法務委員会
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会
会議録情報#0
平成六年十一月九日(水曜日)
午前十時二分開議
出席委員
委員長 金子原二郎君
理事 斉藤斗志二君 理事 志賀 節君
理事 島村 宜伸君 理事 中島洋次郎君
理事 長浜 博行君 理事 冬柴 鐵三君
理事 山田 正彦君 理事 小森 龍邦君
奥野 誠亮君 梶山 静六君
大口 善徳君 柿澤 弘治君
左藤 恵君 笹川 堯君
富田 茂之君 中井 洽君
山岡 賢次君 佐々木秀典君
坂上 富男君 枝野 幸男君
錦織 淳君 正森 成二君
徳田 虎雄君
出席国務大臣
法 務 大 臣 前田 勲男君
出席政府委員
法務大臣官房長 原田 明夫君
法務大臣官房司
法法制調査部長 永井 紀昭君
法務省民事局長 濱崎 恭生君
法務省刑事局長 則定 衛君
法務省矯正局長 松田 昇君
法務省保護局長 杉原 弘泰君
法務省入国管理
局長 塚田 千裕君
外務省総合外交
政策局国際社会
協力部長 高野幸二郎君
外務省アジア局
長 川島 裕君
委員外の出席者
警察庁生活安全
局銃器対策課長 小野 次郎君
警察庁生活安全
局薬物対策課長 山崎 裕人君
警察庁刑事局捜
査第一課長 南雲 明久君
防衛庁防衛局防
衛政策課長 守屋 武昌君
国税局調査査察
部調査課長 若泉 征也君
最高裁判所事務
総局総務局長 涌井 紀夫君
最高裁判所事務
総局民事局長
兼最高裁判所事
務総局行政局長 今井 功君
最高裁判所事務
総局刑事局長 高橋 省吾君
法務委員会調査
室長 河田 勝夫君
―――――――――――――
十月二十八日
非嫡出子差別を撤廃する民法等の改正に関する
請願(藤田スミ君紹介)(第一四八号)
十一月九日
非嫡出子差別を撤廃する民法等の改正に関する
請願(玄葉光一郎君紹介)(第一五八号)
は本委員会に付託された。
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
裁判所の司法行政、法務行政及び検察行政、国
内治安、人権擁護に関する件
――――◇―――――
この発言だけを見る →午前十時二分開議
出席委員
委員長 金子原二郎君
理事 斉藤斗志二君 理事 志賀 節君
理事 島村 宜伸君 理事 中島洋次郎君
理事 長浜 博行君 理事 冬柴 鐵三君
理事 山田 正彦君 理事 小森 龍邦君
奥野 誠亮君 梶山 静六君
大口 善徳君 柿澤 弘治君
左藤 恵君 笹川 堯君
富田 茂之君 中井 洽君
山岡 賢次君 佐々木秀典君
坂上 富男君 枝野 幸男君
錦織 淳君 正森 成二君
徳田 虎雄君
出席国務大臣
法 務 大 臣 前田 勲男君
出席政府委員
法務大臣官房長 原田 明夫君
法務大臣官房司
法法制調査部長 永井 紀昭君
法務省民事局長 濱崎 恭生君
法務省刑事局長 則定 衛君
法務省矯正局長 松田 昇君
法務省保護局長 杉原 弘泰君
法務省入国管理
局長 塚田 千裕君
外務省総合外交
政策局国際社会
協力部長 高野幸二郎君
外務省アジア局
長 川島 裕君
委員外の出席者
警察庁生活安全
局銃器対策課長 小野 次郎君
警察庁生活安全
局薬物対策課長 山崎 裕人君
警察庁刑事局捜
査第一課長 南雲 明久君
防衛庁防衛局防
衛政策課長 守屋 武昌君
国税局調査査察
部調査課長 若泉 征也君
最高裁判所事務
総局総務局長 涌井 紀夫君
最高裁判所事務
総局民事局長
兼最高裁判所事
務総局行政局長 今井 功君
最高裁判所事務
総局刑事局長 高橋 省吾君
法務委員会調査
室長 河田 勝夫君
―――――――――――――
十月二十八日
非嫡出子差別を撤廃する民法等の改正に関する
請願(藤田スミ君紹介)(第一四八号)
十一月九日
非嫡出子差別を撤廃する民法等の改正に関する
請願(玄葉光一郎君紹介)(第一五八号)
は本委員会に付託された。
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
裁判所の司法行政、法務行政及び検察行政、国
内治安、人権擁護に関する件
――――◇―――――
金
金子原二郎#1
○金子委員長 これより会議を開きます。
お諮りいたします。
本日、最高裁判所涌井総務局長、今井民事局長兼行政局長、高橋刑事局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →お諮りいたします。
本日、最高裁判所涌井総務局長、今井民事局長兼行政局長、高橋刑事局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
金
金
志
志賀節#4
○志賀委員 志賀節でございます。
私は、今まで法務委員会に籍を置いたことがございませんでしたが、このたび法務委員会に参りまして、かつ、理事も仰せつかったわけでございます。しかし、私は、今回初めてとはいいながら、従来法務行政に対しては並み並みならぬ関心を有しておりましたし、また自民党の枠内のことでございますが、自民党政務調査会の法務部会にもしばしば顔を出しまして、いろいろと御意見を承り、かつ御質問をさせていただいたことを御存じの方は少なからずおられるかと存じます。
それもこれも、私は、民主国家あるいは議会政治の中におきまして、法の権威を高めること、いやしくも法の権威を損なうようなことがあってはならない、これが私の基本的な考え方でございまして、特に、法は主権者、国民によって任され、しかもつくられていくものである、さればこそこの法律を尊重し、権威を高めなければいけないとの思いで今日まで来ておるわけでございます。
そのような観点から、私は、これから暫時の間お時間をちょうだいいたしまして、質問をさせていただきたいと思うのでございますが、特に今回、私が問題意識として質問をさせていただきたいと思っておりますことは、違憲訴訟についてでございます。
口があれば、栄養分も毒も何でも食べてしまっていいというようなものだとは私は思いません。違憲訴訟というものは、何でもかんでも違憲訴訟になるのだ、憲法に違反しているのではないかと思いつけば、それで違憲訴訟の対象になるのだと考えること自体、少しく無理があるのではなかろうか、おかしいのではないだろうか、このように考えているものでございます。要するに、違憲訴訟の主題になじむものとなじまないものとがあるのではなかろうか、このように私は考えておる次第でございます。
現に、俗に言うところの苫米地裁判、これは衆議院の解散をめぐって、無効であるという観点から提起された争訟でございます。もう一つは、安保条約にかかわる違憲訴訟がございまして、この違憲訴訟に関しましては、正確には日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件、こうなってございます。この二つの問題に関しては、二つをくくって申し上げるならば、多少語弊があるかもしれませんが、最高裁判所の手に余るもの、あるいはその管轄ではないものというような観点から、これが取り扱われないことになっておることは、御存じの向きも少なくないと思います。具体的に言えば、このように主題として違憲訴訟になじまないものが現存するわけでございます。
こういうことを考えてまいりますならば、私は、当然のことながら、違憲訴訟になじむものとなじまないものとを何らかの方法で選択をしていかなければいけないのではないだろうか。そのためには、何かのオーガニゼーションという意味での機構あるいは機関を設けるか、あるいは同じ最高裁判所がこれを取り扱うにしても、この期間は、時間的な意味での期間でございますが、その期間を設けてこれをしなければならないのではないかとか、そういう考え方に立つ必要かあつのではなかろうか。こういうようなことを考えておるのでございますけれども、日本の法務当局ではそういうことについてのお考えが現在まであるのかないのか、もしあるとすれば、どういうことをお考えになっておられるのか、これをまず承ってみたいと思うのであります。
この発言だけを見る →私は、今まで法務委員会に籍を置いたことがございませんでしたが、このたび法務委員会に参りまして、かつ、理事も仰せつかったわけでございます。しかし、私は、今回初めてとはいいながら、従来法務行政に対しては並み並みならぬ関心を有しておりましたし、また自民党の枠内のことでございますが、自民党政務調査会の法務部会にもしばしば顔を出しまして、いろいろと御意見を承り、かつ御質問をさせていただいたことを御存じの方は少なからずおられるかと存じます。
それもこれも、私は、民主国家あるいは議会政治の中におきまして、法の権威を高めること、いやしくも法の権威を損なうようなことがあってはならない、これが私の基本的な考え方でございまして、特に、法は主権者、国民によって任され、しかもつくられていくものである、さればこそこの法律を尊重し、権威を高めなければいけないとの思いで今日まで来ておるわけでございます。
そのような観点から、私は、これから暫時の間お時間をちょうだいいたしまして、質問をさせていただきたいと思うのでございますが、特に今回、私が問題意識として質問をさせていただきたいと思っておりますことは、違憲訴訟についてでございます。
口があれば、栄養分も毒も何でも食べてしまっていいというようなものだとは私は思いません。違憲訴訟というものは、何でもかんでも違憲訴訟になるのだ、憲法に違反しているのではないかと思いつけば、それで違憲訴訟の対象になるのだと考えること自体、少しく無理があるのではなかろうか、おかしいのではないだろうか、このように考えているものでございます。要するに、違憲訴訟の主題になじむものとなじまないものとがあるのではなかろうか、このように私は考えておる次第でございます。
現に、俗に言うところの苫米地裁判、これは衆議院の解散をめぐって、無効であるという観点から提起された争訟でございます。もう一つは、安保条約にかかわる違憲訴訟がございまして、この違憲訴訟に関しましては、正確には日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件、こうなってございます。この二つの問題に関しては、二つをくくって申し上げるならば、多少語弊があるかもしれませんが、最高裁判所の手に余るもの、あるいはその管轄ではないものというような観点から、これが取り扱われないことになっておることは、御存じの向きも少なくないと思います。具体的に言えば、このように主題として違憲訴訟になじまないものが現存するわけでございます。
こういうことを考えてまいりますならば、私は、当然のことながら、違憲訴訟になじむものとなじまないものとを何らかの方法で選択をしていかなければいけないのではないだろうか。そのためには、何かのオーガニゼーションという意味での機構あるいは機関を設けるか、あるいは同じ最高裁判所がこれを取り扱うにしても、この期間は、時間的な意味での期間でございますが、その期間を設けてこれをしなければならないのではないかとか、そういう考え方に立つ必要かあつのではなかろうか。こういうようなことを考えておるのでございますけれども、日本の法務当局ではそういうことについてのお考えが現在まであるのかないのか、もしあるとすれば、どういうことをお考えになっておられるのか、これをまず承ってみたいと思うのであります。
今
今井功#5
○今井最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。
違憲訴訟になじむものとなじまないものということでございますが、今御指摘ございましたように、最高裁判所の判例によりますと、今御指摘のございました苫米地訴訟判決、それから、いわゆる砂川訴訟判決でございますが、ここにおきましてはこのようなことを言っております。我が憲法の三権分立の制度のもとにおいても、司法権の行使について、おのずからある程度の制約は免れないのであって、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきではない、と言いまして、非常に高度の政治性のある問題につきましては、たとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にある、その判断は、主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に任され、最終的には国民の政治判断にゆだねられているものと解すべきである、このようなことを言っておりまして、いわゆるこれは統治行為論でございますけれども、認めておるわけでございます。
