憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十五年六月十二日(木曜日)
午前九時一分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 杉浦 正健君 幹事 中川 昭一君
幹事 葉梨 信行君 幹事 平林 鴻三君
幹事 保岡 興治君 幹事 大出 彰君
幹事 仙谷 由人君 幹事 古川 元久君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 奥野 誠亮君
倉田 雅年君 河野 太郎君
近藤 基彦君 佐藤 勉君
下地 幹郎君 谷川 和穗君
谷本 龍哉君 中曽根康弘君
中山 正暉君 野田 毅君
平井 卓也君 福井 照君
森岡 正宏君 山口 泰明君
大畠 章宏君 桑原 豊君
小林 憲司君 今野 東君
島 聡君 首藤 信彦君
末松 義規君 中川 正春君
中野 寛成君 水島 広子君
遠藤 和良君 斉藤 鉄夫君
武山百合子君 藤島 正之君
赤嶺 政賢君 春名 直章君
金子 哲夫君 北川れん子君
井上 喜一君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
委員の異動
六月五日
辞任 補欠選任
井上 喜一君 山谷えり子君
同月十日
辞任 補欠選任
山谷えり子君 井上 喜一君
同月十一日
辞任 補欠選任
石川 要三君 河野 太郎君
同月十二日
辞任 補欠選任
山口 富男君 赤嶺 政賢君
同日
辞任 補欠選任
赤嶺 政賢君 山口 富男君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件
派遣委員からの報告聴取
小委員長からの報告聴取
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時一分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 杉浦 正健君 幹事 中川 昭一君
幹事 葉梨 信行君 幹事 平林 鴻三君
幹事 保岡 興治君 幹事 大出 彰君
幹事 仙谷 由人君 幹事 古川 元久君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 奥野 誠亮君
倉田 雅年君 河野 太郎君
近藤 基彦君 佐藤 勉君
下地 幹郎君 谷川 和穗君
谷本 龍哉君 中曽根康弘君
中山 正暉君 野田 毅君
平井 卓也君 福井 照君
森岡 正宏君 山口 泰明君
大畠 章宏君 桑原 豊君
小林 憲司君 今野 東君
島 聡君 首藤 信彦君
末松 義規君 中川 正春君
中野 寛成君 水島 広子君
遠藤 和良君 斉藤 鉄夫君
武山百合子君 藤島 正之君
赤嶺 政賢君 春名 直章君
金子 哲夫君 北川れん子君
井上 喜一君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
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委員の異動
六月五日
辞任 補欠選任
井上 喜一君 山谷えり子君
同月十日
辞任 補欠選任
山谷えり子君 井上 喜一君
同月十一日
辞任 補欠選任
石川 要三君 河野 太郎君
同月十二日
辞任 補欠選任
山口 富男君 赤嶺 政賢君
同日
辞任 補欠選任
赤嶺 政賢君 山口 富男君
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本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件
派遣委員からの報告聴取
小委員長からの報告聴取
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件について調査を進めます。
去る九日、香川県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。仙谷由人君。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件について調査を進めます。
去る九日、香川県に、日本国憲法に関する調査のため委員を派遣いたしましたので、派遣委員より報告を聴取いたします。仙谷由人君。
仙
仙谷由人#2
○仙谷委員 団長にかわり、派遣委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。
派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員平井卓也君、幹事古川元久君、委員遠藤和良君、委員武山百合子君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員山谷えり子君、それに私、仙谷由人を加えた十名であります。
なお、現地において、近藤基彦委員が参加されました。
地方公聴会は、六月九日午後、高松市の高松国際ホテルの会議室において、日本国憲法について、特に非常事態と憲法、統治機構のあり方及び基本的人権の保障のあり方をテーマとして開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、弁護士草薙順一君、四国学院大学教授根本博愛君、学生高木健一君、元中学校社会科教師西原一宇君、主婦坂上ハツ子さん及び香川大学法学部助教授鹿子嶋仁君の六名から意見を聴取いたしました。
各意見陳述者の意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
草薙君からは、平和の維持には、秩序ある、力を伴う法の支配が必要であり、日本の安全保障は将来創設される国連軍により保障されることを目標としつつ、それに至る過程として、北東アジアの地域的安全保障体制を構築すべきである、また、九条改正には反対であるとの意見、
根本君からは、新しい人権の保障に必要なことは、憲法上に規定することよりも立法化による具体化である、人権を制限するよりも人権を最大限尊重することを通して生まれる公共の福祉が大切である、また、国内における人権保障の充実が積極的な国際貢献につながるとの意見、
高木君からは、戦後の日本の平和は、九条によるものではなく、日米安全保障条約の恩恵によるものであるが、在日米軍は九条との整合性において問題があるので憲法を改正すべきである、また、九条改正により、自衛隊を正式に軍隊として明示すべきであるとの意見、
西原君からは、教育権は、平等権の保障の前提となるほか、主権者としての権利行使の前提として大切であるが、現実には、不登校、低学力の問題など憲法や教育基本法の軽視に起因する弊害が生じており、憲法を改正するよりは、憲法を生かすよう努力すべきであるとの意見、
坂上さんからは、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化する中で、憲法と現実の矛盾が深まっていることを踏まえ、安全保障の分野など見直しを急ぐべき分野は、当面、解釈変更で対応し、その後、世論等を踏まえて憲法改正を考えるべきであるとの意見、
及び
鹿子嶋君からは、合併による地方自治体の規模拡大は、財政問題等から必要な場合があるとしても、住民自治の実質化の観点から、その具体的仕組みや、地方自治は直接民主制を基本とすることを憲法に規定すべきであり、また、基礎自治体の強化の観点から、法律と条例との関係や課税自主権を憲法に規定し、一定の行政組織権限が地方自治体に認められるようにすべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、今後の社会保障のあり方、地方自治の本旨の意味、我が国の今後のあり方、新しい人権を憲法に明記することの是非、教育問題が生じている原因、憲法の平和主義を踏まえたイラク問題への対処のあり方、武力攻撃事態法に規定されている首相のいわゆる代執行権限と地方自治との関係、教育の現状と勤労観の関係などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、憲法を踏まえた主体的な外交の必要性、軍事力ではなく外交や信頼醸成による自衛の必要性、米国追随的な行動により国益を見失うことへの懸念、憲法に基づき政治を行うことと世界の共有財産として日本国憲法を大事にすることの必要性等についての発言がありました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
この発言だけを見る →派遣委員は、中山太郎会長を団長として、幹事葉梨信行君、委員平井卓也君、幹事古川元久君、委員遠藤和良君、委員武山百合子君、委員春名直章君、委員金子哲夫君、委員山谷えり子君、それに私、仙谷由人を加えた十名であります。
なお、現地において、近藤基彦委員が参加されました。
地方公聴会は、六月九日午後、高松市の高松国際ホテルの会議室において、日本国憲法について、特に非常事態と憲法、統治機構のあり方及び基本的人権の保障のあり方をテーマとして開催し、まず、中山団長から今回の地方公聴会開会の趣旨及び本調査会におけるこれまでの議論の概要の説明、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序を含めてあいさつを行った後、弁護士草薙順一君、四国学院大学教授根本博愛君、学生高木健一君、元中学校社会科教師西原一宇君、主婦坂上ハツ子さん及び香川大学法学部助教授鹿子嶋仁君の六名から意見を聴取いたしました。
各意見陳述者の意見内容につきまして、簡単に申し上げますと、
草薙君からは、平和の維持には、秩序ある、力を伴う法の支配が必要であり、日本の安全保障は将来創設される国連軍により保障されることを目標としつつ、それに至る過程として、北東アジアの地域的安全保障体制を構築すべきである、また、九条改正には反対であるとの意見、
根本君からは、新しい人権の保障に必要なことは、憲法上に規定することよりも立法化による具体化である、人権を制限するよりも人権を最大限尊重することを通して生まれる公共の福祉が大切である、また、国内における人権保障の充実が積極的な国際貢献につながるとの意見、
高木君からは、戦後の日本の平和は、九条によるものではなく、日米安全保障条約の恩恵によるものであるが、在日米軍は九条との整合性において問題があるので憲法を改正すべきである、また、九条改正により、自衛隊を正式に軍隊として明示すべきであるとの意見、
西原君からは、教育権は、平等権の保障の前提となるほか、主権者としての権利行使の前提として大切であるが、現実には、不登校、低学力の問題など憲法や教育基本法の軽視に起因する弊害が生じており、憲法を改正するよりは、憲法を生かすよう努力すべきであるとの意見、
坂上さんからは、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化する中で、憲法と現実の矛盾が深まっていることを踏まえ、安全保障の分野など見直しを急ぐべき分野は、当面、解釈変更で対応し、その後、世論等を踏まえて憲法改正を考えるべきであるとの意見、
及び
鹿子嶋君からは、合併による地方自治体の規模拡大は、財政問題等から必要な場合があるとしても、住民自治の実質化の観点から、その具体的仕組みや、地方自治は直接民主制を基本とすることを憲法に規定すべきであり、また、基礎自治体の強化の観点から、法律と条例との関係や課税自主権を憲法に規定し、一定の行政組織権限が地方自治体に認められるようにすべきであるとの意見
がそれぞれ開陳されました。
意見の陳述が行われた後、各委員から、今後の社会保障のあり方、地方自治の本旨の意味、我が国の今後のあり方、新しい人権を憲法に明記することの是非、教育問題が生じている原因、憲法の平和主義を踏まえたイラク問題への対処のあり方、武力攻撃事態法に規定されている首相のいわゆる代執行権限と地方自治との関係、教育の現状と勤労観の関係などについて質疑がありました。
派遣委員の質疑が終了した後、中山団長が傍聴者の発言を求めましたところ、傍聴者から、憲法を踏まえた主体的な外交の必要性、軍事力ではなく外交や信頼醸成による自衛の必要性、米国追随的な行動により国益を見失うことへの懸念、憲法に基づき政治を行うことと世界の共有財産として日本国憲法を大事にすることの必要性等についての発言がありました。
なお、会議の内容を速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。また、速記録ができ上がりましたならば、本調査会議録に参考として掲載されますよう、お取り計らいをお願いいたします。
以上で報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、関係者多数の御協力により、円滑に行うことができました。
