文教委員会
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会
会議録情報#0
昭和三十三年二月二十七日(木曜日)
午前十時十九分開議
出席委員
委員長 山下 榮二君
理事 伊東 岩男君 理事 稻葉 修君
理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君
理事 河野 正君 理事 佐藤觀次郎君
大橋 忠一君 杉浦 武雄君
渡海元三郎君 灘尾 弘吉君
並木 芳雄君 山口 好一君
木下 哲君 小牧 次生君
櫻井 奎夫君 鈴木 義男君
高津 正道君 野原 覺君
平田 ヒデ君 小林 信一君
出席国務大臣
文 部 大 臣 松永 東君
出席政府委員
文部政務次官 臼井 莊一君
文部事務官
(大学学術局
長) 緒方 信一君
文部事務官
(社会教育局
長) 福田 繁君
海上保安庁長官 島居辰次郎君
委員外の出席者
日本学術会議会
長 茅 誠司君
専 門 員 石井 勗君
―――――――――――――
二月二十一日
日本育英会法の一部を改正する法律案(内閣提
出第八七号)
同月二十二日
義務教育施設の整備に関する請願(中馬辰猪君
紹介)(第一〇八三号)
文教刷新及び社会教育の振興に関する請願(中
馬辰猪君紹介)(第一〇八四号)
へき地教育振興法の一部改正に関する請願(濱
地文平君紹介)(第一〇八五号)
同(田中幾三郎君紹介)(第一一三一号)
公立義務教育諸学校の施設費半額国庫負担に関
する請願(三浦一雄君紹介)(第一一〇六号)
教育公務員特例法の一部改正に関する請願外十
三件(井谷正吉君紹介)(第一一二一九号)
学校給食費国庫補助等に関する請願(加藤精三
君紹介)(第一一三〇号)
学級編成基準の適正化及び施設拡充に関する請
願(福田篤泰君外二名紹介)(第一一三二号)
同(山花秀雄君紹介)(第一一三二号)
の審査を本委員会に付託された。
二月二十五日
自然保護教育に関する陳情書
(第四〇六号)
義務教育諸学校施設費半額国庫負担法制定等に
関する陳情書外十五件
(第四一四号)
同外五件
(第四七九号)
理科教育の充実に関する陳情書
(第四一五号)
へき地教育振興法の一部改正等に関する陳情書
(第四一六
号)
学校保健法制定等に関する陳情書
(第四七八号)
義務教育施設費の総合的国庫負担法制定に関す
る陳情書外二件
(第四八一号)
小中学校教員数の増員等に関する陳情書外一件
(第四
八三号)
を本委員会に参考送付された。
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣
提出第一九号)
国立競技場法案(内閣提出第六八号)
南極地域観測に関する件
――――◇―――――
この発言だけを見る →午前十時十九分開議
出席委員
委員長 山下 榮二君
理事 伊東 岩男君 理事 稻葉 修君
理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君
理事 河野 正君 理事 佐藤觀次郎君
大橋 忠一君 杉浦 武雄君
渡海元三郎君 灘尾 弘吉君
並木 芳雄君 山口 好一君
木下 哲君 小牧 次生君
櫻井 奎夫君 鈴木 義男君
高津 正道君 野原 覺君
平田 ヒデ君 小林 信一君
出席国務大臣
文 部 大 臣 松永 東君
出席政府委員
文部政務次官 臼井 莊一君
文部事務官
(大学学術局
長) 緒方 信一君
文部事務官
(社会教育局
長) 福田 繁君
海上保安庁長官 島居辰次郎君
委員外の出席者
日本学術会議会
長 茅 誠司君
専 門 員 石井 勗君
―――――――――――――
二月二十一日
日本育英会法の一部を改正する法律案(内閣提
出第八七号)
同月二十二日
義務教育施設の整備に関する請願(中馬辰猪君
紹介)(第一〇八三号)
文教刷新及び社会教育の振興に関する請願(中
馬辰猪君紹介)(第一〇八四号)
へき地教育振興法の一部改正に関する請願(濱
地文平君紹介)(第一〇八五号)
同(田中幾三郎君紹介)(第一一三一号)
公立義務教育諸学校の施設費半額国庫負担に関
する請願(三浦一雄君紹介)(第一一〇六号)
教育公務員特例法の一部改正に関する請願外十
三件(井谷正吉君紹介)(第一一二一九号)
学校給食費国庫補助等に関する請願(加藤精三
君紹介)(第一一三〇号)
学級編成基準の適正化及び施設拡充に関する請
願(福田篤泰君外二名紹介)(第一一三二号)
同(山花秀雄君紹介)(第一一三二号)
の審査を本委員会に付託された。
二月二十五日
自然保護教育に関する陳情書
(第四〇六号)
義務教育諸学校施設費半額国庫負担法制定等に
関する陳情書外十五件
(第四一四号)
同外五件
(第四七九号)
理科教育の充実に関する陳情書
(第四一五号)
へき地教育振興法の一部改正等に関する陳情書
(第四一六
号)
学校保健法制定等に関する陳情書
(第四七八号)
義務教育施設費の総合的国庫負担法制定に関す
る陳情書外二件
(第四八一号)
小中学校教員数の増員等に関する陳情書外一件
(第四
八三号)
を本委員会に参考送付された。
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣
提出第一九号)
国立競技場法案(内閣提出第六八号)
南極地域観測に関する件
――――◇―――――
山
山下榮二#1
○山下委員長 これより会議を開きます。
まず南極地域観測に関する件について調査を進めたいと存じます。初めに緒方政府委員より南極地域観測に関する経過の説明を伺うことにいたします。緒方政府委員。
この発言だけを見る →まず南極地域観測に関する件について調査を進めたいと存じます。初めに緒方政府委員より南極地域観測に関する経過の説明を伺うことにいたします。緒方政府委員。
緒
緒方信一#2
