少子高齢化・共生社会に関する調査会

2010-02-17 参議院 全76発言

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会議録情報#0
平成二十二年二月十七日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月十日
    辞任         補欠選任
     松野 信夫君     藤谷 光信君
     渕上 貞雄君     福島みずほ君
 二月十二日
    辞任         補欠選任
     白  眞勲君     牧山ひろえ君
 二月十六日
    辞任         補欠選任
     尾立 源幸君     梅村  聡君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         田名部匡省君
    理 事
                島田智哉子君
                下田 敦子君
                友近 聡朗君
                南野知惠子君
                丸川 珠代君
                鰐淵 洋子君
    委 員
                家西  悟君
                梅村  聡君
                岡崎トミ子君
                工藤堅太郎君
                藤谷 光信君
                牧山ひろえ君
                松岡  徹君
                水岡 俊一君
                石井みどり君
                岸  信夫君
                中村 博彦君
                義家 弘介君
                紙  智子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        工藤 政行君
   参考人
       関西学院大学人
       間福祉学部教授  牧里 毎治君
       島根県海士町長  山内 道雄君
       和歌山県古座川
       町長       武田 丈夫君
       三鷹市長     清原 慶子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○少子高齢化・共生社会に関する調査
 (「コミュニティの再生」のうち少子高齢化と
 コミュニティの役割(コミュニティの担い手、
 活動の継続についての課題))
    ─────────────
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田名部匡省#1
○会長(田名部匡省君) ただいまから少子高齢化・共生社会に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、渕上貞雄君、松野信夫君、白眞勲君及び尾立源幸君が委員を辞任され、その補欠として福島みずほ君、藤谷光信君、牧山ひろえ君及び梅村聡君が選任されました。
    ─────────────
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田名部匡省#2
○会長(田名部匡省君) 少子高齢化・共生社会に関する調査のうち、「コミュニティの再生」を議題といたします。
 本日は、「少子高齢化とコミュニティの役割」のうち、「コミュニティの担い手、活動の継続についての課題」について参考人から意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人は、関西学院大学人間福祉学部教授牧里毎治君、島根県海士町長山内道雄君、和歌山県古座川町長武田丈夫君及び三鷹市長清原慶子君の四名でございます。
 この際、参考人の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございました。
 参考人の皆様方から、「少子高齢化とコミュニティの役割」のうち、「コミュニティの担い手、活動の継続についての課題」について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。
 また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、牧里参考人からお願いいたします。牧里参考人。
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牧里毎治#3
○参考人(牧里毎治君) それでは、まず自己紹介を少し兼ねて、ここになぜ私が座っているのかということをお話しさせていただきます。
 お手元の資料に今日のレジュメを用意させていただきましたが、最後の二枚目に日本地域福祉学会のニュースレターを付けさせていただいています。
 実は、二〇〇八年度より会長を務めることになりまして、こういう地域での取組だとか自治体の支援だとか、そういうことをテーマにした学会でございまして、大体二千人足らずの会員なんですけれども、一応全国を網羅をしておりまして、学者だけではなくて、社会福祉協議会だとかNPOだとか、それから自治体の職員の方だとかが会員になっていただいております。
 そういうこともございまして、各地で取り組まれている優秀な地域福祉実践を実践賞としてこれまでに十数か所ですか、表彰させていただきました。現場に近い学会ということで頑張っております。そういう立場からお話をさせていただきたいと思います。
 お手元に一応レジュメを用意させていただきましたが、時間も短いので無駄に使うことができませんので、かいつまんで説明をまずさせていただいて、こういう地域活動の取組には中間支援と申しましょうか、インターミディアリーと申しておりますけれども、そういう中間支援の組織があるかないかによって活性化をしたり活動が伸び悩んだりするということがございまして、その必要性をお話をさせていただくということになろうかと思います。
 それでは、レジュメに従いまして、原稿を作ってまいりましたので、それを読み上げるような形でまずお話をさせていただきたいと思います。
 まず、社会貢献の仮説ということについてです。
 ボランティア活動や地域自治会活動など、準公益的な活動を始めたり生活の一部として継続的に活動することはなぜなんでしょうか。その動機やきっかけの根底にあるもの、活動の源泉は何なのかを考える必要があります。人間はなぜ人に役立つことをしたいのか、なぜ助けようとするのか、直接的な報酬を求めないで非営利活動をする人がなぜ存在するのかなど、根本的な基本を理解しておくこと、社会貢献をしたい欲求を認める必要があるでしょう。
 まず、人間は、意識的にせよ無意識的にせよ、人に対して役に立ちたい、何か貢献したい、困った人がいたら手を差し伸べたい、人の困窮を黙って見過ごすことができない存在なのだということを仮定として設定する必要があります。本源的に人間は他者に役立ちたいというニーズ、共に生活環境を良くしたいという欲求を生まれながらに持っているのだという仮説をまず立てます。それが、人間が人間である本質的、太古的特質なのだと考えることにしておきます。
 しかしながら、この基本的な社会貢献をしたいというニーズは、均等にいつでもひとしくだれにでも発現するわけではないのです。人間の置かれた環境や時代や文化的背景によっても社会貢献ニーズは目に見える形で気付かれないまま消え去っていくこともあります。不景気や不安や恐怖が支配する社会や時代では見えにくくなりがちです。とすれば、社会貢献ニーズが世に立ち現れてくる、曇ったガラスを見やすくする必要があるのです。
 だれもが社会に参加して他者に貢献したい、ひいては自分たちの暮らしているコミュニティーや市民社会に貢献したいという欲求を顕在化しやすくするにはどうしたらいいのか。より良い条件づくりや環境改善を進めれば、社会貢献ニーズが開発されて、多くの人々が社会貢献しやすくなるのだろうと仮定するわけです。
 では、現状をどう認識するかというところに移ります。
 しかしながら、現実は全く異なっているのではないか。なぜボランティア活動は伸び悩み、町内会・自治会活動は空洞化してきているのか。なぜなのか。自治会役員のなり手は少ないし、PTA役員も後継者探しに行き詰まっている。さらに、自治会や町内会に入会することさえ忌避する人たちもいますし、ボランティア活動に至っては、関心はあるが参加する余裕はないと答える人が大半です。自分の暮らしや目先の未来を考えるだけで精いっぱいな状況に多くの人々が追い込まれているとは言えないでしょうか。
 また、つながりが難しい時代になっています。地域社会も職場もコミュニケーションすることが難しくなっていますし、意思疎通をすることが苦手な人が増えています。社会や時代が変わってきたといえばそれまでですが、自立したり契約関係を結んで行動する生活スタイルが一般的になってきました。地域社会も世帯単位で活動することが少なくなりましたし、職場も世代ピラミッドによる縦社会ではなくなってきました。個人単位の、横にフラットな脆弱で壊れやすい人間関係になってきています。