ここに深く感謝の意を表する次第であります。
以上、御報告申し上げます。
中
中山太郎#3
○中山会長 これにて派遣委員の報告は終わりました。
お諮りいたします。
ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →お諮りいたします。
ただいま報告のありました現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中
中
中山太郎#5
○中山会長 次に、去る五日に開会された統治機構のあり方に関する調査小委員会及び基本的人権の保障に関する調査小委員会において調査されたテーマについて、各小委員長からの報告を聴取し、委員間の討議に付したいと存じます。
議事の進め方でありますが、小委員会ごとに、まず小委員長の報告を聴取し、その後、そのテーマについて自由討議を行います。
なお、テーマごとの自由討議における最初の発言者については、幹事会の協議決定に基づき、会長より指名させていただきます。
自由討議の際の一回の御発言は、五分以内にまとめていただきたく、会長の指名に基づいて、御着席のまま、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。
御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
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この発言だけを見る →議事の進め方でありますが、小委員会ごとに、まず小委員長の報告を聴取し、その後、そのテーマについて自由討議を行います。
なお、テーマごとの自由討議における最初の発言者については、幹事会の協議決定に基づき、会長より指名させていただきます。
自由討議の際の一回の御発言は、五分以内にまとめていただきたく、会長の指名に基づいて、御着席のまま、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。
御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。
発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
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中
中山太郎#6
○中山会長 それでは、まず財政について、統治機構のあり方に関する調査小委員長から、小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。統治機構のあり方に関する調査小委員長杉浦正健君。
この発言だけを見る →杉
杉浦正健#7
○杉浦委員 統治機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
本小委員会は、六月五日に会議を開き、参考人として、神戸学院大学法学部法律学科助教授窪田好男君及び新潟大学助教授桜内文城君をお呼びし、会計検査制度と国会との関係を中心に、財政について御意見を聴取いたしました。
会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては小委員会の会議録を御参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
窪田参考人からは、
まず、政策評価が近年注目される背景として、アカウンタビリティーの重視、政策の効果等が不確実な中での政策決定の必要性、行政監視等の重要性が挙げられるとの御指摘がありました。また、国会の政策評価機能の強化を図る平成九年の民主党の行政監視院法案の提出、廃案の経緯等について御説明がありました。
その上で、国会独自の立場から政策評価を行うためには、国会みずからがデータを収集し、省庁から提供されたデータを国政全体のかじ取りという国会独自の観点から分析することが野党のみならず与党にとっても必要であり、国会附属機関として、議員の政策評価に係る活動を専門的立場から補佐する機関を設置すべきであるとの御意見が述べられました。
さらに、憲法改正によって参議院を決算審査、政策評価のための院にするという改革案につきましては、参議院の選挙制度のあり方や地方分権と二院制の関係等を踏まえ、慎重な検討が必要であるとの意見が述べられました。
桜内参考人からは、
国民は委託者として受託者である政府に対して納税を行うと同時に政府の財政活動の受益者として位置づけられるが、財政立憲主義の形式的な適用だけでは、将来世代を含む受益者たる国民の利益を守ることはできず、財政運営上の意思決定者、すなわち現役世代の受託者責任を明らかにすることを通じてパブリックガバナンスを強化し、その利益を保護すべきであるとの意見が述べられました。
具体的には、公会計制度の整備、財政規律の確保、行政評価との連携、予算を経常的収支勘定と中長期的な影響の大きい資本的収支勘定とに区分する複会計予算制度等の導入、財政面における国家緊急権の明記などが必要であると御指摘された上で、二院制、会計検査制度との関連では、将来世代の利益を反映するという観点から、参議院を特定の選挙区を持たない機関とすること、中長期的な財政運営に係る参議院の予算編成権限を強化すること、会計検査院を中立性を保ちつつ国会に属する機関とすることが考えられるとの見解が示されました。
このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。決算審査と参議院改革、会計検査院のあり方、政策評価機関のあり方、財政システムを見直す必要性等についてさまざまな意見が述べられました。
会議を通じての小委員長としての感想を申し上げれば、
複雑な社会経済情勢に迅速かつ適切に対処する必要性から、政策に対する需要が拡大する現代において、厳しい財政事情のもと、国や自治体にはシビアな政策選択が迫られており、政策評価、財政システムの見直しが重要となっていることを改めて認識いたしました。このような状況のもと、政策判断に責任を負う我々国会議員の果たすべき責務の重さに思いをいたしますとともに、政策評価を支えるという観点から、国会事務局のあり方についても検討する必要性を感じました。
今回のテーマである財政の問題は、まさに統治機構のあり方そのものに直接かかわる問題であると考えておりますが、今後とも、さまざまな角度から日本のあるべき姿を考えてまいりたいと思っております。
以上、御報告申し上げます。
この発言だけを見る →本小委員会は、六月五日に会議を開き、参考人として、神戸学院大学法学部法律学科助教授窪田好男君及び新潟大学助教授桜内文城君をお呼びし、会計検査制度と国会との関係を中心に、財政について御意見を聴取いたしました。
会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては小委員会の会議録を御参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
窪田参考人からは、
まず、政策評価が近年注目される背景として、アカウンタビリティーの重視、政策の効果等が不確実な中での政策決定の必要性、行政監視等の重要性が挙げられるとの御指摘がありました。また、国会の政策評価機能の強化を図る平成九年の民主党の行政監視院法案の提出、廃案の経緯等について御説明がありました。
その上で、国会独自の立場から政策評価を行うためには、国会みずからがデータを収集し、省庁から提供されたデータを国政全体のかじ取りという国会独自の観点から分析することが野党のみならず与党にとっても必要であり、国会附属機関として、議員の政策評価に係る活動を専門的立場から補佐する機関を設置すべきであるとの御意見が述べられました。
さらに、憲法改正によって参議院を決算審査、政策評価のための院にするという改革案につきましては、参議院の選挙制度のあり方や地方分権と二院制の関係等を踏まえ、慎重な検討が必要であるとの意見が述べられました。
桜内参考人からは、
国民は委託者として受託者である政府に対して納税を行うと同時に政府の財政活動の受益者として位置づけられるが、財政立憲主義の形式的な適用だけでは、将来世代を含む受益者たる国民の利益を守ることはできず、財政運営上の意思決定者、すなわち現役世代の受託者責任を明らかにすることを通じてパブリックガバナンスを強化し、その利益を保護すべきであるとの意見が述べられました。
具体的には、公会計制度の整備、財政規律の確保、行政評価との連携、予算を経常的収支勘定と中長期的な影響の大きい資本的収支勘定とに区分する複会計予算制度等の導入、財政面における国家緊急権の明記などが必要であると御指摘された上で、二院制、会計検査制度との関連では、将来世代の利益を反映するという観点から、参議院を特定の選挙区を持たない機関とすること、中長期的な財政運営に係る参議院の予算編成権限を強化すること、会計検査院を中立性を保ちつつ国会に属する機関とすることが考えられるとの見解が示されました。
このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。決算審査と参議院改革、会計検査院のあり方、政策評価機関のあり方、財政システムを見直す必要性等についてさまざまな意見が述べられました。
会議を通じての小委員長としての感想を申し上げれば、
複雑な社会経済情勢に迅速かつ適切に対処する必要性から、政策に対する需要が拡大する現代において、厳しい財政事情のもと、国や自治体にはシビアな政策選択が迫られており、政策評価、財政システムの見直しが重要となっていることを改めて認識いたしました。このような状況のもと、政策判断に責任を負う我々国会議員の果たすべき責務の重さに思いをいたしますとともに、政策評価を支えるという観点から、国会事務局のあり方についても検討する必要性を感じました。
今回のテーマである財政の問題は、まさに統治機構のあり方そのものに直接かかわる問題であると考えておりますが、今後とも、さまざまな角度から日本のあるべき姿を考えてまいりたいと思っております。
以上、御報告申し上げます。
中
井
井上喜一#9
○井上(喜)委員 保守新党の井上喜一でございます。
きょうは、特に今問題となります会計検査院、会計検査等を中心にした行財政の検査あるいは評価、監査に関連をして意見を述べたいと思います。
まず第一に、憲法第九十条は、決算について国会の関与を規定しております。すなわち、1.「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」2.「会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。」と規定をしております。
会計検査院は、内閣に対し独立の地位を持つとともに、国会の機関でもありません。そういったことから、独立性が担保されている機関とも言われているわけであります。
会計検査院が国会の機関とならなかったのは、指揮監督の多様化を排除していかなくちゃいけない、あるいは意思決定の停滞を避けること、客観的、中立の立場に立って厳正、公平に国の会計経理を批判することができること、ある程度一貫した方針とか基準によって内閣の財政処理を監督することなどによるものと言われております。
会計検査院は、正確性、合規性、経済性、効率性、有効性の観点等から検査を行うことになっております。
次に、二番目、行政の監査といいますか評価について申し上げたいと思います。
内閣は国家行政組織法や行政機関が行う政策の評価に関する法律などによりまして、毎年、評価の実施状況及びこれらの結果の政策への反映状況に関する報告書を作成し、国会に提出することになっております。
行政機関は、政策について、その必要性、効率性、有効性等の観点から、みずから事前及び事後に評価するとともに、この評価の結果を政策に適切に反映させることになっているわけであります。これは、国民に対する行政の説明責任を徹底するとともに、効率的で質の高い、そして成果重視の実現を目的としております。
米国ではよくGAOのことが言われます。議会にGAOが置かれておりまして、議会の要請等に基づいて政策評価を実施しております。
御承知のとおり、米国では、我が国と異なりまして、予算の提出権を議会が持っているわけでありますし、大統領は毎年予算教書を議会に送りますけれども、これは予算審議の単なる参考資料にすぎない、こういうことでありますから、GAOにおきましていろいろな政策評価をする、そういう必然性があるというふうに考えるわけであります。
三番目、衆議院、参議院にそれぞれ決算行政監視委員会が設置されるなど、国会による行政監視制度の整備が行われてきております。
