国民生活・経済に関する調査会

2008-02-13 参議院 全70発言

⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

会議録情報#0
平成二十年二月十三日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員氏名
    会 長         矢野 哲朗君
    理 事         佐藤 公治君
    理 事         広田  一君
    理 事         藤本 祐司君
    理 事         愛知 治郎君
    理 事         加納 時男君
    理 事         松 あきら君
                犬塚 直史君
                加賀谷 健君
                亀井亜紀子君
                小林 正夫君
                友近 聡朗君
                中谷 智司君
                姫井由美子君
                藤原 良信君
                舟山 康江君
                増子 輝彦君
                石井 準一君
                佐藤 信秋君
                長谷川大紋君
                橋本 聖子君
                森 まさこ君
                山田 俊男君
                澤  雄二君
                大門実紀史君
    ─────────────
   委員の異動
 二月十二日
    辞任         補欠選任   
     小林 正夫君     津田弥太郎君
 二月十三日
    辞任         補欠選任   
     舟山 康江君     川崎  稔君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         矢野 哲朗君
    理 事
                佐藤 公治君
                広田  一君
                藤本 祐司君
                愛知 治郎君
                加納 時男君
                松 あきら君
    委 員
                犬塚 直史君
                加賀谷 健君
                亀井亜紀子君
                川崎  稔君
                津田弥太郎君
                友近 聡朗君
                中谷 智司君
                姫井由美子君
                藤原 良信君
                増子 輝彦君
                石井 準一君
                佐藤 信秋君
                長谷川大紋君
                森 まさこ君
                山田 俊男君
                澤  雄二君
                大門実紀史君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        今井 富郎君
   参考人
       JT生命誌研究
       館館長      中村 桂子君
       東京学芸大学教
       育学部教授    山田 昌弘君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○国民生活・経済に関する調査
 (「幸福度の高い社会の構築」のうち、国民の
 生活環境と意識について)
    ─────────────
この発言だけを見る →
矢野哲朗#1
○会長(矢野哲朗君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会をいたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 本日までに、川合孝典君、小林正夫君及び舟山康江君が委員を辞任され、その補欠として犬塚直史君、津田弥太郎君及び川崎稔君が選任をされました。
    ─────────────
この発言だけを見る →
矢野哲朗#2
○会長(矢野哲朗君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 国民生活・経済に関する調査のため、今期国会中、必要に応じ参考人の出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →
矢野哲朗#3
○会長(矢野哲朗君) 御異議ないと認めます。
 なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →
矢野哲朗#4
○会長(矢野哲朗君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
この発言だけを見る →
矢野哲朗#5
○会長(矢野哲朗君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会の構築」のうち、国民の生活環境と意識について参考人から御意見を聴取したいと考えております。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、JT生命誌研究館館長中村桂子君及び東京学芸大学教育学部教授山田昌弘君に御出席をいただきました。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げたいと思います。
 御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会の構築」のうち、国民の生活環境と意識について忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。その御意見を調査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますけれども、まず、中村参考人、山田参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと思います。その後、約一時間程度、これは新しい一つの試みであります、委員間の意見交換を行わせていただこうと思います。その際、随時、参考人の方々の御意見も伺うことがあろうと思います。御協力をお願い申し上げます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず中村参考人からお願いを申し上げたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
この発言だけを見る →
中村桂子#6
○参考人(中村桂子君) 中村でございます。よろしくお願いいたします。
 まず、このような発言の機会を与えていただきましたことにお礼申し上げます。ありがとうございます。
 ただ、私は半世紀、生き物、生きているってどういうことなんだろうということを科学の立場で考え、また一面、子供を育てるという生活者として考えるという、その中から、とにかく命というものを基本にした社会にしたいという気持ちだけで仕事をしてまいりました。その立場から今日お話しさせていただこうと思います。
 そこで、最初に、これは私の自己紹介なのですが、自己紹介とともに私の基本姿勢ですので、見ていただきます。(資料映写)
 これは扇になっておりますが、扇の一番縁が現在でございます。ここにたくさんの生き物がいる、地球というのは生き物がたくさんいる場所だと、今五千万種ほどいると言われております。その非常に多様な中、一番端には人間が書いてございます。人間もその一つであるということはもう生き物の研究から分かっております。しかも、これほど多様なんですが、全部が、生物学ではございませんけれども、DNAというのを入れた細胞からできている。これは例外なしですので、祖先は一つだろう、しかもそれは三十八億年ほど前に海の中で生まれただろう、それが扇のかなめにしてございます。私どもは、この三十八億年を掛けて様々な生き物になり、それから、みんな結局同じ祖先から出てきた仲間である。ですから、この長い時間とこの関係の中に人間を置いて考えるというのが私の基本姿勢です。
 今、環境問題などが大いに問題になっておりますけれども、その場合に、これまでは人間をこの外に置きまして、そして自然というものは別のもの、自分だけは外にいるように考えていろいろなことをやってきたと思うんですが、私はこの中にいるということを基本にして考えていきたいと思っています。