 産業構造や雇用関係が年功序列型の終身雇用型から契約請負型の働き方に変わってきていますし、生活単位も家族・世帯単位から個人・孤立型に変わってきていると言っていいでしょう。仕事の仕方から暮らし方、さらには価値観や人生観も大きく変わり、多様化してきているのです。当然、地域社会の様子も、少子高齢化の影響を受け、限界集落にも見られますように、持続的に発展することが困難になってきています。
 それでは、提案ということになりますが、可能性と展望について話をさせていただきます。
 では、コミュニティーが再生される可能性はあるんでしょうか。地域における公共的活動が世代間で循環する持続的展望は望めるんでしょうかという問いに答えなければなりません。
 従来どおりの家父長的な地域社会の再生のみを願望するのでなければ、可能性と展望はあります。これまでの古いタイプの男性優位の世帯単位による地域社会から、個人個人の興味、関心が尊重され、それぞれの個性を尊重した緩やかな連帯と協働の地域社会を構想するならば、男も女も子供も高齢者も参加、参画する福祉社会の展望は開けます。人それぞれの社会参加や社会貢献のニーズは、程度に合わせて制度的支援や専門的なサポートがあればだれもが変わっていきます。
 市民の自発的な行動だけに期待するのではなく、社会参加したい、社会貢献したいというニーズをくみ上げて具体的な社会活動に落とし込んでいく専門的支援があれば、人々は成長度合いに沿って変容していきます。個人的に体験参加する初心者の段階から、仲間を集って活動する活動リーダーへ、さらにはボランティア支援をしたり助け合いの活動を組織的に支援する専門職のレベルまで社会参加や社会貢献の幅は広いと言えます。
 つまり、住民の活動のレベルに合わせて専門的に支援する有給職員がいれば、社会参加の取組や社会貢献の活動は促進されるだろうということです。
 コミュニティーを従来の地縁型社会としてステレオタイプに固定的に考えないということも必要でしょう。職場社会も機能的コミュニティーと考え直す必要もあります。地場産業が地域社会を基盤に成立していた時代ならともかく、情報社会、サービス産業の時代にある現代では、勤労者は会社や職能集団など職場社会で一日の大半を過ごしています。旧来の地域社会にのみ焦点を当てて組織化しても空回りするだけです。今求められているコミュニティーづくりは、職場をボランティア空間にしたり、助け合い、支え合いの公共活動の場をつくることではないでしょうか。
 あるいは、地域社会そのものを職場にすることも必要です。自治会や町内会が担っている地理的コミュニティーであれ、NPOやNGOによるテーマ型コミュニティーであれ、担い手が増え、活動を継続させるには拠点と資金が必要なのは言うまでもありません。
 ただし、これも、旧来のように自治体の助成や補助のみに依存するだけでは行き詰まってしまうでしょう。ソーシャルビジネスやコミュニティービジネスなどの活躍を含めた活動資金の源泉を多元化して考える必要も出てきています。
 活動の資金の源泉は、税金のほかにもたくさんあるんです。寄附、料金も想定できますし、拠点も自治体による公営施設に限定する必要はないと思います。市民や住民が自発的、自主的に使える空き教室、空き店舗、空き倉庫、民家などもコミュニティーにとっては有効で貴重な地域資産なんだということを認識して活用することも求められます。
 要するに、人材を含めて地域社会の資源を地域の資産、あるいは将来に手渡す遺産に変えていく、市民、住民の参加によるローカルガバナンスが構築されなければなりません。
 ちょっと、残った時間で少し。
 添付しております、一つは宝塚NPOセンターという、これは中間支援団体、インターミディアリー組織でやっていることについて書いたものです。もう一つは、冒頭に申しました「ソーシャルビジネスとは」という資料です。これについて一言二言説明させていただいて、私の発言を終わりにさせていただきたいと思います。
 一つは、宝塚NPOセンターは、宝塚市内のNPOだけではなくて周辺のNPOセンターへの支援、NPOそのものの支援。つまり、ボランティアグループだったけれどもちゃんと法人格を取って何か事業をしたいと、法人手続の仕方、当然登記の仕方ということになりますが、登記した後もどんなふうに運営するのか。どこもNPOは収入に困っていますし、あるいは会計もどうしていいか分からないという方々も多いんですね。そういう意味では、ハンズオンというんでしょうか、手取り足取りずっと設立した以後も持続的にかかわっていくという必要があります。そういうことを宝塚NPOセンターではやっております。
 当然、NPOセンターも行政やいろんな団体から助成金をもらって自転車操業なんでありますけれども、そういうことをやりながらほかのNPOを支援をしておりますということが一つですね。
 それからもう一つは、ここでのソーシャルビジネスという考え方ですけれども、コミュニティービジネスとかソーシャルビジネスとかいろんな言い方があるんですけれども、要するにビジネス手法を使って公共的なことをやっていこうと。
 つまり、今まで福祉とか保育とか介護とか、こういうものはほとんど行政の仕事だったわけですね。そういう時代が少しちょっと終わろうとしている。それに代わるものとして、こういうビジネス手法で公益的な、公共的なことをやっていこうと、こういう社会をつくっていかないと日本社会はもたないんじゃないかという、こういう考え方ですね。
 また、学者によって定義が様々ですのでこれだということはないんですけれども、一つは、そういうビジネス組織を使って雇用機会をつくったり、あるいは最終的には消費者である人たちに商品とかサービスとか、そういうより安くいいものを提供する。当然、そういうことを通じてお金を出してくれる出資者、まあ株主と言ってもいいんでしょうか、株主さんもいい気持ちでお金が出せるような社会にする。最後は、それを通じて地域社会づくりをやっていこうと、そういう団体がたくさん出てくれば変わるんではないかと。
 こういうソーシャルビジネス、コミュニティービジネスをたくさん生み出すことと、その出てきたいろんな団体の調整をするということがこれから重要になってまいります。
 なかなか行政では立ち入ることができない民間団体ですから、その公と民間をつなぐような中間支援組織というものがこれからますます必要になってくるんだということを訴えておきたいと思います。
 これで私の発言を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
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田名部匡省#4
○会長(田名部匡省君) どうもありがとうございました。
 次に、山内参考人、お願いいたします。山内参考人。
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山内道雄#5
○参考人(山内道雄君) 御紹介いただきました島根県隠岐の海士町長の山内でございます。
 私どもの小さなステージで取り組んでいることでどんなお話できるか分かりませんが、今私どもが取り組んでいることについて少しお話をしたいと思います。
 その前に隠岐の海士町ってどこにあるかということを先生方もお思いでしょうけれども、実は日本海に浮かんでいる四つの有人島の中の一つの小さな島でございまして、竹島問題で、帰属問題でもめていますけれども、それは隣の大きい方の隠岐の島町で、私の島は隣の島でございます。
 人口も今二千四百人ばかりの小さな島で、ただ奈良時代から御食つ国に認定されているように、豊かな海とそれから名水百選がございまして、米も作っていると。まあ自給自足のできる半農半漁の島でございます。歴史的には、後鳥羽上皇が私の島で十九年有余御配流の身になられましたけれども亡くなられたと、そういうふうな歴史的にはございます。
 私が町長に就任したのが平成十四年でございますけれども、それまで約、私はその前は議会議員でございました、十六億ぐらいあった基金、貯金が、私が就任したときには四億に減っていました。そしてまた、一般会計で今公共事業も減りましたので四十億ぐらいなんですけれども、借金が百一億五千万ございました。当時のシミュレーションでは、前年、平成二十年度には赤字再建団体に転落するという危機に瀕しておりました。そしてまた、その証拠といいますか、この島といいますか、隠岐全体、離島はそうだったと思いますけれども、これまでは公共事業で生きてきた島、あるいは生かされてきた島だというふうに私は思っていました。
 ただ、私どもの島も昭和二十五年ごろまでには七千人近く人口がいました。現在は今二千四百人まで減ったと。そしてまた、高齢化率も三九%を超している。唯一県立高校がございますけれども、高校を卒業したら、ほとんどというより、むしろ一〇〇%の子供たちが出ていく。そして、生まれる子供も今までは年に十人前後ということで、まさに島は消える寸前というところでございました。
 そういう中で私は町長に就任して、この窮状をどう切り抜けるかということで職員と一生懸命に考えてきたんですけれども、私は今もって考えていますけれども、中小企業の社長だというふうな思いで、企業経営も地域経営も一緒だと、他力本願ではできないという思いの中で、いろんな職員の意識改革に取り組んでまいりました。やっぱり自ら、島の未来は自ら築くという住民の気概あるいは職員の気概が初めて一緒になって、私は本当の島づくり、自立ができるんだというふうに思っています。