○緒方政府委員 南極観測の経過につきましては、すでに新聞報道によりまして御承知のことでございますが、アメリカのバートン・アイランド号の援助によりまして、一たん昭和基地近くに進入いたしておりました宗谷におきましては第一次越冬隊の十一名の収容を終りましたあと、さらに本観測の越冬隊の残留につきまして懸命の努力をいたしたのでございますけれども、天候あるいは氷の状況等がきわめてむずかしい状況でございまして、その地点にとどまることはバートン・アイランド号の能力をもってしても危険な状態が追って参りましたので、一たん外洋にさらに出て参ったのでございます。そうしてそれから東方に昭和基地に越冬隊を送る適地を求めておったわけでございますけれども、この行動も非常に困難をきわめまして、なお気象の状況が非常に悪くなりましたために、一時その場所を遠く離れて退避いたしておったわけでございます。その後気象の好転を見ましてさらに再び昭和基地近くに近寄って、最後には五十一海里まで近寄ったのでございます、そしてそこから昭和基地に対しまする最後の空輸の努力をいたしたのでございますが、しかし結局におきまして天候の状況あるいは海上の状況等が幸いいたしませず、去る二十四日の十二時をもちましてその海域を離脱せざるを得ない状況に相なりました。かような経過によりまして、結局本観測の越冬隊を揚陸しますことは困難になりまして、断念せざるを得なくなった次第でございます。そこで宗谷はバートン・アイランド号と別れまして、ただいまケープタウンに向けて帰航の途中でございます。かような状況でございますので御報告申し上げます。
この発言だけを見る →山
野
野原覺#4
○野原委員 今回の南極観測の第二次越冬の件につきまして、最終的な経過の報告が緒方局長からなされたわけでございますが、私はこれらの点を総合して若干お尋ねしたいと思うのであります。
二月二十五日の朝刊を拝見いたしまして、私どもはいよいよだめかと実はまことに残念な気持に打たれたのでございますが、特に私の胸を打ちましたのは永田隊長が南極統合本部長あてに打電しております親電でございます。「故国において私ども観測隊を応援し続けて下さった国民各位に対しても何とも申しわけのしようがありません。隊員一同は来たるべき年の再起を心に誓って今群氷域を去らんとしております。このような結果に至りましたことを隊長として深くおわび申し上げます。」私はこの短い文章の中に隊長永田さんの心中まことに察するにあまりあるものがあると、実は心から感激と敬意と感謝を表するにやぶさかでないのであります。しかしながら、いずれにいたしましても国民全体の期待を置かれておりました南極本観測はついにだめになったわけでございまするが、この南極本観測の責任者として南極統合推進本部があり、日本学術会議があるわけでございまするが、特に私は本日は本観測のいろいろな面におけるこの責任担当者としての学術会議会長茅先生に若干お尋ねをしたいところがあるわけであります。
このように本観測がついにだめになったということを、学術会議会長としてはどのような反省を今日持たれていらっしゃるかということであります。もっと詳しく言えば、私どもは先般文教委員会においても実はいろいろお尋ねをしたのでございまするが、たとえば本観測の計画について遺漏の点がなかったかどうか、準備について不足の点がなかったかどうか、予算はどういうことであったか、学術会議が要求された予算はそのまま政府はこれを承認しておったかどうか。問題は宗谷ということになろうかと思いまするが、宗谷の装備については、実は予備観測があったときから問題があったのであります。予備観測の際もオビ号に救援をされておる。帰って参りまして、本観測というものは、きびしい南極の自然条件を切り抜けるためには、今日の宗谷ではこれはだめじゃないかということも、実は島居海上保安庁長官に、申しにくいことではありましたが、これはあらゆる角度からこの点を私どもは要請しておったのであります。幾らかの装備改良がなされておったようでございまするが、そういった宗谷の装備についてはどういう反省を持たれておるか、計画、準備、予算、装備等、とにかく学術会議として、あるいは南極統合本部として、いろいろな自己批判、反省が今日なされておるだろうと思う。この点をまず承わりたいのであります。
この発言だけを見る →二月二十五日の朝刊を拝見いたしまして、私どもはいよいよだめかと実はまことに残念な気持に打たれたのでございますが、特に私の胸を打ちましたのは永田隊長が南極統合本部長あてに打電しております親電でございます。「故国において私ども観測隊を応援し続けて下さった国民各位に対しても何とも申しわけのしようがありません。隊員一同は来たるべき年の再起を心に誓って今群氷域を去らんとしております。このような結果に至りましたことを隊長として深くおわび申し上げます。」私はこの短い文章の中に隊長永田さんの心中まことに察するにあまりあるものがあると、実は心から感激と敬意と感謝を表するにやぶさかでないのであります。しかしながら、いずれにいたしましても国民全体の期待を置かれておりました南極本観測はついにだめになったわけでございまするが、この南極本観測の責任者として南極統合推進本部があり、日本学術会議があるわけでございまするが、特に私は本日は本観測のいろいろな面におけるこの責任担当者としての学術会議会長茅先生に若干お尋ねをしたいところがあるわけであります。
このように本観測がついにだめになったということを、学術会議会長としてはどのような反省を今日持たれていらっしゃるかということであります。もっと詳しく言えば、私どもは先般文教委員会においても実はいろいろお尋ねをしたのでございまするが、たとえば本観測の計画について遺漏の点がなかったかどうか、準備について不足の点がなかったかどうか、予算はどういうことであったか、学術会議が要求された予算はそのまま政府はこれを承認しておったかどうか。問題は宗谷ということになろうかと思いまするが、宗谷の装備については、実は予備観測があったときから問題があったのであります。予備観測の際もオビ号に救援をされておる。帰って参りまして、本観測というものは、きびしい南極の自然条件を切り抜けるためには、今日の宗谷ではこれはだめじゃないかということも、実は島居海上保安庁長官に、申しにくいことではありましたが、これはあらゆる角度からこの点を私どもは要請しておったのであります。幾らかの装備改良がなされておったようでございまするが、そういった宗谷の装備についてはどういう反省を持たれておるか、計画、準備、予算、装備等、とにかく学術会議として、あるいは南極統合本部として、いろいろな自己批判、反省が今日なされておるだろうと思う。この点をまず承わりたいのであります。
茅
茅誠司#5
