文教科学委員会

2001-03-29 参議院 全187発言

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会議録情報#0
平成十三年三月二十九日(木曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 三月二十九日
    辞任         補欠選任
     阿南 一成君     吉村剛太郎君
     扇  千景君     星野 朋市君
     松村 龍二君     鹿熊 安正君
     柳川 覺治君     森下 博之君
     小林  元君     岡崎トミ子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         市川 一朗君
    理 事
                亀井 郁夫君
                佐藤 泰介君
                内藤 正光君
                山下 栄一君
    委 員
                有馬 朗人君
                鹿熊 安正君
                佐藤 泰三君
                中曽根弘文君
                星野 朋市君
                水島  裕君
                森下 博之君
                柳川 覺治君
                吉村剛太郎君
                石田 美栄君
                岡崎トミ子君
                本岡 昭次君
                松 あきら君
                阿部 幸代君
                畑野 君枝君
               日下部禧代子君
                高橋紀世子君
       発議者      本岡 昭次君
       発議者      佐藤 泰介君
       発議者      阿部 幸代君
       発議者     日下部禧代子君
       発議者      高橋紀世子君
   国務大臣
       文部科学大臣   町村 信孝君
   副大臣
       文部科学副大臣  河村 建夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        巻端 俊兒君
   政府参考人
       文部科学大臣官
       房長       結城 章夫君
       文部科学省初等
       中等教育局長   矢野 重典君
       文部科学省高等
       教育局長     工藤 智規君
       文部科学省科学
       技術・学術政策
       局長       大熊 健司君
       文部科学省スポ
       ーツ・青少年局
       長        遠藤純一郎君
       文化庁次長    銭谷 眞美君
   参考人
       千葉大学教育学
       部教授      天笠  茂君
       教育評論家    長谷川 孝君
       千葉大学教育学
       部教授      三輪 定宣君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数
 の標準に関する法律等の一部を改正する法律案
 (内閣提出、衆議院送付)
○公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数
 の標準に関する法律等の一部を改正する法律案
 (本岡昭次君外四名発議)
○政府参考人の出席要求に関する件
○独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合
 センター法の一部を改正する法律案(内閣提出
 、衆議院送付)

    ─────────────
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市川一朗#1
○委員長(市川一朗君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(閣法第二〇号)及び公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(参第一五号)の両案を一括して議題といたします。
 本日は、両案の審査のため、参考人として千葉大学教育学部教授天笠茂君、教育評論家長谷川孝君及び千葉大学教育学部教授三輪定宣君の三名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、両案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の進め方でございますが、まず天笠参考人、長谷川参考人、三輪参考人の順序でそれぞれ十五分程度で御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は、意見、質疑及び答弁とも着席のままでお願いいたします。
 それでは、まず天笠参考人から御意見をお述べいただきます。天笠参考人。
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天笠茂#2
○参考人(天笠茂君) 今御紹介のありました千葉大学の天笠と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 また、本日はこのような場におきまして意見を述べる機会を与えていただきましたことを深く感謝申し上げます。また、第七次定数改善の計画の実現に向けて審議を進められております関係の皆様に心より敬意を表したいというふうに思います。
 私は、教職員配置の在り方等に関する調査研究協力者会議におきまして調査研究協力者の一員でありました立場から、提出されております政府案等につきまして、お手元に資料を配らせていただきましたが、これに基づきながら、五点にわたって意見を述べさせていただきたいというふうに思います。どうぞお手元の資料をごらんになりながらお聞きいただければというふうに思います。
 政府案につきまして、幾つか注目すべき点ということで申し上げさせていただきたいと思いますけれども、まず一つ目は、地方分権の精神を生かし、いわゆる護送船団方式からの脱却を目指している点に注目いたします。そしてまた評価すべき点というふうに思っております。学級編制における都道府県の裁量をより認める方針を打ち出したことにあります。
 すなわち、都道府県の政策判断を重視する姿勢を示し、必要と判断した場合、義務標準法で定める学級編制の標準を下回る基準を定めることができ、小学校、中学校別、小学校の低学年と中・高等学校別など、地域の実態などに応じて基準を定めることを可能にしております。これまでの学級編制については、統一基準を決めて厳格に運用を図るものでありました。これに対して、都道府県の裁量を認め、国の基準を下回る数を基準として基準を定めることを可能としております。これは、地方分権の精神を生かし、これまで維持してきた学級編制をめぐるいわゆる護送船団方式に風穴をあける措置であると理解しております。
 続きまして、第二点目ということになりますが、本政府案は明治以来の学級観、学級担任制を柱とする学校観の転換を図ろうとしている点に注目しております。この点もまた評価できるところだと思っております。
 御承知のように、学級担任制は一人の教師が一つの学級の児童生徒の教科指導及び生徒指導のすべてにわたって担当し、一義的に責任を負う教授学習システムであって、我が国の学校において教育組織の根幹をなすものであります。しかし、この学級担任制は、教科指導の専門性の低下、学級間の格差、学級王国化などの問題が生じやすいとこれまでにも指摘されてきました。本法案は、このような学級や学級担任制の改善を促しております。すなわち、学習集団と生活集団の両機能を一元的に果たしてきた学級について、学習集団については形態の多様化を図り、生活集団については学級を重視するとして、学習指導と生徒指導に機能を分化させる考え方を提起しております。
 本法案のもとになりました調査研究協力者会議の報告書は、学級の基本的な考え方を次のように述べております。すなわち、「学級は生徒指導や学校生活の場である生活集団としての機能を主とするものと位置づけ、学習集団は、学級単位で学習指導が行われる場合が多いとしても、児童生徒の状況や教科等の特性に応じて多様な学習指導の場が設定できるものであり、学級にとらわれないものとして整理することが適当である。」と、生活集団としての機能を重視し、学習集団については従来の学級にとらわれない多様な編成を求めています。
 また報告書は、学級について、学習集団と生活集団の機能を分離するとらえ方を次のように提起しております。すなわち、「一元的な学級の捉え方を見直し、今後、学級は生徒指導や学校生活の場である生活集団としての機能を主としたものとして位置付け、これまで一体のものとして含まれていた学習集団としての機能については、学級という概念にとらわれずに、より柔軟に考えることが効果的と考えられる。」と述べています。このような点からも、政府案には、学級編制の基準のあり方はもとより、学級経営のあり方や指導方法などについての改善、さらに言うならば、これからの学校のあり方にかかわる重要な内容が含まれていると思われます。
