予算委員会公聴会
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会
会議録情報#0
平成十一年三月四日(木曜日)
午前十時開会
─────────────
委員の異動
三月三日
辞任 補欠選任
狩野 安君 日出 英輔君
清水嘉与子君 金田 勝年君
常田 享詳君 加納 時男君
若林 正俊君 鈴木 正孝君
小川 敏夫君 郡司 彰君
魚住裕一郎君 益田 洋介君
松 あきら君 加藤 修一君
山下 芳生君 富樫 練三君
大脇 雅子君 照屋 寛徳君
西川きよし君 佐藤 道夫君
三月四日
辞任 補欠選任
山崎 力君 奥村 展三君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 倉田 寛之君
理 事
鴻池 祥肇君
竹山 裕君
林 芳正君
矢野 哲朗君
今井 澄君
平田 健二君
山下 栄一君
笠井 亮君
大渕 絹子君
委 員
市川 一朗君
岩井 國臣君
大野つや子君
加納 時男君
金田 勝年君
岸 宏一君
斉藤 滋宣君
鈴木 正孝君
長谷川道郎君
日出 英輔君
松谷蒼一郎君
溝手 顕正君
依田 智治君
吉村剛太郎君
海野 徹君
江田 五月君
郡司 彰君
内藤 正光君
広中和歌子君
福山 哲郎君
円 より子君
柳田 稔君
加藤 修一君
浜田卓二郎君
益田 洋介君
小池 晃君
須藤美也子君
富樫 練三君
日下部禧代子君
照屋 寛徳君
入澤 肇君
月原 茂皓君
奥村 展三君
菅川 健二君
山崎 力君
佐藤 道夫君
政府委員
大蔵政務次官 中島 眞人君
大蔵省主計局次
長 藤井 秀人君
事務局側
常任委員会専門
員 宍戸 洋君
公述人
東京大学大学院
経済学研究科教
授 神野 直彦君
東京工業大学大
学院社会理工学
研究科教授
大阪大学社会経
済研究所教授 小野 善康君
株式会社野村総
合研究所主任研
究員 森本 敏君
南山大学法学部
教授 小林 武君
株式会社環境総
合研究所代表取
締役所長 青山 貞一君
伊藤忠商事株式
会社金融部門チ
ーフエコノミス
ト 中島 精也君
─────────────
本日の会議に付した案件
○平成十一年度一般会計予算(内閣提出、衆議院
送付)
○平成十一年度特別会計予算(内閣提出、衆議院
送付)
○平成十一年度政府関係機関予算(内閣提出、衆
議院送付)
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この発言だけを見る →午前十時開会
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委員の異動
三月三日
辞任 補欠選任
狩野 安君 日出 英輔君
清水嘉与子君 金田 勝年君
常田 享詳君 加納 時男君
若林 正俊君 鈴木 正孝君
小川 敏夫君 郡司 彰君
魚住裕一郎君 益田 洋介君
松 あきら君 加藤 修一君
山下 芳生君 富樫 練三君
大脇 雅子君 照屋 寛徳君
西川きよし君 佐藤 道夫君
三月四日
辞任 補欠選任
山崎 力君 奥村 展三君
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出席者は左のとおり。
委員長 倉田 寛之君
理 事
鴻池 祥肇君
竹山 裕君
林 芳正君
矢野 哲朗君
今井 澄君
平田 健二君
山下 栄一君
笠井 亮君
大渕 絹子君
委 員
市川 一朗君
岩井 國臣君
大野つや子君
加納 時男君
金田 勝年君
岸 宏一君
斉藤 滋宣君
鈴木 正孝君
長谷川道郎君
日出 英輔君
松谷蒼一郎君
溝手 顕正君
依田 智治君
吉村剛太郎君
海野 徹君
江田 五月君
郡司 彰君
内藤 正光君
広中和歌子君
福山 哲郎君
円 より子君
柳田 稔君
加藤 修一君
浜田卓二郎君
益田 洋介君
小池 晃君
須藤美也子君
富樫 練三君
日下部禧代子君
照屋 寛徳君
入澤 肇君
月原 茂皓君
奥村 展三君
菅川 健二君
山崎 力君
佐藤 道夫君
政府委員
大蔵政務次官 中島 眞人君
大蔵省主計局次
長 藤井 秀人君
事務局側
常任委員会専門
員 宍戸 洋君
公述人
東京大学大学院
経済学研究科教
授 神野 直彦君
東京工業大学大
学院社会理工学
研究科教授
大阪大学社会経
済研究所教授 小野 善康君
株式会社野村総
合研究所主任研
究員 森本 敏君
南山大学法学部
教授 小林 武君
株式会社環境総
合研究所代表取
締役所長 青山 貞一君
伊藤忠商事株式
会社金融部門チ
ーフエコノミス
ト 中島 精也君
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本日の会議に付した案件
○平成十一年度一般会計予算(内閣提出、衆議院
送付)
○平成十一年度特別会計予算(内閣提出、衆議院
送付)
○平成十一年度政府関係機関予算(内閣提出、衆
議院送付)
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倉
倉田寛之#1
○委員長(倉田寛之君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。
本日は、平成十一年度一般会計予算、平成十一年度特別会計予算及び平成十一年度政府関係機関予算につきまして、お手元の名簿の六名の公述人の方々から項目別に御意見を伺います。
この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。
本日は、平成十一年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。
次に、会議の進め方について申し上げます。
まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。
それではまず、財政・税制について、公述人、東京大学大学院経済学研究科教授神野直彦君の御意見を伺います。神野公述人。
この発言だけを見る →本日は、平成十一年度一般会計予算、平成十一年度特別会計予算及び平成十一年度政府関係機関予算につきまして、お手元の名簿の六名の公述人の方々から項目別に御意見を伺います。
この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。
本日は、平成十一年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。
次に、会議の進め方について申し上げます。
まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。
それではまず、財政・税制について、公述人、東京大学大学院経済学研究科教授神野直彦君の御意見を伺います。神野公述人。
神
神野直彦#2
○公述人(神野直彦君) 東京大学の神野でございます。よろしくお願いいたします。
本日、ここに御列席の方々すべてが現在、日本のこの危機的な状況に心を痛め、日夜、血のにじむような努力をお続けのことと存じます。今すべての国民がこの不況に苦しみながら歯を食いしばって懸命に努力をいたしております。
しかしながら、残念なことに、すべての国民が懸命に努力をしているんだけれども、結果は空回りしてうまくいかない。それはどうしてなのか。我々は、この不況が構造的な不況でもって、どうも努力をしてもシステムを変えない限り結果はうまくいかないのではないか、そういう観点から大幅な大胆な構造的な改革を進める必要があるのではないかというふうに考えております。
先日発表されました経済戦略会議の報告によりますと、私の専門にしております税制、財政については、国民を二種類に分けて、努力をした人とそれから努力をしない人に分けた上で、努力をした人が報われる税制、それが公正な税制だというふうに書いてございます。
私は、国民をこのように努力をした人それからしない人というふうに分けてしまうということに、そういう国民観あるいは人間観に深い悲しみと絶望を覚えます。国民はすべて必死になって今努力をしています。ところが、市場の方では一生懸命努力をしても報われる人もそれから報われない人も出てくるんです。したがって、財政の方ではすべての国民が報われる、そういう仕組みをつくってあげること、そして今人々が感じている将来の不安をいち早く解消してあげること、それが重要なのではないかというふうに考えております。
そういう観点から現在の予算案を見てみたいと思いますが、お手元に資料をお配りしてございますので、ちょっと第一表と第二表をごらんいただきながら現在の日本の財政の姿を御確認いただきたいと思います。
第一表の方を見ていただきますと、日本の総支出の方を見ていただきたいと思いますが、総支出は一九九八年の見込みでもって三七・二でございますので、これはアメリカに次いで小さな政府でございますから、既に日本は世界的に見て小さな政府になっている。ところが、経常収入の方を見ていただきますと、経常収入の方は三一・一で、これは異常に小さな数値になっていることが御理解いただけるだろうと思います。つまり、租税などのような経常収入の比重が非常に低い、その結果、財政収支の方を見ていただきますと、一九九八年の見込みでもってマイナス六・一でございます。つまり、日本は小さな政府なんだけれども、大きな借金、大きな赤字、そういう財政構造になっているということがおわかりいただけるだろうと思います。
そして、第二表の方をちょっとごらんいただきたいと思いますが、第二表を見ていただきますと、日本の小さな政府という現状で一般政府支出、これは一般政府というのは地方政府と中央政府と社会保障基金、この三つの政府を合わせたものでございますが、この一般政府支出で見てみますと、消費支出、つまり人件費とかそれから物件費の消費支出は世界的に見てこれはもう異常に小さな値になっている。ところが、資本支出の方が小さな政府の中でも七・七と大きな数値になっているということですね。
それから、租税・社会保険料のGDP比の方をちょっと見ていただきたいと思いますが、これを見ていただきますと、日本は全体の負担率が世界的に見て極めて低い二八・四、一番低い値になっております。その中でも異常に低い値を示しているのが個人所得税で、この個人所得税の比率、個人所得税というのはこれは地方の住民税も含んだ値でございますが、これが五・七という低い値になっていて、異常に低い値になっている。
先ほど見ました、小さな政府なんだけれども借金が多い、公債の発行高が多くなっているというのは、恐らく資本支出の多さに反映されている。資本支出が多いものですから、ある程度公債を発行してもいいんじゃないかという論理になっているんではないか。それから、収入の低さは特に個人所得税の低さにあらわれているということをちょっと御理解いただきたいというふうに思います。
この結果、今現在の予算案を見てみますと、どうも私の感じからいうと悲観的にならざるを得ません。と申しますのは、これから必要なことはこの構造を、先ほど申しましたように今は一八七〇年代、今から百年前に起きたような一八七〇年代と同じように構造的な不況なんですね。つまり、世界が近代から現代に動くように、現代からポスト現代に動くような非常に大きな転換点でございますので、大きな構造改革が必要です。
そうしますと、財政の構造も大きく変えなければならないということになるのですが、どうもこの構造をいわば増幅するような形になるのではないか。個人所得税の方は減税になる、それから公共事業の方はふえていくということになるわけですから、やや今の構造をそのまま追認して増幅するようなそういう予算案になっているのではないかというふうに考えています。
かつ、この予算案が景気に大きな刺激効果があるかというと、これについても私は悲観的にならざるを得ません。というのは、この世紀末の不況というのは、繰り返すようですが、構造的な不況なんですね。したがって、これまでも繰り返し減税と公共事業でもって、いわば病気になった人に解熱剤を与えるような形で景気の回復を図ろうとしてきました。しかし、そうすると、解熱剤をやめると本来の病気が治っていないものですからまた不況になってしまう、これを繰り返してきたわけですね。
皆さんは御記憶がおありでしょうが、一九九五年、一九九六年、一時的に景気がフローでもって回復いたしました。その後すぐに財政構造改革に移ってしまったわけですが、結局、構造的な改革をしない限り、解熱剤をやめるとまた不況に陥るということを繰り返すだけだ。解熱剤を多用すると私たちでも胃に穴があいたり副作用が起こるように、解熱剤のみを使い過ぎると副作用は大きくなる。それよりも今必要なのは、基本的な患部、最も根本的な問題点を外科的な手術によってえぐり出す制度改革を行うことではないかというふうに考えております。
減税一つとってみましても、最高税率の引き下げ、それから定率減税、それから法人税の減税というようなものがどうも景気に直ちに効果を与えるようには思えません。これは恐らく一九八一年のレーガン政権がやった経済再建税法を模範にとっているのではないかと推察することができますけれども、アメリカの経済は消費が多過ぎて困っている経済なのに対し、日本の経済というのは消費が少な過ぎて困っている経済で、貯蓄が多過ぎて不況になっているわけですね。必要なことは消費を開放してあげることで、消費を拡充してあげるそういう税制・財政政策が必要ではないかというふうに思っております。
さてそこで、では私たちはどういうことに手を出したらいいのかということでございますが、繰り返すようですけれども、抜本的な制度改革を織り込んだ予算を組むしかない。もちろん抜本的な改革というのは年月がかかりますけれども、そういう長期的な改革を視野に入れた予算を組むしかないだろうというふうに考えております。
やらなければならないことは二つありまして、一つは地方分権、もう一つは社会保障の総合化という制度改革だというふうに考えております。この二つの改革によって人々が安心して子供を育てて、そして安心して年を終えることのできるそういう生活を保障してあげること、言いかえれば社会的な安全のネットをもう一度張ってあげることだろうというふうに考えています。
第一の地方分権の方でございますが、これはこれまでも分権推進計画を立て政府はおやりになっていただいておりますけれども、税源移譲、国から地方への税源移譲を含んだ抜本的な地方分権に取り組む必要があるだろうというふうに考えております。こうした地方の抜本的な改革を行わなければ、現在の大量の公共事業、これが地方でもって消化できるかどうかわかりません。
御案内のとおり、日本のシステムでは公共事業を実施するのは地方ですから、現在の予算案を今消化できるだけのそういう体質、体力が地方財政の方に備わっているかどうか、私は甚だ疑問だというふうに言わざるを得ないと思います。
一九三〇年代にニューディール政策という政策が行われましたけれども、これは景気政策としてはうまくいきませんでした。それはなぜかというと、ルーズベルト大統領が公共事業を行って積極財政を打ったのですけれども、州、地方が緊縮財政を打たざるを得なかった、そのために、結果、政府部門全体として見ると景気をむしろ浮揚する効果にならなかったという経験がございます。
こうした経験にかんがみても、今景気政策を仮に実行してやるにしても、まず地方の財政、体力というものを拡充しておく必要があるというふうに思います。それには、税源を移譲すること。私は、所得税の定率的にかかっている基礎的な部分を国税から地方税に移していくことが基本になるだろうと思います。それに加えて、法人事業税の外形標準化、それから地方消費税を充実していく。こういったことを組み合わせて地方の税源の充実を図るべきだというふうに考えています。
このように分権を進めた上で、これまでのような国が現金給付で社会保障と公的扶助、社会保険と公的扶助というような、現金、お金を配ることによって人々の生活を守るのではなくて、地方政府が現物給付、実際にサービスを給付することによって社会的な安全のネットを張るということが必要なのではないかというふうに思います。
と申しますのも、現在のような現金による所得再分配、つまり市場で負けた人、市場で報われなかった人に市場の外側でお金を配るというやり方が現在うまくいかなくなっています。これは経済がグローバル化しボーダーレス化したからで、金融が非常に不安定になって振られているからでございます。
そこで、地方政府が福祉、医療、教育そして環境というような分野で人々の生活の不安を取り除くようなそういうサービス給付を行っていく、このことによって人々の生活を保障し守っていくという政策が必要だろうというふうに考えています。
こういう福祉サービスを充実していくと、そこから恐らく今後の新しい産業の芽が出てくるのではないか。そういう福祉サービスの中に、単純にそれを公共部門だけでやるのではなくて、民間部門も参入できるように取り上げてやる、そのことによって雇用の受け皿をつくってあげる。つまり、地方に福祉サービスをやらせることによって雇用の受け皿をつくる。短期的に受け皿をつくりながら、恐らくそこから技術革新が起こり、新しい福祉サービスのあり方というような産業が出てくるはずでございます。
もちろん、長期的に見ますと、国が新産業、技術革新をサポートするような研究開発、技術開発を進めていくということも必要ですけれども、同時に恐らく、必要は発明の母と申しますので、人々の生活の不便を取り除いてやるというところから新たな産業も出てくるというふうに考えています。
