社会労働委員会

1961-05-30 参議院 全262発言

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会議録情報#0
昭和三十六年五月三十日(火曜日)
   午前十一時二十六分開会
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  委員の異動
五月二十六日委員山本杉君及び徳永正
利君辞任につき、その補欠として田中
茂穂君及び西田信一君を議長において
指名した。
五月二十九日委員西田信一君、横山フ
ク君、田中茂穂君及び坂本昭君辞任に
つき、その補欠として徳永正利君、大
泉寛三君、山本杉君及び光村甚助君を
議長において指名した。
本日委員大泉寛三君、久保等君及び光
村甚助君辞任につき、その補欠として
横山フク君、永岡光治君及び坂本昭君
を議長において指名した。
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 出席者は左の通り。
   委員長     吉武 恵市君
   理 事
           加藤 武徳君
           高野 一夫君
           坂本  昭君
           藤田藤太郎君
   委 員
           鹿島 俊雄君
           勝俣  稔君
           紅露 みつ君
           谷口弥三郎君
           徳永 正利君
           山本  杉君
           横山 フク君
           相澤 重明君
           小柳  勇君
           永岡 光治君
           藤原 道子君
           光村 甚助君
           相馬 助治君
           村尾 重雄君
           竹中 恒夫君
  国務大臣
   厚 生 大 臣 古井 喜實君
  政府委員
   厚生政務次官  安藤  覚君
   厚生大臣官房長 高田 浩運君
   厚生省社会局長 太宰 博邦君
   厚生省保険局長 森本  潔君
   厚生省引揚援護
   局長      畠中 順一君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       増本 甲吉君
  説明員
   大蔵省主計局主
   計官      岩尾  一君
   厚生省保険局健
   康保険課長   加藤信太郎君
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  本日の会議に付した案件
○戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部
 を改正する法律案(内閣提出、衆議
 院送付)
○健康保険法及び船員保険法の一部を
 改正する法律案(内閣提出、衆議院
 送付)
○理事の補欠互選の件
○社会保障制度に関する調査
 (青森、岩手両県における火災の被
 害状況及び救助実施状況に関する
 件)
○日雇労働者健康保険法の一部を改正
 する法律案(内閣提出、衆議院送
 付)
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吉武恵市#1
○委員長(吉武恵市君) ただいまより社会労働委員会を開会いたします。
 この際、委員の異動について報告を申し上げます。
 五月二十九日付をもって坂本昭君が辞任し、光村甚助君が選任され、また、横山フク君が辞任し、大泉寛三君が選任されました。五月三十日付をもって久保等君が辞任し、永岡光治君が選任されました。
 以上、報告をいたします。
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吉武恵市#2
○委員長(吉武恵市君) 戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 これより質疑を行ないます。御質疑のある方は、順次御発言を願います。
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徳永正利#3
○徳永正利君 この法案が提出されました機会に……。いくさが終わりましてから十六年たっておるわけでございますが、今まで法律の内容において、あるいはまた、その均衡の問題においていろんな矛盾が出て参っておるのでございますが、今までの厚生省の態度というものはどうも前向きに戦争の跡始末を一ぺんつけてやろうという熱意に欠けておるのじゃないか。いつも何か引っ込み腰でやっておられるから、いつまでたってもこんな小さい問題が、しかも人数にしても予算にしても大したことがない問題がくすぶっている、こういうような感じが私はするわけなのです。
 まず、大蔵省の関係の問題で、お忙しいようですから一、二点だけお伺いしたいのですが、昔の陸軍、海軍の共済組合の規定で——旧陸軍と旧海軍に徴用されておった方々が戦時災害でなくなった。その場合に、片方の旧陸軍の方は、昭和二十六年の六月に規定を設けて、戦時災害で死亡した旧陸軍部内の軍属、主として共済組合員なんですが、この遺族に殉職年金を支給することを定めております。さらにこの規定によれば、昭和十六年十二月八日、大東亜戦争勃発にさかのぼって適用する、こういうことで、一定のいろいろな条件がございますが、その条件が満たされている限りにおいては、殉職年金の対象者としております。ところが、旧海軍の関係の方は、昭和二十年四月にこの共済組合の規則の一部を改正しまして、戦時災害で死亡した組合員の遺族に殉職年金を出すことにしたのですが、その適用が昭和二十年の四月一日以降としている。で旧陸軍の方は、それ以前のすなわち昭和十六年の十二月八日からやりましょう。旧海軍関係は昭和二十年の四月一日からやりましょう。こういうことになっているのであります。これはもうよく大蔵省の方御存じだと思います。なぜこういうことになっておるのか、その点を一ぺん御説明をお願いしたい。
