憲法調査会
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会
会議録情報#0
平成十二年五月十一日(木曜日)
午前十時開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 愛知 和男君 幹事 杉浦 正健君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 仙谷 由人君 幹事 平田 米男君
幹事 佐々木陸海君
安倍 晋三君 石川 要三君
石破 茂君 奥田 幹生君
奥野 誠亮君 久間 章生君
小泉純一郎君 左藤 恵君
七条 明君 白川 勝彦君
田中眞紀子君 高市 早苗君
中曽根康弘君 平沼 赳夫君
船田 元君 穂積 良行君
三塚 博君 村岡 兼造君
森山 眞弓君 柳沢 伯夫君
山崎 拓君 横内 正明君
石井 一君 石毛えい子君
岩國 哲人君 枝野 幸男君
佐々木秀典君 島 聡君
中野 寛成君 藤村 修君
前原 誠司君 石田 勝之君
太田 昭宏君 倉田 栄喜君
春名 直章君 東中 光雄君
安倍 基雄君 中村 鋭一君
西田 猛君 達増 拓也君
二見 伸明君 伊藤 茂君
深田 肇君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
委員の異動
五月十一日
辞任 補欠選任
衛藤 晟一君 安倍 晋三君
森山 眞弓君 七条 明君
枝野 幸男君 前原 誠司君
畑 英次郎君 石井 一君
藤村 修君 岩國 哲人君
横路 孝弘君 佐々木秀典君
志位 和夫君 春名 直章君
安倍 基雄君 西田 猛君
同日
辞任 補欠選任
安倍 晋三君 衛藤 晟一君
七条 明君 森山 眞弓君
石井 一君 畑 英次郎君
岩國 哲人君 藤村 修君
佐々木秀典君 横路 孝弘君
前原 誠司君 枝野 幸男君
春名 直章君 志位 和夫君
西田 猛君 安倍 基雄君
—————————————
本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(日本国憲法の制定経緯)
午前十時開議
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 愛知 和男君 幹事 杉浦 正健君
幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君
幹事 保岡 興治君 幹事 鹿野 道彦君
幹事 仙谷 由人君 幹事 平田 米男君
幹事 佐々木陸海君
安倍 晋三君 石川 要三君
石破 茂君 奥田 幹生君
奥野 誠亮君 久間 章生君
小泉純一郎君 左藤 恵君
七条 明君 白川 勝彦君
田中眞紀子君 高市 早苗君
中曽根康弘君 平沼 赳夫君
船田 元君 穂積 良行君
三塚 博君 村岡 兼造君
森山 眞弓君 柳沢 伯夫君
山崎 拓君 横内 正明君
石井 一君 石毛えい子君
岩國 哲人君 枝野 幸男君
佐々木秀典君 島 聡君
中野 寛成君 藤村 修君
前原 誠司君 石田 勝之君
太田 昭宏君 倉田 栄喜君
春名 直章君 東中 光雄君
安倍 基雄君 中村 鋭一君
西田 猛君 達増 拓也君
二見 伸明君 伊藤 茂君
深田 肇君
…………………………………
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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委員の異動
五月十一日
辞任 補欠選任
衛藤 晟一君 安倍 晋三君
森山 眞弓君 七条 明君
枝野 幸男君 前原 誠司君
畑 英次郎君 石井 一君
藤村 修君 岩國 哲人君
横路 孝弘君 佐々木秀典君
志位 和夫君 春名 直章君
安倍 基雄君 西田 猛君
同日
辞任 補欠選任
安倍 晋三君 衛藤 晟一君
七条 明君 森山 眞弓君
石井 一君 畑 英次郎君
岩國 哲人君 藤村 修君
佐々木秀典君 横路 孝弘君
前原 誠司君 枝野 幸男君
春名 直章君 志位 和夫君
西田 猛君 安倍 基雄君
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本日の会議に付した案件
日本国憲法に関する件(日本国憲法の制定経緯)
午前十時開議
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
この際、五月三日の憲法記念日に向けての論文募集の結果について御報告を申し上げます。
去る四月六日の憲法調査会において委員各位に御報告いたしましたとおり、本調査会では、「憲法調査会に望むもの」をテーマに論文を募集いたしました。その結果、総数二百十四件に上る論文が国民各界各層より寄せられました。短い募集期間にもかかわらず、このように多数の国政に対する御意見をお寄せいただきましたことに対し、調査会を代表して深く感謝をいたします。
なお、応募論文中、幹事会の協議に基づき、特に参考になるもの十九件につきましては、本日の会議録に参照掲載したいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →この際、五月三日の憲法記念日に向けての論文募集の結果について御報告を申し上げます。
去る四月六日の憲法調査会において委員各位に御報告いたしましたとおり、本調査会では、「憲法調査会に望むもの」をテーマに論文を募集いたしました。その結果、総数二百十四件に上る論文が国民各界各層より寄せられました。短い募集期間にもかかわらず、このように多数の国政に対する御意見をお寄せいただきましたことに対し、調査会を代表して深く感謝をいたします。
なお、応募論文中、幹事会の協議に基づき、特に参考になるもの十九件につきましては、本日の会議録に参照掲載したいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中
中
中山太郎#3
○中山会長 日本国憲法に関する件、特に日本国憲法の制定経緯について調査を進めます。
本日の調査会は、委員間の自由な討議を行います。
討議を始めるに当たりまして、一言申し上げます。
本調査会は、去る二月二十四日を第一回目として、計五回、十人の参考人をお招きし、二十八時間にわたる意見聴取及び質疑を行い、日本国憲法の制定経緯について調査を行ってまいりました。本日は、その締めくくりとして委員間の討議を行うこととなりました。委員各位におかれましては、活発な御意見の開陳をお願いしたいと存じます。
本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。
なお、議事整理のため、御発言は、挙手により、会長の指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。また、一回の発言は五分以内におまとめをいただきますようにお願いをいたします。
委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
それでは、保岡興治君。
この発言だけを見る →本日の調査会は、委員間の自由な討議を行います。
討議を始めるに当たりまして、一言申し上げます。
本調査会は、去る二月二十四日を第一回目として、計五回、十人の参考人をお招きし、二十八時間にわたる意見聴取及び質疑を行い、日本国憲法の制定経緯について調査を行ってまいりました。本日は、その締めくくりとして委員間の討議を行うこととなりました。委員各位におかれましては、活発な御意見の開陳をお願いしたいと存じます。
本日の議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、順序を定めず討議を行いたいと存じます。
なお、議事整理のため、御発言は、挙手により、会長の指名に基づいて、自席から着席のまま、所属会派と氏名を述べられてからお願いをいたします。また、一回の発言は五分以内におまとめをいただきますようにお願いをいたします。
委員の発言時間の経過につきましてのお知らせでありますが、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせしたいと存じます。
それでは、保岡興治君。
保
保岡興治#4
○保岡委員 自由民主党の保岡興治でございます。私は、自由民主党の中で、憲法調査会の葉梨会長のもとで会長代理を仰せつかっている者でございます。
我が党の憲法調査会は、平成十二年の二月八日から三月の二十九日までの間、日本国憲法制定前後の歴史的検証を行うという観点から、有識者を講師として合計七回の会合を開催しまして、鋭意検討を行ってまいりました。
その過程で、現行日本国憲法は、占領下、まだ主権がなく、また自由な意思の表明を許されなかったとき、連合国占領軍の最高司令部の占領政策のもとに、極めて短期間の間に作成されたものであって、その中に多くの長所を備えてはいるものの、不備、不合理な箇所があり、我が国情に合致しないところが少なくないということで意見が一致しました。
特に、日本国憲法前文は、その出典が既に明らかなとおりであり、主権国家の有する最高法規の前文としては不適当と言わざるを得ないなどの点でも、多くの意見の一致を見たところでございます。
ところで、言うまでもなく、日本国憲法を論議するということは日本のあるべき姿を論議することであり、あるべき姿が現憲法制定時と違ったものになったのであれば、我が国のあるべき姿の中で憲法も見直す必要が出てくるのは当然であります。
そこで我々は、我々祖先の代から築かれてきた歴史と伝統の尊重の上に立って、かつ、常に我々に続く世代の幸せを念頭に置きつつ、今後の我が国の国家運営を行うべきであるということでございます。
我々は、やたらに権利のみを主張し、国家、社会、家族への責任と義務を軽視する風潮を改めて、国民一人一人が、自己責任原則に基づいてみずからの自由を実現する社会を目指すべきと考えます。
我々は、我が国の平和と繁栄が近隣諸国の戦略的評価と無関係には成立しないことを自覚して、多極化時代にふさわしい安全保障の確立を目指さなければならないと考えます。
主要先進国首脳会議のアジアにおける唯一の一員として、我が国は国際安全保障のためいかなる責任を果たしていくべきかという点も重要であります。
阪神大震災、地下鉄サリン事件以来既に五年を経過し、危機管理の必要性が叫ばれて久しいものの、いまだ法制化はなされていない状況にあります。国家の非常時に対応する仕組みはどうあるべきかも重要な検討テーマだと考えます。
地球環境問題といった全く新しい課題に人類は直面することになりましたが、このような課題に我が国としてどのように向き合っていくか。
以上のようなことなどがこれからの主要論点になってまいると考えられますが、我々としては、日本の今後のあるべき姿を多くの国民との論議を通じて描いて、その姿を憲法という形で表現したらどうなるかという方針で今後我が党の憲法調査会の論議を進めていくことにいたしました。
以上でございます。ありがとうございます。
この発言だけを見る →我が党の憲法調査会は、平成十二年の二月八日から三月の二十九日までの間、日本国憲法制定前後の歴史的検証を行うという観点から、有識者を講師として合計七回の会合を開催しまして、鋭意検討を行ってまいりました。
その過程で、現行日本国憲法は、占領下、まだ主権がなく、また自由な意思の表明を許されなかったとき、連合国占領軍の最高司令部の占領政策のもとに、極めて短期間の間に作成されたものであって、その中に多くの長所を備えてはいるものの、不備、不合理な箇所があり、我が国情に合致しないところが少なくないということで意見が一致しました。
特に、日本国憲法前文は、その出典が既に明らかなとおりであり、主権国家の有する最高法規の前文としては不適当と言わざるを得ないなどの点でも、多くの意見の一致を見たところでございます。
ところで、言うまでもなく、日本国憲法を論議するということは日本のあるべき姿を論議することであり、あるべき姿が現憲法制定時と違ったものになったのであれば、我が国のあるべき姿の中で憲法も見直す必要が出てくるのは当然であります。
そこで我々は、我々祖先の代から築かれてきた歴史と伝統の尊重の上に立って、かつ、常に我々に続く世代の幸せを念頭に置きつつ、今後の我が国の国家運営を行うべきであるということでございます。
我々は、やたらに権利のみを主張し、国家、社会、家族への責任と義務を軽視する風潮を改めて、国民一人一人が、自己責任原則に基づいてみずからの自由を実現する社会を目指すべきと考えます。
我々は、我が国の平和と繁栄が近隣諸国の戦略的評価と無関係には成立しないことを自覚して、多極化時代にふさわしい安全保障の確立を目指さなければならないと考えます。
主要先進国首脳会議のアジアにおける唯一の一員として、我が国は国際安全保障のためいかなる責任を果たしていくべきかという点も重要であります。
阪神大震災、地下鉄サリン事件以来既に五年を経過し、危機管理の必要性が叫ばれて久しいものの、いまだ法制化はなされていない状況にあります。国家の非常時に対応する仕組みはどうあるべきかも重要な検討テーマだと考えます。
地球環境問題といった全く新しい課題に人類は直面することになりましたが、このような課題に我が国としてどのように向き合っていくか。
以上のようなことなどがこれからの主要論点になってまいると考えられますが、我々としては、日本の今後のあるべき姿を多くの国民との論議を通じて描いて、その姿を憲法という形で表現したらどうなるかという方針で今後我が党の憲法調査会の論議を進めていくことにいたしました。
以上でございます。ありがとうございます。
中
石
石毛えい子#6
○石毛委員 おはようございます。民主党の石毛えい子でございます。
前回、私は、日本国憲法を、制定の経緯をめぐっての歴史的経過の中で見ることの意義と、それから、今の国際関係の中で日本国憲法がどういう有効性を持ち得ているかという、そうした横の関係の中でも検証すべきだろうというような趣旨の発言をさせていただきました。
今回は、憲法が保障する三つの原理、平和主義、主権在民、基本的人権の享有のうちの、基本的人権の享有をめぐりまして多少の発言をしたいと思います。
基本的人権の享有は、制定過程の議論の中でも多くの方の御意見に触れられておりましたように、私も、太平洋戦争を経て本憲法によって実現したというその意義をまず確認したいと思いますが、その点を確認した上で、さらに検討すべき二つの点について触れたいと思います。
一つは、現代の国際的な人権認識からいって、憲法の人権に対する規定が十分であるかどうか、そういう検証が必要ではないかと考えているということです。
例えば、日本は既に子どもの権利条約を批准しています。この権利条約の中では出生による差別の禁止を規定していますが、憲法の第十四条の法のもとの平等に規定されている人種、信条、性別等々というその差別禁止規定の中に出生による差別の禁止というようなことは含まれていないという、そうした事態があります。また、一九八一年の国連国際障害者年以降、障害を持つ人たちの市民としての完全参加と平等、差別の禁止が国際的にも課題になっておりますし、多くの文書にもこうしたことが規定されるようになっておりますし、先ほど触れました子どもの権利条約にもこのことが述べられております。しかしながら、第十四条の法のもとの平等規定にはこうしたことが含まれていないという事実があります。
ちなみに、前回の自由討議の際にカナダの国歌についてお触れになられた御意見がございましたが、私は憲法を世界の諸国それぞれについて知っているわけではありませんけれども、カナダの憲法は、憲法の中で障害による差別の禁止規定を持っておりますし、また、憲法を踏まえてと理解してよろしいかと思いますが、多民族国家を反映して、多様化文化大臣を置いているというような閣議の機能もあるということもつけ加えさせていただきたいと思います。
以上が、現在の国際的な人権認識からいって、憲法の人権認識をもっと深め、膨らませていく必要があるのではないかということのおおよその内容でございます。
このことに関連しまして、もう一つは、基本的人権の享有が国民という規定に限定されていて、日本は今多くの外国籍を持つ方々がこの国で暮らし、働くようになっておりますけれども、そうした基本的人権の規定の内容がこの国で暮らすあらゆる人々に普遍化するような制定のされ方になっていないというところも議論を尽くすべき点であるというふうに考えます。
以上、憲法の基本的人権に関して申し上げましたが、私は、憲法の論議を進めるときに非常に大事であるのは、関係する個別法の検討も同時にしなければならないということを強調させていただきたいと思います。
詳しく申し上げる時間はございませんけれども、例えば、心身障害者対策基本法が障害者基本法に改正されたときにもこういう議論は除外されて今に至っております。環境権についても多くの方から御指摘がございました。個別法の検討とあわせて十分に憲法論議を進めていかなければ、十分な議論になり得ないということを申し上げ、であるからこそ論憲を徹底していくべきだということを述べさせていただきまして、私の発言を終わります。ありがとうございました。
この発言だけを見る →前回、私は、日本国憲法を、制定の経緯をめぐっての歴史的経過の中で見ることの意義と、それから、今の国際関係の中で日本国憲法がどういう有効性を持ち得ているかという、そうした横の関係の中でも検証すべきだろうというような趣旨の発言をさせていただきました。