 そうなりますと、今申しましたように、命を基本に社会をつくっていきたいんですが、そのときに、生き物はすべて共通で多様である、人間もその一つである、そして、人間の幸せを求める活動というのはこの人間も生き物の一つだということを踏まえてやらなければいけないというふうに思っています。
 ところで、今年の年賀状を友人からたくさんいただきましたが、そこに添え書きがしてございます。その中でほとんどの方がお書きになったことがここに挙げました二つのことでした。一つは地球環境問題。それからもう一つは、何だか人の心が荒れているのではないか。これが心配だ、次の世代にもっと良い社会をつないでいくためにはこの二つを何とかしたいねというのが友人たちからのメッセージでした。私もそう思います。これは政治の中でもお考えくださっていることだと思いますが、私は命を基本に考えておりますと、この二つを別々に考えていらっしゃるように思うのですが、生き物を基本に置くという立場で考えますとこれは一つのことなのです。
 今申しましたように、自然の中にヒトという生き物として私たちは命を持つものとしている。ただし、五千万種いると申しましたが、その中で唯一私たちだけが文化とか文明をつくれるわけですね。大きな脳と器用な手と言葉と、そういうものを持っているために、ほかの生き物にはできない文化と文明をつくることができる。それを思いっ切りやっていかなければいけないわけです。けれども、実は、二十世紀に私どもがつくってきた社会というのは、さっき私が申しました生き物が自然の中の一つであるということを少し忘れて、外にいるようにしてやってきたために、その自然を破壊するようなことを起こしてしまった。それが地球環境問題だと思います。
 それから、同じことだと私が申しましたのは、実は、私たちも生きているものですから、内なる自然を持っている。その自然が壊れる、全く同じ原因で壊れる。いろいろなアレルギーですとか様々な病気が今出ておりますが、体も壊れる面が出てきていますし、心も壊れる。心とは何か、何が壊れると心が壊れるのかといいますと、これは難しい問題ですが、生物学からは、先ほど申しました非常に長い時間を掛けなければ生きているということは考えられない。それから、関係が大事なんですが、この時間と関係というものが非常におろそかにされてきているということが心を壊しているのではないかと私は思っております。
 その原因は何かと考えましたときに、ここに思い切って金融市場原理と科学技術というのを挙げさせていただきました。これがいけないと私は申し上げるつもりはありません。科学技術も資本主義も私たちにとって大事なもの、先ほど申しました私たちの文化や文明が生み出したものです。ただし、これが利便性というものと、それからお金というものを絶対のようにして、それが優先され、それが目的になると、私たちは例えば幸せというものを目的にしたときには競争というものはあってよいものなんですけれども、何を目的にして私たちは本当により良い社会を目指しているんだろうかというような中で、こういう科学技術や金融市場原理の中で過剰な競争を強いられると非常に心がつらくなるのだと私は思っています。
 日本文化は自然を基本にしてきました。日本人は宗教心がないと言われますけれども、自然を恐れて自然とともに暮らすというのが私たちの文化だと思います。
 今年は実は源氏物語千年紀なんですね。千年前に欧米にこれほどの洗練された文化があっただろうか。しかも、源氏物語お読みになっていると思うんですけれども、ここには金銀財宝の話はほとんど出てこないんですね。美しい庭とか自然とか、知的で優しい人のかかわりとか、そういうものが出てくるんです。それが幸せであり豊かさである。私は、現代もそういう自然を生かして暮らすという選択があってよい、それが日本人の幸せにつながるのではないかなと思っております。
 じゃ、それは日本だけのことかと申しますと、私は今先進国と言われているところの特徴を、二つあると思っておりまして、一つは、一極集中でない、地域が非常に豊かである。これは私だけでなく、最近はいろいろな経済評論家の方たちも、今成長している国は地域が活性化しているということをおっしゃっております。それからもう一つは、食料自給率が高いということだと思います。先進国というところは自分の食べるものは自分で作っているのではないか、今四〇%を切った自給率の国というのは先進国でないと言ってもいいのではないか、少し大ざっぱな言い方をさせていただいていますが、そう思っています。そうなりますと、これは地方が豊かで活性化している、それは日本の国でいえば自然を生かしていくということだと思っています。
 今申し上げました命と、それからそれを支える技術、それから経済ということがございますが、これが一体化して私たちの生活を支えているのだと思いますが、もちろん政治とか様々なことがございますけれども、今限られた中で、私が命ということからいうお話でこれだけのことを取り上げさせていただきました。
 今私は、先ほど心や環境を壊していると申しました過剰な競争の経済は、経済がありき、それを支える技術を開発しよう。日本は科学技術創造立国を目指しておりますが、そのほとんどが経済を支えるための技術を開発しよう。それが私どもの生活を支えるわけですけれども、命が先にないので、非常に命につらい場面が出てきているんだと思っています。
 今私は、農業の方とかNPOとか、そういう命のことを考えている方とのお付き合いが多いのですが、下に細い点線でかかせていただきました。実は、命を基本に考えた上で、それを支える技術を開発し、そこから経済を活性化していこうという活動がないわけではございません。今、細い点線で出ていると私は思っています。できたらこれを太い矢印にしていきたいというのが私の願いです。これをやっていくと、実際に私はそういう活動をしている方とお付き合いをしていて、その方たちが持っているのが生きる力だという感じがいたします。
 じゃ、生きる力って何か。それが私は幸福だ、生きる力を持って生きているのが幸せだと私は思っているんですが、それを測る私の物差し、個人的な物差しですが、私はその物差しを持っております。
 その物差しの一つは笑顔です。こういう地域へ行って、非常に活動はつらい、例えば農業などをきちっとやっていこうと思うと大変つらいんですが、非常にすばらしい笑顔をしているということ、その方は多分生きる力を持ち幸せなのではないかというふうに思っています。それからもう一つが、これは後で時間があったらお話ししますが、私は子供たちがそういう農業、そういうような活動をするのを応援しているんですが、その子供たちの発言を聞くと、非常に表現力が豊か、言葉が豊かなのです。都会の混雑した電車の中などで聞く言葉に比べて表現力が豊かで言葉が豊かだ。それから、三番目が人間関係が豊かだ。この三つがあるときに、何か私はその人は幸せだなと感じ、生きる力があるなと思うという、これは私個人の物差しですが、そういうふうに思っております。
 命を基準に技術を開発し、経済を活性化していくというときには、具体的には何をやっていけばいいかと考えたときに、ここに挙げた四つです。食べ物をきちっと作っていく。先ほど自給率のことを申し上げました。農林水産業をきちっとしていく。それから、健康であること。これは医療がきちっとしていること。それから、心と知が豊かであること。これは教育です。それから、環境、特に生き物にとっては水が大事です。これを今日、短い時間ですので一つ一つ申し上げる時間はございませんが、政治の中でもこういう問題は考えていただいていると思います。
 こういうふうに申しますと、これは今の経済の中でいうと非常に能率の悪い分野です。人間がかかわる分野は能率が悪い分野。だから、これが経済の活性化につながるかというふうにお思いになられると思うんですが、ちょっと一つアメリカの例を申し上げます。
 アメリカの、私はバイオテクノロジーというところにかかわり合っているんですが、バイオテクノロジーというのは今農業や医療に非常に大きな未来を開発すると期待されています。そのバイオテクノロジーの中で、医療のアメリカの中心になっているのがNIH、ナショナル・インスティチュート・オブ・ヘルスというところ、そこがリードしていく、いろいろな考え方もリードしていくんですが、今NIHが非常に力を入れておりますのが統合医療という医療です。これは、西洋の今まで遺伝子とかそういうことだけをやってきた医療ではもう医療はうまく進まない、東洋医療、漢方なども含めた全人的な医療、ここでは医食同源ということが非常に大事な言葉になっています。アメリカですから、漢方について今全部調べて、全部分析してデータベースを作り、そこから新しい医療を考えていくというようなことをやりながら統合医療ということをやっております。これが多分これからの医療を引っ張っていく、医薬産業でもこれが引っ張っていくと思いますので、こういう考え方は決して経済につながらないものではありません。
 これで最後ですけれども、二十世紀というのは科学技術、経済でやってまいりまして、先ほど科学技術と資本主義、それは悪くはないけれども、それが先立ち、命を先に考えないとと申しましたが、実は機械というのは利便性を価値に置いております。利便性は良いことなんですが、実は生き物の方は継続性、続いていくということを大事な価値にしております。ですから、プロセスが大事なんですね。先ほど、笑顔とか言葉の豊かさとか人間関係とか時間とか申しましたが、それが生き物の大事なことなんです。利便性は実は効率を唯一にしますので、そこを無視しがち。それから、もう一つ大事なのは多様なのですが、多様も無視しがち。私は、こちらを基にして、それを踏まえた科学技術開発をしていただくと機械もそういうものになると信じておりまして、そういうことをしていただきたいと思っています。