こういった委員会は、例えば衆議院の場合でいいますと、衆議院における行政監視の中核的な役割を担う委員会として位置づけられておりますこと、それから、各議院または各委員会の内閣等に対する報告、記録の提出要求の整備が行われるとか、会計検査院に対しまして、特定事項について検査報告をする制度の創設とか、あるいは衆議院におきます予備的調査制度を創設するというようなことになってきております。
私は、これらの制度につきまして、実質的に、今の制度といいますのは、会計検査にいたしましても平成十年ごろからでありますし、決算行政監視委員会も平成十年からのものでありますし、行政の評価の制度も平成十四年からでありますから、まだ歴史が浅いので、この制度を云々することは少々時期尚早じゃないかと考えております。私は、その運用につきまして、これが適切に行われているということがむしろ問題でありまして、若干その運用の実績を見なくちゃいけないと思います。各機関が切磋琢磨して、これからそれぞれの職責を果たしていくことが大切であろうと思います。
憲法改正との関連において言いますと、最近における行政評価の重要性の高まりに応じまして、内閣による行政評価を義務づけ、その結果を国会に報告するとする旨の規定を憲法に明記することも検討に値するものじゃないかと思います。
以上であります。
この発言だけを見る →きょうは、特に今問題となります会計検査院、会計検査等を中心にした行財政の検査あるいは評価、監査に関連をして意見を述べたいと思います。
まず第一に、憲法第九十条は、決算について国会の関与を規定しております。すなわち、1.「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」2.「会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。」と規定をしております。
会計検査院は、内閣に対し独立の地位を持つとともに、国会の機関でもありません。そういったことから、独立性が担保されている機関とも言われているわけであります。
会計検査院が国会の機関とならなかったのは、指揮監督の多様化を排除していかなくちゃいけない、あるいは意思決定の停滞を避けること、客観的、中立の立場に立って厳正、公平に国の会計経理を批判することができること、ある程度一貫した方針とか基準によって内閣の財政処理を監督することなどによるものと言われております。
会計検査院は、正確性、合規性、経済性、効率性、有効性の観点等から検査を行うことになっております。
次に、二番目、行政の監査といいますか評価について申し上げたいと思います。
内閣は国家行政組織法や行政機関が行う政策の評価に関する法律などによりまして、毎年、評価の実施状況及びこれらの結果の政策への反映状況に関する報告書を作成し、国会に提出することになっております。
行政機関は、政策について、その必要性、効率性、有効性等の観点から、みずから事前及び事後に評価するとともに、この評価の結果を政策に適切に反映させることになっているわけであります。これは、国民に対する行政の説明責任を徹底するとともに、効率的で質の高い、そして成果重視の実現を目的としております。
米国ではよくGAOのことが言われます。議会にGAOが置かれておりまして、議会の要請等に基づいて政策評価を実施しております。
御承知のとおり、米国では、我が国と異なりまして、予算の提出権を議会が持っているわけでありますし、大統領は毎年予算教書を議会に送りますけれども、これは予算審議の単なる参考資料にすぎない、こういうことでありますから、GAOにおきましていろいろな政策評価をする、そういう必然性があるというふうに考えるわけであります。
三番目、衆議院、参議院にそれぞれ決算行政監視委員会が設置されるなど、国会による行政監視制度の整備が行われてきております。
こういった委員会は、例えば衆議院の場合でいいますと、衆議院における行政監視の中核的な役割を担う委員会として位置づけられておりますこと、それから、各議院または各委員会の内閣等に対する報告、記録の提出要求の整備が行われるとか、会計検査院に対しまして、特定事項について検査報告をする制度の創設とか、あるいは衆議院におきます予備的調査制度を創設するというようなことになってきております。
私は、これらの制度につきまして、実質的に、今の制度といいますのは、会計検査にいたしましても平成十年ごろからでありますし、決算行政監視委員会も平成十年からのものでありますし、行政の評価の制度も平成十四年からでありますから、まだ歴史が浅いので、この制度を云々することは少々時期尚早じゃないかと考えております。私は、その運用につきまして、これが適切に行われているということがむしろ問題でありまして、若干その運用の実績を見なくちゃいけないと思います。各機関が切磋琢磨して、これからそれぞれの職責を果たしていくことが大切であろうと思います。
憲法改正との関連において言いますと、最近における行政評価の重要性の高まりに応じまして、内閣による行政評価を義務づけ、その結果を国会に報告するとする旨の規定を憲法に明記することも検討に値するものじゃないかと思います。
以上であります。
中
島
島聡#11
○島委員 今会長の方から、会計検査院及び参議院のあり方も含めてということでありましたので、参議院のあり方についての私の意見を述べたいと思っております。
まず、現行議院内閣制で小選挙区比例代表並立制が導入されて、政権交代可能な政治というものが目指されたわけでありますが、御存じのように、憲法五十九条第二項で、法律に関しましては、参議院と衆議院が違った議決をした場合、衆議院に戻ってきて三分の二以上の多数で再び可決しなくちゃならないことになっております。これにおきますと、参議院に要するに実質上の拒否権が持たれるということになっていますので、これは、五十九条の二項は削除も含めて再検討すべきだろうと私は思っています。
せんだっても申し上げましたが、参議院の位置づけということから考えれば、会計検査院を参議院に置くというのは、これは議院内閣制下でぎりぎり私は可能であるというふうに思っていますので、そういう形で会計検査院は進めるべきではないかと思っています。
それから、同じく、例えばアメリカの上院のように、外交権を参議院にきちんと持たせるという話になりますと、憲法六十一条が問題になってきまして、条約の締結に必要な国会の承認は、これは現行では、いわゆる参議院で衆議院と異なった議決をした場合には、参議院が三十日以内に議決しないときには国会の議決とするということになっておるわけでありますが、これを参議院の強化の形にするように、例えば六十一条を、条約の方は参議院の方が優先権を持つというような形にしていくのがいいのではなかろうかというように考えている次第でございます。
それから、今この話をすると、そんなことは非現実的だという話がありますが、私が学生時代に、財政の問題においてブキャナンとかいう財政理論学者がいました。それが、例えば、憲法に財政均衡主義をうたうべきだという議論をしたことがあります。つまり、民主主義においては必ず財政というのは肥大化するものでありますから、もちろん赤字国債等々が財政法で制約されているのは存じ上げておりますけれども、本当にこれから先の財政、ケインズ以来どんどん膨大な赤字を出しても普通であるというのが一般的になっておりますけれども、ひとつ財政において本当に財政均衡主義ということを憲法にうたうべきだというような議論すらあるわけですので、それも含めて総体的に財政の問題については考えていくべきではないかと思います。
本当に、ローマ帝国なんかは、道路は全部公のものでつくった。ほとんどがいわゆる税金でつくったものでありまして、あのローマのアッピア街道は全部そういうのでできているんだそうであります。これはもう単純な議論でありまして、お金が入ってきた、入るをはかって出るを制するで、入ってきた分だけつくる、そういうことであれをつくったんだそうであります。
そういう意味で、私たち、どうしても財政というのは、まあ今でも四十数兆の税収で八十兆近い歳出があって当然だというような発想をしておりますが、憲法というのは根本的に、長期的に、総合的に考えるものだと思っていますので、そういうことも含めて議論をしていくべきではなかろうかということを問題提起として申し上げます。
以上です。
この発言だけを見る →まず、現行議院内閣制で小選挙区比例代表並立制が導入されて、政権交代可能な政治というものが目指されたわけでありますが、御存じのように、憲法五十九条第二項で、法律に関しましては、参議院と衆議院が違った議決をした場合、衆議院に戻ってきて三分の二以上の多数で再び可決しなくちゃならないことになっております。これにおきますと、参議院に要するに実質上の拒否権が持たれるということになっていますので、これは、五十九条の二項は削除も含めて再検討すべきだろうと私は思っています。
せんだっても申し上げましたが、参議院の位置づけということから考えれば、会計検査院を参議院に置くというのは、これは議院内閣制下でぎりぎり私は可能であるというふうに思っていますので、そういう形で会計検査院は進めるべきではないかと思っています。
それから、同じく、例えばアメリカの上院のように、外交権を参議院にきちんと持たせるという話になりますと、憲法六十一条が問題になってきまして、条約の締結に必要な国会の承認は、これは現行では、いわゆる参議院で衆議院と異なった議決をした場合には、参議院が三十日以内に議決しないときには国会の議決とするということになっておるわけでありますが、これを参議院の強化の形にするように、例えば六十一条を、条約の方は参議院の方が優先権を持つというような形にしていくのがいいのではなかろうかというように考えている次第でございます。
それから、今この話をすると、そんなことは非現実的だという話がありますが、私が学生時代に、財政の問題においてブキャナンとかいう財政理論学者がいました。それが、例えば、憲法に財政均衡主義をうたうべきだという議論をしたことがあります。つまり、民主主義においては必ず財政というのは肥大化するものでありますから、もちろん赤字国債等々が財政法で制約されているのは存じ上げておりますけれども、本当にこれから先の財政、ケインズ以来どんどん膨大な赤字を出しても普通であるというのが一般的になっておりますけれども、ひとつ財政において本当に財政均衡主義ということを憲法にうたうべきだというような議論すらあるわけですので、それも含めて総体的に財政の問題については考えていくべきではないかと思います。
本当に、ローマ帝国なんかは、道路は全部公のものでつくった。ほとんどがいわゆる税金でつくったものでありまして、あのローマのアッピア街道は全部そういうのでできているんだそうであります。これはもう単純な議論でありまして、お金が入ってきた、入るをはかって出るを制するで、入ってきた分だけつくる、そういうことであれをつくったんだそうであります。
そういう意味で、私たち、どうしても財政というのは、まあ今でも四十数兆の税収で八十兆近い歳出があって当然だというような発想をしておりますが、憲法というのは根本的に、長期的に、総合的に考えるものだと思っていますので、そういうことも含めて議論をしていくべきではなかろうかということを問題提起として申し上げます。
以上です。
平
平井卓也#12
○平井委員 憲法八十六条「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。」この毎会計年度というのが、これは会計法、財政法で、要するに一年ということになります。
これは、問題意識としては、単年度予算になった場合に、いろいろとリスクの多い、国としての調達があるのではないか、その意味において、予算の硬直性というものがこの憲法に縛られている可能性はないのか。また今、国の中では、複数年度予算制度の検討の中で、例えば国庫債務負担行為でありますとか繰越明許とか言われていますが、これは、財務大臣の許可のもとにそういうことができたとしても、実際使われていないケースが多い。そのことを考えたときに、今後厳しい財政の中で効率性の高い運用をしていこう、執行をしていこうというふうになった場合に、やはりこの財政民主主義と財政の透明性そして効率性という観点から考えて、さらに一歩踏み込んだ違った考え方もあるのではないか、そのように個人的に思っています。
もう一つ、いろいろ今、会計検査の問題でありますとか政策評価の問題がありました。平成十四年からスタートしている政策評価については、これはやはりもう少し予算の編成に影響するようなタイミングで今後運用を図れるようにすべきではないか、そのようにも思っています。私は、この国の構造改革はやはり徹底した歳出の改革からやらなければならない、そのためには、やはり過去のいろいろなシステムに縛られてはならないというふうに考えています。その意味で、未来型の財政なり歳出改革というのがどのような形で今後考えていけるか、我々が議論しなければならないのではないか、そのように思っています。