○茅説明員 お答え申し上げます。学術会議としての反省という点について御質問がございましたが、学術会議の中に南極観測特別委員会というのがございます。その特別委員会の総会を開きまして、現在までの総合した困難を検討し、そうしてあらためてほんとうの意味の反省ができると思うのでありますけれども、まだ隊長も戻っておりませんので、その時期にはなっておりません。そこで私その委員会の委員長個人としての反省を申し上げざるを得ないわけでございます。
結果から申しまして、私どもの反省しなければならない点は、宗谷を改造して行ったならば、この観測が成功するのであろうという見込みが結果において不可能に終ったということであります。これは結果論から申すわけでありますが、最初の時期におきましては、われわれが観測をすることになりましたプリンス・ハラルド海岸地域の気象条件、ことに氷がどのような条件になっておるかということについて、ほとんど知る点がなかったのであります。当時われわれ準備をしておりますときに、少くとも海岸から百キロ以内に到達できなければ観測を実施することはできないだろう、果して百キロ近寄れるかどうかという点については全然資料がございませんので、何とも目安は立たなかったのであります。しかしそれを実施するという点から申しますと、新たに砕氷船を作るという時期的の余裕がございませんでした。従って現在あります船としては宗谷丸という船と宗谷と二つしがなかったのであります。その両船についての相当な議論をいたしましたが、結局宗谷を海上保安庁にお願いして改装していただいていくということ以外に手はないということになりまして、そういう計画のもとに予算を提出いたしました。予備観測のときにおきまして、予算その他の点につきましていろいろと困難がございましたのは、大体どういう装備を持って行っていいかということがわれわれに明確にわからなかったのであります。予算が通過したあとで、実はアメリカに行く、イギリスに行く、オーストラリアに行くというようなことをいたしまして、装備の研究をいたしました結果、若干そこに予算の不足が出て参りましたけれども、民間の寄付によってこれを補うことができたのでありまして、第一回の予備観測の場合におきまして、隊長、副隊長もわれわれの持っていきたいと思うものを全部持っていくことができたといってわれわれに喜びを申したくらいであります。本観測のときにおきましては、われわれの提出しました予算はほとんど通過いたしまして、その点に遺憾は絶対ございませんでした。ただヘリコプターその他の点等につきまして、購入する予定のところがそうでなくなったという点だけでありまして、実施の面におきましては何らの支障も来たさなかったのであります。そういうような状況でございまして、われわれがこの観測が不成功に終ったその原因を探求してみますと、宗谷の砕氷能力以外の装備の点で、これがまずかったから今度の観測ができなかったという点はなかったように思います。これは隊長が帰ってきてからでないとわかりませんけれども、現在までわれわれが入手しておりますいろいろの情報から見まして、そういう点はないと思います。宗谷の点につきましてはやはり結局は砕氷能力、それによることでありますけれども、御存じのようにバートン・アイランド号をもってしても砕氷能力が不十分でありまして、予定計画の二十名を越冬させる、四百トンの荷物を運ぶという計画は実施できなかったのであろうと思います。つまり結果から申しますと、プリンス・ハラルド海岸が過去日本隊以外はまだ上陸し得なかったところであったというのが、初めてわれわれにわかったというわけであります。つまり昨年は幸いにしまして既定計画を実行することができましたが、私どももまだ二年の経験でよくわかりませんけれども、昨年があるいは幸運過ぎたのではないか。ことしのような気候があるいは平常の、つまりいつも通りの解氷状態であったのではないかと思うのであります。そういう点、つまりわれわれのプリンス・ハラルド海岸における氷の状態に対する認識が足りなかった点、これはもちろん行ってみて初めてわかることでありまして、これも目的の一つなのでありますが、それがわれわれの計画では完全に実施することができないような、それほど困難な状態のものであったということが現在に至ってわかった、こういうわけであります。そういう点につきましてわれわれの計画が甘かったとおっしゃるならば、喜んでその非難をお受けせざるを得ないのではないか。もっとももっと装備をよくしていくべきであったということにいたしましても、二十五年ごとに一回あります地球観測年に間に合うように、その装備を持った船を作るということは時期的にも不可能でございまして、そういう意味におきまして、われわれとしては、現在の日本においてできるだけの装備をして行ったつもりであります。結果から申しますと、ソ連、アメリカの船を除きますと、宗谷がその次の装備を持った船でございまして、各国のそれ以外の船もことしは氷に閉じ込められて非常な困難を起しております。そういう点から申しまして、私はこの日本といたしましてできるだけの力を尽したのであるけれども、結果から申しますと、プリンス・ハラルド海岸の氷の状況というものは、それをもってしては不十分であったということを確認したということになったと思うのであります、お答えになったかどうかわかりませんが、これだけ申し上げておきます。
この発言だけを見る →結果から申しまして、私どもの反省しなければならない点は、宗谷を改造して行ったならば、この観測が成功するのであろうという見込みが結果において不可能に終ったということであります。これは結果論から申すわけでありますが、最初の時期におきましては、われわれが観測をすることになりましたプリンス・ハラルド海岸地域の気象条件、ことに氷がどのような条件になっておるかということについて、ほとんど知る点がなかったのであります。当時われわれ準備をしておりますときに、少くとも海岸から百キロ以内に到達できなければ観測を実施することはできないだろう、果して百キロ近寄れるかどうかという点については全然資料がございませんので、何とも目安は立たなかったのであります。しかしそれを実施するという点から申しますと、新たに砕氷船を作るという時期的の余裕がございませんでした。従って現在あります船としては宗谷丸という船と宗谷と二つしがなかったのであります。