 あと五分ほど時間がございますので、少し具体をお話しさせていただきます。
 こういうようなことで、今私の日常は、命って何だろうということをただ考えるという基礎研究をしておりますので、具体的な社会的な活動とか、それから経済活動とかをする人間ではございません。けれども、自分が生き物の研究をしている中でいろいろな形で働きかけがあるのを応援しております。
 例えば、資料にも出させていただきましたが、小学校で農業をやったらどうだろうというようなことを考えまして、一時、これは日経新聞に書かせていただいたんですが、グローバル化という中で、英語をみんなで勉強しよう、小学校から勉強しよう、それは本当に大事なことなんですが、本当のグローバル化を考えて日本から発信するとしたら、先ほどから申し上げている自然を生かすということが日本人のアイデンティティーだと思うので、農業というのをやったらどうだろうというのを書かせていただきました。これは、そんなことを言ってもと言われるだろうと思いながら書いたのですが、大変反響をいただきました。
 その中の一つで、資料にも出させていただきましたが、例えば喜多方の白井市長は、それでは特区でうちの市では小学校で農業をやってみようというふうにしてやってくださいました。それで、去年の四月から始めまして、私は、十一月、収穫のころに、子供たちがいろいろ発表したりするからそれを聞きにくるようにと言われて、伺って子供たちの話を聞きました。そのときに、その笑顔と表現力の豊かさと関係とを感じたのです。
 そこで一番感じましたのが、喜多方でそういうことをやろうと思うと、先生方も決して農業の専門家ではない。そうすると、地域にいるお年寄りが腕を振るって子供たちを指導するわけです。そうすると、子供もそれにこたえて一生懸命やる。
 それから、もう一つ私はそこで非常に印象的だったのが、一年生から六年生まで一緒にやるわけですね。そうすると、六年生が本当に一年生を大事にかわいがるのです。できないことがあると一生懸命手伝ってやる。そういうことで、六年生がとても六年生らしいのですね。そういうことが起きておりました。
 それから、もう一つ印象的だったのが、お米はとても上手に、そのお年寄りの指導でとても上手にできたのですが、トウモロコシが思ったようにできなかった。それから、メロンがいつも大人が作ってくれて食べているのほど自分たちの作ったのが甘くなかった。こういう失敗があるわけです。なぜ自分たちはこれ失敗しちゃったんだろうって一生懸命考えて、来年はここで頑張るぞって言っている、それがとても印象的でした。
 こういう例は今たくさん、今ここに挙げましたのは小学校、中学校、高校生、大学生が、私がお手伝いしております農村環境整備センターというところがやりましたコンクールに応募してくれた人たちの発表で、これもすばらしい発表だったのでこれはまた機会があったらお話しさせていただきますけれども、こんな形で小ちゃな活動ですが、こういうところから幸せがあり、それで社会が活性化していく。経済というのも、大きなグローバル経済ですけれども、こういう形で活性化していくということでこの国ができ上がっていくことができないだろうか。私は経済も政治も素人ですので、本当に命のことだけを考えている素人の人間の申し上げていることですけれども、そんなことを感じております。
 本当につたない話を聞いていただいて、ありがとうございました。
この発言だけを見る →
矢野哲朗#7
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは次に、山田参考人にお願いをいたします。どうぞ。
この発言だけを見る →
山田昌弘#8
○参考人(山田昌弘君) 山田昌弘でございます。座らせてやらせていただきます。
 もう何度か出させていただきまして、今日は幸福ということ、幸福というものの時代的変化についてお話しさせていただきたいと思います。
 何度かお会いした方もいらっしゃいますので御存じの方もいらっしゃると思いますが、私は、余り仕掛けがない人間なので、レジュメに沿ってお話しさせていただきます。
 まず、自己紹介を簡単にさせていただきますと、私は家族社会学、中村先生が生命を研究してウン十年であると思われますが、私は家族を研究して何十年やっております。そのほかに感情社会学というのもやっておりまして、感情がどのように社会的に形成されるかということも含めて研究しております。耳慣れない方もいらっしゃるかと思いますが、アメリカではもう数百人規模で学会が組織されているほどの研究分野でございます。
 あと、御存じの方もいらっしゃると思いますが、家族を調査する中で、少子化を調査する中で、独身者というのは独り暮らしの人ではなくてパラサイト、親と同居している人であるとか、あと、前回お呼びいただいたときはフリーター調査などを基にして格差社会等について発言させていただきました。今は、次の家族ペットとか個人化とか、そういうことについて研究しております。
 最初、幸福というテーマをいただいたときに、ああ、これは面白いことに国会の方々も着手したなというふうに思われ、私も同感したわけです。私は社会学を中心にやっておりますが、社会学の中では、幸福というものは社会的なものであって、時代とともにその感じ方は変化するというのは基本的な考え方としてあります。例えば、生きててよかったと実感することが幸福感であるならば、まず、幸福というものは意志や説得によって感じられるものではない。マズローの幸福の段階説にあるように、社会の発展段階や人の成長段階によって幸福を感じる要素が異なるであろうという立場に立っております。
 そして、感情社会学の成果を応用しまして、幸福と言っても一口に手掛かりがないので、私は、希望と愛情と物語というこの三つの点に、もちろんこれだけが幸福ではありませんけれども、希望と愛情という感情、そして物語、この三つの点についてお話をさせていただきたいと思います。
 社会心理学者のネッセという人は、努力が報われると感じれば希望が、努力がむなしいと感じれば絶望が生じるというふうに述べました。つまり、人間は一生懸命いろいろ努力をしたり、働いたり、家族をつくったり、家事をしたりして努力をするんですけれども、それが報われるというふうに感じれば人間には希望という感情がわくであろうと、しかし努力してもしなくても同じだと考えれば絶望感が生じるだろうと、それがどういうふうに社会的に変化しているかというのが一つの主題でございます。
 もう一つは愛情でございます。ラブというのを、これは一応愛情と日本では訳すことになっているんですけれども、江戸時代は、ラブ若しくはそれに相当、アムールとか、相当語は、江戸時代は実はお大切、つまり人を大切にすることというふうに訳していたわけです。つまり、人間関係の中で自分が大切にされ、自分が必要とされるということを経験する、そういうときに愛情が生じるんだ。逆に言えば、愛情を実感するには自分を大切に思う他者若しくは、かつであればいいんですけれども、自分を個人として必要としてくれる他者というものが必要になってくるわけです。
 そして、三番目の要素が物語でございます。物語というのはその希望や愛情を実感できるモデルでございます。つまり、その物語に自分を乗せていったときに希望を感じたり愛情を感じたりするということが起きてくるわけで、その物語の在り方が社会的に時代的に変化しているというふうに私は考えております。
 そこで、まず幸福の時代変化を先にざっと述べさせていただきたいと思います。
 前近代社会は、宗教や共同体が信じられていた時代でありますし、選択の自由がなかった時代です。要するに、今の学生に、選択の自由も、結婚の選択の自由も職業の選択の自由もなくて何が楽しかったんだというふうに聞かれるわけですけれども、確かに日常生活は単調で繰り返しであったけれども、希望や愛情は確保されていた。それは宗教や共同体が保証していたわけです。つまり、良いことをすれば、死んだ後、天国に行けるなり良いところに生まれ変わるなり、そういうことが希望になっていたわけです。逆に、努力しなければ地獄に落ちてしまったりするというようなことで、来世に希望が持ち越されていたわけですし、さらに、伝統を守って努力していさえすれば、人が大切にし、自分を必要としてくれるわけです。じゃ、楽しみはと言えば、年に一回のお祭りとかカーニバルといったようなところで循環的に楽しみが巡ってくるというような生活をしていたわけです。ただ、そういう生活に今の自由を知った我々が戻れるかどうかといったらなかなか難しいところがあるというのが実感でございます。