一般的に、それではその限界はどうかということでございますけれども、これは御承知のように、日本の裁判所は、具体的な事件が起きまして、その中でその事件を解決するについて必要な限度で憲法判断を行うということでございますので、一般的なといいますか、基準というのは特にないわけでございます。それぞれの事件に応じまして、裁判所が判断できるものかどうかということを判断しておるというのが現状でございます。
この発言だけを見る →違憲訴訟になじむものとなじまないものということでございますが、今御指摘ございましたように、最高裁判所の判例によりますと、今御指摘のございました苫米地訴訟判決、それから、いわゆる砂川訴訟判決でございますが、ここにおきましてはこのようなことを言っております。我が憲法の三権分立の制度のもとにおいても、司法権の行使について、おのずからある程度の制約は免れないのであって、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきではない、と言いまして、非常に高度の政治性のある問題につきましては、たとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にある、その判断は、主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に任され、最終的には国民の政治判断にゆだねられているものと解すべきである、このようなことを言っておりまして、いわゆるこれは統治行為論でございますけれども、認めておるわけでございます。
一般的に、それではその限界はどうかということでございますけれども、これは御承知のように、日本の裁判所は、具体的な事件が起きまして、その中でその事件を解決するについて必要な限度で憲法判断を行うということでございますので、一般的なといいますか、基準というのは特にないわけでございます。それぞれの事件に応じまして、裁判所が判断できるものかどうかということを判断しておるというのが現状でございます。
志
志賀節#6
○志賀委員 大変身近な問題として取り上げてみたいと思いますことは、一票の格差是正問題でございます。
これは、従来、しばしば選挙無効請求事件というようなことで、今日まで取り上げられてきていることは御存じのとおりでありますけれども、一票の格差を是正することが憲法違反を免れる道であるというような感覚を、最高裁は持っておられるような気がいたします。何よりその証拠には、従来出されている判決文がそれを示しておるわけでございますけれども、この判決どおりに事を運ぶならば、既に指摘をされておるところでございますが、過密には過密、過疎には過疎の拍車がかかるだけである、これはもう明白でございます。
例えば、私の選挙区は、小選挙区になる前段階でお話をすれば、岩手二区と申しますが、この岩手二区は、従来定数四名でございましたが、昨年の七月執行の総選挙以降、定数は一名減の三名になっておるわけでございます。この三名が、それならば今後何かの拍子に四名に戻ることがあるだろうかと考えると、可能性と申しますか、蓋然性としてはむしろ二名に減る方向にあるのではないだろうか。今の趨勢からすれば、そう断定せざるを得ない。
要するに、民主主義は数の論理と言われておりますが、その地域の有権者がふえれば代表者をふやす、その地域の有権者が減ればそれだけ代表者も減らす、こういうことでまいりますと、わかりやすい言葉で言えば、松葉づえを必要としている人から松葉づえを取り上げて、到底松葉づえなんか必要なくやっていける人にその松葉づえをあてがうというような形になるのではなかろうか。例えば、東京その他の大都会は、黙っていても人口がふえていく、それなりにやっていける。そういうようなところがどうしても代表者はふえざるを得ない、このことに私は大きな疑問を持つ次第でございます。
代表者がふえれば、当然それだけ財政的にも政治的にも有利な条件が整うわけでありまして、それが減ればその逆でありますのでありますから、私の地域は、代表者の頭数が四名から三名に減れば、四名に戻るよりはさらに一名減る、二名減る方向に動くのではないかと考えるのが自然のことわりでありまして、こういうこと自体が既におかしい。もっと憲法に則して申し上げるならば、文化的な最低生活を保障している憲法、あるいは職業の選択の自由を保障している憲法の上から見て、事実上過密を生んだり過疎を生んだりしていく方向づけの最高裁の判決そのもの自体が憲法違反になっていないだろうか、私はこういう疑義を抱くわけでございます。
それだけではございません。既に法務委員会で何回か前の質疑の中にもあったようでありますが、三権分立が近代国家の建前になっております以上は、これをやはり厳守すべきでありますが、今、日本の立法府の構成にかかわる問題、要するに国会議員の構成をどういうふうにしていくかについての問題で、最高裁判所がくちばしを入れるということは、これは明らかに裁判所が立法府にくちばしを入れていることでありまして、三権分立を侵していることになりはしないか、こういう点でも憲法違反につながっているのではないだろうか。
こういうことを考えますと、私は、今直ちに最高裁にこの問題をめぐって違憲訴訟を起こすつもりもなければ、準備もございませんが、しかし、このこと自体を取り上げてみても、一票の格差是正というのは、果たして違憲訴訟になじむ主題なのか主題でないのか、これを疑わざるを得ないのでありますが、こういう点に関して、当局はどういうお考えを持っておられるかをこの機会に承っておきたい。
この発言だけを見る →これは、従来、しばしば選挙無効請求事件というようなことで、今日まで取り上げられてきていることは御存じのとおりでありますけれども、一票の格差を是正することが憲法違反を免れる道であるというような感覚を、最高裁は持っておられるような気がいたします。何よりその証拠には、従来出されている判決文がそれを示しておるわけでございますけれども、この判決どおりに事を運ぶならば、既に指摘をされておるところでございますが、過密には過密、過疎には過疎の拍車がかかるだけである、これはもう明白でございます。
例えば、私の選挙区は、小選挙区になる前段階でお話をすれば、岩手二区と申しますが、この岩手二区は、従来定数四名でございましたが、昨年の七月執行の総選挙以降、定数は一名減の三名になっておるわけでございます。この三名が、それならば今後何かの拍子に四名に戻ることがあるだろうかと考えると、可能性と申しますか、蓋然性としてはむしろ二名に減る方向にあるのではないだろうか。今の趨勢からすれば、そう断定せざるを得ない。
要するに、民主主義は数の論理と言われておりますが、その地域の有権者がふえれば代表者をふやす、その地域の有権者が減ればそれだけ代表者も減らす、こういうことでまいりますと、わかりやすい言葉で言えば、松葉づえを必要としている人から松葉づえを取り上げて、到底松葉づえなんか必要なくやっていける人にその松葉づえをあてがうというような形になるのではなかろうか。例えば、東京その他の大都会は、黙っていても人口がふえていく、それなりにやっていける。そういうようなところがどうしても代表者はふえざるを得ない、このことに私は大きな疑問を持つ次第でございます。
代表者がふえれば、当然それだけ財政的にも政治的にも有利な条件が整うわけでありまして、それが減ればその逆でありますのでありますから、私の地域は、代表者の頭数が四名から三名に減れば、四名に戻るよりはさらに一名減る、二名減る方向に動くのではないかと考えるのが自然のことわりでありまして、こういうこと自体が既におかしい。もっと憲法に則して申し上げるならば、文化的な最低生活を保障している憲法、あるいは職業の選択の自由を保障している憲法の上から見て、事実上過密を生んだり過疎を生んだりしていく方向づけの最高裁の判決そのもの自体が憲法違反になっていないだろうか、私はこういう疑義を抱くわけでございます。
それだけではございません。既に法務委員会で何回か前の質疑の中にもあったようでありますが、三権分立が近代国家の建前になっております以上は、これをやはり厳守すべきでありますが、今、日本の立法府の構成にかかわる問題、要するに国会議員の構成をどういうふうにしていくかについての問題で、最高裁判所がくちばしを入れるということは、これは明らかに裁判所が立法府にくちばしを入れていることでありまして、三権分立を侵していることになりはしないか、こういう点でも憲法違反につながっているのではないだろうか。
こういうことを考えますと、私は、今直ちに最高裁にこの問題をめぐって違憲訴訟を起こすつもりもなければ、準備もございませんが、しかし、このこと自体を取り上げてみても、一票の格差是正というのは、果たして違憲訴訟になじむ主題なのか主題でないのか、これを疑わざるを得ないのでありますが、こういう点に関して、当局はどういうお考えを持っておられるかをこの機会に承っておきたい。
今
今井功#7
○今井最高裁判所長官代理者 国会の議員定数について、最高裁判所がどういう判決をしておるかということでございますが、これは今御紹介がございましたように、何回かの最高裁判所の大法廷の判決におきましてこれについての判断、これを公職選挙法二百四条の規定に基づく訴訟として許されるという判断をしておるわけであります。
その考え方でございますけれども、代表的な判決、これは昭和五十一年四月十四日の最高裁判所の大法廷の判決でございますが、昭和四十七年の十二月十日に行われました衆議院の総選挙で、千葉一区の選挙が無効である、こういう訴訟でございます。これにつきまして、この大法廷の判決を読みますと、国会議員の選挙制度の具体的な仕組みの決定は、原則として国会の裁量にゆだねられていること、選挙権の内容としての各選挙人の投票の価値の平等は憲法上の要請である、こういうことを前提といたしまして、議員一人当たりの選挙人数の格差が選挙当時一対五という不平等に達していたということは、国会の政策的裁量の余地を考慮しても、なおこれを正当に維持すべき理由はない、ということで違憲であるという判断をしたわけでございます。
ただし、この判決は、御承知のようにいわゆる事情判決ということでございまして、選挙自体の、選挙は違法であるけれども、その選挙は無効としない、こういう判決をしたわけでございます。その後の最高裁判所の大法廷の判決は幾つかございますが、いずれも基本的な考え方は、この五十一年四月十四日の最高裁判所の判決を基礎といたしまして、それぞれの事案につきまして、その当時の格差等を考慮して合憲なり違憲という判断をしておるわけでございます。
それでは、最高裁判所がそのような判決をすることがそもそも違憲ではないか、こういう御質問でございますけれども、これにつきましては、先ほど議員も仰せられましたように、これは立法と司法との接点にかかわります非常に大きな、制度上の根幹にかかわる問題だというふうに考えておるわけでございまして、私どもが意見を申し上げるというのは相当ではないというふうに考えておりますので、恐縮でございますが、答弁は差し控えさせていただきたいと考えておるわけでございます。
この発言だけを見る →その考え方でございますけれども、代表的な判決、これは昭和五十一年四月十四日の最高裁判所の大法廷の判決でございますが、昭和四十七年の十二月十日に行われました衆議院の総選挙で、千葉一区の選挙が無効である、こういう訴訟でございます。これにつきまして、この大法廷の判決を読みますと、国会議員の選挙制度の具体的な仕組みの決定は、原則として国会の裁量にゆだねられていること、選挙権の内容としての各選挙人の投票の価値の平等は憲法上の要請である、こういうことを前提といたしまして、議員一人当たりの選挙人数の格差が選挙当時一対五という不平等に達していたということは、国会の政策的裁量の余地を考慮しても、なおこれを正当に維持すべき理由はない、ということで違憲であるという判断をしたわけでございます。