それから、公共事業の方もこれは思い切って分権化し、ユニバーサルデザインによる町づくりをすべきだというふうに考えます。これは、私も既に網膜剥離で目から血が出ているわけですが、例えば今のシステムですと、バリアをつくってフリーにするバリアフリーということが進んでいます。つまり、階段というバリアをつくっておいて、そして障害者専用の昇降機をつくってフリーにしてあげるということを進めているわけです。もちろんこれも重要なことでございますけれども、これではすべての人がユニバーサルにアクセスできる町じゃなくなってしまいます。
例えば、今ようやく乳母車を引いた母親が乳母車のまま電車に乗れるようになりましたけれども、乳母車を引いた母親があの昇降機を使わせてくださいと言っても使えないんですね。そうではなくて、むしろエレベーターとエスカレーターと階段、これはスウェーデンではセットにするということで運動を進めていますけれども、これをセットにしてあげる。そうすればすべての人がアクセスできる町になるんです。そうすると、今町は大改造しなければいけません。公共事業もそういう方向で進めていくときに来ているのではないかというふうに考えています。
私たちはそういうことをやると何かむだ遣いをしたような気がしますけれども、決してそうではありません。私たちは階段を上るときにはエネルギーを使いますけれども、おりるときには筋力を使います。そのためにお年寄りが階段から足を踏み外して頭を打って死ぬ人がふえていることは御存じのとおりでございます。エスカレーターをつくるにしても、上りのエスカレーターであれば、これは若い人たちのため、エネルギーを省略するためになりますが、下りのエスカレーターにすればお年寄りに優しい配慮をしたということになるんですね。
だから、今必要なことは、すべての人がアクセスできる町づくりをやれば、いずれ私たちが年をとったときにも必ず助けてくれることになるし、重い荷物を持ったとき、けがをしたとき、そういったときにすべて、情けは人のためならずで、必ず自分にも返ってくる、そういうユニバーサルな町づくりを進めるということをやらせることだと思います。
そのためには、公共の空間を人々の手の届くところに、目に見えるところに持ってきて、そこで人々に考えさせ、選択させる、そういうシステムをつくっていかなければなりませんので、分権を推し進める必要があるというふうに考えます。
それからもう一つは、同時に、今不安定化している社会保障を安定化させる、この努力を進めていかなければなりません。
私は、財政は競争ではなくて協力にすべきだ、つまり協力社会をつくるべきだというふうに考えています。市場の方では競争をやってもらって構いませんが、財政の方では協力社会をつくるべきだというふうに考えております。こういう協力社会にふさわしい年金、これは経済成長をしなくなれば現役世代も退役世代もお互いに痛みを分かち合えるような連帯のシステムをつくっていくということだと思います。そのためには、現在の方式を改めてすべて賦課方式にしてしまう、その上でもって確定拠出方式にして所得比例にする、かつこれを経済成長にリンクさせて給付を動かすようにする、この三つの仕組みをつくるということが重要だと思います。
私の時計でちょうど二十分でございますので、これで私のつたないお話を終えさせていただきます。拍手
この発言だけを見る →本日、ここに御列席の方々すべてが現在、日本のこの危機的な状況に心を痛め、日夜、血のにじむような努力をお続けのことと存じます。今すべての国民がこの不況に苦しみながら歯を食いしばって懸命に努力をいたしております。
しかしながら、残念なことに、すべての国民が懸命に努力をしているんだけれども、結果は空回りしてうまくいかない。それはどうしてなのか。我々は、この不況が構造的な不況でもって、どうも努力をしてもシステムを変えない限り結果はうまくいかないのではないか、そういう観点から大幅な大胆な構造的な改革を進める必要があるのではないかというふうに考えております。
先日発表されました経済戦略会議の報告によりますと、私の専門にしております税制、財政については、国民を二種類に分けて、努力をした人とそれから努力をしない人に分けた上で、努力をした人が報われる税制、それが公正な税制だというふうに書いてございます。
私は、国民をこのように努力をした人それからしない人というふうに分けてしまうということに、そういう国民観あるいは人間観に深い悲しみと絶望を覚えます。国民はすべて必死になって今努力をしています。ところが、市場の方では一生懸命努力をしても報われる人もそれから報われない人も出てくるんです。したがって、財政の方ではすべての国民が報われる、そういう仕組みをつくってあげること、そして今人々が感じている将来の不安をいち早く解消してあげること、それが重要なのではないかというふうに考えております。
そういう観点から現在の予算案を見てみたいと思いますが、お手元に資料をお配りしてございますので、ちょっと第一表と第二表をごらんいただきながら現在の日本の財政の姿を御確認いただきたいと思います。
第一表の方を見ていただきますと、日本の総支出の方を見ていただきたいと思いますが、総支出は一九九八年の見込みでもって三七・二でございますので、これはアメリカに次いで小さな政府でございますから、既に日本は世界的に見て小さな政府になっている。ところが、経常収入の方を見ていただきますと、経常収入の方は三一・一で、これは異常に小さな数値になっていることが御理解いただけるだろうと思います。つまり、租税などのような経常収入の比重が非常に低い、その結果、財政収支の方を見ていただきますと、一九九八年の見込みでもってマイナス六・一でございます。つまり、日本は小さな政府なんだけれども、大きな借金、大きな赤字、そういう財政構造になっているということがおわかりいただけるだろうと思います。
そして、第二表の方をちょっとごらんいただきたいと思いますが、第二表を見ていただきますと、日本の小さな政府という現状で一般政府支出、これは一般政府というのは地方政府と中央政府と社会保障基金、この三つの政府を合わせたものでございますが、この一般政府支出で見てみますと、消費支出、つまり人件費とかそれから物件費の消費支出は世界的に見てこれはもう異常に小さな値になっている。ところが、資本支出の方が小さな政府の中でも七・七と大きな数値になっているということですね。
それから、租税・社会保険料のGDP比の方をちょっと見ていただきたいと思いますが、これを見ていただきますと、日本は全体の負担率が世界的に見て極めて低い二八・四、一番低い値になっております。その中でも異常に低い値を示しているのが個人所得税で、この個人所得税の比率、個人所得税というのはこれは地方の住民税も含んだ値でございますが、これが五・七という低い値になっていて、異常に低い値になっている。
先ほど見ました、小さな政府なんだけれども借金が多い、公債の発行高が多くなっているというのは、恐らく資本支出の多さに反映されている。資本支出が多いものですから、ある程度公債を発行してもいいんじゃないかという論理になっているんではないか。それから、収入の低さは特に個人所得税の低さにあらわれているということをちょっと御理解いただきたいというふうに思います。
この結果、今現在の予算案を見てみますと、どうも私の感じからいうと悲観的にならざるを得ません。と申しますのは、これから必要なことはこの構造を、先ほど申しましたように今は一八七〇年代、今から百年前に起きたような一八七〇年代と同じように構造的な不況なんですね。つまり、世界が近代から現代に動くように、現代からポスト現代に動くような非常に大きな転換点でございますので、大きな構造改革が必要です。
そうしますと、財政の構造も大きく変えなければならないということになるのですが、どうもこの構造をいわば増幅するような形になるのではないか。個人所得税の方は減税になる、それから公共事業の方はふえていくということになるわけですから、やや今の構造をそのまま追認して増幅するようなそういう予算案になっているのではないかというふうに考えています。
かつ、この予算案が景気に大きな刺激効果があるかというと、これについても私は悲観的にならざるを得ません。というのは、この世紀末の不況というのは、繰り返すようですが、構造的な不況なんですね。したがって、これまでも繰り返し減税と公共事業でもって、いわば病気になった人に解熱剤を与えるような形で景気の回復を図ろうとしてきました。しかし、そうすると、解熱剤をやめると本来の病気が治っていないものですからまた不況になってしまう、これを繰り返してきたわけですね。
皆さんは御記憶がおありでしょうが、一九九五年、一九九六年、一時的に景気がフローでもって回復いたしました。その後すぐに財政構造改革に移ってしまったわけですが、結局、構造的な改革をしない限り、解熱剤をやめるとまた不況に陥るということを繰り返すだけだ。解熱剤を多用すると私たちでも胃に穴があいたり副作用が起こるように、解熱剤のみを使い過ぎると副作用は大きくなる。それよりも今必要なのは、基本的な患部、最も根本的な問題点を外科的な手術によってえぐり出す制度改革を行うことではないかというふうに考えております。
減税一つとってみましても、最高税率の引き下げ、それから定率減税、それから法人税の減税というようなものがどうも景気に直ちに効果を与えるようには思えません。これは恐らく一九八一年のレーガン政権がやった経済再建税法を模範にとっているのではないかと推察することができますけれども、アメリカの経済は消費が多過ぎて困っている経済なのに対し、日本の経済というのは消費が少な過ぎて困っている経済で、貯蓄が多過ぎて不況になっているわけですね。必要なことは消費を開放してあげることで、消費を拡充してあげるそういう税制・財政政策が必要ではないかというふうに思っております。
さてそこで、では私たちはどういうことに手を出したらいいのかということでございますが、繰り返すようですけれども、抜本的な制度改革を織り込んだ予算を組むしかない。もちろん抜本的な改革というのは年月がかかりますけれども、そういう長期的な改革を視野に入れた予算を組むしかないだろうというふうに考えております。
やらなければならないことは二つありまして、一つは地方分権、もう一つは社会保障の総合化という制度改革だというふうに考えております。この二つの改革によって人々が安心して子供を育てて、そして安心して年を終えることのできるそういう生活を保障してあげること、言いかえれば社会的な安全のネットをもう一度張ってあげることだろうというふうに考えています。
第一の地方分権の方でございますが、これはこれまでも分権推進計画を立て政府はおやりになっていただいておりますけれども、税源移譲、国から地方への税源移譲を含んだ抜本的な地方分権に取り組む必要があるだろうというふうに考えております。こうした地方の抜本的な改革を行わなければ、現在の大量の公共事業、これが地方でもって消化できるかどうかわかりません。
御案内のとおり、日本のシステムでは公共事業を実施するのは地方ですから、現在の予算案を今消化できるだけのそういう体質、体力が地方財政の方に備わっているかどうか、私は甚だ疑問だというふうに言わざるを得ないと思います。
一九三〇年代にニューディール政策という政策が行われましたけれども、これは景気政策としてはうまくいきませんでした。それはなぜかというと、ルーズベルト大統領が公共事業を行って積極財政を打ったのですけれども、州、地方が緊縮財政を打たざるを得なかった、そのために、結果、政府部門全体として見ると景気をむしろ浮揚する効果にならなかったという経験がございます。
こうした経験にかんがみても、今景気政策を仮に実行してやるにしても、まず地方の財政、体力というものを拡充しておく必要があるというふうに思います。それには、税源を移譲すること。私は、所得税の定率的にかかっている基礎的な部分を国税から地方税に移していくことが基本になるだろうと思います。それに加えて、法人事業税の外形標準化、それから地方消費税を充実していく。こういったことを組み合わせて地方の税源の充実を図るべきだというふうに考えています。
このように分権を進めた上で、これまでのような国が現金給付で社会保障と公的扶助、社会保険と公的扶助というような、現金、お金を配ることによって人々の生活を守るのではなくて、地方政府が現物給付、実際にサービスを給付することによって社会的な安全のネットを張るということが必要なのではないかというふうに思います。
と申しますのも、現在のような現金による所得再分配、つまり市場で負けた人、市場で報われなかった人に市場の外側でお金を配るというやり方が現在うまくいかなくなっています。これは経済がグローバル化しボーダーレス化したからで、金融が非常に不安定になって振られているからでございます。
そこで、地方政府が福祉、医療、教育そして環境というような分野で人々の生活の不安を取り除くようなそういうサービス給付を行っていく、このことによって人々の生活を保障し守っていくという政策が必要だろうというふうに考えています。
こういう福祉サービスを充実していくと、そこから恐らく今後の新しい産業の芽が出てくるのではないか。そういう福祉サービスの中に、単純にそれを公共部門だけでやるのではなくて、民間部門も参入できるように取り上げてやる、そのことによって雇用の受け皿をつくってあげる。つまり、地方に福祉サービスをやらせることによって雇用の受け皿をつくる。短期的に受け皿をつくりながら、恐らくそこから技術革新が起こり、新しい福祉サービスのあり方というような産業が出てくるはずでございます。
もちろん、長期的に見ますと、国が新産業、技術革新をサポートするような研究開発、技術開発を進めていくということも必要ですけれども、同時に恐らく、必要は発明の母と申しますので、人々の生活の不便を取り除いてやるというところから新たな産業も出てくるというふうに考えています。
それから、公共事業の方もこれは思い切って分権化し、ユニバーサルデザインによる町づくりをすべきだというふうに考えます。これは、私も既に網膜剥離で目から血が出ているわけですが、例えば今のシステムですと、バリアをつくってフリーにするバリアフリーということが進んでいます。つまり、階段というバリアをつくっておいて、そして障害者専用の昇降機をつくってフリーにしてあげるということを進めているわけです。もちろんこれも重要なことでございますけれども、これではすべての人がユニバーサルにアクセスできる町じゃなくなってしまいます。
例えば、今ようやく乳母車を引いた母親が乳母車のまま電車に乗れるようになりましたけれども、乳母車を引いた母親があの昇降機を使わせてくださいと言っても使えないんですね。そうではなくて、むしろエレベーターとエスカレーターと階段、これはスウェーデンではセットにするということで運動を進めていますけれども、これをセットにしてあげる。そうすればすべての人がアクセスできる町になるんです。そうすると、今町は大改造しなければいけません。公共事業もそういう方向で進めていくときに来ているのではないかというふうに考えています。
私たちはそういうことをやると何かむだ遣いをしたような気がしますけれども、決してそうではありません。私たちは階段を上るときにはエネルギーを使いますけれども、おりるときには筋力を使います。そのためにお年寄りが階段から足を踏み外して頭を打って死ぬ人がふえていることは御存じのとおりでございます。エスカレーターをつくるにしても、上りのエスカレーターであれば、これは若い人たちのため、エネルギーを省略するためになりますが、下りのエスカレーターにすればお年寄りに優しい配慮をしたということになるんですね。
だから、今必要なことは、すべての人がアクセスできる町づくりをやれば、いずれ私たちが年をとったときにも必ず助けてくれることになるし、重い荷物を持ったとき、けがをしたとき、そういったときにすべて、情けは人のためならずで、必ず自分にも返ってくる、そういうユニバーサルな町づくりを進めるということをやらせることだと思います。
そのためには、公共の空間を人々の手の届くところに、目に見えるところに持ってきて、そこで人々に考えさせ、選択させる、そういうシステムをつくっていかなければなりませんので、分権を推し進める必要があるというふうに考えます。
それからもう一つは、同時に、今不安定化している社会保障を安定化させる、この努力を進めていかなければなりません。
私は、財政は競争ではなくて協力にすべきだ、つまり協力社会をつくるべきだというふうに考えています。市場の方では競争をやってもらって構いませんが、財政の方では協力社会をつくるべきだというふうに考えております。こういう協力社会にふさわしい年金、これは経済成長をしなくなれば現役世代も退役世代もお互いに痛みを分かち合えるような連帯のシステムをつくっていくということだと思います。そのためには、現在の方式を改めてすべて賦課方式にしてしまう、その上でもって確定拠出方式にして所得比例にする、かつこれを経済成長にリンクさせて給付を動かすようにする、この三つの仕組みをつくるということが重要だと思います。
私の時計でちょうど二十分でございますので、これで私のつたないお話を終えさせていただきます。拍手
倉
倉田寛之#3
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。
次に、景気・経済について、公述人、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授・大阪大学社会経済研究所教授小野善康君の御意見を伺います。小野公述人。
この発言だけを見る →次に、景気・経済について、公述人、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授・大阪大学社会経済研究所教授小野善康君の御意見を伺います。小野公述人。
