二の論点ですが、現在の日本国憲法第八章の地方自治の性格づけについて、地方自治の本旨については法律に委ねる、理解としては、団体自治、住民自治というものが中身だということになっているわけでありますが、これを明確に、法律に委ねるのではなくて、憲法に書いたらどうか。すなわち、地方自治権、間接民主主義、直接民主主義、住民監視権などを明示したらどうか。
現行の、法律に委ねるというものを受けた、規律密度の濃い地方自治法を廃止して、自治制度の基本を定めた自治基本法というもののみにするというシンプルなものにしたらどうか、法律に関しては。
さらに、課税権、財政権とともに、財政規律というものを維持できるような適正化義務というものも掲げたらどうかということであります。
第三の論点としては、現行の憲法は、国と地方の役割分担については何も書いておりません。
これは、先ほどの集権・融合型国家体系ということとかかわる、ある意味、国、地方が一体となって役割を果たすということを言っているのかもしれませんが、地域に主権がある、地方分権を進めた国家の形としては、考え方としては、やはり身近な政府が内政の中心であるという近接性の原則を入れた上で、市町村を基礎自治体と明示して、揺りかごから墓場までの行政は基本的に基礎自治体の役割とする。
それを補完する形、補完性の原則に沿って、さらに広域政策を担う役割を広域自治体の役割とする。これが府県であるのか州であるのかということでありますが、広域自治体がそういう役割を持つ。
さらに、中央政府、国については、内政に関しては補完の原則と国家的に統一して行うべき事項に、年金とか通貨管理と例を挙げましたけれども、ある程度限定をし、主力は外交、防衛、危機管理など対外政策にあることを明示したらどうか。
第四の論点でございます。第九十三条の議会の設置、選挙など、住民自治の規定についてですけれども、現在の、規模の大小、地域性を加味しない、無視ではないんですが、地域性を加味しない一律の組織、機構の規定は廃止したらどうか。道州議会については広域性を加味し、議員の兼務制というものも検討したらどうか。
今後の地方政府の自治機構のあり方については選択制とする。ただし、議会を置く、首長の公選制というものは明記する。
道州の議員については、一定割合を市町村長あるいは代表議員の兼務とし、簡素で地域の意思を反映できる州議会の構成とする。
第五の論点、条例制定権の関連ですけれども、地方主権あるいは地域主権の趣旨に沿って、条例制定権については、自治体の立法権強化の観点から、見直したらどうか。
地域のみに適用されるローカルルールの趣旨に鑑み、いわゆるナショナルルールである法律に対する上乗せ、はみ出し、横出しというものの裁量権を認める。同時に、道州条例については、法律に優位した条例も認めていいのではないか。この辺の条例の裁量権を拡大していきますと、例えば都心部の待機児童問題なども比較的早く解消できる可能性が強い。今、省令で相当細かく決まっておりますので、この辺の規律密度は大いに緩めたら、問題解決は早いように思われます。
それから、第六の論点ですが、ここから道州制のお話ですけれども、第六の論点、都道府県制度の抜本的な見直しが必要だ。これは、人口縮小時代、減少時代というよりは人口縮小時代、財政の効率性から考えても、道州制移行を本格的に検討すべき段階ではないか。
広域自治体としての道州制、道州を内政の広域拠点と位置づけて、制度化すべきだ。府県制度にかわる道州は、その性格を自治体として、地域に統治権のある地域主権型あるいは地方主権型道州制でよいのではないか。
第七の論点、道州制については、これは私の意見ですけれども、道州制、道州制と呼んでいますが、新たに州制度ないし日本型州構想という表現もあるのではないか。これまでの道州制は、上からの道州制という、ようかんを切るような道州制のイメージがどうしても国民に定着しておりますので、そうではなくて、大都市や基礎自治体を基礎に置く新たな州の創造というイメージをつくっていく必要がある。
実態として、道州制の道は北海道を意識した使い方になっておりますけれども、北海道州あるいは九州州としますと、道州という使い方をしなくてもよくなります。北海道の道は地名として定着しておりますし、九州というものも広域地名として定着をしている。日本で州制度に移行するということを検討してはどうかというお話になるわけであります。
こうした基礎自治体から道州制をつくっていくという意味で、州制度移行国民会議のようなものを広域圏の単位でつくって、こういう広域の地域をどういうふうに地域が変えていくかという議論を始めたらどうか。
最後、時間が来ておりますので。
第八点としては、首都、副首都という規定が憲法上どこにもございませんので、これを明記したらどうか。これは、新たな国の形として、分権・多極型国家をイメージし、首都、副首都の位置づけを明確にしたらどうか。首都、副首都の自治制度は、例えば一般州と並ぶ都市州という考え方もあるのではないか。十州二都市州というような新しい国家像が考えられるということでございます。
御清聴ありがとうございました。終わります。拍手
この発言だけを見る →私は、憲法学者ではございません。政治学、行政学、地方自治というものを専攻しておりますので、なお、都庁にも十六年勤務した経験もございますので、少し違う角度から、国と地方、地方自治に関する所見を述べさせていただきたいと思います。
お手元に、メモという形でレジュメを用意させていただきました。必ずしも話し言葉になっておりませんけれども、この流れに沿ってお話をさせていただきたいと思います。
このメモについては、六ページにわたっておりますが、前半の三ページまでが問題提起、問題を整理して、そして、それを踏まえまして、四ページ以降が憲法改正にかかわる八つの論点という形で論点を御提示させていただいております。
時間の制約もありますので、三ページまでの問題提起はごくかいつまんでお話をしたいと思います。
言うまでもございませんが、憲法制定から七十年、日本社会というものは大変大きい変化を遂げております。キーワードだけ並べましたけれども、一つは、非常に広域化した。二つ目としては、経済の成熟化。あるいは、高度に都市化した。さらに、分権化、ネット化、高学歴化、こうしたキーワードが社会変化の特徴だと思いますが、同時に、人口増加時代、戦後二倍にふえた人口が人口減社会へと変化し始めております。
このように極めて多様化した、あるいは多元化した、高度都市国家と言っていいと思いますが、こういう国においては、七十年たった憲法についても、新たな国の形、二十一世紀の国の形をリセットするという視点から、憲法の改正についてもいろいろな側面を吟味してみる必要があると考えます。
まず、レジュメの二番目、国と地方のあり方についてというところですが、第一は、戦後の日本は、中央集権体制のメリットを最大限に生かして、国全体の底上げ戦略に成功してきたというふうに思います。
ただ、二〇〇〇年に始まった地方分権改革でございますけれども、機関委任事務制度の廃止など、その成果はありましたけれども、その後、どのような中央、地方関係を目指すのか、その国家像が不明なまま、改革は事実上停止をしている状態だというふうに思われます。
国民の身近なところで政策形成が行われる、税金の使い方をコントロールできるという分権化に反対する方はほとんどおられないと思いますけれども、これまでの、国が政策決定をし、国、地方が一体となって個別サービスを実現していくという、ちょっと難しい表現をしておりますが、集権・融合型の行政のやり方を変えるまでには至っていない。