今回は、憲法が保障する三つの原理、平和主義、主権在民、基本的人権の享有のうちの、基本的人権の享有をめぐりまして多少の発言をしたいと思います。
基本的人権の享有は、制定過程の議論の中でも多くの方の御意見に触れられておりましたように、私も、太平洋戦争を経て本憲法によって実現したというその意義をまず確認したいと思いますが、その点を確認した上で、さらに検討すべき二つの点について触れたいと思います。
一つは、現代の国際的な人権認識からいって、憲法の人権に対する規定が十分であるかどうか、そういう検証が必要ではないかと考えているということです。
例えば、日本は既に子どもの権利条約を批准しています。この権利条約の中では出生による差別の禁止を規定していますが、憲法の第十四条の法のもとの平等に規定されている人種、信条、性別等々というその差別禁止規定の中に出生による差別の禁止というようなことは含まれていないという、そうした事態があります。また、一九八一年の国連国際障害者年以降、障害を持つ人たちの市民としての完全参加と平等、差別の禁止が国際的にも課題になっておりますし、多くの文書にもこうしたことが規定されるようになっておりますし、先ほど触れました子どもの権利条約にもこのことが述べられております。しかしながら、第十四条の法のもとの平等規定にはこうしたことが含まれていないという事実があります。
ちなみに、前回の自由討議の際にカナダの国歌についてお触れになられた御意見がございましたが、私は憲法を世界の諸国それぞれについて知っているわけではありませんけれども、カナダの憲法は、憲法の中で障害による差別の禁止規定を持っておりますし、また、憲法を踏まえてと理解してよろしいかと思いますが、多民族国家を反映して、多様化文化大臣を置いているというような閣議の機能もあるということもつけ加えさせていただきたいと思います。
以上が、現在の国際的な人権認識からいって、憲法の人権認識をもっと深め、膨らませていく必要があるのではないかということのおおよその内容でございます。
このことに関連しまして、もう一つは、基本的人権の享有が国民という規定に限定されていて、日本は今多くの外国籍を持つ方々がこの国で暮らし、働くようになっておりますけれども、そうした基本的人権の規定の内容がこの国で暮らすあらゆる人々に普遍化するような制定のされ方になっていないというところも議論を尽くすべき点であるというふうに考えます。
以上、憲法の基本的人権に関して申し上げましたが、私は、憲法の論議を進めるときに非常に大事であるのは、関係する個別法の検討も同時にしなければならないということを強調させていただきたいと思います。
詳しく申し上げる時間はございませんけれども、例えば、心身障害者対策基本法が障害者基本法に改正されたときにもこういう議論は除外されて今に至っております。環境権についても多くの方から御指摘がございました。個別法の検討とあわせて十分に憲法論議を進めていかなければ、十分な議論になり得ないということを申し上げ、であるからこそ論憲を徹底していくべきだということを述べさせていただきまして、私の発言を終わります。ありがとうございました。
中
平
平田米男#8
○平田委員 公明党・改革クラブの平田米男でございます。
私ども、大変熱心に憲法制定過程を論議してきたわけでございますが、この検討を踏まえて、私なりの考えを少し述べさせていただきたいと思います。
まず、これまで言われておりました、押しつけ憲法であるから改憲あるいは憲法をつくる、創憲をすべきであるとの議論は、今回の憲法制定過程の検討によりまして、私は完全に否定されたと思っております。その点を我々は確認すべきなのではないかと思います。
占領時の憲法制定である以上、制限された主権のもとでの制定であることは当然であると私は思います。その具体的な内容は、克明にこの調査会の場におきまして明らかにされたわけでございます。
押しつけ憲法論が出てまいりましたのは、どちらかといえば、当時の松本国務大臣のある意味では個人的な経験を根拠としたものではないのかと思うわけでございまして、憲法制定の全体像を必ずしも認識したものではないと私は思うわけでございます。憲法制定時においても、また講和条約後主権を回復したときにおいても、日本国民の圧倒的支持をこの私たちの憲法が受けてきたということは明確でございまして、その意味で、我が国の現行憲法は制定のときから国民憲法であった、これを私ははっきりと確認しておきたいと思うわけでございます。
また、感想でございますが、この憲法制定過程に当たりまして、マッカーサーあるいはケーディス、幣原首相、吉田首相、あるいは芦田均小委員長、あるいは野党のさまざまな議員、こういう方々の国会における議論あるいは制定過程におけるさまざまな発言、行動というものが国と国民のことを思う熱情にあふれていた、そういう印象を強く持ったことも付言させていただきたいと思います。
もう一つ、私はこの憲法制定過程で注目をいたしましたのは、芦田修正でございます。現代日本の著名な歴史家であります北岡、五百旗頭両参考人がそろってこの芦田修正を積極的に評価されたということの意味は大変大きいと私は思っております。GHQも、また極東委員会も、自衛のための戦争、またそのための戦力保持の可能性も認めていたというこの事実というものを、私たちは重く受けとめなければならないのではないかと思います。また、講和条約においても連合国側が基本的に認めていたということも、我々は踏まえていかなければならないのではないかと思います。
にもかかわらず、吉田首相の、特に共産党の野坂質問に対する答弁において、その芦田修正に基づいた答弁がなされなかった背景も明らかになったわけでございまして、その点も私たちはしっかりと踏まえていかなければならないのではないかと思います。
こういうことを踏まえまして、私は、今次における憲法九条解釈のあるべき姿を原点に戻って考えることから論憲を行う必要があるのではないかというふうに思うわけでございます。
いずれにいたしましても、憲法は国民の利益のためにある、この原点を忘れてはならないと思います。今日の国民の置かれた状況と国民の利益を深く検討することが今後の憲法調査会の大きな使命であると結論として申し上げて、私の発言を終わりたいと思います。ありがとうございました。
この発言だけを見る →私ども、大変熱心に憲法制定過程を論議してきたわけでございますが、この検討を踏まえて、私なりの考えを少し述べさせていただきたいと思います。
まず、これまで言われておりました、押しつけ憲法であるから改憲あるいは憲法をつくる、創憲をすべきであるとの議論は、今回の憲法制定過程の検討によりまして、私は完全に否定されたと思っております。その点を我々は確認すべきなのではないかと思います。
占領時の憲法制定である以上、制限された主権のもとでの制定であることは当然であると私は思います。その具体的な内容は、克明にこの調査会の場におきまして明らかにされたわけでございます。
押しつけ憲法論が出てまいりましたのは、どちらかといえば、当時の松本国務大臣のある意味では個人的な経験を根拠としたものではないのかと思うわけでございまして、憲法制定の全体像を必ずしも認識したものではないと私は思うわけでございます。憲法制定時においても、また講和条約後主権を回復したときにおいても、日本国民の圧倒的支持をこの私たちの憲法が受けてきたということは明確でございまして、その意味で、我が国の現行憲法は制定のときから国民憲法であった、これを私ははっきりと確認しておきたいと思うわけでございます。
また、感想でございますが、この憲法制定過程に当たりまして、マッカーサーあるいはケーディス、幣原首相、吉田首相、あるいは芦田均小委員長、あるいは野党のさまざまな議員、こういう方々の国会における議論あるいは制定過程におけるさまざまな発言、行動というものが国と国民のことを思う熱情にあふれていた、そういう印象を強く持ったことも付言させていただきたいと思います。
もう一つ、私はこの憲法制定過程で注目をいたしましたのは、芦田修正でございます。現代日本の著名な歴史家であります北岡、五百旗頭両参考人がそろってこの芦田修正を積極的に評価されたということの意味は大変大きいと私は思っております。GHQも、また極東委員会も、自衛のための戦争、またそのための戦力保持の可能性も認めていたというこの事実というものを、私たちは重く受けとめなければならないのではないかと思います。また、講和条約においても連合国側が基本的に認めていたということも、我々は踏まえていかなければならないのではないかと思います。
にもかかわらず、吉田首相の、特に共産党の野坂質問に対する答弁において、その芦田修正に基づいた答弁がなされなかった背景も明らかになったわけでございまして、その点も私たちはしっかりと踏まえていかなければならないのではないかと思います。
こういうことを踏まえまして、私は、今次における憲法九条解釈のあるべき姿を原点に戻って考えることから論憲を行う必要があるのではないかというふうに思うわけでございます。
いずれにいたしましても、憲法は国民の利益のためにある、この原点を忘れてはならないと思います。今日の国民の置かれた状況と国民の利益を深く検討することが今後の憲法調査会の大きな使命であると結論として申し上げて、私の発言を終わりたいと思います。ありがとうございました。
中
佐
佐々木陸海#10
○佐々木(陸)委員 日本共産党の佐々木陸海です。
私、一九四四年一月の生まれですから、日本国憲法の制定過程を直接的に判断し得る年齢ではありませんでした。したがって、今回の調査にはそれなりの関心を持って参加をいたしました。
感想的に幾つかの点を述べたいと思います。
第一に、調査を受けて、私は次の点を確認したいと思います。
すなわち、日本国憲法の制定過程というのは、アジア諸国民と日本国民に巨大な惨害をもたらした日本の軍国主義、その軍国主義が圧倒的に国民を支配していた時代から、ポツダム宣言を受け入れ、平和、民主主義の時代に転換する激動の時期だったということであります。この激動の中で、国際的な世論と国内で声を上げ始めた平和、民主主義の世論が合流しつつ、日本国憲法は生まれました。その過程に内外のさまざまな動きがあり、また、国際的な世論がさまざまな形で憲法に反映したのは当たり前のことであります。
日本国憲法の施行から五十三年もたった今なお、当時、憲法の案文が一週間でつくられたとかGHQの押しつけがあったとかいう議論を殊さらに強調する改憲論者の立場とは一体どういうものか。この当時の大きくかつ急激な時代の変化の意味を全く理解せず、しかも、日本が遂行した侵略戦争がいかなるもので、それを当時我々がどう克服しようとしていたかということへの謙虚な認識も欠いた立場、いわば半世紀間に及ぶ思考停止か半世紀の時代逆行の立場であると言わざるを得ません。半世紀おくれのこの立場からは、二十一世紀へのまともな展望が生まれるはずがありません。
第二に、憲法制定直後の時期から、アメリカは、ソ連との全面対決を軸とするいわゆる冷戦の体制に移行し、それに伴って憲法九条の改定、日本の再軍備を求めるようになったこと、これも調査の中で再確認されました。歴史の事実であります。その後、アメリカによる日本全面占領が安保条約による日本の基地化という方向に変わり、アメリカの冷戦政策に沿って日本の軍備増強が続けられました。今日の九条改憲論者たちはその延長線上にいるのでありますが、この面でも、改憲論者たちは思考停止、時代逆行に陥っているのではないかと言わざるを得ないのであります。
ソ連の崩壊によって米ソの対立は終わりました。それから既に十年になります。ところが、まさにそういう時期になって、国連協力などに名をかりた自衛隊の海外派兵や有事立法などへの衝動が強まり、米軍の戦争への協力法まで制定されました。これらは、米ソ対立が激化した時代にも持ち出されなかったものばかりで、アメリカの武力介入政策への同調を基本とするものであります。こういう方向は、アジアと世界の平和の流れに反する逆流であります。
この十年間、アメリカの一国覇権主義への批判が国際的にも強まり、とりわけアジア諸国では、軍事同盟も要らない、核兵器も要らない、どんな国際紛争も、軍事的対応優先ではなく話し合いで、外交でという流れが大きくなり、広がっています。軍事同盟による秩序、軍事力による秩序ではなく、平和の秩序をどうつくるかが、憲法制定から半世紀以上経た今日、二十一世紀に向けた世界の大きな課題になっているのであります。
私は、日本国憲法制定当時の理想とした新しい世界の方向が見え始めた今、憲法九条を変えるのではなく、憲法九条を生かした平和外交で日本が二十一世紀にどのように世界に貢献していくのか、その方向が問われる段階に来ている、このことを強調して、発言を終わります。ありがとうございました。
この発言だけを見る →私、一九四四年一月の生まれですから、日本国憲法の制定過程を直接的に判断し得る年齢ではありませんでした。したがって、今回の調査にはそれなりの関心を持って参加をいたしました。
感想的に幾つかの点を述べたいと思います。
第一に、調査を受けて、私は次の点を確認したいと思います。
すなわち、日本国憲法の制定過程というのは、アジア諸国民と日本国民に巨大な惨害をもたらした日本の軍国主義、その軍国主義が圧倒的に国民を支配していた時代から、ポツダム宣言を受け入れ、平和、民主主義の時代に転換する激動の時期だったということであります。この激動の中で、国際的な世論と国内で声を上げ始めた平和、民主主義の世論が合流しつつ、日本国憲法は生まれました。その過程に内外のさまざまな動きがあり、また、国際的な世論がさまざまな形で憲法に反映したのは当たり前のことであります。
日本国憲法の施行から五十三年もたった今なお、当時、憲法の案文が一週間でつくられたとかGHQの押しつけがあったとかいう議論を殊さらに強調する改憲論者の立場とは一体どういうものか。この当時の大きくかつ急激な時代の変化の意味を全く理解せず、しかも、日本が遂行した侵略戦争がいかなるもので、それを当時我々がどう克服しようとしていたかということへの謙虚な認識も欠いた立場、いわば半世紀間に及ぶ思考停止か半世紀の時代逆行の立場であると言わざるを得ません。半世紀おくれのこの立場からは、二十一世紀へのまともな展望が生まれるはずがありません。
第二に、憲法制定直後の時期から、アメリカは、ソ連との全面対決を軸とするいわゆる冷戦の体制に移行し、それに伴って憲法九条の改定、日本の再軍備を求めるようになったこと、これも調査の中で再確認されました。歴史の事実であります。その後、アメリカによる日本全面占領が安保条約による日本の基地化という方向に変わり、アメリカの冷戦政策に沿って日本の軍備増強が続けられました。今日の九条改憲論者たちはその延長線上にいるのでありますが、この面でも、改憲論者たちは思考停止、時代逆行に陥っているのではないかと言わざるを得ないのであります。
ソ連の崩壊によって米ソの対立は終わりました。それから既に十年になります。ところが、まさにそういう時期になって、国連協力などに名をかりた自衛隊の海外派兵や有事立法などへの衝動が強まり、米軍の戦争への協力法まで制定されました。これらは、米ソ対立が激化した時代にも持ち出されなかったものばかりで、アメリカの武力介入政策への同調を基本とするものであります。こういう方向は、アジアと世界の平和の流れに反する逆流であります。
この十年間、アメリカの一国覇権主義への批判が国際的にも強まり、とりわけアジア諸国では、軍事同盟も要らない、核兵器も要らない、どんな国際紛争も、軍事的対応優先ではなく話し合いで、外交でという流れが大きくなり、広がっています。軍事同盟による秩序、軍事力による秩序ではなく、平和の秩序をどうつくるかが、憲法制定から半世紀以上経た今日、二十一世紀に向けた世界の大きな課題になっているのであります。
私は、日本国憲法制定当時の理想とした新しい世界の方向が見え始めた今、憲法九条を変えるのではなく、憲法九条を生かした平和外交で日本が二十一世紀にどのように世界に貢献していくのか、その方向が問われる段階に来ている、このことを強調して、発言を終わります。ありがとうございました。
中
中
中村鋭一#12
○中村(鋭)委員 保守党の中村鋭一でございます。
初めに、石毛委員が先ほどカナダ国歌について言及をなさいましたが、先ごろのこの会議でカナダ国歌について言及したのは私でございます。正確に申し上げますと、今あなたがおっしゃったそのカナダの憲法についての規定、これは私は、何も問題とするに当たりませんし、それは結構なのですが、その前にカナダ国歌を引用なさったことについては、これは全く関係のないことでありますので、なぜカナダ国歌を、私が言ったことを引用なさったのか、ちょっと理解に苦しむわけでございます。
念のために申し上げておきますと、先日私が申し上げましたのは、カナダ国歌の中に「おおカナダ われらの故国 祖先の大地。…はるかな広野 われらはこの国を守る。」とある、このくだりを指摘させていただきました。
我が国には君が代という天皇の長寿をお祈りする立派な国歌がある。イギリスにはゴッド・セーブ・ザ・クイーン、女王の全からんことを祈るこれまた立派な国歌がある。そのような国柄でありますから、我が日本の国も、カナダと同じように、国歌にうたわれているように、国を守るという気概のあふれた憲法を持つことが望ましいという私の意見を申し上げた次第でございますので、再度そのことを指摘させていただきたいと思います。