以上です。
この発言だけを見る →これは、問題意識としては、単年度予算になった場合に、いろいろとリスクの多い、国としての調達があるのではないか、その意味において、予算の硬直性というものがこの憲法に縛られている可能性はないのか。また今、国の中では、複数年度予算制度の検討の中で、例えば国庫債務負担行為でありますとか繰越明許とか言われていますが、これは、財務大臣の許可のもとにそういうことができたとしても、実際使われていないケースが多い。そのことを考えたときに、今後厳しい財政の中で効率性の高い運用をしていこう、執行をしていこうというふうになった場合に、やはりこの財政民主主義と財政の透明性そして効率性という観点から考えて、さらに一歩踏み込んだ違った考え方もあるのではないか、そのように個人的に思っています。
もう一つ、いろいろ今、会計検査の問題でありますとか政策評価の問題がありました。平成十四年からスタートしている政策評価については、これはやはりもう少し予算の編成に影響するようなタイミングで今後運用を図れるようにすべきではないか、そのようにも思っています。私は、この国の構造改革はやはり徹底した歳出の改革からやらなければならない、そのためには、やはり過去のいろいろなシステムに縛られてはならないというふうに考えています。その意味で、未来型の財政なり歳出改革というのがどのような形で今後考えていけるか、我々が議論しなければならないのではないか、そのように思っています。
以上です。
仙
仙谷由人#13
○仙谷委員 この間、国会の審議等々を行っておりまして痛感をいたしておりますのは、議論の前提としての客観的な事実、つまり、これはある種どこまで客観的なのかということは争う余地があるわけでありますが、しかし、そこの客観的な事実の部分をできるだけ党利党略とか党派を超えて共通の認識を持つとすれば、その一つの大きな武器は数字であると私は思っております。とりわけ、日本のいろいろな行き詰まりというふうに皆さん方が感じていらっしゃる事態は、現象としては、あるいは表現としては、現在は、財政の眼鏡をかけて見てみれば、相当鮮明にわかる部分が大きいのではないだろうかなというふうに考えるわけでございます。
中央政府、地方政府、あるいはその他各省庁の問題、つまり、資源配分の問題というのは、本来的には予算、決算にあらわれてくるはずであります。一般の企業経営とは異なる要素という部分も、国家あるいは中央政府、地方政府、それぞれ違った立場からあるわけでありますけれども、同様の考え方で臨む必要がある部分もあるのではないだろうかなというふうにも思います。つまり、ある種の業績をどう評価するか。つまり、決算をどう客観的に見て、その評価の上で、その総括の上で次の政策展開が図られなければならないということは常識、常識というよりも当たり前ではないかと私は思っているわけであります。
私どものある種の個人的な能力不足を少々棚に上げて話をさせていただきますと、やはり国会がその数値を調査し確定するという機能を持つべきではないだろうか。
会計検査院は、憲法九十条において二行といいましょうか三行書かれておるわけでありますが、これの憲法的な位置づけは、現時点ではある意味ではっきりしていないというふうにも言えるのではないかと私は考えておりまして、会計検査院はまさに国会の業績評価、決算業務の重要な調査評価機関として位置づけるべきであるというふうに考えます。そこをはっきりさせて、国会議員がこれを駆使する能力を身につけなければならないわけでありますが、そのことのために、調査機能、評価機能を果たすべき重要な機関としてこれが機能しなければならないと私は考えているところであります。
最近、この間、自民党の堀内総務会長なども主張されておるわけでありますが、国会議員が特別会計というものについてほとんどこの数十年アンタッチャブルで来た。そこで行われていることが官僚機構のある種の拠点として、この跳梁ばっこが日本の財政をわけをわからなくしていると同時に、さあどこから改革の手をつけようかというときに大変困難な作業になってきているというのが私は実態だろうと思っておりまして、制度的には、やはり会計検査院は、国会の下部機関として重要な機能を果たす、そういう再編成をされなければならないというふうに考えております。
以上であります。
この発言だけを見る →中央政府、地方政府、あるいはその他各省庁の問題、つまり、資源配分の問題というのは、本来的には予算、決算にあらわれてくるはずであります。一般の企業経営とは異なる要素という部分も、国家あるいは中央政府、地方政府、それぞれ違った立場からあるわけでありますけれども、同様の考え方で臨む必要がある部分もあるのではないだろうかなというふうにも思います。つまり、ある種の業績をどう評価するか。つまり、決算をどう客観的に見て、その評価の上で、その総括の上で次の政策展開が図られなければならないということは常識、常識というよりも当たり前ではないかと私は思っているわけであります。
私どものある種の個人的な能力不足を少々棚に上げて話をさせていただきますと、やはり国会がその数値を調査し確定するという機能を持つべきではないだろうか。
会計検査院は、憲法九十条において二行といいましょうか三行書かれておるわけでありますが、これの憲法的な位置づけは、現時点ではある意味ではっきりしていないというふうにも言えるのではないかと私は考えておりまして、会計検査院はまさに国会の業績評価、決算業務の重要な調査評価機関として位置づけるべきであるというふうに考えます。そこをはっきりさせて、国会議員がこれを駆使する能力を身につけなければならないわけでありますが、そのことのために、調査機能、評価機能を果たすべき重要な機関としてこれが機能しなければならないと私は考えているところであります。
最近、この間、自民党の堀内総務会長なども主張されておるわけでありますが、国会議員が特別会計というものについてほとんどこの数十年アンタッチャブルで来た。そこで行われていることが官僚機構のある種の拠点として、この跳梁ばっこが日本の財政をわけをわからなくしていると同時に、さあどこから改革の手をつけようかというときに大変困難な作業になってきているというのが私は実態だろうと思っておりまして、制度的には、やはり会計検査院は、国会の下部機関として重要な機能を果たす、そういう再編成をされなければならないというふうに考えております。
以上であります。
斉
斉藤鉄夫#14
○斉藤(鉄)委員 新潟大学の桜内先生のお話、公会計と憲法との関係について、大変難しいお話で私はよく理解できなかったんですが、ただ一つ大変印象に残りましたのは、現在のこの膨大な財政赤字に対して、我々は将来世代に対して責任を持たなくてはいけない、国会は将来世代に対して責任を持たなければならないし、またそういう国会でなければならない、こういう趣旨の御発言がありまして、大変深く考えさせられました。
それをどういうふうにこの国会のシステムの中に取り込んでいくかというのは、大変難しい問題ではあろうかと思います。私たちが今つくっている予算がまだ生まれてこない人たちに大きな影響を及ぼすというのは、これは明らかでございまして、しかし、まだ生まれてこない人たちの意見を聞くわけにもいきません。そういう意味では、私は、国会そのものが将来世代に対しての責任を有するというふうな理念的なことを憲法の中に書くということも、今後重要になってくるのではないかなということを感じました。
また、二院制との関係で、参議院を将来世代の声を代弁する院として、例えば選挙区を設けない、選挙区を設けないというのがどういう意味か、ちょっと私も後から考えてよくわからなかったんですけれども、そういう選出方法ということもあっていいのではないかという提言も桜内先生からなされまして、大変深い提言だなということを感じた次第でございます。
以上です。
この発言だけを見る →それをどういうふうにこの国会のシステムの中に取り込んでいくかというのは、大変難しい問題ではあろうかと思います。私たちが今つくっている予算がまだ生まれてこない人たちに大きな影響を及ぼすというのは、これは明らかでございまして、しかし、まだ生まれてこない人たちの意見を聞くわけにもいきません。そういう意味では、私は、国会そのものが将来世代に対しての責任を有するというふうな理念的なことを憲法の中に書くということも、今後重要になってくるのではないかなということを感じました。
また、二院制との関係で、参議院を将来世代の声を代弁する院として、例えば選挙区を設けない、選挙区を設けないというのがどういう意味か、ちょっと私も後から考えてよくわからなかったんですけれども、そういう選出方法ということもあっていいのではないかという提言も桜内先生からなされまして、大変深い提言だなということを感じた次第でございます。
以上です。
杉
杉浦正健#15
○杉浦委員 今度の小委員会、窪田先生、桜内先生という三十代の極めて若い先生をお迎えしてやったわけですが、その初々しいといいますか新鮮なといいますか、さまざまな示唆に富んだ御意見を拝聴していて、やはり若い世代はいいものだな、こう思う反面、やはり私ども、国会のあり方についてもっと、今あるものを当然と思うのではなくて、根本的に考え直してみる必要があるんじゃないかということを改めて痛感した次第でございます。
例えば、会計検査院を国会に持ってくるとかいろいろ政策評価の機関を設けるとか、さまざまな検討をするのはそれで意味のないことではないと思うんですけれども、今のような国会の状況でそんなものをつくってみて本当に意味があるのかとか、会計検査院を持ってきてどうかという点をまず考えてみる必要があるんじゃないかと思います。
例えば事務局も、調査室というのがありますし、委員部というのがありますし、また調査室というのは各省の出先機関みたいな感じで、あんなの必要ないんじゃないかという感じもいたしますし、本会議、各委員会の審査も極めて形式的であります。国会議員の時間をあんなふうに拘束して果たしていいのかとも思うわけでございます。
明治以来、伝統的なこの院の構成、運営が行われてきているわけでありますけれども、窪田参考人が強調しておられました大きな時代の変化、政策評価あるいは会計検査、監査というのが我々国会議員の立場で目を光らせることが重要な時代になってまいっておることを考えますと、国会の改革をもっと真剣に我々考られていい。
例えば、この調査会の運営は、私は大変すばらしいと思います。自由討議でみんな自由に、党派に関係なく個人の意見をどんどん言えるということは、これはもう極めてすばらしいことでございまして、これは全委員会でやったらいい。本会議の質疑なんというのは質問する人と政府がいればいいわけで、我々、趣旨説明はテレビでも見られるし、議事録を見ればいいわけでして、拘束される必要はないと思います。そういった意味で、さまざまな改革を心がけていく必要があるんじゃないかということを申し上げさせていただきます。
この発言だけを見る →例えば、会計検査院を国会に持ってくるとかいろいろ政策評価の機関を設けるとか、さまざまな検討をするのはそれで意味のないことではないと思うんですけれども、今のような国会の状況でそんなものをつくってみて本当に意味があるのかとか、会計検査院を持ってきてどうかという点をまず考えてみる必要があるんじゃないかと思います。
例えば事務局も、調査室というのがありますし、委員部というのがありますし、また調査室というのは各省の出先機関みたいな感じで、あんなの必要ないんじゃないかという感じもいたしますし、本会議、各委員会の審査も極めて形式的であります。国会議員の時間をあんなふうに拘束して果たしていいのかとも思うわけでございます。
明治以来、伝統的なこの院の構成、運営が行われてきているわけでありますけれども、窪田参考人が強調しておられました大きな時代の変化、政策評価あるいは会計検査、監査というのが我々国会議員の立場で目を光らせることが重要な時代になってまいっておることを考えますと、国会の改革をもっと真剣に我々考られていい。
例えば、この調査会の運営は、私は大変すばらしいと思います。自由討議でみんな自由に、党派に関係なく個人の意見をどんどん言えるということは、これはもう極めてすばらしいことでございまして、これは全委員会でやったらいい。本会議の質疑なんというのは質問する人と政府がいればいいわけで、我々、趣旨説明はテレビでも見られるし、議事録を見ればいいわけでして、拘束される必要はないと思います。そういった意味で、さまざまな改革を心がけていく必要があるんじゃないかということを申し上げさせていただきます。
中
中山太郎#16
○中山会長 他に御発言御希望の方、いらっしゃいませんか。
それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて財政について、特に会計検査制度と国会との関係を中心とし、両院制の問題を含めての自由討議を終了いたします。
