文教・科学委員会
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会
会議録情報#0
平成十年三月十二日(木曜日)
午前十時二分開会
―――――――――――――
委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
大野つや子君 田沢 智治君
風間 昶君 山下 栄一君
三月十二日
辞任 補欠選任
萱野 茂君 峰崎 直樹君
―――――――――――――
出席者は左のとおり。
委員長 大島 慶久君
理 事
小野 清子君
北岡 秀二君
馳 浩君
小林 元君
松 あきら君
委 員
井上 裕君
田沢 智治君
野沢 太三君
長谷川道郎君
江本 孟紀君
萱野 茂君
山下 栄一君
日下部禧代子君
阿部 幸代君
扇 千景君
国務大臣
文 部 大 臣 町村 信孝君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 谷垣 禎一君
政府委員
科学技術政務次
官 加藤 紀文君
科学技術庁長官
官房長 沖村 憲樹君
科学技術庁科学
技術政策局長 近藤 隆彦君
科学技術庁科学
技術振興局長 宮林 正恭君
科学技術庁研究
開発局長 青江 茂君
科学技術庁原子
力局長 加藤 康宏君
科学技術庁原子
力安全局長 池田 要君
文部大臣官房長 小野 元之君
文部大臣官房総
務審議官 富岡 賢治君
文部省生涯学習
局長 長谷川正明君
文部省初等中等
教育局長 辻村 哲夫君
文部省教育助成
局長 御手洗 康君
文部省高等教育
局長 佐々木正峰君
文部省学術国際
局長 雨宮 忠君
文部省体育局長 工藤 智規君
文化庁次長 遠藤 昭雄君
事務局側
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
説明員
内閣官房内閣内
政審議室内閣審
議官 田中 法昌君
警察庁生活安全
局少年課長 勝浦 敏行君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
○教育、文化、学術及び科学技術に関する調査
(文教行政の基本施策に関する件)
(科学技術振興のための基本施策に関する件)
―――――――――――――
この発言だけを見る →午前十時二分開会
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委員の異動
三月十一日
辞任 補欠選任
大野つや子君 田沢 智治君
風間 昶君 山下 栄一君
三月十二日
辞任 補欠選任
萱野 茂君 峰崎 直樹君
―――――――――――――
出席者は左のとおり。
委員長 大島 慶久君
理 事
小野 清子君
北岡 秀二君
馳 浩君
小林 元君
松 あきら君
委 員
井上 裕君
田沢 智治君
野沢 太三君
長谷川道郎君
江本 孟紀君
萱野 茂君
山下 栄一君
日下部禧代子君
阿部 幸代君
扇 千景君
国務大臣
文 部 大 臣 町村 信孝君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 谷垣 禎一君
政府委員
科学技術政務次
官 加藤 紀文君
科学技術庁長官
官房長 沖村 憲樹君
科学技術庁科学
技術政策局長 近藤 隆彦君
科学技術庁科学
技術振興局長 宮林 正恭君
科学技術庁研究
開発局長 青江 茂君
科学技術庁原子
力局長 加藤 康宏君
科学技術庁原子
力安全局長 池田 要君
文部大臣官房長 小野 元之君
文部大臣官房総
務審議官 富岡 賢治君
文部省生涯学習
局長 長谷川正明君
文部省初等中等
教育局長 辻村 哲夫君
文部省教育助成
局長 御手洗 康君
文部省高等教育
局長 佐々木正峰君
文部省学術国際
局長 雨宮 忠君
文部省体育局長 工藤 智規君
文化庁次長 遠藤 昭雄君
事務局側
常任委員会専門
員 巻端 俊兒君
説明員
内閣官房内閣内
政審議室内閣審
議官 田中 法昌君
警察庁生活安全
局少年課長 勝浦 敏行君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
○教育、文化、学術及び科学技術に関する調査
(文教行政の基本施策に関する件)
(科学技術振興のための基本施策に関する件)
―――――――――――――
大
大島慶久#1
○委員長(大島慶久君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。
まず、委員の異動について御報告いたします。
昨日、大野つや子さん及び風間昶君が委員を辞任され、その補欠として田沢智治君及び山下栄一君が選任されました。
―――――――――――――
この発言だけを見る →まず、委員の異動について御報告いたします。
昨日、大野つや子さん及び風間昶君が委員を辞任され、その補欠として田沢智治君及び山下栄一君が選任されました。
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大
大島慶久#2
○委員長(大島慶久君) 教育、文化、学術及び科学技術に関する調査のうち、文教行政の基本施策に関する件及び科学技術振興のための基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →質疑のある方は順次御発言願います。
小
小野清子#3
○小野清子君 自由民主党の小野清子でございます。
先般、文部大臣の所信を伺わせていただきまして、その一端について御質問を申し上げたいと思います。
その前に、先月七日から十六日間にわたって行われました長野オリンピックは、地元の長野市を初め関係者の皆さんの大変すばらしい御協力の中で円滑な大会運営ができ、また諸外国からも大変高い評価をいただきました。成功裏に終了できたということをともに喜んでいるわけでございますが、それは世界の青年たち、そしてわけても日本の国を代表する選手団のすばらしい御活躍によるものが大変大きかったと思いますし、また特にボランティアの方々の大変大きなお支えがあったことも事実でございます。
大臣といたしましては、長野オリンピックが我が国に与えた、今まで薄れかけていたと思われるような親子の情愛とか家族の支え、それから監督、コーチ、同僚との信頼感と友情、日本はまだまだ大丈夫だと、そんな気持ちに私もさせていただきましたけれども、大臣の御感想などを一言伺わせていただければと思います。
この発言だけを見る →先般、文部大臣の所信を伺わせていただきまして、その一端について御質問を申し上げたいと思います。
その前に、先月七日から十六日間にわたって行われました長野オリンピックは、地元の長野市を初め関係者の皆さんの大変すばらしい御協力の中で円滑な大会運営ができ、また諸外国からも大変高い評価をいただきました。成功裏に終了できたということをともに喜んでいるわけでございますが、それは世界の青年たち、そしてわけても日本の国を代表する選手団のすばらしい御活躍によるものが大変大きかったと思いますし、また特にボランティアの方々の大変大きなお支えがあったことも事実でございます。
大臣といたしましては、長野オリンピックが我が国に与えた、今まで薄れかけていたと思われるような親子の情愛とか家族の支え、それから監督、コーチ、同僚との信頼感と友情、日本はまだまだ大丈夫だと、そんな気持ちに私もさせていただきましたけれども、大臣の御感想などを一言伺わせていただければと思います。
町
町村信孝#4
○国務大臣(町村信孝君) 元オリンピック選手の小野先生から長野五輪の御評価をいただいたことは、私も担当大臣の一人として大変にありがたく、また喜んでいるところでございます。
今、小野委員御指摘のように、メダルの獲得数のことばかりではなくて大会運営面でも、今御指摘のあった約二万人に及びますボランティアの方々が、短期間の集まりですからいろいろな御不満もボランティアの方々から一部あったようでございますが、全体として見ると非常にすばらしい御協力をいただいて大会の成功にお力添えをいただいたこと、あるいは学校がそれぞれの国とタイアップするといいましょうか、一校一国連動というようなことで国際協力の実、国際理解の実を上げるといったようなことが特筆されるのではないだろうか、こう思っております。
また、今御指摘のあった選手団の活躍、本当に最近明るい話題の少ない日本でありますから、すべての日本国民に明るさとさわやかさを与えてくれた。成績のみならず、まさに御指摘のあったような、チームの同僚でありますとか、お父さんお母さんでありますとか、家族でありますとか、あるいは郷土の人たち、大勢の人たちに支えられて自分の命日の活躍があったんだという本当にすばらしい発言を私もテレビなどで耳にして、このことの与える非常に大きなプラスの効果、青少年のみならず社会全体にとてもいい効果を与えてくれたなと、こんなふうに思っております。国民の皆さん方の全体の御協力もあっての大成功であったと、このように受けとめているところでございます。
この発言だけを見る →今、小野委員御指摘のように、メダルの獲得数のことばかりではなくて大会運営面でも、今御指摘のあった約二万人に及びますボランティアの方々が、短期間の集まりですからいろいろな御不満もボランティアの方々から一部あったようでございますが、全体として見ると非常にすばらしい御協力をいただいて大会の成功にお力添えをいただいたこと、あるいは学校がそれぞれの国とタイアップするといいましょうか、一校一国連動というようなことで国際協力の実、国際理解の実を上げるといったようなことが特筆されるのではないだろうか、こう思っております。
また、今御指摘のあった選手団の活躍、本当に最近明るい話題の少ない日本でありますから、すべての日本国民に明るさとさわやかさを与えてくれた。成績のみならず、まさに御指摘のあったような、チームの同僚でありますとか、お父さんお母さんでありますとか、家族でありますとか、あるいは郷土の人たち、大勢の人たちに支えられて自分の命日の活躍があったんだという本当にすばらしい発言を私もテレビなどで耳にして、このことの与える非常に大きなプラスの効果、青少年のみならず社会全体にとてもいい効果を与えてくれたなと、こんなふうに思っております。国民の皆さん方の全体の御協力もあっての大成功であったと、このように受けとめているところでございます。
小
小野清子#5
○小野清子君 しかし、施設整備というのはなかなか大変でございまして、ぎりぎりまでアルペンの場合には会場の整備がうまくいかなかったりしたせいもあります。日本の場合には、大会になりますと立派に運営されるわけですけれども、通常の練習の施設というものが非常にお粗末でございます。そういった意味におきましては、今回、施設等の整備がさらに拡充、充実されていくということが必要でございますし、またそれが市民スポーツにとりましても大変大きく功を奏するところだと思います。
また、あれだけのすばらしい施設をつくられたその今後の運営、利用というものは大変費用がかかるわけですね。そういった意味におきましても、これからのあの長野の施設設備をさらに利用、活用することと運営する上で大変大きな課題があろうかと思います。
と申しますのは、スケートリンクなどは大変お金がかかります。通常は、スケートの選手が練習するときにでも、真夜中とか超早朝しか使えませんし、そういった中において、選手としてあのような脚光を浴びる以前に、日ごろのトレーニングで非常に大きな経済的負担を個人が担いながらあの大会に参加をしているわけでございます。
そういった意味からは、スポーツといいますと文部省でございますけれども、これからの時代は文部省一つがああいう施設を経費上も賄っていくことは私は大変なことじゃないかと思うんです。諸外国の様子を視察させていただきましたときに、例えば日本の場合ですと、オリンピック選手が使いますと、その競技場は選手の者だけしか使わせてくれないという何かしら伝統があるんですけれども、外国へ行きますと、一部分を選手が使い、一部分を市民スポーツが使い、一部分を身障者が使いというぐあいに非常に細かく分けまして、あらゆる分野の人が一堂に会して利用しているといういい点があります。
ですから私は、文部省、厚生省、労働省等々が、例えばああいう施設を今後利用する上でもまさに壁を取り払った形でやっていくのが経済的にも、健康長寿社会実現等々の意味も含めてあらゆる意味で大事なことではないかと思いますけれども、その辺の御感想等々もお聞かせをいただければと思います。
この発言だけを見る →また、あれだけのすばらしい施設をつくられたその今後の運営、利用というものは大変費用がかかるわけですね。そういった意味におきましても、これからのあの長野の施設設備をさらに利用、活用することと運営する上で大変大きな課題があろうかと思います。
と申しますのは、スケートリンクなどは大変お金がかかります。通常は、スケートの選手が練習するときにでも、真夜中とか超早朝しか使えませんし、そういった中において、選手としてあのような脚光を浴びる以前に、日ごろのトレーニングで非常に大きな経済的負担を個人が担いながらあの大会に参加をしているわけでございます。
そういった意味からは、スポーツといいますと文部省でございますけれども、これからの時代は文部省一つがああいう施設を経費上も賄っていくことは私は大変なことじゃないかと思うんです。諸外国の様子を視察させていただきましたときに、例えば日本の場合ですと、オリンピック選手が使いますと、その競技場は選手の者だけしか使わせてくれないという何かしら伝統があるんですけれども、外国へ行きますと、一部分を選手が使い、一部分を市民スポーツが使い、一部分を身障者が使いというぐあいに非常に細かく分けまして、あらゆる分野の人が一堂に会して利用しているといういい点があります。
ですから私は、文部省、厚生省、労働省等々が、例えばああいう施設を今後利用する上でもまさに壁を取り払った形でやっていくのが経済的にも、健康長寿社会実現等々の意味も含めてあらゆる意味で大事なことではないかと思いますけれども、その辺の御感想等々もお聞かせをいただければと思います。
工
工藤智規#6
○政府委員(工藤智規君) 競技力向上のためのトレーニング施設等をどうするかということにつきましては、平成九年度から調査協力者会議を設けまして、日本におけるナショナルトレーニングセンターのあり方について御研究をいただいているところでございます。
諸外国に比べまして日本の場合は立ちおくれているわけでございますけれども、これまでの御議論の中では、その施設配置のあり方につきましても、どこか一カ所に大きなものを一つ置いてということだけではなくて、せっかくの長野のような施設もあるわけでございますので、既存の施設も活用しながら、しかも種目別にどういう形のトレーニングシステムがよろしいのかということも含めてなお検討中でございます。いずれにしましても、せっかく長野でああいう立派な施設ができたわけでございますし、その活用をどうするかというのは大きな問題でございます。
ただ、御承知のように、長野オリンピックの招致に当たりましての閣議了解では、施設の後利用につきましては地元が主体で行うということになってございまして、目下のところ長野市を中心にその後利用をいろいろと御検討でございます。その中では、もちろん市民スポーツを含めたいろんな方々の御利用を計画しているわけでございますが、他方で、ナショナルトレーニングセンターといいましょうか、そういう機能の上でもぜひ活用してほしいという御要望もあるわけでございます。
さはさりながら、全体の運営費が結構かかるものでございますから、その支援の体制をどうするかということにつきましては、なかなか現下の財政事情を考えますと国なり文部省から直接というのは難しい状況でございまして、先般来御検討いただいておりますスポーツ振興投票法案等の動向も期待しながら、長野市を初めとして関係者が見守って検討しているところでございます。