今また佐々木委員の御意見を伺いながら、憲法に対する見方というのは、それぞれ人によって随分違うのだなということを改めて痛感いたしました。
五月三日に大阪の神社庁でたまたま憲法のシンポジウムがございました。ここにおいでの左藤委員も御出席でございましたし、中野委員も御出席でございましたけれども、国会議員五人がそれぞれ二十分ずつ意見を申し上げて、その後で、聴衆の中から御意見のある方と質疑をさせていただいたのです。その中に、京都の大学の名誉教授をしていらっしゃる方がありまして、私の名前を挙げて、中村さんの意見はなかなかよかったけれども、二つ難点があると。
一つは、あなたは太平洋戦争とおっしゃったが、あれは太平洋戦争ではないのであって、あれはアジア解放のための大東亜戦争である、正確に戦争の名前を大東亜戦争と言ってもらいたい、それが不満である、こうおっしゃいました。また、私が、日本人の手による日本人のための新しい憲法をつくりたい、その道をともに歩もうではないですかと言ったことをとらえられまして、新しい憲法をつくる必要は全くない、我々は既に明治に制定された立派な憲法を持っているのであるから、その憲法を再び我々は手にする必要があるのだ、そのことを申し上げたい、こうおっしゃいました。
これは立派な大学の教授で、憲法学者であります。これは佐々木委員の御意見とまあ随分違うなということを痛感いたしました。だから、百人いれば百通りの憲法観があってしかるべきでありますし、一万人いれば一万通りの憲法観があって、それはそれでしかるべきものだと思います。
ただ、私はその背景として、昭和一けた、我々世代から大正二けた、その辺までは、まさに敗戦の現実を体験して、その中でつくられた憲法を、いわば強いられた形で受けざるを得なかった、そういう体験をしておりますので、戦後に生まれた皆さんとは随分やはり憲法の受けとめ方が違うということを指摘しておきたい、こう思います。
これからまたさらに議論が深まり、ディベート、ディスカッション、討論等を通じまして新しい憲法の形ができることを心から念願いたしまして、私の意見発表を終わらせていただきます。
この発言だけを見る →初めに、石毛委員が先ほどカナダ国歌について言及をなさいましたが、先ごろのこの会議でカナダ国歌について言及したのは私でございます。正確に申し上げますと、今あなたがおっしゃったそのカナダの憲法についての規定、これは私は、何も問題とするに当たりませんし、それは結構なのですが、その前にカナダ国歌を引用なさったことについては、これは全く関係のないことでありますので、なぜカナダ国歌を、私が言ったことを引用なさったのか、ちょっと理解に苦しむわけでございます。
念のために申し上げておきますと、先日私が申し上げましたのは、カナダ国歌の中に「おおカナダ われらの故国 祖先の大地。…はるかな広野 われらはこの国を守る。」とある、このくだりを指摘させていただきました。
我が国には君が代という天皇の長寿をお祈りする立派な国歌がある。イギリスにはゴッド・セーブ・ザ・クイーン、女王の全からんことを祈るこれまた立派な国歌がある。そのような国柄でありますから、我が日本の国も、カナダと同じように、国歌にうたわれているように、国を守るという気概のあふれた憲法を持つことが望ましいという私の意見を申し上げた次第でございますので、再度そのことを指摘させていただきたいと思います。
今また佐々木委員の御意見を伺いながら、憲法に対する見方というのは、それぞれ人によって随分違うのだなということを改めて痛感いたしました。
五月三日に大阪の神社庁でたまたま憲法のシンポジウムがございました。ここにおいでの左藤委員も御出席でございましたし、中野委員も御出席でございましたけれども、国会議員五人がそれぞれ二十分ずつ意見を申し上げて、その後で、聴衆の中から御意見のある方と質疑をさせていただいたのです。その中に、京都の大学の名誉教授をしていらっしゃる方がありまして、私の名前を挙げて、中村さんの意見はなかなかよかったけれども、二つ難点があると。
一つは、あなたは太平洋戦争とおっしゃったが、あれは太平洋戦争ではないのであって、あれはアジア解放のための大東亜戦争である、正確に戦争の名前を大東亜戦争と言ってもらいたい、それが不満である、こうおっしゃいました。また、私が、日本人の手による日本人のための新しい憲法をつくりたい、その道をともに歩もうではないですかと言ったことをとらえられまして、新しい憲法をつくる必要は全くない、我々は既に明治に制定された立派な憲法を持っているのであるから、その憲法を再び我々は手にする必要があるのだ、そのことを申し上げたい、こうおっしゃいました。
これは立派な大学の教授で、憲法学者であります。これは佐々木委員の御意見とまあ随分違うなということを痛感いたしました。だから、百人いれば百通りの憲法観があってしかるべきでありますし、一万人いれば一万通りの憲法観があって、それはそれでしかるべきものだと思います。
ただ、私はその背景として、昭和一けた、我々世代から大正二けた、その辺までは、まさに敗戦の現実を体験して、その中でつくられた憲法を、いわば強いられた形で受けざるを得なかった、そういう体験をしておりますので、戦後に生まれた皆さんとは随分やはり憲法の受けとめ方が違うということを指摘しておきたい、こう思います。
これからまたさらに議論が深まり、ディベート、ディスカッション、討論等を通じまして新しい憲法の形ができることを心から念願いたしまして、私の意見発表を終わらせていただきます。
中
達
達増拓也#14
○達増委員 自由党の達増拓也です。
日本国憲法の制定過程に関しては、国際政治の観点が重要であると考えます。というのも、日本国憲法制定というのは、さきの大戦の終結とその戦後処理という国際政治史上の文脈の中における出来事だったからであります。
その点から、いわゆる押しつけ論について検討いたしますと、事態を正確に表現すれば、日本国憲法は、アメリカ軍がつくったものを日本の政府、国会が受諾した、つまり二国間の条約、取り決めのようなものだったということだと考える次第であります。国内法というより国際法、アメリカを初めとする連合国に対する約束に近いような形でつくられたわけでありまして、この点、北岡参考人が、日本国憲法の制定過程は条約の締結交渉のようなものでとおっしゃったことに賛成するものであります。
この点、特にあらわれているのが九条であります。不戦条約、国連憲章など国際法に盛り込まれるような内容が憲法の中に入っている。特に、その履行義務ですね。戦争と平和というものは、相手があって成り立つものでありまして、一つの国が一方的につくり出せるものではありません。それを、特に二項によって、一方的に履行しようとするのは、論理的におかしいわけであります。
逆に、憲法というものは、そもそも一国が単独でつくるというのが本来の姿でありまして、他国の了承を得てつくるような性質のものではないわけであります。
しかし、アメリカ軍は、占領地行政の一環として日本国憲法の策定に関与した、よりはっきり言えば、日本国憲法の策定を指導したわけでありまして、アメリカ軍の立場に立てば、アメリカの国益追求が主目的。反射的に日本が利益を受けることはあるでしょうけれども、また、アメリカ軍にも少なからぬ善意はあったでありましょうけれども、それは日本陸軍が満州国をつくったのと同じでありまして、満州の民も利益を受けたかもしれません、日本陸軍にも善意があったかもしれません、しかし、それは結局、日本陸軍の主目的は日本の国益追求だったわけであります。
そういうように、占領下で、戦勝国と敗戦国の間の取り決めのような形でできたという意味で、日本国憲法の制定過程は極めてユニークであったと言えると思います。
なお、そのユニークさはアメリカ軍も自覚しており、制定後十年間は改正してはならないが、その後は十年ごとに国会で見直して、日本人の手で改正していくというような考え方を当初していたことが広く知られております。
ところが、その後、今のような改正手続規定に変えられていく際に、当初のアメリカ軍の案では一院制だった国会が二院制になってしまい、改正に両院の三分の二の賛成が必要という、非常にかたい、超硬性憲法になってしまったわけであります。
制定過程も極めてユニークなわけでありますけれども、そのユニークな憲法がその後五十年以上、一切改正されずにここまで来ているところも非常にユニークでありますが、その理由は、まず超硬性憲法になってしまったことが一つですが、さらに言えば、その障害を乗り越えるほどの国民意思の統合が戦後一貫して果たされなかったということでありましょう。
この国民意思の統合が戦後一貫して果たされなかったことについて、肯定的に評価するとすれば、軍国主義復活の方向には国民意思が統合されなかった、反動、逆コースの方向に改正されなかったという、それは肯定的に評価していいと思います。
しかし、それは、憲法が改正されなかったから軍国主義が復活しなかったという考え方が表明されておりますけれども、実際には、軍国主義が復活しない程度に日本の民主主義が大人になっていたということであって、日本人の、国民の意識がそこまで高まっていたから軍国主義復活の方向に憲法が改正されなかった。憲法があったから軍国主義が復活されなかったのではなく、要するに、日本国民の意識がもう民主主義的に高まっていたので軍国主義の方向には改正されなかったということだと考えます。
日本国憲法の改正というのは、軍国主義の方向以外の改正もあり得るわけでありますし、中身の問題はこれからさらに議論を詰めるわけでありますけれども、前回の自由討論で述べたように、高度情報通信社会に対応し、改正すべき点は多々あると考えます。
日本の政治が目的とすべきなのは、日本国憲法の理念、理念はすばらしいものであります。それを一層実現しやすくするため、憲法の具体的文言をよりよいものに直していこうとする現実的な憲法改正に向けて、国民意思の統合を達成することであると考えます。
以上でございます。
この発言だけを見る →日本国憲法の制定過程に関しては、国際政治の観点が重要であると考えます。というのも、日本国憲法制定というのは、さきの大戦の終結とその戦後処理という国際政治史上の文脈の中における出来事だったからであります。
その点から、いわゆる押しつけ論について検討いたしますと、事態を正確に表現すれば、日本国憲法は、アメリカ軍がつくったものを日本の政府、国会が受諾した、つまり二国間の条約、取り決めのようなものだったということだと考える次第であります。国内法というより国際法、アメリカを初めとする連合国に対する約束に近いような形でつくられたわけでありまして、この点、北岡参考人が、日本国憲法の制定過程は条約の締結交渉のようなものでとおっしゃったことに賛成するものであります。
この点、特にあらわれているのが九条であります。不戦条約、国連憲章など国際法に盛り込まれるような内容が憲法の中に入っている。特に、その履行義務ですね。戦争と平和というものは、相手があって成り立つものでありまして、一つの国が一方的につくり出せるものではありません。それを、特に二項によって、一方的に履行しようとするのは、論理的におかしいわけであります。
逆に、憲法というものは、そもそも一国が単独でつくるというのが本来の姿でありまして、他国の了承を得てつくるような性質のものではないわけであります。
しかし、アメリカ軍は、占領地行政の一環として日本国憲法の策定に関与した、よりはっきり言えば、日本国憲法の策定を指導したわけでありまして、アメリカ軍の立場に立てば、アメリカの国益追求が主目的。反射的に日本が利益を受けることはあるでしょうけれども、また、アメリカ軍にも少なからぬ善意はあったでありましょうけれども、それは日本陸軍が満州国をつくったのと同じでありまして、満州の民も利益を受けたかもしれません、日本陸軍にも善意があったかもしれません、しかし、それは結局、日本陸軍の主目的は日本の国益追求だったわけであります。
そういうように、占領下で、戦勝国と敗戦国の間の取り決めのような形でできたという意味で、日本国憲法の制定過程は極めてユニークであったと言えると思います。
なお、そのユニークさはアメリカ軍も自覚しており、制定後十年間は改正してはならないが、その後は十年ごとに国会で見直して、日本人の手で改正していくというような考え方を当初していたことが広く知られております。
ところが、その後、今のような改正手続規定に変えられていく際に、当初のアメリカ軍の案では一院制だった国会が二院制になってしまい、改正に両院の三分の二の賛成が必要という、非常にかたい、超硬性憲法になってしまったわけであります。
制定過程も極めてユニークなわけでありますけれども、そのユニークな憲法がその後五十年以上、一切改正されずにここまで来ているところも非常にユニークでありますが、その理由は、まず超硬性憲法になってしまったことが一つですが、さらに言えば、その障害を乗り越えるほどの国民意思の統合が戦後一貫して果たされなかったということでありましょう。
この国民意思の統合が戦後一貫して果たされなかったことについて、肯定的に評価するとすれば、軍国主義復活の方向には国民意思が統合されなかった、反動、逆コースの方向に改正されなかったという、それは肯定的に評価していいと思います。
しかし、それは、憲法が改正されなかったから軍国主義が復活しなかったという考え方が表明されておりますけれども、実際には、軍国主義が復活しない程度に日本の民主主義が大人になっていたということであって、日本人の、国民の意識がそこまで高まっていたから軍国主義復活の方向に憲法が改正されなかった。憲法があったから軍国主義が復活されなかったのではなく、要するに、日本国民の意識がもう民主主義的に高まっていたので軍国主義の方向には改正されなかったということだと考えます。
日本国憲法の改正というのは、軍国主義の方向以外の改正もあり得るわけでありますし、中身の問題はこれからさらに議論を詰めるわけでありますけれども、前回の自由討論で述べたように、高度情報通信社会に対応し、改正すべき点は多々あると考えます。
日本の政治が目的とすべきなのは、日本国憲法の理念、理念はすばらしいものであります。それを一層実現しやすくするため、憲法の具体的文言をよりよいものに直していこうとする現実的な憲法改正に向けて、国民意思の統合を達成することであると考えます。
以上でございます。
中
深
深田肇#16
○深田委員 私は、社会民主党・市民連合の深田肇でございます。社会民主党・市民連合を代表いたしまして、これまでの憲法制定過程についての調査を受け、今後の憲法調査会の運営に絞りまして発言をいたしたいと思います。
十人の参考人の諸先生の御意見を拝聴いたしました。これを受けての質疑も拝聴いたしました。その上で、押しつけがあったことを重視して改憲に結びつけるという、いわゆる押しつけ改憲論は問題にならないんだなというふうに、このことを明らかにされたことが大変大きな成果であったというふうに考えております。そこで、最も大切なことは、憲法の精神の政策化、具体化をすることが大切なことだというふうに強く確信をしたところでございます。
さて、解散・総選挙も間近でございますし、突っ込んだ深い議論は総選挙後の新しい政治勢力で行うべきと考えておりますが、これまでの論議を踏まえて、今後の調査の進め方について次の四点を社民党として提案をいたしておきたいと思います。
その一つは、調査の進め方についてでありますが、日本国憲法について調査するというその重要性にかんがみ、無所属の方やその会の方やさきがけの方も含めた少数会派にも委員を割り当てた方がいいのではないかと思います。委員数や各党の発言時間も可能な限り公平にするように、御配慮のほどをお願いいたしておきたいと思います。
二つ目は、戦後五十年が過ぎて、憲法にかかわって起こった訴訟がございます。社会問題を洗い直してみることが必要ではないかというふうに思っております。
例えば、二十五条の生存権を求めた朝日訴訟、九条とのかかわりを求めた自衛隊の訴訟、政教分離のかかわりを求めた訴訟など、数多くの訴訟が憲法との関係で起きていることは御案内のとおりであります。これらの訴訟を真摯に見詰め直すことが、憲法の精神の具体化を考える上で最も重要なことだと考えております。
三つ目は、憲法上、法律の制定や政策の立案に当たって何かの制約になったことがあったんだろうかというふうに思います。
最近、地方分権や環境権、知る権利、プライバシーの権利など新しい人権が今の憲法に規定されていないといった主張もなされておりますけれども、それらは、官僚の方からの抵抗や、率直に申し上げますが、自民党政権が消極的であったからではないかというふうに思っているところであります。むしろ、憲法をよりどころとして、それを工夫してきたからこそ、今までここまでやることができたのではないかというふうに私どもは考えております。
憲法が新しい人権の足を引っ張ったことがあっただろうか。私は、それはなかったと思います。本当に憲法によってそれらが進まなかったのかということについて、検証してみる必要があると考えていることを申し上げておきたいと思います。
さて、最後の四つ目は、今までの政権が憲法にどう対応してきたかということであります。
政府の憲法記念日の取り組みについては、本当にここ数年寂しいものがあるというふうに思います。憲法と現実の矛盾をなくする努力が政権の側でどれだけ真剣になされてきたかを問い直してみる必要が、この機会にあるというふうに思っております。