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岩尾一#4
○説明員(岩尾一君) 旧令共済の問題でございますが、ただいま御質問ございましたように、海軍と陸軍におきましてやや取り扱いが違っております。陸軍の方は、たしか規則で今申したようなことをやっておるわけでございますが、海軍の方は、共済それ自体を改正したのですが、それが二十年四月一日というふうに改正しておる、それ以後のものしか適用しないという結果になっておる。この旧令共済の規定については、いわゆる臨時措置法によりまして現在大蔵省がこれを引き継いでおるわけでございますけれども、その措置法が、旧令共済自体が掛金と給付ということである計算のもとででき上がっておる、その権利義務をそのまま承継するという立場で措置法ができておりまして、それに対して新しい権利を付与しあるいは義務をつけるというようなことは考えておらないわけでございます。従いまして、先生のおっしゃいましたような新しい問題でその不均衡を是正するということは、一つの権利をさらに付加するということになりますので、現在の状況ではむずかしいのではないか。それから今、陸海軍におきまして、遺族年金につきましてはそういうような不均衡があるわけでございますけれども、なお、内部的には、それ以外にも、たとえば女子について陸軍は遺族年金があって片方がないとか、あるいは傷害におきましても、陸軍は一項症から六項症まであるけれども、海軍は一項症から四項症というふうに、そういった違いもございますので、一つだけ調整いたしましても、ほかがまたそういった不均衡があるわけでございますから、現在においてはこれをどうこうということはむずかしいのじゃないか、こういうことでございます。
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徳永正利#5
○徳永正利君 それではお尋ねしますが、殉職年金の、戦時災害によって、敵の爆撃を受けて死んだ、そういう工員の方々が陸軍では今何人くらい適用されておる、あるいは海軍では何人くらい適用されておる、その数字がわかりましたらお答え願います。
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岩尾一#6
○説明員(岩尾一君) 本件は給与課の所管でございますので、今ちょっとほかの委員会に出ておりますので、後刻数字を持って参ります。
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徳永正利#7
○徳永正利君 先ほど非常にむずかしいというお話でしたが、私は大してそうむずかしい問題ではないのじゃないかと思うのです。
 で、共済組合法というのは、これは一本の法律なんですか、海軍旧令共済組合あるいは陸軍旧令共済組合というふうに別々になっておるものですか、どうですか。
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岩尾一#8
○説明員(岩尾一君) 別々の法律でございまして、それを措置法でそのまま引き継ぐというふうになっておるわけでございます。
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徳永正利#9
○徳永正利君 大蔵省でそれを引き継がれて、大蔵省で引き継ぎになったのですから、それが同じような条件のもとに、同じような私は仕事をしておったと思う。陸軍の工廠といったって、海軍工廠といったって船を作るところ、鉄砲作るところぐらい違っておったでしょうが、労働条件なりあるいはいろいろなものは全然同じだと思うのですよ。それがどうして均衡がとれないのか。あなたがさっきいろいろお話しになったけれども、私にはどうしても納得できません。いろいろな陸軍と海軍の違うところがある、あるいは共済組合だから、金を集めて給付するという関係もあって、なかなか簡単に、そういうふうに、お前の言うようにいかぬとおっしゃいますけれども、当時集めた金でまかなおうたってそんなことはできないでしょう。いくさが終わって、いくさの処理ですから、どうしてもどっかから金を持ってきてその穴埋めをしなければならない。それは決意一つでできるのじゃないか。理屈の上から考えて、たとえばあなたはこれはおかしいと思われませんか、それともこういうふうに差のあるのがもろともだというふうにお考えなのか、その点を一つお伺いいたします。
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岩尾一#10
○説明員(岩尾一君) 陸軍、海軍それぞれ共済組合を持っておりますが、持っております場合には、現状でもそうでございまするように、各共済組合において財源計算をやりまして、その財源の範囲内で給付を考えるし、あるいは保険料も考えるということになっております。従いまして、両組合法の中におきまして、できるだけその給付内容というものが同じであることが望ましいと思いますけれども、若干の差異はそういう財源上からも出てくるのではないかと思います。従いまして、現在のいろいろな差異というのはそういう意味でもやむを得ないものではなかったか、当時はそうだと思います。これをそのまま大蔵省で引き継いだ措置法の建前からいいますと、その権利義務の中をさらに現在において別途の観点から新しい権利義務を付与するということはむずかしいので、もし先生のおっしゃるようにそういう措置をやるとすれば、これはたとえば現在の戦傷病者戦没者遺族等援護法のような法律でそういうものに及んでいく。別途の社会保障の財源からこれを措置をするというならあるいはできるかもしれませんが、現在の旧令共済自体をいじることによってその不均衡を調整しようというのはむずかしい、こういうふうに思います。