ただし、この判決は、御承知のようにいわゆる事情判決ということでございまして、選挙自体の、選挙は違法であるけれども、その選挙は無効としない、こういう判決をしたわけでございます。その後の最高裁判所の大法廷の判決は幾つかございますが、いずれも基本的な考え方は、この五十一年四月十四日の最高裁判所の判決を基礎といたしまして、それぞれの事案につきまして、その当時の格差等を考慮して合憲なり違憲という判断をしておるわけでございます。
それでは、最高裁判所がそのような判決をすることがそもそも違憲ではないか、こういう御質問でございますけれども、これにつきましては、先ほど議員も仰せられましたように、これは立法と司法との接点にかかわります非常に大きな、制度上の根幹にかかわる問題だというふうに考えておるわけでございまして、私どもが意見を申し上げるというのは相当ではないというふうに考えておりますので、恐縮でございますが、答弁は差し控えさせていただきたいと考えておるわけでございます。
志
志賀節#8
○志賀委員 ただいまの判決文は私も読ませていただいております。
なお、その後、昭和五十八年四月二十七日に出ました選挙無効請求事件の判決の、中といいますか外といいますか、裁判官藤崎萬里氏の反対意見があるわけでございます。何事によらず、憲法の各条文、条項には、賛否両論あるいは解釈のいろいろな論があるのは当然でありまして、私は、さればこそこれも取り上げなければいけないと思うのでありますが、ここにその少数意見の藤崎説の一部を読み上げたいと思います。
憲法一四条一項前段にはすべての国民が法の下に平等である旨の原則がうたわれているが、同条にもその他の憲法の条章にも、国会両議院の議員定数を選挙区別の選挙人の数に比例して配分すべきことを積極的に命ずる規定は存在しない。このような憲法の規定ぶりからすれば、私は、右のような議員定数の配分の仕方をすることは、法の下における平等という憲法の原則からいって望ましいことであるが、それは望ましいというにとどまると解すべきものと考える。どのようにあることが憲法の原則上望ましいということは、それが政治の努力目標とされるべきことを意味し、法の下における平等というような憲法の原則規定にあっては、このような綱領的側面のもつ意義を軽視してはならないと思う。しかしながら、他面、これを法律的な観点からみると、単にそうすることが望ましいというだけのことであれば、たとえそれが憲法の基本原則に由来することであっても、そこから違憲の問題を生ずることはないものといわなければならない。こういうことが現にうたわれておるのでありまして、私自身がこの最高裁の判決をむしろ違憲ではないかと取り上げるゆえんもまた、荒唐無稽ではないんだということをこの機会に御理解をいただきたい。
そういうことを今ここで取り上げるのも、実は、このような私ども政治家にとっても身近な問題が、違憲訴訟の名のもとに、軽々にと言っては申し過ぎかもしれませんが、取り上げられていることにもうちょっと慎重な配慮が必要ではないのではなかろうか、こういう考え方を持つのでありまして、最近読売新聞が、読売なりの憲法を、憲法試案を発表したわけでございますが、その中に憲法裁判所というものがあらわれてまいります。私は、この憲法裁判所が、ひとり読売試案に初めて出てきたものではなくて、既存のものであることは十分承知をいたしております。
この憲法裁判所というようなものについて、これからちょっと質問したいと思うのでありますが、憲法裁判所というものを当局はどういうふうにお考えになっておられるかをこの機会に承っておきたい。
この発言だけを見る →なお、その後、昭和五十八年四月二十七日に出ました選挙無効請求事件の判決の、中といいますか外といいますか、裁判官藤崎萬里氏の反対意見があるわけでございます。何事によらず、憲法の各条文、条項には、賛否両論あるいは解釈のいろいろな論があるのは当然でありまして、私は、さればこそこれも取り上げなければいけないと思うのでありますが、ここにその少数意見の藤崎説の一部を読み上げたいと思います。
憲法一四条一項前段にはすべての国民が法の下に平等である旨の原則がうたわれているが、同条にもその他の憲法の条章にも、国会両議院の議員定数を選挙区別の選挙人の数に比例して配分すべきことを積極的に命ずる規定は存在しない。このような憲法の規定ぶりからすれば、私は、右のような議員定数の配分の仕方をすることは、法の下における平等という憲法の原則からいって望ましいことであるが、それは望ましいというにとどまると解すべきものと考える。どのようにあることが憲法の原則上望ましいということは、それが政治の努力目標とされるべきことを意味し、法の下における平等というような憲法の原則規定にあっては、このような綱領的側面のもつ意義を軽視してはならないと思う。しかしながら、他面、これを法律的な観点からみると、単にそうすることが望ましいというだけのことであれば、たとえそれが憲法の基本原則に由来することであっても、そこから違憲の問題を生ずることはないものといわなければならない。こういうことが現にうたわれておるのでありまして、私自身がこの最高裁の判決をむしろ違憲ではないかと取り上げるゆえんもまた、荒唐無稽ではないんだということをこの機会に御理解をいただきたい。
そういうことを今ここで取り上げるのも、実は、このような私ども政治家にとっても身近な問題が、違憲訴訟の名のもとに、軽々にと言っては申し過ぎかもしれませんが、取り上げられていることにもうちょっと慎重な配慮が必要ではないのではなかろうか、こういう考え方を持つのでありまして、最近読売新聞が、読売なりの憲法を、憲法試案を発表したわけでございますが、その中に憲法裁判所というものがあらわれてまいります。私は、この憲法裁判所が、ひとり読売試案に初めて出てきたものではなくて、既存のものであることは十分承知をいたしております。
この憲法裁判所というようなものについて、これからちょっと質問したいと思うのでありますが、憲法裁判所というものを当局はどういうふうにお考えになっておられるかをこの機会に承っておきたい。
今
今井功#9
○今井最高裁判所長官代理者 憲法裁判所ということでございますが、これは各国においていろいろ、それぞれ事情が異なるのではないかというふうに思うわけでございます。
先日読売新聞で発表されました憲法裁判所、私も拝見いたしましたが、あれを見ますと、何といいますか、抽象的に違憲立法審査権を持つというような考え方のようでございまして、法律自体が憲法に違反するかどうか、具体的な事件とはかかわりなく法律自体が憲法に違反するかどうかということを審査する裁判所であるということのようであります。
それから、読売新聞によりますと、これは、一般の司法裁判所でございますけれども、具体的な民事、刑事の事件を審理する司法裁判所とは別の組織だということで、憲法問題は専らそこで扱う、もし具体的な事件の中で憲法問題が問題になった場合には、その事件を扱っている司法裁判所は憲法裁判所の方に、それが違憲かどうかということを判断してほしい、こういうことで憲法裁判所にそのような申し出をしまして、憲法裁判所の方でそのような判断をすればそれに従って司法裁判所が判断する、このような制度のようでございます。
我が国の現在の裁判所でございますが、これは、御承知のように現在の最高裁判所が唯一の司法権を有する裁判所でございまして、憲法八十一条でございましたか、最高裁判所は違憲立法審査権を持っておる、こういうことでございます。その違憲立法審査権というのは、これまでの最高裁判所の判例によりますと、具体的な事件が生起した場合に、その事件の中で必要であるという場合に限って憲法判断を行うというシステムになっておりまして、これは、先ほどの抽象的な違憲立法審査権と対照をしますと、付随的違憲立法審査権と申しましょうか、アメリカの制度に倣ったものだということのようでございます。
一方、抽象的憲法裁判所ということになりますと、これは、諸外国で見ますと、フランスとかあるいはドイツというようなところはどうもそういうような制度をとっておるというふうに承知をしておるわけでございます。
この発言だけを見る →先日読売新聞で発表されました憲法裁判所、私も拝見いたしましたが、あれを見ますと、何といいますか、抽象的に違憲立法審査権を持つというような考え方のようでございまして、法律自体が憲法に違反するかどうか、具体的な事件とはかかわりなく法律自体が憲法に違反するかどうかということを審査する裁判所であるということのようであります。
それから、読売新聞によりますと、これは、一般の司法裁判所でございますけれども、具体的な民事、刑事の事件を審理する司法裁判所とは別の組織だということで、憲法問題は専らそこで扱う、もし具体的な事件の中で憲法問題が問題になった場合には、その事件を扱っている司法裁判所は憲法裁判所の方に、それが違憲かどうかということを判断してほしい、こういうことで憲法裁判所にそのような申し出をしまして、憲法裁判所の方でそのような判断をすればそれに従って司法裁判所が判断する、このような制度のようでございます。
我が国の現在の裁判所でございますが、これは、御承知のように現在の最高裁判所が唯一の司法権を有する裁判所でございまして、憲法八十一条でございましたか、最高裁判所は違憲立法審査権を持っておる、こういうことでございます。その違憲立法審査権というのは、これまでの最高裁判所の判例によりますと、具体的な事件が生起した場合に、その事件の中で必要であるという場合に限って憲法判断を行うというシステムになっておりまして、これは、先ほどの抽象的な違憲立法審査権と対照をしますと、付随的違憲立法審査権と申しましょうか、アメリカの制度に倣ったものだということのようでございます。
一方、抽象的憲法裁判所ということになりますと、これは、諸外国で見ますと、フランスとかあるいはドイツというようなところはどうもそういうような制度をとっておるというふうに承知をしておるわけでございます。
志
志賀節#10
○志賀委員 重ねて伺いますけれども、現在の違憲立法調査権ですか、審査権ですか、それだけでもう十分とお考えか、それともやはり憲法問題、違憲訴訟問題を専ら取り扱う憲法裁判所のようなものをこれからは設けた方がいいとお考えか。私は、今のままではいかがかなと思っている一人であるから伺うのでありますが、その点、当局はどういうふうにお考えになっておられるか。
この発言だけを見る →今
今井功#11
○今井最高裁判所長官代理者 今の点は非常に難しい問題でございまして、司法権と立法権との限界領域はどこかというような制度の根幹、まさに憲法にかかわる非常に重要な問題でございます。
したがいまして、具体的な事件を担当してその処理に当たっております裁判所の立場といたしましては、それについてどちらがどうだというような御意見はちょっと申し上げにくいというふうに考えておるわけでございます。これは、広く国民の間で議論をされて、その結果がどうなるかということを見守るべき問題ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
この発言だけを見る →したがいまして、具体的な事件を担当してその処理に当たっております裁判所の立場といたしましては、それについてどちらがどうだというような御意見はちょっと申し上げにくいというふうに考えておるわけでございます。これは、広く国民の間で議論をされて、その結果がどうなるかということを見守るべき問題ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
志
志賀節#12
○志賀委員 そうであればあるだけに、ただいまわずかな例として申し上げたにしても相当深いところにかかわっておることでございますから、私のただいまの質問の内容等も十分銘記しておかれたい、これは私からの希望でございます。