この発言だけを見る →諸外国に比べまして日本の場合は立ちおくれているわけでございますけれども、これまでの御議論の中では、その施設配置のあり方につきましても、どこか一カ所に大きなものを一つ置いてということだけではなくて、せっかくの長野のような施設もあるわけでございますので、既存の施設も活用しながら、しかも種目別にどういう形のトレーニングシステムがよろしいのかということも含めてなお検討中でございます。いずれにしましても、せっかく長野でああいう立派な施設ができたわけでございますし、その活用をどうするかというのは大きな問題でございます。
ただ、御承知のように、長野オリンピックの招致に当たりましての閣議了解では、施設の後利用につきましては地元が主体で行うということになってございまして、目下のところ長野市を中心にその後利用をいろいろと御検討でございます。その中では、もちろん市民スポーツを含めたいろんな方々の御利用を計画しているわけでございますが、他方で、ナショナルトレーニングセンターといいましょうか、そういう機能の上でもぜひ活用してほしいという御要望もあるわけでございます。
さはさりながら、全体の運営費が結構かかるものでございますから、その支援の体制をどうするかということにつきましては、なかなか現下の財政事情を考えますと国なり文部省から直接というのは難しい状況でございまして、先般来御検討いただいておりますスポーツ振興投票法案等の動向も期待しながら、長野市を初めとして関係者が見守って検討しているところでございます。
小
小野清子#7
○小野清子君 ありがとうございました。頑張られた選手の日の丸に負けない今後の文部省としての、あるいは地元としての活用、利用、そして健康へのつながりをぜひ生み出していきたいものだと思います。
それでは、昨今の一連のナイフ事件につきましても御質問をさせていただきたいと思います。
けさの新聞で教師の覚せい剤所持のニュースが流れまして、まことに残念でございまして、大臣といたしましてもさらにまた心を痛められているところではないかと思います。
データを見させていただきましたら、平成十年の一月二十八日から三月十日までの間にバタフライナイフ等々の事件が十六件ございまして、うち死亡事件が二件でございます。連鎖的に事件が起こってくるということはまことに残念だと思いますし、また、文部省の方としましてもいろいろと御指導していることも承知をしているわけでございますけれども、基本的な倫理観や規範意識というものをどのようにしたら体得させていくことができるのか。大臣、本当に御苦労だと思いますけれども、本日の新聞等をごらんになられて、その辺の所感をちょっと伺わせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →それでは、昨今の一連のナイフ事件につきましても御質問をさせていただきたいと思います。
けさの新聞で教師の覚せい剤所持のニュースが流れまして、まことに残念でございまして、大臣といたしましてもさらにまた心を痛められているところではないかと思います。
データを見させていただきましたら、平成十年の一月二十八日から三月十日までの間にバタフライナイフ等々の事件が十六件ございまして、うち死亡事件が二件でございます。連鎖的に事件が起こってくるということはまことに残念だと思いますし、また、文部省の方としましてもいろいろと御指導していることも承知をしているわけでございますけれども、基本的な倫理観や規範意識というものをどのようにしたら体得させていくことができるのか。大臣、本当に御苦労だと思いますけれども、本日の新聞等をごらんになられて、その辺の所感をちょっと伺わせていただきたいと思います。
町
町村信孝#8
○国務大臣(町村信孝君) 今、委員御指摘のように、けさの新聞にもまたあってはならない教師による覚せい剤の使用といったような問題もありますし、本当に連日のように何かまるで伝染病が広がっているのではあるまいかと思われるようなナイフ事件の多発の状態、本当に私も青少年の健全な育成に責任を持つ大臣として心が痛んでおりますし、何かできることはないだろうかと日々苦しんでいるところでございます。
委員御指摘のように、やはり当座この何か伝染病的に広がっているこれをどこかで食いとめなきゃいけないという思いもございまして、例えば二月の上旬でございましたが、各都道府県あるいは政令市の教育委員会の生徒指導の担当者の方々に集まっていただきまして、とにかく命の大切さ、これをしっかりとまず学校で再三再四徹底をしてもらいたいし、またあわせて、刃物の携帯というのはこれはもう法令で禁止をされているんです、罰則がかかっているんだからということをもっとしっかりと子供たちにも自覚をしてもらい教えてもらいたいと、そういうことを当面講ずべきこととして強く訴えました。
その際に、もちろん生徒との信頼関係が大切ではございますが、さりとて、例えばその学校にナイフが相当持ち込まれている、危険な事件が起きるおそれがあるというときには、今までややもすると、所持品検査などをやると、それはよろしくない、子供のプライバシーを侵害するからやるべきでないと非常に戸惑いとためらいがあったようでございますので、必要と校長先生が判断すれば、その場合にはどうぞ毅然とした措置をとってくださいということも申し上げました。
もとより、所持品検査ですべてが解決するなどとは私は思ってはおりません。より根本的には、委員御指摘のような、子供たちが人間として持つべき規範意識でありますとか、正義感でありますとか、思いやりでありますとか、命を大切にする心でありますとか、そういうものをどうやってありとあらゆる教育の機会、そしてそれは多分学校教育だけではなくて、家庭教育でありますとか、あるいは地域社会での教育でありますとか、そういったものの総合として子供たちにしっかりとしたそういう規範意識などを身につけてもらうことが、迂遠なようでも、またある意味ではそれしか方法はないんだろうと。そのことの大切さというものを再認識しながらしっかりとした教育を進めていきたい、このように考えております。
この発言だけを見る →委員御指摘のように、やはり当座この何か伝染病的に広がっているこれをどこかで食いとめなきゃいけないという思いもございまして、例えば二月の上旬でございましたが、各都道府県あるいは政令市の教育委員会の生徒指導の担当者の方々に集まっていただきまして、とにかく命の大切さ、これをしっかりとまず学校で再三再四徹底をしてもらいたいし、またあわせて、刃物の携帯というのはこれはもう法令で禁止をされているんです、罰則がかかっているんだからということをもっとしっかりと子供たちにも自覚をしてもらい教えてもらいたいと、そういうことを当面講ずべきこととして強く訴えました。
その際に、もちろん生徒との信頼関係が大切ではございますが、さりとて、例えばその学校にナイフが相当持ち込まれている、危険な事件が起きるおそれがあるというときには、今までややもすると、所持品検査などをやると、それはよろしくない、子供のプライバシーを侵害するからやるべきでないと非常に戸惑いとためらいがあったようでございますので、必要と校長先生が判断すれば、その場合にはどうぞ毅然とした措置をとってくださいということも申し上げました。
もとより、所持品検査ですべてが解決するなどとは私は思ってはおりません。より根本的には、委員御指摘のような、子供たちが人間として持つべき規範意識でありますとか、正義感でありますとか、思いやりでありますとか、命を大切にする心でありますとか、そういうものをどうやってありとあらゆる教育の機会、そしてそれは多分学校教育だけではなくて、家庭教育でありますとか、あるいは地域社会での教育でありますとか、そういったものの総合として子供たちにしっかりとしたそういう規範意識などを身につけてもらうことが、迂遠なようでも、またある意味ではそれしか方法はないんだろうと。そのことの大切さというものを再認識しながらしっかりとした教育を進めていきたい、このように考えております。
小
小野清子#9
○小野清子君 大臣が、緊急アピール「子どもたちへ」、三月十日にお出しになられ、そしてまた「保護者、学校関係者、そして全ての大人たちへ」ということで、今までの大臣としては初めてこのような踏み込んだアピールをされたように私は拝聴させていただきました。
特に、命を失われた人たちは二度と帰ってこないという、この現実をやはり言葉に出してしっかり子供たちに言い伝えなきゃならないと思いますし、また保護者の方々、自分の子供の行動に責任を十分に持ってほしいというこの当たり前のことが、やはり今まで何かしら声が出ていなかったんではないかと思いますし、家庭で断固とした指導をしてほしいと、これも当然のことですけれども、何か親は学校に子供を任せきりで人のせいにするところもありました。命の大切さを繰り返し繰り返し子供たちに教えてほしい、学校はまた全力を尽くしてほしい、そしてみんなで声をかけ合って育てていこうではないかと。このことは、すべてお互いが信念と勇気と責任を持ってやっていこう、こういうことに尽きるのではないかと、そんなふうに考えております。
ですから、親は自分で子供を産めば自分の思いどおりになる等々、このごろの幼児に対する虐待の問題等々も含めて、何か親がおやおやの方になってしまっているのではないかという大変残念な気持ちもいたしますけれども、やはり核家族、それと都市化の問題ですね。子育てや家庭教育に対する悩みや不安を持っている大人たちをまことに孤立化させているということが、育児に対しても私は非常にマイナス面で大きく響いているのではないかと思います。
以前ですと、子供が泣きますと、隣のうちからどうしたのと声をかけてくれて、抱いてくれて、そして親子ともども和ませてもらえた。それがビルの中ですとそういうこともできません。また、子供たちも個室に入ってしまいますと、人と接触するということよりも、自分が自分のことを考えただけで生きでいっている。思春期の子供たちの教育をめぐる悩みというものを、親とも接触が少ない、そして親も子供との接触が少ない中から、親も子供も私はともどもに悲鳴を上げているのではないかということを日ごろ非常に感じているわけです。
ですから、そういった意味からは、保護者に対して呼びかけをしていただいたということは大変私は今回よかったのではないかと思いますが、もう一点、教師も同様に悲鳴を上げているということを私は感ずるわけでございます。一方だけが悲鳴を上げているのではなくて、子供が悲鳴を上げているということは、子供を育てている家庭の親もどうしていいかわからずに悲鳴を上げている。そして、その子を扱う教師も同様に悲鳴を上げているのではないかと思いますけれども、大臣、どのようにお感じでしょうか。
この発言だけを見る →特に、命を失われた人たちは二度と帰ってこないという、この現実をやはり言葉に出してしっかり子供たちに言い伝えなきゃならないと思いますし、また保護者の方々、自分の子供の行動に責任を十分に持ってほしいというこの当たり前のことが、やはり今まで何かしら声が出ていなかったんではないかと思いますし、家庭で断固とした指導をしてほしいと、これも当然のことですけれども、何か親は学校に子供を任せきりで人のせいにするところもありました。命の大切さを繰り返し繰り返し子供たちに教えてほしい、学校はまた全力を尽くしてほしい、そしてみんなで声をかけ合って育てていこうではないかと。このことは、すべてお互いが信念と勇気と責任を持ってやっていこう、こういうことに尽きるのではないかと、そんなふうに考えております。
ですから、親は自分で子供を産めば自分の思いどおりになる等々、このごろの幼児に対する虐待の問題等々も含めて、何か親がおやおやの方になってしまっているのではないかという大変残念な気持ちもいたしますけれども、やはり核家族、それと都市化の問題ですね。子育てや家庭教育に対する悩みや不安を持っている大人たちをまことに孤立化させているということが、育児に対しても私は非常にマイナス面で大きく響いているのではないかと思います。
以前ですと、子供が泣きますと、隣のうちからどうしたのと声をかけてくれて、抱いてくれて、そして親子ともども和ませてもらえた。それがビルの中ですとそういうこともできません。また、子供たちも個室に入ってしまいますと、人と接触するということよりも、自分が自分のことを考えただけで生きでいっている。思春期の子供たちの教育をめぐる悩みというものを、親とも接触が少ない、そして親も子供との接触が少ない中から、親も子供も私はともどもに悲鳴を上げているのではないかということを日ごろ非常に感じているわけです。
ですから、そういった意味からは、保護者に対して呼びかけをしていただいたということは大変私は今回よかったのではないかと思いますが、もう一点、教師も同様に悲鳴を上げているということを私は感ずるわけでございます。一方だけが悲鳴を上げているのではなくて、子供が悲鳴を上げているということは、子供を育てている家庭の親もどうしていいかわからずに悲鳴を上げている。そして、その子を扱う教師も同様に悲鳴を上げているのではないかと思いますけれども、大臣、どのようにお感じでしょうか。
町
町村信孝#10
○国務大臣(町村信孝君) 今、小野委員から私の三月十日に発出をいたしましたアピールのことに触れていただきました。子供たち、そして大人たちへということで、とりたてて新しいことを書いたつもりもございません。余りにも当たり前過ぎることだけを、それでも書き連ねてみると、やっぱりこういうことなのかなと、自分なりに納得しながらこれを皆さん方にもお訴えしたわけでございます。
特に今委員が言われました、親の立場、子供の立場、教師の立場、それぞれで確かに悩みやら苦しみが今あると思います。ただ、いろんな背景の変化、今御指摘のあったような核家族化でありますとか少子化でありますとか、都市化の進行により地域のつながりが薄らいだとか、あるいは我々の子供の時代よりはるかに今の子供たちはよきにつけあしきにつけいろんな情報がいっぱい頭の中に詰まってきている。ただ、それの意味を理解できなかったり、あるいは難し過ぎて理解できなかったり、あるいはバーチャルとリアルの関係がわからなくなってしまったり、いろんなことがあると思います。あるいは豊かになり過ぎたがゆえに、子供が欲するものはすべてもらえる。どこかに行きたいと一言えばそれも全部かなう。
そうやって、ある意味ではすくすくと育ち過ぎたがゆえに、中学生ぐらいになって突然先生や大人からしかられると一遍にパニック状態になって、いわゆる切れてしまうというようなことにもなってしまう。やっぱり、常に世の中は自分の思いどおりにならないということをもっともっと小さいうちからしっかり家庭なりいろいろな場面で教えておけばこういうことにはならなかったのではないのかな、こう思ったりもいたします。
特に私は家庭教育ということを、今声を大にしてその重要性をお訴えをさせていただいておりますし、今までは家庭教育とか親の子供に対する教育のあり方ということはどちらかというと余り行政なり政治なりがさわるべき分野ではないということで、思っていても余り言わなかったと思います。しかし、それではやっぱりいい子供が育たないんじゃないだろうかということで、今、例えば厚生省なりと相談をしながら、生まれる前から、そして生まれて、一歳半、三歳で健診があったりします。幼稚園、保育園があります。その期間の教育というものをどのようにしていったらいいのかということを厚生省などとも相談をしながら、あるいは自治体の協力も得ながら、保育というと何か教育じゃないみたいな感じになっていますが、私はそうじゃないと思っておりますので、広い意味の教育ということで家庭教育、幼児教育の重要性を強調しながら、いい教育ができないだろうかと思っております。中教審でも今そういう方向でいろいろな御検討、御提言をこの三月末までにいただけると、こんなふうに承知しているところでございます。
この発言だけを見る →特に今委員が言われました、親の立場、子供の立場、教師の立場、それぞれで確かに悩みやら苦しみが今あると思います。ただ、いろんな背景の変化、今御指摘のあったような核家族化でありますとか少子化でありますとか、都市化の進行により地域のつながりが薄らいだとか、あるいは我々の子供の時代よりはるかに今の子供たちはよきにつけあしきにつけいろんな情報がいっぱい頭の中に詰まってきている。ただ、それの意味を理解できなかったり、あるいは難し過ぎて理解できなかったり、あるいはバーチャルとリアルの関係がわからなくなってしまったり、いろんなことがあると思います。あるいは豊かになり過ぎたがゆえに、子供が欲するものはすべてもらえる。どこかに行きたいと一言えばそれも全部かなう。