 政府案は、各学校においては教職員やその他のスタッフの協力のもとに、生活集団としての学級を離れ、必要に応じて自由に学習集団を編成できる方向を示しております。これは、特色ある学校づくりについて、教育課程の編成や教育方法の工夫を組織編制面から支えるものであり、これまでの学級担任制を柱とする学校の教育組織について固定的なイメージの転換を図るものとしてとらえることができるかと思われます。
 続きまして第三点目であります。
 ところで、学級担任制をとっている小学校では学級の壁を越える取り組みをさまざまに試みてきましたが、学級担任の学級王国意識を十分に払拭できないところがあります。そして、このことが教師間の連携協力や柔軟な学年経営や教科経営の発展を阻んできたことも否めず、この学級王国意識の克服が学校にとって古くて新しいテーマとなっております。
 今学校に求められていることは、指導体制の工夫、改善に取り組むことであります。この一環として、これまで授業に余りかかわりを持たなかった養護教諭、学校栄養職員、それに事務職員などを初めさまざまな教職員について、指導体制の一翼を担う一員としてその存在感を高めていくことが課題になっています。学校はさまざまなスタッフに支えられ、それら人々が機能することによってより教育の成果を得ることができるものと思われます。しかし、これまで学校は学級担任や教科担任を中心に組織されてきた歴史を持ち、それ以外の教職員の存在の重要性が広く認められるにはなかなか至りませんでした。
 しかし、学校はそれぞれの教職員が連携協力を図ることによって教育の成果も得られるものと思われます。さらに、多様な学習集団の編成や総合的な学習の時間の実施に当たって、校内のさまざまなスタッフの参加、協力が大きな力を発揮し、欠かせない存在になるものと思われます。一方、保護者や地域社会の人々が学校に参加する機会や場をふやし、さまざまな教育活動にかかわりを持つ開かれた学校の名において求められるとしていますが、その実権を握っているのは校内の先生方で教職員の方々であり、そのチームワークの存在であると思われます。
 いずれにしましても、今学校に求められているのはチームによる教育ではないかと思っております。お手元の資料の(3)のところになりますが、それぞれの学級担任が自分の学級を守り、その中で教育を進めていけば済むというわけにはいかなくなっております。すなわち、学級担任一人では解決困難な問題も増加しており、学級担任間、教職員間のチームワークが問われております。
 学校を取り巻く高度化、複雑化に対応するには専門職としてのチームワークが欠かせなくなっており、学年全体で指導に当たる方法や学級や学年の枠を柔軟にした教授学習組織を編成、運用する方法など、学級担任間の協力のあり方をより洗練していくことが求められております。
 お手元の資料で(4)ということになりますが、これに関連して、チームティーチングについて若干述べさせていただきます。
 チームティーチングは、授業場面において二人以上の教職員が連携協力して一人一人の子供及び集団の指導に責任を持ち展開を図る指導方法であり、組織であると思います。学級内における教師間の協力や学習形態の工夫を図るとともに、子供たちも学級にとらわれずに適宜移動して学習集団を柔軟に編成するところに、すなわち学習内容、興味、関心などに応じて、学年、学級の枠にとらわれずに適宜柔軟な学習集団の編成を可能にするところに特徴が見られます。
 このようなチームティーチングは第六次の改善計画の柱ということになっておりましたが、このような動きというのが学級担任制を取り入れてきた我が国の学校においてもようやく受け入れられつつあるんではないかというふうに受けとめております。今回、政府より提出された法案は、チームティーチングなどの指導体制の工夫改善について、さらに継承、発展を図るものと位置づけることができ、また、チームワークを学校に生み出す上で大きな効果をもたらすことが期待できるものと思っております。
 次に、四点目ということになります。
 ところで、学級の人数について述べさせていただきます。
 この点について学級規模を縮小すれば教育効果が上がるという考え方が社会に広く浸透しているように思われます。しかし、学級規模と教育効果に関する実験的、実証的な先行研究はさまざまな結論を導き出しており、適正規模が明らかにされているとは必ずしも言えない現状にあるかと思います。その意味で一義的に適正規模を求めることは難しい現状にあるかというふうに思っております。
 すなわち、従来の研究を要約すると、適正規模なるものは明確にするということは難しいということであって、教師の指導方法などの要因が大きく複雑に変動することですとか、学級規模と教育効果の関係を一律にとらえるということはなかなか困難である、こういうことを申し上げさせていただきたいというふうに思います。
 いずれにしましても、一人の学級担任が受け持つ子供の数の多少によって学校教育の教育効果を見定めようとする発想や手法だけでは限界があり、学校の抱えるさまざまな問題を解決することはなかなか現状では難しいかと思われます。その意味で、学校として複数の教師の連携協力によって教育の効果を上げていく発想と方法の開発を通して課題に迫っていくことが妥当ではないかというふうに考えております。また、学習集団を弾力的に編成できることとし、それぞれ教科や教育内容、単元などによって、一斉授業やグループ学習、学級を越えた学習集団の編成など、多様な教育活動を展開することによって成果を上げようとする考え方や方策を選び取る方が賢明な選択ではないかというふうに思っております。
 さて、五点目になりますけれども、政府案と比較して野党案の大きな特徴は、四十人ではなく三十人学級を、しかも一律に引き下げて提案しているところにその特徴があるかというふうに思います。また、その意味で、学級担任制のシステムについてはこれを維持していく立場での提案ではないかというふうに思います。したがいまして、学習集団を弾力的に図っていくという、そういう取り組みについては余り強調されなかったのではないかというふうに受けとめております。
 これに対して、学級の人数を一律に減らすということでなく、これからの教育の方向を求め、これに見合う条件整備を目指すところに政府案の特徴が見られます。すなわち、今日の学校教育、学校の組織をめぐる課題に対応したものであり、生活集団としての学級と弾力的な学習集団とを活用して新たな時代にふさわしい教育活動を創造していくことを求め、そのための制度的条件の整備を図ろうとするものというふうに受けとめております。
 以上、私の意見を述べさせていただきました。今回の政府案はこういった意味で現状の教育課題に対応するものであるというふうに私自身は受けとめております。その意味で、政府案に基づく学級編制と教職員定数の改善が実施されますことを強く期待したいというふうに思います。本委員会におかれましても、このような意見を参考にしていただき本法案の審議を行っていただければ幸いに存じます。
 どうもありがとうございました。
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市川一朗#3
○委員長(市川一朗君) ありがとうございました。
 次に、長谷川参考人にお願いいたします。長谷川参考人。
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長谷川孝#4
○参考人(長谷川孝君) 長谷川でございます。
 私は元新聞記者で現在教育評論等をやっておりますので、取材者として感じてきたことを中心に自分で授業をした経験で感じたことも踏まえて話をさせていただきたいと思っています。
 結論から言いますと、学級定員の標準を四十人に据え置いたままで教員などの加配によって対応するというやり方は、ほころびに継ぎ当てをする対策だという感が大変強い。それで、学校教育の改革のためには、学級の人員を三十人程度に抑えるということがやはり極めて大事だというふうに感じております。これは、これから挙げるような事例から実感してきたことです。私が取材で出会っている先生方というのは大変力量のある先生方ですが、そういう先生方の声などからの実感です。
 普通、演説をしたり講演をしたりするときには、どんなに聞き手が多くても聴衆は石だと思えとよく言います。ここでは票だと思えと言った方がいいのかもしれませんけれども。当然のことながら、授業においては子供や学生を石だと思うわけにはいかない、このことをどこか念頭に置いて聞いていただければいいかなと思います。票だとすれば、子供たちは個々に意思を持った主権者として教室にいるということだと思います。
 先生たちから聞いた声ですが、例えば人数が多いと、子供たちが帰った後に、あれ、きょう、あの子どんな様子だったのかなとふと思い出せないことがあると言います。これは大変困ったことなわけですね。その子の表情とか様子とか記憶に残っていれば、その日に手当てできなくても翌日フォローできる。だけれども、記憶に残っていないことがあると言うんですね。これはとても困る、また恐ろしいことだというふうに言っています。