なお、ただいま御説明のありました欧米における、欧米というよりも欧州における憲法裁判所についてでありますが、私の承知している限りでは、民主主義国家、あるいは民主主義国家としてのメカニズムの中で、なおナチス・ドイツのようなものが政権掌握をしてしまったという反省に基づいて憲法裁判所というものは生まれたのだというふうに、私は少なくともそういうふうに学んできたわけでございます。要するに、いかに民主主義国家の容貌を備えていようとも、一歩間違えると何がその国家の中で起こるかわからないのだという、いわば謙虚な反省、あるいは慎重な姿勢が必要だと思うのでございまして、そういうところにドイツの憲法裁判所の設定が起因しておる、こういうふうに私は聞いておるわけでございます。
そこで、私は、日本の場合も、今お話がございました、当局としては確たるこの哲学にかかわるような問題は打ち出せないのだというお話でありましたから、それはそれでいいとして、十分に心にとめておいていただきたいというのはそういうことである。現に、我が田に水を引くようで恐縮でございますけれども、小選挙区制度というものはいずれ導入されると思いますが、私は決していいものだと思っておらない。これはよりナチズムのようなものを生みやすい土壌をつくると理解している一人でございまして、少なくともこういうことが直接の原因ではなくても、最高裁判所の一票の格差是正のようなものが遠因か一因になったとするならば、これはゆゆしき問題ではないかと私自身考えておるのでありまして、この憲法裁判所というようなものについては、これからぜひ深く御討究をいただきたい。これは、私からの切なる希望でございます。
さて、ここで教えていただきたいと思いますことは、もう一つ憲法にかかわることでありますが、今までいわば連邦国家を形成しておりましたソ連邦が、ベルリンの壁の崩壊以降これまた崩壊いたしまして、てんでんばらばらの共和国家になってまいりました。それとは全く裏腹に、西欧十二カ国がEUという名のもとに、欧州国家運邦と申してもいいようなものを形成しつつあります。これは行く行く、EMSと呼ばれております、EMSという頭文字であらわされる共通通貨もつくられよう、こういうことが言われている中で、やはり憲法というのは国の基本法でありますから、EUに基本法が将来できないはずはない。もしこれが連邦国家になれば当然そういうものができてしかるべしであろうと考えておるのでございますけれども、そのEUの憲法というようなものは、現段階ではどういう方向にあるのか、御存じであれば教えていただきたい。
例えば、それぞれの国が持っている、国というのはドイツとかフランスとかイタリーとかですが、それとは全然別に憲法全部を、全部の国々の基本法となるべき憲法を別途考え、これをつくろうとしているのか。それとも、従来ある各国の憲法の共通項を取り上げて、いわば小異は一応捨てるというよりもさておいて、大同は認め合って憲法にしていく方向とでもいうものを考えているのか。そういうようなことはどういうことになっているのか。今後の日本の場合も、あるいは法律というものを考える上においても大事なことだと思いますので、教えていただきたい。これが当局に対する私のこの問題に関する質問であります。
この発言だけを見る →なお、ただいま御説明のありました欧米における、欧米というよりも欧州における憲法裁判所についてでありますが、私の承知している限りでは、民主主義国家、あるいは民主主義国家としてのメカニズムの中で、なおナチス・ドイツのようなものが政権掌握をしてしまったという反省に基づいて憲法裁判所というものは生まれたのだというふうに、私は少なくともそういうふうに学んできたわけでございます。要するに、いかに民主主義国家の容貌を備えていようとも、一歩間違えると何がその国家の中で起こるかわからないのだという、いわば謙虚な反省、あるいは慎重な姿勢が必要だと思うのでございまして、そういうところにドイツの憲法裁判所の設定が起因しておる、こういうふうに私は聞いておるわけでございます。
そこで、私は、日本の場合も、今お話がございました、当局としては確たるこの哲学にかかわるような問題は打ち出せないのだというお話でありましたから、それはそれでいいとして、十分に心にとめておいていただきたいというのはそういうことである。現に、我が田に水を引くようで恐縮でございますけれども、小選挙区制度というものはいずれ導入されると思いますが、私は決していいものだと思っておらない。これはよりナチズムのようなものを生みやすい土壌をつくると理解している一人でございまして、少なくともこういうことが直接の原因ではなくても、最高裁判所の一票の格差是正のようなものが遠因か一因になったとするならば、これはゆゆしき問題ではないかと私自身考えておるのでありまして、この憲法裁判所というようなものについては、これからぜひ深く御討究をいただきたい。これは、私からの切なる希望でございます。
さて、ここで教えていただきたいと思いますことは、もう一つ憲法にかかわることでありますが、今までいわば連邦国家を形成しておりましたソ連邦が、ベルリンの壁の崩壊以降これまた崩壊いたしまして、てんでんばらばらの共和国家になってまいりました。それとは全く裏腹に、西欧十二カ国がEUという名のもとに、欧州国家運邦と申してもいいようなものを形成しつつあります。これは行く行く、EMSと呼ばれております、EMSという頭文字であらわされる共通通貨もつくられよう、こういうことが言われている中で、やはり憲法というのは国の基本法でありますから、EUに基本法が将来できないはずはない。もしこれが連邦国家になれば当然そういうものができてしかるべしであろうと考えておるのでございますけれども、そのEUの憲法というようなものは、現段階ではどういう方向にあるのか、御存じであれば教えていただきたい。
例えば、それぞれの国が持っている、国というのはドイツとかフランスとかイタリーとかですが、それとは全然別に憲法全部を、全部の国々の基本法となるべき憲法を別途考え、これをつくろうとしているのか。それとも、従来ある各国の憲法の共通項を取り上げて、いわば小異は一応捨てるというよりもさておいて、大同は認め合って憲法にしていく方向とでもいうものを考えているのか。そういうようなことはどういうことになっているのか。今後の日本の場合も、あるいは法律というものを考える上においても大事なことだと思いますので、教えていただきたい。これが当局に対する私のこの問題に関する質問であります。
永
永井紀昭#13
○永井(紀)政府委員 EUはECを引き継ぎまして、一九九三年、昨年の十一月に発効したわけでございますが、この欧州連合条約には、一般的にその十二カ国を統合していくようなさまざまな段階の枠組みをつくり上げることを目的とするというふうにされておりまして、具体的には、ECを引き継いておりますので、石炭鉄鋼の共同体、あるいは経済共同体、あるいは原子力共同体というものが根幹にあるわけですが、さらに、外交、安全保障政策の共通化とか、あるいはただいま御指摘ありましたように単一通貨を基礎とした通貨統合の達成とか、あるいはEU市民権の導入とか、あるいは司法、警察分野での協力の強化、こういったことが目的にうたわれておるわけでありまして、そういった観点で法的な側面での調整ということは行われつつあります。
ただ、この欧州連合条約を見ましても、憲法を統合するといった形での直接的な目的は規定されていないようでございます。そういった意味では直接憲法を、各国の憲法の統合ということが直接的には示されていないということは私ども理解しているのですが、それ以上さらにその共通項を統一的なものとするかどうかということについては、私ども十分な資料を持ち合わせておりませんので、十分にお答えできないというのが現状でございます。
この発言だけを見る →ただ、この欧州連合条約を見ましても、憲法を統合するといった形での直接的な目的は規定されていないようでございます。そういった意味では直接憲法を、各国の憲法の統合ということが直接的には示されていないということは私ども理解しているのですが、それ以上さらにその共通項を統一的なものとするかどうかということについては、私ども十分な資料を持ち合わせておりませんので、十分にお答えできないというのが現状でございます。
志
志賀節#14
○志賀委員 私は、今の世界の状況を見ておりますと、大変大きな基軸になるものは人権ではないかという考え方をしている一人でございます。そうしますと、この人権については、旧ソ連のような、アメリカあたりの人権派から大変疑惑ないし非難の目で見られるところとは違って、西欧十二カ国はやはり人権を尊重する国々でございますから、人権を軸にして容易に憲法のようなものは共通項を多く持ちやすいのではなかろうか。もとより宗教的、民族的、歴史的、文化的、いろいろな背景の相違から、一概に何もかにも一緒というわけにいかない点があるかもしれません。しかし、それ以上に多くの点で共通項を持ち得るのではないかというのが私などの考え方でございます。
今まで日本人がしばしば犯してきた過ちだと思いますのは、国民相互間あるいは民族相互間を見る上において、その共通性よりも差異の方に目を向けやすかった。違いに目を向けておりますと、ちょうど私ども、戦時中に鬼畜米英などと言いまして、アメリカ人、イギリス人は人類の範囲の外にある動物である、こういう発想になっていく。これは、とりもなおさず人種主義に基づいたナチズムもまさにそうであったし、さればこそ、あの人道に反する人間の大量殺りくなどということを平気でやり得たのは、そこにあったのではないかと思うのであります。
私は、そういう観点に立つならば、やはり人間はお互い共通項が多いんだ、共通の点がかくも多いのだということの方に目を向けるべきであって、それが世の中を平和に導く一つの大きな基盤ではないだろうか。もとよりお互い人間である以上、同じ日本人同士でも相違があり、性格にも大きな違いがあるわけでございますから、これは私もわかる。しかし、それよりも大事なものは、共通項というものにより目を向ける姿勢が大事なのではないかと考えるのでございます。さすれば、私どもは、この世界の法律を考える上においても、その差よりは、例えば人権というようなことに力点を置いて、あるいはこれを軸として共通項の法律をつくり上げていく、あるいは認め合っていく、これが大事ではなかろうかと考えるのであります。
そこで、私はさらに踏み込んで承っておきたいと思いますことは、憲法はさておくとして、その他の六法、あるいは五法というべきでしょうか、刑法とか民法などにおいては、EUのようなところではお互いに認め合うようなものが、それぞれの条文、条項に出てきているのかどうか、こういう点はいかがなものであるかを教えていただければと存ずる次第であります。
この発言だけを見る →今まで日本人がしばしば犯してきた過ちだと思いますのは、国民相互間あるいは民族相互間を見る上において、その共通性よりも差異の方に目を向けやすかった。違いに目を向けておりますと、ちょうど私ども、戦時中に鬼畜米英などと言いまして、アメリカ人、イギリス人は人類の範囲の外にある動物である、こういう発想になっていく。これは、とりもなおさず人種主義に基づいたナチズムもまさにそうであったし、さればこそ、あの人道に反する人間の大量殺りくなどということを平気でやり得たのは、そこにあったのではないかと思うのであります。
私は、そういう観点に立つならば、やはり人間はお互い共通項が多いんだ、共通の点がかくも多いのだということの方に目を向けるべきであって、それが世の中を平和に導く一つの大きな基盤ではないだろうか。もとよりお互い人間である以上、同じ日本人同士でも相違があり、性格にも大きな違いがあるわけでございますから、これは私もわかる。しかし、それよりも大事なものは、共通項というものにより目を向ける姿勢が大事なのではないかと考えるのでございます。さすれば、私どもは、この世界の法律を考える上においても、その差よりは、例えば人権というようなことに力点を置いて、あるいはこれを軸として共通項の法律をつくり上げていく、あるいは認め合っていく、これが大事ではなかろうかと考えるのであります。
そこで、私はさらに踏み込んで承っておきたいと思いますことは、憲法はさておくとして、その他の六法、あるいは五法というべきでしょうか、刑法とか民法などにおいては、EUのようなところではお互いに認め合うようなものが、それぞれの条文、条項に出てきているのかどうか、こういう点はいかがなものであるかを教えていただければと存ずる次第であります。
永
永井紀昭#15