そうやって、ある意味ではすくすくと育ち過ぎたがゆえに、中学生ぐらいになって突然先生や大人からしかられると一遍にパニック状態になって、いわゆる切れてしまうというようなことにもなってしまう。やっぱり、常に世の中は自分の思いどおりにならないということをもっともっと小さいうちからしっかり家庭なりいろいろな場面で教えておけばこういうことにはならなかったのではないのかな、こう思ったりもいたします。
特に私は家庭教育ということを、今声を大にしてその重要性をお訴えをさせていただいておりますし、今までは家庭教育とか親の子供に対する教育のあり方ということはどちらかというと余り行政なり政治なりがさわるべき分野ではないということで、思っていても余り言わなかったと思います。しかし、それではやっぱりいい子供が育たないんじゃないだろうかということで、今、例えば厚生省なりと相談をしながら、生まれる前から、そして生まれて、一歳半、三歳で健診があったりします。幼稚園、保育園があります。その期間の教育というものをどのようにしていったらいいのかということを厚生省などとも相談をしながら、あるいは自治体の協力も得ながら、保育というと何か教育じゃないみたいな感じになっていますが、私はそうじゃないと思っておりますので、広い意味の教育ということで家庭教育、幼児教育の重要性を強調しながら、いい教育ができないだろうかと思っております。中教審でも今そういう方向でいろいろな御検討、御提言をこの三月末までにいただけると、こんなふうに承知しているところでございます。
小
小野清子#11
○小野清子君 教職は八・八倍の難関というぐあいに、公立学校教員の採用試験の平均競争率が過去最高の八・八倍となった。特に女子は十・四倍、十倍台に乗ったことが何か文部省まとめで出ておりました。少子化で採用の落ち込みが続く一方で、教員人気は景気の低迷を背景に高まっているということが一つございます。
要するに、優秀な学力の先生たちが教職の現場に入っているということは事実だと思います。しかし、優秀な学力の青年が、例えば学校の指導の中で、さまざまな体験や相手と接触することの技術、能力、そういうものを持っているかというと、学校に行けない教師たち、人間関係つくれず、幾ら努力してもわかってもらえない、これが現実のようでございます。
文部省によりますと、一九九六年度の精神疾患を理由に休職をした全国の教員数は千三百八十五人、過去最高に達したというのが一九九六年度のデータでございます。これは過去最高だということでございます。学校に行けない教師たち、不登校の教師たちというものがやはり話題になっております。出会った二十代、三十代の教師は同僚とも生徒とも人間関係をつくることができない人たちだったと。しつけ、あるいは本来家庭が行うべきことを教師の仕事とされ、地域社会や父母からの過重とも言える負担、プレッシャーをかけられていると、こういうことも出ておりました。
せっかく持っているその頭脳優秀なる教師が、対人技術の訓練が非常にうまくいかない。ということは、初任者研修ということがどれくらい功を奏しているのか。あるいは初任者研修を経た方々が現場に入られて、その後現場に入られたことの中における悩みや何かをどこでだれとどのようにフォローしていくのか、そのあたりがこれから私は非常に必要になってくるのではないかと思いますけれども、その辺はいかがなものでしょうか。
この発言だけを見る →要するに、優秀な学力の先生たちが教職の現場に入っているということは事実だと思います。しかし、優秀な学力の青年が、例えば学校の指導の中で、さまざまな体験や相手と接触することの技術、能力、そういうものを持っているかというと、学校に行けない教師たち、人間関係つくれず、幾ら努力してもわかってもらえない、これが現実のようでございます。
文部省によりますと、一九九六年度の精神疾患を理由に休職をした全国の教員数は千三百八十五人、過去最高に達したというのが一九九六年度のデータでございます。これは過去最高だということでございます。学校に行けない教師たち、不登校の教師たちというものがやはり話題になっております。出会った二十代、三十代の教師は同僚とも生徒とも人間関係をつくることができない人たちだったと。しつけ、あるいは本来家庭が行うべきことを教師の仕事とされ、地域社会や父母からの過重とも言える負担、プレッシャーをかけられていると、こういうことも出ておりました。
せっかく持っているその頭脳優秀なる教師が、対人技術の訓練が非常にうまくいかない。ということは、初任者研修ということがどれくらい功を奏しているのか。あるいは初任者研修を経た方々が現場に入られて、その後現場に入られたことの中における悩みや何かをどこでだれとどのようにフォローしていくのか、そのあたりがこれから私は非常に必要になってくるのではないかと思いますけれども、その辺はいかがなものでしょうか。
辻
辻村哲夫#12
○政府委員(辻村哲夫君) ただいま先生からの御指摘の点は大変重要な、また深刻な問題だというふうに思っております。
教師の役割として、もちろん国語、数学、社会、理科といった教科の指導ということ、この点の指導力が十分であることが大切であることは言うまでもないわけでございますけれども、その前提として、教師と子供たちの間に人間的な信頼関係と申しましょうか、そういうものが必要である。よく言われるいわゆるカウンセリングマインドと申しましょうか、そういったものを教師たちがしっかり持つ。それを基礎として、教師と生徒との間での人間関係をベースに初めて実りある教育活動というのが展開されるだろうというふうに思います。
そういう意味で、先生ただいま御指摘になられた初任者研修制度というのも、免許を持ち、教師に採用されて直ちにひとり立ちの教師としてすべての責任を負っていくということではなく、一定期間は先輩の教師から実地に期したさまざまな体験的な指導を受ける、そのことによって教師としての幅を広げる、あるいは人間関係をもっと豊かなものにする、こういうことで生まれたわけでございます。まださまざまな課題があろうかと思いますけれども、全体としてはこの初任者研修制度、先生方が自信を持って教育に携わる、そういう面で高い評価を得ているというふうに思っております。
しかし、今先生が御指摘になられたような現実があるということも事実でございます。そうしたものを踏まえながら、さらに教師一人一人のみずからの努力に加えて、先輩教師からの初任者研修制度というものをさらに有効なものにして、あわせて先生としてのトータルとしての実力、指導力を高めていく、こういう課題にさらに全力を尽くしてまいりたい、そんなふうに思っております。
この発言だけを見る →教師の役割として、もちろん国語、数学、社会、理科といった教科の指導ということ、この点の指導力が十分であることが大切であることは言うまでもないわけでございますけれども、その前提として、教師と子供たちの間に人間的な信頼関係と申しましょうか、そういうものが必要である。よく言われるいわゆるカウンセリングマインドと申しましょうか、そういったものを教師たちがしっかり持つ。それを基礎として、教師と生徒との間での人間関係をベースに初めて実りある教育活動というのが展開されるだろうというふうに思います。
そういう意味で、先生ただいま御指摘になられた初任者研修制度というのも、免許を持ち、教師に採用されて直ちにひとり立ちの教師としてすべての責任を負っていくということではなく、一定期間は先輩の教師から実地に期したさまざまな体験的な指導を受ける、そのことによって教師としての幅を広げる、あるいは人間関係をもっと豊かなものにする、こういうことで生まれたわけでございます。まださまざまな課題があろうかと思いますけれども、全体としてはこの初任者研修制度、先生方が自信を持って教育に携わる、そういう面で高い評価を得ているというふうに思っております。
しかし、今先生が御指摘になられたような現実があるということも事実でございます。そうしたものを踏まえながら、さらに教師一人一人のみずからの努力に加えて、先輩教師からの初任者研修制度というものをさらに有効なものにして、あわせて先生としてのトータルとしての実力、指導力を高めていく、こういう課題にさらに全力を尽くしてまいりたい、そんなふうに思っております。
小
小野清子#13
○小野清子君 ありがとうございます。
ですから、相談体制という体制整備をきちんとしていくことが今後非常に大きく必要となってくるのではないかと思います。やはり先生が生き生きとしていかなければいい授業ができないわけでございますし、すべてが悩みを持っているわけではありませんから、生き生きとしていらっしゃる先生ももちろんいるわけですけれども、せっかく得られたそれぞれの能力を十分に発揮していただけるような条件整備をやはりしていかなければならないのではないかと思います。
また、学校運営の中における会議が多くて、非常に負担が多いと。また、一週間の自分なりの家庭生活の整理をしただけで、あすの授業の整理整とんに時間をかけられない、授業の準備に非常に時間が使われる、その余裕が出てこないということで、二〇〇三年を二〇〇二年肥前倒しという一年間短縮のいわゆる週休二日制が昨今発表されまししたけれども、私はこれに関しましては前々から、公務員一同がもう既に週休二日制を現在行っている現状をかんがみましたときに、こういう非常にいろいろな教科を、いろいろな種類の性格の子供を扱っている先生という職業のこの御苦労の多さ、あるいは多忙さの中こそ、一日も早く週休二日制がまずありきという形に持っていかなければ、先生にゆとりがなければゆとりある授業を学校現場ではすることは私は不可能だと思います。
そういった意味におきましては、二〇〇三年を二〇〇二年に持ってきた一年前倒しということは、何か私は余り感心しない。もうちょっと思い切った形で、せめて二〇〇〇年からとか持ってきていただきたい。そうしませんと、本当に現場の先生たちが頭いっぱい、時間的ゆとりやら、あるいは相談に行くにも、土日体制の中で自分の半目使ってさらに相談に行くなどということが現実的に可能かどうかということを考えたときに、やはり私は週休二日制というものをもっともっと真剣に、教育全体の現場の状況からしても必要ではないかと思います。
また、親の支援として、六十一年に私が当選させていただいたころに、家庭教育地域交流事業というのが文部省で余り大きな予算ではなかったんですけれどもありまして、「新井戸端会議」と、こういうニックネームがついておりました。要するに、子育ての自信のないお母さんが近所のお母さん方と出会いながら意見を交換し、励まし合いながらやっていこうという事業でしたけれども、今やその年齢を超した上の段階で親が非常に大きな悩みを持っているという現状をかんがみますと、親に対する相談支援対策と学校の先生に対する支援対策、こういうものがまずベースとしてきちんとしていかなければ、私は子供たちにゆとりも活力も生まれてこないのではないかと思います。
その辺で、例えば家庭教育の支援のための施策を今後どうしていくか、あるいは教育の現場における相談体制をどのようにしていくのか、そのためのゆとりや何かをどのように文部省が今後考えていくべきか、三点になりますけれども、お答えをいただいて私の質問を終わらせていただきます。
この発言だけを見る →ですから、相談体制という体制整備をきちんとしていくことが今後非常に大きく必要となってくるのではないかと思います。やはり先生が生き生きとしていかなければいい授業ができないわけでございますし、すべてが悩みを持っているわけではありませんから、生き生きとしていらっしゃる先生ももちろんいるわけですけれども、せっかく得られたそれぞれの能力を十分に発揮していただけるような条件整備をやはりしていかなければならないのではないかと思います。
また、学校運営の中における会議が多くて、非常に負担が多いと。また、一週間の自分なりの家庭生活の整理をしただけで、あすの授業の整理整とんに時間をかけられない、授業の準備に非常に時間が使われる、その余裕が出てこないということで、二〇〇三年を二〇〇二年肥前倒しという一年間短縮のいわゆる週休二日制が昨今発表されまししたけれども、私はこれに関しましては前々から、公務員一同がもう既に週休二日制を現在行っている現状をかんがみましたときに、こういう非常にいろいろな教科を、いろいろな種類の性格の子供を扱っている先生という職業のこの御苦労の多さ、あるいは多忙さの中こそ、一日も早く週休二日制がまずありきという形に持っていかなければ、先生にゆとりがなければゆとりある授業を学校現場ではすることは私は不可能だと思います。
そういった意味におきましては、二〇〇三年を二〇〇二年に持ってきた一年前倒しということは、何か私は余り感心しない。もうちょっと思い切った形で、せめて二〇〇〇年からとか持ってきていただきたい。そうしませんと、本当に現場の先生たちが頭いっぱい、時間的ゆとりやら、あるいは相談に行くにも、土日体制の中で自分の半目使ってさらに相談に行くなどということが現実的に可能かどうかということを考えたときに、やはり私は週休二日制というものをもっともっと真剣に、教育全体の現場の状況からしても必要ではないかと思います。
また、親の支援として、六十一年に私が当選させていただいたころに、家庭教育地域交流事業というのが文部省で余り大きな予算ではなかったんですけれどもありまして、「新井戸端会議」と、こういうニックネームがついておりました。要するに、子育ての自信のないお母さんが近所のお母さん方と出会いながら意見を交換し、励まし合いながらやっていこうという事業でしたけれども、今やその年齢を超した上の段階で親が非常に大きな悩みを持っているという現状をかんがみますと、親に対する相談支援対策と学校の先生に対する支援対策、こういうものがまずベースとしてきちんとしていかなければ、私は子供たちにゆとりも活力も生まれてこないのではないかと思います。
その辺で、例えば家庭教育の支援のための施策を今後どうしていくか、あるいは教育の現場における相談体制をどのようにしていくのか、そのためのゆとりや何かをどのように文部省が今後考えていくべきか、三点になりますけれども、お答えをいただいて私の質問を終わらせていただきます。
町
町村信孝#14
○国務大臣(町村信孝君) まず、週五日制のお話に触れていただきました。それだけであればもうこの四月からと言いたいところでございますし、私も文部大臣になりましてからできるだけ早くできないんだろうかということで部内でも随分会議をしてまいりました。
ただ、どうしても新しい指導要領を出し、それに基づいて教科書が編集され、そしてそれに基づいてそれの検定を行い、各県・地域で採択を行うというとどうしてもあと三、四年かかってしまうというところはどうもやむを得ないのかなということで、目いっぱいこれでも最大限の努力をし、平成十五年度を十四年度にすると。もちろんそれに伴って教科書とかカリキュラムもきっちり整備されなきゃなりませんし、同時に土日をどう、言うならば受け皿として、皆さん方がそこで塾に行かれちゃ何のことやらわけがわかりませんから、やはり青少年団体がもっと活発な活動ができるようになるとか、地域におけるスポーツをもっとできるようにするとか、そうした受け皿の環境整備もあわせて鋭意それまでに整備をしていきたいというので、ぎりぎり一年早めるということを今ほぼ結論を出させていただいたということでございます。