 次に来るのが近代社会でありますが、その近代社会を産業社会とポスト産業社会の二つに分けております。特に、社会科学系、もちろん経済学もそうなんですけれども、そういう理論家の人たちにとっては、どうも世界的に見ても一九八〇年代ぐらいに社会が変わり始めた。つまり、ここに書いてあるように、工業を中心とした、生産者を中心とした成長社会、中流社会であったものが、一九八〇年代を境に消費社会、豊かな社会、脱工業社会、グローバル化社会、そして格差社会といったものに全世界的に転換しているというようなことを言っておりますので、二つに分けさせていただきました。
 日本では大体戦後から一九九〇年ごろの社会が産業社会であり、一九九〇年代後半以降の社会がポスト産業社会になったと私は判定しております。
 戦後から一九九〇年ごろまでの幸福のモデルというのは、私は家族社会学をやっていたということもありますが、家族生活が豊かになるということが多くの人々の幸福を形作っていた。つまり、だんだん家族生活が豊かになってくること、それが幸福であったというふうに私は考えております。そして、希望や愛情というものが、安定的な職場や安定的な家族がありましたので、それが保証されていた。これは後でまた解説いたします。しかし、ポスト産業社会になると、そろそろ家族が豊かになるという物語がだんだん信じられなくなる。つまり、自分を家族が豊かになるという物語に乗せて幸福を感じるという回路が細ってくる時代になってきたと思います。
 第一番目には、まず実現できない人が増大してくる。つまり、将来家族生活が豊かになるという見通しがない中で暮らす人が増えてきたというのが一つです。もう一つは、逆に物足りないと思う人が増えてくるわけです。つまり、豊かな家族をつくり上げた人でも、それだけでは物足りないという人が出てくる。それは富裕層とかパラサイトシングルとかそういう人たちを見ていて思うことなんですが、そうなるとどうなっていくかというと、小さな物語による幸福を消費するというパターンが出現している。別にこれは日本だけではなくて全世界的に出現しているわけですけれども。そして、実現可能性が低い夢を見続ける人というものが出現してきている。そういう流れだと考えております。
 あと十分間、時間がある限りこの流れについて説明していきたいと思います。
 三番目に行きます。戦後社会の幸福というのは、先ほども言ったように家族とともにあった。それは家族を豊かにすること。つまり、仕事をするのも家族生活を豊かにするための手段という意味付けが強く、消費をするのも幸福な家族生活をつくり出すということを実現するために行われたものだと考えます。その豊かさの物語のアイテムとしてあったのが、より広く快適な住宅、家電製品や車、そして子供の育ちであったわけです。そして、この物語を完成に向かって進ませることが幸せの実感をつくっていったわけであって、戦後から一九九〇年、まさにバブルのころまでは、これがすべての人がすべて実現できる、そして幸せであるというような幸せの方程式が存在していたというふうに考えられます。
 それは同時に希望保証社会でした。つまり努力が報われることが保証されていた。教育においては、努力をして勉強して卒業すれば学校相応の就職先がだれでも保証されましたし、仕事は、これは男性に限られますが、だれでも仕事で努力すれば昇進し、収入が増えた。家族であれば、女性ならだれでも家事、育児をしていれば、夫の収入が上がっていって、豊かな生活を将来築ける見通しが持てた。つまり報われたわけですね。
 愛情においても、自分が必要とされ、大切にされているということが保証されている社会であったと考えます。それは、男性であればほとんどの人が正社員若しくは業界の中での自営業の一員として生活できる環境が整っていましたので、職場が自分を必要とし、企業が自分を心配してくれるということを実感できていたわけです。
 さらに、家族においては、男性は自分の稼ぎが必要、つまり自分が稼ぐのは家族のため、女性が家事、育児をするのは家族のため、そして二人の力で家族生活がどんどん豊かになっていって、そして一戸建て、車を持って、子供を大学に入れてゴールインというのが戦後の多くの人々の幸せの物語だったわけです。
 しかし、それは実は危うい前提に立っておりまして、危ういというか、当時は当たり前だったんですけれども、三ページに参りますと、だれでも人並みに努力をすれば幸福の物語に自分を乗せることができた。つまり、職業上では男性の就業が安定していた。つまり、まじめな男性だったら正社員になれ、終身雇用で、努力して昇進した。自営業でしたら、安定して収入が増大した。そして皆婚社会であったということがあります。
 その当時の消費活動というものは、つまり家族から消費活動を眺めてみれば、幸せな家族生活に必要だとされたものを一つ一つそろえていくことが戦後の社会における消費活動であったわけです。
 当時は格差問題が起きなかったというのは、収入が上がれば将来のある時点でみんな同じようなものを手に入れられるんだというような期待があったからです。つまり、カラーテレビにしろ一戸建てにしろ、今は買えなくても、今は持てなくても、一年後、若しくは家だったら五年後、十年後に必ずうちの家族も持てるというようなことを思えたから格差問題というものは起きなかったわけです。
 しかし、戦後の幸福モデルが一九九〇年ごろから揺らいできます。それは、先ほど言ったように、豊かな家族生活を築くことが、幸福という物語ができないという側面と物足りないという側面から崩れていくわけです。豊かな生活を自分の努力では築く見通しがなかったり、豊かな生活が失われるかもしれないという不安、多分年金不安というのはそれが大きいと思います。つまり、成長期は年金をもらっている人でも年金額は上がり続けたのでこのまま豊かな生活が続いて送れるんだろうなという見通しがあったんですけれども、今は何かあったらこの豊かな生活さえも失うかもしれないという不安と隣り合わせになってしまいましたので、それは消費は増えないだろうというふうに思います。
 もちろん、格差社会ですから豊かな生活をしている人も一方で出てくるわけで、そういう人は物足りない、単に豊かな家族をつくっただけでは物足りないという人も出てくるわけです。そうすると、これから述べますが、小さな物語を消費することによって幸福感を感じようとするという動きが生まれてきます。
 四の二、四ページに行きますと、それが崩れる原因というのは、これはもう私が言うまでもないんですけれども、仕事と家族が不安定化したということが一番大きな原因でございます。
 それについてはいろいろ理由がありますが、非正規社員が増えた、つまり非正規社員が増えたというときに、多くの人は収入が少ないとかそういうことを心配なさいますが、それよりも、自分が職場で大切にされない、大事にされないという経験がどんどん増えてくるわけです。
 私は、フリーターとか非正規雇用の人たち約百人以上の人にインタビュー、調査をしてきましたけれども、みんな、けっとか言うわけですね。こんな仕事はだれでもできますよ、けっ。つまり、必要ともされないし、何かあったらすぐ辞めさせられるし、過剰労働させられるしというところで、つまり職場で自分が大切にされないという経験がどんどん蓄積されているのが今の仕事の変化でございます。となると、仕事は単なるお金を稼ぐ手段になってしまうというのは、実は一つの不幸が始まっていると私は思っております。
 二番目には家族の変化でありまして、未婚者の増大と離婚の増大というものが出てきます。
 双方実は身勝手な人が増えたというわけでもなく、私は離婚に関してここ数年アンケート調査、インタビュー調査をしてきましたが、結局、夫が失業したり収入が少なくなったんで見限って子供を連れて実家に帰ったというパターンが多分ここ十年ぐらいの離婚の増加のかなりの部分を占めております。さらに、私はそれをパラサイトディボースと呼びましたけれども、離婚してパラサイトで戻ってくるというケースが結構あるんだということが調査によって分かりました。
 あと、家族が家を持ってしまって豊かになる。家を持ってしまいますと、今度は自分の必要性を実感できる場というのが家族の中で減少してくるということも出てくるわけです。
 ということで、もう時間があと二分少々しかありませんので、四の三の若者世代と団塊世代の格差拡大の一つのモデルケースとして挙げておきました。
 一方では、夫婦とも高収入で、夫婦ともフルタイムで働いていて、三十半ばで一戸建てや都心にマンションを買ってしまうといったような若者が現れる一方で、三十半ばでも収入が少なくて親と同居してフリーターとして暮らしているという人も増えてきているわけです。後で言いますけれども、この二つの層が同じことで楽しみを感じているというのは実は不思議なところでございます。
 一方、団塊世代は、これは私いろいろなところで言っているんですけれども、団塊世代で親と同居している未婚者がいる確率はほぼ五割なんです。大体六十ですから、三十ぐらいで結婚していない子供が家にいる確率、一人以上家にいる確率は五割で、かつ未婚者ではフリーターが多いですので、大体団塊世代の十人に一人は未婚で親と同居していてフリーターなり失業者なりを抱えているという計算になりますから、インタビューしても心配で心配でしようがないわけです。
 つまり、ずっと子供のサポートを続けることを運命付けられる人たちがいる一方で、子供が自立しちゃった人はそれで家も建てちゃったし何かすることもないしという形で自分探しを始め出すというように、団塊世代は自分の収入というよりも子供の状況によって消費行動が変わってくるらしいということまで分かっております。