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徳永正利#11
○徳永正利君 それはむずかしいと言われますが、これは技術的にむずかしいということですか、思想的にむずかしいということですか、どちらですか。
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岩尾一#12
○説明員(岩尾一君) 実際に今申しました陸軍の軍属の方と海軍の軍属の方について取り扱いを一つにすべきだという議論、それに対してどう考えるかということとは別に、現在の旧令共済を改正して、そういった不均衡を是正してはどうかということについては、思想的にも技術的にも非常にむずかしいのじゃないか、こういうふうに考えております。
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徳永正利#13
○徳永正利君 非常にむずかしいとおっしゃいますから、私にはそのむずかしさというものがどうも納得できないんですが、しかし、そういう問題が、いくさが終わって十六年、今日置いておかれていいものかどうかということは、私非常に疑問だと思うのです。これはもう少し前向きに一つ検討をされまして、衆議院の委員会でもこういうような質問が出て、同じような答弁をしておられることも私は承知しております。しかし、もう大した人間じゃないと思うのです。大した人数ではございません。で、まあ私どもこういうことになるとすぐ予算のことが頭にちらちら浮かぶんですが、金にしてもこんなことはわずかなものだと思うのです。しかもそれがために非常な不平を持っておる人がいる。自分の方は徴用工で海軍の工廠にとられたが、自分の方は陸軍の工廠に行っておった、これがためにこんな差がつくということは、今ごろの今生きている者に説明したって納得しないんです。また、納得できないんです。この辺を一つよくお考えになって、もう少し前向きの姿勢で検討をしていただきたい、かように考えるわけであります。で、もう主計官とここでいろいろやりましても、これ以上の答えは出ぬと思いますから、ちょっとこの点をお願いしておきまして、私あなたに対する質問は終わります。
 続いて、援護法関係について、厚生当局にお伺いいたしますが、今までの援護法の歴史を見ますと、畠中局長は援護法をお作りになったんですから私がよけいなことを申すまでもなく御存じでございますが、援護法による遺族年金とそれから恩給法による兵の公務扶助料というものは常に均衡をとってきておる。均衡と申しますか、同じ足並みをそろえてきておったわけです。ある時期には、援護法の遺族年金の方の給付額が多かったときもあります。ところが、現在では恩給法の公務扶助料の額が五万三千二百円、援護法が五万一千円、この間に二千二百円の開きが出てきているわけですが、これは財政的な面からこういうような格好になったというふうに私は承知しているのです。こういうふうに理解している。ところが、いろいろお話を今からお伺いしようと思いますが、厚生省ではこれに理屈をつけておられるだろうと思います。で、その理屈は、もう大体の見当はついているわけですが、そうでなくって、これを何とか同じ給付額にしようという努力を今後してもらいたい、それともそういう努力はする必要はないのだと、こういう理屈の上に立ってこの額でいいというふうにお考えになるのかどうか、その点をお伺いいたします。
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畠中順一#14
○政府委員(畠中順一君) ただいまお説のように、恩給法と遺族援護法におきましては、遺族年金の金額が公務扶助料と違っておるのでございまして、その理由は先ほどお話がございましたが、単に予算的な問題だけではないのでございまして、問題はどういう方を対象にしておるかということによって支給する金額が違ってくると考えられます。そこで、恩給につきましては階級別にいろいろございますが、援護法におきましては、その対象が当初立法されましたときは、大部分の軍人を含んで——大部分でなくてすべて軍人を包含しましたが、その後二十八年に恩給法が復活いたしましたので、現在では援護法の対象というのは軍属——軍属といいましても援護法上の軍属、つまり陸海軍の雇員、傭員、そういう者とか、あるいはまあそういう準軍属もございますが、対象が軍人が少なくなって、大半が軍属であるということから、当初の遺族年金の金額を大体改訂しますにあたりまして、今日の五万一千円というのは三十五年の七月から実施されておりますが、その場合いろいろ金額を検討したわけでございます。そこで、恩給法によるところの公務扶助料の、兵の公務扶助料が五万三千二百円でございますが、この兵と同等の俸給をとっておる軍属を文官の公務扶助料並みに直してみますと四万三千九百八十円ということになるわけでございまして、そこで対象は軍属が多いのでどうするかということになりますが、その場合、五万三千二百円と四万三千九百八十円の中間よりは上の方をとりまして五万一千円というところにきまったような経緯ががあるわけでございまして、従いまして、やっぱり対象がだれであるかということによってその支給額をきめていくのが至当ではないかと考えますが、なお今後、またいずれ改訂になる時期が参りましたら御趣旨の点も十分検討いたしたいと思います。
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徳永正利#15