現実に憲法を合わせろというのではなくて、憲法が十分に機能していない部分はどこで、それは何が原因であったのかを客観的に明らかにすることが本委員会の大きな任務だろうというふうに思っているところでございます。日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う本委員会の任務でございますから、憲法の尊重擁護義務を持つ国会議員による調査であることから、現行憲法の理念の実現のための調査を、客観的に公正に、事実に即して実施するところに本委員会の役割があると思いますので、会長におかれましては、どうぞ御配慮のほどをお願い申し上げておきたいと存じます。
現憲法は、二度の世界大戦という戦争の時代の多くの犠牲の上に立ってつくられたものであり、二十一世紀の時代を先取りする価値を持っているというふうに思います。我が社民党は、その憲法の持つ価値を現実の中で実現していく積極的な取り組みを展開していくことをもう一度申し上げまして、私の発言を終わりたいと存じます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →十人の参考人の諸先生の御意見を拝聴いたしました。これを受けての質疑も拝聴いたしました。その上で、押しつけがあったことを重視して改憲に結びつけるという、いわゆる押しつけ改憲論は問題にならないんだなというふうに、このことを明らかにされたことが大変大きな成果であったというふうに考えております。そこで、最も大切なことは、憲法の精神の政策化、具体化をすることが大切なことだというふうに強く確信をしたところでございます。
さて、解散・総選挙も間近でございますし、突っ込んだ深い議論は総選挙後の新しい政治勢力で行うべきと考えておりますが、これまでの論議を踏まえて、今後の調査の進め方について次の四点を社民党として提案をいたしておきたいと思います。
その一つは、調査の進め方についてでありますが、日本国憲法について調査するというその重要性にかんがみ、無所属の方やその会の方やさきがけの方も含めた少数会派にも委員を割り当てた方がいいのではないかと思います。委員数や各党の発言時間も可能な限り公平にするように、御配慮のほどをお願いいたしておきたいと思います。
二つ目は、戦後五十年が過ぎて、憲法にかかわって起こった訴訟がございます。社会問題を洗い直してみることが必要ではないかというふうに思っております。
例えば、二十五条の生存権を求めた朝日訴訟、九条とのかかわりを求めた自衛隊の訴訟、政教分離のかかわりを求めた訴訟など、数多くの訴訟が憲法との関係で起きていることは御案内のとおりであります。これらの訴訟を真摯に見詰め直すことが、憲法の精神の具体化を考える上で最も重要なことだと考えております。
三つ目は、憲法上、法律の制定や政策の立案に当たって何かの制約になったことがあったんだろうかというふうに思います。
最近、地方分権や環境権、知る権利、プライバシーの権利など新しい人権が今の憲法に規定されていないといった主張もなされておりますけれども、それらは、官僚の方からの抵抗や、率直に申し上げますが、自民党政権が消極的であったからではないかというふうに思っているところであります。むしろ、憲法をよりどころとして、それを工夫してきたからこそ、今までここまでやることができたのではないかというふうに私どもは考えております。
憲法が新しい人権の足を引っ張ったことがあっただろうか。私は、それはなかったと思います。本当に憲法によってそれらが進まなかったのかということについて、検証してみる必要があると考えていることを申し上げておきたいと思います。
さて、最後の四つ目は、今までの政権が憲法にどう対応してきたかということであります。
政府の憲法記念日の取り組みについては、本当にここ数年寂しいものがあるというふうに思います。憲法と現実の矛盾をなくする努力が政権の側でどれだけ真剣になされてきたかを問い直してみる必要が、この機会にあるというふうに思っております。
現実に憲法を合わせろというのではなくて、憲法が十分に機能していない部分はどこで、それは何が原因であったのかを客観的に明らかにすることが本委員会の大きな任務だろうというふうに思っているところでございます。日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う本委員会の任務でございますから、憲法の尊重擁護義務を持つ国会議員による調査であることから、現行憲法の理念の実現のための調査を、客観的に公正に、事実に即して実施するところに本委員会の役割があると思いますので、会長におかれましては、どうぞ御配慮のほどをお願い申し上げておきたいと存じます。
現憲法は、二度の世界大戦という戦争の時代の多くの犠牲の上に立ってつくられたものであり、二十一世紀の時代を先取りする価値を持っているというふうに思います。我が社民党は、その憲法の持つ価値を現実の中で実現していく積極的な取り組みを展開していくことをもう一度申し上げまして、私の発言を終わりたいと存じます。ありがとうございました。
中
中
葉
葉梨信行#19
○葉梨委員 昭和二十年十月に当時の政府によりまして組織されました憲法問題調査委員会におきまして、松本烝治国務大臣を中心として、日本の手による憲法草案が審議されました。
この松本試案でございますが、大変評価されることが少ないのでございますけれども、私は、当時にあって、本来は英国的立憲君主制を志したものでございまして、明治憲法を踏まえ、格段に開明的な試案であったということ、当然一定の限界はございましたけれども、これは歴史的な経過としては再評価をすべきであるということを申し上げておきたいと思います。
さて、現行憲法制定経過につきまして、占領下という厳しい状況の中で、我が国では幣原総理、引き続いて吉田総理、あるいは衆議院の芦田小委員長等々と、GHQのマッカーサー元帥以下、ケーディス次長等との対応につきまして、各参考人から詳細にいろいろな御見解を伺いましたが、当時、占領下という厳しい状況の中にあり、時代の大きな転換期にいかに対処するか、国家の将来を憂えて、また苦悩に満ちた時期であった、また苦悩に満ちた過程であったということを痛感しておるところでございます。
同時にまた、現行憲法のもとに、我が国は、戦後、世界史に例を見ない経済的発展を遂げ、今日に至っております。我が国は、敗戦を経まして、五大改革を実現し、まさに新しい日本をつくり出したことを高く評価しているものでございます。
しかし同時に、大事なものにつきまして認識にずれがなかったか、忘れてはならぬはずのものを忘れていないかということを指摘したいのでございます。
西ドイツ基本法、西独基本法にうたわれております戦う民主主義という理念に対比しまして、我々日本人は、民主主義につき深く考え、正しく理解してきただろうか。自由の精神は公的精神の欠落という形に傾き、未成熟そのものではないだろうか。長い日本の歴史への敬意、国家の存在、日本人のアイデンティティー等々につきまして、我々の念頭から薄れたことはなかっただろうか等を指摘させていただきたいと思うのでございます。
さて、冷戦終結後十年を経ました今日、我が国の平和と繁栄は国際貢献なしにはあり得ないことが既に国民的コンセンサスとなっております。阪神大震災、地下鉄サリン事件等から五年を経過いたしましたが、当時あれだけ叫ばれました危機管理については、いまだに十分な体制が整備されたとは言えません。国内、国外における非常事態について、今後この調査会において真摯な議論が必要ではないでしょうか。
今日、激増する少年犯罪とその残虐性を見るとき、現行憲法が日本人の心の中の深い部分にマイナスに作用した面があることは否定しがたいように思えます。犯罪人の人権は尊重されるけれども、犯罪被害者の人権はほとんど無視されるに等しい現状であることはだれしも認めるところでありますが、これら現行憲法下では、日の当たることがなかった人々への責任はだれがとるべきなのだろうか、こうした問題についてもぜひともこの調査会で今後取り上げたいと考えております。
国連憲章第五十一条は、国連加盟国に対し、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権をも国家固有の権利として設定しております。この意味からしましても、憲法第九条第一項を堅持しながら、第二項の改正が必要であることは自明の理でございます。
現行憲法制定時の日本と現在の日本は、経済的にも、国際社会における地位も、同じ国とは思えないほど飛躍的発展を遂げました。我が国は、世界第二位の経済大国として、国際社会の中で果たすべき役割はますます大きなものとならざるを得ません。我々は、いたずらに権利のみを主張し、国家、社会、家族への責任と義務を軽視する風潮を改め、国民一人一人が自己責任原則に基づき、みずからの自由を実現する社会を目指すべきであると思います。
前回の調査会における中曽根元総理の御発言のとおり、二十一世紀にふさわしい国民憲法の制定に向けて、私も与党筆頭幹事として当調査会において微力を尽くす所存でございます。
この発言だけを見る →この松本試案でございますが、大変評価されることが少ないのでございますけれども、私は、当時にあって、本来は英国的立憲君主制を志したものでございまして、明治憲法を踏まえ、格段に開明的な試案であったということ、当然一定の限界はございましたけれども、これは歴史的な経過としては再評価をすべきであるということを申し上げておきたいと思います。
さて、現行憲法制定経過につきまして、占領下という厳しい状況の中で、我が国では幣原総理、引き続いて吉田総理、あるいは衆議院の芦田小委員長等々と、GHQのマッカーサー元帥以下、ケーディス次長等との対応につきまして、各参考人から詳細にいろいろな御見解を伺いましたが、当時、占領下という厳しい状況の中にあり、時代の大きな転換期にいかに対処するか、国家の将来を憂えて、また苦悩に満ちた時期であった、また苦悩に満ちた過程であったということを痛感しておるところでございます。
同時にまた、現行憲法のもとに、我が国は、戦後、世界史に例を見ない経済的発展を遂げ、今日に至っております。我が国は、敗戦を経まして、五大改革を実現し、まさに新しい日本をつくり出したことを高く評価しているものでございます。
しかし同時に、大事なものにつきまして認識にずれがなかったか、忘れてはならぬはずのものを忘れていないかということを指摘したいのでございます。
西ドイツ基本法、西独基本法にうたわれております戦う民主主義という理念に対比しまして、我々日本人は、民主主義につき深く考え、正しく理解してきただろうか。自由の精神は公的精神の欠落という形に傾き、未成熟そのものではないだろうか。長い日本の歴史への敬意、国家の存在、日本人のアイデンティティー等々につきまして、我々の念頭から薄れたことはなかっただろうか等を指摘させていただきたいと思うのでございます。
さて、冷戦終結後十年を経ました今日、我が国の平和と繁栄は国際貢献なしにはあり得ないことが既に国民的コンセンサスとなっております。阪神大震災、地下鉄サリン事件等から五年を経過いたしましたが、当時あれだけ叫ばれました危機管理については、いまだに十分な体制が整備されたとは言えません。国内、国外における非常事態について、今後この調査会において真摯な議論が必要ではないでしょうか。
今日、激増する少年犯罪とその残虐性を見るとき、現行憲法が日本人の心の中の深い部分にマイナスに作用した面があることは否定しがたいように思えます。犯罪人の人権は尊重されるけれども、犯罪被害者の人権はほとんど無視されるに等しい現状であることはだれしも認めるところでありますが、これら現行憲法下では、日の当たることがなかった人々への責任はだれがとるべきなのだろうか、こうした問題についてもぜひともこの調査会で今後取り上げたいと考えております。
国連憲章第五十一条は、国連加盟国に対し、個別的自衛権のみならず、集団的自衛権をも国家固有の権利として設定しております。この意味からしましても、憲法第九条第一項を堅持しながら、第二項の改正が必要であることは自明の理でございます。
現行憲法制定時の日本と現在の日本は、経済的にも、国際社会における地位も、同じ国とは思えないほど飛躍的発展を遂げました。我が国は、世界第二位の経済大国として、国際社会の中で果たすべき役割はますます大きなものとならざるを得ません。我々は、いたずらに権利のみを主張し、国家、社会、家族への責任と義務を軽視する風潮を改め、国民一人一人が自己責任原則に基づき、みずからの自由を実現する社会を目指すべきであると思います。
前回の調査会における中曽根元総理の御発言のとおり、二十一世紀にふさわしい国民憲法の制定に向けて、私も与党筆頭幹事として当調査会において微力を尽くす所存でございます。
藤
藤村修#20
○藤村委員 早速の御指名をいただきありがとうございます。民主党の藤村修でございます。
本憲法調査会におきまして、最初のテーマとして憲法の制定過程、その経緯ということを選んでいただき、きょうまでの調査を進めてきたことにつきまして、私は一定の評価ができるものと思います。
既に、憲法制定過程については、占領期が終わって、制定の経緯が明らかになってきた段階からさまざまな議論がされていたことを承知しています。あるいは、膨大な資料や書籍も出ているわけであります。だから、もはや制定過程の問題は克服されているとするのは、しかしこれは一部専門家の中でのことではないでしょうか。戦後生まれの私自身、あるいは私の世代、あるいはそれより若い世代の国会議員にとってもそうかもしれませんが、この機会に日本の歴史の大きな転換点についての詳しい調査ができたこと、これが大変意義あるものと考えております。
そこで、憲法の制定過程の調査を終えて、総括の質疑ということでございますので、所感を幾つか述べさせていただきます。
まず第一に、現憲法は、明治憲法の改正手続を経て、いわゆる改正憲法としてあるわけですけれども、実態的にはポツダム宣言受諾による敗戦で、日本が生まれ変わるための全く新しい国の形を決める創憲、憲法をつくる創憲であったことであります。
今、憲法論議の中では、この創憲論が私よりも若い世代の中からも起こっておりますが、今回の制定過程を振り返るときに、この創憲というものは、国が生まれ変わるような歴史的な大転換というバックグラウンドの中でこそ可能であることを確認いたしました。つまり、今、現代は大きな歴史的な転換の時期であるとの認識は政治家の中に多く抱くものであるとしても、それは、日本国民全体にとっては、必ずしも、日本史の中で、あの一九四五年の事態と比べてそれほどの大転換の時期であるとの認識はまだまだ薄い、あるいは少ないと考えます。
第二に、相変わらずの押しつけ論による憲法の正統性から改憲を唱える意見もございましたが、私は、こう言うとなんですが、押しつけられて今の憲法ができたことがむしろよかったのではないかと戦後生まれの一人として考えております。民主主義の、学校の一年生がいろいろなことをある意味では押しつけて教えられてくる、そういう教育がございますが、そのことと近いかと存じます。
つまり、GHQが草案を作成するに至ったのは、その前に松本案から発するあの四六年二月八日の憲法改正要綱が、今で言うところのグローバルスタンダードから見ても余りに非民主的であったからであって、このことは大半の賛同を得られるものと思います。敗戦当時、天皇主権の国体を守ることに腐心した政治家たちと、当時の国民がGHQ草案から発する憲法改正案の基本部分などをおおむね支持していたこととの開きは大変大きいと思います。
今確認すべきは、日本国憲法はGHQの強い影響力のもとで日本政府に制定を促したことは間違いのない事実であること、しかし、当時の国民からこの憲法の骨格や理念や各条項が支持されたことも歴史的な事実であるということであります。
第三に、今後の憲法調査会の役割についてでございます。私は、大いに論憲が必要との立場から、憲法調査会の今後の役割に期待をするものでございます。
その上で、私は、今後五年ぐらいの間の議論をしたところで、果たして創憲という、つまり憲法を全く新しくつくるというほどの内圧、外圧のエネルギーが出てくるのでしょうか。あるいは、歴史的に見て、現代がそういうことであるのでしょうか。そこに対しては大変疑問を感じます。歴史的な必然性が出てこないと思います。ですから、創憲論という全く憲法を一からつくり直すというところには至らないのではないか、そのように考えております。
ただし、きょうまでの議論の過程でも出ておりました、例えば日本語として不明な部分であるとか、あるいは、それ以外には、解釈の積み重ねが高じて文章上から見ても大変ふぐあいであるとか、あるいは、今の若い人が見てもさっぱりわからないなどについて、いわゆる修正する憲法、修憲が必要であることを認めます。さらに、世界情勢の大きな変化による日本の役割、あるいは国内的にも、地方分権とか、国会のあり方などについて、これは十分な国民的議論を重ねて、改憲を視野に入れて考えていくことは妥当であることを申し上げて、意見表明とさせていただきます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →本憲法調査会におきまして、最初のテーマとして憲法の制定過程、その経緯ということを選んでいただき、きょうまでの調査を進めてきたことにつきまして、私は一定の評価ができるものと思います。