 島と島との合併ということについて、私は正直、住民もそうでしたけれども、合併メリットを生かせないということで単独町制をしいてきました。
 皆さんのレジュメの中で、単独町制の制が政治の政になって間違っているようですけれども、制度の制でございます。三のところでございます。
 そういう中で、実は、三位一体改革等もございまして、交付税もまた急に減されたということで、どうすべきかということで、議員とそして住民代表、行政が一緒になって、海士町自立促進プランというのを十六年の四月に作りました。
 それは、一つには徹底した行財政改革によって守りを固める一方で、攻めの方策は新たな産業創出を強力に推進していく。外から原材料を持ってきてやってもとても太刀打ちできませんけれども、島にあるものを使って、いわゆる第一次産業の再生というところでやろうということでございました。
 私は、自ら身を削らない改革というのは住民に支持されないというところから、結果的には、今私は五〇%カットでやっていますけれども、これは正直言って、最初にも言いましたように、経営者としては失格だと思っています。職員も自ら申し出て、私も泣きましたけれども、課長、係長が十七年三〇%カットをやったと。今は一九%。冬のボーナスと夏のボーナスと満額払っていますから、最高一五ぐらいに落ちています。
 私は自分の考えでそういうふうにしていますけれども、それをやってきたといいますか、そのことによって、いろんな町内で動き、各種団体、そこに書いてございますけれども、いろんな動きが出てきたということです。
 ただ、職員や議会の皆さんから、カットするだけで、それを一般財源に入れても目に見えないようでは駄目だということで、海士町子育て支援条例を作りました。そこに書いてございますように、すこやか支援条例の代表的なものを挙げますと、例えば結婚すればペアで二十万、出産祝い金は三人目五十万、四人目からは百万、あるいは保育料、第三子からは無料とか。国も制度を設けましたけれども、私のところでは産婦人科医院がございません。松江か鳥取、米子へ行ってお産をするわけですから、それの健診、十四回までの健診のお手伝い。あるいは、Iターンがたくさん来ています。東京へ帰ってお産すればその旅費の一部とか、いろんなことを今やっております。
 そういう中で一番良かったと思うのは、住民との一体感が出てきたと。行政もそこまで頑張るかという中で、いろんなことで、今ボランティアの話も出ていましたけれども、町の整備等についても、非常に今まである程度金を、委託料を払っていましたが、全部返上してきたと。あるいは、ゲートボール協会とかバス賃の七十五歳半額ももういいんだということで、非常に意識が共有できたということで、私は、そういう共有することでやっぱり危機というのは脱出できるんだなというふうな今思いを持っています。
 一方の、攻めの戦略なんですけれども、これは最初に申し上げましたように、ただ行政改革だけやっておればもう生き延びるだけなんですけれども、生き残るためにはやっぱり産業おこしが大事だということで、国のあらゆる支援措置を積極的に取り入れてきました。
 その中で、産業おこしのキーワードを海、潮風、塩という三本柱に絞りまして、島まるごとブランド化しようということで、一気に成長を島の外へ求めたと。島の中で経済が動いてもひとつも活性化になりません。私は外貨と言っていますけれども、島の外から金を取ってくることが外貨獲得だ、そしてまた、それが雇用につながるんだということで取り組んで今きておるところですけれども。
 まず、キーワードの海ですけれども、これはさざえカレー、今までお母さんらが作ったさざえカレーがまさか金になるとは思いませんでしたけれども、今、横浜とか東京のカレーショップでも大変人気を博していまして、これは平成十年からやっていますけれども、これはもうほっておいても売れるようになりました。
 そしてまた、岩ガキにつきましては、今、東京で、私の漁協では小売で一個四百円ぐらいですけれども、品川の先日もオイスターバーへ行ってみましたけれども、一個千二百円から千五百円で私どものものが取引されていると、お客様に食べていただいているということです。私も、業者さんは大分もうけているなと思っていますけれども、そういうことで、大変ある面でこれは非常に良かったなと思っています。
 その裏付けとして、これはいろいろ議論もされましたし、農水省さんもいろんな形で支援をしてくれましたし、いろんなまた誤解もあったようですけれども、CASシステム、セルズ・アライブ・システムという、これは細胞を壊さないという凍結システムを入れました。一般財源が四十億の中で五億を掛けて官設民営で今やっていますけれども、その民営の社長を私は今兼ねておりまして、十年先でないと黒にならないかと思いましたけど、五年目にしてようやくこの上期が黒になりましたから、これだったらいけるのではないか。
 議会からも、県辺りも相当、早く撤退せよというお話をいただきましたけれども、私は島に生き残りを懸けたそういう設備だということで、今、一月にも中国へ白イカ一万匹出していますし、今はニューヨークにはすし屋さんにも出したり、東京のおすし屋さんとか、そしてまた大手の外食産業にも出して、七十社ぐらいと今取引しております。四十品目ばかりで、島の特徴としては少量多品目ということでしかできませんけれども、そういうふうな取引をやっていると。
 もう一つは潮風なんですけれども、これはもう建設業が肉用牛に始めた、農業特区を取ってやったと。公共事業でもうけて、この際、社長いわく、若い社長ですけれども、地域に還元したい、そして雇用の場を守りたいというところから、島生まれ・島育ち・隠岐牛ということで、今まで子牛の段階で出て、それが松阪牛になったりしていたんですけれども、島で完全に肉用牛まで育てて、東京の品川市場へ毎月、今の十二頭ですけれども、生体のまま持ってきて、ただ肉質がいいということで非常に好評を得て、今もって、わずか今まで四百何頭ですけれども、これの肉質が全然落ちていないと。市場の平均の上物率からすれば、もう倍以上の上物率、A4・A5が八三%を今超しているというようなことで、大変市場関係者からは注目を浴びております。
 そして、三つ目の塩なんですけれども、これはもう昔ながらの製法で、まきでたいて塩を作っております。非常にミネラルが豊富だということで料理研究家の目にも留まっていますし、また、東京の三つ星ホテルでも今使っていただいております。
 ただ、それだけですと、どこも塩やっていますけれども、漁師の奥様方が、だんなの手伝いは漁協の浜でしてそれで終わっていたのが、自分たちで塩辛を作ったりあるいは塩干物を作って、しかも、商売を知らなかった奥さん方が今、松江のそういうカラコロ広場とかいろんなところへ、あるいは県庁の職員の食堂へ行って売り込みを始めたと。私は、そういう面では非常にコミュニティーのパワーアップにつながったということで、私は塩に大変感謝をしているところでございます。
 そういう中で、実は、私もまだ原因分かりませんけれども、島に若者がたくさんやってきています。それは、一つには、一点突破型の産業振興をやったということが多分功を奏していると思いますけれども、十六年度から去年の十二月までで、島の中でU・Iターンを含めて百三十六人の雇用を生んでおります。
 そしてまた、Iターンの皆さんは、職があるから来たんじゃなくて起業しに来たんだと、町長、島に宝物を探しに来たんだということで、人が人を呼んで、去年の十二月までで、それもしかも四十歳代以下の人ばかり。家族持ちの方、独り者の方、百四十四世帯の二百三十四人の方が島へ来ておられます。ちなみに、別にUターンは百四十七名です。むしろ、UターンよりもIターンの方がたくさん来ておられます。
 そして、十五年ごろまで減り続ける一方だった四十歳以下の年齢層が増えてきている。絶対数は増えておりません。三九%、高齢化率ですので、私が一週間出張しておれば大体一人ないしは二人亡くなる。一方では寂しい状況で、絶対数は増えておりませんけれども、四十代以下の人口が増えて、正三角形のくびれた部分が今真っすぐになりつつあるということで、これは大変私にとっては有り難いし、島のパワーにつながるというふうに思っております。
 それで、私はもう本当に若い人たちとの思いの中で、やっぱり自ら切り開くというのが、いろんな制度も大事ですし国の支援ももちろんお願いしたいところですけれども、まずやっぱり地域づくり、コミュニティーづくりは志が大事だなというふうに思っております。そういう面では、人づくり、なかなか島には人材が少ないんですけれども、スキルを持ってきた彼らIターンの若い皆さんの力を借りながら、今一生懸命人づくりをやっておるところでございます。
 私は、もう海士町は日本の未来の縮図だと、同じ島国の中でもと思っていますから、ある面じゃ、その先取りで頑張れば必ずや世の中は良くなるだろうというふうな思いで若い者と今やっているところです。
 そういう面では、子供たちも、ここ三年間、決して金で釣るという私は考えはないんですけれども、子育て支援条例を作ったおかげでもうIターンの奥さん、Uターンの奥さんに喜ばれていますけれども、ここ三年、もう二十人前後まで出生率が伸びたということも大きな私はこれから力になるだろうと思いますし、子供たちが地域に目覚めてくれていますので、今の高校三年生以下は必ずや何人かは町づくり、島づくりに帰ってくるというふうに思っています。