レジュメに少し黒く塗っておきましたけれども、現段階の国と地方の関係というのは、集権・融合型国家体系というふうに表現できるだろう。つまり、中央政府が意思決定の主体であり、地方と融合する形で国民に行政サービスを提供していく、こういう形であります。フランスに代表される大陸系諸国に多く見られる、ある種、中央集権体制の一つの形であります。
分権改革をより進める場合、欧米に見られる分権・分離タイプ、あるいは北欧に見られる分権・融合タイプ、いずれかの方向というものをはっきり定めた上で、実際、分権改革を進める必要があると思われます。
これは、一九九五年の分権改革推進法ができて、それ以後、制度改革の委員会が、分権推進委員会ができておりますけれども、最初の、中間のまとめを見ますと、やや分権・分離型の英米系の国家を目指すような、政府の役割を十七に限定するというような書き方をされておられますけれども、現実に二〇〇〇年の分権一括法に見られる形はそうではなかった。
かといって、分権・融合型、つまり、地方自治体が、実質上、意思決定、政策決定、結果責任まで負う形であるけれども、国がある程度かかわる、どういうかかわり方をするかということについての制限というものも必ずしも明確にならない、なっていない形で、この約十五年間、日本の分権改革が推移してきていると思われます。
格差の大きい日本の現状からしますと、いわゆる地域間格差の大きい現状からしますと、北欧系の分権・融合型、つまり、地方が主体的に政策形成から結果責任を負う体制をとるとして、国家のかかわりとしては、やはり財政調整及び政策のガイドライン、政策の標準を示すという役割に限定したかかわり方をする改革方向が望ましいのではないか。これは、今後、分権改革をもう一度呼び戻す場合に大いに議論されるべき一つの論点ではないかと思われます。
もう一つは、中央、地方関係についてですが、これまで国は、自治の原則、いわゆる地方自治体の自治の原則を重視するよりも、地方自治体間の均衡の原則を重視するといういわゆる均衡の原則に軸足を置いて、全国の均てん化を目指す自治政策を採用してきたというふうに見えます。
これは、地方交付税制度にもあらわれておりますし、ナショナルミニマムの実現という点では大きい成果があったと思います。ただ、地方の創意工夫によって国を発展させるという、その意欲を引き出すという点では十分ではなかったと思われます。
地方創生の議論が始まっておりますけれども、今後は、地域が統治主体となる国の形を目指す、それには、自治の原則を重視し、均衡の原則は補完的なものにしていく必要があるのではないかと思われます。
大きい二番目でございます。レジュメですと二ページの二番ですが、地方自治制度そのものについて、必ずしも憲法改正とかかわる条項だけではございませんけれども、五点ばかり、三ページまでにわたって整理をいたしました。これをお話ししていますと時間がなくなりますので、ごく簡単に申し上げます。
第一に、規律密度。非常に微に入り細に入り、規律密度の高い、濃い地方自治法というものを廃止して、自治基本法にかえたらどうかという点が一つでございます。
第二に、規模とか地域にかかわりなく一律に適用される二元代表制。首長と議会議員の直接公選を別々にする、こういう形が大中小にかかわらず都道府県制度まで使われておりますけれども、イギリス等に見られるように、いわゆる多様な自治制度を用意し、そこから地域が選択をする、こういう多様化、選択制に変えるべきではないかという点が二つ目でございます。
第三の点ですけれども、議員の選挙。現在、都道府県で二千七百名の議員さんがおられますし、千七百十八市町村、二十三区で約三万三千名の市区町村議会議員さんがおられますけれども、なり手がないというところもふえてきておりますし、無競争当選もふえてきております。いわゆる議会の専門性をどのように上げていくのかという点も大事でありまして、議員の選挙も、専門職、一般職に分けて選挙するという、カナダなどに見られる、多様性を持たせる方法もあるのではないかという指摘でございます。
第四としては、大都市制度。正確に言うと、日本には大都市制度はございませんで、市町村の大都市特例という形で、特に政令指定都市制度が使われております。今二十都市指定されておりますが、もう少し選択的な大都市制度を構想したらどうか。つまり、人口七十万人から三百七十万人まで使われている一律の制度が地域に合わなくなっている、こういうことでございます。
第五点は、都道府県制度についてでありますが、広域化時代に対応できるよう、四十七都道府県制度を抜本的に改めて、内政の拠点性を有する道州制に早期に移行したらどうかという意見でございます。
この道州制論議は、いろいろ御議論もおありだろうと思いますし、都道府県の上に州をかぶせるという四層制を構想する方もおられますが、そういう道州制ではございませんで、都道府県制度にかえて、地方主権型道州制というふうに表現をしておきましたが、地域主権型道州制でも地域主導型道州制でも表現としては構わないだろうと思いますが、公選制を維持する自治体としての道州制というものを、国の省庁のあり方、市町村のあり方も含めて、ただ都道府県の再編合併という話ではなくて、国家の統治機構全体を見直す意味で道州制ということが検討される時期に来ているのではないかと思われます。
ここまでが問題整理というか、意見も含まれておりますけれども、憲法改正に必ずしもかかわらない全体の話でございます。
次に、四ページから、項目を追って、ほぼこのとおりお話を申し上げます。
第一の論点、四ページですが、憲法上の条項の置き方について、現在の統治機構について、第四章から第八章まで並列的に並べております。地方自治を第八章に置く、こういう並べ方がなされていますけれども、国の統治機構と地方の統治機構を大分類した上で、つまり、中央政府と地方政府という、二つの統治形態と趣旨の異なる政府を別々に規定したらどうか。
つまり、第四章から第八章までではなくて、国の統治機構については、国会、内閣、司法、財政というものを一つ書く、そして、地方の統治機構については、理念、議会、首長、自治権、財政、住民監視権などを別途規定する、こういう二つの政府形態の存在というものを憲法上表現したらどうでしょうかという点であります。
第二の論点ですが、現在の日本国憲法第八章の地方自治の性格づけについて、地方自治の本旨については法律に委ねる、理解としては、団体自治、住民自治というものが中身だということになっているわけでありますが、これを明確に、法律に委ねるのではなくて、憲法に書いたらどうか。すなわち、地方自治権、間接民主主義、直接民主主義、住民監視権などを明示したらどうか。
現行の、法律に委ねるというものを受けた、規律密度の濃い地方自治法を廃止して、自治制度の基本を定めた自治基本法というもののみにするというシンプルなものにしたらどうか、法律に関しては。
さらに、課税権、財政権とともに、財政規律というものを維持できるような適正化義務というものも掲げたらどうかということであります。
第三の論点としては、現行の憲法は、国と地方の役割分担については何も書いておりません。