 次に、もう時間が一分ぐらいでございますので、最後に、じゃ小さな幸福な物語というのは何かというと、例えば、もう一、二、三に行きます、短く言ってしまえば、自分が他人から評価されているという幻想をどこで得るかということです。
 ここでパチンコと書きましたけれども、つまり、現実の世界で努力が評価されない人は、パチンコとかゲームに行くと、あんたすばらしいって言ってくれるんですね、機械が、パチンコが。これだけ努力をした、頑張りましたねって言ってくれるわけです。つまり、逆に現実の仕事で努力が報われない人がそういうところへ向かっているというところがあるわけです。
 さらに、私はメードカフェに通う人にインタビューしましたけれども、メードカフェというのは別にカフェを、コーヒーを売っているわけではなくて、自分が大切にされるというものを売っているわけですね。私は学生に聞いた。学生は妹カフェというのに行ってきたそうです。つまり、若い男性が行くと妹みたいな子が出てきて、お兄ちゃんお帰りなさい、今日は疲れたでしょう、今日は何々を入れてあげるわねというふうに言ってくれると。おまえ、妹いるじゃないかと言ったんですけれども、それが、いや、現実の妹はそういうことを言ってくれない。
 ペットでも一緒でございまして、後で参考文献で付けましたけれども、ペットを家族のように飼う人に、十数家族にインタビューしたんですけれども、子供が小さいころは、おれが帰ってきたらお帰りとかいってパパどうこうと言ってくれたんだけれども、もう子供が中学生になると何も言ってくれない、だけれども、今は犬の何々ちゃんがおれが玄関を開けた途端に飛び付いてくる。つまり、私は必要とされ、私は大事にされているという場をお金で買っているわけです。
 というように、つまりは小さな物語というものを、大きな物語、豊かな家族生活をつくるという物語で戦後ずっと来たわけですけれども、それが一方でできない人と物足りない人に分かれていって、できない人、物足りない人双方が小さな物語を消費し続けるというような状況が今生じているというふうに思っております。
 済みません、ちょっと二分ぐらい時間を超過してしまいまして、どうも申し訳ございませんでした。これで終わらせていただきます。
この発言だけを見る →
矢野哲朗#9
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 あらかじめ質疑者を定めずに行いたいと思います。質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願い申し上げます。
 なお、質疑に当たっては、参考人の方々の御意見の確認など、簡潔に行っていただきますよう御協力をお願いをしたいと思います。
 約一時間ぐらいにわたって今の参考人の御意見に対する質疑、そしてその後、約一時間ぐらいを掛けて委員間の意見交換を行うというふうな展開をさせていただこうと考えております。御協力をよろしくお願いを申し上げます。
 それでは、質疑のある方の挙手をお願い申し上げます。
この発言だけを見る →
犬塚直史#10
○犬塚直史君 今日は、両参考人、どうもありがとうございました。
 まず、中村参考人に伺います。
 日本が世界で唯一、二つしかないんですけれども、人間の安全保障ということを外交の主要な柱にしておりますね。これは日本とカナダしかやっていないんですけれども、日本人の安全保障ではなくて人間の安全保障と言っているわけですね。
 今まで、事実としての情報、例えばGDPですとかいろいろな経済指標があると、これがずっと来ていたんですけれども、それでは測り切れないものとしてUNDP、国連開発辺りがHDI、ヒューマン・ディベロップメント・インデックス、人間開発指標というのを出してきまして、これは何かというと、平均寿命ですとか成人の識字率ですとかそういうものを出してきたんですけれども、このGDPもHDIも結局は事実情報だと思うんですね。
 おっしゃるように、例えば食べ物、健康、教育、水というような、本当にこれは人間の価値にかかわる情報を数値にして目標にするという作業がやっぱりどこかで必要だろうと、こう思うんですけれども、このいわゆる生きる力、幸福度というものを、大変難しいことだと思うんですが、事実情報を数値化するだけではなくて、その価値情報をどうやって数値化するか、おっしゃっていただいた四つのものを数値化するかということについて今どんな取組があるのか、教えていただけたらと思います。
 それから、山田参考人に伺いたいんですけれども、豊かな家族生活をどこに築くのかということが、私は選挙区が長崎県でして、人間が住んでいる離島が四十七ありまして、例えば壱岐なんかに行きますと、いまだにおじいちゃん、おばあちゃんが住んでいる離れがあって、夫婦が住んでいる母屋があって、中庭があって、牛小屋があって、孫たちが走り回っている。だんだん少なくなっているんですけれども、まだそういう名残があるんですね。一方では、例えば都内で最大手の広告代理店に入社した人の生活なんかを聞きますと、毎日終電まで社内の新聞を配達していると。それはエリートコースですねと言ったら、そうだと言うんですね。要するに、社内の人間関係が最もよく把握できるのが社内の新聞配達であるというようなこと。
 今後とも、じゃ日本的なそういう社内評価を高くするためにエリートと言われる人たちがいわゆる組織人間になっていく。一方では、そこに入れなかった、新規学卒の一括採用でそういうエリートコースに入れなかった人たちはパラサイトシングルと化していくのかというような時代になって、一体、日本の社会というのは今後ともこういう豊かな家族生活を会社内につくっていくんでしょうかということを一つお伺いしたいと思います。
 以上です。
この発言だけを見る →
中村桂子#11
○参考人(中村桂子君) 大変難しい、私も人間の安全保障ということには大変関心を持っております。今おっしゃってくださった私が挙げた四つのことはそれに非常に大事だと私も思っています。
 ただ、今の社会はすべてを数値化する、数値化しないとそれは存在しないというか比較できないというふうになっている社会だと思います。それがいわゆる科学がつくってきた社会。ガリレオという人がこの世界は全部数字で語れるんだと言ったところから始まって、ただ、今科学が、宇宙ですとか生き物ですとか、そういうものを対象にするものになってきたこの二十一世紀の科学というのが今数値では表現できないものがあるのだということを、これを複雑系というふうに言っておりますけれども、そういうものなんだということになっています。それを表現するのにはどうしたらいいかということで、今これは山田先生がおっしゃった物語ということなんですけれども、物語を作って語っていく、それがどういう物語が作れるかということが大事だということになっているんです。
 私が思っております命を基盤にした食べ物とか健康とか心とかという問題を、例えば自給率ですとか栄養価ですとか、そういうものを出すことは大事なんですが、それは本当に意味があるかというところは、最後にはこの社会がどういうものを求めているかという人々が物語を作っていくしかないというのが、今科学の世界でもそうなっているものですから、思っています。それはどうやって作るのと言われると今すぐお答えはありませんけれども、全部を数値化していかなければ答えは出ない、比較はできないという考え方自体がちょっと今破綻を来しているように私は思っていて、幸福とか命とかいうことには新しいそういう考え方を持たなければいけないのではないかと思っています。
 お答えになっているかどうか分かりませんが。
この発言だけを見る →
矢野哲朗#12
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 犬塚君、山田参考人から答弁をいただいて、もしまた御意見があればと、こういう関係でよろしいですか。
この発言だけを見る →
犬塚直史#13
○犬塚直史君 はい、結構です。
この発言だけを見る →
山田昌弘#14
○参考人(山田昌弘君) 御指摘どうもありがとうございます。
 私も社会学者ですので、北海道から沖縄まで調査等に回っておりますので、本当に地方の実情等も様々見てきております。地方で何か昔ながらの家々でゆったり暮らしている人もいれば、もちろん都会であくせく働く人も、朝から晩まで働く人もいらっしゃいます。ただ、それが今も昔も変わらないように見えるんですけれども、やはりここ十年、二十年の間に同じ働き方をしているように見える人たちでも違ってきているような気がするんです。それは何かというと、十年前、二十年前は、やはり家族生活を豊かにするという物語の中で地方の人も都会の高収入の人も生きていた。つまり、地方の人も、少しずつですけれども収入が上がっていく中で豊かになっていくという実感を持てた。そして、都会の人も、一生懸命働くのは家族生活を豊かにするためという実感を持てた。
 しかし、ここ十年ぐらい、やはり私、調査をしていて実感するのは、地方の人たちは果たしてこれが続くのだろうかというような不安を持ち始めている。つまり、団塊の世代ぐらいまでは、自分の子供が結婚して跡継いでそこで同じことをやってくれるんだろうなというようなことが言えたんですけれども、今は御存じのように地方の跡継ぎというのはだんだんいなくなっていますし、いたとしても結婚難が進行しています。