 与えられた時間が以上のようでございますけれども、一方では、唯一の島前高校を守るために、せんだっての十五日の朝日新聞全国版に載っていましたけれども、県立高校ですけれども、二千万の金を町から出して、高校の魅力化、本土から学生を呼ぶよう、今八人ばかり今度応募がありましたけれども、そういうことで少しずつ、本当にわずかな動きですけれども、何とかこの島を持続可能な島にしていきたいという思いで今地域の人と職員とやっているところでございます。
 以上です。
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田名部匡省#6
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 次に、武田参考人、お願いいたします。武田参考人。
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武田丈夫#7
○参考人(武田丈夫君) 和歌山県古座川町長の武田丈夫と申します。どうぞよろしくお願いいたします。(資料映写)
 古座川町は、和歌山県三十市町村のうちで二番目に人口が少ない町です。そしてまた、二番目に高齢化率の高い町になっています。少子高齢化が進む中で、集落の維持を保っていくための取組、U・Iターン者の受入れと、それから小学校と地域をつなぐ取組について、その事例の一部を報告させていただきます。
 古座川町は、和歌山県南東部に位置し、二百九十五平方キロメートルを有する山村の町でございます。九六%が森林で占められ、林業を主要産業として栄えてきましたが、現在はユズ、センリョウ、この生産拡大に取り組んでおります。特に、ユズはジュースなどの加工品も数多く作られ、銀座のめざマルシェや有楽町の交通会館地階の和歌山県物産販売所喜集館で販売されております。また、司馬遼太郎の「街道をゆく」で紹介された清流古座川と森林の緑が織りなす自然豊かな風景は、他に類を見ない景勝地が数多くあります。
 昭和三十年の人口は一万百八名でしたが、平成二十一年には三千三百二十一名、三十年当時の三二・九%に減少しております。一世帯当たりの人口も四・五人から二・二人に減少している、こういった状態でございます。
 六十五歳以上の人口も、七・三%であったのが四五・八%、県下で高齢化率が二番目に高い町となってしまいました。今、一年間に生まれてくる子供は約二十名足らず、亡くなっている方は七十名、単純計算で年間五十名の人口が減少しているといった町でございます。集落の構成ですけれども、四十四集落のうち二十集落が高齢化率五〇%を超えるいわゆる限界集落という集落でございます。このブルーとグリーンのところが五〇%を超える集落でございます。
 また、小中学校の数は、合併当初の昭和三十一年二十一校あったのが、今では小学校三校、中学校二校の五校に減少し、小学校児童数も千三百九十八名から百十七名に減っております。中学校生徒数は四百七十一名から七十一名、こういった減りの具合でございます。
 産業別就業者数でございますけれども、第一次産業の就業者数は二千六百九十八人、産業別に見ますと、第一次産業が五六・二%であったのが平成十七年百六十二人、構成比としまして一次産業が一二・六%、その減少率が九四%に及んでおります。
 過疎、高齢化と人口減少に歯止めを掛けるには定住対策が求められます。安定した収入・地場産業の振興、子育ての環境整備、医療、この三つの環境が整ったときに集落が維持できると考えられます。しかし、高齢者対策、定住・移住施設、U・Iターン者の受入れの住宅、これも必要不可欠な施設の一つです。
 このうち、古座川町が取り組んでいる地域の担い手確保とその活動について事例を紹介します。
 産業振興委員会は、地域の団体などで構成する、農林業振興と後継者育成、U・Iターン者の定住促進を目的としています。そこで、定住に関するアンケートを取りました。実施件数と回収率は御覧のとおり、千百五十二件、六六・二%でございます。
 その結果、お住まいの集落に都会や他の地域からの転入者を積極的に受け入れていくべきだと思いますかという問いに対して、受け入れていくべきだという答えが七五・二%、お住まいの集落の人口が減少していることについてどう思いますかという問いに対しまして、何らかの対策をする必要があるという答えが八〇・四%、どのような対策をする必要があるかという問いに対しまして、一番高かったのは産業の振興、次に医療の充実、三番目は定住者の受入れというふうな結果になりました。
 そこで、U・Iターン者の受入れのためには住宅が必要です。町内の空き家調査を行いました。町内にある空き家は二百八十軒、そのうち利用可能と思われる百八十軒を調査し、所有者に問い合わせたところ、貸してもよいという空き家は十三軒、そのうち手入れをすることなく入居できるのは三軒程度で、大半は修繕を必要とする家屋でした。
 空き屋を貸してくれない理由には、正月や盆に家族が里帰りする、家財道具、仏壇などを置いている、相続が決定していない、貸したくないなどが主な理由です。
 定住者が事前学習と地域情報を得るため、現地で滞在し、実情を知ってもらうための短期滞在住宅を二棟用意し、滞在しながら事前学習ができるようにしております。平成二十年度の短期滞在住宅利用状況は、滞在日数四日までの利用者が二十三件、五日から十日までの利用者が三件、十一日から十四日の利用者が二件、十五日から二十日の利用者が五件というふうになっております。
 次に、Uターン・Iターン者を受け入れる研修は和歌山県ふるさとセンターで体験学習と交流事業を行っております。平成二十年度には、山村体験研修八十名、田舎暮らし定住サポート研修三百九名の研修生を受け入れ、農業体験や田舎暮らしの研修を行いました。
 平成十八年度から二十年度のU・Iターン者の定住状況でございます。二十年度を例に取ってみますと、相談件数が八十九件、そのうち現地へ出向いてきてその希望者を案内した件数が三十九件、定住した世帯が七世帯、定住した家族数が十一人というふうな形になっております。
 また、定住者と産業振興委員会のメンバーは、夏と冬の二回交流会を持ち、情報交換や地域づくりのワークショップを行うなど共に活動を行っています。この風景は、今年一月に行われました地域づくりのためのワークショップの風景です。
 定住者を受け入れる体制といたしまして、地域の風俗、習慣、行事を正しく理解してもらい地域に溶け込んでもらう、音楽や工芸、物づくりなどの特殊技術や知識を生かした地域づくり、地域おこしを求める、農業、林業等地域住民が持つ技術や田舎暮らしのノウハウを教え、安定した田舎暮らしと地域に溶け込める生活のサポートを地域ぐるみで行うなどの受入れ体制を行っております。
 地元で求めているものは地場産業としての担い手です。緑の雇用による山村の労働力や農業の労働力による産業の担い手として、少子高齢化する地域を支えるリーダーとしての役割が求められています。新たな地場産業の掘り起こしや起業による地域の活性化などにより、過疎、高齢化する集落に若者が定住できる仕組みづくり、地域と一体となった人材の確保によってコミュニティーの維持を図っていきたいと考えています。
 次に、少子高齢化する地域における教育と地域のかかわりですが、小学校の児童数の減少により、学校行事には地域の協力が必要となってきました。これは町内にある三つの小学校、二つの中学校の生徒数でございます。このうち明神小学校それから高池小学校の取組について一部を御紹介させていただきます。
 元々、古座川町は、この住民は学校教育には協力を惜しまない土地柄で、大きな学校行事は育友会、地域住民が協力して合同で作業を行っています。明神小学校が平成二十一年度に取り組んだ校庭の芝生化は学校、育友会、地域住民が協力して行いました。これは校庭に芝生を植えた後の集合写真です。
 運動会は明神小、明神中学校と地域住民が合同で行う明神運動会という名称で長年続いていますが、二十一年度は芝生化成ったグラウンドで行われました。また、地域にある老人福祉施設を児童全員が訪問し、お年寄りとの合同運動会や学習発表会により交流を図っています。
 高池小学校では、地元の農家の協力を得て米作り体験を学習する米米クラブを結成し、田植えから収穫までの稲作の一連の作業を体験しております。米作りや農業体験などは、古座川町内のどの集落でも少し前までは日常生活の中で体験できましたが、今ではこのような特別な機会を設けないと体験できないのが現状です。少子高齢化する地域にあって地域の営みを子供に伝えていくためには、児童生徒と地域住民が共に作業を行い、子供を育てるコミュニティーづくりに取り組んでいかなければならないと考えているところです。
 以上、古座川町での取組の一部を紹介いたしました。
 この写真は、昨年十一月、豊岡市で放されたコウノトリが清流古座川にやってきて、おいしい天然アユを食べていました。ところが、自分が捕ろうとしたアユをサギに横取りされたところの写真です。ハトではございません。
 以上で報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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田名部匡省#8