○徳永正利君 私は、人間の命を金に換算するということは、これはだれがやったってできっこないと思うのです。まあそういう、軍属だからと、しかも軍属が多いからと、この中には軍人もおることは援護局長もよく御存じの通りです。軍属だからこれなんだと、こちらは軍人なんだから少し額が多いのだということはどうも私には納得ができないのです。で、今お話のように——これはあとからつけられたと思うのですが、三十何年でしたか、改正になったときに三百億というつかみ金でそいつを割り振った、そういう結果こういうものが出てきておると思います。今援護局長のおっしゃったのは、あとからおつけになった私は理屈であると、それでなければ、今まで援護法は、遺族年金の方が多い時期もあったのですよ、同じ時期もあった、常にまちまちなんです。だから思想の一貫性がないわけなんですね。だから今度こういう問題は軍属だから少ないのだ、対象者が軍属だから金額が少ないというようなお考えは一つ撤回されて、少なくとも同じようにいくさで働いた人は、軍人だろうと軍属だろうと私は同じであるべきだというふうに考えるわけでございます。
 それから次の点は、内地などで戦争に関する勤務、まあ当時はいろいろな仕事があったわけですが、このときに負傷したり病気にかかった軍人、あるいは戦地で、戦争に関する勤務に服しておった軍属等が傷病を受けて、それが原因でなくなったと、これはまあ特別弔慰金というものが五万円出しておるわけでございますが、この人たちが内地に帰ってくる、帰ってきてから一年以内になくならなければ遺族年金なり、あるいは扶助料というものを出さない、しかし、精神病や結核は三年以内になくなった人に出すということになっておるわけなんです。これはまあいろいろな他の法律と均衡をとられようとされた点はわかるわけでございますますけれども、長い間、十年もいくさに行って、そして病気になったり、あるいはまた、戦争でけがをして帰ってきた、病気になって帰ってきた、それを一年、三年で画一的に切っていくと、手当がよかったために……、一年を一ヵ月過ぎてももうだめ、だというようなことはどうも私は納得できないのです。この点を、少なくとも青天井に野放しにせいということはあるいは問題があるかもわかりません、しかし、一年、三年という年限を、そういうふうな切り方をするというのは納得できない。この点について厚生省ではどういうふうにお考えになっておるか。
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畠中順一#16
○政府委員(畠中順一君) ただいま御質問の点は、特例の弔慰金いわゆる特弔と申しておりますが、あるいは特例の扶助料、あるいは遺族給与金につきまして、軍隊を去りましてから一年、あるいは結核においては三年以内に死亡しなければこれらの適用にならない。その年限を延ばしたらどうかというような御質問かと考えますが、これは実は特例法という言葉が示しておりますように特例でございまして、当初恩給法におきましても、あるいは恩給法にかわりまして二十七年に生まれました援護法におきましても、こういう公務と死亡の関係、そこに相当因果関係がなければならなかったわけでございますが、そういう公務に基づくものについて傷疾を負うて死亡した場合には、これはどこまでも、除隊してから何年先になくなられましても、それは公務との因果関係がはっきりしておりますれば年金を差し上げるということに立法されておったわけでございます。しかしながら、大東亜戦争になりますと、内地勤務の軍隊生活というものが相当にきびしくなりますし、また、そこに召集される方々もからだの弱い方も行かれるというような面から、必ずしも公務ということでなくても、軍隊の勤務に関連して疾病を受けたというときには、特別に特例扶助料といたしまして、あるいは特別弔慰金といたしまして、大東亜戦争後になくなった方にそういう特別の措置をしているわけでございます。この点につきましてはただいま御説明がございましたように、除隊後一年あるいは三年で切られておるわけでございますが、この点につきましてもいろいろ問題がございまして、例の臨時恩給等調査会でも非常にこの点は審議をいたされましたが、その答申によりましても、これはやはりあるところで切るべきである。なぜかと申しますと、これはいわゆる公務に基づくところの傷病ではない、従って、公務に基づくものと同じに扱わなくてもいいじゃないかということが第一点でございまして、それからこれは処理上の事務的な問題が主でございますが、公務で傷病になった場合につきましては、恩給とかその他の恩典と言うと語弊がございますが、そういった給与が行なわれますので、軍隊におきますところの事務的な処理も非常に十分にできておりまして、従って、それが公務に関連したかどうかということもわれわれが認定できるわけでございますが、ところが、当時は公務でないものにつきましてはそういった書類的ないろんな問題等も完備しておりませんので、一年、三年をずっと延ばしていった場合に、職務に関連した疾病がはたして職務に関連したかどうか。あるいは死亡の時期までの、あるいは除隊後五年あるいは七年でなくなった場合に、その死亡した原因がはたして職務関連のときに起こった病気と同じであるかということにつきましても、事務処理上なかなか書類的に証拠がないというようなこと、二点の理由で調査会におきましてもあるところで切るべきじゃないかという御答申もございましたので、やはりどこかで線を引かなければならぬじゃないかというふうに考えております。
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徳永正利#17