 そして、都会の方は都会の方で、私は富裕層にもよくインタビューをするんですけれども、富裕層にインタビューをすると、やっぱり物足りない、つまり、豊かな生活築いたんだけれども、逆にこれでいいのか。もちろんこれでいいのかという人は、いい方に向かえばボランティア活動とか更にプラスアルファの活動をするという形で行きますし、まあ悪いということはないのかしら、またいろんな趣味をやりたがる。
 つまり、同じ一生懸命働いているような人であっても、やはりここ十年の間で大きく変化してきた。その変化に対して社会制度はどうあるべきかということがこれから問題になってくるんだと思っております。
 ちょっと済みません、お答えになってないかもしれませんが。
この発言だけを見る →
加納時男#15
○加納時男君 加納時男でございます。
 お二人の参考人のお話伺って非常に感銘を受けました。ありがとうございました。私の質問は、お二人に共通するキーワードとしては夢ということで質問させていただきたいと思います。
 初めに、中村桂子参考人のお話でございますけれども、お話の中で私非常に関心を持ったのは、農業を取り上げられたことであります。農業というのは非常に極めて重要なものでありますけれども、先生のお書きになったもの等を読んでいますと、農業の特徴の一つは自然との触れ合いにある、今日もおっしゃった、自然の中にあって、人間が人為的につくるものじゃなくて育っていくものだと。人間がかかわるとすると、自然の営みをお手伝いする、育てることであって、人間が傲慢にも部品を組み合わせて食料を作るんではないという、お書きになったもので非常に感銘を受けたわけですけれども。
 そのことに関連しまして、自然との触れ合いの中で人間も、生き物ですね、植物も動物もみんな同じ自然の中にいるんだという、今日の先生の冒頭におっしゃった扇の絵がございましたけれども、生命誌の絵巻がありましたけれども、まさにそこに戻るわけでございます。つまり、人間にとって大切なのは謙虚さである、自然に対して謙虚であることというのは今日のお話の一つのポイントだと思います。
 そこから質問になってきますけれども、このことは、実は自然との触れ合いの中で何が出てくるのか。これは、私が若いころですから中村先生はもうちょっと若かったと思うんですけれども、雑誌の対談を先生とやったときに、科学する心は何かという議論をやったのを今でも覚えているんですけれども、中村先生は四つの「き」だと。驚き、輝き、ときめき、ひらめき、順番違ったかもしれないけれども、四つの「き」だと言われたんですが、四つの「き」というのは実はこの農業の中に、農業を包む大気の中になんて余計なことを言いますけれども、その中にこの四つの「き」があるような気がします。
 つまり、農業を通じて自然と触れ合う中で刺激を受けて、そこで科学する心、驚き、ときめき、ひらめきが出てくる。そしてそれが、実はそこからが私の質問なんですけれども、それがイマジネーション、想像力を刺激するんだと。そこから出てくるのが夢であり、例えばこんなものを作ってみたいとか、あるいはこんなことの仕事をしたいとか、自然界への関心から宇宙に行ったり地球物理に行ったり、いろいろな方面に行くと思うんです。あるいは、その中に住んでいる人たちの幸せということで政治に目覚めたり、いろんなことで刺激をする、その基になるのが自然との触れ合いかなと思っています。
 こういうところで大事なのは、何といっても自然との付き合いの中で相手の立場、つまり自然の立場で物を考える。これは、人間の暮らしにとっては相手の立場に、相手の思い煩いに感謝する、こういう人間の基本のところにくると思うんですけれども、それがまたベースになって夢をはぐくむ。私の質問は、そういうことで、農業というのは夢をはぐくむのに非常に役に立っているんでしょうかという質問が中村先生への質問です。
 山田先生への質問、短く申し上げますと、先生のお話でちょっと気になったのは、ずっと今、希望、社会という一つのモデルがあって、それが崩壊をしてきた、その中で今や希望がなかなか達成できず、希望がなくなり、あるいは不安が増えてきているという、おっしゃるとおりだとは思うんですけど、ちょっと切り口を変えてみると、希望とは一体何なんだろうかと、人間の幸せとは何なんだろうかというと、これも夢というのにつなげてみますと、夢を描くこと、そしてその夢の実現に向かって努力すること、その成果を確かめることというのが夢の三つのプロセスだと私は思っているんですけど、そういうことで考えていくと、夢というのは、自分だけじゃなくて、自分の家族だけじゃなくて、地域のこともあるし、社会もあるし、もっと言えば地球のこともあるし、そういったものについて望ましい姿を夢として描くということで考えていくと少し希望が出てくるのかなと。先生のお話を伺っていたらだんだん何か希望がなくなってきちゃったものですから、何か希望の出るような、夢というふうにつないで先生のお話が伺えたら有り難いなと思っています。
 以上、二つです。
この発言だけを見る →
中村桂子#16
○参考人(中村桂子君) 私は、最初に源氏物語で申しました、日本は本当に豊かな自然があり、四季があり、この中で自然を生かしていくという文化があると思っています。子供たちも自然と思っているんですが、それは、自然というと何か美しいとか楽しいとかというふうに言われてしまいますが、実は自然というのは非常に恐ろしいものでもあるわけです。
 私は、自然に触れることで非常に夢ができ、と思いますのは、自然というのは未知なんですね、知らないことなんです。そこにたくさん知らないことがある。実はコンピューターも何も、私どもの人工の世界というのは、とても複雑のように見えますが、全部知っていることなわけです。私は知りませんけれども、作った人は知って、人間が知っていることなんですね。知っていることの範囲でしかできていない。けれども、自然は知らないことだらけなわけです。そこから新しいことが探せるはずだという、それが私は夢だと思っています。
 しかも、今、加納議員がおっしゃってくださったように、人間が持っている、ほかの生き物が持っていない、人間だけが持っている最大の能力は想像力。想像力というのはイメージをする能力です。未来を考えたり、過去を考えたり、ここにいない人のことを考えたりすることはほかの生き物はできません。その想像力というのが人間の特有のもので、それは自然のものを見ているとたくさんの想像力が生まれる。
 しかも、この想像力は、日本語は大変面白くて、もう一つのクリエーティビティー、クリエーティビティーというのも創造力なのですね。このクリエーティビティーは、これはもう科学をやっているとはっきり分かりますが、イメージ、想像力を持っていない人はクリエーティビティーの創造力はないというのが私が科学の世界でいた実体験でございまして、この自然の中で生まれた、だれでもが持ち得る想像力をクリエーティビティーにつなげていくのが二十一世紀の幸せを生んでいくのではないかと私は思っています。
この発言だけを見る →
山田昌弘#17
○参考人(山田昌弘君) 確かに私も、この前ゼミ生から、山田先生のゼミが終わるたびに私暗くなるというふうに言われて、まあ私本人はそれほど暗いとは思っていないんですけれども、そういうふうに聞こえることがあるというのは重々承知しております。
 多分、夢ということ自体も、やはりここ十年、二十年の間で大きく様相が変わったんだと私は踏んでおります。それはどういうことかというと、九〇年ごろ、戦後社会の夢というものは、その夢を一つ追いかければ多分全生活自体がそれで組み立てられてしまう、かつそれが社会的に十分実現可能なものであるということであったがゆえに、夢を見て、それを努力して実現するというようなプロセスが可能だったかと思います。しかし、それが今、私が若い人たちを調査、観察する中であるのは、この一つのことを、夢を実現すれば、その人生が全部組み立てられるというものがだんだんなくなってきているというか、そういうものではなかなかないものが多くなってきたというのがあります。
 となると、取りあえず生活は生活として確保していく中で各人がそれぞれの夢を見る。例えば、農業で自然と触れて、それで周りの人とも一緒になって実感できるというのももちろん一つの夢としてはあります。ただ、団塊世代の退職農業とか土日菜園とかで非常に楽しくやっている人もいます。でも、それで暮らせる夢ではないわけですよね。そこが多分ポイントになってくると思います。つまり、暮らすところは別に持っていながら、プラスアルファの夢を十分実現可能で、かつ周りから評価されるような夢を実現していく。今後モデルとなるような生活があるとすればそういうことだと思います。逆に言えば、家庭菜園だけで全部生活できるようなのを夢にしてしまうと、かなりそれは失敗してしまう可能性があると思います。
 そういう形で、社会の夢の在り方というのも社会の変化によって私は変わってきているものだと思っております。
この発言だけを見る →
松あきら#18