既に、憲法制定過程については、占領期が終わって、制定の経緯が明らかになってきた段階からさまざまな議論がされていたことを承知しています。あるいは、膨大な資料や書籍も出ているわけであります。だから、もはや制定過程の問題は克服されているとするのは、しかしこれは一部専門家の中でのことではないでしょうか。戦後生まれの私自身、あるいは私の世代、あるいはそれより若い世代の国会議員にとってもそうかもしれませんが、この機会に日本の歴史の大きな転換点についての詳しい調査ができたこと、これが大変意義あるものと考えております。
そこで、憲法の制定過程の調査を終えて、総括の質疑ということでございますので、所感を幾つか述べさせていただきます。
まず第一に、現憲法は、明治憲法の改正手続を経て、いわゆる改正憲法としてあるわけですけれども、実態的にはポツダム宣言受諾による敗戦で、日本が生まれ変わるための全く新しい国の形を決める創憲、憲法をつくる創憲であったことであります。
今、憲法論議の中では、この創憲論が私よりも若い世代の中からも起こっておりますが、今回の制定過程を振り返るときに、この創憲というものは、国が生まれ変わるような歴史的な大転換というバックグラウンドの中でこそ可能であることを確認いたしました。つまり、今、現代は大きな歴史的な転換の時期であるとの認識は政治家の中に多く抱くものであるとしても、それは、日本国民全体にとっては、必ずしも、日本史の中で、あの一九四五年の事態と比べてそれほどの大転換の時期であるとの認識はまだまだ薄い、あるいは少ないと考えます。
第二に、相変わらずの押しつけ論による憲法の正統性から改憲を唱える意見もございましたが、私は、こう言うとなんですが、押しつけられて今の憲法ができたことがむしろよかったのではないかと戦後生まれの一人として考えております。民主主義の、学校の一年生がいろいろなことをある意味では押しつけて教えられてくる、そういう教育がございますが、そのことと近いかと存じます。
つまり、GHQが草案を作成するに至ったのは、その前に松本案から発するあの四六年二月八日の憲法改正要綱が、今で言うところのグローバルスタンダードから見ても余りに非民主的であったからであって、このことは大半の賛同を得られるものと思います。敗戦当時、天皇主権の国体を守ることに腐心した政治家たちと、当時の国民がGHQ草案から発する憲法改正案の基本部分などをおおむね支持していたこととの開きは大変大きいと思います。
今確認すべきは、日本国憲法はGHQの強い影響力のもとで日本政府に制定を促したことは間違いのない事実であること、しかし、当時の国民からこの憲法の骨格や理念や各条項が支持されたことも歴史的な事実であるということであります。
第三に、今後の憲法調査会の役割についてでございます。私は、大いに論憲が必要との立場から、憲法調査会の今後の役割に期待をするものでございます。
その上で、私は、今後五年ぐらいの間の議論をしたところで、果たして創憲という、つまり憲法を全く新しくつくるというほどの内圧、外圧のエネルギーが出てくるのでしょうか。あるいは、歴史的に見て、現代がそういうことであるのでしょうか。そこに対しては大変疑問を感じます。歴史的な必然性が出てこないと思います。ですから、創憲論という全く憲法を一からつくり直すというところには至らないのではないか、そのように考えております。
ただし、きょうまでの議論の過程でも出ておりました、例えば日本語として不明な部分であるとか、あるいは、それ以外には、解釈の積み重ねが高じて文章上から見ても大変ふぐあいであるとか、あるいは、今の若い人が見てもさっぱりわからないなどについて、いわゆる修正する憲法、修憲が必要であることを認めます。さらに、世界情勢の大きな変化による日本の役割、あるいは国内的にも、地方分権とか、国会のあり方などについて、これは十分な国民的議論を重ねて、改憲を視野に入れて考えていくことは妥当であることを申し上げて、意見表明とさせていただきます。ありがとうございました。
杉
杉浦正健#21
○杉浦委員 自由民主党の杉浦でございます。御指名をいただきましてありがとうございました。
参考人の方々の、多くの専門家の方々の御陳述を拝聴し改めて感じましたことの一つは、資料としてちょうだいいたしましたが、非常に大部なものでございますけれども、政府に設置されました憲法調査会、残念ながら国会ではございませんでしたが、あの調査会で詳細に御調査をされた内容とほぼ一致していると申しますか、制定の経緯、問題点が調べ尽くされているということを発見いたしまして、改めまして、あの政府憲法調査会にかかわられた方々の御努力のほどをしのんだわけでございます。
温故知新という言葉がございますが、それらの先人の努力、それからこのたびの参考人の御意見陳述、そしてそれにまつわる質疑を詳しく拝聴いたしておりまして、先ほど保岡興治先生あるいは葉梨筆頭からお話がございましたように、将来、我々がこの憲法について調査をし尽くした上で、改正を要するさまざまな問題点も浮かび上がってきたように思います。
この新憲法の制定当時に反対をされた共産党さんが今は護憲の立場に回っておられるということも、これは歴史の皮肉でございますが、あの憲法調査会の調査結果が国会で取り上げられずにそのまま日の目を見なかった。改めてこの調査会で調査が始まって、将来を目指していくというのも、やはり大きな時代の転換というものを示すのではないかとも思うのでございます。
若干感想を申させていただきましたが、当調査会におきまして、将来に向かって日本の国家社会のあり方はいかにあるべきかということを見据えて、我々が考えていく出発点を多くの参考人の質疑の中からちょうだいしたのではないかと思っておる次第でございます。
先日、自民党の憲法調査会、私は副会長を仰せつかっておりますが、その席上で、早急に自民党としての憲法改正草案の検討を行うべきではないかということを申させていただきました。これから本調査会におけるさまざまな調査、検討と並行して、各党各会派あるいは個人で、日本の将来に向かって前向きの検討が進められ、中曽根元総理が先日おっしゃったように、できるだけ早い機会に国会として、新しい、創憲ともいうべき、二十一世紀以降の日本の将来を目指す憲法の制定に等しい作業が開始されることを心から願い、委員の一人として今後とも努力していきたいと存じておる次第でございます。
会長、ありがとうございました。
この発言だけを見る →参考人の方々の、多くの専門家の方々の御陳述を拝聴し改めて感じましたことの一つは、資料としてちょうだいいたしましたが、非常に大部なものでございますけれども、政府に設置されました憲法調査会、残念ながら国会ではございませんでしたが、あの調査会で詳細に御調査をされた内容とほぼ一致していると申しますか、制定の経緯、問題点が調べ尽くされているということを発見いたしまして、改めまして、あの政府憲法調査会にかかわられた方々の御努力のほどをしのんだわけでございます。
温故知新という言葉がございますが、それらの先人の努力、それからこのたびの参考人の御意見陳述、そしてそれにまつわる質疑を詳しく拝聴いたしておりまして、先ほど保岡興治先生あるいは葉梨筆頭からお話がございましたように、将来、我々がこの憲法について調査をし尽くした上で、改正を要するさまざまな問題点も浮かび上がってきたように思います。
この新憲法の制定当時に反対をされた共産党さんが今は護憲の立場に回っておられるということも、これは歴史の皮肉でございますが、あの憲法調査会の調査結果が国会で取り上げられずにそのまま日の目を見なかった。改めてこの調査会で調査が始まって、将来を目指していくというのも、やはり大きな時代の転換というものを示すのではないかとも思うのでございます。
若干感想を申させていただきましたが、当調査会におきまして、将来に向かって日本の国家社会のあり方はいかにあるべきかということを見据えて、我々が考えていく出発点を多くの参考人の質疑の中からちょうだいしたのではないかと思っておる次第でございます。
先日、自民党の憲法調査会、私は副会長を仰せつかっておりますが、その席上で、早急に自民党としての憲法改正草案の検討を行うべきではないかということを申させていただきました。これから本調査会におけるさまざまな調査、検討と並行して、各党各会派あるいは個人で、日本の将来に向かって前向きの検討が進められ、中曽根元総理が先日おっしゃったように、できるだけ早い機会に国会として、新しい、創憲ともいうべき、二十一世紀以降の日本の将来を目指す憲法の制定に等しい作業が開始されることを心から願い、委員の一人として今後とも努力していきたいと存じておる次第でございます。
会長、ありがとうございました。
石
石田勝之#22
○石田(勝)委員 発言の機会をお与えいただきましてありがとうございました。
この調査会におけるこれまでの論議、参考人の先生方のお話では、日本国憲法がGHQの押しつけであったという御意見が大勢を占めたわけであります。私もそのように思います。しかし、だからといって、押しつけだから改正する、私はそういう考えではございません。
参考人の陳述の中で、高橋香川大学教授は、講和条約の締結をきっかけとして、日本国憲法は押しつけの憲法ではなく、それを支える意思と諸力によって国民の憲法として認知されたと主張されました。講和条約の締結で一挙にそうなったかどうかは別としても、少なくとも我が国の高度経済成長時代までは、日本国憲法は、出生の事情にかかわらず、ほとんどの国民と政党に受け入れられ、国民の間に定着したと考えてよいと思います。
高度経済成長によって、我が国は経済大国となりました。我が国の経済は、その後も安定成長に入り、バブルの発生とその崩壊も経験をいたしました。その間にも、コンピューター技術を中心とする高度情報通信産業の発展により、経済、社会のグローバル化が一挙に進展をいたしました。さらには、地球環境問題の深刻化、国際的には、ベルリンの壁の崩壊による東西冷戦の終結、米ソの二大超大国のバランスが崩れたことにより、世界各地での民族紛争の勃発など、さまざまな環境や条件の変化の中で、さまざまな日本国憲法に対する意見が出てきたのは確かであります。特に、湾岸戦争における我が国の対応について、憲法とのかかわりがいろいろ議論されました。
戦後五十数年、二十一世紀を目前とするこの時期に、私は、各種新聞の世論調査で憲法改正の意見が多数を占めつつある現状から、憲法改正の機は熟していると判断をいたしております。そういう立場からいたしますと、これまでの日本国憲法の制定過程に関する議論、参考人陳述はそれなりに意義があったと思いますが、制定過程についてこれ以上議論を続けることはそれほど意味のあることではない、むしろ、次の段階に進むべきだというふうに思っております。
衆参の両院で憲法調査会が設置され、それぞれで議論を始めて約四カ月経過をいたしました。国民の間にも憲法に対する関心が急速に高まってきたと私は思います。読売新聞も、五月三日の憲法記念日に合わせて、憲法改正の第二次試案を発表いたしました。この機をとらえて、我々も、護憲派や改憲派という立場に固執せず、現実的で前向きの、改正に向けた建設的な議論を進めるべきだと思います。
以上でございます。
この発言だけを見る →この調査会におけるこれまでの論議、参考人の先生方のお話では、日本国憲法がGHQの押しつけであったという御意見が大勢を占めたわけであります。私もそのように思います。しかし、だからといって、押しつけだから改正する、私はそういう考えではございません。
参考人の陳述の中で、高橋香川大学教授は、講和条約の締結をきっかけとして、日本国憲法は押しつけの憲法ではなく、それを支える意思と諸力によって国民の憲法として認知されたと主張されました。講和条約の締結で一挙にそうなったかどうかは別としても、少なくとも我が国の高度経済成長時代までは、日本国憲法は、出生の事情にかかわらず、ほとんどの国民と政党に受け入れられ、国民の間に定着したと考えてよいと思います。
高度経済成長によって、我が国は経済大国となりました。我が国の経済は、その後も安定成長に入り、バブルの発生とその崩壊も経験をいたしました。その間にも、コンピューター技術を中心とする高度情報通信産業の発展により、経済、社会のグローバル化が一挙に進展をいたしました。さらには、地球環境問題の深刻化、国際的には、ベルリンの壁の崩壊による東西冷戦の終結、米ソの二大超大国のバランスが崩れたことにより、世界各地での民族紛争の勃発など、さまざまな環境や条件の変化の中で、さまざまな日本国憲法に対する意見が出てきたのは確かであります。特に、湾岸戦争における我が国の対応について、憲法とのかかわりがいろいろ議論されました。
戦後五十数年、二十一世紀を目前とするこの時期に、私は、各種新聞の世論調査で憲法改正の意見が多数を占めつつある現状から、憲法改正の機は熟していると判断をいたしております。そういう立場からいたしますと、これまでの日本国憲法の制定過程に関する議論、参考人陳述はそれなりに意義があったと思いますが、制定過程についてこれ以上議論を続けることはそれほど意味のあることではない、むしろ、次の段階に進むべきだというふうに思っております。
衆参の両院で憲法調査会が設置され、それぞれで議論を始めて約四カ月経過をいたしました。国民の間にも憲法に対する関心が急速に高まってきたと私は思います。読売新聞も、五月三日の憲法記念日に合わせて、憲法改正の第二次試案を発表いたしました。この機をとらえて、我々も、護憲派や改憲派という立場に固執せず、現実的で前向きの、改正に向けた建設的な議論を進めるべきだと思います。
以上でございます。
石
石破茂#23
○石破委員 自由民主党の石破でございます。
改憲であるとか論憲であるとか創憲であるとか、いろいろな言葉が飛び交っておりますが、もう一度、私も、今までいろいろな議論をして、発言をしてきたことを整理したいと思います。
日本国憲法は、確かに押しつけの面があったと思います。少なくとも、当時の日本国民が完全に自由な意思によってつくったものではないということは事実でありましょう。制定したのは天皇であられるのか、日本国民なのか、マッカーサーなのか、極東委員会なのか、この四つの可能性があるんでしょうが、どれか一つに断定をするというのは決して正しくない。
あえて正確に言えば、この日本国憲法は、前文に、日本国民はこの憲法を確定するとあるように、これは八月革命説をとらないとかなり難しい論理構成かとは思いますが、国民が、それで形式的には、上諭の中に朕は裁可するという言葉があるように、天皇が、極東委員会の権限を無視する形で、日本国政府を従属させている、サブジェクト・ツーというものですが、その権限に基づいて占領軍が制定した、これが恐らく一番正確なことなんだろうと私は思っています。
しかし、それは歴史的な事実でありますけれども、では、だからどうなんだと。だから無効であり、改正すべきだということには論理的にはならないと思っています。押しつけ論に立ったとしても、それでは、憲法全部が押しつけだから無効である、こういう主張をするのか、九条を初めとする幾つかの条文が無効であるとするのか、どちらをとるかによって、論理構成は全然違ってくるんだろうと思います。全部を無効だということにするならば、それじゃ、今までの法秩序や法体系は一体どうなっちゃうんだということになりましょうし、一部は無効だということは、ほかのものは有効だということになって、これまたなかなか苦しい論理構成なのかなというふうに私は思っているのです。
民法的に言えば、一種の瑕疵ある意思表示、強迫による意思表示はこれを取り消し得べきものとするということになるんでしょう。しかしながら、これはまた民法の規定によって、追認したるときは初めより有効なるものとみなす、こういうことになっている。強迫状態というのは占領状態であり、天皇のお命はどうなるかわからないよ、そういうような状態。占領されている状態、それが終了した後には、では、本当に我々はどうするんだということを積極的に考えなければいけなかった。
さっきどなたかがおっしゃったように、この日本国憲法は、当時の日本人にとっては大変居心地がいいというんでしょうか、カンファタブルというんでしょうか、そういうような面は持っていたんだと思います。そして、制定されたときに、憲法よりも飯だという雰囲気は圧倒的に強かった。マッカーサー崇拝という雰囲気も確かにあった。さらに言えば、仮に、あのときは日本共産党案と政府案しかなかったわけで、もう少し現実的な案が出ておったとして、それが支持されたかどうかはあくまでたられば論にしかすぎない。そのことの議論をすることにどれほどの意味があるのかなという気がしてならないわけであります。だからこそ、これは戦後長い間改正されないまま放置されてきた。
しかし、冷戦が終わって平和になったというさっきの佐々木委員のお話がありましたが、私は決してそうは思っていない。冷戦が終わってから、あちらこちらに地域間紛争が続発するようになったことをどのように考えるか。そしてまた、日本が置かれている立場、日本が置かれている地域環境を考えれば、冷戦が終わった、平和になった、だからこのままでいいんだという議論には私は絶対にくみしたくないというふうに思っておるわけであります。それをどのように考えるか。