 それから、これはある授業に出かけたときですが、理科の実験ではないんですが、実験的な授業をしていたときに、一人の子がみんながやっているのと違う方法でその実験をやっていたんですね。担任の先生は全くそれに気がついていない。後で聞いたら、本当に気がついていないんです。あの人数では無理かなというふうに思いましたけれども、もしその一人のみんなと違うやり方にその先生が気がついていれば、恐らくあの授業はもっと内容の豊かなおもしろいものになっただろうな、膨らませることができただろうなというふうに思ったことがあります。あれが何かほかの実験であれば、種類によってはそういうことに気づかないというのは安全性の問題になってくるというふうにそのときに思いました。
 それから、こういうふうに言っている先生がいました。三十数人の学級を担任していて、一人ふえると、そのときのふえた重さというか、それは一人がふえたんじゃなくて、それこそ人数が倍になったような重さを感じるというふうにあるベテランの先生が言っていました。これは授業だけじゃなくて、後のいろんな点検も含めて、一人一人に大変時間をかけて心を砕いて接しているということなんですね。ですから、その一人の重さというのが、三十数人から一人ふえるとどっと重さを感じる、これはやっぱり学級の人数の意味というものを示しているというふうに思います。
 次に、これは三十数人の一年生の学級を担任した四十代後半のある先生の例ですが、子供たちが帰った後に教室の床にしばらく横になったと言っていました。子供たちときっちりかかわろうとすれば、しかもそれが一年生であれば、どれほど体力的、精神的な負担が大きいかということを示していると思います。
 また、あるベテランの先生は、経験からいえば三十人以下が教師の立場からも子供の立場からも最もやりやすい、加配による対策は学校現場に混乱を招くこともあり、現場を知らない行政のやり方だという感じが非常に強いというふうに言っていました。また、別のベテランの先生は、やっぱり学級の人員が三十数人ぐらいまではそれほど気にしないけれども、これまでに経験した中では二十八人のクラスの人数のときがベストだったというふうに実感を語っていました。現場の先生たちの実感としては、二十七、八人が一番学級規模としては適正であるという実感が多いのではないかという気がします。
 それから、今施行中の総合学習に関して考えてみますと、現在の校舎などの施設や設備、それから図書館などの資料といったものが極めて不備です。びっくりするほど不備です。その中での取り組みということは、教師たちに大きな努力を要請せざるを得なくなっている。つまり、総合学習が少しでもうまくいくためには、教師の負担が大変大きいというふうになっていると思います。総合学習というのは、一人一人の課題とか学習の状況などをきちんと把握しながら進めていかないととんでもないマイナスになりかねない。学級の人数が多いと、こういう総合的な学習というものを取り入れた目的の実現にとってはむしろ大きな困難があるというふうに言えるような気がします。
 本気で総合的な学習を成果のあるものにしようというふうに考えるのであれば、施設、設備などの充実というのも図らなければいけないと思いますけれども、同時に学級の子供数を三十人以下に減らすということは不可欠だと思います。三十人以下にするということは、TTとかそれから専科制とかそのほかのいろんな教職員の増員の問題とは別個の問題だという気がします。
 それから、今の四十人の標準というのを会計検査院の指摘で厳格に適用するようになってから、四月の始業式の直前まで学級が決まらないとか、教師の異動が急に起こるとかというようなケースをよく聞くようになりました。これは学校現場が大変困るだけでなく、子供と保護者にとっても大変な迷惑です。子供にとっての最善よりも行政の標準を優先しているというふうに言わざるを得ない。これはやっぱり悪政じゃないかなという気がします。
 それから、私自身が小学校でも時々授業をしたりしますし、大学で授業をやるんですが、大学の授業でいいますと、四月当初、百数十人とか数十人の学生が受講します。五月の連休を過ぎるとほぼ三分の二に減ります。出席者が減ることは好ましいことじゃないんですけれども、実は正直言ってほっとします。ですから、四月にすごい人数の学生を目の前にしながら、連休が過ぎれば少し減るよなというふうにやっぱり心の中で思ってしまいます。もちろん資料の準備だとか提出物の整理などの大変さもあるんですけれども、受講生が多いということ自体の精神的、肉体的な疲れというのがやっぱりあります。これは、さっき言ったように学生を石だと思って接するわけにいかないからで、日常的に子供とかかわっている小中学校の先生たちの場合というのは、僕みたいな大学講師の立場とは比べものにならないだろうというふうに思います。
 以上のことをもう一回まとめてみますと、以前、何年か前ですが、たしかオランダで学級定員を二十人にするということが議論になって、そのときにオランダで、二十人じゃクラスの中でもってサッカーの試合もできないじゃないかという意見が出たということが話題として報道されたことがあります。議論のレベルが違うんですよね。四十人をどうするかというのと二十人じゃ困るよという話と随分レベルが違う。
 最近、ベンチャー企業の育成のためにあちこちでインキュベーターの設置なんということが広がってきていますけれども、学校教育というのは社会を受け継いでいく人たちを育てるためのまさに社会のインキュベーターなわけで、そういう意味では子供のためにもっと優先的に予算が回されていいと思いますし、破れ目を継ぎはぎするような対応というのは選ぶべきではないというふうに私は思います。
 先ほども取り上げた新指導要領の総合的な学習の時間の目的の中でも挙げられていますけれども、指導要領というのは余り読まれていないんですけれども、ここにいらっしゃる皆さんは当然指導要領をお読みだと思いますが、子供たちがみずから学ぶ力を発揮して自分の考えをプレゼンテーションできる、そういう力を育てることが求められていると思います。
 これまでの学校教育というのは、これは私が言っている物の言い方ですけれども、専ら教えられ上手の学び下手を育ててきたと言ってきました。本当に教えられたことを覚えたりするのは上手です。だけれども、自分で学ぶことが大変下手になってきている。これからは主体的に学べる子供、学び上手を育てていく必要があると思います。
 それには、日々、子供たち一人一人の様子や表情や学びの状況を教師たちがきっちりつかんでいくことが大変大事なことになってきます。その上で、例えば、きのうどうだったというふうに教師が声をかけたり、それから、けさは何か元気なかったねとかと言って声をかける、そういうフォローをするということができれば子供が救われることは大変多いと思います。特に不登校の子など、さまざまな問題を抱えている子の場合にはその意味は大変大きい。それには学級の子供数が恐らく二十七、八人であることが極めて望ましいのではないかというふうに考えています。
 以上、私が取材等で出会ってきたことから意見を申し上げました。どうもありがとうございました。
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市川一朗#5
○委員長(市川一朗君) ありがとうございました。
 次に、三輪参考人にお願いいたします。三輪参考人。
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三輪定宣#6
○参考人(三輪定宣君) 三輪でございます。よろしくお願いいたします。
 私は、二つの法案につきまして、内閣提出法案には基本的に反対、四会派提出法案には基本的に賛成の立場から意見を申し述べます。
 私は最近、学級規模等に関して幾つかの調査研究に参加いたしましたので、初めに主にそれらを踏まえて意見を申し述べます。
 まず、内閣提出法案につきましては、第一の問題は、いわゆる四十人学級基準を維持したことでございます。私どもの共同研究では、学級規模の標準は二十人程度とすべきであるという結論でございます。教育学者で組織する日本教育学会のチーム、私も含めて総勢三十三名が三年間、最近、科学研究費の交付を受けて、学校・学級の適正編制に関する総合的研究を行いまして、その総括の提言で次のように述べております。
 学級規模の標準は、二十人程度とすべきである。(中略)財政状況などの事情により標準規模を大きくする場合も、二十五人以下に設定しなければその効果は少ない。こうして初めて国際水準に到達する。なお、加配よりも学級定員の標準を一人でも下げるべきであるというのが現場教員の判断である。(中略)現在、学校教育はたくさんの問題を抱えている。これらの問題解決のかぎ的条件は、学校現場におけるゆとりの創出である。ゆとりの中心は人間関係のゆとりである。教職員配置の改善は、このゆとり創出の基本条件である。学校改革政策の最優先事項として、上の提言をまず第一に実現していただきたいということでございます。