○徳永正利君 何か制限しよう、出すまい出すまいというようなお考えのように聞えるわけなんです。ところが、公務に起因ということをおっしゃいますが、あのサイパンが陥落した以後というものはとにかく片輪でなければほとんどみんな引っぱり出すというような状況下にあったわけなんです。それがあるときはざんごう掘りあるいは防空壕掘って大へんに苦労をし、泥水を飲んでろくに飯も食わぬとやっていた。そういうものを私はもう公務に起因……、そういう方々が結核になりあるいはまた、いろいろな病気になり、負傷したときにろくな手当もできないというようなものは、私はこれは公務であろうと思うが、ところが、非常に厳格に公務というものをお考えになっていて、鉄砲のたまでもすぱっと当たらなければ、どうも解釈を非常に厳格におやりになる、こういうところにも問題がある、それに関連した。ですからして病気なんというのは、当時は医者にかかろうにもお医者さんが少ないし、今でも無医村が千なんぼも日本全国にあろうという現状ですから当時はひどかったのです。一ぺん医者にかかってそしてそれが一ぺん断ち切ったら完全なからだになったというふうに厚生省ではお考えになるようでございますが、しかし、当時のことを考えると、そうはいかないわけです。ですから、これも私は人数にしても、かりに二年、六年にしても人数にしても大したことはないのです。第三者から見るといろいろなことが考えられましょうが、御本人になってみると、これはもう耐えられぬことだと思うのです。一つこの点もよろしく御検討になっていただきたいと思います。
 それから当時の徴用工員であるとか、あるいは動員学徒、女子挺身隊、国民義勇隊員、満州開拓義勇隊員、これはまあいわゆる白紙召集といわれておったのでございます。これも当時の気分からすれば白紙も赤紙もあまり変わりはないわけなんです。みな私は進んで出ていったと思うのです。そしてこの爆撃とかあるいは銃撃にあってなくなった。今では遺族給与金と称して遺族年金の半額が出ております。二万五千五百円というものが支給されておる。しかもこれは五年限りでもう上げませんぞ、来年でもうこれは切れるわけなんです。しかも、それには非常な制限がついておる。扶養する直系血族というものがおればだめだ。ところが、その扶養する直系血族というものは、これがまた年収なんぼあればだめだというような点で押えておられるようでございますが、このお父さんやお母さんが、年収一体幾らこの直系血族がとっておったならば支給しないというふうなことに相なっているのか、その点ちょっとお伺いいたします。
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畠中順一#18
○政府委員(畠中順一君) 血族の人数等に関係がございますが、大体、所得税で規定をきめておりまして、その額を申し上げますと、所得税が二人の場合に一万五千二百円、これを所得にいたしますと三十四万二千円でございます。それから三人の場合には税額が一万六千百円、所得にしまして三十八万二千円、いわゆる標準家庭の五人の場合には二万三千六百円、所得にして四十八万四千円というように所得税によって扶養することができるかどうかという点を一応きめておりますけれども、その運用にあたりましては、こういう所得、これ以上の所得税を払っている方につきましても、その後医療費が相当かさんだ、あるいは失業になった、いろいろ特別の事情を勘案しまして、これが標準でございますが、処理にあたっては画一的にしないようにあんばいをしております。
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徳永正利#19
○徳永正利君 私はこういうところに、二人で三十四万二千円、子供が二人働きにいっておって、そして三十四万二千円を月給もらって帰ってくる。そうすると、この給与金はやらぬというのは今の時代にちっとどうか、私は合わぬのじゃないかというような気がするわけです。しかし、まあ、いろいろ運用の面において善処をしておられるということでございますから了承いたしますが、こういうようなことも一応さらにお考えいただきたいということと、五年で切るということは、これはどうも適当でないように思います。この金額も大したことはないのです。それを五年で、分割払いで五年で処理しようということが、どうも学徒で徴用されて工場に勤めておって、銃撃でなくなったという人も私はどうもこの五年間で切るということはおかしい、これも一つ前向きの姿勢で厚生省は一つ原案を検討していただきたい。私どもも協力もするし、考えまするけれども、お願いいたします。
 それから学徒で銃撃なんかでけがしたという場合には、他の軍人、軍属の傷病年金の半額しか出ていない。これはどうも納得できないのです。現に片手をなくし、片足をなくしている人が軍人だからそれをやる、学徒だから半分しかやらないということは目の前にそういうような人間を置いて話せることじゃないと思うのです。この点は一体どうなんですか。
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畠中順一#20
○政府委員(畠中順一君) 動員学徒とか徴用工のようないわゆる援護法上の準軍属に対する処遇でございますが、この援護法あるいは恩給法等の立て方に一つ問題がございますが、先ほどお話しございましたように、人の生命というものあるいはからだというものは軍人であろうが、軍属であろうが、あるいは準軍属であろうが、それはこの尊さにおいては変わりはないと思いますが、ただこういう援護法等を作ります建前の立て方というのが国とのつながりの濃淡によってきめておるというような立て方でございまして、そこで、それ自体に問題もあるかと思いますが、片一方には、たとえば広島等におきましても原爆でやられ、なくなられました一般の戦災者が相当おられるわけでございまして、あるいは東京の空襲にして本そうでございます。これらの人に対しては現在何もそういう手当が出ていないのでございます。こういった一般の戦災者等のことも考えまして、準軍属をどういうふうに処遇するかという立て方、骨組の問題であろうと思うのですが、この点につきまして本臨時恩給等調査会の御答申によりますと、この準軍属の置かれました立場というものはよくわかるけれども、そこはやはり軍人等とは処遇を異にすべきである。そうして一般戦災者等とのことも考慮して一時金の分割払い方式をとった方がいいんじゃないかというような御答申がございまして、それによって法律改正が行なわれてございまして、従いまして、その調査会等の御趣旨もございますので、そこにかような区別があると思いますが、しかし、三十八年に五年の期間がくるわけでございますから、今後十分検討いたしたいと考えます。