○永井(紀)政府委員 民事関係の法律についてちょっと調べてみたわけでございますが、一般的に民事関係につきましては統合する動きはあるとは聞いておりません。
ただ、EC当時、製造物責任法などにつきましては、一九八五年、昭和六十年ですが、ECの閣僚理事会指令、いわゆるディレクティブというものによりまして、加盟国がそれぞれ製造物責任法をつくりなさいという、そういう指示がありまして、現在多くのヨーロッパ諸国におきましては、若干の差異はありますが、ほぼ共通した、同じような製造物責任法がつくられているという、例えばこれは一例でございますが、そういったことで、各国においてそれぞれに割合共通した法律をつくるという動きがあるということは一部聞いております。
民事法関係だけについて説明いたしました。
この発言だけを見る →ただ、EC当時、製造物責任法などにつきましては、一九八五年、昭和六十年ですが、ECの閣僚理事会指令、いわゆるディレクティブというものによりまして、加盟国がそれぞれ製造物責任法をつくりなさいという、そういう指示がありまして、現在多くのヨーロッパ諸国におきましては、若干の差異はありますが、ほぼ共通した、同じような製造物責任法がつくられているという、例えばこれは一例でございますが、そういったことで、各国においてそれぞれに割合共通した法律をつくるという動きがあるということは一部聞いております。
民事法関係だけについて説明いたしました。
則
則定衛#16
○則定政府委員 刑事法の分野について調べてみたわけでございますが、何分外国のことですので詳細は承知しておりませんが、私どもの把握しておる範囲内におきましては、EC内において刑法を統合するという具体的な動きはないと承知しております。
ちなみにECに属する国のうちでも、御案内のとおり、イギリスは成文法刑法典を持っておりませんが、フランスは刑法典を持っている。また、最近改正がフランスにおいてなされたところでありまして、個々の国でそういう動きがあるということでございます。このように各国とも独自の刑法を持っているところでありまして、特にこれらが統合する動きがあるとは私どもは思っていないわけでございます。
なぜそういうふうなことにあるのだろうかと考えてみますと、やはり刑事法、特に刑法の実体法、いかなる行為についてそれを犯罪とし、どのような刑罰を盛るのかという問題につきましては、それぞれの国がその社会の基本的秩序を維持確保する観点から、これを害すると認める行為をその社会、経済、あるいは政治の実情や文化的、歴史的背景を踏まえながら規制するための基本法でありますから、いわばそれぞれの国情に応じた法文化というものがその背景にあるわけでございまして、ヨーロッパ諸国におきましても、刑法の、例えば確定した刑罰権の実現を図るために、それぞれの文化的基盤がいわばキリスト教国である、あるいは私どもが見てヨーロッパの生活スタイルが一応共通化しているという点から、ある国で確定した懲役刑を他の国で執行する、そういった面での協力関係は徐々に整備されているように思いますけれども、その実体法の問題についてEC内を統一するという動きは、やはり困難なことが原因になっているのではないだろうかというふうに理解しているわけでございます。
この発言だけを見る →ちなみにECに属する国のうちでも、御案内のとおり、イギリスは成文法刑法典を持っておりませんが、フランスは刑法典を持っている。また、最近改正がフランスにおいてなされたところでありまして、個々の国でそういう動きがあるということでございます。このように各国とも独自の刑法を持っているところでありまして、特にこれらが統合する動きがあるとは私どもは思っていないわけでございます。
なぜそういうふうなことにあるのだろうかと考えてみますと、やはり刑事法、特に刑法の実体法、いかなる行為についてそれを犯罪とし、どのような刑罰を盛るのかという問題につきましては、それぞれの国がその社会の基本的秩序を維持確保する観点から、これを害すると認める行為をその社会、経済、あるいは政治の実情や文化的、歴史的背景を踏まえながら規制するための基本法でありますから、いわばそれぞれの国情に応じた法文化というものがその背景にあるわけでございまして、ヨーロッパ諸国におきましても、刑法の、例えば確定した刑罰権の実現を図るために、それぞれの文化的基盤がいわばキリスト教国である、あるいは私どもが見てヨーロッパの生活スタイルが一応共通化しているという点から、ある国で確定した懲役刑を他の国で執行する、そういった面での協力関係は徐々に整備されているように思いますけれども、その実体法の問題についてEC内を統一するという動きは、やはり困難なことが原因になっているのではないだろうかというふうに理解しているわけでございます。
志
志賀節#17
○志賀委員 そういう問題を今後詰めていく上においても、国際的な会議がしばしば持たれることを私は希望いたしますし、それから、これは名目的と言っては言葉が過ぎますけれども、大臣とかその他トップのクラスの方たちのやるのは比較的権威を持たせるというか、そういう会議でございましょうが、あと、実動部隊がやるような会議とか、こういうようなものを織りまぜて、相当数やりながら、新しい世界をつくる上において頑張ってやっていただきたいものだというのが私の基本的な考え方でございます。ぜひそういう方向を見出していただきたい。
特に日本の場合は、戦後に至る間、人権無視の大変おくれた野蛮的な国であるというような印象を持たれていただけに、今日ここまで人権問題にも大きく目覚め、かつ乗り出している国柄でございますから、日本は名実ともに人権の上でやれる国なんだということを示す上からも、人権を軸に置いた国際会議のようなものをむしろ日本のイニシアチブのもとにリードしていただきたい、これが私の希望するところでございます。もちろん、そういうことをやっている間に、外に向かってそういうことであれば、内に向かっても、万が一にも人権無視などということで揚げ足をとられるようなことはやれなくなるはずでありますから、そういう両々相まったプラスの面を見出すことができるのではなかろうか、このように私は思うのでありまして、どうかこういう面でぜひ頑張っていただきたいと思います。
私が今まで承知している限りでは、EUの中でもルクセンブルクではEUの憲法裁判所のごとき、あるいはストラスブールでは人権裁判所のごときものが置かれているように聞いております。既にEUの中ではそういう方向に動いているのですから、だから私が今申し上げた共通の基本法である憲法とか六法のようなものができていくのはもう時間の問題でありまして、それがどういうプロセスでできていくかを私どもはしっかりと見、かつ、学ぶ必要がある。そのことが私どもの人権問題と言わず、あるいは法治国家と言わず、こういうものに対する大きな栄養、滋養分になるに違いない、こう思うから、私はこのことを特にお願いをしたいのでございます。
さて、そこで申し上げたいと思いますことは、刑法も共通項をたくさん持つべきではないかということを私は強く主張をするのでございますが、既に新聞等で報道せられましたが、日本で殺人事件を犯した、イラン人と聞いておりますが、これが国外に逃亡いたしまして、現在スウェーデンにおって、この犯人の身柄引き渡しを日本が求めているにもかかわらず、日本には死刑制度が存置せられているがゆえに、これは犯人の身柄を引き渡すわけにはいかない、こういうことで今日に及んでいると聞き及んでおります。これの詳細について、私はただいま大ざっぱなところを申し上げたつもりでありますが、細部にわたって過ちがあってはいけませんので、御存じ向きの方にはこの点、お教えをいただきたいと存じます。
この発言だけを見る →特に日本の場合は、戦後に至る間、人権無視の大変おくれた野蛮的な国であるというような印象を持たれていただけに、今日ここまで人権問題にも大きく目覚め、かつ乗り出している国柄でございますから、日本は名実ともに人権の上でやれる国なんだということを示す上からも、人権を軸に置いた国際会議のようなものをむしろ日本のイニシアチブのもとにリードしていただきたい、これが私の希望するところでございます。もちろん、そういうことをやっている間に、外に向かってそういうことであれば、内に向かっても、万が一にも人権無視などということで揚げ足をとられるようなことはやれなくなるはずでありますから、そういう両々相まったプラスの面を見出すことができるのではなかろうか、このように私は思うのでありまして、どうかこういう面でぜひ頑張っていただきたいと思います。
私が今まで承知している限りでは、EUの中でもルクセンブルクではEUの憲法裁判所のごとき、あるいはストラスブールでは人権裁判所のごときものが置かれているように聞いております。既にEUの中ではそういう方向に動いているのですから、だから私が今申し上げた共通の基本法である憲法とか六法のようなものができていくのはもう時間の問題でありまして、それがどういうプロセスでできていくかを私どもはしっかりと見、かつ、学ぶ必要がある。そのことが私どもの人権問題と言わず、あるいは法治国家と言わず、こういうものに対する大きな栄養、滋養分になるに違いない、こう思うから、私はこのことを特にお願いをしたいのでございます。
さて、そこで申し上げたいと思いますことは、刑法も共通項をたくさん持つべきではないかということを私は強く主張をするのでございますが、既に新聞等で報道せられましたが、日本で殺人事件を犯した、イラン人と聞いておりますが、これが国外に逃亡いたしまして、現在スウェーデンにおって、この犯人の身柄引き渡しを日本が求めているにもかかわらず、日本には死刑制度が存置せられているがゆえに、これは犯人の身柄を引き渡すわけにはいかない、こういうことで今日に及んでいると聞き及んでおります。これの詳細について、私はただいま大ざっぱなところを申し上げたつもりでありますが、細部にわたって過ちがあってはいけませんので、御存じ向きの方にはこの点、お教えをいただきたいと存じます。
則
則定衛#18
○則定政府委員 お尋ねのケースは、外国人が日本のスチュワーデスを東京都内で殺害して国外に逃亡した、現在スウェーデンに居留しているというケースにつきまして、日本当局から犯罪人引渡法に基づいて引き渡し要請を行ったケースでありますが、御指摘のとおり、スウェーデン政府としては当該被疑者を日本国に引き渡すことについては応じかねるというふうになっているわけでございます。
その理由は、スウェーデンの犯罪人引渡法上、引き渡し犯罪者が請求国で死刑に処せられないことの法的拘束力のある保障が必要である。本件につきましては、その保障が満たされていないとスウェーデン政府が判断したことによるわけでございまして、個別のケースについて、そういう死刑に処せられないことの保障を法的にやってほしい、こういうことでございますが、日本国政府としては、三権分立等々の関係もございますので、法的な保障はいたしかねるということがありましたために、日本国の要請に応じてもらえないということでございます。
敷衍いたしますと、逆に日本が死刑制度を存置しているから引き渡すことができないという一般的なことではない、この点だけは敷衍させていただきたいと思います。
この発言だけを見る →その理由は、スウェーデンの犯罪人引渡法上、引き渡し犯罪者が請求国で死刑に処せられないことの法的拘束力のある保障が必要である。本件につきましては、その保障が満たされていないとスウェーデン政府が判断したことによるわけでございまして、個別のケースについて、そういう死刑に処せられないことの保障を法的にやってほしい、こういうことでございますが、日本国政府としては、三権分立等々の関係もございますので、法的な保障はいたしかねるということがありましたために、日本国の要請に応じてもらえないということでございます。
敷衍いたしますと、逆に日本が死刑制度を存置しているから引き渡すことができないという一般的なことではない、この点だけは敷衍させていただきたいと思います。
志
志賀節#19
○志賀委員 表現はそのとおりかもしれませんが、法律家はよく実体とおっしゃいますけれども、実体的には、これは死刑制度が存置されているから引き渡せないというふうに理解して何の不自然も無理もないように存ぜられます。