小
小野善康#4
○公述人(小野善康君) ただいま御紹介いただきました小野でございます。
きょうの私のお話は、経済運営の目的というのはまずそもそも何であるかという話、それから景気が今非常に悪いわけですが、これはなぜ起こったかという理解の話、それからそれに対する対策は何であるかという話、そういうことについて二十分お話をさせていただこうと思います。
まず、一番最初に申し上げた経済運営の目的とは何かということですが、これは実は大原理からいうと簡単であります。要するに、各国みんなそうでしょうけれども、日本という国が持っている経済的な資源、日本で一番重要な経済的資源というと実は労働力でありまして、人間をいかに有効に使うかということに尽きるんじゃないか。これは別に主義主張と関係なく正しいわけで、日本はもちろん資本主義社会にいるわけですが、たとえ共産主義社会においても、それはその国にいる労働者をいかに使うかということを考えているわけで、もちろん手段のよしあしはあるわけですが、全く同じであります。
資本主義社会の場合にはそれを市場の力というものでいかにうまく使っていくか、実は市場の力の方がいいんだという発想で多分資本主義社会は成り立っているんじゃないか。その点については私も全く同じでありまして、資本主義社会の方がよほど効率よく労働資源を使うと思うんですが、それでは万全かというと実は万全ではない。それが特に激しく出てきたのはバブル以降この十年ぐらい、特にこの二、三年皆さんそれについてちゃんと意識をし出したということです。
労働資源をちゃんと使うということでありますが、それは景気のいいときと悪いときではかなり違ってくる。景気のいいときというのは皆さん忙しい、全員が働いているわけです。そのときに、じゃ有効に使うというのは何かというと、既に使われている人をさらに有効に使うということでありますから、効率の悪いところで生産している人たちに対して、その人たちの生産をやめさせて効率のいいところに人を配置し直して、よりその生産性を上げていただく。
ここで、皆さん誤解はないと思いますが、私が申し上げたい生産性というのは、何もいわゆる衣食住というか、自分が消費するものだけを言っているわけではないわけでありまして、自然環境でももちろんいいわけですし、すべて含めて、例えば介護のための設備でももちろんいいわけですし、我々国民がいかに快適に過ごしていくか、何が欲しくて、どうやってどういう環境の中で生きていきたいかという、こういう総体的なものを含めて何を生み出すことができるか、もちろんそういう意味で申し上げているわけです。今申し上げたように、完全雇用のときは、それぞれ働いている人たちをいかに再配分して最も効率のいい生産体制に持っていくかということが重要なわけです。
そのとき市場のメカニズムというのは非常にいいわけでありまして、みんな欲しいし、かつ余りないというものについては価格が高くなるわけですから、そちらがもうかる、だから民間に任せておけばどんどん民間は参入してそこの生産はふえていく。さらに、みんな欲しくない、かつ生産が安くできるというようなところはどんどん価格が下がるわけでありまして、その場合には、そこは余りもうからないというので企業が抜けていくというように、非常にうまくメカニズムが働くわけです。
さて、失業の場合はどうであるか。
現在のような不況の場合でありますが、このときも全く同じでありまして、日本にある労働資源をちゃんと使おう、そういうことが目的であります。ただし、その状況の大きな差というのは、日本に完全雇用のときにはなかった大きな部門が存在しているんだと。その大きな部門というのは何かというと、これは最も効率が悪い部門でありまして、これはあえて名前をつければ失業部門という部門であります。
これは、一昨日ですかの新聞でも出ていて、三百万人近い人が働いていない。それから、さらに実際に企業に一応所属はしているけれどもちゃんと働いていないという人まで含めれば、それはもう倍をはるかに超えるんではないか。それだけの人が働いていないという部門、これは、完全雇用のときの少々効率が悪い部門でこんな要らないものはないとかいうようなレベルではない、とてつもなく効率の悪い部門なわけです。
しかも、我々は、別にそういう人たちを無理に働かそうと言っているわけではなくて、そういう人たちは働きたいわけであります。つまり、雇用も欲しいし、ちゃんと自分は役立って働きたいと思っている。にもかかわらずそういう場が与えられないということになっている。この点は、先ほど神野さんがおっしゃっていた、経済戦略会議の言っている、努力をする人は報われ、しない人は報われない、報われないというかある程度罰があるような社会ということをおっしゃっていて、それについては疑問があるとおっしゃっていましたが、全くそれを私もシェアするあれでありまして、みんな努力をしようとしても場が与えられていないというのが現状なのであります。
さて、そのような状況は何で起こったかということをちゃんと理解してからそれに対処する方法を考えなければいけないわけで、これは、ごく簡単に言えばみんな物を買わなくなった、こういうことであります。なぜ物を買わなくなったかというと、これも単純なことでありますが、要素は二つあります。一つは、皆さんの財布の中身が貧しくなった。これは一見、我々の生産性あるいはみんなの努力、能力はほとんどバブルのときと、ほとんどというよりも全く変わっていない。あるいは、今はもっと真剣になっているのでその意味では生産性が上がっているかもしれない、潜在的には。にもかかわらず皆さんの財布の中身は縮んじゃった。
なぜかと言うと、これはバブルが崩壊したからであります。すなわち、地価も下がり、株価も下がってしまった。この二つは、実は物理的な量、例えば土地の量は全く同じでありますし、それから株だって、企業の数は余り変わっていない。もちろん、小さな中小企業がつぶれる数が多いとか、そういうことは実際あるわけですが、ともかく株式の少なくとも紙としての数はほとんど変わっていない。
ところが、それ自身の価値が、皆さんの評価額が激しく変わってしまった。昨年暮れの日経新聞の夕刊を見ると、バブル以降千二百八十五兆円消えてしまった、こういうことを言っている。皆さん御存じのとおり、現在の民間の金融資産の量自身が千二百兆であります。ですから、その規模と同じ量がなくなっちゃったわけですから、直接、間接に皆さんの財布の中身は激しく減ってしまったということがあります。
それからもう一つ、これは重要なことですが、皆さんの欲しい物がなくなってしまった。これはもうちょっと長期的な構造的な問題かもしれませんが、日本は戦後追いつき追い越せという形で一生懸命アメリカを具体的に言えば追っかけてきたと思うんですが、実際に欲しい物はいつもアメリカの生活の中にあったという状況ですから、欲しい物をつくればどんどんみんな買ってくれた。つまり需要を心配する必要はなかった。ところが、今考えてみればほとんどみんなある。ですから、よく不況の話でいろいろな方とお話ししていると、これはそんなにまずい状況なのかと言う人がどんどん出てくるわけです。つまり、自分の身の回りに全部ある、別に困ってもいない、バブルのときは異常だった、こういうことをおっしゃるわけです。そういうことがある。
それは実は非常に危険なことの前兆でありまして、つまり不況が長引くということは、私は国立大学というところに籍を置いていますので私も含めてですが、要するに雇用が安定している者、それから企業にとっても、もちろんこういう状況にあっても非常に成績のいい企業があるわけで、それは新しい製品を開発したり世界で大きなシェアを持ったりするような企業があるわけですが、そういうところで働いている方たちは別に困っていないわけです。困っていなくて、かつ物価は安定している。すなわち逆に言うと下がってくる。これは落ちついて、しかも自分は生活は困らない、こんないいことはないというような状況にすら長期化すればするほどなってしまう。要するに、一時の、かつての狂乱物価のような状況、もちろん自分の所得も上がってくるけれども物価はどんどん上がっていく、そんなような状況じゃとんでもないと思っているかもしれない。
ところが、そういうしわ寄せが全部失業者に来てしまっている。そこに問題があるわけでありまして、その失業者の人たちは、じゃ、そのときどうしたらいいかというと、実際に力を持っているというか社会的に発言力のある人は、私は今でもいいんじゃないか、かえって落ちついていると言っているし、変えてくれなかったら自分たちは失業のままでいるし、さらに、あなたたちは努力をしない人たちだ、だから努力をすれば報われるのだ、こういう社会がいいということになってしまうと、本当に逃げ道がなくなってしまうのではないかと思われるわけです。
さて、そういう状況にありまして、どういう論争があったかというと、いわゆる構造改革派とそれから積極財政という二つの流れがこのバブル以降両方揺れ動いていた。ほんの二、三年前まではいわゆる構造改革派という人たちが非常に力を持っていた。この予算を見ましても、非常にこの二年、一年の間にさま変わりでありまして、緊縮財政からもう一気に積極財政になっている。
私は、その方向自身は別に悪くないと思うのでありますが、非常に注意しなければいけないのは、ちょっと振り返ると、じゃこれはついこの間の、数年前の、政府はむだ遣いばかりしているのでけしからぬと言っていた状況にただ戻るんじゃないか、それを行ったり来たりしていてもしようがないのではないかという印象を持たれるんじゃないか。それは、私は議論の軸というか議論の右左の軸がもうそもそも間違っているんじゃないか。
これはどういうことかといいますと、金を使うか使わないかで議論されている。小さな政府というのは一生懸命倹約しよう、なるべく使わないようにしようという発想から出てくるものであって、大きな政府というのはどんどん使いましょう、お金をまけばそれに対応してどれだけGDPが上がりますというような話になる。経済企画庁長官の発言なんかをきのうラジオで聞いていましたが、そこでも、要するにこれだけの財政支出をするんだから来年度は何%ぐらいの成長は見込まれるだろう、こういう言い方をされています。しかし、そんな単純なものではないわけです。
簡単な例で言えば、例えば全規模で八十兆円という額を出した、これをすべてコンクリートの塊に使った、さらにそれを海に捨てた、こういうことをやったとします。これはもう皆さんすぐおわかりでしょうけれども、全くのむだでありまして、何もしていないのと一緒です。強いて言えばコンクリート代がむだになった、これだけのことですが、何もしていないのと一緒だ。その結果GDPは上がるわけです。つまり、八十兆円だけ支出はふえた、今まで買われなかったコンクリートはちゃんと買われたわけだからふえた。ふえて、これでよかった、めでたしめでたしでは決してないわけです。
ですから、お金を使ったか使わないか、需要がふえたかふえないか、これだけで経済運営はうまくいったかいかないかという判断をされては全く話にならないと思われるわけです。
さて、そういうような発想で見ますと、結局結論は簡単でありまして、じゃそのお金をどう使えばいいんだというその使い道が重要だと。
だから、別に八十兆円でなくてもいいわけでありまして、十兆円でもいいからちゃんと使おう、あるいは百兆でもいいからちゃんと使おうと。そのちゃんと使うということだけが重要なわけであります。ちゃんと使うという意味では、いわば経済の規模を大きくしようという方向で申し上げているんですが、これは実質上多くしようという意味で申し上げているわけです。
構造改革について私は批判的な言い方を少ししたんですが、実はこれは構造改革というものも二つあるということを今ここで申し上げたい。一つは内向きの構造改革でありまして、もう一つは外向きだと。
内向きというのはどういうことかというと、今まで使っていたものをなるべく倹約しましょう、悪いところはどんどんつぶしましょうという、いわばむだの排除というか、スリム化とよく言いますけれども、そういうものですね。これは既存のあるものをどんどんつぶしましょうという発想です。この発想の裏には失業というものが一切思考の中から欠落している。すなわち、効率悪いけれども何とか働いている人たちあるいは機械、そういうものを一生懸命スリム化すると、行き着く先は何かといえば失業であり、何も使わないという状況であります。
もう一つ。私はこの構造改革ならどんどんやれということですが、外向きの構造改革。これは何かというと、新しい産業をつくるとか新しい事業をつくるとか、これは知恵が要るわけです。すなわち倹約して、要するにけちけちやるということは知恵は要らない。要らないと言うと言い過ぎになりますが、大した知恵は要らない。しかし、何かいいことに使おうというのは必ず知恵が要るわけです。民間の企業を見てみましても、知恵のある企業というか大きく発展する企業というのは、一生懸命けちけちやって紙は半分使い、それから人員も一生懸命削減しよう、こういう企業が大きく世界に発展したというのは私は余り聞いたことがありません。そうじゃなくて、何かいいものをつくろう、みんなが驚くようなものをつくろう、みんなが欲しがるものをつくろうと、こういう企業がまさに発展していくわけであります。そういう意味でいうと、国の公共支出もそういうものだというふうに思うわけです。
そういう点から見まして、じゃ公共支出というか積極財政の中身を点検してみますと、本年度の予算の概要みたいなものを少し見させていただくと、一番最初にまず減税だと書いてある。恒久減税とかそういう表現をしています。しかし、よく考えてみますと、これほどむだな金の使い方はないわけであります。減税というのは何かというと、皆さんから今、国債であれば将来ですが、増税であればもちろん現在ですが、どこかからお金を取ってきてただ配る、これが減税であります。あるいは、地域振興券もあえて言えばそうでありまして、これは皆さんからお金を取ってきて二万円ずつその資格者に配る、こういうことであります。しかし、よく考えてみますと、二万円だけ配るというのは、ただお金を持ってきて返すだけですから、合計からいえば全然変わっていないわけです。実際何にもお金を多くしているわけじゃないわけです。国債を今度ふやすということは、皆さんの資産がふえているかというと、やっぱりふえていないわけでありまして、同額だけ国の負債がふえている。
だから、結局、そういうお金を右から左に持っていくということを一生懸命やろうとしてもほとんど何の効果もないということは想像がつくと思います。さらに、一番最初に申し上げた千二百八十五兆という資産がなくなっちゃっている状況で数十兆を、しかも右から左に回して景気が回復すると考えられるほど単純な状況じゃないというのはちょっと考えればすぐおわかりになると思う。
そのときに、例えば先ほどの地域振興券的なものは非常にわかりやすいと思うんですが、二万円ずつ皆さんにお配りするというときに、その二万円に対応して何か社会に役立つことをやってください、二万円お支払いします、しかし役立つことをやってくださいと。例えばお隣に御老人がいらっしゃる。じゃ、その方をおふろに入れてあげてくださいと。これをやりますと大量の介護人員ができて、しかも日本の介護問題は少なくともその日一日は解決するかもしれないというように、ただ金を回す減税に対して、実際それをどうやって使おうかということを考えることが物すごく重要じゃないか。
それは、先ほどから申し上げているように知恵が要ることでありまして、現在は民間が知恵を出して一生懸命必要な資源である労働資源を使おうということができない状況でありますから、これをやるところはだれかといったら皆さんしかいない、つまり政府部門しかないわけです。その政府部門が知恵を出さずに、単にお金を回すだけというような一番安易な方法でやっていたら全く何の解決にもならない、これが景気の回復につながるというのも全く私は起こらないんじゃないかと、こういうふうに思うわけであります。
もう時間になりましたので、一つだけ最後に、最近ちょっと新聞に書かせていただいたダイオキシン問題のことで例だけ申し上げます。
ダイオキシン問題で今大騒ぎしていて、これは解決するにはどうしたらいいかというのは簡単でありまして、設備をつくり変えればいいわけです。簡単な話です。一生懸命調査したってしようがない。つくり変えればいいわけです。ところが、つくり変えるのに何が問題かというと、金がかかる、こういうことであります。
金がかかるからいけないと言っているんですが、よく考えてみますと、金がかかるために、じゃ皆さんから増税しようと。増税してその分で設備をつくり変えた。全然ダイオキシンが出ない設備が例えばできたとします。では、そのときお金は皆さんから取ったからなくなったか。なくならないわけであります。なぜか。それをつくるときに皆さんにまたお返ししているわけです。皆さんというのは民間ですね、民間に返している。そのとき、もちろん所得の再分配の不公平が起こるかもしれない。それは調整すればいいわけです。
いずれにしても、金を回しただけで一銭も使わないでダイオキシンの設備はきれいになる、こういうことであります。ですから、単に金を回すことだけじゃなくて、それに伴って一つでもいいからきれいな設備に直していくというようなことを考えていただいたらいかがでしょうか。
以上で終わらせていただきます。拍手
この発言だけを見る →きょうの私のお話は、経済運営の目的というのはまずそもそも何であるかという話、それから景気が今非常に悪いわけですが、これはなぜ起こったかという理解の話、それからそれに対する対策は何であるかという話、そういうことについて二十分お話をさせていただこうと思います。