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この発言だけを見る →それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて財政について、特に会計検査制度と国会との関係を中心とし、両院制の問題を含めての自由討議を終了いたします。
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中
中山太郎#17
○中山会長 次に、基本的人権と公共の福祉について、基本的人権の保障に関する調査小委員長から、小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。基本的人権の保障に関する調査小委員長大出彰君。
この発言だけを見る →大
大出彰#18
○大出委員 基本的人権の保障に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。
本小委員会は、六月五日に会議を開き、参考人として、千葉大学法経学部助教授小林正弥君をお呼びし、基本的人権と公共の福祉、特に国家、共同体、家族、個人の関係の再構築の視点から御意見を聴取いたしました。
会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を御参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
小林参考人からは、
まず、従来国家と個人の二元論を主張してきたリベラリズムが自由主義思想を極端に急進化させたために、貧富の格差、市場の失敗、モラルの衰退、人間関係の希薄化などの弊害をもたらしたという指摘がありました。この弊害に対処するために、コミュニタリアニズムは、リベラリズムへの批判において、倫理、道徳、伝統、責務や共同体、コミュニティーの必要性を主張し、その基礎を、国家でも個人でもない家族、コミュニティー、NGO、NPOなどの共同体、コミュニティーに求めたという説明がありました。これがリベラル—コミュニタリアニズム論争であり、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築は、コミュニタリアニズムの大きな主題の一つであることが説明されました。
しかし、コミュニタリアニズムであっても、憲法は国家対個人の関係を、権利を中心として規律するものとする近代憲法の枠組みを崩すものではなく、直ちに道徳規定や義務規定を法規範である憲法に書き込むことに結びつくものではないという指摘がありました。
そして、このコミュニタリアニズムの観点から日本国憲法の解釈を試みることにより、これまでのリベラリズム的な憲法解釈では不可能であった幸福追求、共同体の中の国家の相対性、地球的アイデンティティーなど新しい時の要請にこたえる解釈が可能になるとの考えが示されました。その上で、日本国憲法の規定ぶりはかなりコミュニタリアニズム的であり、当面それを改正する必要は見出せないのではないか、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築のためには、憲法改正ではなく、むしろ憲法に内在する潜在的意義を最大限引き出し、具体化させることが重要であるという意見が示されました。
このような参考人の御意見を踏まえての質疑応答を通じて、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
現在の日本において、公と私の対立において私が余りにも強調され過ぎているために問題が生じていること、これに対しコミュニタリアニズムがどのような回答を用意しているか、そして、コミュニタリアニズムの言う公や道徳とは何かという点について議論が行われました。
特に、1.公や道徳の内容を考えるに当たっては、日本と欧米には宗教観の相違があることを見逃してはならないのではないかという点、2.コミュニタリアニズムの教育問題や政党政治のあり方への応用という点、3.環境権や美しい都市をつくる権利を憲法上規定するという点などについて意見の表明がなされました。
従来、日本国憲法は主にリベラリズムの観点からの解釈が行われてきましたが、憲法が規定する公共の福祉を考える際の新たな視点として、リベラリズム的な公私二元論を乗り越え、公共哲学という学際的なアプローチが始められていることにつきましては、注目に値するものであると考えられます。その考え方については、公共の福祉の解釈や家族の位置づけといったものを考えるに当たり、検討すべき事項はなお多いと思われますが、今回、新しい視点が示されたことにおいて非常に有意義な議論であったと考える次第であります。
以上、御報告申し上げます。
この発言だけを見る →本小委員会は、六月五日に会議を開き、参考人として、千葉大学法経学部助教授小林正弥君をお呼びし、基本的人権と公共の福祉、特に国家、共同体、家族、個人の関係の再構築の視点から御意見を聴取いたしました。
会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を御参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、
小林参考人からは、
まず、従来国家と個人の二元論を主張してきたリベラリズムが自由主義思想を極端に急進化させたために、貧富の格差、市場の失敗、モラルの衰退、人間関係の希薄化などの弊害をもたらしたという指摘がありました。この弊害に対処するために、コミュニタリアニズムは、リベラリズムへの批判において、倫理、道徳、伝統、責務や共同体、コミュニティーの必要性を主張し、その基礎を、国家でも個人でもない家族、コミュニティー、NGO、NPOなどの共同体、コミュニティーに求めたという説明がありました。これがリベラル—コミュニタリアニズム論争であり、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築は、コミュニタリアニズムの大きな主題の一つであることが説明されました。
しかし、コミュニタリアニズムであっても、憲法は国家対個人の関係を、権利を中心として規律するものとする近代憲法の枠組みを崩すものではなく、直ちに道徳規定や義務規定を法規範である憲法に書き込むことに結びつくものではないという指摘がありました。
そして、このコミュニタリアニズムの観点から日本国憲法の解釈を試みることにより、これまでのリベラリズム的な憲法解釈では不可能であった幸福追求、共同体の中の国家の相対性、地球的アイデンティティーなど新しい時の要請にこたえる解釈が可能になるとの考えが示されました。その上で、日本国憲法の規定ぶりはかなりコミュニタリアニズム的であり、当面それを改正する必要は見出せないのではないか、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築のためには、憲法改正ではなく、むしろ憲法に内在する潜在的意義を最大限引き出し、具体化させることが重要であるという意見が示されました。
このような参考人の御意見を踏まえての質疑応答を通じて、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。
そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、
現在の日本において、公と私の対立において私が余りにも強調され過ぎているために問題が生じていること、これに対しコミュニタリアニズムがどのような回答を用意しているか、そして、コミュニタリアニズムの言う公や道徳とは何かという点について議論が行われました。
特に、1.公や道徳の内容を考えるに当たっては、日本と欧米には宗教観の相違があることを見逃してはならないのではないかという点、2.コミュニタリアニズムの教育問題や政党政治のあり方への応用という点、3.環境権や美しい都市をつくる権利を憲法上規定するという点などについて意見の表明がなされました。
従来、日本国憲法は主にリベラリズムの観点からの解釈が行われてきましたが、憲法が規定する公共の福祉を考える際の新たな視点として、リベラリズム的な公私二元論を乗り越え、公共哲学という学際的なアプローチが始められていることにつきましては、注目に値するものであると考えられます。その考え方については、公共の福祉の解釈や家族の位置づけといったものを考えるに当たり、検討すべき事項はなお多いと思われますが、今回、新しい視点が示されたことにおいて非常に有意義な議論であったと考える次第であります。
以上、御報告申し上げます。
中
春
春名直章#20
○春名委員 日本共産党の春名直章でございます。
基本的人権と公共の福祉について、二点に絞って発言いたします。
まず、日本国憲法のコミュニタリアニズム的解釈と新しい人権の問題について述べます。
小林参考人は、日本国憲法をコミュニタリアニズム的に解釈することによって、環境権、プライバシー権、知る権利などの新しい権利は、憲法改正によることなく法律の制定によってその保障が可能であること、公共の福祉の概念を人権相互の矛盾や衝突の調整という従来の解釈の有用性を踏まえつつ、それを超えて国民全体の利益を構想する学説が有力になりつつあることを述べられました。
振り返ってみますと、かつての憲法学における公共の福祉論と異なって、日本における公共性についての今日的意味が積極的に意識され始めたのは、大阪空港訴訟や名古屋新幹線訴訟を初めとした公共事業をめぐる公害訴訟においてでありました。公共事業を進める当局側は、公共事業の社会的有用性のみをもって公共性を論じました。それに対して住民側は、それらの公共事業によって損なわれる被害者の生活環境や文化などの公共性を鋭く対峙させました。この公害訴訟によって、公共論議に新たな局面が開かれたとされています。こうした歴史的経過を見たとき、参考人が指摘された公共性概念は、まさに環境権などの新しい人権を獲得する運動と一体に発展してきたものとも言えます。
小林参考人が、リベラリズム、社会的保守主義との対比で日本国憲法を読み直してみたとき、第十二条は、新しい時代の要請に対応するためには、解釈改憲ではなく、むしろ逆説的に憲法の文言そのものに戻れということを述べられました。また、公共哲学で重視している幸福については、第十三条の幸福追求権が存在しており、これを私的幸福だけではなく公的幸福の追求へと発展させることも可能であることも述べられました。さらに、「われらとわれらの子孫のために、」という前文の文言は将来世代をも射程に入れており、これらの要素に注目すれば、日本国憲法の発展上に新しい時代の理念を考えることができるとまで述べられたことを大変印象深く受けとめました。
そして、結論として、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築という重要な課題を遂行するためには、憲法改正ではなく、現行憲法をコミュニタリアニズム的に再解釈し、それとともに政治的、社会的改革を遂行して、現行憲法に内在する潜在的意義を最大限に引き出し、具体化させることと述べられたことは、私たちが日本国憲法を改めて再認識すること、日本国憲法によって二十一世紀の日本を構想し得るというふうに受けとめました。
日本国憲法の人権規定は、今日焦点となっている環境権、プライバシー権、知る権利に対応できるのみならず、さらに将来生起するかもしれない新しい人権にも対応し得る、懐の深い構造を持っていることを改めて認識するとともに、現行憲法の潜在的力を引き出す立法作業こそ、今日、国会に問われている憲法問題であると考えます。
第二に、公共の福祉の通説的解釈の意義と、公共の福祉の名のもとに国民の自由と権利を制限し得るという議論についての批判的意見を述べたいと思います。
憲法学における公共の福祉の解釈は、国家権力が公共の福祉を理由に過度に人権を制限することを防ぐことに力点が置かれて、積み上げられてまいりました。それは、小林参考人も、その有用性を認めているとおりであります。
その背景は、一つは、戦前の日本においては、国民、当時は臣民ですが、その権利は法律によって幾らでも制限が可能という明治憲法のもとに置かれていたという歴史を持っていること。二つは、戦後も、日本国憲法によって何の留保もつけずに保障されるようになったはずの人権に対して、国家による国民への不当な人権侵害が相変わらず続いているという事情があるからだと説明できます。