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 次に、清原参考人、お願いいたします。清原参考人。
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清原慶子#9
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。東京都三鷹市長の清原慶子です。
 本日は、会長を始め調査会の皆様、発表の機会をいただきまして、心から感謝を申し上げます。
 調査会のテーマに即しまして、本日、市民と協働で進めるコミュニティーの再生と創生につきまして、御配付されております発表の要旨に基づきましてお話をさせていただきます。
 まず、自己紹介をさせていただきます。
 私は、学生時代、昭和五十年代初め、一九七〇年代の後半、三鷹市での第一次基本計画作りに向けた市民会議に学生代表として参加をいたしました。当初から三鷹市は市民の声を反映する取組をしておりましたが、その後、大学の研究者となりまして、在住研究者として様々な取組に参加をしてまいりました。
 特に、一九九九年、平成十一年から二年間、全員公募の三百七十五名の市民の一人として三人の共同代表のうちの一人を務めました、みたか市民プラン21会議による白紙からの自治体の第三次基本構想・基本計画素案作りへの参画をしました関係で、前市長が勇退される中、市民参加と協働を進めることを期待されて、平成十五年、二〇〇三年四月より第六代の三鷹市長を務めております。
 さて、三鷹市の特徴でございますが、昭和二十五年、一九五〇年十一月三日に町から市となりまして、本年、市制施行六十周年目を迎えています。十六・五平方キロに人口は約十八万人。実はさきの二つの町長さんには申し訳ないんですが、三鷹市は、私が市長になってから毎年千人ずつ人口が増えているような動向でございます。予算規模は約一千億円、地方交付税の不交付団体でございます。
 全国で初めて公共下水道を一〇〇%普及したことで注目されておりますが、最近では日経新聞・日経地域産業研究所によりますサステナブル都市や行政革新度調査で高い評価をいただいておりますが、なぜ高い評価なのかというところがポイントです。三鷹市民の市民参加、協働の取組が注目されて高い評価をいただいております。もちろん、それを支える行財政改革についても一定の努力はしておりますが、重要なのは市民の活躍でございます。
 そこで、コミュニティー再生からコミュニティー創生に向かう三鷹市についてお話をさせていただきます。
 三鷹市では、一九七三年十一月に発足しました、最初の住民協議会によるコミュニティーセンターを拠点とするコミュニティーの再生に向けての活動が、その展開を始めてから三十七年の年月が経過しております。
 当時、三鷹市において求められましたコミュニティー再生の事例は、まずは、戦後の地縁を基礎とした村社会が崩壊してきて、新たな住民と古くからの住民の融和を図りつつ、地域性と共同性を持つ地域社会をつくることをコミュニティーという言葉で表現したわけでございます。
 その後、最近の少子高齢化の急速な進展の中で求められているコミュニティーは、従来モデルとなっていた日本の村社会を知らない若い世代をも含めて目標とされているものでございますので、言わば三鷹市ではコミュニティーの創生を目指す段階に入ってきていると思います。すなわち、地域で共に生き、共に支え合う、新たな共助の仕組みづくりが求められ、三鷹市での取組がなされています。
 これから御紹介をする事例は、自助、共助、公助の公の部分は、自治体行政のみが担うことが必ずしも有用ではなく、むしろ課題の当事者のニーズを酌み取り、その解決の在り方にとっては、多様な担い手が参加し合う新しい公共空間が顕在化してきています。
 三鷹市では、平成十八年、二〇〇六年四月に三鷹市自治基本条例を定めました。その中身には、参加と協働の理念の取組を明文化しておりまして、地域の多様な主体が力を結集して相互に連携、分担して、住民ニーズに対応した公共サービスの効率的、そして総合的な実現を目指しております。
 本日は、三鷹市で実践されております広範なコミュニティー再生にかかわる活動事例を紹介させていただきまして、本調査会のテーマであります「コミュニティの再生」について検討する際のヒントをお示しできれば幸いです。
 それでは、幾つか具体的な例を御紹介いたします。
 第一点目は、住民協議会によるコミュニティーセンターを拠点とする活動です。
 先ほど申し上げましたように、一九七〇年代にこの住民協議会の活動は始まりました。何代も住んできている住民と新しく転居してくる住民との融和を図るためにコミュニティーセンターを開設する。本格的な複合施設の先駆けです。市を七つの住区、これは大体中学校区に相当するのですが、設計段階から市民参加を求め、市民の願いに沿った建物を建設し、施設の管理運営は各住区の公募の個人、団体から成る住民協議会が自主的に行っています。
 八〇年代には、コミュニティーカルテやまちづくりプランをつくっていただき、それを多くの計画に反映をしています。また、住民協議会発足当初から創意工夫の事業計画や広報活動をしていただいておりまして、コミュニティー祭り、コミュニティー運動会、子ども・シルバーまつりという世代間の出会いを促進する取組を進めていただいています。
 さて、次に子供、子育てを支える地域の活動について御紹介をいたします。
 言うまでもなく、公立保育園は働く保護者のためにそもそもは設定されていますが、地域開放事業という家庭保育世帯の相談に対応する取組を強めております。特に公立保育園、保育士、保健師、栄養士等がコミュニティーセンターに出前の絵本とおしゃべりの会を進めたり、公立・私立保育園によるひろば事業は、いわゆる家庭保育世帯にも子育ての不安がない支えです。
 また、ファミリーサポート事業は有償市民ボランティアによる子育て支援でございますし、虐待児などを含む子ども家庭支援センターを中心とした要保護児童対策地域協議会の活動も機関連携として有効に働いています。
 また、子育て世代を中核とするNPO法人には、子育てねっとの運用を依頼するなどの取組をしています。
 特に、私が市長になりましてから始めましたのが、コミュニティースクール型による小中一貫教育の活動です。カリキュラムの検討を始め、モデルとなる第二中学校区で意見交換会を進め、目指す子供像として、二〇〇五年度には、人間力として、生きる力と他者とともに生きていく力を併せ持ったもの、そして社会力、すなわち社会の一員として役割を果たしつつ自己実現を図る力を兼ね備えた子供の育成を目指す教育ビジョンを定めました。
 公立学校がこのような理念に基づき、二〇〇六年四月に開設したのが、建物を合築しない方式で一つの中学校と二つの小学校から成る、にしみたか学園の取組でした。その後、二〇〇八年度に三つの学園、二〇〇九年度に三つの学園と、合計七つの中学校区に七つの学園を開園いたしましたが、その取組の大切なポイントは、コミュニティースクール運営委員会の活躍です。
 これは、各校ごとに設けられている学校運営協議会と別途、学園として設置をいたしまして、構成員は、保護者、住民協議会、町会、自治会、青少年関係者、そして地域住民の皆様によるものです。まさにコミュニティースクールは、学校は地域のもの、子供たちは地域で守り育てる、その構想の中から進められているものです。安全を守る学校安全推進員、安全安心・市民協働パトロールの取組は、とりわけ保護者の中でおやじの存在を明確化してきたことも特徴です。
 さて、高齢者を地域で支える活動としては、地域ケアネットワークの組織化も進めています。先ほど、七つの住民協議会による七つのコミュニティーセンターの活動が、長いもので三十年以上、新しいものでも十年以上であることは三鷹の宝です。医師会、歯科医師会、薬剤師会、民生児童委員、社会福祉協議会、住民協議会の健康福祉部会や町会、自治会等が一緒になって地域で高齢者を見守り、支える取組を始めています。
 まだ七つのコミュニティー住区で三つでスタートしたばかりですが、有償ボランティアが行うすき間を埋めるちょこっとサービスが開始されていたり、市で主催をしまして、傾聴ボランティア、認知症サポーター、地域福祉コーディネーターを養成する中で、地域での共助の取組を進めています。さらに、災害時要援護者支援モデル事業を開始しているところですが、老人給食サービスという市民の皆様による給食サービスは、独り住まいや二人住まいが多い三鷹市では大いなる支えになっています。
 また、障害者を地域で支える活動も、計画を当事者参加、支援者参加で作る中から強めているところでございます。なお、移送についてはNPO法人みたかハンディキャブが三十年以上の実績を持っています。
 それでは、このような取組をしつつ、本調査会の課題でもありますコミュニティーの担い手に対してどのような取組をしているかについて御紹介をいたします。
 三鷹市は、幸いなるかな、東京都の市であるにもかかわらず百を超す町会、自治会が健在です。私は、その大切さを思い、がんばる地域応援プロジェクトという市独自の取組を進め、補助金を交付するだけではなく、発表会で実践例を交流しています。また、地域防犯モデル事業で、マンション等集合住宅が町会と出会う取組を進め、安全安心・市民協働パトロールも町会で活躍をしていただいています。