○松あきら君 本日は、中村先生、山田先生、お忙しいところ大変にありがとうございます。本当にお二方のお話を聞いていて、奥の深いお話であります。簡単に質問が出てこないくらいのすばらしいお話であったと思いますけれども。
 中村先生に対しましては、生命科学というものは、まさに人間は生き物の一つであると、五千万種の生き物の中で、しかし文化、文明がつくれるのは人間だけ。その人間がこの地球を壊してしまうような、あるいは人間の自然の営みを壊してしまうようなことをしてしまっては大変なことになるということをつくづく感じたわけであります。
 先生のお話を伺っていますと、やはり哲学的といいましょうか、最後は宗教的といいましょうか、何かそういうことにも通ずるようなお話であるというふうに伺っておりましたけれども、今の社会は残念ながらいろいろな欲望あるいは刺激というものが非常に多くて、そういうものを満足されないと不幸だと感じてしまう残念な今社会かなというふうに思うんですけれども、またそれに振り回されているということは多いと思うんです。
 ただ、もう一方、先ほどまた、希望あるいは努力、加納先生も、私も希望と夢というのはどう違うかなと思いましたら、まさに夢というものは夢を描いて努力をして達成するためにある、そうすると希望が生まれると、本当にそうだなというふうな思いで伺いましたけれども。まさによく言えば夢であり希望である、悪く言えば欲望であると。そういうものがないと、また反面、そういうものがあって生きていかれるという面も私は否定できないのではないかなという気もするんです。
 そこで、悪く言ってしまえば欲望かもしれないけれども、そうした大きな意味での夢かもしれない、そういうものと社会の在り方、そういうものをコントロールしていくような生き方も実際は必要じゃないかなという気もいたします。そういうことに対してどういうふうに感じられるか、これは中村先生にお伺いをしたいと思います。
 また、両先生にお伺いしたいのは、やはり世の中の半分を占めるのは女性でありまして、私は、女性だからといってその女性の性というものを振りかざして、だからこうだというのは嫌いなんですけれども、しかしまた、女性についての存在、生物的、医学的研究がまだまだ不十分じゃないかなと、こういうものももっと突き詰めればより良い社会生活がもっと送れるというか、潤滑にいくんじゃないかなという面もあると思います。ですから、そうした女性の在り方あるいは健康というものを大いに研究することによって、また幸福な社会を築いていかれるプラスアルファになるんではないかという気がいたしますけれども、この点については両先生の御意見をお伺いしたいというふうに思います。
この発言だけを見る →
中村桂子#19
○参考人(中村桂子君) 生命科学、命ということを考えると哲学、宗教にと、哲学、宗教、大事じゃないと私は思っておりませんけれども、私は是非これを、この命ということを基本に考えるというのを政治、経済にしていただきたいというのが私の切なる願いなのです。なるはずだと。
 例えば、農業というのを産業にしていく、単なる家庭菜園で夢にするのではなく、これが本当に産業として日本の自給率を上げていくということは可能なはずなわけですね。先ほど申しましたように、先進国はすべてそれをやっているわけですから、日本ができないはずがないと私は思っていますし、恐らく食べ物が安全で安心でおいしくて食べられたら非常に幸せな気持ちにみんながなれると私は思っています。その意味で、非常にたくさんの問題点があるということは理解しますけれども、日本の自給率を上げ、農業を産業にしていくということを都会の人たちも全員それに向かって考えてくださるということにしていただきたいと私は思っております。
 それから、女性についての生物学とおっしゃいましたが、ちょっとこれは余談ですが、生き物を見ていましたら全部雌が基本なんですよ。例えば、子供が生まれるとき卵でつながっていくわけですね。もちろん精子必要なんですけれども、細胞としては卵でつながっていくわけです。本当に私、女性とは言いません、雌なんです、五千万種いる生き物たちのみんなが雌でつながっていきます。ですから、様々なところで雌が基本なんです。別に私はフェミニストでも何でもない、ここで主張するつもりはありませんが、見ていると。これは自然界の摂理として、本当に生物として続いていきたかったら雌を基本、基本にするというのは、別に権利を主張する、社会的な意味での権利を主張するという意味ではなく、そういう実態を見るということは大事だと思って、私は政治家の方たちも生物学勉強してくださるといいなと心の中では思っておりますけれども。改めて研究するというよりは、むしろそういう生物としてのメカニズムというんでしょうか、そういうところを考えていくと、雌とは何か、女性とは何かというのが一つ見えてきます。それで全部社会を動かしましょうなんて申しませんけれども、それを知ってくださるのは良いことではないかというふうに思っています。
この発言だけを見る →
山田昌弘#20
○参考人(山田昌弘君) 女性の健康ということでございますが、私も生物学者でも医学者でもありませんので……
この発言だけを見る →
松あきら#21
○松あきら君 健康とか在り方とか。
この発言だけを見る →
山田昌弘#22
○参考人(山田昌弘君) はい、ということでお話しさせていただきたいと思います。
 中村さんが女性が生物学的に基本形というふうに言われましたが、最近は精神医学、精神分析学でも実は女性の方が基本形であり、男性の方が派生形である。それはなぜかというと、つまり女性は何もしなくても、何もしなくても女性というのは変な話ですけれども、女性は女性でいることが比較的楽にできるけれども、男性は男であることを認められるためにいろんなことをしなきゃ男としてなかなか認められないというような近代社会の構造があるということで、今は多分、今はというか、男性であることの方のつらさ、プレッシャーというものがいろんなところに現れてゆがみができているんだと思います。つまり、ほとんどの男性が正社員として収入が稼げていた時代は問題は表面化してこなかったんですけれども、最近は流動化する中でいろんな問題ができてきたんだと思います。
 その中でも、女性に関しては可能性というものも一つあります。つまり、高度成長期の物語ですと、女性は家事や育児をやっていさえすれば自動的に夫の収入が上がっていってどんどん豊かになっていくという中で生活、幸せを実感できたんだと思います。もちろん育児、家事という努力はしてきたわけですけれども、やはり夫の収入の増大する中でということが一つ前提としてあったと同時に、また自己実現にはならないという不満も中に抱えてきたんだと思います。
 ですから、今後はもちろん、女性でも家事、育児をして豊かになるという物語だけに固執しているのでは、これからはなかなかそれで幸せを実感できる人の数はどんどん減ってきます。それはなぜかというと、収入が上がり続ける若い男性の数がどんどんどんどん減っているわけです。となると、女性も自分の努力でいろんなところで活躍していって夢を実現させていって評価されるというところに女性の幸せが懸かっていると思いますし、社会的にもそれをサポートしていくことが必要だと思っております。
この発言だけを見る →
矢野哲朗#23
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。反論、よろしいですか。
この発言だけを見る →
松あきら#24
○松あきら君 はい。
この発言だけを見る →
大門実紀史#25
○大門実紀史君 今日はどうもありがとうございます。大門でございます。
 本当にもっと長い時間お聞きしたいような話でございました。
 中村参考人に、命という視点から世の中を見るということで、非常に示唆の富んだ話を聞かせていただきましたけど、最近、命に関しては悲しいやりきれない事件がかなり起きております。人心の荒廃のところに該当するのか分かりませんが、命の大切さみたいなものがどうなっているのかと思います。子が親に手を掛けるとか、親が子に手を掛けるとか、夫婦同士とかですね。前は子供が事件を起こすと、子供に孝行の心を教えればいいんだと言うような人もいましたけど、もうそれをレベル超えてしまって違う異常なところに入っておるんじゃないかと思いますが、私たち国会議員というか政治家も、こういう事件が起きていてどうするんだというふうによく聞かれるわけですけれども、なかなか一言ではどうしたらいいかという答えが出ない問題なんですが、中村参考人の御意見を聞かせてもらえればというふうに思います。
 山田参考人のお話で、私も青年の非正規雇用問題をやってきましたので非常によく分かる話をお聞きいたしました。ただ、日本だけが低成長で非正規雇用が増えていてということでは、格差が広がっているというわけではなくて、ヨーロッパでも、中身は違いますが、広がっておるわけですけれども。どうして日本だけこの最後のところにあるような、もう本当に、これは小さな幸福というか、バーチャルな幸福といいますか、こういうものに陥ってしまうのか。ヨーロッパの人たちはもう少し幸せな顔をしていると思うんですけれども、どこが違うんだろうと。男がつらいのもヨーロッパも同じだと思うんですけど、どこが違うんだろうというふうに思うんですが、その辺でお感じになることがございましたら。
この発言だけを見る →