小林参考人は、公共の福祉の解釈は限定的なものにとどめず発展させることを指摘しましたが、日本の政治状況は、戦前はともかく現在においても、本来、人権を実現する意味も含めて説明されるはずの公共性が展望しがたい状況にあります。つまり、公共概念が現実の政治的、社会的関係に投入されますと、専ら個人を超越した国家的公共として作動していく現実があるからです。その端的なあらわれが、今回の武力攻撃事態法における公共の福祉論でありましょう。これは、国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉を理由に国民の自由と権利を制限できるとするものですが、しかし、個人の尊厳、法のもとの平等の原則、軍事力をも放棄した徹底した平和主義を貫く日本国憲法のもとでは成り立ち得ない立論であります。
こうした公共の福祉を悪用する今日の政治状況をかんがみたときに、国家権力が公共の福祉を理由に過度に人権を制限することを防ぐことに力点を置いた公共の福祉論は、今日なおその重要性が確認されるべきであると考えます。小林参考人が、憲法の再解釈とともに政治的、社会的改革の遂行を述べたとおり、公共の福祉を悪用する今の政治改革こそ、今日直面する憲法問題だと考えております。そうしてこそ、これまで展望しがたかった公共性も構想できる展望が開かれるのではないでしょうか。
以上で終わります。
この発言だけを見る →基本的人権と公共の福祉について、二点に絞って発言いたします。
まず、日本国憲法のコミュニタリアニズム的解釈と新しい人権の問題について述べます。
小林参考人は、日本国憲法をコミュニタリアニズム的に解釈することによって、環境権、プライバシー権、知る権利などの新しい権利は、憲法改正によることなく法律の制定によってその保障が可能であること、公共の福祉の概念を人権相互の矛盾や衝突の調整という従来の解釈の有用性を踏まえつつ、それを超えて国民全体の利益を構想する学説が有力になりつつあることを述べられました。
振り返ってみますと、かつての憲法学における公共の福祉論と異なって、日本における公共性についての今日的意味が積極的に意識され始めたのは、大阪空港訴訟や名古屋新幹線訴訟を初めとした公共事業をめぐる公害訴訟においてでありました。公共事業を進める当局側は、公共事業の社会的有用性のみをもって公共性を論じました。それに対して住民側は、それらの公共事業によって損なわれる被害者の生活環境や文化などの公共性を鋭く対峙させました。この公害訴訟によって、公共論議に新たな局面が開かれたとされています。こうした歴史的経過を見たとき、参考人が指摘された公共性概念は、まさに環境権などの新しい人権を獲得する運動と一体に発展してきたものとも言えます。
小林参考人が、リベラリズム、社会的保守主義との対比で日本国憲法を読み直してみたとき、第十二条は、新しい時代の要請に対応するためには、解釈改憲ではなく、むしろ逆説的に憲法の文言そのものに戻れということを述べられました。また、公共哲学で重視している幸福については、第十三条の幸福追求権が存在しており、これを私的幸福だけではなく公的幸福の追求へと発展させることも可能であることも述べられました。さらに、「われらとわれらの子孫のために、」という前文の文言は将来世代をも射程に入れており、これらの要素に注目すれば、日本国憲法の発展上に新しい時代の理念を考えることができるとまで述べられたことを大変印象深く受けとめました。
そして、結論として、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築という重要な課題を遂行するためには、憲法改正ではなく、現行憲法をコミュニタリアニズム的に再解釈し、それとともに政治的、社会的改革を遂行して、現行憲法に内在する潜在的意義を最大限に引き出し、具体化させることと述べられたことは、私たちが日本国憲法を改めて再認識すること、日本国憲法によって二十一世紀の日本を構想し得るというふうに受けとめました。
日本国憲法の人権規定は、今日焦点となっている環境権、プライバシー権、知る権利に対応できるのみならず、さらに将来生起するかもしれない新しい人権にも対応し得る、懐の深い構造を持っていることを改めて認識するとともに、現行憲法の潜在的力を引き出す立法作業こそ、今日、国会に問われている憲法問題であると考えます。
第二に、公共の福祉の通説的解釈の意義と、公共の福祉の名のもとに国民の自由と権利を制限し得るという議論についての批判的意見を述べたいと思います。
憲法学における公共の福祉の解釈は、国家権力が公共の福祉を理由に過度に人権を制限することを防ぐことに力点が置かれて、積み上げられてまいりました。それは、小林参考人も、その有用性を認めているとおりであります。
その背景は、一つは、戦前の日本においては、国民、当時は臣民ですが、その権利は法律によって幾らでも制限が可能という明治憲法のもとに置かれていたという歴史を持っていること。二つは、戦後も、日本国憲法によって何の留保もつけずに保障されるようになったはずの人権に対して、国家による国民への不当な人権侵害が相変わらず続いているという事情があるからだと説明できます。
小林参考人は、公共の福祉の解釈は限定的なものにとどめず発展させることを指摘しましたが、日本の政治状況は、戦前はともかく現在においても、本来、人権を実現する意味も含めて説明されるはずの公共性が展望しがたい状況にあります。つまり、公共概念が現実の政治的、社会的関係に投入されますと、専ら個人を超越した国家的公共として作動していく現実があるからです。その端的なあらわれが、今回の武力攻撃事態法における公共の福祉論でありましょう。これは、国及び国民の安全を保つという高度の公共の福祉を理由に国民の自由と権利を制限できるとするものですが、しかし、個人の尊厳、法のもとの平等の原則、軍事力をも放棄した徹底した平和主義を貫く日本国憲法のもとでは成り立ち得ない立論であります。
こうした公共の福祉を悪用する今日の政治状況をかんがみたときに、国家権力が公共の福祉を理由に過度に人権を制限することを防ぐことに力点を置いた公共の福祉論は、今日なおその重要性が確認されるべきであると考えます。小林参考人が、憲法の再解釈とともに政治的、社会的改革の遂行を述べたとおり、公共の福祉を悪用する今の政治改革こそ、今日直面する憲法問題だと考えております。そうしてこそ、これまで展望しがたかった公共性も構想できる展望が開かれるのではないでしょうか。
以上で終わります。
中
島
島聡#22
○島委員 島聡でございます。
小林参考人のコミュニタリアニズムの立場というのは、非常に私も今興味深く聞かせていただきました。ブレア政権が「第三の道」といったときに、やはりコミュニティーを重視するということを用いたわけであります。
憲法というのは、いわゆる英語で言うとコンスティチューションですが、もちろん憲法という意味はありますが、いわゆる国の形とか、これは私の電子辞書では、国体とそのまま書いてあります。体質、性質、気質、そういう言葉をあらわします。つまり、日本国憲法が、長年の間において、日本の中で、性質、気質とあって、そして新しい、いわゆるコミュニタリアニズムに基づいた、日本はそもそもそういうものに基づいていたこともあって、そういう形で理解されるようになったのではないかというように私は思っています。
憲法というのは、そもそも国の歴史とか民族精神の発露というものをもとにして書かれるものであるというのが私の思いでありますので、そういう意味で、例えばこの中で儒教に似ているという言葉がありますが、それは恐らく、法家というのは秦の始皇帝などがやった厳格なものでありますけれども、それよりも、朱子学あるいは論語等の儒学が日本に根づいてきたことがこのような形になったのではないかというふうに私は理解をしております。
ただ、その中で、現在の日本国憲法というのは、いろいろな制定過程も含め、かなりまだきちんと議論しなくちゃいけないことが多いと思いますので、やはり、コミュニティー概念、日本の民族精神の発露ということをかんがみながら、基本的人権の章も、よりきちんと精査をしていく必要が憲法調査会としてはあると思います。
私は、基本的人権と統治機構と分けたならば、改正するに当たりましては、統治機構の方がより緊急性は高いと思っています。ただ、基本的人権においても、例えば環境権であるとかそういう新しい権利の概念につきましては、やはり新しくきちんとコミュニタリアニズムに基づいた、つまり日本の民族精神と言っていいんでしょうか伝統精神と言っていいんでしょうか、それに基づいた形で基本的人権というのを解釈していくということは私も賛成であります。
極めて今、日本国憲法、余り解釈解釈で進めるんじゃなくて、きちんとした言葉で直していくことが必要であるので、基本的人権の問題もきちんと議論し、今の時代に合わせていくということが必要であると私自身は思います。
以上です。
この発言だけを見る →小林参考人のコミュニタリアニズムの立場というのは、非常に私も今興味深く聞かせていただきました。ブレア政権が「第三の道」といったときに、やはりコミュニティーを重視するということを用いたわけであります。
憲法というのは、いわゆる英語で言うとコンスティチューションですが、もちろん憲法という意味はありますが、いわゆる国の形とか、これは私の電子辞書では、国体とそのまま書いてあります。体質、性質、気質、そういう言葉をあらわします。つまり、日本国憲法が、長年の間において、日本の中で、性質、気質とあって、そして新しい、いわゆるコミュニタリアニズムに基づいた、日本はそもそもそういうものに基づいていたこともあって、そういう形で理解されるようになったのではないかというように私は思っています。
憲法というのは、そもそも国の歴史とか民族精神の発露というものをもとにして書かれるものであるというのが私の思いでありますので、そういう意味で、例えばこの中で儒教に似ているという言葉がありますが、それは恐らく、法家というのは秦の始皇帝などがやった厳格なものでありますけれども、それよりも、朱子学あるいは論語等の儒学が日本に根づいてきたことがこのような形になったのではないかというふうに私は理解をしております。
ただ、その中で、現在の日本国憲法というのは、いろいろな制定過程も含め、かなりまだきちんと議論しなくちゃいけないことが多いと思いますので、やはり、コミュニティー概念、日本の民族精神の発露ということをかんがみながら、基本的人権の章も、よりきちんと精査をしていく必要が憲法調査会としてはあると思います。
私は、基本的人権と統治機構と分けたならば、改正するに当たりましては、統治機構の方がより緊急性は高いと思っています。ただ、基本的人権においても、例えば環境権であるとかそういう新しい権利の概念につきましては、やはり新しくきちんとコミュニタリアニズムに基づいた、つまり日本の民族精神と言っていいんでしょうか伝統精神と言っていいんでしょうか、それに基づいた形で基本的人権というのを解釈していくということは私も賛成であります。
極めて今、日本国憲法、余り解釈解釈で進めるんじゃなくて、きちんとした言葉で直していくことが必要であるので、基本的人権の問題もきちんと議論し、今の時代に合わせていくということが必要であると私自身は思います。
以上です。
北
北川れん子#23
○北川委員 小林参考人から「基本的人権と公共の福祉(権利と義務)——国家・共同体・家族・個人の関係の再構築の視点から」をお聞きし、日本国憲法はアメリカ憲法以上にコミュニタリアニズムの原理と一致する規定を相当体系的に含んでおり、したがって、コミュニタリアニズムの観点からすると世界に冠たる理想的憲法ということになる、したがって、この点においても憲法改正の必要性は存在しないとの部分は特に印象に残り、力づけられたところであります。
リベラリズムとコミュニタリアニズム、この両方を批判する人々ともに共通しているのは、日本は非常に排除性の高いコミュニティーだという認識です。
リベラリズムが自由主義と訳されるが、誤訳だと言う方もいます。価値対立状況のもとで多様な価値観を抱く人々が公平に共生し得る枠組み、これを模索するのがリベラリズムの基本だと再定義されています。このように、コミュニタリアニズムもこれからどういう日本語訳が一番ふさわしく、本来の言葉として機能していくに有効になるかは、未知なる感じを持ちました。
コミュニタリアニズムを批判する人たちが言っている、あいまいな伝統や徳や共同性という概念をそのまま日本に持ち込んだときには危険なものになるだろうという警戒心があるという指摘は、私も同感するところであります。自立した個人、女性の自立等と表現されますが、どの範囲まで自己決定できるのかがこれからの時代問われてくると思います。
カースト制度や家父長的な家制度がアジアの伝統ではセーフティーネットになっていますが、古い共同体の中でのもろもろの搾取や差別と結合した相互扶助の構造がセーフティーネットになっている部分があります。現実を改革しようとしないで、共同体、道徳、儒教、公共なる、従来使用してきた年月における歴史性を慎重に腑分けしないで、同音語で表現するのはなかなか難しいのではないかという気がしています。