その両船についての相当な議論をいたしましたが、結局宗谷を海上保安庁にお願いして改装していただいていくということ以外に手はないということになりまして、そういう計画のもとに予算を提出いたしました。予備観測のときにおきまして、予算その他の点につきましていろいろと困難がございましたのは、大体どういう装備を持って行っていいかということがわれわれに明確にわからなかったのであります。予算が通過したあとで、実はアメリカに行く、イギリスに行く、オーストラリアに行くというようなことをいたしまして、装備の研究をいたしました結果、若干そこに予算の不足が出て参りましたけれども、民間の寄付によってこれを補うことができたのでありまして、第一回の予備観測の場合におきまして、隊長、副隊長もわれわれの持っていきたいと思うものを全部持っていくことができたといってわれわれに喜びを申したくらいであります。本観測のときにおきましては、われわれの提出しました予算はほとんど通過いたしまして、その点に遺憾は絶対ございませんでした。ただヘリコプターその他の点等につきまして、購入する予定のところがそうでなくなったという点だけでありまして、実施の面におきましては何らの支障も来たさなかったのであります。そういうような状況でございまして、われわれがこの観測が不成功に終ったその原因を探求してみますと、宗谷の砕氷能力以外の装備の点で、これがまずかったから今度の観測ができなかったという点はなかったように思います。これは隊長が帰ってきてからでないとわかりませんけれども、現在までわれわれが入手しておりますいろいろの情報から見まして、そういう点はないと思います。宗谷の点につきましてはやはり結局は砕氷能力、それによることでありますけれども、御存じのようにバートン・アイランド号をもってしても砕氷能力が不十分でありまして、予定計画の二十名を越冬させる、四百トンの荷物を運ぶという計画は実施できなかったのであろうと思います。つまり結果から申しますと、プリンス・ハラルド海岸が過去日本隊以外はまだ上陸し得なかったところであったというのが、初めてわれわれにわかったというわけであります。つまり昨年は幸いにしまして既定計画を実行することができましたが、私どももまだ二年の経験でよくわかりませんけれども、昨年があるいは幸運過ぎたのではないか。ことしのような気候があるいは平常の、つまりいつも通りの解氷状態であったのではないかと思うのであります。そういう点、つまりわれわれのプリンス・ハラルド海岸における氷の状態に対する認識が足りなかった点、これはもちろん行ってみて初めてわかることでありまして、これも目的の一つなのでありますが、それがわれわれの計画では完全に実施することができないような、それほど困難な状態のものであったということが現在に至ってわかった、こういうわけであります。そういう点につきましてわれわれの計画が甘かったとおっしゃるならば、喜んでその非難をお受けせざるを得ないのではないか。もっとももっと装備をよくしていくべきであったということにいたしましても、二十五年ごとに一回あります地球観測年に間に合うように、その装備を持った船を作るということは時期的にも不可能でございまして、そういう意味におきまして、われわれとしては、現在の日本においてできるだけの装備をして行ったつもりであります。結果から申しますと、ソ連、アメリカの船を除きますと、宗谷がその次の装備を持った船でございまして、各国のそれ以外の船もことしは氷に閉じ込められて非常な困難を起しております。そういう点から申しまして、私はこの日本といたしましてできるだけの力を尽したのであるけれども、結果から申しますと、プリンス・ハラルド海岸の氷の状況というものは、それをもってしては不十分であったということを確認したということになったと思うのであります、お答えになったかどうかわかりませんが、これだけ申し上げておきます。
野
野原覺#6
○野原委員 そういたしますと、南極というものが未発見の大陸であるだけに、南極の自然条件というものが不明であったということに会長の御意見は集約されようかと思うのであります。つまりきびしい南極の自然条件というものが、十分われわれにもわからなかったのだということになろうかと思うのでありますが、そのように受け取ってよろしいかどうか、重ねてお尋ねをしたい。
この発言だけを見る →茅
野
野原覺#8
○野原委員 このことは、私無理もなかろうかとは思うのでございますけれども、実は予備観測が行われまして、そうして辛うじてオビ号の救援によって、予備観測でこの日本に帰ることができたときに、私どもしろうとながらこれを問題にしたことがあるわけであります。私どもだけでなしに国民全体が、南極というものは実におそろしいところだ、しろうとながらこう直感をしたわけであります。その際私どもはいろいろ問題にいたしまして、これはこの次は大へんなことになりはせぬか、ことしはうまくいったけれども、この次はこれはえらいことになるのじゃなかろうかという心配を持ったのでございますが、まあ学術会議というところは専門家のお集まりでございますから、そういう御心配は持たなかったかどうか。南極の自然条件というものは実にきびしい、これは甘く見たらいかぬぞということは評論家もいろいろ書いておったようであります。専門家でない評論家の意見として受け取られておったのかどうか。あるいはもう大へんなことになる、アメリカの砕氷船でもこれを乗り切ることはできないかもわからないというお考えはかって持ったことはなかったかどうか、この点をお尋ねしたい。
この発言だけを見る →茅
茅誠司#9