 その基礎には、具体的な調査研究あるいは原理、歴史研究や政策予測研究とともに、最新の国際比較研究がございます。例えば、四十五カ国の初等学校四学年の学級編制基準は、二十五人以下が十三カ国、二十六から三十が九カ国、三十一から三十五人が六カ国、三十六から四十人が九カ国、そして四十一人以上が八カ国。まとめますと、三十人以下が四八・四%、約半分、三十五人以下が六二・二%で約六割であります。その根拠には、学級規模と教育効果に関する研究の蓄積があり、この報告書も内外で百三十五点の文献一覧を載せております。中でも、アメリカのグラス・スミス曲線がよく知られております。また、パーソナルスペース、つまり個人の縄張り範囲、占有空間の理論も注目されております。
 次に、四十人学級は、現場の教員や保護者、国民の要求からも遊離しております。民主教育研究所の教職員研究委員会、責任者は私ですが、二年間、学級規模と教職員定数に関する調査を行いました。その中で調査項目の一つに、あなたの望む学級規模はどのくらいですかというものの回答は、学習指導の面からでは、三十人以下が、教員八四・七%、父母八三・四%、二十五人以下がそれぞれ五三・八%、五六・六%。そして、先生と子供とのコミュニケーションの面からでは、三十人以下が、教員九一・九%、父母八八・八%、二十五人以下が、それぞれ六八・四%、六八・七%でした。
 今の教育学会の調査では、小学校教員四千六百六十三人の回答は、三十人以下が、低学年で九六・〇%、中学年で九四・一%、高学年で九一・二%、二十五人以下が、それぞれ八六・八%、六五・三%、五二・三%。要するに、教員、父母ともに八、九割が三十人以下を、そして六、七割が二十五人以下の学級を望んでおります。
 全国連合小学校長会の調査、校長七百八十五人の回答でも、適正な学級規模三十人以下が九〇・〇%です。各団体の学級規模改善目標は、教職員組合は三十人以下であり、それらの実現を求める三千万署名運動では、十年来、署名数は毎年ほぼ二千万を超えております。政党では、自民党を除いてほぼ三十人以下、自民党でも千葉県連は二十五人です。財界では、経団連が二十から三十人程度、九六年。社会生産性本部が二十人程度、九九年であります。自治体では、二〇〇一年三月現在、全国三千二百七十九自治体のうち、過去四年間に千五百七十八自治体、四八・一%が三十人以下学級を国に求める意見書を採択し、千葉県議会は全会一致で二十五人学級の要望を決議しております。三十人以下学級のコンセンサスは熟していると言えます。
 三十人以下学級の実現は、教員の年齢構成の極端な不均衡を是正し、若い教員を継続的に採用し、学校の活力を高めるためにも不可欠であります。日本教師教育学会のチームが、最近、私が研究代表となりまして、科学研究費の交付を受けて、教員の年齢構成と教職活動・教育効果に関する調査研究を行いました。
 それによりますと、現在、首都圏等の都市部では教員の年齢構成が極端に不均衡です。例えば調査時点の九七年度、小学校の場合、千葉市では二十代教員は五・二%、四十代教員は五七・七%、東葛地域、松戸市や柏市の地域ですが、二十代が二・九%で五十代が五五・一%。四年余を経過してそのアンバランスはさらに進んでいると思います。教員の年齢幅は二十二から六十歳くらい。ですから各二五%程度が均衡のとれた年齢構成ですが、現状では極端に不均衡で、子供や教員がいわば若い先生に飢えている状態で教育活動に多大の支障が生じ、教員採用・養成にも甚大な影響が及んでおります。報告書はまとめで、教員採用の前倒し、平準化などとともに、若い教員の大量不足解決のために三十人学級の緊急実施を提案しております。
 第二の問題は、四十人学級を前提とした都道府県のそれを下回る基準設定の問題です。
 地方分権や機関委任事務廃止のもとでそれは当然ですが、国庫負担金や地方交付税等の財源措置が伴っておりません。今日の自治体財政の危機的、破局的状況では、実施されても局所的、しかも自治体の財政格差は避けられず、その場合も、子供の居住地域にかかわらず行き届いた教育条件を平等に受けるという教育の機会均等に反します。現に、財政力指数、基準財政需要額に対する基準財政収入額の割合ですが、九七年から九九年度の平均は、四十七都道府県の場合で自治体数が、指数が〇・三未満が十一、〇・三から〇・五未満が十九、〇・五から一未満が十六、そして一以上はわずか一で、市町村は都道府県よりもさらに大きな格差があります。自治体の学級規模改善の努力や方針が、均等の論理で国から制約されるおそれもあります。
 今次改善ではその自然減を補うにすぎず、実質的増加ではありません。しかも、義務制、高校のそれぞれの人数も、少人数授業やあるいは教諭以外の定数改善のために法で縛られて、または行政指導で誘導されて、学級規模の基準引き下げに活用できる余地がほとんどないと思います。自治体が住民要求とのはざまで苦境に立つなど、矛盾の激化は必至だと考えます。
 第三の問題は、少人数集団指導の加配であります。
 本来、少人数教育は小中三教科だけではなくて、すべての学校、学年、教科で必要で、大きな限界がそこにあります。当面三教科でも、その加配は小学校では五年間で八千六百人、毎年千七百二十人、全国の小学校は二万三千八百六十一校ですから、毎年度七%ずつ、完了時でも三分の一の学校に一人の計算です。平均的な十二学級規模の学校、一学年二クラスでは、六学年のうち一学年だけの三教科、あるいは三学年で一教科ずつくらいしか少人数授業ができないわけであります。中学校では五年かかって各校平均一・三人程度で、三学年のうち一学年の一・五教科程度がせいぜい。高校では少人数加配は新教科の情報に限られております。第六次計画のチームティーチング等の個に応じた教育の加配で一・六万人や、授業を持たない教員の活用の一部は、学級規模基準の引き下げ、例えば一年生を三十五人学級にするとか、いわゆる境界学級、つまり一、二名の変動で学級数が変わる学級等の対応に使う余地を考慮しますと、少人数加配に多くの定数が割けません。また、TT加配は新規加配とは違う性質の定数でございます。非常勤講師の採用でもそれほど拡大は見込めないと思います。基本三教科で二十人授業といいますと、すべての学校や学年で実現するようですが、それは錯覚、幻想で、一斉に少人数学級を求める要求や必要からほど遠いものと思います。
 しかも、少人数授業が生活集団と学習集団を分離して、クラスを解体して行われることも問題であります。それは学級づくりを困難にするでしょうし、学習の効果を妨げるでしょう。また、習熟度集団に編制して行われれば、実質的には能力差別を生んで、学級崩壊を制度的に助長しかねません。少人数授業加配がいわゆるひもつきになり、学校現場の実態、必要、あるいは要求に即した適正な利用を妨げることも懸念されます。
 第四の問題は、非常勤講師の任用拡大であります。
 非常勤講師は、近年、経費節減や需給の調整要員として増加しております。いわゆる定数崩しによって正規教員定数を複数の非常勤講師に換算、分割する新制度は、経費節約等のため乱用されるおそれがあります。非常勤講師は、教職員集団の一員として教育活動を担っておりますが、総じて身分不安定、待遇は劣悪、差別的で、教員採用試験の受験勉強にも追われ、正規教員のような研修の機会もないなど、教職に十分に専念することが困難な状態であります。
 本来、教育に臨時はあってはならないものであります。就職難のもとで非常勤講師の希望者は不足しないでしょうが、その乱用は若い教員の使い捨てになり、将来の教職の土台を掘り崩すことになりかねません。非常勤講師の当面大幅な待遇改善とともに、正規採用の拡大、正規任用化などが必要だと思います。
 第五の問題は、この教職員定数の改善に教職員のオーバーワークや多忙、過労状況の改善措置を欠き、超過勤務や授業時間の軽減、権利行使などが考慮されていないことであります。
 神戸小学生殺害事件の直後、NHKが全国の教師の緊急アンケートとして、有効回答九百七十七人の結果を放映しました。九七年七月二十六日の「教育トゥデイ」でありますが、あなたは今本当にやりたい教育、納得のいく教育ができていますかという質問に対して、はいはわずか一一%でいいえが七九%でありました。八割の教師は力量が発揮されていないのです。そのいいえの理由は、ゆとりのない多忙、カリキュラムが多い、クラスの人数が多いでした。定年までもたないという教師がふえ、中途退職者の割合は九七年三月、京都府の場合で小学校七七・五、中学校六九・八%で、七、八割に上ります。教師の勤務実態を正確に調査し、その条件を抜本的に改善するという観点から教職員定数の見直しをすることが必要と思います。
 第六は、教職員定数の改善に学級や授業を担当しない、または担当の少ない教員の定数や職務の見直しがなく、教頭複数配置のような、それを拡大するような措置になっていることであります。
 最後に、四会派の提案は、公立小中学校三十人学級を十年間で完全実施することを骨格としており、基本的に賛成いたします。
 私は、二十一世紀を展望して、当面、国公私立学校の小中学校、高校の三十人学級、続いて二十五人学級、標準二十人程度を実現すべきものと考えますので、その一過程として評価いたします。三十一人以上の学級の割合は、小学校で四八・五%、中学校で八〇・六%です、資料によりますと。三十一人以上の学級の平均数を三十四人と仮定しますと、そこに在籍する児童生徒数とその割合はそれぞれ四百四十三万人、六二・七%、三百二十七万人、九六・五%という膨大な人数ですし、高校ではほとんどが三十一人学級であります。今回の措置はこの実態を放置したことになります。