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徳永正利#21
○徳永正利君 これはもう時間もないことでございますから、早急に御検討をお願いしたいと思います。
 それから旧陸海軍部内のいわゆる有給の嘱託員、雇員、それから工員とかいう方々で戦地で勤務しておった者については、その者が公務上の疾病で死亡した場合に限って遺族に年金を支給することになっているのでございますが、この公務上という考え方が軍人の場合と軍属の場合、工員であるとかあるいは雇員であるとかいう場合に尺度が非常に違うわけなんです。軍人の場合には故意または重大なる過失によって負傷し、疾病にかかったことが明らかでないときに公務上の傷病と見なすということになっておりますが、この雇員あるいは工員いわゆる軍属の方々はそのしぼりが非常にきつくしぼってあるわけです。しかし、南方に行って飛行場作りをやっておった、飛行機がやってきたというようなときにそのしぼりを軍人の場合と軍属の場合をこれを異にするというのはいささかどうも当を得ていないような気がするわけなんです、この点はいかがですか。
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畠中順一#22
○政府委員(畠中順一君) この問題も先ほど御説明しましたような趣旨であるかと思いますが、お説のように、軍人と軍属と戦場で一緒にいる場合に、区別するのはおかしいということも言われますが、軍人と軍属とは業務の内容が違っている場合があるというようなことから、そこに公務性の問題について区別がされていると思いますが、この点もよく検討いたしたいと思います。
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徳永正利#23
○徳永正利君 今度はちょっとほかの面の御見解を伺うのですが、この援護法というのは二十七年にできた。戦争が終わってからですよ。私はアメリカの占領政策、いろんなことがあるけれども、戦争で死んだ人々に、何ら手当をやっちゃいぬといういわゆるポツダム勅令を出したのは一番悪法だと思うのです。七年間とにかく眠っておったわけなんです。で、この援護法というのは、新しくそういうものに対して何か一つ考えてやろうといってできたのが援護法なんです。これはもう各党賛成して私は援護法というものはできたように承知している。党派を越えて戦争の跡始末をしようという観点に立ってできたものなんです。ところが、この中で第一点は、戦争が終わりましてこの援護法ができるまでの七年間の間に、もう食うに困って再婚をした。もちろん遺族年金や公務員扶助料が出るということはつゆ思わぬ未亡人が子供を連れて再婚した。ところが、当時うまくいくわけはないのです。何とか食っていこうと思って、生き延びようと思って再婚した連中が、うまくいっているのもおりますけれども、そのほとんどがうまくいっていない。そして一ヵ月なりあるいは三ヵ月なりして離婚した。ところが、二十七年に、それからはるかたってできた援護法は、その再婚という事実をつかまえて、たとえば恩給法でもそうじゃないかとか、あるいはほかの法律でもそうじゃないかというようなことを引っぱり込んで、この再婚し、解消した人々に何ら手当をしてないというのは、私は援護法の建前上おかしいと思うのです。現に法律が継続している間にそういう規定があって、再婚したというならばこれは話もわかるのです。これは当然でしょう。外国の例にでもそんなことはございませんでしょうけれども、これははるかあとからできたのです。それを再婚という事実をつかまえて支給しないということは、どうしても私は納得できないのです。この点は一体どうなんです。
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畠中順一#24
○政府委員(畠中順一君) お説のように、援護法ができましたのは、恩給法がストップになりまして、二十一年の二月一日の勅令六十八号でストップになりまして、二十七年の四月一日に援護法ができたわけでございますが、この間に婚姻した者をどう扱うかということでございます。ただいまのお説の、婚姻をして、再婚をして帰ってきた人をどう扱うかというようなお話がございますが、これは援護法というような、そういう法律ができることを知らずに行ったのだから、そこを考えろというお説でもございますが、この問題は根本的に言いますと、その援護法の有無、あるいは再婚してまた解消したという問題とか、あるいは帰ってきてもとの子供を養っているとか、いろいろケースがあると思います。そこでまあ婚姻ということを、こういう給与法でどういうように解釈するかということに関連すると思いますが、この日本の法律では一応婚姻という場合は、前の、再婚した場合にはそういった給与法上の権利は失権することにすべて取り扱われているわけでございまして、それはどういうわけかと申しますと、御存じのように、婚姻というものは、再婚というのはもとの夫との関係から新しい夫との関係において、物心両面におきまして新しい関係に入ったということから、もとの関係を断ち切っておると考えられます。これが養子縁組みをした人との違いかと思いますが、そういったように再婚、結婚というものをどういうように法律上考えていくか、前との関係をどう考えていくかというところに問題があると思います。そこで、ただいまの婚姻の問題は妻の場合もありましょうし、戦死者の父母の場合もありましょうが、そういったように現在では婚姻というものは前との関係を断ち切って新しい関係に入るということで、かように取り扱われておると思います。