これは、先ほどの集権・融合型国家体系ということとかかわる、ある意味、国、地方が一体となって役割を果たすということを言っているのかもしれませんが、地域に主権がある、地方分権を進めた国家の形としては、考え方としては、やはり身近な政府が内政の中心であるという近接性の原則を入れた上で、市町村を基礎自治体と明示して、揺りかごから墓場までの行政は基本的に基礎自治体の役割とする。
それを補完する形、補完性の原則に沿って、さらに広域政策を担う役割を広域自治体の役割とする。これが府県であるのか州であるのかということでありますが、広域自治体がそういう役割を持つ。
さらに、中央政府、国については、内政に関しては補完の原則と国家的に統一して行うべき事項に、年金とか通貨管理と例を挙げましたけれども、ある程度限定をし、主力は外交、防衛、危機管理など対外政策にあることを明示したらどうか。
第四の論点でございます。第九十三条の議会の設置、選挙など、住民自治の規定についてですけれども、現在の、規模の大小、地域性を加味しない、無視ではないんですが、地域性を加味しない一律の組織、機構の規定は廃止したらどうか。道州議会については広域性を加味し、議員の兼務制というものも検討したらどうか。
今後の地方政府の自治機構のあり方については選択制とする。ただし、議会を置く、首長の公選制というものは明記する。
道州の議員については、一定割合を市町村長あるいは代表議員の兼務とし、簡素で地域の意思を反映できる州議会の構成とする。
第五の論点、条例制定権の関連ですけれども、地方主権あるいは地域主権の趣旨に沿って、条例制定権については、自治体の立法権強化の観点から、見直したらどうか。
地域のみに適用されるローカルルールの趣旨に鑑み、いわゆるナショナルルールである法律に対する上乗せ、はみ出し、横出しというものの裁量権を認める。同時に、道州条例については、法律に優位した条例も認めていいのではないか。この辺の条例の裁量権を拡大していきますと、例えば都心部の待機児童問題なども比較的早く解消できる可能性が強い。今、省令で相当細かく決まっておりますので、この辺の規律密度は大いに緩めたら、問題解決は早いように思われます。
それから、第六の論点ですが、ここから道州制のお話ですけれども、第六の論点、都道府県制度の抜本的な見直しが必要だ。これは、人口縮小時代、減少時代というよりは人口縮小時代、財政の効率性から考えても、道州制移行を本格的に検討すべき段階ではないか。
広域自治体としての道州制、道州を内政の広域拠点と位置づけて、制度化すべきだ。府県制度にかわる道州は、その性格を自治体として、地域に統治権のある地域主権型あるいは地方主権型道州制でよいのではないか。
第七の論点、道州制については、これは私の意見ですけれども、道州制、道州制と呼んでいますが、新たに州制度ないし日本型州構想という表現もあるのではないか。これまでの道州制は、上からの道州制という、ようかんを切るような道州制のイメージがどうしても国民に定着しておりますので、そうではなくて、大都市や基礎自治体を基礎に置く新たな州の創造というイメージをつくっていく必要がある。
実態として、道州制の道は北海道を意識した使い方になっておりますけれども、北海道州あるいは九州州としますと、道州という使い方をしなくてもよくなります。北海道の道は地名として定着しておりますし、九州というものも広域地名として定着をしている。日本で州制度に移行するということを検討してはどうかというお話になるわけであります。
こうした基礎自治体から道州制をつくっていくという意味で、州制度移行国民会議のようなものを広域圏の単位でつくって、こういう広域の地域をどういうふうに地域が変えていくかという議論を始めたらどうか。
最後、時間が来ておりますので。
第八点としては、首都、副首都という規定が憲法上どこにもございませんので、これを明記したらどうか。これは、新たな国の形として、分権・多極型国家をイメージし、首都、副首都の位置づけを明確にしたらどうか。首都、副首都の自治制度は、例えば一般州と並ぶ都市州という考え方もあるのではないか。十州二都市州というような新しい国家像が考えられるということでございます。
御清聴ありがとうございました。終わります。拍手
森
森
森英介#10
○森会長 これより参考人に対する質疑を行います。
質疑者におかれましては、本日の議題に沿った質問をしていただくようお願いいたします。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中谷元君。
この発言だけを見る →質疑者におかれましては、本日の議題に沿った質問をしていただくようお願いいたします。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中谷元君。
中
中谷元#11
○中谷(元)委員 自由民主党の中谷元でございます。
参考人の皆様には、大変見識の高い、また有意義な御意見をいただきまして、ありがとうございました。
まず、大津参考人にお伺いをいたします。
地方自治の本旨ということで、先生のお話によりますと、この内容が、解釈によって大きく委ねておりまして、わかりにくい言葉ゆえに、提言といたしまして、改正するならば、国民主権の地域的行使の場としての地方自治の本旨に基づいて、法律、自治体憲章で定める等の御提言がございました。
そこでお伺いしますけれども、地方への権限移譲等を強力に進めようと、今、地方主権という言葉がございます。地域に主権があるというのは、これはおぞましいことでありまして、国に主権という意味の国家の主権という意味でございますが、これはちょっとまずい表現ではないかと思いますが、学者としてどう思われるかという点をお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →参考人の皆様には、大変見識の高い、また有意義な御意見をいただきまして、ありがとうございました。
まず、大津参考人にお伺いをいたします。
地方自治の本旨ということで、先生のお話によりますと、この内容が、解釈によって大きく委ねておりまして、わかりにくい言葉ゆえに、提言といたしまして、改正するならば、国民主権の地域的行使の場としての地方自治の本旨に基づいて、法律、自治体憲章で定める等の御提言がございました。
そこでお伺いしますけれども、地方への権限移譲等を強力に進めようと、今、地方主権という言葉がございます。地域に主権があるというのは、これはおぞましいことでありまして、国に主権という意味の国家の主権という意味でございますが、これはちょっとまずい表現ではないかと思いますが、学者としてどう思われるかという点をお伺いしたいと思います。
大
大津浩#12
○大津参考人 ありがとうございます。
地方主権あるいは地域主権ということについて、国家主権とのかかわりで問題が多いんじゃないかという御議論は、私たち憲法学者の間でもかなり共通の意識として持っております。
しかしながら、地域主権として主張されるものの中には実は二種類あるというふうに私は思っているんですが、一つは地域主権型道州制、道州制を導入するときに道州の権限を強めるという意味の政治的な強調の言葉で使っているものが一方であると思うんですね。しかしながら、法概念としては、これは言葉の乱用であると思っております。
もう一つ、地域主権という主張をしていた御議論を見ていきますと、私が理解するところでは、これは国民主権をより豊かにするという意味があるんだ、国民主権をより豊かにするためには、地域に暮らす市民が地方の政治に参加することを通じて、地方並びに国の立法のあり方その他、国のあり方をよりよくしていくのだ、こういう主張が、実際には過去の答申のみならず、これは民主党政権のときでしたけれども、総務大臣をやられた方の発言等にもあったというふうに私は分析しております。