それから家庭教育、お父さんお母さんへの手を差し伸べるということ。特に私は父親がどうも家庭教育の中で影が薄過ぎるということが、我が身の反省も含めて言えば、これはもう少しやっぱり父親が母親と一緒になって子供の教育に当たるというようなことの環境整備も必要なんだろうということで、私も経済団体の方に会ったりして、できるだけ単身赴任はもうさせないように、あるいは残業ももう余りしないようにというようなことで、父親がまず子供と触れ合う時間をふやす。あるいは母親、父親がともに気軽に相談に行ける場をつくる、児童福祉法も改正になりまして、保育所でもそういう相談ができるようにする、幼稚園においてもしかりといったようなことを初めとして、気楽に相談に行ける、悩みを打ち明けられる、そんな機会をできるだけ提供していくといったようなことなども含め、あるいは教師に対する相談は先ほど局長が答弁したようなことで、各方面でのそうした施策を総合的に活用しながら、しっかりとしたいい子供たちが育つような環境を整えていきたいと考えております。
この発言だけを見る →ただ、どうしても新しい指導要領を出し、それに基づいて教科書が編集され、そしてそれに基づいてそれの検定を行い、各県・地域で採択を行うというとどうしてもあと三、四年かかってしまうというところはどうもやむを得ないのかなということで、目いっぱいこれでも最大限の努力をし、平成十五年度を十四年度にすると。もちろんそれに伴って教科書とかカリキュラムもきっちり整備されなきゃなりませんし、同時に土日をどう、言うならば受け皿として、皆さん方がそこで塾に行かれちゃ何のことやらわけがわかりませんから、やはり青少年団体がもっと活発な活動ができるようになるとか、地域におけるスポーツをもっとできるようにするとか、そうした受け皿の環境整備もあわせて鋭意それまでに整備をしていきたいというので、ぎりぎり一年早めるということを今ほぼ結論を出させていただいたということでございます。
それから家庭教育、お父さんお母さんへの手を差し伸べるということ。特に私は父親がどうも家庭教育の中で影が薄過ぎるということが、我が身の反省も含めて言えば、これはもう少しやっぱり父親が母親と一緒になって子供の教育に当たるというようなことの環境整備も必要なんだろうということで、私も経済団体の方に会ったりして、できるだけ単身赴任はもうさせないように、あるいは残業ももう余りしないようにというようなことで、父親がまず子供と触れ合う時間をふやす。あるいは母親、父親がともに気軽に相談に行ける場をつくる、児童福祉法も改正になりまして、保育所でもそういう相談ができるようにする、幼稚園においてもしかりといったようなことを初めとして、気楽に相談に行ける、悩みを打ち明けられる、そんな機会をできるだけ提供していくといったようなことなども含め、あるいは教師に対する相談は先ほど局長が答弁したようなことで、各方面でのそうした施策を総合的に活用しながら、しっかりとしたいい子供たちが育つような環境を整えていきたいと考えております。
小
小野清子#15
○小野清子君 私は、枠組みありて内容を考えるのか、内容ありて枠組みを考えるのか、その辺あたりの御一考をお願いしたいと思います。
以上でございます。ありがとうございました。
この発言だけを見る →以上でございます。ありがとうございました。
北
北岡秀二#16
○北岡秀二君 自民党の北岡でございます。
先ほど小野先生の方から文部大臣に対して、最近の一連の子供の事件に関連してのいろいろな御所見をお伺いしたわけでございますが、私の方からも、最近特に取りざたをされております心の教育という観点から、基本的な部分あるいは長期的に取り組んでいかなければならない原点の部分の問題提起あるいは質疑をさせていただきたいと思う次第でございますので、よろしくお願い申し上げます。
まず、心の教育ということを考えてみますときに、教育現場で私どもがまず最初に発想するのは道徳教育じゃなかろうかなというような感じがするわけでございます。今現在においても、そして過去にあっても学校の現場では道徳教青をずっと指導してきておる。にもかかわらず、最近の一連の現象が起こって、なおかつ学校の中でもろもろの心の問題にまつわる部分も含めての現象がなかなか解消されないという状況だろうと思うわけでございますが、現在に至るまでの道徳教育がどういう成果を上げてきておるのか、そしてまた、こういう結果になっておるのですから十分な成果が上げられていないということだろうと思うわけでございますが、上げられていないとするのであれば、どこに問題があって、どういうふうに課題をとらえていらっしゃるのか、まずお伺い申し上げたいと思います。
この発言だけを見る →先ほど小野先生の方から文部大臣に対して、最近の一連の子供の事件に関連してのいろいろな御所見をお伺いしたわけでございますが、私の方からも、最近特に取りざたをされております心の教育という観点から、基本的な部分あるいは長期的に取り組んでいかなければならない原点の部分の問題提起あるいは質疑をさせていただきたいと思う次第でございますので、よろしくお願い申し上げます。
まず、心の教育ということを考えてみますときに、教育現場で私どもがまず最初に発想するのは道徳教育じゃなかろうかなというような感じがするわけでございます。今現在においても、そして過去にあっても学校の現場では道徳教青をずっと指導してきておる。にもかかわらず、最近の一連の現象が起こって、なおかつ学校の中でもろもろの心の問題にまつわる部分も含めての現象がなかなか解消されないという状況だろうと思うわけでございますが、現在に至るまでの道徳教育がどういう成果を上げてきておるのか、そしてまた、こういう結果になっておるのですから十分な成果が上げられていないということだろうと思うわけでございますが、上げられていないとするのであれば、どこに問題があって、どういうふうに課題をとらえていらっしゃるのか、まずお伺い申し上げたいと思います。
町
町村信孝#17
○国務大臣(町村信孝君) 道徳教育の重要性にお触れをいただきました。文部省といたしましても、道徳教育の充実に向けて今までもいろいろな政策を打ってきたところでございます。ただ、結果はどうかと言われれば、昨今の事件、今委員の御指摘のとおり、規範意識でありますとか基本的な倫理観でありますとか、そうしたものが十分に身についていない。もしかしたらそのことのまたあらわれが昨今のいろいろな不祥事にも、大人の社会の不祥事にもいろいろ出ているのかなといったような反省もしているわけでございます。
どうしても今までの道徳の時間といいますと、私もいろんな方々に聞いてみたのでありますけれども、決して有効に成果を上げるような授業が学校の現場で行われてこなかった。例えば、一つの徳目がありまして、それをただ読んで聞かせてはい一時間終わりと。ややもするとそういう表面的な取り組みに終わっていたんではないだろうか。またもう一つ、最近は変わってきたようでありますけれども、教職員組合の道徳教育反対という執拗なまでの運動もあったということも、これは率直に認めなければならない事実であっただろう、こう思っております。
私は、そうしたことを踏まえながら一教育課程審議会でありますとか中央教育審議会、今そうした御審議をいただいておりますけれども、例えばもう少し座学ではなくて、例えばボランティア活動とか介護の体験に行くいったようなこと、あるいはそうした体験的な活動を通じて人を愛することの重要性を学ぶとか、最近は例えば高校生が幼稚園に行って小さい子供と触れ合って初めて、ああ何て子供ってかわいいんだろうというような経験をするようなこととか、さまざまな試みが行われていたりいたします。
あるいは、私はこの間オリンピックでメダルをとった選手たちに会ったとき、シーズンオフになったら少し学校を回ってくださいねとお願いをしたら、清水選手もちょっと困ったような顔をしておりましたけれども、何も一々の学校現場を回らなくてもいいのですが、インターネットなどを通じて自分の体験を話す。清水選手とその亡くなったお父さん、そして支えてくれたお母さんの話、例えばそういうようなことを通じて親子のよりよい関係というものを考えるきっかけを子供たちに与える。そうしたさまざまな工夫というものが道徳教育の場でもっともっと行われて、そしてその実を上げるような努力をしていく必要がある、こう認識をしております。
この発言だけを見る →どうしても今までの道徳の時間といいますと、私もいろんな方々に聞いてみたのでありますけれども、決して有効に成果を上げるような授業が学校の現場で行われてこなかった。例えば、一つの徳目がありまして、それをただ読んで聞かせてはい一時間終わりと。ややもするとそういう表面的な取り組みに終わっていたんではないだろうか。またもう一つ、最近は変わってきたようでありますけれども、教職員組合の道徳教育反対という執拗なまでの運動もあったということも、これは率直に認めなければならない事実であっただろう、こう思っております。
私は、そうしたことを踏まえながら一教育課程審議会でありますとか中央教育審議会、今そうした御審議をいただいておりますけれども、例えばもう少し座学ではなくて、例えばボランティア活動とか介護の体験に行くいったようなこと、あるいはそうした体験的な活動を通じて人を愛することの重要性を学ぶとか、最近は例えば高校生が幼稚園に行って小さい子供と触れ合って初めて、ああ何て子供ってかわいいんだろうというような経験をするようなこととか、さまざまな試みが行われていたりいたします。
あるいは、私はこの間オリンピックでメダルをとった選手たちに会ったとき、シーズンオフになったら少し学校を回ってくださいねとお願いをしたら、清水選手もちょっと困ったような顔をしておりましたけれども、何も一々の学校現場を回らなくてもいいのですが、インターネットなどを通じて自分の体験を話す。清水選手とその亡くなったお父さん、そして支えてくれたお母さんの話、例えばそういうようなことを通じて親子のよりよい関係というものを考えるきっかけを子供たちに与える。そうしたさまざまな工夫というものが道徳教育の場でもっともっと行われて、そしてその実を上げるような努力をしていく必要がある、こう認識をしております。
北
北岡秀二#18
○北岡秀二君 今の御答弁にありましたとおり、今の学校の現場での道徳教育の扱われ方というのは、週休二日制にも関連してくることではありますが、授業をカットしていく場合にはまず道徳教育からカットしていくというような現場での実際の状況もあろうかと思います。そしてまたなおかつ、過去にあっては、考え方の対立する立場の方々との道徳教育についての見解の相違により、学校の現場で十分にそのあたりが普及できなかったというもろもろの問題も当然あったかと思います。しかし、こういう状況の中に至るに当たって、そしてまたなおかつ、教育改革の大きな柱として心の教育をこれから徹底していくんだというような大きな柱を立てていらっしゃる以上、道徳教育に関連するもろもろの状況というのはぜひとも改善をしていただけるようにお願いを申し上げたいと思う次第でございます。
ここで、皆さん方のお手元にも配付申し上げておりますが、大変興味深い報告書があるわけでございます。これは平成八年度の調査事業ということで、財団法人一ツ橋文芸教育振興会、財団法人日本青少年研究所というところが「ポケベル等通信媒体調査」ということで日本とアメリカ、中国の高校生の意識調査をやっております。その意識調査の結果をこういう一冊の冊子にまとめ上げまして報告をされておるわけでございます。ポケベル通信ということが本来の目的ではあったのですが、ここの一節に、心の教育ということを考えていく上で非常に参考になる統計数字が出ておる。これは各国の高校生を対象にしたアンケート調査ではありますが、この一覧表をごらんいただいておわかりのとおり、日本の高校生の意識というのは、各分野にまたがって、本人の自由でやってもいいんじゃないですかという大変大きな数字が出てきておるわけでございます。
この各国の比較の中で顕著に数字としてあらわれておるのが、「先生に反抗すること」、そしてまた「親に反抗すること」。この二つを数字で申し上げますと、日本では、本人の自由でいいんじゃないかというのが七九%、「親に反抗すること」に対しては八四・七%。これはアメリカ、中国はほとんど一五%前後。非常に大きな数字の上での差が出てきておる。さらに、これは全般的に見ておわかりのとおり、非常に本人の自由で、ちょっと言葉には語弊があるかもわかりませんが、何でもやっていいんじゃないかというような認識が非常に高い数字が出ておるような感じがするわけであります。
私は、特にこの「先生に反抗すること」、そしてまた「親に反抗すること」、このことに対する日本の数字というのは非常にゆゆしき問題であり、なおかつ今の学校現場あるいは家庭環境を見ていく上で非常に示唆に富む数字じゃなかろうかというふうに感じておる次第でございます。
これは、一つの見方によりますと、学校の教育体制自体が既に崩壊をしておる状況とも見てとれる。そしてまたなおかつ家庭の中でも、先ほど小野先生がおっしゃっておられたような部分の家庭の中での教育というか、しつけの体制も基本的には崩壊に近い状況じゃなかろうかということを私は推測するものでございますが、このあたりの数字をごらんになられまして、大臣どういうふうにお感じになられるか、お伺いを申し上げます。
この発言だけを見る →ここで、皆さん方のお手元にも配付申し上げておりますが、大変興味深い報告書があるわけでございます。これは平成八年度の調査事業ということで、財団法人一ツ橋文芸教育振興会、財団法人日本青少年研究所というところが「ポケベル等通信媒体調査」ということで日本とアメリカ、中国の高校生の意識調査をやっております。その意識調査の結果をこういう一冊の冊子にまとめ上げまして報告をされておるわけでございます。ポケベル通信ということが本来の目的ではあったのですが、ここの一節に、心の教育ということを考えていく上で非常に参考になる統計数字が出ておる。これは各国の高校生を対象にしたアンケート調査ではありますが、この一覧表をごらんいただいておわかりのとおり、日本の高校生の意識というのは、各分野にまたがって、本人の自由でやってもいいんじゃないですかという大変大きな数字が出てきておるわけでございます。
この各国の比較の中で顕著に数字としてあらわれておるのが、「先生に反抗すること」、そしてまた「親に反抗すること」。この二つを数字で申し上げますと、日本では、本人の自由でいいんじゃないかというのが七九%、「親に反抗すること」に対しては八四・七%。これはアメリカ、中国はほとんど一五%前後。非常に大きな数字の上での差が出てきておる。さらに、これは全般的に見ておわかりのとおり、非常に本人の自由で、ちょっと言葉には語弊があるかもわかりませんが、何でもやっていいんじゃないかというような認識が非常に高い数字が出ておるような感じがするわけであります。
私は、特にこの「先生に反抗すること」、そしてまた「親に反抗すること」、このことに対する日本の数字というのは非常にゆゆしき問題であり、なおかつ今の学校現場あるいは家庭環境を見ていく上で非常に示唆に富む数字じゃなかろうかというふうに感じておる次第でございます。
これは、一つの見方によりますと、学校の教育体制自体が既に崩壊をしておる状況とも見てとれる。そしてまたなおかつ家庭の中でも、先ほど小野先生がおっしゃっておられたような部分の家庭の中での教育というか、しつけの体制も基本的には崩壊に近い状況じゃなかろうかということを私は推測するものでございますが、このあたりの数字をごらんになられまして、大臣どういうふうにお感じになられるか、お伺いを申し上げます。
町
町村信孝#19
○国務大臣(町村信孝君) 今、委員御指摘のとおりでございまして、私もこの数字を見て、確かにこういう状態なんだろうなということを実感を持てるわけであります。親やあるいは先生に反抗することばかりでなくて、「学校をずる休みすること」という部分とか、あるいは「売春など性を売り物にすること」、こういうことまでも含めて「本人の自由で良い」という比率が諸外国よりもかなり高いという実情は大変にゆゆしき現状だろうと、こう思っております。
それは、自由の主張というのは一面であっていいのでありますが、当然、自由とか権利の主張には責任と義務が伴う。そちらの方がおろそかになってひたすら権利と自由のみを主張する、多分これは戦前の日本のあり方に対する言うならば一つの反動として、戦後、とにかく個人の権利が大切だ、個人の自由が大切だと、いささか権利と自由の履き違えがこういうすさまじい数字になってあらわれているのかなという感じもいたします。