そしてさらに言えば、憲法の変遷という議論をもう一度しなければいけないのだろうと私は思っています。すなわち、私学助成にしても現行犯逮捕の例外にしても、明らかに憲法の変遷というものはある、実際に行われている。それでは、憲法の変遷というものをどのように考えていくか。本当にきちんと成文で改憲をしなければいけないのか。だとすれば、私学助成はどうであったのか、現行犯逮捕の例外はどうであるのか、その辺の議論をきちんと詰めていかないと間に合わないのではないか。
私は、憲法残って国滅ぶということにはしたくない。憲法は日本国民のためにあるのであり、日本国の平和と日本国民の幸せのために憲法はある、私はその認識を持ちたいと思っております。
以上でございます。
この発言だけを見る →改憲であるとか論憲であるとか創憲であるとか、いろいろな言葉が飛び交っておりますが、もう一度、私も、今までいろいろな議論をして、発言をしてきたことを整理したいと思います。
日本国憲法は、確かに押しつけの面があったと思います。少なくとも、当時の日本国民が完全に自由な意思によってつくったものではないということは事実でありましょう。制定したのは天皇であられるのか、日本国民なのか、マッカーサーなのか、極東委員会なのか、この四つの可能性があるんでしょうが、どれか一つに断定をするというのは決して正しくない。
あえて正確に言えば、この日本国憲法は、前文に、日本国民はこの憲法を確定するとあるように、これは八月革命説をとらないとかなり難しい論理構成かとは思いますが、国民が、それで形式的には、上諭の中に朕は裁可するという言葉があるように、天皇が、極東委員会の権限を無視する形で、日本国政府を従属させている、サブジェクト・ツーというものですが、その権限に基づいて占領軍が制定した、これが恐らく一番正確なことなんだろうと私は思っています。
しかし、それは歴史的な事実でありますけれども、では、だからどうなんだと。だから無効であり、改正すべきだということには論理的にはならないと思っています。押しつけ論に立ったとしても、それでは、憲法全部が押しつけだから無効である、こういう主張をするのか、九条を初めとする幾つかの条文が無効であるとするのか、どちらをとるかによって、論理構成は全然違ってくるんだろうと思います。全部を無効だということにするならば、それじゃ、今までの法秩序や法体系は一体どうなっちゃうんだということになりましょうし、一部は無効だということは、ほかのものは有効だということになって、これまたなかなか苦しい論理構成なのかなというふうに私は思っているのです。
民法的に言えば、一種の瑕疵ある意思表示、強迫による意思表示はこれを取り消し得べきものとするということになるんでしょう。しかしながら、これはまた民法の規定によって、追認したるときは初めより有効なるものとみなす、こういうことになっている。強迫状態というのは占領状態であり、天皇のお命はどうなるかわからないよ、そういうような状態。占領されている状態、それが終了した後には、では、本当に我々はどうするんだということを積極的に考えなければいけなかった。
さっきどなたかがおっしゃったように、この日本国憲法は、当時の日本人にとっては大変居心地がいいというんでしょうか、カンファタブルというんでしょうか、そういうような面は持っていたんだと思います。そして、制定されたときに、憲法よりも飯だという雰囲気は圧倒的に強かった。マッカーサー崇拝という雰囲気も確かにあった。さらに言えば、仮に、あのときは日本共産党案と政府案しかなかったわけで、もう少し現実的な案が出ておったとして、それが支持されたかどうかはあくまでたられば論にしかすぎない。そのことの議論をすることにどれほどの意味があるのかなという気がしてならないわけであります。だからこそ、これは戦後長い間改正されないまま放置されてきた。
しかし、冷戦が終わって平和になったというさっきの佐々木委員のお話がありましたが、私は決してそうは思っていない。冷戦が終わってから、あちらこちらに地域間紛争が続発するようになったことをどのように考えるか。そしてまた、日本が置かれている立場、日本が置かれている地域環境を考えれば、冷戦が終わった、平和になった、だからこのままでいいんだという議論には私は絶対にくみしたくないというふうに思っておるわけであります。それをどのように考えるか。
そしてさらに言えば、憲法の変遷という議論をもう一度しなければいけないのだろうと私は思っています。すなわち、私学助成にしても現行犯逮捕の例外にしても、明らかに憲法の変遷というものはある、実際に行われている。それでは、憲法の変遷というものをどのように考えていくか。本当にきちんと成文で改憲をしなければいけないのか。だとすれば、私学助成はどうであったのか、現行犯逮捕の例外はどうであるのか、その辺の議論をきちんと詰めていかないと間に合わないのではないか。
私は、憲法残って国滅ぶということにはしたくない。憲法は日本国民のためにあるのであり、日本国の平和と日本国民の幸せのために憲法はある、私はその認識を持ちたいと思っております。
以上でございます。
田
田中眞紀子#24
○田中(眞)委員 やっと発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
第一回目の会議から諸先輩の発言を伺っておりまして感じたことを申し上げたいと思います。
それは、イデオロギーの立場を超えた意見の違いということは理解ができますけれども、何よりも世代間の意見の違いというものが非常に際立っているということを興味深く感じてまいりました。
例えば、若い世代の方たちがインターネットでありますとかEメールの交換をしていると言いましたらば、これは別に不思議なことでもなくて当然として受け取られます。しかし、七十、八十の方がEメールの交換をやっておるなんということをおっしゃると、これは、あのじいさんなかなかやるじゃないかというような評価をされる。まあ、ばあさんでもいいんですけれども。
それと同じように、改憲論につきましても同じことが言えると思うんです。お年のいった方が改憲論を言い出しますと、頑固で石頭でまた同じことを言っているというふうに言われがちであります。ところが、二十、三十代の若い方がそういうことを言うと、非常にリベラルであって、そしてなかなかしっかりした若者だわいというふうなことを言われる。そういうふうな傾向があるように思います。少なくとも我が自由民主党におきましてはそのような気風があります。最近はなかなかいろいろなことを言わせない気風もあるんですけれども、そういうふうなことは大体言えると思います。
日本国憲法の成立の過程について論じるということですけれども、これが押しつけであったかなかったかということを言うよりも、私は、五十三年たった今現在、私たちが集って一番するべきこと、それは今までタブー視されていたことだと思うんですね。
すなわち、一つは、日本及び日本の国民の一人一人が、自分の問題として戦争責任について十分な確認あるいは反省をしてきているか。いないということなんです。真正面からこういう問題をとらえてくるということが、対外的責任問題としてやるべきであったことがなされていなかったということ。
二つ目、国家の規範としての憲法の論争を長らく避けてきた嫌いがあると思います。もちろん、科学技術の進展ですとか、経済の成長でありますとか、国民の識字率が高いとか勤勉であるとか、そういうことはあるわけですけれども、本当に素直な心で、護憲であるとか改憲であるとかお互いにレッテルを張り合うのではなくて、非常に素直で、すんなりとした気持ちで憲法と対峙するということを国民全員が一人一人の問題としてやってこなかったということ、これは国内的に大変大きな禍根を残しているのではないかというふうに思います。
三点目、これは憲法の第一章で言われていることでありますけれども、天皇制、皇室のあり方と継承の問題です。これも一種のタブーとして置き去りにされてきている問題ではないかというふうに思います。
私は、GHQが新しい憲法をつくったときに、いろいろ問題があることはわかりますが、よくぞ天皇制を残してくれたというふうに思っている国民の一人であります。
そして、ある在京大使館でのパーティーで若き皇族とお話をいたしました。そのときに私は、偶然だったんですけれども、日本の皇族として現在のお立場をどのようにお考えになっておられますかと率直に伺いました。その方は、私の目を見て即答なさったんです。その言葉は、中途半端、中途半端ですと二回おっしゃいました。
日本は、大統領制とか書記長とかではなくて、天皇制をいただいております。チェアマンとかプレジデントではなくて、エンペラーなわけです。それが日本の、日本人の心や伝統や文化にどのような影響を及ぼしてきているかということについても、客観的に私たちは素直な気持ちでもう一度見直す必要があるのではないかというふうに思います。そして、この皇族の方のお気持ち、全員がそうだとは思いませんけれども、そういうお気持ちに対して我々がどのような対応を今後していくのかという視点も欠落してはいけないと思います。
たった衆参百人だけのこの会議でもって、いわゆる閉鎖的な形で、あるいは特権的な形で議論をされるべきではもちろんなくて、一般国民皆さんの憲法でありますから、ですから、もっとみんなが親しみを持って自由に考え、討論をするような気風をこの委員会から発信していく、この委員会をそのような発信の基地にするべきであるというふうに考えております。
IT革命ですとか行財政改革とか少子化とかエネルギー問題、地球環境問題、教育改革、そのほかいろいろな問題が言われていますけれども、今二十一世紀という扉の前に立って私たちは何をするか、グローバリゼーションの中で本当に世界に対して日本がどのような平和的貢献をするかということを考えた場合、日本はしっかりとした民族の伝統と文化に基づいた新しい民族の誇りとしての憲法をつくるということを考えなければならないのではないかというふうに思います。改正をする勇気、それから、守るべきはしっかりと守るという覚悟を持って私たちは今後取り組んでいくべきではないかと思います。
御指導をいただきますことをこいねがっております。
以上です。
この発言だけを見る →第一回目の会議から諸先輩の発言を伺っておりまして感じたことを申し上げたいと思います。
それは、イデオロギーの立場を超えた意見の違いということは理解ができますけれども、何よりも世代間の意見の違いというものが非常に際立っているということを興味深く感じてまいりました。
例えば、若い世代の方たちがインターネットでありますとかEメールの交換をしていると言いましたらば、これは別に不思議なことでもなくて当然として受け取られます。しかし、七十、八十の方がEメールの交換をやっておるなんということをおっしゃると、これは、あのじいさんなかなかやるじゃないかというような評価をされる。まあ、ばあさんでもいいんですけれども。
それと同じように、改憲論につきましても同じことが言えると思うんです。お年のいった方が改憲論を言い出しますと、頑固で石頭でまた同じことを言っているというふうに言われがちであります。ところが、二十、三十代の若い方がそういうことを言うと、非常にリベラルであって、そしてなかなかしっかりした若者だわいというふうなことを言われる。そういうふうな傾向があるように思います。少なくとも我が自由民主党におきましてはそのような気風があります。最近はなかなかいろいろなことを言わせない気風もあるんですけれども、そういうふうなことは大体言えると思います。
日本国憲法の成立の過程について論じるということですけれども、これが押しつけであったかなかったかということを言うよりも、私は、五十三年たった今現在、私たちが集って一番するべきこと、それは今までタブー視されていたことだと思うんですね。
すなわち、一つは、日本及び日本の国民の一人一人が、自分の問題として戦争責任について十分な確認あるいは反省をしてきているか。いないということなんです。真正面からこういう問題をとらえてくるということが、対外的責任問題としてやるべきであったことがなされていなかったということ。
二つ目、国家の規範としての憲法の論争を長らく避けてきた嫌いがあると思います。もちろん、科学技術の進展ですとか、経済の成長でありますとか、国民の識字率が高いとか勤勉であるとか、そういうことはあるわけですけれども、本当に素直な心で、護憲であるとか改憲であるとかお互いにレッテルを張り合うのではなくて、非常に素直で、すんなりとした気持ちで憲法と対峙するということを国民全員が一人一人の問題としてやってこなかったということ、これは国内的に大変大きな禍根を残しているのではないかというふうに思います。
三点目、これは憲法の第一章で言われていることでありますけれども、天皇制、皇室のあり方と継承の問題です。これも一種のタブーとして置き去りにされてきている問題ではないかというふうに思います。
私は、GHQが新しい憲法をつくったときに、いろいろ問題があることはわかりますが、よくぞ天皇制を残してくれたというふうに思っている国民の一人であります。
そして、ある在京大使館でのパーティーで若き皇族とお話をいたしました。そのときに私は、偶然だったんですけれども、日本の皇族として現在のお立場をどのようにお考えになっておられますかと率直に伺いました。その方は、私の目を見て即答なさったんです。その言葉は、中途半端、中途半端ですと二回おっしゃいました。
日本は、大統領制とか書記長とかではなくて、天皇制をいただいております。チェアマンとかプレジデントではなくて、エンペラーなわけです。それが日本の、日本人の心や伝統や文化にどのような影響を及ぼしてきているかということについても、客観的に私たちは素直な気持ちでもう一度見直す必要があるのではないかというふうに思います。そして、この皇族の方のお気持ち、全員がそうだとは思いませんけれども、そういうお気持ちに対して我々がどのような対応を今後していくのかという視点も欠落してはいけないと思います。
たった衆参百人だけのこの会議でもって、いわゆる閉鎖的な形で、あるいは特権的な形で議論をされるべきではもちろんなくて、一般国民皆さんの憲法でありますから、ですから、もっとみんなが親しみを持って自由に考え、討論をするような気風をこの委員会から発信していく、この委員会をそのような発信の基地にするべきであるというふうに考えております。
IT革命ですとか行財政改革とか少子化とかエネルギー問題、地球環境問題、教育改革、そのほかいろいろな問題が言われていますけれども、今二十一世紀という扉の前に立って私たちは何をするか、グローバリゼーションの中で本当に世界に対して日本がどのような平和的貢献をするかということを考えた場合、日本はしっかりとした民族の伝統と文化に基づいた新しい民族の誇りとしての憲法をつくるということを考えなければならないのではないかというふうに思います。改正をする勇気、それから、守るべきはしっかりと守るという覚悟を持って私たちは今後取り組んでいくべきではないかと思います。
御指導をいただきますことをこいねがっております。
以上です。
高
高市早苗#25
○高市委員 ありがとうございます。自由民主党の高市早苗でございます。
そもそも、昨年あたりまでは憲法を議論すること自体の正当性を議論しなくてはなりませんでした。憲法論議そのものの是非を論ずることに長年多大なエネルギーを費やしてきましたことを私は残念に思っております。ところが、この憲法調査会の席では改憲を前提にした議論も堂々と行えますし、実際、私も前回改憲を期待した意見を申し上げました。これは大変な前進であると喜んでおります。
しかしながら、現在もまだ国会の中に改憲を前提にした議論そのものが違憲であるといったような御意見もあるようでございますし、また、閣僚が憲法改正の必要を述べることが憲法遵守義務に違反すると考えておられる議員もおられるようでございます。私は、こういった考え方に反論をしたいと思っております。
現行の憲法は、九十六条に改憲の手続を規定いたしております。つまり、もともと将来の改憲の可能性を前提につくられた憲法でございます。起草した人たちも未来永劫にわたってこの憲法がパーフェクトであるということなどはないと考えていたことが読み取れます。事実、現在でも多くの時代に合わなくなった法律が日々改正されておりますし、現在の法律がすべて完璧なものであると思っているような国会議員はほとんどいらっしゃらないと思います。最高法規の憲法であってもそれは同じで、プライバシー権、環境権などといった当調査会で出ているような議論も、五十年以上前の人々には想像ができなかった概念でございます。
先ほど、社民党の深田委員が、憲法によって権利が制限されたことなどなかったというような御発言をされましたけれども、憲法に保障されている自由とか権利を盾にとって他人の権利を侵しているケースは非常に多くございます。また、経済活動の自由だといいながら環境を破壊しているケースも当然ございます。
前回も私は述べましたけれども、十二条に、国民は憲法が保障する自由、権利を乱用してはならない、常に公共の福祉のためにこれを利用する義務を持つ、こう規定されているにもかかわらず、やはり自由、権利に関する規定が非常に多くて、義務や責任といったようなところに対する規定がまだまだ甘い。私は、憲法によって権利が制限されたことなどなかったということでこの問題を放置することには明確に反対であります。