国民主権という意味で、その国民の中身をより豊かに広げる場合には、地域で暮らす側面と国で暮らす側面の両方を持つ国民が、両方で主権を行使することが必要であろう、したがって、両場面で立法権まで必要になってくるだろう、もちろん対立が出ますけれども、それはうまく調整していけばいいんだろう、こういう趣旨で考える限りは、地域主権とか地方主権という言葉を使うことがよろしいかどうかはわかりませんが、発想は間違っていないのではないかというのが私の意見であります。
この発言だけを見る →地方主権あるいは地域主権ということについて、国家主権とのかかわりで問題が多いんじゃないかという御議論は、私たち憲法学者の間でもかなり共通の意識として持っております。
しかしながら、地域主権として主張されるものの中には実は二種類あるというふうに私は思っているんですが、一つは地域主権型道州制、道州制を導入するときに道州の権限を強めるという意味の政治的な強調の言葉で使っているものが一方であると思うんですね。しかしながら、法概念としては、これは言葉の乱用であると思っております。
もう一つ、地域主権という主張をしていた御議論を見ていきますと、私が理解するところでは、これは国民主権をより豊かにするという意味があるんだ、国民主権をより豊かにするためには、地域に暮らす市民が地方の政治に参加することを通じて、地方並びに国の立法のあり方その他、国のあり方をよりよくしていくのだ、こういう主張が、実際には過去の答申のみならず、これは民主党政権のときでしたけれども、総務大臣をやられた方の発言等にもあったというふうに私は分析しております。
国民主権という意味で、その国民の中身をより豊かに広げる場合には、地域で暮らす側面と国で暮らす側面の両方を持つ国民が、両方で主権を行使することが必要であろう、したがって、両場面で立法権まで必要になってくるだろう、もちろん対立が出ますけれども、それはうまく調整していけばいいんだろう、こういう趣旨で考える限りは、地域主権とか地方主権という言葉を使うことがよろしいかどうかはわかりませんが、発想は間違っていないのではないかというのが私の意見であります。
中
中谷元#13
○中谷(元)委員 次に、小林参考人にお伺いいたします。
沖縄の御意見ということも聞かせていただきましたが、中で、米軍基地の県内移設は決して受け入れられないのが沖縄の県民の民意と申されましたけれども、第一に、SACOの合意等がありまして、政府の米軍基地の整理、統合、縮小については沖縄県側もこれを進めるという立場で、特に嘉手納以南の土地の返還につきましても、県側も移設側も、これは決して受け入れないという立場をとっておりません。
それから第二に、二十一年前から県民は一貫して反対していると述べられましたけれども、翁長知事自体も、一九九五年に早く県内移設をということを決議して、県議会で演説されていますし、平成十一年に稲嶺知事が移設先を辺野古沖と決定して、岸本市長もこれを受け入れています。つまり、国と県と名護市が話し合う普天間協議会も設置をされていたということ。
それから、各選挙でもこういった争点で争われていますが、こういった場合に、建設を訴えなかったから勝ったという御指摘がありますけれども、それは結果的にそういったことではないんじゃないかと思います。
それから、行政不服審査を悪用、逆用したと言いましたけれども、第二条に、行政庁の処分に不服がある者は審査請求できると。この場合、県知事から行政処分を受けた防衛局が審査請求を行ったということで、これは正当なもので、最高裁も認めているわけでございます。
そして、損害賠償請求につきましても、これは、首長が法令にのっとって、それを、有する権限を適正に行使することが求められておりますので、損害請求は違法な行為があるということが前提でありますので、この制度自体が地方自治体に圧力をかけるものではないと思います。
それから、岩礁破砕、これも、漁業権が消滅していれば県知事の免許は必要ないということでございます。
双方の認識の差はあろうかと思いますけれども、政府と県は、必要に応じて相談しながら、裁判でも和解を選んで、その決定に委ねたものでございますが、こういった混乱がある現状の中で、やはり国の安全保障と地方の主権とをはっきりと憲法に明記して、国の安全保障の措置と国民の生命、暮らしを守る、地方の県民の生活を守るという権限のあり方について、あらかじめ憲法に規定して明確にしておくことが必要であると考えますが、この点、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →沖縄の御意見ということも聞かせていただきましたが、中で、米軍基地の県内移設は決して受け入れられないのが沖縄の県民の民意と申されましたけれども、第一に、SACOの合意等がありまして、政府の米軍基地の整理、統合、縮小については沖縄県側もこれを進めるという立場で、特に嘉手納以南の土地の返還につきましても、県側も移設側も、これは決して受け入れないという立場をとっておりません。
それから第二に、二十一年前から県民は一貫して反対していると述べられましたけれども、翁長知事自体も、一九九五年に早く県内移設をということを決議して、県議会で演説されていますし、平成十一年に稲嶺知事が移設先を辺野古沖と決定して、岸本市長もこれを受け入れています。つまり、国と県と名護市が話し合う普天間協議会も設置をされていたということ。
それから、各選挙でもこういった争点で争われていますが、こういった場合に、建設を訴えなかったから勝ったという御指摘がありますけれども、それは結果的にそういったことではないんじゃないかと思います。
それから、行政不服審査を悪用、逆用したと言いましたけれども、第二条に、行政庁の処分に不服がある者は審査請求できると。この場合、県知事から行政処分を受けた防衛局が審査請求を行ったということで、これは正当なもので、最高裁も認めているわけでございます。
そして、損害賠償請求につきましても、これは、首長が法令にのっとって、それを、有する権限を適正に行使することが求められておりますので、損害請求は違法な行為があるということが前提でありますので、この制度自体が地方自治体に圧力をかけるものではないと思います。
それから、岩礁破砕、これも、漁業権が消滅していれば県知事の免許は必要ないということでございます。
双方の認識の差はあろうかと思いますけれども、政府と県は、必要に応じて相談しながら、裁判でも和解を選んで、その決定に委ねたものでございますが、こういった混乱がある現状の中で、やはり国の安全保障と地方の主権とをはっきりと憲法に明記して、国の安全保障の措置と国民の生命、暮らしを守る、地方の県民の生活を守るという権限のあり方について、あらかじめ憲法に規定して明確にしておくことが必要であると考えますが、この点、いかがでしょうか。
小
小林武#14
○小林参考人 御質問ありがとうございました。
たくさんのことを御質問くださいまして、ほぼもう一度私の発言を復習しなければならないような広域的な御質問でありましたけれども、私は、きょうはやはり、冒頭に申しましたように、国と地方のあり方というきょうのテーマに沿って、文字どおり、本日の憲法審査会で設定されている議題に沿って、沖縄の問題を整理して発言をしたわけであります。ですから、そういう角度でお聞きいただいたものと思うんです。