 また、コミュニティー再生を目指す多様な担い手につきましては、既存の団体等との協働に加え、新たなNPOの組織化に向けて行政がかかわってきています。一九九九年創立の市が出資しているTMO、タウン・マネジメント・オーガナイゼーション、いわゆるまちづくり会社に活躍してもらい、SOHOやベンチャー、コミュニティービジネスの創業や継続支援をしておりますが、あわせて、農協にも御活躍をいただいて、都市農業を守るために三鷹市立農業公園を開園し、都市農業の継続を進めています。
 また、市内外の十五の大学研究機関と市によります三鷹ネットワーク大学を創設し、市民の皆様の課題解決の研究や高度な学習機会を提供しています。
 また、観光協会がなかったものですから、三鷹商工会と協力して協会を発足するとともに、このところ不況でございまして商店街も苦しいので、三鷹むらさき商品券という市内共通商品券事業を昨年度一億一千万円、今年度三億三千万円で実施し、商店街の活性化も進めています。
 また、市民協働センターを運営するNPOを支援したり緑化推進のためのNPOをつくるなど、私が市長になりましてから、市内の様々な団体、個人が結束できる枠組みとしてNPO法人を多く発足し、指定管理者やあるいは三鷹市と協働で様々なコミュニティーづくりをする活動の担い手になっていただいています。
 最後に、担い手に関する課題と解決に向けて申し上げます。
 三鷹は、幸いなるかな高齢者の比率は全国平均より下回っていますが、やはり働く世代は仕事に邁進しなければいけない状況の中、様々な組織の役員の高齢化、固定化という問題がないわけではありません。しかし、事業ごとの実行委員会方式や一日あるいは短期間委員になっていく方式を広めたり、事業を固定化してしまうという問題に対しては、継続することの意義を再確認しつつも、新規事業については行政の事業と協働で行いながら、できる限り行政の職員もパートナーとしてかかわっています。
 また、他の団体、機関と連携をしていただくことが重要ですので、一つの団体が孤立することがないように行政による情報共有や情報交換の機会を設定し、協働で実施することを支援するような補助金制度などの設置をしています。例えば、がんばる地域応援プロジェクトでは、町会、自治会がNPOと連携することを奨励するために補助金を出すなどの事例でございます。
 まとめさせていただきます。
 三鷹市は、戦後の高度経済成長の中で、新しく転居してくる市民の皆様と古くから家も十何代も住んでいらっしゃる市民の皆様との出会いがありました。その出会いが相互に尊重し合いながら新しいコミュニティー再生につながるように、行政としては市民参加と協働を進めてきたわけでございます。
 参考までに三鷹市自治基本条例の条文や協働についての参考の取組などを紹介させていただきましたが、三鷹市は、このように個人が孤立することなく、子供たちの教育や障害者、高齢者の支え、それを市民の皆様が何らかの役割を担いながら責任を共に持つ、そんな共に支え合う地域社会を創生しているプロセスでございます。
 御清聴ありがとうございました。
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田名部匡省#10
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後四時をめどに終了させていただきます。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
 また、一回の質問時間は答弁及び追加質問を含めまして最大十分とし、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくよう御協力をお願いいたします。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかをお述べください。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
 友近聡朗君。
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友近聡朗#11
○友近聡朗君 参議院議員愛媛選挙区の友近と申します。
 今日は、四名の参考人の皆さん、本当にありがとうございました。
 私、愛媛県は長崎県に次いで二番目に島嶼部の多い地域でして、特に山内参考人の方に大きく三点ほどお伺いさせていただければと思っております。
 実は、「離島発 生き残るための十の戦略」という本を読ませていただきまして、大変勉強をさせていただきました。労働組合の経験等もおありで、すべての基本は人ということで、民主党の政策ともかぶるところが多いなと思いながら読ませていただきましたけれども、その中にも、人づくり、そして物づくり、健康づくりという言葉が出てきます。そして、地産地消を消えるという字ではなくて商売の商という字を使われたりもしておりますけれども。
 私は、この本も読ませていただいて、今日のお話も聞かせていただいた中で、一つ、海士町は合併をしなかったということが大きな、今の町長のいろんな政策に生かされているんじゃないかなと思うんですが、それに伴います御苦労とか、あと克服すべき課題とか、そういうのがあればお伺いしたいのと、あと、合併して離島になってしまっているところというのも現在愛媛にはたくさんあるんですけれども、そういったところへの御提言とかアドバイス等あれば、まず一点目、お聞かせください。
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山内道雄#12
○参考人(山内道雄君) お答えします。
 四つの島があるわけですけど、一つの島に四町村がございました。これはもう、一つの島の中で示されて合併しました。これは私は理想的な合併だと思っております。あと、残る三つの有人島が一つになれよと、別な意味で。私は、島と島との合併というのはなぜかと。いわゆる内航船的には町村組合でやっています。小さい島ながら、それぞれ完結型の島なんです。特徴は、私のところは半農半漁、隣は漁業、そしてもう一つは牛を中心にした農業。そして経済的にも、我々が行き来というよりも、主に松江を中心に、物を買うにしても本土へ向かってのあれで、経済交流というのはほとんどないんですね。
 そういう中で、私はどう考えても、十五年の十二月に任意合併協議会を開催しましたけれども、メリットは生かされない。これは私だけではなくて職員も、そしてまた、十四地区あるんで三回回りました。地区の皆さんも、とにかくおまえらだったらやれるからやれと、最後は全部拍手で激励を受けて、もうやろうと。
 私の島自身の誇りも、実は流人の島といえども高貴な方がずっと流された島なんだという、海の士というこの字をなくすまいという思いもございました。ただ心意気だけではございませんが、結論からいいますと、私は、やっぱり合併しなかったから、自分たちの島は自分たちで守ろうという、この職員との一体感が、住民との一体感ができたと思っています。
 ですから、私は先送りした覚えはございません、合併についても。当時、そういうふうな思いもありました。そして、相当厳しい、上からも来ました、県からも来ました。ですけれども、最後までやっぱりそれは今は通して良かったなと。
 周囲の合併した、私も全離島の副会長もした時代がございますけれども、やっぱり中心部に座れといって、これは現実に合併がそうなんですけれども、いわゆる本土と島との合併もございます。ましてや、長崎も私も行ってみたんですけれども、とてもとてもそれはもう初めとは違うんです。
 私は、合併は究極の合理化だというふうに理解していましたので、良かったなと、この一体感はそれでできたのだと思っています。
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友近聡朗#13
○友近聡朗君 ありがとうございます。
 二つ目の御質問なんですが、隠岐牛の話も先ほど出てまいりましたが、当時は農業特区の申請をされていたと思います。あと、フェリー航路の維持ということに対しても非常に苦慮されていると思いますけれども、離島振興のための国への政策要望とか、こうしたらもっといいんじゃないかとか、そのようなことがあればお伺いさせていただきたいと思います。
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山内道雄#14
○参考人(山内道雄君) 何といいますか、ねだり的な、お願いしたいことはいっぱいあると思うんです。私は、やっぱり島というのは本土と橋が架からない限り島だと思っていますから、ですから島だからこうだということはもう言うまいと思っています。
 ただ、一つそこで違うのは運賃の問題ですね。隠岐汽船の経営の問題も今、この間も会長以下八人ばかり来ましたけど、運賃が一番ハンディキャップがあるわけでして、でも、私どもが凍結のCASを入れたというのは、いわゆる離島のハンディキャップをそれでカバーしようと。生きたまま付加価値を付けて東京の消費者に、私は東京かぶれだと言われたんですけれども、厳しい東京で、何といいますか評価されて初めてブランドになるんだという思いで、岩ガキ、そしてまた牛も一気に持ってきたのはそこなんです。