私たち国政の場で働く政治家には、時代の潮流を的確にとらえて新しい事態に対応できる法規をきちっとつくり上げていく、それで国民の幸せとこの国の発展を目指していく、そういう責務があると思っておりますので、五十年前の皆さんがそうであったように、予想しがたい未来のための憲法を書き上げる大変な責任を負っているわけでございます。
そこで、改めて申し上げたいんですけれども、現憲法はもともと改正を前提につくられたものであるから、閣僚であっても改憲に触れることは何ら問題はない、むしろ、それは政治家としての責任を果たすことであると私は考えております。今後は、この国会内で改憲問題と閣僚の憲法遵守義務を絡めたような議論はなされないことを期待申し上げます。
本日まで、制定経緯につきまして専門家の先生方の貴重な御発言をいただき、勉強できたことは、大変すばらしかったです。しかし、敗戦でアメリカに押しつけられた憲法だから変えるべきといった改憲論者の御意見もございますが、私自身は、制定過程の正当性といったものには全く興味を持っておりません。むしろ、制定過程が正当だったかどうかというようなことよりも、これからの時代の日本をどうつくっていくか、そのためにどのような新しい法規が必要かといった視点に立って、近い将来、私たちの時代の日本国憲法を書き上げる作業に参加させていただきたいと切に希望しております。ありがとうございました。
この発言だけを見る →そもそも、昨年あたりまでは憲法を議論すること自体の正当性を議論しなくてはなりませんでした。憲法論議そのものの是非を論ずることに長年多大なエネルギーを費やしてきましたことを私は残念に思っております。ところが、この憲法調査会の席では改憲を前提にした議論も堂々と行えますし、実際、私も前回改憲を期待した意見を申し上げました。これは大変な前進であると喜んでおります。
しかしながら、現在もまだ国会の中に改憲を前提にした議論そのものが違憲であるといったような御意見もあるようでございますし、また、閣僚が憲法改正の必要を述べることが憲法遵守義務に違反すると考えておられる議員もおられるようでございます。私は、こういった考え方に反論をしたいと思っております。
現行の憲法は、九十六条に改憲の手続を規定いたしております。つまり、もともと将来の改憲の可能性を前提につくられた憲法でございます。起草した人たちも未来永劫にわたってこの憲法がパーフェクトであるということなどはないと考えていたことが読み取れます。事実、現在でも多くの時代に合わなくなった法律が日々改正されておりますし、現在の法律がすべて完璧なものであると思っているような国会議員はほとんどいらっしゃらないと思います。最高法規の憲法であってもそれは同じで、プライバシー権、環境権などといった当調査会で出ているような議論も、五十年以上前の人々には想像ができなかった概念でございます。
先ほど、社民党の深田委員が、憲法によって権利が制限されたことなどなかったというような御発言をされましたけれども、憲法に保障されている自由とか権利を盾にとって他人の権利を侵しているケースは非常に多くございます。また、経済活動の自由だといいながら環境を破壊しているケースも当然ございます。
前回も私は述べましたけれども、十二条に、国民は憲法が保障する自由、権利を乱用してはならない、常に公共の福祉のためにこれを利用する義務を持つ、こう規定されているにもかかわらず、やはり自由、権利に関する規定が非常に多くて、義務や責任といったようなところに対する規定がまだまだ甘い。私は、憲法によって権利が制限されたことなどなかったということでこの問題を放置することには明確に反対であります。
私たち国政の場で働く政治家には、時代の潮流を的確にとらえて新しい事態に対応できる法規をきちっとつくり上げていく、それで国民の幸せとこの国の発展を目指していく、そういう責務があると思っておりますので、五十年前の皆さんがそうであったように、予想しがたい未来のための憲法を書き上げる大変な責任を負っているわけでございます。
そこで、改めて申し上げたいんですけれども、現憲法はもともと改正を前提につくられたものであるから、閣僚であっても改憲に触れることは何ら問題はない、むしろ、それは政治家としての責任を果たすことであると私は考えております。今後は、この国会内で改憲問題と閣僚の憲法遵守義務を絡めたような議論はなされないことを期待申し上げます。
本日まで、制定経緯につきまして専門家の先生方の貴重な御発言をいただき、勉強できたことは、大変すばらしかったです。しかし、敗戦でアメリカに押しつけられた憲法だから変えるべきといった改憲論者の御意見もございますが、私自身は、制定過程の正当性といったものには全く興味を持っておりません。むしろ、制定過程が正当だったかどうかというようなことよりも、これからの時代の日本をどうつくっていくか、そのためにどのような新しい法規が必要かといった視点に立って、近い将来、私たちの時代の日本国憲法を書き上げる作業に参加させていただきたいと切に希望しております。ありがとうございました。
島
島聡#26
○島委員 民主党の島聡でございます。
今、世代間の差ということを言われた方がありましたが、何度も言います。私は一九五八年生まれなので、今回の憲法制定過程についての議論というのは、非常に貴重ではありましたが、私にとっては、ある意味で、もうきちんとこれだけしたんだから、さらにもう一歩進めるべきではないかということを感じた時間が多かったと思います。
憲法制定過程を考えるに、当時の状況において日本がフリーハンドでつくったものではないということは当然だと私も認めております。ただ、憲法を押しつけられたという点に着目するよりも、あの状況下で日本の意思を貫こうとした先人たちの努力というものに着目して、その精神を生かして、五十三年間、日本がつくってきた歴史ということを重視すべきであると私は思っています。
ただ、今回、制定過程をきちんと議論しましたので、改めて私なりの考えを申し上げますと、内政的に見た場合、もし押しつけであったらば幣原内閣は総辞職して抗議することも可能であったという参考人の意見は、なるほどと私は思いました。恐らく、天皇制と国家の存立を守るために、戦後の世界、これからきちんと日本が船出していく代償として、本当にみずから受け入れる決断をして、合法的な手続をとったんだろうと私は思っております。
もちろんこれは、明治憲法七十三条の改正手続をとって、天皇主権から国民主権へという移行がもう限界を超えているんじゃないかという議論があることは存じていますが、改正手続をきちんと遵守している限りは、限界はないと私は思います。
ハーグ陸戦法規の問題につきましても、これは、ポツダム宣言を受諾していて、みずからの判断で憲法を受け入れているんだから有効であろうと私は思っています。
ただ、外政的に一つ注目しなくちゃいけない問題があります。
先ほどある委員が西独基本法についても触れられましたけれども、日本国憲法とドイツ基本法を比較した場合に、ドイツ基本法制定時にはもう既に冷戦が始まっていました。日本の場合には終戦直後で、その厳しい国際情勢というものをある意味で読み込んでいなかった点があるということは、これは制定過程において十分注目すべき点であると私は思います。
それで、戦後政治最大の争点と言われた憲法九条問題でありますけれども、いわゆる個別的自衛権等をめぐる問題については、ある程度の方向性が出ていると私は思います。
九条は、これからは一項と二項にきちんと分けて議論すべきであると思っておりまして、一項の不戦条約を踏まえたものにつきましては、今後も、我が国外交の政治的価値として貴重なものであるという観点は忘れてはならないと私は思います。ただ、この二項につきまして、これは九条二項問題と今後呼ぶべきであると思いますが、これについては、今後、制定過程を見ましても、きちんと議論していく必要があると私自身は思います。
今回の制定過程において、地方自治の観点についての議論がありました。
いわゆる二十一世紀のIT革命というのは、今までは一対多というコミュニケーションが可能だったわけであります。中央集権で、一人が言って下におろすということが可能だったわけでありますが、これからは、例えばn人がいたらn対nのその数だけコミュニケーションが存在するわけでありますから、これはもう中央集権という形ではなかなかできません。
地方自治の章の起源、これはGHQ案であったということがありますが、これをこれからきちんと議論していくべきだと思います。
恐らく、地方自治の章、つまり八章でありますが、これはGHQ案であったが、これが割と日本ですっと取り入れられたというのは、江戸時代というのが三百諸侯に分かれていた分権国家であったからだと思います。これがいわゆる国の形というものであろうと思います。
二十一世紀に向けてこの国の形を考えるならば、恐らく課題が二つありまして、一つは、やはり道州制というものをどう考えていくか、地方分権の議論でありますが、それから直接民主制、いわゆる九十五条の特別法の住民投票の規定をどうするかということでございますけれども、私は、そういうものを議論していく必要があるのではないかということを、この制定過程のいろいろな参考人の聴取の話から思った次第であります。
押しつけ論に関して最後に申し上げますが、例えば占領というのがあったとか屈辱的な経験があったとか、そういう感情論があって、これはもちろん私どもは経験していませんのでわかりませんが、そこから議論を始めますと、国民の支持は得られないと私は思っています。
やはり、五十三年間この憲法の中でやってきたというこの歴史というものを重視しまして、そして、日本がみずからの利害を考えて憲法を受け入れる決断をした、そして、これからどうしていくかという観点から議論をしていくべきで、最初に申し上げましたが、いわゆるこの制定過程からもう一歩この憲法調査会の議論は進めるべきであると私は思います。
〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
この発言だけを見る →今、世代間の差ということを言われた方がありましたが、何度も言います。私は一九五八年生まれなので、今回の憲法制定過程についての議論というのは、非常に貴重ではありましたが、私にとっては、ある意味で、もうきちんとこれだけしたんだから、さらにもう一歩進めるべきではないかということを感じた時間が多かったと思います。
憲法制定過程を考えるに、当時の状況において日本がフリーハンドでつくったものではないということは当然だと私も認めております。ただ、憲法を押しつけられたという点に着目するよりも、あの状況下で日本の意思を貫こうとした先人たちの努力というものに着目して、その精神を生かして、五十三年間、日本がつくってきた歴史ということを重視すべきであると私は思っています。
ただ、今回、制定過程をきちんと議論しましたので、改めて私なりの考えを申し上げますと、内政的に見た場合、もし押しつけであったらば幣原内閣は総辞職して抗議することも可能であったという参考人の意見は、なるほどと私は思いました。恐らく、天皇制と国家の存立を守るために、戦後の世界、これからきちんと日本が船出していく代償として、本当にみずから受け入れる決断をして、合法的な手続をとったんだろうと私は思っております。
もちろんこれは、明治憲法七十三条の改正手続をとって、天皇主権から国民主権へという移行がもう限界を超えているんじゃないかという議論があることは存じていますが、改正手続をきちんと遵守している限りは、限界はないと私は思います。
ハーグ陸戦法規の問題につきましても、これは、ポツダム宣言を受諾していて、みずからの判断で憲法を受け入れているんだから有効であろうと私は思っています。
ただ、外政的に一つ注目しなくちゃいけない問題があります。
先ほどある委員が西独基本法についても触れられましたけれども、日本国憲法とドイツ基本法を比較した場合に、ドイツ基本法制定時にはもう既に冷戦が始まっていました。日本の場合には終戦直後で、その厳しい国際情勢というものをある意味で読み込んでいなかった点があるということは、これは制定過程において十分注目すべき点であると私は思います。
それで、戦後政治最大の争点と言われた憲法九条問題でありますけれども、いわゆる個別的自衛権等をめぐる問題については、ある程度の方向性が出ていると私は思います。
九条は、これからは一項と二項にきちんと分けて議論すべきであると思っておりまして、一項の不戦条約を踏まえたものにつきましては、今後も、我が国外交の政治的価値として貴重なものであるという観点は忘れてはならないと私は思います。ただ、この二項につきまして、これは九条二項問題と今後呼ぶべきであると思いますが、これについては、今後、制定過程を見ましても、きちんと議論していく必要があると私自身は思います。
今回の制定過程において、地方自治の観点についての議論がありました。
いわゆる二十一世紀のIT革命というのは、今までは一対多というコミュニケーションが可能だったわけであります。中央集権で、一人が言って下におろすということが可能だったわけでありますが、これからは、例えばn人がいたらn対nのその数だけコミュニケーションが存在するわけでありますから、これはもう中央集権という形ではなかなかできません。
地方自治の章の起源、これはGHQ案であったということがありますが、これをこれからきちんと議論していくべきだと思います。
恐らく、地方自治の章、つまり八章でありますが、これはGHQ案であったが、これが割と日本ですっと取り入れられたというのは、江戸時代というのが三百諸侯に分かれていた分権国家であったからだと思います。これがいわゆる国の形というものであろうと思います。
二十一世紀に向けてこの国の形を考えるならば、恐らく課題が二つありまして、一つは、やはり道州制というものをどう考えていくか、地方分権の議論でありますが、それから直接民主制、いわゆる九十五条の特別法の住民投票の規定をどうするかということでございますけれども、私は、そういうものを議論していく必要があるのではないかということを、この制定過程のいろいろな参考人の聴取の話から思った次第であります。
押しつけ論に関して最後に申し上げますが、例えば占領というのがあったとか屈辱的な経験があったとか、そういう感情論があって、これはもちろん私どもは経験していませんのでわかりませんが、そこから議論を始めますと、国民の支持は得られないと私は思っています。
やはり、五十三年間この憲法の中でやってきたというこの歴史というものを重視しまして、そして、日本がみずからの利害を考えて憲法を受け入れる決断をした、そして、これからどうしていくかという観点から議論をしていくべきで、最初に申し上げましたが、いわゆるこの制定過程からもう一歩この憲法調査会の議論は進めるべきであると私は思います。
〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
柳
柳沢伯夫#27
○柳沢委員 自由民主党の柳沢伯夫でございます。
ここ二十年ばかりの間に、日本国憲法のここをこう改めるべきだという有識者の提案が幾つか積み重なってまいりました。現行憲法が使用している法律用語の誤りの指摘を初め、個別に特定の事項を取り上げたものは枚挙にいとまがないと言ってよろしいかと思いますが、憲法前文の修正案、改正案をまとめたものも、私が偶然手にし、保存しておいたものだけでも、昭和五十八年の竹花光範先生のもの、五十九年及び平成三年の中川八洋先生のもの、平成三年の西部邁先生のもの、平成六年の読売新聞社のものと、四点に上っております。これらの労作において、私どもは、憲法改正論なるものがどんな事項を問題にしようとしているか、改めて俯瞰することができると考えます。
何点か例を挙げますと、統治機構の問題としては、主権の所在、天皇の地位、参議院のあり方、首相の権限、憲法裁判所の新設、緊急事態宣言の制度などでありまして、片方、人権のカタログとしては、人格権、プライバシー、環境権、知る権利などであろうかと思います。これらはいずれも重要な事項でありまして、これらの事項について論議することを私は軽視しようとは思いません。
しかし私は、今回の憲法調査会の論議で避けてはならない最も基本的なテーマは、やはり第九条であると考えております。
そもそも、私がさきに挙げました包括的な憲法改正案の発表時期からも明らかなとおり、憲法論議の大きなうねりは、我が国の安全保障のあり方の問題性を浮かび上がらせるような国際紛争を契機として生じてまいりました。
すなわち、昭和五十四年十二月末にソ連のアフガニスタン侵攻があり、この事件は、ソ連が侵略的な国であることを事実において示したものと受け取られました。国会は、その翌年、昭和五十五年の通常国会で、共産党を除く全野党の賛成のもとで衆議院安全保障特別委員会を設置しました。有識者の間にも論議が起こりました。清水幾太郎、江藤淳らが現行憲法を批判し、猪木正道や上山春平氏らがこれを擁護しました。
そして、いずれにせよ、この事件を境に、我が国民の安全保障問題に対する考え方は総じていわゆる現実主義的になり、憲法論議がタブーでなくなったのであります。
次は、イラクのクウェート侵攻に対して、平成三年一月に開始された多国籍軍によるイラクへの軍事的制裁がございます。
このとき私は、偶然ワシントン訪問中で、連邦上下両院において行われた徹夜の全員演説を終えたばかりのビル・ブラッドレー上院議員と面会しました。そして、平素あの思慮深い物言いをする同氏から、日本を同盟国として信頼してきたのに、我々がこれほど苦渋の決断をするとき何もしないとは何事か、全く失望したという趣旨の率直な言葉を聞いたのであります。