まず、県民意思です。特に米軍基地に関しての県民の意思ですけれども、これはやはり私がお話ししたとおりで、今日まで何ら、つまり辺野古に新しい基地をつくるということについてはこれを認めない、そういう県民意思は変わっていないと思うんですね。
おっしゃいましたSACO合意からしても、非常に長い時間、一九九六年ですから、長い歴史がありますし、そして、その間のさまざまな、政府が沖縄の県政と県民に対して対応された、その経緯もたくさんある、そういう中で、県民が今も辺野古に基地をつくらせることには同意できないという、これを貫いていることは非常に重い事実なんだろうと思うんですね。
先ほどおっしゃいましたことは、全部答えることは本当に時間がかかりますけれども、例えば、選挙の中で辺野古の問題を訴えなかったから当選しなかったというのはちょっと不正確なつかみ方でありまして、そうではなくて、辺野古の問題について、これを争点とせずに、ほかのところで勝利をしている、そういう候補者は当然あるわけですね。
例えば、私は今宜野湾というところに住んでいますけれども、宜野湾市の市長選挙におきましても、当選された市長、再選でしたけれども、辺野古の問題には全く触れない、ほかの争点で勝利をするわけですね。けれども、その当日、まさに選挙の当日、辺野古についての宜野湾市の市民の意見の調査がありまして、それもやはり市民は移設には反対をしている。
そういう人も含めて、ほかの争点で勝っているということで、きょう私が申し上げているのは、こういう基地問題について、県民の意識、また市町村の人々の意識はどうなのかということをお話ししたわけであります。
それから、行政不服審査法は、今の御質問は非常に趣旨の根底をたがえてつかんでおられるのではないかと思います。
やはり、国民、私人が行政不服審査という方法を通してみずからの権利を回復するということがこれの趣旨でありまして、先ほどおっしゃいました条項の前の、文字どおり一条ですけれども、そこにはその趣旨が明確に書かれていて、私のきょうのレジュメの中にもそれはそのように書いておりますので、ごらんいただければというふうに思います。
それから、今、政府の方が翁長知事個人に損害賠償請求をするんだというふうにおっしゃいますけれども、政府は本当にスタッフとしても法律の専門家はたくさんおられる、そういう中で、これはどういうふうに考えておられるのだろうか。
確かに、またここでも、政府は私人として、財産権主体としての私人としてみずからを成り立たせて、そして、私人としての翁長さん、知事ではなく、翁長雄志氏に対して民事訴訟を提起するのかという気がいたしますけれども、つまり、国家賠償請求はここではこのような形では成り立ちませんので、そう思いますけれども、そういう場合には、私が言ったように、これはその人に対して懲罰を与えるような、今問題になっているいわゆるスラップ訴訟の本質を持たざるを得ないというのが私の先ほどの発言の趣旨であります。
岩礁破砕のことも触れられましたけれども、これは、この三月三十一日に、岩礁破砕の許可を防衛省が得ていた、それが切れました。ですから、続けて工事を行うわけですから、岩礁破砕についての許可の更新が必要なわけですけれども、この許可を受けずになさろうとするわけですね。
それにつきましては、水産庁がそういう見解を出しているということが政府側の根拠でありますけれども、しかし、水産庁の見解によれば、それは、当該の漁協が漁業権を放棄してもなお知事の許可が必要だというのが従来からの水産庁の見解で、それを水産庁は今日でも変えていないようだ。ほかに、那覇市の問題で……
この発言だけを見る →たくさんのことを御質問くださいまして、ほぼもう一度私の発言を復習しなければならないような広域的な御質問でありましたけれども、私は、きょうはやはり、冒頭に申しましたように、国と地方のあり方というきょうのテーマに沿って、文字どおり、本日の憲法審査会で設定されている議題に沿って、沖縄の問題を整理して発言をしたわけであります。ですから、そういう角度でお聞きいただいたものと思うんです。
まず、県民意思です。特に米軍基地に関しての県民の意思ですけれども、これはやはり私がお話ししたとおりで、今日まで何ら、つまり辺野古に新しい基地をつくるということについてはこれを認めない、そういう県民意思は変わっていないと思うんですね。
おっしゃいましたSACO合意からしても、非常に長い時間、一九九六年ですから、長い歴史がありますし、そして、その間のさまざまな、政府が沖縄の県政と県民に対して対応された、その経緯もたくさんある、そういう中で、県民が今も辺野古に基地をつくらせることには同意できないという、これを貫いていることは非常に重い事実なんだろうと思うんですね。
先ほどおっしゃいましたことは、全部答えることは本当に時間がかかりますけれども、例えば、選挙の中で辺野古の問題を訴えなかったから当選しなかったというのはちょっと不正確なつかみ方でありまして、そうではなくて、辺野古の問題について、これを争点とせずに、ほかのところで勝利をしている、そういう候補者は当然あるわけですね。
例えば、私は今宜野湾というところに住んでいますけれども、宜野湾市の市長選挙におきましても、当選された市長、再選でしたけれども、辺野古の問題には全く触れない、ほかの争点で勝利をするわけですね。けれども、その当日、まさに選挙の当日、辺野古についての宜野湾市の市民の意見の調査がありまして、それもやはり市民は移設には反対をしている。
そういう人も含めて、ほかの争点で勝っているということで、きょう私が申し上げているのは、こういう基地問題について、県民の意識、また市町村の人々の意識はどうなのかということをお話ししたわけであります。
それから、行政不服審査法は、今の御質問は非常に趣旨の根底をたがえてつかんでおられるのではないかと思います。
やはり、国民、私人が行政不服審査という方法を通してみずからの権利を回復するということがこれの趣旨でありまして、先ほどおっしゃいました条項の前の、文字どおり一条ですけれども、そこにはその趣旨が明確に書かれていて、私のきょうのレジュメの中にもそれはそのように書いておりますので、ごらんいただければというふうに思います。
それから、今、政府の方が翁長知事個人に損害賠償請求をするんだというふうにおっしゃいますけれども、政府は本当にスタッフとしても法律の専門家はたくさんおられる、そういう中で、これはどういうふうに考えておられるのだろうか。
確かに、またここでも、政府は私人として、財産権主体としての私人としてみずからを成り立たせて、そして、私人としての翁長さん、知事ではなく、翁長雄志氏に対して民事訴訟を提起するのかという気がいたしますけれども、つまり、国家賠償請求はここではこのような形では成り立ちませんので、そう思いますけれども、そういう場合には、私が言ったように、これはその人に対して懲罰を与えるような、今問題になっているいわゆるスラップ訴訟の本質を持たざるを得ないというのが私の先ほどの発言の趣旨であります。
岩礁破砕のことも触れられましたけれども、これは、この三月三十一日に、岩礁破砕の許可を防衛省が得ていた、それが切れました。ですから、続けて工事を行うわけですから、岩礁破砕についての許可の更新が必要なわけですけれども、この許可を受けずになさろうとするわけですね。