 教育基本法は、個人の尊厳、人格の完成を教育目的の根幹に据えまして、そのための教育条件整備を政府の責務として規定しております。一人一人の子供を人間として大切にし、それぞれの人間的可能性を最大限開花させることは、教育への権利の保障であるとともに、極端な少子化のもとで日本社会の将来の発展を左右する大きな課題だと思います。教育条件の根幹として学級規模の改善、二十人程度の少人数学級の実現が望まれるわけであります。
 公教育の対GNP比は、八一年度から九八年度の間に五・七七%から四・七六%に低下しております。九八年度のGNPが五百四兆円ですから、一年度だけでも五兆円が削減された計算です。その水準を幾らか復元すれば、三十人学級実現の経費、推定約一・五兆円程度は確保されます。
 また、国際比較で公教育費の対GDP比は、OECD二十九カ国中、日本はワースト二、最低から二番目で、OECD平均の七一%にとどまります。これはOECDのエデュケーション・アト・ア・グランス、教育一覧の二〇〇〇年版からでありますが、このように教育財政の立ちおくれが教育条件の深刻な停滞を招いていることは明らかであります。
 学級規模の推移に照らして、近年の少子化はその飛躍的改善の絶好のチャンスであったと思います。大型土木事業や銀行救済など約何十兆円もの公的資金が投入されるのに比べますと、一兆円程度を教育費に振り分けることは決して不可能ではなく、要は政策選択の問題だと思います。
 子供たちは私たちの未来であり、教育費は未来をつくる真に公共的な費用です。最高の公共事業とも言うべき教育に財政の重点を転換させ、国の総力を挙げて三十人学級達成を急ぐことは、日本の未来にかかわる重大な課題と考えます。
 政党会派を超えて、本委員会の議員各位が結束し、牽引車となって、三十人学級実現に向けて御奮闘くださることをお願いし、私の意見陳述といたします。
 ちょっと時間をオーバーいたしまして、大変失礼いたしました。
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市川一朗#7
○委員長(市川一朗君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 なお、各参考人にお願いを申し上げます。
 御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願いいたします。
 また、時間が限られておりますので、恐縮でございますが、できるだけ簡潔におまとめいただきます。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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亀井郁夫#8
○亀井郁夫君 自由民主党の亀井でございます。
 きょうは、先生方にはお忙しい中おいでいただきまして、貴重な御意見をちょうだいいたしましたことを心からお礼申し上げたいと思います。
 私は、申すまでもなく、最近の学級崩壊等大変教育の現場が荒れているわけでございますけれども、そういう状況の中で、二十一世紀最初のこの国会で、教育国会として教育関係について幾つかの法案が出されておるわけでございまして、そういう意味では、この標準法は学校の先生の数を決める等、骨格を決める非常に重要な法案でもあるわけでございますけれども、これについていろいろとお話をちょうだいしたわけでございます。
 特に、今は四十人学級でございますけれども、これを三十人にすべきだ、二十五人にすべきだというお話がいろいろあったわけでございます。日本の場合、調べてみますと、確かに四十人を限度とするという形でございますけれども、実際に一学級当たりの生徒の数というのは、小学校では二十七人、中学では三十二人です。イギリスなんかでも二十七・六人ということで、そんなにむちゃくちゃに離れているものではありませんし、また教員一人当たりの児童生徒数を調べてみますと、日本の小学校では十九・二人、中学校では十六・四人、高校では十四・六人という形で、アメリカの小中の十八・六人あるいは中等学校の十四・二人、こういうのに比べましてもそう差がないわけでございます。
 そういう意味では、さらにまた今度生徒が減る分に見合う教師の減少を、減らさないでふやしていってやろうというのが今度の案でございますけれども、事実を考えますと、やっぱり先生の数ということもさることながら、指導体制がこれでいいのかということだろうと私は思うわけで、そういう意味では、今度は生活集団であるクラスと学習集団と分けて、それについて考えていこうということで、生活集団のクラスは四十名に置いても、学習集団については弾力的に編成していこうということで、そういう意味では二十人授業も実現しようという形で考えられているのが今回の法案だと思うんですけれども、こういう点についてお尋ねしたいと思うんです。
 私は、こういった問題以前にぜひ先生方にお尋ねしたいと思うのは、学校の教育風土の問題なんです。教育風土の問題について考えてみますと、戦後の教育で個人の尊厳ということが非常に大事にされたと。確かにこれは大事なことで、すばらしいことでありますけれども、反面、生徒と先生というのが平等ということで、先生に対する尊厳というものが、尊敬というものがなくなってしまったことに大きな問題があるんじゃないかなと私は思うわけでありまして、そういった教育風土がやはり学級崩壊等を招いているんじゃないかなという思いもするわけでございます。
 古いかもしれませんが、私たちは三歩下がって師の影を踏まずという形で先生は尊敬するものだといって教えられ、尊敬してまいりましたし、卒業式には仰げばとうとし我が師の恩という歌を歌ったんですが、最近ではそういう歌を歌う学校は全くないようでございます。
 また、よく教壇に立つと言いますけれども、先生が教壇に立って我々は教えてもらったんですが、今では先生と生徒が平等だという考え方なんでしょうね、教壇のある教室は全く見当たらないのが実態でございまして、そういう意味では先生が子供の目で視線を低くして見られるということは非常に大事なことではございますけれども、しかし教える立場、教えられる立場、それぞれの立場をしっかり先生も子供も理解し合って、そして教える人の心、教えられる人の心というものを見詰めていく、そこの中で結ばれた現場というものができていかなきゃいけないんじゃないかと思うんですけれども、そういう意味では教育風土が非常に問題だろうと思うんですね。
 もう一つ教育風土の問題については、学校の現場では先生方は、新米の先生でもベテランの先生でも平等だということでお互いに上下関係はない、もちろん権力関係の上下関係はないんですが、それ以外の方の非権力的な関係についても上下関係はなくて、そういう意味では主任制ももちろん定着しておりませんし、非管理組織となってしまっているという状況の中で、先生は自分の担任のクラスに閉じこもって、そこで王国を築きやすくなっているという、これも実態ですし、先生が相互に研さんし合うというふうな場面もなかなか少なくなってきておるわけでございますけれども、そういう意味ではこうした教育風土を変えなきゃならぬのじゃないかなと。もちろん、数を減すことも大事なんですけれども、それ以上にそういうことが私は大事ではないかなと思うんです。
 きょうは教育学部の先生がお二人と評論家の先生がおられますので、こういう教育風土の問題についてちょっとお教えいただければと思うんですが、ひとつよろしくお願いいたします。
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天笠茂#9
○参考人(天笠茂君) 私、教育学関係の幾つかの学会に属しておりますけれども、その一つに教育経営学会という学会があります。そこでは、今のお話のようなことについて関心を持った、制度ですとか経営ですとか、そういう研究者グループがおりまして、そこの一つの関心事が、今教育風土とおっしゃいましたけれども、組織文化という言葉で、学校の中のまさに風土ですとか先生方の規範意識ですとか価値観ですとか、あるいは行動様式ですとか、そういうものを突き詰めていこうという、こんな関心を持った集団がおります。
 その中で、組織というのは御承知のようにいろんな仕組みですとか、そういう紙の上で書くこともできる側面もありますけれども、もう一つはそこの先生方を動かしているいわゆる組織文化、教育風土の重要性というのがありまして、そのところをどうつくっていくのか、どう動かしていくのかということが大きなテーマになっていて、どちらかというと、これまでずっとそのあたりのところは温存したような形でここまで来て、改めてこれからの教育を考えるときには、仕組みもさることながら、そういった教育組織文化、教育風土のあり方、それをいわゆる開かれたとか外へ向けてとかという、そういう言葉で新しい姿をつくり出していくべきではないか、こういう意見がありまして、私は基本的にその考え方に賛同している一人であります。
 以上です。
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長谷川孝#10
○参考人(長谷川孝君) 先生への尊敬ということなんですが、制度として先に先生を尊敬しなさいということは成り立たないと思います。