そのことよりも、さらに一歩踏み込んで私が承りたいと思いますことは、国際上の慣行といわず取り決めといわず、こういうものはほぼ相互主義に基づいておると理解をして差し支えない。そうすると、全く逆のケースでありますけれども、仮にスウェーデンで何か殺人事件が起きた、そして日本でその犯人を逮捕し、とめ置いておるが、スウェーデン政府からこの犯人の引き渡しを求められた場合に、この犯人に死刑になるかもしれない判決が下るならばともかく、絶対に死刑というものは下さないんだという前提でこの犯人の引き渡しに応ずるわけにいかない、こういうようなことが起きても不思議はないことになるのではないか。これは、相互主義からすればそういうことになるのではないでしょうか。
日本は、恐らく引き渡しを求められたとき、そういうことまでは言わないだろうと思うのでありますが。そうすると、国際的な慣行というものは、その点だけでも平仄を欠くのではないか、むちゃくちゃなことになっていくのではないか。こんなことに対して当局はお考えになったことがあるのかないのか、あるとすればどういうふうにお考えになるか、これは承っておきたい。
この発言だけを見る →そのことよりも、さらに一歩踏み込んで私が承りたいと思いますことは、国際上の慣行といわず取り決めといわず、こういうものはほぼ相互主義に基づいておると理解をして差し支えない。そうすると、全く逆のケースでありますけれども、仮にスウェーデンで何か殺人事件が起きた、そして日本でその犯人を逮捕し、とめ置いておるが、スウェーデン政府からこの犯人の引き渡しを求められた場合に、この犯人に死刑になるかもしれない判決が下るならばともかく、絶対に死刑というものは下さないんだという前提でこの犯人の引き渡しに応ずるわけにいかない、こういうようなことが起きても不思議はないことになるのではないか。これは、相互主義からすればそういうことになるのではないでしょうか。
日本は、恐らく引き渡しを求められたとき、そういうことまでは言わないだろうと思うのでありますが。そうすると、国際的な慣行というものは、その点だけでも平仄を欠くのではないか、むちゃくちゃなことになっていくのではないか。こんなことに対して当局はお考えになったことがあるのかないのか、あるとすればどういうふうにお考えになるか、これは承っておきたい。
則
則定衛#20
○則定政府委員 今の、スウェーデンと日本を逆の立場に置いた場合ということでございますけれども、これは、当該行為が相互に処罰されるかどうかという意味での審査はいたしますけれども、同じ法定刑、死刑の法定刑でなければいかぬという前提でのチェックはいたしておらないわけでございまして、我が国から当該犯罪人をスウェーデン政府に殺人を犯したという嫌疑のもとで引き渡すということは可能でございます。
付言いたしますと、現実に、最近ハワイ州で日本人が日本人を殺害した事件につきまして、委員御案内のとおり、ハワイは死刑廃止州でございますけれども、その被疑者を引き渡したという事実もあるわけでございます。
この発言だけを見る →付言いたしますと、現実に、最近ハワイ州で日本人が日本人を殺害した事件につきまして、委員御案内のとおり、ハワイは死刑廃止州でございますけれども、その被疑者を引き渡したという事実もあるわけでございます。
志
志賀節#21
○志賀委員 必ずしも私の満足する御答弁をいただいたとは思っておりません。要するに、国際的には相互主義だということが一方に現存しているのに、それが貫き得ない状況が出てくるということは、既にここに矛盾があるし、破綻が出てきておるというふうにこれを理解して差し支えないと私は断ずるゆえんでございます。
既に御承知のとおり、法務大臣の中には、法の権威を全うするために現に存在している条項に基づいて死刑の執行をするのだということを言われて、しかも、その結果死刑の執行が行われたことが最近あったわけであります。
そうすると、条項があるにもかかわらず、スウェーデンからは日本の国内で殺人事件を犯した人間を引き取ることすら死刑存置の条項ゆえにできないんだということになれば、これは明らかに法の権威を損なっていることにもなるわけでありまして、これは十分に配慮しなければならない。もっと別の言葉で言えば、国際的な刑法の流れの中で我々は共通項を持たなければならない時点に差しかかっているんだ、こういう自覚を持つ必要があると思うのでありますけれども、この点についてはいかがお考えか、大臣にお聞きします。
この発言だけを見る →既に御承知のとおり、法務大臣の中には、法の権威を全うするために現に存在している条項に基づいて死刑の執行をするのだということを言われて、しかも、その結果死刑の執行が行われたことが最近あったわけであります。
そうすると、条項があるにもかかわらず、スウェーデンからは日本の国内で殺人事件を犯した人間を引き取ることすら死刑存置の条項ゆえにできないんだということになれば、これは明らかに法の権威を損なっていることにもなるわけでありまして、これは十分に配慮しなければならない。もっと別の言葉で言えば、国際的な刑法の流れの中で我々は共通項を持たなければならない時点に差しかかっているんだ、こういう自覚を持つ必要があると思うのでありますけれども、この点についてはいかがお考えか、大臣にお聞きします。
前
前田勲男#22
○前田国務大臣 志賀先生から世界的な視野で、特にEU中心にお話がございまして、世界が司法分野でも動いている中で、我が国もその動きをよく注視をして適切に対処してまいれ、こういう御指摘をまず最初にいただいて大変感謝をいたしておりますし、私も大事なことであろうと思っておりますし、かつまた、冷戦後の世界はある意味では人権の世界だ、こういうふうに言われている学者を初め有識者の方も多くおられまして、我が国もそうした観点に立って、この人権というものに内外ともに誇り得るべき国として取り組んでいかなければならぬ、こう思っておるわけでございます。
ただいまスウェーデンの例のお話がございまして、相互主義のもとに考えたときに、我が国の法秩序そのものが矛盾から崩壊するのではないかというような御指摘になってくると思っております。相互主義も、私の考えを申し上げれば、厳密に言えば、それでは世界じゅう同じ法律でなければならぬ、刑罰でなければならぬ、あるいは似たようなことになってくる、ということになってくると思いますが、それぞれの国に主権があり、それぞれの主権のもとにやはり判断をされておる、こう解釈をいたしております。
素人でございますので、若干私の考えておりますことを事例を挙げて申し上げたいと思います。
例えばAという国で犯罪を犯してB国へ逃亡ないしは出た、こうした場合に、当然A国からB国に対して引き渡し要求があるわけでございますが、これはやはりB国の主権による判断をされる。これは世界で最も多くあるケースであろうと思っております。このB国における判断というものは、これはB国の、法治国家として当然のことでありまして、A国は法治国家、法律維持の能力がなくなってしまうというものではない、かように考えております。
そうした観点から、その国、A国の法治権そのものが侵害をされ、混乱をされ、そのものが否定をされるというような現実の場にはない、かように考えておるところでございます。
また、もう一点、EUを例にとられまして、その地域、例えばEUでございますと、ヨーロッパ全体の文化、伝統、宗教等から一つの、刑罰等に対しても同じ意識を持つような動きがあるのではないか、こういうお話がございましたが、その分アジアという国に当てはめてまいりますと、先ほど来死刑というお話が出ておりますが、死刑そのものをアジア全体で廃止をしている国は例がほとんどございません。存置をしておる国ばかりであろう、かように思っております。
この発言だけを見る →ただいまスウェーデンの例のお話がございまして、相互主義のもとに考えたときに、我が国の法秩序そのものが矛盾から崩壊するのではないかというような御指摘になってくると思っております。相互主義も、私の考えを申し上げれば、厳密に言えば、それでは世界じゅう同じ法律でなければならぬ、刑罰でなければならぬ、あるいは似たようなことになってくる、ということになってくると思いますが、それぞれの国に主権があり、それぞれの主権のもとにやはり判断をされておる、こう解釈をいたしております。
素人でございますので、若干私の考えておりますことを事例を挙げて申し上げたいと思います。
例えばAという国で犯罪を犯してB国へ逃亡ないしは出た、こうした場合に、当然A国からB国に対して引き渡し要求があるわけでございますが、これはやはりB国の主権による判断をされる。これは世界で最も多くあるケースであろうと思っております。このB国における判断というものは、これはB国の、法治国家として当然のことでありまして、A国は法治国家、法律維持の能力がなくなってしまうというものではない、かように考えております。
そうした観点から、その国、A国の法治権そのものが侵害をされ、混乱をされ、そのものが否定をされるというような現実の場にはない、かように考えておるところでございます。
また、もう一点、EUを例にとられまして、その地域、例えばEUでございますと、ヨーロッパ全体の文化、伝統、宗教等から一つの、刑罰等に対しても同じ意識を持つような動きがあるのではないか、こういうお話がございましたが、その分アジアという国に当てはめてまいりますと、先ほど来死刑というお話が出ておりますが、死刑そのものをアジア全体で廃止をしている国は例がほとんどございません。存置をしておる国ばかりであろう、かように思っております。
志
志賀節#23
○志賀委員 大臣と議論する気はないのでございますけれども、今大臣のお話しになられた中で、二つ私から指摘しなければならない点がございます。
その一つは、私が先ほど相互主義で具体例を取り上げましたことは、スウェーデンは天下に向かって自分の国の死刑廃止が正しいんだというふうに主張しているように見えるが、日本がもしそれに対抗したような形で相互的な主張をしないならば、日本は死刑存置に対しては至って腰を引いた姿勢だな、こういうふうに見られてもしょうがないのではないか、こういう感覚を私は持つのであります。
要するに、スウェーデンは、日本に死刑が存置されている以上は死刑にされる可能性があるから犯人は引き渡さない、車ほどさように死刑というものを我々はもう拒否しているのだ、こういう姿勢に見えます。一方、日本が、スウェーデンから逃げ込んできた犯人を、お前の国は死刑も含めてそれだけの自由裁量がなされなければ、これは我々の感覚にはとても拒否反応が出てしょうがないから、だから引き渡すわけにいかないのだと言えば、これは日本が死刑というものに対してそれだけの姿勢がきちっとしているんだということに私はなると思うのでありますけれども、そういう限りにおいて、私は、日本の方がこの点腰が引けているんじゃないか、こういうことを今言っているわけです。いいですか、これが一つ。
それから、もう一つ申し上げたいことは、私はヨーロッパ全体の国々が死刑に対して云々などということは一言も申しておりませんから、私はスウェーデンのことだけを今例にとっただけでありまして、この点は、それを大臣が、アジア諸国は死刑廃止国がないし、日本もその一カ国だというようなところにこの話を持っていかれたから、これはちょっとその話は違いますよ。
私は、あえてこれを色分けをさせていただくならば、私が何も改めて言う必要もなく、死刑廃止国は、日本とアメリカを別とすれば先進諸国はほとんど漏れなく廃止国である。アメリカとても、州によっては廃止をしておる。道州制がないがゆえとはいいながら、北は北海道から南は沖縄に至るまで死刑制度手つかずのままであるのは先進国では日本だけだ、こういう話になるのでありまして、こういう点では私は何も色分けの仕方は、全然ヨーロッパのことを例に、引き合いに出してないのだということは、ひとつこの点訂正をさせていただかなければいけない。
以上のような点で、私はこれ以上大臣とは議論をするつもりはございませが、車ほどさように、日本の相互主義という面からいけばこの問題についても私はいたく考えさせられますよ、こういうことを申したいのでございます。
今大臣がお手をお挙げになりましたので、どうぞ御答弁をいただきたいと思います。