それにつきましては、水産庁がそういう見解を出しているということが政府側の根拠でありますけれども、しかし、水産庁の見解によれば、それは、当該の漁協が漁業権を放棄してもなお知事の許可が必要だというのが従来からの水産庁の見解で、それを水産庁は今日でも変えていないようだ。ほかに、那覇市の問題で……
森
小
小林武#16
○小林参考人 そういたしますが、質問が大変多かったと思いますので。
那覇空港の第二滑走路建設につきましては、これは、当地の漁業権が放棄されてもなお知事の許可が必要だ、そういう立場に立っておりまして、どうも二重の基準を用いているのではないのかというふうに思います。
したがいまして……(中谷(元)委員「次の方にもちょっと質問させていただきたいので」と呼ぶ)はい。結論的に、私は、この問題は、憲法に国と地方の関係が明確に書かれていないからではなくて、そうではなくて、国と地方の関係についての政府の御理解が決して当を得たものではない、そこに原因があるんだというふうに思っております。
長くお話しして失礼いたしました。
この発言だけを見る →那覇空港の第二滑走路建設につきましては、これは、当地の漁業権が放棄されてもなお知事の許可が必要だ、そういう立場に立っておりまして、どうも二重の基準を用いているのではないのかというふうに思います。
したがいまして……(中谷(元)委員「次の方にもちょっと質問させていただきたいので」と呼ぶ)はい。結論的に、私は、この問題は、憲法に国と地方の関係が明確に書かれていないからではなくて、そうではなくて、国と地方の関係についての政府の御理解が決して当を得たものではない、そこに原因があるんだというふうに思っております。
長くお話しして失礼いたしました。
中
中谷元#17
○中谷(元)委員 どうもありがとうございました。
齋藤誠参考人にお伺いをいたします。
きょうのお話の中で、徳島県の憲法課題研究会が、地方団体と協議を経なければ立法できないという紹介がありましたが、これは地方団体が国との立法について拒否権を持つということなんでしょうか。そうしますと、憲法四十一条の重大な例外となってしまいます。
また、憲法九十五条で、地方自治特別法について、対象となる地方自治体の意思ではなくて、住民投票が必要とされていますが、もし地方自治に関する国の立法について団体と協議を行うということであれば、この九十五条との理論的な関係についてどのように整理をすればよろしいのか、お答えいただきたいと思います。
この発言だけを見る →齋藤誠参考人にお伺いをいたします。
きょうのお話の中で、徳島県の憲法課題研究会が、地方団体と協議を経なければ立法できないという紹介がありましたが、これは地方団体が国との立法について拒否権を持つということなんでしょうか。そうしますと、憲法四十一条の重大な例外となってしまいます。
また、憲法九十五条で、地方自治特別法について、対象となる地方自治体の意思ではなくて、住民投票が必要とされていますが、もし地方自治に関する国の立法について団体と協議を行うということであれば、この九十五条との理論的な関係についてどのように整理をすればよろしいのか、お答えいただきたいと思います。
齋
齋藤誠#18
○齋藤参考人 どうもありがとうございます。
私がこの徳島県研究会案というものを紹介した趣旨は、今後の議論にとって一つの素材になるという意味で紹介をしたわけでして、いろいろ詰めなければならない問題があるのは確かだと思います。
今御指摘のありました四十一条との関係、特に、地方に拒否権を与えるというのはいかがか、四十一条との関係でどうなのかという御趣旨だったと思いますけれども、ここは、一つには、四十一条及びそこに包含されている国会単独立法の原則、これが、地方自治の保障との関係で、ある程度四十一条の方を制限的に考えるという考え方は今までの学説でも示されていて、その中の一例として九十五条、国会が単独で法律を決めるだけではなくて、住民投票がなければ決められない、そういうものもあるよという例が挙がっています。
そうすると、こういう協議を経た上で法律をつくるというのもそういう方向性の延長線上にあるのではないかということで、もちろん、より詰めて考えますと、九十五条は、政府としての自治体の手続を置いているんじゃなくて、住民投票という住民の直接の意思を聞くということになっているので、違いがあるのは確かですので、まだまだ詰めていかなきゃならない点があるのは確かだと考えます。
この発言だけを見る →私がこの徳島県研究会案というものを紹介した趣旨は、今後の議論にとって一つの素材になるという意味で紹介をしたわけでして、いろいろ詰めなければならない問題があるのは確かだと思います。
今御指摘のありました四十一条との関係、特に、地方に拒否権を与えるというのはいかがか、四十一条との関係でどうなのかという御趣旨だったと思いますけれども、ここは、一つには、四十一条及びそこに包含されている国会単独立法の原則、これが、地方自治の保障との関係で、ある程度四十一条の方を制限的に考えるという考え方は今までの学説でも示されていて、その中の一例として九十五条、国会が単独で法律を決めるだけではなくて、住民投票がなければ決められない、そういうものもあるよという例が挙がっています。
そうすると、こういう協議を経た上で法律をつくるというのもそういう方向性の延長線上にあるのではないかということで、もちろん、より詰めて考えますと、九十五条は、政府としての自治体の手続を置いているんじゃなくて、住民投票という住民の直接の意思を聞くということになっているので、違いがあるのは確かですので、まだまだ詰めていかなきゃならない点があるのは確かだと考えます。
中
森
古
古本伸一郎#21
○古本委員 おはようございます。民進党の古本伸一郎でございます。
参考人の皆様には、きょうはありがとうございます。よろしくお願いします。
私からは、各般にわたります国と地方の関係、あり方を論じる際に、自主立法権及び自主財政権、狭い意味での自主課税権になるかもしれませんが、ここを中心にお尋ねをしたい、このように思います。
憲法改正の議論がかまびすしいわけですけれども、国民の皆様、主権者は、何を目的に変えようとしているのかがよくわかれば、これは大いに賛成していただけるかもしれません。政治が何を狙っているかが、意図がわからなければ、実はこの憲法の議論も盛り上がらないわけでございます。
その意味で、少し卑近な例から紹介したいと思うんですけれども、租税法定主義、八十四条の関係と、それから九十四条に定められる地方公共団体の権能、結局のところ、この関係、バランスだというふうに思っております。
まず、小林参考人、自主立法権はあるとお考えでしょうか。
この発言だけを見る →参考人の皆様には、きょうはありがとうございます。よろしくお願いします。
私からは、各般にわたります国と地方の関係、あり方を論じる際に、自主立法権及び自主財政権、狭い意味での自主課税権になるかもしれませんが、ここを中心にお尋ねをしたい、このように思います。
憲法改正の議論がかまびすしいわけですけれども、国民の皆様、主権者は、何を目的に変えようとしているのかがよくわかれば、これは大いに賛成していただけるかもしれません。政治が何を狙っているかが、意図がわからなければ、実はこの憲法の議論も盛り上がらないわけでございます。
その意味で、少し卑近な例から紹介したいと思うんですけれども、租税法定主義、八十四条の関係と、それから九十四条に定められる地方公共団体の権能、結局のところ、この関係、バランスだというふうに思っております。