自由とか権利、必ずそれは権利と責任が相伴って初めて、バランスをとって初めてそれが実現できるのだということをしっかりと学校で教えてきたのかどうか、あるいは家庭の中でそういうことをしっかり教えてきたのかどうかということを、我々大人の現在の姿も含めて反省をしながら、学校の現場で、家庭の現場でもう少ししっかりやってもらわないといけないのだろうなと、こう思ってこの数字を拝見させていただきました。
この発言だけを見る →それは、自由の主張というのは一面であっていいのでありますが、当然、自由とか権利の主張には責任と義務が伴う。そちらの方がおろそかになってひたすら権利と自由のみを主張する、多分これは戦前の日本のあり方に対する言うならば一つの反動として、戦後、とにかく個人の権利が大切だ、個人の自由が大切だと、いささか権利と自由の履き違えがこういうすさまじい数字になってあらわれているのかなという感じもいたします。
自由とか権利、必ずそれは権利と責任が相伴って初めて、バランスをとって初めてそれが実現できるのだということをしっかりと学校で教えてきたのかどうか、あるいは家庭の中でそういうことをしっかり教えてきたのかどうかということを、我々大人の現在の姿も含めて反省をしながら、学校の現場で、家庭の現場でもう少ししっかりやってもらわないといけないのだろうなと、こう思ってこの数字を拝見させていただきました。
北
北岡秀二#20
○北岡秀二君 私は、大臣の御認識というのはまことに結構な御認識をされていらっしゃるだろうと思います。これはもう数字を見てごらんのとおり、こういう状況だからといって日本の子供たちが伸び伸びと生活をしていらっしゃるかというと、そうでもない。アメリカの、中国の子供たちが本人の自由でいいという部分が非常に意識が少ないから、じゃ抑圧されているかというと、そうでもない。逆にこれはアメリカでも中国でも、私らがいろいろなメディアを通じて拝見をさせていただく限りにおいては、日本と比較をして決して不健全な状態でもないし、逆になお一層自立心を持って非常に元気に活動されていらっしゃる子供たちが多いというような感じもしないではない。
そういう状況から申し上げますと、今の大臣のお話のとおりいろいろ問題があるんじゃなかろうか。つい先日、日教組が教職員の悩み相談ということで、これは新聞にも大きく出ましたが、アンケートをとられた。この数字の中にも、子供の自己中心的、無気力、無責任等々の傾向があって、それに対して先生方が悩んでおられるというような数字も出ておるわけでございまして、決してこのアンケートだけがたまたまこういう結果が出たんじゃないというふうに私は認識をしておるわけでございます。
先ほど大臣のおっしゃったことにも関連するわけでございますが、なぜこういう現象になっているのかということを考えてみますときに、いろいろ問題はあろうかと思います。しかし、たまたま今大臣が答弁の中でもおっしゃられましたが、豊かな社会人をはぐくむ、社会人としての人格形成をはぐくんでいくという観点での基本のキーワード、これはすなわち、先ほど大臣もおっしゃられましたが、権利でありますとかあるいは自由でありますとか、あるいは平等とか個性とか、さらに人権、これはもう本当に一番原点の部分の言葉の定義に対して、認識に対して非常に大きな誤解があるんじゃなかろうかというふうに私は感じるわけでございます。
先ほどおっしゃられましたとおり、権利という言葉には当然のごとく義務がついて回るものである。そしてまた、自由という言葉にはルールを守るという責任があって、それを守った上での自由である。
さらに、平等ということを考えてみましても、平等というその解釈の中には結果平等と機会平等、チャンスの平等という二つのとらえ方があるわけでございますが、本来の平等の意味というのは、あくまでチャンスは平等ですよと、機会平等の平等が私は本来の平等の意味じゃなかろうか。部分によっては結果平等という認識もあって当然なんですが、基本論としては、チャンス平等が本来の平等の意味ですよということもあろうかと思います。
そしてまたさらに、個性ということを考えてみましても、教育の現場で、結果平等思想を上げながら、なおかつ個性をはぐくんでいきましょうといううたい文句をよく私は拝見させていただくわけでございますが、これはおのずと皆さん方おわかりのとおり、結果の平等を押しつける以上は、個性は出てくるわけは絶対ない。逆に人間性が抑圧されて、個性というのはそういう状況の中では決して出てこない。そしてまたなおかつ、個性ということを考えてみますときに、社会の中で生きていく上に当たっての個性であり、社会の中で個性を発揮するという状況でございますので、本来の教育の観点からの個性ということを考えてみますときには、反社会的な個性が本来の教育の場での個性であるとか、本当に社会的に受け入れていただけないような個性というのは決して教育の場で論ずる個性じゃない。
さらに、人権という言葉でもそうでございますが、これはもう人権を主張する以上、当然他者の人権も認めなければならないから、その裏には大きな大きな社会に対する、他人に対する思いやりも当然なければならない。
こういうもろもろの言葉の表と裏と申しますか、いろいろな意味で、歴史的に醸成してきたそういうキーワードというか、一つ一つの原点の言葉には大変大きな重みと意味がある。
ところが、先ほどちょうど大臣もおっしゃっておられましたように、非常に今の学校現場での、当然大人社会も含めてでございますが、基本論の部分のそういう肝心な言葉の解釈に大きなゆがみ、大きなずれがあるからこそ、結果的に無責任な子供たちであったり、さらには無気力、自己中心的な子供たちが出てきておるのでないか、それが一つの原因じゃなかろうかというふうに私は思うわけでございます。
ちょっと話が横へずれますが、この各国比較でもおわかりのとおり、よく外国との比較の中で、日本の常識は世界の非常識ですよ、世界の常識が日本の非常識ですよというような言葉もよく使われるわけでございますが、こういうところにも非常に大きな原因があるんじゃなかろうかというふうに感じるわけでございます。
そういう観点から申し上げますと、このたびの教育改革、そしてまた心の教育を大きく推進していく過程の中で、今申し上げました権利でありますとか自由でありますとか、あるいは個性であるとか平等であるとか人権であるとかいう部分の、これはもう本当に世の中をなしていく根幹の部分の言葉の定義を、ぜひとも共通の認識をしていただけるような指導をしなければならないのでなかろうかというふうに感じる次第でございます。
そういう観点から申し上げますと、今取り組んでおる具体のことで考えてみますと、例えば学習指導要領の総則の中に自由だとか個性だとかいう文言を入れておりますが、こういう文言をただ単純に入れるんじゃなくて、そのあたりの重さというのを十分に理解できるような形で表現をする。そしてまたさらには、先ほどのお話ではございませんが、道徳教育の中でそういう部分を十分に子供たちに理解できるような何らかの形で広めていく、そういう努力が私は必要じゃなかろうかと思うわけでございます。
そのあたりについてお伺い申し上げたいのと、それに関連してでございますが、子供たちを指導していく学校の先生方にもそれを基本的には十分理解していただかなければならないということから考えてみますときに、教員養成課程の中でもそのあたりの指導を十分すべきだろうと思うわけでございますが、大臣の御所見をお伺い申し上げます。
この発言だけを見る →そういう状況から申し上げますと、今の大臣のお話のとおりいろいろ問題があるんじゃなかろうか。つい先日、日教組が教職員の悩み相談ということで、これは新聞にも大きく出ましたが、アンケートをとられた。この数字の中にも、子供の自己中心的、無気力、無責任等々の傾向があって、それに対して先生方が悩んでおられるというような数字も出ておるわけでございまして、決してこのアンケートだけがたまたまこういう結果が出たんじゃないというふうに私は認識をしておるわけでございます。
先ほど大臣のおっしゃったことにも関連するわけでございますが、なぜこういう現象になっているのかということを考えてみますときに、いろいろ問題はあろうかと思います。しかし、たまたま今大臣が答弁の中でもおっしゃられましたが、豊かな社会人をはぐくむ、社会人としての人格形成をはぐくんでいくという観点での基本のキーワード、これはすなわち、先ほど大臣もおっしゃられましたが、権利でありますとかあるいは自由でありますとか、あるいは平等とか個性とか、さらに人権、これはもう本当に一番原点の部分の言葉の定義に対して、認識に対して非常に大きな誤解があるんじゃなかろうかというふうに私は感じるわけでございます。
先ほどおっしゃられましたとおり、権利という言葉には当然のごとく義務がついて回るものである。そしてまた、自由という言葉にはルールを守るという責任があって、それを守った上での自由である。
さらに、平等ということを考えてみましても、平等というその解釈の中には結果平等と機会平等、チャンスの平等という二つのとらえ方があるわけでございますが、本来の平等の意味というのは、あくまでチャンスは平等ですよと、機会平等の平等が私は本来の平等の意味じゃなかろうか。部分によっては結果平等という認識もあって当然なんですが、基本論としては、チャンス平等が本来の平等の意味ですよということもあろうかと思います。
そしてまたさらに、個性ということを考えてみましても、教育の現場で、結果平等思想を上げながら、なおかつ個性をはぐくんでいきましょうといううたい文句をよく私は拝見させていただくわけでございますが、これはおのずと皆さん方おわかりのとおり、結果の平等を押しつける以上は、個性は出てくるわけは絶対ない。逆に人間性が抑圧されて、個性というのはそういう状況の中では決して出てこない。そしてまたなおかつ、個性ということを考えてみますときに、社会の中で生きていく上に当たっての個性であり、社会の中で個性を発揮するという状況でございますので、本来の教育の観点からの個性ということを考えてみますときには、反社会的な個性が本来の教育の場での個性であるとか、本当に社会的に受け入れていただけないような個性というのは決して教育の場で論ずる個性じゃない。
さらに、人権という言葉でもそうでございますが、これはもう人権を主張する以上、当然他者の人権も認めなければならないから、その裏には大きな大きな社会に対する、他人に対する思いやりも当然なければならない。
こういうもろもろの言葉の表と裏と申しますか、いろいろな意味で、歴史的に醸成してきたそういうキーワードというか、一つ一つの原点の言葉には大変大きな重みと意味がある。
ところが、先ほどちょうど大臣もおっしゃっておられましたように、非常に今の学校現場での、当然大人社会も含めてでございますが、基本論の部分のそういう肝心な言葉の解釈に大きなゆがみ、大きなずれがあるからこそ、結果的に無責任な子供たちであったり、さらには無気力、自己中心的な子供たちが出てきておるのでないか、それが一つの原因じゃなかろうかというふうに私は思うわけでございます。
ちょっと話が横へずれますが、この各国比較でもおわかりのとおり、よく外国との比較の中で、日本の常識は世界の非常識ですよ、世界の常識が日本の非常識ですよというような言葉もよく使われるわけでございますが、こういうところにも非常に大きな原因があるんじゃなかろうかというふうに感じるわけでございます。
そういう観点から申し上げますと、このたびの教育改革、そしてまた心の教育を大きく推進していく過程の中で、今申し上げました権利でありますとか自由でありますとか、あるいは個性であるとか平等であるとか人権であるとかいう部分の、これはもう本当に世の中をなしていく根幹の部分の言葉の定義を、ぜひとも共通の認識をしていただけるような指導をしなければならないのでなかろうかというふうに感じる次第でございます。
そういう観点から申し上げますと、今取り組んでおる具体のことで考えてみますと、例えば学習指導要領の総則の中に自由だとか個性だとかいう文言を入れておりますが、こういう文言をただ単純に入れるんじゃなくて、そのあたりの重さというのを十分に理解できるような形で表現をする。そしてまたさらには、先ほどのお話ではございませんが、道徳教育の中でそういう部分を十分に子供たちに理解できるような何らかの形で広めていく、そういう努力が私は必要じゃなかろうかと思うわけでございます。
そのあたりについてお伺い申し上げたいのと、それに関連してでございますが、子供たちを指導していく学校の先生方にもそれを基本的には十分理解していただかなければならないということから考えてみますときに、教員養成課程の中でもそのあたりの指導を十分すべきだろうと思うわけでございますが、大臣の御所見をお伺い申し上げます。
町
町村信孝#21
○国務大臣(町村信孝君) 今、北岡委員から大変重要な御指摘をいただいたと受けとめております。
もとより私は、釈迦に説法で申し上げるまでもございませんが、日本国憲法でも、第十二条、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、」、途中略しますが、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と。あるいは十三条で、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」ということで、無制限の自由とか無制限の権利ということには憲法上もなっていないということは改めて私が申し上げるまでもないことであるし、このことはもうまさに常識であろうと思うわけであります。
そういう中で、例えば今委員が御指摘になられました、権利等々の事柄が学習指導要領の中でどういう表現になっているかということを少しくお話をいたしますと、例えば小学校や中学校の道徳あるいは社会科といった時間の中で権利ということについていろいろ書いてありますが、自他の権利を大切にし、進んで義務を果たすようはするという表現が明記をされております。あるいは自由について申し上げますと、自由を大切にし、規律ある行動をするという表現もはっきり書いてございます。あるいは個性につきましても、それぞれの個性や立場を尊重し、謙虚に他に学ぶ広い心を持つようにする。あるいは平等につきましても、だれに対しても公正、公平にし、正義の実現に努める。ここは先生今御指摘になられた機会の平等、結果の平等というところまでは踏み込んで何も書いてございませんが、平等についてはそういうものだと。あるいは人権につきましても、人権の尊重の意義、特に自由、権利と責任、義務の関係を広い視野から正しく認識させる。当然、他者の人権の尊重ということがきっちりここも触れられているわけでございます。
こういうようなことで、言葉で書いてあってもそれをどう実際の現場で、いろいろな授業の時間等々で教えていくかというのはなかなか難しい面もあるとは思いますが、先ほど申し上げました多様な方法によりまして、その言葉の意義の正しい理解を求めていくということは現行の指導要領でも私は十分可能だろうと思っておりますが、今新しい指導要領作成の作業に入るところでございますので、委員御指摘のようなことも含め、総則に書くかどうかというある意味じゃちょっとテクニカルな話ではなくて、しっかりとした全体の中でこうしたものが取り組めるように、新しい指導要領等の中でもしっかりと取り組んでまいりたいと、こう思います。
教員養成の問題につきましては、局長の方から答弁をさせていただきます。
この発言だけを見る →もとより私は、釈迦に説法で申し上げるまでもございませんが、日本国憲法でも、第十二条、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、」、途中略しますが、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と。あるいは十三条で、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」ということで、無制限の自由とか無制限の権利ということには憲法上もなっていないということは改めて私が申し上げるまでもないことであるし、このことはもうまさに常識であろうと思うわけであります。