○茅説明員 お答え申し上げます。予備観測が終りましてすぐにわれわれが問題にしましたのは、このようなオビ号に救援を依頼しなければならないような状態を起さずに、本観測をいかにして実施できるかという検討でございました。そのためにケープタウンから隊長は飛行機で帰ったのであります。自来松本船長、永田隊長を中心といたしまして、海上保安庁の皆さん並びに学術会議、統合推進本部、これらが協議をいたしました結果、はっきりと自信があったとは私は申し上げませんけれども、二月の一日から五日前後の間までが、南極としては最も行動が自由になる時期であろう、それが予備観測におけるわれわれの経験であるということに一致したのであります。その時期に氷海を離脱するということにすれば、再びあのようなことにならないのではなかろうかという点が第一点であります。その上に第一回の経験によりまして、宗谷の装備に改良をいたしまして、砕氷能力も以前よりは高めたのでありますが、その二つをもってして、それではお前たちは果して自信を持っていたのかとおっしゃいますと、私はノーとお答えせざるを得ないと思います。しかし第一回の観測だけの結果をもって全部を推すということはできませんので、そこに多少の不安はございましたけれども、本観測参加のための計画を進めて参ったのであります。ところが本年は不幸にいたしまして、最初の期間に氷に閉じ込められまして、そのまま身動きがとれなくなった。二月の初めになりまして、やっと氷から解放されたというような事態が起り、しかもその上に昨年よりも気象条件が非常に悪かったために、今度のような結果になったのだと私は思うのでありまして、ただいまの御質問に対しましては、要約してお答え申しますと、検討するだけのことは検討し、このようにしたならば、成功するかもしれないという計画は立てたのでありますが、それを自信を持って行なったかとおっしゃいますと、私は自信は持てなかったと申し上げたいと思います。なおそういう場合にお前はどうするかとお尋ねになったとしますならば、これは国際協力の事業でございますから、すでにこの南極の国際協力観測事業の根本原則として、お互いに救援し合うということが出ておりますので、そういう場合には救援を依頼せざるを得ないのだ、そういう考えのもとに行なったのであります。
この発言だけを見る →野
野原覺#10
○野原委員 いずれにしても、日本は残念ながら本観測を放棄したわけであります。わが国が本観測を放棄したことによって、国際地球観測年の事業にもやはり大きな影響をここで来たしたことは、これは免れなかろうかと思うのであります。御承知のように、アメリカ、あるいはイギリス、ソビエト、ベルギー、ノールウエー、アルゼンチン、ニュージーランド、フランス等々がこの事業に参加しておるようでございますが、このように国際地球観測年の事業に、日本の本観測放棄というものがどのような影響を来たすものであるのか、これが一つ。もう一つは本観測を放棄した国というのは日本以外ではどこの国があるかということをお尋ねしたい。
この発言だけを見る →茅
茅誠司#11
○茅説明員 お答え申し上げます。第一の点でございますが、地球観測年の一環として、南極の地球物理学的諸現象を同一方法でお互いに時期を同じゅうして測定するという目的のために、最初に南極全体にわたりまして基地を選んだわけであります。その選ばれた基地のうちの一つとしてプリンス・ハラルド・コーストがあったのでありますが、日本が参加を申し込んだときにはその基地だけがあいておった、そういう実情でございます。それでその基地において本観測を行うことができないということになりますと、それだけ南極全体に関する気象条件、電離層の条件、その他全般が不正確になって参ります。全部がだめになるとは申し上げませんが、そこに穴があきますから、それだけ精密なものにはならない。そういう点で、通俗な言葉で申しますと、穴があいたということになります。
それから私の知っております範囲におきまして、ことし観測をしようとした国で不成功に終った国はないように思うのでございますが、まだ自信を持ってお答えできないのでございます。
この発言だけを見る →それから私の知っております範囲におきまして、ことし観測をしようとした国で不成功に終った国はないように思うのでございますが、まだ自信を持ってお答えできないのでございます。
野
野原覺#12
○野原委員 そうなって参りますと、これは日本としても、国際的な学術上の大きな責任を実は負わなければならない。日本が参加して、日本はプリンス・ハラルド海岸のいわゆる昭和基地において南極を見きわめよう、アメリカはこっちからやろう、ソ連はこっちからやろう、そうしてその出た結論を学術的に集約して、南極大陸の本質といいますか、あるいは国際地球観測上のいろいろな現象、原因というものを見きわめていこうという、その責任を果すことができなかったということはこれは国際的に見ても、この責任というものは免れることはできない、こういう点で、実は私どもはまた別の角度から心配しておる面もあるわけであります。
そこでもう一度重ねてお伺いしたいことは、この国際地球観測年の事業というものは、一体国際的に話し合いが出されたのはいつであったかということです。これはかなり前から、一九五七年から一九五八年にかけてこういった事業をやるという話がなかったかどうか。一体これを日本の学術会議が聞いたのはいつであったかという点を、まずお尋ねしたい。
この発言だけを見る →そこでもう一度重ねてお伺いしたいことは、この国際地球観測年の事業というものは、一体国際的に話し合いが出されたのはいつであったかということです。これはかなり前から、一九五七年から一九五八年にかけてこういった事業をやるという話がなかったかどうか。一体これを日本の学術会議が聞いたのはいつであったかという点を、まずお尋ねしたい。
茅
茅誠司#13
○茅説明員 お答え申します。地球観測年と申しますのは、御承知の通りに今までは五十年ごとに行われてきたのでありますが、その後計測器具が非常に進歩しましたので、五十年ごとにするよりは二十五年ごとに行おうということになりまして、昨年の七月からことしにかけてがちょうど二十五年に当るのであります。その一環として南極地域において観測を行うという仕事は私は専門が少し違いますので正確に記憶しておりませんが、その観測年の一環として進められてきましたのは四、五年前からであったと私は思っております。ところが日本といたしましては砕氷船のできたのを持っておらない国でございますので、その方面の地球物理学の研究者は全部あきらめておりまして、南極地域の観測には入らないというつもりでおったのであります。ところがその後新聞で御承知とも思いますが、朝日新聞等が非常にこれに乗り気になりまして、ぜひやらないか、われわれも全力を尽して後援したいという話もありましたので、われわれも幾分乗り気になりまして、その事業に取りかかったのは——その話が始まったのは三十年の夏からでございます。そうしてそういうことが可能であるかどうかということについてそれまで検討して参りましたが、とにかくある程度の改装を宗谷に加えれば、自信をもって行い得るとは申しませんけれども、できるんじゃなかろうかというので決心をいたしまして、そうして政府の方に学術会議からお願いし、閣議了解を得たのがその年の十一月でございます。