 船賃だけで一頭当たりが一万一千六百円ぐらい掛かります。それから、車で自分で持っていきますから四万円近く掛かるわけですけど、もうそれだけでハンディがあるわけです、同じ東京食肉市場で、品川で。でも、それよりいいものを付ける、やっぱり付加価値を付けないと絶対駄目だという思いの中では、そういうようなことをやったんですけど。
 やっぱりこれから離島航路に目を向けていただきたいのは、はっきり言って、これは運賃あるいは燃費等の補助が一番の私は島の、また離島航路という一つの生命線でもありますし、ここら辺りは、いわゆる道路問題でいろいろと道路特定財源で言われていますが、離島航路もやっぱり道路だというふうな思いをやっぱり先生方に是非持っていただきたいと思います。よろしくお願いします。
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友近聡朗#15
○友近聡朗君 ありがとうございます。
 そうしたら、最後に総論的な御質問を一点だけさせていただきたいんですが、海士町、人口二千五百人、四百人か五百人ぐらいだとお伺いしました。いろんな意味で、山内町長さんは日本の将来の縮図だというふうなことも先ほどおっしゃられましたけれども、まさに日本は今急速な少子高齢化、そして人口減少の社会、あとGDPの一・八倍とも言われる借金を抱えていると。
 この三つの課題がある中で、あれもこれもと言っていた時代から、あれかこれかというような判断もしていかなければいけないと思うんですが、その今の日本の将来は海士が縮図だというふうに言われていますけれども、国への提言というか、政策要望的なものがもしございましたら、お聞かせ願えたらと思います。
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山内道雄#16
○参考人(山内道雄君) 私も今即答はできませんけど、とにかく私どものようなところはもう全然ステージが違いますので、何といいますか、生き様として、あるいは物を作るにしても、オアじゃないんですね、アンドなんですね、これとこれだと。これがやっぱり我々の、物を作るにしても少量多品目という。トータルで島は生きようがないと思っています。それは産業だけに限らず。今一番実入りがいいのは、やっぱり海をいく人と、海もやりながら一方では農業もやっている人が一番これは収入的に安定していますから。島自体の生き方も私はアンドだと思っている。オアじゃないと思っています。
 ですから、そういうふうなことの中で、国への提言というのは、私どもは今までそのときそのときでずっと提言をしてきたつもり、生意気ですけど、きたつもりです。補助金を下さいと言っていた覚えは一つもございません。ですから、これからも私どもは、今具体的に答えられませんけれども、どんどん窓口を開いていただいて提言をさせていただきたいと。そしてまた、それを施策に反映していただきたい。
 生意気なことを言いますけど、そういうようなシステムで是非お願いをしたいと思います。
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田名部匡省#17
○会長(田名部匡省君) 次に、義家弘介君。
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義家弘介#18
○義家弘介君 自由民主党の義家弘介です。
 参考人の皆さん、本日は本当にありがとうございました。
 私からは、三鷹市長の清原参考人にまず質問させていただきます。
 三鷹市の教育改革の流れは私自身も非常に関心を持って見守り、そして学んできたところでありますが、まず、コミュニティースクールの運営委員会、これが学校運営協議会と別途に設置されているということですけれども、この学校にかかわる学校運営協議会とコミュニティースクール運営委員会のすみ分け、これはどのようになっているか教えてください。
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清原慶子#19
○参考人(清原慶子君) 御質問ありがとうございます。
 すみ分けといいますか、学校運営協議会というのはそれぞれの学校に設置されておりますが、コミュニティースクール委員会につきましては、それぞれの学校運営委員会からも委員の方に重ねてお役を引き受けていただいている場合もございます。学園によってそれぞれちょっと構成が違ったりいたしますけれども、大切なのは、中学校の運営と各小学校の運営とが有機的、総合的に進むための組織がコミュニティースクール委員会でございますので、重なり合いながら存在するというふうに認識していただければ有り難いと思います。
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義家弘介#20
○義家弘介君 という形で、私はすごく三鷹市、うまくいっているところの一例であろうなと実は思っているわけですが、一方で、なかなかこのコミュニティースクール構想あるいは学校運営協議会設置というのが全国的に大きな広がりを見せていないと。
 非常に意義深いものではあるけれども、現実にはなかなか進んでいないという現実があると思いますが、三鷹市はどうしてうまくいっているのか、そして、全国的に広がっていかない理由として考えるところはどんなことで、こういう在り方が必要なんじゃないかという意見もありましたら、よろしくお願いいたします。
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清原慶子#21
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。
 一点目、三鷹市が比較的円滑にいっている理由は、突然このようなコミュニティースクール委員会であるとか小中一貫のための市民の皆様の活動が始まったわけではないというところにあると思います。
 例えば、青少年問題対策地区委員会ですとか交通安全対策地区委員会ですとか各小学校区ごとに、これまでも保護者に加えて地域の皆様が児童の安全を守る、あるいは健全育成のための様々な事業を主体的に行うというような取組が数十年ありました。また、一部の小学校では既に子供たちの学びの場に地域の保護者あるいは保護者OBがボランティアで教育支援をするというような開かれた学校運営を重ねてきた経過があります。
 したがいまして、急に小中一貫教育であるとかコミュニティースクールとなった場合には、やはり地域の皆様に丁寧な説明をする、あるいは徐々に徐々に様々な学校の授業や行事に御参加いただくような、そうした機会を開いていくことが重要かと思います。
 二点目に、三鷹市は比較的規模が小さい市です。七つの中学校しかございません。例えば、政令市ですと一つの区ぐらいの大きさとなります。そういう意味で、地域の皆様が様々な活動に参加しやすい自治体の規模であるのかなということもこのごろ感じているところです。
 三点目、最後に、教職員の意識が前向きでないと、これはなかなか進まないと思います。教職員は教育指導のプロでございますから、その皆様が地域の保護者あるいは一般住民の皆様と連携をしていくに当たりましては、意識の壁があってはなりません。そういう意味で、常日ごろ教職員がコミュニティーセンターの活動や地域の様々な取組に校長、副校長を始め、顔を出してきていたというようなことが大変今となっては意義があるのではないかなと確認しているところです。
 以上でございます。
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義家弘介#22
○義家弘介君 どうもありがとうございました。
 そして、続きまして牧里参考人にお伺いをしたいと思いますけれども、社会貢献、我々は、人間は、他者の役に立ちたいという欲求を持っているという仮説の中からのお話をいただいたわけですけれども、確かに私もそのとおりだと思うわけですが、ならば具体的にどういう形でその参画を促すのかという具体例、一つでもいいですから、こういう具体例があるというものがあったらお教えください。
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牧里毎治#23
○参考人(牧里毎治君) 質問ありがとうございます。
 具体例は既にもう三鷹の例で出ているんじゃないかと思うんですね。一つは、そういう人たちが参加するような場とかチャンスとか、委員会という形を取ったりプログラムを取ったり、そういう手を挙げて参加する場をつくっているということが基本、大事だと思うんですね。これがまず第一点です。
 もう一つは、先ほども申し上げましたように、言わば個人でとにかく何か寄金したいとかイベントのボランティアに行きたいとか、ありますね。これ、言わば足踏みしている方が多いので、そういう人にちょっと背中を押してあげるようなボランティア組織があるとか、更に次に進みますと、自分でやりたいという人も多いんですね。何かあてがいぶちのイベントには行きたくない、自分でこういう企画をしたいと。すると、そういうものがなかなかどうしていいか分からないと。
 これは多分NPO支援センターの役割だと思うんですね。こういうNPOをつくれば、いろいろ助成金も来ますよ、PRもできますよということになるわけですね。
 三つ目は、もっと組織的にやりたい、会社を起こしたい、プロになりたいと、こういう支援が、多分三鷹のTMOもそうでしょうね。