まず、小林参考人、自主立法権はあるとお考えでしょうか。
小
古
古本伸一郎#23
○古本委員 次に、地方税は法定で定めているものと、いわゆる任意のものとに分かれます。いわゆる会費制の原則から地方税はさまざまありますけれども、与党の税調でも話題になったと承知していますけれども、ゴルフ場利用税。
これは、ゴルフ場を立地した市町村にあっては大変虎の子であります。そうではない自治体からしたら、ゴルフプレーヤーはゴルフ場利用税が取られない方が大変スポーツ振興になるわけであります。これは意見が真っ二つであります。
これは、たとえ国の総務委員会でゴルフ場利用税の廃止を決めたとしても、市町村がそのことについて例えば決議を出す、意見書を出す、けしからぬということを言ったとしても、最終的には、国が採択するかどうかは別次元であります。
これは地方の限界だと私は承知しているんですけれども、大津参考人、ただいまの例で申し上げれば、例えば、地方は何ができて、何ができないのか、現行憲法での問題点があれば御指摘いただきたいと思います。
この発言だけを見る →これは、ゴルフ場を立地した市町村にあっては大変虎の子であります。そうではない自治体からしたら、ゴルフプレーヤーはゴルフ場利用税が取られない方が大変スポーツ振興になるわけであります。これは意見が真っ二つであります。
これは、たとえ国の総務委員会でゴルフ場利用税の廃止を決めたとしても、市町村がそのことについて例えば決議を出す、意見書を出す、けしからぬということを言ったとしても、最終的には、国が採択するかどうかは別次元であります。
これは地方の限界だと私は承知しているんですけれども、大津参考人、ただいまの例で申し上げれば、例えば、地方は何ができて、何ができないのか、現行憲法での問題点があれば御指摘いただきたいと思います。
大
大津浩#24
○大津参考人 ありがとうございます。
まず最初に、確認しておきたいのは、憲法八十四条の租税法律主義における法律には条例も含まれる、これはもう、旭川に関する条例事件の最高裁判決にもありますように、最高裁が認めているわけであります。
ですから、私が述べるところの自治体にも国にも立法権があって、その立法権の派生として、税に関する法規範の定立権もそれぞれ持っているということはまず前提にしていただきたいと思うわけですね。
その上で、私の議論は、基本的には国の法律の方が優位に立つということは認めておりますので、その上で、自治体の条例というのが、地方の必要性と合理性がどうしても高くて、国の法律が縛りつけてしまうがゆえに地域の必要な立法が行えないということが明確なときにだけ例外的に条例が優位するということを認めるという、私はこういうダイナミズムに基づく国の法律と自治体の条例の関係を考えているところなんですね。
それでいきますと、現在、地方税法に定められている地方自治体の税条例に関する規制というのがあるわけですから、どうしてもやはりそれを守らざるを得ないということは確かでございます。
その上で、しかしながら、必要性と合理性がどうしても認められるときには一定程度それを逸脱することも許す、それを日本国憲法は認めているというのが私の立場です。
この発言だけを見る →まず最初に、確認しておきたいのは、憲法八十四条の租税法律主義における法律には条例も含まれる、これはもう、旭川に関する条例事件の最高裁判決にもありますように、最高裁が認めているわけであります。
ですから、私が述べるところの自治体にも国にも立法権があって、その立法権の派生として、税に関する法規範の定立権もそれぞれ持っているということはまず前提にしていただきたいと思うわけですね。
その上で、私の議論は、基本的には国の法律の方が優位に立つということは認めておりますので、その上で、自治体の条例というのが、地方の必要性と合理性がどうしても高くて、国の法律が縛りつけてしまうがゆえに地域の必要な立法が行えないということが明確なときにだけ例外的に条例が優位するということを認めるという、私はこういうダイナミズムに基づく国の法律と自治体の条例の関係を考えているところなんですね。
それでいきますと、現在、地方税法に定められている地方自治体の税条例に関する規制というのがあるわけですから、どうしてもやはりそれを守らざるを得ないということは確かでございます。
その上で、しかしながら、必要性と合理性がどうしても認められるときには一定程度それを逸脱することも許す、それを日本国憲法は認めているというのが私の立場です。
古
古本伸一郎#25
○古本委員 ありがとうございます。
次に、手前どもが与党のときに、社会保障と税の一体改革、公明党の皆様、自民党の皆様と、三党でありましたけれども、やりました。あのときに、ある自治体の経営者が、消費税率を自分たちが決められるなら賛成だと発言され、御炯眼だなと思いました。しかしながら、地方消費税は法定税率でありますので、勝手にはいじれません。
さて、問題は、大変、超少子化が進み、高齢化が進み、人口の都市への集中、そして地方の過疎が進む中にあって、一律での課税を続けていてその自治体経営ができるのかどうかという観点でございます。
例えば、ある自治体が、若い人の転入促進を図るために固定を特別に軽減しようじゃないか。これは固定は法定です。税率は条例可決でいじれるでしょうけれども、大変任意性があるのは都計だけです。そうしますと、自治体経営者というのはどこまで、あるいは議会はどこまで自主性を発揮できるのかという問題に直面するわけであります。
一つエピソードを紹介しますけれども、自動車関係諸税を減税しようじゃないかということを当時与党で提案したら、全国知事会の税制担当のある知事さんが、これは地方の自主財源でありまして、減税されたら道路がつくれない、けしからぬという大反対の演説を打たれました。その際に、私ども当時与党の同僚議員が、これまたすばらしい御発言があったんですけれども、知事は、その自動車関係諸税の、暫定税率と当時言っておりましたけれども、これを過分に取ることについて、あなたは選挙で問うたんですかという質問をしました。
つまり、国の総務委員会で、あるいは政府税調で決められた税率がそのまま入ってくる、選挙で主権者に問うていないのにある意味入ってくる、このままではこの超少子高齢社会に対応できる税制がつくれるのかどうかということの根本的なやりとりを私はかいま見た思いでありました。
その観点から、齋藤参考人に改めて問いますけれども、自主課税権の限界があるのであれば、これは憲法改正してでもやるべきであるかどうか、その観点からお尋ねしたいと思います。
この発言だけを見る →次に、手前どもが与党のときに、社会保障と税の一体改革、公明党の皆様、自民党の皆様と、三党でありましたけれども、やりました。あのときに、ある自治体の経営者が、消費税率を自分たちが決められるなら賛成だと発言され、御炯眼だなと思いました。しかしながら、地方消費税は法定税率でありますので、勝手にはいじれません。
さて、問題は、大変、超少子化が進み、高齢化が進み、人口の都市への集中、そして地方の過疎が進む中にあって、一律での課税を続けていてその自治体経営ができるのかどうかという観点でございます。
例えば、ある自治体が、若い人の転入促進を図るために固定を特別に軽減しようじゃないか。これは固定は法定です。税率は条例可決でいじれるでしょうけれども、大変任意性があるのは都計だけです。そうしますと、自治体経営者というのはどこまで、あるいは議会はどこまで自主性を発揮できるのかという問題に直面するわけであります。