この発言だけを見る →野
野原覺#14
○野原委員 私が最初茅先生に反省の点がないかということをお尋ねいたしましたのは、実はこの点もあるわけであります。私どもはこの点が問題だろうと思うのです。南極の国際地球観測年事業というものは五十年ごと、あるいは二十五年ごと、これは国際的には実はかなり前からきまってきておる。ところが日本が参加しようときまったのは、記録によりますと、昭和三十年十月二十五日の閣議で決定をされておるようであります。ブラッセルの会議に参加したのが、私の調査では三十年九月八日ということになっておる。そうして十月二十五日閣議で正式に参加を決定しておる。そうして日本の事業としてやることをきめておるようであります。そうして二十一年には出発をしておる。三十一年から三十二年にかけて準備期間が一年しかない。突如として、こういったおそろしい自然条件、南極大陸の観測を国際的に責任を持ってやろうという国が、こういう短かい期間の準備で一体できるかできないか。私はこの点について、これは一体政府の責任であるのか、あるいは日本の学術会議というものがうっかりしていらっしゃったのかどうかは知りませんけれども、実は遺憾な点がここに一つあるように感ぜられてならぬのであります。やはり日本が参加しようというならば、海軍がないのでございます。しかし日本は戦争に負けて相当痛めつけられておるわけであります。船舶その他については世界的に優秀であるとはいいましても、優秀な観測船を作るためには一年や二年はたっぷりかかるでしょう。そういうような準備に欠くる点がなかったとは茅先生としてはお考えでございませんか。重ねてお尋ねしたいと思います。
この発言だけを見る →茅
茅誠司#15
○茅説明員 私は結果から申しますと、今おっしゃった通りだと思います。もしもわれわれがこういう結果を知っておったとしましたならば、この企てはしなかっただろうということは、結果から申せばはっきり申し上げられると思います。ただ言いわけになってまことに申しわけないのでありますが、その当時われわれは、場合によりましてはこの装備をもっていけるんじゃないかという点を望んでおったわけでありまして、その点普通の科学的な計画とは違っておったのであります。つまり未知の土地に入って行く、その未知の条件というものがさっぱりわからないものですから、その場合にわれわれとして国の予算や、たとえばグレイシャー号的の船を一そう作るとしますと、三年の年月と約四十億円の金がかかる。それほどの費用を国にお願いしてまでこれをすべきものかどうか、幾分そこに不安があっても、宗谷の改装でいくのではないかというふうに考えたのでありますが、今日となってみますと、これが実行できなかったという点では今おっしゃった通りであると思います。
この発言だけを見る →野
野原覺#16
○野原委員 放棄したのが日本だけだということになりますと、私どもの納得できないことは、日本の向ったその海岸の自然条件というものだけがきびしかったかということが一つの疑問として残るのであります。これが一つ。
もう一つは、私おそらくそうじゃなかろうかと思うが、プリンス・ハラルド海岸の突破口が見つからなかったということは南極のやはりその他の面においてもあったに違いない。先ほどの茅会長の御答弁によりますと、日本の宗谷というのはアメリカに次いでの優秀船だ、こういうことで、これも実は得心ができぬのでありますが、一体その他の国は放棄していないとすれば、船が非常に貧弱でありながら放棄しなかったということは、計画とか準備とかその他の面においてもやはり十分なものがあって、日本に十分なものがなかったのじゃなかろうか、こういう疑惑を持つのでございますが、その辺はいかがお考えでございますか、お伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →もう一つは、私おそらくそうじゃなかろうかと思うが、プリンス・ハラルド海岸の突破口が見つからなかったということは南極のやはりその他の面においてもあったに違いない。先ほどの茅会長の御答弁によりますと、日本の宗谷というのはアメリカに次いでの優秀船だ、こういうことで、これも実は得心ができぬのでありますが、一体その他の国は放棄していないとすれば、船が非常に貧弱でありながら放棄しなかったということは、計画とか準備とかその他の面においてもやはり十分なものがあって、日本に十分なものがなかったのじゃなかろうか、こういう疑惑を持つのでございますが、その辺はいかがお考えでございますか、お伺いしたいと思います。
茅
茅誠司#17
○茅説明員 お答え申し上げます。日本以外の国が全部基地に入ることができて、日本だけが基地を放棄せざるを得なかったということは、これはまことに残念なことでありますが、私がここに御参考のために申し上げたいと思いますのは、二十四日に風が吹かなかったら観測が実施できたということであります。そういうことを科学者が言うのはおかしいじゃないかとおっしゃられればまことに申しわけないのでありますが、そういうチャンスが可能にするかしないかというせとぎわでありまして、われわれあらかじめ未知の土地に対して勘定に入れておくことができなかった。それからいま少し申しますならば、最初は二十名を残したいというので非常な努力をいたしましたが、逐次それを縮小して参りました。その小さな計画だけを最初から実行しようとしましたならば、あるいは実行できたかもしれません。いろいろのことが考えられるのでございます。そういう点について、これも一つの踏み石だと思うのでありますが、こういう失敗が成功のもとになるので、それを私申し上げるのは非常につらいのでありますけれども、そういうことでありまして、ことにことしの風向きが、つまり氷を吹き散らす方でなく、氷を固める方にばかり吹きまして、昨年のような氷を海岸から追いやるような方向に向って吹かなかったということが、つまりことし成功しなかった一つの原因なんでありますが、そういうことのためにその風の方向がちょうどプリンス・ハラルド海岸、リュッツオフ・ホルム湾の氷を外から中へ中ヘと押し寄せる結果となりまして、ついにアメリカの船をもってしてもどうしても中に入ることができない。