まず、一番最初に申し上げた経済運営の目的とは何かということですが、これは実は大原理からいうと簡単であります。要するに、各国みんなそうでしょうけれども、日本という国が持っている経済的な資源、日本で一番重要な経済的資源というと実は労働力でありまして、人間をいかに有効に使うかということに尽きるんじゃないか。これは別に主義主張と関係なく正しいわけで、日本はもちろん資本主義社会にいるわけですが、たとえ共産主義社会においても、それはその国にいる労働者をいかに使うかということを考えているわけで、もちろん手段のよしあしはあるわけですが、全く同じであります。
資本主義社会の場合にはそれを市場の力というものでいかにうまく使っていくか、実は市場の力の方がいいんだという発想で多分資本主義社会は成り立っているんじゃないか。その点については私も全く同じでありまして、資本主義社会の方がよほど効率よく労働資源を使うと思うんですが、それでは万全かというと実は万全ではない。それが特に激しく出てきたのはバブル以降この十年ぐらい、特にこの二、三年皆さんそれについてちゃんと意識をし出したということです。
労働資源をちゃんと使うということでありますが、それは景気のいいときと悪いときではかなり違ってくる。景気のいいときというのは皆さん忙しい、全員が働いているわけです。そのときに、じゃ有効に使うというのは何かというと、既に使われている人をさらに有効に使うということでありますから、効率の悪いところで生産している人たちに対して、その人たちの生産をやめさせて効率のいいところに人を配置し直して、よりその生産性を上げていただく。
ここで、皆さん誤解はないと思いますが、私が申し上げたい生産性というのは、何もいわゆる衣食住というか、自分が消費するものだけを言っているわけではないわけでありまして、自然環境でももちろんいいわけですし、すべて含めて、例えば介護のための設備でももちろんいいわけですし、我々国民がいかに快適に過ごしていくか、何が欲しくて、どうやってどういう環境の中で生きていきたいかという、こういう総体的なものを含めて何を生み出すことができるか、もちろんそういう意味で申し上げているわけです。今申し上げたように、完全雇用のときは、それぞれ働いている人たちをいかに再配分して最も効率のいい生産体制に持っていくかということが重要なわけです。
そのとき市場のメカニズムというのは非常にいいわけでありまして、みんな欲しいし、かつ余りないというものについては価格が高くなるわけですから、そちらがもうかる、だから民間に任せておけばどんどん民間は参入してそこの生産はふえていく。さらに、みんな欲しくない、かつ生産が安くできるというようなところはどんどん価格が下がるわけでありまして、その場合には、そこは余りもうからないというので企業が抜けていくというように、非常にうまくメカニズムが働くわけです。
さて、失業の場合はどうであるか。
現在のような不況の場合でありますが、このときも全く同じでありまして、日本にある労働資源をちゃんと使おう、そういうことが目的であります。ただし、その状況の大きな差というのは、日本に完全雇用のときにはなかった大きな部門が存在しているんだと。その大きな部門というのは何かというと、これは最も効率が悪い部門でありまして、これはあえて名前をつければ失業部門という部門であります。
これは、一昨日ですかの新聞でも出ていて、三百万人近い人が働いていない。それから、さらに実際に企業に一応所属はしているけれどもちゃんと働いていないという人まで含めれば、それはもう倍をはるかに超えるんではないか。それだけの人が働いていないという部門、これは、完全雇用のときの少々効率が悪い部門でこんな要らないものはないとかいうようなレベルではない、とてつもなく効率の悪い部門なわけです。
しかも、我々は、別にそういう人たちを無理に働かそうと言っているわけではなくて、そういう人たちは働きたいわけであります。つまり、雇用も欲しいし、ちゃんと自分は役立って働きたいと思っている。にもかかわらずそういう場が与えられないということになっている。この点は、先ほど神野さんがおっしゃっていた、経済戦略会議の言っている、努力をする人は報われ、しない人は報われない、報われないというかある程度罰があるような社会ということをおっしゃっていて、それについては疑問があるとおっしゃっていましたが、全くそれを私もシェアするあれでありまして、みんな努力をしようとしても場が与えられていないというのが現状なのであります。
さて、そのような状況は何で起こったかということをちゃんと理解してからそれに対処する方法を考えなければいけないわけで、これは、ごく簡単に言えばみんな物を買わなくなった、こういうことであります。なぜ物を買わなくなったかというと、これも単純なことでありますが、要素は二つあります。一つは、皆さんの財布の中身が貧しくなった。これは一見、我々の生産性あるいはみんなの努力、能力はほとんどバブルのときと、ほとんどというよりも全く変わっていない。あるいは、今はもっと真剣になっているのでその意味では生産性が上がっているかもしれない、潜在的には。にもかかわらず皆さんの財布の中身は縮んじゃった。
なぜかと言うと、これはバブルが崩壊したからであります。すなわち、地価も下がり、株価も下がってしまった。この二つは、実は物理的な量、例えば土地の量は全く同じでありますし、それから株だって、企業の数は余り変わっていない。もちろん、小さな中小企業がつぶれる数が多いとか、そういうことは実際あるわけですが、ともかく株式の少なくとも紙としての数はほとんど変わっていない。
ところが、それ自身の価値が、皆さんの評価額が激しく変わってしまった。昨年暮れの日経新聞の夕刊を見ると、バブル以降千二百八十五兆円消えてしまった、こういうことを言っている。皆さん御存じのとおり、現在の民間の金融資産の量自身が千二百兆であります。ですから、その規模と同じ量がなくなっちゃったわけですから、直接、間接に皆さんの財布の中身は激しく減ってしまったということがあります。
それからもう一つ、これは重要なことですが、皆さんの欲しい物がなくなってしまった。これはもうちょっと長期的な構造的な問題かもしれませんが、日本は戦後追いつき追い越せという形で一生懸命アメリカを具体的に言えば追っかけてきたと思うんですが、実際に欲しい物はいつもアメリカの生活の中にあったという状況ですから、欲しい物をつくればどんどんみんな買ってくれた。つまり需要を心配する必要はなかった。ところが、今考えてみればほとんどみんなある。ですから、よく不況の話でいろいろな方とお話ししていると、これはそんなにまずい状況なのかと言う人がどんどん出てくるわけです。つまり、自分の身の回りに全部ある、別に困ってもいない、バブルのときは異常だった、こういうことをおっしゃるわけです。そういうことがある。
それは実は非常に危険なことの前兆でありまして、つまり不況が長引くということは、私は国立大学というところに籍を置いていますので私も含めてですが、要するに雇用が安定している者、それから企業にとっても、もちろんこういう状況にあっても非常に成績のいい企業があるわけで、それは新しい製品を開発したり世界で大きなシェアを持ったりするような企業があるわけですが、そういうところで働いている方たちは別に困っていないわけです。困っていなくて、かつ物価は安定している。すなわち逆に言うと下がってくる。これは落ちついて、しかも自分は生活は困らない、こんないいことはないというような状況にすら長期化すればするほどなってしまう。要するに、一時の、かつての狂乱物価のような状況、もちろん自分の所得も上がってくるけれども物価はどんどん上がっていく、そんなような状況じゃとんでもないと思っているかもしれない。
ところが、そういうしわ寄せが全部失業者に来てしまっている。そこに問題があるわけでありまして、その失業者の人たちは、じゃ、そのときどうしたらいいかというと、実際に力を持っているというか社会的に発言力のある人は、私は今でもいいんじゃないか、かえって落ちついていると言っているし、変えてくれなかったら自分たちは失業のままでいるし、さらに、あなたたちは努力をしない人たちだ、だから努力をすれば報われるのだ、こういう社会がいいということになってしまうと、本当に逃げ道がなくなってしまうのではないかと思われるわけです。
さて、そういう状況にありまして、どういう論争があったかというと、いわゆる構造改革派とそれから積極財政という二つの流れがこのバブル以降両方揺れ動いていた。ほんの二、三年前まではいわゆる構造改革派という人たちが非常に力を持っていた。この予算を見ましても、非常にこの二年、一年の間にさま変わりでありまして、緊縮財政からもう一気に積極財政になっている。
私は、その方向自身は別に悪くないと思うのでありますが、非常に注意しなければいけないのは、ちょっと振り返ると、じゃこれはついこの間の、数年前の、政府はむだ遣いばかりしているのでけしからぬと言っていた状況にただ戻るんじゃないか、それを行ったり来たりしていてもしようがないのではないかという印象を持たれるんじゃないか。それは、私は議論の軸というか議論の右左の軸がもうそもそも間違っているんじゃないか。
これはどういうことかといいますと、金を使うか使わないかで議論されている。小さな政府というのは一生懸命倹約しよう、なるべく使わないようにしようという発想から出てくるものであって、大きな政府というのはどんどん使いましょう、お金をまけばそれに対応してどれだけGDPが上がりますというような話になる。経済企画庁長官の発言なんかをきのうラジオで聞いていましたが、そこでも、要するにこれだけの財政支出をするんだから来年度は何%ぐらいの成長は見込まれるだろう、こういう言い方をされています。しかし、そんな単純なものではないわけです。
簡単な例で言えば、例えば全規模で八十兆円という額を出した、これをすべてコンクリートの塊に使った、さらにそれを海に捨てた、こういうことをやったとします。これはもう皆さんすぐおわかりでしょうけれども、全くのむだでありまして、何もしていないのと一緒です。強いて言えばコンクリート代がむだになった、これだけのことですが、何もしていないのと一緒だ。その結果GDPは上がるわけです。つまり、八十兆円だけ支出はふえた、今まで買われなかったコンクリートはちゃんと買われたわけだからふえた。ふえて、これでよかった、めでたしめでたしでは決してないわけです。
ですから、お金を使ったか使わないか、需要がふえたかふえないか、これだけで経済運営はうまくいったかいかないかという判断をされては全く話にならないと思われるわけです。
さて、そういうような発想で見ますと、結局結論は簡単でありまして、じゃそのお金をどう使えばいいんだというその使い道が重要だと。
だから、別に八十兆円でなくてもいいわけでありまして、十兆円でもいいからちゃんと使おう、あるいは百兆でもいいからちゃんと使おうと。そのちゃんと使うということだけが重要なわけであります。ちゃんと使うという意味では、いわば経済の規模を大きくしようという方向で申し上げているんですが、これは実質上多くしようという意味で申し上げているわけです。
構造改革について私は批判的な言い方を少ししたんですが、実はこれは構造改革というものも二つあるということを今ここで申し上げたい。一つは内向きの構造改革でありまして、もう一つは外向きだと。
内向きというのはどういうことかというと、今まで使っていたものをなるべく倹約しましょう、悪いところはどんどんつぶしましょうという、いわばむだの排除というか、スリム化とよく言いますけれども、そういうものですね。これは既存のあるものをどんどんつぶしましょうという発想です。この発想の裏には失業というものが一切思考の中から欠落している。すなわち、効率悪いけれども何とか働いている人たちあるいは機械、そういうものを一生懸命スリム化すると、行き着く先は何かといえば失業であり、何も使わないという状況であります。
もう一つ。私はこの構造改革ならどんどんやれということですが、外向きの構造改革。これは何かというと、新しい産業をつくるとか新しい事業をつくるとか、これは知恵が要るわけです。すなわち倹約して、要するにけちけちやるということは知恵は要らない。要らないと言うと言い過ぎになりますが、大した知恵は要らない。しかし、何かいいことに使おうというのは必ず知恵が要るわけです。民間の企業を見てみましても、知恵のある企業というか大きく発展する企業というのは、一生懸命けちけちやって紙は半分使い、それから人員も一生懸命削減しよう、こういう企業が大きく世界に発展したというのは私は余り聞いたことがありません。そうじゃなくて、何かいいものをつくろう、みんなが驚くようなものをつくろう、みんなが欲しがるものをつくろうと、こういう企業がまさに発展していくわけであります。そういう意味でいうと、国の公共支出もそういうものだというふうに思うわけです。
そういう点から見まして、じゃ公共支出というか積極財政の中身を点検してみますと、本年度の予算の概要みたいなものを少し見させていただくと、一番最初にまず減税だと書いてある。恒久減税とかそういう表現をしています。しかし、よく考えてみますと、これほどむだな金の使い方はないわけであります。減税というのは何かというと、皆さんから今、国債であれば将来ですが、増税であればもちろん現在ですが、どこかからお金を取ってきてただ配る、これが減税であります。あるいは、地域振興券もあえて言えばそうでありまして、これは皆さんからお金を取ってきて二万円ずつその資格者に配る、こういうことであります。しかし、よく考えてみますと、二万円だけ配るというのは、ただお金を持ってきて返すだけですから、合計からいえば全然変わっていないわけです。実際何にもお金を多くしているわけじゃないわけです。国債を今度ふやすということは、皆さんの資産がふえているかというと、やっぱりふえていないわけでありまして、同額だけ国の負債がふえている。
だから、結局、そういうお金を右から左に持っていくということを一生懸命やろうとしてもほとんど何の効果もないということは想像がつくと思います。さらに、一番最初に申し上げた千二百八十五兆という資産がなくなっちゃっている状況で数十兆を、しかも右から左に回して景気が回復すると考えられるほど単純な状況じゃないというのはちょっと考えればすぐおわかりになると思う。
そのときに、例えば先ほどの地域振興券的なものは非常にわかりやすいと思うんですが、二万円ずつ皆さんにお配りするというときに、その二万円に対応して何か社会に役立つことをやってください、二万円お支払いします、しかし役立つことをやってくださいと。例えばお隣に御老人がいらっしゃる。じゃ、その方をおふろに入れてあげてくださいと。これをやりますと大量の介護人員ができて、しかも日本の介護問題は少なくともその日一日は解決するかもしれないというように、ただ金を回す減税に対して、実際それをどうやって使おうかということを考えることが物すごく重要じゃないか。
それは、先ほどから申し上げているように知恵が要ることでありまして、現在は民間が知恵を出して一生懸命必要な資源である労働資源を使おうということができない状況でありますから、これをやるところはだれかといったら皆さんしかいない、つまり政府部門しかないわけです。その政府部門が知恵を出さずに、単にお金を回すだけというような一番安易な方法でやっていたら全く何の解決にもならない、これが景気の回復につながるというのも全く私は起こらないんじゃないかと、こういうふうに思うわけであります。
もう時間になりましたので、一つだけ最後に、最近ちょっと新聞に書かせていただいたダイオキシン問題のことで例だけ申し上げます。
ダイオキシン問題で今大騒ぎしていて、これは解決するにはどうしたらいいかというのは簡単でありまして、設備をつくり変えればいいわけです。簡単な話です。一生懸命調査したってしようがない。つくり変えればいいわけです。ところが、つくり変えるのに何が問題かというと、金がかかる、こういうことであります。
金がかかるからいけないと言っているんですが、よく考えてみますと、金がかかるために、じゃ皆さんから増税しようと。増税してその分で設備をつくり変えた。全然ダイオキシンが出ない設備が例えばできたとします。では、そのときお金は皆さんから取ったからなくなったか。なくならないわけであります。なぜか。それをつくるときに皆さんにまたお返ししているわけです。皆さんというのは民間ですね、民間に返している。そのとき、もちろん所得の再分配の不公平が起こるかもしれない。それは調整すればいいわけです。
いずれにしても、金を回しただけで一銭も使わないでダイオキシンの設備はきれいになる、こういうことであります。ですから、単に金を回すことだけじゃなくて、それに伴って一つでもいいからきれいな設備に直していくというようなことを考えていただいたらいかがでしょうか。
以上で終わらせていただきます。拍手
倉
倉田寛之#5
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。
以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。
それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。
それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
質疑のある方は順次御発言願います。
日
日出英輔#6
○日出英輔君 神野公述人、小野公述人には大変歯切れのいいお話を伺い、また大変貴重な御意見を伺いましたので、私もそのことについて十分理解しているかどうかわかりませんが、二、三御質問をさせていただきたいと思います。