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徳永正利#25
○徳永正利君 どうも私にはよくのみ込めないのですが、二十七年に全然新しい法律ができたのですよ、二十七年に。しかもそれ前には、そういう遺族年金なんていうものが出ようとかもらえようなどということはだれも考えなかった。また、政府も出そうということは二十七年にお考えになったことですから。それまでに一ぺん結婚してうまくいかないでやめた。二十七年に法律ができてから離婚したというような問題を言っておるのじゃなくて、それ以前の問題を言っておるのです。今でもたとえば恩給の受給者である前の奥さんがなくなられて新しい奥さんをまたもらわれた。あるいは養子に行くこともあるでしょうが、前の奥さんがなくなると新しい奥さんにはちゃんと恩給を出しておるじゃないですか、扶助料を。ところが、全然新しく出発したこの法律で、それ以前のものをさかのぼって使っておるから私はどうもその辺に問題があると思うのです。この法律というのは新憲法下に、現在の憲法下にできた。ところが、内容は旧民法を全部拾っておる。これをいささか——私は憲法論議は得意でもないし、よくわかりませんけれども、しろうとなりに考えると、新しい憲法下で制定する法律に昔の明治憲法時代の民法を引っぱり出していろいろと制約をつけておるということ自体がもうおかしいと思うのです。ですから、この点は援護局長もおわかりにならぬことはないと思いますから、一つよくもう一ぺん御検討いただきたいと思います。
 それから今お話があった前のお母さんとお父さんの場合もそうだというふうにおっしゃいますけれども、今氏を改めないで再婚した人にはちゃんと遺族年金を出しておられますね。ところが、氏を改めるとだめなのです。名前が変わっちゃだめであるという規定で押えておられるわけなんですが、この辺も私はちょっと納得がいかない。たとえば法律のこまかいことを申し上げますと、おもしろくもないと思いますが、援護局長ちょっと聞いてもらいたいと思いますが、二十年——戦争中に、旧民法の時代には長男と長女は結婚できなかった。戸籍に入ることができなかったわけです。で、お母さんの方は大沼花子さんという名前である。お父さんの方は小川太郎さんと、こういう名前であった。そしてそこに子供ができた。この子供が戦死した。ところが、二十三年になって憲法が新しくできるとこのお母さんの大沼花子さんというのはお父さんの籍に入ったわけなんですね。長男、長女などとそんなけちなことは言わぬことになりましたから、お父さんの籍に入って大沼花子さんが小川花子さんになった。ところが、二十年から二十七年までこういう法律が眠っておった。こういう法律はなかった。そのうちにお父さんの小川太郎さんがなくなった。ところが、二十七年にこういう法律ができたわけなんです。そして結婚して氏を改めたとかあるいは婚姻したという事実があった場合にはだめだぞというワクがかまされてしまった。ところが、大沼花子さんは小川花子さんに二十三年に新民法ができたときに名前が変わっておるのですから、これは戸籍上の婚姻ですね。それでこの援護法では遺族年金はやらぬということにしぼっておられるわけなんです。どうも私はこういうようなことは納得できない。これは新民法ができてその時代にできた法律であるのに、その法律の内容が旧民法でいろんな操作をしておるからこういうことになっておる。茶飲み友だちといって氏を改めないで一緒になった人はいい。ちょっと名前が変わったからだめだということは私にはどうも納得できないのですが、その点はいかがですか。
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畠中順一#26
○政府委員(畠中順一君) ただいま御設問の大沼花子さんが小川花子さんになったというお話でございますが、多少誤解があるんじゃないかと思います。と申しますのは、母と子の関係はこれは実体的な問題でございますので、籍に入るが入るまいが、母と子の関係は、子供は、捨て子を拾ってきたとかということでない限りにおいては血がつながっているわけですから、小川花子さんにならない前の大沼花子さんのときにも年金をもらえますし、小川花子さんになってもこの法律による婚姻によって失権という措置をとらずに——これは事実婚があったのだけれども、それを新民法になってその手続をしたのだというように解釈しまして、現在援護法ではお母さんの方は失権いたしません。
 そこで問題は父の方でございますが、父と母は事実婚でおりましたが、先ほどお話のように、長男であり長女であるというので結婚の届けが出なかった。その後新民法に、なって同じ戸籍に入ったという場合に、その父と子の問題が実は援護法上でも問題がございまして、これはいわゆる未認知の子、認知しない子ということでございますが、これについてもやったらいいじゃないかという意見がございますが、例の調査会でもこの点十分調査されましたが、これはもう子供が戦死してから今日まで相当たっておりますので、はたしてその父子の関係があったかということの認定が非常にむずかしい。そこで調査会の答申によっても、何か戸籍法で特例法でも作って、それが法律的に父子であったということが認知されたならば、その措置をしてもいいのじゃないかということに実はなっております。つまりほんとうにそういう場合においては、確かに情においては忍びないと思いますが、ただ母と子の場合と違って父と子の場合は、はたしてそうであるかということは非常にむずかしいのでございまして、そういうところに問題があるわけでございます。
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徳永正利#27