百キロ以内に近寄ることができなかったということであります。ところが南極全体が全部そういう悪条件であったのかどうか、これは詳しい情報がないからまだわかりませんけれども、しかしたとえばノックス・コーストというオーストラリアの南部基地等は、ことしは非常に氷が少くて、海岸が露出しておった。ですからどんな船で行っても、砕氷船でなくても基地を設営することができた。結果から申しますれば、これも——大体茅という男は卑怯なことを言うとおっしゃるかもしれませんが、不幸にして日本の観測基地が非常に悪条件下に置かれた、ほかの観測基地はそれほどでなかったということでありまして、その点日本の宗谷がアメリカ、ソ連の船に次いでの船であったにもかかわらず、日本だけが基地を放棄せざるを得なかったということになったのであります。
ちょっとお尋ねがありました、果してアメリカ、ソ連以外の船に比べて、日本の船が優秀であるかどうかということは、これは正確なデータに基いているものではありませんが、大体トン数、砕氷能力等から申しますと、われわれはそういうふうに考えられるので、申し上げたわけであります。
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野
野原覺#18
○野原委員 宗谷の優秀であるかどうかということは私ども専門家でありませんからよくわかりませんが、新聞に発表された砕氷能力等を比較してみますと、何も世界第三位になっていない。これはかつて三大海軍国であったかもしれませんけれども、今日の宗谷は私はたとえばオビ号とかパートン・アイランド号、こういう船に次ぐ優秀な船であるとは実は思えない。これは新聞の記事だけによってであります。島居海上保安庁長官はどう考えていらっしゃるか、それほどの優秀な船であったのかなかったのか、御意見を承わりたい。
この発言だけを見る →島
島居辰次郎#19
○島居政府委員 私どもで、外務省を通じて南極にあります砕氷船を調査したのでありますが、それによりますと、先ほど茅さんからお話がありましたように、アメリカとソ連を除きますと、豪州にサダン号というのがありますが、トン数が二千百トン、機関部出力は二千二十馬力で、ビーバー一機持っておりますが、これにしてもトン数においても宗谷よりもはるかに小さいのでありまして、これまた当時昭和基地の東約六百海里のところで同じく閉じ込められておったのであります。それからベルギーでございますが、これはノルウエーから用船した船だと思いますが、これは二隻ございまして、ポーラハブ、ポーラーシルケルという二隻でございます。総トン数はポーラーハブが六百トン、ポーラーシルケルが五百四十九トンでありまして、いずれも機関部出力が千二百馬力でございまして、砕氷能力は、このくらいの馬力ではほんとうは砕氷能力は出ないと思うのでありますが、それにしても多少多く見積っても一メートルというふうに聞いております。これはこんなに出ないと思いますが、そういうふうに言ってきております。大体以上でございますが、こんなものと馬力数あるいはトン数を比較しましても、宗谷の方が能力はあるというふうに感じられると思います。
この発言だけを見る →野
野原覺#20
○野原委員 そうなって参りますと、統合推進本部の部長、あるいは会長が答弁できなければ大学局長でもけっこうでございますが、宗谷がプリンス・ハラルド海岸にずっと突入して、昭和基地に上陸するといったような、上陸時期の計算のそごということも考えられる。これはいかにきびしい自然条件でありましても、各国は二千トンという宗谷よりも劣ったみすぼらしい船で放棄をしていないということになると、そういった総合的な計画、一体何月何日に出発して、南極のプリンス・ハラルド海岸の自然現象はこうなるであろうからといったような上陸時期等の計画上のそごが、推進本部にあったかなかったか、この点はどう考えていますか。予備観測と比較してどのように今日反省しておるかお伺いしたい。
この発言だけを見る →緒
緒方信一#21
○緒方政府委員 本観測におきまする宗谷の行動計画につきましては、予備観測の経験をもとにいたしまして、もちろん船長、隊長等の意見も十分伺いまして、統合推進本部の会議におきまして慎重に検討してきめたわけでございます。その検討の結果は、予備観測におきまして、御承知のように予備観測の越冬隊を上陸せしめましたあと、帰ってきます際に、昨年は氷に閉ざされまして困難をいたしました。そういう関係を十分参考にいたしまして、本年は二週間ほど行動計画を繰り上げまして、早期に現地に着きまして、そうして現地におきまして行動する期間も十分余裕を見、そうして去年から比べますと、早く現地に接岸いたしまして、そして作業を終って早く引き揚げてくる、このことが予備観測の経験からいたしまして適当であろうという結論になりました。二週間ほどの繰り上げをいたしまして行動計画を組んだのございます。これは先ほど申し上げましたように、予備観測の経験、関係者の十分な意見等も聞きました上で決定いたしたような次第でございます。
この発言だけを見る →野
野原覺#22
○野原委員 茅先生が非常にお急ぎのようでございまするから、茅先生にだけ若干のお尋ねをしてお帰りいただきたいと思いますが、茅先生にお尋ねしたいことは、このように日本が本観測を放棄した、あるいはまたその他の国においても十分な観測ができていない、こういう事態になって参りますと、国際地球観測年というのは一年くらい延期されるのではないか、そういう考え方を私どもは持つのですが、その見通しは一体どうか。それからもし延期されるということになりますと、一九五九年度も国際地球観測年に繰り越される、こういうことになって参りますと、一体わが国は一九五九年の観測というものについてはどう対処されるつもりであるか、この点をお伺いしたい。
この発言だけを見る →茅
茅誠司#23