 実は、私も二年前に関学の中に社会起業学科というのをつくりました。こういうソーシャルアントレプレナーというのは大学院レベルが多いんですね。大学院ではもう遅いんじゃないかと。鉄は熱いうちに打て。不安でしたけれども、すごい競争率でした。今年はちょっと少し潮引いているんですけれども。つまり、若い人でも何か世の中の役に立ちたいという、そういうチャンスと機会と組織を提供すればどんどん来るんだということなんですね。あきらめないでやるということがとても大事だと思うんです。
 多分、今日の三人の皆さん、自治体の方々ですけれども、ソーシャルビジネスと言いましたけど、自治体こそソーシャルビジネスなんですよね。創意工夫をして、確かに危機感があるとか、へき地だとか離島だとか、それをばねにしてみんなが危機意識を共有して問題解決に取り組んでいる。社会参加したい、町を何とかしたいと。今日のお三名の方が、もう典型的な見本なんではないでしょうか。
 お答えになったかどうか分かりませんが。
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義家弘介#24
○義家弘介君 ありがとうございます。
 私も今、実は大学で教鞭を執っているんですが、多くの学生がこう言うんです。故郷に帰りたい、故郷に貢献をしたい、でも、が必ず続くんですね。それは、仕事がないんだよねという、ここだと思うんです。
 例えば、アメリカの心理学者のウィリアム・マズローなんかは、人間の欲求はより基礎的な部分が最優先されていくと。まずは一段階目として生存の欲求、二段階目として安心・安全の欲求、これが満たされて初めて次に帰属の欲求が出てきて、尊敬の欲求、みんなから評価されたい、社会貢献したいという欲求、そして自己実現の欲求、夢へと続いていくものだと思うんですけれども。
 つまり、私自身は、安心・安全の欲求あるいは仕事がなきゃ生きていけない、この部分をどう地域コミュニティーで若者たちに対して、あるいは今の現役世代に対して示すことができるのかということが地域コミュニティー再生のキーワードになっていくと思うんですけれども、その上で海士町のお話、まさに安心・安全の欲求や生存の欲求を何とかして満たした上で島に誇りを持ってほしいと。あるいは、武田参考人のお話の中にもいみじくも誇りというのは出てきたわけですけれども、この辺が改めて重要だなと皆さんの話を聞いて思ったんですが、最後に一点だけ。
 私は、コミュニティーというのは横のつながり一辺倒では絶対にやがて崩壊してしまうだろうと。やはり縦のつながり、そして横のつながり、これがうまく交差したとき地域コミュニティーというのは盛り上がっていくと感じます。
 一方で、縦というと歴史的縦あるいは上下関係、先輩後輩の縦のみが議論されているような気がするんですが、我々子育ての現役世代からしてみたら未来への縦というものが非常に重要な要素、その地域に貢献したい、その地域で暮らしたいというところの重要な要素なんですけれども、図らずも、子供たちが未来と言ったら、勉強をどのぐらいして、体をどのぐらい鍛えて、どういうところに進学して、どういう職業に就くか、これが親の考える一般的な未来なわけですけれども。
 ここでちょっと話は飛ぶかもしれませんけれども、是非、山内参考人と武田参考人にお聞きしたいんですけれども、来年度から全国学力・学習調査が悉皆方式から抽出方式になった。そして、塾もないような環境の中で、全国的にうちの地域の子供たちはどういう形なんだろう、そして課題があるとしたらどこを伸ばしていけばいいのだろうと。
 これは、悉皆調査の場合はしっかりと把握できた環境にあったわけですけれども、それが抽出になってしまったということに対して、山内参考人、武田参考人から御意見を聞かせていただきたいと思います。
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山内道雄#25
○参考人(山内道雄君) 私は、制度はいろいろ変わるかもしれません。しかし、今唯一の島前高校があるんですけれども、県立の。今、留学制度を取り出しました。今年から八名島外から来ますけれども。
 この元は、今までいわゆるできる子は松江の高等学校へ行く、それ以下の子供たちは地元へ残る、これが今までのパターンだったんです。私の時代は高校がなくていや応なしに本土へ出たんですけど、ただ親が言ってきたのは、帰ってこいとは言っておりません、しっかり勉強して偉い者になれよと言う。もうそれだけ。
 今の親は、私は、非常に少し変わっていき、子供たちがまた物すごく変わってきました。修学旅行で今、一橋が四年間、中学二年生が出前授業をやっています、それから、今年東大三年目ですけれども。そういうようなことで、子供たちが非常に地域に目覚めてくれた。今の高校三年生以下は多分何人かが帰ってくれると思っています。
 その中で、結局何だかんだ言って、高校の魅力化をつくるというのは、もう何とか強うせないかぬということでやったのが今度の留学制度なんですね。寮費も、県立なんですけど、うちで全部見ます、寮のとか食費なんか。そういうことで、外から優秀な子を集めようと。だんだん地元の海士中学校の生徒は、二人ぐらい今年も本土へ行きますが、あとみんなもう自分のところに残ります。その出ていくのがお医者の子と学校の教員の子で、ちょっと残念なんですけれども。
 でも、これは必ずやもう解消できると思っていますから、私は、その点はもうちょっと時間が掛かりますけど、思っています。
 ですから、今人づくりに金を惜しまずに、福祉と人づくりは金を私はむしろ今までずっと毎年増で来ていますから、これだけは惜しんだらいけないと思っていますので。答えにならないかもしれません。
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武田丈夫#26
○参考人(武田丈夫君) 私の町は、先ほども申し上げましたように、小学校が三つ、中学校が二つ、二つの小学校は複式になっております。そういった中で、生徒児童の教育を見てみますと、人数が少ないということは非常にいい場面もあるんですけれども、また反面、競争しないという形が出てくるわけです。
 ですから、例えば一学年三人であれば、学校の勉強は一、二、三、決まってしまうんです。運動、走りの速さも一、二、三、決まってしまうんです。なかなか努力しても追い越せない。それが二十人、三十人の学級であれば、ちょっと努力すれば二、三人は抜けるわけです。そういったことから、競争する意欲が非常になくなっているということもあります。
 ですから、私は、取りあえず町内の保育所、これも三つありまして、一つは、四人の園児を三人で面倒見ています。もう一つは、七人の園児を三人で面倒見ています。あとは一つ大きいところあるんですけれども、そこら辺りの交流保育とか学校の交流、それをどんどんしながら育てていきたいなというふうに思っております。
 うちは川崎市と小中学校の交流をやっております。川崎市から来てくれるわけです。そして、この二十二年度からは川崎市へ出向いていくという予算を新たに設置しまして、できるだけそういうふうな学習をしていきたいというふうに考えております。
 ただ、学力テスト、これなんかについて見ましても、自分の実力が全国レベルでどれぐらいにあるのかというものをやっぱりきちっと把握するためには、抽出ということで無作為に選別するんじゃなくて、やっぱりそういった地域のところも視野に入れた形で作為的に抽出していただけたらなというふうな思いもあります。
 以上でございます。
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義家弘介#27
○義家弘介君 ありがとうございました。
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田名部匡省#28
○会長(田名部匡省君) 鰐淵洋子君。
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鰐淵洋子#29
○鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子でございます。
 今日は、本当にお忙しい中、国会までお越しいただきまして、また、それぞれの貴重な御意見、お取組等を伺うことができまして、大変にありがとうございました。心から感謝申し上げます。
 まず、山内参考人に二点ほどお伺いしたいと思いますが、日経新聞の方で海士町のいろいろ新聞記事読ませていただきまして、その中で、海士町役場と一橋大学の連携ということで御紹介がございました。
 今では、大学とそういった枠を超えて大きな交流になっているということで、そういった紹介があったんですけれども、改めて、具体的にどういった交流をされていて、これからどういった形で更に発展させていくお考えなのか、また、その交流によってどういう影響があるのかということも詳しくお伺いしたいと思います。
 もう一点は、Iターン、若い方が口コミでどんどん海士町にいらっしゃっているというお話でしたけれども、そういった若い方に対しての何か具体的な支援があるのかどうか、まずこの二点をお伺いしたいと思います。
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