まず、神野公述人に伺いたいと思っておりますが、私も二、三、神野先生の日経新聞の「経済教室」なども読ませていただきましたが、地方分権ということから説き起こしている。もう少し言えば、きょうお話しのはもう少し大きな構造改革の必要性からお考えになっているのだろうと思いますが、先ほどの話で結論的に地方分権の方でおっしゃいましたのは、税源の移譲を含む抜本的な改革の必要性をお話しになったと思うんですが、その中で、所得税の基礎的な部分を移すというお話がございました。
今、地方と国という関係でございますけれども、地方とは一体何だというのを少し考えてみますと、これは端的に言いますと県なのか市町村なのかという議論が出てまいります。この場合は法人事業税ということでありますから県を指してお話しだと思いますが、一般に地方分権の話をいたしますと、住民の生活に近い分野での地方というものをよく志向いたしまして、地方分権地方分権と言いながら、大事な都道府県の役割というのを通常は見落としているような感じがいたします。これは私の個人的な見解でございます。一般には市町村の力を強くするという議論をしながら、実際の国と地方との分権その他は都道府県の力を強くするという話が実は多いわけであります。
そのギャップはちょっとおいておくことにしまして、例えば県の場合でもそうでありますが、東京、大阪といったところと、あるいはまあ具体的な地名を挙げてはちょっとまずうございますが、財政力格差といいましょうか、そういった地域間の格差が非常に大きなものが見られるように思います。今、先生のお話で言いますと、地方分権あるいは歳入自治権とおっしゃっておられましたでしょうか、こういったことは地域間のある種の競争にもなるわけでありますが、その前提としての地域間の体力の違い、こういうものが基本的にあるように思うわけであります。
これについて、今の先生のお話はもっと大きな流れからおっしゃっているわけでありまして、少し小さなことで御質問するのは恐縮でございますが、こういった地域間のレベルの差というものを先生のお話ではどういうふうに受けとめておられるのか、その辺についてまずお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →まず、神野公述人に伺いたいと思っておりますが、私も二、三、神野先生の日経新聞の「経済教室」なども読ませていただきましたが、地方分権ということから説き起こしている。もう少し言えば、きょうお話しのはもう少し大きな構造改革の必要性からお考えになっているのだろうと思いますが、先ほどの話で結論的に地方分権の方でおっしゃいましたのは、税源の移譲を含む抜本的な改革の必要性をお話しになったと思うんですが、その中で、所得税の基礎的な部分を移すというお話がございました。
今、地方と国という関係でございますけれども、地方とは一体何だというのを少し考えてみますと、これは端的に言いますと県なのか市町村なのかという議論が出てまいります。この場合は法人事業税ということでありますから県を指してお話しだと思いますが、一般に地方分権の話をいたしますと、住民の生活に近い分野での地方というものをよく志向いたしまして、地方分権地方分権と言いながら、大事な都道府県の役割というのを通常は見落としているような感じがいたします。これは私の個人的な見解でございます。一般には市町村の力を強くするという議論をしながら、実際の国と地方との分権その他は都道府県の力を強くするという話が実は多いわけであります。
そのギャップはちょっとおいておくことにしまして、例えば県の場合でもそうでありますが、東京、大阪といったところと、あるいはまあ具体的な地名を挙げてはちょっとまずうございますが、財政力格差といいましょうか、そういった地域間の格差が非常に大きなものが見られるように思います。今、先生のお話で言いますと、地方分権あるいは歳入自治権とおっしゃっておられましたでしょうか、こういったことは地域間のある種の競争にもなるわけでありますが、その前提としての地域間の体力の違い、こういうものが基本的にあるように思うわけであります。
これについて、今の先生のお話はもっと大きな流れからおっしゃっているわけでありまして、少し小さなことで御質問するのは恐縮でございますが、こういった地域間のレベルの差というものを先生のお話ではどういうふうに受けとめておられるのか、その辺についてまずお伺いしたいと思います。
神
神野直彦#7
○公述人(神野直彦君) 大変本質的な問題を日出先生からお尋ねしていただいたというふうに理解をいたしております。私の考えている地方分権について御質問をいただきまして、税源移譲、この場合に所得税の基礎部分を移すというようなことから御質問をしていただいて、その際の市町村と都道府県の関係、特に地域間における格差をどう考えるのかというお尋ねだったというふうに理解をいたしております。
私が考えている所得税の基礎部分の移しというのは、言いかえますと、住民税を比例税率にしてしまうということに近いのだというふうに御理解いただければと思います。
現在ですと、ごく単純に言ってしまえば、一番低い所得階層のところでは五%の住民税とそれから一〇%の国の所得税を納めているわけです。それから、住民税が五%、一〇%、一五%と三段階になっておりますので、高いところでは一五%の住民税とそれから非常に高い所得税。
これを仮に、例えば一〇%で比例税率にしてしまう、しかし国と地方を通じる税負担は変えない、こういうふうに設定しておきます。そういたしますと、五%で今まで住民税を納めていた人は住民税の方を一〇%、それから国の所得税の方を五%にする。今度は逆に、一五%の住民税を納めていた人は五%減税になって一〇%で、かつ国の方は増税になる。こういうふうな形にすればいいのではないかというふうに考えているわけでございます。そういたしますと、これは地域間格差は拡大をするというようなことにはなりません。
と申しますのは、地方税だけとってみますと、所得の貧しい人が増税になりまして、それから所得の非常に豊かな人が減税になるわけです。もちろん言うまでもありませんけれども、貧しい地方、つまり財政力のない、課税力のない地方というのは、所得の豊かな人が余り住んでいない貧しい人々が多い地方でございますし、それから豊かな地方というのは豊かな人々が多いということでございますから、こういうふうなことをいたしますと、豊かな地方では地方税は余り入らずに、貧しい地方で大幅に地方税が入ってくる、こういうことになるわけです。
ざっと計算いたしますと、日本では五%の税率で納めている人々が多いものですので、三兆円国税から地方税に移ることになりまして、かつ一番この計算で伸びないのは東京都で、伸びるのは山形県になります。したがって、自主財源、つまり自分の地域住民からいただく税金をふやしたといっても、必ずしも地域間格差が広がるわけではないと。
お話の地域間格差というのはあくまでも財政力の格差でございますので、財政力の格差が広がらないような形で工夫をすれば、例えば消費税なんかもそうですけれども、所得の貧しい人が住んでいる地方でも十分に税収が上がるような税の工夫をすれば、地域間の財政力格差を拡大せずに税源を移譲するということは可能だというふうに考えています。
この発言だけを見る →私が考えている所得税の基礎部分の移しというのは、言いかえますと、住民税を比例税率にしてしまうということに近いのだというふうに御理解いただければと思います。
現在ですと、ごく単純に言ってしまえば、一番低い所得階層のところでは五%の住民税とそれから一〇%の国の所得税を納めているわけです。それから、住民税が五%、一〇%、一五%と三段階になっておりますので、高いところでは一五%の住民税とそれから非常に高い所得税。
これを仮に、例えば一〇%で比例税率にしてしまう、しかし国と地方を通じる税負担は変えない、こういうふうに設定しておきます。そういたしますと、五%で今まで住民税を納めていた人は住民税の方を一〇%、それから国の所得税の方を五%にする。今度は逆に、一五%の住民税を納めていた人は五%減税になって一〇%で、かつ国の方は増税になる。こういうふうな形にすればいいのではないかというふうに考えているわけでございます。そういたしますと、これは地域間格差は拡大をするというようなことにはなりません。
と申しますのは、地方税だけとってみますと、所得の貧しい人が増税になりまして、それから所得の非常に豊かな人が減税になるわけです。もちろん言うまでもありませんけれども、貧しい地方、つまり財政力のない、課税力のない地方というのは、所得の豊かな人が余り住んでいない貧しい人々が多い地方でございますし、それから豊かな地方というのは豊かな人々が多いということでございますから、こういうふうなことをいたしますと、豊かな地方では地方税は余り入らずに、貧しい地方で大幅に地方税が入ってくる、こういうことになるわけです。
ざっと計算いたしますと、日本では五%の税率で納めている人々が多いものですので、三兆円国税から地方税に移ることになりまして、かつ一番この計算で伸びないのは東京都で、伸びるのは山形県になります。したがって、自主財源、つまり自分の地域住民からいただく税金をふやしたといっても、必ずしも地域間格差が広がるわけではないと。
お話の地域間格差というのはあくまでも財政力の格差でございますので、財政力の格差が広がらないような形で工夫をすれば、例えば消費税なんかもそうですけれども、所得の貧しい人が住んでいる地方でも十分に税収が上がるような税の工夫をすれば、地域間の財政力格差を拡大せずに税源を移譲するということは可能だというふうに考えています。
日
日出英輔#8
○日出英輔君 先生の説得力のあるお話で何かそういう気もいたしましたが、もう一度よく考えさせていただきたいと思います。
それから、今のお話とちょっと似ている話でありますが、先ほどのお話の中で、地方分権の関係で三つおっしゃった中の二つ目に、法人事業税の外形標準化の話が出ておりました。これは政府税調でも何かいろんな議論が出ているようでございますし、政府部内でも検討を急ぐという話になっているということで、一つの流れだと思うのでありますが、これも今のような地域間格差という面から見た場合にどういうことになるだろうか。
一般的には、赤字企業が困るからこれは導入できないとか、そういう話はよく聞くわけでありますけれども、もう一つ、これをどういう方式で取るかということにもよると思いますが、一般的に従業員数とかそういったところで取りますと、やはりこれもどちらかというと地域間格差というものがしっかり出てくるんではないだろうかという気がするわけでございますが、この点についてはどうでございましょうか。
この発言だけを見る →それから、今のお話とちょっと似ている話でありますが、先ほどのお話の中で、地方分権の関係で三つおっしゃった中の二つ目に、法人事業税の外形標準化の話が出ておりました。これは政府税調でも何かいろんな議論が出ているようでございますし、政府部内でも検討を急ぐという話になっているということで、一つの流れだと思うのでありますが、これも今のような地域間格差という面から見た場合にどういうことになるだろうか。
一般的には、赤字企業が困るからこれは導入できないとか、そういう話はよく聞くわけでありますけれども、もう一つ、これをどういう方式で取るかということにもよると思いますが、一般的に従業員数とかそういったところで取りますと、やはりこれもどちらかというと地域間格差というものがしっかり出てくるんではないだろうかという気がするわけでございますが、この点についてはどうでございましょうか。
神
神野直彦#9
○公述人(神野直彦君) 現在の法人事業税は御案内のとおり利潤でかかってございますので、私が言っている法人事業税というのは利潤よりもむしろ賃金部分にも少しかけてもらおう、こういうことを考えておりますから、現在よりも地域間格差がベースを広げた分だけ格差は是正されるというふうに考えております。
ただ、これもなかなか難しいことがございますが、できるだけ事業所ごと、今生産機能というのはかなり全国に散らばっているんですね。金融はちょっと集中しておりますけれども、生産機能はかなり散らばっておりますので、事業所ごとの課税が可能になれば、私は十分に地域間格差をそれほど拡大せずに、むしろ拡大しない方向に移るのだというふうに考えております。
それから、もう一つのポイントは、何か賃金にかけると赤字企業にかけるというような印象を受けますが、これは先ほど言いましたように、賃金をもらったところだけでかけてしまうと、結局、自分たちが生活している場所だけではなくて生産しているところでもいろいろ公共サービスを利用しているわけですね。かつ、これからの地方がやる公共サービスというのは恐らく今まで企業内の福祉でやっていたようなものが中心になるでしょうから、企業ごとに福祉をやるのではなくて、企業も少し地域にお任せいただきたい、そのかわりに賃金部分にも少し負担をしていただけないかというふうに考えた方がいいのではないかと考えております。
この発言だけを見る →ただ、これもなかなか難しいことがございますが、できるだけ事業所ごと、今生産機能というのはかなり全国に散らばっているんですね。金融はちょっと集中しておりますけれども、生産機能はかなり散らばっておりますので、事業所ごとの課税が可能になれば、私は十分に地域間格差をそれほど拡大せずに、むしろ拡大しない方向に移るのだというふうに考えております。
それから、もう一つのポイントは、何か賃金にかけると赤字企業にかけるというような印象を受けますが、これは先ほど言いましたように、賃金をもらったところだけでかけてしまうと、結局、自分たちが生活している場所だけではなくて生産しているところでもいろいろ公共サービスを利用しているわけですね。かつ、これからの地方がやる公共サービスというのは恐らく今まで企業内の福祉でやっていたようなものが中心になるでしょうから、企業ごとに福祉をやるのではなくて、企業も少し地域にお任せいただきたい、そのかわりに賃金部分にも少し負担をしていただけないかというふうに考えた方がいいのではないかと考えております。
日
日出英輔#10
○日出英輔君 少し私も勉強して、もう一度先生にいつかの機会に伺いたいと思っております。
それから、きょうお話しになった部分にも関係していると思いますが、そもそも論というとなんでございますけれども、地方分権と税源の移譲のそもそも論的な話でございますが、一般に今の戦後の税制の基本、国税と地方税のあり方について言いますと、基本的にいろんな議論があると思います。
私が一番気になりますのは、実は今の格差の問題、あるいはもう少し詰めて言えばナショナルミニマムといいましょうか、地域に住んでいる住民に等しく一定の生活レベルを保障する、これは国の一つの大きな目標だろうと思うのであります。このナショナルミニマムの議論をしておりますと一番気がつきますのが、このナショナルミニマムをどう考えるのか。もう少し具体的に言いますと、広く考えるのか狭く考えるのかという問題があるように思うわけであります。
一般的に、狭く考えると極端に狭くなりますし、広くなりますと、例えば町村道一つとりましても、行きどまりの道というのは余りありませんで、やはり次の町へつながっていく。大きな道路ではなく、小さな道路でそういう問題が出てまいります。川も広域的に各県を流れる川だけじゃなくて、やはり市町村を流れていく川もあります。
そういう川の改修にしても道路の改良等にしましても、このナショナルミニマムをどういうふうに考えるのかというのがもう一つ、国と地方の分権、あるいは先生今お話しになった税源の移譲という議論の基本にそういう問題があるのではないかという、感じでございますけれども、するわけでございます。
この点について、先生いろいろお書きになっているかどうかわかりませんが、申しわけありません、私、そこまで読まないで来ましたので、ぜひともお教えをいただきたいと思います。
この発言だけを見る →それから、きょうお話しになった部分にも関係していると思いますが、そもそも論というとなんでございますけれども、地方分権と税源の移譲のそもそも論的な話でございますが、一般に今の戦後の税制の基本、国税と地方税のあり方について言いますと、基本的にいろんな議論があると思います。
私が一番気になりますのは、実は今の格差の問題、あるいはもう少し詰めて言えばナショナルミニマムといいましょうか、地域に住んでいる住民に等しく一定の生活レベルを保障する、これは国の一つの大きな目標だろうと思うのであります。このナショナルミニマムの議論をしておりますと一番気がつきますのが、このナショナルミニマムをどう考えるのか。もう少し具体的に言いますと、広く考えるのか狭く考えるのかという問題があるように思うわけであります。
一般的に、狭く考えると極端に狭くなりますし、広くなりますと、例えば町村道一つとりましても、行きどまりの道というのは余りありませんで、やはり次の町へつながっていく。大きな道路ではなく、小さな道路でそういう問題が出てまいります。川も広域的に各県を流れる川だけじゃなくて、やはり市町村を流れていく川もあります。
そういう川の改修にしても道路の改良等にしましても、このナショナルミニマムをどういうふうに考えるのかというのがもう一つ、国と地方の分権、あるいは先生今お話しになった税源の移譲という議論の基本にそういう問題があるのではないかという、感じでございますけれども、するわけでございます。
この点について、先生いろいろお書きになっているかどうかわかりませんが、申しわけありません、私、そこまで読まないで来ましたので、ぜひともお教えをいただきたいと思います。
神