 今お話を伺いながら僕がぽっと思い浮かべた言葉は同行という言葉ですが、同行というのは、弘法大師が同行二人というときのあの同行ですね。きちんと同行してくれる先生は、子供はわかります。同行してくれている先生を尊敬しない子供はいないと思います。何か頭から制度として尊敬しろと言ってもそれは無理なことで、やっぱり先生たちがいかに子供たちと一緒にいられるか、子供たちの声を、また心の叫びをきちんと聞き取れるかという条件ができてくる中で先生を尊敬するということが出てくるんだろうというふうに思います。
 それから、最初に学級崩壊という話がありましたが、学級崩壊も何か子供のせいと先生の力量のせいに全部されていますけれども、先日僕は、昨年度学級崩壊したという学年の子たちに授業をしてきたんですが、はきはきととってもすばらしい子たちでした。つまり、あのすばらしい子たちを反乱させるものは何かということを考えないと学級崩壊を見る見方がちょっと間違ってくるんじゃないかなというふうに僕は思います。
 そういう意味でも、学級定員を減らす、それから先生と子供がもっと人間対人間でかかわれるようにするという条件をつくっていくことが必要だし、子供たちが望んでいることじゃないかなというふうに私は考えております。
 以上です。
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三輪定宣#11
○参考人(三輪定宣君) 子供の心を本当によく理解してくれる先生に対して、子供たちも尊敬し、あるいは信頼をするのだと思います。子供と教師の心の溝が今開いているかもしれません。それだけに、一層そういう実践、取り組みが必要なのではないかと思います。また、子供たちを本当に大事にしてくれる先生に対して、父母もまた尊敬をするんだろうと思います。
 今、それを困難にすることの一つとして、チームワークが非常に難しい、連帯が難しいということがあると思います。一九六〇年ころ、四十年ほど前には、教職員組合もほとんど一〇〇%でした。ところが、現在では五〇%程度に下がっておりますし、教職員同士がお互いに協力をするという環境が学校の中で失われているのではないか。そのことが、一人一人の子供に対してもばらばらな教育をやったりちぐはぐな方針で臨んだりということがあって、子供からも父母からも次第に離れていっているというふうな気がいたします。
 また、もう一つは、やはり教職員が非常に多忙で、なかなか十分に子供と触れ合ったり父母と話し合ったり、あるいは研修をしたりという条件が足りないように思います。その部分をもっとゆとりが持てるように改善をしていくということが、教職員のすぐれた可能性を発揮させる大変大事な行政側の、政府の側のやはりサポートのあり方だというふうに思います。
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亀井郁夫#12
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 それでは、時間もございませんので一点だけ長谷川先生にちょっとお尋ねしたいと思うんですけれども、先生はクラスの人間を減すことが、数を減すことが大事だと、確かに減った方がいいだろうと思うんですけれども。
 ただ、野党案では十年間で三十人学級にするということで、これには約十九万人の先生を採用しなきゃいけない、その費用は国費四兆四千億、地方四兆四千億です。大変な金がかかるわけでありますが、そうした中で政府案というのは、現在の数を維持していく、結果的には二万六千九百人の数をふやすことになるんですけれども、そういう形の中でやりながら二十人授業を実現していこうという形で、できるだけ子供たちに合った格好で先生のやり方というものを、授業のやり方というものを変えていくことによって、子供たちとの接点をふやし子供たちの要求も満たしていこうという考え方で、これ基本的に成っているわけですね。だから、クラス編制等についてもかなり弾力的にできるような形に今度法案はなっているんですけれども、こういうことについて、先生、どのようにお考えでしょうか。
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長谷川孝#13
○参考人(長谷川孝君) 基本的に、クラスの人数を減らしていくという方向性をまず立てることが大事だと僕は思っています。
 先日もある親が、もう一人いれば学級が三つに割れる、何とかふやしてほしい、三つにしてほしいというふうに校長先生に話をしたら、実はねお母さん、一人ふえたために学級が一つふえると一年間に千五百万かかるんですよと言われて、だめだと言われたそうです。だけれども、千五百万というお金がそれほど大きいお金でしょうか。僕は、子供に投資するという意味ではもっとそこを思い切って考えていいんじゃないかと思っているんですけれども。
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亀井郁夫#14
○亀井郁夫君 今の点で、ちょっと誤解されている点があるように思いました。
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石田美栄#15
○石田美栄君 民主党・新緑風会の石田美栄でございます。参考人の方々に質問させていただきます。
 まず天笠参考人なんですが、私も民主党におりまして、三十人学級についてはもう今度で三度目の提案をさせていただいている立場なので、ちょっと最初に誤解を解いておきたいと思います。
 一律の引き下げを提案しているということで、学級担任制のシステムについて、これを維持していく立場に立っての提案というふうなことを言われていますけれども、私たちが提案していますのは標準を三十人で教員を配置するということであって、弾力的な運用というのは最も主張しているところですし、さまざまなクラスの形態、そういうことも含めての案でございますので、その点の誤解はまず解いておいていただきたいというふうに思います。
 先生のお話の中で、確かに学者でいらっしゃいますから机上の話としてはもう全部そのとおりで、私も賛成ですし、教育の分権、都道府県の裁量を認めるという、こういう方向もいいことでありますし、いわゆる学級担任制から学習集団ですか、こういう今回の政府案の方にかかわることですけれども、一つ一つの、このペーパーを読ませていただいても、お話を聞いても全く賛成なんですが、問題は、現実がそうなっていないというところに非常に問題があるわけで、その点についてお伺いしたいと思うのです。
 「必要に応じて自由に学習集団を編成できる方向」とか、それから「見合う条件整備をめざすところに政府案の特徴が認められる。」と、「学習集団を弾力的に編成し、多様な教育活動を展開することによって」と、幾つか言葉を使わせていただくと、現実が本当にそうできるようになっているのだったら非常にいいのですが、先ほどからも議論にありますように、三十人クラスを基本にいろんな運用をしていくという案では十九万人も先生をふやさなくちゃいけない、お金が一兆円もかかるという話が出ていて、それはできない。だけれども、今、政府案のように来年度は二十二億円で四千五百人先生をふやして、そして二十人のクラスが実現するという、こんな夢みたいなことが実現するわけがないので、こういうところについて天笠先生はどのように認識していらっしゃいますでしょうか。
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天笠茂#16
○参考人(天笠茂君) 今二つ御質問があったかというふうに私は受けとめましたけれども、一つは、そういう柔軟な学習集団の編成が本当に現実に即してのものなのかという御質問と、もう一つは二十人のサイズというんでしょうか、それをどんなふうに考えるのかという、これがあったかと思うんです。
 後の方についてなんですけれども、二十人学級ではなくて二十人を一つの規模とする学習、例えば算数ですとか理科ですとか、そういう教科の授業を行うに際して二十人の子供のサイズというんでしょうか、ということで行うというふうに私は学習集団というのを理解しております。ですから、常に二十人が固定的にというふうなことではなくて、教科の内容ですとか単元に応じて適宜二十人のサイズのものも生まれるというふうに理解したいと思います。
 それから、一点目についてなんですけれども、果たしてそういうふうに学習集団と学級とが適宜うまくいくかということについてなんですけれども、私はこんなふうに理解しております。
 これまで行ってきた第六次の定数改善の一つの柱に先ほど申し上げましたようにチームティーチングということがあったかと思うんですけれども、この導入の当初は、さすがに学校現場も非常に戸惑いがあったりですとか、先生方お一人お一人に戸惑いがあった。言うならば、長く学級担任制でやってきましたから。
 ということですけれども、私が見ていますと、大分そのあたりのところに学校も手なれてきたというんでしょうか、TTを自分ものにかなりしてきているんじゃないか。それは、ただ単に先生方だけじゃなくて、子供たちも、TTによって授業を進めていくやり方というのを子供が習熟するようになってきているというのが一つ注目すべき点ではないかと思います。言うならば、子供が一つの学級に入って一日ずっといすに座って授業を受けるというスタイルから、必要に応じて適宜教室を越えていったりですとか、そこで学習をつくっていったりと、こういう姿というのが随分TTの導入によって見えるようになってきたわけです。