言うまでもなく、今回の本調査会での論議は、湾岸戦争において我が国がとった立場をめぐる論議の延長線上で始められたものと考えてよかろうかと思います。それだけに、私は、安全保障の問題、すなわち第九条を真っ正面から論じることなしには本調査会の使命は果たされないと考えております。その見地から、今の段階で備忘的に二、三のことを指摘しておきたいと思います。
一つは、九条は一つの条約であるとの指摘があることに関連してであります。
私は、今回も、九条の改正を行うとすれば、それについて、先ほどの達増さんのお話とはちょっと違いますが、国際社会の理解を得なければならないという意味で、本条項のような憲法規定はどうしても条約的性格を免れないのではないか、それを覚悟して論議をスタートしなければならないのではないかと考えております。そして、そのことは、改正のタイミングや手続に今後大きな影響を及ぼさざるを得ないということだと考えております。
二つは、憲法九条は二十一世紀の国家の理想的あり方を先取りしたものだという一部の指摘に関連することであります。
私は、一国の安全保障はあくまで現実に立脚すべきであり、実験は許されないと確信しております。安全保障の方法としては、私自身は、勢力均衡、抑止力、さらに補完的な意味では相互依存という三つがこれまで人類が獲得した経験済みの知恵でありまして、我が国も、これらをどう組み合わせてみずからの安全保障を得るかを構想し、憲法改正に臨むべきだと考えます。
三つは、日米安保体制、すなわち日米同盟との関係です。
第一に、アメリカが今や地球上唯一のスーパーパワーであることとの関連であります。
弱い国と同盟しても有効でないとは国際政治学上の定理でしょうが、同盟の相手国が余りにも強力であるために、我が国がモラトリアム国家あるいは父性なき国家に陥るということであります。奴隷の平和あるいはごっこの世界という疑念を呈する人さえいます。しかも、この矛盾あるいは堕落からは、仮に集団的自衛権の発動を合憲として同盟関係を双務的なものに転換したとしても、強過ぎるアメリカが攻撃されることはあり得ないとする以上、本質的に救われないのではないかということです。
第二は、アメリカがパックス・アメリカーナのもとで事実上世界の警察官の役割を果たしているために、集団的自衛権を認めた場合、単なる集団的自衛権にとどまらなくなってしまう懸念があるのではないかということであります。
この関連で、今回の憲法論議の発端となった湾岸戦争とそれが提起した問題は、実は集団的自衛権の問題ではなく、むしろ集団安全保障の問題であるということを確認しておきたいと思います。
以上であります。
この発言だけを見る →ここ二十年ばかりの間に、日本国憲法のここをこう改めるべきだという有識者の提案が幾つか積み重なってまいりました。現行憲法が使用している法律用語の誤りの指摘を初め、個別に特定の事項を取り上げたものは枚挙にいとまがないと言ってよろしいかと思いますが、憲法前文の修正案、改正案をまとめたものも、私が偶然手にし、保存しておいたものだけでも、昭和五十八年の竹花光範先生のもの、五十九年及び平成三年の中川八洋先生のもの、平成三年の西部邁先生のもの、平成六年の読売新聞社のものと、四点に上っております。これらの労作において、私どもは、憲法改正論なるものがどんな事項を問題にしようとしているか、改めて俯瞰することができると考えます。
何点か例を挙げますと、統治機構の問題としては、主権の所在、天皇の地位、参議院のあり方、首相の権限、憲法裁判所の新設、緊急事態宣言の制度などでありまして、片方、人権のカタログとしては、人格権、プライバシー、環境権、知る権利などであろうかと思います。これらはいずれも重要な事項でありまして、これらの事項について論議することを私は軽視しようとは思いません。
しかし私は、今回の憲法調査会の論議で避けてはならない最も基本的なテーマは、やはり第九条であると考えております。
そもそも、私がさきに挙げました包括的な憲法改正案の発表時期からも明らかなとおり、憲法論議の大きなうねりは、我が国の安全保障のあり方の問題性を浮かび上がらせるような国際紛争を契機として生じてまいりました。
すなわち、昭和五十四年十二月末にソ連のアフガニスタン侵攻があり、この事件は、ソ連が侵略的な国であることを事実において示したものと受け取られました。国会は、その翌年、昭和五十五年の通常国会で、共産党を除く全野党の賛成のもとで衆議院安全保障特別委員会を設置しました。有識者の間にも論議が起こりました。清水幾太郎、江藤淳らが現行憲法を批判し、猪木正道や上山春平氏らがこれを擁護しました。
そして、いずれにせよ、この事件を境に、我が国民の安全保障問題に対する考え方は総じていわゆる現実主義的になり、憲法論議がタブーでなくなったのであります。
次は、イラクのクウェート侵攻に対して、平成三年一月に開始された多国籍軍によるイラクへの軍事的制裁がございます。
このとき私は、偶然ワシントン訪問中で、連邦上下両院において行われた徹夜の全員演説を終えたばかりのビル・ブラッドレー上院議員と面会しました。そして、平素あの思慮深い物言いをする同氏から、日本を同盟国として信頼してきたのに、我々がこれほど苦渋の決断をするとき何もしないとは何事か、全く失望したという趣旨の率直な言葉を聞いたのであります。
言うまでもなく、今回の本調査会での論議は、湾岸戦争において我が国がとった立場をめぐる論議の延長線上で始められたものと考えてよかろうかと思います。それだけに、私は、安全保障の問題、すなわち第九条を真っ正面から論じることなしには本調査会の使命は果たされないと考えております。その見地から、今の段階で備忘的に二、三のことを指摘しておきたいと思います。
一つは、九条は一つの条約であるとの指摘があることに関連してであります。
私は、今回も、九条の改正を行うとすれば、それについて、先ほどの達増さんのお話とはちょっと違いますが、国際社会の理解を得なければならないという意味で、本条項のような憲法規定はどうしても条約的性格を免れないのではないか、それを覚悟して論議をスタートしなければならないのではないかと考えております。そして、そのことは、改正のタイミングや手続に今後大きな影響を及ぼさざるを得ないということだと考えております。
二つは、憲法九条は二十一世紀の国家の理想的あり方を先取りしたものだという一部の指摘に関連することであります。
私は、一国の安全保障はあくまで現実に立脚すべきであり、実験は許されないと確信しております。安全保障の方法としては、私自身は、勢力均衡、抑止力、さらに補完的な意味では相互依存という三つがこれまで人類が獲得した経験済みの知恵でありまして、我が国も、これらをどう組み合わせてみずからの安全保障を得るかを構想し、憲法改正に臨むべきだと考えます。
三つは、日米安保体制、すなわち日米同盟との関係です。
第一に、アメリカが今や地球上唯一のスーパーパワーであることとの関連であります。
弱い国と同盟しても有効でないとは国際政治学上の定理でしょうが、同盟の相手国が余りにも強力であるために、我が国がモラトリアム国家あるいは父性なき国家に陥るということであります。奴隷の平和あるいはごっこの世界という疑念を呈する人さえいます。しかも、この矛盾あるいは堕落からは、仮に集団的自衛権の発動を合憲として同盟関係を双務的なものに転換したとしても、強過ぎるアメリカが攻撃されることはあり得ないとする以上、本質的に救われないのではないかということです。
第二は、アメリカがパックス・アメリカーナのもとで事実上世界の警察官の役割を果たしているために、集団的自衛権を認めた場合、単なる集団的自衛権にとどまらなくなってしまう懸念があるのではないかということであります。
この関連で、今回の憲法論議の発端となった湾岸戦争とそれが提起した問題は、実は集団的自衛権の問題ではなく、むしろ集団安全保障の問題であるということを確認しておきたいと思います。
以上であります。
鹿
中
中曽根康弘#29
○中曽根委員 どうもありがとうございます。
私は、先般来憲法制定経過の検討が行われましたが、経験した一つの事実をここで申し上げてみたいと思うのです。
それは、昭和二十三年に、たしか片山内閣のころ、マッカーサー司令部から、憲法の見直しをしたらどうか、一年以内に検討せい、そういうような要請があって、当時鈴木法務総裁から、私は与党でありましたからその話を聞きましたが、当時の状況としては、この占領状態で自由がないところでまたやったってそう変われるものじゃない、それから、今食糧と兵隊さんを日本に帰すことと在外同胞を日本に帰すことで精いっぱいで、その余裕も今のところない、そういうような理由で、結構ですと、そういう返事をしたことを実は記憶しております。
第二は、昭和二十九年だと思いますが、岸さんが自由党に復帰して吉田さんから憲法調査会長を任されたとき、私は岸さんと二人で会合して、岸さんから話を聞いた。私が調査会長を引き受けたのはこういうわけだ、吉田さんからこう言われたと。マッカーサーの占領の末期に、実はマッカーサーから憲法改正を考えたらどうか、そういう話があった。いや、吉田さんも、マッカーサーが言う前に、吉田さんから、たしかあれは警察予備隊ができたころだろうと思いますが、憲法を改正したらどうなんですかと言ったら、マッカーサーから、自分はもう恐らく早く帰るから、次の人に話したらいいと。それで、リッジウェー将軍が着任したので、リッジウェーにそのことを申したら、もう占領も終わるから、占領後独立してからやったらどうか、そう吉田さんは言われた。そこで、自分は憲法改正を考えないといかぬと思っていろいろ内面的にそういう準備を始めた、そこで、あなたに憲法調査会長をお願いするんだと岸さんに言われたと。岸さんはその話を私にしまして、中曽根君、一緒にやろうじゃないかという話があったのです。
吉田さんは、ですから、内面的には改正しなくちゃいかぬということを実は持っておったが、当時はやはり一国平和主義で、解散、選挙を考えると、そっちの方を言った方が多数をとれる、そういう意図もあって、表と裏は別で、ああいう態度をとったのではないか、そう考えております。これが一つです。
それから第二は、憲法の動態でありますが、現在の日本を見てみるというと、国家戦略がないのです。これは我々の責任でもあります。ところが、アメリカ、あるいは中国そのほか共産国というものは、イデオロギーとか建国の理想で、契約でできた国等でありますから、非常に戦略主義です。日本は自然国家で、伝統と歴史が積み重なっているから、そういうものがない。そういう欠陥が非常に今出てきている。国に顔がないというのはそれであるだろうと私は思うのです。
それで、二十一世紀の日本を考えて、我々はその欠陥を是正するためにどうしたらいいか、そういうことを実は考えておる。それにはやはり、国民参加で新しい憲法をつくって、そして出直そうではないか。そういう戦略国家になるためには、国家の基礎構造がしっかりしていなければだめだ。ところが、憲法改正論が今六〇で、反対論が三〇という状態が各新聞から報道されている。これだけ憲法が今動揺しておる、国家が動揺しておる、そういう状況を見ると、もうこの段階になってきたらみんなで考えてやり直す必要があるのではないか。
特に憲法第一条に主権在民の国家となっていますが、主権在民ということは憲法を自分でつくるということであって、これはフランスのデュベルジェという憲法学者がプーボワール・コンスティテュアン、憲法制定権力ということで、まず言っていることであります。
そういうような面から見て、日本の二十一世紀の青写真をこれからつくる、そして言いかえれば、この国の形とこの国の心をみんなでここでつくっていこうじゃないか。過去のことは過去のことだ、新しい日本へ向かって国民参加でみんなで行こうじゃないか。明治憲法は天皇が下された欽定憲法であり、今の憲法は、占領中、占領軍の有力な指導、影響でできた占領憲法だ。我々は初めて、国民憲法をみんなでつくろう、そういうような意図で国家の形と心をはっきり固めて、この国家構造をしっかりした上で、戦略的にも米英に軽視されない、中国やロシアにも軽視されない、顔のある国家につくっていかなければならぬ、そういう段階に入ったと私は思うのです。
そして、政局にかんがみて申したいのでありますが、今度の解散、選挙という際には、憲法とか教育基本法というような国の構造の基本に関する問題について、政治家や政党が国民に態度をはっきりする、そして国民の判定を求める、そういうような形で前向きに国を前進させる方向で我々政治家は動いていかなければならぬ、そう思っておるのであります。
生意気なことを申し上げて恐縮でございますが、どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →私は、先般来憲法制定経過の検討が行われましたが、経験した一つの事実をここで申し上げてみたいと思うのです。
それは、昭和二十三年に、たしか片山内閣のころ、マッカーサー司令部から、憲法の見直しをしたらどうか、一年以内に検討せい、そういうような要請があって、当時鈴木法務総裁から、私は与党でありましたからその話を聞きましたが、当時の状況としては、この占領状態で自由がないところでまたやったってそう変われるものじゃない、それから、今食糧と兵隊さんを日本に帰すことと在外同胞を日本に帰すことで精いっぱいで、その余裕も今のところない、そういうような理由で、結構ですと、そういう返事をしたことを実は記憶しております。
第二は、昭和二十九年だと思いますが、岸さんが自由党に復帰して吉田さんから憲法調査会長を任されたとき、私は岸さんと二人で会合して、岸さんから話を聞いた。私が調査会長を引き受けたのはこういうわけだ、吉田さんからこう言われたと。マッカーサーの占領の末期に、実はマッカーサーから憲法改正を考えたらどうか、そういう話があった。いや、吉田さんも、マッカーサーが言う前に、吉田さんから、たしかあれは警察予備隊ができたころだろうと思いますが、憲法を改正したらどうなんですかと言ったら、マッカーサーから、自分はもう恐らく早く帰るから、次の人に話したらいいと。それで、リッジウェー将軍が着任したので、リッジウェーにそのことを申したら、もう占領も終わるから、占領後独立してからやったらどうか、そう吉田さんは言われた。そこで、自分は憲法改正を考えないといかぬと思っていろいろ内面的にそういう準備を始めた、そこで、あなたに憲法調査会長をお願いするんだと岸さんに言われたと。岸さんはその話を私にしまして、中曽根君、一緒にやろうじゃないかという話があったのです。
吉田さんは、ですから、内面的には改正しなくちゃいかぬということを実は持っておったが、当時はやはり一国平和主義で、解散、選挙を考えると、そっちの方を言った方が多数をとれる、そういう意図もあって、表と裏は別で、ああいう態度をとったのではないか、そう考えております。これが一つです。
それから第二は、憲法の動態でありますが、現在の日本を見てみるというと、国家戦略がないのです。これは我々の責任でもあります。ところが、アメリカ、あるいは中国そのほか共産国というものは、イデオロギーとか建国の理想で、契約でできた国等でありますから、非常に戦略主義です。日本は自然国家で、伝統と歴史が積み重なっているから、そういうものがない。そういう欠陥が非常に今出てきている。国に顔がないというのはそれであるだろうと私は思うのです。
それで、二十一世紀の日本を考えて、我々はその欠陥を是正するためにどうしたらいいか、そういうことを実は考えておる。それにはやはり、国民参加で新しい憲法をつくって、そして出直そうではないか。そういう戦略国家になるためには、国家の基礎構造がしっかりしていなければだめだ。ところが、憲法改正論が今六〇で、反対論が三〇という状態が各新聞から報道されている。これだけ憲法が今動揺しておる、国家が動揺しておる、そういう状況を見ると、もうこの段階になってきたらみんなで考えてやり直す必要があるのではないか。
特に憲法第一条に主権在民の国家となっていますが、主権在民ということは憲法を自分でつくるということであって、これはフランスのデュベルジェという憲法学者がプーボワール・コンスティテュアン、憲法制定権力ということで、まず言っていることであります。
そういうような面から見て、日本の二十一世紀の青写真をこれからつくる、そして言いかえれば、この国の形とこの国の心をみんなでここでつくっていこうじゃないか。過去のことは過去のことだ、新しい日本へ向かって国民参加でみんなで行こうじゃないか。明治憲法は天皇が下された欽定憲法であり、今の憲法は、占領中、占領軍の有力な指導、影響でできた占領憲法だ。我々は初めて、国民憲法をみんなでつくろう、そういうような意図で国家の形と心をはっきり固めて、この国家構造をしっかりした上で、戦略的にも米英に軽視されない、中国やロシアにも軽視されない、顔のある国家につくっていかなければならぬ、そういう段階に入ったと私は思うのです。
そして、政局にかんがみて申したいのでありますが、今度の解散、選挙という際には、憲法とか教育基本法というような国の構造の基本に関する問題について、政治家や政党が国民に態度をはっきりする、そして国民の判定を求める、そういうような形で前向きに国を前進させる方向で我々政治家は動いていかなければならぬ、そう思っておるのであります。
生意気なことを申し上げて恐縮でございますが、どうもありがとうございました。