神野直彦#11
○公述人(神野直彦君) これも全く私は先生と同じ悩みを共有するというふうに申し上げておいた方がいいと思います。
実は、ナショナルミニマムというのは極めてあいまいな概念でございまして、基本的には何がナショナルミニマムなのかというのは国民が決めるしかない、言いかえれば皆様方にお決めいただくしかないというふうに考えるしかないと思います。
ただ、私の印象から申しますと、どうもややナショナルミニマムには高過ぎていて、さまざまな地方に最低限度やらなければならない仕事だということがかなり法律で決められておりますので、これをもう少し緩めないと、とても財政がもたないのではないかというふうに考えております。
私は、ナショナルミニマムというのはあくまでも生活の快適性とか生活の安全性を保障するという生活レベルで、つまりいかなる地方に住んでいても一定水準の生活の安全性と快適性が確保できるということに特化すべきで、産業政策というのはできるだけ国が行って、地方が産業政策に乗り出してそこにナショナルミニマムを設定するというようなことは余りしない方がいいのではないかと思っております。
そして、恐らくこれからの産業というのは、今までは何か産業機能、生産機能を充実していくとそれに伴って生活機能も充実してくるというふうに考えておりましたけれども、先ほど小野先生がおっしゃったように、これから知識が重要になり情報化が重要になり、新たな産業を創出していかなくてはいけないという時代になってくると、むしろ生活機能を充実するとそこにいい人材が集まり地域が振興して、逆に生産機能の地場になる、産業機能の地場になるという方向が動いてくるのではないかというふうに考えております。
この発言だけを見る →実は、ナショナルミニマムというのは極めてあいまいな概念でございまして、基本的には何がナショナルミニマムなのかというのは国民が決めるしかない、言いかえれば皆様方にお決めいただくしかないというふうに考えるしかないと思います。
ただ、私の印象から申しますと、どうもややナショナルミニマムには高過ぎていて、さまざまな地方に最低限度やらなければならない仕事だということがかなり法律で決められておりますので、これをもう少し緩めないと、とても財政がもたないのではないかというふうに考えております。
私は、ナショナルミニマムというのはあくまでも生活の快適性とか生活の安全性を保障するという生活レベルで、つまりいかなる地方に住んでいても一定水準の生活の安全性と快適性が確保できるということに特化すべきで、産業政策というのはできるだけ国が行って、地方が産業政策に乗り出してそこにナショナルミニマムを設定するというようなことは余りしない方がいいのではないかと思っております。
そして、恐らくこれからの産業というのは、今までは何か産業機能、生産機能を充実していくとそれに伴って生活機能も充実してくるというふうに考えておりましたけれども、先ほど小野先生がおっしゃったように、これから知識が重要になり情報化が重要になり、新たな産業を創出していかなくてはいけないという時代になってくると、むしろ生活機能を充実するとそこにいい人材が集まり地域が振興して、逆に生産機能の地場になる、産業機能の地場になるという方向が動いてくるのではないかというふうに考えております。
日
日出英輔#12
○日出英輔君 ありがとうございました。
次に、小野公述人にちょっとお伺いをしたいと思います。
私は急遽、日経の「経済教室」で先生が九六年に書かれたものをちょっと読ませていただいたわけでございます。ちょうど景気が一服している過程で、構造改革が世間で唱えられている中で、先生はこれに対して警世の言葉を吐かれるというふうに私は理解したわけでございます。
先ほどもお話しになりましたけれども、この構造改革と積極財政派の話をもう少し伺いたかったわけでございます。どういう時点で構造改革をし、どういう時点で積極財政といいますか需要面からの対策をするのかという、この使い分けがなかなか大変な問題だろうというふうにお話しになっているんだろうと思いますが、そういった視点は、先生のお話で言いますと、なかなか中長期的な物の見方の中でお話しになったように思うんです。
先ほどのお話、最後のところをもうちょっと伺いたかったと思いますのは、今の時点で、先ほどお話しになった、例えばことしの予算というのはちょっと余り例示がよくないかもしれませんが、お金をどう使うかという話は大体私も理解したように思いますが、もう少し、構造改革といいますか供給面からのお話と需要面から接近する政策の違いといいますか、使い分けといいますか、そういうことについての一般原則的なものをなるべく簡潔にお願いしたいと思うんです。
この発言だけを見る →次に、小野公述人にちょっとお伺いをしたいと思います。
私は急遽、日経の「経済教室」で先生が九六年に書かれたものをちょっと読ませていただいたわけでございます。ちょうど景気が一服している過程で、構造改革が世間で唱えられている中で、先生はこれに対して警世の言葉を吐かれるというふうに私は理解したわけでございます。
先ほどもお話しになりましたけれども、この構造改革と積極財政派の話をもう少し伺いたかったわけでございます。どういう時点で構造改革をし、どういう時点で積極財政といいますか需要面からの対策をするのかという、この使い分けがなかなか大変な問題だろうというふうにお話しになっているんだろうと思いますが、そういった視点は、先生のお話で言いますと、なかなか中長期的な物の見方の中でお話しになったように思うんです。
先ほどのお話、最後のところをもうちょっと伺いたかったと思いますのは、今の時点で、先ほどお話しになった、例えばことしの予算というのはちょっと余り例示がよくないかもしれませんが、お金をどう使うかという話は大体私も理解したように思いますが、もう少し、構造改革といいますか供給面からのお話と需要面から接近する政策の違いといいますか、使い分けといいますか、そういうことについての一般原則的なものをなるべく簡潔にお願いしたいと思うんです。
小
小野善康#13
○公述人(小野善康君) 大変重要なポイントを今指摘されたと思うんです。
まず、構造改革、つまり倹約的な構造改革という意味ですが、それと積極的に政府も介入して自分で事業をある程度やった方がいいというのとの端境は、要するに、最初に申し上げた経済運営の目的は何かというと、有効資源、はっきり言えば日本の場合にはほとんど労働資源だと思うんですが、それをいかに使うかということであると。基本的には、こう言うと大変恐縮ですが、民間とそれから政府と比べたら民間の方は効率よく使ってくれるだろうと。それは確かであります。ただ、失業があるのでだめなんだ、こういうふうに申し上げました。そういう視点からいうと、一つの軸は例えば完全失業率が何%とか、あるいは日本における潜在生産能力、それからの乖離率がどのぐらいになったか、そこを適当に基準を決めればいいと思うんですね。
具体的な数字というのはもちろんいろいろな議論があるでしょうけれども、例えば失業率でいえば二・数%ぐらいとか、そのぐらいになったらば、かつての国鉄のようにせっかく公営で始めたんだから我々は権利があるんだみたいにならないで、さっさと引っ込んでいただきたい。さっさと引っ込んだ後、これはもうマスコミなんかがよく非難することですが、例えばその後そこの企業の財務状態は悪いということがあったとしようと。
これはある意味で当然なんですね。すなわち、もうかるかどうかわからないけれどもちゃんと人々を使いましょうという目的でやった企業なわけですから、それが財務状況がいいようなところであったら最初から民間はやるわけですね。それを非難して、しかもこんなになったらやらない方がよかったというのではなくて、そのときはもうさっさと民間に開放しましょうと。
民間に開放したとき、極端な話、その企業はつぶれちゃうかもしれない。極端に今申し上げております。それは問題かといったら、全然問題じゃないんですね。なぜかといえば、景気がいいわけですから、もしつぶれたとしても、その人たちはそこで例えば介護のことをやっていたとすれば介護で培ったノウハウというのは持っているわけですから、ほかの民間企業はちゃんと採ってくれるということであります。ですから、それを恐れずにちゃんとやっていただきたいということです。
それから、もう一つのポイントでおっしゃったのは、多分、供給側、需要側という発想をもう少し丁寧に説明していただければ、そういうことですが、供給側というのは、ちょっとわかりにくいかもしれないのでちゃんと言いますと、基本的には既存のものの生産能力を上げる、効率性を上げる、こういうようなものを私は供給側の改革だ、こういうふうに申し上げているわけです。今まで百人でつくっていたのを八十人でつくれるようにしよう、七十人でつくれるようにしよう、これが供給側の改革でありまして、今のリストラというのはそういう流れだと。これは個々の企業にとってはもちろんコストが下がるわけですからいいんですが、ただでさえ人が今余っているわけですから、それを今やる時期かというと、そうではないんじゃないか、こういうことを言いたいわけです。
さて、では需要側は何かというと、今までの伝統的な需要側というのはお金をまけばいい、こういうことなんですが、先ほどから申し上げているように、お金をまくということは物すごく難しいことなんですね。すなわち、どこかからとってきてただまくだけですから、結局ネットでいえばなかなかふえない。そういうときに、じゃ何だというと、みんなが欲しいものをつくる、こういう意味です。つまり、需要を喚起するような政策をすればいいんじゃないか。
これはかつて九五、六年ですか、少し景気がよくなって経済構造改革ということになってしまったわけですが、そのときを振り返ると携帯電話はすごくよかったんですね。これはみんなが欲しいものをつくっていて、それで引っ張っていた。そういうことが今全産業的に起これば景気なんて回復しちゃうわけですね。それに対応して株価も上がるし、みんな豊かになっていい方に回っていくわけです。ですから、そういう方向にしたいと。しかし、そういう方向にするのは知恵が要るわけですね、先ほどから申し上げているように。
それで、政府としては今度何をすべきかというときに、みんなが欲しいものをという発想でやっていただきたいので、生産中心の公共事業と生活あるいは消費中心の公共事業というのがあると思うんです。公共事業というのは別に道路という意味じゃなくて公共部門がやる事業ということです。その意味で申し上げると、生活中心の方をなるべくやっていただきたい。これは介護とか環境もそうですし、例えば道路を整備するとしたら、その道路の行き着く先に何か魅力的なものがないとしようがない。これは観光地かもしれないし保養地かもしれないし、そういうものでもいいかもしれない。そういうものも含めて考えていただきたい。需要、供給というのはそういう意味で申し上げていたわけです。
以上です。
この発言だけを見る →まず、構造改革、つまり倹約的な構造改革という意味ですが、それと積極的に政府も介入して自分で事業をある程度やった方がいいというのとの端境は、要するに、最初に申し上げた経済運営の目的は何かというと、有効資源、はっきり言えば日本の場合にはほとんど労働資源だと思うんですが、それをいかに使うかということであると。基本的には、こう言うと大変恐縮ですが、民間とそれから政府と比べたら民間の方は効率よく使ってくれるだろうと。それは確かであります。ただ、失業があるのでだめなんだ、こういうふうに申し上げました。そういう視点からいうと、一つの軸は例えば完全失業率が何%とか、あるいは日本における潜在生産能力、それからの乖離率がどのぐらいになったか、そこを適当に基準を決めればいいと思うんですね。
具体的な数字というのはもちろんいろいろな議論があるでしょうけれども、例えば失業率でいえば二・数%ぐらいとか、そのぐらいになったらば、かつての国鉄のようにせっかく公営で始めたんだから我々は権利があるんだみたいにならないで、さっさと引っ込んでいただきたい。さっさと引っ込んだ後、これはもうマスコミなんかがよく非難することですが、例えばその後そこの企業の財務状態は悪いということがあったとしようと。
これはある意味で当然なんですね。すなわち、もうかるかどうかわからないけれどもちゃんと人々を使いましょうという目的でやった企業なわけですから、それが財務状況がいいようなところであったら最初から民間はやるわけですね。それを非難して、しかもこんなになったらやらない方がよかったというのではなくて、そのときはもうさっさと民間に開放しましょうと。
民間に開放したとき、極端な話、その企業はつぶれちゃうかもしれない。極端に今申し上げております。それは問題かといったら、全然問題じゃないんですね。なぜかといえば、景気がいいわけですから、もしつぶれたとしても、その人たちはそこで例えば介護のことをやっていたとすれば介護で培ったノウハウというのは持っているわけですから、ほかの民間企業はちゃんと採ってくれるということであります。ですから、それを恐れずにちゃんとやっていただきたいということです。
それから、もう一つのポイントでおっしゃったのは、多分、供給側、需要側という発想をもう少し丁寧に説明していただければ、そういうことですが、供給側というのは、ちょっとわかりにくいかもしれないのでちゃんと言いますと、基本的には既存のものの生産能力を上げる、効率性を上げる、こういうようなものを私は供給側の改革だ、こういうふうに申し上げているわけです。今まで百人でつくっていたのを八十人でつくれるようにしよう、七十人でつくれるようにしよう、これが供給側の改革でありまして、今のリストラというのはそういう流れだと。これは個々の企業にとってはもちろんコストが下がるわけですからいいんですが、ただでさえ人が今余っているわけですから、それを今やる時期かというと、そうではないんじゃないか、こういうことを言いたいわけです。
さて、では需要側は何かというと、今までの伝統的な需要側というのはお金をまけばいい、こういうことなんですが、先ほどから申し上げているように、お金をまくということは物すごく難しいことなんですね。すなわち、どこかからとってきてただまくだけですから、結局ネットでいえばなかなかふえない。そういうときに、じゃ何だというと、みんなが欲しいものをつくる、こういう意味です。つまり、需要を喚起するような政策をすればいいんじゃないか。
これはかつて九五、六年ですか、少し景気がよくなって経済構造改革ということになってしまったわけですが、そのときを振り返ると携帯電話はすごくよかったんですね。これはみんなが欲しいものをつくっていて、それで引っ張っていた。そういうことが今全産業的に起これば景気なんて回復しちゃうわけですね。それに対応して株価も上がるし、みんな豊かになっていい方に回っていくわけです。ですから、そういう方向にしたいと。しかし、そういう方向にするのは知恵が要るわけですね、先ほどから申し上げているように。
それで、政府としては今度何をすべきかというときに、みんなが欲しいものをという発想でやっていただきたいので、生産中心の公共事業と生活あるいは消費中心の公共事業というのがあると思うんです。公共事業というのは別に道路という意味じゃなくて公共部門がやる事業ということです。その意味で申し上げると、生活中心の方をなるべくやっていただきたい。これは介護とか環境もそうですし、例えば道路を整備するとしたら、その道路の行き着く先に何か魅力的なものがないとしようがない。これは観光地かもしれないし保養地かもしれないし、そういうものでもいいかもしれない。そういうものも含めて考えていただきたい。需要、供給というのはそういう意味で申し上げていたわけです。
以上です。
日
日出英輔#14
○日出英輔君 ちょっと私が伺いたかったことを最後に先生がお話になっていましたが、今の先生のお話を伺っていましても、公共事業、私は伝統的な公共事業という言葉で申し上げるわけでありますが、公共事業の評価が余りにも今、日本国民の中で低過ぎるんではないかというふうに思うわけです。
これは、公共事業即ばらまきだとか公共事業即建設会社をもうけさせるとか、こういう発想が何となく行き渡ってしまって、公共事業の持っている役割とか、またやってきました効果とか、こういうものについて余りにも目を向けない、そういう風潮があるというのは大変残念であるし、危険なことじゃないかというふうにすら実は思っております。
今、先生お話しのように従来型、余りそういう言葉を使ってもよくないのかもしれませんが、従来からやってきた公共事業のほかにもう少し公的な部門で大きな事業が幾つかあるじゃないか、あり得るじゃないかというお話は、私もそのとおりだというふうに伺っているわけでありますが、少し話を従来型の公共事業の方で申し上げたときに、先生の目で見て従来型の公共事業についての評価、正当な評価あるいは客観的な評価、これを国民にわからせる、わかっていただく、こういうためにはどういうようなことが必要なのか。これは思いつきでも結構でございますし、ぜひとも伺いたいと思います。
神野先生にも一言お願いしたいのでございますが。
この発言だけを見る →これは、公共事業即ばらまきだとか公共事業即建設会社をもうけさせるとか、こういう発想が何となく行き渡ってしまって、公共事業の持っている役割とか、またやってきました効果とか、こういうものについて余りにも目を向けない、そういう風潮があるというのは大変残念であるし、危険なことじゃないかというふうにすら実は思っております。