○徳永正利君 むずかしいといっても、長男と長女が結婚してその間にできた子供なんですから、ただ戸籍法上、昔の戸籍はそれを入れてはいかぬということで入れられなかっただけです。大してむずかしい問題ではないと思います。これも一つ前向きでやっていただきたいと思うのであります。
 それからさっきお母さんの方は問題ではない。実際自分の子供であるから云々ということですが、しかし、氏を改めたということで事実もらっておらないということは、厚生省の書類をたくさん持ってきておりますが、支給はできないと言っております。この問題は具体的に個々の問題ですからいずれお伺いに参ります。
 それからこれはごく特殊な例ですが、岐阜県の何か山の中に参りますと、三等親間の婚姻が何ら不思議なく行なわれている、これは昔からの徳川あるいはそれ以前からの長い風習でしょう。三親等間の婚姻が何ら疑念なく行なわれておった事実がたくさんある。数はそう多いわけではございませんが、岐阜の山の中なんかにはあるわけです。こういうものはこれはちょっと法律で書くという、公認というわけにも参らないかもしれぬですけれども、知恵者が知恵をしぼれば何かその事実があったという前提に立って措置ができるのではないか。この点も一つよろしく御検討をお願い申し上げておく次第でございます。
 それからいわゆる準軍属といわれておった徴用工とか学徒動員、女子挺身隊員等が昔の軍需工場などで勤務中に死亡した場合でも、その遺族には弔慰金やいわゆる半額の給与金というものが支給されるわけです。この死亡の原因が敵の使用した兵器、彼我直接の戦闘手段、敵の謀略などによる傷病及び潜水作業、危険業務というふうにちゃんと限られておる。ワクがはめられておるわけです。業務上かかった胸部疾患たとえば結核とかそれによってなくなったという者には何ら手当がない。また、そればかりではありません。作業中に手なれぬことでございますから旋盤などに手をかまれたとか、あるいはふなれの作業のために機械に巻き込まれて死んだというふうに、今日でいう職業病というふうなものはもちろん問題にされてないわけです。もう少しこの点も幅を持たせるようなお考えはございませんか、これは持たせるべきだと思うのですが。
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畠中順一#28
○政府委員(畠中順一君) 準軍属について、戦時災害という要件を廃して、業務上の災害を援護法で準軍属につきまして採用するというお話だと思いますが、この準軍属につきまして戦時災害の要件ができております理由はどういうことかと申しますと、これは一般の有給軍属につきましては、工廠に働いておる陸海軍の軍属につきましては、これはもとの陸軍軍属の戦災救恤規定というのがございまして、それによって救済しておったわけでございます。そういう一般の雇用員とそれから準軍属といたしまして徴用になった徴用工というものの間に均衡をとらなければならないということが一つございますので、戦時災害に限られたというのが第一点でございます。もう一つは、これは一般市民との関係がございまして、一般戦災者が、たとえば広島等におきましては、一般の戦災者はいわゆる戦時災害でも救済をされてないということでございますし、そこで徴用工、動員学徒等についてどれだけの範囲で対象にするかという問題になってきますが、普通の業務災害につきましては、昔でいえば工場法、今日でいえば労災法ですか、そういうものがございますので、今言った一般の雇用員との関係、それから一般の戦災者との関係を考えまして、その中間と申しますか、戦時災害のときにのみ限る、こういうようになっております。ただしかし、戦時災害の解釈といたしましては、直接に敵の空襲を受けたというようなものに限りませんで、たとえば動員学徒等が工場に動員されております場合には、技術的に非常に未熟である、仕事になれてない、それから勤務が相当過労であるというようなことから業務上の災害を受け、傷害を受けたというときには、これは戦時災害というふうにみなして相当広く法律は運用しておる事情でございます。
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徳永正利#29
○徳永正利君 いろいろ当時のことでございますから、今から昔をさかのぼってどうこういうような、当時のことはむずかしい問題もあると思いますが、この援護法というのは、何とか戦争の跡始末をこの際やろうという決意の上に立って、当時総務課長であった畠中局長はお作りになったと思う。ですからもう少しあたたかい気持でものを考えてやっていただきたいというふうにお願いをするわけなんです。ですから、必ずしも戦争に、たまが当たらなかったからとかいうのじゃなくて、もう当時の学徒なんというのは全然のずぶのしろうとがみんな工場にかり出されていったわけです。旋盤をやる人もいるし、船の舷側の高いところに乗っておる連中もありますし、それが足を踏みはずして落ちるというようなことは、今ではとてもそんな危険な業務にはつけられないわけです、相当の熟練工でなければ。それをみんなやって、そういうようなことによってけがをし、なくなった、あるいは負傷して現在にあるというようなものは、もうちょっと私は前向きな角度から御検討をいたしていただきたいと思うわけでございます。
 それから遺族年金は六十才になるまではやらぬ、子供は十八才になったらやらぬ、これは恩給法とだいぶ違うところがある。これはむしろ逆の方がほんとうだろうと思うのです。これが予算がないからまあこの辺で押えておくということであるのが大部分であろうと思うのですが、これはどうですか、もう子供も一番小さいのが十七才です。まあ十六才というのも多少いるでしょう。それからお父さん、お母さんも六十才以下というのは一体今何人くらいおりますか。
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