この発言だけを見る →その一つは、私が先ほど相互主義で具体例を取り上げましたことは、スウェーデンは天下に向かって自分の国の死刑廃止が正しいんだというふうに主張しているように見えるが、日本がもしそれに対抗したような形で相互的な主張をしないならば、日本は死刑存置に対しては至って腰を引いた姿勢だな、こういうふうに見られてもしょうがないのではないか、こういう感覚を私は持つのであります。
要するに、スウェーデンは、日本に死刑が存置されている以上は死刑にされる可能性があるから犯人は引き渡さない、車ほどさように死刑というものを我々はもう拒否しているのだ、こういう姿勢に見えます。一方、日本が、スウェーデンから逃げ込んできた犯人を、お前の国は死刑も含めてそれだけの自由裁量がなされなければ、これは我々の感覚にはとても拒否反応が出てしょうがないから、だから引き渡すわけにいかないのだと言えば、これは日本が死刑というものに対してそれだけの姿勢がきちっとしているんだということに私はなると思うのでありますけれども、そういう限りにおいて、私は、日本の方がこの点腰が引けているんじゃないか、こういうことを今言っているわけです。いいですか、これが一つ。
それから、もう一つ申し上げたいことは、私はヨーロッパ全体の国々が死刑に対して云々などということは一言も申しておりませんから、私はスウェーデンのことだけを今例にとっただけでありまして、この点は、それを大臣が、アジア諸国は死刑廃止国がないし、日本もその一カ国だというようなところにこの話を持っていかれたから、これはちょっとその話は違いますよ。
私は、あえてこれを色分けをさせていただくならば、私が何も改めて言う必要もなく、死刑廃止国は、日本とアメリカを別とすれば先進諸国はほとんど漏れなく廃止国である。アメリカとても、州によっては廃止をしておる。道州制がないがゆえとはいいながら、北は北海道から南は沖縄に至るまで死刑制度手つかずのままであるのは先進国では日本だけだ、こういう話になるのでありまして、こういう点では私は何も色分けの仕方は、全然ヨーロッパのことを例に、引き合いに出してないのだということは、ひとつこの点訂正をさせていただかなければいけない。
以上のような点で、私はこれ以上大臣とは議論をするつもりはございませが、車ほどさように、日本の相互主義という面からいけばこの問題についても私はいたく考えさせられますよ、こういうことを申したいのでございます。
今大臣がお手をお挙げになりましたので、どうぞ御答弁をいただきたいと思います。
前
前田勲男#24
○前田国務大臣 あえて御議論を申し上げるというわけではございませんが、スウェーデンから見てということでございましょうか、日本は死刑について腰が引けておるという印象を与えるのではないか、こういう御指摘がございましたのであえて手を挙げさしていただいたわけでございますが、我が国、決して腰が引けているということではございませんで、ただ、積極的にそれを申し上げているかどうかということは別にいたしまして、我が国が今日法律、法を維持したその中で死刑が厳然として存置をしておるということを申し上げておきたかっただけでございます。
あと、アジアにおける死刑云々につきましては、あえて蛇足で申し上げましたことをお許しを賜りたいと存じます。
この発言だけを見る →あと、アジアにおける死刑云々につきましては、あえて蛇足で申し上げましたことをお許しを賜りたいと存じます。
志
志賀節#25
○志賀委員 死刑のことに関しましては、条項があるからというだけでは何の説得力も私はないと思っております。現に、諸外国においては執行を停止していることで、条項があっても、していることによって事実上死刑がない、あるいはそういう慣習をもとにして死刑制度をなくしていくというプロセスを踏んでいる国もあるわけでありまして、私は、条項そのこと自体は一向にその問題とは別である。むしろ一つ一つの事例で、対外的に、今お話ししたようなことで腰が引けているというようなふうに判断されてもやむを得ないような事例も出てきますよ、こういうことを私は指摘をしておるわけでございます。
さてそこで、私は、実は昨日のことなので、この質問についてはまだ申し上げてないので恐縮なんでありますが、韓国人の私の友人が私のところに連絡がございまして、李奉昌、御存じかと思いますが、リはスモモの李であります、ホウは奉る、ショウは日二つ重ねた李奉昌、この人が何か、天皇、戦前のことでありますが、昭和七年に天皇狙撃か暗殺かを試みた事件があったかと思いますが、この事件の全容を知りたいと思って、秦野章元法務大臣の御紹介のもとに法務省の資料室であるか、にお願いをして、その事件の全容を勉強したいと思って申し出たのであります。これが十分に御協力を得られなかった。何か全部で八冊あるんだそうでありますが、一冊から四冊までは見せてもらえないで、第五冊から第八冊までを見せてもらえた。
彼のいわく、彼のいわくでありますが、CIAですら二十五年もたてはそういうものは出して見せてもらえるはずなのに、昭和七年のものを今なお出して見せてもらえないというのは一体何事なんだ、しかしもう見せてくれなくてもいいですよ、私は実は外交史料館に行ったらば、同じ政府の関係なのに、そっちでは見せてもらえました、一体法務省のこの古い体質は何なんでしょう、私はいささか親日家のつもりであったけれども、こういうことではやはりおかしくならざるを得ませんというような憤りの言葉を私はぶつけられたわけでございます。
私は、果たしてCIAが二十五年であるかどうか、そんなことも存じません。それから、果たして日本人が韓国に行って、戦前のそういう不祥事等について向こうの政府の保有している史料の閲覧を求めた場合に果たして応じてもらえるのか、それほど素直なのかは、これもやってみないとわからないのでありますから、このことは一方的な話になるわけでございますけれども、少なくとも昨日私はそういう苦情というか憤りをぶつけられたことだけは事実なのであります。
私は、このことに関して言うならば、情報の公開という言葉であらわされると思うのでありますが、この情報の公開が、実はこのこと以外にも疑われるだけのものが法務省の中にはある。それは、死刑の執行についてであります。死刑の執行は極めて極めて隠密裏、密行主義で行われる。私はよくわからないのは、死刑というものは見せしめ効果がある、そしてそのことによって凶悪犯罪の再発を防ぐ効果を持つもの、こういう説明が世の中にあるわけでございますけれども、もし見せしめというものが本当に効果があるとするならば、これだけのテレビ時代なんですから、公開したっていいじゃないかという乱暴な議論もできなくはないのでありまして、いわんやこの執行したかしないかも、秘密の中にベールの中にとどめおくなどということはもってのほかである。
しかも、もってのほかであると私が言うのは、そういう密行し、秘密にしておいて、死刑制度などというものは我々一般人間のほとんど関係のないことなんだ、悪いやつはぶっ殺してしまえばいいんだというような一般通念を助長する中で、いかに法務省が、あるいは総務庁が世論調査をやっても、これはインチキな世論調査と言わざるを得ないのであります。やはり、きちっと出すものは出しておいて、無知とか未知をなくしたところで初めて世論調査というものがフェアに行われるんだ、こういうふうに私は考えるのであります。
ですから、法務省の情報公開というものに対するお考えについて、いろいろな面から御説明をいただけるかと思いますが、ひとつ御説明をあとう限りしていただけるとありがたい、このように思います。
この発言だけを見る →さてそこで、私は、実は昨日のことなので、この質問についてはまだ申し上げてないので恐縮なんでありますが、韓国人の私の友人が私のところに連絡がございまして、李奉昌、御存じかと思いますが、リはスモモの李であります、ホウは奉る、ショウは日二つ重ねた李奉昌、この人が何か、天皇、戦前のことでありますが、昭和七年に天皇狙撃か暗殺かを試みた事件があったかと思いますが、この事件の全容を知りたいと思って、秦野章元法務大臣の御紹介のもとに法務省の資料室であるか、にお願いをして、その事件の全容を勉強したいと思って申し出たのであります。これが十分に御協力を得られなかった。何か全部で八冊あるんだそうでありますが、一冊から四冊までは見せてもらえないで、第五冊から第八冊までを見せてもらえた。
彼のいわく、彼のいわくでありますが、CIAですら二十五年もたてはそういうものは出して見せてもらえるはずなのに、昭和七年のものを今なお出して見せてもらえないというのは一体何事なんだ、しかしもう見せてくれなくてもいいですよ、私は実は外交史料館に行ったらば、同じ政府の関係なのに、そっちでは見せてもらえました、一体法務省のこの古い体質は何なんでしょう、私はいささか親日家のつもりであったけれども、こういうことではやはりおかしくならざるを得ませんというような憤りの言葉を私はぶつけられたわけでございます。
私は、果たしてCIAが二十五年であるかどうか、そんなことも存じません。それから、果たして日本人が韓国に行って、戦前のそういう不祥事等について向こうの政府の保有している史料の閲覧を求めた場合に果たして応じてもらえるのか、それほど素直なのかは、これもやってみないとわからないのでありますから、このことは一方的な話になるわけでございますけれども、少なくとも昨日私はそういう苦情というか憤りをぶつけられたことだけは事実なのであります。
私は、このことに関して言うならば、情報の公開という言葉であらわされると思うのでありますが、この情報の公開が、実はこのこと以外にも疑われるだけのものが法務省の中にはある。それは、死刑の執行についてであります。死刑の執行は極めて極めて隠密裏、密行主義で行われる。私はよくわからないのは、死刑というものは見せしめ効果がある、そしてそのことによって凶悪犯罪の再発を防ぐ効果を持つもの、こういう説明が世の中にあるわけでございますけれども、もし見せしめというものが本当に効果があるとするならば、これだけのテレビ時代なんですから、公開したっていいじゃないかという乱暴な議論もできなくはないのでありまして、いわんやこの執行したかしないかも、秘密の中にベールの中にとどめおくなどということはもってのほかである。
しかも、もってのほかであると私が言うのは、そういう密行し、秘密にしておいて、死刑制度などというものは我々一般人間のほとんど関係のないことなんだ、悪いやつはぶっ殺してしまえばいいんだというような一般通念を助長する中で、いかに法務省が、あるいは総務庁が世論調査をやっても、これはインチキな世論調査と言わざるを得ないのであります。やはり、きちっと出すものは出しておいて、無知とか未知をなくしたところで初めて世論調査というものがフェアに行われるんだ、こういうふうに私は考えるのであります。
ですから、法務省の情報公開というものに対するお考えについて、いろいろな面から御説明をいただけるかと思いますが、ひとつ御説明をあとう限りしていただけるとありがたい、このように思います。
則
則定衛#26
○則定政府委員 法務行政全般の問題はさておきまして、死刑の執行の問題についての情報公開という点について、所管の私からお答えさしていただきますけれども、今委員、日本の国民の多くが死刑制度の存置についてこれを是とする理由の大きな一つとして、いわば凶悪犯人については、そうした犯人が死刑になる、そういう意味での見せしめ効果があるというふうに思っているんではないか、そうなれば死刑、その執行自体をいわば極端に言いますとオープンにすべきではないか、こういう前提でのお尋ねでございますけれども、私どもの言ういわゆる犯罪抑止効果と言っておりますのは、ある具体的な行為をし、殺人その他の凶悪重大事犯をし、それが裁判手続で有罪として認定された場合に死刑の判決を受ける、しかもそれが執行されるということ自体が、今申します抑止効果としての客観事実というふうに考えておるわけでございまして、まさか委員も、いわば処刑自体を世間に公表すること、公開することによる俗も言葉で言う見せしめということによって、いわば恐怖心その他の心理的抑制力を与えるというふうには理解されていないんだろうと思うわけでございます。