中村桂子#26
○参考人(中村桂子君) 私は、命という、このごろ私が試みていることは、生命と言わないで、生命尊重と言ってしまうとそれで終わってしまうわけですね。そうではなくて、生きているとか、全部動詞で考えましょうということを言っています。生きているというふうに考えると、生きているものを見るしかないわけです。そうすると、私ここに、農業高校の子と今付き合っているんですが、例えば、出雲の農業高校へ行きました。そうしましたら、そこで豚を非常にかわいがって育てている。その豚が私に行ったらしっぽを振ってくれました。私、生まれて初めて豚にしっぽを振ってもらった。よっぽどかわいがられているなと。けれども、その豚は、その子たちはしばらくするとそれでソーセージを作るわけですね。そういうことをやっていくわけです。命を大切にするということは何も殺さないということでもないということを実感として、そうすると、その子たちは次もまた豚をとてもかわいがるわけです。
 生きているを見詰めるということをするしか命を大事にすることはないと思います。これを配らせていただいたんですが、この最後のところに「愛づる」というのを書かせていただいたものを配っています。これは虫愛づる姫君というお姫様がいらして、これは源氏物語千年紀と申しましたが、源氏物語と全く同じときに書かれています。
 このお姫様はこんな小さな毛虫をかわいがるのでみんなから駄目だ駄目だと言われるんですが、そのお姫様が、美しいチョウチョウになったらみんながきれいだと言うじゃないですか、けれども、そうなったらもう後ははかない命。本当に生きている力を持っているのはこの虫にあるので、そう思ってこれをじっと眺めていたら、これは何とかわいいものだろうと思える。これは、先ほど山田先生のおっしゃったラブとは違う、本当に時間を掛けて生きているを見詰めたら生まれてくる愛なんですね。フィロス、フィロソフィーのフィロです。愛智の愛です。これは非常に知的な愛なんですね。
 私はこういうふうに、今このお姫様の気持ちを生かそうと言っているんですが、例えばこの「愛づる」という言葉は、生きているというものを時間を掛けて見たことによって生まれてくる愛。そうすると、例えば赤ちゃんを殺してしまうというようなことがあるわけですが、本当にだっこして、赤ちゃんって泣いているときは私もうるさいと思いました。けれども、だっこして、おっぱいを時間を掛けて飲ませているうちに、時々にこっなんてされるとかわいいとなってくる。
 だから、生命尊重というのは、命というものが抽象的なものがあってそれを尊重するということがあるのではなく、生きているものを見詰めるということからしか生まれてこない。これをさせることだと。私が自然に触れましょうと言うのは、実は生きているを見詰めましょうということを言っているのです。これは別にほかの虫やそういうものじゃなくて、人間同士が見詰め合えばそれはやっぱり生きているが見えてくると思いますので、そういうことを是非していただきたいと思っています。
この発言だけを見る →
山田昌弘#27
○参考人(山田昌弘君) ヨーロッパとの比較ということですが、手前みそなんですけれども、やはり私は、パラサイトシングルというか日本の若者の大部分が親と同居しているというところに一番大きな要因が求められるかと思います。
 一つエピソードを紹介させていただきますと、二年前、フランス経営大学院の人と若者の状況について意見交換をしたときに、日本では最低賃金は四ユーロだとか若者に対する社会保障プログラムは全くないというようなお話をしたときに、ヨーロッパ経営大学院の人は、えっ、年収百五十万とかそれ未満の人が何百万人もいる、どうしてデモや暴動が起きないんだというふうに聞かれました。そこで私は、いや、日本の低収入の若者は大部分が中流の親と同居をしていて、おたくの国に行って、ブランド物を買いに行きますよと言ったらメルシーとか言っていましたけれども、それはまあいいんですが。つまり、欧米では、イタリアとスペインは親同居者が非常に多い、イタリアとスペインは親同居者が多いので少子化も同時に起こっているんですけれども、欧米では一緒にできません。フランス、イギリス、アメリカ、北欧等の諸国では、大体成人すれば親と同居して、自力で生活しなくてはいけないので自分で働かなくてはいけない、働いて生活しなくてはいけないというところで、夢やそういうバーチャルな消費に浸っている余裕がないというのが正しいところだと思います。
 日本の特徴というのは、親は、つまり四十、五十の親の世代は中流生活を築き上げたんだけれども、自分の子供は正社員に就けなかったというような家庭が大部分を占めているというところが今の現時点での日本社会構造の世界的に見る特徴だと思っています。ただ、それももたなくなってきたがためにネットカフェ難民等が出てくるし、親同居未婚者が高齢化してくるという問題も同時に起こっている。つまり、若者に非正規低収入雇用を押し付けたツケが今後十年、二十年の間に回ってくる。若者に押し付けて、その社会保障をその親に押し付けているという構造になっているわけですけれども、私は、そのツケが十年、二十年に回ってこないかと心配ですので、早急に対策をお願いいたします。
この発言だけを見る →
加賀谷健#28
○加賀谷健君 どうも今日はすばらしいお話をいただきまして、ありがとうございます。
 格差社会、先生は本でも書かれていると思いますけれども、日本のこの格差社会というのは、戦後ずっとうまくバランスが取れてきたんではないかと思いますね、競争と公平という部分でいえば。国民は結構納得をしてずっと来たわけでありますけれども、ここ最近、市場原理主義と申しますか、その競争と公平がうまくバランスが取れなくなってきて格差が生じてきているというふうに私は思うし、また先生もそのようなことを書かれていると思うんですけれども。
 この格差というのは、やはり収入というのが大きな要因になっているわけですから、ここで幸せという部分でいうと、消費の豊かさとか、先ほどいろんな話がありましたけれども、この辺をどういうふうに思っていけばいいのかなと私は思うんですけれども、収入があれば、じゃ幸せなのかなというとなかなかそうでもない。先ほど先生が言ったように、若い人は決してそれだけでは幸せに感じないんだろうというようなことも言われていました。
 そしてもう一つ、私はやっぱり格差の大きな要因は雇用にあるんだろうと思うんですね。その雇用も、非正規雇用が三分の一にもなっている、あるいは若い人たちが何も拘束された雇用を望んでいないという、そういう半面も先生の今日の話の中では出てきているのではないかと思います。
 これで、その雇用をこれからどういうふうな形にしていけばいいのか、若い人たちの考えを含めて。私は、我々は非正規雇用の正規化ということを一つのテーマに取り組んでいかなければならないというのは分かっているんですけれども、本当にそのことだけで満足度が得られていくのかどうなのか、先生の何か経験を少し教えていただければと思います。
 それから、格差の問題で、先生の本の中では、北欧ではかなりうまく解消してきたのではないかというようなことが書かれていて、日本のこれからの中で大変大きなテーマだろうと思いますので、何かありましたら御示唆をいただければと、こんなふうに思います。
 それから、中村先生の中で、私は、農業の部分、大変興味を持ちました。特に、農業をしている若い人たち、子供たちは表現力も豊かだし、笑顔も美しいし、大変はつらつとしているという表現がございました。実は私も、余りしっかりはできないんですけれども、仲間とお酒を造るための米を田んぼで作ったり、家庭菜園をやったり、暇を見てやっているんですけれども、ほとんど今のところはできていないんですけれども、こういうことというのは大変大事だろうと思うんですね。私どもが借りているところは、正にここにいる石井準一さんの田舎のそばなんですけれども、もう休耕田になっている、遊休地がある。そういうところというのはいっぱいあるんですね。
 ですから、これをどのようにして活用をしていって、多くの人たちが、営農といいますか、食べるわけにはいかないんでしょうけれども、参加をしていく、こういうことが大事だろうと思うし、また教育の中でも農業の大事さ、また自然とのかかわりというのは先生の言葉にもありましたけれども、そういうこともしていかなければならないと思うんですけれども。
 先生、具体的にこういうことをさせていく、というのは、先生は農業高校の子供たちと付き合っているというお話ですけれども、そうではなくて、やっぱり中学辺りまでに、かなりそういうふるさとといいますか、田舎の再生といいますか、そういうところで、我々の代でいうと二代ぐらいいけば大体元々農家ですから、そういうふるさとがあると思うんで、そういうところを再生をしていくということが、私は、そういうことを子供のうちに経験させる大事なことかなと思っているんです。
 こんなことを思っていて、じゃ具体的にどうしたらうまくいくのかなというのがなかなか答えが出てこない、こういうことなんですけれども、先生の方で何かこんなことで御示唆があればと、こんなふうに思います。
この発言だけを見る →
矢野哲朗#29
○会長(矢野哲朗君) 質問に順次お答えをいただきたいと存じます。
この発言だけを見る →
← 戻る