今、先生お話しのように従来型、余りそういう言葉を使ってもよくないのかもしれませんが、従来からやってきた公共事業のほかにもう少し公的な部門で大きな事業が幾つかあるじゃないか、あり得るじゃないかというお話は、私もそのとおりだというふうに伺っているわけでありますが、少し話を従来型の公共事業の方で申し上げたときに、先生の目で見て従来型の公共事業についての評価、正当な評価あるいは客観的な評価、これを国民にわからせる、わかっていただく、こういうためにはどういうようなことが必要なのか。これは思いつきでも結構でございますし、ぜひとも伺いたいと思います。
神野先生にも一言お願いしたいのでございますが。
小
小野善康#15
○公述人(小野善康君) お先に失礼させていただきます。
今おっしゃったことは私も全くそのとおりだと思うのでありまして、それは、マスコミとあえて言いますが、そういうところで国民の注意を引くようなとらえ方というのはとんでもないところを見つけてくるわけです。とんでもないところを見つけてきて、こんなにむだだと、それをずっとやっていたと。これは私は、どこがそういうふうにしているのかよくわかりませんが、実に自然に構造改革の流れにそこで移っていった。
まず第一点に申し上げたいのは、そういうのをつくっていたという事実は実際あるわけです。これは、だから実は公共事業はそんなことをいったって必要なんだと、こう開き直られても国民としては納得いかないという点はあるわけです。ですから、その点はもちろんすごく反省していただきたいわけですが、軸としてかつては、こう言うと本当に議員の方々の前で失礼かもしれませんが、要するに幾らの金を私は取ってきた、しかもその地方に幾らを回した、できたものはどうでもいい、どうでもいいというのは言い過ぎかもしれません。でも、それだと困るわけですね。そうじゃなくて、本当にいいものをつくったのなら当然みんなから感謝されるだろう、そういうことを思うわけであります。ですから、何に使ったらいいかということをちゃんと考えていただきたいというのが非常に重要な点であります。
それで、そういうふうにすれば、どんどん積極的にやっていただけばいいんですが、一番重要な問題はそれの評価システムがないということなんです。今あるのは、さっきの話とつながりますが、十兆円を持ってきたら、十兆円を例えば人件費に幾ら、何に幾ら使ったということはチェックが入る。しかし、何ができたというのがない。
私は、物すごくプリミティブでもいいから、公共事業をずらっと並べて、何人の人が使って、それからどういう使われ方をしてどうであったかというのを三年後に必ず出す、公表する、ただで皆さんに配ると。それを見ただけで、実際つくる側も余りひどいものをつくったら反省するでしょうし、やる側も、ああこれは本当に役立ったということはあると思います。
そういう意味で、今は評価システムがなさ過ぎるということが私の理解です。
この発言だけを見る →今おっしゃったことは私も全くそのとおりだと思うのでありまして、それは、マスコミとあえて言いますが、そういうところで国民の注意を引くようなとらえ方というのはとんでもないところを見つけてくるわけです。とんでもないところを見つけてきて、こんなにむだだと、それをずっとやっていたと。これは私は、どこがそういうふうにしているのかよくわかりませんが、実に自然に構造改革の流れにそこで移っていった。
まず第一点に申し上げたいのは、そういうのをつくっていたという事実は実際あるわけです。これは、だから実は公共事業はそんなことをいったって必要なんだと、こう開き直られても国民としては納得いかないという点はあるわけです。ですから、その点はもちろんすごく反省していただきたいわけですが、軸としてかつては、こう言うと本当に議員の方々の前で失礼かもしれませんが、要するに幾らの金を私は取ってきた、しかもその地方に幾らを回した、できたものはどうでもいい、どうでもいいというのは言い過ぎかもしれません。でも、それだと困るわけですね。そうじゃなくて、本当にいいものをつくったのなら当然みんなから感謝されるだろう、そういうことを思うわけであります。ですから、何に使ったらいいかということをちゃんと考えていただきたいというのが非常に重要な点であります。
それで、そういうふうにすれば、どんどん積極的にやっていただけばいいんですが、一番重要な問題はそれの評価システムがないということなんです。今あるのは、さっきの話とつながりますが、十兆円を持ってきたら、十兆円を例えば人件費に幾ら、何に幾ら使ったということはチェックが入る。しかし、何ができたというのがない。
私は、物すごくプリミティブでもいいから、公共事業をずらっと並べて、何人の人が使って、それからどういう使われ方をしてどうであったかというのを三年後に必ず出す、公表する、ただで皆さんに配ると。それを見ただけで、実際つくる側も余りひどいものをつくったら反省するでしょうし、やる側も、ああこれは本当に役立ったということはあると思います。
そういう意味で、今は評価システムがなさ過ぎるということが私の理解です。
神
神野直彦#16
○公述人(神野直彦君) 私も先生と全く同感でございまして、いわば国家というのは公共事業のために生まれたようなものです、治水とかなんとかのために。だから、考えてみますと、人々が共同でやらなければならないことは、生活の空間の安全性とそれから快適性を確保するために昔からみんな人々がコミュニティーに出て、そしてつくってきたわけですから、先ほど言いましたように、公共事業もできるだけ生活の空間に近いところでもって決定をさせて、必要な公共事業はきちっとやっていくべきだというふうに考えております。
私たちが今本当に豊かな生活がある意味でできているのも、我々の祖先がきちっとしたいろんな公共施設を残しておいてくれているからです。二十一世紀に向かって我々が何も残さないというわけにはいかないだろうというふうに思います。
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日
日出英輔#17
○日出英輔君 両先生、本当にありがとうございました。
私は、今の景気なり税制なり議論をしている中で、どうも大事なことを、本当に実は議論しなきゃいけないことを政治の場ではばかる風潮があるように思います。先ほどの公共事業の話も、私も年来、公務員生活をやっておりましたので、評価システムの話は大変気にしておりましたし、それから神野先生のお話もそうでございますが、地方分権というのも当然どういう形でかやっていかなきゃいかぬというのはあるわけでございますが、今のお話を参考にして、しっかりと私も活動させていただきたいと思います。
貴重な御意見、ありがとうございました。
終わります。
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貴重な御意見、ありがとうございました。
終わります。
内
内藤正光#18
○内藤正光君 おはようございます。
私は、民主党・新緑風会を代表して質問させていただきます内藤正光でございます。今、日本は大変な未曾有の危機にございますが、その現状を打開するためにも両先生の貴重な御意見をお伺いさせていただきたいと思います。
私に与えられた時間、十四分と大変短うございます。幾つか手短に質問させていただきたいと思います。
まず、神野先生に質問させていただきます。
神野先生、経済戦略会議の答申を評価する中で、すべての人が報われるシステムをつくっていくべきだ、このようにおっしゃいました。
そこで質問なんですが、私はそういう社会というのは大変すばらしいと思うんですが、果たして限られた財源の中で本当に可能なんだろうか、あるいはまた、よく言われておりますモラルハザードという問題がございますが、それへの対処はどうするんだろうか。
ここで一言私の意見を申し上げさせていただきますと、人間はだれしも楽して生きたいという気持ちがあるわけなんです、できるならば。働かずに、無理せずに幸せに暮らしていきたい。しかし、そんな人間を最もうまく機能させていくのが、やはり努力した者のみが報われるといった競争原理ではないかと思っております。
そういった点も踏まえて、神野先生の御意見をお伺いさせていただきたいと思います。
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私に与えられた時間、十四分と大変短うございます。幾つか手短に質問させていただきたいと思います。
まず、神野先生に質問させていただきます。
神野先生、経済戦略会議の答申を評価する中で、すべての人が報われるシステムをつくっていくべきだ、このようにおっしゃいました。
そこで質問なんですが、私はそういう社会というのは大変すばらしいと思うんですが、果たして限られた財源の中で本当に可能なんだろうか、あるいはまた、よく言われておりますモラルハザードという問題がございますが、それへの対処はどうするんだろうか。
ここで一言私の意見を申し上げさせていただきますと、人間はだれしも楽して生きたいという気持ちがあるわけなんです、できるならば。働かずに、無理せずに幸せに暮らしていきたい。しかし、そんな人間を最もうまく機能させていくのが、やはり努力した者のみが報われるといった競争原理ではないかと思っております。
そういった点も踏まえて、神野先生の御意見をお伺いさせていただきたいと思います。
神
神野直彦#19
○公述人(神野直彦君) 私も、努力した人間、それが報われる社会というのをつくるということは理想だろうとは思いますが、私は経済には二つあるということを申し上げているんです、市場経済と財政。
市場経済の方は、これは競争させても構わない。ただし、市場経済の方は競争させても構わないんですが、必ずしも努力をした人間が報われるというわけではないんですね。一生懸命努力をしていても、ある日突然円高になってしまって途方に暮れている人々もたくさんいるわけです。
私が申し上げたのは、一体何をもって努力をした、市場の方ではある程度生産に貢献したというようなメルクマールはありますが、何をメルクマールにするか。
財政の領域は、これは競争させてはならない、お金もうけをしてはならない。すべての人間が努力をした者とみなして社会を統合していく。国民を努力しない者、努力した者と分ける、分断をしたら、私は政治システムは終わりだと思います。政治システムというのは、あくまでも国民を統合することだというふうに考えています。
したがって、政治は、もしも努力していない人がいたらば、なぜ努力できないのか、先ほど小野先生もおっしゃっていましたけれども、努力をする機会がないんじゃないか、あるいは努力をする仕方がわからないんじゃないか、空回りしているんじゃないか、それを考えるのが財政であり政治だというふうに考えています。
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私が申し上げたのは、一体何をもって努力をした、市場の方ではある程度生産に貢献したというようなメルクマールはありますが、何をメルクマールにするか。
財政の領域は、これは競争させてはならない、お金もうけをしてはならない。すべての人間が努力をした者とみなして社会を統合していく。国民を努力しない者、努力した者と分ける、分断をしたら、私は政治システムは終わりだと思います。政治システムというのは、あくまでも国民を統合することだというふうに考えています。
したがって、政治は、もしも努力していない人がいたらば、なぜ努力できないのか、先ほど小野先生もおっしゃっていましたけれども、努力をする機会がないんじゃないか、あるいは努力をする仕方がわからないんじゃないか、空回りしているんじゃないか、それを考えるのが財政であり政治だというふうに考えています。
内
内藤正光#20
○内藤正光君 ありがとうございます。
あと、神野先生、最後の方で年金について触れられたと思います。年金は賦課方式にすべきだというふうにおっしゃいました。
私、考えるのでありますが、年金というのは御存じのように三階建てから成る。私は、基礎年金と言われる一階部分というのは、二階あるいは三階と決定的に哲学が違うものなんだろうと。やはり、一階の基礎年金部分は社会保障的な意味合いのあるものである。それと比べると二階、三階はちょっと違うんじゃないか。
私は、ナショナルミニマムという観点から考えますと、国はこれから一階建ての部分を本当にこれで大丈夫なんだろうかということでしっかり見直し、再構築をしていく、そういう努力は払うべきだろうと思います。しかし、私は、二階建て以上は、本当にこれだけいろいろな金融のサービスがある中で、今もなお国が面倒を見るべきものなんだろうか、そういうような疑問がわいてくるわけなんです。
私、現在三十五歳なんですが、同じ世代の皆さんといろいろ話をしていますと、将来の不安ということで彼らが真っ先に挙げるのは年金への不安、本当におれたち、私たちは将来年金をもらえるんだろうか、こんなような話題が持ち上がるわけなんですが、先生のお考えをもう一度お伺いいたしたいと思います。
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私、考えるのでありますが、年金というのは御存じのように三階建てから成る。私は、基礎年金と言われる一階部分というのは、二階あるいは三階と決定的に哲学が違うものなんだろうと。やはり、一階の基礎年金部分は社会保障的な意味合いのあるものである。それと比べると二階、三階はちょっと違うんじゃないか。
私は、ナショナルミニマムという観点から考えますと、国はこれから一階建ての部分を本当にこれで大丈夫なんだろうかということでしっかり見直し、再構築をしていく、そういう努力は払うべきだろうと思います。しかし、私は、二階建て以上は、本当にこれだけいろいろな金融のサービスがある中で、今もなお国が面倒を見るべきものなんだろうか、そういうような疑問がわいてくるわけなんです。
私、現在三十五歳なんですが、同じ世代の皆さんといろいろ話をしていますと、将来の不安ということで彼らが真っ先に挙げるのは年金への不安、本当におれたち、私たちは将来年金をもらえるんだろうか、こんなような話題が持ち上がるわけなんですが、先生のお考えをもう一度お伺いいたしたいと思います。
神
神野直彦#21
○公述人(神野直彦君) お答えいたします。
私の意見は、これはどこにもないといいますか、私ども初めて提案しておりますので、少し詳しく説明させていただきたいと思います。
先ほど申しましたように、政府というのは三つの政府から成り立っているんです、中央政府、地方政府、社会保障基金。ところが、日本では社会保障基金の政府を選挙で投票したりしませんので、フランスやドイツのように選挙で投票するようなことがあればある程度独立した政府だなと思うんですが、別に独立した政府だなというふうに思っていないわけです。
私が考えている年金制度というのは、すべてを所得比例にしてしまう、本人が支払った社会保障負担に結びつけて全部比例にしてしまう、基礎年金もすべてなくしてしまうということです。そして、それは社会保障基金という政府、これが全部所得比例にする。ただし、おっしゃったように、ミニマムペンション、最低限度のペンション、年金が必要ですから、所得ゼロ、つまり何にも払っていなかった人でももらえる最低限度のペンションを保障する。そして、そこのところを横にずらします。線を引きます。そうすると、本来これは所得比例で少し斜めにしたいんですが、ここの三角形の部分が出てきます。この三角形の部分に国が取った税金をつぎ込む。
これをきちっとしないと、私たちの年金がなぜ今高いのか低いのか、給付が多過ぎるのか低過ぎるのかわかっていないかというと、国民は自分の納めた保険料がどうやってどこにどういうふうに行っているのかわからないんです。私の方式でいけば、自分たちの払った保険料というのはきちっと比例的にもらえる年金になりますから、そうすると自分たちの年金はここまでだとわかるわけです。あとは国がちゃんと税金でここの部分を保障するんだという分業関係を明確にした年金を構想すべきだと。
すぐに反論が出てくるのは、そんなことを言っても今の年金から直ちにそこに移れるか、こういう話になるわけですが、私どもは今の年金から新しい年金に四十年かけよう、四十分の一ずつずらしてやっていこうという提案をある雑誌に具体的にしておりますので、ちょっと今詳しく御説明している時間がございませんので、できればお読みいただければというふうに思います。
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先ほど申しましたように、政府というのは三つの政府から成り立っているんです、中央政府、地方政府、社会保障基金。ところが、日本では社会保障基金の政府を選挙で投票したりしませんので、フランスやドイツのように選挙で投票するようなことがあればある程度独立した政府だなと思うんですが、別に独立した政府だなというふうに思っていないわけです。
私が考えている年金制度というのは、すべてを所得比例にしてしまう、本人が支払った社会保障負担に結びつけて全部比例にしてしまう、基礎年金もすべてなくしてしまうということです。そして、それは社会保障基金という政府、これが全部所得比例にする。ただし、おっしゃったように、ミニマムペンション、最低限度のペンション、年金が必要ですから、所得ゼロ、つまり何にも払っていなかった人でももらえる最低限度のペンションを保障する。そして、そこのところを横にずらします。線を引きます。そうすると、本来これは所得比例で少し斜めにしたいんですが、ここの三角形の部分が出てきます。この三角形の部分に国が取った税金をつぎ込む。