公共とは、例えば、多くの民族を抱えるなどの多様性を持ち国家の枠組みにとらわれない地球的なものであり、人々が自発的に形成していくものでありながらも、過度な権利行使を避け、責任と義務をみずからで制御できる空間なのではないだろうか。例えば、それを個人に着目してとらえるならば自発的に政治参加する市民であり、集団に着目してとらえるならば多種多様なNPO、NGOのようなものではないだろうか。しかしながら、私自身も、単語的にどういう言葉が対応できるのかはなかなか見つけ出すことは無理でありました。
しかしながら、小林参考人みずから言われているように、リベラリズムとコミュニタリアニズムのいいとこ取りをした、哲学的に統合することを主張し新公共主義を提唱される姿勢には、まさに共感するものであります。この地平が開拓されることにおいて、社会的保守主義、復古主義の人々が使われてきた家族、共同体、道徳とは一線を画すものであることが明確になり、多くの人々に誤解を招くことがなくなっていくだろうと思われます。
また、着目されている中間集団、家族、共同体、NGO、NPOが書き込まれてありましたが、他の方から言われているように、この範囲に私自身は産直運動や第三者機関も含まれていくものだと思います。この中間集団の広がりが場を持つことで、ライフスタイルの多様性が獲得でき、自発的自己決定権が確立されると思うからです。
コミュニタリアニズムに対して、歴史認識が乏しいとの批判があります。しかしながら、小林参考人においては、反テロ世界戦争の拡大に抗してなる論文において、アメリカ超国家主義がもたらす戦争拡大の危険に対して、私たちは日本超国家主義の反省から学んだ平和主義を実践し世界に提唱しなければならない、小泉首相の訪朝は非常に貴重な歴史的成功だったと評価している等々の論文を書かれているゆえ、彼に限ってはこの批判は当たらないということも確認した次第です。
私にとってもとても有意義な一日であったということをお伝えし、私の意見を終わらせていただきます。
この発言だけを見る →リベラリズムとコミュニタリアニズム、この両方を批判する人々ともに共通しているのは、日本は非常に排除性の高いコミュニティーだという認識です。
リベラリズムが自由主義と訳されるが、誤訳だと言う方もいます。価値対立状況のもとで多様な価値観を抱く人々が公平に共生し得る枠組み、これを模索するのがリベラリズムの基本だと再定義されています。このように、コミュニタリアニズムもこれからどういう日本語訳が一番ふさわしく、本来の言葉として機能していくに有効になるかは、未知なる感じを持ちました。
コミュニタリアニズムを批判する人たちが言っている、あいまいな伝統や徳や共同性という概念をそのまま日本に持ち込んだときには危険なものになるだろうという警戒心があるという指摘は、私も同感するところであります。自立した個人、女性の自立等と表現されますが、どの範囲まで自己決定できるのかがこれからの時代問われてくると思います。
カースト制度や家父長的な家制度がアジアの伝統ではセーフティーネットになっていますが、古い共同体の中でのもろもろの搾取や差別と結合した相互扶助の構造がセーフティーネットになっている部分があります。現実を改革しようとしないで、共同体、道徳、儒教、公共なる、従来使用してきた年月における歴史性を慎重に腑分けしないで、同音語で表現するのはなかなか難しいのではないかという気がしています。
公共とは、例えば、多くの民族を抱えるなどの多様性を持ち国家の枠組みにとらわれない地球的なものであり、人々が自発的に形成していくものでありながらも、過度な権利行使を避け、責任と義務をみずからで制御できる空間なのではないだろうか。例えば、それを個人に着目してとらえるならば自発的に政治参加する市民であり、集団に着目してとらえるならば多種多様なNPO、NGOのようなものではないだろうか。しかしながら、私自身も、単語的にどういう言葉が対応できるのかはなかなか見つけ出すことは無理でありました。
しかしながら、小林参考人みずから言われているように、リベラリズムとコミュニタリアニズムのいいとこ取りをした、哲学的に統合することを主張し新公共主義を提唱される姿勢には、まさに共感するものであります。この地平が開拓されることにおいて、社会的保守主義、復古主義の人々が使われてきた家族、共同体、道徳とは一線を画すものであることが明確になり、多くの人々に誤解を招くことがなくなっていくだろうと思われます。
また、着目されている中間集団、家族、共同体、NGO、NPOが書き込まれてありましたが、他の方から言われているように、この範囲に私自身は産直運動や第三者機関も含まれていくものだと思います。この中間集団の広がりが場を持つことで、ライフスタイルの多様性が獲得でき、自発的自己決定権が確立されると思うからです。
コミュニタリアニズムに対して、歴史認識が乏しいとの批判があります。しかしながら、小林参考人においては、反テロ世界戦争の拡大に抗してなる論文において、アメリカ超国家主義がもたらす戦争拡大の危険に対して、私たちは日本超国家主義の反省から学んだ平和主義を実践し世界に提唱しなければならない、小泉首相の訪朝は非常に貴重な歴史的成功だったと評価している等々の論文を書かれているゆえ、彼に限ってはこの批判は当たらないということも確認した次第です。
私にとってもとても有意義な一日であったということをお伝えし、私の意見を終わらせていただきます。
中
中山太郎#24
○中山会長 他に御発言はございませんか。
それでは、討議も尽きたようですので、これにて基本的人権と公共の福祉について、国家、共同体、家族、個人の関係の再構築の視点からの自由討議を終了いたします。
————◇—————
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————◇—————
中
中山太郎#25
○中山会長 御承知のとおり、今国会は、各小委員会においては専門的かつ効果的な調査を行い、調査会においては小委員会での議論を踏まえた全体的な討議を行うとともに、国民的に関心の高い時事的な問題であるイラク問題、北朝鮮問題について、憲法的見地から三度にわたり自由討議を行ってまいりました。
そこで、本日は、これまでの議論を振り返りまして、改めて安全保障と憲法についてを中心に、憲法に関する諸問題について自由討議を行うことといたします。
議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に御発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。
一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、自席から着席のままお願いをいたします。
発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
それでは、まず、平井卓也君。
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議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に御発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。
一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、自席から着席のままお願いをいたします。
発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
それでは、まず、平井卓也君。
平
平井卓也#26
○平井委員 私は、この国会における調査を振り返りまして、特に印象に残った点に絞って発言をさせていただきたいと思います。
まず、今国会におきましては、最高法規小委員会において、明治憲法の制定過程についての調査を行いました。これまで余り顧みられることのなかった明治憲法を調査のテーマとして取り上げて議論ができたことは、大きな収穫であったと思います。
私は、明治憲法の制定の過程において、起草に当たった先人たちが、海外各国の成法という普遍的な価値ばかりでなく、我が国の伝統や文化といった建国の体、すなわち国柄というものに非常に注意を払ったということに着目をしております。
坂野参考人の意見陳述によれば、明治憲法の根本には英国流の立憲主義の思想が流れていったということになろうかと思いますが、そこで思い起こされるのは、イギリスの十八世紀の思想家エドマンド・バークが歴史の中で時間をかけて生成された伝統に重きを置く立場から、ルソーに代表される社会契約論のような抽象的な思弁や、古い伝統を破壊する形でなされたフランス革命を徹底的に批判していることであります。恐らくや、バークにあっては、古きよき伝統を廃して新しいものを植えつけても、それは真に国民の間に根づくものではないという考えがあったからでしょう。
このことに関連して申し上げれば、先ほど、基本的人権小委員会についての大出小委員長からの報告では、お招きした小林参考人から、コミュニタリアニズムといういわば舶来の共同体主義についての御紹介があったようですが、これは大変参考になる考え方であると思います。できれば我が国古来の純風美俗といったものと親和的であるよう、議論を深めていきたいと感じた次第であります。
次に、これまでの憲法調査会における安全保障に関する問題についての議論についても、一言感想を申し述べたいと思います。
先日、多くの会派から賛同を得て、有事関連三法案が成立いたしました。国際テロリズムと大量破壊兵器の問題や北朝鮮問題を初めとする今日の緊迫した国際情勢にかんがみれば、私は、万が一、その一の事態に備え、国民の生命財産を守る体制を整えておくことこそが政治の責任であると考えております。そして、この政治の責任を踏まえれば、国民の生命財産を守る組織として、自衛隊を法的にきちんと位置づけることが最終的に求められるのであります。差し当たっては、有事法制の体系を整えることは国民に対する当然の義務であると考えます。
このような考え方に対して、日本を再び戦前のような軍国主義に向かわせる危険な考え方であるとの批判がございます。私も派遣委員として参加いたしました高松地方公聴会においても、九条を堅持するべきとの立場の方々からは、自衛隊の海外派遣は武力行使への道を開くものであるとか、憲法九条の精神をねじ曲げるものであるといった、有事法制反対の声が聞かれました。むしろ、私は、世界における経済大国としての我が国の国際協力への期待にこたえるものであると確信いたします。
敗戦から五十有余年が経過し、我が国の民主主義は非常に成熟し、制度的にもシビリアンコントロールが確立されており、何よりも、日本国民全体が紛争のない世界を望む平和主義者であります。このようなことを踏まえれば、私は、日本国民はもっと自信を持ってよいのではないか、またそのような正しい自信に裏打ちされた防衛体制の整備、国際協力は、近隣諸国にも必ずや理解されるものと思っています。
また、今回のイラクへの対応については、米国追従であるとの批判がありますが、我が国は、日米同盟を堅持するという基本的立場を踏まえつつ、国益を確保するという観点から、米国への支持を決断したものであります。今後ともこのような立場に立って、我が国の安全保障、ひいては北東アジア地域における平和と安全を確保するため対応していくことが重要であると考えます。
以上、私の感想を述べさせていただきましたが、最後に、改めて、憲法の議論は、我が国が歴史の過程でつくり上げてきた伝統や文化に依拠したものでなければならない、また、平和主義の考え方を堅持しつつ、現実的に平和を確立するために九条を改正するという方向で議論を進めていきたいという強い願いを表明いたします。
以上です。
この発言だけを見る →まず、今国会におきましては、最高法規小委員会において、明治憲法の制定過程についての調査を行いました。これまで余り顧みられることのなかった明治憲法を調査のテーマとして取り上げて議論ができたことは、大きな収穫であったと思います。
私は、明治憲法の制定の過程において、起草に当たった先人たちが、海外各国の成法という普遍的な価値ばかりでなく、我が国の伝統や文化といった建国の体、すなわち国柄というものに非常に注意を払ったということに着目をしております。
坂野参考人の意見陳述によれば、明治憲法の根本には英国流の立憲主義の思想が流れていったということになろうかと思いますが、そこで思い起こされるのは、イギリスの十八世紀の思想家エドマンド・バークが歴史の中で時間をかけて生成された伝統に重きを置く立場から、ルソーに代表される社会契約論のような抽象的な思弁や、古い伝統を破壊する形でなされたフランス革命を徹底的に批判していることであります。恐らくや、バークにあっては、古きよき伝統を廃して新しいものを植えつけても、それは真に国民の間に根づくものではないという考えがあったからでしょう。