 ですから、そういう点では私は、今回の第七次というのは第六次をさらに充実させるものの一つの取り組みとして提案されているんではないか、こんな理解の仕方をしております。ですから、そういう点では、全くそれによってできないものが提案されているんではないかというふうには私は理解はしておりませんです。
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石田美栄#17
○石田美栄君 天笠参考人と私とが議論ばかりしても本当はいけないんですが、参考人のおっしゃっていること、全く異論はございません。しかし、現実にそれだけの先生が配置されていないんですね。というのが、先ほど平均の話も出ましたけれども、確かに子供たちが非常に少ない学校、過疎地とかそういうところというのはもっと合併して、ある集団がないと子供たちにも不幸だというふうに思います。
 だから、平均を言うと、私なんか頭にあるのは、自分の地域、実際今孫が四年生ですけれども、小学校に入ったときから三十九人から四十人のクラスが四つ、五つとあって、中学の入学式や卒業式に行きますと、私の地域では、卒業式、八クラスから九クラスあって、それが全部三十九人から四十人のクラスで、一人の先生がわっと連れて出ていく。
 それを見ていて、じゃこの春、今回の改正でどれだけの変化が起こるかというと、恐らく、岡山県なんですが、中学一年生に集中しますから、小学校なんかは何ら現実は変わらないと思いますし、中学に一人先生が多く来たとしても、現実はそうならないということが頭にしっかりあるものですから、例えば天笠参考人がおっしゃっている、総合学習の時間の実施に当たって校内のさまざまなスタッフの参加協力が、これも非常にいいことだと思う。例えば、図書館を使う授業を考えますと、じゃ図書館に学校司書がいるかというと、いないわけですね。だから、現実に何にもできない。それから、養護の先生も、小学校で四学級あるとすれば、四、六、二十四学級あって、総合学習をやって養護の先生が一人はいて、本当にかかわることはいいことなんですが、それだけの人員がいない現実があるということが頭にあるものですからこういう議論をさせていただいているわけです。
 ですから、先ほどから教育効果の話も随分出るんですが、私はいつも思うんですが、調査研究はいろいろあるわけですね。私も教員経験三十年以上ありますから、英語の授業なんというのは人数が少ないほど学習効果が上がるのはもう当然です。一対一ですればどんな子だって英語ができるようにしてあげることはできるという実感もあるのに、実体験もあるのに、加えてそういうデータもある程度あるのに、この国は、事公共事業なんかについては、どうですか、どれだけの調査があって効果があってそれをやっているか。結果としてはむだなもの、失敗がいっぱいあって、それに物すごいお金をかけているわけですね。ところが、教育となってくるとどうしてみんな、教育者も含めて、教育効果が確実でない、明確でない、政府も含めて、どうしてこんなにこのことだけ明確性を求めるのか。少人数でいろんな問題ありなら、私はそのことに非常に憤りというか、感じております。そういう点についても、天笠参考人に集中していけないんですが、御意見を伺いたいと思います。
 それから、小学校の低学年ですね。特に一年生とかいうところは学級担任制とこの教科学習集団、そういうあたりのことは小学校一年生と中学生なんか一律には言えないと思うんですけれども、ちょっと質問がはっきりしませんが、やっぱり教育に非常に影響力の多いお立場にいらっしゃいますので、少し御意見を伺いたいと思います。
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天笠茂#18
○参考人(天笠茂君) 今のお話の中に小規模の学校というふうなことも少し触れていたかと思うんですけれども、確かにTTの学校対応を見ていますと、一定の規模を持った学校が先ほど申し上げたような動きがかなり出てきたんですけれども、ところが大変小さな規模あたりのところというのは、そういう規模の学校に比べると動きが鈍いかなというふうに私も理解しております。そういう点では、これからそういう規模の小さな学校がどういうふうに内部組織をより活力あるような形で出していくのかということについては課題があるのではないかと、そんなふうに思っております。
 以上です。
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石田美栄#19
○石田美栄君 そうですね、今の財政的なことについては参考人の先生方に余り議論を吹っかけても、そういうお立場にいらっしゃらないわけで無理かと思いますが。
 次、長谷川参考人にお伺いいたします。
 総合学習とそれからクラス規模、今の教職員の配置、定数の現状とで問題提起されましたけれども、これから奉仕活動といったものも入ってまいります。私も子供たちを、総合学習もそうですが、学校外に連れて出るということになると、今のような学校の現状、特に大規模の子供の多い学校では先生は一体どうするんだろうというふうに思います、準備を。私も学生を外に連れて出るときには非常に準備が大変ですし、そのことの調査、企画、いろんな安全も含めて考えなくちゃいけない。特に奉仕活動なんかもう入ってまいります。そういう点で、今までの現場での調査等々を含めてもう少し御意見を伺えたらと思います。
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長谷川孝#20
○参考人(長谷川孝君) 総合学習、僕が取材した幾つかの場合でいえば、学級の座席表に近いものですけれども、全部の個人について、この子は今どういう課題をやっていて、どこで困っていて、どこでつまずいていてとか、何を思っていてとかということを一人一人全員、座席表のような形でつくっている学校が幾つかありました。これ、大変な作業ですね。
 ある学校で学校長が、今まではまとめてバスでばっとどこかへ連れていっていたのを、子供たちが自宅からじかに社会見学の場所までグループで行くようにしようじゃないかと提案したら、先生方全員が反対しました。要するに、責任が持てないと言うんですね。校長が説得して、私が責任を持つと言って実施しました。グループで行った子供たちは先生たちがびっくりするぐらいきちんとできていました。
 これはやっぱり人数が多いと、どうしても先生たちはちょっと待ってくれと言うようになっていくだろうなという気がしますね。もちろん、グループに分けるわけですから、子供たちに安心して任せて大丈夫なんですけれども、先生たちが子供たちに任せて大丈夫だよというふうな気持ちになれる環境があるかどうかということも僕はすごく大きいんだろうと思います。
 そういう意味で、日常的に子供たちと先生とがもっと密に関係をつくれるような、そういう環境をつくってやらないと、総合的学習というのは失敗しかねないというふうに僕は心配しています。多くの学校で何かそういうおそれを感じさせる現実があるような気がします。
 そんなことでよろしいでしょうか。
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松あきら#21
○松あきら君 本日は三人の先生方、本当にお忙しいところをありがとうございます。
 公明党の松あきらでございます。
 私も基本的には子供たちの人数が多いよりは少ない方がいいという個人的な意見を持っております。やはり、一人一人の生徒に目を向けることが非常に大事であるという意見を持っております。
 しかし、今までこの四十人学級ということである程度固定化をされておりました。今回のこの法案の大きな特徴は本当に弾力化なんですね。これを認めたということが非常に大きいというふうに思っております。今までは都道府県の裁量というのを本当に認めていなかったというか、文部省はそうではないと言うかもしれませんけれども、現実的には認めないと。これを今回は下回る数を基準として、その基準を定めることを可能としている、地方分権の精神を生かしているという、私は大きな特徴があるというふうに思います。もちろん、石田先生もおっしゃったような現実はあるかと思いますけれども、私はまずこれを文部省が打ち出したということは非常に大きな画期的なことではないかというふうに思っている次第でございます。
 今、先生は、もちろん皆さん努力をしてくださっておりますけれども、問題の教師も多いというふうに指摘をされているところでございます。昨今、新聞などでも随分取り上げられておりますけれども、特に四十代、五十代、大体平均すると教師になって十年くらいたつと一つの壁があるのではないか、こういうふうに言われているそうでございます。
 これは、新卒で教師になると、もうそこで先生という地位があって、そして普通の学生ですと、新卒で就職をしますと、そこから自分の能力なりいろいろなところで評価を受けて、だんだん自分の地位が上がっていったり、あるいは年収が上がっていったりと、さまざまなことが起こってくるわけですけれども、先生は大変な御努力を強いられるにもかかわらず、例えば十年たって先生というその地位は変わらず、あるいは年収ということをとってもそれほどのあれはない。一生懸命やっていらっしゃる先生、あるいはもしかして自分よりは努力していないと思われる先生でも評価が余り変わらないのではないか。このようなところで、十年ぐらいたつとさまざまなそういう諸問題にぶち当たってくるのではないかな。そこで、やる気がある先生もだんだんやる気がなくなってきてしまったりする、こういう問題が起きるのかなというふうに思うわけでございます。