これをきちっとしないと、私たちの年金がなぜ今高いのか低いのか、給付が多過ぎるのか低過ぎるのかわかっていないかというと、国民は自分の納めた保険料がどうやってどこにどういうふうに行っているのかわからないんです。私の方式でいけば、自分たちの払った保険料というのはきちっと比例的にもらえる年金になりますから、そうすると自分たちの年金はここまでだとわかるわけです。あとは国がちゃんと税金でここの部分を保障するんだという分業関係を明確にした年金を構想すべきだと。
すぐに反論が出てくるのは、そんなことを言っても今の年金から直ちにそこに移れるか、こういう話になるわけですが、私どもは今の年金から新しい年金に四十年かけよう、四十分の一ずつずらしてやっていこうという提案をある雑誌に具体的にしておりますので、ちょっと今詳しく御説明している時間がございませんので、できればお読みいただければというふうに思います。
内
内藤正光#22
○内藤正光君 ありがとうございます。
では、次に国及び地方の財政再建の進め方についてお伺いをさせていただきたいと思います。
神野先生は、昨年十月の日経新聞でこのように述べられております、地方財政の危機は日本に固有の現象であると。先ほどもこの表を使って説明をしていただきました。これを見ると、なるほど日本は、政府の消費支出は世界に比べて低い、一方で資本支出は大きい、あるいはまた個人所得税は低い、そういったいろいろな例を挙げていただきましたが、これも含めて、日本に固有とおっしゃっているのは具体的には何を指されているのか、お答えいただけますでしょうか。
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神野先生は、昨年十月の日経新聞でこのように述べられております、地方財政の危機は日本に固有の現象であると。先ほどもこの表を使って説明をしていただきました。これを見ると、なるほど日本は、政府の消費支出は世界に比べて低い、一方で資本支出は大きい、あるいはまた個人所得税は低い、そういったいろいろな例を挙げていただきましたが、これも含めて、日本に固有とおっしゃっているのは具体的には何を指されているのか、お答えいただけますでしょうか。
神
神野直彦#23
○公述人(神野直彦君) いつの時期でとるかちょっと別でございますけれども、世界各国が財政危機に苦しみ、最近ではマーストリヒト条約その他がございましたのでヨーロッパはかなり改善しております。そういう中で、財政危機で苦しいときでもヨーロッパ諸国では地方財政というのは赤字にしていないんです。これはなぜかといいますと、財政の赤字というのは、御案内のとおりに債権とあとは通常、通貨の増発をいっております。ところが、通貨の増発で赤字ができるのは国だけです。つまり、通貨の発行権限を持っているのは国だけで、したがって通貨の発行権限を持たない地方政府というのは、余り赤字にしたり黒字にしたりして景気調整をやるべきじゃないんですね。通貨の発行権限を持っている国であれば、いざとなれば手段はあるわけですから、そういう国だけが景気対策を行うべきだというふうに考えておりますので、地方財政は赤字にすべきではないと思います。
それから、世界的に見ても、GDP比でほかの国と比べてみますと、日本だけが突出した赤字なんです。なぜ突出した赤字なのかというと、日本は、国が命じたと申しますか、国が企画した仕事をやらされていて、それでさまざまな何かやるための裏のものがあるものですから、結局日本の場合には地方が赤字になってしまうわけですね。言いかえれば、地方分権が余り進んでおりませんので、国が本社だとして、そして地方が下請関連メーカーだとすると、赤字を下請関連メーカーに飛ばされちゃっているというような意味合いが非常に強いというふうに考えております。
したがって、先ほど申しましたように、国から地方に財源をきちっと移譲してやって、仕事に応じた税源をきちっと保障して、みずからの判断で仕事をやらせるというシステムが地方財政を再建する上で必要なことだというふうに考えています。
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したがって、先ほど申しましたように、国から地方に財源をきちっと移譲してやって、仕事に応じた税源をきちっと保障して、みずからの判断で仕事をやらせるというシステムが地方財政を再建する上で必要なことだというふうに考えています。
内
内藤正光#24
○内藤正光君 ありがとうございます。
その先生のお答えとも関連するんですが、同じく日経新聞の中で、地方財政の基本的任務とはということで述べられております。
本来ならば、生活レベルでの社会的安全ネットを地域の実情に合わせて張ることが本来の地方財政の任務なんだと。ところが実際は、景気対策など国がやるべきことまで背負わされていると。
ここではっきりしておかなければならないと思うんですが、先生が考える国そして地方財政の本来果たすべき役割、それぞれ教えていただけますでしょうか。
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本来ならば、生活レベルでの社会的安全ネットを地域の実情に合わせて張ることが本来の地方財政の任務なんだと。ところが実際は、景気対策など国がやるべきことまで背負わされていると。
ここではっきりしておかなければならないと思うんですが、先生が考える国そして地方財政の本来果たすべき役割、それぞれ教えていただけますでしょうか。
神
神野直彦#25
○公述人(神野直彦君) 先ほども申しましたが、私は三つの政府を考えておりまして、社会保障基金、それから地方政府、それから国と、この三つの政府があるわけですね。
それぞれ社会保障基金と地方政府というのは、社会保障基金は、いわば生産点と申しますか、生産の領域において労働者、経営者が協力し合ってつくっている、お互いの共済活動を基盤にしている。
それからもう一つ、地方の方はこれは生活の場において人々が共同し合っているわけですね。地方の仕事というのは、先ほども言いましたが、生活を確保するような公共サービス、医療、教育、それから福祉、そして環境などの生活に関係するようなところを、いわばそのコミュニティーが本来ならば、本来きちっと機能していればコミュニティーの構成員の共同作業や相互扶助でやらなければならない仕事、これを行うこと。
生産点の方の社会保障基金も同じことですね。働けなくなったり、病気になったり、年をとって働けなくなったりしたときにお互いに助け合うためにやっている基金。しかし、それぞれミニマムが確保されなくちゃいけませんので、先ほど来出ているようなナショナルミニマムは中央政府が責任を持ってきちっと保障してあげるというシステムが理想だというふうに考えています。
この発言だけを見る →それぞれ社会保障基金と地方政府というのは、社会保障基金は、いわば生産点と申しますか、生産の領域において労働者、経営者が協力し合ってつくっている、お互いの共済活動を基盤にしている。
それからもう一つ、地方の方はこれは生活の場において人々が共同し合っているわけですね。地方の仕事というのは、先ほども言いましたが、生活を確保するような公共サービス、医療、教育、それから福祉、そして環境などの生活に関係するようなところを、いわばそのコミュニティーが本来ならば、本来きちっと機能していればコミュニティーの構成員の共同作業や相互扶助でやらなければならない仕事、これを行うこと。
生産点の方の社会保障基金も同じことですね。働けなくなったり、病気になったり、年をとって働けなくなったりしたときにお互いに助け合うためにやっている基金。しかし、それぞれミニマムが確保されなくちゃいけませんので、先ほど来出ているようなナショナルミニマムは中央政府が責任を持ってきちっと保障してあげるというシステムが理想だというふうに考えています。
内
浜
浜田卓二郎#27
○浜田卓二郎君 公明党会派を代表しまして質問をさせていただきます。
神野先生、二点お伺いをしたいんですけれども、この表を提出されて御説明ございました。大変興味のある表なんですが、九八年度でGDP比債務残高が九九・九。この段階ですとまだイタリアの一一九・四よりも小さいですね。ところが、これが九九年度になりますと、どうやらイタリアを抜くという状況になるようでございます。
先般も予算委員会で質問をさせていただいたんですが、この後公債の累積が毎年三十兆円ずつ確実に続いていくと、これは経済が軌道に戻って名目成長率が三、四%になっても、不思議なことに収支差額は逆に開いていくんですね、これは金利が高くなりますから。そうなりますと、公債費用と言われているいわゆる元利払い、それから返済費用、これが逆に増大していくという計算になりまして、自然増で公債の必要額が減っていくかというと逆に拡大をするという、それほど私に言わせれば異常なる公債累積を既に日本の国家というのは実現をしてしまったということだろうと思うんです。
この中で、先生はその理由として、経常収入がGDP比三一・一%で諸外国よりも小さいという点を特徴として指摘されておられます。確かにそういうことでございまして、総支出に対して経常収入が小さい。これは、そうしますと、先生の言わんとされるところは、ここで経常収入のウエートを高めていけばこの異常なる収支差額といいますか、結果として出てくる公債の累積、国債の累積というのはそう心配する必要はないという結論になるのか、それはどうなのかということをこの第一表から思います。
それから第二表で見ますと、消費支出、というよりも資本支出が異常に高いということなんですね。今、公共事業の功罪をいろいろ論じられているわけで、私も公共事業の必要性というのは決して否定しないのですけれども、この歳出構造、歳入構造からいうと異常なことになっているわけでありまして、資本支出は実は国において全額国債によって賄われているわけであります。
先般、大蔵大臣に、いつ税金を使った公共事業ができるんですかという御質問を申し上げたら、その展望はありませんというような率直なお答えでございました。ですから、そういう公共事業の功罪以前の問題として、そういうことに日本は既になってしまっている。
そして、この右側を見ますと、個人所得税の比率が非常に低い。これはこの委員会でも繰り返し問題になっておりまして、課税最低限が世界の中で著しく低いということも一つこの裏にあるわけでございます。おっしゃいませんでしたけれども、法人所得が極めて比率が高くなっているわけでございます。それから財産税も高くなっていますね。
こういう歳出歳入の構造を御説明になった後に、今回の減税案、それからさらに言えば予算案というのは消費に刺激を与えることにはなりにくいという結論をおっしゃっておられました。
そこで、これだけ質問の前提を申し上げたわけですけれども、一つは我が国の国債累積の姿、さらには今指摘いたしました税の構造の姿、これから先生はどういうことをおっしゃりたいのか、それからどうしたら個人消費を刺激するような減税になるとお考えなのか、その点についてお話を承りたいと思います。
この発言だけを見る →神野先生、二点お伺いをしたいんですけれども、この表を提出されて御説明ございました。大変興味のある表なんですが、九八年度でGDP比債務残高が九九・九。この段階ですとまだイタリアの一一九・四よりも小さいですね。ところが、これが九九年度になりますと、どうやらイタリアを抜くという状況になるようでございます。
先般も予算委員会で質問をさせていただいたんですが、この後公債の累積が毎年三十兆円ずつ確実に続いていくと、これは経済が軌道に戻って名目成長率が三、四%になっても、不思議なことに収支差額は逆に開いていくんですね、これは金利が高くなりますから。そうなりますと、公債費用と言われているいわゆる元利払い、それから返済費用、これが逆に増大していくという計算になりまして、自然増で公債の必要額が減っていくかというと逆に拡大をするという、それほど私に言わせれば異常なる公債累積を既に日本の国家というのは実現をしてしまったということだろうと思うんです。
この中で、先生はその理由として、経常収入がGDP比三一・一%で諸外国よりも小さいという点を特徴として指摘されておられます。確かにそういうことでございまして、総支出に対して経常収入が小さい。これは、そうしますと、先生の言わんとされるところは、ここで経常収入のウエートを高めていけばこの異常なる収支差額といいますか、結果として出てくる公債の累積、国債の累積というのはそう心配する必要はないという結論になるのか、それはどうなのかということをこの第一表から思います。
それから第二表で見ますと、消費支出、というよりも資本支出が異常に高いということなんですね。今、公共事業の功罪をいろいろ論じられているわけで、私も公共事業の必要性というのは決して否定しないのですけれども、この歳出構造、歳入構造からいうと異常なことになっているわけでありまして、資本支出は実は国において全額国債によって賄われているわけであります。
先般、大蔵大臣に、いつ税金を使った公共事業ができるんですかという御質問を申し上げたら、その展望はありませんというような率直なお答えでございました。ですから、そういう公共事業の功罪以前の問題として、そういうことに日本は既になってしまっている。
そして、この右側を見ますと、個人所得税の比率が非常に低い。これはこの委員会でも繰り返し問題になっておりまして、課税最低限が世界の中で著しく低いということも一つこの裏にあるわけでございます。おっしゃいませんでしたけれども、法人所得が極めて比率が高くなっているわけでございます。それから財産税も高くなっていますね。
こういう歳出歳入の構造を御説明になった後に、今回の減税案、それからさらに言えば予算案というのは消費に刺激を与えることにはなりにくいという結論をおっしゃっておられました。
そこで、これだけ質問の前提を申し上げたわけですけれども、一つは我が国の国債累積の姿、さらには今指摘いたしました税の構造の姿、これから先生はどういうことをおっしゃりたいのか、それからどうしたら個人消費を刺激するような減税になるとお考えなのか、その点についてお話を承りたいと思います。
神
神野直彦#28
○公述人(神野直彦君) 私の言葉足らずだったかもしれませんが、一表、二表を通じて申し上げたかったことは、日本は政府が小さいにもかかわらず既に大きな債務を抱えている。この中で、またその経常収入を減らすようなことをして景気を回復しようとするということが本当にいいことなのかどうかということなんです。
それで、かつ今国民が非常に不安を覚えているのは、どうも資本支出と申しますか、公共事業をやってみても余り景気回復はしないようだ、しかし他方で国債の債務ばかりふえている。これが言い知れぬ不安を国民の中に与えているんではないかというふうに思って、そういう説明の資料として使わせていただいております。
したがって、結論として言えば、安易に減税をするのではなくて、むしろ組みかえて、もしどうしても税制をいじりたいというのであれば、少なくともまず消費がふえるような税の組みかえということをやるべきじゃないか。そして、先生がおっしゃる意味をちょっと取り違えているかもしれませんが、どうしても減税すべきだというのであれば、消費にかかっているような税金を減税すべきだとは思いますが、今減税をすべきときではないのではないかというのが基本的な私の考え方でございます。
この発言だけを見る →それで、かつ今国民が非常に不安を覚えているのは、どうも資本支出と申しますか、公共事業をやってみても余り景気回復はしないようだ、しかし他方で国債の債務ばかりふえている。これが言い知れぬ不安を国民の中に与えているんではないかというふうに思って、そういう説明の資料として使わせていただいております。
したがって、結論として言えば、安易に減税をするのではなくて、むしろ組みかえて、もしどうしても税制をいじりたいというのであれば、少なくともまず消費がふえるような税の組みかえということをやるべきじゃないか。そして、先生がおっしゃる意味をちょっと取り違えているかもしれませんが、どうしても減税すべきだというのであれば、消費にかかっているような税金を減税すべきだとは思いますが、今減税をすべきときではないのではないかというのが基本的な私の考え方でございます。
浜
浜田卓二郎#29
○浜田卓二郎君 その点はそれだけにいたします。
もう一つは、地方分権を大変大事なこととおっしゃっておられました。私もそう思います。しかし問題は、今の地方自治体が、例えば社会福祉というのはこれは事業です。この社会福祉事業を経営する適正な経営体としての規模になっているのかどうかという点が一つ問題があると思います。
それからもう一つは、自主財源の話をされますけれども、課税権というのは現在でも地方自治体にあるわけですけれども、現状では地方自治体は課税権はほとんど行使し得ない、というよりも能力がないわけでございます。
私は、地方分権の大前提として、この地方自治体の構造の問題に入らなければ架空の議論に終わってしまうような気がしてならないんですけれども、その点について御意見を承りたいと思います。
この発言だけを見る →もう一つは、地方分権を大変大事なこととおっしゃっておられました。私もそう思います。しかし問題は、今の地方自治体が、例えば社会福祉というのはこれは事業です。この社会福祉事業を経営する適正な経営体としての規模になっているのかどうかという点が一つ問題があると思います。
それからもう一つは、自主財源の話をされますけれども、課税権というのは現在でも地方自治体にあるわけですけれども、現状では地方自治体は課税権はほとんど行使し得ない、というよりも能力がないわけでございます。
私は、地方分権の大前提として、この地方自治体の構造の問題に入らなければ架空の議論に終わってしまうような気がしてならないんですけれども、その点について御意見を承りたいと思います。