そういう中で、例えば今委員が御指摘になられました、権利等々の事柄が学習指導要領の中でどういう表現になっているかということを少しくお話をいたしますと、例えば小学校や中学校の道徳あるいは社会科といった時間の中で権利ということについていろいろ書いてありますが、自他の権利を大切にし、進んで義務を果たすようはするという表現が明記をされております。あるいは自由について申し上げますと、自由を大切にし、規律ある行動をするという表現もはっきり書いてございます。あるいは個性につきましても、それぞれの個性や立場を尊重し、謙虚に他に学ぶ広い心を持つようにする。あるいは平等につきましても、だれに対しても公正、公平にし、正義の実現に努める。ここは先生今御指摘になられた機会の平等、結果の平等というところまでは踏み込んで何も書いてございませんが、平等についてはそういうものだと。あるいは人権につきましても、人権の尊重の意義、特に自由、権利と責任、義務の関係を広い視野から正しく認識させる。当然、他者の人権の尊重ということがきっちりここも触れられているわけでございます。
こういうようなことで、言葉で書いてあってもそれをどう実際の現場で、いろいろな授業の時間等々で教えていくかというのはなかなか難しい面もあるとは思いますが、先ほど申し上げました多様な方法によりまして、その言葉の意義の正しい理解を求めていくということは現行の指導要領でも私は十分可能だろうと思っておりますが、今新しい指導要領作成の作業に入るところでございますので、委員御指摘のようなことも含め、総則に書くかどうかというある意味じゃちょっとテクニカルな話ではなくて、しっかりとした全体の中でこうしたものが取り組めるように、新しい指導要領等の中でもしっかりと取り組んでまいりたいと、こう思います。
教員養成の問題につきましては、局長の方から答弁をさせていただきます。
御
御手洗康#22
○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、民主主義社会におきまして権利と自由を享受するためには、社会の構成員として義務、責任が当然に伴うということにつきまして、すべての教員が正しい理解を持った上で児童生徒の教育に当たるということは不可欠なことでございます。このため大学の教員養成課程におきまして、ただいま大臣が御答弁申し上げましたように、日本国憲法に対する正しい理解を含めまして、道徳教育や生徒指導などの諸科目につきまして、すべての教職員免許状を取得する学生がこれを必修としてとらなければならないということにしているところでございます。
また、今国会に改正をお願いしております新しい教員免許法の改正に伴いまして、新たに総合演習というような科目を新設したいと考えているわけでございますけれども、その中では、人類や我が国社会全体にかかわります例えば家庭のあり方あるいは地球環境の問題、さらには御指摘のような自由と規律の問題等を含めまして、教員志望者全員がこれをディベートやあるいは福祉施設等での実体験も含めて学習するような科目を構成していきたいと考えているところでございます。
なお、現職の教員につきましても、文部省や都道府県が主催いたします初任者研修、あるいは五年目、十年目等の教職経験者研修等を中心といたしまして、すべての現職教員を対象にいたしまして適宜人権教育、あるいは道徳や生徒指導等の内容につきましても研修内容に含めて行っているところでございますが、今後とも、御指摘のような点につきまして、大学の養成、あるいは現職教員を含めます中で積極的に文部省としても取り組んでまいりたいと考えておるところでございます。
この発言だけを見る →また、今国会に改正をお願いしております新しい教員免許法の改正に伴いまして、新たに総合演習というような科目を新設したいと考えているわけでございますけれども、その中では、人類や我が国社会全体にかかわります例えば家庭のあり方あるいは地球環境の問題、さらには御指摘のような自由と規律の問題等を含めまして、教員志望者全員がこれをディベートやあるいは福祉施設等での実体験も含めて学習するような科目を構成していきたいと考えているところでございます。
なお、現職の教員につきましても、文部省や都道府県が主催いたします初任者研修、あるいは五年目、十年目等の教職経験者研修等を中心といたしまして、すべての現職教員を対象にいたしまして適宜人権教育、あるいは道徳や生徒指導等の内容につきましても研修内容に含めて行っているところでございますが、今後とも、御指摘のような点につきまして、大学の養成、あるいは現職教員を含めます中で積極的に文部省としても取り組んでまいりたいと考えておるところでございます。
北
北岡秀二#23
○北岡秀二君 もろもろ御答弁をいただいたわけでございますが、先ほども申し上げましたとおり、御認識に対しては正確な御認識をされていらっしゃる。ただ、今後いろんな意味で実現に向けて本当にやっていこうという部分に関してはちょっと逃げ腰のような感じがする。
これはもう過去のいろんな議論の中でもおありになっただろうと思いますが、心の教育というのは大変つかみどころがない、もう本当にあるようでないようで、何をやっていいやらよくわからない。これは、心の教育をこれからいろんな角度で前進をさせていき、なおかつ子供たちに温かい本当に豊かな心を持っていただくためには、大変難しい施策になろうかと思うわけでございます。
私は、そういう観点から申し上げると、先ほど申し上げました社会的な部分の原点の認識、これは心の教育という観点からも大変大きな存在意義があるというふうに感じておるわけでございます。先ほど大臣がそういう部分の記述はあるということをおっしゃられましたが、今の現実はどうでしょうか。もう何でもやりたい放題の権利であり自由であり、そしてまたなおかつ個性も、何か履き違えた個性ととっていらっしゃるし、そしてまたいろんな意味で基本的な部分の認識が、本来のあるべき姿とは全く逆の方向へ認識をされていらっしゃる、これが現実だろうと思うわけでございます。
私は、いろいろな考え方もあろうかと思うわけでありますが、今の大人社会も含めてでありますが、世の中が、日本の国の内部が荒廃をしておる、こういう原点には、ここの部分の解釈の大きな大きな間違いがあるところにかなり大きな原因があるんじゃなかろうかというふうに私は感じておる次第でございます。
当然、大臣も個人的にはこのあたりの重要性は十分に御認識をされていらっしゃるだろうと思います。これは決してイデオロギーでも何でもない。これはもうどこの国へ行ったって私は大事な部分は大事な部分として当然の真理だろうと思います。私はあえてこういうことを申し上げさせていただくのは、先ほどの憲法論争とかいろいろあるだろうと思いますが、この際、文部省が率先垂範してこの大事な部分に切り込んでいくべきである、そしてまたなおかつその先鞭を文部省が、これだけ心の問題ということを問われておるんですから私はつけていかなければならないだろうと思っておりますので、ぜひとも大臣の強い決意のもとで、このあたりの基本的な規範が十分に学校教育の中で、そしてまたひいては社会の中で反映をされるように、ぜひともお願いを申し上げたいと思う次第でございます。
もう一つ、己の教育に関連して。
競争という とが最近また取りざたをされております。御承知のとおり、栃木県の鹿沼市の中学校において中間テスト、期末テストを廃止すると。私はこの中学校のもろもろの背景を十分に知って申し上げておるわけでございませんので、一概にこれがだめだとかいいだとかいうような結論を出す状況ではなかろうと思いますが、ただ一つ、新聞報道等の記事を拝見をさせていただいておりますと気になる言葉がある。これは、競争主義を排除するんだ、競争主義を排除するからこういうことをやるんだというような文言がたびたび出てまいるわけでございます。教育現場の中から、学校現場の中から、競争主義はイコール悪である、競争主義はだめなんですよというようなニュアンスを非常に私は感じるわけでございます。
この一つの傾向というのは、非常に私は疑問を持ちますし、ちょっと危機感も持っておるわけでございます。と申しますのは、もうおわかりのとおり、競争の中でこそ、そしてまた競争の過程の中で習得するもの、それは心の問題も含めてでございますが、習得する部分というのは子供の学校現場の中からも大きなウエートが私はあるだろうと思うんです。
そういうことから申し上げますと、新聞報道での話でございますが、競争主義を排除するということでのこのたびのこういうような措置、栃木県の中学校の措置に対して大臣はどういう御認識をされていらっしゃるのか、御見解をお伺い申し上げます。
この発言だけを見る →これはもう過去のいろんな議論の中でもおありになっただろうと思いますが、心の教育というのは大変つかみどころがない、もう本当にあるようでないようで、何をやっていいやらよくわからない。これは、心の教育をこれからいろんな角度で前進をさせていき、なおかつ子供たちに温かい本当に豊かな心を持っていただくためには、大変難しい施策になろうかと思うわけでございます。
私は、そういう観点から申し上げると、先ほど申し上げました社会的な部分の原点の認識、これは心の教育という観点からも大変大きな存在意義があるというふうに感じておるわけでございます。先ほど大臣がそういう部分の記述はあるということをおっしゃられましたが、今の現実はどうでしょうか。もう何でもやりたい放題の権利であり自由であり、そしてまたなおかつ個性も、何か履き違えた個性ととっていらっしゃるし、そしてまたいろんな意味で基本的な部分の認識が、本来のあるべき姿とは全く逆の方向へ認識をされていらっしゃる、これが現実だろうと思うわけでございます。
私は、いろいろな考え方もあろうかと思うわけでありますが、今の大人社会も含めてでありますが、世の中が、日本の国の内部が荒廃をしておる、こういう原点には、ここの部分の解釈の大きな大きな間違いがあるところにかなり大きな原因があるんじゃなかろうかというふうに私は感じておる次第でございます。
当然、大臣も個人的にはこのあたりの重要性は十分に御認識をされていらっしゃるだろうと思います。これは決してイデオロギーでも何でもない。これはもうどこの国へ行ったって私は大事な部分は大事な部分として当然の真理だろうと思います。私はあえてこういうことを申し上げさせていただくのは、先ほどの憲法論争とかいろいろあるだろうと思いますが、この際、文部省が率先垂範してこの大事な部分に切り込んでいくべきである、そしてまたなおかつその先鞭を文部省が、これだけ心の問題ということを問われておるんですから私はつけていかなければならないだろうと思っておりますので、ぜひとも大臣の強い決意のもとで、このあたりの基本的な規範が十分に学校教育の中で、そしてまたひいては社会の中で反映をされるように、ぜひともお願いを申し上げたいと思う次第でございます。
もう一つ、己の教育に関連して。
競争という とが最近また取りざたをされております。御承知のとおり、栃木県の鹿沼市の中学校において中間テスト、期末テストを廃止すると。私はこの中学校のもろもろの背景を十分に知って申し上げておるわけでございませんので、一概にこれがだめだとかいいだとかいうような結論を出す状況ではなかろうと思いますが、ただ一つ、新聞報道等の記事を拝見をさせていただいておりますと気になる言葉がある。これは、競争主義を排除するんだ、競争主義を排除するからこういうことをやるんだというような文言がたびたび出てまいるわけでございます。教育現場の中から、学校現場の中から、競争主義はイコール悪である、競争主義はだめなんですよというようなニュアンスを非常に私は感じるわけでございます。
この一つの傾向というのは、非常に私は疑問を持ちますし、ちょっと危機感も持っておるわけでございます。と申しますのは、もうおわかりのとおり、競争の中でこそ、そしてまた競争の過程の中で習得するもの、それは心の問題も含めてでございますが、習得する部分というのは子供の学校現場の中からも大きなウエートが私はあるだろうと思うんです。
そういうことから申し上げますと、新聞報道での話でございますが、競争主義を排除するということでのこのたびのこういうような措置、栃木県の中学校の措置に対して大臣はどういう御認識をされていらっしゃるのか、御見解をお伺い申し上げます。
町
町村信孝#24
○国務大臣(町村信孝君) 基本的には、それぞれの学校、それぞれの地域がいろいろな試みをすることの一々について文部省ができるだけ口を出さないようにと、私はこう思っておりますので、こうした措置を彼らが独自にとるということについて、とてもよかったねとか、とても悪かったねということは私は言わないようにしております。
ただ、委員御指摘のように、じゃ実態はどうかというと、またこれは私どもも間接的な報告を受けただけですから必ずしも正確かどうかわかりませんが、要するに中間テストとか期末テストという定期的なテストをやめる。そのかわりに、要するにある程度一つの単元とかまとまりのごとに小テストを何度もやる。それによって日々とか月々のその子供たちの理解の度合いとか進みぐあいといったようなものを詳細に把握する、そしてそのことによって生徒のすぐれた点をもっと伸ばしていく、あるいは足らざる点をすぐ補っていくというきめ細かな学習指導が可能になるということであります。
したがって、考えようによってはかえってこれは大変だろうと思います。生徒も大変だし、先生も大変だろうと思います。年に一回試験の方がある意味では、大ざっぱだけれども、楽な面はあります。一夜漬けでやればいいんですから。これは、一夜漬けはだめですよと言っているわけですからね。そういう意味では、どちらが競争的であるかどうかというのは必ずしもわからないところがあります。
ただ、私は、委員御指摘になられた、もうちょっと一般論で言うと、競争そのものを教育の現場でどう考えていったらいいか、受けとめていったらいいかという問題であります。
行き過ぎた競争といいましょうか、例えば一点を争う競争とか、あるいは偏差値が一点違うからあなたはA高校ではなくてB高校に行きなさいとかいったような、いささか瑣末にわたるような点数主義、そのこと跡ある意味では一点を争う点取り競争になってしまうというような競争を、私は本来の教育のあり方からいって行き過ぎであり、おかしいだろうと思います。
ただ、これではおよそ競争的な面を一切排除していいかというと、私はそれはいかがかなと。そういう意味では、私は北岡委員の御指摘に賛同するものであります。
どうも最近、子供たちのハードルを低くすることがストレスの解消になり、伸び伸びとした子供に育つということが言われます。一面では正しいかもしれませんが、たかがこの程度のハードルが乗り越えられなくてどうして人生にもっともっと大きくあるハードルを乗り越えることができますか、とても金メダルをとれませんよと。何もみんながオリンピックで金メダルをとるわけじゃないわけですが、人生それぞれいろんな金メダルが僕はあると思うんですよ。そのときに、一切の苦労というものをしないでおいて、安易に楽々とゴールに到達できるほど人生は甘くないということを子供のうちから理解してもらうためにも、節目前置の競争といいましょうか、ハードルというものが時として高く時として低いものがあっていいんだろう、私はこのように理解をいたしております。
この発言だけを見る →ただ、委員御指摘のように、じゃ実態はどうかというと、またこれは私どもも間接的な報告を受けただけですから必ずしも正確かどうかわかりませんが、要するに中間テストとか期末テストという定期的なテストをやめる。そのかわりに、要するにある程度一つの単元とかまとまりのごとに小テストを何度もやる。それによって日々とか月々のその子供たちの理解の度合いとか進みぐあいといったようなものを詳細に把握する、そしてそのことによって生徒のすぐれた点をもっと伸ばしていく、あるいは足らざる点をすぐ補っていくというきめ細かな学習指導が可能になるということであります。