日本の場合、公開の法廷で、事実を証拠に基づいて認定した上で裁判所が法定刑の中で選択し、場合によっては死刑の判決を宣告する、またそれが最高裁まで行って確定する、こういったそれぞれの状況につきましては、広く報道機関等を通じて、また傍聴することも可能でございますし、一般によく知られているわけでございます。また、そういって確定した死刑判決を受けた者については、執行されるということも法律上明定されているわけでございまして、それをまた執行すべき責任を国が負っておるわけでございます。ですから、個々の死刑囚についての執行自体をオープンにすることと、死刑というものが法律上存置されていることについていわゆる抑止的効果があるということとは、必ずしも直接的につながる問題ではないというふうに思っているわけでございます。
私どもは、その具体的な死刑囚についての執行という問題につきましては、これもかねがね御説明申し上げておりますけれども、従来から、その執行された遺族の感情であるとか、あるいは他に拘禁されております確定死刑囚の心情の安定とか、こういったことをおもんばかりますと、それぞれの時点で個々を公に、そのことを発表するというのは差し控えるべきだという考え方で今対処をしておるわけでございますが、統計的には、各年度、どのような数の執行があったかどうか、これらにつきましてはきちんと公表させていただいているわけでございます。
この発言だけを見る →日本の場合、公開の法廷で、事実を証拠に基づいて認定した上で裁判所が法定刑の中で選択し、場合によっては死刑の判決を宣告する、またそれが最高裁まで行って確定する、こういったそれぞれの状況につきましては、広く報道機関等を通じて、また傍聴することも可能でございますし、一般によく知られているわけでございます。また、そういって確定した死刑判決を受けた者については、執行されるということも法律上明定されているわけでございまして、それをまた執行すべき責任を国が負っておるわけでございます。ですから、個々の死刑囚についての執行自体をオープンにすることと、死刑というものが法律上存置されていることについていわゆる抑止的効果があるということとは、必ずしも直接的につながる問題ではないというふうに思っているわけでございます。
私どもは、その具体的な死刑囚についての執行という問題につきましては、これもかねがね御説明申し上げておりますけれども、従来から、その執行された遺族の感情であるとか、あるいは他に拘禁されております確定死刑囚の心情の安定とか、こういったことをおもんばかりますと、それぞれの時点で個々を公に、そのことを発表するというのは差し控えるべきだという考え方で今対処をしておるわけでございますが、統計的には、各年度、どのような数の執行があったかどうか、これらにつきましてはきちんと公表させていただいているわけでございます。
前
前田勲男#27
○前田国務大臣 委員御指摘の、法務省の特に情報公開に対する古い体質云々とございましたが、情報公開はともかくといたしまして、決して新しい、極めて新しい体質だと私も思っておりません。これは法務大臣に就任して以来、そんな感覚は持っておることは事実でございます。ただ、新しく先頭を切るのがいいのかどうかというのは、法務省の性格等もございますので、これはまた考えなければならぬことだと思っております。
そこで、この死刑の密行主義というお言葉でございましたし、また過去、委員会等においても一、二そういうお言葉があったと思いますが、密行主義という言葉がどうかということについては、私もいろいろ御論議あるところだと思います。ただ、この死刑の事実の公表につきましては、やはり死刑を執行された残された御遺族の感情というもの、あるいはまた他の死刑確定者の心情の安定、こうしたものも十二分に配慮して、という観点から差し控えておる、こういうことでございます。
それから、密行主義というのは全く表に出ないということでございますが、結果論としては統計上公表されるというようなことになっておりまして、全く密行されておるということでないと理解をいたしておるところでございます。
あとづけ加えますと、死刑に関する世論調査、大変厳しい、インチキではないかというお話ございましたが、これは法務省がやった世論調査というよりも、総理府がおやりいただいた世論調査でございますし、私どもは、総理府が厳正な立場に立って正確に国民の世論というものを調査されておるというふうに理解をいたしておりまして、総理府から本来御答弁があればよろしいわけでございますが、私はそう世論調査に対して理解をしておりますし、また、総理府の世論調査のみならず、マスコミの世論調査等も公表されておるところでございまして、これらの数値等もかなり似た数値が出ておるというふうに理解をいたしておるところでございます。
この発言だけを見る →そこで、この死刑の密行主義というお言葉でございましたし、また過去、委員会等においても一、二そういうお言葉があったと思いますが、密行主義という言葉がどうかということについては、私もいろいろ御論議あるところだと思います。ただ、この死刑の事実の公表につきましては、やはり死刑を執行された残された御遺族の感情というもの、あるいはまた他の死刑確定者の心情の安定、こうしたものも十二分に配慮して、という観点から差し控えておる、こういうことでございます。
それから、密行主義というのは全く表に出ないということでございますが、結果論としては統計上公表されるというようなことになっておりまして、全く密行されておるということでないと理解をいたしておるところでございます。
あとづけ加えますと、死刑に関する世論調査、大変厳しい、インチキではないかというお話ございましたが、これは法務省がやった世論調査というよりも、総理府がおやりいただいた世論調査でございますし、私どもは、総理府が厳正な立場に立って正確に国民の世論というものを調査されておるというふうに理解をいたしておりまして、総理府から本来御答弁があればよろしいわけでございますが、私はそう世論調査に対して理解をしておりますし、また、総理府の世論調査のみならず、マスコミの世論調査等も公表されておるところでございまして、これらの数値等もかなり似た数値が出ておるというふうに理解をいたしておるところでございます。
志
志賀節#28
○志賀委員 私は、きょうは余り死刑問題については触れるつもりではなかったんでございますが、御答弁の方が御答弁の方でございますので、私、そういうことになると、ちょっとまた承らなければいけないことになってくる。
私は、はっきり密行主義だと思っているんであります。余りにも秘密主義である。したが、って、年末であるか年度末であるかの収容確定者数の昨年比によってある程度頭数がわかるとかどうとかということは私も聞いておるわけでございますけれども、いつ幾日こういうことが行われたということはないんであります。わずかにマスコミの人たちが、やはり人間社会のやっていることでありますから、どこからかリークされる、それをもとにして書いて報道する、こういうふうに私は理解しておりますけれども、私は依然としてこれは密行主義だと思っているのでございます。
なるほど処刑される人、その遺族あるいは受刑者の精神的な問題等々を配慮するということも、私もそれなりにわかります。しかし、そのことをおっしゃるならば、同時に、無知、未知の状態に一般の人たちを置いておいて行われる世論調査の是非というものとのバランスを考えてみて、どっちの方に重きを置いたらいいのか。極端なことを言えば、悪いことをやった人の方をそれだけ配慮して、一般の人たちの死刑問題に対する判断というものを狂わしていいのか、そういうバランス問題があると思うのですね。ですから、そういうことも念頭に置いておかなければ法務行政というものはしっかりしたものにならない。
それから、なるほど総務庁がやっていることには間違いありませんが、あれは法務省の委託か委嘱か相談かによるんじゃなかったでしょうか。そういうようなこともございますから、そうすれば当然世論調査の項目というものは、いわば一種のつくり方によっては誘導尋問もできるのです、多少のテクニックは使えるのです。そういうことを考えれば、こういった点でも非常に厳正なものが必要になってきて、それを大義名分として、だから死刑制度は存置すべきなんだということにつなげていいのかどうか、この説得力にもかかわってくると私は考えるのでございます。
私は、まだまだこういう問題についてお話しすればしたいことは山ほどありますけれども、時間がだんだん迫っておりますので、このことはこのことといたしまして、もう一つ教えていただきたい、一緒に考えてまいりたいと思うことがございます。
それは、この刑法の一番大事な問題に罪刑法定主義というのがございますね。罪刑法定主義というのは事後法の反対でございますね、荒っぽい表現を使えば。要するに、その条項によらずして罪に問われることはないということももう一つ言われるわけでございます。この罪刑法定主義、言えばそれこそ時間が幾らあっても足らない。この題目で、私も読んだ単行本もございますから、それだけの多くのものを蔵していることは私も承知しておりますが、今日の文明社会ではこの罪刑法定主義によらなくては裁判は、少なくとも刑事裁判は行われてはいかぬ、これは罪刑法定主義によらなくてはならないのですということになっておると私は理解をしておりますが、それでようございますでしょうか。
この発言だけを見る →私は、はっきり密行主義だと思っているんであります。余りにも秘密主義である。したが、って、年末であるか年度末であるかの収容確定者数の昨年比によってある程度頭数がわかるとかどうとかということは私も聞いておるわけでございますけれども、いつ幾日こういうことが行われたということはないんであります。わずかにマスコミの人たちが、やはり人間社会のやっていることでありますから、どこからかリークされる、それをもとにして書いて報道する、こういうふうに私は理解しておりますけれども、私は依然としてこれは密行主義だと思っているのでございます。
なるほど処刑される人、その遺族あるいは受刑者の精神的な問題等々を配慮するということも、私もそれなりにわかります。しかし、そのことをおっしゃるならば、同時に、無知、未知の状態に一般の人たちを置いておいて行われる世論調査の是非というものとのバランスを考えてみて、どっちの方に重きを置いたらいいのか。極端なことを言えば、悪いことをやった人の方をそれだけ配慮して、一般の人たちの死刑問題に対する判断というものを狂わしていいのか、そういうバランス問題があると思うのですね。ですから、そういうことも念頭に置いておかなければ法務行政というものはしっかりしたものにならない。
それから、なるほど総務庁がやっていることには間違いありませんが、あれは法務省の委託か委嘱か相談かによるんじゃなかったでしょうか。そういうようなこともございますから、そうすれば当然世論調査の項目というものは、いわば一種のつくり方によっては誘導尋問もできるのです、多少のテクニックは使えるのです。そういうことを考えれば、こういった点でも非常に厳正なものが必要になってきて、それを大義名分として、だから死刑制度は存置すべきなんだということにつなげていいのかどうか、この説得力にもかかわってくると私は考えるのでございます。
私は、まだまだこういう問題についてお話しすればしたいことは山ほどありますけれども、時間がだんだん迫っておりますので、このことはこのことといたしまして、もう一つ教えていただきたい、一緒に考えてまいりたいと思うことがございます。
それは、この刑法の一番大事な問題に罪刑法定主義というのがございますね。罪刑法定主義というのは事後法の反対でございますね、荒っぽい表現を使えば。要するに、その条項によらずして罪に問われることはないということももう一つ言われるわけでございます。この罪刑法定主義、言えばそれこそ時間が幾らあっても足らない。この題目で、私も読んだ単行本もございますから、それだけの多くのものを蔵していることは私も承知しておりますが、今日の文明社会ではこの罪刑法定主義によらなくては裁判は、少なくとも刑事裁判は行われてはいかぬ、これは罪刑法定主義によらなくてはならないのですということになっておると私は理解をしておりますが、それでようございますでしょうか。
則