 例えば、アメリカの大学などでは、これは全大学学生が評価を全部つけております。東京都などでも勤務評定制度を五段階で実施しているわけでございますけれども、この先生の評価という点につきまして、三人の参考人の先生に御感想を伺いたいと思います。
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天笠茂#22
○参考人(天笠茂君) 今のお話に直接お答えできるかどうかわかりませんけれども、とかく先生方に対するお話のような周囲の目というのは非常に厳しいものがあって、そして先生方に対する今のような評価というんでしょうか、それをよりシビアにしていこうという主張、またその具体的な動きというのがあるかと思います。それは社会全体のそういう一つの考え方、見方のあらわれというふうな受けとめ方が一方においてできるかと思うんです。また、それなりに受けとめていかなければいけない点というのは私はあるかと思っております。
 それと同時に、もう一つは、先生方の今の教職員集団に占める割合というのは、四十代、五十代の先生方の占める割合というのはかなり大きいわけで、この先生方にやはりその気になってお仕事をしていただくということもまた非常に大切なことではないかというふうに思っております。そういう点では、四十代の先生、五十代の先生が、今いろいろ言われているけれども、さらにやる気になっていく、やっていただくというふうな手当て、手だてということとあわせて考えていく必要が私はあるのではないかというふうに思っております。
 そういう側面がないと、シビアな形だけでさあやれこうやれというふうな形で詰めていくというやり方は必ずしも私は適切ではないんじゃないか、そういうふうに思っております。ですから、そういう意味では、両面があっての迫り方というのは必要ではないかとこんなふうに考えます。
 以上です。
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長谷川孝#23
○参考人(長谷川孝君) 先生の評価ということですが、地域に開かれた学校をつくるという中で工夫していかないといけないなというふうには思っています。それから、子供たちによる評価ということも当然その中でもって考えられていいことだと思います。
 ただ、実際にいろんな先生とつき合ってみますと、いい先生だなと思う先生というのは十分に子供の評価にさらされていると思います。もっと言えば、子供たちに励まされたり育てられたりしてきた先生が実はいい先生なんですよね。そういう意味では、先生というのはシステム的な評価の前に実は子供たちの評価にさらされている、そのことが甘受できる、受けとめることができる先生というのはいい先生に育っていくんだと思います。
 そのときに、実は職場というのがとても大事で、一九八〇年代ごろから職場ががたがたになったと思います。先生たちが協力して助け合っていく体制というのが職場にないと先生たちは育たないということがあると思いますし、組織的な評価ということだけでもって論じてはいけないかなというふうには思っています。
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三輪定宣#24
○参考人(三輪定宣君) 私は、教育というのは非常に測定が困難だという特徴、本質を持っていると思います。それだけに、一番いいのは、やはり日常触れ合う子供たちとか親たちといろんな意見を聞きながら、それを日常の教育実践に生かし、自分の足りないところを反省したり高めていくという関係が豊かに保障されることが一番重要ではないかと思います。
 これに対して、行政当局が上から一方的に教員評価をやりますと、どうしても先生の間に上中下というふうなランクをつけてせっかくの教師の集団をばらばらにし、そして競争を持ち込んで、上に向かって一生懸命努力するというふうな形になってしまいますので、そうすると先生の目も自然と、子供よりは、父母よりは、上を見るということになって、相互の溝がだんだん深まっていくんではないかというふうに思います。
 ですから、本当に豊かな子供と教師の触れ合いが大事にできるような、自由で自主的な権限をもっと教師が行使できるように、そして仲間や父母とも共同で仕事ができるように、そしてそういうことができるような教育条件を、勤務条件を整備するということが大事で、私は、四十人を三十人に下げるというのは、そういう意味の教師の勤務条件を抜本的に変えると、そして本当に対話をしながら、子供たちの評価を受けとめながら実践ができるような仕組みづくりにつながっていくのではないかというふうに思います。
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松あきら#25
○松あきら君 三輪先生にお尋ねいたしますけれども、八〇%の先生が雑用が多いから力が発揮できないというふうに先ほどおっしゃっておられたと思います。やはり勤務実態を調査すべきというふうにおっしゃっておりましたけれども、四十人でなくて三十人学級であればどの程度それが解消されるというふうにお思いでしょうか。
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三輪定宣#26
○参考人(三輪定宣君) そうですね、やはり先生一人当たりの子供の人数が減ります。そうしますと、当然それだけ一人当たりの指導時間がふえてまいります。そうすれば、そのことが学力、人格面での効果に確実につながっていきますから、一番明確なことではないかと思いますね。
 だから、定量的には簡単には申せませんけれども、四十が三十になるということは、その分だけやはり先生たちの負担が軽減をされて、教育に専念できる条件がそれだけ広がるんだというふうに考えていただいてよろしいと思います。これについてのいろんな基礎的な調査がございますが、ちょっと時間の関係で紹介をすることは省きますけれども。
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松あきら#27
○松あきら君 授業時間と教科内容を削減することが日本の子供たちの学力を低下させるかもしれない、こういう心配もあるわけでございます。
 今、学ぶ力を育てることが大切だと長谷川先生もおっしゃいましたけれども、この学ぶ力が弱くなっているのかなというのは、例えば反復学習が足りないというのも言われているんですね。つまり、家で漢字とか計算問題を復習させても、なかなか子供たちが理解していないので詰まることが多いと、こういう親御さんの指摘もあるわけでございます。この学ぶ力、学び上手、こういうふうにするためにはどうしたらいいか、あるいは削減するということに対して、お三人の先生一言ずつ、時間がないんですけれども、御意見を伺いたいと思います。
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天笠茂#28
○参考人(天笠茂君) 今の中にあった反復するというのは、いわゆるスリー・アールズというふうに言われてきている部分にかなり重なるんではないかと、読み、書き、そろばんという部分だと思うんですけれども、私はこの点については、学校の持っている力というのを信じております。もう学校にはさまざまなノウハウがありますし、それなりにこれまでも取り組んできたというふうに思います。確かに現在のいろんな教育論調の中ではそちらの方に光が当たっていないところもあったかと思うんですが、この間の、そのあたりのところはもう一度改めてその面についての適切な対応ということを学校に求めたと思いますので、先生方はしっかりとそれを受けとめるということを私はされるんではないかと、そんなふうに思っております。
 その上で、私は、今子供たちが抱えている課題というのはここの部分ではないんじゃないか、もっといわゆる生きる力とか生活する力とか、こういうところが相まって反復するその部分というのが意味があるわけで、ですからそういう生きる力というのを切り離された形で反復練習を積み重ねるということだけでは、今子供たちが抱えているあるいは学校が抱えている課題に迫れないんではないかと、こんなふうに認識しております。
 以上です。
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長谷川孝#29
○参考人(長谷川孝君) まず反復のことですが、確かに反復も必要な部分があるかもしれませんけれども、実は今問われているのは、それは例えば反復して身につけた知識や技能を活用できる力があるかどうかだと思うんです。それが落ちているというふうに言えるんじゃないかなと思います。
 それからもう一つは、与えられた問いに答えるという形の学習は幾らやっても自主的な学習力は育たない。やっぱり自分の中に自分の問いを持つ、自分の問いに自分で答えを探していく、また自問自答できるということがとても大事で、これは実は時間がかかる。そういう意味でも、学校がゆったりしてこないと無理だなという気がしています。
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