したがって、考えようによってはかえってこれは大変だろうと思います。生徒も大変だし、先生も大変だろうと思います。年に一回試験の方がある意味では、大ざっぱだけれども、楽な面はあります。一夜漬けでやればいいんですから。これは、一夜漬けはだめですよと言っているわけですからね。そういう意味では、どちらが競争的であるかどうかというのは必ずしもわからないところがあります。
ただ、私は、委員御指摘になられた、もうちょっと一般論で言うと、競争そのものを教育の現場でどう考えていったらいいか、受けとめていったらいいかという問題であります。
行き過ぎた競争といいましょうか、例えば一点を争う競争とか、あるいは偏差値が一点違うからあなたはA高校ではなくてB高校に行きなさいとかいったような、いささか瑣末にわたるような点数主義、そのこと跡ある意味では一点を争う点取り競争になってしまうというような競争を、私は本来の教育のあり方からいって行き過ぎであり、おかしいだろうと思います。
ただ、これではおよそ競争的な面を一切排除していいかというと、私はそれはいかがかなと。そういう意味では、私は北岡委員の御指摘に賛同するものであります。
どうも最近、子供たちのハードルを低くすることがストレスの解消になり、伸び伸びとした子供に育つということが言われます。一面では正しいかもしれませんが、たかがこの程度のハードルが乗り越えられなくてどうして人生にもっともっと大きくあるハードルを乗り越えることができますか、とても金メダルをとれませんよと。何もみんながオリンピックで金メダルをとるわけじゃないわけですが、人生それぞれいろんな金メダルが僕はあると思うんですよ。そのときに、一切の苦労というものをしないでおいて、安易に楽々とゴールに到達できるほど人生は甘くないということを子供のうちから理解してもらうためにも、節目前置の競争といいましょうか、ハードルというものが時として高く時として低いものがあっていいんだろう、私はこのように理解をいたしております。
北
北岡秀二#25
○北岡秀二君 ありがとうございます。
まさにそのとおりだろうと思いますし、なおかつ私も、競争というのはもう当然学校の教育現場から排除すべきものじゃない。そしてまたなおかつ、ひところ、偏差値教育とかあるいは受験戦争とか学力試験の問題等々を含めて一つの排除をしていこうとする風潮がある状況。これはちょっと勘違いされている、一般的に勘違いされている部分というのは、競争というのが悪いんじゃなくて、今まさに大臣がおっしゃった部分でありますが、一点集中して、そこのみに集中して、それ以外何もないという環境が私は悪いんだろうと思うんです。ですから、そういう面から申し上げますと、私は、偏差値教育も別に悪くはない、受験戦争も別に悪くはない。ただ、それのみの選択肢しかない学校現場、社会環境が悪いんである。
そういうことから申し上げますと、今大臣がおっしゃったことにも相通じることだろうと思うんですが、スポーツであったりあるいは文化面であったり、そういう部分にはっきりとした価値観づけをすることによって子供の選択肢の幅を広げていく、そしてまたそういう環境づくりを文部省とか我々社会がつくり上げていかなければならない。そっちの方が私は大事だろうと思うんです。
過去にあっては、例えば偏差値教育もそうでございましたが、もうだめであると魔女狩り的に根っこから根こそぎ排除していく、そういう結果が先ほどおっしゃったハードルがどんどん低くなってきておるというような状況だろうと思うわけでございますが、私はこの傾向というのは基本的には間違っておるというふうに感じるわけでございます。
今おっしゃられましたとおり、人間というのは、いろいろな意味で惨めな目に遭ったり悔しい思いをしたり、そしてまたつらい思いをしたりする過程の中で心というのは養われていく。そしてまた、人に対する思いやりとか温かい気持ちというのが出てくる。温室のような、もう本当に何をやっても全然心配のない、何の不安もないような状況からは、私はたくましい大人、たくましい子供が決して出てこないというふうに感じておりますので、この部分の質問はやめますが、ぜひともそのあたりも理解をいただいた上で推進をしていただきたいと思う次第でございます。
あと一点だけ、私も気になる部分で大臣の見解をお伺い申し上げたいんですが、最近、裁判過程の部分をいろいろ報道していただいておりますが、九六年に、子供の家庭内暴力に耐えかねて父親がバットでその子供を殺害したということで、これはもう非常にセンセーショナルな事件として社会報道され、なおかつ現在、裁判の真理過程の中でそのお父さんが切々とそこに至るまでの心情を本当に素直な形でやりとりをされていらっしゃる。マスコミ報道等を私は拝見させていただいて、いろいろな意味で考えさせられるところもありますし、胸を痛めるところもある。
そういう状況の中で、暴力という問題でお父さんは、お医者さんだったみたいですが、お医者さんのカウンセラーから、暴力は受け入れるべきですよ、受け入れることも子供の教育ですよというような指導もされてそれに従っていた節もある。最終的に今の心境は、暴力を受け入れ続けたことが間違いであったというようなニュアンスの発言をされていらっしゃいます。こういうやりとりも、私ども教育現場ということを考えてみますときに非常に考えさせられる部分もあろうかと思う次第でございます。
この問題とは別に家庭ということを考えてみますときに、この事件というのは親権の低下と家庭の教育力の低下というのが原因として考えられるわけでございますが、その家庭という問題に関して、先ほど小野先生のやりとりの中でもございましたが、親権の低下あるいは教育力の低下についての大臣の御所見をお伺い申し上げます。
この発言だけを見る →まさにそのとおりだろうと思いますし、なおかつ私も、競争というのはもう当然学校の教育現場から排除すべきものじゃない。そしてまたなおかつ、ひところ、偏差値教育とかあるいは受験戦争とか学力試験の問題等々を含めて一つの排除をしていこうとする風潮がある状況。これはちょっと勘違いされている、一般的に勘違いされている部分というのは、競争というのが悪いんじゃなくて、今まさに大臣がおっしゃった部分でありますが、一点集中して、そこのみに集中して、それ以外何もないという環境が私は悪いんだろうと思うんです。ですから、そういう面から申し上げますと、私は、偏差値教育も別に悪くはない、受験戦争も別に悪くはない。ただ、それのみの選択肢しかない学校現場、社会環境が悪いんである。
そういうことから申し上げますと、今大臣がおっしゃったことにも相通じることだろうと思うんですが、スポーツであったりあるいは文化面であったり、そういう部分にはっきりとした価値観づけをすることによって子供の選択肢の幅を広げていく、そしてまたそういう環境づくりを文部省とか我々社会がつくり上げていかなければならない。そっちの方が私は大事だろうと思うんです。
過去にあっては、例えば偏差値教育もそうでございましたが、もうだめであると魔女狩り的に根っこから根こそぎ排除していく、そういう結果が先ほどおっしゃったハードルがどんどん低くなってきておるというような状況だろうと思うわけでございますが、私はこの傾向というのは基本的には間違っておるというふうに感じるわけでございます。
今おっしゃられましたとおり、人間というのは、いろいろな意味で惨めな目に遭ったり悔しい思いをしたり、そしてまたつらい思いをしたりする過程の中で心というのは養われていく。そしてまた、人に対する思いやりとか温かい気持ちというのが出てくる。温室のような、もう本当に何をやっても全然心配のない、何の不安もないような状況からは、私はたくましい大人、たくましい子供が決して出てこないというふうに感じておりますので、この部分の質問はやめますが、ぜひともそのあたりも理解をいただいた上で推進をしていただきたいと思う次第でございます。
あと一点だけ、私も気になる部分で大臣の見解をお伺い申し上げたいんですが、最近、裁判過程の部分をいろいろ報道していただいておりますが、九六年に、子供の家庭内暴力に耐えかねて父親がバットでその子供を殺害したということで、これはもう非常にセンセーショナルな事件として社会報道され、なおかつ現在、裁判の真理過程の中でそのお父さんが切々とそこに至るまでの心情を本当に素直な形でやりとりをされていらっしゃる。マスコミ報道等を私は拝見させていただいて、いろいろな意味で考えさせられるところもありますし、胸を痛めるところもある。
そういう状況の中で、暴力という問題でお父さんは、お医者さんだったみたいですが、お医者さんのカウンセラーから、暴力は受け入れるべきですよ、受け入れることも子供の教育ですよというような指導もされてそれに従っていた節もある。最終的に今の心境は、暴力を受け入れ続けたことが間違いであったというようなニュアンスの発言をされていらっしゃいます。こういうやりとりも、私ども教育現場ということを考えてみますときに非常に考えさせられる部分もあろうかと思う次第でございます。
この問題とは別に家庭ということを考えてみますときに、この事件というのは親権の低下と家庭の教育力の低下というのが原因として考えられるわけでございますが、その家庭という問題に関して、先ほど小野先生のやりとりの中でもございましたが、親権の低下あるいは教育力の低下についての大臣の御所見をお伺い申し上げます。
町
町村信孝#26
○国務大臣(町村信孝君) 事件そのもののことにつきましては今裁判中ということもありますのでコメントは差し控えさせていただきますけれども、今御指摘になった家庭の教育力、確かにかつてと比べるとこれは低下をしている。
しかし、考えてみると、昔はそれこそ子供がたくさんいて、親の注意が十人も兄弟がいると一体どこまで行き渡るんだろうかというときに、それなりの教育が行われ、もちろん兄弟間の切磋琢磨というものももしかしたらとても大きかったんだろうと思いますが、むしろ一人二人のお子さんだと親の注意は十分行き届くはずなのにかえってその教育力が低下するというのは、一体これはどういうことなのかなと、考えてみてもなかなか難しい問題であろうと思います。
確かに、子供の方でいろいろな意味で自制心が足りなくなった、さっき申し上げたような状況もあると思います。豊か過ぎるがゆえの悩みといったようなこともあると思います。また、親がなぜ指導力がなくなってきたんだろうかということを考えてみると、いろんなまた理由があると思いますけれども、よかったかどうかは別として、例えば戦前であれば修身という、それにみんなが従っていたかどうかは別にして、そういう一つの目安みたいなものがありました。それに従って我が家ではそういう教育をしよう、あるいは修身とは全く別の次元で、それぞれの家庭の中で多分教育方針というのがありたんだろうと思います。
最近は、みんな親が迷ってしまって、悩んでしまって、どういう教育をしていいかよくわからないというような現象が明らかに見られる。子供が少ない割には、また著しい無関心の親がいたり、あるいは余りにも干渉をし過ぎる親がいて、子供がみずから育つ芽を摘んでしまうといったようなことがあったりします。でありますから、今ちょうど中教審で三月末ごろに中間とりまとめが行われ、そこで家庭に対する幾つかの提言をしていただけるようになります。
それぞれの家庭でこういうルールを持ちなさいなんということは余り言いませんが、例えば、家庭の中で一定の家族め取り決め、約束事をつくる。太郎さんは新聞を朝とりに行くんだよ、次郎君は休みの日は必ず家の掃除をするんだよとか、あるいは朝起きたらおはようとみんなで言おうとか、そんなことを中教審が言うのという御批判も実はあるんですけれども、私は、そういうことをそれぞれの家庭に問いかけてみて、あなたの家庭はどうですかと考えてもらうそういう材料を提供して、ああやっぱり我が家には我が家なりのそういうルールをつくろうねというふうになって、一つの家庭教育の方針がそれぞれの家庭ででき上がればいいなと、こんなふうに考えているところであります。
この発言だけを見る →しかし、考えてみると、昔はそれこそ子供がたくさんいて、親の注意が十人も兄弟がいると一体どこまで行き渡るんだろうかというときに、それなりの教育が行われ、もちろん兄弟間の切磋琢磨というものももしかしたらとても大きかったんだろうと思いますが、むしろ一人二人のお子さんだと親の注意は十分行き届くはずなのにかえってその教育力が低下するというのは、一体これはどういうことなのかなと、考えてみてもなかなか難しい問題であろうと思います。
確かに、子供の方でいろいろな意味で自制心が足りなくなった、さっき申し上げたような状況もあると思います。豊か過ぎるがゆえの悩みといったようなこともあると思います。また、親がなぜ指導力がなくなってきたんだろうかということを考えてみると、いろんなまた理由があると思いますけれども、よかったかどうかは別として、例えば戦前であれば修身という、それにみんなが従っていたかどうかは別にして、そういう一つの目安みたいなものがありました。それに従って我が家ではそういう教育をしよう、あるいは修身とは全く別の次元で、それぞれの家庭の中で多分教育方針というのがありたんだろうと思います。
最近は、みんな親が迷ってしまって、悩んでしまって、どういう教育をしていいかよくわからないというような現象が明らかに見られる。子供が少ない割には、また著しい無関心の親がいたり、あるいは余りにも干渉をし過ぎる親がいて、子供がみずから育つ芽を摘んでしまうといったようなことがあったりします。でありますから、今ちょうど中教審で三月末ごろに中間とりまとめが行われ、そこで家庭に対する幾つかの提言をしていただけるようになります。
それぞれの家庭でこういうルールを持ちなさいなんということは余り言いませんが、例えば、家庭の中で一定の家族め取り決め、約束事をつくる。太郎さんは新聞を朝とりに行くんだよ、次郎君は休みの日は必ず家の掃除をするんだよとか、あるいは朝起きたらおはようとみんなで言おうとか、そんなことを中教審が言うのという御批判も実はあるんですけれども、私は、そういうことをそれぞれの家庭に問いかけてみて、あなたの家庭はどうですかと考えてもらうそういう材料を提供して、ああやっぱり我が家には我が家なりのそういうルールをつくろうねというふうになって、一つの家庭教育の方針がそれぞれの家庭ででき上がればいいなと、こんなふうに考えているところであります。
北
北岡秀二#27
○北岡秀二君 ありがとちございました。
大臣の所信の中にも家庭の教育の問題についてもろもろ触れておられます。家庭教育に対して行政サイドからどういうふうな形で切り込んでいけるかというのはかなり難しい部分もありますが、これは大変重要なことでありますし、特にきょうは科学技術庁長官もおいでで、お二人の大臣とも将来を担う新しいリーダーということでございますので、ぜひともそういう部分で強力にそのあたりを推進していただきたいと思う次第でございます。
谷垣長官もおいでいただいております。科学技術庁の問題について、これも基本的な大きな意味での質問を二、三点させていただきたいと思います。
御承知のとおり、非常に経済界が閉塞状況、将来に対する経済的な観点からの夢を喪失しておる、二十一世紀の日本ということを考えていったときに明るい材料はなかなか見つからないというような状況の中で、これは原点を考えてみますときに、日本は貿易立国である、そしてまた技術大国である、さらに人間で勝負しておるというような国でございます。おのずとこれは科学技術という部分の占める役割、そしてまた、そういう科学技術をどんどん世界に先んじて新しい部分を開拓していくというのは日本にとりまして非常に大きな重要課題でございますし、なおかつ、そういう面から申し上げると科学技術庁の担われておる使命というのは非常に大きなものがあろうかと思うわけでございます。