一つエピソードを紹介しますけれども、自動車関係諸税を減税しようじゃないかということを当時与党で提案したら、全国知事会の税制担当のある知事さんが、これは地方の自主財源でありまして、減税されたら道路がつくれない、けしからぬという大反対の演説を打たれました。その際に、私ども当時与党の同僚議員が、これまたすばらしい御発言があったんですけれども、知事は、その自動車関係諸税の、暫定税率と当時言っておりましたけれども、これを過分に取ることについて、あなたは選挙で問うたんですかという質問をしました。
つまり、国の総務委員会で、あるいは政府税調で決められた税率がそのまま入ってくる、選挙で主権者に問うていないのにある意味入ってくる、このままではこの超少子高齢社会に対応できる税制がつくれるのかどうかということの根本的なやりとりを私はかいま見た思いでありました。
その観点から、齋藤参考人に改めて問いますけれども、自主課税権の限界があるのであれば、これは憲法改正してでもやるべきであるかどうか、その観点からお尋ねしたいと思います。
齋
齋藤誠#26
○齋藤参考人 どうもありがとうございます。
自主課税権については、現在の判例の立場でも、神奈川県臨時特例企業税事件でも、自主課税権はあるんだと。八十四条には法律と書いてありますけれども、この平成二十五年の最高裁判決が、自主課税権というものはあるというのを前提に判断をしていますので、そこは現行憲法のもとでも前提にすべきであります。
しかし、実際には、この判決がその後で述べておりますように、自主課税権の行使の内容、それから手続等々については、国の法律が、この判決は準則という言葉を使っていますけれども、準則としてほぼ決め切っているんですね。これは、先ほど私の報告で触れました義務づけ、枠づけという言葉をあえて使えば、地方税の領域においては義務づけ、枠づけが非常に強い。それはもちろん、国全体の財政ということを考えてそういう特別な義務づけ、枠づけをしているということになろうかと思います。
しかし、それでは、御指摘のように、地方の創意を工夫して、住民に問いかけた上で課税するということが非常に狭い道になっておりますので、そうすると、そこはもう少し正面から規定をする。あわせて、では、それができないところはどうするのかというと、それについての財政調整、これは今、法律及びその実施のレベルで非常に精緻な仕組みが組み立てられていますが、その財政調整についても憲法レベルで規定することによってそれを補う。その両にらみの議論ができるのではないかと考えます。
この発言だけを見る →自主課税権については、現在の判例の立場でも、神奈川県臨時特例企業税事件でも、自主課税権はあるんだと。八十四条には法律と書いてありますけれども、この平成二十五年の最高裁判決が、自主課税権というものはあるというのを前提に判断をしていますので、そこは現行憲法のもとでも前提にすべきであります。
しかし、実際には、この判決がその後で述べておりますように、自主課税権の行使の内容、それから手続等々については、国の法律が、この判決は準則という言葉を使っていますけれども、準則としてほぼ決め切っているんですね。これは、先ほど私の報告で触れました義務づけ、枠づけという言葉をあえて使えば、地方税の領域においては義務づけ、枠づけが非常に強い。それはもちろん、国全体の財政ということを考えてそういう特別な義務づけ、枠づけをしているということになろうかと思います。
しかし、それでは、御指摘のように、地方の創意を工夫して、住民に問いかけた上で課税するということが非常に狭い道になっておりますので、そうすると、そこはもう少し正面から規定をする。あわせて、では、それができないところはどうするのかというと、それについての財政調整、これは今、法律及びその実施のレベルで非常に精緻な仕組みが組み立てられていますが、その財政調整についても憲法レベルで規定することによってそれを補う。その両にらみの議論ができるのではないかと考えます。
古
古本伸一郎#27
○古本委員 これは言うならば、住民自治と団体自治との、ある意味、相入れない部分であるのかもしれません。これは、自治体経営者の皆様は、やはり財源を確保するという使命を果たさなければならない、地財調整の根幹は交付税のシステム、そして、都市部が稼ぎ、地方に分配する、この議論の繰り返しなわけでありますね。
そこで、少し佐々木参考人にお尋ねしたいと思うんですけれども、実はこの立法プロセスへの反映という意味では、この意思決定のメンバーを誰にするか、あるいはその権限のあり方、何を渡すのかという意味でいくと、実は地方の自治体経営者がむしろ参議院でシートを持てばいいんじゃないかという御議論もあるわけでありますけれども、実はこれは私は一つの選択肢だというふうに思っています。
シンプルにお答えいただきたいんですが、これをやろうと思うと憲法改正は必要になりますか。
この発言だけを見る →そこで、少し佐々木参考人にお尋ねしたいと思うんですけれども、実はこの立法プロセスへの反映という意味では、この意思決定のメンバーを誰にするか、あるいはその権限のあり方、何を渡すのかという意味でいくと、実は地方の自治体経営者がむしろ参議院でシートを持てばいいんじゃないかという御議論もあるわけでありますけれども、実はこれは私は一つの選択肢だというふうに思っています。
シンプルにお答えいただきたいんですが、これをやろうと思うと憲法改正は必要になりますか。
佐
佐々木信夫#28
○佐々木参考人 ありがとうございます。
形の上での参加というものと、やはり意思決定そのものへの参加というものを区別すると、やはり意思決定への参加だと、例えばドイツの参議院のように、地方の代表を参議院に入れる、参議院の形を変えていくという意味でも。
ある意味、地方自治を国家の中で充実させていく、意見を述べる一つのとりでとしてそういう新しい参議院像というものがあるとすれば、憲法改正によって地方の参加という形をきちっと入れる形があると思いますね。
この発言だけを見る →形の上での参加というものと、やはり意思決定そのものへの参加というものを区別すると、やはり意思決定への参加だと、例えばドイツの参議院のように、地方の代表を参議院に入れる、参議院の形を変えていくという意味でも。
ある意味、地方自治を国家の中で充実させていく、意見を述べる一つのとりでとしてそういう新しい参議院像というものがあるとすれば、憲法改正によって地方の参加という形をきちっと入れる形があると思いますね。
古
古本伸一郎#29
○古本委員 地方の議会の意見書を幾ら採択しようとも、最終的には、私たちハウス、衆参の国会議員のメンバーがそれを立法に反映させるかどうかなわけでございます。
その意味では、国の議会を縛る、地方の意見に配慮した、もう一段高い概念を憲法の中につくらなければ、結局、意見書を幾ら出してもそれは反映されないということになるのではないかと思うんですけれども、大津参考人、その観点から憲法改正の必要がありやなしや。
この発言だけを見る →その意味では、国の議会を縛る、地方の意見に配慮した、もう一段高い概念を憲法の中につくらなければ、結局、意見書を幾ら出してもそれは反映されないということになるのではないかと思うんですけれども、大津参考人、その観点から憲法改正の必要がありやなしや。