○茅説明員 この点につきましては南極地球の観測の国際会議が二月の初旬にへーグで開かれまして、日本からも永田隊長の代理といたしまして力武氏が出席いたしました。その結果これはインターナショナル・カウンシル・オブ・サイエンティフィック・ユニオンという国際学術会議がありまして、それの催しでございますが、それが各国政府にあと五カ年観測を続けてやることを勧告するということになったのであります。この場合日本としてはどういう態度をとったらよいかということを、実は力武助教授が出席しますときに審議したのでありますが、これはなかなか複雑な問題がございますので、日本としては意思発表をしない、ただ様子をよく見てくるということで出席したのであります。なぜこれを延ばすかと申しますと、日本の場合をもってしてもおわかりになりますように、設営のために非常な金をかけてまだ観測のデータがあまり得られていない、これから観測を続ければ設営の方はもうほとんど金が要らないのに、観測の結果はどんどん上ってくる、地球現象は十一年をもって周期といたしますので、ほんとうの専門家に言わせますと、あと十一年やりたいというのでありますが、この国際学術連合は五年を勧告しているのであります。この問題を私どもとしてはどういうふうに考えておるかと申しますと、もちろん学者の集まりはほかのことを何も考えなければやりたいのだ、これは予算のことも宗谷のことも、そういうことを何も考えない、ただ学者という立場からだけ申しますと、ぜひやりたい、これは当然のことでありまして、それはすでに学術会議で特別委員会を開いてその結論は得ております。しかし何分にも考えてみますと、予算の問題も大へんでございますが、さらに宗谷をもって再び行くということになりますと、先ほどからのお話にもありましたような事柄が出て参ります。容谷以外の船をもってすることができるかと申しますと、これもまたちょっと、時期的な問題として考えられないというような点がございますので、そういう点につきましては、隊長が帰って参りましてからよく相談した上、どのようにするかということを考えたいということになっております。
この発言だけを見る →野
茅
野
野原覺#26
○野原委員 隊長がお帰りになってから十分な報告を聞いて計画されるということも必要でございましょうけれども、実は昭和三十年十月の閣議決定で着手した。何だかしらん、各国に比較してどろなわ式の感を免れない。そういう点から考えても、来年観測をやるならやるという腹がまえくらいは、文部省なりあるいは学術会議なりが固めていらっしゃるに違いないと思っておる。隊長が帰ってから一切の相談をするんだ、こういうことではなしに、国際地球観測年が延期になる、日本は昭和基地には相当な金をかけて、今日十六億円くらいの国費を投じておるわけであります、三カ年計画で。十六億円の国費はむだになるのです。しかも日本がやはり責任を分担する、これはブラッセルに行って引き受けて帰ってきておる以上は、あくまでもこれをやらなければならぬということであれば、やるんだ、やるんだけれども、こまかい計画は隊長が来てから相談をするんだ、聞いてみるんだ、こういうことならわかるけれども、やるのかやらぬのか、この際に至ってまたもとに戻って、一切を御破算にするのか、そういうようなお考えではなかろうと思うのですが、茅先生いかがですか。
この発言だけを見る →茅
茅誠司#27
○茅説明員 地球物理学の研究に従事しておる一人の観測者の意見は、ただいまおっしゃった通りの意見になると私は思います。実際国際観測に協力することを約束しながら、そういう成果を得られなかったということについては、われわれ反省せざるを得ないのであります。そうでありますけれども、しかしわれわれの経験では、必ずしもわれわれの希望が実現されるとは限らない、今までの経験から申しましても、われわれがいろいろの考えを持っても実現困難である場合がたくさんございますので、そういうことも頭に入れて、ただ単にやりたいんだというようなことは、学術会議としてすぐに結論が出ないのであります。ただ先ほど申しましたように、学術会議の特別委員会としまして、われわれは続けたいという考えは結論としては出ておる。ただそれだけでもってできるとはわれわれは考えませんので、それ以上のことは統合推進本部等の会議におまかせするということにしておりますが、学術会議はやりたいということははっきりと出ておるのであります。
この発言だけを見る →野
野原覺#28
○野原委員 その他の点は統合推進本部なり、島居保安庁長官にお尋ねしたいと思うのでありますが、もう一点だけ茅会長にお聞きしたいのです。それは国際地球観測年の事業としては、先生も御承知のように、国内観測と南極地域の観測と二つに分れておるのです。私は三十一年度から本年度の予算をずっと調べてみたのですが、たとえば三十三年度におきましては国内観測用として四億五千五百万円、南極観測としては二億一千五百万円、三十二年度は、国内観測は三億七千三百万円、南極は四億七千七百万円、こういうようにとっておるわけでございますが、そのバランス上は、必ずしも南極観測だけが国際地球観測になっていない。これはやはり地球全体の観測でございましょうから、このバランスに欠けるところがないかという批評がよく聞かれるわけです。国内観測というものはこの程度の予算で十分であるのかないのか。専門家の意見を聞きますと、たとえばロケットによる観測その他いろいろな面において資材不足、研究費不足、いろいろなことが言われておりますが、会長としてはどのように考えておられますか。もし不足であるとすれば、その点の予算要求というものを政府に出されたことがあるのかどうか、この点を伺いたい。
この発言だけを見る →茅
茅誠司#29
○茅説明員 ただいま御質問になりました、南極地域における観測の予算と地球観測年全般の予算とのバランスはどうかという点についてでありますが、私は実はそういう目でもってこれを検討したことはございません。ですから、バランスがとれているとか全然とれてないとかいうことはお答えできないことは、はなはだ残念でございます。しかしこの地球観測年全般の予算が足りないのじゃないかとおっしゃいますと、私は足りないと申し上げます。しかしわれわれの大学の研究自体はなお足りない。こんな足りない中でもって地球観測年だけよくやってほしいと研究者は言えないのであります。私は地球観測年よりも大学の研究の方がなお足りないということをはっきり申し上げます。
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