このような科学技術創造立国ということで、実現に向けた科学技術の振興は我が国の最重要施策、課題の一つであり、こういう関係から議員立法によりまして科学技術基本法が制定され、これに基づいて平成八年七月から科学技術基本計画が策定されたところであります。この計画によりますと、科学技術の重要性とあわせて科学技術関係経費の倍増を達成することが掲げられておるわけでございます。このために必要な経費として平成八年度から十二年度までに十七兆円が必要という状況であります。しかしながら、これも御承知のとおり、財政再建、財政構造改革というような我が国が直面しておる状況を考えてみましたときに、こういう科学技術の積極的な振興が重要であるにもかかわらず、非常に大きな障害があるという状況だろうと思います。
そういうことで、まず長官に、科学技術創造立国の実現に向けた取り組みについてお伺い申し上げるのと、特に、科学技術基本計画において必要とされている十七兆円の目標をどのように達成されていかれるおつもりであるのか、お伺いを申し上げます。
この発言だけを見る →大臣の所信の中にも家庭の教育の問題についてもろもろ触れておられます。家庭教育に対して行政サイドからどういうふうな形で切り込んでいけるかというのはかなり難しい部分もありますが、これは大変重要なことでありますし、特にきょうは科学技術庁長官もおいでで、お二人の大臣とも将来を担う新しいリーダーということでございますので、ぜひともそういう部分で強力にそのあたりを推進していただきたいと思う次第でございます。
谷垣長官もおいでいただいております。科学技術庁の問題について、これも基本的な大きな意味での質問を二、三点させていただきたいと思います。
御承知のとおり、非常に経済界が閉塞状況、将来に対する経済的な観点からの夢を喪失しておる、二十一世紀の日本ということを考えていったときに明るい材料はなかなか見つからないというような状況の中で、これは原点を考えてみますときに、日本は貿易立国である、そしてまた技術大国である、さらに人間で勝負しておるというような国でございます。おのずとこれは科学技術という部分の占める役割、そしてまた、そういう科学技術をどんどん世界に先んじて新しい部分を開拓していくというのは日本にとりまして非常に大きな重要課題でございますし、なおかつ、そういう面から申し上げると科学技術庁の担われておる使命というのは非常に大きなものがあろうかと思うわけでございます。
このような科学技術創造立国ということで、実現に向けた科学技術の振興は我が国の最重要施策、課題の一つであり、こういう関係から議員立法によりまして科学技術基本法が制定され、これに基づいて平成八年七月から科学技術基本計画が策定されたところであります。この計画によりますと、科学技術の重要性とあわせて科学技術関係経費の倍増を達成することが掲げられておるわけでございます。このために必要な経費として平成八年度から十二年度までに十七兆円が必要という状況であります。しかしながら、これも御承知のとおり、財政再建、財政構造改革というような我が国が直面しておる状況を考えてみましたときに、こういう科学技術の積極的な振興が重要であるにもかかわらず、非常に大きな障害があるという状況だろうと思います。
そういうことで、まず長官に、科学技術創造立国の実現に向けた取り組みについてお伺い申し上げるのと、特に、科学技術基本計画において必要とされている十七兆円の目標をどのように達成されていかれるおつもりであるのか、お伺いを申し上げます。
谷
谷垣禎一#28
○国務大臣(谷垣禎一君) 今、北岡委員から、私がお答えしようと思っていた認識とぴたりと符節を合わせるような観点から御質問いただきまして、大変うれしく思っております。
世紀末という言葉がございますけれども、バブルがはじけてから何か元気が出ない、世紀末的な現象もいろいろ起こってくる。何とかこの壁をぶち破るといいますか、突き破っていかなきゃいかぬというのが今の日本の課題だろうと私は思っております。橋本内閣で六つの課題を掲げて六つの改革ということを言っておりますのも、橋本内閣としてのその壁を突き破る処方せんであり試みであるというふうに思っているわけでありますが、長期的に考えますと、今、北岡委員が御指摘のとおり、科学技術というものをこつこつと、こつこつというだけじゃいかぬのかもしれません、ブルドーザーのごとく推し進めていってこの壁を破っていくということは今共通の認識になっているんじゃないかなと思っております、科学技術基本法をつくっていただき、そしてそのもとで科学技術基本計画を策定し、そして科学技術創造立国という目標を立てた、まさにそういうことであるというふうに私は思っているわけであります。
では具体的にどう取り組んでいくかということになりますと、私どもは科学技術基本計画を推し進めるということでありますが、やっぱり社会的経済的なニーズに即した研究開発を進めていかなきゃならない。それを三つぐらい申しますと、一つはゲノム関連研究とかいうライフサイエンス。あるいはそういうものがいろんな新産業の創出につながっていくような面を持っております。それから情報通信の飛躍的進歩、こういったようなところがやはり一つの重点かと思います。それからもう一つの重点は、地球変動予測といった大きな地球規模の研究といいますか、取り組みを進めていかなきゃならない、こういうことがあろうかと思います。それから三番目には、健康の増進とか災害の対策、災害の防止といった生活のいろいろなニーズに対応した諸問題に取り組んでいく必要がある。そういうこととあわせて、そういうものを下支えする基礎研究というものを興こしていかなきゃならない、こういうようなことを柱にして今施策を進めているわけであります。
それと同時に、何に向かっていくかということと同時にもう一つ大切なことは、研究開発環境ですね、余り硬直したものであってはいけない。柔軟で、そして開かれて、先ほどから競争が必要かどうかという御議論がございましたけれども、やはりこういう研究開発の分野にも、競争的であるということも私は必要な要素だろうというふうに思うわけであります。そういう新たな研究開発システムというものをもう一回つくっていかなきゃならないというのがもう一つの重点事項ではないかと思っております。
それで、具体的にはやはり何をやるにも金の裏づけが要るということで、今委員御指摘のように、平成八年度から十二年度、五カ年かけて十七兆円の投資をしていこうということで進んでいるわけであります。
しかし、今財政の厳しい中で十七兆日本当にとれるのかと、どう取り組むのかという御下問でございますが、率直に申しますと、財政構造改革の推進に関する特別措置法、この間つくっていただいたわけでありますが、柔軟な取り組みというとよく聞こえますけれども、なかなかこの十七兆の達成は正直言って容易でないなと、苦しくなってきたなと思っているのが率直なところであります。ただ、これはもちろんあきらめたわけではありません。いろんな機会をつかまえて、チャンスにアタックして何とか十七兆に向かって進んでいこうと、こういう気持ちでございます。
ただ、先ほど困難があるとおっしゃいましたが、平成十年度の予算案におきましても、一般歳出が対前年度減というような財政環境でございますけれども、科学技術関係経費としては対前年度比で一・〇%増、三兆三百十九億円ふやしているということでありますし、一般会計中の科学技術振興費につきましても対前年度化四・九%増の八千九百七億円が計上されておりまして、この分野にはいろいろと配慮をしていただいておるということではないかと思います。
いずれにせよ、こういう財政の厳しいときでありますから、いろんな研究開発の評価をきちっとして、必要なところにつけていくというような重点的な配分を考えていかなければならないんだろうと、こんなふうに考えております。
この発言だけを見る →世紀末という言葉がございますけれども、バブルがはじけてから何か元気が出ない、世紀末的な現象もいろいろ起こってくる。何とかこの壁をぶち破るといいますか、突き破っていかなきゃいかぬというのが今の日本の課題だろうと私は思っております。橋本内閣で六つの課題を掲げて六つの改革ということを言っておりますのも、橋本内閣としてのその壁を突き破る処方せんであり試みであるというふうに思っているわけでありますが、長期的に考えますと、今、北岡委員が御指摘のとおり、科学技術というものをこつこつと、こつこつというだけじゃいかぬのかもしれません、ブルドーザーのごとく推し進めていってこの壁を破っていくということは今共通の認識になっているんじゃないかなと思っております、科学技術基本法をつくっていただき、そしてそのもとで科学技術基本計画を策定し、そして科学技術創造立国という目標を立てた、まさにそういうことであるというふうに私は思っているわけであります。
では具体的にどう取り組んでいくかということになりますと、私どもは科学技術基本計画を推し進めるということでありますが、やっぱり社会的経済的なニーズに即した研究開発を進めていかなきゃならない。それを三つぐらい申しますと、一つはゲノム関連研究とかいうライフサイエンス。あるいはそういうものがいろんな新産業の創出につながっていくような面を持っております。それから情報通信の飛躍的進歩、こういったようなところがやはり一つの重点かと思います。それからもう一つの重点は、地球変動予測といった大きな地球規模の研究といいますか、取り組みを進めていかなきゃならない、こういうことがあろうかと思います。それから三番目には、健康の増進とか災害の対策、災害の防止といった生活のいろいろなニーズに対応した諸問題に取り組んでいく必要がある。そういうこととあわせて、そういうものを下支えする基礎研究というものを興こしていかなきゃならない、こういうようなことを柱にして今施策を進めているわけであります。
それと同時に、何に向かっていくかということと同時にもう一つ大切なことは、研究開発環境ですね、余り硬直したものであってはいけない。柔軟で、そして開かれて、先ほどから競争が必要かどうかという御議論がございましたけれども、やはりこういう研究開発の分野にも、競争的であるということも私は必要な要素だろうというふうに思うわけであります。そういう新たな研究開発システムというものをもう一回つくっていかなきゃならないというのがもう一つの重点事項ではないかと思っております。
それで、具体的にはやはり何をやるにも金の裏づけが要るということで、今委員御指摘のように、平成八年度から十二年度、五カ年かけて十七兆円の投資をしていこうということで進んでいるわけであります。
しかし、今財政の厳しい中で十七兆日本当にとれるのかと、どう取り組むのかという御下問でございますが、率直に申しますと、財政構造改革の推進に関する特別措置法、この間つくっていただいたわけでありますが、柔軟な取り組みというとよく聞こえますけれども、なかなかこの十七兆の達成は正直言って容易でないなと、苦しくなってきたなと思っているのが率直なところであります。ただ、これはもちろんあきらめたわけではありません。いろんな機会をつかまえて、チャンスにアタックして何とか十七兆に向かって進んでいこうと、こういう気持ちでございます。
ただ、先ほど困難があるとおっしゃいましたが、平成十年度の予算案におきましても、一般歳出が対前年度減というような財政環境でございますけれども、科学技術関係経費としては対前年度比で一・〇%増、三兆三百十九億円ふやしているということでありますし、一般会計中の科学技術振興費につきましても対前年度化四・九%増の八千九百七億円が計上されておりまして、この分野にはいろいろと配慮をしていただいておるということではないかと思います。
いずれにせよ、こういう財政の厳しいときでありますから、いろんな研究開発の評価をきちっとして、必要なところにつけていくというような重点的な配分を考えていかなければならないんだろうと、こんなふうに考えております。
北
北岡秀二#29
○北岡秀二君 わかりました。
科学技術庁が担っている使命を考えてみますと、非常に重要なものがございます。ともすると、科学技術庁というとかなり大きなウエートが原子力とか、最近原子力関連というのは非常にイメージが暗いですから、国民の中からも非常に誤解される部分もございます。時代背景、今の状況を考えてみますときに、とにかく将来こういう明かりがあるんですよ、我々はこういう新しい科学技術によって社会づくりができますよと、本当に国民の皆様方に夢を持たせていただけるような部分での取り組みをぜひとも強力にお願い申し上げたいと思うわけでございます。
時間の関係で問題をはしょりまして、今申し上げました原子力に関連して、これはもう非常に話題になっておりますので一言触れさせていただきたいと思います。
今般の返還ガラス固化体の搬入に関して、報道されておりますとおり、青森県の木村知事は、県民の不信、不安を直接伝えるために要望している総理との会談か実現されなければ受け入れかできないというような状況で、輸送船の接岸をいまだ拒否しておるというような状況だろうと思います。
この問題に関連しては、私は基本的には、ます担当する行政部局と調整を行うことが円滑に行政を進める上で当然必要な手続であるというふうに私は認識をするものであります。
しかしながら、この問題の底流に流れている部分というのを考えてみますときに、原子力政策を進めていく上で高レベル放射性廃棄物の処理処分は非常健重要港誤題である。このことに対してまた非常庭大きな課題もあるし、青森県のような受け入れ地にとりまして、将来のこと、そしてまた今の現状のことも含めて非常に不安を抱えておる。そしてまたなおかつ、国民の原子力行政ということを考えていったときにも、廃棄物の問題をどういうふうな形で解決していくかということも非常に大きな問題だろうと思うんです。
このことに関連して、底流に流れるそういう問題の中の、高レベル放射性廃棄物の処分方策の確立に向けての長官の取り組み姿勢というのをお聞き申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。
この発言だけを見る →科学技術庁が担っている使命を考えてみますと、非常に重要なものがございます。ともすると、科学技術庁というとかなり大きなウエートが原子力とか、最近原子力関連というのは非常にイメージが暗いですから、国民の中からも非常に誤解される部分もございます。時代背景、今の状況を考えてみますときに、とにかく将来こういう明かりがあるんですよ、我々はこういう新しい科学技術によって社会づくりができますよと、本当に国民の皆様方に夢を持たせていただけるような部分での取り組みをぜひとも強力にお願い申し上げたいと思うわけでございます。
時間の関係で問題をはしょりまして、今申し上げました原子力に関連して、これはもう非常に話題になっておりますので一言触れさせていただきたいと思います。
今般の返還ガラス固化体の搬入に関して、報道されておりますとおり、青森県の木村知事は、県民の不信、不安を直接伝えるために要望している総理との会談か実現されなければ受け入れかできないというような状況で、輸送船の接岸をいまだ拒否しておるというような状況だろうと思います。
この問題に関連しては、私は基本的には、ます担当する行政部局と調整を行うことが円滑に行政を進める上で当然必要な手続であるというふうに私は認識をするものであります。
しかしながら、この問題の底流に流れている部分というのを考えてみますときに、原子力政策を進めていく上で高レベル放射性廃棄物の処理処分は非常健重要港誤題である。このことに対してまた非常庭大きな課題もあるし、青森県のような受け入れ地にとりまして、将来のこと、そしてまた今の現状のことも含めて非常に不安を抱えておる。そしてまたなおかつ、国民の原子力行政ということを考えていったときにも、廃棄物の問題をどういうふうな形で解決していくかということも非常に大きな問題だろうと思うんです。
このことに関連して、底流に流れるそういう問題の中の、高レベル放射性廃棄物の処分方策の確立に向けての長官の取り組み姿勢というのをお聞き申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。