このことに関連して申し上げれば、先ほど、基本的人権小委員会についての大出小委員長からの報告では、お招きした小林参考人から、コミュニタリアニズムといういわば舶来の共同体主義についての御紹介があったようですが、これは大変参考になる考え方であると思います。できれば我が国古来の純風美俗といったものと親和的であるよう、議論を深めていきたいと感じた次第であります。
次に、これまでの憲法調査会における安全保障に関する問題についての議論についても、一言感想を申し述べたいと思います。
先日、多くの会派から賛同を得て、有事関連三法案が成立いたしました。国際テロリズムと大量破壊兵器の問題や北朝鮮問題を初めとする今日の緊迫した国際情勢にかんがみれば、私は、万が一、その一の事態に備え、国民の生命財産を守る体制を整えておくことこそが政治の責任であると考えております。そして、この政治の責任を踏まえれば、国民の生命財産を守る組織として、自衛隊を法的にきちんと位置づけることが最終的に求められるのであります。差し当たっては、有事法制の体系を整えることは国民に対する当然の義務であると考えます。
このような考え方に対して、日本を再び戦前のような軍国主義に向かわせる危険な考え方であるとの批判がございます。私も派遣委員として参加いたしました高松地方公聴会においても、九条を堅持するべきとの立場の方々からは、自衛隊の海外派遣は武力行使への道を開くものであるとか、憲法九条の精神をねじ曲げるものであるといった、有事法制反対の声が聞かれました。むしろ、私は、世界における経済大国としての我が国の国際協力への期待にこたえるものであると確信いたします。
敗戦から五十有余年が経過し、我が国の民主主義は非常に成熟し、制度的にもシビリアンコントロールが確立されており、何よりも、日本国民全体が紛争のない世界を望む平和主義者であります。このようなことを踏まえれば、私は、日本国民はもっと自信を持ってよいのではないか、またそのような正しい自信に裏打ちされた防衛体制の整備、国際協力は、近隣諸国にも必ずや理解されるものと思っています。
また、今回のイラクへの対応については、米国追従であるとの批判がありますが、我が国は、日米同盟を堅持するという基本的立場を踏まえつつ、国益を確保するという観点から、米国への支持を決断したものであります。今後ともこのような立場に立って、我が国の安全保障、ひいては北東アジア地域における平和と安全を確保するため対応していくことが重要であると考えます。
以上、私の感想を述べさせていただきましたが、最後に、改めて、憲法の議論は、我が国が歴史の過程でつくり上げてきた伝統や文化に依拠したものでなければならない、また、平和主義の考え方を堅持しつつ、現実的に平和を確立するために九条を改正するという方向で議論を進めていきたいという強い願いを表明いたします。
以上です。
中
首
首藤信彦#28
○首藤委員 民主党の首藤信彦です。
私は、憲法と現実世界で起こっている安全保障システムにおける課題について問題を提起したいと思います。
特に最近、イラクへの自衛隊の派遣が論議を呼んでいるわけですが、私個人も、先週、六月二日から六日までイラクに入り、ナジャフ、カルバラの激戦地を見てまいりました。そうした体験から、現実世界で日本の安全保障システムをどのように対応させなければいけないかということに関してコメントさせていただきます。
まず、イラクの現状でありますが、さまざまな援助が必要だと言われているんですが、イラクにとって最大の援助は何かというと、経済制裁の解除であります。
経済制裁の解除が決められた途端に、国境地帯にはもう三千台近い車が集中しまして、地平線までトラックが並んでいるということで、大規模な民需、供給の流れができておりまして、もう既に、必要な物資は大量にイラクの中に入っているということであります。
それからまた、イラクは通常国家でございまして、つい一月二月前、戦争の前までは、通常のまともな社会主義国家でありました。したがって、カンボジアやルワンダや東ティモールのように、もう何もかもが破壊されている、また破綻国家として定義されるような国とは本質的にその体制は違っているということでございます。また、アフガニスタンのように、内戦が長期化し、全面的長期戦争が行われた地域と違いまして、非常に短期で小規模な戦争破壊が現実だということであります。
そこで、やはり重要なことは、今国際社会が言われているような緊急援助ではございませんで、むしろ、経済制裁がもたらした長期疲弊あるいは貧富の地域格差の是正、こうした長期的な取り組みが必要だということであります。
このような状況において、自衛隊であろうがなかろうが、武装集団の唯一のニーズというものは、セキュリティーの確保、その地域の治安維持でございますが、これがまた大変でございまして、日中でももう銃声が絶えることがない、夜においても銃声が絶えることがなく、車の渋滞のときにクラクションのかわりにピストルを撃つ、それをとめるために米兵がまた威嚇射撃をするというような状況の中で、武装した集団の唯一のニーズは治安維持にあるということであります。
さて、自衛隊派遣に関してはいろいろな問題がございます。簡単に「十の疑義」と書かせていただきましたが、まず、憲法的にそんなことがあり得るのか。憲法には自衛隊という言葉は出てこないわけですが、当然のことながら、自然権的な自衛権に基づいてそういう存在があるということは私たちもよく理解しております。
しかし、それが、ここはお国を何千里、何千キロ離れたところで、果たしてどういう根拠に基づいて自衛権が行使できるのか。それ以外の状況であれば、国連が国際の平和のために要求するということがございますが、今回の場合は、御存じのとおり、国連がそれを求めているわけでもございません。
そしてまた、専守防衛の国是、国連中心主義、あるいは今回の戦争の根拠となる国連決議が欠如していること、そうした問題が指摘されなければいけません。
また、現在アメリカが行っているアメリカ単独の行動、連合国との行動でありますが、それも当初のORHA、復興人道中心の小規模な組織から、CPA、すなわち連合国暫定当局と言われるように、明らかに占領行政、直接統治ということが明らかになってきたときに、果たして占領行政に日本がどれだけ加担するのかというのは大きな問題となると思っております。
また、国連の決議が一応出ているわけですが、それは制裁の解除やあるいはその復興への貢献ということを指示しているわけでありまして、今までのPKO派遣にあるように、PKOの部隊を派遣しなさいというようなことを言っている決議ではないということを指摘させていただきます。
そうなりますと、自衛隊をイラクに対して派遣する根拠はほとんどない。
さらに、受け入れ国の要請、承諾もなく、また先ほど言いましたような治安状況の中では、現実的な交戦規定を持たなければ、すなわち、今までのように正当防衛を前提とする交戦規定だけではなく、本当に威嚇のような行動も場合によっては必要となるということで、我が国の自衛隊の行動に関しても、根本的に対応を考えていかなきゃいけないという大きな課題があると思います。
そうした状況において、自衛隊の派遣というものが全く根拠のないもの、非現実的なものであるということを指摘させていただきます。
そして最後に、一番求められることは、やはりイラクにおいて、イラク人によるイラクの立ち上げということであります。
そうした暫定政権をみずからの手でつくり出していこう、あるいは多様性のあるイラクの存在において、宗教や地域的な、民族的な問題を解決するために連邦制をつくっていこうというイラク人の主張というものが、現在のアメリカのブレマーを中心とする暫定政権、暫定当局によって否定されているわけですが、そうした状況をかんがみても、やはり早期にイラク人によるイラクの立ち上げ、そして、そこでどのように自分たちを統治できるのかというところにこそ我が国の貢献は求められるべきものである、そういうふうに考えております。
以上です。
この発言だけを見る →私は、憲法と現実世界で起こっている安全保障システムにおける課題について問題を提起したいと思います。
特に最近、イラクへの自衛隊の派遣が論議を呼んでいるわけですが、私個人も、先週、六月二日から六日までイラクに入り、ナジャフ、カルバラの激戦地を見てまいりました。そうした体験から、現実世界で日本の安全保障システムをどのように対応させなければいけないかということに関してコメントさせていただきます。
まず、イラクの現状でありますが、さまざまな援助が必要だと言われているんですが、イラクにとって最大の援助は何かというと、経済制裁の解除であります。
経済制裁の解除が決められた途端に、国境地帯にはもう三千台近い車が集中しまして、地平線までトラックが並んでいるということで、大規模な民需、供給の流れができておりまして、もう既に、必要な物資は大量にイラクの中に入っているということであります。
それからまた、イラクは通常国家でございまして、つい一月二月前、戦争の前までは、通常のまともな社会主義国家でありました。したがって、カンボジアやルワンダや東ティモールのように、もう何もかもが破壊されている、また破綻国家として定義されるような国とは本質的にその体制は違っているということでございます。また、アフガニスタンのように、内戦が長期化し、全面的長期戦争が行われた地域と違いまして、非常に短期で小規模な戦争破壊が現実だということであります。
そこで、やはり重要なことは、今国際社会が言われているような緊急援助ではございませんで、むしろ、経済制裁がもたらした長期疲弊あるいは貧富の地域格差の是正、こうした長期的な取り組みが必要だということであります。
このような状況において、自衛隊であろうがなかろうが、武装集団の唯一のニーズというものは、セキュリティーの確保、その地域の治安維持でございますが、これがまた大変でございまして、日中でももう銃声が絶えることがない、夜においても銃声が絶えることがなく、車の渋滞のときにクラクションのかわりにピストルを撃つ、それをとめるために米兵がまた威嚇射撃をするというような状況の中で、武装した集団の唯一のニーズは治安維持にあるということであります。
さて、自衛隊派遣に関してはいろいろな問題がございます。簡単に「十の疑義」と書かせていただきましたが、まず、憲法的にそんなことがあり得るのか。憲法には自衛隊という言葉は出てこないわけですが、当然のことながら、自然権的な自衛権に基づいてそういう存在があるということは私たちもよく理解しております。
しかし、それが、ここはお国を何千里、何千キロ離れたところで、果たしてどういう根拠に基づいて自衛権が行使できるのか。それ以外の状況であれば、国連が国際の平和のために要求するということがございますが、今回の場合は、御存じのとおり、国連がそれを求めているわけでもございません。
そしてまた、専守防衛の国是、国連中心主義、あるいは今回の戦争の根拠となる国連決議が欠如していること、そうした問題が指摘されなければいけません。
また、現在アメリカが行っているアメリカ単独の行動、連合国との行動でありますが、それも当初のORHA、復興人道中心の小規模な組織から、CPA、すなわち連合国暫定当局と言われるように、明らかに占領行政、直接統治ということが明らかになってきたときに、果たして占領行政に日本がどれだけ加担するのかというのは大きな問題となると思っております。
また、国連の決議が一応出ているわけですが、それは制裁の解除やあるいはその復興への貢献ということを指示しているわけでありまして、今までのPKO派遣にあるように、PKOの部隊を派遣しなさいというようなことを言っている決議ではないということを指摘させていただきます。
そうなりますと、自衛隊をイラクに対して派遣する根拠はほとんどない。
さらに、受け入れ国の要請、承諾もなく、また先ほど言いましたような治安状況の中では、現実的な交戦規定を持たなければ、すなわち、今までのように正当防衛を前提とする交戦規定だけではなく、本当に威嚇のような行動も場合によっては必要となるということで、我が国の自衛隊の行動に関しても、根本的に対応を考えていかなきゃいけないという大きな課題があると思います。
そうした状況において、自衛隊の派遣というものが全く根拠のないもの、非現実的なものであるということを指摘させていただきます。
そして最後に、一番求められることは、やはりイラクにおいて、イラク人によるイラクの立ち上げということであります。
そうした暫定政権をみずからの手でつくり出していこう、あるいは多様性のあるイラクの存在において、宗教や地域的な、民族的な問題を解決するために連邦制をつくっていこうというイラク人の主張というものが、現在のアメリカのブレマーを中心とする暫定政権、暫定当局によって否定されているわけですが、そうした状況をかんがみても、やはり早期にイラク人によるイラクの立ち上げ、そして、そこでどのように自分たちを統治できるのかというところにこそ我が国の貢献は求められるべきものである、そういうふうに考えております。
以上です。
中